王座まであと数周で事件..低迷脱出も最後は悲劇に見舞われた伝説の跳馬【F1解説】【フェラーリ F310B】
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- Опубликовано: 1 окт 2024
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今回はミハエル・シューマッハ、エディ・アーバインがドライブし、チャンピオンまであと一歩まで迫ったフェラーリF310Bについて解説します。
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ミハエルのどす黒い部分が思い切り現れたものの一つとして97年の最終戦は記憶に残ります。
ラフプレーで勝負が決まってしまうというのは後味が悪いものですね、ヤッパシ・・・
このマシンはマイケルのコレクションに入れてない唯一のフェラーリマシン。
つまり、駄馬ってこと。
しかし翌年、数年間眠りについていたマクラーレンが大復活し、フェラーリの希望はまたもや砕かれる。
リアルタイムで観ていた時には、FW19がウィリアムズとして最後のチャンピオンマシンになるとは考えられなかった。
セナが尊敬されてシューマッハが尊敬されない理由が全て詰まってる…
ジョン・バーナードはフェラーリ離脱後にアロウズに加入し、アロウズ A18を改良しハンガリーGPではデイモン・ヒルが優勝目前まで行きましたね。
大接戦だったシーズンだけど意外にもこんなに激しいチャンピオン争いをしたミハエルとジャックが同時に表彰台に登ったレースが1戦もなかったシーズンでもあったはず
トップ2チーム以外にも勝つチームがまだあった時代だった
悪いマシンではないが、ストレートが速いとかコーナリングが良いといった特徴がなかった。だから良いレースと悪いレースがはっきりした。特にブラジル、モンツァ、A1リンクはイマイチだった。
あのマシンでタイトル争いができたのはシューマッハがいたから。本来の成績はアーバインの成績だと思う。いかにシューマッハが凄かったかのあらわれだと思う。
折角素晴らしいシーズンになるはずが、シューマッハのラフプレイでめちゃくちゃに。
1970年代に富士グランチャンでシューマッハみたいな事をして未来のエースが事故死する惨事になったのに、F1のチャンピオンが平然と似たような事をするんだからね。
しかしシューマッハが1960〜70年代のレーサーだったらどんな事になっていたのやら。
ここまで体制を強化しても本格的な復権は2000年まで待たなければいけなかった。
それくらいにトップチーム同士の力が拮抗していて、複数年1強の時代が持続する現在とは見ていても面白さが違っていた。
1990年マカオGPの一件があるからねえ
シューマッハなら躊躇なくぶつけるだろうね
1994年は成功したけど、1997年は失敗だった
3人同タイム衝撃的だったなぁ~
97年はウィリアムズの失態にシューマッハが上手く突いて最終戦まで持ち込んだけど、フェラーリが毎戦のようにアップデートするチーム力は凄かった。
速いのは認めるけど、悪質の度合いが過ぎていたよね、そのせいでシューマッハルールみたいなレギュレーションがいくつも出来てしまったし。
最終戦、3人が同タイムで並んで、それをさらにデーモンが上回りそうだったところで右京のストップしたマシンがあったことで緩めてPPが幻になりました。マイケルとジャックのラインが交錯したというより明らかにマイケルは2度ステアリング操作してぶつけましたね。当時フェラーリ応援してたのでその後チャンピオンに返り咲くに至るまでマイケルに肩入れしてましたが、時間が経って冷静になるとやはりマイケルは史上最高のドライバーの一人ではあるものの、ナンバーワンには推せない。
この年のモナコGPはシューマッハのベストレースだと思います。
スタート直前に降り出した雨の中、シューマッハだけがコースインの15分間をフルに利用して、ウエットタイヤ全種類を次々とタイヤ交換して試走しベストのタイヤを選定。その甲斐あってスタートから他者をぶっちぎって独走。この発想と行動力には脱帽です。
F310Bで思い出すのは、開催レースのコースや路面状態ではタイヤにシビアなクルマになっていた事を思い出します。それが顕著だったのがブラジル戦や真夏のハンガリー戦でした。ミハエルもアーバインもグッドイヤーのリヤタイヤに何回もブリスターが発生して予定外のタイヤ交換を強いられていましたね。
それでも最後までタイトル争いを繰り広げたのに、最終戦でのミハエルの行為は残念以外に言葉がありませんでした。
人間性、最低ドライバーしても最低、速かったら何してもいい?と言う考えのひと
結構波のあったマシンに思える
タイヤに翻弄されたこともあったが、シューマッハをもってしてもポイントが取れるかどうかみたいな感じで、マシンとしての総合力は明らかにウィリアムズに劣ってた
そして、新たなライバルが出現すると。
最終戦前の日本GP。全日本F3000時代に手に入れた鈴鹿サーキット攻略法という切り札を使いシューマッハの勝利をサポートしたアーバインの走りが印象的。
これだからシューマッハを最高のドライバーの1人に数えたくないんだよね…
シューマッハはドライバーとしてはすごいですがそれとは別に
人間としては傲慢すぎるから
大嫌いです10年のハンガリーGPでバリチェロに対して幅寄せ
して危険な目にあわせたのも
酷かった91勝という歴史に残る記録出しても尊敬できません
因果応報
で、今が有るんでしょうかね
他者・他車を蹴落とすことばかりやってたらろくな最後を迎えないと思ってたら、その通りになってますね。
しかしシューマッハはどうなったんでしょう?
パーキンソン病で寝たきりになったモハメド・アリもボクシング関しては相変わらずのアリ節は健在でしたし
猪木は死の床についてもああやって自分の存在感をアピールしていましたからね。
その一方でシューマッハについては事故から10年近くなっても容態はトップシークレット扱い、ミックもラルフも口は重く閉ざしていますし。
ルイスもベッテルもケチが付く部分がありますね(^^;
当時、タミヤがキット化する際、フェラーリの版権があった事とチャンピオンマシンになるだろうとの目算もあり97年末に発売されましたが…残念ながらチャンピオンにはなりませんでしたね。
シューマッハを見ていると、元来レーサーとは「何をしてでも勝ちたい」という執念と危険性に満ちた存在なんだと思う。だからこそ危険性を封じ込めるためにルールがあり、それを守らせるためにFIAがある。
1997年、タイトル争いしたのに
最終戦で3年ぶりにやらかして
シューマッハだけリタイアし
ドライバーズランキング除外という
不名誉なプレゼントも。
まぁ〜自業自得
これでウィリアムズがドライバーズランキングで2年連続1-2となったのだった。
94、95と突撃王者だったシューマッハ。97もやりやがったがジャックを仕留めきれず王座を逃して、当時ザマァみろと思ったもんだ。彼の勝つために手段を選ばないやりかたにどうしても好きになれなかった。
97年シーズンは少しずつウィリアムズの牙城が崩れてたからそのおかげもあると思う。フレンツェンでは力不足。ヒルとヴィルヌーヴのコンビ継続だったらタイトル争いどころか勝ち数ももっと少なかったと思う。
バーナードデザインのままだったらどんな駄馬がだったのかと興味がわきます
結果的にはビルヌーブが最後にチャンピオンになれるチャンスを掴めてよかった
疑惑のシューマッハ…………。ダメだと思ったらブツける……。個人的には好きとは言えないドライバー……。すごい結果を作り上げたけどね……。
やっぱりシューマッハは好きになれない。正直、何処かの時点でライセンス剥奪されても良かったのではないかと思う。
シューが嫌いだけど、この年のフェラーリは機能的な見た目でかっこいいと思った。
97年のヘレスでジャックにわざと
ぶつけたことによってシューマッハは
自分で自分の評価大きく下げましたね
ヒルにもぶつけてたしね😅
97年の日本グランプリ
見に行ってました!
ただ 結果剥奪って…
こう思った
シューマッハ嫌いだからと言って、だから怪我して今があるとかよく言えるな
だから皆その理由を書いてるんでしょう
。おおよそは自分の利益ばかりに執着していると反動が来るよって。ミハエルならその自分の姿を見てどういうでしょうか?多分皆の意見と違って「転ぶからだよ」なんて言いそうだと皆思ってるんですよ。それが本当な意味での因果応報なんですけどもね。
今思うとこの後のチャンピオン決定戦でハッキネンに体当たりしなかったのが奇跡?😂
レーススタート直後の第1コーナーで仕掛けても、あからさま過ぎるから。
追い詰められての行動なのが、ミハエルっぽい。
勝つ為には手段を選ばなかった事は嫌いでしたが、フェラーリを復活させたのは凄かったですね。
フェラーリ復活の第一歩のマシン
しかし、タイトル獲得までは、2000年迄待たなければならなかった
いくら名門フェラーリと言えどもそう簡単には行きませんね、しかし97シ-ズンは、ミハエルの行為は別として、久しぶりにフェラーリがタイトル争いに絡むちょっとワクワクしたシ-ズンでした。
この年限りでF1はほとんど見なくなったため、マシンをよく見たのは今回が初めてだが、9:20~9:40バランスの取れたデザインの綺麗なマシンだと思う。
ヨーロッパGPダブルクラッシュ事件…
予選で3人のドライバーが同一タイム、しかもポールのタイムを出すなんて、物凄く低い確率だと思う。
シューマッハ君は最後に”奥の手”を使ったけど弾かれてリタイアという体たらく・・・・情けない行為をしたものだ。
マカオ入れたら前科何犯になるんやろね(笑)
だからクルサードにぶつかった瞬間ザマァ~って思った🤣
でもF1ではハッキネンには正々堂々勝負してるんよね。
わざとぶつけるのは良くないけど勝つ為に皆必死です
セナも似たようなことやってたと思う、昨今の車の性能に頼り過ぎな感じのレースよりエキサイティングな時代だったと思う。
まぁいろいろありますが💦これまでのフェラーリからしてみれば次の年に活路をみだす手応えのある1997年なのは確か💦👍
そしてフェラーリとウィリアムズが凌ぎをく削る中……白から黄色へ黒色へと脱皮したあのチームとマシンが翌年
日本のタイヤメーカーと組みウィリアムズに代わりフェラーリに襲いかかってくるわけですね💦
あと日本のエンジン積んだ黄色スズメバチが飛びかう季節に👍
💦とか👍とか要らんです
何やねんその絵文字どういう感情で使ってんねん
まじでセンスないぞ
佐藤B作を思い出します。
アロンソの、ハミルトン妨害は筋が通った妨害だけどシューマッハの妨害は、やっぱり自分がタイトルを獲る為なら手段を選ばないという意地汚いものだから、純粋な上手さ、良い意味での正当な妨害という意味でも、やっぱりアロンソの方が優勝回数、タイトル獲得回数は少ないけどプロフェッショナルだと思ってる
真紅ではなく、メインスポンサー様(マールボロ)に気を遣った明るい赤。
ベネトンB195感のあるカタチ。
デザインは酷評されていましたね。
伝統のフェラーリレッドはマイケルと契約する時にはマルボロレッドに変える話になってますよ
マイケルと契約するための資金としてフィリップモリスと契約した流れ。その時に色の話も含まれてます
カラーリングも変更するのは契約内容で含まれてました
「89、90年の鈴鹿」や94年のアデレード、この年のスペインにしても自分は勝つ為のレーシングアクシデントと思ってます。やった事は皆同じです。97年はウィリアムズに最後のワールドタイトルをプレゼントした、と思いましょう。
私もそう思います。
ぶつけて相手と共倒れすれば自分がチャンピオン確定、というレースにてその相手とテールtoノーズでバトルになる、という経験を持つのはセナ、プロスト、シューマッハぐらいなんじゃないの?すなわち人間だれしもそのような場面に遭遇すると反射的にぶつけてしまうのだと思う。
@@オハネフ-r2s シューマッハのやり方が余りにも露骨でえげつないものであり、それが常態化していたから誰もが彼の行為に眉をひそめるし、その瞬間までの過程のレースに焦点が当てられない事実は重く見るべき。
片や、例としてよく挙げられる89年の鈴鹿はあのシケインでの事故に注目されがちがだけど、レースも語られるし、バトンも名勝負、素晴らしいレースだったと述懐するほど
「セナとプロストという素晴らしいチャンピョン同士のマッチレースが展開されたもので、シケインで一件だけに集約されるものじゃない。僕の最も思い出に残っている最高のレ-スの一つ。」
ところが、シューマッハのやったこと、接触にはそういうものがなく、ただただ後味の悪さを見ている者に残し、非難されるのにはそれなりに理由がある。数え上げたらきりがない上に、それが下位カテゴリーからF1に至るまで一貫してやられてきたことであり、チャンピョン争いも佳境に入るという状況でも何でもない普段のレースですら常套手段と化していたから。
そう指摘するチーム関係者、マスコミ、元ドライバ-が多くいるのは見過ごせない事実。
セナやプロストのと、シューマッハのそれは本質的に全然違う。
これは酷い事件 だったけど まあっ勝ちたいと思うシューミの気持ちもわかる
引退後 メルセデスで復帰した時は 似合わないヘルメツト色にフェラーリへの思いが
観えていたよね あの時でさえ シューミにとってはフェラーリが神?
これくらいの事件も起こすだろうと 後々思ったものだ
実質クビになったからねフェラーリを。
本人はもう一年やりたいって言ったけどモンテゼーモロが拒否して居場所無しで引退
それが一度目の引退の真相。
@@hunter2831 完全ナンバーワン待遇をこれまで通りに求めたら、フェラーリ自体がダーティーなイメージがすっかりついてしまった上に、高額年俸とその年齢とチームの将来を天秤に架けたら、会社としては受け入れるわけにはいかず。ライコネンの加入でジョイントナンバーワン体制ならばと伝えたら、シューマッハ側がゴネる。
そうこうしている内に、じゃ、君はもういいやとライコネンとマッサ体制で発表されてしまった。
体裁を取り繕うために、マッサのシートを奪うわけにはいかないために身を引くみたいなコメント発表していたけど、実際は、チーム・会社から放出されたのが実態だったと専らの噂ですものね。
いつも最後の詰めが甘く、プレッシャーが掛かると焦り苛立ち、ミスを犯して自滅していくシューマッハらしい人間臭さと言えば、そうなんですが。
そして、引退から復帰後のメルセデスでも、ベネトンやフェラーリ時代のような特別待遇をロスブラウンを通じて求めたら、ノルベルトハウグに情けない奴めと一蹴され、勝ちたきゃ自力で勝て、ロズベルグとあくまで平等に扱うと聞き入れてもらえなかったと、内部事情もばらされていましたっけ。
熱いシーズンでした。よくもまあ、あのマシンでタイトル争いができたもんだと、改めてミハエルの能力に驚嘆しました。最後のシーンも、ミハエルらしい人間的な弱さが出たもので、かえってミハエルのことが好きになりました。あの時代、セナもプロストもぶつけてチャンピオンになっていたんですよね。。。
ジャックの後にはハッキネンという壁が潜んでいた。その壁の先で待っていた栄光もなんだかなぁ~みたいな印象が残ってます。
これビルヌーブが完走できずリタイアしてたら、1994年のヒルの時と同じでこいつがチャンピオンだったんだろうな
そう思うと、今生きる屍になってるのは神による天罰
決勝レース前に、FIAから両チーム(ウィリアムズとフェラーリ)に「正々堂々とチャンピオンシップを争って下さい。スポーツマンシップに反する行為があれば、厳しい措置を取る事がある」と通達されています。
故意か、或いはドライビングミスか、何れにせよ体当たりした時点で、ミハエルのタイトルの可能性は消滅していたのです。
今のチャンピオンだって抜こうとすると危ない走りするのにな。
かつF1という組織が贔屓してるから質悪い
ミハエル・シューマッハをキライになった事がない。F1で勝ちたくて勝ちたくて堪らない感情を隠せないファイトで興奮させてくれた。それはセナやマンセルやアロンソやタッペンと変わらない。