【ゆっくり歴史解説】山口多聞中将の決断【ミッドウェー戦】

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  • Опубликовано: 20 апр 2023
  • 今回は3回シリーズです。日本最大の敗北。ミッドウェー海戦での戦いにおいて山口多聞中将の決断について解説します。
    中編
    • 【ゆっくり歴史解説】ミッドウェー敗北の兆候【...
    後編
    • 【ゆっくり歴史解説】山口多聞中将の最期【ミッ...
    このチャンネルでは第二次世界大戦にまつわるエピソードを解説しています。 戦争が身近に感じる今だからこそ「人は極限状態でどんな判断を下すのか?」「何故、人は戦争を起こしてしまうのか?」 「一体、当時、何があったのか? 」を真摯に出来うる限り正確にお伝えし、悲惨な戦争が二度と起こらないことを目的に制作しております。
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    #ゆっくり解説  #ゆっくり歴史 #第二次世界大戦  #太平洋戦争 #ミッドウェー島 #山本五十六 #ミッドウェーの戦い #戦艦大和 #大和 #大日本帝国 #ミッドウェイ #空母

Комментарии • 50

  • @massa88m
    @massa88m Год назад +10

    ミッドウェー海戦当時には山口多聞提督は少将だと思います。

    • @keijiyokoyama3929
      @keijiyokoyama3929 Год назад +1

      戦死した人に対しては特進制度があるので、中将で間違いありません。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 10 месяцев назад

      @@keijiyokoyama3929
      死んでから中将になっただけで、海戦中は最後まで少将な訳だが。

  • @tj8069
    @tj8069 Год назад +5

    alive himaさん 
    残念ながら山口少将が1航空艦隊司令長官であっても、敵にこちらの作戦行動が分かっている時点で、そうはならなかったと思います。
    そもそも山本連合艦隊司令長官(任命当時)が、山口多門第二航空戦隊(通称:2航戦)長官を最も信頼したのなら、真珠湾の前に南雲中将をわざわざ
    水雷戦隊から引っこ抜いて、経験もない第1航空艦隊(通称:1航艦 いわゆる機動部隊)長官という航空戦の総指揮官(山口の上官)にすえる必要など無かった訳で。
    開戦前年、同期の吉田善吾大将にあてた書簡で山本は「自分が連合艦隊(通称:GF)から1航艦長官に格下げで異動し、直接航空戦の指揮を執って、早期講和の道を開く」と書いており、それが通らなかった時、南雲を1航艦司令長官とした、
    その理由として、周囲からは当時も戦後も、海軍の年功序列制度や兵学校卒業時の成績順など言われてますが(それが無いとは言えないとしても)、
    山本本人が、宇垣参謀長や先の吉田大将に語ったことと伝わっているのは、「小沢や山口(いずれも航空畑)では航空のプロとの自尊心も強く、性格的にも自我が強すぎて、出先でGF司令部の命令に従わなくなる恐れあり。その点南雲ならそういう心配はなく、部下に優秀な航空屋を何人か付けてやるのだ」と言ったとの事。
    もう一つ、山口2航戦長官の無謬・神格化は、戦後数年のちから始まりますが、
    結論言うと、
    山口=優秀で卓越した航空戦のプロ
    南雲=航空戦に無知なくせに余計な判断ミスを連発した「愚将」
    との図式が、勧善懲悪的チャンバラ映画のようなわかりやすいストーリーに馴染む当時の国民に分かりやすかったから。というのが大きい気がしてなりません。
    ストーリーが作られたきっかけとしては
    戦後はじめて各海戦の被害実態を知った国民が、ミッドウェイなど決定的な敗戦の敗因・責任者や、戦術のif(イフ) について知りたがった事。
    それに対して旧海軍航空関係の指揮官・参謀クラスの一部が、いろんな著作で南雲の悪口を言いまくった事(この中には実際に南雲と同じ艦橋、作戦室で働いた人は
    ほとんどいませんが、当時の機動部隊士官の中に、航空の素人である南雲の就任を迷惑がり、何かと見下して陰口を言ってたようです)、によってその後10年くらいをかけて
    尾ひれもつき、上のような図式・認識パターンが出来上がってしまった
    というところだと思います
    そもそも自分が航空戦の素人だと自覚していた南雲は。航空作戦・戦術について航空参謀の源田実と参謀長の草鹿龍之介が出した結論に反対した事など無く。
    ミッドウェイの敵空母発見後の「直チニ発艦ノ要アリト認ム」という山口の意見具申を採用しなかったのは源田航空参謀であり、急ぐ必要はわかり切っていても
    出来なかった戦術的理由もあるのですが、そこはあまり語られない。
    当時、飛龍に乗組んでいた参謀や搭乗員の中でも、「山口司令官がすぐに出せる機を出撃させろと言ってる」と聞き「嘘だろ・・」と思ったという人の話も聞きました
    「嘘だろ」の理由や他にも、ミッドウェー敗戦=南雲司令部のミス、山口の言うとおりにしていれば・・という通説にも、調べれば調べるほどあまりに一方的な話が多すぎると思うのですが、長すぎるので、次の動画のコメントにでも書かせていただけたらと思ってます

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 10 месяцев назад

      大体は、言い訳が得意な源田たまらんのせいだろ。

  • @user-jy4fc2pm3m
    @user-jy4fc2pm3m Год назад +3

    山本は戦艦大和に乗って、第一航空艦隊の後方に370㎞も後にいて病気になっていたし、源田参謀も風邪ひいていたし、淵田総隊長も盲腸になっていたというから、最悪の状態でしたね。真珠湾の時と比べて、緊張感がない。何だか、情報がすべて漏れていたというお話も聞きますね。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 10 месяцев назад +2

      大した作戦なんか考えたことないくせに、たまたまミッドウェーに風邪引いてたお陰で、なんか源田がいなかったせいで負けたみたいになってる源田。

    • @user-jy4fc2pm3m
      @user-jy4fc2pm3m 10 месяцев назад

      源田というより、連合艦隊首席参謀黒島亀人ですかね。後、軍令部の要望も入っているのではないかと思います。@@user-it9tb4um2p

  • @nagoyashimin569
    @nagoyashimin569 Год назад +8

    珊瑚海の時点で定員割れするくらい搭乗員と飛行機が足りなくなっていたからね。

  • @user-bw3jn3tg5v
    @user-bw3jn3tg5v Год назад +11

    わたしはいつもミッドウェー海戦でおもうのですが・・・飛龍だけでも戻って残っていたら?と山口多聞が飛龍と共にせずに生き残っていたら・・・です 南雲よりも山口が生還したら歴史は変わっていたのでは?っと残念で仕方がありません 生存していたら今度こそ山口多聞の指揮で航空部隊を動かせて残りの米空母を全部始末したかも?ですし艦隊の指揮をした山口多聞を見たかったですね。あの米海軍でさえ山本五十六と山口多聞を恐れていたのですから。。。

    • @tj8069
      @tj8069 Год назад +2

      山口少将が米海軍にそこまで知られていた。ましてや恐れられていた。というのは初耳でした。
      確かに山口少将は 陸上航空隊の指揮経験はあっても、海上の機動部隊の指揮は経験がないと思うので、実際やってみたらどうだったのか?というのはわからないですよね

  • @user-ts1kp3tb5o
    @user-ts1kp3tb5o Год назад +2

    小沢長官は陸軍からも信頼も高いので、陸軍との調整が特に必要な南遣艦隊司令長官から外すせない。
    と、なると他に適任者は塚原長官くらいしかいないけど。塚原長官は南雲長官と違って航海技術が劣り艦隊運用経験が少ない。
    以上を考えると、指揮官を代えてミッドウェー海戦に挑むのでは無く。
    アリューシャン諸島攻撃を中止し、角田部隊も南雲艦隊に合流して空母6隻体制でミッドウェーに征くべきだったかと。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 10 месяцев назад +2

      あるあるだが、航空の専門家は艦長や航海長の経験がない(又は少ない)から、艦隊の運用が基本的に下手くそ。嵐の北太平洋を越えてパールハーバーなんて行かせたら、艦隊が壊滅する危険すらある。

  • @user-ez6cj1zk4s
    @user-ez6cj1zk4s Год назад +7

    タラレバで言えばミッドウェー海戦で勝つことは可能であったが、問題はそこで勝つ事によって当初の目標であった早期講和を達成する事が出来たか?だと思う
    「米兵は根性無しだから初戦で叩きのめせば尻尾を撒いて逃げる」「ヨーロッパと太平洋の二正面作戦を続ける事は出来ないから早期講和は可能」とか宣っていたが、実際アメリカは圧倒的な工業生産力をフル稼働させて日本海軍をボコボコにした
    ミッドウェー海戦に勝利した所でその後の歴史はたいして変わらない

    • @norimaki0517
      @norimaki0517 Год назад +2

      ミッドウェー海戦でアメリカ軍空母を消失させて、日本空母が無傷なら、講和は結ばれてたと思います。アメリカ軍の空母が半年後迄出来ないので、アメリカ艦隊はかなり痛手を負います。後日本空母の消失は、ベテランパイロットの消失でも有ります。ベテランパイロットの消失は大きい。

    • @user-ez6cj1zk4s
      @user-ez6cj1zk4s Год назад

      @norimaki0517 なるほど、早期講和が実現して中国大陸・南方作戦に勝利し大東亜共栄圏を構築できるとお考えなのですね
      よろしいのでは無いでしょうか?世界最強の大日本帝国海軍なのですから米海軍など恐るるに足りずですよね

    • @user-xt6gv1ph8s
      @user-xt6gv1ph8s Год назад +2

      @@norimaki0517
      空母の損害よりも搭乗員の損失をどれだけ少なく抑えられるかどうかがポイントだと思いますね。
      実際に敵空母に攻撃をかけた珊瑚海海戦の五航戦やミッドウェー海戦の飛龍、南太平洋海戦の結果を見ると
      真珠湾のような完全な奇襲が成立したケースでもなければ航空隊の損害は甚大になるのは
      間違いがないように思います。
      それだけの犠牲を出してアメリカの空母を全滅させたとしても確かにアメリカはエセックス級の就役まで
      厳しい状況に立たされると思いますが、それは消耗した航空隊を再建する必要がある日本も同じことですし
      ここからさらなる攻勢をかけるだけの余裕が日本にはないということが読まれてしまえばアメリカが
      講和に応じる可能性は低いと思います。

    • @user-tg8jz1sl8l
      @user-tg8jz1sl8l Год назад +1

      当時のアメリカの防衛戦略は「ドイツ第一、日本は二の次」
      つまり、欧州方面で反攻に出るまで、太平洋戦線は守勢に徹っし、両洋艦隊法で整備した艦艇がある程度揃ってから攻勢に出るという国家戦略でした
      仮にミッドウェーで日本が勝つなら、真珠湾で戦艦を失った米軍にとって、空母まで壊滅した以上その国家戦略の完全破綻を意味します
      そこに上手くつけ込むなら…と言いたいですが、そんな高度なこと日本にできるかと言われたら怪しいですね

    • @tj8069
      @tj8069 Год назад +3

      @@user-xt6gv1ph8s さん
      同感ですね 搭乗員の損失の点でいうと、そもそもミッドウェイでも2航戦長官の山口少将が敵空母発見と同時に、
      「爆装のまま直ちに出撃可能な攻撃隊を発艦させるべき」と意見具申しますが、この当時の1航戦参謀や
      当の飛龍乗り組みの搭乗員の中からも、「あの時すぐ出撃すれば、敵に応戦中だった戦闘機の護衛は付けられず、
      裸で敵空母部隊に突っ込んでいたら、母艦が沈むとき海に飛び込んで拾われた数百人の搭乗員も、ほとんど撃墜されて死んでただろう」
      と言ってる人も多くいます。おそらく護衛なしで行けば、レーダーで進行方向距離を事前に察知され好位置で大量に母艦上空で待機していた
      米戦闘機隊の餌食になって多くはたどり着けなかったのでは、と思ってしまいます
      やはり、そもそもこの海戦でだれが指揮官だったとしても、”日本が有利な状況”と言えるまで持ち込むのすら難しかっただろうと思います

  • @user-zl4eq2be1k
    @user-zl4eq2be1k 9 месяцев назад

    ミッドウェー海戦において
    アメリカ空母の雷撃機の数は。
    ヨークタウン、ホーネット、エンタープライズともに
    一個中隊12〜14機ほど。
    この数でゼロ戦36機をどのくらいの時間、引き付けていられるのか?
    お願いします。
    それと97艦攻の積んでいた陸用爆弾ですが
    97艦攻の爆弾の搭載バターンとして、確か3種類あったと思うのですが
    60キロ爆弾6発
    250キロ爆弾2発
    800キロ徹甲爆弾1発。
    南雲長官は800キロ爆弾に換装させたらしいですが。
    99艦爆は同じ250キロでも対艦船用の徹甲爆弾と地上攻撃用の榴弾があるのでしたか。
    確認お願いします。
    エンタープライズ
    第6戦闘機中隊 F4F 27
    第6索敵爆撃機中隊 SBD 19
    第6爆撃機中隊 SBD 19
    第6雷撃機中隊 TBD 15
    ホーネット
    第8戦闘機中隊 F4F 27
    第8索敵爆撃機中隊 SBD 18
    第8爆撃機中隊 SBD 19
    第8雷撃機中隊 TBD 15
    ヨークタウン
    第3戦闘機中隊 F4F 25
    第5索敵爆撃機中隊 SBD 19
    第3爆撃機中隊 SBD 18
    第3雷撃機中隊 TBD 13
    0445 VSB6(エンタープライズ)
     VB6(エンタープライズ)
            約30  
     VSB8(ホーネット)
     VB8(ホーネット)
            35
    発進
    0506 VT6(エンタープライズ)14
     VT8(ホーネット)15
        発進
    0540 VB3(ヨークタウン)17
     VT3(ヨークタウン)12
        発進
     VB 爆撃機中隊
     VSB 索敵爆撃機中隊
     VT 雷撃機中隊
     E エンタープライズ
     H ホーネット
     Y ヨークタウン
    0623 攻撃 0620発見 蒼龍へ雷撃機18 H
          
    0650 攻撃 0638 南から7機づつ3隊に別れ突撃。E
    加賀。零式25機の迎撃を受け、0658 4機だけが雷撃。
    0723〜0720
       加賀被爆 0730 VSB8-VB8 E 30機により。
       赤城被爆 0726 VSB8-VB8 E 30機
       蒼龍被爆 0725 VB3 Y 22機
    0730 飛龍攻撃 0730 VT3 Y 12機
    0700発見 6機づつ2隊に別れ零式の攻撃を受けながら5機が雷撃。
    戦史叢書(043巻P398あたり)によるとこうなっているが。(戦史叢書でググって下さい。スマフォは90度回転)
    時間的に見て
    散発的なのか
    息をもつかせずなのか。
    映画やドキュメントでは息をもつかせずの、印象が。
    空母3隻。
    急降下爆撃機 6個中隊。各20機ほど。
    雷撃機 3個中隊。各15機ほど。
    日本空母を攻撃した急降下爆撃機は4個中隊ですか?
    その前に雷撃機が
    3個中隊。三回ですか?
    まあいいか。
    その前にミッドウェーの基地機が。
    散発的なら、
    どうしてドーントレスを見逃すのか?
    まあいいか。
    単なる思い込みですか?
    そのあたりお願いします。
      
    (戦史叢書043 P281から)
    日本空母第一次攻撃隊
    艦戦 36 赤城、加賀、蒼龍、飛龍 各9
    ○艦攻 36 蒼龍、飛龍 各18
         800キロ陸用爆弾 各1(飛龍18.蒼龍6)
         800キロ通常爆弾又は陸用
    爆弾 各1(蒼龍12)
    ○艦爆 赤城、加賀 各18
         250キロ陸用爆弾 各1
    滑走路破壊を狙ったものは800キロ通常爆弾を搭載した蒼龍艦攻
    2個中隊 6+6機。
    攻撃隊、索敵隊発進後の残存機。
    艦戦 各9
    艦爆 二航戦(蒼龍、飛龍)各18
    艦攻 赤城17、加賀26
    艦偵 蒼龍2
    兵装転換所要時間
    (セイロン島奇襲作戦後、飛龍で実験。実験は平常航行中に行われた)
    魚雷→250キロ爆弾2発 2時間30分
    魚雷→800キロ通常爆弾1発 1時間30分
    魚雷→800キロ徹甲爆弾1発 2時間30分
    250キロ爆弾2発→魚雷 2時間
    800キロ通常爆弾1発→魚雷 2時間
    800キロ徹甲爆弾1発→魚雷 1時間30分

  • @user-pq1zw1zi5l
    @user-pq1zw1zi5l 9 месяцев назад

    魔理沙姉さん………どぶり洗いに居残りしなかったの?????
    笑笑笑笑笑笑❗️

  • @daisuke5755
    @daisuke5755 Год назад +2

    インド洋でのまぐれ勝ちがあったんだから、まぐれ負けもあるだろうに。ミッドウェー基地を維持できないから、結局、何がどうなってもすぐに放棄することになっただろう。

    • @user-ti1ot3jf2v
      @user-ti1ot3jf2v Год назад

      維持出来ないなら使えないように破壊しまくる。監視部隊のこし、アミリかがなおしだしたらまた叩く。これがうまいやり方だと思うなあ、

  • @user-zl4eq2be1k
    @user-zl4eq2be1k 10 месяцев назад

    二段索敵とは
    通常の一段索敵とは
    味方の攻撃隊が夜明けとともに発進するのとほぼ同時に発進するらしい。
    たから味方の攻撃隊が敵①を攻撃中に
    敵②発見となるらしい。
    それで。
    当時は肉眼のみがたより。
    夜間は暗くて何も見えない。
    だから夜明けとともに発進するらしいが。
    第一段として夜明け前一時間で発進。
    一時間で偵察機は何海里飛ぶのか。
    ご存知の方お願いします。
    ミッドウェーでこの二段索敵を行っていればどうなったか。
    夜明けとともにアメリカ空母部隊を発見できていたか?
    夜明けの時点でのアメリカ空母部隊の位置は?
    そうなればどうなる。
    ミッドウェー島攻撃部隊をどうする。
    格納庫内の第二次攻撃隊も続けて出せばいいのか。
    そうなると味方空母の上空直掩は?
    各空母とも戦闘機は21機。
    実際はーーーどうだったか。
    とにかく
    夜が明けるまで、何も見えない海上を何百海里か飛んでいく。
    そして夜明けとともに索敵開始。
    つまり母艦から何百海里も離れたところから偵察ーーーということらしい。
    母艦からそこまでの何百海里はどうなるのか?
    夜明けとともに第二段が発進。
    こちらが担当するらしい。
    つまり
    第一段を夜明け前一時間で発進させ。
    第二段は夜明けとともに。
    母艦から数百海里離れたところと
    母艦からーーーと日の出とともに
    同時に索敵開始するということらしい。
    確認お願いします。

  • @user-bf6ou7kv8u
    @user-bf6ou7kv8u Год назад +4

    まぁこの作戦の失敗は 五十六さんの アメリカに対する 恐れだっと思う だって リトル空襲に怯えて 時間があったはずなのに 取り返しのできない 作戦行動をされました‼️

  • @user-ei2rg2lj8j
    @user-ei2rg2lj8j Год назад

    同時並行でアリューシャンに空母隼鷹、飛鷹、ニ航戦隊を向けるよりどうせ暗号解読され行動読まれてたならミッドウェーに集中すべきだった。
    仮にミッドウェー基地攻撃をこの第二航空戦隊に任せていれば、第一航空戦隊の赤城旗艦の南雲機動部隊は敵空母に集中出来幾分勝率が上がったと思われる。
    確かにニ航戦空母隼鷹含めた3空母は艦隊は足が遅く、戦力も一航戦には劣るがこれが可能に出来るかが鍵だった。
    もう一つは一航戦は連戦連勝真珠湾〜セイロン島沖海戦までにより敵を甘く見て油断していた。
    本来ここを引き締めなくてはならないのが山本連合艦隊司令の役目であったのが御苦労様とねぎらいの言葉しか南雲提督以下草加参謀や源田参謀にかけていなかった、ここが正念場油断するなと神経をピリッとさせていなかったのが現場提督の油断を産み出した敗因ではないかと思う。😢
    山本五十六、山口多聞、陸軍では硫黄島司令官、栗林忠道さんは何もアメリカ駐在武官経験者。
    但し、どんな優秀で奇抜な名司令や名提督が居ようとも1人の将官の力なぞ国を動かす歯車やネジに過ぎず戦局を挽回する程の力は無いと思いますw

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 10 месяцев назад

      取り敢えず言っておくと、ミッドウェーまでは二航戦=蒼龍&飛龍なのは常識だから間違えないようにな。何を言っても説得力がないぞ。

  • @user-me9zi4qv8j
    @user-me9zi4qv8j Год назад +1

    年功序列が頭に来る。
    機動部隊は小沢、山口、角田に任せておけば良かったのにな。

    • @user-it9tb4um2p
      @user-it9tb4um2p 10 месяцев назад +1

      小沢さんが寄り道しなければ、南雲さんと同期だったのにな。

    • @user-me9zi4qv8j
      @user-me9zi4qv8j 10 месяцев назад

      @@user-it9tb4um2p
      酒と喧嘩(;´д`)

  • @kazunaritakezawa4344
    @kazunaritakezawa4344 Год назад

    アップ主…動画をアップロードする主、で間違いないのだろうが、「うp主亅に慣れすぎて違和感。

  • @alivehima9214
    @alivehima9214 Год назад +7

    これは、たらればの話になりますが山本五十六が最も信頼していた山口多門中将をこのミッドウェー作戦の総指揮官にしていれば、おそらくあれほどの大損害を出すことはなかったと思います。

    • @user-ts1kp3tb5o
      @user-ts1kp3tb5o Год назад +1

      2年後とかならば中将に昇進して艦隊司令長官になっていたかも知れませんが、この時期では無理ですね。
      小沢長官に、身体的な問題で海に出るのが難しかった塚原長官がだったら可能かも知れませんが。

    • @SuperIzuru
      @SuperIzuru Год назад

      真珠湾の功績、褒賞といって、軍令部勤務にでもまつりあげたらよかったのに。

  • @user-rp7hc3ul5o
    @user-rp7hc3ul5o Год назад +2

    南雲が、決定がだめですよね?うぷ主さん?😅

    • @tj8069
      @tj8069 Год назад +1

      真珠湾~ミッドウェイの間で、南雲長官が航空作戦について何かを決定したことは、ほとんどないと思います
      (良く知られるように、南雲中将は水雷戦のプロであり、航空戦は全くの素人であることを本人自覚していたので)
      南雲中将の判断と言われているのは、同じ艦橋にいた一航艦の源田実航空参謀・草鹿龍之介参謀長が
      立案、検討した結果を南雲に進言したもので、南雲はほとんどの場合これに了承を出したものと。当時の連合艦隊、現場の第一航空艦隊首首脳部の
      旧海軍将校たちの発言は一致しています。
      (機動部隊の責任者たる司令長官としてその責があるのはもちろんですが)
      山口の意見と違う判断をしたのは、源田・草鹿ラインであり
      源田実自身が著書の中で、「南雲さんが自分の立案をくつがえしたのは、真珠湾への発艦直前、強風で大きく揺れる飛行甲板からの発艦を危険と観て、
      「重たい雷撃機の発艦取りやめ」とした私の案に対し、行かせてくれと切望する搭乗員の熱意、自信あふれる表情をみて、「行かせてやろう、これならきっとでける」
      と言われた時くらい」と書いてます

  • @user-dp7gg6tx5y
    @user-dp7gg6tx5y Год назад +1

    なぜ南雲はミッドウェーで腹切らなかったの?山口がパールハーバー、ミッドウェーの指揮をとっていたら、日本の敗戦もう少し引き延ばされていただろうに。

    • @user-xt6gv1ph8s
      @user-xt6gv1ph8s Год назад +2

      引き延ばしたところで被害がさらに増えてより悲惨な状況になるだけでしょうに何か意味があるんですかね?

    • @user-xp3vh9wp4v
      @user-xp3vh9wp4v Год назад +2

      終戦が遅れるとソ連が史実より南下してくるから日本が分割国家となる
      というのは架空戦記でよくある展開

    • @daisuke5755
      @daisuke5755 Год назад +2

      ​@@user-xp3vh9wp4v それは連合国の分割統治という具体案があったからですよ?

    • @daisuke5755
      @daisuke5755 Год назад +2

      無条件降伏のタイミングがあのタイミングだったから、北方領土がロシア領になったんですけどね。