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昼も夜も 分かたず走る 月光の 光り懐かし 夢の跡なり
上手いな~
昼夜問わず走ることができ、月光などの寝台特急として走っていた。今は全て廃止されたが今でもその記憶は残る。と考えた
@@user-wz3he1vf7s 素晴らしい!的確な解釈有難うございます。
夢うつつ 日差しも雨も風さへも 構うことなく 追い続くる明日
@@horiemon0802 お見事です!
サハネ581は北海道の仁宇布にあるトロッコ王国に保存されてます
青森運転所所属の583系と言えば上野ー青森間を昼は座席車として東北本線経由の特急はつかり、常磐線経由の特急みちのく号で運転され、夜は東北本線経由の寝台特急はくつる及び常磐線経由の寝台特急ゆうづる号で使われていました、昼間の特急はつかり、みちのく号では食堂車の営業をして、寝台特急ゆうづる、はくつる号では食堂車の営業を休止していました。1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で東北新幹線が大増発されて昼行特急はつかり号の上野ー盛岡間が区間廃止となり盛岡ー青森間に運転区間が短縮されたため食堂車の営業休止扱いになりました。1985年3月14日の東北・上越新幹線🚄大宮ー上野間延伸開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で上野ー青森間の寝台特急ゆうづるおよびはくつる号の運転本数削減に伴い昼間に臨時列車として1985年3月17日から半年間茨城県筑波研究学園都市で開催された科学万博つくば85臨時快速列車エキスポライナー号で使用されていました、運転区間は大宮ー万博中央駅🚉間武蔵野線経由で運転されました。
母の実家が山形で、東北新幹線が出来る前・建設中・出来た後、L特急「つばさ」で新庄まで何度も乗ったこと小学校の林間学校で、長野までいくのに、L特急「あさま」に乗って信越本線に乗ったこと、今思えば貴重な体験でした
横軽間をEF63補助があっても協調出来ない系式(例181系時代の「あさま」)は8両までしか編成出来ない理由、列車が下り勾配時機関車に支えられる構図になるが、その際列車の編成全体の重みが列車の連結機が機関車の連結機で負荷がかかり過ぎ破断という凄い話を聞いた。189系、489系、169系は機関車から列車のブレーキも制御出来る構造になったらしい。因みに系式の末尾が「9」なのは番号が無かったからで、意図的ではないとの事。
583系だったように思うが、ガラガラの車内で座席を勝手にフラットにして寝ていたら車掌さんに怒鳴りつけられた。JRが国鉄だった頃の車掌さんは怖かった~。
母親と津軽に乗った際は、「他の方が乗ってこられたら戻して下さいね。」とやんわりと注意されたもんですが。
@@user-cg6eb3gp7d 親子連れとクソ生意気な学生風情(笑)とでは、扱いに違いがあったのかもしれませんね。
国鉄特急は憧れるんですよ485系も583系も一回でもいいから乗ってみたかったです…
蒸気機関車とかは鉄道省時代だからな
君はZ世代?185系、381系も乗った事無い?
583はシュプール号で乗ったことあります。3段寝台の1番上で強烈に狭苦しかったですがいい思い出です。
583系は遮音性が高くて客車より静かだったくらい。本当に素晴らしい車両だった。
583系は きたぐに・ゆうづる と 乗った事あるけど 楽しい列車だったな
東北方面の583系定期運用は、急行津軽じゃなかったかな?
確かに「ゆうづる号」は、客車寝台と、583系の電車寝台合わせて、MAX7往復までなってたと思います。小学生の時、時刻表の見方を父親に教えてもらって、東北本線、常磐線のページを見た時、やたらと「ゆうづる」の名前を見た記憶があります。
ゆうづる2号4号なんて上野5時30分頃着で結構早すぎる
昭和50年3月~昭和57年11月まで7往復でした。内訳は583系3往復と20系4往復でした。その後、昭和51年10月には20系使用列車は全て24系24形に置き換えられ昭和53年10月にはその内の1往復が14系14形に置き換え、更に昭和55年10月改正では前述の14系と583系各1往復が季節列車となり24系24形2往復は2段式の24系25形に置き換え、24系24形で残存した1往復はこのダイヤ改正で24系24形に置き換えられたあけぼののオロネを2両としたためにオロネの連結が中止されました。そして昭和57年11月改正で2往復削減され5往復となりました。
なかなか変動の激しい寝台特急だったのですね。勉強になりました。
約45年前、博多から名古屋迄「金星」で初めて寝台特急に乗りました。まだ、子供で頑張って小倉から関門トンネルまで覚えていたが不覚にも寝てしまった。583系が今でもイチ押しです。今は、サンライズに乗るのが夢です。
金星号博多駅出発の約10分先にみずほが先行しますが覚えていますか?名古屋駅で追いつき約1分双方が並びます。寝台列車の目的はお客さんにゆっくり寝て欲しい。金星も寝て貰って本望だと思います。
@@user-em4ti9tk5u 白竹様教えて頂いてありがとうございます。かなりの鉄ちゃんですね。当時、東海道本線の沿線に住んでいましたので下りの夜行寝台特急の通過すると今何時だとか分かっていました。さくらから始まりはやぶさ、、、なんて。遠い昔になってしまいました。[はやぶさ]が東北新幹線になった時は、かなりのショックでした。
@@user-gu9pj7gn8b 様オールドファンです。1974年春高校出て八代から583系明星の上段寝台で上京したのでメモリアルな車両です。小さな小窓から去り行く郷里に少し涙した。夜行デビュー戦は高校修学旅行12系座席車で熊本~大阪が強烈な印象で以降夜行列車の虜になりました。初北海道は14系座席急行八甲田~青函連絡船も忘れない。金星の公転は225日。名古屋に21:49に富士が着き22:54発で名古屋を出ます。金星は1分だけ顔合わせして22:50にお先にと出発します。金星22:50の時刻は一生忘れません(笑)コメ書いているだけで懐かしい。ありがとうです。
581、583系月光こそ昭和の国鉄が生み出した名優ですね。月光型寝台電車と言われるぐらい581、583系は昼夜兼用で任務を全うし月光の活躍期間は昭和42年10月の創設されて昭和50年3月の新幹線博多開業までのわずか7年半ほどでした。
583系は、はくつるやゆうづる、みちのく、はつかりでは?
@@playboy4649japan これら上野~青森間の夜行昼行4愛称も確かに583系の名列車ですね。
485系は特急「にちりん」「RED EXPRESS にちりん」でお世話になりました。583系は原形のままでは、乗った事はないんですが、普通列車に改造された後に、金沢に行く際に乗りました。最初は中間車が先頭車改造された、所謂「食パン顔」先頭車を見てもピンと来なかったんですが、特徴的な乗降ドアの形と普通列車にしてはやたらに高い天井を見て「こいつは、もしかして」と帰宅後ググってみたら、ズバリ、その列車こそ419系電車、幼いころ「雷鳥」号等で大阪駅を出入りする姿を見て憧れていた583系の改造された姿だと知り、感動した想い出があります。
EF63については「碓氷と彼女とロクサンの。(阿羅本景・著)」というライトノベルでも知りました。物語を膨らませられる良いバックグラウンドと共にあるのが素敵だなぁと思います。
サンライズ瀬戸の車両を583系の復刻塗装にしたら面白そうですね。
鉄道オタクしか面白くない。
285系ですね?
中学生の発想
最後は食パンの材料になってしまったね。 ボックス席ヒルネはきついかな。
乗ってみたかったな〜 興味持ち始めたときには全部引退してました…😢あさかぜ乗ってみたかった…
485系は、481系が北陸本線特急雷鳥、しらさぎに、東北本線向けに483系がひばり、やまびこに投入された。50H/z.60H/z共用交直流特急電車485系が導入されて、全国各地に広がった。ボンネット型、貫通型、非貫通型のクハ481型が作られた。昭和46年に、碓氷峠越え対応仕様の489系が製造されて、特急白山、あさまに投入された。
後にクハ481-1以下ボンネット車が勝田に異動する
秋田の583系は晩年「臨時快速弘前さくらまつり号」として運転されていた。特急料金不要で乗ることが出来た。
実は583系の下段寝台の幅は1m強(106cm)ありまして、A寝台より広かったのです。
わたしはあらゆる鉄道車両の中で一番好きなのが583系なので、取り上げてもらってうれしかったです。急行型のキハ58系列も全国に急行網を広げた名車なのでいつか取り上げてもらえると嬉しいです。
頼むからブルートレインくらいは復活してほしいなァ…乗らなかったの一生後悔するレベルなので…😢
583系は今で言うとメジャー選手の大谷さんですなぁ👍
パンタグラフ下の中段寝台よく使ったな。中段なのに上段がなくて広々快適。料金は中段価格。みどりの窓口で必ず席番していしていた。
20年ほど前、京都の0番ホームに入選してきた481にテンションMAXだったな。
東京~大阪の 「銀河」を復活してほしいね。
客車無いから無理。
@@playboy4649japan寝台車でなくても良い。全指定座席の急行銀河もあった。大阪行きだけでなく京都行きさえあった。ゆえに電車仕様のそれも急行格上げして特急でも良いではないかと思います。大阪・東京に朝着ければそれだけで良い。
サンライズ銀河?
@@dirkschuneider9139 光GENJIの名曲?(笑)
@@playboy4649japan 285系「電車」を使用した銀河。どうせもう客車なんて無いだろうから。光GENJIの方はパラダイス銀河w
なんかこんな形の列車、北海道から嫁入りしたような動画をみた覚えがある。見たことも乗ったこともないし、それまで存在すら知らなかった。なのに、動画を観てとても寂しくなった。今も485や583をみると懐かしい気持ちになるのは何故なんだろう。
581系は、寝台特急月光と昼行特急みどりに投入され、東北本線向けに昭和43年10月1日ダイヤ改正で特急はつかり、寝台特急ゆうづる、はくつるに投入された。九州では明星、彗星、北陸本線特急雷鳥、しらさぎにも使われた。
仙台の715系1000番台は11月から4月まで側扉は手動で「おそれいりますがこのドアは手でお開け下さい」というステッカーが貼られていた。
半自動扉になっていた。耐寒耐雪耐用。
581系て関西ー九州寝台て山陽新幹線の開業前だなととらえられる
82年の上越新幹線の開通とともに、新潟方面の貨物輸送が在来線の上越線で増えていった頃から、信越本線の貨物輸送が減ってゆくのは想像がつきますね。EF63の兄弟車種で、ややギア比の速いEF64、65は上越線だけでなく、今でも各地で運用されていますね。66,7‰の〝横軽専用機〟だったEF63と協調運転が出来る様に、同じギア比の低速寄りにしたEF62は、単機での貨物や客車の牽引など、信越本線を主としての運用が目的だった様ですが、その分〝足〟が遅く、長時間の高速運転では電動機のオーバーヒートなどのトラブルもあったそうです。私もかつて新潟方面にスキーに〝白山〟や〝あさま〟に乗って行った頃があります。その時は横川で停車したら、ダッシュで〝峠の釜飯〟を買いに走り、EF63の二重連も知らずに箸を動かすのに夢中でした。横川の〝鉄道文化むら〟には何度か訪れています。動体保存されているEF63の勇姿を見たり、ホイッスルを聴いたり、現存する65‰の勾配を体感しに、また行きたいと思います。
私が学生の頃の昭和50年代は北海道ブーム、485系白鳥には大阪~青森までの13時間お世話になりました。座席特急として最長距離運行の列車、13時間は忍耐との勝負でした。
581系しおじ(大阪-下関・広島)がデビューでした。帰りは583系でした。夜行は明星581(大阪-博多)家族4人で、上中下の1BOXを取り両親は上中、子供は下段って感じでした。106cmは広かったです。481系も最初はしおじで区間は同じです。485系は雷鳥(大阪-金沢・富山.新潟)でした。489系は臨時特急有月(新大阪-宮崎)でした。山陽新幹線開通前は、485系200番台300番台の新車を使った臨時特急も多数運転されてました。関東では、485系はとき(上野-新潟)が最初でした。181系が雪による故障頻発の為の代車です。この当時は全て食堂車が付いてました。
181系【とき】は晩年雪害で痛め付けられましたが、同じく上野~新潟を【佐渡】として走った165系は平成まで頑張りましたな。(*´・∀・)
小学生の頃、夜行のみどりに乗ったし昼行のはとも乗らせてもらったな。はとの食堂車でチキングリルを食べました。あと、大学で東京に出る時に金星のグリーン車に乗って車掌になぜ寝台に乗らないのかって笑われた。B寝台料金のグリーン料金も違いが無く、一度グリーン車に乗って見たかっただけなんです。名古屋で降りて新幹線で上京したな。
JR西日本での485系の運用は、白鳥、北越、雷鳥、しらさぎで金沢総合車両センターと吹田総合車両所京都支所に配置されて運用された。和式グリーン車だんらんを連結した雷鳥であったが、平成元年に洋室ラウンジに再改造して、パノラマグリーン車を連結したスーパー雷鳥色に変更されて、大阪ー金沢・和倉温泉・富山間の特急スーパー雷鳥に使われた。その後681系投入でパノラマグリーン車は、しらさぎ色に変更されて、特急しらさぎに転用されたが、683系2000番台の投入で旧国鉄色に変更されて、雷鳥で運用を終えた。平成8年に北越急行が開業すると、金沢から北越急行を経由して越後湯沢へ向かう特急はくたかが開設されて、485系がJR西日本オリジナル色に塗られて活躍した。ちなみに681系はくたかは、狭軌最高速度160Km/hで金沢ー越後湯沢間を結んだ。しかし、北陸新幹線長野ー金沢間開業ではくたかは北陸新幹線特急の名称となって廃止。681系はしらさぎに転用されたが、485系は運用消滅した。上野ー金沢間を碓氷峠越えで結んだ特急白山は、ピンクと青の帯を巻いた新塗装になった。平成9年の北陸新幹線長野開業で、碓氷峠越えの区間が廃止。特急白山も運命を共にした。その後、上越線経由の夜行急行能登に転用。平成25年まで活躍した。
急行立山(季節列車)にも、きたぐにの前に、使われていたね。
583系きたぐにに幼少期に乗せてくれた父、当時は価値を知りませんでしたが、今となって感謝しかありません😊
めちゃくちゃいいやんか!
@@tvtv444 ほんとにありがたい限りですね!この動画に関係はありませんが、20系客車の急行銀河にも運行終了が決まってから乗せてもらった!
※現在23歳の者です
@@user-zb2xc2gb3u 父親が鉄道オタクなんだね。コメント主の年齢からしてお父さんは団塊ジュニア世代?
@@user-zb2xc2gb3u ええめちゃくちゃいいやんか
急行きたぐには関西圏から新潟に乗り換えなしで行ける唯一の電車で新潟や北陸方面から関空を利用して海外に行く人には早い便に乗れるので便利で重宝されていましたね。
ブルトレ復活希望
客車は何処の会社も造りたくない。
@@playboy4649japan 客車列車は、世界の都市間列車のグローバルスタンダードだけどなー
583系は高校の修学旅行で寝台特急ゆうづるに乗ったのがデビューでした。同時に青函連絡船と東海道新幹線もデビューでしたね。のちに高校の卒業旅行では昼行特急みちのくにも乗って、昼夜コンプリートしてます。(笑)
新幹線博多開業前に、能登へ旅行の祭に、485系「白鳥」に乗車した。名古屋から当初、これまた485系「しらさぎ」で出発する予定が、大雨で木曽川を渡れず、米原まで新幹線に乗って、当時湖西線も無かったので大阪始発の北陸特急はすべて米原経由。「白鳥」は新幹線岡山開業時と同じ年に80系ディーゼル特急から電車化されたので、485系はバリバリのニューフェイスという事と、しらさぎ、雷鳥とは終点が比べ物にならないくらい、はるか遠くだという事、後にわかった。
東北特急の廃止で九州に転属した一方で、有明、にちりんの短編成化により定員が少なくて使いづらいボンネット車が長編成のひたち用に勝田に集結。481系世代のクハ初期車がしばらくの間赤スカートヒゲなしの九州仕様のままひたちに使われていました。
583系は最期使い道がなくて、銀河とか「あけぼの」なんかに転用されていた。いまは台湾に贈られているがそれが原因で、素森に台湾客が押し寄せている。特に寒い地方には台湾客が興味津々だ。
はへ?😜
583は本当にラストのラストまで頑張ったよなぁ〜485よりデカいのと青い色が凄く特別感があった。
余りすぎて魔改造ばかりだったよ。乗り心地は良かったが。
空き缶が コロリと下りる ヨコカルの 補機の活躍 今は昔ぞ
空き缶だけで済めば良かった方だよ、昔は。
485系特急白鳥号がJR東日本の上沼垂運転区が担当した時の上沼垂カラーのホワイトカラーとブルーカラーの白鳥号が良かったです❗
485系は僕が東北線と常磐線でお世話になってました。時々他の地域で活躍する583系にも715系に姿を見たり現物に乗ったりもしましたね。臼井峠を通る場合は600円片道でバスに乗ってどちらかの駅に向かう事も出来ます。釜めしの販売場所も両方、横川、軽井沢にも荻野屋さんが有りますよ。
this is a great video! well done 🎥🙌
24時間戦えますか🎶ってCM流れてた時代だから、そういう運用も普通の感覚だったのかしら😂
リゲインのCM。第一三共。
青森県八戸市に住んでいたときに就職試験で東京に行った🎵行きは583系のゆうづる寝台、帰りは583系のはつかり昼行で❤️ただ、昼行普通車はBOXシートで4名 座ると窮屈だった‼️
24:24~24:29JR東の415系がJR九州に譲渡された例があるね。33:47~33:53E653・E655・E001は3電源対応(E001はAC25kv/50Hz及び非電化区間にも対応)。
西東 いかないかづち 気に留めず ひたに走るは 485ぞ
今振り返れば583のひばりに乗れたのは貴重な経験だったと思う。その時は普通に485に乗るつもりでホーム行ったらアレ?て感じで。
国鉄時代の話、古すぎる。僕はJR時代にはつかりで乗ったよ。
@@playboy4649japan 古くて何か不都合が?😜
583系はパンタ下が天井低い関係で寝台が中下段しかなく同じ中段料金でも頭上広々で利用できたから人気で、指定券予約開始早々に狙い撃ちされて売り切れてたねぇ。
鉄道のことは全く分からないけど、ゴードンとトーマスのくだりにはニヤけてしまいました。
通学通勤私はこの時代でした。483系改造普通車。ボックス席は良かったよ。今もあいの風とやま鉄道で走ってないかしら?
2022年の時点で秋田総合車両センター南秋田センターにはクハネ583-17の車籍が残ってます。
9:05 1986年は1968年の間違いですね。581/583系は子供の頃から有明で馴染みのある車両で、715系になっても長崎本線で乗る機会が多かったのに、なぜか夜行となるとすっかり縁がなくて、廃止間際のはくつるが唯一の乗車体験でした。
新幹線が岡山までの僅かな期間は583系つばめが岡山まで、そして折り返し西鹿児島行き月光運用でしたがその稀有なつばめで熊本から岡山~東京へ帰りました。二重窓の中にベネシアンブラインドの日除けが斬新で静粛性は完璧。更に食堂車もある。我が良き思い出です。
@@user-em4ti9tk5u コメント主が還暦世代と判る。僕は生まれてない。
@@playboy4649japan 様昭和30年12月生まれです。高校2年の修学旅行は熊本を午後に出る団体専用夜行の12系に詰め込まれ、まだ暗い朝に大阪に着いた。鮮明に覚えています。12時間ボックス席の旅だが全然疲れていないのだ不思議。次の日は京都から新横浜まで同じく団体専用の0系新幹線に初乗り。記憶は速すぎて覚えていない。(笑)農林高校だから鎌倉市大船の植物園は思い出した。東京タワーも。そして東京で働くことになる。帰省ははやぶさかみずほが懐かしい。
@@playboy4649japan だから何?😜
485系の、パンタグラフまわりの機器類の、ゴチャゴチャ感がなんともいえない味を出して好きでした。「走る変電所」の愛称で、親しまれていました。ひたち号の写真を、上野駅で撮影しに行くと、上野方(がた)ボンネット車、水戸方(がた)電気ガマ車又は、上野方、電気ガマ車、水戸方ボンネット車 の編成が多かったです。なかなか、ボンネット車+ボンネット車の編成を見かける事ができませんでした。カメラを所持していない時にかぎって、ボンネット車+ボンネット車の編成が上野駅に到着していました。
485系は東北に行くのに欠かせない特急電車🚃ひばり、ひたち、やまびこ、つばさ、はつかり💡雷鳥や白鳥にも乗ったな😀583系は…ゆうづるは寝台車、グリーン車両方に乗った🚃はつかりは青森〜盛岡時代に何度か🍵本当にお世話になりました🚊
国鉄ってカオスだなぁ、、、そして見た目がみんな似てるなぁ、、、
現場が変化を嫌ったからな😁
@@crankyfranky9801 素材の会社はAGC右翼の会社はJNR
でも厳しい北海道の車両だけは本州と違い、窓は二重窓にしたりの工夫がありました。冬場は本州仕様のキハ82の貫通扉から入る冷たい隙間風には悩まされたそうです。その後北海道仕様の特急列車を独自に開発したが。スラントノーズのキハ183などです。
@@user-em4ti9tk5u さん165系の急行アルプスでも運転士さんは「貫通扉のすきま風が寒いんだよ!」(ヽ´ω`)と言ってましたな。
@@user-cg6eb3gp7d 熊本から上京して国鉄の南東北周遊券で正月休みに新潟~福島を旅行した。雪と寒さにはびっくら仰天の連続。信州周遊券で長野県の冬の厳しさは半端なかった。よく暮らせるなと思った。客車の夜行妙高号を利用したのは覚えています。国鉄の周遊券は使いでがありました。
47:33 1891年に起工して1893年に開業ならかなり早くないですか?それにしてもこの短い区間の工事で500人の犠牲者とは大変だったんですね。
50過ぎのおっちゃんことアテクシ、1987年の高校の修学旅行で青森から京都まで583系の団臨。もちろんパンタ下の2段になった中段(上段)を確保w食パン列車は鉄道ジャーナルで見てショックだったなあ。
客車の寝台車は発車時に結構なショックがあったりしたけど、583系はほんとにスムーズな発車してましたね。走行時の静かさも285系と比べて変わらない(全く劣らない)と思いました。比較的よく眠れます。ただ2段式が主流になってからは、定期で使うには3段式なのが利用率に影響したと思う。大人は下段でさえ、しっかりとした座位が出来ない。(寝台時)もう寝てるしかない。子供の頃、駅に写真を撮りに行ってたら、2分ほどしか停車時間がないのに運転席にのぼらせてもらったことがあります。今にして思えばなんておおらかな時代(昭和)だったんだと思います。
JR九州は、短編成が多く、最小で3両編成、最長8両編成と多彩だった。主な特急は、門司港・博多ー熊本・西鹿児島(鹿児島中央)間の有明、小倉・博多・門司港ー大分・南宮崎・西鹿児島(鹿児島中央)間のにちりん、博多ー長崎間のかもめ、博多ー佐世保間のみどり。博多ー肥前山口(江北)間はかもめ、みどりの併結運用が多かった。昭和63年のJRオリジナル特急電車第一号783系が有明でデビューすると、にちりん、かもめ運用が増えた。さらには、かもめエクスプレスのように赤一色塗りが始まり、みどりエクスプレス、汎用のレッドエクスプレス化されていった。平成4年のハウステンボス開業で特急ハウステンボスがデビューしたが、赤一色塗りの中に青・緑・黄色の三色塗りが現れた。787系がかつての特急つばめとしてデビューすると、博多ー熊本・水前寺間の特急有明のみの運用となった。熊本ー水前寺間は非電化であったため、ディーゼル機関車に牽引されて、車掌車は電源車として水前寺駅に向かった。783系がみどり・ハウステンボスに投入されると、485系は大分電車区、鹿児島運輸区に集約されて、日豊本線特急にちりん、ひゅうが、きりしまの運用に入った。きりしまは、西鹿児島(鹿児島中央)ー宮崎間のにちりんの系統分離で開設され、ひゅうがは、南宮崎ー延岡間に開設された特急。しかし、787系が投入されると、485系は全ての運用を失ってしまい、2017年までに全車廃車となった。
24時間戦えますかの、元祖見たいですね?。今では廃れたタイプですよね?。
電車いわく社蓄ちゃうわぁーm(_ _)m言いたいやろな😌
磐越西線の快速あいづライナーに485系が使われていた時代、代走で583系が来たときはがっかりしたな〜なんか臭かったし
583系は、寝台特急電車の減便で余剰となった一部の車両を近郊形に格下げ改造して、715系と419系に改造した。715系は、交流専用車両で東北本線と九州は、長崎本線と佐世保線に、419系は、交直流電車で北陸本線のローカル列車に使用された。
よく思うけど顔だけ国鉄の名車に酷似した車両とか作られないかな…?26:26 この辺は パワーボム氏が面白詳しく解説してるゾ〜 検索検索ゥ〜!!(URL貼ると何故か弾かれるから各自で)30:20 ソドーP氏のMMDのゴードンやんw(ラオウの声が聴こえるな…)30:25 私が来たァ!!(オールマイトのゴードンにも慣れたw)2Dからは2代目オラフの声優さんが担当してるよ ククルス・ドアンにしか聞こえないw(クソゲー実況してくれw)
もう引退してるけどオランダなら…
マックドナルド店舗が、渋滞起こす事に、対策して無い事が、他の車両渋滞問題で、所属警察署も、店舗にドライブスルーを改善策打た無いと道路上?もし渋滞車両起きる基にマック店舗がこの先にも続けば違反行為!と、見て行く事を?
毎回面白すぎゆっくり鉄道博物館最高
そのコメントしつこいからやめてくれ
昼も夜も 分かたず走る 月光の 光り懐かし 夢の跡なり
上手いな~
昼夜問わず走ることができ、月光などの寝台特急として走っていた。今は全て廃止されたが今でもその記憶は残る。
と考えた
@@user-wz3he1vf7s 素晴らしい!的確な解釈有難うございます。
夢うつつ 日差しも雨も風さへも 構うことなく 追い続くる明日
@@horiemon0802 お見事です!
サハネ581は北海道の仁宇布にあるトロッコ王国に保存されてます
青森運転所所属の583系と言えば上野ー青森間を昼は座席車として東北本線経由の特急はつかり、常磐線経由の特急みちのく号で運転され、夜は東北本線経由の寝台特急はくつる及び常磐線経由の寝台特急ゆうづる号で使われていました、昼間の特急はつかり、みちのく号では食堂車の営業をして、寝台特急ゆうづる、はくつる号では食堂車の営業を休止していました。1982年11月15日の上越新幹線🚄大宮ー新潟間開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で東北新幹線が大増発されて昼行特急はつかり号の上野ー盛岡間が区間廃止となり盛岡ー青森間に運転区間が短縮されたため食堂車の営業休止扱いになりました。1985年3月14日の東北・上越新幹線🚄大宮ー上野間延伸開業に伴う国鉄全国ダイヤ改正で上野ー青森間の寝台特急ゆうづるおよびはくつる号の運転本数削減に伴い昼間に臨時列車として1985年3月17日から半年間茨城県筑波研究学園都市で開催された科学万博つくば85臨時快速列車エキスポライナー号で使用されていました、運転区間は大宮ー万博中央駅🚉間武蔵野線経由で運転されました。
母の実家が山形で、東北新幹線が出来る前・建設中・出来た後、L特急「つばさ」で新庄まで何度も乗ったこと
小学校の林間学校で、長野までいくのに、L特急「あさま」に乗って信越本線に乗ったこと、今思えば貴重な体験でした
横軽間をEF63補助があっても協調出来ない系式(例181系時代の「あさま」)は8両までしか編成出来ない理由、列車が下り勾配時機関車に支えられる構図になるが、その際列車の編成全体の重みが列車の連結機が機関車の連結機で負荷がかかり過ぎ破断という凄い話を聞いた。189系、489系、169系は機関車から列車のブレーキも制御出来る構造になったらしい。因みに系式の末尾が「9」なのは番号が無かったからで、意図的ではないとの事。
583系だったように思うが、ガラガラの車内で座席を勝手にフラットにして寝ていたら車掌さんに怒鳴りつけられた。JRが国鉄だった頃の車掌さんは怖かった~。
母親と津軽に乗った際は、「他の方が乗ってこられたら戻して下さいね。」とやんわりと注意されたもんですが。
@@user-cg6eb3gp7d
親子連れとクソ生意気な学生風情(笑)とでは、扱いに違いがあったのかもしれませんね。
国鉄特急は憧れるんですよ485系も583系も一回でもいいから乗ってみたかったです…
蒸気機関車とかは鉄道省時代だからな
君はZ世代?185系、381系も乗った事無い?
583はシュプール号で乗ったことあります。
3段寝台の1番上で強烈に狭苦しかったですがいい思い出です。
583系は遮音性が高くて客車より静かだったくらい。本当に素晴らしい車両だった。
583系は きたぐに・ゆうづる と 乗った事あるけど 楽しい列車だったな
東北方面の583系定期運用は、急行津軽じゃなかったかな?
確かに「ゆうづる号」は、客車寝台と、583系の電車寝台合わせて、MAX7往復までなってたと思います。小学生の時、時刻表の見方を父親に教えてもらって、東北本線、常磐線のページを見た時、やたらと「ゆうづる」の名前を見た記憶があります。
ゆうづる2号4号なんて上野5時30分頃着で結構早すぎる
昭和50年3月~昭和57年11月まで7往復でした。内訳は583系3往復と20系4往復でした。その後、昭和51年10月には20系使用列車は全て24系24形に置き換えられ昭和53年10月にはその内の1往復が14系14形に置き換え、更に昭和55年10月改正では前述の14系と583系各1往復が季節列車となり24系24形2往復は2段式の24系25形に置き換え、24系24形で残存した1往復はこのダイヤ改正で24系24形に置き換えられたあけぼののオロネを2両としたためにオロネの連結が中止されました。そして昭和57年11月改正で2往復削減され5往復となりました。
なかなか変動の激しい寝台特急だったのですね。勉強になりました。
約45年前、博多から名古屋迄「金星」で初めて寝台特急に乗りました。
まだ、子供で頑張って小倉から関門トンネルまで覚えていたが不覚にも寝てしまった。
583系が今でもイチ押しです。今は、サンライズに乗るのが夢です。
金星号博多駅出発の約10分先にみずほが先行しますが覚えていますか?名古屋駅で追いつき約1分双方が並びます。
寝台列車の目的はお客さんにゆっくり寝て欲しい。
金星も寝て貰って本望だと思います。
@@user-em4ti9tk5u
白竹様
教えて頂いてありがとうございます。かなりの鉄ちゃんですね。当時、東海道本線の沿線に住んでいましたので下りの夜行寝台特急の通過すると今何時だとか分かっていました。さくらから始まりはやぶさ、、、なんて。遠い昔になってしまいました。[はやぶさ]が東北新幹線になった時は、かなりのショックでした。
@@user-gu9pj7gn8b 様
オールドファンです。
1974年春高校出て八代から583系明星の上段寝台で上京したのでメモリアルな車両です。小さな小窓から去り行く郷里に少し涙した。
夜行デビュー戦は高校修学旅行12系座席車で熊本~大阪が強烈な印象で以降夜行列車の虜になりました。初北海道は14系座席急行八甲田~青函連絡船も忘れない。
金星の公転は225日。名古屋に21:49に富士が着き22:54発で名古屋を出ます。金星は1分だけ顔合わせして22:50にお先にと出発します。金星22:50の時刻は一生忘れません(笑)
コメ書いているだけで懐かしい。ありがとうです。
581、583系月光こそ昭和の国鉄が生み出した名優ですね。月光型寝台電車と言われるぐらい581、583系は昼夜兼用で任務を全うし月光の活躍期間は昭和42年10月の創設されて昭和50年3月の新幹線博多開業までのわずか7年半ほどでした。
583系は、はくつるやゆうづる、みちのく、はつかりでは?
@@playboy4649japan これら上野~青森間の夜行昼行4愛称も確かに583系の名列車ですね。
485系は特急「にちりん」「RED EXPRESS にちりん」でお世話になりました。583系は原形のままでは、乗った事はないんですが、普通列車に改造された後に、金沢に行く際に乗りました。最初は中間車が先頭車改造された、所謂「食パン顔」先頭車を見てもピンと来なかったんですが、特徴的な乗降ドアの形と普通列車にしてはやたらに高い天井を見て「こいつは、もしかして」と帰宅後ググってみたら、ズバリ、その列車こそ419系電車、幼いころ「雷鳥」号等で大阪駅を出入りする姿を見て憧れていた583系の改造された姿だと知り、感動した想い出があります。
EF63については「碓氷と彼女とロクサンの。(阿羅本景・著)」というライトノベルでも知りました。物語を膨らませられる良いバックグラウンドと共にあるのが素敵だなぁと思います。
サンライズ瀬戸の車両を583系の復刻塗装にしたら面白そうですね。
鉄道オタクしか面白くない。
285系ですね?
中学生の発想
最後は食パンの材料になってしまったね。 ボックス席ヒルネはきついかな。
乗ってみたかったな〜 興味持ち始めたときには全部引退してました…😢
あさかぜ乗ってみたかった…
485系は、481系が北陸本線特急雷鳥、しらさぎに、東北本線向けに483系がひばり、やまびこに投入された。
50H/z.60H/z共用交直流特急電車485系が導入されて、全国各地に広がった。
ボンネット型、貫通型、非貫通型のクハ481型が作られた。昭和46年に、碓氷峠越え対応仕様の489系が製造されて、特急白山、あさまに投入された。
後にクハ481-1以下ボンネット車が勝田に異動する
秋田の583系は晩年「臨時快速弘前さくらまつり号」として運転されていた。特急料金不要で乗ることが出来た。
実は583系の下段寝台の幅は1m強(106cm)ありまして、A寝台より広かったのです。
わたしはあらゆる鉄道車両の中で一番好きなのが583系なので、取り上げてもらってうれしかったです。
急行型のキハ58系列も全国に急行網を広げた名車なのでいつか取り上げてもらえると嬉しいです。
頼むからブルートレインくらいは復活してほしいなァ…
乗らなかったの一生後悔するレベルなので…😢
583系は今で言うとメジャー選手の大谷さんですなぁ👍
パンタグラフ下の中段寝台よく使ったな。中段なのに上段がなくて広々快適。料金は中段価格。みどりの窓口で必ず席番していしていた。
20年ほど前、京都の0番ホームに入選してきた481にテンションMAXだったな。
東京~大阪の 「銀河」を復活してほしいね。
客車無いから無理。
@@playboy4649japan
寝台車でなくても良い。
全指定座席の急行銀河もあった。大阪行きだけでなく京都行きさえあった。
ゆえに電車仕様のそれも急行格上げして特急でも良いではないかと思います。大阪・東京に朝着ければそれだけで良い。
サンライズ銀河?
@@dirkschuneider9139 光GENJIの名曲?(笑)
@@playboy4649japan
285系「電車」を使用した銀河。
どうせもう客車なんて無いだろうから。光GENJIの方はパラダイス銀河w
なんかこんな形の列車、北海道から嫁入りしたような動画をみた覚えがある。
見たことも乗ったこともないし、それまで存在すら知らなかった。
なのに、動画を観てとても寂しくなった。
今も485や583をみると懐かしい気持ちになるのは何故なんだろう。
581系は、寝台特急月光と昼行特急みどりに投入され、東北本線向けに昭和43年10月1日ダイヤ改正で特急はつかり、寝台特急ゆうづる、はくつるに投入された。
九州では明星、彗星、北陸本線特急雷鳥、しらさぎにも使われた。
仙台の715系1000番台は11月から4月まで側扉は手動で「おそれいりますがこのドアは手でお開け下さい」というステッカーが貼られていた。
半自動扉になっていた。
耐寒耐雪耐用。
581系て関西ー九州寝台て山陽新幹線の開業前だなととらえられる
82年の上越新幹線の開通とともに、新潟方面の貨物輸送が在来線の上越線で増えていった頃から、信越本線の貨物輸送が減ってゆくのは想像がつきますね。EF63の兄弟車種で、ややギア比の速いEF64、65は上越線だけでなく、今でも各地で運用されていますね。
66,7‰の〝横軽専用機〟だったEF63と協調運転が出来る様に、同じギア比の低速寄りにしたEF62は、単機での貨物や客車の牽引など、信越本線を主としての運用が目的だった様ですが、その分〝足〟が遅く、長時間の高速運転では電動機のオーバーヒートなどのトラブルもあったそうです。
私もかつて新潟方面にスキーに〝白山〟や〝あさま〟に乗って行った頃があります。その時は横川で停車したら、ダッシュで〝峠の釜飯〟を買いに走り、EF63の二重連も知らずに箸を動かすのに夢中でした。
横川の〝鉄道文化むら〟には何度か訪れています。動体保存されているEF63の勇姿を見たり、ホイッスルを聴いたり、現存する65‰の勾配を体感しに、また行きたいと思います。
私が学生の頃の昭和50年代は北海道ブーム、485系白鳥には大阪~青森までの13時間お世話になりました。座席特急として最長距離運行の列車、13時間は忍耐との勝負でした。
581系しおじ(大阪-下関・広島)がデビューでした。帰りは583系でした。夜行は明星581(大阪-博多)家族4人で、上中下の1BOXを取り両親は上中、子供は下段って感じでした。106cmは広かったです。481系も最初はしおじで区間は同じです。485系は雷鳥(大阪-金沢・富山.新潟)でした。489系は臨時特急有月(新大阪-宮崎)でした。山陽新幹線開通前は、485系200番台300番台の新車を使った臨時特急も多数運転されてました。関東では、485系はとき(上野-新潟)が最初でした。181系が雪による故障頻発の為の代車です。この当時は全て食堂車が付いてました。
181系【とき】は晩年雪害で痛め付けられましたが、同じく上野~新潟を【佐渡】として走った165系は平成まで頑張りましたな。(*´・∀・)
小学生の頃、夜行のみどりに乗ったし昼行のはとも乗らせてもらったな。はとの食堂車でチキングリルを食べました。
あと、大学で東京に出る時に金星のグリーン車に乗って車掌になぜ寝台に乗らないのかって笑われた。B寝台料金のグリーン料金も違いが無く、一度グリーン車に乗って見たかっただけなんです。
名古屋で降りて新幹線で上京したな。
JR西日本での485系の運用は、白鳥、北越、雷鳥、しらさぎで金沢総合車両センターと吹田総合車両所京都支所に配置されて運用された。
和式グリーン車だんらんを連結した雷鳥であったが、平成元年に洋室ラウンジに再改造して、パノラマグリーン車を連結したスーパー雷鳥色に変更されて、大阪ー金沢・和倉温泉・富山間の特急スーパー雷鳥に使われた。その後681系投入でパノラマグリーン車は、しらさぎ色に変更されて、特急しらさぎに転用されたが、683系2000番台の投入で旧国鉄色に変更されて、雷鳥で運用を終えた。
平成8年に北越急行が開業すると、金沢から北越急行を経由して越後湯沢へ向かう特急はくたかが開設されて、485系がJR西日本オリジナル色に塗られて活躍した。ちなみに681系はくたかは、狭軌最高速度160Km/hで金沢ー越後湯沢間を結んだ。しかし、北陸新幹線長野ー金沢間開業ではくたかは北陸新幹線特急の名称となって廃止。681系はしらさぎに転用されたが、485系は運用消滅した。
上野ー金沢間を碓氷峠越えで結んだ特急白山は、ピンクと青の帯を巻いた新塗装になった。平成9年の北陸新幹線長野開業で、碓氷峠越えの区間が廃止。特急白山も運命を共にした。
その後、上越線経由の夜行急行能登に転用。平成25年まで活躍した。
急行立山(季節列車)にも、きたぐにの前に、使われていたね。
583系きたぐにに幼少期に乗せてくれた父、当時は価値を知りませんでしたが、今となって感謝しかありません😊
めちゃくちゃいいやんか!
@@tvtv444 ほんとにありがたい限りですね!この動画に関係はありませんが、20系客車の急行銀河にも運行終了が決まってから乗せてもらった!
※現在23歳の者です
@@user-zb2xc2gb3u 父親が鉄道オタクなんだね。コメント主の年齢からしてお父さんは団塊ジュニア世代?
@@user-zb2xc2gb3u ええ
めちゃくちゃいいやんか
急行きたぐには関西圏から新潟に乗り換えなしで行ける唯一の電車で新潟や北陸方面から関空を利用して海外に行く人には早い便に乗れるので便利で重宝されていましたね。
ブルトレ復活希望
客車は何処の会社も造りたくない。
@@playboy4649japan 客車列車は、世界の都市間列車のグローバルスタンダードだけどなー
583系は高校の修学旅行で寝台特急ゆうづるに乗ったのがデビューでした。
同時に青函連絡船と東海道新幹線もデビューでしたね。
のちに高校の卒業旅行では昼行特急みちのくにも乗って、昼夜コンプリートしてます。(笑)
新幹線博多開業前に、能登へ旅行の祭に、485系「白鳥」に乗車した。名古屋から当初、これまた485系「しらさぎ」で出発する予定が、大雨で木曽川を渡れず、米原まで新幹線に乗って、当時湖西線も無かったので大阪始発の北陸特急はすべて米原経由。「白鳥」は新幹線岡山開業時と同じ年に80系ディーゼル特急から電車化されたので、485系はバリバリのニューフェイスという事と、しらさぎ、雷鳥とは終点が比べ物にならないくらい、はるか遠くだという事、後にわかった。
東北特急の廃止で九州に転属した一方で、有明、にちりんの短編成化により定員が少なくて使いづらいボンネット車が長編成のひたち用に勝田に集結。481系世代のクハ初期車がしばらくの間赤スカートヒゲなしの九州仕様のままひたちに使われていました。
583系は最期使い道がなくて、銀河とか「あけぼの」なんかに転用されていた。いまは台湾に贈られているがそれが原因で、素森に台湾客が押し寄せている。特に寒い地方には台湾客が興味津々だ。
はへ?😜
583は本当にラストのラストまで頑張ったよなぁ〜
485よりデカいのと青い色が凄く特別感があった。
余りすぎて魔改造ばかりだったよ。乗り心地は良かったが。
空き缶が コロリと下りる ヨコカルの 補機の活躍 今は昔ぞ
空き缶だけで済めば良かった方だよ、昔は。
485系特急白鳥号がJR東日本の上沼垂運転区が担当した時の上沼垂カラーのホワイトカラーとブルーカラーの
白鳥号が良かったです❗
485系は僕が東北線と常磐線でお世話になってました。時々他の地域で活躍する583系にも715系に姿を見たり現物に乗ったりもしましたね。臼井峠を通る場合は600円片道でバスに乗ってどちらかの駅に向かう事も出来ます。釜めしの販売場所も両方、横川、軽井沢にも荻野屋さんが有りますよ。
this is a great video! well done 🎥🙌
24時間戦えますか🎶ってCM流れてた時代だから、そういう運用も普通の感覚だったのかしら😂
リゲインのCM。第一三共。
青森県八戸市に住んでいたときに就職試験で東京に行った🎵
行きは583系のゆうづる寝台、帰りは583系のはつかり昼行で❤️
ただ、昼行普通車はBOXシートで4名 座ると窮屈だった‼️
24:24~24:29
JR東の415系がJR九州に譲渡された例があるね。
33:47~33:53
E653・E655・E001は3電源対応(E001はAC25kv/50Hz及び非電化区間にも対応)。
西東 いかないかづち 気に留めず ひたに走るは 485ぞ
今振り返れば583のひばりに乗れたのは貴重な経験だったと思う。
その時は普通に485に乗るつもりでホーム行ったらアレ?て感じで。
国鉄時代の話、古すぎる。僕はJR時代にはつかりで乗ったよ。
@@playboy4649japan 古くて何か不都合が?😜
583系はパンタ下が天井低い関係で寝台が中下段しかなく同じ中段料金でも頭上広々で利用できたから人気で、指定券予約開始早々に狙い撃ちされて売り切れてたねぇ。
鉄道のことは全く分からないけど、ゴードンとトーマスのくだりにはニヤけてしまいました。
通学通勤私はこの時代でした。483系改造普通車。ボックス席は良かったよ。今もあいの風とやま鉄道で走ってないかしら?
2022年の時点で秋田総合車両センター南秋田センターにはクハネ583-17の車籍が残ってます。
9:05 1986年は1968年の間違いですね。
581/583系は子供の頃から有明で馴染みのある車両で、715系になっても長崎本線で乗る機会が多かったのに、なぜか夜行となるとすっかり縁がなくて、廃止間際のはくつるが唯一の乗車体験でした。
新幹線が岡山までの僅かな期間は583系つばめが岡山まで、そして折り返し西鹿児島行き月光運用でしたがその稀有なつばめで熊本から岡山~東京へ帰りました。
二重窓の中にベネシアンブラインドの日除けが斬新で静粛性は完璧。更に食堂車もある。
我が良き思い出です。
@@user-em4ti9tk5u コメント主が還暦世代と判る。僕は生まれてない。
@@playboy4649japan 様
昭和30年12月生まれです。
高校2年の修学旅行は熊本を午後に出る団体専用夜行の12系に詰め込まれ、まだ暗い朝に大阪に着いた。鮮明に覚えています。12時間ボックス席の旅だが全然疲れていないのだ不思議。
次の日は京都から新横浜まで同じく団体専用の0系新幹線に初乗り。記憶は速すぎて覚えていない。(笑)
農林高校だから鎌倉市大船の植物園は思い出した。東京タワーも。
そして東京で働くことになる。
帰省ははやぶさかみずほが懐かしい。
@@playboy4649japan だから何?😜
485系の、パンタグラフまわりの機器類の、ゴチャゴチャ感がなんともいえない味を出して好きでした。「走る変電所」の愛称で、親しまれていました。
ひたち号の写真を、上野駅で撮影しに行くと、上野方(がた)ボンネット車、水戸方(がた
)電気ガマ車又は、上野方、電気ガマ車、水戸方ボンネット車
の編成が多かったです。なかなか、ボンネット車+ボンネット車の編成を見かける事ができませんでした。カメラを所持していない時にかぎって、ボンネット車+ボンネット車の編成が上野駅に到着していました。
485系は東北に行くのに欠かせない特急電車🚃
ひばり、ひたち、やまびこ、つばさ、はつかり💡
雷鳥や白鳥にも乗ったな😀
583系は…ゆうづるは寝台車、グリーン車両方に乗った🚃はつかりは青森〜盛岡時代に何度か🍵
本当にお世話になりました🚊
国鉄ってカオスだなぁ、、、
そして見た目がみんな似てるなぁ、、、
現場が変化を嫌ったからな😁
@@crankyfranky9801 素材の会社はAGC
右翼の会社はJNR
でも厳しい北海道の車両だけは本州と違い、窓は二重窓にしたりの工夫がありました。
冬場は本州仕様のキハ82の貫通扉から入る冷たい隙間風には悩まされたそうです。その後北海道仕様の特急列車を独自に開発したが。スラントノーズのキハ183などです。
@@user-em4ti9tk5u さん
165系の急行アルプスでも運転士さんは「貫通扉のすきま風が寒いんだよ!」(ヽ´ω`)と言ってましたな。
@@user-cg6eb3gp7d
熊本から上京して国鉄の南東北周遊券で正月休みに新潟~福島を旅行した。
雪と寒さにはびっくら仰天の連続。
信州周遊券で長野県の冬の厳しさは半端なかった。よく暮らせるなと思った。客車の夜行妙高号を利用したのは覚えています。
国鉄の周遊券は使いでがありました。
47:33
1891年に起工して1893年に開業ならかなり早くないですか?
それにしてもこの短い区間の工事で500人の犠牲者とは大変だったんですね。
50過ぎのおっちゃんことアテクシ、1987年の高校の修学旅行で青森から京都まで583系の団臨。もちろんパンタ下の2段になった中段(上段)を確保w
食パン列車は鉄道ジャーナルで見てショックだったなあ。
客車の寝台車は発車時に結構なショックがあったりしたけど、583系はほんとにスムーズな発車してましたね。
走行時の静かさも285系と比べて変わらない(全く劣らない)と思いました。
比較的よく眠れます。
ただ2段式が主流になってからは、定期で使うには3段式なのが利用率に影響したと思う。
大人は下段でさえ、しっかりとした座位が出来ない。(寝台時)
もう寝てるしかない。
子供の頃、駅に写真を撮りに行ってたら、2分ほどしか停車時間がないのに運転席にのぼらせてもらったことがあります。
今にして思えばなんておおらかな時代(昭和)だったんだと思います。
JR九州は、短編成が多く、最小で3両編成、最長8両編成と多彩だった。
主な特急は、門司港・博多ー熊本・西鹿児島(鹿児島中央)間の有明、小倉・博多・門司港ー大分・南宮崎・西鹿児島(鹿児島中央)間のにちりん、博多ー長崎間のかもめ、博多ー佐世保間のみどり。
博多ー肥前山口(江北)間はかもめ、みどりの併結運用が多かった。
昭和63年のJRオリジナル特急電車第一号783系が有明でデビューすると、にちりん、かもめ運用が増えた。
さらには、かもめエクスプレスのように赤一色塗りが始まり、みどりエクスプレス、汎用のレッドエクスプレス化されていった。
平成4年のハウステンボス開業で特急ハウステンボスがデビューしたが、赤一色塗りの中に青・緑・黄色の三色塗りが現れた。
787系がかつての特急つばめとしてデビューすると、博多ー熊本・水前寺間の特急有明のみの運用となった。熊本ー水前寺間は非電化であったため、ディーゼル機関車に牽引されて、車掌車は電源車として水前寺駅に向かった。
783系がみどり・ハウステンボスに投入されると、485系は大分電車区、鹿児島運輸区に集約されて、日豊本線特急にちりん、ひゅうが、きりしまの運用に入った。
きりしまは、西鹿児島(鹿児島中央)ー宮崎間のにちりんの系統分離で開設され、ひゅうがは、南宮崎ー延岡間に開設された特急。
しかし、787系が投入されると、485系は全ての運用を失ってしまい、2017年までに全車廃車となった。
24時間戦えますかの、元祖見たいですね?。今では廃れたタイプですよね?。
電車いわく
社蓄ちゃうわぁーm(_ _)m
言いたいやろな😌
磐越西線の快速あいづライナーに485系が使われていた時代、代走で583系が来たときはがっかりしたな〜なんか臭かったし
583系は、寝台特急電車の減便で余剰となった一部の車両を近郊形に格下げ改造して、715系と419系に改造した。
715系は、交流専用車両で東北本線と九州は、長崎本線と佐世保線に、419系は、交直流電車で北陸本線のローカル列車に使用された。
よく思うけど顔だけ国鉄の名車に酷似した車両とか作られないかな…?
26:26 この辺は パワーボム氏が面白詳しく解説してるゾ〜 検索検索ゥ〜!!
(URL貼ると何故か弾かれるから各自で)
30:20 ソドーP氏のMMDのゴードンやんw
(ラオウの声が聴こえるな…)
30:25 私が来たァ!!
(オールマイトのゴードンにも慣れたw)
2Dからは2代目オラフの声優さんが担当してるよ ククルス・ドアンにしか聞こえないw
(クソゲー実況してくれw)
もう引退してるけどオランダなら…
マックドナルド店舗が、渋滞起こす事に、対策して無い事が、他の車両渋滞問題で、所属警察署も、店舗にドライブスルーを改善策打た無いと道路上?もし渋滞車両起きる基にマック店舗がこの先にも続けば違反行為!と、見て行く事を?
はへ?😜
毎回面白すぎ
ゆっくり鉄道博物館最高
そのコメントしつこいからやめてくれ