いつも楽しく見させていただいてますが、今回の、溝口、ルイスブニュエル、ジムジャームッシュが分からない、そのという発言は自分にはよく分からなくて。。😢自分は、小津は技術的な面に引き込まれて感情移入することは時間がかかるのですが、溝口は観ててストーリー的に引き込まれる事が多くてすぐに感情移入しやすいので、ある意味、映画の根本的な、どの世代の観てる人を楽しませる客目線が常にある、と思っています。ジャームッシュもその点、小津目線から観客目線になった作品がNight on earthであろうと。。ブニュエルはメキシコ時代が個人的に最高かと。。すみません、技術的には監督の方がもっと理解されていらっしゃるけど、一観客としての単純な意見であります。
下品というか最近の映画はシナリオを疎かにして派手な映像と音楽に頼りすぎてますね。
観客もそれに麻痺して音や映像の煩い映画以外は興味がない理解できないという層が増えてしまっている。
永く愛される作品はほぼ例外なくシナリオの作りこみが尋常じゃない。
小津作品には、観客を感動させてやろうとかいう、監督の邪心が全く感じられないんですよね。
純粋に自分の感性で絵作りをしている点が、何度鑑賞しても飽きない要因のように思います。
小津作品では「麦秋」が最もピュアな作品だと思います。
賑やかな三世代の家族がゆるやかに離散していく寂寥感を、ユーモアを交えたエピソードの中にしっとりと滲ませている。
能楽の世界観を映像で表現した唯一無二の監督ではないでしょうか。
洗練されてる方って杉山さんのような方なんですね。正直な馬場さんもチャーミングでステキです🎉
5:48馬場「昔は映画館でじーっと見ていたから、昔の映画は何の説明もないのに絵だけで全部わかっちゃう。あれを今映画でやっても難しい」杉山「だから映画はコンテンツと呼ばれるようになって下品になった、とマーティン・スコセッシ監督は言った」
「コンテンツ」概念の弊害 ウィキペディアから。
大阪市立大学の増田聡教授(ポピュラー文化論)は「かつて文化芸術作品は『経済的次元に還元できない多様な価値軸で評価される』とされてきたが、今では『それで稼げるかどうか』という単一の基準で評価される傾向が強まった」と語る。「さまざまな作品は個々のジャンルに応じて異なる基準で評価されてきたが、それらを経済的な基準に一元化する見方が強まったことで、音楽、映像などをすべて『稼ぐためのコンテンツ』として同列に扱う見方が社会で支配的になってきた」とし、文化に対する人々のものの見方が平板化した点を指摘する[
アメリカの批評家が「はなれ瞽女おりん」を評して、宮川一夫の撮影でなければ取り立ててみるべき作品ではない、といったそうです。宮川ほどすごいカメラマンはいません。又、溝口健二は雨月物語のみならず、近松物語など全盛期のどれをとっても傑作ばかり。黒澤明と同じく溝口も世界の映画界に大きな影響を与えてると思います。小津は私も50代になってからわかるようになりましが、あの一見単調な内容にも関わらず思わず引き込まれるのはなぜか。やはり考え抜かれ、深い洞察に裏打ちされ、時間をかけて作られた仕事の成果だと思います。個人的には小津と宮川がぶつかり合った「浮草」が好きです。彼らだけでは無く、日本映画全盛期のこの時代の凄さを感じます。
よくぞ言ってくれました!
ありがとうございます!
ほいちょいさんの三部作を改めて見てみます!
分からないものを分からないと言える事が素晴らしい😂拒否ではなく、tryしてのNoだった訳ですもんね!
目の前にいる先輩に安易に同調しない関係を、とても羨ましく思いました。
そしてホイチョイさんのtryは続く。いつかYesになる時まで。
辛口過ぎて、逆に面白い。こんなに言ってくれる方がいて、羨ましいかも
良い事仰る!
今日、溝口監督の「春の目覚め」という1947年作品観ました。3〜4回休憩入れましたが 30代の頃「流れる」見た時に全然面白くなかったのが今回還暦間近に思春期映画を「音と絵」でわかる感じがヒシヒシ伝わりました。なんかこの監督好きになっています。
ブニュエルの『黄金時代』や小津の『東京の合唱』は劇場で大笑いして観た記憶があり、小津『麦秋』の結婚合意のシーンほど笑った映画のシーンはありません。
初期のブニュエルも小津も(特に小津は山中貞雄と同じく)コメディから出発していると考えるべきなのです。
さて、長回しを多用する作家の場合、変なアドバイスになりますが物理的に眼鏡を外して見たほうがいいです。
個人的体験として左眼にコンタクトレンズを入れて見たらタルコフスキーが最高の監督だと思うようになりました。右脳が活性化されたのだと素人的に考えています。
映画は記号を読むようにではなくお風呂に入るように見るべきなのです。
溝口、タルコフスキー、後期ブニュエルなど長回しを多用する監督は(自分の用語では)霊感を全開にしないと面白くありません。
黒澤明は唯一カットを割る監督でありながら霊感を全開にして見るやり方にも耐える稀有な作家ですが。
今は
役者が目立ちたい!
台詞を多く語るのが偉い!
自分だけを賢く見せたい!
だから昔の役者さんの無言の芝居。
台詞の無い芝居。
台詞を言うまでの間の取り方。
背中で見せる芝居。
なんて芝居が無くなった。
昔ある役者さんが何かで言っていましたが
煙草を吸うまでのちょっとした間の芝居
煙草の吸い方の芝居
煙草を吸いながらの表情の芝居
無言で見つめ芝居
なんて、今は映画でも殆ど無いし、テレビなんて絶対出来無い。
もしろそんなことしたらすぐ怒られる。
寂しい。
と言われていたことを思い出しました。
確かに昔の刑事ドラマでもそう言う芝居がいっぱいありましたね。
今は、某人気?二人組の刑事ドラマみたいに一人だけ天才刑事で、殺人事件の現場を見ただけで犯人がだいたいわかってはずれ無し。
しかも自分は好き勝手やって、その他の出演者は引き立て役。
最後は自分の知識をひけらかす長い台詞をベラベラと話す!
そこには情けも思いやりも無くて自分の正義を押しつける。
ドラマがつまらなくなったのがわかります。
アバンティとか、ピートのふしぎなガレージとか、ソシエダ・ガストロノミカで、
馬場さんが話し手に対して「わからない」という表現をされるときは
なんとなく相手に対して若輩者を演じた”掘り出し”の意図があるのかな?と思って聞いていました。
インタビューアー知っている目線でゲストと会話をしても
今度は視聴者がおいていかれてしまうから。
今回もそんな感じなのかと思いつつ、
このチャンネルで様々なゲストにインタビューしている様子の顔を見ると
「本当に分からなかったのかも」と思ったり・・笑
またどこかでラジオが始まらないか楽しみにしております。
子どもの頃に映画評論家のどなたかが、「黒澤作品はステーキ丼、小津作品は塩むすび」と、言われていた記憶があります。
若い時は黒澤監督のビデオを擦り切れるほど鑑賞しましたが、初老を迎えてようやく小津監督の素晴らしさに気づきました。
ただ溝口監督の映画も何本か観てはいますが、まだ未熟者で感動には至っていません。
相変わらずディズニーの新作アニメも好きですけどね。
自分も溝口は敬遠してたけど、女優さん目当てで花街物見たら普通に面白かったです。
いつも楽しく見させていただいてますが、今回の、溝口、ルイスブニュエル、ジムジャームッシュが分からない、そのという発言は自分にはよく分からなくて。。😢自分は、小津は技術的な面に引き込まれて感情移入することは時間がかかるのですが、溝口は観ててストーリー的に引き込まれる事が多くてすぐに感情移入しやすいので、ある意味、映画の根本的な、どの世代の観てる人を楽しませる客目線が常にある、と思っています。ジャームッシュもその点、小津目線から観客目線になった作品がNight on earthであろうと。。ブニュエルはメキシコ時代が個人的に最高かと。。すみません、技術的には監督の方がもっと理解されていらっしゃるけど、一観客としての単純な意見であります。
成瀬巳喜男、新藤兼人、山本薩夫、岡本喜八なども取り上げてほしいです。
黒澤映画でも後期のは解らないのがあるなぁ。東京物語も途中でギブアップしたなぁ。雨月物語?チャレンジしてみる?
馬場さんが怒られてるの面白い🤣
黒革の手帖 だけを見ても時代により女優さんの言葉や仕草に品格の差がありますよね💦山本陽子さんは言葉が美しかった✨✨✨
自分が楽しめる作品は特に誰であっても楽しめるんですが、写真好きな私は小津監督のスチール写真のような動かないキャメラワークに、人が入ったり出たりする~ということを本で読んでから意識し出したらたまらなく好きになりましたね。
何となく惹かれるのは、ここかと。
東京物語の最後で老夫妻が”あなた、もううちへ帰りましょうかね?””そうだね、見るものも見たし。”の場面で良さが解りました。アメリカ映画の”ハリーとトも好きですが人生の終盤の感じが共通しているので好きです。溝口監督は映像美が圧巻です。
東京物語は一回観てもわからなかった場合、祖父母が亡くなったとき、親が亡くなったとき、自分が死ぬ前に観るととんでもなく響くと思う
自分は祖父が亡くなって1ヶ月もない時にたまたま映画館で初めて観てめちゃくちゃ感激したし、70年経っても何故人の心を掴んでいるのかわかった
成瀬巳喜男監督と高峰秀子さんの話知ってますか?脚本ができると二人で読み合わせをして、映像でわかることの説明過剰なセリフをどんどん削っていく作業を毎回していたそうですよ。まあそのため水木洋子さんからはクレームもあったようですが。笑
正直、小津安二郎は最初、どこがいいのか、退屈な映画というのが、全般的な印象でした。それに比べて、黒澤明は、わかりやすい活劇で、アメリカ的なメリハリがあって、単純に楽しめるものでした。が、年を経るにつれて、小津作品は、しみじみいいなあ、結局、人間の幸福というのは、何気ない日常生活の中にある、と諭されているようです。
こんにちは、たいへん失礼な質問をいたします。
「分からない」という言葉が出ましたが、
たとえば、タルコフスキーやキェシロフスキ、ベルイマンやアンゲロプロスなどの名監督の作品を扱った回がないのですが、それらを「お分かりにならない」からなのでしょうか???
ジムジャ-ムッシュやタルコフスキー、絶賛しているファンが多いが良さが分かりにくい。映像美へのこだわり、オシャレ感があるからか。
ダイナミックな起承転結のある映画に飽きた人が行きつく先だと思う
ジム・ジャームッシュに関してはなんていうか、ポップコーンとコーラを飲みながらダラッダラ観ようって思うとハマれる映画監督だと感じるな
っていうか、好きな映画しか見ないタイプの人なんだね、、、よくわかりました(笑)
確かに小津安二郎や黒沢明のシリアスモノと比べても溝口健二作品は難しいですね。
あいかわらずおもしろいです。淀川長治は、生前、映画友の会で「鎌倉の金持ちの話のどこがおもしろい」と小津映画をこきおろしてました。キネ旬1位の映画も1/3くらいの人がベストテンにも入れてません。自分がいいと思う映画がいい映画で
よろしんじゃないかと思います。
祇園囃子は脚本もカット割りも洗練されてるしホイチョイさんも好きになれるかも、、、よ
馬場さん、小津監督の、宮川一夫さんと組んだ「浮草」を観てください。
溝口健二監督は、「新平家物語」が、「山椒大夫」、「赤線地帯」を観たらどうでしょう。
山中貞雄が小津に おっちゃんは職人や、清水宏は天才や、と言ったそうです、私は、蜂の巣の子どもたちは、もっと語るべき作品と思います。
溝口の特徴って空間表現じゃないですか?ロングショットで奥までピントが合っていて、一発で背景を説明できる技法って、映画にしかない。
それと物語分類としての異界巡り?
ジャームッシュの特徴も異界巡り。「ストレンジャーザンパラダイス」は異界巡りを高度化した構成なので、脚本から見ると良さが分かりやすい。
ブニュエルは異様な人とかゲスい人とか出てきて、展開の読めないところがシンプルに面白いと思うけど。馬場さんはそれが自然なんですかね(笑)他の人は馬場さんより真面目なんじゃないですか。
馬場さんほど博識な人が素直に「分からない」って言われるの好感が持てますね。
「小津は映画文法がしっかりしてるから外人が見やすいんだ」って見解で疑問が解けました。ありがとうございます。
>小津は映画文法がしっかりしてるから外人が見やすいんだ
小津映画見たことないだろ、小津はむしろ映画文法破る人だったっぞ
DPの略称もまともに語れないとは流石ですね。ふんぞり返っているだけありますね!素晴らしい。
「俺たち電通だよ」って本当に言う最近の若い方達の指導もよくおできになっておりますね。
馬場さんすごく分かります😂でも学生時代にヌーベルバーグや小津、ジャームッシュに感化されたので一生分かってる体で生きていきます😂馬場さんごめんなさい🙏
ホイチョイにはわかるはずがないwww
わからないって!わからないな?
サイレントをやってたと言いますが、活動弁士がいたから客が理解できた部分もありますよね。
映像だけっていうのは、言いすぎだと思いますよ。
サイレントの浮草よりトーキーの浮草が優れてるのは、鴈治郎のセリフが生きてるからで、別に小津の手柄ではない。あのキャストなら増村保造でもいいのである。溝口なんか全く評価しないけど、小津にしろ黒沢にしろ評価できるのは、せいぜい5·6本づつくらいだろ。そして監督を抜きにしても、それ等の映画より面白い映画ははるかに多い。
揃いも揃って薄っぺらい会話