苦悩の根元を断ち切る仏教【ブッダの教え】.
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- Опубликовано: 15 сен 2024
- 腹痛患者が病院に駆けつけた時、まず医者がするのは診察です。
診察もないまま、いきなり注射を打ったり、手術したりはしません。
腹痛を引きおこした原因が分からぬままでは、的確な治療はできないからです。
同様に、私たちが幸せになるためにまず大事なのは「私を幸せにさせない原因は何か」苦しみの元を正しく知ることです。
人生を苦に染める元凶は何か、正しく見きわめ、それを取り除いてこそ真の安心・満足が得られます。
苦悩の根元の究明こそ、人類最大の急務である、と仏教が説くのはそのためです。
では「あなたを苦しませる原因は何ですか」と人に尋ねれば、どんな答えが返ってくるでしょうか。
「金がないからだ」「病気だからだ」「こんな人と結婚したからだ」「才能がないからだ」「こんな性格だからだ」.....
苦しみの原因をこれらのものだと見定めて、何とか無くせないか、せめて軽減できないかと、日夜努力をしているのが、私たちの毎日の生活といえましょう。
ところが仏教ではこれらの苦しみは「苦しみの枝葉」であり、「苦しみの根元」ではないと説かれているのです。
「枝葉だって?バカを言え、カネがないのがすべてのつらい人生の原因なんだ」
「この病気のためにどれだけ人生、損をしてきたか、枝なんかでない、苦しみの元だ」
と私たちには金がないことや、病気であることや、配偶者のことや、性格や才能が苦しみの原因としか思えないのですが、お釈迦さまはそれらは全部苦しみの枝葉だよ、と説かれています。
なぜこれらが枝葉だと言われるのか。
それは枝葉は切っても切っても、またあちこちから生えてくるように、私たちの人生におけるこれらの苦しみも、一つ乗り越えてヤレヤレと思う間もなく「一難去ってまた一難」で、思わぬ苦しみが次々と現れるからです。
ある女性が夫の暴力で苦しんでいた。
「いっそ別れなさい、まだあなたは若いのだから」と心配して周りが忠告しても、なかなか女性はその一歩が踏み切れないでいる、そんなケースはよく耳にします。
夫が原因で苦しんでいるのなら、離婚すればいいのに、と傍から見ると思いますが、なぜ奥さんは躊躇するのでしょうか。
それは、別れれば夫の暴力という苦しみはなくなりますが、今度は、女手一つで二人の子供をどうやって育てればよいかという、また今までとは違った苦しみがのしかかってくるのが分かるからでしょう。
たとえ思い切って離婚し、昼も夜も働いて経済的に何とかなる目処が立ったとしても、今度は仕事の無理がたたり、病気になる、という苦しみが襲うこともあります。
苦しみの枝葉をやっとの思いで切ると、今度は違う方向から生えてくる。
その枝を切ると、また思わぬところから生えてくる。
枝葉を切るのも一苦労だし、どうせまた生えるのなら、このまま目をつぶって生えたままにしとこうか、と投げやりにもなる。
切っても生え、切っても生え、色や形を変えて現れる悩みにあれこれ対処しているうちに、歳取って死ぬ。
それが人生なら、人間はなんといったらいいでしょう、
苦しむために生まれ、苦しむために生きる存在になってしまうではないですか。
ではなぜそうなってしまうのか。
それはただ一つ、苦しみの根元を知らないからです。
枝を伸ばし、葉を茂らすのは、養分を根っ子から吸い取っているからです。
枝を一本切ったところで、根元からしっかり養分を吸い取っている限り、他の枝葉が成長していくだけです。
ちょうどそのように一つの苦しみを乗り越せたところで「苦は色変わる」で次から次へと苦しみが出てくるのは、苦悩の根源があるからなのです。
この本当の苦しみの原因を知り、それを取り除いたときにこそ、「この身になるための人生だったのか」と真の幸福になれます。
その苦悩の根源を徹底究明されたのがブッダであり、ブッダの教えは、その苦悩の根源を断ち切る教えです。
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(自己紹介)
1988年早稲田大学を中退し、仏教講師の道を目指す。
浄土真宗親鸞会で仏教講師の資格を取得、全国各地で公開講座を始める。
2010年からメールマガジンをはじめ、読者12000人の仏教最大級のメルマガ執筆
2014年からは全国をつなぐオンライン講座の動画レクチャーでも活動中。
有難うございます。概要も拝読し、悪雲が竜神に吹き去ってもらえたスッキリ感です。
妬み・妄想・被害妄想・八つ当り等醜い人は、ああならぬ様と遠巻きに。スマホ時代とやらになり、ある意味で生きづらい世の中。三度食べられ布団で眠れる幸せ。何時も機嫌良くが目標にします。大変深い話、有難うございます。
真剣に聴聞することの重要性があらためて出来ました。
ありがとうございました。
この動画は、分かりやすくて好きな動画の一つです。ありがとうございました。
先生有難うございました。🙇♀️
尊い、ご説法、誠に、ありがとうございました。
合掌
いつもありがとうございます
涙ながさずにはいられません。自分が本当に未熟すぎて生きているんだと、思ってしまいます。感謝しています。ありがとうございました。
生きている間は悩み絶えない
分かりやすいご説明に納得しました。自分を誤魔化さず真剣に聴聞いたします。根本は自己の無明の闇❗菊谷さんいつもありがとうございます。🙇感謝しています。🙏
いつもお忙しいところ、尊い法話ありがとうございます。自覚症状がない無明の闇、この解決に向けて聴聞させて頂きます。季節の変わり目お身体を大切にご自愛くださいませ。合掌。🙏
ありがとうございます 自分の心にある無明の闇が一念で破れる仏教を誤解なく聴聞することが一歩と云うことがわかりました
お話、聴聞しました。ありがとうございます。
ありがとうございました。感謝しています。自分をみつめさせられてしまいます。ありがとうございました。
今日もありがとうございます。🍭🤱🍬🤱🍛🤱🍝🤱🍜🤱
今日はオシャレで素敵ですね!とてもお似合いですよ!
菊谷先生、今回も大切なお話と有り難い説法に心より深く感謝申し上げます。本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。三戸拝🙏🙏🙏
人生の後悔は、現在まで積み重ねてきた懈怠の総量だと思います。
*自覚症状の無い病気。*と、無明の事を例えて下さったあたりは、素晴らしいと思いました。😊本当にそんな感じだと思いました。。
菊谷先生、お疲れ様です。
テーマと無関係ですが、カジュアルスーツとてもお似合いです😆👍
大体みんな、周りを大切にすれば自分に返ってくると分かっていながらなのに(悪い事に協力するは悪い事・大切にしない)、なかなかできない、出来ても難しく大変だと、やっていくうちに、螺旋階段を上るように。
苦しみと思わないで学びだと思えばいいんだよね‼️😊自分に対する客観性・正義感という目だよね‼️
夫婦離れても親子は、離れられない
苦しみのなる木の喩えは実感します
仏教の小冊子
私を幸せにさせない5つの間違った常識
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こちらからどうぞ。
樽を知るということですね
うちの父は私が幼少期から酒乱で母に暴力は振るうわ生活費は入れないわ女癖は悪いわで、母も私も父から得るものも無ければ失うものも何も無かったので母と一緒にバッサリ枝を切っても新たな苦しみや不安の実がなるどころか母子家庭となり、確かに経済的には大変でしたが、母と2人で毎日笑いながら質素に過ごせて幸福感しかありませんでした。腐った枝は恐れずサッサと切り落とすべきです。そして、その樹から離れれば、新たな樹に出会えますので。
よく人生相談で加藤諦三先生が、そんな夫とは今すぐ別れなさい、と仰っていますが、本当にそれでいいのかな~?と思っていましたが、いいんですね。
大変勉強になりました、ありがとうございます。
大賛成❤ これからも楽しい日々がありますね😊
@@cufk1101
悩みの原因だと思っているものは勘違い・・・。根本原因ではない。仏教を通じて、根本原因を知ることの大事さを感じました。いつも貴重な動画をありがとうございます。
南無阿弥陀仏
無明の闇を破ると言うことは悟りを開くことに相当すると思われるので、一般凡人には難しいと思うでござるが?
仏教ガチでスゴイぞ。。
もしも船についているプールで
泳いでいるならば、泳ぐ事は楽しいはず
です。
もしも海の中で泳いでいるならば、
一刻も早く助けを求めるべきだと
思います。
私は権化の人間なので、無明煩悩なんてありません。いつから衆生は無明の闇を抱えるようになるのでしょう。できれば、主神様に取っていただきます。
いつもありがとうございます。
無明の闇を破るための聴聞で、苦しみから解放されるというお話にいつも勇気付けられるのですが、その肝心の、聴聞の内容のお話はいつもあまり無いのが残念です。
親鸞の教えの中身をもっと知るには自分で勉強しるしかないのでしょうか。
出来れば、このチャンネルで先生に解説いただけると、大変わかり易くて有難いと思います。
どうぞよろしくお願い致します、
無明を破るというのは悟るということです。聞くだけで成し遂げられるものじゃありません。浄土教は修行無しで阿弥陀様が救ってくれる教えですので、南無阿弥陀仏と念じていれば極楽浄土へいけるのです。
短い動画でお話しし、初めて聞かれる方にもわかるようにと話をしているのがなかなか難しく、力量がないせいで、分かっていただけないこと、申し訳ないです。わかっていただけるよう、努力してまいります。
一瞬にして消す方法は?
弥陀の本願力を聴聞することです。
聞いても中々わからない
結局どうにもならないって事?
僕は凡人なので無明の闇よりもいつものネクタイではない襟周りが気になってしまいました
生きるとは苦です。
認識自体が苦の正体なので、輪廻に生きている限り苦は無くなりません。
無明は生まれの原因です。 十二因縁で調べれば分かりますが、無明が最初にあります。
無明を苦の原因と言うのは間違いではありませんが、「無明だから生まれる。 生まれるから生きている。 生きているから苦しむ。」と理解するのが正しそうです。
無明を直接無くす方法が無い(少なくともお釈迦様はそんな方法は知らない)ため、十二因縁の途中にある「愛(渇愛:もろもろの執着とイメージすると近いでしょう)」を無くす方法を説かれました(その結果、無明も消えます)。
お釈迦様は八正道の実践で(真理を自ら確認し、その結果渇愛が無くなることで)解脱すると説かれていますが、一念で無明が消えるとは言っていないと理解しています。
一念で無明の闇が破れる、と説かれているのが、大無量寿経の釈迦の教説です。
@@byBuddhism
ご返信ありがとうございます。
「一念」とは何か? これは、なかなか難しい問題だと理解しています。
最終的に無明が消える際には「一念」があるのだと思いますが、そこに至るまでには修行の実践が必要だと思い、「一念で無明が消えるとは言っていない」と表現させて頂きました。
上記はお釈迦様が語られたとされる経典を基に判断いたしましたが、経典については釈尊入滅後2500年程度経っていることもあり、その経緯を正しく把握することは非常に困難との認識です。
そのため、私は第一結集で確定されたとされる「長部、中部、相応部、増支部、小部(※)」のパーリ五部を基本にお釈迦様の教えを学んでおります。
(もっとも、相応部、増支部、小部は極めて短い文の集合体であり、背景やお釈迦様の意図を汲み取るのは非常に困難なため、長部と中部しか読み込んでいません。)
長部、中部を基にすると、確かに「一念で無明の闇が破れる」という表現に違和感は無いのですが、それは阿羅漢の道心の一念で無明が破れる事が想起されるためです。
それまでは色界第四禅定に至るまで止瞑想を実践し、過去世を自ら知り、観瞑想で預流、一来果、不還、阿羅漢と段階的に智慧を磨くものと理解しています。
大変失礼かと存じますが、大乗仏教については、どうしても「相応部、増支部、小部等の短い文(お釈迦様の発言)を基に、後世にて行間が埋められ、お釈迦様の意図から外れていってしまったのではないか」と思えてしまいます。
(私はそれ程詳しくないのですが、個人的には龍樹菩薩が難行道と易行道に分けて語られたことが大きく影響したのではないかと想像しています。)
実際、経典中最古とも言われているスッタニパータには以下のように記載されており、やはり『「独坐と禅定」(止観瞑想の実践)は必要である』、『瞑想実践で執着を捨てることができると煩悩の流れ(輪廻転生)を乗り越えることができる』と説かれているものと考えます。
〈69偶〉「独坐と禅定を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法のとおりに行い、諸々の生存における患いを確かに知って、犀の角のようにただ歩め。」
〈1082偶〉「この世において見解や学問や思索や戒律や誓いをすべて捨て、また種々のしかたをすべて捨てて、愛執をよく究め明して心に汚れのない人々 一 かれらは実に煩悩の流れをのり超えた人々であるとわたしは説くのである。」
〈1119偶〉「つねによく気をつけ、自己に固執する見解をうち破って、世界を空なりと観ぜよ。そうすれば死をわたることができるであろう。このように世界を観ずる人を死王は見ることがない。」
なお、1119偶に「世界は空なりと観ぜよ」とありますが、これは決して「世界は空のみである」という意味では無いです。
この世界は有無の波(生住滅の繰り返し)で成り立っているというのが諸行無常の意味です。
通常は有(認識と対象の何れもが有る状態)しか認識できないことに対し、無(認識もしくは対象が無い状態)を観れるようになれ、というのが「世界は空なりと観ぜよ」の意味だとの理解です。
一方、後の仏教では、この「世界は空なり」の言葉だけが独り歩きしたように思われる思想も散見されます。
やはりお釈迦様の極短い発言を基に、後世にて行間が埋められたケースが多いと考えるのが妥当だと感じております。
もろもろ大乗仏教を否定するような事を書かせて頂きましたが、私自身は大乗仏教がダメだとの意図はありません。
お釈迦様自身も、自身が悟られた際に「これは教えても理解されないだろう」と考え、そのまま入滅されようとしていました。
しかし、色界梵天に「一部には理解できる人もいるはずだから、教えを広めて欲しい」と請願され、教えを説かれるようになりました。
そのように、ほとんどの人にとって悟りの境地に至ることは極めて困難でしょう。
そうであればこそ、お釈迦様が在家信者等に語った「より幸せに生きるための方法」を説くことも極めて有意義だと感じます。
大乗仏教の教えでは悟りに至ること、涅槃に至ることはありません。 残念ですが、教えを聞くだけで悟ることは事実上無いと考えるのが妥当です。
それで良いと思います。到達が極めて困難なゴールを目指すのではなく、より良く生きる道を説くことも非常に有意義だと考えます。
ただ、、、「お釈迦様が言った」と言うと(部分的な発言としては嘘でないにしても)それは嘘になります。
長部・中部経典を読む限り、無明の闇を破るには修行の実践が不可欠です。
→比叡山で行われていたような苦行も誤りです。 お釈迦様は苦行では悟れないとし、苦行を捨てられました。 苦行ではなく、自身の認識能力を極限まで高める訓練が必要です。
以上、長文となり、また不快に思われる点も多々あったかと存じますがご容赦いただけますと幸いです。
※ 小部のうちいくつかは第二結集以降に追加されていますが、ほぼ第一結集で確定された認識ですので、私自身は第一結集で確定されたものに準ずると考えています。
執着しない事👦🏻
答えがないですね
バッチも無いし、カジュアルですね。