【ゆっくり解説】北伐に関する一考察(第五次北伐前編)

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  • Опубликовано: 10 сен 2024
  • 久々の北伐動画。今回からラストシーズンの第五次北伐です。
    解説  :パチュリー
    曹叡  :橙
    諸葛亮 :映姫
    司馬懿 :永琳
    魏延  :華扇
    張郃  :慧音
    郭淮  :ミスティア
    満寵  :一輪
    孫権  :レミリア
    陸遜  :布都
    公孫淵 :鈴仙
    蜀軍兵士:現場猫の皆さん
    コメントは承認制です。
    ■次回(秋風五丈原編)
    • 【ゆっくり解説】北伐に関する一考察(第五次北...
    ■前回(第四次北伐後編)
    • 【ゆっくり解説】北伐に関する一考察(第四次北...
    ☆参考サイト
    ■三国志、全文検索
    www.seisaku.bz/...
    ■三国志総合情報サイト
    sangokushi.jp/
    ■维基文库(資治通鑑)
    zh.wikisource....
    ■BGM
    空を見上げて /英雄伝説 空の軌跡SC オリジナルサウンドトラック / Copyright © Nihon Falcom Corporation
    #三国志
    #歴史
    #ゆっくり解説
    動画作成ツール:ゆっくりムービーメーカー3
    manjubox.net/y...
    立ち絵:キャラ素材(きつねゆっくり) - Nicotalk &キャラ素材配布所
    www.nicotalk.co...
    AquesTalkライセンス購入済み

Комментарии • 105

  • @user-dh8we8kx6d
    @user-dh8we8kx6d 2 года назад +55

    チャンネル登録者10万人を超えててもおかしくないくらいの完成度の高いチャンネルだからもっと伸びてほしい

  • @user-lf8lz9dy9p
    @user-lf8lz9dy9p 2 года назад +61

    これ程のチャンネルがまだ3万人か信じられん

    • @t-3454
      @t-3454 2 года назад +24

      戦史とかの解説ではトップクラスに面白いと思うんですけどねぇ。

  • @gsavanna3494
    @gsavanna3494 2 года назад +18

    孔明さんは、ほんまに緻密で凄い。可能性は低いとはいえ勝算を必ず産み出してる。これで最後まで大打撃受けずに国を維持し続けたとか。
    妖術使って兵士洗脳して、嫁のオーパーツ超兵器つかって侵攻してきたといわれた方が納得いくかもしれない。
    今回は三年の猶予があったと言っても反乱やら治安維持もあったでしょうし、むしろ期間あけたら「もう絶対いきたくねぇ」ってならないんですかね蜀兵。

    • @user-fx9zh8ec2d
      @user-fx9zh8ec2d 2 года назад +2

      孔明様の為なら、命を惜しみません‼️って魅了されてるとしか⁉️
      何という魅力的な漢(おとこ)‼️

  • @user-zp6zs1eo8d
    @user-zp6zs1eo8d 2 года назад +32

    諸葛孔明の、地形に対する情報収集能力凄すぎる・・・🗺

  • @kappanouen
    @kappanouen 2 года назад +21

    蜀お得意の『誘い受け戦術』も今回で見納めか😢

  • @gahama-summer5160
    @gahama-summer5160 2 года назад +8

    そら(ライト層が喜ぶような戦術レベルの話を主とせず、兵站やら政治的背景を主に話してくれるから)そう(自称歴史に詳しいおっさん共が喜び勇んで視聴して3年間続く)よ

  • @user-fc6tr4lr6y
    @user-fc6tr4lr6y 2 года назад +28

    蜀軍の秦嶺突破が…寒い時期(それも冬の前半でなく、冬後半)の理由…私は飲料水の問題が一番大きいと感じます。凍る季節なら、雪&氷を融かして飲めますが…暑い時期は發汗量が多い上に、井戸水&清水(湧水)以外の生水を飲む事は命取りに為ります(長江沿岸の戰役)…確か年明けし、現在の2月に為ってからの方が…降水(雪)量の具合が良かった筈です(^_^ゞ

  • @user-fi8md3zp1w
    @user-fi8md3zp1w 2 года назад +17

    北伐シリーズのBGMは、孔明や蜀のその後、英雄の時代の終焉を感じさせる切なさがあってとても良いですね。
    いつも楽しく拝見しつつ、胸が締め付けられる気持ちになります。
    毎回素敵な考察動画をありがとうございます!

    • @user-iu9hd5wy4o
      @user-iu9hd5wy4o 2 года назад +1

      BGMはPCゲームの老舗メーカーの日本ファルコムの空の軌跡シリーズの1作目から使用されてる定番の曲です。

  • @RI-sp8nv
    @RI-sp8nv 2 года назад +13

    あー『付け根部分が5丈(20m弱)』だから『五丈原』って言うのか・・・
     
    橙(曹叡)「晋ってなんや?なんで司馬懿の伝記がそんなとこにあるんや?」
    パチュリー「さっさあなんででしょうね?(すっとぼけ)」
    ここ笑ったw

  • @hmori0622
    @hmori0622 2 года назад +26

    この解説が始まって以来、常に侵攻側が負けてる記憶しかない。

    • @kirin4126
      @kirin4126 2 года назад +8

      侵攻側が勝ったのって263と280くらいですよ

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 2 года назад +5

      三國志全体でも、侵攻側が大勝利は、劉備の蜀侵攻とか曹操の河北侵攻ぐらいで、割りと少ないからな。

  • @mastak7357
    @mastak7357 2 года назад +7

    資料を右から左みたいなチャンネルが多い中で、あいかわらずちゃんと『歴史』してますね。
    だからこのチャンネルの動画が好き。
    史料に対しても視聴者に対しても誠実で、ホント好き。抱かれたい。
    収益化三年の大先輩に余計なお世話かもしれませんけど、浸透襲撃さんのセリフ毎にキャラを動かす&表情豊かな編集だと、ymm4のが製作楽だと思います。慣れた環境のが良い/新環境で設定し直すのが手間ってのは実体験としてわかりますけど。

  • @user-xq5kk8eh4o
    @user-xq5kk8eh4o 2 года назад +8

    KOEI 三國志Ⅳマスターブック(1994年初版)巻頭見開き2ページにわたって
    五丈原の写真が掲載されています。
    その写真を見る限り、1800年前の戦いに想いを馳せる風景が広がっています。

  • @kqpictures3378
    @kqpictures3378 2 года назад +8

    ちなみにこの空白の3年間に司馬懿さん、司馬師と20年離れた子供作ってます。

  • @wai-hasegawa
    @wai-hasegawa 2 года назад +16

    最近「遭難や漂流について」さんの動画をよく視聴するのですが、ほんまに冬山は恐ろしいですね。
    グーグルマップを見ると、秦嶺山脈の中にも、村があり、段々畑があるのが見受けられますが、その間の移動でも十分に遭難したでしょうね。

    • @ポチモン
      @ポチモン 2 года назад +6

      自分も浸透~さん、遭難~さんを視聴する雪国人です。
      高校生の時は冬は2時間かけて雪道を自転車で通学し、今は子供が習い事の最中は往復のガソリン代が勿体無いのでランニングをしていますが本当に寒さは身に染みます(真夏に日中雨に降られ野宿した際に凍え死にそうになった経験も)。当時どのように行軍、夜営したのか気になります。
      また自分の住まいはど田舎で街灯も無い農道や堤防沿いを走ったりしていますが(自分はライト装着)、無灯火の人が不意に出てくると本当に辻斬りや夜襲は怖いと感じます。

    • @Tantatatantan
      @Tantatatantan 2 года назад +2

      自分も浸透~さん、遭難~さんを視聴する都会民です
      暖房の効いた部屋の中から勉強させてもらってます
      山脈を補給するときは気合で馬車並みの働きをして、いざ遭難したらSMプレイをすれば何とかなることを学びました(アホ)

  • @user-ez5th2mn1h
    @user-ez5th2mn1h 2 года назад +9

    郭淮さんも、色々とシバかれ続けて経験値を貯めた結果ですね

  • @user-ke3se5xt1i
    @user-ke3se5xt1i 2 года назад +13

    今回のロシアの侵攻は兵站シリーズ見た後だと色々と考えさせられます。
    本当に軍事行動を行うにあたって兵站は永遠の課題なんですね。

  • @momopopo.
    @momopopo. 2 года назад +12

    「そら教育やろな」「これはアカン」がセットでいつでも好きです。
    教育内容も一時停止して読んでいます。ここに勝敗とかの原因(一因)が詰め込まれているような気がするからです。

  • @user-ct2bs3mw7t
    @user-ct2bs3mw7t 2 года назад +6

    魏国最大レベルの危機であると同時に呉蜀としては人材面(諸葛亮、魏延、陸遜、諸葛瑾)でも国力面でも最後のワンチャンスだった気がしますね

  • @user-vi7cb3nr8o
    @user-vi7cb3nr8o 2 года назад +9

    3周年おめでとうございます!
    北伐シリーズ完結まであと少し。次回も楽しみにしています。

  • @user-kr5yf8je4s
    @user-kr5yf8je4s 2 года назад +4

    秋風五丈原…なんと切ない響き…

  • @kirieereison
    @kirieereison 2 года назад +5

    3周年おめでとうございます!
    今後も楽しみにしています♪
    今の某戦争は国力差やシチュエーションを考えると南蛮攻めに近くて、北伐はそのまま更にEUと日本に突っ込んでいる状況なイメージですね(一応今後有り得るシナリオですが)
    今の某戦争のgdgdを見ると南蛮攻め完遂して北伐何度も行っても致命的な反乱が起きず戦略的に妙手を続ける蜀…というか諸葛亮がヤバい!
    多少三國志を嗜んだ人は諸葛亮をディスるのが通過儀礼のようなものですが、実際問題数100kmの悪路かつ範囲で数万~数十万人の戦争を殆ど1人で制御し続けるこの人はやはりチートだよぉ!
    まぁ、それでも北伐は成功せず歴史は現代に繋がるのですが

  • @user-ys2hj8qo5f
    @user-ys2hj8qo5f 2 года назад +16

    ロシアのキエフ攻略軍、64kmの補給トラック渋滞作って補給部隊がそのまま燃料と補給の食糧食べてにっちもさっちもいかないと言われてます。
    馬車限界の話が21世紀にも起きてるw

    • @alpinistrascal
      @alpinistrascal 2 года назад +4

      面白い❗️
      文明が発展しても人間のスペック(食欲)は変わらないって事ですね
      情報ありがとうございます

    • @tillc8092
      @tillc8092 2 года назад +2

      ルートなし 停滞中 テレー

    • @maidminori
      @maidminori 2 года назад +2

      士気も低いですし、装備を捨てて逃げてたりして 「2日後に落ちるキエフ」(笑)になってますからね

    • @user-bo2ci1bf3f
      @user-bo2ci1bf3f 2 года назад +1

      ここのコメントを見てると、80年前もこうやって「大本営発表」を鵜呑みにしていたんだろうなと実感する。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 2 года назад +2

      車両の能力は飛躍的に増えたが、道路の通行能力の限界は依然としてある。補給線にダメージを与えるためには、昔から橋を壊すのがいちばん。

  • @japanquest7781
    @japanquest7781 2 года назад +4

    待ってました!
    今回の北伐は成功するのか……「ラスト」シーズンに期待です。

  • @user-xs3tl4xe2h
    @user-xs3tl4xe2h 2 года назад +6

    待ってました!! この作者さんのファンです。動画見る前から高評価です(笑)

  • @s.t.160
    @s.t.160 2 года назад +4

    五丈原という地名だけで何か切なくなる

  • @user-ho8re5lh1o
    @user-ho8re5lh1o 2 года назад +7

    孔明も薄々これが自分の最後の北伐と認識してるし大軍も動員したんだから、魏軍との大規模な激突に臨んでもおかしくないのにあくまでも主戦法が持久戦なのか。
    自分が死んだ後の事も考えて蜀の余力を残したかったのだろうか?

    • @wai-hasegawa
      @wai-hasegawa 2 года назад

      諸葛亮の「長安以西を抑えたいんや!」という強い意志を感じますね
      呉と北方異民族と力を合わせて、魏を包囲殲滅するつもりだったんですかね
      その方針に意見が合ったのが馬謖ぐらいだったのかもしれませんね

  • @a-1031
    @a-1031 2 года назад +9

    遂に五丈原の戦いまで来ましたか。
    知らない人居ないだろうから言いますけど、ここで孔明で死んでしまうんだよなぁ…
    これで蜀良く持ったな…
    そんで郭淮初のセリフだったりします?

  • @enemon2340
    @enemon2340 2 года назад +2

    司馬懿も満寵も文官上がりってのも面白いですね
    もし寿春まで攻められたら許昌はすぐそこ
    皇帝自ら出陣することに

  • @user-lg3nz2or5y
    @user-lg3nz2or5y 2 года назад +3

    いつもお疲れ様です
    歴史モノの常ですが、各史料の信憑性、というよりどの時代どういう立場の人間が書いたか?は常に意識する必要がありますね
    三国志の陳寿は蜀の元官吏で第一級資料ではありますが、祖国を滅ぼした敵国の中で祖国愛をオブラートに包んで執筆してるという、微妙なニュアンスをすくい取る必要が
    そこが厄介でもあり、何と言うか三国志が可愛げのある歴史書になってるのかなと

  • @Extension_Cord894
    @Extension_Cord894 2 года назад +4

    魏は当時の首都圏を押さえてイージーモードだったかと言えば決してそうとも言い切れないのが三国志をより面白くしてる

  • @aer9899
    @aer9899 2 года назад +6

    遂に五丈原の戦いまできたか

  • @user-vr8xf4bk2h
    @user-vr8xf4bk2h 2 года назад +3

    待ってました.蜀は攻め手なのに守りを固めることから始めたんですね.
    確かに五丈原の東側の農地は広いので,そこをむやみに攻めても効果は小さいのかもしれません.

  • @user-vr5qk5zc7y
    @user-vr5qk5zc7y 2 года назад +2

    とりあえず曹叡さん働きもんすぎやろ笑
    しかも20代中盤とか信じられん
    これは脚色しとるとはいえ、やってる事は正史にも記載されてる訳で、天才としか言いようが無い。

  • @user-bm8ci1vy5f
    @user-bm8ci1vy5f 2 года назад +3

    3周年おめでとうございます👏👏
    諸葛亮の北伐もいよいよ終わりが見えてきましたね…

  • @user-hm1qy8et7x
    @user-hm1qy8et7x 2 года назад +4

    3周年おめでとうございます!
    これからも応援していますので、動画投稿お待ちしています!

  • @wonder7397
    @wonder7397 2 года назад +3

    公孫淵はこの後謀反を起こし独立するので、本当に何を考えていたのかさっぱり分からない。
    この時行われた孫権と張昭の火計合戦が最大の見どころですね。

  • @user-zj1qv1yc2u
    @user-zj1qv1yc2u 2 года назад +3

    行軍的に厳しい時期にこれだけ動けるということは、所謂デポみたいな物資集積所をこの3年の間に作ってスムーズに行軍できるようにしてたのかな?
    と考察しました。蜀の場合歴史の記録などの専門官がいないのがこういう部分で謎を生む要因になってる気がする

  • @hirosat5269
    @hirosat5269 Год назад +1

    冬に蜀が攻め込んでくるのは、春や夏には秦嶺山脈でしょっちゅう大雨とか降るからじゃないか?あとは冬場は雪で簡易道路を作りやすい(機械動力の無い昔の林業でも雪道と言うか雪の滑り台を作って効率的に木を落とす。おそらく蜀軍は輸送物資でこれに近いことをやっていたと思う)

  • @tenmatakasora2569
    @tenmatakasora2569 2 года назад +2

    毎週の楽しみ。今週も投稿ありがとうございます。

  • @user-ei7nm8ht4v
    @user-ei7nm8ht4v 2 года назад +2

    ここから「死せる孔明生ける仲達を走らす」が注目だな

  • @senninshokakubi5175
    @senninshokakubi5175 2 года назад +3

    夏侯淵伝に正始年間に夏侯覇が夏侯儒に代わり征蜀護軍を継いだと記載があるそうなので、この頃は夏侯儒では無いと思われます。

  • @mitchu2002
    @mitchu2002 2 года назад +3

    ヨシッ!
    現場猫の屯田にはどうも不安がありますが、ほんとうに粗相をしないのか、次回も楽しみです。

  • @user-tt2sh8zm1z
    @user-tt2sh8zm1z 2 года назад +3

    3:49 第四次北伐で司馬懿が転任(230)して以降の「都督荊州・豫州諸軍事」だと夏侯儒さんがいますね(234年当時在職かは不明)

  • @shinasuka100
    @shinasuka100 2 года назад +4

    拙速兄貴の北伐シリーズ見納めか・・ありがとう!

  • @user-xv9nl2yj1c
    @user-xv9nl2yj1c 2 года назад +6

    公孫えん的には、例えば呉軍を誘い込んで殲滅しようとしたとか?
    しかし軍を送るみたいな話がなかったので恐れて使者を切って、せめての手柄としようとした
    しかしそっちも(当然)賞されなかったので勝手に独立した
    とかどうでしょう(全部妄想)

    • @kappanouen
      @kappanouen 2 года назад +2

      一応手柄であるとして爵位として『公』が、職位として『大司馬』が公孫淵には贈られたそうです
      ちなみにこれは公孫淵が半独立勢力で純粋な魏の家臣ではないにしろ魏国内ではおそらく当時最高の待遇(たしか。違ってたらごめんなさい笑)なんですが
      この事件で結果公孫淵が魏と呉を両天秤にかけている(無論実際のウェイトは限りなく魏国よりなんですが)事が表面化し
      以前と違い呉もこの頃になると帝位を称していたこともあり公孫淵のコウモリ外交は魏の捨てておけるところでなくなった・・・という事で後に出頭要請が下されます(無論この出頭要請は・・・・・・そういう事です笑(^_^;)

  • @keeperofthe7keyspart
    @keeperofthe7keyspart 8 месяцев назад

    4:38 渡邉義浩氏の「魏志倭人伝の謎を解く」の第三章・孫呉の海上進出によると、
    公孫淵は曹魏に圧力をかけられており孫呉に見切りをつけて北伐に集中したかった曹魏の懐柔策に期待した、とのことでした。

  • @user-kd9yf7tl6n
    @user-kd9yf7tl6n 2 года назад +6

    祁山悲秋の風吹けて、陣雲暗し五丈原。土井晩翠の詩を持ってくるとは流石ですね。この詩程、この時の孔明の悲壮感を顕現している作品はないと思います。・・五丈原のあとも三国志は続くのですが、吉川英治みたいに五丈原で三国志シリーズは最後になってしまうのでしょうか?

  • @mikesierra9167
    @mikesierra9167 2 года назад +10

    10万人に食わす食料を1年分って、お米で言えば10万石。
    穀物の中では飛び抜けて生産性が高い米でも10万石の農地って大概よ?

    • @user-fb3oq9jq3d
      @user-fb3oq9jq3d 2 года назад +3

      公式に嘘がある、でしょう。荒地開墾して収益化は来年再来年、やっぱり現地人追い立てて農地巻き上げ...

    • @user-uc4qs3ox9m
      @user-uc4qs3ox9m 2 года назад +3

      現代農法でも、一反(約10a)で四石くらいの収穫量のようです。
      十万石となると2万5千反で、だいたい東京ドーム530個分もの農地が必要になりますね。当然、当時の農法では収穫量は遥かに少ないはずですから、屯田で維持するのは絶対に無理ですね。

  • @Taka18782
    @Taka18782 2 года назад +3

    蜀軍は妻子を引き連れて計10万人じゃないかな。それなら士気も下がりにくいし、大軍の説明もつく。

  • @user-im5mo4qu6s
    @user-im5mo4qu6s 2 года назад +5

    無双で五丈原やったなあ。(蜀で)

  • @nekozame_history_fan
    @nekozame_history_fan 2 года назад +1

    曹仁が関羽に包囲されていたころから見ています。もう三年以上前になるのですね。

  • @サルタヤッチマッタ
    @サルタヤッチマッタ 2 года назад +3

    3周年おめでとうございます

  • @user-sn1uo2zz1g
    @user-sn1uo2zz1g 2 года назад +3

    やはり天然の要害は最高やなニチャア

  • @toll6787
    @toll6787 2 года назад +6

    お前の北伐を待ってたんだ!

  • @user-pf9en2jp5r
    @user-pf9en2jp5r 2 года назад +3

    北伐きたー。

  • @kazumasuishikawa2733
    @kazumasuishikawa2733 2 года назад +1

    三周年おめ。

  • @mssgkjmr2719
    @mssgkjmr2719 2 года назад +3

    曹叡さん、晋っていったら昔々の春秋時代に存在した大国ですよ!ほら、「晋の文公」とか聞いたことありませんか!?

  • @user-hl3od3pn5x
    @user-hl3od3pn5x 2 года назад +1

    このまま何年も居座れればいつの間にか蜀の領地みたいにできるな。
    諸葛亮もまだ54才あと10年は頑張れるだろうなぁ。

  • @user-oh5uk7wm1j
    @user-oh5uk7wm1j 2 года назад +6

    そろそろ孔明がビーム出すかな

  • @user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ
    @user-nz9nv4pz8h-大福モチモチ 2 года назад +3

    夏やと雨で道路状態が劣悪になるからですかね?

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 2 года назад +1

    孔明の命数も尽きようとしていたのだ…

  • @yamakawa-chu-sho
    @yamakawa-chu-sho 2 года назад +2

    公孫淵もだけど孫権ももうこの頃から何考えてるかよう分からん人間になってしまってる感あるんだよなぁ。
    次回の孫権の行動もそれを証明することになってしまうんだろうけど。

  • @user-sf5ll1qp2x
    @user-sf5ll1qp2x 2 года назад +1

    張既伝に夏侯儒が征南将軍・都督荊豫州諸軍事となったとあるけど時期はよくわからん

  • @senninshokakubi5175
    @senninshokakubi5175 2 года назад +1

    趙儼が監荊州諸軍事として赴任予定だったが病気の為空席に。現場の責任者は荊州刺史かと。候補は孟達征伐の際の刺史の裴潜、幽州赴任前の毋丘倹の二人。私は裴潜だと思います。荊州刺史の後に尚書に転じています。これは夏侯ぼうと同じ配置転換(更迭)だと思われます。江夏方面を陸遜から襲撃された事を考慮して、曹叡の腹心の毋丘倹と交代。毋丘倹はこの後も重要なポジションで起用されます。またこの時の陸遜に裴松之が怒っている事も裴潜だと思う要因です。どうでしょうか?

  • @user-pf9en2jp5r
    @user-pf9en2jp5r 2 года назад +2

    夏だと、食べ物がすぐに、腐っちゃからかなあ??

  • @aamm11111
    @aamm11111 2 года назад +1

    最初に祁山ではなくここに出てくることが出来ていたらどうなっていたのかな。
    そもそも登山家の扱いなどのIFが多すぎるけど。

  • @recordam
    @recordam 2 года назад +1

    へぇー お満寵て優秀だったのね 下ネタ担当だとばっかり(ry

  • @user-ql2lu2ro2m
    @user-ql2lu2ro2m 2 года назад +1

    サブもメインもお気に入りのチャンネルだぜ。これからも楽しみにしてるからよろしく。( ´∀`)

  • @user-im9hw5if5s
    @user-im9hw5if5s 2 года назад +1

    極みはいずこに...

  • @hirosat5269
    @hirosat5269 2 года назад +3

    16:16
    >こうやって見るとつくづくいやらしい地形やな
    別の意味でイヤらしく見えるのは自分の心が汚れているからだろうか?

    • @mastak7357
      @mastak7357 2 года назад +3

      あなたの視点では反り返ってますか?
      あなたのせいで僕は袋の皺まで見えてしまいました。

  • @h-kws6843
    @h-kws6843 2 года назад +1

    当時の荊州刺史は多分、公孫淵対策として幽州刺史に転任する前の毌丘倹ですね。

  • @Shiro0626JP
    @Shiro0626JP 2 года назад +2

    いつも楽しく拝見させていただいております。
    半ばネタ化している蜀の山越えですが、補給という性質上、孔明のような有能な官吏のみがなしえるものではなく、もっと地道で泥臭い日常的なものではないでしょうか。以前から気になっていたのですが、長文になってしまったので、以下自己返信で記載します。おかしなことを言っていたらご指摘いただけたらありがたいです。

    • @Shiro0626JP
      @Shiro0626JP 2 года назад +1

      兵站解説等でも仰っているように、古代でも現代でも、一人の兵士を活かすために必要なエネルギー量はそう変わりません。有能な行政官がいれば効率性は上がりますが、それでも人間の限界を超えた行動がとれる訳ではないはずです。「なぜか馬車限界を超えて来る」のではなく、その方法は確実にあった。それも天才のみが扱える魔法のような方法ではなく、その地域の人々なら一定程度知られているくらいでないと補給という日常は成立しないと思うのです。
      クレフェルトによれば、補給において最大の負担は飼葉の調達にあります。雑食の人間は略奪その他で食いつなげても馬の必要量を集めることは難しく、道草の粗飼料ばかりでは1日10時間以上も草を食ませなくてはなりません。突き詰めれば、馬車限界とは飼葉の補給限界のことで、如何に良質で十分な量の飼葉を補給できるかが限界を伸ばす鍵だと思われます。

    • @Shiro0626JP
      @Shiro0626JP 2 года назад +1

      これを最も効率的に実行していたと思われるのが、馬とともに生きていた遊牧民で、後のモンゴル軍はアウルクという輜重隊を編成、交代で放牧管理しながら1日100kmを進軍したそうです。中央アジアに近いという蜀の立地上、また馬超馬岱のような羌族関係者がいたため遊牧民の生活様式が伝わっていて、彼らを参考に基地補給、局地補給を自己完結に近い形にできたのかもしれません。一つの輜重隊が一気に踏破するのではなく難所を境に複数の部隊がリレー、馬よりも粗食で不整地に強いロバを使って補給線を構築していたかもしれません。

    • @Shiro0626JP
      @Shiro0626JP 2 года назад +1

      別の観点ですが、秦嶺山脈という険しい地域には人口を支えるだけの食料と平野が存在しないというのが謎の元です。しかし、その山の中でも繁茂できる飼葉があったとすればどうでしょうか。
      この一帯は現代でもジャイアントパンダの生息地域として有名で、パンダが食べる笹を始めイネ科の植物が繁茂しているようです。馬も笹は食べることができますので、飼料として利用できます。パンダは200万年前には生息していたようで、『説文解字』(西暦100年頃)という書物には伝説上の獏と同一視されて「熊に似て黄黒色、蜀中に住む」と記されています。笹は飼葉のみならず、殺菌・防腐効果がありチマキ等の料理も生み出されています。古代の補給を考える上で保存性の向上は重要な要素です。

    • @Shiro0626JP
      @Shiro0626JP 2 года назад +2

      また蜀の財政を支えた特産品として「蜀錦(蜀江錦)」が有名ですが、絹織物を生産するためには桑と蚕が必要です。蚕は最近では宇宙食として注目されるほど高タンパク高カロリーの食材だそうです。桑の実もミネラル豊富なベリーがなります。ひょっとしたらこれらは携帯し易い行動食として役に立ったかもしれません。
      以上はあくまで私見で見当違いのことを書いているかもしれませんが、兵站とは日常を丸ごと移動させることと考えれば、古代から連綿と続く農業や畜産、食文化にヒントが隠されているように思います。

  • @harigane4773
    @harigane4773 2 года назад +1

    予告で脳内に「銀河の歴史もあと1ページ…」とナレーションが流れた。
    五丈原はこんな舌状台地だったのか!ちゃんと縁に川が流れて…日本の武将だったら間違いなく城を作りたがる立地条件!春風亭昇太も舌なめずりするだろう!!

  • @XR-wx5js
    @XR-wx5js 2 года назад +1

    祝い🎈
    三周年。

  • @黒川広樹
    @黒川広樹 Год назад +1

    もっと収益と登録者数があってもいいと思うチャンネルだと思います。

  • @見咲詞条
    @見咲詞条 2 года назад +1

    来たか

  • @quercuscrispula3484
    @quercuscrispula3484 2 года назад

    うp主は実は魏アンチだったりしませんか?皇帝のうち暗愚なものは橙の言動で問題ないですが、曹叡くらいの対応が取れる者だと、官と賊との差は力関係の差でしかなかったこと、全て滅んだ現在では魏が魏であるように蜀は漢であることも踏まえてその時の行動の善し悪しを呼称で差別することなしに評価したと思うのですが。

    • @show_kazitani
      @show_kazitani 2 года назад +3

      あんた、日本語が不自由ってよく言われない?
      そんな相手もいないか