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私は84歳の老女ですが、昔 舟喜信先生に教会史を教わりました。ほとんど忘れましたが、最後の授業で、「君たちはこれから、リベラリストだけには気をつけて下さいね。」と言われた事だけは覚えてます。
コメント感謝です。その忠告通りの社会になってしまっていますね。
私は聖書を最後まで読んでから納得できたのでキリスト教に入りました しかし長い間その教会の行動や信者達を見て 違和感を覚えて スマホで他の教会の説教を聞いて私が探し求めた教会を発見し今では毎日聖書を正確に教わることができて幸せです ちなみに以前の教会はリベラル派でした
神学校に入る前には聖霊の導きを持って、志を抱いて聖書は神の霊感を受けて書かれた書物と純粋に信じて入学していったでしょうに、神学を学ぶうちにリベラルに片寄っていくのは残念です。
ある大学の神学部に通っていましたが、まさにその通りです!あまりにも的確で笑っちゃいけないけど笑ってしまいました!このテーマまたやってほしいです♪幸か不幸か僕は不真面目な生徒だったのでリベラル思想にはまりませんでした。バリバリの保守です。余談ですが、僕の友人が小林先生と面識があることを最近知りました。クリスチャンの世界は狭いですね!
こんにちは。私は日本人チベット仏教ニンマ派の僧侶です。内容に興味があり、拝聴させて頂きました。私は大正大学で梵文学(インド哲学)を学んだ者ですが梵文学の教授は皆どこかの宗派の僧侶でした。私の指導教授であった松波誠達先生は「学問と信仰をごちゃ混ぜにしてはならない。史実として経典の内容と信仰は別物で学者(史実としての学ぶ者)の考え方と信仰者としての考え方は一部を除いて相容れないものだからだ。十分に気をつけなさい。」と言われた事を思い出します。「学問の罠」はいつの時代もついて回るのですね。今は亡き師の教えの大切さを改めて感じました。有難う御座いました。
こんな動画をご覧いただき、ありがとうございます。異なる宗教でも、同じ指摘がされるのですね。ありがとうございます。
問い:なぜキリスト教徒は神学校で学ぶと左傾化してしまうのか?答え:神学校では神学よりも、左翼思想を重視して教えているから。
御意
神のいない左翼思想が良いということは、神を実感してしていないということですね。死んでいますね💧
ガッカリやね😞
分かりやすく、納得感のある内容だと思いました。論理的に求めることもよいですが、それが真理とは言えないですものね。心の中に真理があると思います。今の学問ではまだ真理に到達していないので、祈り求める姿勢は大事だと思います。
福音派です。聖書は誤りなき神の言葉であります。日本の神学校のほとんどが、リベラルだと思ってます。サタンは神学校から攻撃します。日本語の聖書さえ、リベラルな先生もいらして翻訳されています。うちの家族は聖書ヘブライ語を勉強しました。今は旧約聖書をヘブライ語から学ぶことを小グループでおこなってます。楽しいです!
すごいですね!
素晴らしい。僕も旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシャ語で読みます。
@@塩崎兼人-t6g 素晴らしいです✨
@@Uenonusi 夫が52歳から学んで8年たちました。この恵みを分かち合えて感謝してます。
私も家庭連合(旧統一教会)の約40年前からの信者です。キリスト教徒だけでなく、大体の人は左傾化するでしょうね。私の証と共に今回のテーマについて私の意見を書きます。長くなってしまいました。すみません。私も当時は社会人でしたが、20代後半から徐々に社会や世界の矛盾を感じ始め、私自信はもちろんですが周りの人々に対しても否定の感情ばかり持つようになり、人生の目的・希望・価値が全く見えなくなり、真剣に悩み始めました。それから通常の社会生活をしながらも求道が始まりましたが、私の全ての問題を解決できるような内容に出会えませんでした。その期間は惰性で何とか生きていましたが、数年後に統一教会と出会いました。そこで、統一原理を学べば学ぶほど納得していきました。しかし、統一原理で言うような神様・霊界を信じたい自分がいました。しかし、そのような神の存在を確信がなく、霊界があるのか否か、原理は正しいか否か、文鮮明先生は再臨主か否かを問い続けながら約20カ月、生活していた気がします。その間において統一原理を何度読んだかわかりませんし、統一原理に関する本もたくさん目を通しました。セミナーも何回か出ました。何をしても確信が出来ない日々が続いていました。結局は、完全に混沌の世界に入ってしまったので、職場も長期欠勤に入ってしまい、引きこもりが始まり、地獄の生活に突入してしまいました。当時は両親が生きていたので、死ぬことも出来ない状況で、もし、その時、両親が亡くなっていたら、死んでいたでしょうね。引きこもりから70日後にある事を通して、親なる神の存在を確信する出来事がありました。その後は、何があっても世間でどのように避難中傷されても、もし文鮮明先生が再臨主でなくても私はこの世で生きている限りは、統一原理の内容を中心として、統一原理で言われる親なる神様を中心として、生きていくと決意しています。何を行うにしても神様なら、文先生ご夫妻ならと尋ねながら日々を送っています。私が言いたいことは、我々堕落人間のレベルでどれだけ学問を研究しても、この天宙の内容の全てを解決できることは、出来ないと思います。もちろん、これまでの学問においてもすべての問題を解決できるものはないと思います。小林様には申し訳ないですが、聖書にしても堕落人間が介在した訳であり、100%完全なる神様が書いた書物ではないので、100%正しいとは言い切れなのではないですか?過去の学問で本当に理想世界ができるのであれば、それは実現されているでしょう。どんなに学問をしても、そのこ真理を見出すのは困難であり、左傾化した思想に陥ってしまうのではないでしょうか。私もいくら学んでも考えても確信できる答えは出せませんでした。最後には文鮮明先生ご夫妻を100%信じ、統一原理を信じ抜いて生活をする事を決意して、引きこもりの生活から再出発をしたその日に、神様と出会い存在を確認して、今日にいたりました。神学は何のために学ぶのでしょうか?神様と出会い、神様のみ旨を行うために学べば、左傾化することはないと思います。学ぶ目的を見失ってはいませんか? 左傾化するのはそこに神様がいないんだと思います。本当にイエス様が願われた理想世界を目指し、神様と一つとなっていらば、左傾化はしないと思いますよ。正式に神学を勉強したことがない私のコメントですみません。回答になっていませんね。
私も統一教会の信仰をしていますが、おっしゃることがよくわかります。神様は出会うもので、学問ではありません、人を通してであったり、ふと心の中で出会ったり、み言葉を通して出会ったりすると思います。そのことで、自分が解放されるのだと思います。ともに頑張りましょう。
同感です。せっかく神学の道を自ら求めながらも左傾化してしまう方って、聖霊体験などで神様と出会った事がないのでしょうか?神体験する前に知に偏っていくのでしょうか?サタンは情の中に潜在している不平不満や恨みを足場として侵入します。知的学問にとどまらず、自らの心を見つめて霊性を磨くことが貴いと感じます。
救世主はベツレヘムで生まれると聖書には明確に預言されてました。その一つだけでも文さんではないことは明らかでしょう。今はその奥様が救世主だと自称しているようですが、何でそうコロコロ変わるんでしょ?
小林さんの解説、分析素晴らしいです。私は左派的リベラル思想から保守思想に変わった者です。きっかけは、イエス様との個人的な出会い、生まれ変わりの体験をしてからです。世界観、価値観、信仰全てが変わりました。
私も同じです。
とても分かり易いお話ありがとうございました。😊 これからも勉強させてください。
余談ですが、私は左から右に変わった者です!左傾化非常に分かりやい説明でした!有難う御座いました!(神学校で学んだ者ではありませんが、クリスチャンです)
同じ様に感じることが多いです。牧師でも信徒でも聖書を神の言葉としてより、本として読んでる人が居ますね。そういう方からは神とか聖霊という言葉は聞かれないですね。
同意です。 聖書を「神からの言葉」としてではなく、「道徳、良い人間になるための教えの本」として読む教会が多いと感じています。
全く同意です?中川健一牧師のハーベストタイムの路線「聖書の一字一句を字義通りに学習研究することにより日本の霊的革新を目指すとする路線は良いですね。ハーベストタイムのことです。 20:26 😂😂❤
日本の霊的革新を目指す」とするのはまことの聖書信仰だと思う。
大変興味深いテーマです。私は家庭連合(統一教会)の信者ですが、神学校に行くと信仰を失いやすいという話を聞いたことがあります。その時は変な話だと思いましたが、今日の内容を聞かせていただいて、何となく分かった気がします。😊😊
特に新訳聖書は矛盾が多すぎます。イエス様の地上天国をつくるというみ言葉から死ぬために来られたというロジックのパウロ教になってしまったからです。イエス様の本来語られたかったみ言葉が殆ど無くなってしまいました。そして、今や家庭連合にも大きな懸念が生じてしまっている。
@@site-kanrishaさん 新約のパウロを否定する事はキリスト教そのものを否定する事ですよ。
初めて小林さんの動画を見ました。こんなユーチューバーがいるんだってびっくりしました。私は、89年にアメリカに来てクリスチャンになりました。私は、リベラルから福音派にりましたよ。そもそも、アメリカの教育事態がリベラルを育てるという陰謀のもとにあるものなのですよ。オハイオ州立大学から卒業した私は、環境学部で温暖化など環境破壊などかなり、左傾化な考えでした。動物と人間は同じ立場だ!とか人口減少しよう!だとかふつうに語っていました。そして、ある人と出会い、キリストの存在に気づかせてもらいました。その子は私の今の妻にあたる人です。キリスト教なんて白人の宗教だ!神なんて糞くらえ!もし神の存在が事実なら、なぜ神は日本を捨てたんだ!なんて言ってしまいました。しかし初めて聖書を読んで気づいたことがあるのです。神が、日本を捨てたのじゃなくて、人類が神を捨てたのだと。2006年にイエスを受け入れ今も、バリバリ、クリスチャンしてます。小林さんが言う傾向は、こっちでも問題になっています。私から見た感想では、聖書を読むクリスチャンと聖書を読まないクリスチャン。神を受け入れたクリスチャンとなんちゃってクリスチャン。この違いは大きいなと思うのです(当たり前ですけど)。それ以前にも、リベラル派は、陰謀的に神学校にリベラル派を派遣しているという事実もあるのです。戦後、共産党派は彼らの陰謀をアメリカの文部省に注入し続けているようです。いまアメリカの小学校で大問題になっているのが、クリティカルセオリーというものです。ぜひ、リサーチしてください。この根本的な考えは、あるグループの人たちは、常に抑圧されている立場にある(例でいうと、LGBTやパレスチナ人)、なんのでこのグループの人たちが抑圧的にそこから脱出するのは正当であるでこと。その考え方が、リベラル派の根拠にあるのです。
ご自身の人生の教訓を分かち合ってくださり感謝です。そのように教育から思想が入り込んでいる、しかも意図的にそれがなされているという事実を受け取りました。目を覚ましていきたいです。
神様が日本を捨てたのではなく、江戸の将軍様たちがキリスト教を捨てて鎖国政策をしました。そして弾圧と迫害が始まったのです。日本のクリスチャン達は最後まで闘いました。そして命を捨てたのです。このことは神様の痛みであり、苦しみです、私達は神の心情を解放して差し上げなければなりません。
今の妻ってことは前の妻がおられたのですかね?
この世は言葉に出来ないものが沢山あるのに学問で 説明するには……限界があるのでは ないでしょうか大変参考になりました
私は聖霊派ですが、リベラルは反対です。聖書は絶対的な神様の言葉でこれに逆らう人は神様より自分が偉いとでも思っているんでしょうか?信仰とは理解では無く従う事だと思います。
父なる神は奴隷を求めているのではなく子を望んでいると信じます。ソドムを滅ぼすと語った神に対してアブラハムは自分の願いを語り盲従しませんでした。
@@yunbogi856同じ意見です。奴隷を求める位なら、最初から天地創造をやり直した方がサタンも滅んでいいようですが・・・神様は人間を哀れみ何故か堕落したサタンとの対決を選ばれた勿論力加減は言うまでもありませんが、訴える者が黙らないといけない本当の愛を与えて下さったと信じています☆
小林氏の疑問良く理解できます。私は、学生時代に福音派から聖霊派の教会に変わり、その関わりから牧師であり友人の姉妹の牧会する教会にと。クリスチャンとして政治の為に熱心に祈る牧会でした。当時の私はリベラル思想、神学の違いも理解せず共感してましたが😢左派思想で改憲反対派の立場で、牧師に従って教会の雰囲気一致?その他、弟子訓練のシステムもついてけずなど、今回の小林氏の動画とズレますが教会のカルト化の問題もでは😮現在は礼拝形式もまるで違う福音派の教会に在籍してますが、本音は地域教会はどうでもと思いました。幸い、現在の教会は、使徒信条で聖書は全て神の霊感によって書かれたと告白しているし、聖書の御言葉を重視しているのでホッ😊かなです。又、私もイスラエルとハマスの戦争は、独立国イスラエルとイスラムテロ組織ハマスの問題と理解してます、反ユダヤ思想、善と悪が逆さまな状態、惑わされないで聖霊の声に従っていきたいです‼️
学問とか教育って、危険なんですよね。パリサイ派の律法学者みたいになりやすい。多くの人は教育は大事だと思ってるけど、おかしな洗脳も多いから😢
小林さん,仰られていること,全くその通りだと思います。神様と一つになる所しか,真理はありません。我々を神様から話してしまう,知識欲,自己中心性,傲慢さは私達にとって最大の敵です。
おっしゃるとおりです
改めて考えたことなかったけど…確かに‼️納得です✨
よくわかる解説ありがとうございました。聖書を学術的に読むことも必要な場合があると思いますが、聖書の言葉は生きてはたらく主の言葉だからこそ、人間の学術的な枠を超えた書物だと信じております。「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵あるものの知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする』」(コリントⅠ 1.18-19)」どうか神学生や、その教授の方々が、リベラルの格好良さに惑わされ、それこそ小さな学術の枠の中に聖書を、神様を押し込めることのないように願います。小林先生ありがとうございました。
とても深い分析とコメントありがとうございます。私は福音派ではありませんが、聖書は神の言葉であると理解しております。何度読んでも感動します。命の救いがあります。聖書研究は時代背景など義認や予定説など解釈が多くあり迷路に入ってしまいます。神学者は祈りを忘れていると思います。祈りのない研究は救いとは何の関係もありません。祈りの中で神様と会話ができます。神学者はまず神との会話を学ぶべきです。求めよ、さらば与えられん! 学問ではこの意味さえ理解できないでしょう。
コメント感謝です。素晴らしい思いに感動いたしました。
なるほど、着目点はとても素晴らしいですね。課題提示大変有難うございます。「善悪を知る木の果実」をたべた(天使長の誘惑)エバによりアダムに波及し神の怒りに触れてしまった。創世記の話ですよね。まさしく堕落しているといわれている人間と天使長の関係が歴史的な背景を踏まえると現在も面々とつながっているようですね😊😊。
コメントありがとうございます。
悪魔は巧妙ですねぇ〜。。。たくみんと同じ疑問持ってた、同感し👍イエスさまから目を離してしまうとイチコロなんだにゃ〜🎉
仰る事に同感です。私はどちらかと言うとリベラルに傾いたキリスト教大学で学び、両親も学問を重視するクリスチャンでしたので、それなりの影響を受けて育ちました。結婚した相手が福音派出身でアメリカの神学校(当時は既にリベラルに傾き始めていましたが)を45年前に卒業しており、中庸の保守派的な立場で牧会伝道しております。次男坊が献身して学んだ神学校が聖書の言葉に第一の権威をおく優れた訓練所だった事もあり、私自身娘に関する悩みを解く鍵を聖書に求めてみ言葉に深く親しみを感じて読むようになり、今ではリベラリズムがいかに間違いだらけか分かります。私のようにリベラルから保守に移行する人は珍しいのかもしれませんが、当に聖書に生ける全能の神の言葉として全信頼をもって読み続ける事に鍵があるのではないかと思うのです。人間中心思想がリベラリズムの根本にあると思いますので気をつけていきたいです。
的確な分析だと思いました。
これは僕もずっと思っていましたので、とても興味深いトピックでした!
ありがとうございます! 思ったより共感が集まって、驚いています。
アメリカに信仰の自由を求めて降り立った清教徒が創設したハーバード大学も、学問成り立ちの構造上の結果から、今では超リベラルな大学になっていますからね。。保守もリベラルも両方必要だと思います。しかし、保守もリベラルも、対立する間柄ではなく、その思考の中心に神の願いを訪ね求めていくことで、より発展的になると思います。
学校教育自体が、リベラルな気がします。校歌は歌っても、国歌は歌わない。学校で宗教的な事を言えば変な目で見られ、虐めの対象になり、阻害されるのが現実。リベラルにならざるを得ないですよね
本当のことや罪を指摘したらだれでも痛いし傷つくのは当たり前だと思いますでもそれを気にして真理を言わないで忖度することは愛がないことだと思います。基本聖霊は悔い改めに導くので痛いんです。でもみんなが聞きたいこと聞きやすいことを伝えることが牧師の仕事ではないので応援しています。😊
私も福音派出身ですが、私の周りでは献身を志す人は高校を卒業してそのまま神学大学や大学の神学部に行くのがほとんどでした。つまり、教会学校ですなおに「イエス様のために人生をささげたい」という思いを与えられた人たちです。牧師や教会学校リーダーや信仰の先輩たちに素直だった人たちと言えるかもしれません。聞いたこと、教えられたことを、素直に受け取る人たちなのかもしれません。そうした、知らなかったことを教えられて素直に受け取ってしまう人たち、批判的に検証してから受け取ることを知らない人たちが、神学校で「先生の講義」や「学者の著書」からリベラルを教えられて、素直に受け取ってしまうのではと思う。
学問が知識を入れて自分の気持ちがわからなくなってしまいがちになる可能性がある、、良くその事を見つめて来られたなぁと、驚きました。学問が人格を変えてしまう現実は怖いです。
いますよね。リベラルという活動家のような牧師達。本当に神様の存在信じてるのかな?と疑問持ちます。なるほどと思いました。私もテロ行為は絶対反対です。理由なんて関係ないです。聞いたことを鵜呑みにせず自分の聖霊?(本心、良心?)に常に問いながら物事判断したいですね。
知り合いの福音派牧師の多くがリベラルっぽく変化しています。私は、たくまさんが言うように、聖書は聖霊によって理解するものと思います。そうしないから様々な解釈、様々な教義が出現したのだと思います。
隣人を愛するという聖書の言葉からの解釈の違いでは?リベラルじゃない人って敵をも愛するって言葉を忘れがち。
リベラルの人は自分の中で信仰すべき事を他者へ押し付けがち。
何をもって「リベラル」なのかも人それぞれ解釈が違うし、福音派とここで言われるリベラルが必ずしも対立している国ばかりではない気が…こういう問題が多過ぎるので教派や教会を選べずにいます😢
@@zzajnasijuf そう、括れないんですよね。私が思うに、キリスト教の教えとキリストの教えを比較すると割と矛盾点が多いんですよね。でもそれは今に始まった事では無く、パウロの宣教活動時にも多々見受けられた事だと言う事が聖書から推測出来ます。だからパウロは党派によって信仰してはならないとも言ってますし。自分が間違っていて相手が正しいという前提で相手の意見を聴く「謙虚」が必要なんだといろんな箇所で伝えてます。だから、こういう教会同士の揉め事は「一長一短なんだよなー」程度に聞き流します。神は愛ですが、愛に関する知識は聖書から、愛に関する知恵は祈りの中に存在するという自論を持っていて自分が何処に所属していたとしても党派に左右されず自分なりの信仰を持つべきなのかな(?)とも思います。何故なら全てにおいて正しいのは神であり、教会では無いからです。
どんな教会か、牧師がリベラル的か、聖霊さまに教えていただける私たちの信仰をアンテナをしっかり立てて神からの返事をキャッチして生きていけますように。今のところ、安心できる教会なかなか無いのが困りますが。
神学部にも「サタンの惑わし」が充満してるのだと思いますが(本当の神から目をそらせるため)、そんな指摘をすると、世間からはアタオカ扱いされてしまいますよね😅
個人的には根本的な原因はソレだと思っています。ただ、そう説明してもほぼ誰も納得できないと思うので、、、
2度程小林さんの動画を拝見させて頂きましたが小林さんの感覚に共感です!異端と言われるキリスト教系の信仰を持って居る立場ですが、、、
クリスチャンになる前は聖書を知らないので、スピリチュアルメインでしたが、この世的にヒューマニズムやリベラルしか選択肢がありませんでした。聖書を読んで、この世に対する疑問、この世の成り立ちが分かったので、今ではスピも人間中心主義もリベラルも全部捨てました。そうでないと、聖書によるキリストを受け入れたと言えないのではないかと単純に思うのですが、クリスチャンもスピリチュアル以上にピンキリだなあと人間的には人生で最もがっかりし続けています。まあ、どこまで行っても人間は残念な存在でしかないのだと理解してはいるのですが。。リベラルこそ、思考停止してますよね。。この世の受け売りですから😂パレートの法則通り、8割は残念なのだとこの世的理解で諦めるしかないかと、所詮この世に生きる人間ですから。。😓
同感です。 私が感じていたことを、そのまま文章化してもらったみたいで嬉しいです。
おっしゃるとおり、聖書に出会い、本当の神の真理を知ると、この世の価値観がかすんで見えますよね。残念な気持ちは本当に共感します。
ありがとうございます。日本には神様を求めながらも、騙されて偶像崇拝してる人が多すぎますね。。こんな酷い悲劇は他にはないと絶望したものです。。でも、この日本で本物の神様の引き寄せて頂いたことを感謝します😌
学問的に分析し始めたらそれは不信仰に陥りますよね。そうなってしまったらどうやったら神様にお祈りできるのでしょうか。わたしならとてもお祈りなんてできなくなってしまいそうです。「主の臨在に満たされること」はどのように解釈されるんでしょうね。また、人間的に学問のある人だけが真理を知っているとしたら誰も救われなくなれます。子供でも理解できる。それが聖書です。不信仰に陥るくらいなら神学校の存在そのものが無意味になります。リベラルな読み方で聖書を読んだら、面白くなさ過ぎて毎日読むのが苦痛にしかならないです。リベラル的な方が子供たちにどのように聖書を読む楽しさを伝えるのかぜひ聞いてみたいものです。
神学校に通えば、もっと神様の御言葉に触れられて信仰が強くなるのかなと思いきや、実際に淡々と学問を学んでいくにつれて信仰が薄れてしまった?と発言していた人もいたので、そんなこともあるのかーと考えさせられたことがありました。
それは学校が悪いのです。そして、そこで教えている教授もリペラルな考え方を教えているのです。また、リペラルな話し方は物知りのような印象を与えますし。人は聖書の言葉を煙たがりますけど、人の言葉は受け入れる傾向があります(特に悔い改めの経験のない信者、キリスト教を単なる宗教としてやっている人たちや御言葉によって自分の罪を咎められたことのない人たち。)。多くのクリスチャンの間ではキリストよりも牧師とか説教者が敬われていますね。「聖書にこう書いてある。」なんて言ったら総スカン食らっちゃいますから。学校を選ぶとき、その学校がどのような立場に立っているかよく調べなければいけないでしょうね。また、そこで教鞭をとっている人たちがどのような立場から教えているのか調べる必要がありあります。ただ単に有名な先生だからということで選ぶのは良くありません。聖書中心の立場から教えている学校もまだあります。
動画、参考になりました。私は別の視点からキリスト教の左傾化の問題を考えています。二十世紀後半に、学生運動で暴れ過ぎて普通の会社に就職できなかった人たちがキリスト教の牧師になったり神学部の教授になっているからではないか?と思うのですが、いかがでしょうか。
まさに世界中で左傾化の傾向があるでしょう。日本の神学校は具体的に知りませんが、アメリカならばちゃんと信仰と歴史に根差した聖書解釈を保って生徒を訓練している学校も、中にはありますね。だからこそ、神学校選びがめちゃくちゃ重要だと思います。私の場合は、The Master's Seminary(カリフォルニア)からFaith Bible Seminary(インディアナ)に転校して学ぶことができて、ふたつとも大きな祝福でした。
どこで学ぶかは今後ますます重要ですね。
知りたかったのでありがとうございます!海外はキリスト教左派は少ないですが日本に限るのか?国によるのか?
以前、何年も前の事ですが、私が沖縄で住んでいたときに、金城牧師先生が言われたことが素晴らしい証だとずっと思っていました。私はアメリカのペンテコステ派でしたので、同じペンテコステ派の教会へ通っていました。その頃にその先生が私たちに話していた事は、自分が大きなバプテストの教会で牧会をしていた時に、友人の牧師から、聖霊のバプテスマについて聞き、その後、聖霊のバプテスマを受け異言を語り始めたので結局、教理の違いで辞めざるを得なかったらしくて、,,でも今は聖霊派の教会の牧師をなさっています。この先生はリベラルから聖霊派への移転ということでしょうか?神学校へ行って左傾化するのは、何世紀にもわたってのサタンの計画だと思います。徐々に真理に水を混ぜながら薄めていくためです。そのために牧師やリーダーたちの教える立場にある人たちへの影響が強いのです。それは近い将来、エキュメルカルすなわち統一宗教計画が世界的に行われていくためなのでしょうか?
「カトリックとプロテスタント」の動画を拝見して、次のこの動画を視聴しました。今、神学校では聖書そのものを教えるのではなく、自分が学んだ神学を教えているので当然左傾化していると思います。藤本満牧師は私の所属する教団の神学校で教鞭をとっており、ウエスレアンホーリネス教団の神学校でも教鞭をとっています。さらには青山学院の神学部でも教えておりとても魅力的な方でありフアンも多く語ることを容易に信じてしまいます。また藤本牧師と同じ教団で神学院の院長をなさっていた牧師は「聖書には神話も書かれている。」とか「聖書は客観的に読むべきではない。」とか教えていました。聖書に書かれていることを事実として、書かれた時代背景を見ながら創造主である神が語られてことをその通りに受け取る、このような姿勢が失われているからではないかと思っています。リベラル派のがちがちであった牧師から、福音派、それもキリスト教原理主義の立場に変わった牧師は、北海道十勝の「鹿追キリスト教会」の三浦亮平牧師がおります。聖書に書かれていることを事実として受け入れた時にご自分のこれまでの解釈の誤りに気付かれたと聞いたことがあります。聖書に書かれている真理を正しく知らないことから、自由主義神学に騙されて、誤った福音を伝えていると思っています。本物のお札を知らないと偽札を掴まされるようなものかもしれません。イスラエルに対するハマスのテロに関しては、JEAの社会委員会からの声明文も事実を誤認した酷いものでした。携挙が近いことを教えられます。
コメント感謝です。JEAも既に乗っ取られてしまっていますね……。このような福音派もどきの指導者を、私は「脱福音派」と名付けようと思います。
はげ同。藤本先生って、そんなこと言っていたんですね。同性愛を認めるようになってからは、あまり関わっていないので、知りませんでした。福音派が福音派じゃなくなっている気はしていますね。
主と共にいます兄弟神の祝福がありますように 😊マタイ福音書でペテロが不思議に思っていてもイエスキリスト様は(~あなたは わたしに従って来なさい)と イエスキリスト様の12人の弟子たちに「パリサイ人 律法学者たちに気をつけなさい」とも語られています 神は霊であるから霊とまこを持って神を礼拝しなさい と同じ教会人ならわかる のですが? 「救い主に救われました」と救われたクリスチャンが本当に国内に幾人いるのでしょうか
神学…難しいことはわかりませんが、色々な解釈や捉え方があることを知るのは(知らないより)良いと思いますが、仰ったように参考程度でいいものですね。私は最近「救い」が、聖霊の働き(罪の自覚)によるものでなく人間の考え方次第で(十字架抜きでも)救われる…ことを問題に感じています。
正論であると、思います。「思想上の左右を構造的に理解できる」ということは、画期的です。
鹿追キリスト教会の三浦亮平牧師はリベラル(自由主義神学)から福音派へ転じた牧師らしいですね。私のバックグラウンドとは異なりますが...😅ご参考まで
そうなんですね!!! お話聞いてみたいです。情報ありがとうございます。
私はかなり特殊な例ですが、父は極右のカトリック出身、母は曾祖父の代からリベラルでした。私の行った学校も創世記は神話と教えるようなリベラルな学校でした。中学から自分で行くようになった教会は福音派の教会でした。今、行っている教会は気がつくと左よりだったので、ちょっと居心地が微妙で、右にも左にも寄りたくない、とにかく聖書の言葉はまるっとそのまま信じて行こうと思っています。これ、どう思う?ということがあったら何でもお尋ね下さい。
ご自身の体験をシェアしてくださってありがとうございます。
聖書を読んで何で左傾化というか、何と云うか、少し偏った考え方をすることを不思議にかんじていたのですが、普通に聖書を読むとそんなばかなと思います。ちょっと読んで学べばわかる話です。聖書は極めて論理的な書物です。多分中世、近世の神学部では極めて論理的に教授していたのではないでしょうか。しかし不思議に本質をかたらないのです。
その感性を大切になさってください!
何人かの方がコメントされてますが、私も家庭連合の信者です。今回のお話、なるほどと思って聞かせて頂きました。私は神学校に言ったわけでも深く学んだわけでもないので、そんなものかと勉強になりました。アメリカ在住ですが、近所の福音派の改革派教会の礼拝に参加すると、確かに聖書絶対重視です。統一原理について、下のような福音派とリベラル派の話題のビデオがありました。参考になればと思いました。興味深いお話をありがとうございます。ruclips.net/video/8OoXHw4PjmU/видео.htmlsi=FFyqstWQS_dEGOFX
なかなかの慧眼で敬服します。なるほど福音派のクリスチャン、特に牧師の弁慶の泣き所は「学がない」と思われる恐れだと思います。確かにリベラルのようには学がないのは事実です。しかしそれなりに勉強している、福音の真理に立っているという矜持があれば、なんの恐れることあらんやでしょう。衒学的な境地より神の家族の養いこそ優先すべきではないでしょうか。学位欲しさに、庇を貸して母家を取られるという愚はゆめゆめ避けたいものです。大臣病ならぬ学位病といったところでしょうか。親亀こけたら子亀 (教会) こける、という悪魔の謀略は警戒すべきでしょう。
動画拝見しました。たしかに急激に増えてますね行きつく先は献金や免罪符いわゆるお金だと思います。ある教会の牧師は脱原発運動して講演料から献金したりまたまたある教会では昔のねずみこうの手伝いしたりタダでは祈らん教会や牧師がほとんどかな😢
神学校でテストを受けて点数をつけられるから、そんな牧師や宣教師が育つのだと思います。私的解釈恐ろしい!
まともなだけなんじゃないの?「左傾化」に見えるのは視点が右傾化しているからでしょう。
動画で言っている「左傾化」というのは、信仰の話でして、「聖書は誤りなき神の言葉を信じる」と信仰していた人が、なぜか「聖書は人間が書いたもので誤りも含まれる」という考えに変質するということを言っています。明確な定義があるので、自分の立場がどうかは関係がありません。
@@ura.cloudchurch お返事ありがとうございます。が、やはり通底するものがある、と私は考えます。…と言っても、私自身は母方が曽祖母の代に同志社女子で学んで家族ぐるみクリスチャン家系になってから4代目ですが、父が「俺は檀家で氏子で無神論」と言い放つ人だったので、きちんと信仰を学んでいるとは言えませんが。
神学校に深入りしてはならないことだけは分かりました。私が神学校の教師が牧師の教会に居られなくなった理由が、少しわかった気がします。
信仰を持って聖書を読む。聖霊が理解を助けてくれる。サタンがあらゆる手段を使い真理を歪める。この三点をしっかり押さえてクリスチャンの歩みをしていきたいです。
なっとくです。ありがとうございます😂
以前、何年も前の事ですが、私が沖縄で住んでいたときに、金城牧師先生が言われたことが素晴らしい証だとずっと思っていました。私はアメリカのペンテコステ派でしたので、同じペンテコステ派の教会へ通っていました。その頃にその先生が私たちに話していた事は、自分が大きなバプテストの教会で牧会をしていた時に、友人の牧師から、聖霊のバプテスマについて聞き、その後、聖霊のバプテスマを受け異言を語り始めたので結局、教理の違いで辞めざるを得なかったらしくて、,,でも今は聖霊派の教会の牧師をなさっています。リベラルから聖霊派への移転ということでしょうか?
無楽器派は、東大卒の伝道者が12年前までリーダーで(2012年に亡くなり)その人に影響されてリベラルへと変わった伝道者もいたようです。でも無楽器派は一応、福音派に近い立場です。信仰義認でなく行為義認が信仰を何度も躓かせました。何かしらないけど信仰的には進化できませんでした。教会を変えたら真の意味で福音派的なので信仰が高揚しました。
右左定義とは?左右の問題ではないのでは?そんな単純ではなく、奥深いと思うけど。
初耳のキリスト教 左傾化と言う言葉😮…難し過ぎてよく理解できませんでした😅ただ私の周りのクリスチャンは私と違って とても弱者に寄り添うお気持ち大切の方々が多いですね。どちらかと言うと無意識に公金チューチューに属しています。本人を前には言えませんが🙄神学校って 聖書の書かれた時代背景や歴史とかその様な事を学ぶお勉強の場だと思っていました。が …ややっこしいですね🤔
聖書は神の言葉です。ただそれを原語であるヘブル語やギリシャ語から訳されたときにどう訳されたかによって受ける印象が変わったりするのはあると思います。そう言う中で聖書の解釈は人それぞれで良いと思うし、一般的な解釈に囚われる必要はなく、神さまが1人1人に語るメッセージを受け取るのが一番良いなと思います。
和多志は拓馬さんがおっしゃっている事は正しいと思っています。なぜなら、神様は普遍で永遠から永遠まで変わらない方だからです。聖書も神様のお考えが書かれた本です。人間が勝手に自分たちの都合の良いように解釈することは実際には神様に逆らっていることと同じだと思います。聖書の黙示録に「私は、この巻物の預言の言葉を聞く人たち皆に、次のことを伝えます。これらのことに何か付け加える人がいれば、神はこの巻物に書かれている災厄をその人加えます。また、この巻物のの言葉から何かを取り去る人がいれば、神は、この巻物に書かれている命の木および聖なる都市から、その人が受けられるはずのものを取り去ります」(黙示録22:18,19)このことは黙示録だけでなく、和多志の勝手な解釈かも知れませんが聖書全体にも言えるのではないかと思っています。神学とは人間の哲学ではないでしょうか?現にカトリックの神学校では聖書ではなくて、哲学を教えていると聞いたことがあります。プロテスタントの神学校でもそういう傾向があるのではないでしょうか。教会自体が西洋キリスト教化していると聞いたこともあります。聖書自体の教えではなく、ほかのところから思想や教えが入って来ているとのことです。イエス・キリストはおっしゃいました、「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広くてその道は広々としており、それを通って入っていく人は多いからです」「一方、命に至る門は狭くてその道は狭められており、それを見つける人は少ないのです」(マタイ7:13,14)人がどう思うかが重要ではなく、神様がどう思うかのほうが重要ですよね。「終わりの時代は困難で危機的な時になります。人々は自分し、・・・傲慢で、神や人を冒瀆し、・・・不忠実になります。・・・全く人に同意しようとせず、中傷し、自制心がなく、乱暴で、善いことを愛しません。人を裏切り、強情で、思い上がり、神ではなく快楽を愛し、信心深く見えても実際には神を敬っていません。こういう人たちから離れなさい」「常に学びながらも決して真理の正確な知識を得ることができません」(テモテ第二3:1-5,7)「羊のふりしてやって来る偽預言者たちに警戒していなさい。その人たちは実際には、むさぼり食うオオカミです。その人たちは実によって見分けられます。いばらからブドウ🍇を、アザミからイチヂクを集めることなどあるでしょうか。同じように、良い木は皆、立派な実をならせ、腐った木は皆、悪い実をならせます。良い木が悪い実をならせることはできず、腐った木が立派な実をならせることもできません。立派な実をならせていない木は皆、切り倒されて火に投げ込まれます。このように、その人たちは実によって見分けられるのです」(マタ 7:15-20)
父であり、牧会者であった髙木慶太は、2001年に召天しましたが、学生の頃、Dallas Theological Seminary という 保守的福音派の神学校で学びを受けました。リベラルとは全く正反対の立場に立った神学校です。ハーベスタイムズの中川健一先生でさえ、初期段階では、リベラルの要素もあったそうです。ここ数年では、保守的福音派で、ディスペンセーションの立場に揺るぎなく立っておられますよ。ユーチューブ松本先生も保守的福音派です。これらの先生方は、リベラル、左派的考えには、賛同していないところか、警告を出しておられますよ
左傾化した牧師の特徴として、攻撃性が挙げられると思います。日本キリスト協議会に所属している教団を求道者の方は避けた方が賢明です。今回の提言はクリスチャンにとってとても重要なテーマだと思っています。
理性も愛も大事だよね。理性は万能ではないから、矛盾した場合、愛を優先すればいい。ただそれだけ。
「愛」をどのように定義するのか、も簡単ではありません。日本人がイメージする「愛」は聖書のそれと少し違う気もします。
@@ura.cloudchurch 東洋だと仁義とか孝行ですよね。感覚的に。
若い時は民主党でしたが高齢では共和党に。信仰は左翼から福音派に今は変わりました。
リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということ。リベラルアーツとは自分を多様な世界へと解き放ち、より良い自分、より良い世界へと導く入口となります。
コメントありがとうございます。私自身リベラル・アーツの学部でしたので、身にしみます。そして、信仰との比較になると、その「自分」が問題なのだと感じています。
藤本満という牧師さんは、神学者でもあるので福音派の中でも学者的アプローチをされる方で「聖書信仰」という上下巻の本まで出していますが、その人物でさえ「聖書は信仰で読んでは駄目だ」とおっしゃったという話は驚きであり、少々ショッキングな話でありました。
藤本氏は直接彼のセミナーを受けて、もう福音派ではないと感じています。「脱福音派」とでも呼ぶべきかと思っております。
返信ありがとうございます。現在の藤本牧師は「脱福音派」になってしまったのですね。私にとってはリック・ウォレンがキリラム教になってしまったという事実と同等の残念な話です。@@ura.cloudchurch
福音派についてですが、福音派でもいくつかの違いはあるのでしょうか?小林先生はカルヴィン派なのですか?カルヴィン派の考え方は家庭連合の医師小出浩久先生の著書「”人さらい”からの脱出」で学んだ程度ですが、派の違いとかそれぞれのいい点と悪い点とかあったらまたご教示ください。
いわゆる「福音派」には様々なグループがありますが、共通するのは「聖書を神の霊感によって書かれた誤りなき言葉と認め、字義と文脈を重んじて解釈する」というのが基本的な福音派の条件だと思います。広義の「福音派」は、いわゆる「ペンテコステ派・聖霊派」も含みます。私は特定の派閥に所属はしていませんが、カルヴァン派ではないということはハッキリと申し上げておきます。カルヴァン派は、個人的に疑問を感じるところが多いからです。それはまた深く勉強して、いつか動画を作りたいと思っています。
とても整理された意見だと思いますリベラルが強いのはリベラルの力が保守の力よりも強いからです唯物論の方が唯心論よりも実感を伴うからです実はリベラルの意見も既に古い話になりつつありますが問題は社会的地位としてリベラル>>>保守であることですそして2000年前も同じ構造があったためキリストは上流層の人々へのアプローチを諦めたのです残念ながらここに優生学が結びついたのが2020年コロナ禍から始まるグローバリズム支配の世界ですおそらくドストエフスキーもそのことを理解していて著したのが「カラマーゾフの兄弟」だったのでしょう
神学校あるあるなお話ですね。だから、ある有名な牧師は神学校に行くと信仰を失うから行かない方が良いと言ってます。そもそも、福音を述べ伝えるのに神学校に行かなくちゃいけないとは聖書に書いてない(笑)神学校は、ある意味職業訓練校であり、牧師という職業に就くために行くようなものなのかもね〜。飽くまで私個人の考えです。
いちばん大切にしたい事は聖書は神様から与えられたプレゼントという事。人間として生まれ、神様側からすれば罪ある存在に定められ、目の前に死という大きな問題を抱えて一生涯を送る絶望的な状況にある私たちに身代わりとなって贖い罪を許し死を乗り越える希望を与えてくださった、というメッセージを常に与え続けてくれている唯一の証拠がこの聖書であるという事。これを学術的に捉えるとか理性的捉えるとかは本当に不幸な事だと思います。私たちにできる事はこの喜ぶべき神様のプレゼントの本当の意味を本来は人間であれば誰もが例外なく受ける事が出来るはずのプレゼントを1人でも多くの方に受け入れられる様に祈り、情報を発信することではないでしょうか。今後のご活躍を期待します。
励ましをありがとうございます。
そもそも左か、右かと決めつけることは意味がないと思っています。なぜリベラルが左というのかな?
私は【独善】が問題の本質と考えています。福音派のみならず基督教全体への固定概念も偏見(歴史的)も作用しているものと捉えています。*私は教団です。
牧師、お疲れ様です。私も長年「聖書」とは何なのか?歴史的・科学的な批判に「聖書」は耐えられるのか?色々調べました。ご存知とは思いますが、バート・D・アーマン氏の「キリスト教成立の謎を解く」を読みますと、聖書は写本の写本の写本の写本であり、間違いや食い違いがあると書いております。それは聖書を丹念に読むと確かに同じ個所が随分食い違う事に、気づきます。彼は本文で「新約聖書は矛盾を孕んでいる。解消出来ない矛盾がある。マルコもヨハネも、イエスがいつ死んだかと言う点についいて食い違っているため、どちらも歴史的に正しい可能性はゼロである。「最初に私の頭を悩ませた大問題は、聖書のオリジナル・テキストが現存せず、その殆どが何世紀も後に作られた写本であると言う歴史的事実である」水平的な読み方では、一つの福音書のある物語を読んだ後に、それに並べて書かれているかのように、その他の福音書の同じ物語を細部に至るまで、注意深く比較する。例えば「マタイ」と「ルカ」のイエスの誕生に関する記述を見てみよう。水平的に読むと「マタイ」では賢者がイエスを拝むためにやって来るが、「ルカ」では賢者ではなく牛飼いとなっている。と言う感じで聖書の事実関係が無数に違うわけです。それで、聖書は手垢にまみれた人間が書いた間違いの多い書物であると言う結論に導き、この考え・学びはアメリカのどこの神学部でも学ぶと述べています。いかがでしょうか?ちなみにキング牧師は原理主義→リベラル→保守と変遷していますよ。
無意識にそちら側に流されていったんだろうね。もしかしたら教える側が左から何かしら甘い蜜を貰え、Win-Winの関係が構築され、無意識に流されていっているのではないのかな。いわゆる悪魔の誘惑だね。
私の通う教会でも、様々な考えの方はおられます(私自身は保守系です)色々な方々と仲よくした方が楽しいですよ。
日本の福音派とペンテコステ派の神学校を二校卒業した者です。これらの神学校界隈では福音主義神学会などもありますが、リベラル思想は入っていません。あくまでも聖書を元に現代の様々な課題について検討するものです。リベラル思想は大学の神学科に多く見られます。
昨今話題の弥助問題からリベラル学者(歴史作家)の横暴が嫌になり彼等の宗教などを調べるうちにキリスト教とはなんぞやとなりここに辿りつきましたキリスト教も色々派閥があるのですねキリスト教20億人の思考を知る事が歴史を知る事だと最近考えております。
ここのコメント欄見てて納得しました。今年から神学校に行きますが、この事を周りの日本人クリスチャンにすると、顔を曇らせて何故?と言わんばかりの顔をされますが、よく理解できました。「学問という世界で信仰を持って聖書を読む事をダサいと思っている」そんな事言う人がいたら、ちゃんと聖書を読んでいないのではないでしょうか。そもそもどの神学校のことを言っているのか動画内で名前をあげたらどうですか?全ての神学校がリベラルとは限りませんよ。15:50「福音派は〇〇だよねって神学校行く人みんな言ってます」とおっしゃっていますが、そんなに言い切って大丈夫でしょうか?この動画で貴方が生み出しているのは、神様の愛でも知識でもなく神学校へ行く人たちへのヘイトだと思いますよ。
あんまり具体的に言うとカドが立つと思って言わなかったんですよね。具体名はありますが、言いません。全体的な印象です。それは動画でも言ってます。今年から新学校に行くとのことで、ぜひ貴方にはそのような道を辿らないでほしいと願っています。神学校を変えてください! 応援していますよ。
聖書の教義・福音派の教義自体は正しく間違っていないです しかし一般人からすると福音派の人は物事を冷静に見て論理的・客観的に分析して判断する事よりも感情を優先して上から目線で一方的に押し付けて律法主義的で気難しくて幼稚でキリスト再臨と世の終わりを早めるために戦争を推進したがっている人が多いと思われていてキリスト教って何か感じ悪いと思われているので伝道する時は注意して上手く伝道しないと余計にキリスト教嫌いになる人が増えます聖書で禁止している事は社会の法律でも禁止して 聖書で禁止していない事は自己責任で個人の自由にするべきです
私は主流派の神学校を修了した者です。福音派側で行われている工作を知り、驚いています。学問とは近代までは元々、絶対的な神学の下に展開されていたものです。しかし、近代になってそれが神学抜きのものに変質させられました。これは意図的な悪魔的な工作なのです。だから一方向なのです。そして、教役者を巻き込めば影響が大きいので神学校が狙われるのです。神学校で教えるものは、本来、聖書神学であったものが、信仰抜きの考古学的本文批評を取り入れた現代聖書学に置き換わってしまったのです。主流派は多くの変質工作に遭っています。もちろん、信仰中心の人たちも多くいますけれども。主流派というだけでリベラルというレッテルを貼られたりすることもありますが、リベラルというのは、主流派福音派関係なく、内部工作に関わる工作員(つまり人間中心主義者)のことを言うのです。
そもそもカトリックが聖書的じゃないですからね。グローバリズムの一丁目1番地がカトリック。神学校もペテロ達に学があったのか?って話しで全然聖書的じゃない。色々何派ってのがあるのもおかしい、あるとすればそれは神派ジーザス派だけだ。
私も学問的に長く読む信仰生活をしていました。しかし聖書の本当の姿が全く見えなくなりました。今は聖霊の助けにより、聖書の本当の意味がわかりつつあります。
基本的に神の言葉がもしも誤りあるものなら、そもそも信仰生活は土台が揺らいで、救いの確信さえもてなくなるでしょう。私は若い頃、キリスト教のラジオ放送局で働きましたが、残念ながらリベラルな立場の上司との間で意見が対立して、職場を去ることになりました。上司はキリストの復活は歴史上の事実とは言えず、蓋然性の域にすぎないから、それは心の中の受け止め方の問題だと、実に実存的哲学に影響されたことを語っていました。要するに聖書を神の誤りなき言葉と信じるかどうかの問題でしょう。聖書が教えに、もしも人間的な解釈を加えたり、差し引いたりするなら、詰まるところ信仰は土台から崩れてしまうでしょう。人間の哲学も科学も、誤りうるものであって、事実、歴史的にただしいと思われたものが、これまでどれだけ誤っていると判明してきたことか。それを見れば、人の限られた知識で物事を判断しようとすることが、どれほど愚かで不遜なことかが分かります。私は、クリスチャンを名乗る限り、聖書のみをすべての判断の基準と信じ、世の中の動きをその土台に立って見極めて行くべきだと考えます。要するに聖書が判断基準の最上位になければ、クリスチャンである意味が失われてしまいます。福音的な立場の教会でクリスチャンになられた方は、神学校を選ぶときに、聖書の原典の無謬性をしっかりと掲げている神学校を、よく確かめて選んで欲しいと思います。
それはおつらい体験でしたね、、、。そのように、聖書の言葉に混ぜ物をするクリスチャンや指導者が増えてきてしまっていると感じています。
先生の意見に賛成です
ありがとうございます。ぜひ先生と呼ばず、名前でお呼びください!
そもそも神様も聖霊も目に見えませんし、神様の愛も恵みも目に見えません。信仰を持って真剣に祈り求めたら、魂で感じる世界はあるかもしれませんが、聖書の解釈は無数にあるので、目に見えない世界を、これが正しいとか間違っているとかいうことを決めることも証明することも難しいと思います。その無理なことを、ああでもないこうでもないと延々と続けているのが学問であるように、私は思います。そんな事を繰り返すよりも、考え方の違いを超えて、知恵や力を合わせて、どうしたら素晴らしい国が出来るか、どうしたら平和な世界が出来るかを真剣に考えた方が、よほど価値があると思います。
そうですね。ただ、考え方の違いがなぜ生まれるのか、そしてその根拠をどこに置いているのかを議論することはとても大切だと私は思っています。
全く同感です。違いを尊重し、敬い合いたいものです。世界の民族移動は、宗教の違いのためが、実に多かったと思います。違いで、排斥することは、とにかく避ける。やっと、今はそう思える時代になりました。何でもひとくくりは、なりません。神様は、一人一人の心と行いをごらんになると思います。
個人的には聖書、旧約聖書、読んでいると、神と言っている人、一神教、信じろ?これって悪夢が作った物語りだと考えている。天が作って無いよね、この考えってグローバリゼーションと同じ思考だと思う。
そういう考え方が多くなってきていると感じています。
全く同感。愚かな人間が神より勝るのか?ヨブ記を読んでみたら、と言いたい。
昔の保守的穏健的考えの方々が良い大学ほどは保守派の踏み絵がそこかしこに設置してあるので馬鹿しか生産出来ないって痛烈に○○大学を批判してた意味が少し理解出来ました。ありがとうございます
もう一つ言えることは、神様は、なぜ聖書を人間に与えたのでしょうか?大切なことは、聖書の御言葉によって、生きていないと、罪を知ることも、霊的にキリストのおであいして、新しく生まれることもないからです。知識では人間は、変わりません。神学校も昔と変わり、知識だけを教える学校が多くなってしまいました。神学校にもよると思います。ちなみに私は神学校には行っていません。言ってない者が何を言えるのかと、反発が来るかもしれませんが。
私、福音派で、今まで3つの教会に行っています。福音派でもいろいろです。1番目の教会は耐えられなくて出て来ました。2番目の教会は地理的な事情で今の教会に転会しました。神学校も聖霊に導かれることを大切にする所もあれば、過去の学者の立場を大切にする所もあります。あと気がついたのは、学校の教師経験者で、日教組だった人が、左寄りですね。
本当にどの教派も教会によっていろいろですよね…
極端な表現を使うと,「左翼=共産主義=無神論」なので,本物のキリスト教徒が左傾化することはあり得ない。つまり,偽物である。
わかりやすい🎉
私もリベラルとキリスト教徒は似ていると思っていました(私は保守派で非キリスト教徒です)。私が観察したところ、彼らは潔癖症で、かつお利口さんです。指導者から頭を撫でてもらいたい人たちです。優等生タイプで身なりもきちんとしています。だいたい地味な服を着ています。言語能力は高いですが、誰かが言ったことをオウム返しするだけで、その言葉の意味を理解しているとは思えません。つまり、指導者の思想に簡単に染まります。現代の知的指導者層がリベラル(左翼)だから、左翼になっただけのことであり、知的指導者層が右翼になれば彼らは右翼になるでしょう。
言い得て妙かもしれません!
神学校にいく人 聖書を重要視してないように思う
神学校でリベラル化するのは、聖霊から離れるからだと思います。神様を信じるには聖霊の力がなければ、信じることはできないからだと思います。学問すなわち人の力で神を解釈すると悪魔の誘惑、聖霊から離れるからですね。聖霊から示された啓示でなくては神様から与えられた理解ではなくなるのですね・・・人間の力で理解するようにするから、悪魔の誘惑に落ちるのですね。イエスの荒野で神学的試練を受けましたが、悪魔よ、されという命令で克服しました。
おっしゃる通りだと思います。聖霊に聞く、ということを現代の教会ではほとんど教えなくなっていると感じています。
私は84歳の老女ですが、昔 舟喜信先生に教会史を教わりました。ほとんど忘れましたが、最後の授業で、「君たちはこれから、リベラリストだけには気をつけて下さいね。」と言われた事だけは覚えてます。
コメント感謝です。その忠告通りの社会になってしまっていますね。
私は聖書を最後まで読んでから納得できたのでキリスト教に入りました しかし長い間その教会の行動や信者達を見て 違和感を覚えて スマホで他の教会の説教を聞いて私が探し求めた教会を発見し今では毎日聖書を正確に教わることができて幸せです ちなみに以前の教会はリベラル派でした
神学校に入る前には聖霊の導きを持って、志を抱いて聖書は神の霊感を受けて書かれた書物と純粋に信じて入学していったでしょうに、神学を学ぶうちにリベラルに片寄っていくのは残念です。
ある大学の神学部に通っていましたが、まさにその通りです!
あまりにも的確で笑っちゃいけないけど笑ってしまいました!
このテーマまたやってほしいです♪
幸か不幸か僕は不真面目な生徒だったのでリベラル思想にはまりませんでした。
バリバリの保守です。
余談ですが、僕の友人が小林先生と面識があることを最近知りました。
クリスチャンの世界は狭いですね!
こんにちは。
私は日本人チベット仏教ニンマ派の僧侶です。
内容に興味があり、拝聴させて頂きました。
私は大正大学で梵文学(インド哲学)を学んだ者ですが梵文学の教授は皆どこかの宗派の僧侶でした。
私の指導教授であった松波誠達先生は「学問と信仰をごちゃ混ぜにしてはならない。史実として経典の内容と信仰は別物で学者(史実としての学ぶ者)の考え方と信仰者としての考え方は一部を除いて相容れないものだからだ。十分に気をつけなさい。」と言われた事を思い出します。「学問の罠」はいつの時代もついて回るのですね。今は亡き師の教えの大切さを改めて感じました。有難う御座いました。
こんな動画をご覧いただき、ありがとうございます。異なる宗教でも、同じ指摘がされるのですね。ありがとうございます。
問い:なぜキリスト教徒は神学校で学ぶと左傾化してしまうのか?
答え:神学校では神学よりも、左翼思想を重視して教えているから。
御意
神のいない左翼思想が良いということは、神を実感してしていないということですね。
死んでいますね💧
ガッカリやね😞
分かりやすく、納得感のある内容だと思いました。論理的に求めることもよいですが、それが真理とは言えないですものね。
心の中に真理があると思います。今の学問ではまだ真理に到達していないので、祈り求める姿勢は大事だと思います。
福音派です。聖書は誤りなき神の言葉であります。
日本の神学校のほとんどが、リベラルだと思ってます。
サタンは神学校から攻撃します。
日本語の聖書さえ、リベラルな先生もいらして翻訳されています。
うちの家族は聖書ヘブライ語を勉強しました。今は旧約聖書をヘブライ語から学ぶことを小グループでおこなってます。楽しいです!
すごいですね!
素晴らしい。僕も旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシャ語で読みます。
@@塩崎兼人-t6g 素晴らしいです✨
@@Uenonusi 夫が52歳から学んで8年たちました。この恵みを分かち合えて感謝してます。
私も家庭連合(旧統一教会)の約40年前からの信者です。キリスト教徒だけでなく、大体の人は左傾化するでしょうね。
私の証と共に今回のテーマについて私の意見を書きます。長くなってしまいました。すみません。
私も当時は社会人でしたが、20代後半から徐々に社会や世界の矛盾を感じ始め、私自信はもちろんですが周りの人々に対しても否定の感情ばかり持つようになり、人生の目的・希望・価値が全く見えなくなり、真剣に悩み始めました。
それから通常の社会生活をしながらも求道が始まりましたが、私の全ての問題を解決できるような内容に出会えませんでした。その期間は惰性で何とか生きていましたが、数年後に統一教会と出会いました。
そこで、統一原理を学べば学ぶほど納得していきました。しかし、統一原理で言うような神様・霊界を信じたい自分がいました。しかし、そのような神の存在を確信がなく、霊界があるのか否か、原理は正しいか否か、文鮮明先生は再臨主か否かを問い続けながら約20カ月、生活していた気がします。その間において統一原理を何度読んだかわかりませんし、統一原理に関する本もたくさん目を通しました。セミナーも何回か出ました。何をしても確信が出来ない日々が続いていました。結局は、完全に混沌の世界に入ってしまったので、職場も長期欠勤に入ってしまい、引きこもりが始まり、地獄の生活に突入してしまいました。当時は両親が生きていたので、死ぬことも出来ない状況で、もし、その時、両親が亡くなっていたら、死んでいたでしょうね。
引きこもりから70日後にある事を通して、親なる神の存在を確信する出来事がありました。その後は、何があっても世間でどのように避難中傷されても、もし文鮮明先生が再臨主でなくても私はこの世で生きている限りは、統一原理の内容を中心として、統一原理で言われる親なる神様を中心として、生きていくと決意しています。何を行うにしても神様なら、文先生ご夫妻ならと尋ねながら日々を送っています。
私が言いたいことは、我々堕落人間のレベルでどれだけ学問を研究しても、この天宙の内容の全てを解決できることは、出来ないと思います。もちろん、これまでの学問においてもすべての問題を解決できるものはないと思います。小林様には申し訳ないですが、聖書にしても堕落人間が介在した訳であり、100%完全なる神様が書いた書物ではないので、100%正しいとは言い切れなのではないですか?
過去の学問で本当に理想世界ができるのであれば、それは実現されているでしょう。どんなに学問をしても、そのこ真理を見出すのは困難であり、左傾化した思想に陥ってしまうのではないでしょうか。
私もいくら学んでも考えても確信できる答えは出せませんでした。
最後には文鮮明先生ご夫妻を100%信じ、統一原理を信じ抜いて生活をする事を決意して、引きこもりの生活から再出発をしたその日に、神様と出会い存在を確認して、今日にいたりました。
神学は何のために学ぶのでしょうか?
神様と出会い、神様のみ旨を行うために学べば、左傾化することはないと思います。学ぶ目的を見失ってはいませんか? 左傾化するのはそこに神様がいないんだと思います。本当にイエス様が願われた理想世界を目指し、神様と一つとなっていらば、左傾化はしないと思いますよ。
正式に神学を勉強したことがない私のコメントですみません。回答になっていませんね。
私も統一教会の信仰をしていますが、おっしゃることがよくわかります。神様は出会うもので、学問ではありません、人を通してであったり、ふと心の中で出会ったり、み言葉を通して出会ったりすると思います。そのことで、自分が解放されるのだと思います。ともに頑張りましょう。
同感です。
せっかく神学の道を自ら求めながらも左傾化してしまう方って、聖霊体験などで神様と出会った事がないのでしょうか?神体験する前に知に偏っていくのでしょうか?
サタンは情の中に潜在している不平不満や恨みを足場として侵入します。知的学問にとどまらず、自らの心を見つめて霊性を磨くことが貴いと感じます。
救世主はベツレヘムで生まれると聖書には明確に預言されてました。その一つだけでも文さんではないことは明らかでしょう。今はその奥様が救世主だと自称しているようですが、何でそうコロコロ変わるんでしょ?
小林さんの解説、分析素晴らしいです。私は左派的リベラル思想から保守思想に変わった者です。きっかけは、イエス様との個人的な出会い、生まれ変わりの体験をしてからです。世界観、価値観、信仰全てが変わりました。
私も同じです。
とても分かり易いお話ありがとうございました。😊 これからも勉強させてください。
余談ですが、私は左から右に変わった者です!左傾化非常に分かりやい説明でした!有難う御座いました!(神学校で学んだ者ではありませんが、クリスチャンです)
同じ様に感じることが多いです。牧師でも信徒でも聖書を神の言葉としてより、本として読んでる人が居ますね。そういう方からは神とか聖霊という言葉は聞かれないですね。
同意です。 聖書を「神からの言葉」としてではなく、「道徳、良い人間になるための教えの本」として読む教会が多いと感じています。
全く同意です?中川健一牧師のハーベストタイムの路線「聖書の一字一句を字義通りに学習研究することにより日本の霊的革新を目指すとする路線は良いですね。ハーベストタイムのことです。 20:26 😂😂❤
日本の霊的革新を目指す」とするのはまことの聖書信仰だと思う。
大変興味深いテーマです。私は家庭連合(統一教会)の信者ですが、神学校に行くと信仰を失いやすいという話を聞いたことがあります。その時は変な話だと思いましたが、今日の内容を聞かせていただいて、何となく分かった気がします。😊😊
特に新訳聖書は矛盾が多すぎます。イエス様の地上天国をつくるというみ言葉から死ぬために来られたというロジックのパウロ教になってしまったからです。イエス様の本来語られたかったみ言葉が殆ど無くなってしまいました。そして、今や家庭連合にも大きな懸念が生じてしまっている。
@@site-kanrishaさん 新約のパウロを否定する事はキリスト教そのものを否定する事ですよ。
初めて小林さんの動画を見ました。こんなユーチューバーがいるんだってびっくりしました。私は、89年にアメリカに来てクリスチャンになりました。私は、リベラルから福音派にりましたよ。そもそも、アメリカの教育事態がリベラルを育てるという陰謀のもとにあるものなのですよ。オハイオ州立大学から卒業した私は、環境学部で温暖化など環境破壊などかなり、左傾化な考えでした。動物と人間は同じ立場だ!とか人口減少しよう!だとかふつうに語っていました。そして、ある人と出会い、キリストの存在に気づかせてもらいました。その子は私の今の妻にあたる人です。キリスト教なんて白人の宗教だ!神なんて糞くらえ!もし神の存在が事実なら、なぜ神は日本を捨てたんだ!なんて言ってしまいました。しかし初めて聖書を読んで気づいたことがあるのです。神が、日本を捨てたのじゃなくて、人類が神を捨てたのだと。2006年にイエスを受け入れ今も、バリバリ、クリスチャンしてます。小林さんが言う傾向は、こっちでも問題になっています。私から見た感想では、聖書を読むクリスチャンと聖書を読まないクリスチャン。神を受け入れたクリスチャンとなんちゃってクリスチャン。この違いは大きいなと思うのです(当たり前ですけど)。それ以前にも、リベラル派は、陰謀的に神学校にリベラル派を派遣しているという事実もあるのです。戦後、共産党派は彼らの陰謀をアメリカの文部省に注入し続けているようです。いまアメリカの小学校で大問題になっているのが、クリティカルセオリーというものです。ぜひ、リサーチしてください。この根本的な考えは、あるグループの人たちは、常に抑圧されている立場にある(例でいうと、LGBTやパレスチナ人)、なんのでこのグループの人たちが抑圧的にそこから脱出するのは正当であるでこと。その考え方が、リベラル派の根拠にあるのです。
ご自身の人生の教訓を分かち合ってくださり感謝です。そのように教育から思想が入り込んでいる、しかも意図的にそれがなされているという事実を受け取りました。目を覚ましていきたいです。
神様が日本を捨てたのではなく、江戸の将軍様たちがキリスト教を捨てて鎖国政策をしました。そして弾圧と迫害が始まったのです。日本のクリスチャン達は最後まで闘いました。そして命を捨てたのです。このことは神様の痛みであり、苦しみです、私達は神の心情を解放して差し上げなければなりません。
今の妻ってことは前の妻がおられたのですかね?
この世は言葉に出来ないものが
沢山あるのに
学問で 説明するには……
限界があるのでは ないでしょうか
大変参考になりました
私は聖霊派ですが、リベラルは反対です。聖書は絶対的な神様の言葉でこれに逆らう人は神様より自分が偉いとでも思っているんでしょうか?信仰とは理解では無く従う事だと思います。
父なる神は奴隷を求めているのではなく子を望んでいると信じます。ソドムを滅ぼすと語った神に対してアブラハムは自分の願いを語り盲従しませんでした。
@@yunbogi856同じ意見です。奴隷を求める位なら、最初から天地創造をやり直した方がサタンも滅んでいいようですが・・・神様は人間を哀れみ何故か堕落したサタンとの対決を選ばれた勿論力加減は言うまでもありませんが、訴える者が黙らないといけない本当の愛を与えて下さったと信じています☆
小林氏の疑問良く理解できます。
私は、学生時代に福音派から聖霊派の教会に変わり、その関わりから牧師であり友人の姉妹の牧会する教会にと。クリスチャンとして政治の為に熱心に祈る牧会でした。当時の私はリベラル思想、神学の違いも理解せず共感してましたが😢左派思想で改憲反対派の立場で、牧師に従って教会の雰囲気一致?その他、弟子訓練のシステムもついてけずなど、今回の小林氏の動画とズレますが教会のカルト化の問題もでは😮
現在は礼拝形式もまるで違う福音派の教会に在籍してますが、
本音は地域教会はどうでもと思いました。
幸い、現在の教会は、使徒信条で聖書は全て神の霊感によって書かれたと告白しているし、聖書の御言葉を重視しているのでホッ😊かなです。
又、私もイスラエルとハマスの戦争は、独立国イスラエルとイスラムテロ組織ハマスの問題と理解してます、反ユダヤ思想、善と悪が逆さまな状態、惑わされないで聖霊の声に従っていきたいです‼️
学問とか教育って、危険なんですよね。パリサイ派の律法学者みたいになりやすい。多くの人は教育は大事だと思ってるけど、おかしな洗脳も多いから😢
小林さん,仰られていること,全くその通りだと思います。神様と一つになる所しか,真理はありません。我々を神様から話してしまう,知識欲,自己中心性,傲慢さは私達にとって最大の敵です。
おっしゃるとおりです
改めて考えたことなかったけど…
確かに‼️
納得です✨
よくわかる解説ありがとうございました。
聖書を学術的に読むことも必要な場合があると思いますが、聖書の言葉は生きてはたらく主の言葉だからこそ、人間の学術的な枠を超えた書物だと信じております。
「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。それは、こう書いてあるからです。『わたしは知恵あるものの知恵を滅ぼし、賢い者の賢さをむなしくする』」(コリントⅠ 1.18-19)」
どうか神学生や、その教授の方々が、リベラルの格好良さに惑わされ、それこそ小さな学術の枠の中に聖書を、神様を押し込めることのないように願います。
小林先生ありがとうございました。
とても深い分析とコメントありがとうございます。私は福音派ではありませんが、聖書は神の言葉であると理解しております。
何度読んでも感動します。命の救いがあります。聖書研究は時代背景など義認や予定説など解釈が多くあり迷路に入ってしまいます。
神学者は祈りを忘れていると思います。祈りのない研究は救いとは何の関係もありません。祈りの中で神様と会話ができます。
神学者はまず神との会話を学ぶべきです。求めよ、さらば与えられん! 学問ではこの意味さえ理解できないでしょう。
コメント感謝です。素晴らしい思いに感動いたしました。
なるほど、着目点はとても素晴らしいですね。課題提示大変有難うございます。「善悪を知る木の果実」をたべた(天使長の誘惑)エバによりアダムに波及し神の怒りに触れてしまった。創世記の話ですよね。まさしく堕落しているといわれている人間と天使長の関係が歴史的な背景を踏まえると現在も面々とつながっているようですね😊😊。
コメントありがとうございます。
悪魔は巧妙ですねぇ〜。。。たくみんと同じ疑問持ってた、同感し👍イエスさまから目を離してしまうとイチコロなんだにゃ〜🎉
仰る事に同感です。
私はどちらかと言うとリベラルに傾いたキリスト教大学で学び、両親も学問を重視するクリスチャンでしたので、それなりの影響を受けて育ちました。結婚した相手が福音派出身でアメリカの神学校(当時は既にリベラルに傾き始めていましたが)を45年前に卒業しており、中庸の保守派的な立場で牧会伝道しております。次男坊が献身して学んだ神学校が聖書の言葉に第一の権威をおく優れた訓練所だった事もあり、私自身娘に関する悩みを解く鍵を聖書に求めてみ言葉に深く親しみを感じて読むようになり、今ではリベラリズムがいかに間違いだらけか分かります。私のようにリベラルから保守に移行する人は珍しいのかもしれませんが、当に聖書に生ける全能の神の言葉として全信頼をもって読み続ける事に鍵があるのではないかと思うのです。人間中心思想がリベラリズムの根本にあると思いますので気をつけていきたいです。
的確な分析だと思いました。
これは僕もずっと思っていましたので、とても興味深いトピックでした!
ありがとうございます! 思ったより共感が集まって、驚いています。
アメリカに信仰の自由を求めて降り立った清教徒が創設したハーバード大学も、学問成り立ちの構造上の結果から、今では超リベラルな大学になっていますからね。。保守もリベラルも両方必要だと思います。しかし、保守もリベラルも、対立する間柄ではなく、その思考の中心に神の願いを訪ね求めていくことで、より発展的になると思います。
学校教育自体が、リベラルな気がします。校歌は歌っても、国歌は歌わない。学校で宗教的な事を言えば変な目で見られ、虐めの対象になり、阻害されるのが現実。リベラルにならざるを得ないですよね
本当のことや罪を指摘したらだれでも痛いし傷つくのは当たり前だと思います
でも
それを気にして真理を言わないで忖度することは
愛がないことだと思います。
基本聖霊は悔い改めに導くので
痛いんです。
でもみんなが聞きたいこと聞きやすいことを伝えることが牧師の仕事ではないので応援しています。😊
私も福音派出身ですが、私の周りでは献身を志す人は高校を卒業してそのまま神学大学や大学の神学部に行くのがほとんどでした。
つまり、教会学校ですなおに「イエス様のために人生をささげたい」という思いを与えられた人たちです。牧師や教会学校リーダーや信仰の先輩たちに素直だった人たちと言えるかもしれません。聞いたこと、教えられたことを、素直に受け取る人たちなのかもしれません。そうした、知らなかったことを教えられて素直に受け取ってしまう人たち、批判的に検証してから受け取ることを知らない人たちが、神学校で「先生の講義」や「学者の著書」からリベラルを教えられて、素直に受け取ってしまうのではと思う。
学問が知識を入れて自分の気持ちがわからなくなってしまいがちになる可能性がある、、良くその事を見つめて来られたなぁと、驚きました。学問が人格を変えてしまう現実は怖いです。
いますよね。リベラルという活動家のような牧師達。本当に神様の存在信じてるのかな?と疑問持ちます。なるほどと思いました。私もテロ行為は絶対反対です。理由なんて関係ないです。聞いたことを鵜呑みにせず自分の聖霊?(本心、良心?)に常に問いながら物事判断したいですね。
知り合いの福音派牧師の多くがリベラルっぽく変化しています。私は、たくまさんが言うように、聖書は聖霊によって理解するものと思います。そうしないから様々な解釈、様々な教義が出現したのだと思います。
隣人を愛するという聖書の言葉からの解釈の違いでは?
リベラルじゃない人って敵をも愛するって言葉を忘れがち。
リベラルの人は自分の中で信仰すべき事を他者へ押し付けがち。
何をもって「リベラル」なのかも人それぞれ解釈が違うし、福音派とここで言われるリベラルが必ずしも対立している国ばかりではない気が…
こういう問題が多過ぎるので教派や教会を選べずにいます😢
@@zzajnasijuf
そう、括れないんですよね。
私が思うに、キリスト教の教えとキリストの教えを比較すると割と矛盾点が多いんですよね。
でもそれは今に始まった事では無く、パウロの宣教活動時にも多々見受けられた事だと言う事が聖書から推測出来ます。
だからパウロは党派によって信仰してはならないとも言ってますし。
自分が間違っていて相手が正しいという前提で相手の意見を聴く「謙虚」が必要なんだといろんな箇所で伝えてます。
だから、こういう教会同士の揉め事は「一長一短なんだよなー」程度に聞き流します。
神は愛ですが、愛に関する知識は聖書から、愛に関する知恵は祈りの中に存在するという自論を持っていて自分が何処に所属していたとしても党派に左右されず自分なりの信仰を持つべきなのかな(?)とも思います。
何故なら全てにおいて正しいのは神であり、教会では無いからです。
どんな教会か、牧師がリベラル的か、聖霊さまに教えていただける私たちの信仰をアンテナをしっかり立てて神からの返事をキャッチして生きていけますように。
今のところ、安心できる教会なかなか無いのが困りますが。
神学部にも「サタンの惑わし」が充満してるのだと思いますが(本当の神から目をそらせるため)、そんな指摘をすると、世間からはアタオカ扱いされてしまいますよね😅
個人的には根本的な原因はソレだと思っています。ただ、そう説明してもほぼ誰も納得できないと思うので、、、
2度程小林さんの動画を拝見させて頂きましたが小林さんの感覚に共感です!異端と言われるキリスト教系の信仰を持って居る立場ですが、、、
クリスチャンになる前は聖書を知らないので、スピリチュアルメインでしたが、この世的にヒューマニズムやリベラルしか選択肢がありませんでした。
聖書を読んで、この世に対する疑問、この世の成り立ちが分かったので、今ではスピも人間中心主義もリベラルも全部捨てました。
そうでないと、聖書によるキリストを受け入れたと言えないのではないかと単純に思うのですが、クリスチャンもスピリチュアル以上にピンキリだなあと人間的には人生で最もがっかりし続けています。
まあ、どこまで行っても人間は残念な存在でしかないのだと理解してはいるのですが。。
リベラルこそ、思考停止してますよね。。この世の受け売りですから😂
パレートの法則通り、8割は残念なのだとこの世的理解で諦めるしかないかと、所詮この世に生きる人間ですから。。😓
同感です。 私が感じていたことを、そのまま文章化してもらったみたいで嬉しいです。
おっしゃるとおり、聖書に出会い、本当の神の真理を知ると、この世の価値観がかすんで見えますよね。残念な気持ちは本当に共感します。
ありがとうございます。日本には神様を求めながらも、騙されて偶像崇拝してる人が多すぎますね。。
こんな酷い悲劇は他にはないと絶望したものです。。
でも、この日本で本物の神様の引き寄せて頂いたことを感謝します😌
学問的に分析し始めたらそれは不信仰に陥りますよね。そうなってしまったらどうやったら神様にお祈りできるのでしょうか。わたしならとてもお祈りなんてできなくなってしまいそうです。「主の臨在に満たされること」はどのように解釈されるんでしょうね。
また、人間的に学問のある人だけが真理を知っているとしたら誰も救われなくなれます。子供でも理解できる。それが聖書です。
不信仰に陥るくらいなら神学校の存在そのものが無意味になります。
リベラルな読み方で聖書を読んだら、面白くなさ過ぎて毎日読むのが苦痛にしかならないです。
リベラル的な方が子供たちにどのように聖書を読む楽しさを伝えるのかぜひ聞いてみたいものです。
神学校に通えば、もっと神様の御言葉に触れられて信仰が強くなるのかなと思いきや、実際に淡々と学問を学んでいくにつれて信仰が薄れてしまった?と発言していた人もいたので、そんなこともあるのかーと考えさせられたことがありました。
それは学校が悪いのです。そして、そこで教えている教授もリペラルな考え方を教えているのです。また、リペラルな話し方は物知りのような印象を与えますし。人は聖書の言葉を煙たがりますけど、人の言葉は受け入れる傾向があります(特に悔い改めの経験のない信者、キリスト教を単なる宗教としてやっている人たちや御言葉によって自分の罪を咎められたことのない人たち。)。多くのクリスチャンの間ではキリストよりも牧師とか説教者が敬われていますね。「聖書にこう書いてある。」なんて言ったら総スカン食らっちゃいますから。学校を選ぶとき、その学校がどのような立場に立っているかよく調べなければいけないでしょうね。また、そこで教鞭をとっている人たちがどのような立場から教えているのか調べる必要がありあります。ただ単に有名な先生だからということで選ぶのは良くありません。聖書中心の立場から教えている学校もまだあります。
動画、参考になりました。私は別の視点からキリスト教の左傾化の問題を考えています。二十世紀後半に、学生運動で暴れ過ぎて普通の会社に就職できなかった人たちがキリスト教の牧師になったり神学部の教授になっているからではないか?と思うのですが、いかがでしょうか。
まさに世界中で左傾化の傾向があるでしょう。日本の神学校は具体的に知りませんが、アメリカならばちゃんと信仰と歴史に根差した聖書解釈を保って生徒を訓練している学校も、中にはありますね。だからこそ、神学校選びがめちゃくちゃ重要だと思います。私の場合は、The Master's Seminary(カリフォルニア)からFaith Bible Seminary(インディアナ)に転校して学ぶことができて、ふたつとも大きな祝福でした。
どこで学ぶかは今後ますます重要ですね。
知りたかったのでありがとうございます!海外はキリスト教左派は少ないですが日本に限るのか?国によるのか?
以前、何年も前の事ですが、私が沖縄で住んでいたときに、金城牧師先生が言われたことが素晴らしい証だとずっと思っていました。私はアメリカのペンテコステ派でしたので、同じペンテコステ派の教会へ通っていました。その頃にその先生が私たちに話していた事は、自分が大きなバプテストの教会で牧会をしていた時に、友人の牧師から、聖霊のバプテスマについて聞き、その後、聖霊のバプテスマを受け異言を語り始めたので結局、教理の違いで辞めざるを得なかったらしくて、,,でも今は聖霊派の教会の牧師をなさっています。この先生はリベラルから聖霊派への移転ということでしょうか?
神学校へ行って左傾化するのは、何世紀にもわたってのサタンの計画だと思います。徐々に真理に水を混ぜながら薄めていくためです。そのために牧師やリーダーたちの教える立場にある人たちへの影響が強いのです。それは近い将来、エキュメルカルすなわち統一宗教計画が世界的に行われていくためなのでしょうか?
「カトリックとプロテスタント」の動画を拝見して、次のこの動画を視聴しました。今、神学校では聖書そのものを教えるのではなく、自分が学んだ神学を教えているので当然左傾化していると思います。藤本満牧師は私の所属する教団の神学校で教鞭をとっており、ウエスレアンホーリネス教団の神学校でも教鞭をとっています。さらには青山学院の神学部でも教えておりとても魅力的な方でありフアンも多く語ることを容易に信じてしまいます。また藤本牧師と同じ教団で神学院の院長をなさっていた牧師は「聖書には神話も書かれている。」とか「聖書は客観的に読むべきではない。」とか教えていました。
聖書に書かれていることを事実として、書かれた時代背景を見ながら創造主である神が語られてことをその通りに受け取る、このような姿勢が失われているからではないかと思っています。
リベラル派のがちがちであった牧師から、福音派、それもキリスト教原理主義の立場に変わった牧師は、北海道十勝の「鹿追キリスト教会」の三浦亮平牧師がおります。聖書に書かれていることを事実として受け入れた時にご自分のこれまでの解釈の誤りに気付かれたと聞いたことがあります。聖書に書かれている真理を正しく知らないことから、自由主義神学に騙されて、誤った福音を伝えていると思っています。本物のお札を知らないと偽札を掴まされるようなものかもしれません。
イスラエルに対するハマスのテロに関しては、JEAの社会委員会からの声明文も事実を誤認した酷いものでした。携挙が近いことを教えられます。
コメント感謝です。JEAも既に乗っ取られてしまっていますね……。このような福音派もどきの指導者を、私は「脱福音派」と名付けようと思います。
はげ同。
藤本先生って、そんなこと言っていたんですね。
同性愛を認めるようになってからは、あまり関わっていないので、知りませんでした。
福音派が福音派じゃなくなっている気はしていますね。
主と共にいます兄弟神の祝福がありますように 😊
マタイ福音書で
ペテロが不思議に思っていても
イエスキリスト様は
(~あなたは わたしに従って来なさい)と
イエスキリスト様の12人の弟子たちに
「パリサイ人 律法学者たちに気をつけなさい」とも語られています
神は霊であるから
霊とまこを持って神を礼拝しなさい と
同じ教会人ならわかる のですが?
「救い主に救われました」と
救われたクリスチャンが本当に国内に幾人いるのでしょうか
神学…難しいことはわかりませんが、色々な解釈や捉え方があることを知るのは(知らないより)良いと思いますが、仰ったように参考程度でいいものですね。
私は最近「救い」が、聖霊の働き(罪の自覚)によるものでなく人間の考え方次第で(十字架抜きでも)救われる…ことを問題に感じています。
正論であると、思います。「思想上の左右を構造的に理解できる」ということは、画期的です。
鹿追キリスト教会の三浦亮平牧師はリベラル(自由主義神学)から福音派へ転じた牧師らしいですね。私のバックグラウンドとは異なりますが...😅ご参考まで
そうなんですね!!! お話聞いてみたいです。情報ありがとうございます。
私はかなり特殊な例ですが、父は極右のカトリック出身、母は曾祖父の代からリベラルでした。私の行った学校も創世記は神話と教えるようなリベラルな学校でした。中学から自分で行くようになった教会は福音派の教会でした。今、行っている教会は気がつくと左よりだったので、ちょっと居心地が微妙で、右にも左にも寄りたくない、とにかく聖書の言葉はまるっとそのまま信じて行こうと思っています。これ、どう思う?ということがあったら何でもお尋ね下さい。
ご自身の体験をシェアしてくださってありがとうございます。
聖書を読んで何で左傾化というか、何と云うか、少し偏った考え方をすることを不思議にかんじていたのですが、普通に聖書を読むとそんなばかなと思います。ちょっと読んで学べばわかる話です。聖書は極めて論理的な書物です。多分中世、近世の神学部では極めて論理的に教授していたのではないでしょうか。しかし不思議に本質をかたらないのです。
その感性を大切になさってください!
何人かの方がコメントされてますが、私も家庭連合の信者です。今回のお話、なるほどと思って聞かせて頂きました。私は神学校に言ったわけでも深く学んだわけでもないので、そんなものかと勉強になりました。アメリカ在住ですが、近所の福音派の改革派教会の礼拝に参加すると、確かに聖書絶対重視です。統一原理について、下のような福音派とリベラル派の話題のビデオがありました。参考になればと思いました。興味深いお話をありがとうございます。
ruclips.net/video/8OoXHw4PjmU/видео.htmlsi=FFyqstWQS_dEGOFX
なかなかの慧眼で敬服します。なるほど福音派のクリスチャン、特に牧師の弁慶の泣き所は「学がない」と思われる恐れだと思います。確かにリベラルのようには学がないのは事実です。しかしそれなりに勉強している、福音の真理に立っているという矜持があれば、なんの恐れることあらんやでしょう。衒学的な境地より神の家族の養いこそ優先すべきではないでしょうか。学位欲しさに、庇を貸して母家を取られるという愚はゆめゆめ避けたいものです。大臣病ならぬ学位病といったところでしょうか。親亀こけたら子亀 (教会) こける、という悪魔の謀略は警戒すべきでしょう。
動画拝見しました。たしかに急激に増えてますね
行きつく先は献金や免罪符いわゆるお金だと思います。
ある教会の牧師は脱原発運動して講演料から献金したりまたまたある教会では昔のねずみこうの手伝いしたりタダでは祈らん教会や牧師がほとんどかな😢
神学校でテストを受けて点数をつけられるから、そんな牧師や宣教師が育つのだと思います。
私的解釈恐ろしい!
まともなだけなんじゃないの?「左傾化」に見えるのは視点が右傾化しているからでしょう。
動画で言っている「左傾化」というのは、信仰の話でして、「聖書は誤りなき神の言葉を信じる」と信仰していた人が、なぜか「聖書は人間が書いたもので誤りも含まれる」という考えに変質するということを言っています。明確な定義があるので、自分の立場がどうかは関係がありません。
@@ura.cloudchurch お返事ありがとうございます。
が、やはり通底するものがある、と私は考えます。
…と言っても、私自身は母方が曽祖母の代に同志社女子で学んで家族ぐるみクリスチャン家系になってから4代目ですが、父が「俺は檀家で氏子で無神論」と言い放つ人だったので、きちんと信仰を学んでいるとは言えませんが。
神学校に深入りしてはならないことだけは分かりました。私が神学校の教師が牧師の教会に居られなくなった理由が、少しわかった気がします。
信仰を持って聖書を読む。聖霊が理解を助けてくれる。サタンがあらゆる手段を使い真理を歪める。この三点をしっかり押さえてクリスチャンの歩みをしていきたいです。
なっとくです。ありがとうございます😂
以前、何年も前の事ですが、私が沖縄で住んでいたときに、金城牧師先生が言われたことが素晴らしい証だとずっと思っていました。私はアメリカのペンテコステ派でしたので、同じペンテコステ派の教会へ通っていました。その頃にその先生が私たちに話していた事は、自分が大きなバプテストの教会で牧会をしていた時に、友人の牧師から、聖霊のバプテスマについて聞き、その後、聖霊のバプテスマを受け異言を語り始めたので結局、教理の違いで辞めざるを得なかったらしくて、,,でも今は聖霊派の教会の牧師をなさっています。リベラルから聖霊派への移転ということでしょうか?
無楽器派は、東大卒の伝道者が12年前までリーダーで(2012年に亡くなり)その人に影響されてリベラルへと変わった伝道者もいたようです。
でも無楽器派は一応、福音派に近い立場です。信仰義認でなく行為義認が信仰を何度も躓かせました。何かしらないけど信仰的には進化できませんでした。
教会を変えたら真の意味で福音派的なので信仰が高揚しました。
右左定義とは?左右の問題ではないのでは?そんな単純ではなく、奥深いと思うけど。
初耳のキリスト教 左傾化と言う言葉😮…難し過ぎてよく理解できませんでした😅ただ私の周りのクリスチャンは私と違って とても弱者に寄り添うお気持ち大切の方々が多いですね。どちらかと言うと無意識に公金チューチューに属しています。本人を前には言えませんが🙄
神学校って 聖書の書かれた時代背景や歴史とかその様な事を学ぶお勉強の場だと思っていました。が …ややっこしいですね🤔
聖書は神の言葉です。ただそれを原語であるヘブル語やギリシャ語から訳されたときにどう訳されたかによって受ける印象が変わったりするのはあると思います。そう言う中で聖書の解釈は人それぞれで良いと思うし、一般的な解釈に囚われる必要はなく、神さまが1人1人に語るメッセージを受け取るのが一番良いなと思います。
和多志は拓馬さんがおっしゃっている事は正しいと思っています。
なぜなら、神様は普遍で永遠から永遠まで変わらない方だからです。
聖書も神様のお考えが書かれた本です。
人間が勝手に自分たちの都合の良いように解釈することは実際には神様に逆らっていることと同じだと思います。
聖書の黙示録に「私は、この巻物の預言の言葉を聞く人たち皆に、次のことを伝えます。これらのことに何か付け加える人がいれば、神はこの巻物に書かれている災厄をその人加えます。また、この巻物のの言葉から何かを取り去る人がいれば、神は、この巻物に書かれている命の木および聖なる都市から、その人が受けられるはずのものを取り去ります」(黙示録22:18,19)
このことは黙示録だけでなく、和多志の勝手な解釈かも知れませんが聖書全体にも言えるのではないかと思っています。
神学とは人間の哲学ではないでしょうか?
現にカトリックの神学校では聖書ではなくて、哲学を教えていると聞いたことがあります。プロテスタントの神学校でもそういう傾向があるのではないでしょうか。
教会自体が西洋キリスト教化していると聞いたこともあります。
聖書自体の教えではなく、ほかのところから思想や教えが入って来ているとのことです。
イエス・キリストはおっしゃいました、「狭い門を通って入りなさい。滅びに至る門は広くてその道は広々としており、それを通って入っていく人は多いからです」「一方、命に至る門は狭くてその道は狭められており、それを見つける人は少ないのです」(マタイ7:13,14)
人がどう思うかが重要ではなく、神様がどう思うかのほうが重要ですよね。
「終わりの時代は困難で危機的な時になります。
人々は自分し、・・・傲慢で、神や人を冒瀆し、・・・不忠実になります。・・・全く人に同意しようとせず、中傷し、自制心がなく、乱暴で、善いことを愛しません。人を裏切り、強情で、思い上がり、神ではなく快楽を愛し、信心深く見えても実際には神を敬っていません。こういう人たちから離れなさい」「常に学びながらも決して真理の正確な知識を得ることができません」(テモテ第二3:1-5,7)
「羊のふりしてやって来る偽預言者たちに警戒していなさい。その人たちは実際には、むさぼり食うオオカミです。その人たちは実によって見分けられます。いばらからブドウ🍇を、アザミからイチヂクを集めることなどあるでしょうか。同じように、良い木は皆、立派な実をならせ、腐った木は皆、悪い実をならせます。良い木が悪い実をならせることはできず、腐った木が立派な実をならせることもできません。立派な実をならせていない木は皆、切り倒されて火に投げ込まれます。このように、その人たちは実によって見分けられるのです」(マタ 7:15-20)
父であり、牧会者であった髙木慶太は、2001年に召天しましたが、学生の頃、Dallas Theological Seminary という 保守的福音派の神学校で学びを受けました。
リベラルとは全く正反対の立場に立った神学校です。
ハーベスタイムズの中川健一先生でさえ、初期段階では、リベラルの要素もあったそうです。
ここ数年では、保守的福音派で、ディスペンセーションの立場に揺るぎなく立っておられますよ。
ユーチューブ松本先生も保守的福音派です。
これらの先生方は、リベラル、左派的考えには、賛同していないところか、警告を出しておられますよ
左傾化した牧師の特徴として、攻撃性が挙げられると思います。日本キリスト協議会に所属している教団を求道者の方は避けた方が賢明です。今回の提言はクリスチャンにとってとても重要なテーマだと思っています。
理性も愛も大事だよね。理性は万能ではないから、矛盾した場合、愛を優先すればいい。ただそれだけ。
「愛」をどのように定義するのか、も簡単ではありません。日本人がイメージする「愛」は聖書のそれと少し違う気もします。
@@ura.cloudchurch 東洋だと仁義とか孝行ですよね。感覚的に。
若い時は民主党でしたが高齢では共和党に。信仰は左翼から福音派に今は変わりました。
リベラルアーツという言葉は元々ギリシャ・ローマ時代の「自由7科」(文法、修辞、弁証、算術、幾何、天文、音楽)に起源を持っています。その時代に自由人として生きるための学問がリベラルアーツの起源でした。「リベラル・アーツ」、つまり人間を自由にする技ということ。リベラルアーツとは自分を多様な世界へと解き放ち、より良い自分、より良い世界へと導く入口となります。
コメントありがとうございます。私自身リベラル・アーツの学部でしたので、身にしみます。そして、信仰との比較になると、その「自分」が問題なのだと感じています。
藤本満という牧師さんは、神学者でもあるので福音派の中でも学者的アプローチをされる方で「聖書信仰」という上下巻の本まで出していますが、その人物でさえ「聖書は信仰で読んでは駄目だ」とおっしゃったという話は驚きであり、少々ショッキングな話でありました。
藤本氏は直接彼のセミナーを受けて、もう福音派ではないと感じています。「脱福音派」とでも呼ぶべきかと思っております。
返信ありがとうございます。現在の藤本牧師は「脱福音派」になってしまったのですね。私にとってはリック・ウォレンがキリラム教になってしまったという事実と同等の残念な話です。@@ura.cloudchurch
福音派についてですが、福音派でもいくつかの違いはあるのでしょうか?小林先生はカルヴィン派なのですか?カルヴィン派の考え方は家庭連合の医師小出浩久先生の著書「”人さらい”からの脱出」で学んだ程度ですが、派の違いとかそれぞれのいい点と悪い点とかあったらまたご教示ください。
いわゆる「福音派」には様々なグループがありますが、共通するのは「聖書を神の霊感によって書かれた誤りなき言葉と認め、字義と文脈を重んじて解釈する」というのが基本的な福音派の条件だと思います。広義の「福音派」は、いわゆる「ペンテコステ派・聖霊派」も含みます。私は特定の派閥に所属はしていませんが、カルヴァン派ではないということはハッキリと申し上げておきます。カルヴァン派は、個人的に疑問を感じるところが多いからです。それはまた深く勉強して、いつか動画を作りたいと思っています。
とても整理された意見だと思います
リベラルが強いのはリベラルの力が保守の力よりも強いからです
唯物論の方が唯心論よりも実感を伴うからです
実はリベラルの意見も既に古い話になりつつありますが問題は社会的地位としてリベラル>>>保守であることです
そして2000年前も同じ構造があったためキリストは上流層の人々へのアプローチを諦めたのです
残念ながらここに優生学が結びついたのが2020年コロナ禍から始まるグローバリズム支配の世界です
おそらくドストエフスキーもそのことを理解していて著したのが「カラマーゾフの兄弟」だったのでしょう
神学校あるあるなお話ですね。
だから、ある有名な牧師は神学校に行くと信仰を失うから行かない方が良いと言ってます。
そもそも、福音を述べ伝えるのに神学校に行かなくちゃいけないとは聖書に書いてない(笑)
神学校は、ある意味職業訓練校であり、牧師という職業に就くために行くようなものなのかもね〜。
飽くまで私個人の考えです。
いちばん大切にしたい事は聖書は神様から与えられたプレゼントという事。人間として生まれ、神様側からすれば罪ある存在に定められ、目の前に死という大きな問題を抱えて一生涯を送る絶望的な状況にある私たちに身代わりとなって贖い罪を許し死を乗り越える希望を与えてくださった、というメッセージを常に与え続けてくれている唯一の証拠がこの聖書であるという事。これを学術的に捉えるとか理性的捉えるとかは本当に不幸な事だと思います。私たちにできる事はこの喜ぶべき神様のプレゼントの本当の意味を本来は人間であれば誰もが例外なく受ける事が出来るはずのプレゼントを1人でも多くの方に受け入れられる様に祈り、情報を発信することではないでしょうか。今後のご活躍を期待します。
励ましをありがとうございます。
そもそも左か、右かと決めつけることは意味がないと思っています。なぜリベラルが左というのかな?
私は【独善】が問題の本質と考えています。福音派のみならず基督教全体への固定概念も偏見(歴史的)も作用しているものと捉えています。*私は教団です。
牧師、お疲れ様です。私も長年「聖書」とは何なのか?歴史的・科学的な批判に「聖書」は耐えられるのか?色々調べました。
ご存知とは思いますが、バート・D・アーマン氏の「キリスト教成立の謎を解く」を読みますと、聖書は写本の写本の写本の写本であり、間違いや食い違いがあると書いております。それは聖書を丹念に読むと確かに同じ個所が随分食い違う事に、気づきます。
彼は本文で「新約聖書は矛盾を孕んでいる。解消出来ない矛盾がある。マルコもヨハネも、イエスがいつ死んだかと言う点についいて食い違っているため、どちらも歴史的に正しい可能性はゼロである。
「最初に私の頭を悩ませた大問題は、聖書のオリジナル・テキストが現存せず、その殆どが何世紀も後に作られた写本であると言う歴史的事実である」
水平的な読み方では、一つの福音書のある物語を読んだ後に、それに並べて書かれているかのように、その他の福音書の同じ
物語を細部に至るまで、注意深く比較する。
例えば「マタイ」と「ルカ」のイエスの誕生に関する記述を見てみよう。水平的に読むと「マタイ」では賢者がイエスを拝むためにやって来るが、「ルカ」では賢者ではなく牛飼いとなっている。
と言う感じで聖書の事実関係が無数に違うわけです。それで、聖書は手垢にまみれた人間が書いた間違いの多い書物であると言う結論に導き、この考え・学びはアメリカのどこの神学部でも学ぶと述べています。
いかがでしょうか?ちなみにキング牧師は原理主義→リベラル→保守と変遷していますよ。
無意識にそちら側に流されていったんだろうね。もしかしたら教える側が左から何かしら甘い蜜を貰え、Win-Winの関係が構築され、無意識に流されていっているのではないのかな。いわゆる悪魔の誘惑だね。
私の通う教会でも、様々な考えの方はおられます
(私自身は保守系です)
色々な方々と仲よくした
方が楽しいですよ。
日本の福音派とペンテコステ派の神学校を二校卒業した者です。
これらの神学校界隈では福音主義神学会などもありますが、リベラル思想は入っていません。
あくまでも聖書を元に現代の様々な課題について検討するものです。
リベラル思想は大学の神学科に多く見られます。
昨今話題の弥助問題からリベラル学者(歴史作家)の横暴が嫌になり彼等の宗教などを調べるうちにキリスト教とはなんぞやとなりここに辿りつきましたキリスト教も色々派閥があるのですねキリスト教20億人の思考を知る事が歴史を知る事だと最近考えております。
ここのコメント欄見てて納得しました。
今年から神学校に行きますが、この事を周りの日本人クリスチャンにすると、顔を曇らせて何故?と言わんばかりの顔をされますが、よく理解できました。
「学問という世界で信仰を持って聖書を読む事をダサいと思っている」
そんな事言う人がいたら、ちゃんと聖書を読んでいないのではないでしょうか。
そもそもどの神学校のことを言っているのか動画内で名前をあげたらどうですか?
全ての神学校がリベラルとは限りませんよ。
15:50「福音派は〇〇だよねって神学校行く人みんな言ってます」とおっしゃっていますが、そんなに言い切って大丈夫でしょうか?
この動画で貴方が生み出しているのは、神様の愛でも知識でもなく神学校へ行く人たちへのヘイトだと思いますよ。
あんまり具体的に言うとカドが立つと思って言わなかったんですよね。具体名はありますが、言いません。
全体的な印象です。それは動画でも言ってます。
今年から新学校に行くとのことで、ぜひ貴方にはそのような道を辿らないでほしいと願っています。神学校を変えてください! 応援していますよ。
聖書の教義・福音派の教義自体は正しく間違っていないです しかし一般人からすると福音派の人は物事を冷静に見て論理的・客観的に分析して判断する事よりも感情を優先して上から目線で一方的に押し付けて律法主義的で気難しくて幼稚でキリスト再臨と世の終わりを早めるために戦争を推進したがっている人が多いと思われていてキリスト教って何か感じ悪いと思われているので伝道する時は注意して上手く伝道しないと余計にキリスト教嫌いになる人が増えます
聖書で禁止している事は社会の法律でも禁止して 聖書で禁止していない事は自己責任で個人の自由にするべきです
私は主流派の神学校を修了した者です。福音派側で行われている工作を知り、驚いています。
学問とは近代までは元々、絶対的な神学の下に展開されていたものです。しかし、近代になってそれが神学抜きのものに変質させられました。これは意図的な悪魔的な工作なのです。
だから一方向なのです。そして、教役者を巻き込めば影響が大きいので神学校が狙われるのです。神学校で教えるものは、本来、聖書神学であったものが、信仰抜きの考古学的本文批評を取り入れた現代聖書学に置き換わってしまったのです。
主流派は多くの変質工作に遭っています。もちろん、信仰中心の人たちも多くいますけれども。
主流派というだけでリベラルというレッテルを貼られたりすることもありますが、リベラルというのは、主流派福音派関係なく、内部工作に関わる工作員(つまり人間中心主義者)のことを言うのです。
そもそもカトリックが聖書的じゃないですからね。グローバリズムの一丁目1番地がカトリック。神学校もペテロ達に学があったのか?って話しで全然聖書的じゃない。色々何派ってのがあるのもおかしい、あるとすればそれは神派ジーザス派だけだ。
私も学問的に長く読む信仰生活をしていました。しかし聖書の本当の姿が全く見えなくなりました。
今は聖霊の助けにより、聖書の本当の意味がわかりつつあります。
基本的に神の言葉がもしも誤りあるものなら、そもそも信仰生活は土台が揺らいで、救いの確信さえもてなくなるでしょう。
私は若い頃、キリスト教のラジオ放送局で働きましたが、残念ながらリベラルな立場の上司との間で意見が対立して、職場を去ることになりました。
上司はキリストの復活は歴史上の事実とは言えず、蓋然性の域にすぎないから、それは心の中の受け止め方の問題だと、実に実存的哲学に影響されたことを語っていました。要するに聖書を神の誤りなき言葉と信じるかどうかの問題でしょう。
聖書が教えに、もしも人間的な解釈を加えたり、差し引いたりするなら、詰まるところ信仰は土台から崩れてしまうでしょう。
人間の哲学も科学も、誤りうるものであって、事実、歴史的にただしいと思われたものが、これまでどれだけ誤っていると判明してきたことか。それを見れば、人の限られた知識で物事を判断しようとすることが、どれほど愚かで不遜なことかが分かります。
私は、クリスチャンを名乗る限り、聖書のみをすべての判断の基準と信じ、世の中の動きをその土台に立って見極めて行くべきだと考えます。要するに聖書が判断基準の最上位になければ、クリスチャンである意味が失われてしまいます。
福音的な立場の教会でクリスチャンになられた方は、神学校を選ぶときに、聖書の原典の無謬性をしっかりと掲げている神学校を、よく確かめて選んで欲しいと思います。
それはおつらい体験でしたね、、、。そのように、聖書の言葉に混ぜ物をするクリスチャンや指導者が増えてきてしまっていると感じています。
先生の意見に賛成です
ありがとうございます。ぜひ先生と呼ばず、名前でお呼びください!
そもそも神様も聖霊も目に見えませんし、神様の愛も恵みも目に見えません。信仰を持って真剣に祈り求めたら、魂で感じる世界はあるかもしれませんが、聖書の解釈は無数にあるので、目に見えない世界を、これが正しいとか間違っているとかいうことを決めることも証明することも難しいと思います。その無理なことを、ああでもないこうでもないと延々と続けているのが学問であるように、私は思います。そんな事を繰り返すよりも、考え方の違いを超えて、知恵や力を合わせて、どうしたら素晴らしい国が出来るか、どうしたら平和な世界が出来るかを真剣に考えた方が、よほど価値があると思います。
そうですね。ただ、考え方の違いがなぜ生まれるのか、そしてその根拠をどこに置いているのかを議論することはとても大切だと私は思っています。
全く同感です。
違いを尊重し、敬い合いたいものです。
世界の民族移動は、宗教の違いのためが、実に多かったと思います。
違いで、排斥することは、とにかく避ける。
やっと、今はそう思える時代になりました。
何でもひとくくりは、なりません。
神様は、一人一人の心と行いをごらんになると思います。
個人的には聖書、旧約聖書、読んでいると、神と言っている人、一神教、信じろ?これって悪夢が作った物語りだと考えている。天が作って無いよね、この考えってグローバリゼーションと同じ思考だと思う。
そういう考え方が多くなってきていると感じています。
全く同感。愚かな人間が神より勝るのか?ヨブ記を読んでみたら、と言いたい。
昔の保守的穏健的考えの方々が良い大学ほどは保守派の踏み絵がそこかしこに設置してあるので馬鹿しか生産出来ないって痛烈に○○大学を批判してた意味が少し理解出来ました。ありがとうございます
もう一つ言えることは、神様は、なぜ聖書を人間に与えたのでしょうか?大切なことは、聖書の御言葉によって、生きていないと、罪を知ることも、霊的にキリストのおであいして、新しく生まれることもないからです。知識では人間は、変わりません。神学校も昔と変わり、知識だけを教える学校が多くなってしまいました。神学校にもよると思います。ちなみに私は神学校には行っていません。言ってない者が何を言えるのかと、反発が来るかもしれませんが。
私、福音派で、今まで3つの教会に行っています。福音派でもいろいろです。1番目の教会は耐えられなくて出て来ました。2番目の教会は地理的な事情で今の教会に転会しました。神学校も聖霊に導かれることを大切にする所もあれば、過去の学者の立場を大切にする所もあります。あと気がついたのは、学校の教師経験者で、日教組だった人が、左寄りですね。
本当にどの教派も教会によっていろいろですよね…
極端な表現を使うと,「左翼=共産主義=無神論」なので,本物のキリスト教徒が左傾化することはあり得ない。つまり,偽物である。
わかりやすい🎉
私もリベラルとキリスト教徒は似ていると思っていました(私は保守派で非キリスト教徒です)。私が観察したところ、彼らは潔癖症で、かつお利口さんです。指導者から頭を撫でてもらいたい人たちです。優等生タイプで身なりもきちんとしています。だいたい地味な服を着ています。言語能力は高いですが、誰かが言ったことをオウム返しするだけで、その言葉の意味を理解しているとは思えません。つまり、指導者の思想に簡単に染まります。現代の知的指導者層がリベラル(左翼)だから、左翼になっただけのことであり、知的指導者層が右翼になれば彼らは右翼になるでしょう。
言い得て妙かもしれません!
神学校にいく人 聖書を重要視してないように思う
神学校でリベラル化するのは、聖霊から離れるからだと思います。神様を信じるには聖霊の力がなければ、信じることはできないからだと思います。学問すなわち人の力で神を解釈すると悪魔の誘惑、聖霊から離れるからですね。聖霊から示された啓示でなくては神様から与えられた理解ではなくなるのですね・・・人間の力で理解するようにするから、悪魔の誘惑に落ちるのですね。イエスの荒野で神学的試練を受けましたが、悪魔よ、されという命令で克服しました。
おっしゃる通りだと思います。聖霊に聞く、ということを現代の教会ではほとんど教えなくなっていると感じています。