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TK-80が出た頃、小学生でしたが、これを初めて見た時の衝撃というのは今の若い人にはなかなか理解してもらえないと思います。それまでコンピュータといえば大企業の電算室とか研究所にしかなかった大型機のイメージの時代。それがあんな小さなボードに部品つけただけのものがコンピュータで10万円以下の値段で買えるというのですから。例えて言えば、自衛隊で使ってるF35戦闘機がある日突然家庭用として200万円で発売されたような感じですかね。実際の性能は企業で使ってるIBM製メインフレームの足元にもおよばないものでしたが、それでも個人でコンピュータを持てるというのはすごい時代が来たと思いました。
当時『ラジオの制作』の折り込み特別付録が「TK−80の実物大写真(というカラーペジ)」でした。私は未だ16進法すら知らない中学生でしたが、その付録が擦り切れる程、16進キーを押しまくっていた記憶があります。それほど魅力的でした。
庶民は部品買ってきて自作するのが普通?だった。
懐かしいですね 当時のカセットテープ 300,600,1200,2400bps 程度の速度だから 今聞くと 携帯の通信速度よりはるかに遅いですねHDDで容量 40MB 見た時には なんに使うんだ? 一生かかっても使いきれない と言っていたことを思い出します
沢山のパソコンマニアの悲しみの上に今が成り立っているんですね。
ご、ご先祖様に感謝・・・・・・・・・っていうほど昔でもないですね・・・
@@gamelite9988 さんそこまで言われるとオイラ達が「年取ったなぁ」と新たな悲しみに浸ってしまう。まぁ還暦近いから、そういうことなんですけどね。
それなりに楽しんださ フッ(遠い目)
@@北島正隆-d5x 私は還暦過ぎてますW
PC-8001の時代には更に貧民の救済機としてポケコンがあった事にも触れてほしかった未互換の専用BASICだったけど基本的には同じような物だったんでBASICの勉強には大変役立った
ポケコンは電卓の機能もついていました。
@@masamifukushima7065 プログラマブル電卓も有りました。今でも有るけど。
小学生の時、カシオのプログラマブル関数電卓fx-602pを買ってゲームしてました。見た目は今で言う普通の関数電卓だけど、512ステップの長さのメモリ(?)があった。当時定価3万円のものを、お年玉握りしめて2万弱で買った記憶がある。
@@masamifukushima7065 さん:当時のポケコンは汎用品のミニコンよりもコスパが目茶苦茶良かったです。
ただ扱いが、(関数)電卓だったんですよね~
PC-8001の右側に在る大きい箱は8インチフロッピードライブですね。
FM-8、ベーシックマスター(L3)、そして初めてCDを搭載したFM-TOWNS…ガン無視されてる(泣)
7:41 PC8801は夏のボーナスでパソコン本体とカラーディスプレイ(シャープ)を購入した。買って使うと電磁波障害(以下EMI)が酷くてラジオやテレビにパソコンのノイズか乗る酷い機種でした。✳︎当時はEMIなどは無策状態ですが、会社での仕事(電子機器設計)ではEMI対策は死活問題でした。結果的にはパソコン本体とディスプレイケーブルにEMI対策を施して無害なパソコンに改造しました。
MSXは驚くことに1994年まで製造されていた。他の8ビット機がすでに撤退している中で、パナソニック一社になってしまったとはいえ、プレステが発売した年まで製造してたとはよく頑張ったと思う。
なんと、プレステが出るまでねばったんですね。
@@gamelite9988 1990年に16ビット化したのですが、それから3年超ほどパナソニック一社だけで2機種出して粘ってたんですよね。翌年にWindows95が出る時代にもかかわらずよく生き延びたと思います。
@@caither2413 ほえ〜
8ビットwwwすげえ
@@gamelite9988 MSXの最終型MSXturboRは16ビットCPUに進化しましたが、パナソニックからFS-A1STの一機種しか発売されませんでした。
PC-88, PC-98などは日本だけの独自の流行だから難しいね。
MZ-80と言えば、絵文字の元祖ですね。昔の機械はグラフィックできないのでキャラクターを組み合わせてゲームのキャラ作っていたので、2chなどで絵文字が流行ってるの見た時「懐かしいなぁ」と思った。
な、なるほど、絵文字の起源がそんなところに・・・
私もそれ思いました。あれっ?って。
PC-8001・PC-8801には文字フォントをオリジナルのキャラクターに書き換えてゲームキャラを表示させる、プログラマブル・キャラクタ・ジェネレーター(PCG)という増設キッドがHAL研から発売されました。
それは80K/C/K2/K2Eの話で、80Bにはグラフィックあったよ。
ほんの一例として、MZ80K、700、1500で遊べる「ゼプリス」というゲームの動画を見てみてください。※ゼプリス mz で検索すると出てきます。
ちなみに、工場設備などの制御に使われてるコンピュータをPLCといいますが、70年代80年代の考え方というか、感覚が色濃く残っています。凄いのがこの動画公開時点だと、金属加工などの設備向けに、紙テープ装置がまだ売られていました。ちなみにPLCはガラケー状態で、他の国ではIPC(産業用コンピュータ)が一般的になっています。
8801-FM86601-FM7という認識でした。性能ではなく値段でのかんじかな。
懐かしい話をありがとうございます。当時FM7でハイドライドやゼルダの伝説などを楽しんでたことを思い出します。windowsは3.1からPCAT互換機を作って遊んでた思い出があります。当時の秋葉原はCPU売り場も華やかでした。もし動画の続編があるならZ80からAMD、サイリックス、ネクスジェンの登場。そして互換CPU淘汰の時代の話をお願いします。
FM7って人気があったみたいですね。楽しそう・・・
まだ戦後30年そこそこで、テレビはやっと白黒からカラーに移行したぐらい、音楽はレコード、ビデオテープさえ普及してないアナログな時代に個人向けにコンピューターが売っており、それをとりあえずは操作していた人がいたってよく考えるとすごいよね自動車がほとんど普及してないのにその発展型の戦車だけがどんどん進歩していった戦前みたいだ
TK-80登場以降、全部知ってる世代です。MZ-80K2に倍速ボードつけようとして、ぶっ壊したのも、今となってはいい思い出です。
懐かしいなあ私は高校でX1を買ってもらったのが初PCでそれまではいわゆるナイコン族、近所の電気屋に入り浸ってました。ベーシックマガジンを毎月買って持ち込んで、ひたすら打ち込んで、本当になつかしいW。
昭和51年小学校5年生の時にTK-80を購入しました
私のPCの歴史、PC-9801U2 → PC-9801UV11 → PC-9801BX2 → 自作へと進み現在に至る
王道なのでは!
@@gamelite9988 もう一昔前の思春期は、PC-6001 と言う機種から始まったモノです。すぐに飽きたけど。
MZ-80のころ 沖電気 から出ていた コンピュータが16色使えてたと思う、本当にビジネス向けだったはず、雑誌「ラジオの製作」に広告が載っていた覚えがある、雑誌の付録に「マイコンBASIC]の小冊子がついていた
結果的にIBMの戦略ミスでパソコンの規格はおおよそ統一出来た、このミスがなければ今でも各社の独自規格で戦国時代を繰り広げているに違いない
それも面白いな。どの機種が主流となるか、顧客次第になったろう。
PC-8801持っていましたが、ある時期以降のゲームソフトに書かれているのは、「PC-8801mkⅡSR以降推奨」で、それ以前の無印とmkⅡでは動かず悔しい思いをしました。
よく言われますね。友達にもそんな方がおりました。
SRのモデル30は、258,000円しましたが、初号機は本体+外付けFDDのPC-80S31が168,000円でこれだけで396,000円で、FM音源とかも付きませんでしたし、これにカラーディスプレイ買ったら50万円越え、ここまで揃えて、数少ない初号機対応ゲーム、マイクロキャビン四日市の「ミステリーハウス」という今でいう脱出型ゲームをやったんですが、1画面描画(線引いて色塗り)に5分前後(描画時間はばらつきあり)かかり、描画のあまりの遅さに、隠された鍵を描いているところがハッキリと見えるお粗末さで、SRで動いているイース見た時は、泣いて心を折られましたわ。😅
現在のスマホなんかは次機種が発売されても変わりばえせずつまらないなんて言われてるけど、当時のパソコンみたいに購入日如何で地獄に突き落とされ悲嘆にくれる事が無くなったのはある意味幸せなのかもしれないね
88SRの登場はWin95の登場と似てる所がある。それは登場後爆発的にゲームが充実したこと
PC-98がDOS/V勢に逆転されたのは96年辺りかな。それまではPC-98でもWindows95が動いたのでまだメーカー単位の売上だと有力だった。ただやはり価格の問題でジリ貧だったのは明らかで、97年にPC98NXという新シリーズを出してPC-98は主力商品としては終了。あと、ゲームのある無しで一喜一憂してたみたいに思うかもしれないけど、実際は割合的には今よりももっとクリエイティブ用途に使われていたよ。ゲームもするけど、ゲーム作ったり絵を書いたり音楽作ったり。
これは名作。年寄りは当時を思い出してふたたび涙にくれてしまう。Macのまるっこい一体型はなんだっけ?カラフルなヤシ。あの辺までは家電の一つのイメージかな。今は家も職場もノートしか見なくなりましたね。
ノートも一応一体型なのでまるっこいやつの末裔なんでしょか・・・
iMac, Macintoshのいずれでしょうかねぇ😀・・
びゅう太 が 16ビットコンピュータって・・・
PC-8001→FM-7→PC-286→X68000と、奇跡のように悲しみに沈むことはなかったけど、PC-8801mk2SRが出た時には、選択誤ったかなって思った。FM-7は、キーボードを押したタイミングはわかるけど、離したタイミングはわからないという、ゲーム用途としては、致命的な弱点を抱えていたので。でも、今となっては6809のアセンブラを知ることができたのは大きな収穫だったと思っています。
ナント、パソコン経験がすごいですね・・・
FM-7専用ジョイスティックはキーボードとマザーの間に挟む形式の設置で、ニュートラル位置では常に5を押している状態になる設計でした。なのでそのジョイスティックを使えば・・・少しはマシだったような、違う様な。
嗚呼、懐かしきYAMAUCHIコマンド。
めっちゃ勉強になります! ありがとうございます!
コチラコソ!(・Θ・)ゝ”
初期のパソコンは、高解像度グラフィックやカラーの強化を売りにしていたが、当時のCPUにはグラフィックの扱いは荷が重く高速なゲームを作るのは難しかった。おそらくビジネス向けを考えた設計だろう。一方、ファミコンは解像度は控え目だが、スプライト機能があってキャラを高速に動かせるし、背景をスクロールできたりと、明らかにゲーム向けの設計だった。MSXはスプライトこそあったが、既に存在していた汎用LSIを使ったため性能が低く、パソコンとしては安価でも、更に安価なファミコンに性能面でかなわなかった。
TK-80をディスプレイに繋いでインベーダーやってましたね。マシン語のソース雑誌に載ってました。
よくまとめているけど当時を知らない人は間違った情報を堂々と流してしまうな…
MSXに関してはターボRを最後のシリーズとしてないから高評価!MSXシリーズはまだ終わっていないので西和彦さんがMSX3のテスト機開発に関わってるツイートしてるし
なんと、まだ開発を!
私が幼稚園か小学校低学年の頃、電気部品を設計製作する会社に勤めていた父親が買って来たパソコンが有りました。大きなフロッピーディスクを二枚使って動かす物で簡単な横スクロールのゲームをさせて貰ってました。そのパソコンが来てから少しして、これでデータを記録するらしいと父親がテープレコーダー買って来ましたが使い方がわからないと本来の使い方はされず父親自作トランジスターオーディオでカセットプレイヤーに転用されました。普通にカセットテープ聴けました。後に聞いた機種名は88なので、PC8800の系統かもしれませんね。
よくまとまってますね。素晴らしい。
8インチのフロッピーディスクをよく使ってたのですけど、この動画では紹介されませんでしたね。
動くかどうか判らないけど、PC8801mk-IIMRは一式、倉庫に仕舞ってあるなぁ〜MZ80は、ほぼ新品を頂いてこちらは大切に保管してます。PC9801は、改造に改造を重ねた残骸が残ってたり。98noteは、たま〜に動かすと遅くて面白いぞ。
ダイアルアップ接続の音思い出してしまった
通話料がどんどんかさんでいく恐怖の(( ;゚Д゚))))
PC9801RX21は、今も大事に持ってます。親に泣きついて買ってもらった大事な一台。電源入れてませんけど。PCも当時のディスプレイも捨てられないなー^^;
多少補足するなら8801はまだ全然カセットがメインでしたね。8801mk2SRやX1Turboでやっと5.25インチFDDが標準になった感じかな。しかし8801と8801mk2と8801mk2SRは名前は似てるけど基本的には別物PCと思ったほうがいいですね。8801mk2まではビジネス想定の前提。8801mk2SRからはホビー向け(ゲームメイン的なユーザー)って感じのターゲットを想定してたと思います。私を含め、周りにFM**ユーザーがほぼいなかったので富士通は全く詳しくないですが・・・
PC88のMRでしたね。兄貴と一緒にお年玉を合わせても買えなかった。足りない分は親に払ってもらった。FDDは何年も持たなかった。ディスクにカビが出てきて、それを読み込んだりしてるとFDDが壊れていく。あんな、モニターも合わせて30万もするものが何年も持たないんだもの。って当時は思いました。その後、会社に就職して、PC98を自作部品を秋葉で探して作れるという話を先輩から聞いた。その時には驚きでした。今の自作PCに繋がっていったんですよね。
ハードの変遷はよくわかりました。ソフトの変遷視点も面白いと思います。CP/M80, OS-9などと、そのOSのもとで走る言語、UCSD Pascal, Turbo Pascal, C言語, Lisp, Prolog, BASIC09など。特に、あの頃は16bitマイコンの登場が劇的で、NECの9800シリーズなんかよりも、8086 vs 68000 ハンドヘルドは、ハード・ソフト共に面白かった。Hewlett-Packardの9807A, 東芝のT3100。
SHARPのMZシリーズはPC事業部が開発していて、XシリーズはTV事業部が開発していたんですよね。8bit機で主流だったCPUのZ80はアドレスが16bitしかなく、最大メモリは64KBしか持てない。この動画で紹介されているそれ以上のアドレスを積めるタイプのPCはバンク切り替え方式でメモリを使用していた。
今は8ギガでも不足しそうなのに・・・ずいぶん変わりましたね
@@gamelite9988 今はプログラムの効率化をしなくてもそれなりに動くから肥大化してるのもあるのでしょうね。
MZ-80、懐かしいな。多変量解析するのにメモリ不足で、中間結果をテープに書き出し、読み戻しては計算進めてたっけな。PC-9821Xaを買った時、あの頃、これがあったらなぁと何度思ったか。
今はハードディスクですらもっさり感じてしまうのに、テープに書き出し読み戻しては・・・っていうのがすごいですね・・・
Apple IIが出る前の大ヒットのPETが抜けているね。一体型の先駆者でした。
MZ-80K使ってた。データレコーダー専用のテープ(10分くらい)のも売ってたけど普通のカセットテープも使えた。まず付属のOSが入ったテープを読み込んでから、BASICでプログラムして使ってた。MSXも使ってた。256色でMIDI音源使えたから、いとこの子守り用にアンパソマンのグラフィック作ってMIDI音源でアンパソマンマーチ流してたなぁ。あの頃はBASICプログラムを掲載した雑誌をよく買ってポチポチ打ち込んでました。
すごい、パソコンの歴史を全部経験してるんですね。シャープさんはクリーンコンピューターとか言ってたそうですが、メリットは・・・・
@@gamelite9988 PC-88シリーズは結局全く触らなかったし、Macも触ったことがない。 MZ-80K2E → MSX →windows3.1(会社)→Windows95→98→Me→2000→XP→7→8.1→10←イマココって感じです。
カセットテープは60って書いてあるのは60分だけど片面30分、裏に返して30分の合計60分なのであしからず
興味深いパソコンの発達史動画を有難う御座います。動画中でフロッピーは磁気に弱いと説明が有りましたがDEC社の12インチメディア(ゴミバケツの蓋にLPを付ける感じでドライブに装着。真空ポンプ排気後にマウントする。)は確かに弱かったですが、ジャケットがついたIBM製8インチ1Sメディア以降のジャケット入り製品はマグネチックスターラーに載せてもデータは無事な位に磁石に強かったです。
そうなんですね・・・フーム
MZ-80K懐かしい。ベーシックでプログラムを作って、カセットテープにセーブしてロードして、、、
DOS/V が出た時に、DECのデスクトップPCを買ったようなかすかな記憶が・・。これ見て古いPCバーツとか放り込んでいる棚見たら、3.5インチフロッピーのMD-DOSのディスクが出てきた。懐かしい。
い、いまのパソコンでも使えたりして・・・(( ;゚Д゚)))
最初のPCは、PC-8001だったなぁ。あれ、シールドがダメダメでスイッチを入れるとテレビにノイズが入ったので、遊んでいることがすぐにバレて参った(苦笑)。ベーシックマスターレベル3でマシン語でゲームプログラムを書いたけど、アセンブラを読み込むのに30分、ソースコードを読み込むのに40分。バグって暴走するたびに・・・。それが完成して、もうやめてしまったが、当時フロッピーディスクがあったら、こっちの道に進んでいたかも。
30分+40分・・・ひぃ・・・
@@gamelite9988 そうそう。データレコーダーでソースコードを読み込ませるのが結構時間がかかった。MSXはソースコードが搭載されていたので電源入れたらそのまま使えるのが新鮮だった。ただプログラムはデータレコーダーでテープに書き込みで保存して読み込ませなければダメなのは変わらなかった。後で3.5インチフロッピーが使える機種が出たけど。
@@pakpaan さんMSXはソースコードが搭載されていた、というのはちょっとわかりません。だって、ソースコードは、ユーザーが作るものだから。PC-8001とベーシックマスターのBASICを逆アセンブルしてみましたが、ベーシックマスターのBASICは酷かった。あれは、マイクロソフトがNECを優遇したのでしょうね。
なんていうボードか忘れましたが、PC-8001の読み書きボーレートを600から4800まで上げたんでまぁまぁの速度で読み書きは出来ましたね。データレコーダじゃなくて普通のステレオデッキ使っていたんでその代償でボリューム調整が非常にセンシティブで。安モンのカセットテープじゃダメだったし。その後片面単密のフロッピードライブを手に入れたけど、読み込みが”ブーーーカンカンカン”で終った!爆速!というのどかな時代でした。
@@kendo3916 さんもし、当時フロッピーデスクが普及していたらそっちのみちにはいったかも。アセンブラでプログラムを書いて、I/Oの別冊に載せて貰ったのは、今となってはとてもよい思い出だけど、そっちの道に進まなくて良かった。つくづくそう思います。
DOS/Vが出る前にEPSONが9801の互換機を売り出してて、そちらに移ってたな。それからDOS/Vにってな感じだった
FMはミニコンの機能を割いだものZ8○は電卓由来。この辺の由来はネットに落ちてるので探してみて
高校、大学の頃にバイトしてた工務店の社長がPC98使ってて「これからはパソコンの時代や」て言って使わなくなっていたPC88をくれたのが初のパソコンでした。それから間もなく大学の図書室に Macが導入されて自分も含めて皆Macを買い始めたなあ…自分はClassicから始まったけど、せっせと実験数値入れてはグラフ書いてた。Windows95が出るのはそのあとのことで、その頃にはPower Macをなんやかんや改造して遊んでた…その皺寄せが今来ててWindowsパソコンは筐体開けるのも怖いw
なんて太っ腹な社長さん・・・
懐かしくて涙が…最初に買ったのが、X1Fで次にX!TurboZ。そして、X68K XVI。周りは8801や9801が圧倒的に多く、『なんで、88にせんかっん?』『なんで、98にせんかったん?』といつも言われてました。金額とコスパとニーズを比較して選んだ機種でしたが😅今は『なんでi◯honeにせんかったん?』と…今でも、毎回機種変更する時は必ずコスパを比較してますが◯ndroid1択。
小学校高学年の時、叔父の社宅にMZ-80Kがありました。箱にクリーンコンピューターって書いてあって、汚い(クリーンじゃない)コンピュータもあるのかって思いました。その後、自分もMZ-1200、X1turboを手に入れ、SHARP沼にはまりました…。
TK-80,L-kit16 懐かしいな。Apple II は使っていました。友達はその互換版【一応違法もの】を使ってたな。
せっかくPC-6601の話題が出たんだから音声合成に触れてほしかったなぁ
初めて買ったパソコンはPC-8801mkII 超絶コスパ(悪いほうw)友達がみんなファミコン買ってもらうのにうちの親は絶対ファミコン買ってくれなかった確かにアーケードゲームが家でできたよ ただし雑誌に載ってるプログラムを打ち込みまくればの話キーボードでやってもあんまりおもしろくないけどうちのはロードランナーとドアドアとディグダグ専用機だったな電話機のコードみたいなビヨンビヨン伸びるコードだったのを覚えてるていうかあんなオタク製造機はねえぞ いまだにうちの弟はPC-8801mkIIにトラウマがあるんでキーボードでやるゲームを嫌う
そ、そんな高級機にトラウマだなんて・・・
絶対に私と同年代
私の初代機はゲームを多数保有してたのでPC-8001mk2だったのですが来てから後悔した思い出があります。
T-K80当時のマイコン通信教育の教材でこれが使われてたな
PC--88シリーズといえば、数多くの名作ゲームソフトが発売され、コンシューマゲーム機のファミコンなどにもたくさんのソフトが移植された、名機中の名機。そのシリーズの機種は数多くあるが、一番悲しんだのは、2代目の「PC-8801mk2」を購入した方だろうね…「mk2」は、「初号機」PC-8801に比べ、少しばかり性能が上がり、デザインも、初号機より洗練された感じになった。FDDが別売り・外付けだった初号機とは違い、5インチFDD内蔵モデル(model 20=1台、model 30=2台)も発売され、いよいよFDDがPCの記憶媒体として一般に普及し始めたわけだ。そして、この機種までは、どちらかというと、まだビジネス向けのPCとして売られていた。しかし…その後、グラフィックやサウンドの性能が強化され、ビジネス向けからホビー(主にゲーム)向けに舵を切った「PC-8801mk2 SR」が発売され、大ヒット。それ以降は、発売されるゲームソフトのほとんどが「SR以降」対応として発売されたのだからね…。mk2にオプションボードを装着するなどでSR仕様にグレードアップすることもできなかったため、ゲームを主目的としてmk2を購入した方は、本当に悲しかったに違いない。ファミコンなどコンシューマゲーム機とは違い、最低限のセットとなる、本体+専用ディスプレイで、20万円以上はしたんだからね…
SRがつくだけで、ずいぶん変わったみたいですね~
mk2買いましたよ~モデル10だったのであとからお年玉でFDD1機追加しました
おお、TKは大学のゼミ室ににころがっていた。個人的な最初のマシンは日立のベーシックマスターでカセットテープにデータ保存してましたな。当時のアップルマシンは大型のタイプライターみないたんだった。その後はPC-9801 で初めてフロッピーディスクを使いました。1980年前後のお話ですが・・。
現実に全部見てらっしゃるとは(`・ω・´)
おそらくけっこういるとおもいますよ。たしかに10MBのHDは10万くらい、プリンタは感熱史紙で数万。インクドットプリンタは確か20万くらいはしてましたね。9801の時代に電話回線での通信はじめて、最初はモザイク、その後にネットスケープナビゲーターという単体のブラウザを使っていました。当時からチャットはリアルタイムで出来ていてメンバーはけっこういましたからね。(NTTさんの隠語としてひらがなでみかかと打って誹謗してた笑)ちなみに当時からカウンター付のホームページを、HTMLという言語で作成していました。ただ電話回線の通信速度が遅くて、一枚の画面(写真など画像)出すのに数分かかかっていた時代です。ベーシック言語は大学で覚えました。その後C言語に移行したと記憶しています。計測データの分析プログラムを自前でつくってましたね。
@@mrmjo99 私テレホタイムにネスケで裏本をフロッピー(全部死語w)に書き込む作業のためにWin95機を買いました今となってはドライブがないのでディスクは読みようがないですけどね(ゴミともいう)IEやEdgeのようなマイクロソフト製ブラウザではなくFirefoxを使う理由がネスケを使い続けた結果でしょうね
買うと高いから、同じ機能を持つマイコンを自作するのが普通でしたね。パーツはお店で売ってるから、ハンダ付して取り付ければ動きます。ただし初期のマイコンは、自作が前提(パーツのみのセット販売)だったようなので、僕らが自作した頃はもう枯れた技術だったのだと思います。街中のジャンク屋さん(地方都市にもかつてはありました)でパーツをかき集めた良い思い出があります。プログラムは16進数なので、見た目より処理速度は悪くなかったかと。一応外部出力して、電光掲示板くらいは制御できてました。
悲しみに沈んじゃった…か。今や国内外の企業や店舗とその広告が彩り、監視所や派出所や遊泳区域を示すブイなどが整備される中、多くの若い男女や家族連れが賑わい隆盛する浜辺で…かつては大衆の耳目に触れず世間の話題に上がる事も無かった、俺達だけの小さくも熱い静かな喧騒が渦巻いていた時代を、僅かに湿った目蓋越しに見る水平線へ郷愁に似た想いで幻夢する──あの幼かった、幼過ぎた少年は、自身が昔を知り今を楽しむ、こそばゆさと、取り戻せない黄金の宝物を惜しむ歯痒さを、スマホで本動画を視聴し感じました。波に乗る事すら出来ず傍らで、こじんまりと遊んでいた子供でしたが、近くを行き交う大人達の表情とその会話が、真夏の蒼天のように眩しく爽やかで。悲しみに沈んでも、沈んだままでいる暇もないもの、泡の波に押し上げられ戻るもの、懲りて立ち去るもの、そして沈んで消えていったもの…その全ての欠片が石英の粒となり、今日ゲーム及びネット環境という巨大リゾートビーチの砂浜を歩くと、キュッキュと微かに鳴いている気がします。
まあでもパソコン黎明期はまだ右肩上がりの明るい時代だったっぽいですね
昔、いまだににわかに信じがたい話を聞きましたが、カセットテープのデータをフロッピーに「ダビング」したという話を聞いたことあるのですが、実際されたことある方いますか?
FDD搭載のMSXだったら普通にできてましたよ。
ピ-ガガガガガ、 カセットテープにデータを記録。
日本の最初のパソコンHitachi BASIC MASTERが抜けてた。FM7はクロックが倍なのはCPUが分周する仕様だからにすぎないから同じ速度ですよ。特徴としてはCPUが二個入っている。でもこの手の動画で知ったかぶりをしない良い纏めだと思いました。
日立さんが画期だったんですねフムフムφ(・ω・。)
ベーシックマスターシリーズに言及している人が2人もいるのは感激もの。
9:55え?FM7って2MHzじゃなかった?
当時NECはソフト会社と独占契約結んでて、他社のソフトを作ると干されるって話が有った。他社がマルチカラーに対応しているのにNECは16〜256色で十分て対応だった。PC98シリーズにこだわり過ぎてWindowsに対応するのが遅れて、日本初のDOS/V機は富士通じゃ無かったかな?NECは独自性が強くてWindowsになっても対応ハードや対応ソフトじゃないと動作保証が無かった気がする。PC98は続けると言いながら数年後にはあっさりNEC風味のDOS/V機に路線変更したし、そのNEC風味のDOS/V機も当時はNECが新規格のDOS/V機を発売したと勘違いした人も多かった。PC98にこだわり過ぎてNEC風味のDOS/V機にもPC98の名を付けたのが仇になった。
NECさん、それだけの自負があったんですね
FC98シリーズが未だに現役で稼働してる個体があるのを考えるとそうそうやめることはできなかったんだろう
こうしてみると技術の進化の速度が早すぎる
メモリとか笑っちゃうくらい違いますね
TK−80と言えば秋葉原の旧ラジオ会館にパソコン発祥の地としてプレートがあったが今はどうなっているんだろう?後欲を言えばVIC−1001とかマックスマシーンとかも紹介して欲しかった
・昔のゲームの読み込みは等倍なのでオープニングと同じ時間待たないとオープニングを見れなかったとかなんとか。待つのは紳士の嗜み。・昔のゲーム開発では書き込みも等倍なので、ちょっと作って等倍で書き込んで、出来たのにミスが見つかったらまた等倍で書き込んで。書き込む機械に「さあお前ら頑張れよ」って声かけたり。・外国にソフトを売り込みに行く時はソフト実物を持って行くし、直後にミスが見つかったらネットでアップデートなんかできないので「今飛行機に乗ってるアイツは全くの無駄足なんだ」とか言われたり、別の人が改訂版を持って飛行機に乗って追いかけたり、とんぼ返りしたり。
紳士の余裕・・・
FM--7の動作クロックは2Mhzです。クロック当たりの効率でZ-80より高い性能を出す6809ですので、クロックでの比較は意味が無いです。
FM7は8MHzだったっけ?! モトローラの6809だったか4MHzを2個搭載していたと記憶してます。ゲームプログラミングしずらい機種でテキスト画面とグラフィック画面を重ねて表示じができなくて、グラフィックをDELキーで消せて、何だこれって思ったことあります。
順番が微妙に違うくない?DOS/V機は安くても、当初はゲームソフトがPC98仕様中心でしばらく国内ではNECに敵わなかった。Win3.1の頃はまだNECが圧倒してて、Win95登場してようやくNECのシェアがくずれ始めて、Win98発売で本格的にDOS/Vシェアが伸びた。それでもNECシェアがしばらくは国内トップだったけど、シェア5割を切るようになるとNECは独自規格から汎用規格に変わりDOS/V化、ゲームソフト等もNEC向け仕様からWindows向け仕様へシフトして行き、PCブランドの差異がなくなってNECの時代が終わった。という感じでは?
なるほどそんな感じでしたかフムフムφ(・ω・。)
WindowsはDOS上で動かすって形だったので3.1辺りはNEC専用のWindows3.1って形だった気がする。Win95もNEC専用版が有ったのかな?その辺は記憶に無いです。
Windows98まではPC 9821用としてNEC専用品がありましたね。Windows2000はどうだったかな?1998年前後を境に、もの凄いスピードでハードが進化していきました。新しいハード規格がバンバン出る状況に9821は全く付いていけなくなってしまい、ソフト面とハード面両方で詰みの状態になりAT互換機に完全移行したって感じだったような。
うん?Windowsベースで動くゲームがあったので機種には依存してないはず
NECはコプロに独自仕様使ってなかった?
若いうp主が一生懸命に勉強して作りましたという感じ。リアルタイムで過ごしたので。お金いくら使ったことか。
TK-80が出た時にボイジャー1&2号が宇宙に飛び立った。当時のショボィコンピューターで宇宙の神秘を解明している。
私はお饅頭族のファンです応援してます
アリガトゴザイマス!(・Θ・)ゝ”
8080よりもℤ80が使い易かったですね。その後MS,DOSが出てからパソコンかなり使い易くなりました。
パソコン史ほぼぜんぶ実体験してらっしゃるんですねスゴイ・・・
テープレコーダー有った。アップルだった。キーボード・モニター・テープレコーダーの3つセットのパソコンだった。パソコンのモニターとレコーダーが同じ端子だったのも謎だった。しかも8ビットモニター今ではヤマハなどの電子キーボードについてるオーディオインターフェースが、同じ端子だね。
東芝のパソピアに引っ掛かかった友人もいた😂
TK80--BSとMZ80-k2 で遊ばせてもらいましたわ。ちなMZ-80k2はI/OとFDD付きで現存します。
ラジオ会館でMZ80Kを買ったな。 未成年だったからお店が親父に電話したな。ケース、モニター、基板などが分かれたセミキットだから自分で組み立てたな。帰省の時は MZ80Kをばらして でっかいボストンバッグに詰め込んで持って帰ったな。 ケースは鉄製だったから重かったぞ ^^;
後輩がMZ−80Bを持っていて自作のゲームも作ってたりもしていて…結構遊ばせてもらいましたな。後にナムコに入社し、ガンバレットや鉄拳を手掛けたとは思いもよらなかった…(^^;
秋葉のガード下のシスペックって店でだまされて日立level3mk5買わされたの思い出す
9801が出たときには128KBもの大容量メモリが搭載されていて、8ビット機の64KBより破格の大容量でした。こんなにあったって使い切れねえ、という話をよく聞きました。そりゃ、雑誌に載っているダンプリストを128KB打ち込むのはきついよね。
8801でFDDが使うようになったのは8801Mk2からで、無印8801はやはりテープ
別売りフロッピードライブつけれたよ
OSって規格が無かったから同じベーシックで書いても違うパソコンで入力すると別のパソコンでは読み取りもして呉れなかったんだよ。パソコンって名前だけは同じだけど全部違う機械だったんだろうね。チョッと前までマック専用ソフトとかウィンドウズ専用ソフトに別れてた様に機械が全然違ったんだろうね。後、ゲームする人は少なかったと思うよ、プログラムを覚えて緑色の画面にバイクで走るコースを入力しても元の地図が無いから線がニョロニョロと出て来るだけでプログラムした本人以外は何処を走ってるのかも分からなかった。でも紙の地図を持って来て地図と見比べると距離の数字だけは表示されてるので此処から此処までは何キロなんだなって事だけは分かった。60万円以上のパソコンを買ってもそんな感じだったね。グーグルマップで1発検索なんて考えられなかった。GPSがそもそも無かったからね。
マイコンでウィザードリィやってたなぁリセマラの元祖でマーフィーズゴーストとグレーターデーモンでの経験値周回は元祖でしょ?
で、伝説のゲームの体験者なんですね
windows98まではMSDOS上で動いていたのではないでしょうかそれとDOS/VのVはMSDOS5.0の意味だったような
元々はPC-DOSのVGAモード対応って意味ですね‥それまではCGA/EGAモード中心だったので‥ ただすぐに拡張されてXGAなどにも対応したのでVariableになったらしいですが‥元々漢字表示をしたいが為に日本で開発が進んで、本家に取り込まれた流れです
MS-DOS上で動いていたのは、Windows3.1ではないかと思います。
80年代当時にいたら多分MSX買っていたんだろうなと思う。
共通規格は強そうですよね
全く売れなかった愚作です😂
嘘か本当か知らんが、MSXはファミコンを遊び道具だから買ってもらえない子がプログラムの勉強するからと買ってもらったとかなんとか
未だにPCと言えばNECなイメージがありますよね。
今はラヴィが有名みたいですね
🖥は人類の最高の叡智✨✨ ま、スペースシャトル程ではないにしろ…無くてはならない存在🖥
スペースシャトルは常用しませんもんね
大型[汎用]計算機をIBM/Fujitsuとか構造計算で使ってなので、キャラクターABCを8行8列使って文字作ってるのがジョブ名や完了状況などと一緒に表示された。デカかったPC-8000辺りから流行っていた気がします。でも、就職するのは勧めないよ。ブラック企業がすごく多いのでね。1人称で仕事が出来るヒットマンみたいにならないと、まともに営業・人事は取ってくれません。「さて、君は何が出来るのかね・・」良く訊かれるが、もう~引退だな。PC-8801は1万中古で買って、FDDも4万中古で買った。なんで本体より高い?BASICとかバイナリ組んで、OS作ったよ。FDDを管理するシステムを独自に作って、1:> START ”~プログラム”ってやるとアプリやNECのFDD初期化・コピーのユーティリティーもマージし動くようにしたっけ。コーヒー80杯飲んで作ったわ~学生時代に・・もう、年寄りっす・無理っす・でも、良く調べてますね。Wikiで執筆してますので、見てやってください。8801,8001,9800、IBM-PC、FACOM、Soraris,ORACLE,VMWARE,Yatta,WordPressと商売してたんだ。海外、全都道府県を飛び回わされたよ。
PC6001MK Ⅱは、喋ったのよww😂😂😂
カンジ、カンジって武田鉄矢が宣伝してたね
あ、TDKのカセットテープの奥にあるソニーの四角いの、カセットテープじゃなくてエルカセットですね。これはこれで欲しかった。
そんなカセットがフムフムφ(・ω・。)
msx買ったすぐ後にmsx2が出て悲しみに暮れたな。
そ、それは悲しい・・・
PC-8001 の メモリは最大32Kbyteですよ
PC-6001 は16kですよ
まぁ、パソコンって、価格は、現在でも、しかし、性能は段違い。
ガキの頃6001mkIIがあったけど別に悲しみに沈むほどゲームがなかったという印象はないですよ。そら88や98には負けるけど。ハドソンエニックスあたりが主にADVで名ゲーム出してたしACTはロードランナー等の海外ゲーが結構移植されてましたし信長の野望は全機種で初の漢字表記でしたし。あとベーマガを出してた電波新聞社がナムコタイトルのPC移植と販売を積極的にやってたので発売時期のずれはあれど御三家+いくつかの機種ならメジャー作品はかなりの数が出ましたし権利も問題なかったかと。
そうなんですね。なんか楽しそう・・・
当時は、ZX81が最強だったなぁ〜🤭
そんなパソコンがフムフムφ(・ω・。)
GameLifeさんなら判ってくれるであろう。98パソコンとはWindows98がインストールされたパソコン、以外の何物も思いつかなかった十数年前の若者の存在を。。。
Windows以前は、パソコンはマニアな人が買うイメージが・・・
@@gamelite9988 私は小学生だったので知らないんですが、確かTK-80とかは最初無線専門店で売りだしたと思います。好事家が集まるんで。
TK-80が出た頃、小学生でしたが、これを初めて見た時の衝撃というのは今の若い人にはなかなか理解してもらえないと思います。それまでコンピュータといえば大企業の電算室とか研究所にしかなかった大型機のイメージの時代。それがあんな小さなボードに部品つけただけのものがコンピュータで10万円以下の値段で買えるというのですから。例えて言えば、自衛隊で使ってるF35戦闘機がある日突然家庭用として200万円で発売されたような感じですかね。実際の性能は企業で使ってるIBM製メインフレームの足元にもおよばないものでしたが、それでも個人でコンピュータを持てるというのはすごい時代が来たと思いました。
当時『ラジオの制作』の折り込み特別付録が「TK−80の実物大写真(というカラーペジ)」でした。私は未だ16進法すら知らない中学生でしたが、その付録が擦り切れる程、16進キーを押しまくっていた記憶があります。それほど魅力的でした。
庶民は部品買ってきて自作するのが普通?だった。
懐かしいですね 当時のカセットテープ 300,600,1200,2400bps 程度の速度だから 今聞くと 携帯の通信速度よりはるかに遅いですね
HDDで容量 40MB 見た時には なんに使うんだ? 一生かかっても使いきれない と言っていたことを思い出します
沢山のパソコンマニアの悲しみの上に今が成り立っているんですね。
ご、ご先祖様に感謝・・・・・・・・・っていうほど昔でもないですね・・・
@@gamelite9988 さん
そこまで言われるとオイラ達が「年取ったなぁ」と新たな悲しみに浸ってしまう。
まぁ還暦近いから、そういうことなんですけどね。
それなりに楽しんださ フッ(遠い目)
@@北島正隆-d5x 私は還暦過ぎてますW
PC-8001の時代には更に貧民の救済機としてポケコンがあった事にも触れてほしかった
未互換の専用BASICだったけど基本的には同じような物だったんでBASICの勉強には大変役立った
ポケコンは電卓の機能もついていました。
@@masamifukushima7065
プログラマブル電卓も有りました。
今でも有るけど。
小学生の時、カシオのプログラマブル関数電卓fx-602pを買ってゲームしてました。見た目は今で言う普通の関数電卓だけど、512ステップの長さのメモリ(?)があった。当時定価3万円のものを、お年玉握りしめて2万弱で買った記憶がある。
@@masamifukushima7065 さん:当時のポケコンは汎用品のミニコンよりもコスパが目茶苦茶良かったです。
ただ扱いが、(関数)電卓だったんですよね~
PC-8001の右側に在る大きい箱は8インチフロッピードライブですね。
FM-8、ベーシックマスター(L3)、そして初めてCDを搭載したFM-TOWNS…ガン無視されてる(泣)
7:41 PC8801は夏のボーナスでパソコン本体とカラーディスプレイ(シャープ)を購入した。
買って使うと電磁波障害(以下EMI)が酷くてラジオやテレビにパソコンのノイズか乗る酷い機種でした。
✳︎当時はEMIなどは無策状態ですが、会社での仕事(電子機器設計)ではEMI対策は死活問題でした。
結果的にはパソコン本体とディスプレイケーブルにEMI対策を施して無害なパソコンに改造しました。
MSXは驚くことに1994年まで製造されていた。
他の8ビット機がすでに撤退している中で、パナソニック一社になってしまったとはいえ、プレステが発売した年まで製造してたとはよく頑張ったと思う。
なんと、プレステが出るまでねばったんですね。
@@gamelite9988 1990年に16ビット化したのですが、それから3年超ほどパナソニック一社だけで2機種出して粘ってたんですよね。
翌年にWindows95が出る時代にもかかわらずよく生き延びたと思います。
@@caither2413 ほえ〜
8ビットwwwすげえ
@@gamelite9988
MSXの最終型MSXturboRは16ビットCPUに進化しましたが、パナソニックからFS-A1STの一機種しか発売されませんでした。
PC-88, PC-98などは日本だけの独自の流行だから難しいね。
MZ-80と言えば、絵文字の元祖ですね。昔の機械はグラフィックできないのでキャラクターを組み合わせてゲームのキャラ作っていたので、2chなどで絵文字が流行ってるの見た時「懐かしいなぁ」と思った。
な、なるほど、絵文字の起源がそんなところに・・・
私もそれ思いました。
あれっ?って。
PC-8001・PC-8801には文字フォントをオリジナルのキャラクターに書き換えてゲームキャラを表示させる、プログラマブル・キャラクタ・ジェネレーター(PCG)という増設キッドがHAL研から発売されました。
それは80K/C/K2/K2Eの話で、80Bにはグラフィックあったよ。
ほんの一例として、MZ80K、700、1500で遊べる「ゼプリス」というゲームの動画を見てみてください。※ゼプリス mz で検索すると出てきます。
ちなみに、工場設備などの制御に使われてるコンピュータをPLCといいますが、
70年代80年代の考え方というか、感覚が色濃く残っています。
凄いのがこの動画公開時点だと、金属加工などの設備向けに、紙テープ装置がまだ売られていました。
ちなみにPLCはガラケー状態で、他の国ではIPC(産業用コンピュータ)が一般的になっています。
8801-FM8
6601-FM7
という認識でした。
性能ではなく値段でのかんじかな。
懐かしい話をありがとうございます。
当時FM7でハイドライドやゼルダの伝説などを楽しんでたことを思い出します。
windowsは3.1からPCAT互換機を作って遊んでた思い出があります。当時の秋葉原はCPU売り場も華やかでした。
もし動画の続編があるならZ80からAMD、サイリックス、ネクスジェンの登場。そして互換CPU淘汰の時代の話をお願いします。
FM7って人気があったみたいですね。楽しそう・・・
まだ戦後30年そこそこで、テレビはやっと白黒からカラーに移行したぐらい、音楽はレコード、ビデオテープさえ普及してないアナログな時代に
個人向けにコンピューターが売っており、それをとりあえずは操作していた人がいたってよく考えるとすごいよね
自動車がほとんど普及してないのにその発展型の戦車だけがどんどん進歩していった戦前みたいだ
TK-80登場以降、全部知ってる世代です。
MZ-80K2に倍速ボードつけようとして、ぶっ壊したのも、今となってはいい思い出です。
懐かしいなあ私は高校でX1を買ってもらったのが初PCでそれまではいわゆるナイコン族、近所の電気屋に入り浸ってました。ベーシックマガジンを毎月買って持ち込んで、ひたすら打ち込んで、本当になつかしいW。
昭和51年小学校5年生の時にTK-80を購入しました
私のPCの歴史、PC-9801U2 → PC-9801UV11 → PC-9801BX2 → 自作へと進み現在に至る
王道なのでは!
@@gamelite9988 もう一昔前の思春期は、PC-6001 と言う機種から始まったモノです。すぐに飽きたけど。
MZ-80のころ 沖電気 から出ていた コンピュータが16色使えてたと思う、本当にビジネス向けだったはず、雑誌「ラジオの製作」に広告が載っていた覚えがある、雑誌の付録に「マイコンBASIC]の小冊子がついていた
結果的にIBMの戦略ミスでパソコンの規格はおおよそ統一出来た、このミスがなければ今でも各社の独自規格で戦国時代を繰り広げているに違いない
それも面白いな。
どの機種が主流となるか、顧客次第になったろう。
PC-8801持っていましたが、ある時期以降のゲームソフトに書かれているのは、「PC-8801mkⅡSR以降推奨」で、それ以前の無印とmkⅡでは動かず悔しい思いをしました。
よく言われますね。友達にもそんな方がおりました。
SRのモデル30は、258,000円しましたが、初号機は本体+外付けFDDのPC-80S31が168,000円でこれだけで396,000円で、FM音源とかも付きませんでしたし、これにカラーディスプレイ買ったら50万円越え、ここまで揃えて、数少ない初号機対応ゲーム、マイクロキャビン四日市の「ミステリーハウス」という今でいう脱出型ゲームをやったんですが、1画面描画(線引いて色塗り)に5分前後(描画時間はばらつきあり)かかり、描画のあまりの遅さに、隠された鍵を描いているところがハッキリと見えるお粗末さで、SRで動いているイース見た時は、泣いて心を折られましたわ。😅
現在のスマホなんかは次機種が発売されても変わりばえせずつまらないなんて言われてるけど、当時のパソコンみたいに購入日如何で地獄に突き落とされ悲嘆にくれる事が無くなったのはある意味幸せなのかもしれないね
88SRの登場はWin95の登場と似てる所がある。それは登場後爆発的にゲームが充実したこと
PC-98がDOS/V勢に逆転されたのは96年辺りかな。それまではPC-98でもWindows95が動いたのでまだメーカー単位の売上だと有力だった。ただやはり価格の問題でジリ貧だったのは明らかで、97年にPC98NXという新シリーズを出してPC-98は主力商品としては終了。
あと、ゲームのある無しで一喜一憂してたみたいに思うかもしれないけど、実際は割合的には今よりももっとクリエイティブ用途に使われていたよ。
ゲームもするけど、ゲーム作ったり絵を書いたり音楽作ったり。
これは名作。年寄りは当時を思い出して
ふたたび涙にくれてしまう。Macのまるっこい一体型はなんだっけ?カラフルなヤシ。あの辺までは家電の一つのイメージかな。今は家も職場もノートしか見なくなりましたね。
ノートも一応一体型なのでまるっこいやつの末裔なんでしょか・・・
iMac, Macintoshのいずれでしょうかねぇ😀・・
びゅう太 が 16ビットコンピュータって・・・
PC-8001→FM-7→PC-286→X68000と、奇跡のように悲しみに沈むことはなかったけど、PC-8801mk2SRが出た時には、選択誤ったかなって思った。FM-7は、キーボードを押したタイミングはわかるけど、離したタイミングはわからないという、ゲーム用途としては、致命的な弱点を抱えていたので。でも、今となっては6809のアセンブラを知ることができたのは大きな収穫だったと思っています。
ナント、パソコン経験がすごいですね・・・
FM-7専用ジョイスティックはキーボードとマザーの間に挟む形式の設置で、
ニュートラル位置では常に5を押している状態になる設計でした。
なのでそのジョイスティックを使えば・・・少しはマシだったような、違う様な。
嗚呼、懐かしきYAMAUCHIコマンド。
めっちゃ勉強になります! ありがとうございます!
コチラコソ!(・Θ・)ゝ”
初期のパソコンは、高解像度グラフィックやカラーの強化を売りにしていたが、当時のCPUにはグラフィックの扱いは荷が重く高速なゲームを作るのは難しかった。おそらくビジネス向けを考えた設計だろう。
一方、ファミコンは解像度は控え目だが、スプライト機能があってキャラを高速に動かせるし、背景をスクロールできたりと、明らかにゲーム向けの設計だった。
MSXはスプライトこそあったが、既に存在していた汎用LSIを使ったため性能が低く、パソコンとしては安価でも、更に安価なファミコンに性能面でかなわなかった。
TK-80をディスプレイに繋いでインベーダーやってましたね。マシン語のソース雑誌に載ってました。
よくまとめているけど当時を知らない人は間違った情報を堂々と流してしまうな…
MSXに関してはターボRを最後のシリーズとしてないから高評価!
MSXシリーズはまだ終わっていないので西和彦さんがMSX3のテスト機開発に関わってるツイートしてるし
なんと、まだ開発を!
私が幼稚園か小学校低学年の頃、電気部品を設計製作する会社に勤めていた父親が買って来たパソコンが有りました。
大きなフロッピーディスクを二枚使って動かす物で簡単な横スクロールのゲームをさせて貰ってました。
そのパソコンが来てから少しして、これでデータを記録するらしいと父親がテープレコーダー買って来ましたが使い方がわからないと本来の使い方はされず父親自作トランジスターオーディオでカセットプレイヤーに転用されました。
普通にカセットテープ聴けました。
後に聞いた機種名は88なので、PC8800の系統かもしれませんね。
よくまとまってますね。素晴らしい。
8インチのフロッピーディスクをよく使ってたのですけど、この動画では紹介されませんでしたね。
動くかどうか判らないけど、
PC8801mk-IIMRは一式、倉庫に
仕舞ってあるなぁ〜
MZ80は、ほぼ新品を頂いて
こちらは大切に保管してます。
PC9801は、改造に改造を重ねた
残骸が残ってたり。
98noteは、たま〜に動かすと
遅くて面白いぞ。
ダイアルアップ接続の音思い出してしまった
通話料がどんどんかさんでいく恐怖の(( ;゚Д゚))))
PC9801RX21は、今も大事に持ってます。親に泣きついて買ってもらった大事な一台。電源入れてませんけど。PCも当時のディスプレイも捨てられないなー^^;
多少補足するなら8801はまだ全然カセットがメインでしたね。8801mk2SRやX1Turboでやっと5.25インチFDDが標準になった感じかな。
しかし8801と8801mk2と8801mk2SRは名前は似てるけど基本的には別物PCと思ったほうがいいですね。
8801mk2まではビジネス想定の前提。8801mk2SRからはホビー向け(ゲームメイン的なユーザー)って感じのターゲットを想定してたと思います。
私を含め、周りにFM**ユーザーがほぼいなかったので富士通は全く詳しくないですが・・・
PC88のMRでしたね。兄貴と一緒にお年玉を合わせても買えなかった。足りない分は親に払ってもらった。FDDは何年も持たなかった。ディスクにカビが出てきて、それを読み込んだりしてるとFDDが壊れていく。あんな、モニターも合わせて30万もするものが何年も持たないんだもの。って当時は思いました。その後、会社に就職して、PC98を自作部品を秋葉で探して作れるという話を先輩から聞いた。その時には驚きでした。今の自作PCに繋がっていったんですよね。
ハードの変遷はよくわかりました。ソフトの変遷視点も面白いと思います。
CP/M80, OS-9などと、そのOSのもとで走る言語、UCSD Pascal, Turbo Pascal, C言語, Lisp, Prolog, BASIC09など。
特に、あの頃は16bitマイコンの登場が劇的で、NECの9800シリーズなんかよりも、8086 vs 68000 ハンドヘルドは、ハード・ソフト共に面白かった。Hewlett-Packardの9807A, 東芝のT3100。
SHARPのMZシリーズはPC事業部が開発していて、XシリーズはTV事業部が開発していたんですよね。
8bit機で主流だったCPUのZ80はアドレスが16bitしかなく、最大メモリは64KBしか持てない。
この動画で紹介されているそれ以上のアドレスを積めるタイプのPCはバンク切り替え方式でメモリを使用していた。
今は8ギガでも不足しそうなのに・・・ずいぶん変わりましたね
@@gamelite9988
今はプログラムの効率化をしなくてもそれなりに動くから肥大化してるのもあるのでしょうね。
MZ-80、懐かしいな。多変量解析するのにメモリ不足で、中間結果をテープに書き出し、読み戻しては計算進めてたっけな。
PC-9821Xaを買った時、あの頃、これがあったらなぁと何度思ったか。
今はハードディスクですらもっさり感じてしまうのに、テープに書き出し読み戻しては・・・っていうのがすごいですね・・・
Apple IIが出る前の大ヒットのPETが抜けているね。一体型の先駆者でした。
MZ-80K使ってた。データレコーダー専用のテープ(10分くらい)のも売ってたけど普通のカセットテープも使えた。まず付属のOSが入ったテープを読み込んでから、BASICでプログラムして使ってた。MSXも使ってた。256色でMIDI音源使えたから、いとこの子守り用にアンパソマンのグラフィック作ってMIDI音源でアンパソマンマーチ流してたなぁ。あの頃はBASICプログラムを掲載した雑誌をよく買ってポチポチ打ち込んでました。
すごい、パソコンの歴史を全部経験してるんですね。シャープさんはクリーンコンピューターとか言ってたそうですが、メリットは・・・・
@@gamelite9988 PC-88シリーズは結局全く触らなかったし、Macも触ったことがない。 MZ-80K2E → MSX →windows3.1(会社)→Windows95→98→Me→2000→XP→7→8.1→10←イマココって感じです。
カセットテープは60って書いてあるのは60分だけど片面30分、裏に返して30分の合計60分なのであしからず
興味深いパソコンの発達史動画を有難う御座います。動画中でフロッピーは磁気に弱いと説明が有りましたがDEC社の12インチメディア(ゴミバケツの蓋にLPを付ける感じでドライブに装着。真空ポンプ排気後にマウントする。)は確かに弱かったですが、ジャケットがついたIBM製8インチ1Sメディア以降のジャケット入り製品はマグネチックスターラーに載せてもデータは無事な位に磁石に強かったです。
そうなんですね・・・フーム
MZ-80K懐かしい。
ベーシックでプログラムを作って、カセットテープにセーブしてロードして、、、
DOS/V が出た時に、DECのデスクトップPCを買ったようなかすかな記憶が・・。
これ見て古いPCバーツとか放り込んでいる棚見たら、3.5インチフロッピーのMD-DOSのディスクが出てきた。
懐かしい。
い、いまのパソコンでも使えたりして・・・(( ;゚Д゚)))
最初のPCは、PC-8001だったなぁ。あれ、シールドがダメダメでスイッチを入れるとテレビにノイズが入ったので、遊んでいることがすぐにバレて参った(苦笑)。ベーシックマスターレベル3でマシン語でゲームプログラムを書いたけど、アセンブラを読み込むのに30分、ソースコードを読み込むのに40分。バグって暴走するたびに・・・。それが完成して、もうやめてしまったが、当時フロッピーディスクがあったら、こっちの道に進んでいたかも。
30分+40分・・・ひぃ・・・
@@gamelite9988 そうそう。データレコーダーでソースコードを読み込ませるのが結構時間がかかった。MSXはソースコードが搭載されていたので電源入れたらそのまま使えるのが新鮮だった。ただプログラムはデータレコーダーでテープに書き込みで保存して読み込ませなければダメなのは変わらなかった。後で3.5インチフロッピーが使える機種が出たけど。
@@pakpaan さん
MSXはソースコードが搭載されていた、というのはちょっとわかりません。だって、ソースコードは、ユーザーが作るものだから。
PC-8001とベーシックマスターのBASICを逆アセンブルしてみましたが、ベーシックマスターのBASICは酷かった。あれは、マイクロソフトがNECを優遇したのでしょうね。
なんていうボードか忘れましたが、PC-8001の読み書きボーレートを600から4800まで上げたんでまぁまぁの速度で読み書きは出来ましたね。データレコーダじゃなくて普通のステレオデッキ使っていたんでその代償でボリューム調整が非常にセンシティブで。安モンのカセットテープじゃダメだったし。
その後片面単密のフロッピードライブを手に入れたけど、読み込みが”ブーーーカンカンカン”で終った!爆速!というのどかな時代でした。
@@kendo3916 さん
もし、当時フロッピーデスクが普及していたらそっちのみちにはいったかも。アセンブラでプログラムを書いて、I/Oの別冊に載せて貰ったのは、今となってはとてもよい思い出だけど、そっちの道に進まなくて良かった。つくづくそう思います。
DOS/Vが出る前にEPSONが9801の互換機を売り出してて、そちらに移ってたな。それからDOS/Vにってな感じだった
FMはミニコンの機能を割いだもの
Z8○は電卓由来。この辺の由来はネットに落ちてるので探してみて
高校、大学の頃にバイトしてた工務店の社長がPC98使ってて「これからはパソコンの時代や」て言って使わなくなっていたPC88をくれたのが初のパソコンでした。
それから間もなく大学の図書室に Macが導入されて自分も含めて皆Macを買い始めたなあ…
自分はClassicから始まったけど、せっせと実験数値入れてはグラフ書いてた。
Windows95が出るのはそのあとのことで、その頃にはPower Macをなんやかんや改造して遊んでた…その皺寄せが今来ててWindowsパソコンは筐体開けるのも怖いw
なんて太っ腹な社長さん・・・
懐かしくて涙が…最初に買ったのが、X1Fで次にX!TurboZ。
そして、X68K XVI。周りは8801や9801が圧倒的に多く、『なんで、88にせんかっん?』『なんで、98にせんかったん?』といつも言われてました。
金額とコスパとニーズを比較して選んだ機種でしたが😅
今は『なんでi◯honeにせんかったん?』と…
今でも、毎回機種変更する時は必ずコスパを比較してますが◯ndroid1択。
小学校高学年の時、叔父の社宅にMZ-80Kがありました。箱にクリーンコンピューターって書いてあって、
汚い(クリーンじゃない)コンピュータもあるのかって思いました。
その後、自分もMZ-1200、X1turboを手に入れ、SHARP沼にはまりました…。
TK-80,L-kit16 懐かしいな。Apple II は使っていました。友達はその互換版【一応違法もの】を使ってたな。
せっかくPC-6601の話題が出たんだから音声合成に触れてほしかったなぁ
初めて買ったパソコンはPC-8801mkII 超絶コスパ(悪いほうw)
友達がみんなファミコン買ってもらうのにうちの親は絶対ファミコン買ってくれなかった
確かにアーケードゲームが家でできたよ ただし雑誌に載ってるプログラムを打ち込みまくればの話
キーボードでやってもあんまりおもしろくないけどうちのはロードランナーとドアドアとディグダグ専用機だったな
電話機のコードみたいなビヨンビヨン伸びるコードだったのを覚えてる
ていうかあんなオタク製造機はねえぞ いまだにうちの弟はPC-8801mkIIにトラウマがあるんでキーボードでやるゲームを嫌う
そ、そんな高級機にトラウマだなんて・・・
絶対に私と同年代
私の初代機はゲームを多数保有してたのでPC-8001mk2だったのですが
来てから後悔した思い出があります。
T-K80
当時のマイコン通信教育の教材でこれが使われてたな
PC--88シリーズといえば、数多くの名作ゲームソフトが発売され、コンシューマゲーム機のファミコンなどにもたくさんのソフトが移植された、名機中の名機。
そのシリーズの機種は数多くあるが、一番悲しんだのは、2代目の「PC-8801mk2」を購入した方だろうね…
「mk2」は、「初号機」PC-8801に比べ、少しばかり性能が上がり、デザインも、初号機より洗練された感じになった。
FDDが別売り・外付けだった初号機とは違い、5インチFDD内蔵モデル(model 20=1台、model 30=2台)も発売され、いよいよFDDがPCの記憶媒体として一般に普及し始めたわけだ。
そして、この機種までは、どちらかというと、まだビジネス向けのPCとして売られていた。
しかし…その後、グラフィックやサウンドの性能が強化され、ビジネス向けからホビー(主にゲーム)向けに舵を切った「PC-8801mk2 SR」が発売され、大ヒット。
それ以降は、発売されるゲームソフトのほとんどが「SR以降」対応として発売されたのだからね…。
mk2にオプションボードを装着するなどでSR仕様にグレードアップすることもできなかったため、ゲームを主目的としてmk2を購入した方は、本当に悲しかったに違いない。
ファミコンなどコンシューマゲーム機とは違い、最低限のセットとなる、本体+専用ディスプレイで、20万円以上はしたんだからね…
SRがつくだけで、ずいぶん変わったみたいですね~
mk2買いましたよ~モデル10だったのであとからお年玉でFDD1機追加しました
おお、TKは大学のゼミ室ににころがっていた。個人的な最初のマシンは日立のベーシックマスターでカセットテープにデータ保存してましたな。当時のアップルマシンは大型のタイプライターみないたんだった。その後はPC-9801 で初めてフロッピーディスクを使いました。1980年前後のお話ですが・・。
現実に全部見てらっしゃるとは(`・ω・´)
おそらくけっこういるとおもいますよ。たしかに10MBのHDは10万くらい、プリンタは感熱史紙で数万。インクドットプリンタは確か20万くらいはしてましたね。9801の時代に電話回線での通信はじめて、最初はモザイク、その後にネットスケープナビゲーターという単体のブラウザを使っていました。当時からチャットはリアルタイムで出来ていてメンバーはけっこういましたからね。(NTTさんの隠語としてひらがなでみかかと打って誹謗してた笑)
ちなみに当時からカウンター付のホームページを、HTMLという言語で作成していました。ただ電話回線の通信速度が遅くて、一枚の画面(写真など画像)出すのに数分かかかっていた時代です。ベーシック言語は大学で覚えました。その後C言語に移行したと記憶しています。計測データの分析プログラムを自前でつくってましたね。
@@mrmjo99 私テレホタイムにネスケで裏本をフロッピー(全部死語w)に書き込む作業のためにWin95機を買いました
今となってはドライブがないのでディスクは読みようがないですけどね(ゴミともいう)
IEやEdgeのようなマイクロソフト製ブラウザではなくFirefoxを使う理由がネスケを使い続けた結果でしょうね
買うと高いから、同じ機能を持つマイコンを自作するのが普通でしたね。
パーツはお店で売ってるから、ハンダ付して取り付ければ動きます。
ただし初期のマイコンは、自作が前提(パーツのみのセット販売)だったようなので、僕らが自作した頃はもう枯れた技術だったのだと思います。
街中のジャンク屋さん(地方都市にもかつてはありました)でパーツをかき集めた良い思い出があります。
プログラムは16進数なので、見た目より処理速度は悪くなかったかと。
一応外部出力して、電光掲示板くらいは制御できてました。
悲しみに沈んじゃった…か。
今や国内外の企業や店舗とその広告が彩り、監視所や派出所や遊泳区域を示すブイなどが整備される中、多くの若い男女や家族連れが賑わい隆盛する浜辺で…かつては大衆の耳目に触れず世間の話題に上がる事も無かった、俺達だけの小さくも熱い静かな喧騒が渦巻いていた時代を、僅かに湿った目蓋越しに見る水平線へ郷愁に似た想いで幻夢する──あの幼かった、幼過ぎた少年は、自身が昔を知り今を楽しむ、こそばゆさと、取り戻せない黄金の宝物を惜しむ歯痒さを、スマホで本動画を視聴し感じました。
波に乗る事すら出来ず傍らで、こじんまりと遊んでいた子供でしたが、近くを行き交う大人達の表情とその会話が、真夏の蒼天のように眩しく爽やかで。
悲しみに沈んでも、沈んだままでいる暇もないもの、泡の波に押し上げられ戻るもの、懲りて立ち去るもの、そして沈んで消えていったもの…その全ての欠片が石英の粒となり、今日ゲーム及びネット環境という巨大リゾートビーチの砂浜を歩くと、キュッキュと微かに鳴いている気がします。
まあでもパソコン黎明期はまだ右肩上がりの明るい時代だったっぽいですね
昔、いまだににわかに信じがたい話を聞きましたが、カセットテープのデータをフロッピーに「ダビング」したという話を聞いたことあるのですが、実際されたことある方いますか?
FDD搭載のMSXだったら普通にできてましたよ。
ピ-ガガガガガ、 カセットテープにデータを記録。
日本の最初のパソコンHitachi BASIC MASTERが抜けてた。FM7はクロックが倍なのはCPUが分周する仕様だからにすぎないから同じ速度ですよ。特徴としてはCPUが二個入っている。でもこの手の動画で知ったかぶりをしない良い纏めだと思いました。
日立さんが画期だったんですねフムフムφ(・ω・。)
ベーシックマスターシリーズに言及している人が2人もいるのは感激もの。
9:55
え?FM7って2MHzじゃなかった?
当時NECはソフト会社と独占契約結んでて、他社のソフトを作ると干されるって話が有った。
他社がマルチカラーに対応しているのにNECは16〜256色で十分て対応だった。
PC98シリーズにこだわり過ぎてWindowsに対応するのが遅れて、
日本初のDOS/V機は富士通じゃ無かったかな?
NECは独自性が強くてWindowsになっても対応ハードや対応ソフトじゃないと動作保証が無かった気がする。
PC98は続けると言いながら数年後にはあっさりNEC風味のDOS/V機に路線変更したし、
そのNEC風味のDOS/V機も当時はNECが新規格のDOS/V機を発売したと勘違いした人も多かった。
PC98にこだわり過ぎてNEC風味のDOS/V機にもPC98の名を付けたのが仇になった。
NECさん、それだけの自負があったんですね
FC98シリーズが未だに現役で稼働してる個体があるのを考えるとそうそうやめることはできなかったんだろう
こうしてみると技術の進化の速度が早すぎる
メモリとか笑っちゃうくらい違いますね
TK−80と言えば秋葉原の旧ラジオ会館にパソコン発祥の地としてプレートがあったが今はどうなっているんだろう?後欲を言えばVIC−1001とかマックスマシーンとかも紹介して欲しかった
・昔のゲームの読み込みは等倍なのでオープニングと同じ時間待たないとオープニングを見れなかったとかなんとか。待つのは紳士の嗜み。
・昔のゲーム開発では書き込みも等倍なので、ちょっと作って等倍で書き込んで、出来たのにミスが見つかったらまた等倍で書き込んで。
書き込む機械に「さあお前ら頑張れよ」って声かけたり。
・外国にソフトを売り込みに行く時はソフト実物を持って行くし、直後にミスが見つかったらネットでアップデートなんかできないので「今飛行機に乗ってるアイツは全くの無駄足なんだ」とか言われたり、別の人が改訂版を持って飛行機に乗って追いかけたり、とんぼ返りしたり。
紳士の余裕・・・
FM--7の動作クロックは2Mhzです。
クロック当たりの効率でZ-80より高い性能を出す6809ですので、
クロックでの比較は意味が無いです。
FM7は8MHzだったっけ?! モトローラの6809だったか4MHzを
2個搭載していたと記憶してます。ゲームプログラミングしずらい機種で
テキスト画面とグラフィック画面を重ねて表示じができなくて、グラフィック
をDELキーで消せて、何だこれって思ったことあります。
順番が微妙に違うくない?DOS/V機は安くても、当初はゲームソフトがPC98仕様中心でしばらく国内ではNECに敵わなかった。Win3.1の頃はまだNECが圧倒してて、Win95登場してようやくNECのシェアがくずれ始めて、Win98発売で本格的にDOS/Vシェアが伸びた。それでもNECシェアがしばらくは国内トップだったけど、シェア5割を切るようになるとNECは独自規格から汎用規格に変わりDOS/V化、ゲームソフト等もNEC向け仕様からWindows向け仕様へシフトして行き、PCブランドの差異がなくなってNECの時代が終わった。という感じでは?
なるほどそんな感じでしたかフムフムφ(・ω・。)
WindowsはDOS上で動かすって形だったので3.1辺りはNEC専用のWindows3.1って形だった気がする。
Win95もNEC専用版が有ったのかな?その辺は記憶に無いです。
Windows98まではPC 9821用としてNEC専用品がありましたね。Windows2000はどうだったかな?
1998年前後を境に、もの凄いスピードでハードが進化していきました。新しいハード規格がバンバン出る状況に9821は全く付いていけなくなってしまい、ソフト面とハード面両方で詰みの状態になりAT互換機に完全移行したって感じだったような。
うん?Windowsベースで動くゲームがあったので機種には依存してないはず
NECはコプロに独自仕様使ってなかった?
若いうp主が一生懸命に勉強して作りましたという感じ。リアルタイムで過ごしたので。お金いくら使ったことか。
TK-80が出た時にボイジャー1&2号が宇宙に飛び立った。
当時のショボィコンピューターで宇宙の神秘を解明している。
私はお饅頭族のファンです
応援してます
アリガトゴザイマス!(・Θ・)ゝ”
8080よりもℤ80が使い易かったですね。その後MS,DOSが出てからパソコンかなり使い易くなりました。
パソコン史ほぼぜんぶ実体験してらっしゃるんですねスゴイ・・・
テープレコーダー有った。
アップルだった。
キーボード・モニター・テープレコーダーの3つセットのパソコンだった。
パソコンのモニターとレコーダーが同じ端子だったのも謎だった。
しかも8ビットモニター
今ではヤマハなどの電子キーボードについてるオーディオインターフェースが、同じ端子だね。
東芝のパソピアに引っ掛かかった友人もいた😂
TK80--BSとMZ80-k2 で遊ばせてもらいましたわ。ちなMZ-80k2はI/OとFDD付きで現存します。
ラジオ会館でMZ80Kを買ったな。 未成年だったからお店が親父に電話したな。ケース、モニター、基板などが分かれたセミキットだから自分で組み立てたな。帰省の時は MZ80Kをばらして でっかいボストンバッグに詰め込んで持って帰ったな。 ケースは鉄製だったから重かったぞ ^^;
後輩がMZ−80Bを持っていて自作のゲームも作ってたりもしていて…結構遊ばせてもらいましたな。
後にナムコに入社し、ガンバレットや鉄拳を手掛けたとは思いもよらなかった…(^^;
秋葉のガード下のシスペックって店でだまされて日立level3mk5買わされたの思い出す
9801が出たときには128KBもの大容量メモリが搭載されていて、8ビット機の64KBより破格の大容量でした。
こんなにあったって使い切れねえ、という話をよく聞きました。そりゃ、雑誌に載っているダンプリストを
128KB打ち込むのはきついよね。
8801でFDDが使うようになったのは8801Mk2からで、無印8801はやはりテープ
別売りフロッピードライブつけれたよ
OSって規格が無かったから同じベーシックで書いても違うパソコンで入力すると別のパソコンでは読み取りもして呉れなかったんだよ。パソコンって名前だけは同じだけど全部違う機械だったんだろうね。チョッと前までマック専用ソフトとかウィンドウズ専用ソフトに別れてた様に機械が全然違ったんだろうね。後、ゲームする人は少なかったと思うよ、プログラムを覚えて緑色の画面にバイクで走るコースを入力しても元の地図が無いから線がニョロニョロと出て来るだけでプログラムした本人以外は何処を走ってるのかも分からなかった。でも紙の地図を持って来て地図と見比べると距離の数字だけは表示されてるので此処から此処までは何キロなんだなって事だけは分かった。60万円以上のパソコンを買ってもそんな感じだったね。グーグルマップで1発検索なんて考えられなかった。GPSがそもそも無かったからね。
マイコンでウィザードリィやってたなぁ
リセマラの元祖でマーフィーズゴーストとグレーターデーモンでの経験値周回は元祖でしょ?
で、伝説のゲームの体験者なんですね
windows98まではMSDOS上で動いていたのではないでしょうか
それとDOS/VのVはMSDOS5.0の意味だったような
元々はPC-DOSのVGAモード対応って意味ですね‥それまではCGA/EGAモード中心だったので‥ ただすぐに拡張されてXGAなどにも対応したのでVariableになったらしいですが‥元々漢字表示をしたいが為に日本で開発が進んで、本家に取り込まれた流れです
MS-DOS上で動いていたのは、Windows3.1ではないかと思います。
80年代当時にいたら多分MSX買っていたんだろうなと思う。
共通規格は強そうですよね
全く売れなかった愚作です😂
嘘か本当か知らんが、MSXはファミコンを遊び道具だから買ってもらえない子がプログラムの勉強するからと買ってもらったとかなんとか
未だにPCと言えばNECなイメージがありますよね。
今はラヴィが有名みたいですね
🖥は人類の最高の叡智✨✨ ま、スペースシャトル程ではないにしろ…無くてはならない存在🖥
スペースシャトルは常用しませんもんね
大型[汎用]計算機をIBM/Fujitsuとか構造計算で使ってなので、キャラクターABCを8行8列使って文字作ってるのがジョブ名や完了状況などと一緒に表示された。デカかった
PC-8000辺りから流行っていた気がします。でも、就職するのは勧めないよ。ブラック企業がすごく多いのでね。1人称で仕事が出来るヒットマンみたいにならないと、まともに営業・人事は取ってくれません。
「さて、君は何が出来るのかね・・」良く訊かれるが、もう~引退だな。
PC-8801は1万中古で買って、FDDも4万中古で買った。なんで本体より高い?
BASICとかバイナリ組んで、OS作ったよ。FDDを管理するシステムを独自に作って、1:> START ”~プログラム”ってやるとアプリやNECのFDD初期化・コピーのユーティリティーもマージし動くようにしたっけ。コーヒー80杯飲んで作ったわ~
学生時代に・・もう、年寄りっす・無理っす・でも、良く調べてますね。Wikiで執筆してますので、見てやってください。8801,8001,9800、IBM-PC、FACOM、Soraris,ORACLE,VMWARE,Yatta,WordPressと商売してたんだ。海外、全都道府県を飛び回わされたよ。
PC6001MK Ⅱは、喋ったのよww😂😂😂
カンジ、カンジって武田鉄矢が宣伝してたね
あ、TDKのカセットテープの奥にあるソニーの四角いの、カセットテープじゃなくてエルカセットですね。これはこれで欲しかった。
そんなカセットがフムフムφ(・ω・。)
msx買ったすぐ後に
msx2が出て悲しみに暮れたな。
そ、それは悲しい・・・
PC-8001 の メモリは最大32Kbyteですよ
PC-6001 は16kですよ
まぁ、パソコンって、価格は、現在でも、しかし、性能は段違い。
ガキの頃6001mkIIがあったけど別に悲しみに沈むほどゲームがなかったという印象はないですよ。そら88や98には負けるけど。
ハドソンエニックスあたりが主にADVで名ゲーム出してたしACTはロードランナー等の海外ゲーが結構移植されてましたし信長の野望は全機種で初の漢字表記でしたし。
あとベーマガを出してた電波新聞社がナムコタイトルのPC移植と販売を積極的にやってたので発売時期のずれはあれど御三家+いくつかの機種ならメジャー作品はかなりの数が出ましたし権利も問題なかったかと。
そうなんですね。なんか楽しそう・・・
当時は、ZX81が最強だったなぁ〜🤭
そんなパソコンがフムフムφ(・ω・。)
GameLifeさんなら判ってくれるであろう。
98パソコンとはWindows98がインストールされたパソコン、以外の何物も思いつかなかった十数年前の若者の存在を。。。
Windows以前は、パソコンはマニアな人が買うイメージが・・・
@@gamelite9988 私は小学生だったので知らないんですが、確かTK-80とかは最初無線専門店で売りだしたと思います。好事家が集まるんで。