3分でわかるエドガー・ダイクストラ【構造化プログラミングの提唱者】
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- オランダの計算機科学者であり、構造化プログラミングの提唱者として知られるエドガー・ダイクストラを紹介します。
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こんにちは。人からわかる3分技術史。
今日はエドガー・ダイクストラについて勉強していきましょう。
エドガー・ウィーベ・ダイクストラ。1930年生まれ。オランダの計算機科学者であり、構造化プログラミングの提唱者として知られます。
ダイクストラは、ウィルヘルミナ女王時代のオランダ、ロッテルダムに生まれました。
ダイクストラの父親は化学教師であり、母親は優れた数学の才能を持っていました。
ダイクストラは当初法律家を志しましたが、高校では数学や物理学で高い成績を上げていました。そのため、1948年にライデン大学に進学し、理論物理学を学びました。
1951年、ダイクストラは父親の勧めでイギリスに渡り、ケンブリッジ大学で三週間のプログラミングの講座を受講しました。それがきっかけとなり、アムステルダムの国立数学研究所のアドリアン・ファン・ワインハールデンから、ダイクストラは研究所に勧誘されます。
当時コンピューターは登場し始めたばかりの新しい分野であり、プログラミングに関してもほとんど理論的な研究はなされていませんでした。そのためダイクストラは、プログラマーとなる場合には、理論物理学研究を諦める必要があると考えました。そしてダイクストラは、プログラマーになることを決断。1956年に大学を卒業し、国立数学研究所で本格的に働くこととなります。
ダイクストラの初期の仕事として知られるのが、「ダイクストラ法」です。グラフ理論における最短経路問題の探索アルゴリズムであり、現在でもインターネットのルーティングなどに利用されています。
また、研究所で設計されたコンピュータであるElectrologica X1の開発に関わりました。そこで、当時国際的に制定が進んでいたプログラミング言語であるALGOL60のコンパイラを、ヤープ・ゾンネフェルトとともに世界で初めて実装しました。
1962年、32歳ごろのダイクストラはアイントホーフェン工科大学に移りました。そこで、大学独自開発のOSであるTHEマルチプログラミングシステムの開発に従事します。
その研究のなかでダイクストラは、当時ほとんど理論がなかったプログラミングにおいて、その指針となる「設計原則」を見出していきました。ダイクストラは、プログラムは抽象化されたレイヤーによって切り分けられ、そのレイヤーごとに必要な機能のみを実装すべきだと考えました。このようなダイクストラの考えは「構造化プログラミング」と呼ばれるようになり、1968年に発表した文章『GO TO文は有害だと見なされる』で広く知られるようになります。
GO TO文とは、プログラミングにおいて処理を行う箇所を移動するための命令であり、当時は広く使われていました。ダイクストラの指摘は大きな反響を呼び、オブジェクト志向プログラミングをはじめとしたそれ以後のプログラミングパラダイムに大きな影響を与えました。
その後もダイクストラは、分散コンピューティングや並列処理など、コンピューティングとプログラミングの基礎技術において数多くの貢献を重ねました。
2002年、ダイクストラは癌により72歳で亡くなります。
現在においても、構造化プログラミングの提唱者として知られています。
以上!
いかがだったでしょうか。
『GO TO文は有害だと見なされる』というタイトルは印象深く、『グローバル変数は有害だと見なされる』『UNIXスタイルは有害だと見なされる』といったように、決まり文句として広く使われるようになりました。
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では、今日はこの辺でお開きと致します。また次回。
3;39「”ゆにっくしゅたい”は有害とみなされる」と聞こえたのですが。”ゆにっくしゅたい”とは何だろう?
内容が面白いのでチャンネル登録させていただきました。
ただ喋り方が硬いですw
もっと友人に話すように肩の力を抜いてください♪
元アナウンサーの老婆心です。
ありがとうございます。毎回緊張して硬くなってしまいますが、肩の力を抜くよう意識してみます。