【落合陽一公式】自然と風景と計算機,あの夏のメディアアート [
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- Опубликовано: 8 сен 2024
- 自然と風景と計算機を見つめながら,落合陽一は何を考えているのか.
2016年の夏を振り返りながら,風景と計算機とメディアアートを考える.
遠い夏を追憶しながら未知を探求する第二回.
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【Yoichi Ochiai】
Twitter:
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note:
note.com/ochyai
Online Salon :
lounge.dmm.com...
Official Site:
yoichiochiai.com/
Starring:
Yoichi Ochiai
Music:
brightwaltz
Movie Direction/Edit:
Shonosuke Kokawa(amana)
Movie Producer:
Yoshimasa Watanabe(amana)
Producer:
Yusuke Arai(amana)
Takashi Yamane(amana)
amana: amana.jp/
※ここに上がってる以外の講演動画や他の動画の多くは違法アップロードです.
(本人の了承なくアップロードされた恣意的な切り取りのものがほとんどです)
#落合陽一 #落合陽一公式 #落合陽一録 #未知への追憶 #stayhome
第二回を公開しました.2016年の夏を追憶しながら,自然と風景と計算機とメディアアートを考えています.ご視聴ありがとうございます! チャンネル登録&SNSでのシェアの方是非よろしくお願いします!
ここで見るアーティスト落合陽一の感性が美しくて大好きです
「夏休みが始まって、永遠に夏休みが終わってくれない」この言葉に鳥肌が立った
「永遠に夏休みが始まってしまって、永遠に夏休みが終わってくれない」って聞いたとき、夏休みなんて終わらなきゃいいのにと思っていた過去の自分が見えた。
学校にいる人間がうるさくて目障りで机に向かって寝たフリをして授業や休み時間が終わるのをただひたすら待ってた。
学校が好きだった方々はこの芸術を見て幸せの儚さや思い出の寂しさを感じてるんだろうと思う。
けど俺に見えたのはまるで学校という名の呪いが解けた様な景色だった。
一人でやった掃除や一人でやった給食ワゴンの片付け、そんな寂しいばかりの永い夢がやっと覚めたような気がした。
虫籠の蝶が今青い空へ羽ばたいて、そのシャボンの膜にはまだ像が残っている。そんな解釈ができるのもデジタルネイチャーならではなんだと思う。
みんなで勉強したり、給食食べたり、好きな人とちょっと話せただけでとっても嬉しかったり(今もか)色んな思い出が蘇る。
リモートじゃこの学校の空気感は残らないよね。。
自然に溶け込みつつ、あの時の感情が蘇るアート✨
今だからこそ更に心に響きます😌
私は夜まで行事の実行委員で体育館に残って飾りつけしたとき
体育館だけが暖かくオレンジ色に光るのが好きでした✨
日本人が共通として持つ
日本的な心と感性の美をぎゅっと
表してくれているようでとても嬉しいです。
願わくばこの動画にあるものが
海外の方にも届いたらなと思いました。
忙しくしてた毎日では、読み取れなかった。落合さんのメディアアートでしたが、このRUclipsを見る機会をコロナがくれて良かったです。退廃的な景色に、昭和の情念を感じる余裕が無かった。楽しみが一つ増えました。感謝。
自然と、そこにはない風景と、メディアアートの融合。ふっと一人で立ち寄りたくなる場所だと感じました。
またこんな感じの芸術祭(というか人が少なくて落ち着いて見られるような常設展)をやって頂けたら嬉しいです。☺️
「劣化したガラスから通じて出てくる光が歪んで感じてくる」って個人的に好きな表現だな
モニターや機械に囲まれた無機質な映像なのに、自然を感じる不思議。
落合さんの生々しい感情、その語り口、声の耳触り。存在そのものが、自然。
人為的な見せかけの人が多い中で、落合さんはその対局にいる自然を感じられる人。
無機質との対比が心地良い。
音楽も映像も、全てが儚くて切ない。
最先端なのにノスタルジックで日本の原風景みたいな。落合陽一さんの作品は初めて見たのですが、心が揺さぶられます。
落合作品のアーカイブを「録」として公式の純度であらためて触れられるのは本当に嬉しいです。『幽体の囁き』は特に好きな作品です。
訪れたこともない、今はもう無いところなのに鑑賞者一人ひとりが、自分の記憶でこの空間と時間を埋めていく。
発表当時に体験したかったです。
でも映像として何度観ても、自己の記憶で完成させようとさせてくれる、色褪せないアートだと思います。
3年ほど前に先生に勧められて落合さんを知りました。自分とは全くちがう感性でいつも楽しませてもらっています。
この動画も本で述べられていないようなことがあったりとても楽しませてもらってます。これれからも楽しみに待っています
話すスピードが心地良いと思いました。
家にある一番大きなディスプレイ(TV)で 未知への追憶#1 #2 を観てみました。とても美しく 落合陽一さんのドキュメンタリー映画のようでした。また、画,音からも、スマートフォンともまた違う届き方(響き方)がしました。心が凪で在りながら、魂が揺さぶられるような。何度も観てしまいます。同じ時代に生きられて嬉しいです。
バックで流れる音楽はちょと切ない気持ちになるけど、とっても素敵ですね😊
科学の進歩によって、日本人の侘び寂びの感情を揺さぶる様な、懐かしさと切なさを体験出来るエッセンスが、このモダンな創作空間に見事に混在されていて、自分は鳥肌が立ちました。素敵な動画を見せて頂き、本当にありがとうございます。
県北芸術祭っていう芸術祭があって。何年前だったかなあ。約5年、4年前ぐらいだったと思うんだけど。
芸術祭で、カバーっていうか表紙の作品。つまりポスターとかに挙げられたりとか。ガイドブックの表紙になったりとか。
なんかそうやってメインテーマの作品に挙げられるのは初めてだったんで。あの時の芸術祭ってのはすごく覚えてるんですよ。
なんかこう自然に向き合いながら見えてくるものっていうものと。芸樹として探求する。人とは何かとか。人間が今できるものってなんだ、表現とは何かっていうのを考えた時に、科学と芸術の接点としての芸術祭っていうものが当時思われてて。
自然と向き合うなかに何を知り何を見つけ何に興味を持つかみたいなところの中に、農村的な風景とか。あと自然の海の風景みたいなものがあった時に、風景の中にサイエンスを用いた作品。例えばメディアを用いた作品とかでもいいんだけど。
もっと人為的なものを用いた作品。medium(媒質)を使った作品みたいなのがあって。
で、そういった芸術祭をやるっていうんで、確かに面白そうだなって思って参加して。
初めてだったんすよねえ。山手線とかさ、いわゆる都内の至る所に自分の作品のポスターを貼られるって経験が当時なくて。
自分の生活空間まで出てくることってあんまりないから、それがすごく面白いなあって思ったんだよね。
そのあと茨城県の県北地域。要は、あれどこだったっけなあ。美和中学校って山奥にあるんですけど。
そこの廃校になったばっかりの中学校で展示することになったんですよ。
人の営みがある瞬間があって。人の営みがあった場所から人の営みがなくなっていったところにある風景とか。
そこに残ってるものにメディアアートと向かい合わせたら一体何があるんだろうっていう。
なんかね、他の廃校になった小学校中学校に行ったら、すごく幽霊的な感じがしたんですよね。
ガラスとかが劣化してて。で、劣化したガラスから通じて出てくる光がなんかすごく歪んで感じるような感覚って古いガラスだなあって思ったり。人がいなくなってだいぶ長い時間が経ったんだなあって思って。で、そうやって見る中にあるいわゆる風景っていうのが。人の営みからだいぶ時間かかったものが多いなあって廃校見てて思って。
なんだけどね。そこの美和中学校だけはまだ人間の雰囲気が残ってたんですよ。
永遠の夏休みが始まって、永遠に夏休みが終わってくれないみたいな。そんな感じの風景だったんで。これは僕の中でも面白いなあって思ったんでそこで展示することになったんですよ。
コロイドディスプレイってその、自分がシャボン膜で作った。あれ僕の中ですごい鹿威し的で。こう行って帰ってくるあの薄膜のキラキラ感みたいなもの。すごくのどかであって牧場的であるけど、BRDFって言って双方向反射率分布関数みたいなやつがあるんですけど。
それとかを感じるCGっぽさもあり。それでいて胡蝶の夢。蝶々が万物に変形する、変化する、トランスフォーメーションするみたいなの。まあ物化する計算機自然。物化するって胡蝶の夢から取ってる言葉だけど。物化する計算機自然にハマってて。
まあこれいいかなあって思ってきたんだよね。
いわゆる自然の中に蝶々がいて。それでいて、永遠に夏休みになったところで機械だけがずっと動いてるみたいな。
風景の中に溶け込んでいて、山並みがあって山並みに光を浴びてて。浴びてる光の中に一瞬だけ蝶々が見えるみたいな風景観がいいなあって思って。それでそこにたくさんコロイドディスプレイを置いて行って作っていくことにしたんだけど。
人がいなくなっていった時のあの感傷的な風景の中に作品を置いて行った時、自然とあと人がいたはずの風景と、そこに残った情念と、そこにある原初的な驚きといくつかの間の中の対話があって。その対話の美しさってのは一体どこからくるんだろうなあってことを考え始めたのがあの時代。まあ28くらいの頃かなあ。
校庭に、廃校なんで使わなくなった机とかを並べてってね。その中から教室の喧騒を再現する「幽体の囁き」って作品を作って。
で、スピーカー自体は超指向性スピーカーで、教室から校庭の机とか椅子とかを狙ってんだけど。
子供が走り回る音とか、鉛筆研ぐ音だったりとか、筆箱の上でかちゃかちゃやってる音とか、ざわめいてる音とか聞こえてきて。
でも周り見ても音はしないし、机の中からも音はしないし。ただ空気自体が音はしてる。
空気自体が音がしてるってのがすごい重要で。やっぱ空気感とか、BGMみたいな音とか、バックグラウンドノイズみたいな音がしてきた時に、やっぱ音に包まれている。でも包まれてる音それ自体はそこにはないっていう。そこでは感じられない音になってるっていうのが、すごく僕の中では新鮮な体験で。これ「幽体の囁き」ってタイトルつけたんだけど。それが年柄年中校庭からしてるってのがすごい気持ちよさってのがあるなって。
科学技術の発展とともに、人類ここまでできるんだぜっていうアーティスティックな側面を原理的に証明するアート性みたいなもの。
それをサイエンスとテックはアートとは違うってのがおそらく少なくともちょっとはいるんだけれど。
でもサイエンスとテックが見せる人間性っていうものはアートの文脈にのらないかっていうとそんなことはなくて。
退廃され始めた風景に見える、退廃的な美意識みたいなものが技術的なものと合わさった時に、どこか古典的な日本の、幽霊のような仄暗さっていうか。逆に言うと仄明るさなのかもしれないけど。そんな風景が見えてきたってのが僕の中での県北芸術祭のすごく気持ちよかった体験で。
そっからの5年間、4年間の中でちょっと寂しい美学みたいなものが自分の中に深く入ってちゃったんだよねえ。
夕暮れなり昼の教室でさ。誰も人がいなくて。その中で滴る液体見ながら直すんだよ。何人かのチームで。このコロイドディスプレイを。
で、そうやって見てる中にやっぱり、ここにいる自分って面白いなあって思ったりとか。ここから見える風景ってすごい感傷的だなあって思ったりとか。
県北芸術祭はすごく僕の中では思い出深いっていうか。たまらない芸術祭だったなあって今思うと思い出すね。
あの空間ずっといられたんだよね、僕の中では。やっぱ山並み見てって、風景変わってって。朝の光と昼の光と夜の光は全然違う風景で。その中人いなくて。超音波が膜を揺らす音だけがしてて。超音波聞こえなくて。でも校庭からはざわめく音がしてるあの感覚って、世界の端っこでそれを眺めていたいってのが少なくともあって。多分別に誰かわかってくれる人必要はきっとなくて。
その中で見てたいって思うときはやっぱあるから、ああいう作品作るんだろうなあって思うかなあ。
用語集的なもの
【medium】
直訳すると媒質。おそらく情報と情報をつなぐためのツール的なニュアンスで使ってる。
ものとものの間の繋がり、波動。光、もとい電磁波は空間を介して、波として伝わることで我々の目に表示され、脳が情報としてうまく変換し、見えたと解釈する。可視光に限るけど。
【コロイドディスプレイ】
コロイド+ディスプレイ。コロイドとはやや大きめな微粒子が水に混じっている状態。牛乳がいい例え。雑にいうと、水が濁ってる状態。
ディスプレイとは展示するための装置を指す。
つまり、コロイドディスプレイとは、水の濁らせることで見せたいものを表示するってことかと。それを上手く制御することで、ものが空間に浮かんでいるような表現が可能となるのかな。
【指向性スピーカー】
光や音は実は方向によって強度が違う。うまく制御してやることで特定の場所にだけ見える、聞こえるといったことが可能。正直ここらへん全然詳しくないのですが、多分、表示させたい空間に、波の振幅が大きく出るようにしているのかな。イメージ的に。
【超音波】
人が聞くことができないが、音波のように媒質を伝わる性質を持ったもの。それ以外はわかんないです。
小説を読んでいる時の感情、感覚みたいなものをリアルで体験できる、そんな雰囲気なのかなと思いました。好きな感覚です。
映像も音楽もこれ以上ないほど美しく、うっとりしました。至福
音楽を担当したbrightwaltzです。
BGMをSoundCloudにアップしました。お聴きいただけたら嬉しいです。
soundcloud.com/brightwaltz/piano-improvisation-2020-spring-no1-2-bgm
落合さんの飾らないしゃべり方で情念や感覚について話されてるのが印象的です
みると不思議な感覚になる動画でした
あらたな感性が呼び起こされるというか
感受性が豊かで、表現が美しい。誰もが持つノスタルジーの時計の針を動かしての現代との融合。崩壊と退廃の中にある美しさは、どこか桜の散り様にも繋がるような気がする。終わりゆく美に心揺らぐ。
クオリティがものすごいので第二回がこんなにすぐに更新されると思わなかったです。
ほんとにありがとうございます。
4:50〜人がいたはずの風景と、そこに残った情念とそこにある現象的な驚きと、そのいくつかの間の中の対話があって...
6:41〜退廃され始めた風景の中に見える、退廃的な美意識のようなもの...
無意識的な人の感覚の動きをここまで上手く説明した表現を初めて聞きました。風景に感情が奪われる瞬間って、きっとこういう事なんだなと納得しました。まさに、未知への追憶という言葉が降りてくる、そんな動画ですね。落合さんのタイミングを待ちたい動画です。
光がないと影ができないように
この作品を見て感じたのは、今にも秒針をカチカチと鳴らして動き出しそうな時計や誰かの話し声や歩いてる音が聴こえてきそうな廊下、そこに確かにあった置いてかれた記憶の様なものが漂いながら記憶されていて それがちょうちょにも反映されてる描写が とても美しいなと感じました。
またこれから何度も見かえす中で感じ方が変わるのかと思うとまた楽しみです。
ありがとうございました🍀
ノスタルジィな景色、デジャヴな風景、見飽きないです。
ノスタルジックな
アーティストとしての落合さん。
展示会や美術館などで芸術に触れる機会が減っている昨今、
こういう素晴らしい作品を自宅でも気軽に鑑賞でき、問い掛けられ、考えさせられるこの世界観。
たまらんよね。
「空気自体が音がしてる」そういうことに気づける繊細さ、感受性を磨いていきたいです(中2男子)
BGMの美しさが、落合陽一氏の話す速度と合ってますね
2回目更新ありがとうございます!
作品も映像もセンスが良くて好きです!
小学生の頃の感覚が蘇りました。
夕方誰もいなくなった体育館、さっきまでみんなここで縄跳びしてた空間なんだけど、"思い"だけ残像としてある感覚。
土日のグラウンド、実際そこに人は存在しないものの
走ったり遊んだり笑ったり、いつものあの風景・音・声が感情によって浮かび上がる感じ。
BGMが凄くいいです。
映像、空気感と相まって、引き込まれる。
BGM気になりました。
追憶が加速します。落合さんは作曲されますが、BGMはどう選択しているのでしょうね。
音楽から逆にこの動画にたどり着いたのですが、音楽だけで聞いても素晴らしいのに、映像や語り口ともすごくあっていて、同じくすごく引き込まれました。
おそらく日本人の心の中に原風景的にあるであろう感性をサイエンス&テックという再現可能な形で仄かに喚起する。
その場で体験したかった、と思いました
自然だけでは生み出せない、
「計算機」を含めた事象による対話
侘び寂びへの肯定
世界の端の紐を手で握れている様な居心地の良さ
をこの動画からも感じる事が出来ました。ありがとうございます。
落合陽一さんの言葉が『幽体の囁き』のようでした.「胡蝶の夢」の中を揺蕩う感じが生きていることなのかなとこの映像を見ていて思いました.だんだん終わりに近づくにつれてカタルシスがあって感動してきます.
たまらんなこれ
誰かが、わかってくれる人が誰もいなくて その中で魅せたいって思う、2016年の夏を共有してくださって感謝です。
落合さんの感性の根源って、いい意味での子供っぽさというか、豊かな表現の受け取りのように感じました。
アートとしての実現要素が、テックだったり、ホログラムとか、たぶん一般的な人からすると難しく感じるのかもしれない。
感性を大事にしたいとか、受け取る側へのインパクトだったりというのが、とにかく、実現要素も含めて、論理的に構成されていると思う。
一見、何だろうから始まるようなことが多いと思うのだが、追究しようとすると、深すぎるのかもしれない。
ただ、落合さんの狙いが、実現要素ではなく、アートとしての感性への刺激とするならば、シンプルな表現のほうが分かりやすいのかもしれない・・・。
ぐっときました。最新のテクノロジーを使って、ノスタルジーを表現するってすごいです。芸術祭行きたくなりました。
めちゃくちゃに良い。
窓からの眺めが素晴らしい学校ですね。廃校になっても人の魂を引きつける力。。雨の眺めも見てみたいです。蝶はどのように見えるのでしょうか。
まったり心地よい
胡蝶の夢
こういう感性の人なんだね
討論番組出てる時よりいい
芸術祭見たかったな
とても素敵な動画ですね。次元が違うというか。
感動しました。
思考を曲げて聴いてみると、落合さんの見ている世界が見えてきて、とても美しいです。
体調にはお気を付けて🙇♂️
電動ドリーで撮影している横顔にハイライトの光が滲んで幻想的。
『幽体の囁き』のような作品は、現場で包み込まれてみないとわからない不可思議さがありそう。
きっとモニタ越しでは伝わらない霊性。未体験なのでいつか別の展覧会で似た体感ができたら良いな。
やはりお声いいですね.ワビサビ 詫び錆び わびさび 本当 求めていた
感性です ありがとうございます
詩的で大好きです。落合さん。
震災の時、コロナの時、卒業の時、そんな時はいつも人の気配を感じるが、人の姿はない。
建築は人の気配を動的平衡させる装置で、廃墟はその気配が揺らぎ発散していく過程。その薄れゆく気配を捉え対話する機械たち。
話を聞いていると、ジブリの思ひでぽろぽろという作品を思い出した。
境目などないように、そこに存在し続けている。その尊さのような、美しさのようなものに哀愁を感じるのかもしれない。
素晴らしい映像美ですね。多くの質量と造形を感じます。ほんといつみてもすばらしいです。
映像が美しすぎる
独特の美しい表現や声のトーンが相まって、聴いてて心地よいです。
落合さんってこんなに美しい作品作るんだ。知らんかった。
退廃の美とかに弱いから鳥肌立った。
切なさ儚さ、心のどこかに眠っている思い出したいけど思い出せないような感情を、この映像を通してうっすらと認識することが出来た
休校期間中に生まれた様々な問いを、今この映像を見ることで、改めて考えさせられるところがとても素敵でした。かつて人の気配があった学校=before コロナ、廃校直後=with コロナに勝手に置き換えてみたりして。そういう余白がアートにはある感じ。全て勝手な解釈です。
「アートってエコだと思うんだよね。良い自動車をたくさん作って輸出するより、エネルギー効率がいいよね。」というようなことを以前お話しくださったと思います。
私たちが一人一人、日本の素晴らしいものを愛でる心を育てて、アートを育てていくことは、人の営みを大切にしながら地球と共存してsustainability を高めていくことにつながっていくと思う。
イヤホンで聴いていたんですが、左右の音の拾い方に、まるで生の声で聴いているような不思議な感覚に包み込まれました。
エモいって言葉簡単に使わないようにしようと思いました。
ありがとうございます。これからも観ます。
自然に帰る【 ラピュタ⠀】のよう
ロックダウン中の世界のココロを揺さぶるノスタルジーにも、、、
不思議が過去の日常に なっていく感じがしました。
お話しを聴きながらイメージを巡らしてみて、私は閉園した後の遊園地の中からお話しされていたような感覚を自分なりに感じるような気がしました。
詩的
「幽体の囁き」の持っている心を揺さぶる感覚がとても好きです。落合さんの感性にもっと触れてみたい。筑波大目指します。
頑張って!
応援しておるぞい
芸術祭でしたか。ちょっと不思議なロケーションだと思ったんです。そうなんですね…。私もあの空間に一人でいてみたいなって思いました(*˘︶˘*).。.:*♡。
でも、動画も本当に素敵なショートフィルム的な作品だなと思いました。もしかしたら、現場にいるより、もっと洗練された濃厚な世界観かもしれなくて、その世界に浸りたくなった時に、すぐに見れるように「後で見る」に動画を保存してあります✨✨✨
いい思い出、自慢の卒業生。ありがとうございます。荒
いま興味があること、
落合陽一が千日回峰行を実践したらどうなるのかな、ということ。
落合陽一自身が叡智を越えてどの様にトランスフォーメーションするのか。
過去の記憶(前世?)を通してみる今は美しい
絵がめっちゃきれい、
天才って呼ばれる人の「感性」に触れたいと思って視聴しました。「情念」とか「幽霊みたい」とかの語が出るとは想像できませんでした。
ピアノの音と、サーっていうノイズと映像が調和している。
落合先生はクロノトリガーとか好きかなあ。
ゆうたいのささやき?が、個人的にグッと来た。
誰もいないのに音がする→怖い
という感じではなくて、音がするなぁって。
懐かしいなぁという感じにみえた。
落合さんは詩集を出しそうだな
米津玄師とは全く話し合わないけどベースの部分で通じ合う部分がめちゃくちゃありそう
生っぽい。wetな感じ。体温を感じる。校庭に机があって指向性スピーカーで感じる空気ってシチュエーションワクワクする。けど、体験したらエモそう。
正直レベル高すぎて、理解できない。笑
www.cinra.net/interview/201609-kenpokuart
理解したくて何回も聞いてるのに、一言も理解できない。レベルが高すぎて?私はセンスがないのかと悲しくなる。
落合さんが基本的に左頭上にいるんですけど、たまにふわふわ右頭上に移動されるんですよね…
ソフトフォーカスなエフェクトがちょっとやりすぎ感ある
あなたどこから出てきたんですか?
速いんだけどゆっくりでええね、自分でもなに言ってるかわかんないわ
睡眠時間は確保してくださいね!
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アートというかsfみたいになっちゃうね
もっと言えば理科の実験みたい。
それはそれで面白い。
iq(論理的思考)と芸術的創造力というのは反比例するんじゃないかなと思う。
iq(論理的思考)???
観察者
ジブリやな