【植山古墳 ①】近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥2
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- Опубликовано: 18 окт 2024
- 近鉄・近畿文化会 臨地講座 人気講師と行く飛鳥シーズン2の8回目は、植山古墳の第1弾をお届けします。植山古墳を語るはずの来村先生がなぜか神社へ? その理由とは? 植山古墳に秘められた歴史を、超人気講師・来村多加史先生にじっくりとご解説いただきます。
このシリーズは、近鉄の文化事業・近畿文化会からの講師派遣と企画協力により制作しております。
近畿文化会は、文化冊子『近畿文化』を毎月発行し、専門の先生のご案内で社寺や史跡などを訪ねる現地見学会(臨地講座)を月に2回開催することを軸に活動しています。詳しい情報は下記のリンクからご覧ください。
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ありがとうございます!
ありがとうございます。頑張ります♪
あ~いいところで続き・・・💦
次回も楽しみにしています。
お話が分かりやすくてとてもいいですね^^。
いいところで切っちゃってスミマセン(汗)
次回はたっぷりと植山古墳について語っていただきますのでお楽しみに♪
植山古墳は30年ほど前に一度行きましたが、そのときもブルーシートがかけられていました。
発掘中に土砂の流失を防ぐためかと思っておりましたが、あの状態が植山古墳では通常だったのですね。
磯長山田陵への改葬は誰がどういう理由で行ったのでしょうか?
竹田皇子は先に亡くなっているし、消去法で尾張皇子しかいないのですが、あの周辺は蘇我の所縁の地でもあるし、何らかの政治的な意味合いがありますよね。
推古天皇と竹田皇子が改葬された理由については考えたことがありませんでした。おっしゃる通り、謎ですよね。調べてみて、またこちらに書かせていただきます。ありがとうございます。
推古天皇がなぜ改葬されたのか、考えたことがなかったので、来村先生にうかがってみました。来村先生によれば、「古代において天皇の改葬はそれほど珍しいことではありませんが、裏に一定の決まりごとがあるわけではなく、その時々に理由があったと考えられます。よく言われる、用明、推古天皇の改葬は蘇我氏が河内方面の本拠地に天皇陵を引き寄せ、権威を高めるためであったとの説は、日本書紀にそうと記されているわけではなく、憶測にすぎません。被葬者が誰かという議論と同じく、答えが出る話ではありません」とのことでした。
個人的には、もしも蘇我がそうした思惑をもって天皇を改葬したとするなら、「蘇我=悪」としたい日本書紀が、そんなおいしいネタを見過ごすはずはないと思うのですが……。
とにかく、私が今まで考えたことのなかった視点をご指摘くださったことに感謝いたします。これからもよろしくお願いいたします。
@@umemaeSakiko
返信ありがとうございます。
天皇とそれに続く地位の貴人の陵を一定のエリアに配置するのは藤原京の南側に天武天皇とその血を引く皇子の墓があるのと同様に、用明天皇、推古天皇、聖徳太子と蘇我堅塩媛の系統の皇族の墓を一定のエリアに配置したことは政治的な意味合いがあったのかと思った次第です。
おっしゃる通りです。改葬についての指針は時代に応じて変化したと思いますが、推古天皇の改葬については、コメントでご教示いただいた政治的理由が主だったと思います。大変勉強になりました。ありがとうございました。
植山古墳、待ってました。昔行ったときは整備中なので、見るべきところがほとんどありませんでした。今も墳丘本体は見学できないようですが………
次行くときの予習にもなりますし、しかも来村先生の解説付き。\(^o^)/
長い整備期間の間には石室の崩落もありましたし(そのために青シートで覆った?)、聞いた話では熊本地震の対応に予算を多く割かれることになったとか。牽牛子塚古墳の整備などと比べてだいぶ苦戦している印象ですが、文化財を損なわないように慎重に進めてほしい反面、早く見てみたい気持ちも強いです。
ご視聴ありがとうございます。牽牛子塚古墳のような形での保存についても賛否両論あり、文化財保護は本当に難しい問題ですね。