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最前線にいたのに生き残ったとか凄すぎる日本を守ってくれてありがとうございます。
全く守れてませんね。
@@カイハンセンsrhsu
感覚麻痺してるけど圧倒的不利な状況で生きて帰るだけで充分凄い
悪いとは言い切れないってなんやこいつ戦争に騎士道求めとるんかい
坂井三郎氏もそう言っています。見つからない様、死角から打ち上げて撃墜。綺麗事では生き残れない。
@田中一郎 何言ってんのお前?
ハルトマンから甘さを丸ごと抜いて徹底的にクレバーに徹してるパイロットだから生き延びるべくして生き残った感じだな。逆に岩本が生き残れないなら誰も生き残れない。岩本なら自分が不利なら味方を見殺しにしてでも有利なポジションを取るタイプ。自伝読んでるとそこらへんがしびれる
映像から見て取れるのは、みんな笑顔でハツラツと堂々と、劣勢な戦況なんて微塵も見せず、逆に勝ち戦の様相ですね。零戦も颯爽と快調に離陸していきます。カッコ良すぎます。活力のない時代にこそ、この映像は私達日本人に響きますね。
孫子に言う「善く戦ふ者は、勝易きに勝つ者也。」を実践した素晴らしい戦闘機乗りです。見倣いたいものです。
撃墜王岩本様のお話は聞いておりました、開戦前から終戦まで闘い抜いた素晴らしいパイロットですね。38歳の若さで終戦後亡くなられたのは残念ですぎません、ご冥福をお祈りします。
平和な時代が退屈になるかもしれないね。こういう武人は。
国を守った英雄に敬礼
まあ敢闘したけど国は守れなかったんだけどな。ガッツは認めよう
@@ニシノフラワー0いや十分守れたよ
@@ニシノフラワー0守れなかった国自体消えてた
ありがとうございます!
最も会ってみたい方のお一人ですね
4:07 些末な指摘で申し訳ありませんが、「セイロン沖海戦で機動部隊に接触してきた米海軍のPBYカタリナ飛行艇を撃墜し…」とありますが、正しくは当時セイロンのコッガラに展開していた「イギリス空軍」第413飛行隊所属のレオナード・バーチャル少佐(Sqn.Ldr.Leonard Birchall)機と思われます。機体はCatalina Mk.I , シリアルナンバー AJ155 , 機体コード QL-Aです。なお第413飛行隊はカナダ空軍に所属する部隊で、バーチャル少佐自身もカナダのオンタリオ州出身です。零戦の攻撃によりバーチャル少佐機は不時着水しましたが、少佐自身は日本海軍の駆逐艦に救助され捕虜になっています。戦後解放されたのち、最終的は少将まで昇進しています。
すご
ただ誉めちぎるのでは無く、此の様なきちんとした根拠に基づいたコメントを大切にし、此れからも期待したい。
岩本徹三は本当にカッコイイ!憧れる✨
平和の尊さが伝わってきます平和の世界でいたい
我が日本国のために命を掛けて下さった方々をわたしたちは絶対わすれてはなりません。岩本さん、ご苦労様でした。合掌
敵の爆撃機乗りの方も、損耗率は少ないといっても、確実に誰かが死ぬとわかってて攻撃を受けても退避せず作戦を続けなければならないことの怖さはとんでもない凄いことだと思う。
爆撃機は日本もアメリカも等しく危険だったから。メンフィスベルで規定回数完了したのが快挙というほど生きて帰れる可能性が薄い
この時代で長髪めちゃくちゃかっこええ
映画「君を忘れない」で木村拓哉が演じた、上田淳一郎のモデルになったと言われています。
風呂入れない&下着も替えられない&着替えもないから速攻で蚤虱だらけになるけどね
@wmwmwmmw どっちみち汚ぇw
陸上基地所属なら風呂洗濯は普通にできたはず。空母艦載機配属たど不潔になりそうやな
本編が始める前に、零戦の呼び方や、敵機を落とした数などの差異が生じていることなど、丁寧なご説明で、本編の内容も、分かりやすく 岩本さんの大活躍を知ることができて、あの時代の誇り高い方たちが、日本を守ろうと切磋琢磨なさっていたお姿に、感謝しかありません。 残念なのは、岩本さんは、終戦を迎えたのに、早逝されてしまったことです。戦後の日本を生きて、ご活躍をしていただきたかったです。 合掌
お忙しい中での再編集ありがとうございます。次回も楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
「サクラの撃墜マークを観たら死を覚悟しろ」と米軍の間では言われていたそうです。
永遠の0に書いてあった
日本側が作ったホラ話ですよ。
@@ponnta88-o2d アホか。俺の爺ちゃんの友達や。作り話じゃないよ
@@ponnta88-o2d 俺の爺ちゃんの友達の話しだし嘘じゃないよ
@@ponnta88-o2d無知は罪だな
天才っているんですよ。こういう話こそ学校で教えなければならない。
零戦の日の丸の白縁部分は目立つ為に敵側からの狙いが付けやすいと言う事で、白縁部分の塗りつぶしが行われましたが、桜🌸の撃墜マークを目立たせながらも、敵に落とされなかった事が凄いです。長髪でありながら上官が何も言えなかった事も腕前の凄さあってだと言えるでしょうね。
確か上官からは特例として認められていたはずなので、やはり技術で認められていたからなのでしょうね
もう一つ、尊敬する米内光政大将も髪を伸ばされている と言ったことも影響しているようですね。
戦闘で弾痕だらけになって戻ってきた零戦を内地に輸送して暫く展示していたらしい。その後新しい零戦に乗ってあっという間に同じ位の数の撃墜マークが付いたとか。常人の成せる技ではない。
海軍は坊主頭義務無かったかと。陸軍と比べ海軍はイケメンを選んでいたし。
髪型に関しては陸軍の方が厳しい一方で海軍の方はあまりにも酷いものは例外だけど基本的にそこまで規則で縛られては無かったはずで基本的に髪型自由だった
昨日、零戦撃墜王読了。千葉県人です。自分の故郷の上空を哨戒してくださっていたことに深く感謝します。送り狼戦法とかいうのはひどい言い方だな。岩本中尉は単機でB29撃墜もしている。
トラック島上空防衛戦において、地上で見ていた岩本は、若い指揮官の技量や判断ミスで一瞬で多くのベテランパイロットを失った事なども痛切に書き綴られてましたね。いかに戦術が大事か、空戦の引き際などが大事か、良く解る傑出した空戦記でした。
岩本さんは山口県寄りに在る島根県益田市の人でした。
この時代の映像は貴重です。
ライフジャケットの零戦虎徹が残ってれば歴史の証言なのに。背中の古傷を誤診され逝去された事が悔やまれます。奥様が岩本ノートを保存され、彼の逝去14年前後に零戦撃墜王を公開。後年、修羅の翼にて岩本VS西澤廣芳の空戦討論が繰り広げられたのも凄いです。太平洋戦線のツートップが岩本徹三と西澤廣芳のお二人でした。
著書によると、大戦末期にF4Uコルセア8機と空戦になったそうです。岩本側は全部で4機。全速で逃げてもコルセアの優速には敵わず、反転した際に被弾。最早ここまでと真正面から撃ち合う程の激戦。生き残った著者が被害状況を確認すると、エンジン以外はボロボロで、落下傘の金具にM2ブローニング銃の弾が食込んでいたそうな。その後は確か、種子島かどっかの陸軍飛行場にガス欠ギリギリで不時着したらしい。
戦争は世界で最も愚かな行為だけど零戦は世界で最も美しい戦闘機
愚かな行為のお陰でインターネットや電子レンジを使えてるのをお忘れなく。
見た目は美しくても中身はねぇ…
@@さいきよさ まぁね。もし戦争してなかったら植民地になってたかもしれないもんね。もし第二次世界大戦に参加しなかったら…もし太平洋戦争に勝利してたら…って考えると気になる
@@JohnDoe-sl5mr まぁ零戦は一時期強かったからヨシちょっと前まで江戸時代だったアジアの小国が零戦作って、空母作って、一時期東南アジアの大部分を手に入れた。これだけでもすごい
@@JohnDoe-sl5mr 設計理念の違い。元々から特攻兵器では無いよ。
なんだかんだゆう人もいますが岩本さんは間違い無く日本一の搭乗員激戦の八年間を生き抜いた凄い搭乗員残念なのは戦後公職追放で不遇であった手術ミスで亡くなられた感謝しかないです
読みにくいわw
えっ!亡くなられて感謝?って書いてるの?
。 が無いだけですごい文章になってる(笑)
当時の少年たちは零戦パイロットに憧れたんだろうなー
昭和57年、NHKが戦艦大和を探索していた際、アメリカで「ヤマト攻撃から沈没までを映像記録していた機体があったがヤマト沈没直後にゼロに撃墜された」という証言を得た。大和に直掩機がいたとは記録にない。帰国後の会議でこのエピソードを披露したところ、岩本徹三の自叙伝にほぼ同一の記載があると、探索に協力している「戦艦大和探索会」の関係者から指摘があって、取材チームは呆然としたとか。(三井 俊二著『戦艦大和発見―悲劇の航跡を追って』日本放送出版協会・1982年
零戦撃墜王(空戦八年の記録)岩本徹三著 確かにその記述はありました。実話だったんですね。
なんと! そう彼は部下に信頼厚く上官にはことごとく反骨つまり戦後も目の上のたんこぶ扱い、ながく彼の功績が認められなくて否定され続けて来た上官が鬼籍におおかた入る辺りから評価がひっくり返って認められる様になってきたひと。
誇張だろ
実話だぜ!
天才、岩本徹三
岩本氏は後半には52乙型を拝領したようで、20mm2門、13.2mm2門、7.7㎜1門の武装。一撃離脱戦法で至近で銃撃できればかなりの破壊力を指向できる。
丙と乙融合したようなよくわからん武装になっとる
3式13mm機銃は優秀だ。 翼の20mmを降ろし、機種の7.7mmも降ろして13.2mm1丁で戦いたい。
7mmが無くて13mmが一門じゃなかったっけ
52乙が好き
いましたね、6回出撃して全部かえってきた伝説の零戦
この人の動画を初めて見たのですが、話し方も、紹介されてる偉人も凄すぎて笑っちゃうw色々なことを知れてすげ〜
エーリッヒ・ハルトマンは350機以上の撃墜数を誇るけど、東部戦線の会敵率の高い中での数字。勿論、彼の技量には疑いの余地は無いが、戦域の広さが東部戦線より遥かに広い太平洋戦域での202機という数字は、会敵率から考えると相当にヤバイ撃墜数だなぁ。
と、言う訳で「人権擁護主義」を大前提とした「平和民主主義」とは…全くもって合い入れなかったのである…
ドイツの超エースたちは何度撃墜されても生還してスコアを重ねていった。 太平洋の戦いでは撃墜されると生還することが難しい。米軍は撃墜されたパイロットの救助に熱心だったが、日本軍はそんな活動はほとんどしなかったしね。 撃墜されなくても目印のない海上で機位をを失い未帰還機になってしまうことも多かった。
落下傘で降りれば陸地と海の上では天と地ほどの違い…。
一日一回以上出撃と数日で一回出撃ではね
同感です。米軍は日本近海でも救助に向かったけれど、日本軍は命を捨て石とした。今でもその流れは変わっていないと思います。
ん~そんな方だったのですねぇ~驚きました。ありがとうございます。
岩本さん英雄です。世界一の撃墜王
岩本さんは武術をやられたら 超一流になられた人物ですね勘が鋭いのを 憧憬が凄いと言います時代がちがったら違った人生…
良い動画を有難うございます。ただ途中、聞きにくいところがあるので字幕を入れてくれると満点!岩本さんは現代でも魅力的な方ですね。
ラバウルには岩本徹三さんの他にも、笹井淳一さん、坂井三郎さん、西澤広義さん等々大勢の猛者が居たからなぁ。
笹井中尉みたいな人格者がもっと長生きしてればなあ…
昔は坂井三郎さんの本が小学校の図書室にあったんだよ🇯🇵👍️
坂井中尉の記録
大空のサムライ
この人達がいたから今の日本があるんだ
幼少期、祖父の友達の方から菅野氏や岩本氏や自身を含めた日中戦争の頃からの話をよく聞きました!その方も髪型やタバコで憲兵や青年団から文句をよく言われたとか(笑)三号弾の名手やったのも聞いてました❗何はともあれ戦時中の御苦労に感謝です。
空戦というのは只のスピードレースじゃなくてモトクロスと障害物競争と射撃競技が合わさったもの。それなら零戦を知り尽くしてるパイロットが最強なのは納得できる。
岩本飛曹長、三号爆弾を使用した撃墜王の様でした。彼の自伝を今でも所持しております。
零戦の岩本に紫電改の菅野直ですね。零戦虎徹の岩本徹三さんが紫電改搭乗すれば太平洋戦争末期も無双してたかも。菅野直さんとのエースパイロットのコンビに菅野直さんを慕ってた若き撃墜王の杉田庄一さんに空の宮本武蔵と言われた武藤金義が一緒だと。
零戦でヘルキャット4機撃墜はエグい
私は零式ですね。日々進化する米軍戦闘機とのドッグファイトで撃墜していた当時のパイロットは正直凄い!の一言
「敵機は感じるものだ」てもうニュータイプとして覚醒したのか(確信)岩本を倒せば英雄の中の英雄だな
誤診したあげく執刀した医者が倒すことになるとはな……
某アニメのスピンオフで知った岩本◯子から岩本徹三さんの凄さを知りました天才的パイロットがいたことは励みになる人物のひとりです
宇宙戦艦ヤマトも、山本じゃなく、岩本にすべきだったな。
11:37真っ黒なゼロ戦を想像したらめちゃくちゃカッコよい、、、
この方はもっと長生きして空自創設にもかかわっていただきたかった。真のゼロ戦エースだと思う。10倍の戦力で押し寄せる米機にたいして、損害を最小限にと編み出した送り狼戦法などは卑怯と見るむきもあるが、それは間違いだ。補給のきかないの日本軍には理にかなった戦い方だと思う。実際、氏は格闘戦でも絶対的な強さを誇った。性能ではるかに勝るF6Fと4対1で空戦にはいりことごとくを撃墜したと地上監視所からも報告されている。
彼も誤診がなくてもう少し長生きしたら自衛隊なってからは旧軍人リクルートしてましたからね。叔父も海軍から空白期間経て空自に行ったのがいます。まぁ空自で米国製機材に接して、日米の差を痛感したそうです。
そうですね、誤診が・・・日米の工業力の差を知りながら、山本提督はなぜに真珠湾攻撃を提唱したのか、諸説ありますが最悪の作戦で凡将とい論調もありますね岩本氏は本当に長生きしてほしかったです。
岩本さんが生前病床に伏した際に遺した「もし元気になったらもう一度飛行機に乗りたいな。」という言葉の通りになる事は叶わなかったけど、その代わり岩本さんの息子さんが空自に入隊していたと思う。
全機帰着はしょんべん漏れるぐらい震えました
侍ですね。敬礼。
「敵は目で見るものでない、感じるものだ。」敵の意識というか殺気というか、それを察知してたのか、
映画かドラマにして欲しい
雰囲気がリヴァイっぽくて素敵
岩本さん凄い🎉
卑怯が勝つ真田昌幸卑怯とは考えた頭の証
整備知識がありますと、機体の隅々、メカの隅々まで目が行き渡り、常に最良のコンディションと、操作性を引き出し、数値以上のパフォーマンスをたたき出せたのかと、思料致します。もちろん運命にも左右されるので、奇跡の人と言うことになろうかと思いますが、戦争は不幸ですので、過ちを繰り返さない努力をしたいものです。
初めまして!You Tubeのおすすめでこちらのチャンネル知りました!“忘れちゃいけない大切な事”気がつかせてくれる話し!!とても勉強になりました(*Ü*)
「永遠のゼロ」のモデルになったと聞きました。解説にもありますが特攻に強く反対し、「生きて長く戦ってこそ、戦闘機乗りたるもの」の哲学を徹底していたらしいですね。
永遠のゼロのモデルは坂井三郎です個人的に岩本の方が断然好きだな
宮野善治郎大尉じゃなかった?
複数のパイロットがモデルで岩本徹三もその1人なんだとか
凄い人が沢山いたってことですね
永遠のゼロラストシーンのエンタープライズに特効するシーンは富安俊助パイロットが実際に行った史実の再現となっているそうです。
ヘルキャット4機相手に全機撃墜がすごいなぁヘルキャットは、アリューシャンでようやく手に入れた0を研究しつくして欠点を見つけ出し、0お得意の巴戦を回避してアメリカは工業力に物を言わせた大型エンジンの高スピードと大口径機関銃での一撃離脱で その後の0を抑え込んだ名機だそれ相手に打ち勝つのは素晴らしい
零戦を徹底的に研究して出来た機体はベアキャットだと思います。
ヘルキャットは12.7mm機銃なので大口径ではないですね。
グラマン機はF4F,F6Fで呼称したほうが分かりやすいよ。まあ、大口径機関砲ではないけどね。零式戦の20ミリ機関砲は大口径の部類だけどね。技量のある搭乗員はF6Fも零式戦で落としていたようだけど、後半、紫電改など登場してほぼF6Fとも互角に戦ったらしい。知ってるとは思うけど。
ヘルキャットは、要求性能を満たさなかったコルセアの採用の腹いせに、ワイルドキャットの量産を勝手に辞めて無理やり作り上げたものだから零戦は関係ないよ。
@@zerof6f590 同意です。日独は大口径少数、米英は小口径多数と言われています。
マクシミリアンジーナス並みで凄過ぎる、、
タレントのイーデス・ハンソンさんの実兄さんは米国🇺🇸屈指の撃墜王で零式に撃墜され不運にも戦死されたそうです。
岩本徹三まじでかっこいい
凄い、カラーのラバウルの映像
ドイツの撃墜王ハルトマンとの比較だけど、ハルトマンは352機撃墜、被撃墜16でKD比22、岩本さんは少ない見積りで80機、その更に半分としても40機で被撃墜0のKD比40だよ。パラシュート降下さえ出来れば生き残って再出撃出来る確率の高いヨーロッパ戦線なんかよりも、海の上で戦う事がほとんどで撃墜されたらほぼ死亡確定という、精神的に極限状態に追い込まれる太平洋戦線で生き残った岩本さんの方がハルトマンなんかより遥かに凄いよ。
「ハルトマンなんか」は失礼すぎるのでは
堀越二郎さんの授業を受けましたが堀越先生はゼロ戦と読んでいました。
米軍記録で実際の喪失数は日本側報告の数分の1程度が普通ですが、それでも数10機撃墜は確実で、戦力差を考えると凄いです。
坂井三郎は知っているが、岩本は知らなかった!有難う御座います。
この話しを映画館で観たい
岩本徹三凄いでも太平洋戦争をいきていたのに、医者のミスで亡くなったのはなんともたいないです・・・。もし生きていたら、この結果を自慢できたのに・・・。次の動画を楽しみにしています。 リクエストをしていいですか、船坂弘ことのやってほしいです。
自慢していたらかっこよくないです
海外のエースパイロットもカッコいいが日本の撃墜王も負けず劣らずカッコいい🛩️第一次大戦じゃレッドバロンことリヒトホーヘンが一番かなそんなに戦時物読んでないが昔読んだ佐々木譲の「ベルリン飛行指令」とか相当面白かったな主役2人のパイロットがカッコ良かったし内容も傑作だった🛩️
私も10代の時読みました。良かったです。
安藤のモデルは彼でしょう。
単純にカッコ良い👍学校で教わってたら憧れてたわ
ゼロ戦虎徹~岩本徹三!
真珠湾攻撃に参加して、終戦まで生き残ったパイロットがいるとは思わなかった。それにしても、戦後には忘れ去れたエースパイロットの映像が、カラーの映像でよく残っていたな〜!
坂井三郎さんのことも動画にしてください。
あの人自身が本当の虎徹だったな。。。
ゼロ戦と云うとレイ戦だと突っ込む人がいますが海軍で整備員だった方が云うには両方使われていたとの事です。
この零戦こそ桜花の名を得るべきだったのでは
私も零式艦上戦闘機を「レイセン」と呼ぶのは違和感ありました以前に専門誌で元整備員の人が「レイセンなんて誰も呼んでないよ、少なくともオレの周りではゼロ戦だったよ」ってインタビューて語っていました
大空のサムライでも坂井さんですらゼロセンって書いてましたからね
@@HN-ui7fo 正式には「零式戦」とは呼ばれていたと思います、大空のサムライは戦後の著作物で一般民衆向け(一般海軍兵も同様)のことばかと思います、「零戦」も「ゼロ戦」同様な呼称で、海軍及び三菱の技術担当者は「零式艦上戦闘機」を略して「零式戦」と呼んでいたのではないでしょうか。私は「零式戦」が好きですが、場合によって「ゼロ戦」「零戦」と言ったりします。これは私の私見です。
こんにちは。いつも感銘深く拝見させていただいています。この後のルーデル氏の逸話は愉快な部分もあって大変興味深かったです。恐れ入りましが、本編12:12からのBGMのタイトルや作者様サイトを教えていただけないでしょうか?このような作品にふさわしい心を打つ音楽でした。よろしくお願いします。
この人が生まれ代わって自衛隊の「ガンちゃん」になったんだと信じたい。ロック岩崎さんは信じ難い機動をしたそうです。
直感能力が優れた人だったんだろうな😅
ラバウルの画像、坂井三郎氏も映っていました。
何故、今マゼ知らなかったか、恥ずかしいです。ほんとうに、凄い人たちを、太平洋戦争でうしなったのですね。
よく零戦で一撃離脱が出来たなぁ〜
ラバウルには坂井さんもいましたね
シモヘイヘと同じような匂いがする…
為になる動画です
見た目から異才飛べば奇才こういう人を秀才というのかな…何しても日本を守ってくれたのも事実です。安らかに眠って下さい。
貴重な映像が多くて見ごたえがあった👍6:06の戦果報告に「F8F」と見えるけど何だろう?ベアキャットは実戦に間に合ってないはずだし‥
見辛いけどTBFじゃない?
@@MsdfCADIT916 確かにTBFアヴェンジャーですね!ありがとうございます🙏
戦前から終戦までパイロットをやってた人なんだから、搭乗機をゼロ戦で一括りにしないで型の情報もあると、よりゼロ戦というのが大衆のイメージとは別物の乗り物かがわかる。
この時代に戦果を上げながら生存されていたこと自体は素晴らしいことだと思います。ただ「ナンセンス」と言って撃墜数を論じないのは、それはそれで間違いです。なぜなら彼自身が撃墜数を戦後公言し、空戦を知らない戦後世代にとっては撃墜数が戦闘機パイロットの能力のバロメータになるからです。彼の消耗弾数を調べてみてください。
岩本「三号爆弾で撃墜しました」上司「これ対地攻撃用だよな…?」
バケモン過ぎ
髪型が当時の人に見えないし、新しい雰囲気を感じる方ですね
この人の最期が悲しい
教科書に載せるべきだ
05:30〜のBGMが気になりますね
6:34凄いですね。実際は数十機なのに米軍に千機の戦闘機で対抗されてると錯覚させるほど戦果を挙げていた。
虎徹の撃墜数はともかく、この映像は良いね
最前線にいたのに生き残ったとか凄すぎる
日本を守ってくれてありがとうございます。
全く守れてませんね。
@@カイハンセンsrhsu
感覚麻痺してるけど圧倒的不利な状況で生きて帰るだけで充分凄い
悪いとは言い切れないってなんやこいつ
戦争に騎士道求めとるんかい
坂井三郎氏もそう言っています。見つからない様、死角から打ち上げて撃墜。綺麗事では生き残れない。
@田中一郎 何言ってんのお前?
ハルトマンから甘さを丸ごと抜いて徹底的にクレバーに徹してるパイロットだから生き延びるべくして生き残った感じだな。逆に岩本が生き残れないなら誰も生き残れない。
岩本なら自分が不利なら味方を見殺しにしてでも有利なポジションを取るタイプ。自伝読んでるとそこらへんがしびれる
映像から見て取れるのは、みんな笑顔でハツラツと堂々と、劣勢な戦況なんて微塵も見せず、逆に勝ち戦の様相ですね。零戦も颯爽と快調に離陸していきます。カッコ良すぎます。活力のない時代にこそ、この映像は私達日本人に響きますね。
孫子に言う「善く戦ふ者は、勝易きに勝つ者也。」を実践した素晴らしい戦闘機乗りです。見倣いたいものです。
撃墜王岩本様のお話は聞いておりました、開戦前から終戦まで闘い抜いた素晴らしいパイロットですね。38歳の若さで終戦後亡くなられたのは残念ですぎません、ご冥福をお祈りします。
平和な時代が退屈になるかもしれないね。こういう武人は。
国を守った英雄に敬礼
まあ敢闘したけど国は守れなかったんだけどな。ガッツは認めよう
@@ニシノフラワー0いや十分守れたよ
@@ニシノフラワー0守れなかった国自体消えてた
ありがとうございます!
ありがとうございます!
最も会ってみたい方のお一人ですね
4:07 些末な指摘で申し訳ありませんが、「セイロン沖海戦で機動部隊に接触してきた米海軍のPBYカタリナ飛行艇を撃墜し…」とありますが、正しくは当時セイロンのコッガラに展開していた「イギリス空軍」第413飛行隊所属のレオナード・バーチャル少佐(Sqn.Ldr.Leonard Birchall)機と思われます。機体はCatalina Mk.I , シリアルナンバー AJ155 , 機体コード QL-Aです。なお第413飛行隊はカナダ空軍に所属する部隊で、バーチャル少佐自身もカナダのオンタリオ州出身です。零戦の攻撃によりバーチャル少佐機は不時着水しましたが、少佐自身は日本海軍の駆逐艦に救助され捕虜になっています。戦後解放されたのち、最終的は少将まで昇進しています。
すご
ただ誉めちぎるのでは無く、此の様なきちんとした根拠に基づいたコメントを大切にし、此れからも期待したい。
岩本徹三は本当にカッコイイ!憧れる✨
平和の尊さが伝わってきます平和の世界でいたい
我が日本国のために命を掛けて下さった方々をわたしたちは絶対わすれてはなりません。岩本さん、ご苦労様でした。合掌
敵の爆撃機乗りの方も、損耗率は少ないといっても、確実に誰かが死ぬとわかってて攻撃を受けても退避せず作戦を続けなければならないことの怖さはとんでもない凄いことだと思う。
爆撃機は日本もアメリカも等しく危険だったから。メンフィスベルで規定回数完了したのが快挙というほど生きて帰れる可能性が薄い
この時代で長髪めちゃくちゃかっこええ
映画「君を忘れない」で木村拓哉が演じた、上田淳一郎のモデルになったと言われています。
風呂入れない&下着も替えられない&着替えもないから速攻で蚤虱だらけになるけどね
@wmwmwmmw どっちみち汚ぇw
陸上基地所属なら風呂洗濯は普通にできたはず。空母艦載機配属たど不潔になりそうやな
本編が始める前に、零戦の呼び方や、敵機を落とした数などの差異が生じていることなど、丁寧なご説明で、本編の内容も、分かりやすく 岩本さんの大活躍を知ることができて、あの時代の誇り高い方たちが、日本を守ろうと切磋琢磨なさっていたお姿に、感謝しかありません。
残念なのは、岩本さんは、終戦を迎えたのに、早逝されてしまったことです。
戦後の日本を生きて、ご活躍をしていただきたかったです。 合掌
お忙しい中での再編集ありがとうございます。次回も楽しみにしております。よろしくお願いいたします。
「サクラの撃墜マークを観たら死を覚悟しろ」と米軍の間では言われていたそうです。
永遠の0に書いてあった
日本側が作ったホラ話ですよ。
@@ponnta88-o2d
アホか。俺の爺ちゃんの友達や。作り話じゃないよ
@@ponnta88-o2d
俺の爺ちゃんの友達の話しだし嘘じゃないよ
@@ponnta88-o2d無知は罪だな
天才っているんですよ。こういう話こそ学校で教えなければならない。
零戦の日の丸の白縁部分は目立つ為に敵側からの狙いが付けやすいと言う事で、白縁部分の塗りつぶしが行われましたが、桜🌸の撃墜マークを目立たせながらも、敵に落とされなかった事が凄いです。
長髪でありながら上官が何も言えなかった事も腕前の凄さあってだと言えるでしょうね。
確か上官からは特例として認められていたはずなので、やはり技術で認められていたからなのでしょうね
もう一つ、尊敬する米内光政大将も髪を伸ばされている と言ったことも影響しているようですね。
戦闘で弾痕だらけになって戻ってきた零戦を内地に輸送して暫く展示していたらしい。その後新しい零戦に乗ってあっという間に同じ位の数の撃墜マークが付いたとか。常人の成せる技ではない。
海軍は坊主頭義務無かったかと。陸軍と比べ海軍はイケメンを選んでいたし。
髪型に関しては陸軍の方が厳しい一方で海軍の方はあまりにも酷いものは例外だけど基本的にそこまで規則で縛られては無かったはずで基本的に髪型自由だった
昨日、零戦撃墜王読了。千葉県人です。自分の故郷の上空を哨戒してくださっていたことに深く感謝します。送り狼戦法とかいうのはひどい言い方だな。岩本中尉は単機でB29撃墜もしている。
トラック島上空防衛戦において、地上で見ていた岩本は、若い指揮官の技量や判断ミスで一瞬で多くのベテランパイロットを失った事なども痛切に書き綴られてましたね。いかに戦術が大事か、空戦の引き際などが大事か、良く解る傑出した空戦記でした。
岩本さんは山口県寄りに在る島根県益田市の人でした。
この時代の映像は貴重です。
ライフジャケットの零戦虎徹が残ってれば歴史の証言なのに。
背中の古傷を誤診され逝去された事が悔やまれます。
奥様が岩本ノートを保存され、彼の逝去14年前後に零戦撃墜王を公開。
後年、修羅の翼にて岩本VS西澤廣芳の空戦討論が繰り広げられたのも凄いです。
太平洋戦線のツートップが岩本徹三と西澤廣芳のお二人でした。
著書によると、大戦末期にF4Uコルセア8機と空戦になったそうです。岩本側は全部で4機。全速で逃げてもコルセアの優速には敵わず、反転した際に被弾。最早ここまでと真正面から撃ち合う程の激戦。生き残った著者が被害状況を確認すると、エンジン以外はボロボロで、落下傘の金具にM2ブローニング銃の弾が食込んでいたそうな。その後は確か、種子島かどっかの陸軍飛行場にガス欠ギリギリで不時着したらしい。
戦争は世界で最も愚かな行為だけど
零戦は世界で最も美しい戦闘機
愚かな行為のお陰でインターネットや電子レンジを使えてるのをお忘れなく。
見た目は美しくても中身はねぇ…
@@さいきよさ まぁね。
もし戦争してなかったら植民地になってたかもしれないもんね。
もし第二次世界大戦に参加しなかったら…
もし太平洋戦争に勝利してたら…
って考えると気になる
@@JohnDoe-sl5mr まぁ零戦は一時期強かったからヨシ
ちょっと前まで江戸時代だったアジアの小国が零戦作って、空母作って、一時期東南アジアの大部分を手に入れた。
これだけでもすごい
@@JohnDoe-sl5mr 設計理念の違い。元々から特攻兵器では無いよ。
なんだかんだゆう人もいますが岩本さんは間違い無く日本一の搭乗員激戦の八年間を生き抜いた凄い搭乗員残念なのは戦後公職追放で不遇であった手術ミスで亡くなられた感謝しかないです
読みにくいわw
えっ!亡くなられて感謝?って書いてるの?
。 が無いだけですごい文章になってる(笑)
当時の少年たちは零戦パイロットに憧れたんだろうなー
昭和57年、NHKが戦艦大和を探索していた際、アメリカで「ヤマト攻撃から沈没までを映像記録していた機体があったが
ヤマト沈没直後にゼロに撃墜された」という証言を得た。
大和に直掩機がいたとは記録にない。帰国後の会議でこのエピソードを披露したところ、岩本徹三の自叙伝にほぼ同一の
記載があると、探索に協力している「戦艦大和探索会」の関係者から指摘があって、取材チームは呆然としたとか。
(三井 俊二著『戦艦大和発見―悲劇の航跡を追って』日本放送出版協会・1982年
零戦撃墜王(空戦八年の記録)岩本徹三著 確かにその記述はありました。実話だったんですね。
なんと! そう彼は部下に信頼厚く上官にはことごとく反骨つまり戦後も目の上のたんこぶ扱い、ながく彼の功績が認められなくて否定され続けて来た上官が鬼籍におおかた入る辺りから評価がひっくり返って認められる様になってきたひと。
誇張だろ
実話だぜ!
天才、岩本徹三
岩本氏は後半には52乙型を拝領したようで、20mm2門、13.2mm2門、7.7㎜1門の武装。
一撃離脱戦法で至近で銃撃できればかなりの破壊力を指向できる。
丙と乙融合したようなよくわからん武装になっとる
3式13mm機銃は優秀だ。 翼の20mmを降ろし、機種の7.7mmも降ろして13.2mm1丁で戦いたい。
7mmが無くて13mmが一門じゃなかったっけ
52乙が好き
いましたね、6回出撃して全部かえってきた伝説の零戦
この人の動画を初めて見たのですが、話し方も、紹介されてる偉人も凄すぎて笑っちゃうw
色々なことを知れてすげ〜
エーリッヒ・ハルトマンは350機以上の撃墜数を誇るけど、東部戦線の会敵率の高い中での数字。
勿論、彼の技量には疑いの余地は無いが、戦域の広さが東部戦線より遥かに広い太平洋戦域での202機という数字は、会敵率から考えると相当にヤバイ撃墜数だなぁ。
と、言う訳で「人権擁護主義」を大前提とした「平和民主主義」とは…全くもって合い入れなかったのである…
ドイツの超エースたちは何度撃墜されても生還してスコアを重ねていった。 太平洋の戦いでは撃墜されると生還することが難しい。米軍は撃墜されたパイロットの救助に熱心だったが、日本軍はそんな活動はほとんどしなかったしね。 撃墜されなくても目印のない海上で機位をを失い未帰還機になってしまうことも多かった。
落下傘で降りれば陸地と海の上では天と地ほどの違い…。
一日一回以上出撃と
数日で一回出撃ではね
同感です。米軍は日本近海でも救助に向かったけれど、日本軍は命を捨て石とした。今でもその流れは変わっていないと思います。
ん~そんな方だったのですねぇ~驚きました。ありがとうございます。
岩本さん英雄です。世界一の撃墜王
岩本さんは
武術をやられたら 超一流になられた
人物ですね
勘が鋭いのを 憧憬が凄いと言います
時代がちがったら違った人生…
良い動画を有難うございます。
ただ途中、聞きにくいところがあるので字幕を入れてくれると満点!
岩本さんは現代でも魅力的な方ですね。
ラバウルには岩本徹三さんの他にも、笹井淳一さん、坂井三郎さん、西澤広義さん等々大勢の猛者が居たからなぁ。
笹井中尉みたいな人格者がもっと長生きしてればなあ…
昔は坂井三郎さんの本が小学校の図書室にあったんだよ🇯🇵👍️
坂井中尉の記録
大空のサムライ
この人達がいたから今の日本があるんだ
幼少期、祖父の友達の方から菅野氏や岩本氏や自身を含めた日中戦争の頃からの話をよく聞きました!
その方も髪型やタバコで憲兵や青年団から文句をよく言われたとか(笑)
三号弾の名手やったのも聞いてました❗
何はともあれ戦時中の御苦労に感謝です。
空戦というのは只のスピードレースじゃなくてモトクロスと障害物競争と射撃競技が合わさったもの。それなら零戦を知り尽くしてるパイロットが最強なのは納得できる。
岩本飛曹長、三号爆弾を使用した撃墜王の様でした。
彼の自伝を今でも所持しております。
零戦の岩本に紫電改の菅野直ですね。零戦虎徹の岩本徹三さんが紫電改搭乗すれば太平洋戦争末期も無双してたかも。菅野直さんとのエースパイロットのコンビに菅野直さんを慕ってた若き撃墜王の杉田庄一さんに空の宮本武蔵と言われた武藤金義が一緒だと。
零戦でヘルキャット4機撃墜はエグい
私は零式ですね。日々進化する米軍戦闘機とのドッグファイトで撃墜していた当時のパイロットは正直凄い!の一言
「敵機は感じるものだ」てもうニュータイプとして覚醒したのか(確信)
岩本を倒せば英雄の中の英雄だな
誤診したあげく執刀した医者が倒すことになるとはな……
某アニメのスピンオフで知った岩本◯子から岩本徹三さんの凄さを知りました
天才的パイロットがいたことは励みになる人物のひとりです
宇宙戦艦ヤマトも、山本じゃなく、岩本にすべきだったな。
11:37真っ黒なゼロ戦を想像したらめちゃくちゃカッコよい、、、
この方はもっと長生きして空自創設にもかかわっていただきたかった。真のゼロ戦エースだと思う。
10倍の戦力で押し寄せる米機にたいして、損害を最小限にと編み出した送り狼戦法などは卑怯と
見るむきもあるが、それは間違いだ。補給のきかないの日本軍には理にかなった戦い方だと思う。
実際、氏は格闘戦でも絶対的な強さを誇った。性能ではるかに勝るF6Fと4対1で空戦にはいり
ことごとくを撃墜したと地上監視所からも報告されている。
彼も誤診がなくてもう少し長生きしたら自衛隊なってからは旧軍人リクルートしてましたからね。叔父も海軍から空白期間経て空自に行ったのがいます。まぁ空自で米国製機材に接して、日米の差を痛感したそうです。
そうですね、誤診が・・・日米の工業力の差を知りながら、山本提督はなぜに真珠湾攻撃を
提唱したのか、諸説ありますが最悪の作戦で凡将とい論調もありますね
岩本氏は本当に長生きしてほしかったです。
岩本さんが生前病床に伏した際に遺した「もし元気になったらもう一度飛行機に乗りたいな。」という言葉の通りになる事は叶わなかったけど、その代わり岩本さんの息子さんが空自に入隊していたと思う。
全機帰着はしょんべん漏れるぐらい震えました
侍ですね。敬礼。
「敵は目で見るものでない、感じるものだ。」
敵の意識というか殺気というか、それを察知してたのか、
映画かドラマにして欲しい
雰囲気がリヴァイっぽくて素敵
岩本さん凄い🎉
卑怯が勝つ
真田昌幸
卑怯とは考えた頭の証
整備知識がありますと、機体の隅々、メカの隅々まで目が行き渡り、常に最良のコンディションと、操作性を引き出し、数値以上のパフォーマンスをたたき出せたのかと、思料致します。もちろん運命にも左右されるので、奇跡の人と言うことになろうかと思いますが、戦争は不幸ですので、過ちを繰り返さない努力をしたいものです。
初めまして!You Tubeのおすすめでこちらのチャンネル知りました!
“忘れちゃいけない大切な事”
気がつかせてくれる話し!!
とても勉強になりました(*Ü*)
「永遠のゼロ」のモデルになったと聞きました。
解説にもありますが特攻に強く反対し、「生きて長く戦ってこそ、戦闘機乗りたるもの」の哲学を徹底していたらしいですね。
永遠のゼロのモデルは坂井三郎です
個人的に岩本の方が断然好きだな
宮野善治郎大尉じゃなかった?
複数のパイロットがモデルで岩本徹三もその1人なんだとか
凄い人が沢山いたってことですね
永遠のゼロラストシーンのエンタープライズに特効するシーンは富安俊助パイロットが実際に行った史実の再現となっているそうです。
ヘルキャット4機相手に全機撃墜がすごいなぁ
ヘルキャットは、
アリューシャンでようやく手に入れた0を研究しつくして欠点を見つけ出し、
0お得意の巴戦を回避して
アメリカは工業力に物を言わせた
大型エンジンの高スピードと大口径機関銃での一撃離脱で その後の0を抑え込んだ名機だ
それ相手に打ち勝つのは素晴らしい
零戦を徹底的に研究して出来た機体はベアキャットだと思います。
ヘルキャットは12.7mm機銃なので大口径ではないですね。
グラマン機はF4F,F6Fで呼称したほうが分かりやすいよ。まあ、大口径機関砲ではないけどね。零式戦の20ミリ機関砲は大口径の部類だけどね。
技量のある搭乗員はF6Fも零式戦で落としていたようだけど、後半、紫電改など登場してほぼF6Fとも互角に戦ったらしい。知ってるとは思うけど。
ヘルキャットは、要求性能を満たさなかったコルセアの採用の腹いせに、ワイルドキャットの量産を勝手に辞めて無理やり作り上げたものだから
零戦は関係ないよ。
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同意です。
日独は大口径少数、米英は小口径多数と言われています。
マクシミリアンジーナス並みで凄過ぎる、、
タレントのイーデス・ハンソンさんの実兄さんは米国🇺🇸屈指の撃墜王で零式に撃墜され不運にも戦死されたそうです。
岩本徹三まじでかっこいい
凄い、カラーのラバウルの映像
ドイツの撃墜王ハルトマンとの比較だけど、ハルトマンは352機撃墜、被撃墜16でKD比22、岩本さんは少ない見積りで80機、その更に半分としても40機で被撃墜0のKD比40だよ。
パラシュート降下さえ出来れば生き残って再出撃出来る確率の高いヨーロッパ戦線なんかよりも、海の上で戦う事がほとんどで撃墜されたらほぼ死亡確定という、精神的に極限状態に追い込まれる太平洋戦線で生き残った岩本さんの方がハルトマンなんかより遥かに凄いよ。
「ハルトマンなんか」は失礼すぎるのでは
堀越二郎さんの授業を受けましたが堀越先生はゼロ戦と読んでいました。
米軍記録で実際の喪失数は日本側報告の数分の1程度が普通ですが、それでも数10機撃墜は確実で、戦力差を考えると凄いです。
坂井三郎は知っているが、岩本は知らなかった!有難う御座います。
この話しを映画館で観たい
岩本徹三凄いでも太平洋戦争をいきていたのに、医者のミスで亡くなったのはなんともたいないです・・・。
もし生きていたら、この結果を自慢できたのに・・・。
次の動画を楽しみにしています。 リクエストをしていいですか、船坂弘ことのやってほしいです。
自慢していたらかっこよくないです
海外のエースパイロットもカッコいいが日本の撃墜王も負けず劣らずカッコいい🛩️
第一次大戦じゃレッドバロンことリヒトホーヘンが一番かな
そんなに戦時物読んでないが
昔読んだ佐々木譲の「ベルリン飛行指令」とか相当面白かったな
主役2人のパイロットがカッコ良かったし内容も傑作だった🛩️
私も10代の時読みました。良かったです。
安藤のモデルは彼でしょう。
単純にカッコ良い👍学校で教わってたら憧れてたわ
ゼロ戦虎徹~岩本徹三!
真珠湾攻撃に参加して、終戦まで生き残ったパイロットがいるとは思わなかった。
それにしても、戦後には忘れ去れたエースパイロットの映像が、カラーの映像で
よく残っていたな〜!
坂井三郎さんのことも動画にしてください。
あの人自身が本当の虎徹だったな。。。
ゼロ戦と云うとレイ戦だと突っ込む人がいますが海軍で整備員だった方が云うには両方使われていたとの事です。
この零戦こそ桜花の名を得るべきだったのでは
私も零式艦上戦闘機を「レイセン」と呼ぶのは違和感ありました
以前に専門誌で元整備員の人が「レイセンなんて誰も呼んでないよ、少なくともオレの周りではゼロ戦だったよ」ってインタビューて語っていました
大空のサムライでも坂井さんですらゼロセンって書いてましたからね
@@HN-ui7fo 正式には「零式戦」とは呼ばれていたと思います、大空のサムライは戦後の著作物で一般民衆向け(一般海軍兵も同様)のことばかと思います、「零戦」も「ゼロ戦」同様な呼称で、海軍及び三菱の技術担当者は「零式艦上戦闘機」を略して「零式戦」と呼んでいたのではないでしょうか。
私は「零式戦」が好きですが、場合によって「ゼロ戦」「零戦」と言ったりします。これは私の私見です。
こんにちは。いつも感銘深く拝見させていただいています。
この後のルーデル氏の逸話は愉快な部分もあって大変興味深かったです。
恐れ入りましが、本編12:12からのBGMのタイトルや作者様サイトを教えていただけないでしょうか?
このような作品にふさわしい心を打つ音楽でした。
よろしくお願いします。
この人が生まれ代わって自衛隊の「ガンちゃん」になったんだと信じたい。ロック岩崎さんは信じ難い機動をしたそうです。
直感能力が優れた人だったんだろうな😅
ラバウルの画像、坂井三郎氏も映っていました。
何故、今マゼ知らなかったか、恥ずかしいです。ほんとうに、凄い人たちを、太平洋戦争でうしなったのですね。
よく零戦で一撃離脱が出来たなぁ〜
ラバウルには坂井さんもいましたね
シモヘイヘと同じような匂いがする…
為になる動画です
見た目から異才
飛べば奇才
こういう人を秀才というのかな…
何しても日本を守ってくれたのも
事実です。安らかに眠って下さい。
貴重な映像が多くて見ごたえがあった👍6:06の戦果報告に「F8F」と見えるけど何だろう?ベアキャットは実戦に間に合ってないはずだし‥
見辛いけどTBFじゃない?
@@MsdfCADIT916 確かにTBFアヴェンジャーですね!ありがとうございます🙏
戦前から終戦までパイロットをやってた人なんだから、
搭乗機をゼロ戦で一括りにしないで型の情報もあると、よりゼロ戦というのが大衆のイメージとは別物の乗り物かがわかる。
この時代に戦果を上げながら生存されていたこと自体は素晴らしいことだと思います。
ただ「ナンセンス」と言って撃墜数を論じないのは、それはそれで間違いです。
なぜなら彼自身が撃墜数を戦後公言し、空戦を知らない戦後世代にとっては撃墜数が戦闘機パイロットの能力のバロメータになるからです。
彼の消耗弾数を調べてみてください。
岩本「三号爆弾で撃墜しました」
上司「これ対地攻撃用だよな…?」
バケモン過ぎ
髪型が当時の人に見えないし、新しい雰囲気を感じる方ですね
この人の最期が悲しい
教科書に載せるべきだ
05:30〜のBGMが気になりますね
6:34
凄いですね。
実際は数十機なのに米軍に千機の戦闘機で対抗されてると
錯覚させるほど戦果を挙げていた。
虎徹の撃墜数はともかく、この映像は良いね