中編の引きから、後編最初の「次に行きましょう」の背景は、廃線跡を道路化したメモリアル通りの映像かと思っていたのに、「カニの爪」再登場とは w 遠軽駅、鉄路が残っている分、名寄本線の廃線をより強く感じます。そのせいか紋別、中湧別あたりよりも、遠軽駅の方が心做しか寂しげに見えます。ここ、転車台跡だけ残っていたのですね。何度か行ったことがあるのですが、完全に見落としていました。自然に帰る前に是非再訪せねば。 そういえば、四国・高松に昔「遠軽」という喫茶店がありました。「遠軽」だと地元民は読めないのか、移転した際に平仮名の「えんがる」に変えたようです。前から気になっているのですが、まだ行けてないのですよね、ここ。マスターが遠軽出身だそうです。
1:00 There seemed to be a side track southeast of Motomonbetsu Station. After checking the historic aerial photo provided by Geospatial Information Authority of Japan, it was confirmed that there had been a short side track (~500m) leading to a factory of some sort located southwest. Like many historic buildings along the railway, the factory has been demolished, leaving only an grassy lot today. Thanks for the great video!
私(東海地方在住)の母の故郷が上湧別町(現湧別町)の旭地区です。中湧別まで汽車で通学したそうです。
4年程前に病身の母を北海道まで連れて行き、伯母(母の姉)と沿線を回りました。
母は私に遠慮したのか、中湧(なかゆう)なんか別に行きたくもないよ、と言っていたのですが、
いざ現地に着くと、母は動かせない体を必死に動かし、身を乗り出して故郷の景色を食い入るように見ていました。本当に連れてきて良かったと思いました。その4ヶ月後に母は鬼籍に入りました。
母はもういませんが、私自身のルーツがある、「なかゆう、かみゆう」をまた必ず訪れたいと思います。
動画配信ありがとうございました。
自然の猛威で原野に還る。。。農耕地になる。。。公園になる。。。道路になる。。。
本当に碑があるだけでも、駅の記憶としては十分かもしれませんね。
駅だった証は欲しいところですね。
跡形も無い場所、遺構が僅かに残る場所と様々ですが、中湧別駅跡が一番の慰めだと言えるでしょう。
極めつけは何とも皮肉な線路配置の遠軽駅かも知れないですね。
毎度ですが取材、編集、投稿お疲れ様でした。
ありがとうございます。
2回に分けた名寄本線廃線跡の後半ですが、元紋別駅あとには北紋バス本社になっているのは当時は知りませんでした。あとは中湧別からは畑に帰ったかなと思いました。あとは遠軽駅0番乗り場は懐かしいですね。前後しましたが中湧別駅は分岐点でいわゆる本線だったがわかります。以上コメントです。
紋別~遠軽間は晩年でも比較的利用者が多かったらしいですがそれでも結局全線廃止、残念ですね…
中編の引きから、後編最初の「次に行きましょう」の背景は、廃線跡を道路化したメモリアル通りの映像かと思っていたのに、「カニの爪」再登場とは w
遠軽駅、鉄路が残っている分、名寄本線の廃線をより強く感じます。そのせいか紋別、中湧別あたりよりも、遠軽駅の方が心做しか寂しげに見えます。ここ、転車台跡だけ残っていたのですね。何度か行ったことがあるのですが、完全に見落としていました。自然に帰る前に是非再訪せねば。
そういえば、四国・高松に昔「遠軽」という喫茶店がありました。「遠軽」だと地元民は読めないのか、移転した際に平仮名の「えんがる」に変えたようです。前から気になっているのですが、まだ行けてないのですよね、ここ。マスターが遠軽出身だそうです。
そういえば、昔京都で遠軽高校の修学旅行のバスを見た地元の高校生の男子が「おんがる高校?」と読み間違えて、連れの女子に「えんがる高校や。ここの学校ブラバンすごいんやで」訂正されていたという、当時の校長の話を思い出しました。
遠軽駅がなんで折り返し式なのかというと、かつて名寄本線が接続していたからなんですね。駅の北側の引き込み線はかつての名寄本線の跡を利用しているんですね。
後、名寄本線の起点である名寄駅は深名線の終点でもあったんですね。
自分も数年前に直接訪れましたが、跡形もなく消えている駅が多い中、中湧別駅の保存展示はなかなか見応えがありました
中湧別はいいですよね~
動画作成お疲れ様でした。今回は旭駅のような昔から「おっふ」状態だったり、廃駅後住宅地が増えたり、いつも以上に寂しい(良い意味で)動画でした。最後の遠軽駅の0番線と行先標の残し方は堪らなく大好きです。
遠軽駅1番線に到着した急行大雪から0番線の名寄本線湧網線始発列車によく乗り継いだなあ…
動画編集大変だったでしょう!ありがとう👍
大作お疲れさまでした!自分は1984年に乗車しました
当時は周遊券で北海道を巡っていましたが、お盆の時期はどこのローカル線も自分みたいな乗り鉄ばかり
湧別支線もマニアが殆どで、地元利用者は数えるほどでしたね
名寄本線完成、ありがとうございます。潮見町にあった高校に通っていた地元民でした。改めて思い出になったと感じています。もともと鉄道が敷かれるときに寄付(?)によってなりたった部分もあり、畑になったり別施設になったのは良いほうでその余力もない(?)のが現状でしょう。にしてもひろりんさんの守備範囲のひろさに驚かされます。
2000年代前半、遠軽から紋別へ路線跡を歩いた事があります。線路跡が草原化しており、沢山の花と蝶、自然の楽園となっていたのを思い出しました。
ほとんどが人気の無い場所でしたが、駅のある当時でも人気が無かったというのは驚きです。
鉄道があっても駅前に何も無い駅もいくつかありましたね…
3:12 一本松駅跡の裏手、一直線の舗装帯はオホーツク紋別空港の滑走路32へのILS関連灯火(ALS)の敷地なんですね。
名寄本線現役時代の旧空港は海側でしたが、今も鉄道が走っていたら飛行機とキハを同時に収められる、鉄道&航空マニアの格好の撮影地になっていたかも。
いつもひろりんさんの北海道の廃線動画視てると懐かしさと淋しさがこみ上げてきます。この音楽の所為かな?
この辺も昔住んでいました。現在関東に住み、奥さんも東京の人なんで行くことはもう無いでしょうね。
中湧別駅には何回か行ったことあります。ホーム、跨線橋、車両、レールと揃っているのは嬉しいですね。
自分は紋別市出身で小学校1年生の時に名寄本線が廃線になったので汽車に乗った記憶が無くて、この様な動画が見れて凄く嬉しいです。
名寄本線の動画を作っていただき本当にありがとうございます。
自分とそんなに年齢が変わりませんね。本当に懐かしいですね。
@@岩佐容輔
本当に1度乗って自分の記憶の中に焼き付けたかったです。
編集お疲れ様です。
高校2年間遠軽駅を使いましたが、閉ざされた跨線橋の記憶が残ってます。現在だと湧別方面から遠軽へと通う生徒は基本的にはバスか親の送迎か下宿。地方過疎が着実に進んでいるのも感じられます。もう一度栄える時が来ると良いのですがね…
この動画が出るのを待ちきれなくて自分で名寄本線をGoogleマップでたどってました…ものすごい駅の数、距離も結構長いので実際に行かれるの本当に大変だったと思います思います。本当にお疲れ様です☺️
動画投稿ありがとうございます。湧別町周辺は色々と大変でしたでしょう。お疲れ様です(感謝)。
跡すら残っていない駅が多いです(泣)。記念碑があるだけも十分です。
遠軽駅の乗り場案内は、もう二度と点灯しなくても、今から30年以上前に名寄まで繋がっていた鉄道の記憶を教えてくれる。
名寄本線完結、有難うございます。後編の区間は海沿いのため賑わいがあるかなと思っていましたが、一部を除き元々厳しい区間だったんですね。北海道っぽい風景が余計淋しさを感じさせます。
この区間の部分存続の話もあったようですが、改めて巡ってみるとやはり厳しかったと言わざるを得ませんね…
待ってました❗️ありがとうございます😊
約20年ほど前に紋別で暮らし、その後上湧別に移ったので、
私にとってはGoogleマップで懐かしさを感じてしまうのですが、
知っている場所のかつての姿を想像できて良かったです✨
しかし、この路線は跡形すらあまり無いんですね。。
廃線跡や廃屋になる前の事を妄想しながら巡るのが好きです♬
私もです!
紋別出身です、子供の頃中湧別の祖父の所へ汽車で行った記憶はまだ残っています!この動画を見て懐かしい記憶でいっぱい蘇ってきました!
ありがとうございました
👍️
大昔のTMSに一本松仮乗降場の記事が載っていてそんな駅が存在する事を知りました。
確かその記事での写真では駅名表が長方形の板に縦書きで「一本松」と手書きし棒の先に
取り付けてホームの前後に設置されていました。
あれは雪に埋もれた時に乗務員に位置を認識させる為の表示だったんでしょうね。
本当にお疲れ様。さすがは本線。本線跡と紋別自動車道がずれていそうなのはせめてもの救い。遠軽駅は壮大な構内だったし大勢の従業員がいたはずだったことがわかる。そんな中、遠軽で売り出した太陽の丘ビールを思い出した。結局各地の地ビール醸造所同様に廃業した。鉄道もいつまで継続させるか、踏ん切るか。今残っている姿も大切にしたいが、その時に経営判断を下した方々の気持ちも重々しかったのだろうと。
どんな理由があっても駅が無くなるのは寂しい。
自分もこの流行り病が終息した後に訪れてみたいです。
遠軽町出身者であり、
湧別高校の頃に名寄本線を
通学のために中湧別駅まで利用していた頃…。
車窓から眺める風景の記憶が懐かしく蘇ってきます。
かつて遠軽駅に機関区と転車台があった頃は如何に交通の要衝だったか?という事が窺えます。
公開ありがとうございます✨
遠軽駅は本線と本線が接続する鉄道の要衝でしたね…
お疲れ様です!
待ってました〜
お待たせしました~
「湧別を出て中湧別に向かう乗客一人の列車に手を振った少女」、
宮脇俊三 さんのあのシーンも、もうよみがえることができない。
当方は、網走からの湧網線と名寄本線の接続が良すぎて中湧別は通過しただけで、そのまま北見枝幸に。
あの時に無理してでも、湧別に行っておけば良かった。
あぁ、歴史は戻せない。
作成していただいたひろりんさん、お疲れ様、そしてありがとうございます。
毎回動画を拝見していてつくづく、昔の人は、よくこんな広大で厳しい気候条件の土地を開拓したなあと思います。
跡と名前がつくものってなんでこんなに儚いんだろうと思いますが、昔の駅のなごりを感じさせるものが現存していると、ホッとするというか、ああ良かったっていう気持ちになりますね。
いつもセンチメンタルで素敵な動画を、ありがとうございます。
待ってました、名寄本線前編、中編、後編の3部作完結ですね。残念ながら遺構が少ないのですね…。あらためて前中後を通しで再度見てみます!
本線の廃線跡としてはこの区間は遺構が少なかったですね。
こんにちは。後編を待ってました、紋別~遠軽、廃線になり風景も町も変わりましたね、思いでだけが残ります
動画を制作してご苦労もあったと思いますが
これからも頑張って下さい!
ありがとうございます!
これは超大作です、この3部作を超えるものは無いかと。
まってた!貴重なビデオThanks
おっふ・・・名寄本線はヘビーでしたね。ありがたくみさせてもらいました!
名寄本線はヘビーでした…
私が小学生のときはSLが走っていたし、中湧別駅に転車台がありました。
40年以上前北湧駅であっても上湧別中学校の通学のための乗降所でした。
中古の雑誌で現役時代の名寄本線と天北線に乗るレポートを読んだばかりだったのでとても興味深く見させてもらいました。雑誌の写真を見る限り中湧別は現役時代そのまま残したようですね
拝見させていただきました。
今回もナイスおっふでした(笑)
なんでしょう、廃線跡が何もされずに自然に帰っているとまるで故意に鉄道があったことを忘れたいような、逆に人為的な感じがします。忘れ去りたい過去、みたいな。
関係ない話ですが、うちの職場に国鉄を知らない世代がいました…年取ったなぁ。
うぽつです!
Jr北海道は毎回見てるとやっぱり悲しくなってきますね...
その元駅周辺は駅がなくなったから廃れたって考えても問題ない気がします...
1:00 There seemed to be a side track southeast of Motomonbetsu Station. After checking the historic aerial photo provided by Geospatial Information Authority of Japan, it was confirmed that there had been a short side track (~500m) leading to a factory of some sort located southwest. Like many historic buildings along the railway, the factory has been demolished, leaving only an grassy lot today.
Thanks for the great video!
懐かしいの一言につきます。
寂しい景色ですね。
少しでも、遺構があると救われますね。
しかし、何もない所に駅をなぜ作ったのか、突っ込みたくなります。
なにもなくても、現地行くひろりんさんに、頭下がります。
北海道では何も無い所に駅が…というのが結構ありますね~
今回は廃線後に住宅が増えてる駅もちらほらありますね
意外にもそのパターンがいくつかありましたね。
道路が使い勝手良いのかな?って思った
バス路線廃止になっても停留所巡りとか聞かいないけど鉄道は廃線巡りは有ったり、街に廃駅を残してたり、かつて走ってた電車を保存したりと日本人にとって特別な乗り物なんだなぁ。と思う。
湧網線も遺構があるとこ無いとこがあって味わい深かったです。遠軽~紋別は残しても良かったかもとは思います。
遠軽ー紋別と名寄ー下川は存続の話も出ましたが、採算がとれないと却下されました
@@あずき抹茶-o5j やはりそうだったんですね。紋別も中湧別も特に寂れているとも思えなかったので。ありがとうございました。
名寄本線の「一本松」「弘道」駅の跡は、共に自然に回帰しつつあるのが見てとれました。「前略、道の上より」(一世風靡セピア)の歌詞通りに[後(あと)は土へとかえるだけ]
楽しみにお待ちしました
投稿ありがとうございます。
お待たせしました~
30年ちょい前まで「本線」を名乗る線路があり駅があり、列車が行き交っていたとは思えないほど、今は何もなくなっている場所が多いですね。
一方で住宅が増えたところもあり、気候や利便性など決して暮らしが楽ではなさそうなここの入居者は、どこから来てどのような生活をしているのか、ちょっと気になりました。
タロとジロ。
南極観測越冬隊で活躍した名犬達の話は有名ですが、
タロとジロの父親は「風連のクマ」と呼ばれた樺太犬です。
名寄の隣、風連の生まれ。
他にも「クマ」と呼ばれた犬がもう1頭居ました。
それは「紋別のクマ」
風連と紋別に、南極で活躍した犬が居たんですね。
風連は名寄本線でありませんが、名寄管内。
紋別は名寄本線。
何年か前に、名寄本線跡を巡った時にそれに気づいて、越冬隊に参加した犬の足跡に触れたことがありました。タロとジロの「像」は稚内公園にありますが、風連のクマ、紋別のクマについての「碑」は、どこにもありません。
名寄本線の足跡とは関係のない事で、この動画に水を差すようで申し訳ありません。私は大阪在住ですが、北海道が大好き。年に2度は必ず北の大地を旅しています。国鉄時代からの北海道の鉄道ファンです。
廃線になった標津線。広尾線。士幌線。勿論、名寄本線。羽幌線。天北線etc
健在だった頃の各線に乗って来ました。
大阪在住の者が、これだけ多くの北海道の鉄道に乗って来た事を、大阪人に自慢しています。
32年前を思い出しながら拝見しましたが、残念ながら当時の様子を思い出すことはできませんでした。強く印象に残ってる駅がありまして、どこの駅かは不明ですが壮大な平原の真ん中にゆるやかなカーブを描く単線駅で、駅のホームに隣接してテラスハウスのような住宅があり、列車が駅に入るときにその庭でお年寄りが洗濯物を干していたというものです。廃線後、その方はどうなさったのでしょうか。すでに自動車で生活をなさっておられたのでしょうか。名寄本線に乗車して名寄へ着いた後は深名線を走破しました。
キター(゚∀゚)ー!お疲れ様です。
なんとなく名寄本線は昔から好きな路線なので動画感謝です!
ほぼ跡形もなくなっている駅が多いと思いきや、駅が消えたのに住宅が増えているという
北海道のパターンに反するようなエリアもありと本当に楽しめました。
現在廃線の危機にあるJR北海道の複数路線はこのような僅かな遺構を残すことにならない
よう、何とか存続して欲しいですね。
こんにちは。廃線跡って、どうしてこんなにも物悲しいのでしょうか。利用していない私のような他地方の部外者には何も言う権利はありませんが、悲しい気持ちは湧いてきます。遺構があるところはまだ良いですね。北海道の廃止路線には仮乗降場がかなりありますが、当時から周りには何もなく、何故そこに?と思うところばかりですね。寂しいですけどこれが現実。いつも現地観察していただいていてありがとうございます。とても助かります。
近所(とは言っても8km以上離れてるが)に廃線跡有るけど線路剥がされるまでいつ列車来るのかと思ってたな
そこが廃線だと知ったのは一昨年だけど
湧別駅って行き止まりの終点だと思ってたら、戦前はさらにそこから私鉄の軽便鉄道「湧別軌道」が南東方向に分岐し、サロマ湖最西端の港町「丁寧」が終点。
ちょうど湧別駅跡の赤丸印 17:13 の右下にある建物(会社)敷地入口に『湧別軌道株式会社の跡』という石碑があるようです。なんと開業後9年で廃止!白糠線以上です。
そこも何か凄いですね
いざ始動してみたら赤字のオンパレードだったのかな?
@@豪-t6u さん。終着駅だった丁寧はGoogleMapだと今も船着場があり、サロマ湖の漁師さんぽい家20戸ほどの集落みたいです。
昭和ひと桁の開業なので道路事情は悪く、海運でサロマ湖沿岸一帯の海産物や木材を湧別駅へと運ぶ役目を担っていたぽいですね。
湧網線開通以前だったのでその需要を見越んだのでしょうが、案の定湧網線開業後数年に廃止されています。
一日3往復。機関車2両、客車1両、貨車7両の弱小鉄道だったので、黒字になるような経営は困難だったと思います。
以前、ヤフオクで湧別軌道のきっぷを見かけたことありますが、たった1枚にン十万円のプレミア価格で落札されてました。
湧別軌道の存在を初めて知りました。情報ありがとうございます。
湧別町文化センターさざ波の駐車場東側出口から道路を挟んで反対側に碑があるようですね。google mapでも存在が確認できました。
湧別軌道の開業と時期を同じくして、中湧別から出ていた富士製紙の森林軌道が廃止という激動(?)の時代。湧別軌道も丁寧〜計呂地の延伸を目論んだものの、湧網線が予定されていたので却下されたという歴史もあったようで。
@@dream_traveler 10年くらい前までは、湧別軌道の石碑の後ろに木造の古い建物があったそうで、おそらくそれが軌道の本社だったのかも知れません。
戦前に誕生しそのまま戦前に消滅した私鉄は少なく、ほぼ同じ昭和初期に釧網本線の止別~小清水(浜小清水じゃなくて役場のある中心地)まで「北見鉄道」というガソリンカーの私鉄が走ってましたが、こちらも10年で廃止されています。始発だった止別駅構内には湧別軌道と同じような「北見鉄道の石碑」もあります。ほか、似たようなのは余市臨港鉄道とか渡島海岸鉄道ですかね。
帝国書院から復刻された古い地図なんか見ると、湧別からサロマ湖に向かう短い路線が載っていますね。廃止されて大分経つであろうに、戦後間もない時代の地図にも載っていたと思います。
お疲れ様。やはり、農地の中の駅跡、線路跡は自然に帰っていましたか。現在の航空写真では森の少々薄い所とか、分かりにくいですね。
現在、紋別ー湧別ー上湧別ー遠軽は、北紋バスと北海道北見バスが共同運行で日に9往復あるようです。
代替路線ですが、必ずしも仮乗降場だった場所には経由しないようで。まぁ、需要が無いと言えば、それまでですが。
湧別支線は朝夕各一本の時間帯しかなかったので乗れませんでした。中湧別~四号線~湧別と短い区間でした。中湧別と四号線の間で国道238号線が交差してましたが立体交差と思いきや踏切だったらしいです。多分国道238号線と平行していた鉄道は北から天北線・興浜北線・興浜南線・名寄本線・湧網線でした。これらの鉄道は国道との交差部分が立体交差だったと思われましたが湧別支線の部分だけ踏切とは珍しかったです。朝と夕方(中湧別⇔湧別で列車折り返しを含めると合計4回ここの国道踏切の遮断機が下りていた事になります)だけ踏切が作動していたとは…。現在北海道で国道が踏切になっているのは留萌本線と国道275号線の石狩沼田駅付近の踏切だと思います。
小学1年の時に名寄本線は無くなりました。
母が紋別の中心部で商売をしていたので家もそこでした。
紋別駅はホントに近所だったので現役時代、廃線後もしばらく存在していたのでいい遊び場でした。
しかし‼️
何度もこの路線には乗りましたが一本松、弘道、旭なんぞ現役の時代でも見た記憶がありませんw
名前の記憶はあるんですけど映像が全く浮かびませんw
This Discovers A Great Travel Channel☺️thanks😙😙
お疲れ様でした!
「おっふ…」と言うより「もとから何もないので…」と言うところが多かったですね
懐かしいありがとうございました
北海道って、実は東部の方が冷遇が酷いんですね。遠軽~湧別間はまともにテコ入れすれば普通旅客だけでもそこそこ乗客が増えそうですし、中湧別~紋別間も特急でそれなりに稼げそうな感じ。沿線にサロマ湖もあるのに、ここまで一切何もしないってのも・・・。
ホント北海道は跡形も無く消えてしまって寂しいわ
跡形も無い所が多かったですね…
名寄本線(後編)は仮乗降場あがりは以外は 比較的「おっふ」化率が低いような気がします。
なるほど「紋別(札幌ー紋別間名寄経由)」「天都(興部ー北見間)」「大雪(札幌ー遠軽(普通)紋別間)と複数の急行が走っていただけのことはあります
楽しみにしていました。
湧別支線の四号線駅ですが1977年の場所は映像より約1km北になりますよ。
そうだったんですね。
ご指摘ありがとうございます。
この前1920年代の都道府県の人口のデータを見る機会があって、北海道は三位だったの知りました。
やはりエネルギー政策転換で北海道の勢いを削いだ結果が未だに北海道を苦しめてるのをまざまざと見せつけられてますね。
今回の区間、昨年バスで通りましたが、石北本線沿線よりも栄えていてもったいないことをしたなあと思いました。いろいろな事情があったようですが。今や遠軽発着のバスは石北線とうまく接続しておらず乗り継げないケースばかり。自社の高速バスに乗ってほしいから仕方がないのですけど、石北線衰退の要因でもある気がします。遠軽駅は少し前までそば店すら営業していましたが、現実は無人駅でも仕方がない利用実態ですね。(乗客数1日200人未満)それにしても名寄線と羽幌線は残してほしかったと思います。無理なのはわかりますが。
名寄本線は私が産まれた一年後に廃止されました。名残が遠軽駅に残ってます。
上湧別には上湧別駅前という看板があります
中湧別から北勇までは自転車で同じところこぎました。そして上湧別は国道から入るところに上湧別駅前道ってのあったはずです。 5月2日は宗谷方面言って渚滑は3時位だったかなぁ
湧網線もやってください
高校時代、四号線駅(当時は乗降場)から遠軽駅まで通学で利用していました。1977年の四号線乗降場の場所が間違っています。1977年の写真は、六号線(四号線から1kmほど南)周辺ですね。1977年当時でも当時でも四号線乗降場の西側には住宅地がありました。
ご指摘ありがとうございます。
長距離の廃線跡探訪、ご苦労さまでした。
1日2往復の湧別支線、私は朝の列車に乗ったことがあります。
中湧別駅を出て、四号線、そして湧別駅。
湧別駅で写真を撮り、車内に戻り、折返し発車するのを待っていたら、発車間際に通学生たちが何人も、列車に乗り遅れまいと必死に駅に走ってくるのが見えました。
そりゃあ、この列車を逃したら、次の列車は夕方ですからね。
結局、2分くらい遅れて列車は発車したような。
湧別駅は立派な駅舎のある駅でしたが、今は記念碑だけなのですね。
湧別支線乗られていたんですね~
湧別駅は1日2往復にしては立派な駅舎がありましたね。
私も朝の列車に乗る為に遠軽駅の蕎麦屋の脇付近で駅寝しましたねw
ローリング族みたいな地元の若者が駅前ロータリー付近をうろついてたので気になってあまり寝れなかったです。朝になったら連中が車の中で寝ていたのは呆れましたw
遠軽駅もおっふ案件かと思いきや一応現役でしたか
ちょっと興味深いモノ(転車台?)がありましたが
それにしても廃線跡が自然に還ってしたり道路に転用されてしまい駅舎やホー厶線路があったのかまったく分からないですね…
まだ中湧別駅みたいに車両や跨線橋ホームが残っているなが奇跡ですね個人的には駅名が書かれた看板がものすごく欲しいです。
本線がここに通っていたのが信じられないくらい跡形も無く…
最近この動画シリーズを見させてもらっています、今回の紋別市なんですかオホーツク地方の中核都市なんですよね北見や網走除いて結構人口も、多い街なのに鉄道が無いとは。よくドライブがてら走りますが人口減少が進み過疎化も早いペースで進んでいる地方、鉄道会社が撤退するのもわかりますわたしの住んでいる街にも液はありますが有人駅は一つだけあとほ全て無人駅か廃止予定の駅ばかり。変な話ですが、人間の骨と血管を鉄路と道路とするならばモハや北海道は骨が失われた肉体!もう元のようにはならないのでしようね。とても残念ですが車を使う人も増えてきましたし、住民の足を確保する為にを今は代替えバスを走らせているところがほとんどですね。JR北海道の利益だけ考えたら札幌近郊や旭川ぐらいしか残らないでしょ
おはようございます。後編完成したんですね(^o^)良かった。廃止から
30年以上経過してると余り残っていないですね。でも中湧別駅跡は
嬉しいですね(^o^)何時もありがとうございます(◍•ᴗ•◍)おつかれ様でした
遠軽駅のお蕎麦美味しかった思いで
あります
ようやく後編完成しました。
やはり中湧別駅跡はいいですね~
UPお疲れ様です。
北見に住んでいた当時、なんで紋別は「市」なのに鉄道がないのか疑問に思っていましたが、後に営業係数が見込めないと事業者として生きていけないんということが分かりました。
次回は我が一族の発祥の地である夕張市(夕張線と大夕張鉄道)をリサーチしていただけたらと思います。
既に夕張は訪れているようですが、機会があれば廃線のほうも。
紋別はかつて金山があり賑わっていたようです。昭和48年頃閉山
一本松駅が万本松駅に!
現在の湧別町区域は北海道では珍しく発展していますね!
是非更に人口が増えて欲しいところです。
上湧別町と湧別町が合併しただけで発展はしてないです。国鉄、雪印、池内工業があった頃は上湧別町だけで合併前の人口より多かった。 (その頃、湧別町は人の数より牛の数が多かった。)
@@kouichifujii1430 さん
やはり湧別のエリアも大変ですよね…。ただ40年以上前よりは…。
なんとか北海道だけではなく日本全体で人口増加するような方策考えないといけませんね!
@@kouichifujii1430雪印の工場があった頃は当然というか、町内で採れた牛乳は全て雪印へ卸していたのですよね。私の家もその内の一軒だったのですが、母によると年に何回か、段ボールに入ったビスケットを買わされていたそうです。何種類かあったのですが、「チャンピオンサンド」「ダイヤクッキー」などあったと記憶しています。美味しかったのですが、1箱分食べ切るには数日かかって、終いには飽きてしまうことが多かったですね。後に四つ葉乳業ができて入れ替わるように雪印が撤退してしまったのでビスケットを買わされることも無くなりました。本題から逸れてしまって失礼いたしました。
名寄本線の駅跡で二つ目に行きたかったのが沼ノ上駅。
千と千尋の神隠しに出てくる沼の底駅に雰囲気似てるなと勝手に思ってましたが、ホントにそっくりでした(^◇^;)
また行きたい場所のひとつです。
トラブルがあったようですが無事上げられてホッとしました。やはりコスト的にこの辺はバスにとって変わられている感じがします。ただ、バスが機能してると集落もそこそこ残るようで、オッフ駅は辺境の元々何もないところに限られてるようですね。北海道は鉄道に比べてやはりコストの少ないバスが主流になっていくのでしょうね。
この辺りならバスも維持できそうですしね。
おっふ案件が多い路線だとバスも維持できなくなっていますから…
北海道の大自然に還りましたね
元々何もなかったんだから😢
人の手が入らないと自然に還ってしまいますね…
どうもお疲れ様です。
この名寄本線は、確か最初は第3セク化して鉄道存続(オホーツク沿岸鉄道?)の予定らしかったが、名寄本線に沿って高規格道路の建設予定があったので断念したと聞きます。
仮に鉄道存続しても、おそらく池北線同様に後に廃線となり、バス転換されていた…。
結局その高規格道路って建設されてないですよね?。
あるのは紋別中心街を避けるように通る国道バイパス道くらいでしょうか。
未だに興部~下川間の国道は走っててかったるいですね。
@@Su---- その高規格道路というのが、『旭川紋別自動車道(国道450号線)』の事です。現在は比布JTC〜遠軽ICが開通していますが、今年ようやく湧別町まで新規事業化となりました。湧別町〜紋別市はまだ計画中ですが…。
@@サカイテツロウ なるほど!
石北線沿いの高速道路が延長されて遠軽方面から北上してくるんですね。てっきり紋別から山越えで下川方面に高規格道路ができるのかと思ってました。(なぜそんな需要のないところに?と。)
@@サカイテツロウ
高規格道路はどちらかというと遠軽から北見方面への延伸する方に力を入れているような気がします。
実際に国道333号の朝日峠までは工事が進んでいますからね。
ただ単に旭川→紋別に行くだけなら国道273号で滝ノ上を通った方が近いと思います。
@@北斗一裂拳 調べてみると、遠軽JTCから北見JTCで十勝オホーツク自動車道と合流して網走市へと続く高規格道路の計画があるのがわかりました。そうなると、石北本線の存続が…。鉄道から道路へと変化するのは時代の流れか。さておき、名寄本線に乗ってみたかった。名寄本線が存在していた当時の私には(九州からは)無理だった…。
近畿近辺の廃線跡も訪ねて下さいました
出身地だから何もないの知ってるんですよね。
青看板は駅って表示してるけど駅として機能しているところ見てないので。
この地を離れて北見釧路帯広苫小牧と転々としているけど
北見に降り立った時まだ自動改札が無くて驚いたんですよね
なんというか大学何校かあるのにとりのこされてんのかって。
ここまで田舎じゃなかったよなっていうか
まだ大丈夫じゃないかってもう手遅れなのか
この気持ちわかる人いますか???
素晴らしいです!よく現地に行って調べている事が凄いですね!
ご苦労様です!
👍
やーお疲れ様です!待ってましたよ。
お待たせしました~
ないところは、本当に何もないですね…。お疲れさまでした。
お疲れ様です!
お疲れさまです!
動画、ありがとうございます。
今回は跡形もない、線路跡がまったく存在しないものが多く、寂しさを助長させましたね。
ところで(北湧)はなんて読みますか?
この駅だけ振り仮名がなかったので気になりました。
北湧は「ほくゆう」です。
ここだけ振り仮名を忘れてしまいました…
名寄線は全体的に遺構が少ない気がします。最後の遠軽駅は機関庫も転車台も撤去?され、森に還っていましたね...
弘道(こうどう)駅、最初「ひろみち」って呼んでました…(-_-;)
それはともかく、鉄道の廃線によって人がいなく(少なく)なるとこうなるっていうことをありありと見せつけられますね
あれから、ネットで名寄本線の営業距離を調べました。名寄-遠軽迄の本線が138.1㎞、中湧別-湧別迄の支線が4.9㎞の合計143㎞という長大さだそうです。[因みに、やはり長大な天北線は148.9㎞だそう]
私は、距離の長さを問わず不採算の鉄道路線などは熟慮有りきで廃止或いはバスといった転換を進めるべきと思います。
名寄本線、天北線、羽幌線、標津線、池北線などの長大路線が消えて北海道の鉄路はスカスカになってしまいましたね…
JR北海道は全路線不採算路線だったような…
えめまんさんへ
・今年7月10日に、ネットで2018年度に於けるJR北海道の財務状況を調べました。費用が収入の2倍以上という酷さとの事で、あなたの御指摘も納得がいきました。
四号線駅は元々仮乗降所で、学校の朝礼台を少し長くしたようなホームがあっただけですから
何もなくて当然でしょうね。運転台からホームがよく見えるので、ホームに誰もいなくて車掌が降りる客がいないことを
確認すると、通過してました。
朝礼台ホームを見てみたかったですね。
名寄本線は2回乗り、1回目は名寄から中湧別まで乗りました。中湧別の跨線橋が残っているのは嬉しいです。昔は旧中湧別駅の近くにホカ弁の弁当屋(今で言うほっともっと)があり、中湧別から湧網線に乗り換える待ち時間の時に弁当を買いました。中湧別から遠軽は寂しいですね。北湧駅はチューリップ公園の中を列車が走る写真が好きです。多分1988年頃の写真だと思われます。旭川紋別自動車道は現在、遠軽まで延伸になってますが将来的には湧別を通って紋別まで延伸になると思います。
湧別支線の四号線仮乗降場…どうしても乗るか降りるかをやってみたくて,湧別町営バスで中湧別駅から向かったことがあります。当時はネットはないので,バスの運転手さんに教えてもらいながら,最寄りのバス停から歩いた記憶があります。
でもあんなに街だった記憶がなく,鉄道ではないところは意外と栄えていた(鉄道は1日2往復)のだと,知ることができました。
四号線駅(仮乗降場)で飛びつきました。種村さんかなにかの本で駅名標の写真が載っていたので
、気になっていました。そして一往復だけ中湧別湧別間に乗れましたけど日が落ちてもう暗い時間でした。流石に四号線で乗ったり降りたりは考えませんでしたが、でも飛行場前😅で乗り降りするより、なんとかなる場所でしたね。80年代90年代の湧別周辺はまだ生活感が感じられた記憶です。
@@3poko さん:
四号線仮乗降場のことは,確かに種村直樹さんの本だった気がしますね!
種村直樹さんの本から,旅のコツを教えてもらった気がしますし,宮脇俊三さんの本からは「旅は文学である」ことを教えてもらった気がします。
名寄本線と湧網線に関しては,セットで何回か乗りましたし,湧網線の最終網走行ないしは遠軽行最終から大雪に乗り継いだとか,色々やりましたね。
遠軽駅は深夜に,立ち食いそばのお店が開いていて,夜食をそこでいただいてから乗車なんてこともありました。その駅そばも,数年前におばちゃんが亡くなって閉店してしまい,寂しい限りです。
@@3poko 自分も「しごうせん」のことは、種村さんの本(北川宣活さん挿絵)で知りました。たしか乗降客がいないと通過してしまうので、駅名標をフィルムに収めるのに苦労した奮闘記が書かれていたような気がします。この本で北海道には全国版時刻表には載っていない幻の駅「仮乗降場」というのものがあるのを知りました。
@@Su---- さん:
種村直樹さんの本で,「北海道時刻表」の存在と仮乗降場の存在を知りましたね~。初めて北海道に渡った高校1年生の夏,青函連絡船の売店で北海道時刻表を購入して,仮乗降場をたくさん見つけた時には,本当にうれしかったと記憶しています。
@@芦田正博 「北海道時刻表」。弘済出版社版と日本交通公社版(現JTB)版の2種類がありましたが、弘済版の方はどうも時刻表記のところが、同じ時間帯だと"分"の2ケタのみの表記になるのが嫌いで、公社版が欲しかったのですが、当時、首都圏のどこの本屋さんでも入手できずでした。
ところが交通公社の支店経由で取寄せ可能なことがわかり、渡道の際は事前に注文入手して計画を立ててから北海道入りしました。
ローカルバス路線もたくさん載っており、途中下車したり折返し列車がない時に鉄道の補完になるのがわかったのが嬉しかったですね。
今夏はいくぞ〜北海道廃線巡り
都合が悪く無ければ、遠軽の行灯はいつまでも残して欲しいですね…どうせLEDなどもつかないだろうから…
中湧別の駅標 立派です
そして廃車両のマーク
今は亡き国鉄の印
ピアノのBGMが只々切ない。。。
突拍子もない駅は気になる。旭駅は30年間合計で乗降客は何人いたのだろうか。もちろん駅を見に来る客は別とした純粋な数が気になる。道内に住んでても知らなかった駅。「別」の多い地域は都市から遠いからなあ。