Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
1日でも長く健康に幸せに暮らして頂きたいです。
すごいわかりすい!今の若い子にこういう体験を話してもらいたい!
普段は笑顔の上品な紳士が、鬼の形相になって「ソ連だけは絶対赦せん」とシベリア抑留の経験を話されたのが忘れられない。
茨城の人だね。私の故郷です。懐かしい。
100年1000年戦争を無くす思いをしかと受け取りました。私にも受け継ぐものが出来て嬉しい感じがします。戦争が起きないって凄いことなんだ。
シベリア帰りだからと就職差別があった、という事を初めて知りました理不尽ですね…よくぞ生きて戻られました。良かったです15歳で旅立ち、19歳で帰国…私はその年齢の頃、悩みがあって苦しんだけど、死を思う事はありませんでした自分は戦争を知らない、と思ってきましたが、終戦後たった22年経った時に生まれてきたんだな、と最近は考え方が変わりました戦争はしない事、はその通りだと思いますでも現在も、行われている私は鬱病療養中なので、心穏やかに、普通に生活できる事が望みで、それがいかに大切な事か、痛感しています
多分先に帰ってきた大陸戦線の兵隊らが共産党軍の洗脳処理を施されて帰還し、インターナショナルを歌いながら行進したり当時の共産党軍や対中協力者の宣伝を信じて暴れたからシベリア帰りも予防措置でやられたんでしょうね。共産党の記念館に行くと日本兵を「革命的」「反軍国主義の」「真実を教えた」という解説がついてたりするんですよ。しかも捕虜の使役は国際法違反ですが衛生活動に従事させたと堂々と言うので一時期日本で問題視されました。テレビではみたことありませんがウェイボや新華社で見ました。
私の祖母の兄にもシベリア抑留から生還された方がいました。が、亡くなるまで、家族にも抑留の話はほぼゼロに近い程しなかったそうです。レッドパージの実態も然ることながら、あまりに辛い経験故に話が出来なかったようだ。ということを祖母からは聞きました。祖母も大規模な空襲の中、奇跡的に生き延びたのですが、その凄惨な光景が90歳で亡くなる直前まで悪夢として出ては苦しんだ、と聞きました。又、医療の発達も現代とは違いますから、戦中に19歳だった姉を結核で亡くしたそうです。悪夢にうなされながら、戦後の動乱の中大変な想いをしながらも、「まだ生きなくちゃ」とふんばれたのは、若くして亡くなった姉や必死に帰ってきてくれた兄、そして戦死した兄たちの分の命を分けてもらったんだ。という想いが優ったからだと話していました。そして、「戦勝国」と呼ばれた国でも亡くなられた方やご遺族、PTSDで苦しみ続ける方が沢山いましたし、現在進行形でもあるかと思います。戦争は勝っても負けても良い事は無い。この言葉は、確かです。
なんで国のために戦って拉致されたのに国は仕事に就かせないんだ!!!!💢涙赤教育おわったんだろ、戦争🪖この人たちも人を殺した人に代わりわないかもしれないでも終わったんだろ。皆、苦しんだのになんで仕事雇われないとかイジメみたいな事が起こってるんですか…ショックです。なんでこんなどおどおと生きてられるんだ強すぎるし、ものすごく嫌な思いされたんだと思う。敬意を示します🫡
陸自なので軍種が違いますが大先輩の話は肝にくるものがあります。祖父は死体に紛れて手榴弾で巻き添えをしようとしたのですが「百年戦争だからまだダメだ。命を知る者は巌牆の下に立たずというではないか。きっと朝鮮に集結して今に大反抗をするんだから焦るなよ。」と言われてその一週間後に終戦になったそうです。はあ西洋かぶれが多い昭和にあって幕末志士のようなタイプの(孟子・尽心の上が諺の出典)教養人が生き残っていたとはと私は昭和も捨てたものではないと思いました。あの戦争は西洋を真似たが慣れないのによくは知らないくせに見栄を張ってしまった人たちが国民にも多かったということで昭和は好きではなかったので。祖父は三國志が好きで兵隊に志願したのもそういうのが影響していたようです。(相手に)戦争をさせなければ戦争は起きない。現代にあってはそう思います。
色々大変な人生だったんだろうなとは思いますが、赤の教育の内容が凄く気になる。
100年持たないかもしれませんね、周りは危険な国ばかりだから。
1日でも長く健康に幸せに暮らして頂きたいです。
すごいわかりすい!今の若い子にこういう体験を話してもらいたい!
普段は笑顔の上品な紳士が、鬼の形相になって「ソ連だけは絶対赦せん」とシベリア抑留の経験を話されたのが忘れられない。
茨城の人だね。私の故郷です。懐かしい。
100年1000年戦争を無くす思いをしかと受け取りました。
私にも受け継ぐものが出来て嬉しい感じがします。戦争が起きないって凄いことなんだ。
シベリア帰りだからと就職差別があった、という事を初めて知りました
理不尽ですね…
よくぞ生きて戻られました。良かったです
15歳で旅立ち、19歳で帰国…
私はその年齢の頃、悩みがあって苦しんだけど、死を思う事はありませんでした
自分は戦争を知らない、と思ってきましたが、終戦後たった22年経った時に生まれてきたんだな、と最近は考え方が変わりました
戦争はしない事、はその通りだと思います
でも現在も、行われている
私は鬱病療養中なので、心穏やかに、普通に生活できる事が望みで、
それがいかに大切な事か、痛感しています
多分先に帰ってきた大陸戦線の兵隊らが共産党軍の洗脳処理を施されて帰還し、インターナショナルを歌いながら行進したり当時の共産党軍や対中協力者の宣伝を信じて暴れたからシベリア帰りも予防措置でやられたんでしょうね。共産党の記念館に行くと日本兵を「革命的」「反軍国主義の」「真実を教えた」という解説がついてたりするんですよ。しかも捕虜の使役は国際法違反ですが衛生活動に従事させたと堂々と言うので一時期日本で問題視されました。テレビではみたことありませんがウェイボや新華社で見ました。
私の祖母の兄にもシベリア抑留から生還された方がいました。が、亡くなるまで、家族にも抑留の話はほぼゼロに近い程しなかったそうです。レッドパージの実態も然ることながら、あまりに辛い経験故に話が出来なかったようだ。ということを祖母からは聞きました。
祖母も大規模な空襲の中、奇跡的に生き延びたのですが、その凄惨な光景が90歳で亡くなる直前まで悪夢として出ては苦しんだ、と聞きました。
又、医療の発達も現代とは違いますから、戦中に19歳だった姉を結核で亡くしたそうです。
悪夢にうなされながら、戦後の動乱の中大変な想いをしながらも、「まだ生きなくちゃ」とふんばれたのは、若くして亡くなった姉や必死に帰ってきてくれた兄、そして戦死した兄たちの分の命を分けてもらったんだ。という想いが優ったからだと話していました。
そして、
「戦勝国」と呼ばれた国でも亡くなられた方やご遺族、PTSDで苦しみ続ける方が沢山いましたし、現在進行形でもあるかと思います。
戦争は勝っても負けても良い事は無い。
この言葉は、確かです。
なんで国のために戦って拉致されたのに
国は仕事に就かせないんだ!!!!💢涙
赤教育おわったんだろ、戦争🪖
この人たちも人を殺した人に代わりわないかもしれないでも終わったんだろ。皆、苦しんだのになんで仕事雇われないとかイジメみたいな事が起こってるんですか…
ショックです。
なんでこんなどおどおと生きてられるんだ強すぎるし、ものすごく嫌な思いされたんだと思う。
敬意を示します🫡
陸自なので軍種が違いますが大先輩の話は肝にくるものがあります。祖父は死体に紛れて手榴弾で巻き添えをしようとしたのですが「百年戦争だからまだダメだ。命を知る者は巌牆の下に立たずというではないか。きっと朝鮮に集結して今に大反抗をするんだから焦るなよ。」と言われてその一週間後に終戦になったそうです。はあ西洋かぶれが多い昭和にあって幕末志士のようなタイプの(孟子・尽心の上が諺の出典)教養人が生き残っていたとはと私は昭和も捨てたものではないと思いました。あの戦争は西洋を真似たが慣れないのによくは知らないくせに見栄を張ってしまった人たちが国民にも多かったということで昭和は好きではなかったので。祖父は三國志が好きで兵隊に志願したのもそういうのが影響していたようです。(相手に)戦争をさせなければ戦争は起きない。現代にあってはそう思います。
色々大変な人生だったんだろうなとは思いますが、赤の教育の内容が凄く気になる。
100年持たないかもしれませんね、周りは危険な国ばかりだから。