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トライスターめちゃかっこいい❤😊
トライスターやB727ってモヒカンカラーが似合いますね✨
同感ですね‼️私はANAではモヒカン塗装時代にトライスターとB727に乗りましたがこの2機がモヒカン塗装とマッチングがよかったですね‼️😂🤩👍
私は生まれて初めて飛行機に乗ったのが千歳〜羽田行きのトライスターと大阪〜千歳行きのB727に乗りました。モヒカン塗装でトライスターもB727もモヒカン塗装で3発機にマッチしていましたね!🤩👍
ボーイング727。美しく格好良い機体で子供心に大好きな飛行機でした。
初のANA国際線定期便就航の年に成田ーグアム線でトライスターに乗りました。自分もトライスターが一番好きな機種でした。
@@真司-h1h 成田-グアム線開設を告知するCMの最後の方に離陸するトライスターが出てます🫡
私の両親の実家のある山形へは全日空がボーイング737に混じってボーイング727が使われていました。そのためボーイング727は好きでした。また私が初めてビジネスクラスに乗ったのは日本航空の成田~バンコク線のMD11j−birdのseasonsでした。そんなこともあり3発機は結構好きでした。今双発機でもエトップスをクリアして長距離を飛べるので3発はおろか4発機も減ってしまいました。3発機懐かしいです。
1970年代だった子供の頃、両親の帰省先だった熊本への往復でB727に搭乗していたのを覚えています。
初めて乗ったジェット機がANAの727-81 JA8306でした。その後-281も含め何度か乗りましたが、三発機は727だけです。当時は三発機とかあまり意識しませんでした。世の中でも「普通に存在する物」として認識されていました。L10はグランドサービス作業で毎晩地上で潜り込みました。キャビンは勿論のこと、ギャレーやコクピットまで他の機体とは違う空気が張り詰めていましたね。
トライスターの様な内装は2度と世に出んわな 開放感抜群 搭乗した瞬間感じる異空間
JASがDC10を発注した時は生産がMD11に移行してて生産してなくて、米軍がキャンセルした空中給油機KC10を旅客型に改造して納品された一品
DC10とMD11って、同じ様に見えるけど結構変わったんだよね。
@ DC10とMD11胴体の長さが違う
@@浅田靖夫DC-10より垂直尾翼が小さい🤔
@@千葉太郎-l7n水平尾翼ね
@@user-jo3il9ow5rどっちやねん
初めて搭乗した飛行機がトライスターだった。その為か、トライスターは大好きだったなぁ…一度だけ搭乗した時に、乗務員に頼んで降りる時に、コックピットを見せてもらって、写真も撮らせてもらったなぁ…今じゃ絶対出来ないよな。
アメリカン航空のキラキラしたMD-11が大好きだったな😍😍😍
トライスターは良かったです復活するべきですIL62も良かったです
ロッキード事件は記憶に新しいところですが、トライスターは革新的だったと思います。
その通りです。トライスターはILSの電波を受信して自動着陸機能が有りましたよね!期待していただけにロッキード事件に弄ばれ結局、B747SRに導入を余儀なくされましたが…。😮
トライスターかっこいいですね✨まだ千歳空港の時代に搭乗した事あります。
60年代後半から70年代前半にかけて羽田・伊丹間は、727を使ってJAL・ANAが交互に30分おきに飛んでいて、まさにシャトル便で非常に便利でした。紹介されていたスピード競争の他に機内食競争もあって、鯖寿司とかまで提供されて、今日は何が出るかも楽しみでしたね。
ちなみに、ジャンボジェットと呼ばれるのはBoeing747のみです。同じ4発機でもA380なんかは言いません。
ジャンボの愛称は当初ボーイング社非公認の愛称だった🤔ボーイング社公認の愛称はスーパーエアバスだった😂
モヒカンのエルテンはカッコよかった。
同感ですね‼️😂👍
DC10 格好良い😄😆 今日見 A380だもん😀 L1011トライスター? 田中角栄を思い出す😐
MD-80,90シリーズも特集してください。
8:16 全日空はロッキードの賄賂の関係でトライスターを購入したと言われているが実際は大阪空港でのデモフライトの際マクドネル・ダグラスが騒音測定装置の手前でDC-10の機体を急上昇させ測定値をごまかそうとして不信感を抱かせたのもあるさらにアメリカン航空96便事故の後で安全に対する懸念が高かった。裏工作に走らずともトライスターを選定していたと思う。
日本航空の727で東亜国内航空に移籍した機体が1機あります。日本国内航空時代にリースしてたらコンベア880が事故で全損その保証で移籍
MD11が好きだったわたくし。DC-10よりスマートでカッコよかった。慣性航法装置を搭載していたと記憶しています。
L-1011 トライスターは、名機です。
トライスターはヨーロッパの航空会社に売り込むためにロールスロイスのRB211一択にして第二エンジンのダクトをRB211用に設計した。ロールスロイスが倒産してRB211の開発が遅延したことが販売不振につながる。RB211一択にしてダクトの設計がRB211専用設計やったからGEのCF6とかP&WのJT9Dがのせれなかった。コックピットは当時最新の技術を盛り込んだ
🎉ハッキリ言ってL−1011には期待していただけにロッキード事件でイメージダウンしてしまったのは残念ですよ❗あとはロールス・ロイスの経営破綻等が命取りになったんですね😢
羽田沖のB727の事故原因は山名正夫先生著「最後の30秒」で説明されています。膨大な量の物的証拠、目撃情報、実験により非常に真実に近い論理的な説明だったにも関わらず何故か正式な事故報告書として取り上げられなかったのですが・・・。
昭和50年頃、はとバスで、羽田空港を見物。当時のエンジン音が凄かったですね。昨今の機材は、低く唸る程度。
みんな大好きDC-10🤪
知ってます!とあるチャンネルで紹介されていましたね😂
編集ソフトは何を使っていますか?
DaVincl Resolveというソフトを使用しています。
東京-大阪40分は二度と破れない
河川の名前をつけていた日本航空の727で一番有名なのは淀川から名付けられた よど号
モヒカンカラーのトライスター今でも見る事の出来る場所は有りますよ。
だからよど号とかついてたのか
M11は開発当初、高性能機体とされたが、メーカーが保証した性能を発揮できず、大量キャンセルが出た機体。これが信頼を失った元凶
重量過多で最大離陸重量が増えてしまいPW4460エンジンも推力不足も相まってしまい最大航続距離12,964kmを満たせずフィンエアーに納入された初期型は1000㎞程度短い状態だったんだよね。
シンガポール航空がキャンセルしてエアバスÀ340に乗り換えた。
昭和52年5月の初夏に伊丹市自衛隊伊丹駐屯地に勤務していたがトライスターとボーイング747SRの伊丹乗り入れ試験をしていて、随分音が静かなジェット機だな?という印象だった。
@@もりわききくお DC-8は118.0デシベルだったけどより技術革新が進んでいた2機種はB747:106.5デシベルトライスター:102.5デシベルだった関係者はこれを交渉材料として地元と交渉し、発着枠の削減と引き換えにワイドボディ機の乗り入れ同意を取り付けることが出来た。
ANAの727といえば雫石事故と羽田沖事故
ANAの3発機選定してたころはJALと整備、資本提携、社長もJAL出身の社長ANAの3発機選定はJALも発注したDC10で決まってマクドネル・ダグラス社に発注、機体の製造も始まってた。ANAがキャンセルしたDC10は別の航空会社で墜落して全損
mD11の引退から11年後の2005年間違ってますよ。正確にはMD11の引退から1年後です
ご連絡ありがとうございます。訂正致します。
《奇数》は飛行機は無理なんだよ。不自然だから。DC10・トライスターも不自然な形状だしね。ボーイング727もテイルヘビーだから重心を考えるのが大変だった。
この頃ANAは墜落事故が多かった
航空憲法は酷かった。JALに独占させて、日本の航空会社の競争力が落ちた
混雑していても国際線は成田からしか飛ばせなかったから、JASは消滅した。羽田からの国際線は認められず酷い時代だった
エアバスカラーを恥も外聞もなくダグラスの機体に塗ったJAS (笑)
微妙に違っています。JASに失礼です。
それなら細かく話しましょう。1988年4月に羽田に到着したJASのDC10-30の初号機JA8550のレインボーカラーについては、エアバスとの必死の交渉の結果、ようやくお許しをいただいたものでした。更にこの時にはまだJASの尾翼ロゴが決まっていなくて、ロゴ無しのレインボーカラーで日本に来てしまったというオチまで付いてしまいましたとさ。
@@ねずみ色の猫 ダグラス社から早く取りに来てと言われて受け取ってそのカラーのまま大韓航空にリースするというね...この辺りは某猫さんの解説動画であるけど
ロシアにコイツのパクリいなかったか?あれは尻に4発だったな。。。
Tu-154
@@APW_Manbow さすが旧ソ連。ロッキードの丸パクリやん!
@@のえる-n6lTu-154は727のパクリ。トライスターをパクったというか、恐らく参考にしているのはIl-86
トライスターめちゃかっこいい❤😊
トライスターやB727ってモヒカンカラーが似合いますね✨
同感ですね‼️私はANAではモヒカン塗装時代にトライスターとB727に乗りましたがこの2機がモヒカン塗装とマッチングがよかったですね‼️😂🤩👍
私は生まれて初めて飛行機に乗ったのが千歳〜羽田行きのトライスターと大阪〜千歳行きのB727に乗りました。モヒカン塗装でトライスターもB727もモヒカン塗装で3発機にマッチしていましたね!🤩👍
ボーイング727。美しく格好良い機体で子供心に大好きな飛行機でした。
初のANA国際線定期便就航の年に成田ーグアム線でトライスターに乗りました。
自分もトライスターが一番好きな機種でした。
@@真司-h1h
成田-グアム線開設を告知するCMの最後の方に離陸するトライスターが出てます🫡
私の両親の実家のある山形へは全日空がボーイング737に混じってボーイング727が使われていました。そのためボーイング727は好きでした。また私が初めてビジネスクラスに乗ったのは日本航空の成田~バンコク線のMD11j−birdのseasonsでした。そんなこともあり3発機は結構好きでした。今双発機でもエトップスをクリアして長距離を飛べるので3発はおろか4発機も減ってしまいました。3発機懐かしいです。
1970年代だった子供の頃、両親の帰省先だった熊本への往復でB727に搭乗していたのを覚えています。
初めて乗ったジェット機がANAの727-81 JA8306でした。
その後-281も含め何度か乗りましたが、三発機は727だけです。
当時は三発機とかあまり意識しませんでした。
世の中でも「普通に存在する物」として認識されていました。
L10はグランドサービス作業で毎晩地上で潜り込みました。
キャビンは勿論のこと、ギャレーやコクピットまで他の機体とは違う空気が張り詰めていましたね。
トライスターの様な内装は2度と世に出んわな 開放感抜群 搭乗した瞬間感じる異空間
JASがDC10を発注した時は生産がMD11に移行してて生産してなくて、米軍がキャンセルした空中給油機KC10を旅客型に改造して納品された一品
DC10とMD11って、同じ様に見えるけど結構変わったんだよね。
@
DC10とMD11胴体の長さが違う
@@浅田靖夫
DC-10より垂直尾翼が小さい🤔
@@千葉太郎-l7n水平尾翼ね
@@user-jo3il9ow5r
どっちやねん
初めて搭乗した飛行機がトライスターだった。その為か、トライスターは大好きだったなぁ…
一度だけ搭乗した時に、乗務員に頼んで降りる時に、コックピットを見せてもらって、写真も撮らせてもらったなぁ…今じゃ絶対出来ないよな。
アメリカン航空のキラキラしたMD-11が大好きだったな😍😍😍
トライスターは良かったです
復活するべきです
IL62も良かったです
ロッキード事件は記憶に新しいところですが、トライスターは革新的だったと思います。
その通りです。トライスターはILSの電波を受信して自動着陸機能が有りましたよね!期待していただけにロッキード事件に弄ばれ結局、B747SRに導入を余儀なくされましたが…。😮
トライスターかっこいいですね✨
まだ千歳空港の時代に搭乗した事あります。
60年代後半から70年代前半にかけて羽田・伊丹間は、727を使ってJAL・ANAが交互に30分おきに飛んでいて、まさにシャトル便で非常に便利でした。紹介されていたスピード競争の他に機内食競争もあって、鯖寿司とかまで提供されて、今日は何が出るかも楽しみでしたね。
ちなみに、ジャンボジェットと呼ばれるのはBoeing747のみです。同じ4発機でもA380なんかは言いません。
ジャンボの愛称は当初ボーイング社非公認の愛称だった🤔
ボーイング社公認の愛称はスーパーエアバスだった😂
モヒカンのエルテンはカッコよかった。
同感ですね‼️😂👍
DC10 格好良い😄😆 今日見 A380だもん😀 L1011トライスター? 田中角栄を思い出す😐
MD-80,90シリーズも特集してください。
8:16 全日空はロッキードの賄賂の関係でトライスターを購入したと言われているが
実際は大阪空港でのデモフライトの際
マクドネル・ダグラスが騒音測定装置の手前で
DC-10の機体を急上昇させ測定値をごまかそうとして不信感を抱かせたのもある
さらにアメリカン航空96便事故の後で安全に対する懸念が高かった。
裏工作に走らずともトライスターを選定していたと思う。
日本航空の727で東亜国内航空に移籍した機体が1機あります。
日本国内航空時代にリースしてたらコンベア880が事故で全損その保証で移籍
MD11が好きだったわたくし。DC-10よりスマートでカッコよかった。慣性航法装置を搭載していたと記憶しています。
L-1011 トライスターは、名機です。
トライスターはヨーロッパの航空会社に売り込むためにロールスロイスのRB211一択にして第二エンジンのダクトをRB211用に設計した。
ロールスロイスが倒産してRB211の開発が遅延したことが販売不振につながる。
RB211一択にしてダクトの設計がRB211専用設計やったからGEのCF6とかP&WのJT9Dがのせれなかった。
コックピットは当時最新の技術を盛り込んだ
🎉ハッキリ言ってL−1011には期待していただけにロッキード事件でイメージダウンしてしまったのは残念ですよ❗あとはロールス・ロイスの経営破綻等が命取りになったんですね😢
羽田沖のB727の事故原因は山名正夫先生著「最後の30秒」で説明されています。
膨大な量の物的証拠、目撃情報、実験により非常に真実に近い論理的な説明だったにも関わらず何故か正式な事故報告書として取り上げられなかったのですが・・・。
昭和50年頃、はとバスで、羽田空港を見物。
当時のエンジン音が凄かったですね。
昨今の機材は、低く唸る程度。
みんな大好きDC-10🤪
知ってます!とあるチャンネルで紹介されていましたね😂
編集ソフトは何を使っていますか?
DaVincl Resolveというソフトを使用しています。
東京-大阪40分は二度と破れない
河川の名前をつけていた日本航空の727で一番有名なのは淀川から名付けられた よど号
モヒカンカラーのトライスター今でも見る事の出来る場所は有りますよ。
だからよど号とかついてたのか
M11は開発当初、高性能機体とされたが、メーカーが保証した性能を発揮できず、大量キャンセルが出た機体。これが信頼を失った元凶
重量過多で最大離陸重量が増えてしまい
PW4460エンジンも推力不足も相まってしまい
最大航続距離12,964kmを満たせず
フィンエアーに納入された初期型は1000㎞程度短い状態だったんだよね。
シンガポール航空がキャンセルしてエアバスÀ340に乗り換えた。
昭和52年5月の初夏に伊丹市自衛隊伊丹駐屯地に勤務していたがトライスターとボーイング747SRの伊丹乗り入れ試験をしていて、随分音が静かなジェット機だな?という印象だった。
@@もりわききくお
DC-8は118.0デシベルだったけど
より技術革新が進んでいた2機種は
B747:106.5デシベル
トライスター:102.5デシベルだった
関係者はこれを交渉材料として地元と交渉し、発着枠の削減と引き換えにワイドボディ機の乗り入れ同意を取り付けることが出来た。
ANAの727といえば雫石事故と羽田沖事故
ANAの3発機選定してたころはJALと整備、資本提携、社長もJAL出身の社長
ANAの3発機選定はJALも発注したDC10で決まってマクドネル・ダグラス社に発注、機体の製造も始まってた。
ANAがキャンセルしたDC10は別の航空会社で墜落して全損
mD11の引退から11年後の2005年間違ってますよ。正確にはMD11の引退から1年後です
ご連絡ありがとうございます。
訂正致します。
《奇数》は飛行機は無理なんだよ。
不自然だから。
DC10・トライスターも不自然な形状だしね。
ボーイング727もテイルヘビーだから重心を考えるのが大変だった。
この頃ANAは墜落事故が多かった
航空憲法は酷かった。
JALに独占させて、日本の航空会社の競争力が落ちた
混雑していても国際線は成田からしか飛ばせなかったから、JASは消滅した。
羽田からの国際線は認められず酷い時代だった
エアバスカラーを恥も外聞もなくダグラスの機体に塗ったJAS (笑)
微妙に違っています。JASに失礼です。
それなら細かく話しましょう。
1988年4月に羽田に到着したJASのDC10-30の初号機JA8550のレインボーカラーについては、エアバスとの必死の交渉の結果、ようやくお許しをいただいたものでした。更にこの時にはまだJASの尾翼ロゴが決まっていなくて、ロゴ無しのレインボーカラーで日本に来てしまったというオチまで付いてしまいましたとさ。
@@ねずみ色の猫 ダグラス社から早く取りに来てと言われて受け取ってそのカラーのまま大韓航空にリースするというね...
この辺りは某猫さんの解説動画であるけど
ロシアにコイツのパクリいなかったか?あれは尻に4発だったな。。。
Tu-154
@@APW_Manbow さすが旧ソ連。
ロッキードの丸パクリやん!
@@のえる-n6lTu-154は727のパクリ。トライスターをパクったというか、恐らく参考にしているのはIl-86