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公文は基礎学力身につく&家庭学習が自然にできる点は良いのですが、正直もともと素直で真面目な子(大人の指示に素直に従うタイプ)なら、、って感じです。また、先生の当たりはずれがめちゃくちゃあります。そもそも先生が自己肯定感下げるような話し方する先生だとマイナスです。幼児小学校低学年だと毒先生が正しいと思ってしまうので…うちは早々に教室変えたらとても良くなりました。
公文式で英数国で3学年上の学習を続けていたら中高ではあまり勉強に困ることはなく、今は医師として働いています。公文式は子供にもやって欲しいと思います。
公文生でした。公文をやらせてもらえて本当に良かったと常々思っています。まず、学習が習慣化されたこと。また、やればやるだけ上のレベルに上がれるため、主体的に努力するクセが身についたと思います。まさに動画で言及されている自己肯定感に繋がりますね。計算力、読解力、英語力の基礎がしっかり作れたことも大きいです。基礎がなってないと思考力もつかないし、思考力をつけようとも基礎がぐらついてると解けません。
早生まれの娘は小学校入ってからついていけず劣等感から勉強が好きではなく親のフォローもなかなか難しく公文に頼ろう!となりましが結果正解でした!早生まれの親としては学校の一律教育に限界を感じていました😅家での学習習慣をつけるところは親の頑張りも必要かなとは思います。あと公文がいくつか近所にありますが娘と相性のいい先生に出会えたのもでかかったです!中学になったら塾に切り替わるのかもしれませんがギリギリまでお世話になりたいです。
KUMONで基礎学力は身についたが、思考力が伸びなくて中学の数学で苦戦している生徒を多数みています。反復練習も大事ですが、機械的に練習しすぎた弊害ではないかと思っています。これから先の日本の子供たちに必要なのは『考える力』そして『問題を解決していこうとする』グリット力なのではないでしょうか。
まさしく!!!! 保護者も点数を上げてくれる塾ばかり気にしすぎ
自己肯定感は学習ではない箇所で伸ばすのが良いのではと感じました。もちろん学習でも自己肯定感を高められれば良いですが、学習が始まるまでの乳幼児期でしっかり自己肯定感の基礎を作る方がベストです。
連続運動はセロトニンを分泌するらしいので、定期的に?繰り返し?何かするというのは、それだけで良いのかもしれないですね。
❤素晴らしいです!なにかエビデンスなあれば他の方にも紹介しやすいので教えていただければ幸いです❤
公文の教育はコーチングに通じるものがある。スポーツを教えている人に聞いて欲しいね。俺も改めて確認できてよかった。声掛け一つで気付きを与える。気付きがあると考え方が変わる。考え方が変わると言動が変わる。言動が変わると行動が変わる。大人も子供もちょっとした事で変わるんだよ。
社会人になっても、後輩や部下育成などでも同じことが言えますね。
小中高全てにおいて思考力の養成は基礎学力(計算力や読解力)の基に成り立ちます。公文式はこの基礎学力で躓くことがなくなるので非常に良いと思います。
勉強になりました
何を間違えるかが重要なのに間違えるのが嫌いでズルする子どもっているんですよね〜🤔ある程度勉強できるのに多分親の圧のせいだと思う😢
勉強になりましたー
とても勉強になりました✨️3歳の息子がRUclipsばかり観ていて心配でしたが本人の中で飽きることもあるようで自ら外で遊びたくなってました。つい心配ばかりしちゃうので見守るのも大切にしたいと思います!教えていただいた声かけも今後伝えたいと思います!
自発性は大切ですが、スクリーンは脳に悪いのでスクリーンタイムはお約束ごとを決めて親が管理した方がお子様のためになるそうです。スティーブ・ジョブズやビルゲイツ 、脳科学者の茂木さんもお子さんのスクリーンタイムは厳しく制限されていたそうです。例え内容が勉強的な内容だとしても1時間以上見ると海馬が成長しなくなるそうで怖いですよね。
自己肯定の下り、人と比べるなら、自分が出来てることで比べる、って言うところで、金子みすゞさんの詩「わたしと小鳥と鈴」だったかな?を思い出しました。
2才児と4才児にくもんを通わせているのですごく勉強になりました!
小さな成功体験の積み上げというのはその通りだが、公文で最後までは行けんでしょ。公文で出来たつもりになっていても、中3や高校に入れば打ち砕かれて自己肯定感だだ下がり。やっぱり、いろいろなチャレンジをして、自分の本当に好きな事、向いている事を掴むのが自己肯定感には一番良いよ。
文系を選んだけど、今の子は文系でも数学が必要だし、SPIやIT系でも数学がいるから算数が圧倒的に得意でありたかった
勉強できれば学校の成績は上がるけど、社会に出て使える人間かどうかはまた別。天気のいい日に机に座ってる子供より外に出て遊びたいと思う方が自然かと。うちは養老孟司先生の教えを参考にしています。
現場の先生方の話だと、公文は低学年の頃はいいけど、高学年や中学生になると伸び悩むと聞きます。考える力が伸びないからです。公文やるのは、公文ではない塾の先生たちの話、いっぱい聞いてからにしたがいいよ。
勉強できない子どもは「苦手分野だけど、できるよう頑張るか」と思えない幼い性格
今の時代に公文式が厳しいのはわかるが自己肯定感と結びつけてプロモーションするのか。。。正直無理があると思ってしまった
@@tatsyou_mike ややゆややややや
公文で伸びる子も成長する子も多いと思う。ただ、私の周りで公文やってた子の8割くらいはめっちゃ字が汚かった、もしくは汚くなってた(笑)
数学科卒ですが。基礎力、体力づくりという点であれば必ずしも必要ないとおもっています。岡潔の考えに近いですが。ほんとに必要な基礎力、体力がなんなのかは考える必要があるかと。読み・書き・算盤で算盤はあまり使われなくなったとおもいますが。算盤だけでなく電卓もプログラミングもあまり使われなく可能性もありえるとおもいます。岡潔 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より多変数複素関数論には一変数複素関数論にはなかったような本質的な困難が伴う。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡である。特に当時の重要な未解決問題であったハルトークスの逆問題に挑み、約二十年の歳月をかけてそれを(内分岐しない有限領域において)解決した。その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず「岡潔」はニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともある。広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まった時、未解決問題であった代数多様体の特異点解消問題について日本数学会で講演した。その時、岡が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限条件を付けるのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。その後、広中は制限を外して理想化する形で解き、フィールズ賞の受賞業績となる。晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていた。この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。東京大学総長 五神真 令和2年度・東京大学秋季学位記授与式・卒業式 総長告辞 より自分の思考と体験の内側に沈潜することで、まさに無から有を生み出し、新たな学問領域を作る大発見をした日本人の数学者がいます。多変数解析関数論の岡潔先生です。岡先生は、数学を説明して「自らの情緒を外に表現することによって作りだす学問芸術のひとつ」であり、情緒を「知性の文字版」に書き出すことだと言っています。一般に、数学は論理的な学問の代表だと考えられています。私の専門の物理学でも、数学は論理的な思考を支え、その論理を記述するために不可欠の言語だと捉えるのが普通です。ですから数学は、情緒とは最も遠いように思えます。岡先生が生きた数学の世界では、数学者は単に数学の問題を解く冷静な機械ではなく、心に芽生えた数学の理想をありのままに表現するような理論を創作する芸術家だったようです。先生は、自らの内面に深く沈潜する過程は、数学でも芸術でも区別はないと話されています。連接層の理論は数学の3大分野、すなわち代数学、解析学、幾何学を結ぶ大きな飛躍で、やがて、この理論を土台として本学数学科出身の佐藤幹夫先生は代数解析学という新しい研究分野を創始します。この半世紀、理論物理学の最前線に活況をもたらしている場の量子論や超弦理論研究では、連接層は欠かせない概念なのです。岡先生は随筆集『春宵十話』の序文で、「人の中心は情緒である」が、情緒にはいろいろな色があり、それはたとえば春の野にはさまざまな色とりどりの草花があるようなものだと述べています。
これは案件ですか?😂
説明文にSponsored by KUMONとあるので案件です!!
@@eijuhirasawa9117 なるほど‼️🤭
十年くらい前はクモンビョウなどと保護者界隈で問題視されてました。男の子が学校で挙動不審になるんですよね。親は学校も塾の先生も信用していなかったですね。ひょっとして改善された??
親の経験のない人が親になって、上から目線で子育てをする。違うよ。親が子供に教わってるんだよ。親とは何ぞやを。子供には感謝しかない。「ありがとう」子供の年齢=親年齢一緒に成長して行くんだ。子供の成長に必死に追いつこうとしている親の背中を子供に見せる事が、親の1番の仕事かも知れない。
自己肯定感とか論じてる時点でなんかおかしいかなって思うし対話不能な人、今若い子でも多い。びびるわ。一緒に働きくないやつも多いし学校や家庭で一体何を学んできたのチミは。って毎回なる
公文は基礎学力身につく&家庭学習が自然にできる点は良いのですが、正直もともと素直で真面目な子(大人の指示に素直に従うタイプ)なら、、って感じです。また、先生の当たりはずれがめちゃくちゃあります。そもそも先生が自己肯定感下げるような話し方する先生だとマイナスです。幼児小学校低学年だと毒先生が正しいと思ってしまうので…
うちは早々に教室変えたらとても良くなりました。
公文式で英数国で3学年上の学習を続けていたら中高ではあまり勉強に困ることはなく、今は医師として働いています。公文式は子供にもやって欲しいと思います。
公文生でした。公文をやらせてもらえて本当に良かったと常々思っています。
まず、学習が習慣化されたこと。また、やればやるだけ上のレベルに上がれるため、主体的に努力するクセが身についたと思います。まさに動画で言及されている自己肯定感に繋がりますね。
計算力、読解力、英語力の基礎がしっかり作れたことも大きいです。基礎がなってないと思考力もつかないし、思考力をつけようとも基礎がぐらついてると解けません。
早生まれの娘は小学校入ってからついていけず劣等感から勉強が好きではなく親のフォローもなかなか難しく公文に頼ろう!となりましが結果正解でした!
早生まれの親としては学校の一律教育に限界を感じていました😅
家での学習習慣をつけるところは親の頑張りも必要かなとは思います。
あと公文がいくつか近所にありますが娘と相性のいい先生に出会えたのもでかかったです!
中学になったら塾に切り替わるのかもしれませんがギリギリまでお世話になりたいです。
KUMONで基礎学力は身についたが、思考力が伸びなくて中学の数学で苦戦している生徒を多数みています。
反復練習も大事ですが、機械的に練習しすぎた弊害ではないかと思っています。これから先の日本の子供たちに必要なのは『考える力』そして『問題を解決していこうとする』グリット力なのではないでしょうか。
まさしく!!!! 保護者も点数を上げてくれる塾ばかり気にしすぎ
自己肯定感は学習ではない箇所で伸ばすのが良いのではと感じました。もちろん学習でも自己肯定感を高められれば良いですが、学習が始まるまでの乳幼児期でしっかり自己肯定感の基礎を作る方がベストです。
連続運動はセロトニンを分泌するらしいので、定期的に?繰り返し?何かするというのは、それだけで良いのかもしれないですね。
❤素晴らしいです!
なにかエビデンスなあれば他の方にも紹介しやすいので教えていただければ幸いです❤
公文の教育はコーチングに通じるものがある。
スポーツを教えている人に聞いて欲しいね。
俺も改めて確認できてよかった。
声掛け一つで気付きを与える。気付きがあると考え方が変わる。考え方が変わると言動が変わる。言動が変わると行動が変わる。
大人も子供もちょっとした事で変わるんだよ。
社会人になっても、後輩や部下育成などでも同じことが言えますね。
小中高全てにおいて思考力の養成は基礎学力(計算力や読解力)の基に成り立ちます。公文式はこの基礎学力で躓くことがなくなるので非常に良いと思います。
勉強になりました
何を間違えるかが重要なのに間違えるのが嫌いでズルする子どもっているんですよね〜🤔ある程度勉強できるのに
多分親の圧のせいだと思う😢
勉強になりましたー
とても勉強になりました✨️3歳の息子がRUclipsばかり観ていて心配でしたが本人の中で飽きることもあるようで自ら外で遊びたくなってました。つい心配ばかりしちゃうので見守るのも大切にしたいと思います!教えていただいた声かけも今後伝えたいと思います!
自発性は大切ですが、スクリーンは脳に悪いのでスクリーンタイムはお約束ごとを決めて親が管理した方がお子様のためになるそうです。
スティーブ・ジョブズやビルゲイツ 、脳科学者の茂木さんもお子さんのスクリーンタイムは厳しく制限されていたそうです。例え内容が勉強的な内容だとしても1時間以上見ると海馬が成長しなくなるそうで怖いですよね。
自己肯定の下り、人と比べるなら、自分が出来てることで比べる、って言うところで、金子みすゞさんの詩「わたしと小鳥と鈴」だったかな?を思い出しました。
2才児と4才児にくもんを通わせているのですごく勉強になりました!
小さな成功体験の積み上げというのはその通りだが、公文で最後までは行けんでしょ。
公文で出来たつもりになっていても、中3や高校に入れば打ち砕かれて自己肯定感だだ下がり。
やっぱり、いろいろなチャレンジをして、自分の本当に好きな事、向いている事を掴むのが自己肯定感には一番良いよ。
文系を選んだけど、今の子は文系でも数学が必要だし、SPIやIT系でも数学がいるから算数が圧倒的に得意でありたかった
勉強できれば学校の成績は上がるけど、社会に出て使える人間かどうかはまた別。
天気のいい日に机に座ってる子供より外に出て遊びたいと思う方が自然かと。
うちは養老孟司先生の教えを参考にしています。
現場の先生方の話だと、公文は低学年の頃はいいけど、高学年や中学生になると伸び悩むと聞きます。
考える力が伸びないからです。
公文やるのは、公文ではない塾の先生たちの話、いっぱい聞いてからにしたがいいよ。
勉強できない子どもは「苦手分野だけど、できるよう頑張るか」と思えない幼い性格
今の時代に公文式が厳しいのはわかるが自己肯定感と結びつけてプロモーションするのか。。。正直無理があると思ってしまった
@@tatsyou_mike ややゆややややや
公文で伸びる子も成長する子も多いと思う。
ただ、私の周りで公文やってた子の8割くらいはめっちゃ字が汚かった、もしくは汚くなってた(笑)
数学科卒ですが。基礎力、体力づくりという点であれば必ずしも必要ないとおもっています。岡潔の考えに近いですが。
ほんとに必要な基礎力、体力がなんなのかは考える必要があるかと。
読み・書き・算盤で算盤はあまり使われなくなったとおもいますが。
算盤だけでなく電卓もプログラミングもあまり使われなく可能性もありえるとおもいます。
岡潔 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 より
多変数複素関数論には一変数複素関数論にはなかったような本質的な困難が伴う。これらの困難を一人で乗り越えて荒野を開拓した人物こそ岡である。
特に当時の重要な未解決問題であったハルトークスの逆問題に挑み、約二十年の歳月をかけてそれを(内分岐しない有限領域において)解決した。
その強烈な異彩を放つ業績から、西欧の数学界ではそれがたった一人の数学者によるものとは当初信じられず「岡潔」はニコラ・ブルバキのような数学者集団によるペンネームであろうと思われていたこともある。
広中平祐が33歳でコロンビア大学教授に就任が決まった時、未解決問題であった代数多様体の特異点解消問題について日本数学会で講演した。
その時、岡が立ち上がり、問題を解くためには、広中が提案したように制限条件を付けるのではなく、むしろ逆にもっと理想化した難しい問題を設定して、それを解くべきであると言った。
その後、広中は制限を外して理想化する形で解き、フィールズ賞の受賞業績となる。
晩年の主張は超高次元の理想である真善美妙を大切にせよというもので、真には知、善には意、美には情が対応し、それらを妙が統括し智が対応すると述べた。
一方で日本民族は人類の中でもとりわけ情の民族であるため、根本は情であるべきとも語った。
三高時代、岡は友人に対し「僕は論理も計算もない数学をやってみたい」と語っている。
岡の考えでは論理や計算は数学の本体ではなく、表面的なことを追うだけでは答えが見えてこないと思っていた。
この見えざる数学の本体に迫ることと、仏教的叡智や情緒の探求は岡にとって表裏一体であったと考えられる。
東京大学総長 五神真 令和2年度・東京大学秋季学位記授与式・卒業式 総長告辞 より
自分の思考と体験の内側に沈潜することで、まさに無から有を生み出し、新たな学問領域を作る大発見をした日本人の数学者がいます。多変数解析関数論の岡潔先生です。
岡先生は、数学を説明して「自らの情緒を外に表現することによって作りだす学問芸術のひとつ」であり、情緒を「知性の文字版」に書き出すことだと言っています。
一般に、数学は論理的な学問の代表だと考えられています。
私の専門の物理学でも、数学は論理的な思考を支え、その論理を記述するために不可欠の言語だと捉えるのが普通です。ですから数学は、情緒とは最も遠いように思えます。
岡先生が生きた数学の世界では、数学者は単に数学の問題を解く冷静な機械ではなく、心に芽生えた数学の理想をありのままに表現するような理論を創作する芸術家だったようです。
先生は、自らの内面に深く沈潜する過程は、数学でも芸術でも区別はないと話されています。
連接層の理論は数学の3大分野、すなわち代数学、解析学、幾何学を結ぶ大きな飛躍で、やがて、この理論を土台として本学数学科出身の佐藤幹夫先生は代数解析学という新しい研究分野を創始します。
この半世紀、理論物理学の最前線に活況をもたらしている場の量子論や超弦理論研究では、連接層は欠かせない概念なのです。
岡先生は随筆集『春宵十話』の序文で、「人の中心は情緒である」が、情緒にはいろいろな色があり、それはたとえば春の野にはさまざまな色とりどりの草花があるようなものだと述べています。
これは案件ですか?😂
説明文にSponsored by KUMONとあるので案件です!!
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十年くらい前はクモンビョウなどと保護者界隈で問題視されてました。男の子が学校で挙動不審になるんですよね。親は学校も塾の先生も信用していなかったですね。
ひょっとして改善された??
親の経験のない人が親になって、上から目線で子育てをする。
違うよ。
親が子供に教わってるんだよ。
親とは何ぞやを。
子供には感謝しかない。
「ありがとう」
子供の年齢=親年齢
一緒に成長して行くんだ。
子供の成長に必死に追いつこうとしている親の背中を子供に見せる事が、親の1番の仕事かも知れない。
自己肯定感とか論じてる時点でなんかおかしいかなって思うし
対話不能な人、今若い子でも多い。びびるわ。一緒に働きくないやつも多いし
学校や家庭で一体何を学んできたのチミは。って毎回なる