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【ダイナミックレールパックで新幹線に安く乗れます】 bit.ly/3P4FOtD JR東日本の新幹線・特急+ホテルをセット購入で超安くなります! (だいたい超安くなりますが、価格変動制のためそうならないこともあります) JR東日本びゅうダイナミックレールパックについては、 ruclips.net/video/H-UFh7QSOIo/видео.html こちらの動画で詳しく紹介しています。知っておくと非常にお買い得になるため、東日本・北陸・東海・関西方面へお出かけの方はぜひ参考にしてください。
藤田氏の語り系はラジオ感覚で聞けるからいい。
スペーシアの弁当箱ちゃんと有効活用してて好きw
ポインターにしてて草
ベテランの車掌さんは「特別急行」と案内することがよくありますよね〜
JR札幌駅では特別急行と案内します
この違いを説明ができたらあなたも完全な鉄道ファンw
1980年代は急行であふれていました懐かしいです現代でも復活して欲しい
1980年代初めから急行が淘汰されはじめました。急行が溢れていたのはそれ以前かなぁ...
国鉄~JRはもっと「急行」っていう種別を大切にするべきでしたね高速道路や高速バスなど安価で移動出来る手段が発達し鉄道で行くと高くつく…というイメージができてしまったバスの広告などには特急で行った時の料金差が強調されいかに鉄道が高いかということが強調される始末今は特急か普通かの選択肢しかなく普通は通勤電車みたいなロングシートばかりで細切れ状態安価な料金プラスで適度に早く適度に豪華な「急行」が幹線に多数走ってれば需要は必ずあるはず
JR四国は今、特急、快速、普通しかありません。岡山から徳島行きの特急は宇多津に寄って高知からの特急と連結したりするから高松までの所要時間が快速より僅かに長いのが解せない。特急料金かかるのに。
同意ですが無理でしょうね…。国鉄時代の急行の役割を現在は在来線特急が、特急の役割を新幹線が担ってる感じ(あくまでイメージで、内規上の種別の定義とは違うと思いますが)だし、現在のJRが採算の取れない列車を走らすとは思えないですしね。
私の妄想では「もし日本国有鉄道がJRグループに分割民営化されておらず、現在も国鉄が国民の足として機能していたら」というものがあるのですが、こっちでは急行も少数ですが存続しているということになっています。もし日本の国鉄社内にイギリス国鉄北西部局(North Western Region)の局長のような性格の職員が存在していたらなぁとか、つくづく思ってしまいますw
特急→新幹線長距離急行・国鉄末期新設の特急→新幹線の停車タイプ急行→在来線特急みたいな感じになってるよな
こういう、講義形式の動画もちょくちょく出してほしいです。
準急、快速急行、快速特急とか私鉄って種別多くて難しいよね
言うて中央線も種別多いからなぁ他の路線で種別が少ないのは複々線を別系統にしてるからであって、そのせいで知らない人は急いでるのに各駅停車で移動したり、乗換少なく行きたいのに実質快速電車に乗せられて余分に乗り換えたりする羽目になる
関西のJRも快速、区間快速、新快速、大和路快速、関空快速、紀州路快速、丹波路快速と色々ややこしい。
各私鉄で種別が異なるのは統一してくれたらいいんですけどね。特急=特別料金が必要な列車、快速急行以下は特別料金不要とか。
私鉄各線は地域間輸送が基本で、短い距離の移動が多いから種別を細分化しないとお客さんの要望をきめ細かく満たせない&路線によってはJRとの競合にもさらされるからさらに早い種別を!って流れになっちゃう。さらに会社の独自色を出そうとしていろんな種別名称作ったり専用の有料特急走らせたりほんとにややこしい、、オメーだぞ迷鉄!
昔の東海道線の特別急行停車駅を考えると、今の東海道新幹線の「のぞみ」が新横浜の次は名古屋まで停車しないことを考えると「Nozomi Super Express」と案内されるのもよくわかりますね。
東海道新幹線「ひかり」が超特急「こだま」が特急だったので超特急の英訳で「Super Express」が生まれました。現在は新幹線すべてが「Super Express」と案内されています。
スーツ動画は自宅講義が実は面白い
Limited ExpressはLimited Stop Expressの略です。停車駅が限られている急行という意味です。
ただし、特急列車の停車駅がかつての急行列車よりも多くなった例もいくつかあるので、この意味でも"Limited"ではなくなりました。
0:31 🎫青森ー函館間の急行券をスーツ君のコレクションの中から、画面いっぱいに見せてくれて、嬉しい😍大切に保管してるところ好き😊急行券の説明で出た【青森ー函館間】若い頃、北海道旅行を7泊8日で計画したら、ねぶた祭りの期間だとわかり、北海道の前に青森でねぶた祭りを観た😊でも、急に決めたので青森に宿は取れなくて、祭りを観た後に【青森ー函館】の夜行列車にホームに並んで 走って席を取りに行った懐かしい思い出がスーツ君のコレクションの切符🎫1枚から、どんどん思い出されてきた😃💡あの日の青森駅の様子や 椅子席での夜行列車という無茶をしたせいで ほとんど眠れなかったこと。でも、当時 新しかったユースゲストハウスに泊まり、函館のキラキラした夜景を観たことや朝に食べたイカソーメンの美味しさに驚いたこと😊その後、電車で稚内へ。そして礼文島に渡り、愛とロマンの8時間コースを9時間かけて歩いたことも、次々と思い出がよみがえってきました😊北海道旅行の前に 無理してでも観に行った ねぶた祭りは それはそれは素晴らしかったです‼️😊スーツ君のコレクションの【青森ー函館】の急行券が観れて シアワセな気持ちになりました😊特急とも普通とも違う。急行。言葉にうまく表せない急行の魅力も あるなぁ😊
私が子供のころ、まだまだ特急は本当に特別急行でした。私の家では紀勢線でも急行きのくにで、特急くろしおには乗せてもらえませんでした。城崎に行くのも当然まつかぜは乗れずに,丹波でした。特急が今のような感じになったのはL特急というのが出始めて、特急に自由席が必ずあり、1時間ごとに発車するという感じになって大衆化した感じです。
久しぶりのホワイトボード講座は嬉しいです✨区別の仕方がすごく分かりやすかった😊
子供の頃昭和40年代ですが熱海や伊東に家族で出掛ける時には湘南色の急行列車に乗ったものです。ボックスシートでトランプ遊びなどしながらとても楽しかった記憶が残っています。久々のホワイトボード。スーツ講座はわかりやすいし安心して観ることができるのでとても好きです。
同じ思い出だあ。帰りは0系でビューと帰ってきた記憶。
子供だと、急行の座席でも十分広かった。ガラガラの急行のボックスなら、足を上げて高校生でも特急よりゆったり快適でした。
急行好きでした。近くには急行津山や急行三次など走ってましたし、夜行急行のきたぐには特に好きでした。あと、動画にも出ていたはまなすのカーペットシートを出せる駅員さんも少なくて、手際よく発券できる駅員さんは流石と思いました❤
昔、18きっぷや乗り継ぎ割引を説明されていた動画を思い出しました。あの時も特急料金について説明されていたかと思います。とても勉強になります。ありがとうございます。
特急の大衆化最大の理由はやはりL特急ではないかと
準急があった頃は庶民はそっちを使ってて、急行ですらそうそう乗れるものではなかったはず特急に至っては運転線区が非常に限られてたし庶民には縁遠いものだったし
近鉄で急行乗る時に、急行券いくらですか?って聞いてる人だいぶ前にいたなぁ
草近鉄では快速急行まで無料、戦前は全部特別料金は特急でもいらんかったのに
(補足)特急・急行列車が2時間以上遅れて到着した時に払い戻しが行われますが、特急の場合は指定席料金分を含めて払い戻されるのに対し、急行は「急行券」の部分だけが対象で「指定席券」の料金は払い戻しの対象外です。
JRは今、列車種別がスマートになりましたが、私鉄では都市部を中心に賑やかです。普通(各駅停車)、区間準急、準急、区間急行、急行、快速急行、特急、快速特急と下から並びます。会社によっては通勤急行や通勤快急などもあります。快速が頭につくと元の種別から停車駅を絞ります。
なお西武は、特急こそすっ飛ばすが急行は埼玉県内入った途端、ドン亀に早変わり(快速急行、通勤快速、通勤準急、快速準急除く)
私の地元・嵯峨野線は、🚇️平成初期まで急行、🚇️中期から特急が走り(🚇️急行は臨時便以外すべて廃止)現在に至っています。
スーツ君が岩倉高校の運輸科の先生になったのかと思った🤣スーツ君が先生なら、高校に行くのも楽しくなりそう‼️😆
急行が減った原因の一つは増収の為ですね。上野口で165系を使用した急行を、185系投入で格上げした「新特急」がいい例でしょう。乗車距離に応じて料金が上がる特急料金と比べ、急行料金は乗車距離201km以上で料金が固定である事を伝えて欲しかった。それと、例えば中央線に急行アルプスが運転されていた頃、B特急の特急かいじは「特急券+定期券」で乗車できたが、急行アルプスは「急行券+乗車券」でしか利用できず、八王子や立川ではホームや車内でその旨の案内がされており、どちらが特別な列車なのか分からなくなっていた事も付け加えておきます。
最近では、すっかり特別ではない急行の方が特急よりも遥かに特別な感じに・・・。そして、新特急は特急より格下・・・ 新快速は快速より格上なのに。
鉄道講座めちゃくちゃわかりやすくて勉強になりました!!
そう考えると寝台急行銀河は偉大だったなあ。
温暖化対策などの観点からも、バス客を鉄道に誘導する政策が重要だと思いますね。
山陰線の『たんご』。福知山線の『だいせん』。東海道線の『銀河』。急行列車が懐かしい。
俺の場合、福知山線はみやづやった。(厳密には宝塚線やけど)
私の特急・急行経験でいえば、出張では新幹線、学生・新入社員時代には特急(指定・クロスシート)に乗っただけで、急行に乗ったことはありません。ただ東京にいた祖父が急行を利用したという話を聞きました。でも今では都市近郊は快速・新快速、遠距離は新幹線と使い分け、急行は観光・イベント列車としてあるのですね。いろいろと勉強になりました
急行が大量に廃止された国鉄末期から民営化初期の90年代までは余剰となった急行用車両が、格下げされて普通列車用に使われていました。デッキの撤去、セミクロスシート化など近郊型改造されたのもありましたが急行型そのままの設備で運用されたのもあって、これらは「乗り得」でしたね。特に紀勢本線は亀山~新宮間はキハ58系、新宮~和歌山間は165系、いずれも原色の急行色のまま普通列車として使われていました。
特急→急行、急行→準急と種別名称の変更すべき。特急は「特別」でなくなって標準化してるのですから。
そういう話もいいかもしれないけど、181系特急ときを補完する165系急行佐渡、183系あずさを補完する165系アルプス、157系あまぎを補完する153系伊豆、20系あけぼのを補完する旧客津軽、24系ゆうづるを補完する座席14系十和田という形で、特急と急行が車両の質をつけた上で同じくらいの便数で同区間で走っていたという話もあればよかった。
国鉄末期に料金徴収増のために急行ことごとく特急に格上げしたから今はたまに臨時走るくらいで絶滅種ですねえでも...西の新快速みたいに昔なら準急、急行の距離を無料で走らせてくれてるからありがたい時代ではあるんだけど夜行急行...ほんと好きでした😊 「銀河」だけでもいいから盆正月復活してくれないかなあはまなすのカーペット車のって見たかったなああ
昔、帰省時に急行立山で毎年敦賀から富山まで乗っていました。あと、大学時代の合宿で軽井沢から上野まで急行信州に乗りました両方ともボックス席でした
今のJRの急行の事実上の定義「秘境駅で長時間停車しまくって普通電車よりも時間かかるけど、特急型電車使ってるしイベントも色々やるから快速にして530円で乗せるには安すぎるし、特急料金取るわけにもいかないので間を取って急行」という感じがします。
今の加賀温泉駅は元々両隣の大聖寺と動橋が特急停車で揉めに揉めて最終的に両方通過にした上で何も無い真ん中の駅を停車駅にして集約した結果だからね両方停まるじゃなくて強引に集約するようになるレベルで昔の特急は格があった
大聖寺しらさぎ止まりますが…
@@骨男より尾 加賀温泉集約後も一部の急行は引き続き大聖寺に停車してたその急行が特急に格上げされた結果が今のしらさぎ停車
@@骨男より尾そりゃあ今の加賀市の中心だから…
「わかさ」「きたぐに」で育った田舎者の私は、上京した時、私鉄の急行に料金がかかるのではないかと本気でヒヤヒヤしていたことを思い出しました。
すんごくわかりやすい解説でした飽きないしためになるし面白かったです
飯田線の臨時急行列車は定期普通列車に追い越される…。
秘境駅号は普通にも抜かされるので料金だけ取る「卑怯」な列車。秘境だけに。
2002年の時刻表を持っていたので見てみたらやっぱり特急マークはいっぱい出てきますが、急行能登、急行きたぐに 急行ちくま 急行だいせん 急行かすが、急行銀河しか見つけられなかった。でも2000年以降も利用者があったことが逆に嬉しかった。
昔は由布、火の山、くまがわ、えびの、日南、かいもんに乗っていました。子供だった頃には、出雲横田から広島まで急行ちどりに乗っていたのはいい経験でした。車両はほぼキハ58や28キハ65、キロ28で6両編成が多かったです。久大本線は、由布以外に、はんだ、あさぎり、あきよし、西九州が走っていて、普通列車は客車8両をDE10が引っ張っていました。因みに豊肥本線は豊後竹田まで普通列車でグリーン車がついていました。
京王線よく使う僕にとっては急行は特急の弱体化バージョンのイメージがでかい
京王ライナー>>特急>(準特急(廃))>急行ですかね?
特急が特別なものでなくなっていったのは新幹線ができた頃くらいからですかね。(超)特急なのに頻発しているのだから。とてもカジュアル化している。ところで急行料金も自由席で乗るのなら一見安く見えるけれど、指定席に乗るのなら別途指定席券を買わないといけないのでそれなら特急料金(基本指定席)と大してお値段は変わらないよなあ、という感覚ですね。
阪急電車なら昔は特急は始発駅から二駅。そこから終点駅の一つ手前の駅までノンストップでした。急行は主要都市を停車してましたよ。しかし今は特急が主要都市を停車。そして最近では準特急になり、急行はなくなりました。後は快速特急は観光特急としてノンストップですね。いや6300系という阪急のかつての花形特急車輌は今は嵐山線に使われてます。
1996年3月にJR東海道線の急行東海号に乗車したのが思い出です。JR東海の静岡電車区の165系が使用されサロ165のグリーン車が連結されました。東京~小田原間で乗車しました。
子供の時に急行「大社」に乗って親の里帰りで出雲まで何度か行きました。当時はまだ冷房が指定席車にしかありませんでしたね(後に全車冷房になったけど)
そう言えば急行券というのは基本的に自由席を指していて急行の指定席に座りたいときは急行券とプラス指定席券が必要でしたね 国鉄JRの急行には何十年も乗ってないのですっかり忘れてました
33:00〜JRの中で東海が、1番急行を走らせてる(イベント)というのは意外だった。
JR海、以前はとにかく速い等の実用性のみに特化した(食堂車も無くなった)新幹線に乗せればと言う、面白味の無いJRの代名詞的イメージだったけど、最近は変わって来ている様で。んで、最初にそう思ったのが正にゆるきゃん列車の時だったのですが、この時は、JRとしては珍しい急行である事に加え列車名に「△」が入ってる等、しかも、そんなイベント列車をJR海がやるのか!と話題になったものでした。一方、最近はJR東が急速に面白味が低下してケチ臭くなって行っているイメージ・・・
豊富な経験と知識と話術でのわかりやすく楽しい講義でした!
1960年代後半、20才の頃、大阪から青森まで、急行北国に乗って、北海道にいったこと思い出しました。東北の雄大な山が今でもかすかに覚えています。
きたぐにに使われていた583系はすべて廃車済、運行区間の内金沢〜倶利伽羅〜市振〜直江津は三セク移管済、残る金沢〜大聖寺〜敦賀も三セク移管が待っている…悲しいですね…
1964年10月に新幹線が開業した時には専用の料金体系が設けられた超特急という種別が出来ました。そのため1964年~1968年にかけては普通・快速・準急・急行・特急・超特急の6つの種別がありましたが、1968年10月改正で準急が急行に完全に統合される形で廃止され(1966年の春に走行距離が100kmを超える準急列車はすべて急行列車に格上げされました。)、ひかり号の超特急料金も1975年3月改正で廃止されました。
最近は、快速の仲間が色々あったり、特急と言っても特急料金が違ったり、新幹線でも最速達種は少し特急料金が高い等、種別が更に色々ある感じですね。
急行と特急、なんとなく速さの違いだけかと思っていましたが、その成り立ちから全然違うものだということがよくわかりました。
昔 北海道 石勝線で 特急まりもが途中から夜行列車 急行まりもで運行してましたね。
特急「まりも」は夜行の特急「おおぞら」ですよね?
在来線特急を急行。新幹線を特急と案内した方が良い気がする。
フランスやドイツは、そのようになっていますよね。
15:27懐かしいな岩見沢からライラックの半室指定に乗ってた動画あったなー
マジで急行銀河復活させてほしい
鉄道初心者なのでこういう動画とても助かります!
「快速」に指定席を設定したりのパターンが増えましたよね
最近は、東京周辺の臨時で走っていた全席指定の快速が、みんな特急に・・・ (急行飛び越して)
「急行」はあくまでもその速達性に対して料金を取っている列車なので、原則自由席、裏を返せば着席保証はなく、極論言うと普通列車と車両の区別をする必要はないんですよね。まあ、長距離を速達する目的から自然に「急行型」が生まれたわけだけど、地方行けば急行型が普通列車運用することも日常的にあり、旧型客車の時代にはその区別すらなかったわけで。そこが原則指定席で着席保証、快適性まで担保する特急(料金)との大きな違い。
急行列車は、急行えびのと急行くまがわが好きです。寝台急行銀河は、寝台特急の多い中で、時刻表で見ても分かるくらい、かなり目立っていました。
昔地元沿線、2009年代までかな?甲府駅の自動放送で特別急行かいじとか特別急行スーパーあずさと放送していたのが懐かしい。今は特急と放送しますが🚃
快速みえの気動車って多分急行型車両なんでしょうけど、追加料金不要(伊勢鉄道の追加料金のことでなく、指定席券が必ずしも必要でないという意味)の快速として運行されてるって凄いことなんですね
以前コロナ禍の時に、特急と急行の違いを教えてもらいました。ありがとうございました。ちなみに未だに地鉄の特急券は、特別急行券と書いてますが、急行は料金取りません。
国鉄の準急についても解説してほしかったところであります
最後に国鉄で「準急」を見たのは、小田急から千代田線経由で常磐線各駅停車に乗り入れてた電車が準急って表示出したままだったものでした。勿論、準急料金も掛からず、通過する国鉄の駅も無かった。
1968年10月のヨン・サン・トオ改正で国鉄から準急が急行に統合される形で廃止されましたね
そーなんだ!昔、稚内から札幌行きの列車は急行って名前だったけど「天北線」廃線になって幌延周りの宗谷本線使う様になってから特急になった!
いや、天北線が無くなったからじゃなくて2000年にJR北海道が昼行急行をすべて特急に格上げしたからでしょ。年表↓1921 宗谷本線(当時は天塩線・音威子府〜天塩中川〜幌延〜南稚内)19XX 急行天北・宗谷・サロベツ運転開始1987.3 羽幌線廃止1987.4 国鉄分割民営化1989 天北線廃止2000 JR北海道の昼行急行を特急に統一→特急スーパー宗谷・サロベツ
急行東海、急行比叡、急行立山、いい思い出。
急行料金は150km以上は一律だったから、長距離では特急よりかなり安かったんだが?自由席同士ならば50km料金も急行は特急の半額だったし値段があまり変わらんってのはちょっと違うかと?
JR北の駅の自動放送は割と特別急行ってアナウンスしてた気がする
コメントが多くて他の方が言ってるかも知れませんが、かつて東武鉄道も特急と急行が有料列車で分けて、一般車両で快速や準急の運転をしていましたね。関西の私鉄王国で育った私にとって急行は通勤電車の優等列車と思っていたので、赤準急が優等列車のほぼ上位扱いだったのが不思議だった。(南海も空港開港まで赤準急ありました)東急ー地下鉄直通の頃に有料の急行が特急に格上げ後、ようやく東武に通勤車による急行運転が行われるようになりました。(すべて東上線をのぞく)国鉄やJRによる急行列車は寝台急行列車ぐらいしか乗ったことがありませんでした。(銀河・きたぐに)JR西221系に急行幕がありましたが、たまに臨時運転があったようですが見たことありませんでしたし。
平成の東武のイメージだと、急行より快速が格上な感じですね。あと、東上線の特急は他の種別と同じ通勤車で乗車券だけで乗れるものの、とても運行頻度が低い。
おおー懐かしい。やさしい鉄道解説シリーズ再開!!(33:03 備蓄w 秘境駅号って急行でしたっけ?
今は快速じゃない?間違ってたらスマソ
急行 庶民の強い味方特急 富裕層の旅行システム今まではそうでした※大昔はたんに通過駅の差でしたそして今は急行 それなりに速い特急 ただのぼったくり列車
有料の急行をやめて無料の快速に切り替えたことで、私鉄との競争で一方的な敗北にはならなかったものの、まともな収入源を失ったように思えます。
今で急行が残ってたら転換クロスシートになってそう
急行に入ってたキハ66とか811系(?!)とかは転換クロスシートだよね
全席指定で1等車(展望車マイテ)と現在のグリーン車にあたる2等車(普通車は3等車)と食堂車を連結した「特別な急行」から151系電車「こだま」が車両設備は見劣りするけど所要時間を短縮してが日帰り出張を可能にした「ビジネス特急」と呼ばれました。ビジネスホテルのような特急のカジュアル化は自由席を連結して毎時出発の「L特急」に進化します。
今走ってる特急の半分以上は元々急行だったものを格上げして、値段だけ高くなった遜色特急だから特別急行感はないですね元々の特別急行って寝台特急だけだった気がする
なんか最近の特急は○○限定くらいありふれた感じ、どこが特急だよって言いたくなる
特別ではない急行だな。
ただし、普通列車と同様に特急列車の最高速度や加減速性能も向上したので、かつての急行列車以上に停車する特急列車でも、所要時間は停車駅数が限られていたかつての特急列車よりも所要時間が短いことも多いです。
私の妄想世界の一つに「国鉄が民営化しなかった世界」があり、そこでは本数が少ないながらも急行列車の一部が残存しているという設定です。
おそらく新幹線の色は0系、100系と似た窓を覆うくらい大きな青いラインなんだろうな
@@roki_nonoue新幹線もそこまでスピードアップしてなさそう
電車特急、181系、485系、581系が出てきた辺りから庶民が特急に乗れる時代が到来富士、つばめ、はと、など優等特急列車に乗れたのは特権階級、政治家、GHQ関係者それまでの庶民は長距離普通列車での移動が日常、その普通列車を駅間を飛ばして名前を付け料金を取ったのが急行桜島、雲仙、霧島、みちのく、佐渡、信州、アルプスなど、あとはスーツ先生の講義の通り。
国鉄末期の1985年に、「なすの」や「草津」などの「新特急」が設定されて以降、特急と急行の位置付けが曖昧になってきた。それ以降(JR移行後)、全国で停車駅数が殆ど変わらないのに「格上げ」という名目で急行が特急に変わっていった。「古くなったから地方に転属」という車輛運用は、JRになってからだと思う。そもそも、国鉄時代は大都市圏内で完結する特急列車は殆ど無かった。料金については、急行は「200km以上は同額」だったので、長距離になれば急行が格段に安かった。
札幌駅構内は「特別急行」というアナウンスがなされている気がします
最高でした、話に夢中になって拝聴しておりました。家内は乗り鉄です。
かつての特急のポジションが今の新幹線に変わったのかね。
急行並みの停車駅で全然新しくないE257の踊り子や湘南はもちろん、185すらも臨時特急として走らせるJR東日本にとって、もはや特急の根拠はリクライニングシートだけのような。
国鉄に存在した準急はどういう括りだったのだろう。戦前は運賃のみ、戦後は料金を取っていたらしくどちらに分類されていたのかいまいち良くわかりません。
綾瀬→北千住なら、亀有以遠からまたは南千住以遠まで乗車することで、JRの乗車券/運賃のみで「急行」に乗れますね。
久しぶりに鉄道講座シリーズやってほしいです!!
高速バスが普及するまで寝台急行銀河でよく東京に行きました。人気のA寝台に乗れました。
373系の特急は設備の中途半端さ加減から " 急行 " と揶揄される事があるが本来の急行設備とはやはり少しは違うのだな昔、唯一の昼行急行だったつやま号を興味本位だけで乗りに行ったが普通の設備だった
昔、いなかに行くとき、急行きたぐにのボックスシートに座って、金沢で乗り換え、始発の普通に乗り換えて能登に行きました。サンダーバードの車両を使っていたので、そこで和倉温泉まで眠り、それからのと鉄道で珠洲市の鵜飼まで行きました。なつかしい。ちくまも乗りました。鉄道ファンというわけでなく、純粋に移動手段でしたが懐かしいです。
神戸電鉄の準急についても説明してほしいです!!
そして特快速
2:36 僕が幼稚園児の頃、よく祖父に八王子から新宿まであずさに乗せてもらいましたが、そのときの八王子駅2番線の接近放送が特別急行の案内をしていたことを今でも鮮明に覚えています。今は放送機器が交換されて聞けなくなったのでしょうか?
子供の頃上野から紺色の常磐線急行に乗って水戸の祖母の家に行ってました。時間かかったねえ…😊
12:58 これは特急で指定席の場合ですね。特急でも自由席の場合は列車名や座席が指定されることはない。指定席の場合は乗り遅れ厳禁。乗り遅れると、JRの責の場合を除き、特急券の払い戻しは不可となる。一応、後続の特急自由席には乗れるが、指定席料金分は丸損になる。
今度は快速、新快速、特別快速の解説もお願いします。
飯田線秘境駅号は臨時列車ではありますが、現在でも毎年運転される急行ですね
急行立山、ゆのくに、くずりゅう、兼六、能登、のりくら等北陸路と東京、名古屋、大阪を結んでいた急行があった。
急行はかつて 能登やみよし、つやま、ひだ、かすが、エルム、銀河とかそゆことですよね……なくなりましたね。停車駅すくない急行もありましたよね
祖父に、列車で遠出すると言うと「急行券は買ったのか」と聞かれます😅昔の人からするとやはり特急は特別なのでしょうね
最近あまり急行は見かけなくなりましたよね。
【ダイナミックレールパックで新幹線に安く乗れます】
bit.ly/3P4FOtD
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JR東日本びゅうダイナミックレールパックについては、
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懐かしいです
現代でも復活して欲しい
1980年代初めから急行が淘汰されはじめました。急行が溢れていたのはそれ以前かなぁ...
国鉄~JRはもっと「急行」っていう種別を大切にするべきでしたね
高速道路や高速バスなど安価で移動出来る手段が発達し鉄道で行くと高くつく…というイメージができてしまった
バスの広告などには特急で行った時の料金差が強調されいかに鉄道が高いかということが強調される始末
今は特急か普通かの選択肢しかなく普通は通勤電車みたいなロングシートばかりで細切れ状態
安価な料金プラスで適度に早く適度に豪華な「急行」が幹線に多数走ってれば需要は必ずあるはず
JR四国は今、特急、快速、普通しかありません。
岡山から徳島行きの特急は宇多津に寄って高知からの特急と連結したりするから高松までの所要時間が快速より僅かに長いのが解せない。特急料金かかるのに。
同意ですが無理でしょうね…。国鉄時代の急行の役割を現在は在来線特急が、
特急の役割を新幹線が担ってる感じ(あくまでイメージで、内規上の種別の定義とは違うと思いますが)だし、現在のJRが採算の取れない列車を走らすとは思えないですしね。
私の妄想では「もし日本国有鉄道がJRグループに分割民営化されておらず、現在も国鉄が国民の足として機能していたら」というものがあるのですが、こっちでは急行も少数ですが存続しているということになっています。もし日本の国鉄社内にイギリス国鉄北西部局(North Western Region)の局長のような性格の職員が存在していたらなぁとか、つくづく思ってしまいますw
特急→新幹線
長距離急行・国鉄末期新設の特急→新幹線の停車タイプ
急行→在来線特急
みたいな感じになってるよな
こういう、講義形式の動画もちょくちょく出してほしいです。
準急、快速急行、快速特急とか私鉄って種別多くて難しいよね
言うて中央線も種別多いからなぁ
他の路線で種別が少ないのは複々線を別系統にしてるからであって、そのせいで知らない人は急いでるのに各駅停車で移動したり、乗換少なく行きたいのに実質快速電車に乗せられて余分に乗り換えたりする羽目になる
関西のJRも快速、区間快速、新快速、大和路快速、関空快速、紀州路快速、丹波路快速と色々ややこしい。
各私鉄で種別が異なるのは統一してくれたらいいんですけどね。
特急=特別料金が必要な列車、快速急行以下は特別料金不要とか。
私鉄各線は地域間輸送が基本で、短い距離の移動が多いから種別を細分化しないと
お客さんの要望をきめ細かく満たせない&路線によってはJRとの競合にもさらされるからさらに早い種別を!って流れになっちゃう。
さらに会社の独自色を出そうとしていろんな種別名称作ったり専用の有料特急走らせたりほんとにややこしい、、オメーだぞ迷鉄!
昔の東海道線の特別急行停車駅を考えると、
今の東海道新幹線の「のぞみ」が新横浜の次は名古屋まで停車しないことを考えると
「Nozomi Super Express」と案内されるのもよくわかりますね。
東海道新幹線「ひかり」が超特急「こだま」が特急だったので超特急の英訳で「Super Express」が
生まれました。現在は新幹線すべてが「Super Express」と案内されています。
スーツ動画は自宅講義が実は面白い
Limited ExpressはLimited Stop Expressの略です。停車駅が限られている急行という意味です。
ただし、特急列車の停車駅がかつての急行列車よりも多くなった例もいくつかあるので、この意味でも"Limited"ではなくなりました。
0:31 🎫青森ー函館間の急行券をスーツ君のコレクションの中から、画面いっぱいに見せてくれて、嬉しい😍大切に保管してるところ好き😊
急行券の説明で出た【青森ー函館間】若い頃、北海道旅行を7泊8日で計画したら、ねぶた祭りの期間だとわかり、北海道の前に青森でねぶた祭りを観た😊でも、急に決めたので青森に宿は取れなくて、祭りを観た後に【青森ー函館】の夜行列車にホームに並んで 走って席を取りに行った懐かしい思い出がスーツ君のコレクションの切符🎫1枚から、どんどん思い出されてきた😃💡
あの日の青森駅の様子や 椅子席での夜行列車という無茶をしたせいで ほとんど眠れなかったこと。でも、当時 新しかったユースゲストハウスに泊まり、函館のキラキラした夜景を観たことや朝に食べたイカソーメンの美味しさに驚いたこと😊その後、電車で稚内へ。そして礼文島に渡り、愛とロマンの8時間コースを9時間かけて歩いたことも、次々と思い出がよみがえってきました😊
北海道旅行の前に 無理してでも観に行った ねぶた祭りは それはそれは素晴らしかったです‼️😊
スーツ君のコレクションの【青森ー函館】の急行券が観れて シアワセな気持ちになりました😊
特急とも普通とも違う。急行。言葉にうまく表せない急行の魅力も あるなぁ😊
私が子供のころ、まだまだ特急は本当に特別急行でした。私の家では紀勢線でも急行きのくにで、特急くろしおには乗せてもらえませんでした。城崎に行くのも当然まつかぜは乗れずに,丹波でした。特急が今のような感じになったのはL特急というのが出始めて、特急に自由席が必ずあり、1時間ごとに発車するという感じになって大衆化した感じです。
久しぶりのホワイトボード講座は嬉しいです✨
区別の仕方がすごく分かりやすかった😊
子供の頃昭和40年代ですが熱海や伊東に家族で出掛ける時には湘南色の急行列車に乗ったものです。ボックスシートでトランプ遊びなどしながらとても楽しかった記憶が残っています。
久々のホワイトボード。スーツ講座はわかりやすいし安心して観ることができるのでとても好きです。
同じ思い出だあ。帰りは0系でビューと帰ってきた記憶。
子供だと、急行の座席でも十分広かった。
ガラガラの急行のボックスなら、足を上げて高校生でも特急よりゆったり快適でした。
急行好きでした。
近くには急行津山や急行三次など走ってましたし、夜行急行のきたぐには特に好きでした。
あと、動画にも出ていたはまなすのカーペットシートを出せる駅員さんも少なくて、手際よく発券できる駅員さんは流石と思いました❤
昔、18きっぷや乗り継ぎ割引を説明されていた動画を思い出しました。
あの時も特急料金について説明されていたかと思います。
とても勉強になります。
ありがとうございます。
特急の大衆化
最大の理由はやはりL特急ではないかと
準急があった頃は庶民はそっちを使ってて、急行ですらそうそう乗れるものではなかったはず
特急に至っては運転線区が非常に限られてたし庶民には縁遠いものだったし
近鉄で急行乗る時に、急行券いくらですか?って聞いてる人だいぶ前にいたなぁ
草
近鉄では快速急行まで無料、戦前は全部特別料金は特急でもいらんかったのに
(補足)特急・急行列車が2時間以上遅れて到着した時に払い戻しが行われますが、特急の場合は指定席料金分を含めて払い戻されるのに対し、急行は「急行券」の部分だけが対象で「指定席券」の料金は払い戻しの対象外です。
JRは今、列車種別がスマートになりましたが、私鉄では都市部を中心に賑やかです。
普通(各駅停車)、区間準急、準急、区間急行、急行、快速急行、特急、快速特急と下から並びます。
会社によっては通勤急行や通勤快急などもあります。
快速が頭につくと元の種別から停車駅を絞ります。
なお西武は、特急こそすっ飛ばすが急行は埼玉県内入った途端、ドン亀に早変わり(快速急行、通勤快速、通勤準急、快速準急除く)
私の地元・嵯峨野線は、🚇️平成初期まで急行、🚇️中期から特急が走り(🚇️急行は臨時便以外すべて廃止)現在に至っています。
スーツ君が岩倉高校の
運輸科の先生になったのかと思った🤣スーツ君が先生なら、高校に行くのも楽しくなりそう‼️😆
急行が減った原因の一つは増収の為ですね。
上野口で165系を使用した急行を、185系投入で格上げした「新特急」がいい例でしょう。
乗車距離に応じて料金が上がる特急料金と比べ、急行料金は乗車距離201km以上で料金が固定である事を伝えて欲しかった。
それと、例えば中央線に急行アルプスが運転されていた頃、B特急の特急かいじは「特急券+定期券」で乗車できたが、急行アルプスは「急行券+乗車券」でしか利用できず、八王子や立川ではホームや車内でその旨の案内がされており、どちらが特別な列車なのか分からなくなっていた事も付け加えておきます。
最近では、すっかり特別ではない急行の方が特急よりも遥かに特別な感じに・・・。
そして、新特急は特急より格下・・・ 新快速は快速より格上なのに。
鉄道講座めちゃくちゃわかりやすくて勉強になりました!!
そう考えると寝台急行銀河は偉大だったなあ。
国鉄~JRはもっと「急行」っていう種別を大切にするべきでしたね
高速道路や高速バスなど安価で移動出来る手段が発達し鉄道で行くと高くつく…というイメージができてしまった
バスの広告などには特急で行った時の料金差が強調されいかに鉄道が高いかということが強調される始末
今は特急か普通かの選択肢しかなく普通は通勤電車みたいなロングシートばかりで細切れ状態
安価な料金プラスで適度に早く適度に豪華な「急行」が幹線に多数走ってれば需要は必ずあるはず
温暖化対策などの観点からも、バス客を鉄道に誘導する政策が重要だと思いますね。
山陰線の『たんご』。福知山線の『だいせん』。東海道線の『銀河』。急行列車が懐かしい。
俺の場合、福知山線はみやづやった。(厳密には宝塚線やけど)
私の特急・急行経験でいえば、出張では新幹線、学生・新入社員時代には特急(指定・クロスシート)に乗っただけで、急行に乗ったことはありません。ただ東京にいた祖父が急行を利用したという話を聞きました。でも今では都市近郊は快速・新快速、遠距離は新幹線と使い分け、急行は観光・イベント列車としてあるのですね。いろいろと勉強になりました
急行が大量に廃止された国鉄末期から民営化初期の90年代までは
余剰となった急行用車両が、格下げされて普通列車用に使われていました。デッキの撤去、セミクロスシート化など近郊型改造されたのもありましたが
急行型そのままの設備で運用されたのもあって、これらは「乗り得」でしたね。
特に紀勢本線は亀山~新宮間はキハ58系、新宮~和歌山間は165系、いずれも原色の急行色のまま普通列車として使われていました。
特急→急行、急行→準急と種別名称の変更すべき。特急は「特別」でなくなって標準化してるのですから。
そういう話もいいかもしれないけど、181系特急ときを補完する165系急行佐渡、183系あずさを補完する165系アルプス、157系あまぎを補完する153系伊豆、20系あけぼのを補完する旧客津軽、24系ゆうづるを補完する座席14系十和田という形で、特急と急行が車両の質をつけた上で同じくらいの便数で同区間で走っていたという話もあればよかった。
国鉄末期に料金徴収増のために急行ことごとく特急に格上げしたから今はたまに臨時走るくらいで絶滅種ですねえ
でも...西の新快速みたいに昔なら準急、急行の距離を無料で走らせてくれてるからありがたい時代ではあるんだけど
夜行急行...ほんと好きでした😊 「銀河」だけでもいいから盆正月復活してくれないかなあ
はまなすのカーペット車のって見たかったなああ
昔、帰省時に急行立山で毎年敦賀から富山まで乗っていました。
あと、大学時代の合宿で軽井沢から上野まで急行信州に乗りました
両方ともボックス席でした
今のJRの急行の事実上の定義
「秘境駅で長時間停車しまくって普通電車よりも時間かかるけど、特急型電車使ってるしイベントも色々やるから快速にして530円で乗せるには安すぎるし、特急料金取るわけにもいかないので間を取って急行」
という感じがします。
今の加賀温泉駅は元々両隣の大聖寺と動橋が特急停車で揉めに揉めて最終的に両方通過にした上で何も無い真ん中の駅を停車駅にして集約した結果だからね
両方停まるじゃなくて強引に集約するようになるレベルで昔の特急は格があった
大聖寺しらさぎ止まりますが…
@@骨男より尾 加賀温泉集約後も一部の急行は引き続き大聖寺に停車してた
その急行が特急に格上げされた結果が今のしらさぎ停車
@@骨男より尾そりゃあ今の加賀市の中心だから…
「わかさ」「きたぐに」で育った田舎者の私は、上京した時、私鉄の急行に料金がかかるのではないかと本気でヒヤヒヤしていたことを思い出しました。
すんごくわかりやすい解説でした
飽きないしためになるし面白かったです
飯田線の臨時急行列車は定期普通列車に追い越される…。
秘境駅号は普通にも抜かされるので料金だけ取る「卑怯」な列車。秘境だけに。
2002年の時刻表を持っていたので見てみたらやっぱり特急マークはいっぱい出てきますが、急行能登、急行きたぐに 急行ちくま 急行だいせん 急行かすが、急行銀河しか見つけられなかった。でも2000年以降も利用者があったことが逆に嬉しかった。
昔は由布、火の山、くまがわ、えびの、日南、かいもんに乗っていました。子供だった頃には、出雲横田から広島まで急行ちどりに乗っていたのはいい経験でした。車両はほぼキハ58や28キハ65、キロ28で6両編成が多かったです。久大本線は、由布以外に、はんだ、あさぎり、あきよし、西九州が走っていて、普通列車は客車8両をDE10が引っ張っていました。因みに豊肥本線は豊後竹田まで普通列車でグリーン車がついていました。
京王線よく使う僕にとっては
急行は特急の弱体化バージョンのイメージがでかい
京王ライナー>>特急>(準特急(廃))>急行
ですかね?
特急が特別なものでなくなっていったのは新幹線ができた頃くらいからですかね。(超)特急なのに頻発しているのだから。とてもカジュアル化している。ところで急行料金も自由席で乗るのなら一見安く見えるけれど、指定席に乗るのなら別途指定席券を買わないといけないのでそれなら特急料金(基本指定席)と大してお値段は変わらないよなあ、という感覚ですね。
阪急電車なら昔は特急は始発駅から二駅。そこから終点駅の一つ手前の駅までノンストップでした。急行は主要都市を停車してましたよ。
しかし今は特急が主要都市を停車。そして最近では準特急になり、急行はなくなりました。後は快速特急は観光特急としてノンストップですね。
いや6300系という阪急のかつての
花形特急車輌は今は嵐山線に使われてます。
1996年3月にJR東海道線の急行東海号に乗車したのが思い出です。JR東海の静岡電車区の165系が使用されサロ165のグリーン車が連結されました。東京~小田原間で乗車しました。
子供の時に急行「大社」に乗って親の里帰りで出雲まで何度か行きました。当時はまだ冷房が指定席車にしかありませんでしたね(後に全車冷房になったけど)
そう言えば急行券というのは基本的に自由席を指していて急行の指定席に座りたいときは急行券とプラス指定席券が必要でしたね 国鉄JRの急行には何十年も乗ってないのですっかり忘れてました
33:00〜JRの中で東海が、1番急行を走らせてる(イベント)というのは意外だった。
JR海、以前はとにかく速い等の実用性のみに特化した(食堂車も無くなった)新幹線に
乗せればと言う、面白味の無いJRの代名詞的イメージだったけど、
最近は変わって来ている様で。
んで、最初にそう思ったのが正にゆるきゃん列車の時だったのですが、
この時は、JRとしては珍しい急行である事に加え列車名に「△」が入ってる等、
しかも、そんなイベント列車をJR海がやるのか!と話題になったものでした。
一方、最近はJR東が急速に面白味が低下してケチ臭くなって行っているイメージ・・・
豊富な経験と知識と話術でのわかりやすく楽しい講義でした!
1960年代後半、20才の頃、大阪から青森まで、急行北国に乗って、北海道にいったこと思い出しました。東北の雄大な山が今でもかすかに覚えています。
きたぐにに使われていた583系はすべて廃車済、運行区間の内金沢〜倶利伽羅〜市振〜直江津は三セク移管済、残る金沢〜大聖寺〜敦賀も三セク移管が待っている…悲しいですね…
1964年10月に新幹線が開業した時には専用の料金体系が設けられた超特急という種別が出来ました。そのため1964年~1968年にかけては普通・快速・準急・急行・特急・超特急の6つの種別がありましたが、1968年10月改正で準急が急行に完全に統合される形で廃止され(1966年の春に走行距離が100kmを超える準急列車はすべて急行列車に格上げされました。)、ひかり号の超特急料金も1975年3月改正で廃止されました。
最近は、快速の仲間が色々あったり、特急と言っても特急料金が違ったり、
新幹線でも最速達種は少し特急料金が高い等、種別が更に色々ある感じですね。
急行と特急、なんとなく速さの違いだけかと思っていましたが、その成り立ちから全然違うものだということがよくわかりました。
昔 北海道 石勝線で 特急まりもが途中から夜行列車 急行まりもで運行してましたね。
特急「まりも」は夜行の特急「おおぞら」ですよね?
在来線特急を急行。新幹線を特急と案内した方が良い気がする。
フランスやドイツは、そのようになっていますよね。
15:27懐かしいな岩見沢からライラックの半室指定に乗ってた動画あったなー
マジで急行銀河復活させてほしい
鉄道初心者なのでこういう動画とても助かります!
「快速」に指定席を設定したりのパターンが増えましたよね
最近は、東京周辺の臨時で走っていた全席指定の快速が、みんな特急に・・・ (急行飛び越して)
「急行」はあくまでもその速達性に対して料金を取っている列車なので、原則自由席、裏を返せば着席保証はなく、極論言うと普通列車と車両の区別をする必要はないんですよね。まあ、長距離を速達する目的から自然に「急行型」が生まれたわけだけど、地方行けば急行型が普通列車運用することも日常的にあり、旧型客車の時代にはその区別すらなかったわけで。
そこが原則指定席で着席保証、快適性まで担保する特急(料金)との大きな違い。
急行列車は、急行えびのと急行くまがわが好きです。
寝台急行銀河は、寝台特急の多い中で、時刻表で見ても分かるくらい、かなり目立っていました。
昔地元沿線、2009年代までかな?甲府駅の自動放送で特別急行かいじとか特別急行スーパーあずさと放送していたのが懐かしい。今は特急と放送しますが🚃
快速みえの気動車って多分急行型車両なんでしょうけど、追加料金不要(伊勢鉄道の追加料金のことでなく、指定席券が必ずしも必要でないという意味)の快速として運行されてるって凄いことなんですね
以前コロナ禍の時に、特急と急行の違いを教えてもらいました。
ありがとうございました。
ちなみに未だに地鉄の特急券は、特別急行券と書いてますが、急行は料金取りません。
国鉄の準急についても解説してほしかったところであります
最後に国鉄で「準急」を見たのは、小田急から千代田線経由で常磐線各駅停車に乗り入れてた電車が
準急って表示出したままだったものでした。
勿論、準急料金も掛からず、通過する国鉄の駅も無かった。
1968年10月のヨン・サン・トオ改正で国鉄から準急が急行に統合される形で廃止されましたね
そーなんだ!
昔、稚内から札幌行きの列車は急行って名前だったけど
「天北線」廃線になって幌延周りの宗谷本線使う様になってから特急になった!
いや、天北線が無くなったからじゃなくて2000年にJR北海道が昼行急行をすべて特急に格上げしたからでしょ。
年表↓
1921 宗谷本線(当時は天塩線・音威子府〜天塩中川〜幌延〜南稚内)
19XX 急行天北・宗谷・サロベツ運転開始
1987.3 羽幌線廃止
1987.4 国鉄分割民営化
1989 天北線廃止
2000 JR北海道の昼行急行を特急に統一→特急スーパー宗谷・サロベツ
急行東海、急行比叡、急行立山、
いい思い出。
急行料金は150km以上は一律だったから、長距離では特急よりかなり安かったんだが?
自由席同士ならば50km料金も急行は特急の半額だったし
値段があまり変わらんってのはちょっと違うかと?
JR北の駅の自動放送は割と特別急行ってアナウンスしてた気がする
コメントが多くて他の方が言ってるかも知れませんが、かつて東武鉄道も特急と急行が有料列車で分けて、一般車両で快速や準急の運転をしていましたね。
関西の私鉄王国で育った私にとって急行は通勤電車の優等列車と思っていたので、赤準急が優等列車のほぼ上位扱いだったのが不思議だった。(南海も空港開港まで赤準急ありました)
東急ー地下鉄直通の頃に有料の急行が特急に格上げ後、ようやく東武に通勤車による急行運転が行われるようになりました。(すべて東上線をのぞく)
国鉄やJRによる急行列車は寝台急行列車ぐらいしか乗ったことがありませんでした。(銀河・きたぐに)
JR西221系に急行幕がありましたが、たまに臨時運転があったようですが見たことありませんでしたし。
平成の東武のイメージだと、急行より快速が格上な感じですね。
あと、東上線の特急は他の種別と同じ通勤車で乗車券だけで乗れるものの、
とても運行頻度が低い。
おおー懐かしい。やさしい鉄道解説シリーズ再開!!(
33:03 備蓄w 秘境駅号って急行でしたっけ?
今は快速じゃない?間違ってたらスマソ
急行 庶民の強い味方
特急 富裕層の旅行システム
今まではそうでした
※大昔はたんに通過駅の差でした
そして今は
急行 それなりに速い
特急 ただのぼったくり列車
有料の急行をやめて無料の快速に切り替えたことで、私鉄との競争で一方的な敗北にはならなかったものの、
まともな収入源を失ったように思えます。
今で急行が残ってたら転換クロスシートになってそう
急行に入ってたキハ66とか811系(?!)とかは転換クロスシートだよね
全席指定で1等車(展望車マイテ)と現在のグリーン車にあたる2等車(普通車は3等車)と食堂車を連結した
「特別な急行」から151系電車「こだま」が車両設備は見劣りするけど所要時間を短縮してが日帰り出張を
可能にした「ビジネス特急」と呼ばれました。ビジネスホテルのような特急のカジュアル化は自由席を連結して
毎時出発の「L特急」に進化します。
今走ってる特急の半分以上は元々急行だったものを格上げして、値段だけ高くなった遜色特急だから特別急行感はないですね
元々の特別急行って寝台特急だけだった気がする
なんか最近の特急は○○限定くらいありふれた感じ、どこが特急だよって言いたくなる
特別ではない急行だな。
ただし、普通列車と同様に特急列車の最高速度や加減速性能も向上したので、かつての急行列車以上に停車する特急列車でも、所要時間は停車駅数が限られていたかつての特急列車よりも所要時間が短いことも多いです。
私の妄想世界の一つに「国鉄が民営化しなかった世界」があり、そこでは本数が少ないながらも急行列車の一部が残存しているという設定です。
おそらく新幹線の色は0系、100系
と似た窓を覆うくらい大きな
青いラインなんだろうな
@@roki_nonoue新幹線もそこまでスピードアップしてなさそう
電車特急、181系、485系、581系が出てきた辺りから庶民が特急に乗れる時代が到来
富士、つばめ、はと、など優等特急列車に乗れたのは特権階級、政治家、GHQ関係者
それまでの庶民は長距離普通列車での移動が日常、その普通列車を駅間を飛ばして名前を付け料金を取ったのが急行
桜島、雲仙、霧島、みちのく、佐渡、信州、アルプスなど、あとはスーツ先生の講義の通り。
国鉄末期の1985年に、「なすの」や「草津」などの「新特急」が設定されて以降、特急と急行の位置付けが曖昧になってきた。
それ以降(JR移行後)、全国で停車駅数が殆ど変わらないのに「格上げ」という名目で急行が特急に変わっていった。
「古くなったから地方に転属」という車輛運用は、JRになってからだと思う。
そもそも、国鉄時代は大都市圏内で完結する特急列車は殆ど無かった。
料金については、急行は「200km以上は同額」だったので、長距離になれば急行が格段に安かった。
札幌駅構内は「特別急行」というアナウンスがなされている気がします
最高でした、話に夢中になって拝聴しておりました。家内は乗り鉄です。
かつての特急のポジションが今の新幹線に変わったのかね。
急行並みの停車駅で全然新しくないE257の踊り子や湘南はもちろん、185すらも臨時特急として走らせるJR東日本にとって、もはや特急の根拠はリクライニングシートだけのような。
国鉄に存在した準急はどういう括りだったのだろう。
戦前は運賃のみ、戦後は料金を取っていたらしくどちらに分類されていたのかいまいち良くわかりません。
綾瀬→北千住なら、亀有以遠からまたは南千住以遠まで乗車することで、JRの乗車券/運賃のみで「急行」に乗れますね。
久しぶりに鉄道講座シリーズやってほしいです!!
高速バスが普及するまで寝台急行銀河でよく東京に行きました。人気のA寝台に乗れました。
373系の特急は設備の中途半端さ加減から " 急行 " と揶揄される事があるが本来の急行設備とはやはり少しは違うのだな
昔、唯一の昼行急行だったつやま号を興味本位だけで乗りに行ったが普通の設備だった
昔、いなかに行くとき、急行きたぐにのボックスシートに座って、金沢で乗り換え、始発の普通に乗り換えて能登に行きました。サンダーバードの車両を使っていたので、そこで和倉温泉まで眠り、それからのと鉄道で珠洲市の鵜飼まで行きました。なつかしい。ちくまも乗りました。鉄道ファンというわけでなく、純粋に移動手段でしたが懐かしいです。
神戸電鉄の準急についても説明してほしいです!!
そして特快速
2:36 僕が幼稚園児の頃、よく祖父に八王子から新宿まであずさに乗せてもらいましたが、そのときの八王子駅2番線の接近放送が特別急行の案内をしていたことを今でも鮮明に覚えています。今は放送機器が交換されて聞けなくなったのでしょうか?
子供の頃上野から紺色の常磐線急行に乗って水戸の祖母の家に行ってました。時間かかったねえ…😊
12:58 これは特急で指定席の場合ですね。特急でも自由席の場合は列車名や座席が指定されることはない。
指定席の場合は乗り遅れ厳禁。乗り遅れると、JRの責の場合を除き、特急券の払い戻しは不可となる。一応、後続の特急自由席には乗れるが、指定席料金分は丸損になる。
今度は快速、新快速、特別快速の解説もお願いします。
飯田線秘境駅号は臨時列車ではありますが、現在でも毎年運転される急行ですね
急行立山、ゆのくに、くずりゅう、兼六、能登、のりくら等北陸路と東京、名古屋、大阪を結んでいた急行があった。
急行はかつて 能登やみよし、つやま、ひだ、かすが、エルム、銀河とかそゆことですよね……なくなりましたね。停車駅すくない急行もありましたよね
祖父に、列車で遠出すると言うと
「急行券は買ったのか」と聞かれます😅
昔の人からするとやはり特急は特別なのでしょうね
最近あまり急行は見かけなくなりましたよね。