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2018年に93歳で亡くなった叔父は、RUclipsの赤松さんを見て「あっ、俺の一番機だ!」と言って興奮していました。1945/06/23赤松さんが相模原上空での空戦の頃、叔父たちは千葉県八街上空で戦っていました。1945/08/10赤松さんの2番機として交戦中、東部被弾不時着となり、その後岩手県鉛温泉で終戦を迎えました。今の人たちが当時の事に関心を持ってくれることを嬉しく思っていると思います。
赤松大尉の列機だったということは、そうとうな腕前だったのでしょうね。自分についてこれないやつは列機にしないという話がありましたから。
叔父が厚木の302海軍航空隊に配属されたのが1945/04/05となっているので、同じ航空隊にいたのは4か月程度と思います。赤松さんと一緒に飛んだのは、1945/08/10だけだったかもしれません。その当時搭乗員がいなくなっていたとも言っていました。
@@imokoono6595凄いですね!俺も赤松貞明中尉には 凄すぎるな って思ってましたよ.蒼空のイージスで 知ったのが始まりでしたけど.俺の方は 母方の曾祖父が 大日本帝国陸軍の軍人で 旧満州の新京で ソ連軍のT-34に 挺身攻撃で 亡くなったと聞きましたから,
日本を守ってくれた戦士に感謝しかありません。
私の爺さんが戦後に赤松さんと仕事をしていた縁で小さい頃から赤松さんの話を聞いて育ってきた為この動画に出会えて嬉しかったのと同時に懐かしい気持ちになれました。最も、聞いた話は戦後の内容が殆どしたので戦中の話は大変興味深く聴き入ってしまいました。聞いて育った人物像とこの動画の人物像が全く変わらず笑ってしまいました。戦時中爺さんは一式陸攻の搭乗整備員で戦後に赤松さんの所で整備を担当していたそうです。エンジンをかける際「陸軍の連中ばかりで気合いが入らん」かったそうで爺さんの海軍式をえらく気に入ってくれたと嬉しそうに話していましたっけ。戦後も酒好き女好きは治ってなかったようでその手の話はいくつか聞きましたが黙っておきますね笑懐かしい思いと新しく貴重な内容を共有して頂き有難う御座いました。
昔、職場の同僚で初老の人の父親が海軍航空隊の整備兵で赤松さんの機体担当をしていて階級の立場を関係無しで雷電の機体について真剣に語り合い、休みの時は一緒に飲み歩いて居たそうです。
@@73moto 様世の中狭いもので、あちらこちらに縁が有るものだなと驚いております。貴重なお話を有難う御座います。そういえば、どう言う訳か爺さんも戦時中には触ってすらいないはずの雷電の事を妙に良く話していたのでもしかすると、赤松さんの影響だったのかもしれません。そう考えると、爺さんも子供っぽく思えてきて不思議な気分です笑私の聞いた話でも赤松さんは分け隔てなく接してくださる方だった様です。赤松さんが貰った勲章を爺さんが「良いなぁ」と言った際には「それが欲しいのか?欲しいならやるぞ?」と言われたそうです。文章ではニュアンスが伝わりにくいのですが後輩が羨ましがってたので、気さくにプレゼントしようしたと言う感じでしょうか?大事な物のはずなんですがね!そのくらいに気さくに分け隔てなく接してくれていたと私は思っています。ただ、その後に「ただ、それは人を殺して貰ったもんやから羨ましがる様なもんじゃない」とも諭されたそうでそこで爺さんは「はっ」となったと言っていました。軽薄さが目立つ(失礼)赤松さんと言う方ですが私は決して、それだけで語るべきではないのではないかなと思います。長々と語ってしまい申し訳ありません。赤松さんの人の好さが表れている貴重なお話改めまして共有して頂き有難う御座いました。
@@hawk0629 とにもかくにも規格外な方だったのでしょう。
いや酔っ払って報告盛るんじゃなくて減らすんかいw
赤松さんは雷電が好きすぎて徹夜で分解組み立てしてしまったらしいですね!そのエピソードを本で知りめっちゃ惚れました!
エースパイロット列伝もさることながら、当時を蘇らせる視聴者のコメントを読むのが大好きな自分です。先の大戦で懸命に戦った方々の事、いつまでも忘れず語り継ぎたいと思います。
元自衛官の親父が言ってたのは「教官が羨ましい赤トンボに空を教えられ零戦に鍛えられジャンボジェットで平和な空を飛ぶ。俺の飛行機乗り人生も良かったけど教官が羨ましくて仕方ない」
この方、奥様が手紙と一緒に送ってきた陰毛を部下に自慢していたらその陰毛がどこかに吹き飛んでしまって、その際に部下達に「総員、カアちゃんの毛を探せ!」と言って、部下たちと一緒に奥様の陰毛を探したという、とんでもエピソードも読んだ事があります😂
陰毛エピソード有名ですねw
赤松さんは後に高知市で小さな飲み屋を営んでおり常連客が絶えなかったそうです。赤松さんが仕切るカウンター内は、緑色で塗られていてさながら戦闘機のコクピットを再現したような作りでお酒を振る舞っていたと聞きました。
そうなんですね、高知は昔からどの業界でも名を残される方が多いですよね。革新的な発想力と豪快さを兼ね備えた様な人物を数多く輩出している様に感じます。伝統的に教育環境が良いのかも知れませんね。とても羨ましいです
ただ雷電は(迎撃機だったゆえに)欧米先進国の戦闘機の進化の推移にも沿った高翼面荷重の機体で複葉機のヒラリヒラリ感がまったく無い代わりに、700Km/h超えの急降下許容速度が保障されており、ベテランの赤松氏は技術、戦術思想の変化をたぶん機体から感じ取っておられたのでは?って思います。
8年間で被弾5回って最強じゃん。
戦闘機乗りでは別格の人ですね。小園さんが離さなかったから、源田さんが343に引っ張りに掛かった時も 戦死した事にして迄 引き抜きを拒んでましたからね。
日本海軍の戦闘機エースパイロットで坂井、西澤さんは零戦乗りで職人気質の格闘戦がモットーだけど赤松さんは雷電に乗ってチームワークで戦い部下に戦術を教えて戦果よりも生き残る事を教えて熟練者になる事を育てて居たから、戦術教官としても貴重な戦闘機パイロット
いや、確か戦死した事にしたのではなく、無理矢理内勤にしたりして配何がなんでも引き抜かれないようにしたと読んだ記憶があります(笑)
沢山撃墜してきた傑人は、いくら敵が大編隊を組んできても味方が少数機でも果敢に挑み、出撃する度に帰還してくる。そして神風特別攻撃隊への招聘がきても、当たり前のように無視して迎撃すべき出撃を続けます。何で一回で逝かなくてならないんだ、一機でも多く撃墜して逝くのが本懐という信念が素晴らしい
今回の動画も素晴らしかったです。時にはクスッとし、時には込み上げるものを堪えながら、十数分の動画を観たあとには、まるで一本の大作映画を観たような感覚になります。次作、楽しみにしております!
本当に今回もさいっこうに面白く分かりやすく見させていただきました。僕はもともと戦艦が好きでしたがこのチャンネルに出会い戦闘機の良さを知り、更には日本軍の英雄たちもしれました。本当に大好きなチャンネルです。これからも頑張ってください👍
今回も素晴らしい解説動画をありがとうございます‼️こういう色々な意味でぶっ飛んだ凄い人って、いつの時代も魅力的ですね。過酷な戦線を生き抜けたのは、自身の確固たる戦い方を貫いたからというのもあるのでしょう。太平洋戦争の日本の歴史教育には納得し難いことが多いので、こうした動画がもっと世に広まる事を願うばかりです。
編集ご苦労様でした。今回も最高に面白かったです。タイトル最高でーす。次回も楽しみにしてます。
戦後における赤松の写真を披瀝してくださりありがとうございました❤
雷電「ぬう、あのパイロットは…」友軍機「知っているのか、雷電!」
雷電という名前もかっこいい
ずんぐりとした胴体から、相撲取りの雷電為右衛門から命名されたんじゃないかと、想像したりしてました。
@@user-mond77 部隊では雷電はJ2あるいはタメと呼ばれていました
こんな昔話から出てきた鬼みたいな人でも、きっと教え子の後輩たちが可愛かったんだろう。戦闘となれば精神論ではなくひたすらロジカルに、仕事でもそうだけど“時にルールの範囲内であれば手段を選ばない”ことの大切さを思い知る。
戦後この雷電を鹵獲したアメリカのパイロットからは、比較的好評だったという。中には「P-51に次ぐ機体」という評価も。
しかも向こうは液冷が多く空冷でもノーズ長いし一撃離脱主体の機体ばかりで、日本では殺人機って言われた特徴も問題とされなかった。日本はドクトリンの変革がついにできず、優秀な機体を活かせなかった。
@@kamkam_99 F4U乗りはジャックを操縦しても困惑しなかったらしい
雷電の「視界が悪い」という評価は、着陸時の視界の悪さによる。陸上機なのに艦上機のように3点着陸するからそうなる。
@@TM-op6hd コルセアはSBでも着艦しづらかった…着艦成功した後にヘルキャットでやってみたらやりやすくてびっくりした…
いつ命を落としてもおかしくない戦闘機搭乗員だからこそ、プライベートでは悔いを残さぬようやりたいことを存分にやっていたのかもしれませんね。そんな姿をはたから見たら問題児と受け取られることもあったのではないでしょうか。
菅野大尉「明日の命もわからん搭乗員に何をいう❗」
2:22 この三人に道ふさがれたら嬉し泣きしながら漏らす自信ある
海軍航空隊に個性豊かな悪童(癖は強いが空に上がれば一騎当千の名士)多しとも。赤松中尉の体内に豪放磊落、頭脳明晰この相反する個性が同居していたからこそ抜群の戦果を挙げ(空戦という)、極限の世界の中で生き残れたのでしょうね🤔
エースパイロット赤松の動画待ってました。
いつもサムネイルがかっこよすぎるな
子供の頃に雷電のプラモデルを見た時は、なんかずんぐりむっくりで不細工やなーと買うのを躊躇いましたが、操れる者を選べば名機なんですね。いつも楽しい配信ありがとうございます😊
日本陸軍のエースパイロットも解説してくり
艦攻の神様 ブーツ村田(村田重治)さんや艦爆の神様 江草隆繁 さんも是非、紹介して下さい
雷電のサウンドしびれます。赤松教官流石です。あんな暴れ馬を乗りこなして空飛ぶ要塞B29を撃墜したのですから。
日本海軍のエース 笹井 醇一も紹介してほしいなガダルカナル飛行場の上空で米兵数百人が見守る中カール大尉のF4Fと笹井の零戦が一騎打ちをして撃墜寸前まで追い詰めた名戦闘これこそ殺るか殺られるかの戦闘
尚鴛淵(後の剣部隊維新隊隊長)機に護衛されてた笹井機を撃墜したのはカール大尉ではなくP-38の模様
@@カツオコンブダシ 確かにP-38でしたご指摘ありがとうございますP-38はエースが搭乗すると零戦や隼にも勝てるので凄いですよね
@@NIKUNOBOU 一応笹井機は被弾してて弱ってたってのはあるけどもね...。P-38の強武装は零戦にとって脅威だったのは間違いない
@@NIKUNOBOU 搭乗機の長所を生かして、敵の長所を使えないような戦い方をできるとエースになる。
高知県人として…誇りに思います。豪傑ですね。
雷電丸くてかわいい雷電パワーあるし火力もある米軍機みたいな感じ
海軍は雷電の使い方をわかっていなかったのが残念なところだ。 陸軍最後の戦闘機は、五式戦は好評だったが、雷電はそれと同じ重量と翼面積でパワーは上回る。そして強力な武装だ。着陸時の事故が多いというのは、海軍が艦上機でもないのに3点着陸したからで、陸軍のように水平に着陸すればどうということはなかったはずだ。雷電に試乗した荒蒔大尉は鐘馗より楽な機体と評価している。
荒蒔義次少佐は、雷電を買っていなかったと思いますね。彼の回想によれば「二単によく似た雷電なんていうのは大した代物(しろもの)ではなかったと思いますね。」とのことです。
荒蒔義次少佐が試乗したのは、開発初期の火星13型装備の機体でしからね。それで着陸が鍾馗より楽という評価だから、海軍はナーバスすぎた。
赤松さんの動画ありがとうございます!確か、山本長官が戦死された時、出発の時に基地にいて、護衛が六機しか出ないのなら自分も護衛として出ますと申し出たそうですが、司令が、なんかウチの護衛機を舐めてる?のか!みたいな事を言って出さなかったとか。この時に赤松さんが上がってたら歴史が変わってたかも?杉田さんも居ましたし。そして、戦後の悪評が裁判相手の流したデマだったのが本当の様に広がってしまったのは残念でしたね。今はそんな悪評も聞かれなくなりましたので。赤松さんは、その破天荒さから、上官からは嫌われるか、とことん惚れ込まれるかのどちらかだったみたいですが、海軍パイロットで赤松さんの名前を知らない者は居なかったって位のすご腕。多分、西澤さんや岩本さんも敵わなかったのでは?因みに、西澤さんが、岩本さんと論議してた時に、西澤さんが、中でやってる者はたまらん!と愚痴ったとか。
雷電は見るからに馬力がありそうで大好きな戦闘機です。言われる通りじゃじゃ馬だったらしいですが😊勉強になりました。ありがとうございます。
あと今回少し名前が出てきた西澤廣義やひねりこみ戦法の望月勇や片翼の樫村寛一なども紹介して欲しいです!
赤松さん!零戦虎徹!大空の侍!!!みんな好き放題で大好きですね❤❤❤
ヤバ男たちは向こうの世界での大空を自分の愛機に乗って「俺の愛機が一番だ!」「いいやッオレの方が強い!!」とか言いながら自由に飛び回ってるかもですねw
菅野直「俺の紫電改が一番だ❗バカヤロウ❗」岩本「零戦でしょ…」赤松貞明「雷電が一番だ❗」神様「騒がしいなぁ…」
南方にいる時、内地の奥方に編んだヘアを同封するように言って実行させたという逸話がありましたね。宴会中で、部下達にその宝ものを閲覧させていたが、途中でどこかに行ってしまい、「皆!おれのかーちゃんのケをさがせ!」と命令して大いに盛り上がったとか・・・確か坂井三郎さんの本だったと思いますが、、、
岩井勉さんの空母零戦隊じゃなかったかなと思います。坂井さんの本にも出てたのかもしれませんが…
@@sjmachine0991 さま そうだったかもしれません笑 しかし、皆さん読み込んでますね〜
赤松さんは雷電に乗って居たが、米軍のグラマンF6FヘルキャットやF4Uコルセアは一撃離脱をして無線を活用してのチーム行動をしていたので赤松さんはF6FヘルキャットやF4Uコルセアを乗れば相性は抜群だったと思う。
雷電に興味が出て調べて見たのですが、ゼロ戦乗りからすると高速機で扱いにくかったかもですが、機体としては悪くは無かったようです。ゼロ戦が乗りやすすぎたんですよね。
赤松中尉は例外でして、実際にはベテランほど雷電を嫌う一方若手は易々と乗りこなしていたそうです。戦後吉谷和典氏の「すかたん電車」にあるのですが3001型という高性能車が入った時ベテランは・加速時にタイムラグが出る・減速時に電気ブレーキと空気ブレーキの使い分けが困難・静か過ぎて速度感覚が掴めないなどと言って敬遠してましたが、吉谷氏ら若手は積極的に乗務してあっという間に手の内に入れ、・いつも待機所で虐めて来る先輩の運転する旧型車を煽りまくる・以前は抜かれていた横の乗用車を逆に抜いたと言う例を続出させてます。この様にベテランと若手で評価の違う例は多々ありますまあ赤松中尉は雷電の素質を見抜いていたから有効に戦えたのでしょうね。
雷電のコクピットの広さは『宴会が開ける』なんて呼ばれる程他の海軍機に比べて広かったらしい。実際に雷電を見たと言う昔の会社の上司が言うには上昇中は他の海軍機と違ってキーンと云う音がしたそうだ。
いや、その音、今、YOU TUBEの動画で聞けますよ。キーンというよりゴーッという感じで、ジェット機と変わりません。
因みにこの話を聞いたのは平成3年ごろです。
3:00 岩本氏、やっぱりおかしいくらい強いじゃないすか...()
私は雷電のエースで1番にでてくるのはF-13やF6Fを墜とした坪井大尉ですね
赤松先輩に惚れ惚れする✨シャアだな
やってることが伝説のエースパイロットすぎるだろ。和製エースコンバットやん。
12:02~の戦闘スタイルが戦果を挙げつつ生き残る術なのだと改めて認識しました。どうやら古今東西同じ傾向にありそうですね。アフリカの星は些か異なってそうですがwユーティライネン兄弟のチートすぎるエピソードも是非ご紹介頂けたら嬉しく思います!
ハンス・マルセイユや加藤建夫陸軍中佐が無理なドッグファイトで自機の限界で墜落したのに対して、赤松やハルトマンが冷静にスコアを伸ばしたのとの対比ですね。
「死んでも乗せるな雷電」。重戦闘機だから挙動が違う。とはいえ他所と比較すると曲がる。格闘戦しないならBF109よりも一撃離脱で戦えるのでしょうね。
初コメントです。動画作成お疲れ様です、1つ質問があります。この動画のエンディングパートに使われているピアノの曲はなんという曲なのでしょうか?教えて頂けたら幸いです。
お話に出て来た西沢さんかヒゲの羽切さんもお願いします
西澤廣義飛行兵曹長(中尉) は「ラバウルの魔王」と、呼ばれていた筈ですが?…
「晴れ時々雷電⚡」勇猛果敢だな✈
まさに空の傾奇物
局地戦闘機雷電は、タミヤから発売されている1/48のプラモデルを持っています。箱絵と塗装参考図に、機番ヨD-1195赤松中尉と表示されており、どのような方か長年の疑問でした。この動画で赤松中尉の人格と戦闘姿勢が分かりました。ありがとうございます。
戦後に連合軍パイロットが試乗した際は離着陸性能や運動性能の悪さは全然問題にされずインターセプターとしてはそれなりに優秀な機体だとのみ評価されたとか。日本軍パイロットは零戦や他の操縦性最良の日本軍機とどうしても比べちゃうんでしょうね。
日本「扱いづらいな」アメリカ「え?優秀なインターセプターやけど?」
ついに来てしまったか、日中戦争から終戦まで生き残る強者で坂井からも尊敬される大ベテラン
赤松中尉の雷電は、ときどきタミヤから再販される1/72の雷電、レギュラーで販売している1/48の雷電、両方に「ヨD-1195」の機番と名前のマークが入っている。真のエースですね♪
日本陸軍パイロットの話もお願いします!
やはりエース烈伝良いですね。熱く沸る勇姿が目に浮かぶ感じが堪りません!しかし先陣を斬る部隊長でありながら単騎で戦線を維持して生還するって、まるで戦国時代の鬼と呼ばれた戦人みたいですね。正にエースあえて次回のエースパイロットをリクエストするならば「鉄脚」ですかね、執念で空へ上がり続け生き様を見せつけたあの方をお願いします
雷電?!日本人パイロットには扱いづらい面もあったらしいが、戦後米軍パイロットのテスト飛行の証言では高評価だった、先ず操縦席が広くゆったり出来たこれはエンジンの大きい影響で胴体部分が大きくなった副産物らしい😄😄😄
赤松さんは習得した武術の合計11段と自称していましたが、酒井三郎は確か15段だったはずと発言していました。
連合国より枢軸国の方がエースパイロットが目立つのは何故だろう?
人間と航空機が少ない枢軸国が人材も航空機も連合国と戦うには1人で何機も落とさなければならなかったから。実際世界一のエースパイロットのエーリヒ・ハルトマン(ドイツ)、日本軍の西澤廣義、岩本徹三(太平洋戦域で撃墜数100機を記録するのはこの2人だけ)はみんな枢軸メンバー
連合軍、特に米軍のシフトは規定回数出撃したら後方に下げて休養させたくらい人材に余裕があったからな。片や枢軸側は前線に出ずっぱりで帰国できるのは負傷か戦死したときだけだからな
杉田庄一氏藤田と与蔵氏も観たいです
動画制作お疲れ様です🙇メンバーになっていないから、このコメントを主さんが目にする事はないと思いますが、今回も素晴らしい動画を作成してくださりありがとうございました🙇
次回やっと戦艦大和だ〜待ってましたよ〜
西澤さんはまだですか🥺
どうしたら、空戦時に敵弾を受けずにすむのでしょうか?後輩パイロットの質問に、赤松はこう答えました。敵弾が見える所に、機体を持って行けば良いんだよ。敵弾が見えるという事は、当たっていないという事だからね。この答えに、後輩パイロット達は皆頭上に?を浮かべたそうです。赤松は理論派でありながらも、天才肌のパイロットだったと考察します。因みに、この赤松と同じ事を言ったパイロットがもう一人いまして、その人は戦車を五百両以上破壊した人で、対空砲火に撃墜された事はあっても、戦闘機に撃墜された事がなかった人です。
ルーデルは人外ですよ
エンジンがやたらでかく着陸時の視界が悪く接地する地面が見えないのが雷電の欠点 でもそういう飛行機ばかりだったアメの搭乗員にはなんら違和感はなかったらしい
海軍は機材の使い方がわかっていなかったのだろう。艦上機のように3点着陸するからそうなる。陸軍機のように水平に近い姿勢で接地すればよかったのにね。陸軍の荒蒔大尉は、鍾馗より扱いやすいと言っている。
なんぷう、と書いてマゼと読みます。高知以外でも使う漁師言葉です。『マゼ吹きだから、午後から荒れるぞ』等と使います。天気は西から崩れる、低気圧が西にあるのでマゼが吹きます。赤松氏は何故、戦後の愛機ををマゼと呼んだのでしょうね?マゼは近海の船乗りにとってはウンザリ要素ですし、悪天候になる予兆です。大抵の乗物の個体名は縁起の良い言葉を選びますよね。赤松氏を知ってから、長いこと想像していますが。府に落ちる答が出てきません。
雷電ととにかく名前が好きです
岩井勉氏の著作「空母零戦隊」の中で紹介されていますが、鈴鹿空にいた時に教官連中を引き連れて芸者遊びをして、登楼者の名簿に鈴鹿空の司令以下幹部の名前を書き連ねたことがバレて大目玉を食ったり、岩井氏の婚礼の席に呼ばれていたのに遅刻した上、土人の格好で「私のラバさん」を歌いながら踊って、披露宴の席を滅茶苦茶にしたりと地上ではとにかく破天荒な性格と行動をしたようです。
破天荒で癖の強い古豪と、従来機と異なるコンセプトで強力なのに扱いづらく嫌われる機体…武勇伝が出来上がらない訳がない組み合わせですね
撃墜王中の撃墜王(自称)
源田実さんは、ちばてつやの[紫電改のタカ]で知りました。
ありがとうございます! とても面白く拝見いたしました。 次は陸軍機でお願いしたいです。 「運の穴吹」なんて面白いかもしれませんよ?
赤松さんの戦後エピソードで民間航空でパイロットをしたが戦後から飛行する時は飛行場の管制官とは英語でやりとする決まりに成ったが赤松さんは無視して日本語で管制官とやり取りして管制官は英語でやり取りしろと注意したが一向に改めずに居たので管制官は諦めて赤松さんが飛ぶ時は日本語で管制官とやり取りした。
赤松さんは、本当に破天荒な人だったそうですね。司令の小園安名さんにもタメ口で会話していたそうです。零戦には零戦の、雷電には雷電の個性があるので、比較しちゃいけないんです。各々の個性を生かした戦い方をすれば良いわけで。
1機対75機、同士討ちで撃てない敵に対し周りは全部敵だから有利とか理屈の上や漫画ならあり得るけど、実際に飛び込んでやってのける度胸と技量たるや敵をして「勲章に値する」と言わしめる奮戦ぶりだったことは想像に固くありません。制作者さんも言っていますが「そんなバカな」とアメリカパイロットも信じられない気持ちだったでしょうね。
南風号の命名も何か意味が有ったように記憶してたが忘れてしまった。
雷電の能力を発揮する為に零戦乗りより1から雷電のパイロットを育成するべきだったね。そうすれば雷電の評価や戦果は上がってたと思うね。
いやそもそも搭乗員の練度どうこう以前にあまりにも生産数が足りてないんよ…
まずは空戦のドクトリンを変革しないと・・・
酒好き,喧嘩好き、女好きって、super triple bingoやんww
映画化される事を願います。
ホンモノの豪傑ですね^_^。
今回もとても素晴らしい動画でしたまだまだ当時の日本のエースパイロットはいますよねまたいろいろ取り上げてほしいです
待ってましたー!
ハルトマンだと、中隊全員で相手部隊の先手を取って初撃を加えた後、後続が仕上げと実にこなれていた。ただ不思議なのが、アメちゃんも同じ事をやろうとして失敗している。どこに差が??
「観察―決定―攻撃―反復」の戦法だ。良い位置につけて、Bf109の加速力で一気に接近して一撃離脱を行うのがハルトマンだ。敵に気づかれないうちに、絶好の位置につけるのがうまかっただろう。Bf109のモーターカノンを活かした戦い方といえるかもしれない。米軍機は武装が翼内装備だから、あまり接近すると片翼の機銃を命中させるように照準しないといけないですね。
だ・か・ら、このチャンネル大好き(*'▽'*)♪
お疲れ様ですエースが特別な機体に乗る‼️男のロマンしか無い‼️
そうですね😊『桜色のゼロ戦』岩本徹三『イエローゼロファイター』管野直カッコいいですね👍️
確固たる自分軸をお持ちの方だったんでしょうね。
身体能力も凄い
素晴らしい
地元、厚木航空隊のエース赤松さんですから……
あのP-51とF6F相手に凄いわ…。
自称世界一の撃墜王。酒の席では、撃墜数がかわるのはご愛嬌。色々と批判されがちの坂井三郎少尉が人間性と戦闘機パイロットとしての腕を珍しく、認めている方。動画では、雷電を使いこなしたパイロット扱いですが。戦記作家の方々の取材に基づいた記述では。米海軍戦闘機の襲来が確定している場合は、零戦52型で出撃しています。動画でも指摘していますが、緻密な頭脳の持ち主で。編隊空戦を重視していました。二番機には『俺から離れるな‼️単機での深追いはするな‼️』と厳命していました。命令を無視して、敵機を撃墜しても。決して褒めず、激烈に叱り‼️二度と列機に使わなかったとも言われています。列機の単独空戦を厳しく禁止したのは、部下を無駄死にさせない為でした。常に、数で劣勢である為、血気盛んな部下が勇んで突っ込み死なせない為と、自分の後方を援護させると同時に。空戦の駆け引きを教える意味がありました。『俺から離れるな‼️』と、列機には出撃前に厳命しています。実際、赤松中尉は、劣勢の場合は、絶対空戦をしませんでした。普段は豪放磊落ですが、空戦では冷静沈着でした
そういえば江戸時代だったか雷電という凄いお相撲さんがいたな。 2m近い大男で伝説の男だったな。
当たらなければどうと言う事は無いを実践したリアル赤い彗星
日本の搭乗員は一撃離脱を得意とする人そんなに多くなかったですね、使いこなせる人がもっと多ければ鍾馗や雷電ももっと戦果を挙げられただろうに
雷電が好きになりました。むしろ零戦より好きになっちゃいました。
2018年に93歳で亡くなった叔父は、RUclipsの赤松さんを見て「あっ、俺の一番機だ!」と言って興奮していました。
1945/06/23赤松さんが相模原上空での空戦の頃、叔父たちは千葉県八街上空で戦っていました。
1945/08/10赤松さんの2番機として交戦中、東部被弾不時着となり、その後岩手県鉛温泉で終戦を迎えました。
今の人たちが当時の事に関心を持ってくれることを嬉しく思っていると思います。
赤松大尉の列機だったということは、そうとうな腕前だったのでしょうね。自分についてこれないやつは列機にしないという話がありましたから。
叔父が厚木の302海軍航空隊に配属されたのが1945/04/05となっているので、同じ航空隊にいたのは4か月程度と思います。
赤松さんと一緒に飛んだのは、1945/08/10だけだったかもしれません。
その当時搭乗員がいなくなっていたとも言っていました。
@@imokoono6595凄いですね!
俺も赤松貞明中尉には 凄すぎるな って思ってましたよ.
蒼空のイージスで 知ったのが始まりでしたけど.
俺の方は 母方の曾祖父が 大日本帝国陸軍の軍人で 旧満州の新京で ソ連軍のT-34に 挺身攻撃で 亡くなったと聞きましたから,
日本を守ってくれた戦士に感謝しかありません。
私の爺さんが戦後に赤松さんと仕事をしていた縁で
小さい頃から赤松さんの話を聞いて育ってきた為
この動画に出会えて嬉しかったのと同時に懐かしい気持ちになれました。
最も、聞いた話は戦後の内容が殆どしたので
戦中の話は大変興味深く聴き入ってしまいました。
聞いて育った人物像とこの動画の人物像が全く変わらず笑ってしまいました。
戦時中爺さんは一式陸攻の搭乗整備員で
戦後に赤松さんの所で整備を担当していたそうです。
エンジンをかける際「陸軍の連中ばかりで気合いが入らん」かったそうで
爺さんの海軍式をえらく気に入ってくれたと嬉しそうに話していましたっけ。
戦後も酒好き女好きは治ってなかったようで
その手の話はいくつか聞きましたが黙っておきますね笑
懐かしい思いと新しく貴重な内容を共有して頂き有難う御座いました。
昔、職場の同僚で初老の人の父親が海軍航空隊の整備兵で赤松さんの機体担当をしていて階級の立場を関係無しで雷電の機体について真剣に語り合い、休みの時は一緒に飲み歩いて居たそうです。
@@73moto 様
世の中狭いもので、あちらこちらに縁が有るものだなと驚いております。
貴重なお話を有難う御座います。
そういえば、どう言う訳か爺さんも戦時中には触ってすらいないはずの雷電の事を妙に良く話していたので
もしかすると、赤松さんの影響だったのかもしれません。
そう考えると、爺さんも子供っぽく思えてきて不思議な気分です笑
私の聞いた話でも赤松さんは分け隔てなく接してくださる方だった様です。
赤松さんが貰った勲章を爺さんが「良いなぁ」と言った際には「それが欲しいのか?欲しいならやるぞ?」と言われたそうです。
文章ではニュアンスが伝わりにくいのですが
後輩が羨ましがってたので、気さくにプレゼントしようしたと言う感じでしょうか?
大事な物のはずなんですがね!
そのくらいに気さくに分け隔てなく接してくれていたと私は思っています。
ただ、その後に「ただ、それは人を殺して貰ったもんやから羨ましがる様なもんじゃない」とも諭されたそうで
そこで爺さんは「はっ」となったと言っていました。
軽薄さが目立つ(失礼)赤松さんと言う方ですが
私は決して、それだけで語るべきではないのではないかなと思います。
長々と語ってしまい申し訳ありません。
赤松さんの人の好さが表れている貴重なお話
改めまして共有して頂き有難う御座いました。
@@hawk0629 とにもかくにも規格外な方だったのでしょう。
いや酔っ払って報告盛るんじゃなくて減らすんかいw
赤松さんは雷電が好きすぎて徹夜で分解組み立てしてしまったらしいですね!
そのエピソードを本で知りめっちゃ惚れました!
エースパイロット列伝もさることながら、当時を蘇らせる視聴者のコメントを読むのが大好きな自分です。
先の大戦で懸命に戦った方々の事、いつまでも忘れず語り継ぎたいと思います。
元自衛官の親父が言ってたのは「教官が羨ましい
赤トンボに空を教えられ
零戦に鍛えられ
ジャンボジェットで平和な空を飛ぶ。俺の飛行機乗り人生も良かったけど教官が羨ましくて仕方ない」
この方、奥様が手紙と一緒に送ってきた陰毛を部下に自慢していたらその陰毛がどこかに吹き飛んでしまって、その際に部下達に「総員、カアちゃんの毛を探せ!」と言って、部下たちと一緒に奥様の陰毛を探したという、とんでもエピソードも読んだ事があります😂
陰毛エピソード有名ですねw
赤松さんは後に高知市で小さな飲み屋を営んでおり常連客が絶えなかったそうです。
赤松さんが仕切るカウンター内は、緑色で塗られていてさながら戦闘機のコクピットを再現したような作りでお酒を振る舞っていたと聞きました。
そうなんですね、高知は昔からどの業界でも名を残される方が多いですよね。革新的な発想力と豪快さを兼ね備えた様な人物を数多く輩出している様に感じます。伝統的に教育環境が良いのかも知れませんね。とても羨ましいです
ただ雷電は(迎撃機だったゆえに)欧米先進国の戦闘機の進化の推移にも沿った高翼面荷重の機体で
複葉機のヒラリヒラリ感がまったく無い代わりに、700Km/h超えの急降下許容速度が保障されており、
ベテランの赤松氏は技術、戦術思想の変化をたぶん機体から感じ取っておられたのでは?って思います。
8年間で被弾5回って最強じゃん。
戦闘機乗りでは別格の人ですね。
小園さんが離さなかったから、源田さんが343に引っ張りに掛かった時も 戦死した事にして迄 引き抜きを拒んでましたからね。
日本海軍の戦闘機エースパイロットで坂井、西澤さんは零戦乗りで職人気質の格闘戦がモットーだけど赤松さんは雷電に乗ってチームワークで戦い部下に戦術を教えて戦果よりも生き残る事を教えて熟練者になる事を育てて居たから、戦術教官としても貴重な戦闘機パイロット
いや、確か戦死した事にしたのではなく、無理矢理内勤にしたりして配何がなんでも引き抜かれないようにしたと読んだ記憶があります(笑)
沢山撃墜してきた傑人は、いくら敵が大編隊を組んできても味方が少数機でも果敢に挑み、出撃する度に帰還してくる。
そして神風特別攻撃隊への招聘がきても、当たり前のように無視して迎撃すべき出撃を続けます。
何で一回で逝かなくてならないんだ、一機でも多く撃墜して逝くのが本懐という信念が素晴らしい
今回の動画も素晴らしかったです。時にはクスッとし、時には込み上げるものを堪えながら、十数分の動画を観たあとには、まるで一本の大作映画を観たような感覚になります。次作、楽しみにしております!
本当に今回もさいっこうに面白く分かりやすく見させていただきました。僕はもともと戦艦が好きでしたがこのチャンネルに出会い戦闘機の良さを知り、更には日本軍の英雄たちもしれました。本当に大好きなチャンネルです。これからも頑張ってください👍
今回も素晴らしい解説動画をありがとうございます‼️
こういう色々な意味でぶっ飛んだ凄い人って、いつの時代も魅力的ですね。
過酷な戦線を生き抜けたのは、自身の確固たる戦い方を貫いたからというのもあるのでしょう。
太平洋戦争の日本の歴史教育には納得し難いことが多いので、こうした動画がもっと世に広まる事を願うばかりです。
編集ご苦労様でした。今回も最高に面白かったです。タイトル最高でーす。次回も楽しみにしてます。
戦後における赤松の写真を披瀝してくださりありがとうございました❤
雷電「ぬう、あのパイロットは…」
友軍機「知っているのか、雷電!」
雷電という名前もかっこいい
ずんぐりとした胴体から、相撲取りの雷電為右衛門から命名されたんじゃないかと、想像したりしてました。
@@user-mond77 部隊では雷電はJ2あるいはタメと呼ばれていました
こんな昔話から出てきた鬼みたいな人でも、きっと教え子の後輩たちが可愛かったんだろう。
戦闘となれば精神論ではなくひたすらロジカルに、仕事でもそうだけど“時にルールの範囲内であれば手段を選ばない”ことの大切さを思い知る。
戦後この雷電を鹵獲したアメリカのパイロットからは、比較的好評だったという。
中には「P-51に次ぐ機体」という評価も。
しかも向こうは液冷が多く空冷でもノーズ長いし一撃離脱主体の機体ばかりで、日本では殺人機って言われた特徴も問題とされなかった。
日本はドクトリンの変革がついにできず、優秀な機体を活かせなかった。
@@kamkam_99
F4U乗りはジャックを操縦しても困惑しなかったらしい
雷電の「視界が悪い」という評価は、着陸時の視界の悪さによる。陸上機なのに艦上機のように3点着陸するからそうなる。
@@TM-op6hd コルセアはSBでも着艦しづらかった…着艦成功した後に
ヘルキャットでやってみたらやりやすくてびっくりした…
いつ命を落としてもおかしくない戦闘機搭乗員だからこそ、プライベートでは悔いを残さぬようやりたいことを存分にやっていたのかもしれませんね。
そんな姿をはたから見たら問題児と受け取られることもあったのではないでしょうか。
菅野大尉「明日の命もわからん搭乗員に何をいう❗」
2:22 この三人に道ふさがれたら嬉し泣きしながら漏らす自信ある
海軍航空隊に個性豊かな悪童(癖は強いが空に上がれば一騎当千の名士)多しとも。赤松中尉の体内に豪放磊落、頭脳明晰この相反する個性が同居していたからこそ抜群の戦果を挙げ(空戦という)、極限の世界の中で生き残れたのでしょうね🤔
エースパイロット赤松の動画待ってました。
いつもサムネイルがかっこよすぎるな
子供の頃に雷電のプラモデルを見た時は、なんかずんぐりむっくりで不細工やなーと買うのを躊躇いましたが、操れる者を選べば名機なんですね。
いつも楽しい配信ありがとうございます😊
日本陸軍のエースパイロットも解説してくり
艦攻の神様 ブーツ村田(村田重治)さんや艦爆の神様 江草隆繁 さんも是非、紹介して下さい
雷電のサウンドしびれます。赤松教官流石です。あんな暴れ馬を乗りこなして空飛ぶ要塞B29を撃墜したのですから。
日本海軍のエース 笹井 醇一も紹介してほしいな
ガダルカナル飛行場の上空で米兵数百人が見守る中カール大尉のF4Fと笹井の零戦が一騎打ちをして撃墜寸前まで追い詰めた名戦闘
これこそ殺るか殺られるかの戦闘
尚鴛淵(後の剣部隊維新隊隊長)機に護衛されてた笹井機を撃墜したのはカール大尉ではなくP-38の模様
@@カツオコンブダシ 確かにP-38でした
ご指摘ありがとうございます
P-38はエースが搭乗すると零戦や隼にも勝てるので凄いですよね
@@NIKUNOBOU
一応笹井機は被弾してて弱ってたってのはあるけどもね...。P-38の強武装は零戦にとって脅威だったのは間違いない
@@NIKUNOBOU 搭乗機の長所を生かして、敵の長所を使えないような戦い方をできるとエースになる。
高知県人として…誇りに思います。豪傑ですね。
雷電丸くてかわいい
雷電パワーあるし火力もある
米軍機みたいな感じ
海軍は雷電の使い方をわかっていなかったのが残念なところだ。 陸軍最後の戦闘機は、五式戦は好評だったが、雷電はそれと同じ重量と翼面積でパワーは上回る。そして強力な武装だ。
着陸時の事故が多いというのは、海軍が艦上機でもないのに3点着陸したからで、陸軍のように水平に着陸すればどうということはなかったはずだ。雷電に試乗した荒蒔大尉は鐘馗より楽な機体と評価している。
荒蒔義次少佐は、雷電を買っていなかったと思いますね。彼の回想によれば「二単によく似た雷電なんていうのは大した代物(しろもの)ではなかったと思いますね。」とのことです。
荒蒔義次少佐が試乗したのは、開発初期の火星13型装備の機体でしからね。それで着陸が鍾馗より楽という評価だから、海軍はナーバスすぎた。
赤松さんの動画ありがとうございます!確か、山本長官が戦死された時、出発の時に基地にいて、護衛が六機しか出ないのなら自分も護衛として出ますと申し出たそうですが、司令が、なんかウチの護衛機を舐めてる?のか!みたいな事を言って出さなかったとか。この時に赤松さんが上がってたら歴史が変わってたかも?杉田さんも居ましたし。そして、戦後の悪評が裁判相手の流したデマだったのが本当の様に広がってしまったのは残念でしたね。今はそんな悪評も聞かれなくなりましたので。赤松さんは、その破天荒さから、上官からは嫌われるか、とことん惚れ込まれるかのどちらかだったみたいですが、海軍パイロットで赤松さんの名前を知らない者は居なかったって位のすご腕。多分、西澤さんや岩本さんも敵わなかったのでは?因みに、西澤さんが、岩本さんと論議してた時に、西澤さんが、中でやってる者はたまらん!と愚痴ったとか。
雷電は見るからに馬力がありそうで大好きな戦闘機です。言われる通りじゃじゃ馬だったらしいですが😊勉強になりました。ありがとうございます。
あと今回少し名前が出てきた西澤廣義やひねりこみ戦法の望月勇や片翼の樫村寛一なども紹介して欲しいです!
赤松さん!零戦虎徹!大空の侍!!!みんな好き放題で大好きですね❤❤❤
ヤバ男たちは向こうの世界での大空を自分の愛機に乗って「俺の愛機が一番だ!」「いいやッオレの方が強い!!」とか言いながら自由に飛び回ってるかもですねw
菅野直「俺の紫電改が一番だ❗バカヤロウ❗」
岩本「零戦でしょ…」
赤松貞明「雷電が一番だ❗」
神様「騒がしいなぁ…」
南方にいる時、内地の奥方に編んだヘアを同封するように言って実行させたという逸話がありましたね。宴会中で、部下達にその宝ものを閲覧させていたが、途中でどこかに行ってしまい、「皆!おれのかーちゃんのケをさがせ!」と命令して大いに盛り上がったとか・・・確か坂井三郎さんの本だったと思いますが、、、
岩井勉さんの空母零戦隊じゃなかったかなと思います。坂井さんの本にも出てたのかもしれませんが…
@@sjmachine0991 さま そうだったかもしれません笑 しかし、皆さん読み込んでますね〜
赤松さんは雷電に乗って居たが、米軍のグラマンF6FヘルキャットやF4Uコルセアは一撃離脱をして無線を活用してのチーム行動をしていたので赤松さんはF6FヘルキャットやF4Uコルセアを乗れば相性は抜群だったと思う。
雷電に興味が出て調べて見たのですが、ゼロ戦乗りからすると高速機で扱いにくかったかもですが、機体としては悪くは無かったようです。ゼロ戦が乗りやすすぎたんですよね。
赤松中尉は例外でして、実際にはベテランほど雷電を嫌う一方
若手は易々と乗りこなしていたそうです。
戦後吉谷和典氏の「すかたん電車」にあるのですが
3001型という高性能車が入った時ベテランは
・加速時にタイムラグが出る
・減速時に電気ブレーキと空気ブレーキの使い分けが困難
・静か過ぎて速度感覚が掴めない
などと言って敬遠してましたが、吉谷氏ら若手は積極的に乗務してあっという間に手の内に入れ、
・いつも待機所で虐めて来る先輩の運転する旧型車を煽りまくる
・以前は抜かれていた横の乗用車を逆に抜いた
と言う例を続出させてます。
この様にベテランと若手で評価の違う例は多々あります
まあ赤松中尉は雷電の素質を見抜いていたから有効に戦えたのでしょうね。
雷電のコクピットの広さは『宴会が開ける』なんて呼ばれる程他の海軍機に比べて広かったらしい。
実際に雷電を見たと言う昔の会社の上司が言うには上昇中は他の海軍機と違ってキーンと云う音がしたそうだ。
いや、その音、今、YOU TUBEの動画で聞けますよ。キーンというよりゴーッという感じで、ジェット機と変わりません。
因みにこの話を聞いたのは平成3年ごろです。
3:00 岩本氏、やっぱりおかしいくらい強いじゃないすか...()
私は雷電のエースで1番にでてくるのはF-13やF6Fを墜とした坪井大尉ですね
赤松先輩に惚れ惚れする✨シャアだな
やってることが伝説のエースパイロットすぎるだろ。和製エースコンバットやん。
12:02~の戦闘スタイルが戦果を挙げつつ生き残る術なのだと改めて認識しました。どうやら古今東西同じ傾向にありそうですね。
アフリカの星は些か異なってそうですがw
ユーティライネン兄弟のチートすぎるエピソードも是非ご紹介頂けたら嬉しく思います!
ハンス・マルセイユや加藤建夫陸軍中佐が無理なドッグファイトで自機の限界で墜落したのに対して、
赤松やハルトマンが冷静にスコアを伸ばしたのとの対比ですね。
「死んでも乗せるな雷電」。重戦闘機だから挙動が違う。とはいえ他所と比較すると曲がる。格闘戦しないならBF109よりも一撃離脱で戦えるのでしょうね。
初コメントです。
動画作成お疲れ様です、1つ質問があります。
この動画のエンディングパートに使われているピアノの曲はなんという曲なのでしょうか?
教えて頂けたら幸いです。
お話に出て来た西沢さんかヒゲの羽切さんもお願いします
西澤廣義飛行兵曹長(中尉) は「ラバウルの魔王」と、呼ばれていた筈ですが?…
「晴れ時々雷電⚡」勇猛果敢だな✈
まさに空の傾奇物
局地戦闘機雷電は、タミヤから発売されている1/48のプラモデルを持っています。箱絵と塗装参考図に、機番ヨD-1195赤松中尉と表示されており、どのような方か長年の疑問でした。この動画で赤松中尉の人格と戦闘姿勢が分かりました。ありがとうございます。
戦後に連合軍パイロットが試乗した際は離着陸性能や運動性能の悪さは全然問題にされずインターセプターとしてはそれなりに優秀な機体だとのみ評価されたとか。
日本軍パイロットは零戦や他の操縦性最良の日本軍機とどうしても比べちゃうんでしょうね。
日本「扱いづらいな」
アメリカ「え?優秀なインターセプターやけど?」
ついに来てしまったか、日中戦争から終戦まで生き残る強者で坂井からも尊敬される大ベテラン
赤松中尉の雷電は、ときどきタミヤから再販される1/72の雷電、レギュラーで販売している1/48の雷電、両方に「ヨD-1195」の機番と名前のマークが入っている。真のエースですね♪
日本陸軍パイロットの話もお願いします!
やはりエース烈伝良いですね。
熱く沸る勇姿が目に浮かぶ感じが堪りません!
しかし先陣を斬る部隊長でありながら単騎で戦線を維持して生還するって、まるで戦国時代の鬼と呼ばれた戦人みたいですね。正にエース
あえて次回のエースパイロットをリクエストするならば「鉄脚」ですかね、執念で空へ上がり続け生き様を見せつけたあの方をお願いします
雷電?!日本人パイロットには扱いづらい面もあったらしいが、
戦後米軍パイロットのテスト飛行の証言では高評価だった、先ず操縦席が広くゆったり出来た
これはエンジンの大きい影響で胴体部分が大きくなった副産物らしい😄😄😄
赤松さんは習得した武術の合計11段と自称していましたが、酒井三郎は確か15段だったはずと発言していました。
連合国より枢軸国の方がエースパイロットが目立つのは何故だろう?
人間と航空機が少ない枢軸国が人材も航空機も連合国と戦うには1人で何機も落とさなければならなかったから。
実際世界一のエースパイロットのエーリヒ・ハルトマン(ドイツ)、日本軍の西澤廣義、岩本徹三(太平洋戦域で撃墜数100機を記録するのはこの2人だけ)はみんな枢軸メンバー
連合軍、特に米軍のシフトは規定回数出撃したら後方に下げて休養させたくらい人材に余裕があったからな。片や枢軸側は前線に
出ずっぱりで帰国できるのは負傷か戦死したときだけだからな
杉田庄一氏藤田と与蔵氏も観たいです
動画制作お疲れ様です🙇
メンバーになっていないから、このコメントを主さんが目にする事はないと思いますが、今回も素晴らしい動画を作成してくださりありがとうございました🙇
次回やっと戦艦大和だ〜待ってましたよ〜
西澤さんはまだですか🥺
どうしたら、空戦時に敵弾を受けずにすむのでしょうか?
後輩パイロットの質問に、赤松はこう答えました。
敵弾が見える所に、機体を持って行けば良いんだよ。敵弾が見えるという事は、当たっていないという事だからね。
この答えに、後輩パイロット達は皆頭上に?を浮かべたそうです。赤松は理論派でありながらも、天才肌のパイロットだったと考察します。因みに、この赤松と同じ事を言ったパイロットがもう一人いまして、その人は戦車を五百両以上破壊した人で、対空砲火に撃墜された事はあっても、戦闘機に撃墜された事がなかった人です。
ルーデルは人外ですよ
エンジンがやたらでかく着陸時の視界が悪く接地する地面が見えないのが雷電の欠点
でもそういう飛行機ばかりだったアメの搭乗員にはなんら違和感はなかったらしい
海軍は機材の使い方がわかっていなかったのだろう。艦上機のように3点着陸するからそうなる。陸軍機のように水平に近い姿勢で接地すればよかったのにね。
陸軍の荒蒔大尉は、鍾馗より扱いやすいと言っている。
なんぷう、と書いてマゼと読みます。
高知以外でも使う漁師言葉です。
『マゼ吹きだから、午後から荒れるぞ』等と使います。
天気は西から崩れる、低気圧が西にあるのでマゼが吹きます。
赤松氏は何故、戦後の愛機ををマゼと呼んだのでしょうね?
マゼは近海の船乗りにとってはウンザリ要素ですし、悪天候になる予兆です。
大抵の乗物の個体名は縁起の良い言葉を選びますよね。
赤松氏を知ってから、長いこと想像していますが。
府に落ちる答が出てきません。
雷電ととにかく名前が好きです
岩井勉氏の著作「空母零戦隊」の中で紹介されていますが、鈴鹿空にいた時に教官連中を引き連れて芸者遊びをして、登楼者の名簿に鈴鹿空の司令以下幹部の名前を書き連ねたことがバレて大目玉を食ったり、岩井氏の婚礼の席に呼ばれていたのに遅刻した上、土人の格好で「私のラバさん」を歌いながら踊って、披露宴の席を滅茶苦茶にしたりと地上ではとにかく破天荒な性格と行動をしたようです。
破天荒で癖の強い古豪と、従来機と異なるコンセプトで強力なのに扱いづらく嫌われる機体…
武勇伝が出来上がらない訳がない組み合わせですね
撃墜王中の撃墜王(自称)
源田実さんは、ちばてつやの[紫電改のタカ]で知りました。
ありがとうございます! とても面白く拝見いたしました。 次は陸軍機でお願いしたいです。 「運の穴吹」なんて面白いかもしれませんよ?
赤松さんの戦後エピソードで民間航空でパイロットをしたが戦後から飛行する時は飛行場の管制官とは英語でやりとする決まりに成ったが赤松さんは無視して日本語で管制官とやり取りして管制官は英語でやり取りしろと注意したが一向に改めずに居たので管制官は諦めて赤松さんが飛ぶ時は日本語で管制官とやり取りした。
赤松さんは、本当に破天荒な人だったそうですね。
司令の小園安名さんにもタメ口で会話していたそうです。
零戦には零戦の、雷電には雷電の個性があるので、比較しちゃいけないんです。
各々の個性を生かした戦い方をすれば良いわけで。
1機対75機、同士討ちで撃てない敵に対し周りは全部敵だから有利とか理屈の上や漫画ならあり得るけど、実際に飛び込んでやってのける度胸と技量たるや敵をして「勲章に値する」と言わしめる奮戦ぶりだったことは想像に固くありません。制作者さんも言っていますが「そんなバカな」とアメリカパイロットも信じられない気持ちだったでしょうね。
南風号の命名も何か意味が有ったように記憶してたが忘れてしまった。
雷電の能力を発揮する為に零戦乗りより1から雷電のパイロットを育成するべきだったね。
そうすれば雷電の評価や戦果は上がってたと思うね。
いやそもそも搭乗員の練度どうこう以前にあまりにも生産数が足りてないんよ…
まずは空戦のドクトリンを変革しないと・・・
酒好き,喧嘩好き、女好きって、super triple bingoやんww
映画化される事を願います。
ホンモノの豪傑ですね^_^。
今回もとても素晴らしい動画でした
まだまだ当時の日本のエースパイロットはいますよね
またいろいろ取り上げてほしいです
待ってましたー!
ハルトマンだと、中隊全員で相手部隊の先手を取って初撃を加えた後、後続が仕上げと実にこなれていた。ただ不思議なのが、アメちゃんも同じ事をやろうとして失敗している。どこに差が??
「観察―決定―攻撃―反復」の戦法だ。良い位置につけて、Bf109の加速力で一気に接近して一撃離脱を行うのがハルトマンだ。敵に気づかれないうちに、絶好の位置につけるのがうまかっただろう。Bf109のモーターカノンを活かした戦い方といえるかもしれない。米軍機は武装が翼内装備だから、あまり接近すると片翼の機銃を命中させるように照準しないといけないですね。
だ・か・ら、このチャンネル大好き(*'▽'*)♪
お疲れ様です
エースが特別な機体に乗る‼️
男のロマンしか無い‼️
そうですね😊
『桜色のゼロ戦』
岩本徹三
『イエローゼロファイター』
管野直
カッコいいですね👍️
確固たる自分軸をお持ちの方だったんでしょうね。
身体能力も凄い
素晴らしい
地元、厚木航空隊のエース赤松さんですから……
あのP-51とF6F相手に凄いわ…。
自称世界一の撃墜王。酒の席では、撃墜数がかわるのはご愛嬌。色々と批判されがちの坂井三郎少尉が人間性と戦闘機パイロットとしての腕を珍しく、認めている方。動画では、雷電を使いこなしたパイロット扱いですが。戦記作家の方々の取材に基づいた記述では。米海軍戦闘機の襲来が確定している場合は、零戦52型で出撃しています。動画でも指摘していますが、緻密な頭脳の持ち主で。編隊空戦を重視していました。二番機には『俺から離れるな‼️単機での深追いはするな‼️』と厳命していました。命令を無視して、敵機を撃墜しても。決して褒めず、激烈に叱り‼️二度と列機に使わなかったとも言われています。列機の単独空戦を厳しく禁止したのは、部下を無駄死にさせない為でした。常に、数で劣勢である為、血気盛んな部下が勇んで突っ込み死なせない為と、自分の後方を援護させると同時に。空戦の駆け引きを教える意味がありました。『俺から離れるな‼️』と、列機には出撃前に厳命しています。実際、赤松中尉は、劣勢の場合は、絶対空戦をしませんでした。普段は豪放磊落ですが、空戦では冷静沈着でした
そういえば江戸時代だったか雷電という凄いお相撲さんがいたな。 2m近い大男で伝説の男だったな。
当たらなければどうと言う事は無いを実践したリアル赤い彗星
日本の搭乗員は一撃離脱を得意とする人そんなに多くなかったですね、使いこなせる人がもっと多ければ鍾馗や雷電ももっと戦果を挙げられただろうに
雷電が好きになりました。むしろ零戦より好きになっちゃいました。