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函館始発の道内優等列車と言えば急行「宗谷」もありかな。上野・青森だと急行「津軽」も。臨時急行「八甲田」は青森で臨時快速「海峡」になるので、実質は上野・函館直通運転でした。ただし青森でモトトレインの付け替えがあり、長時間停車中に定期の海峡が先発するので、函館までの人しか残らない。一応清掃もありドアは閉めきられるので降車はさせられますが、ホームで駅そばをすする乗客は荷物を置きっぱなしでも構わないと言われていました。大学受験は連絡船、入学式は海峡線、そこから長い長い付き合いの間にすっかり様変わりしました。
出稼ぎ労働者は年末に帰省するとき「津軽」で帰ることを願って一生懸命働いたとか。だから「出世列車」と言われました。
実家が常磐線沿線にあるのですが、ちょっと夜更かしをしていると遠くからゴトゴトと音が近づいては遠ざかっていったものです。あれが貨物列車だったり「ゆうづる」や「十和田」だったりしたのかな。今の実家の夜は静かになってしまいました。
北海道在住ですが、スーツさんの北海道を取り上げて頂き、本当にありがとうございます!
大学時代に帰省で「ゆうづる」青函連絡船「おおぞら」を乗り継いで上野と帯広をよく往復していました。所要時間は約24時間、疲れました。スーツさんの話を聞いて青春時代が懐かしく思い出されます。
スーツさんありがとうございます。87年の夏休みでしたが青函連絡船最後の夏に乗りに行きました。往時は摩周丸復時は大雪丸で、乗船名簿も書きました。行きは上野から急行津軽で秋田で一泊し夜に青函連絡船で函館に行き特急北斗で札幌に行き帰りは札幌から急行すずらん90号の寝台に乗り青森から急行十和田に乗り上野まで乗車しました。
父上が東北線に乗務してたのなんかすごいですね...!
埼玉の羽田も成田も遠いところに住んでるから大宮から乗って寝て起きて北海道に行ける寝台特急は便利だないつか乗ってみたいなって思ってたらなくなってた
大宮住みだから分かる。マジで新幹線便利。
ポンワカモレだよ 新潟にも金沢にも東北にも速く行けて本当に便利ですよね川越住みなので新幹線にかなり頼ってます
@@kuytm4264 それな
@@kuytm4264 確かに都民だったら羽田あるし2大アクセス特急有るから成田にも行けるし飛行機便利かもだけど埼玉県民にしたら東日本系統の新幹線便利ですよね🚄そんな俺は新座民。
青函連絡船乗船名簿は洗面所に紐で通して吊るしてあったけど青森駅が近付くと車掌が配りに来たよ。桟橋の窓口で配った(特急接続のないお客専用)乗船名簿には混雑期のみ出港時刻が記載されて便名指定された乗船名簿もありました。乗船名簿の右上に3桁の数字が入っているのが583系洗面所に常備してあった乗船名簿です。 寝台の飾り毛布は花毛布とも呼ばれ、1990年までの長距離フェリーのスイートルームでは実際に折ってありました。
プロジェクトXで青函トンネルの完成過程を見ましたが亡くなられた方もいて、壮絶な戦いの映像だったことを記憶しています。その苦労を無駄しないように北海道新幹線🚄が札幌まで開通できることを心より願っています✨
確か高倉健さん主演の青函トンネル掘削の映画がありました。「海峡」だったでしょうか。その技術を生かしてユーロトンネルができたと思いました。
新幹線は便利だが、季節の変わり目に定期的に寝台列車を走らせて欲しい。
minomushimonta やって欲しいけど、コストが…利益の出るように乗車料金を設定すると、とんでもない高額になりそう(利益がでなければ、会社は走らせる意味ないから)
ああん まぁJRも慈善事業じゃないですからね
経済的な話は置いといて寝台列車は寝台列車でも客車列車が良い!あと青色で青函トンネルを通るルートで!(現実逃避)
ああ 下品な上に何も面白くないなんて絶望的だな
@@蝶の舞 鉄ヲタは下品だから下品なものがすきなのかとおもったわい
連絡船があった頃の青森駅や函館駅は本当にデカイ駅だったなぁ。列車の本数も多かったし、函館駅の待合室は土産屋や日食の食堂があったし、駅前も賑やかだった。良い時代だったね。
私の祖父は元国鉄職員で盛岡駅で働いていました。当時を聞くと朝方にかけては寝台特急に乗ってきたお客様の対応が大変だったみたいですね。今も使い切りの記念切符や見本の記念切符を大量に貰いました。
北斗星やカシオペアとか寝台特急があった時より、時間短縮化は成功されたものの、鉄道の旅の醍醐味の景色を楽しんだりすることが少なくなってしまったなと思いました。なので、スーツさんが特別特急のカシオペアを乗る動画を見るとあの頃の楽しみなどが、沢山感じられます!
北海道新幹線が札幌まで延伸することになれば、必ずや 「東京ー札幌間夜行寝台新幹線」を運行させて欲しいです
@@fighta_23 現実的に無理だろ。夜間の保線も出来なくなるしなにより新幹線は法律上0時~6時は走行できない。
@@私はコーラ 夜行新幹線を走らせる曜日を金~月曜日に限定させれば保線作業はどうにでもなるはず時速60~95km/hぐらいで走行させれば騒音問題も起きないし、その合間を縫って保線作業をする事も十二分に可能になる最初から無理であると決め付けて何もしないことのほうが利用客にとっても会社にとってもマイナスだとしか言いようがないと思います
@@私はコーラそれと「法律的」には可能であるその事は私が国土交通省に問い合わせて確認済みである
@@fighta_23 夢のある話ではあるけれどその速度では北斗星やカシオペアと大差ない話になり寝台列車が廃止された経緯を考えれば利用客が少なく金をかけて車両を製造して運行するメリットは皆無かと思われます。鉄道はファンだけが乗るものでは無く一般客を獲得出来なければ収益に繋がりません。一般客が高くて時間のかかる寝台と格安航空どちらを選ぶかはもう答えが出ているように思えます。JRが民間企業である以上収益を考え社員を養っていく必要がある以上儲からない列車を増やす事になるので実現性は薄いでしょう。ただし、一鉄道ファンとしては実現したのならばぜひ乗ってみたいと考えますね。
35:41 88年時点での上野ー盛岡の最速列車“スーパーやまびこ”は2時間32分で走破していたようです。最高時速は240km/hで途中仙台のみ停車。ただしスーツさんのおっしゃるとおり大部分の列車の所要時間は約3時間程度であったとされています。
いわゆるパンフレット用の最速列車ですねw
37:20東北地方で冷害になる風の名前は「はやて」ではなく「やませ」です。春から夏にかけて太平洋側吹く冷たく湿った風のことです!ちなみに「はやて」は、急に速く吹く風のことです!
やませの別名が疾風でありませんでしたっけ?感染症の別名だったかもしれません。
はやての別名が疾風ですよ!追記:感染症の事も言いますね。「疫痢」の事を「はやて」とも読んでいたようです!
編集挟んでるとはいえ、これだけ長時間喋る体力は凄いな
余裕でしょわてできるで
@@Joano_ru それは自慢になるね。そこまでの熱量が羨ましい。
これは列車に限らず飛行機もなんですが、結局のところ公共交通機関はファンのために走るわけじゃないですからねぇ・・・古いものはどんどん淘汰されて仕方ないのかなとも思います個人的に東京~札幌が5時間だとちょっと考えちゃいますけど、飛行機に比べて雪に強い新幹線は冬の長い北海道で言われてる以上に重宝されるかもしれませんね
ゆはさん まぁ年に数回しか乗らない者と通勤通学で毎日使う者とを比べたら利便性を優先するのは当たり前ですからねぇ。
飛行機やLCCのおかげでロープライスになり便利になったけど確かに高速化は仕方ないかもね
@@Yamazaki-l2z ですが、新幹線に通勤で乗る人って、そこまで多くはないはずので、新幹線に限らず長距離列車の運行目的のメインは、年に数回しか乗らない人の輸送の方なのではないですかね。
@@伊地-e1t 私の会社では出張などで札幌へ行くことが定期的にあります。もちろん帰省や長期休暇期間の旅行客も多いとは思いますが、仕事関係の移動手段として使われる部分はかなり大きいです。いまは減りましたが冬季は飛行機が止まることも多く仙台ー札幌間くらいの移動なら札幌延伸後は新幹線での移動にきりかえる会社も多いと思います。
ファンのために走るものじゃない。確かにそうです。高速化は確かにメリットが大きいものであります。しかし、北海道行きの夜行列車に関しては乗車自体がすでに観光の一部になっていたと思います。北海道上陸後の海や平原の独特な景色は北海道に来たぞという感覚を一番に味わう事ができるものでした。北海道とは長い長い時間をかけてでも行く価値のある希有な場所です。こんな事をいつまで言ってても仕方ないのですが、夜行列車廃止は個人的には残念でなりません。
37:15 東北に吹く冷たい風は「やませ」じゃなかったかな「はやて」は疫痢の古称らしいです
りゅんへも じゃあ、はやてって、あかんやないかいwwww
あくまで古称ですから、現在使われてるのは専ら「突然の強い風」という意味ですね。鉄道に使うには、そちらでも縁起が悪いとも言えますが
「新幹線最寄り駅が八戸」の地元民です。季節風は「やませ」ですねぇ(*´-`)めっちゃ冷えるんですよ、梅雨時にストーブつけたくなるくらい。
冷害になって農作物が育たなくなるんでしたっけ
@@285sunriseexpress9 そうです、やませがひどいと冷害が起きて特に稲作が打撃を受けます。県で今イチオシの特A米「青天の霹靂」は気候の関係で、やませが吹く地域では作付できません。(特A米指定に必要な品質確保のため、津軽地方でも決められた地域でのみ作付)
津軽海峡・冬景色が頭に流れてくる。
上野発の夜行列車降りた時から~♪
青森駅は雪の中
写真に挙げていただいているボンネット気動車キハ81のはつかりは常磐線経由でした。はつかりが東北本線経由になったのは583系になってからです。それと東北新幹線の大宮開業時の最高時速は210km/hでした。(因みに東海道新幹線0系の最高時速も当時は210km/hでした。)東北新幹線の最高時速が240km/hになったのは上野・大宮間の開業時です。
ホワイトボードに各地点が書いてあるだけなのに、地図が浮かんで来る不思議。スーツさんが路線図を繋いでいくともう平面(空間?)の時間・距離感把握が出来てしまう。
Instablaster.
コロナおさまったら北海道新幹線乗りに行きたいと思っていた時期が自分にもありました
蒲焼サンタ太郎 物凄い直近な過去形
今は亡き宮脇俊三さんが「本州から北海道への旅をオペラに例えると、青函連絡船が序曲で、函館から札幌への旅程が第一幕である。飛行機でいきなり千歳に行くのは第二幕から見るようなものだ」とコメントを残していたのを改めて思い出しましたね。
スーツ教授の講義。レポート書くのが追いつかない。
物心付いたときにはもう寝台列車なんてほとんど無かった。ようやく一人で泊まりがけの旅行が許されるようになったときに残っていたのはサンライズだけ。動画や画像を見て寝台列車が走っていた時代に行きたいと指を咥えて眺めるだけのもどかしい思いをしてます。
その気持ちわかります…。まあウエストエクスプレス銀河がデビューしたりするので、少しは寝台列車が復興するのを祈りたいですね。あと金の力でカシオペア紀行に乗るか。
スーツさん🎵お疲れ様です🥰大変懐かしく又大変愉しく学ばせて頂きました。当時、父母の実家に帰省する際、丸1日係りで仙台→小牛田と更にその先へと移動しディーゼル車の連結を見るのが好きでした。物凄い大きな音がしておりました。新幹線🚄やはり速いですね~✌️❣️ノスタルジック&スーツさんのreviewで有意義でした。ありがとうございます😺💕💕
札幌まで線路作ってから夜行列車を廃止して欲しかった
ほんこれ。これに尽きる。。。
誰もが思ってる事でしょうね。今からでも東京~札幌間の寝台列車と深夜特急復活してほしい。
なおキリンレモン 別に思ってない奴もたくさんいるわ、本当に鉄オタって自分たちの意見こそ国民の総意みたいに話すから気持ち悪い、スーツみたいな謙虚さを身につけろよ
@@オカコウ-p6w 偏見の塊で草ひねくれすぎやろ
札幌まで線路作ってから夜行列車を廃止して欲しかった(冗談だけど)って最後つければいいだけだった様な・・・
小学校の頃から通ってた八甲田丸とか青森駅について語ってくれて嬉しすぎる今も残されてる八甲田丸のグリーン車に座ると、自分も現役の時に乗ってみたかったと毎回強く思う
お父様が日食の社内販売員だったというのは初耳かも。※既出の情報でした名列車で行こうハイレベル?編 第11回 583系のあゆみ2/5ruclips.net/video/mohdClmR7S4/видео.html
t n 昔列車内で働いてるって言ってましたね
鉄道の家系やね
いいなぁうちなんか鉄道好きなの俺だけwww
お父様日食てのは、実は既出の情報ですね。親御さんが鉄道マニアっていうのは羨ましい限りです。
迷列車で行こうハイレベル編で言っていました
東京上野間の新幹線が開業した頃から鉄道に興味が湧かなくなったので、通時的解説は非常に役に立ちました青函連絡船に乗る前に盛岡からはつかり号(483系)に乗車しましたが、青森到着前に車掌が乗船名簿を配っていた記憶があります
最近スーツ着てない珍しいスーツ交通さん
テレワークは服装自由w
私服 交通/shifuku train
スーツ君。若いのに生き字引みたいで感心します。こんなに好きなことがあるって楽しいでしょうね!いつも感心しながら楽しく観ています。
特急まりも号・・・あの時が懐かしいな、暗い車内からの新得の夜景がホントに綺麗だったんですよ。なんともいえない、夢みたいだったな~~~
九州新幹線みたいに、端っこから作っとくべきだったんだろうなぁ...
リレー北斗
乗り換え回数が増える上に料金が割高になるからダメ
道内から作れば乗り換え回数は変わらず先行開業できたかもしれませんね。まあでも10年後にはできるのですから気長に待ちましょう。
情熱のスピーチ、お仕事、応援しております。
なんかいつも気づいたら最後までみてる
北海道まで新幹線が繋がり非常に便利になりましたが、やはり特急で移動する方が好きですね新幹線で盛岡まで4時間+特急2時間で青森行ってたのが懐かしいw 上りは特急が遅れやすくて盛岡駅で新幹線ホームまでよく走ったなぁ
他のRUclipsrを見ててたまに見ると、不自然なカットなしでこれだけ連続的に話せるのは異常(すごすぎ)
とてもいいです。またこういう動画見たいな☺
東京から北海道までの鉄道事情の歴史絵巻の御講義、大変解り易かったです。ありがとうございましたw。
なぜ私が高校生になる前にブルトレはなくなってしまったのか。乗りたかったぞ……。
静岡コーヒー まぁでも経営側からすれば邪魔でしかないよ。
@@林秀人-x1p 分かってはいるんですが、ちょうど目に見えているタイミングで還らぬ存在になってしまっただけに、悲しさと悔恨が余計に……
平成二桁になる頃にはブルトレは場末感漂っていたよ。九州発しか縁が無かったが、平成5年に食堂車が無くなってもう長く無いなって思ってました。正直新幹線ずっと乗るなら飛行機だね。飛行機の方がサービス良いし快適。
@@sunami808 幼い頃の将来の夢の一つとして「北海道の初上陸には寝台列車で」というものがありました。しかし結局実現できず、去年、安くて速い飛行機で初めて北海道に足を踏み入れました。あの列車たちが無くなってから、なぜだか途端に青函を抜けるという気力が薄れてしまいました。かつて、寝台特急に乗られた方を羨ましく思います。
需要と供給ってやつですかね
私個人的に北海道に行くときの醍醐味は青函トンネルを含む津軽海峡線を通って行くことでした。今まで北海道に行くときは必ず鉄路で行ってましたが、急行はまなすが廃止になってから一度も行っていません。今度は夜行の雰囲気を味わえるフェリーで行ってみようと思います。
青函フェリーは連絡船と同じ3時間50分ですが、船によっては個室もあり快適です。
北海道道央エリアから本州に直通する列車がなくなったことで、むしろ不便になってしまったように感じています。
札幌延伸までの辛抱ですね。それで不便ではなくなるとは思いますが起きれば札幌についているという夜行列車は旅の楽しみでもあったので寂しくなりましたね。急行はまなすはとても便利だったのですが・・・
新幹線好きだわ〜
幼い頃は上野から札幌まで国鉄メインでした。その後は飛行機一択。でも、いつの間にか鉄道もこんなに早くなってたのか。地味に驚きました。
北海道シリーズ待ってました!!
余談ですが、1970年代は芸能人も、スポーツ選手も夜汽車で移動されていました。古い話ですが、当時大人気だったジャニーズのフォーリーブスの皆さんと『あけぼの』で弘前駅で一緒に乗り合わせ致しました。ロッテ選手が仙台拠点だった時にもご一緒したことがあります。
学生時代、東京~札幌を各駅で利用したことがあります。東京~上野の夜行各駅停車が運航されていました。上野発23:40だったと思う、翌日夕刻青森着、連絡船乗船19時ころ、函館着23時頃、函館発午前零時ころ、札幌着午前7時。50年前の話。3日掛かりでした。
9:53乗船名簿の丸「特」の文字は、満員時に優先乗船させるため、青森・函館着の特急・急行の車内で配布されたもの。特別船室とは無関係。ちなみに宇高連絡船では乗船名簿は不要でした。
LCCで東京(成田)-札幌間が5000円以下で行ける時代に鉄道が淘汰されるのは仕方ないのかもしれないけど、北海道の雄大な自然を車窓から眺めながら移動するのも北海道旅行の醍醐味だよな。
出て来る列車全てが懐かしい…。青函連絡船も最後の青森行きに乗ったっけなぁ。とんぼ返りで最初のはまなすで帰ると言う事を中学生でやってました
東北本線のエースナンバーの1Mは「はつかり5号」上野・大宮・宇都宮・福島・仙台・盛岡・八戸・青森だったと思います。0時の連絡船に乗り函館で、「北斗」と5分後に出る「北海」が並んで待って待ってました。1980年代の話です。
鶯谷出身です。子供の頃は電車はずっと変わらないの物だと思っていました。ずっとはつかりやゆうづるが走っている物だと思っていましたよ。それが「リレー号」の登場から動揺しましたが、「リレー号」もずっと走ってる物だと思っていました(笑)
上野から青森を目指す寝台特急としては、はくつる、ゆうづるの他奥羽本線経由のあけぼの、高崎線→上越線→信越本線→羽越本線経由の鳥海もありましたね。果たして青函連絡のためにあけぼのや鳥海に当時の人がどれだけ乗ってたかは不明ですが、当時は寝台特急の需要が高く人の往来が盛んだったことを鑑みると選択肢の1つではあったのではないかと思います。
上野ー青森は青函連絡への接続より上京や帰省、出張などの利用が多かったですね。高速バスか夜行列車かの選択でしたねー。
1958年「特急はつかり」は常磐線経由で始まりました。C62牽引からキハ81,82まで。1968年に電車化された時から全行程東北本線に切り替わったのです。その後、1972年に常磐線経由「特急みちのく」が設定されました。
北海道新幹線は、旭川まで延伸して欲しかったなー(札幌ー旭川)→高速バスとの競争が激しいし、コスパ的に特急に勝ち目はない
元道民ですが、スーパー北斗が開業したときテレビのCMで札幌函館間2時間59分!ってやっていたのを思い出し懐かしく思いました。素晴らし動画をありがとうございました。
札幌までの新幹線の話とか気になってたんでありがたい追記 2020年現在の話で終わってます。はやとちりでした
このリンクは多分やばい奴↑誰か報告を願います追記 ご報告ありがとうございました!
この時代に行ってみたい!よし、デンライナーに乗って行こう!
2000年くらいの時にはくつる乗りました!青森から宇都宮まで乗りましたね!記憶が定かではないですが、青森を出ると浅虫温泉には止まらず次の停車駅は野辺地だったと思います。大体青森を21時くらいに出て宇都宮に5時くらいについたと記憶しています父親が学生時代は急行で東京に行っていたのですが、よく何も書かれていない箱を持った人が巡回していて隠れて車内でアイスやお菓子、弁当を売っていたそうです。その当時は青森発上野行きの各駅停車もあったそうです
夜行列車での修学旅行、集団就職、青春を感じられた人々は幸せだ。
新幹線とかの方が速くて良いのは分かっているけどやっぱり寝台特急とか長距離特急が無くなっていくのは悲しい
IKEAのソフトクリームは50円 そうですね
やきいもホクホク そうなんですか!
24:10 200系のデビュー時の最高時速は210キロでした。のちに240に引き上げられました。
最近のtwitterで貨物輸送と新幹線の輸送を考えるのを読んだので気になり見ました。究極東京〜乗る場合函館までの時間短縮になるので新幹線優先だけど札幌なら飛行機利用で貨物輸送を優先した方がいいのかなと感じました。私は長ーい旅がしてみたいので貨物も新幹線両方活かしておいて欲しいです。
3年ぐらい前からファンで動画、毎回楽しく拝見させてもらってますが、スーツ君には初めてコメント送らせてもらいます。というか、RUclipsでコメントすること自体が初めてですが笑こうゆう時世ですが、それに対応して方針を転換できるスーツ君をすごく尊敬します。これからも応援しています。頑張ってください。
いやぁ子供の頃の記憶がつながりましたよ道東の小さな町から五反田の親戚の家まで行ったときのことをおおとりで函館まで行き大時化の青函連絡船でゲロゲロして青森から寝台はくつる?ゆうづる?に乗る予定が雪でこれずはつかりの自由席になってしまい連絡船から猛ダッシュで自由席を確保するため青森駅を父親に手を引っぱられながら一生懸命走りました 1974年8歳の冬でしたスーツ君ありがとう。
「今でも上野駅で降りる人が多い」地方から上京すると帰省しやすい所に住む人が多い傾向があるそうですもちろん全てではないでしょうが…
1970年代の首都圏対北海道の鉄道連絡輸送の主役、本州では485系、583系や客車特急で北海道は80系気動車特急が中心でしたな。航空路線が長らく鉄道輸送から乗客を奪えなかったのは、大型旅客機のボーイング747の国内線での導入が遅かった為だと思います。
冷凍ミカンが食べ頃になると、上野から仙台だったな、、、はつかり、ゆうづる、はくつる、急行八甲田なんか十二時間、学生時代よく乗ってたな、、車内の消毒液の匂いが懐かしい、、、
冷凍ミカン!懐かしいですね!
@@きなこもち-m9p5y けっこう、べしゃべしゃになりますよね、あのみかん、わら
あれ我慢できずにすぐ食べてたのが懐かしいw
1988年3月13日の青函連絡船上り最終22便乗りました。函館出港の時のブラバンの蛍の光にやっつけられてグダグダになってました。
37:19 東北地方に不作を引き起こす季節風(偏東風)は、「はやて」ではなく「やませ」だと思いますja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%9B
1992年に大阪、本町を5時に出て21時に函館に到着しました。御堂筋線で新大阪、200系新幹線で東京、山手線、上野からやまびこ、盛岡から青森まではつかり、青函トンネル快速海峡で函館へ。なつかしい。
新幹線のいい所は待ち時間が少ない、揺れない、時間に正確、新幹線最高!!
それな、だけど定速巡航中のN700の乗り心地は...w
私の通っていた高校の修学旅行は私の代まで連絡船で函館青森、青森から大阪まで日本海という寝台列車で移動しました
子供の頃、北海道へ家族で行くことがよくありました。ある年は臨時急行十和田、連絡船、特急おおぞらで(おおぞらは旭川行きでなく、釧路行きだったと記憶しています)。定期運行のゆうづる3号だとカッコイイ583系寝台電車、それに比べ臨時急行十和田は昔の青や茶の客車(42系?)で90度の椅子にスキマ風、やだなぁと思っていました。キハ80系のデッキ近辺の酸っぱい匂い(おそらくゴミ箱からくる匂い)は今でも覚えています。朝函館駅で買った駅弁、かにめしと味噌汁の味は子供心にも相当衝撃的な美味しさでした。
松本清張「点と線」(1957年)を憶い出しました、急行十和田で上野→青森、アリバイに使われた青函連絡船の乗船名簿、急行まりもで函館→札幌、25時間かかってます😁
当時の最速は下りはつかり5号が8時間13分で583系、東北新幹線開業前は下りはつかり11号が8時間43分で485系を使用していた。
1970年代の話は津軽海峡冬景色の世界そのものですね
飛行機の搭乗待ちが嫌い。浮いている感覚も苦手。でも早く帰りたい。新幹線最高!
でも高い...
早割使うンゴ
貧乏だった幼少期に十和田あたりの夜行列車のボックスシートで新聞紙敷いた床に雑魚寝して福島まで帰省した思い出
約50分も相手の反応を見ずに話し続けるのってプロの教師とかでも難しそうなのにやりとげるからすごいなぁ
編集さんへ!スーツさんの話す内容に合わせて、動画の挿絵とても分かり易かったです!!ありがとうございます!!コロナで大変な時期ですが、スーツさんからはちゃんと給料貰ってくださいね!いっぱい、いっぱい笑
10:28 ロングレールでもジョイントは有ります伸縮継目と言って斜めカットする事によりレール同士をほぼ密着させても大丈夫になりました。伸縮継目にすると独特のジョイント音がしません会津鉄道線の短尺レールに伸縮継目は乗り心地や静粛性などサービスの向上に良いかもしれない...
八甲田懐かしい😌一度だけ、いわて沼宮内(当時は沼宮内駅)まで乗った事がありますが、特急じゃなくて急行だったので、かなり安価でした!
寝台列車乗車は後にも先にも昭和54年のあさかぜ1号だった。 当時最新の25形100番台増備車で編成されていていました。
一回だけ乗ったことある。大阪から青森まで白鳥に乗って、青函連絡船で。真夜中だったな。初めてでも人の列についていって、なんとなく乗れてしまった。
子供の頃の夏休み、高崎駅1番線ホームで信越線特急(もしくは急行)を待っていたとき、同じホームに上越・羽越線経由特急いなほ号青森行きが入ってきたのを見て、旅情を掻き立てられたなあ。ただ先月、久しぶりに高崎駅に行ったら、1番線ホームは使われておらず、かつ入れないようになっていたことに時代の流れを感じずにはいられなかった。
確か「四季島」か「カシオペア紀行」のカシオペアは1番線だったような。まあ専用。
@@真田英朗 13番線だと思います。
スーツさんが素晴らしい女性にモテモテちゃん!なのが…とっても良くわかりました。凄い!凄いでーす。
スーツさん万歳
宇都宮線沿いに住んでいる身として、カシオペアは身近でした。廃止されてからもう4年たつなんて早いですね。はやぶさが札幌に行くまでは維持してほしかったところですが、それまでE26系が持たなさそうでし、結果的には1往復のためだけに保線や特殊な車両コストをかけるのが費用対効果で見合わなかったのかもしれませんね。
夜の移動というのであれば、大洗~苫小牧航路八戸~苫小牧航路函館~札幌バスこの辺を使えば可能といえば可能ではある「はなます」の代替は実質夜行バスが果たしてるのが現実と思われ…(居住性では夜行列車よりかは船のほうが格段にいい、バスよりは列車のほうが良いかもしれない、が)
函館特急ニュースター号にしろ高速はこだて号にしろいまは新函館北斗を経由する便があるが、新幹線接続の需要もある程度は想定しているとは思われる
昔、青春18きっぷで北海道に行ったときは、ムーンライトえちご(だったけ?)で新潟へに入ってそこから北上しました。
そういえば、青函連絡船にあったテーブルゲームでゼビウスやったわ。函館発の札幌方面行きの一番列車は北海でした。あと、青森発だと白鳥とはつかりがほぼ同時に発車でした。
福島県いわき市との往来に、常磐線特急(ひたち・ときわ)をよく使います。最終目的地は、自宅のある渋谷駅。常磐線特急が品川に!の当初は、喜んで品川までのってました!が・・・品川で、山手線に乗り換えると「座れない!!」ことが多いんです。なので、(大して総所要時間もかわらんので)上野で降りて、山手線乗り換えします。
583ってやっぱすごいな…
某食パン列車にも魔改造されましたねw
1975年と1978年の時刻表からはつかり号上りの速達列車も485系の使用されています。
急行八甲田、子どもの頃に父親が赴任してた札幌に行くために上野から何度か乗りました。青函トンネルが出来ていない時代で…少なくとも摩周丸と大雪丸に乗船した記憶は残っています。八甲田は14系客車でしたが、不思議と列車内で乗船名簿を書いた記憶がありません。青森港で乗船時に書いたのか…ひょっとしたら小学校低学年が一人で乗り込んでるのを見て、車掌さんが書いて下すってたのかもしれません^^;(あとから母が飛行機で赴任先へ合流する手筈で、帰りは毎回日航機でした)今タイムマシンで過去に行けるとしたら、あの時の自分に「絶対黒磯の連結切離しは見とけ」と言うはずですが、子どもだからか連結に興味が無く、ただ客車内を遊び回ってました。今思えばほんっと何も見てなかったな・・・・先頭客車の貫通扉の窓から見える、夜のED75型の不気味な姿と音、時々パンタグラフと架線がショートする光が印象に残っている程度です。計画されていた事とはいえ、北海道新幹線の為に青函トンネルの在来線が無くなった事が悔しくてなりません。しかもその区間の新幹線料金が妙に高いというじゃないですか……それなら先に自動車専用道路を通せと。最後グチになってしまいましたすみません。
田舎が秋田だから、あけぼののB寝台はよく乗ったなぁ。通路のシートパタンと開けて、酒呑んでタバコ吸ってた時代が懐かしい。。。急行男鹿、津軽の直角シートも懐かしいwww
583系と485系の違いが初めて理解できたわ〜😆ガッテン😆
その昔は上野発青森行き普通列車は三ルート、常磐線経由、奥羽本線経由、東北本線経由がありました。今は、そのような普通列車は走っていませんし、あっても乗り通す人はいないでしょう。
函館始発の道内優等列車と言えば急行「宗谷」もありかな。
上野・青森だと急行「津軽」も。
臨時急行「八甲田」は青森で臨時快速「海峡」になるので、実質は上野・函館直通運転でした。ただし青森でモトトレインの付け替えがあり、長時間停車中に定期の海峡が先発するので、函館までの人しか残らない。一応清掃もありドアは閉めきられるので降車はさせられますが、ホームで駅そばをすする乗客は荷物を置きっぱなしでも構わないと言われていました。
大学受験は連絡船、入学式は海峡線、そこから長い長い付き合いの間にすっかり様変わりしました。
出稼ぎ労働者は年末に帰省するとき「津軽」で帰ることを願って一生懸命働いたとか。だから「出世列車」と言われました。
実家が常磐線沿線にあるのですが、ちょっと夜更かしをしていると遠くからゴトゴトと音が近づいては遠ざかっていったものです。
あれが貨物列車だったり「ゆうづる」や「十和田」だったりしたのかな。
今の実家の夜は静かになってしまいました。
北海道在住ですが、スーツさんの北海道を取り上げて頂き、本当にありがとうございます!
大学時代に帰省で「ゆうづる」青函連絡船「おおぞら」を乗り継いで上野と帯広をよく往復していました。所要時間は約24時間、疲れました。スーツさんの話を聞いて青春時代が懐かしく思い出されます。
スーツさんありがとうございます。
87年の夏休みでしたが青函連絡船最後の夏に乗りに行きました。往時は摩周丸復時は大雪丸で、乗船名簿も書きました。行きは上野から急行津軽で秋田で一泊し夜に青函連絡船で函館に行き特急北斗で札幌に行き帰りは札幌から急行すずらん90号の寝台に乗り青森から急行十和田に乗り上野まで乗車しました。
父上が東北線に乗務してたのなんかすごいですね...!
埼玉の羽田も成田も遠いところに住んでるから大宮から乗って寝て起きて北海道に行ける寝台特急は便利だないつか乗ってみたいなって思ってたらなくなってた
大宮住みだから分かる。マジで新幹線便利。
ポンワカモレだよ 新潟にも金沢にも東北にも速く行けて本当に便利ですよね
川越住みなので新幹線にかなり頼ってます
@@kuytm4264 それな
@@kuytm4264 確かに都民だったら羽田あるし2大アクセス特急有るから成田にも行けるし飛行機便利かもだけど埼玉県民にしたら東日本系統の新幹線便利ですよね🚄そんな俺は新座民。
青函連絡船乗船名簿は洗面所に紐で通して吊るしてあったけど青森駅が近付くと車掌が配りに来たよ。桟橋の窓口で配った(特急接続のないお客専用)乗船名簿には混雑期のみ出港時刻が記載されて便名指定された乗船名簿もありました。乗船名簿の右上に3桁の数字が入っているのが583系洗面所に常備してあった乗船名簿です。 寝台の飾り毛布は花毛布とも呼ばれ、1990年までの長距離フェリーのスイートルームでは実際に折ってありました。
プロジェクトXで青函トンネルの完成過程を見ましたが亡くなられた方もいて、壮絶な戦いの映像だったことを記憶しています。その苦労を無駄しないように北海道新幹線🚄が札幌まで開通できることを心より願っています✨
確か高倉健さん主演の青函トンネル掘削の映画がありました。「海峡」だったでしょうか。その技術を生かしてユーロトンネルができたと思いました。
新幹線は便利だが、季節の変わり目に定期的に寝台列車を走らせて欲しい。
minomushimonta
やって欲しいけど、コストが…
利益の出るように乗車料金を設定すると、とんでもない高額になりそう(利益がでなければ、会社は走らせる意味ないから)
ああん まぁJRも慈善事業じゃないですからね
経済的な話は置いといて寝台列車は寝台列車でも客車列車が良い!あと青色で青函トンネルを通るルートで!(現実逃避)
ああ 下品な上に何も面白くないなんて絶望的だな
@@蝶の舞 鉄ヲタは下品だから下品なものがすきなのかとおもったわい
連絡船があった頃の青森駅や函館駅は本当にデカイ駅だったなぁ。
列車の本数も多かったし、函館駅の待合室は土産屋や日食の食堂があったし、駅前も賑やかだった。
良い時代だったね。
私の祖父は元国鉄職員で盛岡駅で働いていました。当時を聞くと朝方にかけては寝台特急に乗ってきたお客様の対応が大変だったみたいですね。今も使い切りの記念切符や見本の記念切符を大量に貰いました。
北斗星やカシオペアとか寝台特急が
あった時より、時間短縮化は成功されたものの、鉄道の旅の醍醐味の景色を楽しんだりすることが少なくなってしまったなと思いました。
なので、スーツさんが特別特急のカシオペアを乗る動画を見るとあの頃の楽しみなどが、沢山感じられます!
北海道新幹線が札幌まで延伸することになれば、必ずや 「東京ー札幌間夜行寝台新幹線」を運行させて欲しいです
@@fighta_23
現実的に無理だろ。夜間の保線も出来なくなるしなにより新幹線は法律上0時~6時は走行できない。
@@私はコーラ
夜行新幹線を走らせる曜日を金~月曜日に限定させれば保線作業はどうにでもなるはず
時速60~95km/hぐらいで走行させれば騒音問題も起きないし、その合間を縫って保線作業をする事も十二分に可能になる
最初から無理であると決め付けて何もしないことのほうが利用客にとっても会社にとってもマイナスだとしか言いようがないと思います
@@私はコーラ
それと「法律的」には可能である
その事は私が国土交通省に問い合わせて確認済みである
@@fighta_23
夢のある話ではあるけれどその速度では北斗星やカシオペアと大差ない話になり寝台列車が廃止された経緯を考えれば利用客が少なく金をかけて車両を製造して運行するメリットは皆無かと思われます。
鉄道はファンだけが乗るものでは無く一般客を獲得出来なければ収益に繋がりません。一般客が高くて時間のかかる寝台と格安航空どちらを選ぶかはもう答えが出ているように思えます。
JRが民間企業である以上収益を考え社員を養っていく必要がある以上儲からない列車を増やす事になるので実現性は薄いでしょう。
ただし、一鉄道ファンとしては実現したのならばぜひ乗ってみたいと考えますね。
35:41 88年時点での上野ー盛岡の最速列車“スーパーやまびこ”は2時間32分で走破していたようです。最高時速は240km/hで途中仙台のみ停車。ただしスーツさんのおっしゃるとおり大部分の列車の所要時間は約3時間程度であったとされています。
いわゆるパンフレット用の最速列車ですねw
37:20東北地方で冷害になる風の名前は「はやて」ではなく「やませ」です。
春から夏にかけて太平洋側吹く冷たく湿った風のことです!
ちなみに「はやて」は、急に速く吹く風のことです!
やませの別名が疾風でありませんでしたっけ?感染症の別名だったかもしれません。
はやての別名が疾風ですよ!
追記:感染症の事も言いますね。「疫痢」の事を「はやて」とも読んでいたようです!
編集挟んでるとはいえ、これだけ長時間喋る体力は凄いな
余裕でしょ
わてできるで
@@Joano_ru それは自慢になるね。そこまでの熱量が羨ましい。
これは列車に限らず飛行機もなんですが、結局のところ公共交通機関はファンのために走るわけじゃないですからねぇ・・・古いものはどんどん淘汰されて仕方ないのかなとも思います
個人的に東京~札幌が5時間だとちょっと考えちゃいますけど、飛行機に比べて雪に強い新幹線は冬の長い北海道で言われてる以上に重宝されるかもしれませんね
ゆはさん まぁ年に数回しか乗らない者と通勤通学で毎日使う者とを比べたら利便性を優先するのは当たり前ですからねぇ。
飛行機やLCCのおかげでロープライスになり便利になったけど確かに高速化は仕方ないかもね
@@Yamazaki-l2z
ですが、新幹線に通勤で乗る人って、そこまで多くはないはずので、新幹線に限らず長距離列車の運行目的のメインは、年に数回しか乗らない人の輸送の方なのではないですかね。
@@伊地-e1t 私の会社では出張などで札幌へ行くことが定期的にあります。もちろん帰省や長期休暇期間の旅行客も多いとは思いますが、仕事関係の移動手段として使われる部分はかなり大きいです。いまは減りましたが冬季は飛行機が止まることも多く仙台ー札幌間くらいの移動なら札幌延伸後は新幹線での移動にきりかえる会社も多いと思います。
ファンのために走るものじゃない。確かにそうです。
高速化は確かにメリットが大きいものであります。
しかし、北海道行きの夜行列車に関しては乗車自体がすでに観光の一部になっていたと思います。
北海道上陸後の海や平原の独特な景色は北海道に来たぞという感覚を一番に味わう事ができるものでした。
北海道とは長い長い時間をかけてでも行く価値のある希有な場所です。
こんな事をいつまで言ってても仕方ないのですが、夜行列車廃止は個人的には残念でなりません。
37:15 東北に吹く冷たい風は「やませ」じゃなかったかな「はやて」は疫痢の古称らしいです
りゅんへも じゃあ、はやてって、あかんやないかいwwww
あくまで古称ですから、現在使われてるのは専ら「突然の強い風」という意味ですね。
鉄道に使うには、そちらでも縁起が悪いとも言えますが
「新幹線最寄り駅が八戸」の地元民です。
季節風は「やませ」ですねぇ(*´-`)めっちゃ冷えるんですよ、梅雨時にストーブつけたくなるくらい。
冷害になって農作物が育たなくなるんでしたっけ
@@285sunriseexpress9 そうです、やませがひどいと冷害が起きて特に稲作が打撃を受けます。県で今イチオシの特A米「青天の霹靂」は気候の関係で、やませが吹く地域では作付できません。(特A米指定に必要な品質確保のため、津軽地方でも決められた地域でのみ作付)
津軽海峡・冬景色が頭に流れてくる。
上野発の夜行列車降りた時から~♪
青森駅は雪の中
写真に挙げていただいているボンネット気動車キハ81のはつかりは常磐線経由でした。はつかりが東北本線経由になったのは583系になってからです。それと東北新幹線の大宮開業時の最高時速は210km/hでした。(因みに東海道新幹線0系の最高時速も当時は210km/hでした。)東北新幹線の最高時速が240km/hになったのは上野・大宮間の開業時です。
ホワイトボードに各地点が書いてあるだけなのに、地図が浮かんで来る不思議。スーツさんが路線図を繋いでいくともう平面(空間?)の時間・距離感把握が出来てしまう。
Instablaster.
コロナおさまったら北海道新幹線乗りに行きたいと思っていた時期が自分にもありました
蒲焼サンタ太郎
物凄い直近な過去形
今は亡き宮脇俊三さんが「本州から北海道への旅をオペラに例えると、青函連絡船が序曲で、函館から札幌への旅程が第一幕である。飛行機でいきなり千歳に行くのは第二幕から見るようなものだ」とコメントを残していたのを改めて思い出しましたね。
スーツ教授の講義。レポート書くのが追いつかない。
物心付いたときにはもう寝台列車なんてほとんど無かった。ようやく一人で泊まりがけの旅行が許されるようになったときに残っていたのはサンライズだけ。動画や画像を見て寝台列車が走っていた時代に行きたいと指を咥えて眺めるだけのもどかしい思いをしてます。
その気持ちわかります…。まあウエストエクスプレス銀河がデビューしたりするので、少しは寝台列車が復興するのを祈りたいですね。あと金の力でカシオペア紀行に乗るか。
スーツさん🎵お疲れ様です🥰
大変懐かしく又大変愉しく学ばせて頂きました。
当時、父母の実家に帰省する際、丸1日係りで仙台→小牛田と更にその先へと移動しディーゼル車の連結を見るのが好きでした。
物凄い大きな音がしておりました。
新幹線🚄やはり速いですね~✌️❣️
ノスタルジック&スーツさんのreviewで有意義でした。
ありがとうございます😺💕💕
札幌まで線路作ってから夜行列車を廃止して欲しかった
ほんこれ。これに尽きる。。。
誰もが思ってる事でしょうね。
今からでも東京~札幌間の寝台列車と深夜特急復活してほしい。
なおキリンレモン 別に思ってない奴もたくさんいるわ、本当に鉄オタって自分たちの意見こそ国民の総意みたいに話すから気持ち悪い、スーツみたいな謙虚さを身につけろよ
@@オカコウ-p6w 偏見の塊で草
ひねくれすぎやろ
札幌まで線路作ってから夜行列車を廃止して欲しかった(冗談だけど)
って最後つければいいだけだった様な・・・
小学校の頃から通ってた八甲田丸とか青森駅について語ってくれて嬉しすぎる
今も残されてる八甲田丸のグリーン車に座ると、自分も現役の時に乗ってみたかったと毎回強く思う
お父様が日食の社内販売員だったというのは初耳かも。
※既出の情報でした
名列車で行こうハイレベル?編 第11回 583系のあゆみ2/5
ruclips.net/video/mohdClmR7S4/видео.html
t n 昔列車内で働いてるって言ってましたね
鉄道の家系やね
いいなぁ
うちなんか鉄道好きなの俺だけwww
お父様日食てのは、実は既出の情報ですね。
親御さんが鉄道マニアっていうのは羨ましい限りです。
迷列車で行こうハイレベル編で
言っていました
東京上野間の新幹線が開業した頃から鉄道に興味が湧かなくなったので、通時的解説は非常に役に立ちました
青函連絡船に乗る前に盛岡からはつかり号(483系)に乗車しましたが、青森到着前に車掌が乗船名簿を配っていた記憶があります
最近スーツ着てない珍しいスーツ交通さん
テレワークは服装自由w
私服 交通/shifuku train
スーツ君。若いのに生き字引みたいで感心します。こんなに好きなことがあるって楽しいでしょうね!いつも感心しながら楽しく観ています。
特急まりも号・・・あの時が懐かしいな、暗い車内からの新得の夜景がホントに綺麗だったんですよ。なんともいえない、夢みたいだったな~~~
九州新幹線みたいに、端っこから作っとくべきだったんだろうなぁ...
リレー北斗
乗り換え回数が増える上に料金が割高になるからダメ
道内から作れば乗り換え回数は変わらず先行開業できたかもしれませんね。まあでも10年後にはできるのですから気長に待ちましょう。
情熱のスピーチ、お仕事、応援しております。
なんかいつも気づいたら最後までみてる
北海道まで新幹線が繋がり非常に便利になりましたが、やはり特急で移動する方が好きですね
新幹線で盛岡まで4時間+特急2時間で青森行ってたのが懐かしいw 上りは特急が遅れやすくて盛岡駅で新幹線ホームまでよく走ったなぁ
他のRUclipsrを見ててたまに見ると、不自然なカットなしでこれだけ連続的に話せるのは異常(すごすぎ)
とてもいいです。またこういう動画見たいな☺
東京から北海道までの鉄道事情の歴史絵巻の御講義、大変解り易かったです。
ありがとうございましたw。
なぜ私が高校生になる前にブルトレはなくなってしまったのか。乗りたかったぞ……。
静岡コーヒー まぁでも経営側からすれば邪魔でしかないよ。
@@林秀人-x1p 分かってはいるんですが、ちょうど目に見えているタイミングで還らぬ存在になってしまっただけに、悲しさと悔恨が余計に……
平成二桁になる頃にはブルトレは場末感漂っていたよ。九州発しか縁が無かったが、平成5年に食堂車が無くなってもう長く無いなって思ってました。正直新幹線ずっと乗るなら飛行機だね。飛行機の方がサービス良いし快適。
@@sunami808 幼い頃の将来の夢の一つとして「北海道の初上陸には寝台列車で」というものがありました。しかし結局実現できず、去年、安くて速い飛行機で初めて北海道に足を踏み入れました。あの列車たちが無くなってから、なぜだか途端に青函を抜けるという気力が薄れてしまいました。
かつて、寝台特急に乗られた方を羨ましく思います。
需要と供給ってやつですかね
私個人的に北海道に行くときの醍醐味は青函トンネルを含む津軽海峡線を通って行くことでした。今まで北海道に行くときは必ず鉄路で行ってましたが、急行はまなすが廃止になってから一度も行っていません。今度は夜行の雰囲気を味わえるフェリーで行ってみようと思います。
青函フェリーは連絡船と同じ3時間50分ですが、船によっては個室もあり快適です。
北海道道央エリアから本州に直通する列車がなくなったことで、むしろ不便になってしまったように感じています。
札幌延伸までの辛抱ですね。それで不便ではなくなるとは思いますが起きれば札幌についているという夜行列車は旅の楽しみでもあったので寂しくなりましたね。急行はまなすはとても便利だったのですが・・・
新幹線好きだわ〜
幼い頃は上野から札幌まで国鉄メインでした。その後は飛行機一択。でも、いつの間にか鉄道もこんなに早くなってたのか。地味に驚きました。
北海道シリーズ待ってました!!
余談ですが、1970年代は芸能人も、スポーツ選手も夜汽車で移動されていました。古い話ですが、当時大人気だったジャニーズのフォーリーブスの皆さんと『あけぼの』で弘前駅で一緒に乗り合わせ致しました。ロッテ選手が仙台拠点だった時にもご一緒したことがあります。
学生時代、東京~札幌を各駅で利用したことがあります。
東京~上野の夜行各駅停車が運航されていました。
上野発23:40だったと思う、翌日夕刻青森着、連絡船乗船19時ころ、
函館着23時頃、函館発午前零時ころ、札幌着午前7時。
50年前の話。3日掛かりでした。
9:53
乗船名簿の丸「特」の文字は、満員時に優先乗船させるため、青森・函館着の特急・急行の車内で配布されたもの。特別船室とは無関係。
ちなみに宇高連絡船では乗船名簿は不要でした。
LCCで東京(成田)-札幌間が5000円以下で行ける時代に鉄道が淘汰されるのは仕方ないのかもしれないけど、北海道の雄大な自然を車窓から眺めながら移動するのも北海道旅行の醍醐味だよな。
出て来る列車全てが懐かしい…。青函連絡船も最後の青森行きに乗ったっけなぁ。とんぼ返りで最初のはまなすで帰ると言う事を中学生でやってました
東北本線のエースナンバーの1Mは「はつかり5号」上野・大宮・宇都宮・福島・仙台・盛岡・八戸・青森だったと思います。
0時の連絡船に乗り函館で、「北斗」と5分後に出る「北海」が並んで待って待ってました。
1980年代の話です。
鶯谷出身です。子供の頃は電車はずっと変わらないの物だと思っていました。ずっとはつかりやゆうづるが走っている物だと思っていましたよ。
それが「リレー号」の登場から動揺しましたが、「リレー号」もずっと走ってる物だと思っていました(笑)
上野から青森を目指す寝台特急としては、はくつる、ゆうづるの他奥羽本線経由のあけぼの、高崎線→上越線→信越本線→羽越本線経由の鳥海もありましたね。果たして青函連絡のためにあけぼのや鳥海に当時の人がどれだけ乗ってたかは不明ですが、当時は寝台特急の需要が高く人の往来が盛んだったことを鑑みると選択肢の1つではあったのではないかと思います。
上野ー青森は青函連絡への接続より上京や帰省、出張などの利用が多かったですね。高速バスか夜行列車かの選択でしたねー。
1958年「特急はつかり」は常磐線経由で始まりました。C62牽引からキハ81,82まで。
1968年に電車化された時から全行程東北本線に切り替わったのです。
その後、1972年に常磐線経由「特急みちのく」が設定されました。
北海道新幹線は、旭川まで延伸して欲しかったなー(札幌ー旭川)
→高速バスとの競争が激しいし、コスパ的に特急に勝ち目はない
元道民ですが、スーパー北斗が開業したときテレビのCMで札幌函館間2時間59分!ってやっていたのを思い出し懐かしく思いました。
素晴らし動画をありがとうございました。
札幌までの新幹線の話とか気になってたんでありがたい
追記 2020年現在の話で終わってます。はやとちりでした
このリンクは多分やばい奴↑
誰か報告を願います
追記 ご報告ありがとうございました!
この時代に行ってみたい!
よし、デンライナーに乗って行こう!
2000年くらいの時にはくつる乗りました!
青森から宇都宮まで乗りましたね!
記憶が定かではないですが、青森を出ると浅虫温泉には止まらず次の停車駅は野辺地だったと思います。
大体青森を21時くらいに出て宇都宮に5時くらいについたと記憶しています
父親が学生時代は急行で東京に行っていたのですが、よく何も書かれていない箱を持った人が巡回していて隠れて車内でアイスやお菓子、弁当を売っていたそうです。
その当時は青森発上野行きの各駅停車もあったそうです
夜行列車での修学旅行、集団就職、青春を感じられた人々は幸せだ。
新幹線とかの方が速くて良いのは分かっているけどやっぱり寝台特急とか長距離特急が無くなっていくのは悲しい
IKEAのソフトクリームは50円 そうですね
やきいもホクホク そうなんですか!
北海道新幹線が札幌まで延伸することになれば、必ずや 「東京ー札幌間夜行寝台新幹線」を運行させて欲しいです
24:10 200系のデビュー時の最高時速は210キロでした。のちに240に引き上げられました。
最近のtwitterで貨物輸送と新幹線の輸送を考えるのを読んだので気になり見ました。究極東京〜乗る場合函館までの時間短縮になるので新幹線優先だけど札幌なら飛行機利用で貨物輸送を優先した方がいいのかなと感じました。私は長ーい旅がしてみたいので貨物も新幹線両方活かしておいて欲しいです。
3年ぐらい前からファンで動画、毎回楽しく拝見させてもらってますが、スーツ君には初めてコメント送らせてもらいます。というか、RUclipsでコメントすること自体が初めてですが笑
こうゆう時世ですが、それに対応して方針を転換できるスーツ君をすごく尊敬します。
これからも応援しています。頑張ってください。
いやぁ子供の頃の記憶がつながりましたよ道東の小さな町から五反田の親戚の家まで行ったときのことを
おおとりで函館まで行き大時化の青函連絡船でゲロゲロして青森から寝台はくつる?ゆうづる?に乗る予定が
雪でこれずはつかりの自由席になってしまい連絡船から猛ダッシュで自由席を確保するため青森駅を父親に
手を引っぱられながら一生懸命走りました 1974年8歳の冬でしたスーツ君ありがとう。
「今でも上野駅で降りる人が多い」
地方から上京すると帰省しやすい所に住む人が多い傾向があるそうです
もちろん全てではないでしょうが…
1970年代の首都圏対北海道の鉄道連絡輸送の主役、本州では485系、583系や客車特急で北海道は80系気動車特急が中心でしたな。
航空路線が長らく鉄道輸送から乗客を奪えなかったのは、大型旅客機のボーイング747の国内線での導入が遅かった為だと思います。
冷凍ミカンが食べ頃になると、上野から仙台だったな、、、はつかり、ゆうづる、はくつる、急行八甲田なんか十二時間、学生時代よく乗ってたな、、車内の消毒液の匂いが懐かしい、、、
冷凍ミカン!懐かしいですね!
@@きなこもち-m9p5y
けっこう、べしゃべしゃになりますよね、あのみかん、わら
あれ我慢できずにすぐ食べてたのが懐かしいw
1988年3月13日の青函連絡船上り最終22便乗りました。函館出港の時のブラバンの蛍の光にやっつけられてグダグダになってました。
37:19 東北地方に不作を引き起こす季節風(偏東風)は、「はやて」ではなく「やませ」だと思います
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%84%E3%81%BE%E3%81%9B
1992年に大阪、本町を5時に出て21時に函館に到着しました。
御堂筋線で新大阪、200系新幹線で東京、山手線、上野からやまびこ、盛岡から青森まではつかり、青函トンネル快速海峡で函館へ。
なつかしい。
新幹線のいい所は待ち時間が少ない、揺れない、時間に正確、新幹線最高!!
それな、だけど定速巡航中のN700の乗り心地は...w
私の通っていた高校の修学旅行は私の代まで連絡船で函館青森、青森から大阪まで日本海という寝台列車で移動しました
子供の頃、北海道へ家族で行くことがよくありました。ある年は臨時急行十和田、連絡船、特急おおぞらで(おおぞらは旭川行きでなく、釧路行きだったと記憶しています)。定期運行のゆうづる3号だとカッコイイ583系寝台電車、それに比べ臨時急行十和田は昔の青や茶の客車(42系?)で90度の椅子にスキマ風、やだなぁと思っていました。キハ80系のデッキ近辺の酸っぱい匂い(おそらくゴミ箱からくる匂い)は今でも覚えています。朝函館駅で買った駅弁、かにめしと味噌汁の味は子供心にも相当衝撃的な美味しさでした。
松本清張「点と線」(1957年)を憶い出しました、急行十和田で上野→青森、アリバイに使われた青函連絡船の乗船名簿、急行まりもで函館→札幌、25時間かかってます😁
当時の最速は下りはつかり5号が8時間13分で583系、東北新幹線開業前は下りはつかり11号が8時間43分で485系を使用していた。
1970年代の話は津軽海峡冬景色の世界そのものですね
飛行機の搭乗待ちが嫌い。
浮いている感覚も苦手。
でも早く帰りたい。
新幹線最高!
でも高い...
早割使うンゴ
貧乏だった幼少期に十和田あたりの夜行列車のボックスシートで新聞紙敷いた床に雑魚寝して福島まで帰省した思い出
約50分も相手の反応を見ずに話し続けるのってプロの教師とかでも難しそうなのにやりとげるからすごいなぁ
編集さんへ!
スーツさんの話す内容に合わせて、動画の挿絵とても分かり易かったです!!
ありがとうございます!!
コロナで大変な時期ですが、スーツさんからはちゃんと給料貰ってくださいね!いっぱい、いっぱい笑
10:28 ロングレールでもジョイントは有ります
伸縮継目と言って斜めカットする事によりレール同士をほぼ密着させても大丈夫になりました。
伸縮継目にすると独特のジョイント音がしません
会津鉄道線の短尺レールに伸縮継目は乗り心地や静粛性などサービスの向上に良いかもしれない...
八甲田懐かしい😌
一度だけ、いわて沼宮内(当時は沼宮内駅)まで乗った事がありますが、特急じゃなくて急行だったので、かなり安価でした!
寝台列車乗車は後にも先にも昭和54年のあさかぜ1号だった。 当時最新の25形100番台増備車で編成されていて
いました。
一回だけ乗ったことある。
大阪から青森まで白鳥に乗って、青函連絡船で。真夜中だったな。初めてでも人の列についていって、なんとなく乗れてしまった。
子供の頃の夏休み、高崎駅1番線ホームで信越線特急(もしくは急行)を待っていたとき、同じホームに上越・羽越線経由特急いなほ号青森行きが入ってきたのを見て、旅情を掻き立てられたなあ。
ただ先月、久しぶりに高崎駅に行ったら、1番線ホームは使われておらず、かつ入れないようになっていたことに時代の流れを感じずにはいられなかった。
確か「四季島」か「カシオペア紀行」のカシオペアは1番線だったような。まあ専用。
@@真田英朗 13番線だと思います。
スーツさんが素晴らしい女性にモテモテちゃん!なのが…とっても良くわかりました。凄い!凄いでーす。
スーツさん万歳
宇都宮線沿いに住んでいる身として、カシオペアは身近でした。廃止されてからもう4年たつなんて早いですね。はやぶさが札幌に行くまでは維持してほしかったところですが、それまでE26系が持たなさそうでし、結果的には1往復のためだけに保線や特殊な車両コストをかけるのが費用対効果で見合わなかったのかもしれませんね。
夜の移動というのであれば、
大洗~苫小牧航路
八戸~苫小牧航路
函館~札幌バス
この辺を使えば可能といえば可能ではある
「はなます」の代替は実質夜行バスが果たしてるのが現実と思われ…
(居住性では夜行列車よりかは船のほうが格段にいい、バスよりは列車のほうが良いかもしれない、が)
函館特急ニュースター号にしろ高速はこだて号にしろ
いまは新函館北斗を経由する便があるが、新幹線接続の需要もある程度は想定しているとは思われる
昔、青春18きっぷで北海道に行ったときは、ムーンライトえちご(だったけ?)で新潟へに入ってそこから北上しました。
そういえば、青函連絡船にあったテーブルゲームでゼビウスやったわ。函館発の札幌方面行きの一番列車は北海でした。あと、青森発だと白鳥とはつかりがほぼ同時に発車でした。
福島県いわき市との往来に、常磐線特急(ひたち・ときわ)をよく使います。
最終目的地は、自宅のある渋谷駅。
常磐線特急が品川に!の当初は、喜んで品川までのってました!が・・・
品川で、山手線に乗り換えると「座れない!!」ことが多いんです。
なので、(大して総所要時間もかわらんので)上野で降りて、山手線乗り換えします。
583ってやっぱすごいな…
某食パン列車にも魔改造されましたねw
1975年と1978年の時刻表から
はつかり号上りの速達列車も485系の使用されています。
急行八甲田、子どもの頃に父親が赴任してた札幌に行くために上野から何度か乗りました。
青函トンネルが出来ていない時代で…少なくとも摩周丸と大雪丸に乗船した記憶は残っています。
八甲田は14系客車でしたが、不思議と列車内で乗船名簿を書いた記憶がありません。
青森港で乗船時に書いたのか…ひょっとしたら小学校低学年が一人で乗り込んでるのを見て、車掌さんが書いて下すってたのかもしれません^^;
(あとから母が飛行機で赴任先へ合流する手筈で、帰りは毎回日航機でした)
今タイムマシンで過去に行けるとしたら、あの時の自分に「絶対黒磯の連結切離しは見とけ」と言うはずですが、子どもだからか連結に興味が無く、ただ客車内を遊び回ってました。今思えばほんっと何も見てなかったな・・・・
先頭客車の貫通扉の窓から見える、夜のED75型の不気味な姿と音、時々パンタグラフと架線がショートする光が印象に残っている程度です。
計画されていた事とはいえ、北海道新幹線の為に青函トンネルの在来線が無くなった事が悔しくてなりません。
しかもその区間の新幹線料金が妙に高いというじゃないですか……それなら先に自動車専用道路を通せと。
最後グチになってしまいましたすみません。
田舎が秋田だから、あけぼののB寝台はよく乗ったなぁ。
通路のシートパタンと開けて、酒呑んでタバコ吸ってた時代が懐かしい。。。
急行男鹿、津軽の直角シートも懐かしいwww
583系と485系の違いが初めて理解できたわ〜😆ガッテン😆
その昔は上野発青森行き普通列車は三ルート、常磐線経由、奥羽本線経由、東北本線経由がありました。今は、そのような普通列車は走っていませんし、あっても乗り通す人はいないでしょう。