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考えれば考えるほど孔明の任命責任が1番大きい気がするな
劉備が見る目が良すぎたと言うか、用人が巧かったと言うか
「その用兵は複雑で不可解であった」この一文だけで馬謖のこといろいろ察しますね…
現場の人間が理解できない、実行できない命令なんて意味がないということですよね
複雑だけならまだしも不可解という所がもう色々とだめというのが察せられる。
馬謖「つっつまり、高度の柔軟性を保ちつつ、臨機応変に対処しようと…」諸葛亮「要するに、行き当たりばったりということになるな…」
「くそっ! 僕の作戦は完璧なのに、現場の兵士にバカしかいない!」とか平然と言ってのけるタイプって事かぁ……日本企業の上司にも馬謖は沢山いるorz
旧日本軍にもアメリカ軍の反撃が開始されると急に勝てなくなり後ろに下がって黙り込んだ辻という男がおりましてね・・・・・・・
動画内でも言われていますが水場を押さえられる兵力があるにもかかわらずそれをせずに大多数を山に上げる というのが致命的すぎて何とも言えませんそしてそこを的確についた張コウと自分のできる範囲で敗戦処理をしようとしている王平は改めて歴戦の将だと思いました
馬謖は「水を断って背水の陣を敷けば兵もより一層命懸けで戦うだろうから短期決戦で挑もう」としたのがガイテイに陣取りした理由らしい。
@@さすらいのトマト それって背水の陣の本質を理解してない将校がやりがちな典型的な失敗例では…韓信の場合は手持ちの兵が劉邦に優秀な兵を奪われた残りの練兵も途中の寄せ集めの兵だったから敢えて死地に置いたはずしかも背水の陣はそれだけでは真価を発揮せず他の戦術と組み合わせてこそ初めて効力を発揮する戦術だし(韓信は敵を引き付けてる間に別動隊で本拠地を攻略した)馬謖の困ったちゃん( ;´・ω・`)
@@ゴキスケ-h1t 背水の陣った勘違いしてる人が多いですよね並行して別の策を走らせておかないと、ただの自滅行為ですからね(笑)
張郃のお母さんの流れが、この動画で1番好き❤️
山に兵置くにしても配分逆にしてたらなぁ。本隊は城に籠って街道封鎖の防御戦に徹っさせて、千人規模の奇襲部隊を山の裏手にでも隠しておいて、隙があったら大将の張郃の首狙って突っ込ませるなり、後方に回り込んで背後を突かせて相手混乱させるなり使い道があったろうに。もちろん水も確保しておいてだけど。
うぽつです、浸透襲撃さんの解説は非常に分かりやすく私は歴史として三國志を見ることは全くなかったのでいつも新鮮な感想を抱かせてもらっています
張郃は馬超との戦いのときにも涼州に来てますからね。地形もよくわかってたでしょう。
漢中で劉備軍とも戦ったから、街亭辺りも通ったことあるだろうな。
横山光輝三国志でも馬謖は「功を焦った」事で王平の言う事に耳を貸さずに最悪の結末を迎えたうえ、「泣いて馬謖を斬る」のシーンでも実は結局最期まで自分の非は認めていないという有様でしたね。本当に現場経験のない人をトップに据えるとろくな事がねえ…。(げんなり)
・・・演技だけを見ると少し前に加入した姜維に対して焦燥感があったのでは?と考えます。デビュー戦が孔明の策の裏を掻く。更に趙雲・魏延という蜀の将軍の2トップと一騎打ちで渡り合う・・・馬謖は内心面白くなかった・・・という考察を昔にしてました
『孫子』に水源の話がなかった(なかったではなく、少ないだけ)のは、斉国出身で、呉の国に仕えた孫武の活動範囲は基本、黄河下流や長江の中流・下流だったから、という可能性もありますね。『孫子』では湿った場所に陣を取るなというところからも、「水が足りない」よりも「過剰な水にはご用心」というテンプレートが垣間見できると思います。
樊城の于禁軍も水害でやられた所を関羽に襲われて居ましたし、水源は大事だか水害にも気を付けよっていう事なんでしょうね…
ベターじゃなくてベストを目指して戦おうとした新人司令官・馬謖もさることながら新人総司令官・諸葛亮も最大のチャンスだった第一次北伐時は最初の孟達への工作あたりから不手際が目立つ経験なしじゃ人間どんなに知識があってもうまく物事を回せないという良い事例だよな
貴方が仰ると説得力が違いますね…。
@@usaginanoha ご本人は草w
「別に山なんだから山頂あたりから川ぐらい流れてるだろ」と思ってたのかもしれませんね。現代だったら、都会暮らしに慣れすぎて「あ、〇〇忘れた。まあ別に途中のコンビニで買えばいいか。」と思ってたら、向かってた先はコンビニなんて存在ない場所だった・・・。ってことでしょうね。
元々 水に恵まれている荊州の出身だから その考えに至ったのかもしれませんね
敵の布陣見て焦らず最善の一手が打てるさすがこの時代屈指の名将張郃ですね
黄巾の乱からって…踏んだ場数が違い過ぎるでしょうよ…。馬謖に少し同情します。
まさしく。ていうかこんな良将が地方の最前線にいるということ自体、魏国における人材の厚みを感じる。
@@コモセン 曹仁でさえ呉との最前線に居た程だから。
浸透襲撃さんの考察は昔から勉強させてもらってますテンポ良いし面白い!!
当時の蜀の諸将が言っていた様に実戦経験豊富な魏延か呉懿辺りを派遣すれば問題なく勝てた戦でしょうね。この後ご存知の通り馬謖はこの敗戦の責任で処刑されて諸葛亮は愛弟子の処刑を見て泣きますがその理由が正史だと素直に馬謖の為に泣いた、ですが演義だと馬謖を抜擢して重大任務任せた自分の不明さの為に泣いたと馬謖を死体蹴りしてます、演義の作者はこの敗戦と馬謖に対してそういう感想をしていたのでしょうね
正史に注釈入れた人だって董卓がやられた後に残党は残らず切れって言われてた時に「ばらけて逃げても捕まってやられるだけだし(特に俺)、一か八か残党集めて都攻めよう」で成功して生き延びた賈詡を「こいつのせいでまた都が滅茶苦茶じゃねーか、なんでこいつが有能扱いなんだ」って避難してるし、人物評価に個人的な部分が多く入るのは仕方ない部分もあるな演義は(主に蜀)一部人物を少し有能にした原作準拠再構成型二次創作だからしわ寄せが行くのはしゃあない。「本人の能力はどうあれ国を滅ぼした国主は暗君」って文化もあったし
あえて山に登った第四次川中島の戦いが語り草となった謙信、あえて山に登ったら全滅して歴史に汚名を残した馬謖 どうして差がついたのか 慢心、環境の違い
川中島は霧が濃霧の地帯だったので偽報で武田軍を撹乱に成功したのに比べ、ガイテイは「木が少なく包囲をされやすい丘のような地形とは言え味方からの兵糧の輸送が困難になる反面、麓の魏軍が丸見え」と言うことを重視した馬謖が歴戦の張コウ相手に背水の陣を敷いて失敗したガイテイと川中島を比べルのは川中島が可哀想w
謙信は軍師いらずの曹操タイプの武将。比較にならない。
だって、妻女山の麓って千曲川だぞ。兵隊が万いても水なんて余裕よ。
結論:王平は頑張った。
敗残兵を収容しかつ撤退も成功する有能っぷり。流石は戦役後昇進する人は違いますね。
馬謖の出身地の荊州や本拠地の蜀、孫子の国の呉は長江流域で、降水量が多く、山の中の谷に水が豊富にあったのがデフォルトだったんじゃないかな?(日本の山みたいに)ところが街亭のある地域は風土が違って山上で水が得られなかったのが誤算だった?(スリキンではこの描写があった)
木々が生い茂ってないと水が蓄えられないから岩山には水源がない場合が多いことまで計算してなかった可能性はありますね。
なるほどねぇ出身から水はどこにでもあるという認識の間違いが歴史を大きく変えた可能性か
おお、なるほど。動画中の「掘れば出るやろ」がその通りだったと。逆に魏は領国内。地理も特性も知っていたでしょうね。素晴らしい見解です。
街亭のあたりはいわゆる黄土高原に含まれており、近くには川も流れてますが、黄土高原の水理を一言で言うと、『100メートルの砂漠の砂の下に川が流れてる』とか『川の流れが黄土層を100メートル侵食して街道ができたような地形』とか、『水が避けていったところが山になった』という状態です。てっぺんには樹木がいくらか生えており、段々畑もあるなど、一見すると湧水もありそうに見えるのですが、上述の黄土高原特有の水理事情により、水は100メートル掘るか、近くの川からくみ上げるしかないんです。ちなみに、黄土高原で画像検索すると、街道を迂回する気が一発で無くなるような地形が出てきます。普通なら街道封鎖しますわ・・・
@@hirosat5269 画像検索しました、これは水が手には入らない状況が兵に認識されたら恐怖で軍団が瓦解するレベルですね…
なん…だと…また続くだと…なるべく早めのupをお願いしますみょんwホンマに初期の兵站の話とかをもう一度見て待ってます。
三国志大戦とかだと、張コウと馬謖が語ったりするんだよね、いや張コウで馬謖を撃破したときだけどね。そん時にお水の話はよーく語られてたから、まあそういうことですね。
いつも分かりやすくて面白い動画をありがとうございます。どうかup主様も御無理なさらずくれぐれもご自愛下さって下さいね。
有利と思える場所を手に入れるとそこに固執して敗北する、自ら流動性を無くすアウステルリッツの3帝会戦の様に「故に兵に常勢無く、水に常形無し」だな
せめて、王平を大将に馬謖を副将にして、王平の補佐&兵の動かし方の勉強にしておけば、勝てずとも任務遂行自体は問題は無かったのに。馬謖のプライド的にそれは嫌だったのかもしれんが、北伐ってのは国家の威信、国是を懸けた軍事行動なのに、結局馬謖は個人の感情で動いて全軍に影響を及ぼしてしまったのがね。実戦経験の無さが仇になりましたな。
王平は元張魯及び魏と仕えてきた降将だから流石に大将としては無理だと思う。勿論、この後実績を残して漢中太守までなるんだけど・・・。それと王平はろくに字も読めなかったのもあるかもね。馬謖は相当バカにしてたんだと思う。
ずっと武官だった王平のほうが慎重な意見なのが面白いです戦の難しさを知ってるのでしょうね
王平この時最底辺の部将だからここに副将として来れただけありがたいと思えよ的な立場やもんなあ、仕方ないね
BGMが空の軌跡じゃないですか。ナイス選曲!
麻雀の例え分かりやすかった笑
晩酌中に通知来てビックリした姿勢を正して高評価を押して、視聴準備完了。
ところで街亭の戦いで蜀軍が勝っていたら、その後はどうなっていたんだろう?①長安を落とせた?②長安を落とせないまでも、漢中まで戻らず済んだ?(このまま膠着状態になっていた?)
お疲れ様です。楽しみにしてましたよ。
毎回楽しみに観ています。考察力が凄い、とても勉強になります。
食糧や時間が足りなかったにしても魏軍は自国領土内なので隴山や天水地方の地理に詳しい参謀を用意しないできない理由がないので相手が張コウクラスじゃなくても参謀の「あの辺(馬謖の山)にぃ美味い水が湧くところないらしいっすよ」という意見を聞き入れる将軍だったらそれだけで普通に負けてた可能性も…相手が張コウじゃなかったら素直に下山できてたかな…?
つまり、例のアレは街亭の戦いを前にした作戦会議だった…?
見たけりゃ見せてやるよ(地獄を)
馬謖がもうちょっと実戦経験を積んでたら変わってたんかな…?それか実戦経験豊富な武将を指揮官、馬謖が参謀みたいな感じにしてれば…。
馬謖自体はそれなりに経験もしてたはずだよ。 問題は人の上に立った時。全体像を見てばかりで足元を見てなかった。折角部下の王平が過ちを指摘してくれたのに採用せず、活かすことが出来なかった。負けが確定した後も更に意固地になり、敗戦が大惨敗に悪化。結果、蜀本隊に影響が出て千載一遇の機会を逃してしまう訳で・・・
王平が参謀やって諫めたけど無視したんやで
王平が自分に意見してきたのが腹立って冷静さを失ったのかもしれんw
ちょうど気候区分の境目で、馬謖も出身地・任地共に今まで水資源に恵まれてたから、(もしかしたら総司令官も)抜けちゃってたのかな?
BGMが空の軌跡とは素晴らしい!
そもそも重要拠点が山に築かれているわけでもないのに、初の実戦で大手柄を立てる目的で基本指示すら無視して山に登って決戦挑もうとして、水源の確保すらせず水を絶たれ、焦って攻撃して大敗。実践豊富な王平にも止められてたのにもかかわらず・・・・・・・弁明の余地なしってところですよね。
平地に城があって山に物見櫓すら無い時点であれ?って思わないといけませんよね。水とか道とか問題があるからそうなっているのに。
ガイテイが「守りやすく攻めやすくもある地形」と言うことに気づけない馬謖。
馬謖は方面軍の司令官だからな。実践経験が少ないやつを当てるべきじゃない。孔明の任命責任の方が重い気がする。
しかし、これほどの将(張郃)がなぜ袁紹軍で三軍を任されなかったのかと思うことが。史実で見ても、公孫瓚戦で武功を挙げた分、顔良や文醜よりも優秀な気がします。
顔良&文醜が何をして袁ショウの顔なのかはイマイチ分かってはないけど張コウが身分の低い家柄だったのかもな。なにせ袁ショウは見栄を気にする人物だからな。
張郃は河間張氏という名門の出ですよ。前漢の趙王張耳の子孫にあたる家系で、彼の曾祖父の兄弟には司空になった張敏という人がいます。袁紹に用いられなかったのは彼が元韓馥軍の将だからかと。
まあこの時点で張コウは何十年と戦歴を重ねた名将ですからね袁紹の所に居た時とは何もかも変わってたんじゃないですかね
張コウ側の視点ありがとうございました、実際、言うほど楽な状況ではなかったんですよねただ、兵法書に書かれてはいなくとも相手の弱点を正確に見抜き、対処できる辺りがやっぱ名将と呼ばれる所以なんですよね日本だと中華に比べると行軍距離が比較的短いため兵站の問題が前面にでて来にくくて、前線指揮官がおおいばりして、後方の兵站担当をバカにする風潮がありましたからね、良い例が加藤清正と石田三成ですまあそれが原因で日本の大陸進出は戦国時代も近代も頓挫したのは皮肉な話ですよね
軍は動く胃袋である。とはよく言いますものね。
改めて夷陵での大敗による人材不足が痛い。蜀漢を建国した英雄にして衰退させた劉備……
何とかと煙は高いところが好き
張郃としたら隴西に入れたはいいけど補給路の確保も難しく退路を絶たれる危険もある中で蜀軍の別働隊と戦い勝利して隴西地方全体の蜀への反攻の気運を高めたかった所に馬謖のこのミスは渡りに船みたいな感じやろな。もし、この方面に派遣されたのが馬謖ではなく歴戦の将であったなら張郃に負けたとしてもこの後の隴西地方争奪戦はかなり長引いたやろな。
馬謖は斬ったけど撤退戦でチョウコウを討ち取ると言うおまけがあるからプラマイ0!!(むしろプラス?)
「高さが足りない!」絶対言うと思ったw
この戦い、せめて水場さえ守れたら変わっていたのかもな…
待ってたぜよ
確かに100%間違ってる訳じゃないけどまぁ相手が悪かったね優秀な上に経験豊富で百戦錬磨の張コウじゃねぇ状況考えればこのクラスの将校が来るのは予想出来ただろうしだからこそ孔明は街道を押さえろって指示を出したのかもね。
仮に指揮官が凡将で着陣の時点で強襲を選択したとしても、馬謖が決戦全振りで集中した戦力を南山にコンパクトに布陣しているのを見たらとりあえず包囲してから攻撃、ってなりそうな気がします。そうしている間に勝手に水が尽きて窮地に陥ってしまう。張郃は歴戦の名将ですが仮に指揮官が別の人でも結構敗けてたんじゃないかと。
確かにそこそこの将ならそうなりそうですが王平の別動隊も居た訳ですし歴史上でこのパターンで壊滅した例も多々ありますから凡将…(夏侯ボウ)みたいなのだと無理かも
初陣に近いだけに馬謖でも出来そうな作戦を任せたと予想します孔明自身が慎重派ですしね
張コウのツヨキャラ感よ。めちゃくちゃ面白かった。それと、音楽素敵です。
15:57の張郃のセリフが全てですよね。この程度の人材しか蜀にはいなかったんだとおもいます。外交に無頓着な、明らかに不適格者である関羽を荊州の守備につかせざるを得なかったことも然り・・・
そういえば昔のあの兵站シリーズはニコニコにはあげないんですか?
これ張コウのほうがよっぽど無理ゲーだったんですね。食料は有限、情勢も不明、時間もない状況で万単位の命をあずかって長距離遠征して来いって……。実は断りたくて仕方なかったのではw
張コウさんて、銀英伝のビュコック提督のような人ですね。お年寄りかつ歴戦の強者。困難な任務だから「若い者には任せられんな」と引き受けたのかも知れません。
張コウは定軍山での合戦の際に夏候淵の副官を勤めたけどその夏候淵が討ち取られたから復讐戦だったのかも知れない。ガイテイの後に撤退した蜀軍を追撃したのもやはり張コウだったし。
馬謖が十分な水を持って登山してたら包囲しても時間かかっただろうし、相手が水持ってないことなんて分かるもんなのかな。当時の装備じゃ大量の水を持ち運びするようなことが出来なかったのかな
人1人が1日2リットル必要だそうです。仮に1万人いたとして1日で20t。半分でも10t。一か月立て篭もろうとしたら300〜600tですからまず無理ですね。
お待ちしてましたみょん✨頭の中で、みょんみょんループしてるみょん✨
うぽつです。今回も、とても解り易かったです。でも小町は馬謖よりも魏延とかの役だった方が良かったんじゃないかなとも……MMDでの爆乳もとい武官 寄りそうな見た目のイメージで(ぉ
馬謖が優秀だったとして、馬謖の優秀さは事務的なことでの優秀であって、現場指揮官としての優秀ではなかったってことなんやろな馬謖は兵法を「知ってる」だけで使うことはできなかったんだと思うあんまり詳しいわけじゃないけど、馬謖は諸葛亮の後釜より李厳の後釜の方が合ってる気がする
そうですね政務等の文官としては優秀だったのでしょう
石田治部少「呼んだ?」
100日後に死ぬ馬謖w
結局頭でっかちな参謀の連中は行軍中の水の確保の苦しさを知らないんだね。(元体育会山岳部)
血気盛んな若者ならともかく、馬謖は確か40歳くらいだったはず。名を上げる為に完全勝利の目指した布陣、水を絶たれるという大失態、敗走からの逃亡。個人的には見苦しいと感じる。
若手扱いされやすい陸遜についても、デビュー戦の樊城の戦い時は36歳…。こちらは、ちゃんと実績を残しましたが。
いや、逆にもう40に何の武功もなかったからこそ、だと思う、もっと若かったらこんな風にはなってないでしょうそれが街道封鎖では時間稼ぎはできるかもないけど最終的な敗北は必至、デビュー戦で敗北とか馬謖のようなエリートにとって勝ちの可能性があるならそこにしがみつきたくなる、のもわからんではないよ
@@くま爺-t4z 確かに、40そこそこで功績なしはよほど人間性が優れてないと、陰で何か言われてもおかしくないです。なので、功績をあげたい馬謖の気持ちはわかります。
戦場だけで世界が完結しているわけじゃないですもんね…。人間の世界は、昔から世知辛いですね。
王平をみょんみょん呼ばわりしてるけどのちの名将なんだよね。
この頃には孔明の信頼あったぞ?王平は南中征伐に出てた時から活躍あるしな。
三国志大戦ではお世話になりましたw
@@peppertaro2224蜀や蜀込み多色デッキでは,奴がいるだけで安定感がまるで違いましたよね
エリートコースまっしぐらのプライド高い事務やってた本社の人間がいきなり現場出ろって言われたところでどうなのよ?経験ないし焦るわな。部下の学歴低い現場監督(王平)に指示書に従ってやりましょうと言われたら独りよがりにもなる。それに同僚たちを手柄立てて出し抜きたいからなおさらね。上司()の配置ミスなのは間違いない。
分かりやすすぎる…せめて馬謖さんが謙虚な人物だったなら…。
旅順攻略は戦術的には厳しい結果であるが、戦略的には正しく、あの戦闘の白兵戦においての鬼神の如き日本兵の働きの所為でロシア軍では、下に至っては兵の戦意喪失を齎し、上に至っては将軍が何人も失い、遠くに至っては帝政ロシアが崩壊するという一大ターミナルポイントですよね。(日本にとっても以降精神論に重きを置く誤った戦略を選ばせる切っ掛けとなるのが残念な所です)
ゲームでも有利な地形から突撃して敵の軍勢を一気に溶かすってかなりの快感でロマンあるから気持ちは凄く解るあくまでもゲームではね
日本は水が豊富にあるせいか、山の表面にに必ずしも水があるとは限らないことは知られていないようです。富士山は、水が染み込みやすい地質なので、水無川ばかりなのに。
今回は南三局だったのか次回オーラス編やね
張郃が名将過ぎるんだよな 大軍を率いてるとはいえ強行軍を率いた張郃が馬謖のミスを正確につき勝利した定軍山でもみせた冷静さ個人的に司馬懿より張郃の方が圧倒的にこわいと感じる馬謖ではなく魏延だった世界線をみてみたい
劉備も諸葛亮も張郃を恐れていたと言われていますね。
それ以上に馬超が生きてる世界線なら蜀漢ハッピーエンドだったでしょうねw
@@kelberous471 そうですねこの時代だと張郃が戦に関しては最強だと思います諸葛亮の北伐の最大の戦果は張郃を討ち取ったことだと思いますね司馬懿の失策ですが
@@卯月-k7y 馬超が生きてたら羌族がなびくんで、北伐もうまくいった可能性が高まりますね
馬岱じゃだめですか。w
チョウコウって巴蜀へ侵入して最後は張飛に追い出されるけど人員を補充して目的達成したり今回の第一次北伐の最大の功労者になったりして優秀なはずなのになんで第4次で追撃して討たれてしまったのかそれだけが残念5男坊はまだ余力があるうちに戦局打開するために決戦すべきだったのかなあ国力から考えて第一次北伐に動かせる兵数は蜀軍全体で多くて4,5万人の動員その内丞相本隊祁山3万人白眉の弟に任せた軍勢は街道封鎖用だから多くて1万人 陽動の趙雲には5千から1万人ほど四川盆地国境の東南西の方面に守備要員と漢中の東の上庸と西の陰平方面の備えも必要だから国力限界の10万人動員の半分といったとこですかねただこの時期1年半も10万人は動員し続けられないはずなので国全体では常時は多くて6,7万人で交代しながらと仮定ですでないと生産者がおらへん状態になると思うんでにしても魏軍が急いで来たから目論見としてはそんなに多くの兵が来ると思ってなかったのが敗因?上記の人数も推測でしかないんですが実は超硬さん5,6万人くらいで大挙して来ちゃったのかもですね戦いは数だよアニキ状態に陥ったのかも
あれはシバイが愚策をやれと強要したから。元々シバイは忠義心に篤く名将だったチョウコウを警戒していたから。
@@mentaiko-pasta 確かに芝居が上役になって提案を却下されてその上ムリな命令下されて死んだようなものですね曹真が亡くなって運が尽きてしまった感じですね
この時点で下山するというのは第4回川中島のときの謙信の行動というやつですねそれも夜陰に紛れての行動があればまだ目があったと 今のアルプスのようにヘリコプター下山が出来ればまだまだ終わらんかったのかなあ
うp主さん、再生リスト「三国志関連」に他投稿者の動画が混じっています。突発コメ返しとこの下山編の間です。
有難うございます。何故混入したのか分かりませんが消去しておきました。
よく馬謖と比較される趙括のときは水はあったんだよなあ・・・。48日間も持ちこたえてるわけだから。
それ程長期間だと果実等でも水分補給とかしていそう。
いきなり空の軌跡www
一兵卒ならともかく敵がミスすること(水源を発見できない)を前提に作戦を立てたんなら、司令官としてはやっぱり横山版を見た感想の「ただただ無能」と変わらないんでない?
100日も保てばよかったねぇ(白目
孫子ってやっぱりすごいなあ
まってましたあああああああああああああああ
食料は20日水は奇跡的に長くて一週間だっけ?なくて生きていけるの。
前回の動画で指摘した現存艦隊主義が出てきたのに驚きました‼️馬謖も海軍でいう現存艦隊主義を貫いていたら、こんな大敗は無かっただろうし、第一次北伐も違った結果になっただろうに、功を焦った結果山上に籠ったのに水源を確保していないという初歩的失敗をして負けてしまった但し逆を言えば水源を確保出来ていればいいわけです水源というのは井戸だけではありません元々山というのは雨水を貯め濾過する自然の貯水槽の役割を持ちますそういった雨水が濾過されて流れ出すのが川の源流な訳で、麓とかでそういった場所を確保していれば長期間立て篭ることも出来たかもしれませんそして動画にも触れている様に近くに城がありましたここにも兵を駐留させて山頂に篭る馬謖軍と連携して麓も含めた防衛体制を構築できていたら、馬謖軍は長期間張郃軍をここに釘付けにできたかもしれませんまあ実際の地形を知ってるわけじゃないですから、そういった連携が本当にできるか?確信があるわけではありません但、日本でも山城の麓にも出城の様な防衛拠点を構築し、山と平野の双方で連携して防衛することはありますし、馬謖が城に篭らず山に篭ったのも、純粋に防衛としては、この山に利点があったのだと思いますので、もう少し上手いことしてたら馬謖にも勝機があったんじゃないかなとは思いますここら辺りは次回の動画で考察が観れると思いますので期待しています
張郃は地形や状況に応じて臨機応変な作戦を立てて成功させる達人と言われた名将ですから、蜀軍にとっては一番やばい部類の相手でしたね。でも、この動画でも触れてるけど、他の魏のめぼしい将軍も大して能力変わらないというね……。一番トップの曹叡からして天才的軍才の持ち主でしたし。結局、蜀軍がどんなに上手くやっても、曹叡が長安まで出張って、夏侯楙はさっさと更迭されていたので、長安を落とすのは無理だったと思います。
完全に兵法書ばかり読んで実戦経験のない馬謖の負け。それに相手は実戦経験豊富な曹魏三代に渡って仕え戦い抜いて来た老猛将の張郃だからかなり分が悪いですね。
ダイの大冒険の名言キタ!!
演技主体の横山光輝三國志でも水絶たれて馬謖敗北の末、王平と援軍に来た魏延が相当苦戦してましたね…主力を街道に、伏兵として何割か山中に置く位なら流石の張コウも苦戦したかも…堂々と大軍を山頂に置くのは…
張コウはやはり歴戦の武将だから魏延が馬謖救出に来ようとひねりの無い正攻法の救出戦では苦戦はするわなぁ…
やっぱり夷陵の敗北が痛いなー 歴戦の士官と将官が全滅してたんだもんなあ 金と物は用意できたが、人は数だけで質が整うには時間が必要だった。。
張郃先生が横綱(曹真)のネタをいつの間にか伝授されてる(笑)。それはともかく、改めてこの街亭の戦いの経過をみると、長平の戦いのミニチュア版に見えてくる。学校秀才の無能司令官・趙括と秦軍の無敗の名将・白起。街亭の戦いの馬謖と張郃のポジションが見事に一致する。趙括も馬謖も己の才の過信から、自分の国の滅亡のきっかけを作ってしまう。趙括は長平で戦死してそれ以上の生き恥はさらさずに済んだ。馬謖は自分が散々コケにした王平のおかげで戦死は免れる。だが・・・。
馬謖「くそっ!張郃、張郃、張郃!どいつもこいつも張郃!」趙括「なぜだ!なぜ白起を認めてこのオレを認めねぇんだ!」(ドガァッ)馬謖&趙括「「 ん? 」」馬謖&趙括「「 心の友よぉ~~~っ!! 」」
『下山すべきだった編』…ww(≧▽≦)♪
コメ返しで出た列柳城ですがwikipediaでは現在の甘粛省天水市張家川回族自治県とあるので山脈を超えた後の南へ行く道側に高翔が居たのかなと思います。で、そのまま西に行く道側が街亭…と思いきや街亭古戦場はこの南と西の街道の中間点で直で通じる道がありません。なぜ馬謖はこんな所に居たのか?魏軍はなぜそのまま西へ進まなかったのか?私の予想は南側の道が高翔、西側の道が王平、馬謖は側道の封鎖だった。しかしこっちに魏軍は来ないだろうと踏んで両者の中間地点の見晴らしが良い山で待機、魏軍が来た方に迎撃に行こうと考えていたのでは?しかし魏軍は索敵で両街道封鎖に気づき、唯一封鎖されていない馬謖側に来たのでは?というものです。
張郃のセリフがダイ大のマトリフ師匠w
張郃は大魔導士だった…?まぁ、実力的にはそういうレベルなんでしょうね。きっと。張郃「賢者だと?ケッ!ドスが効いてねぇだろーが」馬謖「こっ、こええよこのじいさん!」
城でも井戸がないと籠城も出来ん。というか蜀道の険を知るなら水の重要さも理解しそうなんだが…
ガイテイは丘のような山だから水には困らなかったけど食料が不足してたんだ。麓の魏軍にしか目が行かずに敵指揮官の情報などを集めなかった馬謖の無能さよ。
ある意味運が悪い、ふつう、水なしで山登ってたら喉が渇いて行軍が困難になって登れんわこれってなる頂上いけても、水が使い切ってたら即行動不能になるのなんてさすがにわかる雨が降ったか湧水があったかしらんが、行動不能になるまで水不足に気がつけない(問題化してない)なんて状況自体が稀
コメ返し動画でうp主さんが言ってたのは登山家さんとohheyさんが語尾以外の設定が同じって事?
3部4部5部とてんこ盛りでディ・モールト!お腹いっぱいですありがとうございます。
10:13 ルチャやってそう。
動画のヘリ攻撃でラノベの日本国召喚を思い出した
にわかの個人的な意見ですけど、パッと見てみると馬謖に非はあれど私は無能と思えませんでした敵将が有能すぎるとも捉えられました
敵将が、血気盛んで功を焦るような性格であれば、山頂に突撃してくれた可能性も、充分ありますよね。で、疲労して水場に来た魏兵を王平隊が叩いたり、麓まで進んで馬謖隊と挟撃したりも出来たでしょうね。
うぽつ!!!!!!
でもこれ、水さえなんとかなれば馬謖勝ってたわけだよね。水調達の方法さえあれば…。ペットボトルに詰めて大量に山の上まで運んでおくとかすればわりといけるかもだ。
下山編来ちゃ❗待ってたんだ❗
旅順攻囲戦は第一回総攻撃はその時の常識からすれば妥当なものだし、第二回以降は都度戦訓に対応してるから無謀な攻撃じゃないし露軍の損害も相当だしww1の泥沼塹壕戦考えれば近代要塞をあれだけの犠牲で落としたことは特筆すべきことだし乃木司令部有能だし結論司馬遼太郎は老害
一旦降伏して兵站圧迫ってあり得たんですかね?
>弁当は持ったか?>お小遣いは持ったか?の流れに>お祈りは済ませたか?>ガタガタ震えて命乞いをする準備はOK?が続くかと思った
物見を山に上げておくのは意味あるかもしれないが、水の確保が無い山頂は守るに厳しいでしょうね。
海辺で黄河の河口の斉に住む孫子さんは水を心配するような場所にはあまり行かなかったのかもな。
有ったんだ城
王平や廖化は、派手な功績こそ無いけれど……戦場で最大の強みである『死なない』ことに特化した繋ぎ役のような人材だったんだよなぁ。
孫子から一部を借用するなら「良将は地味な戦いを大事にする」といったところでしょうか。
春秋戦国時代は、あまり北方の乾燥地域で戦争してないせいか、水の確保が大変とは孫子とかには書いてないんだよな。雨や自然の川とかで済ませていたんだろう。
確かに(敵が)水汲みが先に水飲んでたら水が不足してるって言ってたけど、それ以外ないよね
もうカルネージハートEXAはしないんですね…
旅順攻略戦については、良い解説動画が有るので、そちらをご覧になって頂くとして、旅順要塞攻略=203高地攻略=旅順艦隊殲滅じゃないんですがね。早い話、戦略的には海軍の失敗の尻拭いを陸軍がした格好ですね。「坂の上の雲」は初戦小説なのですが、それに引き摺られた論評が未だに多いのがアレですが、最近では乃木より児玉が無能だったとか、乃木はむしろ兵力温存主義で火力を有効に使った等の評価が固まりつつありますね。
水源のないところで陣地を張る事自体おかしく、山を登った後なら尚更。水の問題を認識するのに2〜3時間あればわかる事なので、水のない山にあえて登った別の理由が有るのでは? 例えば魏軍が予想よりずっと早く接近していて、街道封鎖はとても間に合わない。有利な地形を陣取るためにヤケクソで山登ったら水源がない、麓にすでに魏軍がいたとか。
リアルタイム映像なんて残ってないですもんね…。ドラえもんのタイムテレビ(?)でもあったらいいのに。
考えれば考えるほど孔明の任命責任が1番大きい気がするな
劉備が見る目が良すぎたと言うか、
用人が巧かったと言うか
「その用兵は複雑で不可解であった」この一文だけで馬謖のこといろいろ察しますね…
現場の人間が理解できない、実行できない命令なんて意味がないということですよね
複雑だけならまだしも不可解という所がもう色々とだめというのが察せられる。
馬謖「つっつまり、高度の柔軟性を保ちつつ、臨機応変に対処しようと…」
諸葛亮「要するに、行き当たりばったりということになるな…」
「くそっ! 僕の作戦は完璧なのに、現場の兵士にバカしかいない!」
とか平然と言ってのけるタイプって事かぁ……日本企業の上司にも馬謖は沢山いるorz
旧日本軍にもアメリカ軍の反撃が開始されると急に勝てなくなり後ろに下がって黙り込んだ辻という男がおりましてね・・・・・・・
動画内でも言われていますが水場を押さえられる兵力があるにもかかわらず
それをせずに大多数を山に上げる というのが致命的すぎて何とも言えません
そしてそこを的確についた張コウと自分のできる範囲で敗戦処理をしようとしている王平は改めて歴戦の将だと思いました
馬謖は「水を断って背水の陣を敷けば兵もより一層命懸けで戦うだろうから短期決戦で挑もう」としたのがガイテイに陣取りした理由らしい。
@@さすらいのトマト
それって背水の陣の本質を理解してない
将校がやりがちな典型的な失敗例では…
韓信の場合は手持ちの兵が劉邦に優秀な兵を
奪われた残りの練兵も途中の寄せ集めの兵
だったから敢えて死地に置いたはず
しかも背水の陣はそれだけでは真価を
発揮せず他の戦術と組み合わせてこそ
初めて効力を発揮する戦術だし
(韓信は敵を引き付けてる間に別動隊で
本拠地を攻略した)
馬謖の困ったちゃん( ;´・ω・`)
@@ゴキスケ-h1t
背水の陣った勘違いしてる人が多いですよね
並行して別の策を走らせておかないと、ただの自滅行為ですからね(笑)
張郃のお母さんの流れが、この動画で1番好き❤️
山に兵置くにしても配分逆にしてたらなぁ。本隊は城に籠って街道封鎖の防御戦に徹っさせて、千人規模の奇襲部隊を山の裏手にでも隠しておいて、隙があったら大将の張郃の首狙って突っ込ませるなり、後方に回り込んで背後を突かせて相手混乱させるなり使い道があったろうに。もちろん水も確保しておいてだけど。
うぽつです、浸透襲撃さんの解説は非常に分かりやすく
私は歴史として三國志を見ることは全くなかったので
いつも新鮮な感想を抱かせてもらっています
張郃は馬超との戦いのときにも涼州に来てますからね。
地形もよくわかってたでしょう。
漢中で劉備軍とも戦ったから、街亭辺りも通ったことあるだろうな。
横山光輝三国志でも馬謖は「功を焦った」事で王平の言う事に耳を貸さずに最悪の結末を迎えたうえ、
「泣いて馬謖を斬る」のシーンでも実は結局最期まで自分の非は認めていないという有様でしたね。
本当に現場経験のない人をトップに据えるとろくな事がねえ…。(げんなり)
・・・演技だけを見ると少し前に加入した姜維に対して焦燥感があったのでは?と考えます。
デビュー戦が孔明の策の裏を掻く。更に趙雲・魏延という蜀の将軍の2トップと一騎打ちで渡り合う・・・
馬謖は内心面白くなかった・・・という考察を昔にしてました
『孫子』に水源の話がなかった(なかったではなく、少ないだけ)のは、
斉国出身で、呉の国に仕えた孫武の活動範囲は基本、黄河下流や長江の中流・下流だったから、という可能性もありますね。
『孫子』では湿った場所に陣を取るなというところからも、
「水が足りない」よりも「過剰な水にはご用心」というテンプレートが垣間見できると思います。
樊城の于禁軍も水害でやられた所を関羽に襲われて居ましたし、水源は大事だか水害にも気を付けよっていう事なんでしょうね…
ベターじゃなくてベストを目指して戦おうとした新人司令官・馬謖もさることながら
新人総司令官・諸葛亮も最大のチャンスだった第一次北伐時は最初の孟達への工作あたりから不手際が目立つ
経験なしじゃ人間どんなに知識があってもうまく物事を回せないという良い事例だよな
貴方が仰ると説得力が違いますね…。
@@usaginanoha ご本人は草w
「別に山なんだから山頂あたりから川ぐらい流れてるだろ」と思ってたのかもしれませんね。現代だったら、都会暮らしに慣れすぎて「あ、〇〇忘れた。まあ別に途中のコンビニで買えばいいか。」と思ってたら、向かってた先はコンビニなんて存在ない場所だった・・・。ってことでしょうね。
元々 水に恵まれている荊州の出身だから その考えに至ったのかもしれませんね
敵の布陣見て焦らず最善の一手が打てる
さすがこの時代屈指の名将張郃ですね
黄巾の乱からって…踏んだ場数が違い過ぎるでしょうよ…。
馬謖に少し同情します。
まさしく。ていうかこんな良将が地方の最前線にいるということ自体、魏国における人材の厚みを感じる。
@@コモセン 曹仁でさえ呉との最前線に居た程だから。
浸透襲撃さんの考察は昔から勉強させてもらってます
テンポ良いし面白い!!
当時の蜀の諸将が言っていた様に実戦経験豊富な魏延か呉懿辺りを派遣すれば問題なく勝てた戦でしょうね。この後ご存知の通り馬謖はこの敗戦の責任で処刑されて
諸葛亮は愛弟子の処刑を見て泣きますがその理由が正史だと素直に馬謖の為に泣いた、ですが演義だと馬謖を抜擢して重大任務任せた自分の不明さの為に泣いたと
馬謖を死体蹴りしてます、演義の作者はこの敗戦と馬謖に対してそういう感想をしていたのでしょうね
正史に注釈入れた人だって董卓がやられた後に残党は残らず切れって言われてた時に
「ばらけて逃げても捕まってやられるだけだし(特に俺)、一か八か残党集めて都攻めよう」で成功して生き延びた賈詡を
「こいつのせいでまた都が滅茶苦茶じゃねーか、なんでこいつが有能扱いなんだ」って避難してるし、人物評価に個人的な部分が多く入るのは仕方ない部分もあるな
演義は(主に蜀)一部人物を少し有能にした原作準拠再構成型二次創作だからしわ寄せが行くのはしゃあない。
「本人の能力はどうあれ国を滅ぼした国主は暗君」って文化もあったし
あえて山に登った第四次川中島の戦いが語り草となった謙信、あえて山に登ったら全滅して歴史に汚名を残した馬謖 どうして差がついたのか 慢心、環境の違い
川中島は霧が濃霧の地帯だったので偽報で武田軍を撹乱に成功したのに比べ、ガイテイは「木が少なく包囲をされやすい丘のような地形とは言え味方からの兵糧の輸送が困難になる反面、麓の魏軍が丸見え」と言うことを重視した馬謖が歴戦の張コウ相手に背水の陣を敷いて失敗したガイテイと川中島を比べルのは川中島が可哀想w
謙信は軍師いらずの曹操タイプの武将。比較にならない。
だって、妻女山の麓って千曲川だぞ。兵隊が万いても水なんて余裕よ。
結論:王平は頑張った。
敗残兵を収容しかつ撤退も成功する有能っぷり。流石は戦役後昇進する人は違いますね。
馬謖の出身地の荊州や本拠地の蜀、孫子の国の呉は長江流域で、降水量が多く、山の中の谷に水が豊富にあったのがデフォルトだったんじゃないかな?(日本の山みたいに)
ところが街亭のある地域は風土が違って山上で水が得られなかったのが誤算だった?(スリキンではこの描写があった)
木々が生い茂ってないと水が蓄えられないから岩山には水源がない場合が多いことまで計算してなかった可能性はありますね。
なるほどねぇ
出身から水はどこにでもあるという認識の間違いが歴史を大きく変えた可能性か
おお、なるほど。動画中の「掘れば出るやろ」がその通りだったと。
逆に魏は領国内。地理も特性も知っていたでしょうね。
素晴らしい見解です。
街亭のあたりはいわゆる黄土高原に含まれており、近くには川も流れてますが、黄土高原の水理を一言で言うと、
『100メートルの砂漠の砂の下に川が流れてる』とか『川の流れが黄土層を100メートル侵食して街道ができたような地形』とか、『水が避けていったところが山になった』という状態です。
てっぺんには樹木がいくらか生えており、段々畑もあるなど、一見すると湧水もありそうに見えるのですが、上述の黄土高原特有の水理事情により、水は100メートル掘るか、近くの川からくみ上げるしかないんです。
ちなみに、黄土高原で画像検索すると、街道を迂回する気が一発で無くなるような地形が出てきます。
普通なら街道封鎖しますわ・・・
@@hirosat5269 画像検索しました、これは水が手には入らない状況が兵に認識されたら恐怖で軍団が瓦解するレベルですね…
なん…だと…
また続くだと…
なるべく早めのupをお願いしますみょんw
ホンマに初期の兵站の話とかをもう一度見て待ってます。
三国志大戦とかだと、張コウと馬謖が語ったりするんだよね、いや張コウで馬謖を撃破したときだけどね。そん時にお水の話はよーく語られてたから、まあそういうことですね。
いつも分かりやすくて面白い動画をありがとうございます。どうかup主様も御無理なさらずくれぐれもご自愛下さって下さいね。
有利と思える場所を手に入れるとそこに固執して敗北する、自ら流動性を無くす
アウステルリッツの3帝会戦の様に
「故に兵に常勢無く、水に常形無し」だな
せめて、王平を大将に馬謖を副将にして、王平の補佐&兵の動かし方の勉強にしておけば、勝てずとも任務遂行自体は問題は無かったのに。
馬謖のプライド的にそれは嫌だったのかもしれんが、北伐ってのは国家の威信、国是を懸けた軍事行動なのに、結局馬謖は個人の感情で動いて全軍に影響を及ぼしてしまったのがね。実戦経験の無さが仇になりましたな。
王平は元張魯及び魏と仕えてきた降将だから流石に大将としては無理だと思う。
勿論、この後実績を残して漢中太守までなるんだけど・・・。
それと王平はろくに字も読めなかったのもあるかもね。馬謖は相当バカにしてたんだと思う。
ずっと武官だった王平のほうが慎重な意見なのが面白いです
戦の難しさを知ってるのでしょうね
王平この時最底辺の部将だからここに副将として来れただけありがたいと思えよ的な立場やもんなあ、仕方ないね
BGMが空の軌跡じゃないですか。
ナイス選曲!
麻雀の例え分かりやすかった笑
晩酌中に通知来てビックリした
姿勢を正して高評価を押して、視聴準備完了。
ところで街亭の戦いで蜀軍が勝っていたら、その後はどうなっていたんだろう?①長安を落とせた?②長安を落とせないまでも、漢中まで戻らず済んだ?(このまま膠着状態になっていた?)
お疲れ様です。楽しみにしてましたよ。
毎回楽しみに観ています。
考察力が凄い、とても勉強になります。
食糧や時間が足りなかったにしても魏軍は自国領土内なので隴山や天水地方の地理に詳しい参謀を用意しないできない理由がないので相手が張コウクラスじゃなくても参謀の「あの辺(馬謖の山)にぃ美味い水が湧くところないらしいっすよ」という意見を聞き入れる将軍だったらそれだけで普通に負けてた可能性も…
相手が張コウじゃなかったら素直に下山できてたかな…?
つまり、例のアレは街亭の戦いを前にした作戦会議だった…?
見たけりゃ見せてやるよ(地獄を)
馬謖がもうちょっと実戦経験を積んでたら変わってたんかな…?
それか実戦経験豊富な武将を指揮官、馬謖が参謀みたいな感じにしてれば…。
馬謖自体はそれなりに経験もしてたはずだよ。
問題は人の上に立った時。全体像を見てばかりで足元を見てなかった。
折角部下の王平が過ちを指摘してくれたのに採用せず、活かすことが出来なかった。
負けが確定した後も更に意固地になり、敗戦が大惨敗に悪化。
結果、蜀本隊に影響が出て千載一遇の機会を逃してしまう訳で・・・
王平が参謀やって諫めたけど無視したんやで
王平が自分に意見してきたのが腹立って冷静さを失ったのかもしれんw
ちょうど気候区分の境目で、馬謖も出身地・任地共に今まで水資源に恵まれてたから、(もしかしたら総司令官も)抜けちゃってたのかな?
BGMが空の軌跡とは素晴らしい!
そもそも重要拠点が山に築かれているわけでもないのに、初の実戦で大手柄を立てる目的で基本指示すら無視して山に登って決戦挑もうとして、水源の確保すらせず水を絶たれ、焦って攻撃して大敗。実践豊富な王平にも止められてたのにもかかわらず・・・・・・・弁明の余地なしってところですよね。
平地に城があって山に物見櫓すら無い時点であれ?って思わないといけませんよね。水とか道とか問題があるからそうなっているのに。
ガイテイが「守りやすく攻めやすくもある地形」と言うことに気づけない馬謖。
馬謖は方面軍の司令官だからな。
実践経験が少ないやつを当てるべきじゃない。
孔明の任命責任の方が重い気がする。
しかし、これほどの将(張郃)がなぜ袁紹軍で三軍を任されなかったのかと思うことが。
史実で見ても、公孫瓚戦で武功を挙げた分、顔良や文醜よりも優秀な気がします。
顔良&文醜が何をして袁ショウの顔なのかはイマイチ分かってはないけど張コウが身分の低い家柄だったのかもな。
なにせ袁ショウは見栄を気にする人物だからな。
張郃は河間張氏という名門の出ですよ。前漢の趙王張耳の子孫にあたる家系で、彼の曾祖父の兄弟には司空になった張敏という人がいます。
袁紹に用いられなかったのは彼が元韓馥軍の将だからかと。
まあこの時点で張コウは何十年と戦歴を重ねた名将ですからね
袁紹の所に居た時とは何もかも変わってたんじゃないですかね
張コウ側の視点ありがとうございました、実際、言うほど楽な状況ではなかったんですよね
ただ、兵法書に書かれてはいなくとも相手の弱点を正確に見抜き、対処できる辺りがやっぱ名将と呼ばれる所以なんですよね
日本だと中華に比べると行軍距離が比較的短いため兵站の問題が前面にでて来にくくて、前線指揮官がおおいばりして、後方の兵站担当をバカにする風潮がありましたからね、良い例が加藤清正と石田三成です
まあそれが原因で日本の大陸進出は戦国時代も近代も頓挫したのは皮肉な話ですよね
軍は動く胃袋である。とはよく言いますものね。
改めて夷陵での大敗による人材不足が痛い。蜀漢を建国した英雄にして衰退させた劉備……
何とかと煙は高いところが好き
張郃としたら隴西に入れたはいいけど補給路の確保も難しく退路を絶たれる危険もある中で蜀軍の別働隊と戦い勝利して隴西地方全体の蜀への反攻の気運を高めたかった所に馬謖のこのミスは渡りに船みたいな感じやろな。
もし、この方面に派遣されたのが馬謖ではなく歴戦の将であったなら張郃に負けたとしてもこの後の隴西地方争奪戦はかなり長引いたやろな。
馬謖は斬ったけど撤退戦でチョウコウを討ち取ると言うおまけがあるからプラマイ0!!(むしろプラス?)
「高さが足りない!」絶対言うと思ったw
この戦い、せめて水場さえ守れたら変わっていたのかもな…
待ってたぜよ
確かに100%間違ってる訳じゃないけど
まぁ相手が悪かったね
優秀な上に経験豊富で百戦錬磨の張コウじゃねぇ
状況考えればこのクラスの将校が来るのは
予想出来ただろうしだからこそ孔明は街道を
押さえろって指示を出したのかもね。
仮に指揮官が凡将で着陣の時点で強襲を選択したとしても、
馬謖が決戦全振りで集中した戦力を南山にコンパクトに布陣しているのを見たら
とりあえず包囲してから攻撃、ってなりそうな気がします。
そうしている間に勝手に水が尽きて窮地に陥ってしまう。
張郃は歴戦の名将ですが仮に指揮官が別の人でも結構敗けてたんじゃないかと。
確かにそこそこの将ならそうなりそうですが
王平の別動隊も居た訳ですし歴史上で
このパターンで壊滅した例も多々ありますから
凡将…(夏侯ボウ)みたいなのだと無理かも
初陣に近いだけに馬謖でも出来そうな作戦を任せたと予想します
孔明自身が慎重派ですしね
張コウのツヨキャラ感よ。
めちゃくちゃ面白かった。それと、音楽素敵です。
15:57の張郃のセリフが全てですよね。
この程度の人材しか蜀にはいなかったんだとおもいます。
外交に無頓着な、明らかに不適格者である関羽を荊州の守備につかせざるを得なかったことも然り・・・
そういえば昔のあの兵站シリーズはニコニコにはあげないんですか?
これ張コウのほうがよっぽど無理ゲーだったんですね。食料は有限、情勢も不明、時間もない状況で万単位の命をあずかって長距離遠征して来いって……。実は断りたくて仕方なかったのではw
張コウさんて、銀英伝のビュコック提督のような人ですね。お年寄りかつ歴戦の強者。
困難な任務だから「若い者には任せられんな」と引き受けたのかも知れません。
張コウは定軍山での合戦の際に夏候淵の副官を勤めたけどその夏候淵が討ち取られたから復讐戦だったのかも知れない。
ガイテイの後に撤退した蜀軍を追撃したのもやはり張コウだったし。
馬謖が十分な水を持って登山してたら包囲しても時間かかっただろうし、相手が水持ってないことなんて分かるもんなのかな。当時の装備じゃ大量の水を持ち運びするようなことが出来なかったのかな
人1人が1日2リットル必要だそうです。仮に1万人いたとして1日で20t。半分でも10t。一か月立て篭もろうとしたら300〜600tですからまず無理ですね。
お待ちしてましたみょん✨
頭の中で、みょんみょんループしてるみょん✨
うぽつです。今回も、とても解り易かったです。でも小町は馬謖よりも魏延とかの役だった方が良かったんじゃないかなとも……MMDでの爆乳もとい武官 寄りそうな見た目のイメージで(ぉ
馬謖が優秀だったとして、馬謖の優秀さは事務的なことでの優秀であって、現場指揮官としての優秀ではなかったってことなんやろな
馬謖は兵法を「知ってる」だけで使うことはできなかったんだと思う
あんまり詳しいわけじゃないけど、馬謖は諸葛亮の後釜より李厳の後釜の方が合ってる気がする
そうですね
政務等の文官としては優秀だったのでしょう
石田治部少「呼んだ?」
100日後に死ぬ馬謖w
結局頭でっかちな参謀の連中は行軍中の水の確保の苦しさを知らないんだね。(元体育会山岳部)
血気盛んな若者ならともかく、馬謖は確か40歳くらいだったはず。名を上げる為に完全勝利の目指した布陣、水を絶たれるという大失態、敗走からの逃亡。個人的には見苦しいと感じる。
若手扱いされやすい陸遜についても、デビュー戦の樊城の戦い時は36歳…。
こちらは、ちゃんと実績を残しましたが。
いや、逆にもう40に何の武功もなかったからこそ、だと思う、もっと若かったらこんな風にはなってないでしょう
それが街道封鎖では時間稼ぎはできるかもないけど最終的な敗北は必至、デビュー戦で敗北とか馬謖のようなエリートにとって
勝ちの可能性があるならそこにしがみつきたくなる、のもわからんではないよ
@@くま爺-t4z 確かに、40そこそこで功績なしはよほど人間性が優れてないと、陰で何か言われてもおかしくないです。
なので、功績をあげたい馬謖の気持ちはわかります。
戦場だけで世界が完結しているわけじゃないですもんね…。
人間の世界は、昔から世知辛いですね。
王平をみょんみょん呼ばわりしてるけどのちの名将なんだよね。
この頃には孔明の信頼あったぞ?
王平は南中征伐に出てた時から活躍あるしな。
三国志大戦ではお世話になりましたw
@@peppertaro2224蜀や蜀込み多色デッキでは,奴がいるだけで安定感がまるで違いましたよね
エリートコースまっしぐらのプライド高い事務やってた本社の人間がいきなり現場出ろって言われたところでどうなのよ?経験ないし焦るわな。部下の学歴低い現場監督(王平)に指示書に従ってやりましょうと言われたら独りよがりにもなる。それに同僚たちを手柄立てて出し抜きたいからなおさらね。上司()の配置ミスなのは間違いない。
分かりやすすぎる…せめて馬謖さんが謙虚な人物だったなら…。
旅順攻略は戦術的には厳しい結果であるが、戦略的には正しく、あの戦闘の白兵戦においての鬼神の如き日本兵の働きの所為でロシア軍では、下に至っては兵の戦意喪失を齎し、上に至っては将軍が何人も失い、遠くに至っては帝政ロシアが崩壊するという一大ターミナルポイントですよね。
(日本にとっても以降精神論に重きを置く誤った戦略を選ばせる切っ掛けとなるのが残念な所です)
ゲームでも有利な地形から突撃して敵の軍勢を一気に溶かすってかなりの快感でロマンあるから気持ちは凄く解る
あくまでもゲームではね
日本は水が豊富にあるせいか、山の表面にに必ずしも水があるとは限らないことは知られていないようです。富士山は、水が染み込みやすい地質なので、水無川ばかりなのに。
今回は南三局だったのか
次回オーラス編やね
張郃が名将過ぎるんだよな
大軍を率いてるとはいえ強行軍を率いた張郃が馬謖のミスを正確につき勝利した
定軍山でもみせた冷静さ
個人的に司馬懿より張郃の方が圧倒的にこわいと感じる
馬謖ではなく魏延だった世界線をみてみたい
劉備も諸葛亮も張郃を恐れていたと言われていますね。
それ以上に馬超が生きてる世界線なら蜀漢ハッピーエンドだったでしょうねw
@@kelberous471
そうですね
この時代だと張郃が戦に関しては最強だと思います
諸葛亮の北伐の最大の戦果は張郃を討ち取ったことだと思いますね
司馬懿の失策ですが
@@卯月-k7y 馬超が生きてたら羌族がなびくんで、北伐もうまくいった可能性が高まりますね
馬岱じゃだめですか。w
チョウコウって巴蜀へ侵入して最後は張飛に追い出されるけど人員を補充して
目的達成したり今回の第一次北伐の最大の功労者になったりして優秀なはずなのに
なんで第4次で追撃して討たれてしまったのかそれだけが残念
5男坊はまだ余力があるうちに戦局打開するために決戦すべきだったのかなあ
国力から考えて第一次北伐に動かせる兵数は蜀軍全体で多くて4,5万人の動員その内丞相本隊祁山3万人
白眉の弟に任せた軍勢は街道封鎖用だから多くて1万人 陽動の趙雲には5千から1万人ほど
四川盆地国境の東南西の方面に守備要員と漢中の東の上庸と西の陰平方面の備えも必要だから
国力限界の10万人動員の半分といったとこですかねただこの時期1年半も10万人は動員し続けられないはずなので国全体では常時は多くて6,7万人で交代しながらと仮定ですでないと生産者がおらへん状態になると思うんで
にしても魏軍が急いで来たから目論見としてはそんなに多くの兵が来ると思ってなかったのが敗因?
上記の人数も推測でしかないんですが実は超硬さん5,6万人くらいで大挙して来ちゃったのかもですね
戦いは数だよアニキ状態に陥ったのかも
あれはシバイが愚策をやれと強要したから。元々シバイは忠義心に篤く名将だったチョウコウを警戒していたから。
@@mentaiko-pasta 確かに芝居が上役になって提案を却下されてその上ムリな命令下されて
死んだようなものですね曹真が亡くなって運が尽きてしまった感じですね
この時点で下山するというのは第4回川中島のときの謙信の行動というやつですね
それも夜陰に紛れての行動があればまだ目があったと 今のアルプスのように
ヘリコプター下山が出来ればまだまだ終わらんかったのかなあ
うp主さん、再生リスト「三国志関連」に他投稿者の動画が混じっています。
突発コメ返しとこの下山編の間です。
有難うございます。
何故混入したのか分かりませんが消去しておきました。
よく馬謖と比較される趙括のときは水はあったんだよなあ・・・。48日間も持ちこたえてるわけだから。
それ程長期間だと果実等でも水分補給とかしていそう。
いきなり空の軌跡www
一兵卒ならともかく敵がミスすること(水源を発見できない)を前提に作戦を立てたんなら、司令官としてはやっぱり横山版を見た感想の「ただただ無能」と変わらないんでない?
100日も保てばよかったねぇ(白目
孫子ってやっぱりすごいなあ
まってましたあああああああああああああああ
食料は20日水は奇跡的に長くて一週間だっけ?なくて生きていけるの。
前回の動画で指摘した現存艦隊主義が出てきたのに驚きました‼️
馬謖も海軍でいう現存艦隊主義を貫いていたら、こんな大敗は無かっただろうし、第一次北伐も違った結果になっただろうに、功を焦った結果山上に籠ったのに水源を確保していないという初歩的失敗をして負けてしまった
但し逆を言えば水源を確保出来ていればいいわけです
水源というのは井戸だけではありません
元々山というのは雨水を貯め濾過する自然の貯水槽の役割を持ちます
そういった雨水が濾過されて流れ出すのが川の源流な訳で、麓とかでそういった場所を確保していれば長期間立て篭ることも出来たかもしれません
そして動画にも触れている様に近くに城がありました
ここにも兵を駐留させて山頂に篭る馬謖軍と連携して麓も含めた防衛体制を構築できていたら、馬謖軍は長期間張郃軍をここに釘付けにできたかもしれません
まあ実際の地形を知ってるわけじゃないですから、そういった連携が本当にできるか?確信があるわけではありません
但、日本でも山城の麓にも出城の様な防衛拠点を構築し、山と平野の双方で連携して防衛することはありますし、馬謖が城に篭らず山に篭ったのも、純粋に防衛としては、この山に利点があったのだと思いますので、もう少し上手いことしてたら馬謖にも勝機があったんじゃないかなとは思います
ここら辺りは次回の動画で考察が観れると思いますので期待しています
張郃は地形や状況に応じて臨機応変な作戦を立てて成功させる達人と言われた名将ですから、蜀軍にとっては一番やばい部類の相手でしたね。
でも、この動画でも触れてるけど、他の魏のめぼしい将軍も大して能力変わらないというね……。
一番トップの曹叡からして天才的軍才の持ち主でしたし。
結局、蜀軍がどんなに上手くやっても、曹叡が長安まで出張って、夏侯楙はさっさと更迭されていたので、長安を落とすのは無理だったと思います。
完全に兵法書ばかり読んで実戦経験のない馬謖の負け。
それに相手は実戦経験豊富な曹魏三代に渡って仕え戦い抜いて来た老猛将の張郃だからかなり分が悪いですね。
ダイの大冒険の名言キタ!!
演技主体の横山光輝三國志でも水絶たれて馬謖敗北の末、王平と援軍に来た魏延が相当苦戦してましたね…
主力を街道に、伏兵として何割か山中に置く位なら流石の張コウも苦戦したかも…
堂々と大軍を山頂に置くのは…
張コウはやはり歴戦の武将だから魏延が馬謖救出に来ようとひねりの無い正攻法の救出戦では苦戦はするわなぁ…
やっぱり夷陵の敗北が痛いなー 歴戦の士官と将官が全滅してたんだもんなあ 金と物は用意できたが、人は数だけで質が整うには時間が必要だった。。
張郃先生が横綱(曹真)のネタをいつの間にか伝授されてる(笑)。それはともかく、改めてこの街亭の戦いの経過をみると、長平の戦いのミニチュア版に見えてくる。学校秀才の無能司令官・趙括と秦軍の無敗の名将・白起。街亭の戦いの馬謖と張郃のポジションが見事に一致する。趙括も馬謖も己の才の過信から、自分の国の滅亡のきっかけを作ってしまう。趙括は長平で戦死してそれ以上の生き恥はさらさずに済んだ。馬謖は自分が散々コケにした王平のおかげで戦死は免れる。だが・・・。
馬謖「くそっ!張郃、張郃、張郃!どいつもこいつも張郃!」
趙括「なぜだ!なぜ白起を認めてこのオレを認めねぇんだ!」(ドガァッ)
馬謖&趙括「「 ん? 」」
馬謖&趙括「「 心の友よぉ~~~っ!! 」」
『下山すべきだった編』…ww(≧▽≦)♪
コメ返しで出た列柳城ですがwikipediaでは現在の甘粛省天水市張家川回族自治県とあるので山脈を超えた後の南へ行く道側に高翔が居たのかなと思います。で、そのまま西に行く道側が街亭…と思いきや街亭古戦場はこの南と西の街道の中間点で直で通じる道がありません。なぜ馬謖はこんな所に居たのか?魏軍はなぜそのまま西へ進まなかったのか?
私の予想は南側の道が高翔、西側の道が王平、馬謖は側道の封鎖だった。しかしこっちに魏軍は来ないだろうと踏んで両者の中間地点の見晴らしが良い山で待機、魏軍が来た方に迎撃に行こうと考えていたのでは?しかし魏軍は索敵で両街道封鎖に気づき、唯一封鎖されていない馬謖側に来たのでは?というものです。
張郃のセリフがダイ大のマトリフ師匠w
張郃は大魔導士だった…?まぁ、実力的には
そういうレベルなんでしょうね。きっと。
張郃「賢者だと?ケッ!ドスが効いてねぇだろーが」
馬謖「こっ、こええよこのじいさん!」
城でも井戸がないと籠城も出来ん。
というか蜀道の険を知るなら水の重要さも理解しそうなんだが…
ガイテイは丘のような山だから水には困らなかったけど食料が不足してたんだ。
麓の魏軍にしか目が行かずに敵指揮官の情報などを集めなかった馬謖の無能さよ。
ある意味運が悪い、ふつう、水なしで山登ってたら喉が渇いて行軍が困難になって登れんわこれってなる
頂上いけても、水が使い切ってたら即行動不能になるのなんてさすがにわかる
雨が降ったか湧水があったかしらんが、行動不能になるまで水不足に気がつけない(問題化してない)なんて状況自体が稀
コメ返し動画でうp主さんが言ってたのは登山家さんとohheyさんが語尾以外の設定が同じって事?
3部4部5部とてんこ盛りでディ・モールト!お腹いっぱいですありがとうございます。
10:13 ルチャやってそう。
動画のヘリ攻撃でラノベの日本国召喚を思い出した
にわかの個人的な意見ですけど、パッと見てみると
馬謖に非はあれど私は無能と思えませんでした
敵将が有能すぎるとも捉えられました
敵将が、血気盛んで功を焦るような性格であれば、山頂に突撃して
くれた可能性も、充分ありますよね。で、疲労して水場に来た魏兵を
王平隊が叩いたり、麓まで進んで馬謖隊と挟撃したりも出来たでしょうね。
うぽつ!!!!!!
でもこれ、水さえなんとかなれば馬謖勝ってたわけだよね。水調達の方法さえあれば…。ペットボトルに詰めて大量に山の上まで運んでおくとかすればわりといけるかもだ。
下山編来ちゃ❗
待ってたんだ❗
旅順攻囲戦は第一回総攻撃はその時の常識からすれば妥当なものだし、第二回以降は都度戦訓に対応してるから無謀な攻撃じゃないし露軍の損害も相当だしww1の泥沼塹壕戦考えれば近代要塞をあれだけの犠牲で落としたことは特筆すべきことだし乃木司令部有能だし結論司馬遼太郎は老害
一旦降伏して兵站圧迫ってあり得たんですかね?
>弁当は持ったか?
>お小遣いは持ったか?
の流れに
>お祈りは済ませたか?
>ガタガタ震えて命乞いをする準備はOK?
が続くかと思った
物見を山に上げておくのは意味あるかもしれないが、水の確保が無い山頂は守るに厳しいでしょうね。
海辺で黄河の河口の斉に住む孫子さんは水を心配するような場所にはあまり行かなかったのかもな。
有ったんだ城
王平や廖化は、派手な功績こそ無いけれど……戦場で最大の強みである『死なない』ことに特化した繋ぎ役のような人材だったんだよなぁ。
孫子から一部を借用するなら「良将は地味な戦いを大事にする」といったところでしょうか。
春秋戦国時代は、あまり北方の乾燥地域で戦争してないせいか、水の確保が大変とは孫子とかには書いてないんだよな。雨や自然の川とかで済ませていたんだろう。
確かに(敵が)水汲みが先に水飲んでたら水が不足してるって言ってたけど、それ以外ないよね
もうカルネージハートEXAはしないんですね…
旅順攻略戦については、良い解説動画が有るので、そちらをご覧になって頂くとして、旅順要塞攻略=203高地攻略=旅順艦隊殲滅じゃないんですがね。早い話、戦略的には海軍の失敗の尻拭いを陸軍がした格好ですね。「坂の上の雲」は初戦小説なのですが、それに引き摺られた論評が未だに多いのがアレですが、最近では乃木より児玉が無能だったとか、乃木はむしろ兵力温存主義で火力を有効に使った等の評価が固まりつつありますね。
水源のないところで陣地を張る事自体おかしく、山を登った後なら尚更。水の問題を認識するのに2〜3時間あればわかる事なので、水のない山にあえて登った別の理由が有るのでは? 例えば魏軍が予想よりずっと早く接近していて、街道封鎖はとても間に合わない。有利な地形を陣取るためにヤケクソで山登ったら水源がない、麓にすでに魏軍がいたとか。
リアルタイム映像なんて残ってないですもんね…。
ドラえもんのタイムテレビ(?)でもあったらいいのに。