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記録と観念。とても面白い話でした。私は現場を知らないので外野からの意見ではありますが、記録の側面は絵画が写真に変わっていったように、写真から動画やスマホへ移行しつつあるように思えます。そういう意味では、今後観念成分が100%に近い写真表現というものもどんどん生まれてきてもいいようにも感じています。
そう! まさにそれなんですよ!印象派が写真によって生まれたように、単体カメラがスマホによって「あれ?」と自我に目覚める必要があるじゃんという。
こんにちは。黒い三連星の話は笑えました。喩えが上手い。写真みたいな超写実主義の絵(ホキ美術館にあるような)は制作した過程への興味はあれど、作品そのものは写真で良いかなあ、となってしまいますね。大塚国際も4年ほど前に訪問しましたが、あれは完全に記録の美術(というより工芸)だなという感想でした。どこに住んでいるかで価値が180度変わるタイプの美術館で、上野まで1時間圏内に住んでいると、陶板のフェルメールではなくて本物フェルメールいつでも観れるなという感想になりますが、田舎に住んでいて美術と触れ合う機会が少ないのであれば、名画の記録は観れるのですごく感動できると思います(美味しんぼのタラの白子の回みたいな感じ)。あと全然関係なのですが、伴さんの動画を参考にしてα6700購入しました(α7Cからの買い替え)。良い情報ありがとうございました。
あー、大塚国際美術館が工芸というのはよく分かるところです。名画の記録。私は寸法の確認に行ったのでバッチリ楽しめましたわα6700、私も旅用メインになりました。良いカメラですよね
@@vantherra 6700はタムロンの18-300を付けっぱなしにして、最高に便利な高倍率コンデジ兼ビデオカメラとして使おうと考えています。伴さんの仰る通り、操作系に割り切りが必要でそこがまたコンデジぽくて新鮮です
カメラユーザーなので、チャネルの方は以前から拝見させていただいていたのですが、最近の芸術論的なお話は、大変興味をもって見させていただきました。私自身もここを話し出すと、いくら時間があっても足りなくなってしまうので控えますが、やはり、時代は繰り返すってやつでしょうか。ただ、言えているのは、写真の場合、文学、絵画や音楽などに比べて、圧倒的に新しくて歴史の短い手法だということでしょう。それぞれの分野による特性の違いも踏まえた上で、今後、写真というものがどのように進んでいくのか、興味のあるところです。… 最終的には、「写真であるが故に可能なこと、写真じゃなきゃできないこと」を突き詰めていくことになるとは思うのですけどね。ただ、それが商業的価値を持って発展できるかは、また、別の問題だとも思います。
そうなんですよね。表現として写真である意義がなきゃ意味がないし、同時に現在囚われている記録としての写真からははみ出していかないとスマホと変わらないし、という感じがします。
写真てある意味で抽象画っぽいとこるがあると思っている。究極は何が写っているかを超えて「視て撮る」だけが恍惚であるという。絵の具をぶちまけるだけの純粋性と近い気がする。個人的には「視て撮る」ことで現れる像の気持ち良さNo.1は標準単焦点レンズを装備したNikonの一眼レフ。
撮る側としては、実は被写体がなんでもよくってラインとブロックで構成する抽象的な遊びになっているのに、見る側はひたすら被写体を見るだけみたいなギャップをつくづく感じるんですよね。
やや話は逸れますが、アドルフ・ヒトラーの若い頃のエピソードを思い出しました。絵画青年だった頃に描いた絵が、建物や静物など、確かに上手いことは上手いけど、一切の観念や情緒を排した記録的なものばかりで、「これなら写真で良くね?」と思ったものでした。印象派やキュービズムや近代芸術などの観念に重きを置いた絵画が勃興したのも、正確に記録してくれる写真が登場したことで、生き残りを模索した結果なのでしょうね。そして次は写真が絵画と同じ道を歩むと。実際僕も、ポートレートというと自然光を利用して柔らかな光で透明感あって……というのが主流にあって、わざわざライティング機材を用意して背景が薄暗くなるよう演出してみたり、サイド光と逆光を組み合わせたうえでクロスフィルターで撮ってみたり、と色々模索しています。そしてこんな撮り方をするカメラマンはいなかったといってモデルさんには珍しがってもらっているので、当面はこの路線でいってみようかなと。まさに記録写真から観念写真への移行です。
ポトレがどうしてポトレに見えるのかっていうのも最近研究していて面白いですよ。手法をあれこれ変えてもコスプレ写真がコスプレ写真にちゃんと見えるのと同様、要素としてポトレらしい要素というのはあるので、手法を変えてもトータルではしっかりポトレになると思います。
ぱぷっ
記録と観念。とても面白い話でした。私は現場を知らないので外野からの意見ではありますが、記録の側面は絵画が写真に変わっていったように、写真から動画やスマホへ移行しつつあるように思えます。
そういう意味では、今後観念成分が100%に近い写真表現というものもどんどん生まれてきてもいいようにも感じています。
そう! まさにそれなんですよ!
印象派が写真によって生まれたように、単体カメラがスマホによって「あれ?」と自我に目覚める必要があるじゃんという。
こんにちは。
黒い三連星の話は笑えました。喩えが上手い。
写真みたいな超写実主義の絵(ホキ美術館にあるような)は制作した過程への興味はあれど、作品そのものは写真で良いかなあ、となってしまいますね。
大塚国際も4年ほど前に訪問しましたが、あれは完全に記録の美術(というより工芸)だなという感想でした。どこに住んでいるかで価値が180度変わるタイプの美術館で、上野まで1時間圏内に住んでいると、陶板のフェルメールではなくて本物フェルメールいつでも観れるなという感想になりますが、田舎に住んでいて美術と触れ合う機会が少ないのであれば、名画の記録は観れるのですごく感動できると思います(美味しんぼのタラの白子の回みたいな感じ)。
あと全然関係なのですが、伴さんの動画を参考にしてα6700購入しました(α7Cからの買い替え)。良い情報ありがとうございました。
あー、大塚国際美術館が工芸というのはよく分かるところです。名画の記録。
私は寸法の確認に行ったのでバッチリ楽しめましたわ
α6700、私も旅用メインになりました。良いカメラですよね
@@vantherra 6700はタムロンの18-300を付けっぱなしにして、最高に便利な高倍率コンデジ兼ビデオカメラとして使おうと考えています。
伴さんの仰る通り、操作系に割り切りが必要でそこがまたコンデジぽくて新鮮です
カメラユーザーなので、チャネルの方は以前から拝見させていただいていたのですが、最近の芸術論的なお話は、大変興味をもって見させていただきました。私自身もここを話し出すと、いくら時間があっても足りなくなってしまうので控えますが、やはり、時代は繰り返すってやつでしょうか。ただ、言えているのは、写真の場合、文学、絵画や音楽などに比べて、圧倒的に新しくて歴史の短い手法だということでしょう。それぞれの分野による特性の違いも踏まえた上で、今後、写真というものがどのように進んでいくのか、興味のあるところです。… 最終的には、「写真であるが故に可能なこと、写真じゃなきゃできないこと」を突き詰めていくことになるとは思うのですけどね。ただ、それが商業的価値を持って発展できるかは、また、別の問題だとも思います。
そうなんですよね。表現として写真である意義がなきゃ意味がないし、同時に現在囚われている記録としての写真からははみ出していかないとスマホと変わらないし、という感じがします。
写真てある意味で抽象画っぽいとこるがあると思っている。究極は何が写っているかを超えて「視て撮る」だけが恍惚であるという。絵の具をぶちまけるだけの純粋性と近い気がする。個人的には「視て撮る」ことで現れる像の気持ち良さNo.1は標準単焦点レンズを装備したNikonの一眼レフ。
撮る側としては、実は被写体がなんでもよくってラインとブロックで構成する抽象的な遊びになっているのに、見る側はひたすら被写体を見るだけみたいなギャップをつくづく感じるんですよね。
やや話は逸れますが、アドルフ・ヒトラーの若い頃のエピソードを思い出しました。
絵画青年だった頃に描いた絵が、建物や静物など、確かに上手いことは上手いけど、一切の観念や情緒を排した記録的なものばかりで、「これなら写真で良くね?」と思ったものでした。
印象派やキュービズムや近代芸術などの観念に重きを置いた絵画が勃興したのも、正確に記録してくれる写真が登場したことで、生き残りを模索した結果なのでしょうね。
そして次は写真が絵画と同じ道を歩むと。
実際僕も、ポートレートというと自然光を利用して柔らかな光で透明感あって……というのが主流にあって、わざわざライティング機材を用意して背景が薄暗くなるよう演出してみたり、サイド光と逆光を組み合わせたうえでクロスフィルターで撮ってみたり、と色々模索しています。
そしてこんな撮り方をするカメラマンはいなかったといってモデルさんには珍しがってもらっているので、当面はこの路線でいってみようかなと。
まさに記録写真から観念写真への移行です。
ポトレがどうしてポトレに見えるのかっていうのも最近研究していて面白いですよ。
手法をあれこれ変えてもコスプレ写真がコスプレ写真にちゃんと見えるのと同様、要素としてポトレらしい要素というのはあるので、手法を変えてもトータルではしっかりポトレになると思います。
ぱぷっ