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原寸大の模型、健在ですよ(^^)『震電』目宛てに余市の宇宙記念館に行った時、すでに館にはありませんでしたが製作者に会うことができました。自宅に保管されていて観に行きました。本土防空戦の話も聞かせて頂きました。福岡のテレビ局が終戦特別番組で震電を特集しドラマを作成、そのDVDをお借りして観ました。すごく良い内容でしたよ。
震電がJR原田近くの冷水峠に疎開した話も聞かれました?地元の西日本新聞が特集組んでやってました。
疎開がされてたのですね。その話はされなかったです。コロナが落ち着いたら製作者にまた会いに行こうと思っています。その時の話題にしたいです。そうそう、私の父は震電の初飛行当日5歳で飛行場の近くに住んでいました。父の兄に連れられて初飛行を飛行場まで見に行ったそうです。目当ては搭乗員に特配されるコンペイトウ。飛行場に行けば可愛がっていただきお菓子をいただいたそうです。さらに父の話では『特攻隊』もここから飛び立っていったそうです。沖縄まで距離があり過ぎはしないかとも思いますが鹿児島の基地までの中継地だったものと推測します。地元では板付飛行場と呼んでいました。当時震電は『機密』だったはずですが、終戦間際はあまりやかましくなかったのか博多では市民の間で『J7(ジェーナナ)』と噂されていました。初飛行は見物に来た市民がたくさんいたそうです。近年までお盆と正月に親戚一同会すると必ずジェーナナが話題に登ったものでした。仏壇のお供えのコンペイトウを行儀悪く父が一粒ツマミ口に放り込むと「キャー!!美味しい!!」と叫んでは寝転がり「良くしてもらったなあ!飛行場の兵隊さん達に(整備兵、搭乗員)に!!!」と、天井を見つめては私にも話していない出来事があったのか少し悲しそうな顔をしていました。ジェーナナが離陸した瞬間大歓声が沸き起こったそうです。
私も実物大は見たいです❗️後、その番組も見たいです❗️
すんません・・・・・・・・余、余市って北海道ですか?
Hiroya Sato 九州じゃなかったかな
他界した父が九州飛行機に勤務しており終戦時に埋めたそうです、福岡空港を掘り返せば震電が見つかります。
ま、まじかよ!?上級国民に頼んで掘り返してもらおう
それは凄いなw
RUclipsのコメ欄って凄いんだなあ
返信有難う御座います、私も震電が大好きです。太刀洗平和祈念館に父と行った時に、震電の模型が置いてあり、「懐かしいJ7がある、J7知っとうや?、終戦の時に格納庫の留守番をしとって米軍が来るけん隠そうと埋めた」と話していました。埋めた場所は聞かなかったですが、格納庫の近くではないかと思います、もう父は他界したので聞けません、詳しく聞いておけばよかったと思います。
なんとなく美幌基地の地下に零戦が埋まってる。という話のようですな(笑)
敗戦後、「あと少し終戦が遅れていたら、完成間近の新兵器が活躍したのに。」昔からそんな夢物語を聞いて心はずませたものです。万能戦艦海底軍艦「轟天号」が、みんな大好きだったように。
あと少し終戦が遅かったら米軍は九州に上陸を始め、満州から釜山までソ連に占領され、さらに数発の原子爆弾が落とされ。新兵器が間に合っても数もパイロットも揃わないでしょう。ロマンは五式戦や紫電改で満足しましょう。
せっかく霊夢が哀愁を漂わせて解説をしている所に、魔理沙が冷酷な突っ込みを入れるのが面白い。やっぱりこの2人のコンビは最高です。
修正前のWTの震電はかなり忠実だったんだな
草
やめたげて...
確かにw
9:19 お馴染みの「ノーン日本ノ新型機ダッ!!」
蒼来は二重反転プロペラで排気タービンもあるので見た目が同じだけで震電とは全く別物ですけどね
紺碧の艦隊だ
助けてくれー、死にたくねぇ!ところで蒼来の機体デザインを見ると境界層の対策は取ってなかったみたいですね。アニメ製作側もそこまで知識がなく気が回らなかったかな?^^
@@sentinel397 あのアニメは時代逆行転生ギャグアニメだから…
逆にこんなモンが飛ぶんかい!?ってのが結構いい性能だったりする米のフライングパンケーキなんかは滑走距離6メートルもあれば離陸できたあんなまんまるっちい姿格好なのにね・・・こいつも終戦間際で消えていった可哀そうな奴だった
あれは専用プロペラがキモなんで、ジェットだと活かせないのが痛かったですね。でも、あのプロペラのデータはオスプレイの開発に活用されたとかいう話もあります
フォークト博士「呼んだかね?」
@TIBER教育チャンネル スウェーデンのサーブ21がジェット化に対応しきれてなかったから無理だと思うけどね
@二重帝国というロマンを広め隊広報担当 それ後退翼の試験機だよ
そのかわりに武装が設置困難やったはずプロペラをオウンゴールしてしまう…
震電じゃないですが同じエンタ型のビーチクラフト・スターシップのR/Cを飛ばしたことあります。機体はAFCでOS-52×2です。通常の尾翼機と大きく違った点は1.離陸滑走が長くいきなり機首上げに入る。2.低速では機首下げが強い。3.高速時は若干機首上げが出る。4.失速はお尻側から落ちだす。特に着陸時、フレアが効きにくく、だからといってさらにEV引くと2からいきなり4に入ろうとする。仕方なくオリジナルのカナード(クラークY翼)外して試行錯誤。バルサ+フイルムで翼面積1.3倍にすると2は改善。憶測ですが震電は高速迎撃が目的なので離着陸安定性を犠牲に、わざとカナードを小さく設計したのかなと思いました。
EF2000のエアインテークの形がずっと気になっていたのですが疑問が解けました勉強になります
推進式レシプロ戦闘機で成功したのはSAAB 21のみ。時期がよければ活躍できたかもしれないのは串形配置のDo335位。冷却の問題を考えると推進式は液冷にならざるを得ないし、そもそも液冷エンジンをまともに運用できるほどの技術が当時日本にあったとも思えない。多分あのまま開発が続いたとしても名機にはなれなかったと思うな。見た目はすごくカッコいいけど
まさかまさか映画での大活躍で再び脚光を浴び新たなロマン伝説が生まれましたね初めて震電を知った方向けに改訂版待ってます
テスト時の問題については初耳でした。飛行中の挙動と言い境界層と言い、全機風洞持ってなかったせいで微妙な詰めが効かせないの辛かっただろうな。
エンテ型の飛行特性については、小型風洞や模型とグライダーでデータを取ったそうですが、実機は重いため震電の小さい昇降舵で発生する微弱な揚力では縦の制御ができませんでした。九州飛行機ではなく、三菱や中島、川崎の設計陣であれば、このような初歩的なミスはなかったのではないかと。プロペラのトルク反動も米軍のコルセアやF8Fより少ないので、十分に対策が可能な範囲でした。
試作機ってのは当世には希望を、後世にはロマンを与える存在なんだよ…
兵器にロマン何か無意味😂
@@garmtightssole6413どしたん話聞こかー?
見た目がカッコいい。曲がりなりにも実際に空を飛んだ。夢とロマンは感じるね。実際は燃料の質やエンジンの冷却問題で実戦配備できたかどうかは不明。
どの型の零戦かは忘れたけどアメちゃんに鹵獲されてテスト飛行したら日本で使ってた時より良い性能発揮したらしいよね。燃料の違いって大事なんやなって
燃料は超大事。海軍のガソリンは今のレギュラーより少しオクタン価が高い。陸軍のは少し低い。米軍のは今のハイオクガソリンと同じ位。潤滑油も違う。エンジンの性能が上がれば上がるほど、燃料の質の差がもろに出る。
脱出についてはプロペラを爆破する方式のはず。当然、射出シート方式も検討されていたと記憶している。
@TIBER教育チャンネル 射出座席と後ろのプロペラ爆破ってドイツの串型配置の戦闘機で実装して量産しようとする段階まで開発完成してたような数機だけしか完成しなかったそうだけど
スカイクロラの散華Bで実用化!まあ、おとぎ話だ。
境界層の話は納得です。P51のラジエターは飛燕の設計者も絶賛したとか?でも、ハリケーンなんて戦争初期から機首の空気取り入れ口は境界層から離したような作りなんですけどね。空気は粘性という水飴のように粘りつく性質があります。雨の日のドライブで窓ガラスの外の水滴がくっついてる事で容易に想像できます。
P-51は境界層の問題を上手く解決して一定条件ならラジエーターの廃棄が数キロの推力すら生み出したそうです。カーチスXP-40も最初は胴体下にラジエーターを設けていました境界層の分離が上手く行かずに機首に移されました。
英国は流体力学を軍事技術に導入するのが列強より一足早かったそうで、ロールスロイスのエンジンなんかもドイツのエンジンとは異次元レベルに。流体力学技術は「触れるものすべてを金に変えた」とか錬金術のように称えられたそうです
Bf109もF型以降は吸気口を胴体から離した形状に変えてたな。それと、境界層の処理を考えたらFW190D系の環状ラジエーターってのは良い方法なのかも?
@@niyarix 様、Bf109 F以降の冷却器も境界層対策はされています🎵Fw190 の空冷型の潤滑油冷却器も吸出し効果を利用して空気抵抗無く設置されています。(オマケに装甲まで/空冷エンジンの弱点ですから)只、空冷型の過給機吸込口を空気抵抗を減らす為にカウリング内に設置したのは✕ですね。 その証拠に熱帯仕様でサンドフィルターを付ける為に外部開孔型はラムエア効果で全開高度が上がってます。
コウダイ その粘性のお陰で虫が飛べるんでしたっけ?虫のサイズにしたら粘性抵抗で「飛ぶ」というより「泳ぐ」感覚に近いとか…
あと少し終戦が遅れていたらF80Aなんかが空を飛んでいた訳で、震電が実用化されていたとしても太刀打ちできないでしょうね…
ファントムのインテーク前の板とか、ムスタングのラジエーターのボディとの隙間とかの設計意図が単なるデザインだと思っていたので驚きです
初めて日本のラジエーター見たときに境界層対策大丈夫か?って思ったけどやっぱりそうやったか
息詰まりそうな感じがするよな(?。?
XEELE’s SHAREHOUSE わかる なんか酸素じゃなくて二酸化炭素無理やり口の中に入れ込まれてる感が半端ないみたいな
@@潮鳥 例えが的確
ゴジラ-1.0で話題になりましたね
速度とか求めるとジェットエンジンになるし、プロペラ機のデザインとしては単に操縦性の悪い機体になるんでしょうねターボプロップや二重反転プロペラ機が普通有る現在で、この様な形の機体が無いのが実用的では無い証明なのでしょう境界層の話は地上走るレーシングマシンにも影響出るくらいなので、航空機だと…レーシングマシンとかも、エアインテークは境界層より外に出すデザインですね
ゴジラ-1.0ではゴジラにとどめを刺す大活躍だったけど、実物は飛べない機体だったのね。
この動画の真偽が掲示板で話題になっているのでいくつか質問よろしいでしょうか?4:40辺りからテスト飛行時の説明にテストパイロットの宮石飛行士からの話のような説明があります。こちらのソースは何でしょうか?公式な飛行記録にはこのようなコメントは無いので個別に宮石飛行士にインタビュー取材などをしたのでしょうか?水平飛行も儘ならかったとありますが九州飛行機の飛行試験記録の水平飛行欄に「プロペラトルクニヨル右傾極メテ大以外得ニ偏避ナシ」とありますが?また6:20辺りでエンジンが15分で完全にオーバーヒート云々の説明、九州飛行機の飛行試験記録では最高でも100度付近で最後の考察欄では「飛行時ハ成績ノ如ク過昇トナル」としかありません。完全オーバーヒートの根拠は何でしょうか?
なんにせよ期待の全損と墜落阻止した宮西操縦士GJ
30年程前に何も知識なく震電のプラモを買いその特異な形状に痺れました。最近「もしも!」話が多くつい熱い視線を向けたましたが解説を伺いナルホドと冷静に機体を見る事が出来るようになりました。
震電って数度の試験飛行を行った段階で終戦だから成功失敗以前の問題だよな~って昔から思ってた(まあ仮に実用化されたとしても当時の状況でまともに生産出来たかは怪しいけど)後、あまり触れられること無いけどイタリアの潜在な技術力って想像以上に高いものがあるよね(今回触れられたアンブロジーニSS4もその一つ)某所で見た「家庭の事情で伸び悩んだ天才」って表現がしっくりくる
ラジコン飛行機にすると、ちゃんと飛ぶんだけどなぁ。
rei1217 速度が遅いからね後軽いから
水平尾翼がないバルキリーでも飛ぶ。ほとんど胴体のサンダーバード2号も飛ぶ。
@@うさぎねこ-l7o エンジン出力さえあれば何でも飛ぶそういえばサンダーバード2号は実際にリフティングボディ機として機能する機体形状らしいですね。
@@八九式中戦車 そうです。ガメラも飛びます。
橋本博 それは草
確かグライダーは製作して安定した飛行特性を確認してたハズなんだが…まあ発動機や武装積んだら激変する可能性もあるとは思うが。
エンジンのトルクがヤバすぎたんだと個人的には思います。それこそ紺碧の艦隊みたいに二重反転プロペラだったらワンチャンあったかもと思います。
あと空力重心が完全に狂ってた
蝉21エンジンでモーターグライダー的な試作機だったかな?
グライダーは軽いので、少ない先尾翼面積でも十分な縦のピッチ制御ができていた。しかしエンジンを積んだ実機ははるかに重いため、先尾翼の面積不足でコントロールできなかったという単純なお話です。プロペラ後流の助けもないため、特に速度の遅い離着陸時は操縦が厳しかった模様。通常の機体で言うと、尾翼面積を1/4くらいにしたようなもので、これの操縦は怖いですよ。震電の縦の制御に関しては、トルク反動は無関係だし空力重心などの設計値はあまり問題ではありませんね。初めてのエンテ型なので、分からない事だらけでしたね。
ああ見るんじゃなかった・・・ってのは冗談で大変参考になりました!ロマン兵器は夢のままで終わった方がよかったんですね
いや、個人的に見るんじゃなかった気がする・・・
@@JSYamatoAegis そんなにショックか…。
B29は空襲するときは低空飛行するよう命じられており、搭乗員の米兵からもカーチス・ルメイは鬼上司と恐れられたとかなんとか。
高高度からだと、どうしても命中率や効果が落ちるから。東京大空襲も高高度からの爆撃ではなく、夜間の低空3000mからの爆撃だった。ついでに戦後、件のルメイへ勲章授与勧めたのは、小泉純一郎の父と安倍晋三の叔父。
@@msa-bu8zv 日本側の第二次世界大戦(シナ事変含む)の言い分「ハーグ陸戦条約では防備されていない都市は攻撃してはならないと定められている。防備されていないというのは『無防備都市宣言』をした都市であり、それ以外の都市は防備されている都市であるから、いくら攻撃して民間人が犠牲になろうとも国際法上は問題ない」キリッ連合ではなく日本側の言い分。
@@msa-bu8zv このように言っていながら後から空襲軍律を定めて訴求適用してある種の事後法で米兵を裁いて処刑しているあたりダブルスタンダードな気もするが。人間っていうのは、自分が他人にやるのは良くても、他人が自分にやるのは良くないという身勝手な生き物なのだろう。
中島飛行機?とか昼間高々爆撃では、ジェット気流の影響と命中率が悪すぎたので、日本側の迎撃を考えて夜間中低高度爆撃に切り替えられたはずです。ちなみに、当時はジェット気流の存在が知られておらず、風上に向かって飛んだら200~0(地面からみたらホバリング?)キロまでスビードが落ちたり、風下だと800キロくらいまでスビードが上がってしまい、ノルデン照準器は役立たずだったみたいですがね。
@@紅のプー太郎 その中でジェット気流の存在を把握していた枢軸は凄いなぁ。
3年たって「ゴジラー1.0」で再び出てこようとはねぇ。しかも、原寸プロップ作っている(太刀洗の?)し、さすがに映画屋さん、エンジンや兵装(5式)もほぼ作り込んである。射出座席付。映画の宣伝でどっかに展示されるかもしれない。
震電は 3つの大きな課題を掲げていたーエンジン冷却(あれば水冷にすべき)、後ろ過ぎる重心(ピッチ性不安定=ひっくり返ろうとする)、見るからにダメそうな足回り(脚長で短ホイールベース=不安定)。後輪は もっとプロペラ近くにすべきだが、そうすると 離陸時に前部が上手く上がらない。枢軸点(後輪)を前にもっていったら プロペラ接地問題発生で脚延長。液冷エンジン搭載のサーブ21は P38のものような長いブームを採用して実用化に至り、僅か1455hpで650㎞/hを記録している。震電にも高ポテンシャルが あったようだ。
@@t3233226彗星の芙蓉部隊等の ごく一部を除いて日本は 生産、整備の両面で液冷エンジンに泣かされた。おまけに、ダイムラーベンツの逆立ちエンジンをベースにしたため、それらは 戦車や高速艇への応用にも不向きであった。
俺には震電の重心は前過ぎると思う。前翼の揚力を前提として主翼の揚力点よりかなり前にしてるようだ。普通の形式だとこれは同一にしている。たから前翼が効くまでは機首を上げず、主翼フラップで揚力が上がると機首を下げるのだと思う。
フライ・バイ・ワイヤでも有ったら解決してたのかな?
@@onukiyuta3822 当時の日本機の電装系のお粗末さを知れば、そんなもんに命かけようとは思えんよ。コードなんて紙巻いて絶縁とかだよ。
重心については前過ぎてまずいって訳じゃない。むしろエンジンを可能な限り前に乗せて、延長軸で後部ペラを回してるくらい。主翼だけでなくナント前翼にもフラップがあり、連動して動くことによってフラップ作動時の機首下げを防ぐ設計でした
ダウンフォール作戦(45年11月予定)では最高速度760kmのP-51Hが投入される予定だった。勝ち目無し!
震電の主開発者の鶴野大尉は1952年発行の「航空朝日」に読者投稿の将来型戦闘機デザインに投稿したそうで(今風に言えば僕のかんがえたせんとうき」、そのイラストはカナード翼の三発機で機首にF86セイバーと同じくエアインテーク設けて三発機だったそうです。巡航時は双発、戦闘時は三基のエンジンを稼働させる物だったそうで。鶴野大尉にとってカナード翼の迎撃戦闘機は見果てぬ夢の戦闘機だったかも知れません。(自分もつい最近知りました)
映画での活躍でまた脚光を浴びることに
ゴジラマイナスワンに、登場。対ゴジラ兵器として、活躍。
これからの機体だったと思います。ただ、男は馬鹿でロマンが好きです。あと、単に美しい機体は強いと思いたいですね。スホーイみたいに。ですが欠陥機の一言で締め括るのは心情的に嫌ですね。あくまで心情的ですが。
流体力学や熱力学にも足を踏み入れてる解説は珍しい。ただのネットミリオタじゃないことを感じる。
一流だな
本物やん
こういう冷静な見解をもっと見たい。
鶴野技術大尉の設計ですが?
この手の機体を考察したりするのは難しいですね。時間資源さえあればって言っても、"有る物で最大限の成果を出す"のも技術だし、"必要な時に存在する"のも兵器にとって重要なポイントだし。
この手の機体はコンピューター制御が、無い限り操縦はかなり難しかったと思います。
人気の未成機に対して、冷静な考察とても興味深かったです。特に境界層について触れられている点が素晴らしい。(そこまで突っ込んで触れられることがあまりないですからね…)時の趨勢を鑑みるに、仮に機体構造・発動機の様々な欠陥をすべてクリアしてカタログスペックを発揮できていたとしても、ジェット機の登場で早々に陳腐化していたでしょうし、震電もジェット化に向けて機体の再設計が成されるか、そもそも震電自体がそこで打ち切られ、次世代機にバトンを受け渡していたと思います。(ジェット化によりもはや新設計の方が効率的と判断された可能性も結構高かったかも…)震電よりもオーソドックス故に、性能は満たせずとも航空機としてまともに飛べた機体が歴史の闇に消え、まともに飛ぶことすら難しかった彼女が、多くの人々の想像の翼により今も記憶され、飛び続けているのはとても幸せなことじゃないでしょうか。
紺碧の艦隊に登場するそう来(漢字がなくてすいませーん)のモデルになった戦闘機ですね。
欠陥というより改良する前に終戦が正しい。試作機なんてそんなものよ。
どんな名品も試作と失敗と改良加えての熟成期間が有りますので。
それを欠陥とか駄作機と簡単に表現する動画主の知能欠落だけが理解出来る動画であった。
mashimashi forza 言い過ぎ笑笑
いや、戦後のIF本伝記物で大活躍する様に行かないだろうって言ってるだけだと。
ここのUP主は自分の意にそぐわない書き込みはブロックするから注意ね。UP主の他のもてきとーな事言ってるけど
XP55は5tもあって重すぎたらしいよ
エンジン開発に失敗しなけりゃ2000馬力級で完成してたはずだからねぇ
確か設計者は3分の2位の大きさの「実験機」を作りその結果が良効であったので、J7Wの試作が始められたのでは。と、詳しい内容は「渡辺祥三」氏の著書に記されているので。
SimplePlanesで作ってみたが確かに常に機首下げ気味になるんだよなぁ。でも操縦桿を目一杯倒さないといけなかったり高度によって飛行特性が大きく変わったりということはない、実機と何か違う点でもあるんだろうか
@TIBER教育チャンネル 重量配分は出来るだけ後ろに寄せてありますね…
78年後に大スクリーンで見られるとは
清々しいほどのファクト暴力、好きですそのスタイル(笑)
ゴジラに勝った名機。
9:20のアニメの名前わかる人います?
紺碧の艦隊 帝都初空襲というアニメです ruclips.net/video/pbQi_Epm8jA/видео.html
Eito f. ありがとうございます!
カタログスペックは凄いけど実戦だとArrowスマホ並みに熱そう
だってそりゃ、初めての発想、初めての設計、初めての試作でうまくいくわけないしなあ。発動機にしても、震電のスペック通りでまともに使えるもんがあるなら既存の局地戦闘機に使うだろうよ。そういうツッコミをしながらも、20年くらい前に流行った架空戦記で震電が活躍するのを読むのは楽しかったんよね。呂式震電とかカッチョよかったんだよ。
ラバ空、もしくは翼に日の丸者ですかな?「馬乗り」から「串刺し」は面白い話でしたなあ。ラバ空は架空戦記の中では一番好き。
今年、意外な形で震電は有名になった😍
同時期のドイツのホルテンHo229全翼機も戦局を変える事出来たて、言われてるけどこれも結局は試作止まり機体でしたからね。どちらも架空戦記では、名機で登場してるけどね。
アセンダー君自分的にはカッコいいと思うんだけどなぁ
当時の設計技師の方(どなたかは失念)が、後知恵としながらも、先尾翼の機能不足(アセンダー様の全動でないこと)や、垂直安定板の面積の不足、プロペラ設計の悪さなどの問題点を指摘されていました。見た目のかっこよさやロマンで飛行機は飛ばないと、バッサリでした。
6:49 震電のエアインテークはジェット機でもプロペラ牽引式でもなく、プロペラ推進式なので、乱流境界層が小さく済み高速化に寄与します。また、最後尾に負圧がある為層流境界層も剥離しにくくボディに沿ってプロペラへと吸い込まれていったでしょう。戦前だろうが何だろうが、そんなことも分からん航空設計者がいるはずもありません。西岡通男2018年「流体力学に魅せられて 」(日本流体力学会誌『ながれ 37巻』)の中でも、戦前から境界層理論について大学で教育されていた事実が記載されています。ジェット機と牽引式プロペラ機の境界層を同一視して単純に外観を比べ、当時の日本には境界層に関する知見がなかったなどと推測するのはそれこそ架空戦記みたいなもんです。
Warthunder って比較的挙動が細かい描写をするんだけど 結構 挙動がおかしかったらしいから そりゃね
マウスみたくツリーから消えてもおかしかないのか
震電の対象翼見て、親近感を覚えたUコン爺は私だけかな。
テスト飛行は板付飛行場(今の福岡空港)でやってたみたいです。
@TIBER教育チャンネル [丸]って軍事雑誌があってそれを参考に投稿しました😄大刀洗もあったかもしれませんねしかし、雁ノ巣飛行場(福岡市東区和白)も使われたかも知れませんね😸
@TIBER教育チャンネル 貴重な体験されてたんですね😓💦私の祖父は内地で塹壕掘りしてたみたいで、何故か養命酒ばっか飲んでたらしく。終戦時は太って帰って来たらしいです(笑)
1機は席田、1機は西戸崎に持ち込んで行っていました。
@TIBER教育チャンネル 大刀洗は少し遠いので無理でした。
@TIBER教育チャンネル 当時、学徒動員した子らも九兵に来てましたが、開発の補助はさせていませんでした。小さい部品作りをさせていたのは見ています。来たその日に見よう見まねで作らせるから無茶苦茶でした。その部品が震電の試作機に使用されていたとしたら、無理矢理こじつけで広義では開発の補助と言えるかもしれませんが。
他の投稿者の動画の話は控えるべきだろうけどニコニコのWT英国動画上げてる人もエンテ翼特集で震電の解説してたけど全く同じことを言ってたね、境界層の認識は雷電にも見受けられないしエンジンはすぐ加熱するしって個人的には鶴見技術中尉のはなしが好きだった
せっかく原寸大作ったのに行方知れずなのか…日本らしいというか、なんというか…
他の方のコメントで知りました。現存してるみたいですね。
@@sierra162 北海道のローカルバラエティで大泉洋が製作者のお宅で本物を取材してました。
@@佐藤貢-z3t 藤村D「大泉くぅん、今度はそれに乗って九州に行ってくれないかなぁ…?」
昔、職場の属託の方で戦時中に軍の技術将校だった人がいたが震電の生写真を持ってて貰う約束してたんだが叶わなかった。あの時代はみんな何とかしたくて実用になるかどうかわからなかったけど、いろいろな試作機があった。秋水、橘花、桜花┅┅問題だらけの飛行機だけど欠陥機、駄作機と切り捨ててしまうのは悲しい┅。
流石に桜花はまずいでしょ
終戦間際に開発されていた飛行機はいろんな意味で問題だらけだった。それでも機体を作った人達、そしてそれに乗って亡くなった人達を今は偲ぶしかない。
ラジオで一式陸攻の元パイロットが言いました。今思えば何にか一言-今から特攻するのだから-話すべきだった。彼はただ桜花に乗る前、無言でした。桜花発射後は兎に角Uターンして一路桜島を目指すのみ!ライターと米軍から揶揄された一式陸攻。死にたく無い、皆同じ!
大馬力液冷エンジンは存在せずこのエンジン配置で空冷を選択せざるを得ない時点で詰んでる気がします。エンジンそのものの信頼性を度外視してすらこれですから。
震電の解説動画は幾つも見ましたが『境界層』に着目したのは初めてです。後ろから機体を推すエンテ形は今のジェット戦闘機では主流になってると思いますが、機体の安定性が低い=運動性能が高いので制御出来るまで時間が必要ですが・・・当時の日本にソコまで余裕は無かったでしょう。例え水冷式になってもジェットエンジン積んでも活躍は難しかった。 動画解説のように、「未完で終った為にロマンが残った」と言うのも納得です。(幕末の英雄と呼ばれた坂本龍馬や高杉晋作が人気有るのは、若くして亡くなって余計な事しなかったからと言う説)
そうそう 前進翼やエンテ型の利点が利点として機能するにはフライバイワイヤーを待たねばならない。 震電が人気なのはスタイル、設定もそうですが空の悪魔B-29をなんとかできたかも?!って想いが強いんでしょうねぇ。
ゴジラで出てくると思わなかった
出た。オヤジ殿が木更津で見たシンデン!オヤジは彩雲の整備員だった。
すげえ速い偵察機か
もしマトモに飛べてカタログスペックに近い性能が出せたとしても実用化する頃にはベアキャットやシューティングスター、それこそマーチン・ベイカー MB 5みたいなのを相手にしないといけない訳でまともに飛ぶ、飛ばずを問わず未来は暗そうですな。。。
最近、ラジコンの縮小サイズの震電を結構奇麗に飛ばしている動画を観たので、実用化の可能性はあったのではないでしょうか。空冷大馬力なのでオーバーヒートが心配です。
むか~し。新谷かおるの漫画で『冒険王』に掲載された単発の作品を思い出した。主人公は海軍のテストパイロットで日本海軍の最後の秘密兵器である震電の最終試験に搭乗しに来ていた。そこにはもう一人のテストパイロットが既に震電の試験飛行に立ち会っていとのだが、変わった奴で真夏の暑い盛りであっても飛行服もマフラーも取らない。飯を食べている姿も見てないし、水すら遠慮する。怪しいと思いつつもテストは進み、ついにはジェットエンジンを積んだ『震電改』まで出で来る。だがそこで敗戦。飛行停止命令を受領して『こいつが間に合えば……』と悔しがる主人公。そんな彼に件の怪しいテストパイロットは『震電・震電改が海軍の最終兵器と思ったのか?違うよ……』と怪しいテストパイロットがマフラーを外して『海軍の最終兵器は、この俺さ』……そこには顔の下半分が機械仕掛けのからくりが。『全搭乗員の完全機械化こそが軍の最終目標なのさ』……腰を抜かす主人公。と、なんと云うか小泉八雲の怪談噺のようなオチでした。
大戦中日本の局地戦闘機中で一番好きです。局地戦闘機震電。
リアプロペラのせいで長くなった足が、ガウォークっぽいのも人気の一端な気がする。
プロペラの前に機体があると気流が乱れて推進軸がぶれる。速度を上げたら人間では対処できません。コンピュータ制御ならなんとかやれる航空機です。
従来型技術の延長ではアメリカに勝ち目がなくなったので一発逆転をかけて奇抜なアイディアを採用するに至ったという真相だった気がする
このロマン兵器がなければガンダムネタが無いかもしれん好きだけどね(笑)
震電量産の暁にはB29の編隊など!と、言ってみたかった。
未完に終わって架空物で大活躍している現状が震電にとっては一番幸せなのかも知れないですね
エンテ翼のフォルムがカッコいいよなぁ
震電って名前がかっこいい
境界層のことは初めて知って面白かったです。震電は発動機の馬力と機体重量から、うまく飛行できるようになったとしても、最高速度は せいぜい650キロぐらいで、たぶんエンジンの性能低下と燃料の劣悪さで600キロでるかどうかじゃなかったのかな、と想像してました。もっとも、海軍は失敗作の景雲もジェット化しやすい機体ということで研究を継続していたので、震電もジェット化前提に研究継続されただろうとは思います。ジェット化すれば、細長い降着装備は不要で短くなっただろうし、主翼上の垂直尾翼は廃止して、胴体後部にミラージュのような垂直尾翼をつけることになっただろうと思う。この震電はジェット化したほうがメリットが大きい機体形状をしてたからね。
ジェット化も全然無理でしたね。ニッケルが完全に不足で普通のエンジンも作れなく為ってましたので高温高圧に耐えるタービンが如何頑張っても無理でした。
まあ、ジェット化する前に終戦ですから、やっぱりジェット化した震電改は時速800キロ越えの幻の名戦闘機と戦後ちやほやされただけのことですから。
同感です。震電と閃電は他のレシプロ試作機よりもジェット化を考えやすい構造だったとは思います。ただ、動画でも述べられている通り、境界層に対する意識の欠如など、開発~実戦配備までの道は相当険しく、橘花や景雲改、キ201火龍といった翼下懸架方式の双発ジェット機の方がモノになる可能性があったのではないか、とも思います。
ネ20の寿命は30時間らしい?
震電が、諸々の問題点を改善して要求仕様通りに完成したと仮定して、740km/hではP51H型より遅いので戦局の挽回は厳しいでしょうね。降下制限速度は日本の軍用機では最も速くできそうなので、高空からの高速一撃離脱が可能な条件下であれば、結構な戦果が期待できそうですが。ジェット化は、ネ20を2台搭載した橘花が785km/hだったので、震電を双発ジェットにすればこれよりは速くなったかもしれません。しかし、エンジン出力から見て950km/hを超えるF80より遅いでしょうね。それに機体のデザインも大幅に変更しなくてはならなくなるので、はたして震電と呼んで良いものか。いずれにせよ、当時の日本にはこれらの改良や開発を進めるための技術や資源がなかったので、絵に描いた餅ですけどね。
エンテ型の実用レシプロ戦闘機が皆無、、、これが結論なんでしょうね。技術的に冷静に見れば動画の結論に行き着く。でも、フルスペックではなくても実戦配備されてB-29に一泡吹かせる、、、、夢にみますね。
リソースが減ってる中でも実験にこぎつける程度には一発逆転の可能性を秘めた構造だったんだろうねえ。当時の日本の知識と技術では完成させられなかったんだろうけど。
@TIBER教育チャンネル 「実験にこぎつける程度には」という注釈が付いた中での一発逆転の可能性って話ね。大局を逆転させるほどのものではないのは認める。当時は九飛に三菱からも技術者の往来がありましたし、逆に三菱に出来なかったからこその可能性なら大いにあったと言える
欠陥と言うか、試作機だからね。取りあえず飛んでこれから調整をしていく機体って考えれば欠陥もあるよ。
@@nuruosan4398 ごめんなさい確かに航空機については詳しくないですが、「スミソニアン博物館」でこの機体の評価が良かったので鵜呑みにしてました。
そうなの?分解保管でレストア待ちって何かの記事で見た気がするんだけど…
@@Delta_4. ?レストア待ちだよ。なんかあの機体構造ってあっちこっちで同時期に出来てたらしいんだけど、実際に飛んだのは震電だけらしいんです。
@TIBER教育チャンネル 烈風は海軍の要求が高すぎましたね。震電は試作機の意味合いが強いから。まあ、あの時の技術者がいたから今の自動車メーカーがある。
@@akihro37mark2 レシプロエンジンを極めれば行き着く先は推進式ってことなんですかね…スウェーデンも一応第二次大戦中に完成させてますよ
強風の1号機の様に、コントラプロペラ(二重反転プロペラ)を装備していたら、単回転6枚ペラの強烈なトルクの影響無く、エンテ翼も正常に機能したかも。トルク対策としては、イタリアのマッキ/MC200~205の様に、主翼長を左右非対称にしたり、Bf109の様に垂直尾翼断面を左右非対称にするのも有りですね。
エンテ翼でコントプロペラとかカッコよすぎ(語彙力なし)
オネアミスのアレですね。アレはエンジンが機体上に設置されていて、エンテ翼機の着陸時機首が上がりやすくプロペラを地面に当てやすい、という欠点が「改良」されていて、マニアックにリアリティーが追求されているなと。
終戦になってなかったとしても45年11月1日には米軍が九州に上陸しますしそもそもいい機体があってもB29と空戦できるような腕前のパイロットはほぼおらず急拵えの特攻要員ばかりなのです
スカイクロラは散香だったか
アメリカ軍の航空機、操縦が難しいのが居たり、紹介のXP55だけが悪い訳ではないんだよね、未だに活躍してるアノ偵察機とか。震電のトルクによる当て舵、他国の有名戦闘機とかも離陸時、当て舵は必須だった様だし。
搭載されたハ43エンジンの設計者が戦後の回顧録で、本エンジン開発の技術的課題として冷却を挙げてた。風洞試験でエンジンに当たる空気の流れを確認しながら全体が均一に冷却できるように冷却フィンや点火プラグの位置なんかを決定したという。当然空気がエンジンの前から流れてくる様に設計されてるから、後ろ向きに積んだ震電では空気の流れが全く違うものなり部分的に過加熱が発生してオーバーヒートしてしまう。空気の流量をいくら増やしたところで流れそのものは変わらないから熱が不均一になるのは避けられない。根本的に解決するためには後ろ向きに搭載するのを前提としたエンジンを開発するか冷却をラジエータに頼る液冷エンジンを搭載するしかない。
その後、1960年にカワサキマッハが3気筒で出るんですが、前輪に隠れて風が当たらない中央シリンダーの冷却を、風洞でいろいろ試したあげく、中央シリンダーがいちばん冷えるようになりました。そのおかげで前輪がかなり前になって前後重量配分に影響が出て、なおかつ剛性が不足し、曲がらない、まっすぐ走らないという素性の悪さが出てしまいました。さらに、60年代ですら、左右のシリンダーが走行風に直面してるというのに、すべてを均等に冷やす作りには出来なかった。非常に難しいというのが、地上を走るマッハですら均等に冷えない問題で、改めて浮き彫りになりますね。
エンジンがターボプロップで二重反転プロペラ、そして幾つかのマイナートラブルを直して、令和の震電を見てみたい。😊イベント展示飛行用で構わないので…。
いや、計画機や試作機なんか、いってみればある意味全部欠陥機でしょ。そこから何かを得るために造るんだから。逆にいえば、試作機を欠陥機と断ずるのもおかしな話。
震電もTa152もイー400も大和でさえもロマン兵器なんだからまあいいじゃない
スカイクロラの主人公機体でこっちは散花ですね
あの映画、映画館で4回観たよ。嫁さんも飽きずに4回みた。映像があまりにも美しかった。飛行機物の映像を見たくてトム・クルーズのトップガンを昔観たけど、駄目だったね。それに比べたらスカイ・クロラの映像美と飛翔感には完全にやられましたね。大ヒットしなくて借金背負ったのじゃないかと心配もしたね。あの映画は凄かった。
@@maruohamamaru6839 そうですよね!自分は最後のティーチャーとの戦闘シーンで映像技術の凄さを実感しました!おかげで小説も全部持ってます(笑)
@@shin-zintei 私の感性がおかしいから4回も観たのかと、もやもやしてましたが賛同者がいてくれました。サンキューサンキュー。嫁さんも小説買ったですよ。あのストーリーも独特だったですよね。全編を流れる哀愁がたまらないですよね。本当に隠された傑作アニメですよ。けれどDVDで観た時はやはり駄目でしたね。本当の傑作はDVDで観てもおもしろいのだろうけど、それはそれ。あれだけ、てまひまかけたアニメーションはなにものにも代えがたいものがありますよね。 4Kか8Kになって大画面でまた観たいですよね。
9:12の映像はどこのやつですか?
境界層で思ったんだけど3式戦2型のエンジン横にある少しでだけ離れてつけられている取入口(?)は何なんだろう?
普通にエンジンの空気取り入れ口だと思う。有名なフルカン継ぎ手式渦給器あの辺りだし。
潤滑油冷却用のオイルクーラーエアインテイクあれも境界層全く考慮してないよねbf109fのオイルクーラーは離れてるのに
@@イナゴ大福 いや、飛燕のオイルクーラーはラジエターの中に組み込まれてますよ。
エキズーストの後端の上にカバー被った物なら過給機の空気取り入れ口。
エンテ型はフライバイワイヤ前提だってそれ一番言われてるから…アメリカの先尾翼試作機、XP55くんも結局日の目を見なかったしなぁ…
9:21のアニメのタイトルを教えてください
紺碧の艦隊です。
俺も常々思ってた事を代弁してくれた感じ。何で失敗作なのにゲームやアニメ漫画だとこんなに強いんだろうって。
失敗作ってより『技術実証機』に近いですからね(笑)まあ、ゲームの機体は『兵器として完成した機体』とでもしましょう(笑)
まあ、アニメやゲーム等の娯楽作品の中でなら、いくら活躍させてもいいと思うよwコトブキ最終話の空戦は迫力あって良かった。
そもそも成功か失敗か論ずる段階に行けてないですね。試験中に終戦ですから。ただ仮に終戦が長引いて実機が完成したとしてもエンジンの冷却問題は付いて回ったでしょう。操縦性は資料によっては特に問題ないと書いてある物もあり、トルク問題は量産機はペラの枚数を4翅にする予定だったそうなので解決したかもしれません。
第一はエンジン。安定した性能を量産機で出せたか?第二は飛行安定性。熟練パイロットでない者もちゃんと操縦できるモノになったか?
そして、御所世界日本にて誕生したのが「蒼莱」であった決して「パクチー」と読むなよ
後世日本、紺碧の艦隊ですね。
ノーン!日本の新型機だ!>_<
原寸大の模型、健在ですよ(^^)
『震電』目宛てに余市の宇宙記念館に行った時、すでに館にはありませんでしたが製作者に会うことができました。
自宅に保管されていて観に行きました。
本土防空戦の話も聞かせて頂きました。福岡のテレビ局が終戦特別番組で震電を特集しドラマを作成、そのDVDをお借りして観ました。すごく良い内容でしたよ。
震電がJR原田近くの冷水峠に疎開した話も聞かれました?
地元の西日本新聞が特集組んでやってました。
疎開がされてたのですね。その話はされなかったです。コロナが落ち着いたら製作者にまた会いに行こうと思っています。その時の話題にしたいです。
そうそう、私の父は震電の初飛行当日5歳で飛行場の近くに住んでいました。父の兄に連れられて初飛行を飛行場まで見に行ったそうです。目当ては搭乗員に特配されるコンペイトウ。飛行場に行けば可愛がっていただきお菓子をいただいたそうです。さらに父の話では『特攻隊』もここから飛び立っていったそうです。沖縄まで距離があり過ぎはしないかとも思いますが鹿児島の基地までの中継地だったものと推測します。
地元では板付飛行場と呼んでいました。当時震電は『機密』だったはずですが、終戦間際はあまりやかましくなかったのか博多では市民の間で『J7(ジェーナナ)』と噂されていました。初飛行は見物に来た市民がたくさんいたそうです。近年までお盆と正月に親戚一同会すると必ずジェーナナが話題に登ったものでした。仏壇のお供えのコンペイトウを行儀悪く父が一粒ツマミ口に放り込むと「キャー!!美味しい!!」と叫んでは寝転がり「良くしてもらったなあ!飛行場の兵隊さん達に(整備兵、搭乗員)に!!!」と、天井を見つめては私にも話していない出来事があったのか少し悲しそうな顔をしていました。
ジェーナナが離陸した瞬間大歓声が沸き起こったそうです。
私も実物大は見たいです❗️
後、その番組も見たいです❗️
すんません・・・・・・・・余、余市って北海道ですか?
Hiroya Sato 九州じゃなかったかな
他界した父が九州飛行機に勤務しており終戦時に埋めたそうです、福岡空港を掘り返せば震電が見つかります。
ま、まじかよ!?
上級国民に頼んで掘り返してもらおう
それは凄いなw
RUclipsのコメ欄って凄いんだなあ
返信有難う御座います、私も震電が大好きです。
太刀洗平和祈念館に父と行った時に、震電の模型が置いてあり、「懐かしいJ7がある、J7知っとうや?、終戦の時に格納庫の留守番をしとって米軍が来るけん隠そうと埋めた」と話していました。
埋めた場所は聞かなかったですが、格納庫の近くではないかと思います、もう父は他界したので聞けません、詳しく聞いておけばよかったと思います。
なんとなく美幌基地の地下に零戦が埋まってる。という話のようですな(笑)
敗戦後、「あと少し終戦が遅れていたら、完成間近の新兵器が活躍したのに。」昔からそんな夢物語を聞いて心はずませたものです。万能戦艦海底軍艦「轟天号」が、みんな大好きだったように。
あと少し終戦が遅かったら米軍は九州に上陸を始め、満州から釜山までソ連に占領され、さらに数発の原子爆弾が落とされ。新兵器が間に合っても数もパイロットも揃わないでしょう。ロマンは五式戦や紫電改で満足しましょう。
せっかく霊夢が哀愁を漂わせて解説をしている所に、魔理沙が冷酷な突っ込みを入れるのが面白い。やっぱりこの2人のコンビは最高です。
修正前のWTの震電はかなり忠実だったんだな
草
やめたげて...
確かにw
9:19 お馴染みの「ノーン日本ノ新型機ダッ!!」
蒼来は二重反転プロペラで排気タービンもあるので見た目が同じだけで震電とは全く別物ですけどね
紺碧の艦隊だ
助けてくれー、死にたくねぇ!
ところで蒼来の機体デザインを見ると境界層の対策は取ってなかったみたいですね。アニメ製作側もそこまで知識がなく気が回らなかったかな?^^
@@sentinel397 あのアニメは時代逆行転生ギャグアニメだから…
逆にこんなモンが飛ぶんかい!?ってのが結構いい性能だったりする
米のフライングパンケーキなんかは滑走距離6メートルもあれば離陸できた
あんなまんまるっちい姿格好なのにね・・・こいつも終戦間際で消えていった可哀そうな奴だった
あれは専用プロペラがキモなんで、ジェットだと活かせないのが痛かったですね。でも、あのプロペラのデータはオスプレイの開発に活用されたとかいう話もあります
フォークト博士「呼んだかね?」
@TIBER教育チャンネル スウェーデンのサーブ21がジェット化に対応しきれてなかったから無理だと思うけどね
@二重帝国というロマンを広め隊広報担当 それ後退翼の試験機だよ
そのかわりに武装が設置困難やったはず
プロペラをオウンゴールしてしまう…
震電じゃないですが同じエンタ型のビーチクラフト・スターシップのR/Cを飛ばしたことあります。機体はAFCでOS-52×2です。通常の尾翼機と大きく違った点は
1.離陸滑走が長くいきなり機首上げに入る。
2.低速では機首下げが強い。
3.高速時は若干機首上げが出る。
4.失速はお尻側から落ちだす。
特に着陸時、フレアが効きにくく、だからといってさらにEV引くと2からいきなり4に入ろうとする。仕方なくオリジナルのカナード(クラークY翼)外して試行錯誤。バルサ+フイルムで翼面積1.3倍にすると2は改善。
憶測ですが震電は高速迎撃が目的なので離着陸安定性を犠牲に、わざとカナードを小さく設計したのかなと思いました。
EF2000のエアインテークの形がずっと気になっていたのですが疑問が解けました
勉強になります
推進式レシプロ戦闘機で成功したのはSAAB 21のみ。時期がよければ活躍できたかもしれないのは串形配置のDo335位。冷却の問題を考えると推進式は液冷にならざるを得ないし、そもそも液冷エンジンをまともに運用できるほどの技術が当時日本にあったとも思えない。多分あのまま開発が続いたとしても名機にはなれなかったと思うな。見た目はすごくカッコいいけど
まさかまさか映画での大活躍で再び脚光を浴び新たなロマン伝説が生まれましたね
初めて震電を知った方向けに改訂版待ってます
テスト時の問題については初耳でした。飛行中の挙動と言い境界層と言い、全機風洞持ってなかったせいで微妙な詰めが効かせないの辛かっただろうな。
エンテ型の飛行特性については、小型風洞や模型とグライダーでデータを取ったそうですが、実機は重いため震電の小さい昇降舵で発生する微弱な揚力では縦の制御ができませんでした。
九州飛行機ではなく、三菱や中島、川崎の設計陣であれば、このような初歩的なミスはなかったのではないかと。
プロペラのトルク反動も米軍のコルセアやF8Fより少ないので、十分に対策が可能な範囲でした。
試作機ってのは当世には希望を、後世にはロマンを与える存在なんだよ…
兵器にロマン何か無意味😂
@@garmtightssole6413どしたん話聞こかー?
見た目がカッコいい。曲がりなりにも実際に空を飛んだ。夢とロマンは感じるね。実際は燃料の質やエンジンの冷却問題で実戦配備できたかどうかは不明。
どの型の零戦かは忘れたけどアメちゃんに鹵獲されてテスト飛行したら日本で使ってた時より良い性能発揮したらしいよね。燃料の違いって大事なんやなって
燃料は超大事。海軍のガソリンは今のレギュラーより少しオクタン価が高い。陸軍のは少し低い。米軍のは今のハイオクガソリンと同じ位。潤滑油も違う。エンジンの性能が上がれば上がるほど、燃料の質の差がもろに出る。
脱出についてはプロペラを爆破する方式のはず。当然、射出シート方式も検討されていたと記憶している。
@TIBER教育チャンネル 射出座席と後ろのプロペラ爆破ってドイツの串型配置の戦闘機で実装して量産しようとする段階まで開発完成してたような
数機だけしか完成しなかったそうだけど
スカイクロラの散華Bで実用化!まあ、おとぎ話だ。
境界層の話は納得です。
P51のラジエターは飛燕の設計者も絶賛したとか?でも、ハリケーンなんて戦争初期から機首の空気取り入れ口は境界層から離したような作りなんですけどね。
空気は粘性という水飴のように粘りつく性質があります。雨の日のドライブで窓ガラスの外の水滴がくっついてる事で容易に想像できます。
P-51は境界層の問題を上手く解決して一定条件ならラジエーターの廃棄が数キロの推力すら生み出したそうです。カーチスXP-40も最初は胴体下にラジエーターを設けていました境界層の分離が上手く行かずに機首に移されました。
英国は流体力学を軍事技術に導入するのが列強より一足早かったそうで、ロールスロイスのエンジンなんかもドイツのエンジンとは異次元レベルに。流体力学技術は「触れるものすべてを金に変えた」とか錬金術のように称えられたそうです
Bf109もF型以降は吸気口を胴体から離した形状に変えてたな。
それと、境界層の処理を考えたらFW190D系の環状ラジエーターってのは良い方法なのかも?
@@niyarix 様、
Bf109 F以降の冷却器も境界層対策はされています🎵
Fw190 の空冷型の潤滑油冷却器も吸出し効果を利用して空気抵抗無く設置されています。(オマケに装甲まで/空冷エンジンの弱点ですから)
只、空冷型の過給機吸込口を空気抵抗を減らす為にカウリング内に設置したのは✕ですね。 その証拠に熱帯仕様でサンドフィルターを付ける為に外部開孔型はラムエア効果で全開高度が上がってます。
コウダイ
その粘性のお陰で虫が飛べるんでしたっけ?
虫のサイズにしたら粘性抵抗で「飛ぶ」というより「泳ぐ」感覚に近いとか…
あと少し終戦が遅れていたらF80Aなんかが空を飛んでいた訳で、震電が実用化されていたとしても太刀打ちできないでしょうね…
ファントムのインテーク前の板とか、ムスタングのラジエーターのボディとの隙間とかの設計意図が単なるデザインだと思っていたので驚きです
初めて日本のラジエーター見たときに境界層対策大丈夫か?って思ったけどやっぱりそうやったか
息詰まりそうな感じがするよな(?。?
XEELE’s SHAREHOUSE わかる なんか酸素じゃなくて二酸化炭素無理やり口の中に入れ込まれてる感が半端ないみたいな
@@潮鳥 例えが的確
ゴジラ-1.0で話題になりましたね
速度とか求めるとジェットエンジンになるし、プロペラ機のデザインとしては単に操縦性の悪い機体になるんでしょうね
ターボプロップや二重反転プロペラ機が普通有る現在で、この様な形の機体が無いのが実用的では無い証明なのでしょう
境界層の話は地上走るレーシングマシンにも影響出るくらいなので、航空機だと…
レーシングマシンとかも、エアインテークは境界層より外に出すデザインですね
ゴジラ-1.0ではゴジラにとどめを刺す大活躍だったけど、実物は飛べない機体だったのね。
この動画の真偽が掲示板で話題になっているのでいくつか質問よろしいでしょうか?
4:40辺りからテスト飛行時の説明にテストパイロットの宮石飛行士からの話のような説明があります。こちらのソースは何でしょうか?公式な飛行記録にはこのようなコメントは無いので個別に宮石飛行士にインタビュー取材などをしたのでしょうか?
水平飛行も儘ならかったとありますが九州飛行機の飛行試験記録の水平飛行欄に「プロペラトルクニヨル右傾極メテ大以外得ニ偏避ナシ」とありますが?
また6:20辺りでエンジンが15分で完全にオーバーヒート云々の説明、九州飛行機の飛行試験記録では最高でも100度付近で最後の考察欄では「飛行時ハ成績ノ如ク過昇トナル」としかありません。完全オーバーヒートの根拠は何でしょうか?
なんにせよ期待の全損と墜落阻止した宮西操縦士GJ
30年程前に何も知識なく震電のプラモを買いその特異な形状に痺れました。最近「もしも!」話が多くつい熱い視線を向けたましたが解説を伺いナルホドと冷静に機体を見る事が出来るようになりました。
震電って数度の試験飛行を行った段階で終戦だから成功失敗以前の問題だよな~って昔から思ってた(まあ仮に実用化されたとしても当時の状況でまともに生産出来たかは怪しいけど)
後、あまり触れられること無いけどイタリアの潜在な技術力って想像以上に高いものがあるよね(今回触れられたアンブロジーニSS4もその一つ)
某所で見た「家庭の事情で伸び悩んだ天才」って表現がしっくりくる
ラジコン飛行機にすると、ちゃんと飛ぶんだけどなぁ。
rei1217 速度が遅いからね後軽いから
水平尾翼がないバルキリーでも飛ぶ。
ほとんど胴体のサンダーバード2号も飛ぶ。
@@うさぎねこ-l7o
エンジン出力さえあれば何でも飛ぶ
そういえばサンダーバード2号は実際にリフティングボディ機として機能する機体形状らしいですね。
@@八九式中戦車
そうです。ガメラも飛びます。
橋本博 それは草
確かグライダーは製作して安定した飛行特性を確認してたハズなんだが…
まあ発動機や武装積んだら激変する可能性もあるとは思うが。
エンジンのトルクがヤバすぎたんだと個人的には思います。それこそ紺碧の艦隊みたいに二重反転プロペラだったらワンチャンあったかもと思います。
あと空力重心が完全に狂ってた
蝉21エンジンでモーターグライダー的な試作機だったかな?
グライダーは軽いので、少ない先尾翼面積でも十分な縦のピッチ制御ができていた。
しかしエンジンを積んだ実機ははるかに重いため、先尾翼の面積不足でコントロールできなかったという単純なお話です。
プロペラ後流の助けもないため、特に速度の遅い離着陸時は操縦が厳しかった模様。
通常の機体で言うと、尾翼面積を1/4くらいにしたようなもので、これの操縦は怖いですよ。
震電の縦の制御に関しては、トルク反動は無関係だし空力重心などの設計値はあまり問題ではありませんね。
初めてのエンテ型なので、分からない事だらけでしたね。
ああ見るんじゃなかった・・・
ってのは冗談で大変参考になりました!
ロマン兵器は夢のままで終わった方がよかったんですね
いや、個人的に見るんじゃなかった気がする・・・
@@JSYamatoAegis そんなにショックか…。
B29は空襲するときは低空飛行するよう命じられており、搭乗員の米兵からもカーチス・ルメイは鬼上司と恐れられたとかなんとか。
高高度からだと、どうしても命中率や効果が落ちるから。
東京大空襲も高高度からの爆撃ではなく、夜間の低空3000mからの爆撃だった。
ついでに戦後、件のルメイへ勲章授与勧めたのは、小泉純一郎の父と安倍晋三の叔父。
@@msa-bu8zv 日本側の第二次世界大戦(シナ事変含む)の言い分
「ハーグ陸戦条約では防備されていない都市は攻撃してはならないと定められている。防備されていないというのは『無防備都市宣言』をした都市であり、それ以外の都市は防備されている都市であるから、いくら攻撃して民間人が犠牲になろうとも国際法上は問題ない」キリッ
連合ではなく日本側の言い分。
@@msa-bu8zv このように言っていながら後から空襲軍律を定めて訴求適用してある種の事後法で米兵を裁いて処刑しているあたりダブルスタンダードな気もするが。
人間っていうのは、自分が他人にやるのは良くても、他人が自分にやるのは良くないという身勝手な生き物なのだろう。
中島飛行機?とか昼間高々爆撃では、ジェット気流の影響と命中率が悪すぎたので、日本側の迎撃を考えて夜間中低高度爆撃に切り替えられたはずです。
ちなみに、当時はジェット気流の存在が知られておらず、風上に向かって飛んだら200~0(地面からみたらホバリング?)キロまでスビードが落ちたり、風下だと800キロくらいまでスビードが上がってしまい、ノルデン照準器は役立たずだったみたいですがね。
@@紅のプー太郎 その中でジェット気流の存在を把握していた枢軸は凄いなぁ。
3年たって「ゴジラー1.0」で再び出てこようとはねぇ。しかも、原寸プロップ作っている(太刀洗の?)し、さすがに映画屋さん、エンジンや兵装(5式)もほぼ作り込んである。射出座席付。映画の宣伝でどっかに展示されるかもしれない。
震電は 3つの大きな課題を掲げていたーエンジン冷却(あれば水冷にすべき)、後ろ過ぎる重心(ピッチ性不安定=ひっくり返ろうとする)、見るからにダメそうな足回り(脚長で短ホイールベース=不安定)。後輪は もっとプロペラ近くにすべきだが、そうすると 離陸時に前部が上手く上がらない。枢軸点(後輪)を前にもっていったら プロペラ接地問題発生で脚延長。液冷エンジン搭載のサーブ21は P38のものような長いブームを採用して実用化に至り、僅か1455hpで650㎞/hを記録している。震電にも高ポテンシャルが あったようだ。
@@t3233226彗星の芙蓉部隊等の ごく一部を除いて日本は 生産、整備の両面で液冷エンジンに泣かされた。おまけに、ダイムラーベンツの逆立ちエンジンをベースにしたため、それらは 戦車や高速艇への応用にも不向きであった。
俺には震電の重心は前過ぎると思う。
前翼の揚力を前提として主翼の揚力点よりかなり前にしてるようだ。
普通の形式だとこれは同一にしている。
たから前翼が効くまでは機首を上げず、主翼フラップで揚力が上がると機首を下げるのだと思う。
フライ・バイ・ワイヤでも有ったら解決してたのかな?
@@onukiyuta3822
当時の日本機の電装系のお粗末さを知れば、そんなもんに命かけようとは思えんよ。
コードなんて紙巻いて絶縁とかだよ。
重心については前過ぎてまずいって訳じゃない。むしろエンジンを可能な限り前に乗せて、延長軸で後部ペラを回してるくらい。
主翼だけでなくナント前翼にもフラップがあり、連動して動くことによってフラップ作動時の機首下げを防ぐ設計でした
ダウンフォール作戦(45年11月予定)では最高速度760kmのP-51Hが投入される予定だった。勝ち目無し!
震電の主開発者の鶴野大尉は1952年発行の「航空朝日」に読者投稿の将来型戦闘機デザインに投稿したそうで(今風に言えば僕のかんがえたせんとうき」、そのイラストはカナード翼の三発機で機首にF86セイバーと同じくエアインテーク設けて三発機だったそうです。
巡航時は双発、戦闘時は三基のエンジンを稼働させる物だったそうで。
鶴野大尉にとってカナード翼の迎撃戦闘機は見果てぬ夢の戦闘機だったかも知れません。
(自分もつい最近知りました)
映画での活躍でまた脚光を浴びることに
ゴジラマイナスワンに、登場。対ゴジラ兵器として、活躍。
これからの機体だったと思います。ただ、男は馬鹿でロマンが好きです。あと、単に美しい機体は強いと思いたいですね。スホーイみたいに。ですが欠陥機の一言で締め括るのは心情的に嫌ですね。あくまで心情的ですが。
流体力学や熱力学にも足を踏み入れてる解説は珍しい。
ただのネットミリオタじゃないことを感じる。
一流だな
本物やん
こういう冷静な見解をもっと見たい。
鶴野技術大尉の設計ですが?
この手の機体を考察したりするのは難しいですね。
時間資源さえあればって言っても、
"有る物で最大限の成果を出す"
のも技術だし、
"必要な時に存在する"
のも兵器にとって重要なポイントだし。
この手の機体はコンピューター制御が、無い限り操縦はかなり難しかったと思います。
人気の未成機に対して、冷静な考察とても興味深かったです。
特に境界層について触れられている点が素晴らしい。
(そこまで突っ込んで触れられることがあまりないですからね…)
時の趨勢を鑑みるに、仮に機体構造・発動機の様々な欠陥をすべてクリアしてカタログスペックを発揮できていたとしても、ジェット機の登場で早々に陳腐化していたでしょうし、震電もジェット化に向けて機体の再設計が成されるか、そもそも震電自体がそこで打ち切られ、次世代機にバトンを受け渡していたと思います。(ジェット化によりもはや新設計の方が効率的と判断された可能性も結構高かったかも…)
震電よりもオーソドックス故に、性能は満たせずとも航空機としてまともに飛べた機体が歴史の闇に消え、まともに飛ぶことすら難しかった彼女が、多くの人々の想像の翼により今も記憶され、飛び続けているのはとても幸せなことじゃないでしょうか。
紺碧の艦隊に登場するそう来(漢字がなくてすいませーん)のモデルになった戦闘機ですね。
欠陥というより改良する前に終戦が正しい。試作機なんてそんなものよ。
どんな名品も試作と失敗と改良加えての熟成期間が有りますので。
それを欠陥とか駄作機と簡単に表現する動画主の知能欠落だけが理解出来る動画であった。
mashimashi forza 言い過ぎ笑笑
いや、戦後のIF本伝記物で大活躍する様に行かないだろうって言ってるだけだと。
ここのUP主は自分の意にそぐわない書き込みはブロックするから注意ね。
UP主の他のもてきとーな事言ってるけど
XP55は5tもあって重すぎたらしいよ
エンジン開発に失敗しなけりゃ2000馬力級で完成してたはずだからねぇ
確か設計者は3分の2位の大きさの「実験機」を作りその結果が良効であったので、J7Wの試作が始められたのでは。と、詳しい内容は「渡辺祥三」氏の著書に記されているので。
SimplePlanesで作ってみたが確かに常に機首下げ気味になるんだよなぁ。
でも操縦桿を目一杯倒さないといけなかったり高度によって飛行特性が大きく変わったりということはない、実機と何か違う点でもあるんだろうか
@TIBER教育チャンネル
重量配分は出来るだけ後ろに寄せてありますね…
78年後に大スクリーンで見られるとは
清々しいほどのファクト暴力、好きですそのスタイル(笑)
ゴジラに勝った名機。
9:20のアニメの名前わかる人います?
紺碧の艦隊 帝都初空襲というアニメです ruclips.net/video/pbQi_Epm8jA/видео.html
Eito f. ありがとうございます!
カタログスペックは凄いけど実戦だとArrowスマホ並みに熱そう
だってそりゃ、初めての発想、初めての設計、初めての試作でうまくいくわけないしなあ。発動機にしても、震電のスペック通りでまともに使えるもんがあるなら既存の局地戦闘機に使うだろうよ。
そういうツッコミをしながらも、20年くらい前に流行った架空戦記で震電が活躍するのを読むのは楽しかったんよね。
呂式震電とかカッチョよかったんだよ。
ラバ空、もしくは翼に日の丸者ですかな?「馬乗り」から「串刺し」は面白い話でしたなあ。ラバ空は架空戦記の中では一番好き。
今年、意外な形で震電は有名になった😍
同時期のドイツのホルテンHo229全翼機も戦局を変える事出来たて、言われてるけどこれも結局は試作止まり機体でしたからね。
どちらも架空戦記では、名機で登場してるけどね。
アセンダー君自分的にはカッコいいと思うんだけどなぁ
当時の設計技師の方(どなたかは失念)が、後知恵としながらも、先尾翼の機能不足(アセンダー様の全動でないこと)や、垂直安定板の面積の不足、プロペラ設計の悪さなどの問題点を指摘されていました。見た目のかっこよさやロマンで飛行機は飛ばないと、バッサリでした。
6:49 震電のエアインテークはジェット機でもプロペラ牽引式でもなく、プロペラ推進式なので、乱流境界層が小さく済み高速化に寄与します。また、最後尾に負圧がある為層流境界層も剥離しにくくボディに沿ってプロペラへと吸い込まれていったでしょう。戦前だろうが何だろうが、そんなことも分からん航空設計者がいるはずもありません。
西岡通男2018年「流体力学に魅せられて 」(日本流体力学会誌『ながれ 37巻』)の中でも、戦前から境界層理論について大学で教育されていた事実が記載されています。ジェット機と牽引式プロペラ機の境界層を同一視して単純に外観を比べ、当時の日本には境界層に関する知見がなかったなどと推測するのはそれこそ架空戦記みたいなもんです。
Warthunder って比較的挙動が細かい描写をするんだけど 結構 挙動がおかしかったらしいから そりゃね
マウスみたくツリーから消えてもおかしかないのか
震電の対象翼見て、親近感を覚えたUコン爺は私だけかな。
テスト飛行は板付飛行場
(今の福岡空港)でやってたみたいです。
@TIBER教育チャンネル
[丸]って軍事雑誌があって
それを参考に投稿しました😄
大刀洗もあったかもしれませんね
しかし、雁ノ巣飛行場(福岡市東区和白)も使われたかも知れませんね😸
@TIBER教育チャンネル
貴重な体験されてたんですね😓💦
私の祖父は内地で塹壕掘りしてたみたいで、何故か養命酒ばっか飲んでたらしく。終戦時は太って帰って来たらしいです(笑)
1機は席田、1機は西戸崎に持ち込んで行っていました。
@TIBER教育チャンネル 大刀洗は少し遠いので無理でした。
@TIBER教育チャンネル 当時、学徒動員した子らも九兵に来てましたが、開発の補助はさせていませんでした。小さい部品作りをさせていたのは見ています。来たその日に見よう見まねで作らせるから無茶苦茶でした。その部品が震電の試作機に使用されていたとしたら、無理矢理こじつけで広義では開発の補助と言えるかもしれませんが。
他の投稿者の動画の話は控えるべきだろうけどニコニコのWT英国動画上げてる人もエンテ翼特集で震電の解説してたけど全く同じことを言ってたね、境界層の認識は雷電にも見受けられないしエンジンはすぐ加熱するしって個人的には鶴見技術中尉のはなしが好きだった
せっかく原寸大作ったのに行方知れずなのか…
日本らしいというか、なんというか…
他の方のコメントで知りました。
現存してるみたいですね。
@@sierra162 北海道のローカルバラエティで大泉洋が製作者のお宅で本物を取材してました。
@@佐藤貢-z3t 藤村D「大泉くぅん、今度はそれに乗って九州に行ってくれないかなぁ…?」
昔、職場の属託の方で戦時中に軍の技術将校だった人がいたが震電の生写真を持ってて貰う約束してたんだが叶わなかった。あの時代はみんな何とかしたくて実用になるかどうかわからなかったけど、いろいろな試作機があった。秋水、橘花、桜花┅┅問題だらけの飛行機だけど欠陥機、駄作機と切り捨ててしまうのは悲しい┅。
流石に桜花はまずいでしょ
終戦間際に開発されていた飛行機はいろんな意味で問題だらけだった。それでも機体を作った人達、そしてそれに乗って亡くなった人達を今は偲ぶしかない。
ラジオで一式陸攻の元パイロットが言いました。今思えば何にか一言-今から特攻するのだから-話すべきだった。彼はただ桜花に乗る前、無言でした。桜花発射後は兎に角Uターンして一路桜島を目指すのみ!ライターと米軍から揶揄された一式陸攻。死にたく無い、皆同じ!
大馬力液冷エンジンは存在せずこのエンジン配置で空冷を選択せざるを得ない時点で詰んでる気がします。
エンジンそのものの信頼性を度外視してすらこれですから。
震電の解説動画は幾つも見ましたが『境界層』に着目したのは初めてです。
後ろから機体を推すエンテ形は今のジェット戦闘機では主流になってると思いますが、機体の安定性が低い=運動性能が高いので制御出来るまで時間が必要ですが・・・当時の日本にソコまで余裕は無かったでしょう。例え水冷式になってもジェットエンジン積んでも活躍は難しかった。
動画解説のように、「未完で終った為にロマンが残った」と言うのも納得です。
(幕末の英雄と呼ばれた坂本龍馬や高杉晋作が人気有るのは、若くして亡くなって余計な事しなかったからと言う説)
そうそう 前進翼やエンテ型の利点が利点として機能するにはフライバイワイヤーを待たねばならない。 震電が人気なのはスタイル、設定もそうですが
空の悪魔B-29をなんとかできたかも?!って想いが強いんでしょうねぇ。
ゴジラで出てくると思わなかった
出た。オヤジ殿が木更津で見たシンデン!オヤジは彩雲の整備員だった。
すげえ速い偵察機か
もしマトモに飛べてカタログスペックに近い性能が出せたとしても実用化する頃にはベアキャットやシューティングスター、それこそ
マーチン・ベイカー MB 5みたいなのを相手にしないといけない訳でまともに飛ぶ、飛ばずを問わず未来は暗そうですな。。。
最近、ラジコンの縮小サイズの震電を結構奇麗に飛ばしている動画を観たので、実用化の可能性はあったのではないでしょうか。空冷大馬力なのでオーバーヒートが心配です。
むか~し。新谷かおるの漫画で『冒険王』に掲載された単発の作品を思い出した。主人公は海軍のテストパイロットで日本海軍の最後の秘密兵器である震電の最終試験に搭乗しに来ていた。そこにはもう一人のテストパイロットが既に震電の試験飛行に立ち会っていとのだが、変わった奴で真夏の暑い盛りであっても飛行服もマフラーも取らない。飯を食べている姿も見てないし、水すら遠慮する。怪しいと思いつつもテストは進み、ついにはジェットエンジンを積んだ『震電改』まで出で来る。だがそこで敗戦。飛行停止命令を受領して『こいつが間に合えば……』と悔しがる主人公。そんな彼に件の怪しいテストパイロットは『震電・震電改が海軍の最終兵器と思ったのか?違うよ……』と怪しいテストパイロットがマフラーを外して『海軍の最終兵器は、この俺さ』……そこには顔の下半分が機械仕掛けのからくりが。『全搭乗員の完全機械化こそが軍の最終目標なのさ』……腰を抜かす主人公。
と、なんと云うか小泉八雲の怪談噺のようなオチでした。
大戦中日本の局地戦闘機中で一番好きです。
局地戦闘機震電。
リアプロペラのせいで長くなった足が、ガウォークっぽいのも人気の一端な気がする。
プロペラの前に機体があると気流が乱れて推進軸がぶれる。
速度を上げたら人間では対処できません。
コンピュータ制御ならなんとかやれる航空機です。
従来型技術の延長ではアメリカに勝ち目がなくなったので
一発逆転をかけて奇抜なアイディアを採用するに至ったという真相
だった気がする
このロマン兵器がなければ
ガンダムネタが無いかもしれん
好きだけどね(笑)
震電量産の暁にはB29の編隊など!
と、言ってみたかった。
未完に終わって架空物で大活躍している現状が震電にとっては一番幸せなのかも知れないですね
エンテ翼のフォルムがカッコいいよなぁ
震電って名前がかっこいい
境界層のことは初めて知って面白かったです。
震電は発動機の馬力と機体重量から、うまく飛行できるようになったとしても、最高速度は せいぜい650キロぐらいで、たぶんエンジンの性能低下と燃料の劣悪さで600キロでるかどうかじゃなかったのかな、と想像してました。
もっとも、海軍は失敗作の景雲もジェット化しやすい機体ということで研究を継続していたので、震電もジェット化前提に研究継続されただろうとは思います。
ジェット化すれば、細長い降着装備は不要で短くなっただろうし、主翼上の垂直尾翼は廃止して、胴体後部にミラージュのような垂直尾翼をつけることになっただろうと思う。この震電はジェット化したほうがメリットが大きい機体形状をしてたからね。
ジェット化も全然無理でしたね。ニッケルが完全に不足で普通のエンジンも作れなく為ってましたので高温高圧に耐えるタービンが如何頑張っても無理でした。
まあ、ジェット化する前に終戦ですから、やっぱりジェット化した震電改は時速800キロ越えの幻の名戦闘機と戦後ちやほやされただけのことですから。
同感です。震電と閃電は他のレシプロ試作機よりもジェット化を考えやすい構造だったとは思います。ただ、動画でも述べられている通り、境界層に対する意識の欠如など、開発~実戦配備までの道は相当険しく、橘花や景雲改、キ201火龍といった翼下懸架方式の双発ジェット機の方がモノになる可能性があったのではないか、とも思います。
ネ20の寿命は30時間らしい?
震電が、諸々の問題点を改善して要求仕様通りに完成したと仮定して、740km/hではP51H型より遅いので戦局の挽回は厳しいでしょうね。
降下制限速度は日本の軍用機では最も速くできそうなので、高空からの高速一撃離脱が可能な条件下であれば、結構な戦果が期待できそうですが。
ジェット化は、ネ20を2台搭載した橘花が785km/hだったので、震電を双発ジェットにすればこれよりは速くなったかもしれません。
しかし、エンジン出力から見て950km/hを超えるF80より遅いでしょうね。
それに機体のデザインも大幅に変更しなくてはならなくなるので、はたして震電と呼んで良いものか。
いずれにせよ、当時の日本にはこれらの改良や開発を進めるための技術や資源がなかったので、絵に描いた餅ですけどね。
エンテ型の実用レシプロ戦闘機が皆無、、、これが結論なんでしょうね。技術的に冷静に見れば動画の結論に行き着く。
でも、フルスペックではなくても実戦配備されてB-29に一泡吹かせる、、、、夢にみますね。
リソースが減ってる中でも実験にこぎつける程度には一発逆転の可能性を秘めた構造だったんだろうねえ。当時の日本の知識と技術では完成させられなかったんだろうけど。
@TIBER教育チャンネル 「実験にこぎつける程度には」という注釈が付いた中での一発逆転の可能性って話ね。大局を逆転させるほどのものではないのは認める。
当時は九飛に三菱からも技術者の往来がありましたし、逆に三菱に出来なかったからこその可能性なら大いにあったと言える
欠陥と言うか、試作機だからね。取りあえず飛んでこれから調整をしていく機体って考えれば欠陥もあるよ。
@@nuruosan4398 ごめんなさい確かに航空機については詳しくないですが、「スミソニアン博物館」でこの機体の評価が良かったので鵜呑みにしてました。
そうなの?分解保管でレストア待ちって何かの記事で見た気がするんだけど…
@@Delta_4. ?レストア待ちだよ。なんかあの機体構造ってあっちこっちで同時期に出来てたらしいんだけど、実際に飛んだのは震電だけらしいんです。
@TIBER教育チャンネル 烈風は海軍の要求が高すぎましたね。震電は試作機の意味合いが強いから。まあ、あの時の技術者がいたから今の自動車メーカーがある。
@@akihro37mark2 レシプロエンジンを極めれば行き着く先は推進式ってことなんですかね…
スウェーデンも一応第二次大戦中に完成させてますよ
強風の1号機の様に、コントラプロペラ(二重反転プロペラ)を装備していたら、単回転6枚ペラの強烈なトルクの影響無く、エンテ翼も正常に機能したかも。
トルク対策としては、イタリアのマッキ/MC200~205の様に、主翼長を左右非対称にしたり、Bf109の様に垂直尾翼断面を左右非対称にするのも有りですね。
エンテ翼でコントプロペラとか
カッコよすぎ(語彙力なし)
オネアミスのアレですね。
アレはエンジンが機体上に設置されていて、エンテ翼機の着陸時機首が上がりやすくプロペラを地面に当てやすい、という欠点が「改良」されていて、マニアックにリアリティーが追求されているなと。
終戦になってなかったとしても45年11月1日には米軍が九州に上陸しますしそもそもいい機体があってもB29と空戦できるような腕前のパイロットはほぼおらず急拵えの特攻要員ばかりなのです
スカイクロラは散香だったか
アメリカ軍の航空機、操縦が難しいのが居たり、紹介のXP55だけが悪い訳ではないんだよね、未だに活躍してるアノ偵察機とか。
震電のトルクによる当て舵、他国の有名戦闘機とかも離陸時、当て舵は必須だった様だし。
搭載されたハ43エンジンの設計者が戦後の回顧録で、本エンジン開発の技術的課題として冷却を挙げてた。風洞試験でエンジンに当たる空気の流れを確認しながら全体が均一に冷却できるように冷却フィンや点火プラグの位置なんかを決定したという。当然空気がエンジンの前から流れてくる様に設計されてるから、後ろ向きに積んだ震電では空気の流れが全く違うものなり部分的に過加熱が発生してオーバーヒートしてしまう。空気の流量をいくら増やしたところで流れそのものは変わらないから熱が不均一になるのは避けられない。根本的に解決するためには後ろ向きに搭載するのを前提としたエンジンを開発するか冷却をラジエータに頼る液冷エンジンを搭載するしかない。
その後、1960年にカワサキマッハが3気筒で出るんですが、前輪に隠れて風が当たらない中央シリンダーの冷却を、風洞でいろいろ試したあげく、中央シリンダーがいちばん冷えるようになりました。
そのおかげで前輪がかなり前になって前後重量配分に影響が出て、なおかつ剛性が不足し、曲がらない、まっすぐ走らないという素性の悪さが出てしまいました。
さらに、60年代ですら、左右のシリンダーが走行風に直面してるというのに、すべてを均等に冷やす作りには出来なかった。
非常に難しいというのが、地上を走るマッハですら均等に冷えない問題で、改めて浮き彫りになりますね。
エンジンがターボプロップで二重反転プロペラ、そして幾つかのマイナートラブルを直して、令和の震電を見てみたい。😊
イベント展示飛行用で構わないので…。
いや、計画機や試作機なんか、いってみればある意味全部欠陥機でしょ。そこから何かを得るために造るんだから。逆にいえば、試作機を欠陥機と断ずるのもおかしな話。
震電もTa152もイー400も大和でさえもロマン兵器なんだからまあいいじゃない
スカイクロラの主人公機体でこっちは散花ですね
あの映画、映画館で4回観たよ。嫁さんも飽きずに4回みた。
映像があまりにも美しかった。
飛行機物の映像を見たくてトム・クルーズのトップガンを昔観たけど、駄目だったね。
それに比べたらスカイ・クロラの映像美と飛翔感には完全にやられましたね。
大ヒットしなくて借金背負ったのじゃないかと心配もしたね。
あの映画は凄かった。
@@maruohamamaru6839 そうですよね!
自分は最後のティーチャーとの戦闘シーンで映像技術の凄さを実感しました!おかげで小説も全部持ってます(笑)
@@shin-zintei 私の感性がおかしいから4回も観たのかと、もやもやしてましたが賛同者がいてくれました。サンキューサンキュー。
嫁さんも小説買ったですよ。
あのストーリーも独特だったですよね。
全編を流れる哀愁が
たまらないですよね。
本当に隠された傑作アニメですよ。
けれどDVDで観た時はやはり駄目でしたね。
本当の傑作はDVDで観てもおもしろいのだろうけど、それはそれ。
あれだけ、てまひまかけたアニメーションはなにものにも代えがたいものがありますよね。
4Kか8Kになって大画面でまた観たいですよね。
9:12の映像はどこのやつですか?
境界層で思ったんだけど3式戦2型のエンジン横にある少しでだけ離れてつけられている取入口(?)は何なんだろう?
普通にエンジンの空気取り入れ口だと思う。
有名なフルカン継ぎ手式渦給器あの辺りだし。
潤滑油冷却用のオイルクーラーエアインテイク
あれも境界層全く考慮してないよね
bf109fのオイルクーラーは離れてるのに
@@イナゴ大福
いや、飛燕のオイルクーラーはラジエターの中に組み込まれてますよ。
エキズーストの後端の上にカバー被った物なら過給機の空気取り入れ口。
エンテ型はフライバイワイヤ前提だってそれ一番言われてるから…
アメリカの先尾翼試作機、XP55くんも結局日の目を見なかったしなぁ…
9:21のアニメのタイトルを教えてください
紺碧の艦隊です。
俺も常々思ってた事を代弁してくれた感じ。
何で失敗作なのにゲームやアニメ漫画だとこんなに強いんだろうって。
失敗作ってより『技術実証機』に近いですからね(笑)
まあ、ゲームの機体は『兵器として完成した機体』とでもしましょう(笑)
まあ、アニメやゲーム等の娯楽作品の中でなら、いくら活躍させてもいいと思うよw
コトブキ最終話の空戦は迫力あって良かった。
そもそも成功か失敗か論ずる段階に行けてないですね。試験中に終戦ですから。
ただ仮に終戦が長引いて実機が完成したとしてもエンジンの冷却問題は付いて
回ったでしょう。
操縦性は資料によっては特に問題ないと書いてある物もあり、トルク問題は
量産機はペラの枚数を4翅にする予定だったそうなので解決したかもしれません。
第一はエンジン。安定した性能を量産機で出せたか?第二は飛行安定性。熟練パイロットでない者もちゃんと操縦できるモノになったか?
そして、御所世界日本にて誕生したのが「蒼莱」であった
決して「パクチー」と読むなよ
後世日本、紺碧の艦隊ですね。
ノーン!日本の新型機だ!>_<