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荀彧の人脈をお手軽に体験できるのが光栄三国志の人材推挙イベントですね。Ⅵでの荀彧加入からの怒涛の人材推挙イベントが凄まじかった印象あります。
荀彧については他にも面白い題材が山ほどありますねえ。宦官との関係、禰衡のイケメンエピソード、人事権を握っているのに公平だったこと、子孫の話。記述が途中からパッタリ消えるのは、曹操が鄴に駐在するようになって許の荀彧と物理的に離れていたからということあるんだろうけど。
あー確かに、荀彧は皇帝の監視役みたいなポジションでしたし、そういえば曹操とは距離が離れるのか……(゜ω゜)
荀彧は毎日献帝と顔を合わしてたわけで、遠征でしょっちゅう留守にしてる曹操が不安に思ったというのも想像がつくんですよね~。
動画面白かったです。魏公就任に関しては曹操も荀彧も間違ってないしこれで仲違いしてしまったのはなんか悲しいですね
ほんの少し、でも決定的にどこかで歯車が噛み合わなくなった、そんな寂しさがありますね
後漢きっての狂人の禰衡が荀彧を「弔問の使者に丁度良い」と馬鹿にしながらもその風采の良さは認めている逸話が印象に残ってますね。
禰衡の伝記は、荀彧の伝記に包括されてるので、なんだか深い関係性を感じてしまう……(笑)
横山三国志では 初登場の容姿と後の容姿の変わり様にビックリだぜ(笑)初登場は白木屋のキャラクターみたい
そういや曹操の魏公就任については董昭の献言だが、後年蜀でも爵位と九錫の違いとは言え、似たような事例がありましたね。もっとも蜀の方は献言された人が固辞したけど。
荀彧は人心掌握というかコミュ力が半端ない
これは好物でございますわぁ…楽しませて頂きます…!
是非ともお手柔らかに……(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 「志村後ろ!」が如く「曹操我が子房!」と自分がその場に居たとしたら言いたい(釜茹
10年以上前に読んだ荀彧主人公の小説の解釈が面白かったですね。最後漢室派を自分の所に集めて的になるために曹操の贈り物が空だったと吹聴するやつ。王を支えるんじゃなくて自分が王になりたかったが曹操を支えるのが一番正解というジレンマ
荀彧が漢の忠臣か曹操の味方かは本当に人によって意見が分かれる所。そして荀彧の孫の陳泰も魏の忠臣か司馬昭の味方かで意見が分かれるという…。
ガッツリ司馬昭の側近的立ち位置で、司馬昭側に見るのが自然ですが、父の陳泰はそもそも司馬懿よりも上位の名士代表でしたから、いろいろな角度から見れるという……(゜ω゜)
三國志14で曹操で帝位簒奪しましたけど、ジュンイクが嬉々として皇帝を脅迫してしまいまして、何だか納得してしまいました。
実際、魏公になった事で蜀が声高に魏を簒奪者呼ばわりして自らの正統性を主張し、それは何度も行われる北伐へと繋がったので魏にとっては面倒なことになってしまったんですね荀彧は曹一族支配の安定のために他に何か方法を提案すべきでした
演義では最初から野心があったように描かれているけど、実際に曹操が魏の建国を考え付いたのは赤壁の戦いで敗れて天下統一を諦めてからだとすればどうだろう?これなら荀彧のそれまでの曹操への忠勤ぶりも、曹操の魏公就任には反対したことも「漢の忠臣としての行動」という事で説明がつく。
つまり、劉表征伐→劉備・孫権も同時進行で征伐からの完了→漢王朝再統一・・・の流れが不可能になったことで、未来を見据えて敢えて漢を倒す布石を打つために魏公に就任したと。
人材コレクターの曹操と豊富な人材への人脈を持つ荀彧との相性が最高だったんですね〜そりゃ最大勢力の魏を建国出来るわけだ…荀彧は漢を最大限に利用して、董卓のように他勢力から敵対視されないよう気を遣って曹操が魏を建国する下地を整えていたのかもしれませんね〜
曹操と荀彧の国と言っても過言ではないレベルと個人的に思ってます!
@@KOUMEI_NO_WANADA そうですね!でも荀彧は地盤を固めながら堅実に、曹操はある程度最短ルートで魏を建国したかったからすれ違ったのかなぁ…と思います。
赤壁と劉備の存在が全てを狂わせた感はありますね^^;
@@KOUMEI_NO_WANADA 本来なら勝って天下統一の足がかりになる戦力差だったのに大敗してますからね…当時の曹操ブチ切れてそうですw
@@KOUMEI_NO_WANADA 全くその通りで、演義では劉備は流浪のヒーローだけど、当時の世相から見たら天子を擁する曹操が正義なのは当然で、劉備はいたずらに乱世を長引かせた張本人、朱子学が流行する以前の歴史学(小説や民間伝承を除く)では迷わず正統だとみられていたからね。
荀イクは曹操暗殺に関与していたのですかね?そうでもしないと書物を処分すると自害する理由が見つからないです
荀彧はいわゆる軍師ではなく、政治家として曹操に尽くしたのだろう。三国志最大の英雄である曹操の不思議なところは、不利だった官渡の戦いには劇的大勝利を収めたのに、自軍が勝る赤壁や、漢中の戦いでは大敗。まさか油断したとは思えないから不思議。
three kingdomの演説かっこよかったなぁ史実とは違うみたいだけど
史実での十の勝因は郭嘉の台詞ですね。でも、荀彧も四つは挙げてます。袁紹さんかわいそう(ぇ
このドラマ、郭嘉が目立たないイメージ。程昱が逆に出番が多い
中国ドラマのスリーキングダムでも荀彧はめちゃくちゃいいキャラで描かれていた曹操が魏王になるときの荀彧と程昱の舌戦と劉協の困惑具合、そして曹操の表情といいあそこは良かった
あの荀彧はほんと凄かった。てかあの映画は声優陣も完璧な配役、
今日も楽しませていただきました!リクエストなんですが、羊コの解説をお願いしたいです!
申し訳ありません。リクエストはFanboxにて受け付けておりますので、興味が御座いましたら是非、覗いていただけると嬉しいです (。・ω・。)
どっちが上とかではなく、魏の「筆頭軍師」と呼ばれるのは基本的に荀彧ではなく荀攸な気がします
荀文若大好き!人材に恵まれた曹操が羨ましすぎる
仲謀とか公謹とかで外堀攻めてんやったらそろそろ文台か伯符って本丸も攻めて欲しいなァ(笑)
わざわざ『荀彧推挙中のはずれ人材』として史書に名を残す厳象と韋康かわいそう
軍師連盟で出てきた「荀令君」って呼称はどういう意味なのかな?
史書にも確かに曹操が「令君」と呼んでいたみたいな逸話がありますね。ただ、その呼び方が何に由来するのか、その詳細な出典元などは勉強不足のためちょっと分かりかねるところです(;'∀')ただ荀彧は「尚書令」という行政長官の役職を担っていた人物であり、長らく曹操政権の筆頭臣下を務めていました。また当時は「(姓+)役職名」で人を呼称することも多く、その派生みたいな形なのかなぁと思ったりしています。(例えば諸葛亮は「丞相」もしくは「諸葛丞相」みたいな)
荀彧は名士ネットワークの中心にいたからタイミングとして曹操の魏公就任に反対せざるを得なかったのかな?と思います。個人的には、魯粛みたいに最初から主人に帝位についてもらうことくらい考えてたんじゃないかなーと笑
曹操に進めてるのも覇道な感じはありますし、帝位簒奪は普通に考えていそうなんですよね。タイミングが噛み合わなかっただけで(゜ω゜)
確かに漢の臣なのか魏の臣なのか不明ですなぁ~しかし解説にある通りあくまで曹孟徳の臣である行動もしているので二心はなかったと私も思いますに。
荀彧は、利用できる者は、徹底的に利用しようとしたのでは。赤壁の戦い以降は、曹操の思惑と嚙み合わ無くなり、ああいう最後になったのでは。曹丕の代まで生きていても左遷されたのでは。
そもそも曹操の魏公就任自体が異例過ぎる案件(漢朝の歴史で郡国制が敷かれて以降、王公に就いていいのは劉氏のみで曹操が初)で、さらには魏郡だけを私有とするだけではなく冀州一帯の殆んどを曹操に与えるという露骨に私欲な案件だったので内部からも外部からも非難されても仕方ない事件なんですよねこれ荀彧が憂いたのはまさに曹操の評判を落としかねないことなんだと思います。事実210年代は毎年反乱が起きており危機的情勢だったんですよね。結果、劉備の入蜀を許し、後には孫権に荊州を取る名分を与えて曹氏による天下統一を遠のかせてしまったように思えます
よくぞ荀彧が弱小時代の曹操についてくれたものだと思う。おそらく初期の2人は乱世を終わらせ、平和な世を築こうという約束のもと力を合わせたのだろう。荀彧にとって、曹操が乱世を終わらせる候補者として最もまともだったわけだ。
荀彧文若!ついにあらゆるものを見聞し頭の中に天下をおさめてしかもそれらをすっかり忘れて戻ってまいりましたあーーッ
あの荀彧像も珍しいですよね(笑)イケメンの天才じゃなくて、泥臭く曹操について行こうとしている感じがとても好きでした(゜∀゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 初期の少年時代のシャキッとした荀彧が従来の荀彧像ですね。
蒼天航路の荀彧…非常に良いですね。彼の最後は泣ける…
その後に出てくる石徳林で、また胸が締め付けられるんですよね……(゜ω゜)
蒼天の荀彧は曹操上げのために改悪された感じがしてちょっと苦手です曹操が荀彧育てたみたいな脚色は疑問もあります
SOSO「ホイ、カラッポのプレゼント!w」Junイク「ンァァァァァァァァァァァァァア!!………」
サムネの荀彧の絵、ルパン三世っぽく見えた
荀いくの人材ネットワークと後方支援が無かったら曹操の勢力は一代であれだけの勢力にはなれなかったと思うよ。
自分がその時代の群雄だったらまず最初に荀彧が欲しいなぁ…芋づる式に有能な人材がやって来る
荀彧「あなたは英雄の素質ではない。さようなら」
横山三国志では地味だけど光栄のデータでは妙に能力が高いんで不思議だったけど数多いる曹操勢力の逸材を集め、土台を築けたのはこの人なしにはありえなかったんだな
19:20荀彧や郭嘉は何か袁紹に恨みでもあるんでしょうかね〜?w
たぶん袁紹のもとにはすでに人材が集まってて、思ったほど出世できないというか、自分の自尊心に見合った官職が得られなかったのではないかなと。そこで大抜擢されたならまだしも、そこそこの役職しかもらえなかったから見限って、逆に厚遇してくれた曹操に対して袁紹をボロクソ言ったんじゃないかなーと思ってます笑
@@櫛森鉄平 なるほど、大業を為す器じゃないというのは、(俺を厚遇しないような見る目の無い奴は)大業を為す器じゃないという風にも思える訳ですね。普通なら負け惜しみなのに、この2人が言うと真実なのが面白いw
そうじゃなく、袁紹が人の才能を正しく評価できない人間だったからだろ。配下には逢紀の様に讒言する人間がいて、それを重用していたぐらいだからね
@@parttimestaff-officer 後の歴史だけを見るなら、確かにその通りですね!
@@櫛森鉄平 袁紹は功臣を容赦なく粛清するからでしょうね張導が粛清された時期と荀彧が袁紹の元にいた時期が被るので個人的にはその経緯で袁紹が覇業を為す器ではないと考えたのだと思ってます。若しくは荀彧を冀州へ避難させた知己であり恩人でもある韓馥が袁紹に国を奪われた後自殺に追い込まれているのも影響が大きそうですただ袁紹が人材を正しく評価出来なかった人物であるとは思えないですね。袁紹の政権方針を考えるに当たっては袁紹個人の資質のみをすべての事象の根拠には出来ないと思いますちなみに袁紹が粛清した人物だと張導・麹義・田豊、粛清されそうになって逃亡した人物に董昭・張邈・呂布・許攸などがいます
荀彧も命脈尽きている漢王朝が再興できるとは思っていないだろうに、魏公就任を反対したのはなぜだろうと思ってましたが、そういった解釈もあったんだと目から鱗でした^_^
荀彧に関しての解釈は結構、人によって分かれます。それだけやはり、その影響力が強かったという事でもあるのでしょう。
荀彧大好きです。最近の三国無双で荀彧、荀攸がプレイアブルキャラになったみたいですね。やっと出たか!という感じです。
無双にはまだまだ登場していただきたいキャラがたくさん……(笑)
正史が演義か忘れたけど、曹操が皇帝の弓を使って獲物を撃つと言うのもあるからなぁー。その時に劉備らはもちろん、荀彧もあまり良い顔はしてなかったからなぁ。漢の臣下だからか、それとも曹操が調子に乗ってるのをあまりよく思ってないだけかはわかんないけどもね。
僕荀彧さん好きなんですよねぇ...
人気ありますよね(゜ω゜)
漢室復興の為に曹操に協力したのに、まさか自分で漢室を滅ぼす手助けしたに過ぎなかった現実に耐えれず死を選んだんじゃないかな…。
よく曹操は荀彧を張良に例え、荀彧は曹操を劉邦に例えており、なんとなく、復興を目指していたとは考えにくいんですよね。復興や再興を目指すなら光武帝に例えそうなところですし。
劉備の諸葛亮曹操の荀彧みたいなイメージ
その類いになると孫権は張昭ですが、周瑜や陸遜の名前が挙がりがちという(゜ω゜)
劉備の諸葛亮、曹操の荀彧にあたる人は、孫権の魯粛なんじゃないかなって思ってます。
自分のイメージでは、臣下の代表者で、人脈の中心的な位置づけなので、張昭かなーって感じですね(゜∀゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA なるほど、そういう風にも言えますね。私のイメージは、君主の師であり大戦略を担当するといったところなので魯粛かと。
劉備と諸葛亮も曹操と荀彧も協力しつつも名士の扱いも含めてバチバチやってるイメージ。魯粛は名士ではないので名士ネットワークとは別の人。張昭と孫策、孫権の関係が近いですね。陸遜はちと複雑。
漢の臣下なら劉備に仕えてたら···そう考える時もある
陳羣がついて行けなかったので、荀彧も劉備について行くのは難しそうな気もします(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 確かにw
やはり赤壁がキーポイント。
司馬懿が最も高く評価した人物だものね
荀彧以上の人材を私は知らないってレベルですよね。司馬政権ではしっかりと荀氏も復権してますし、よっぽど尊敬していたんでしょうね(゜ω゜)
司馬懿も最初の仕官ルートには荀彧が関わっているからね。
すまん、流石に荀彧わ
スリキンの荀彧と許褚の関係が特に好き♪曹操を劉邦に例えたというのは創作だって話もあるので何とも解釈しづらいですよね。劉弁を廃した劉協を立てた董卓や、その劉協を認めず自ら帝位についた袁術、同じく劉虞を帝として担ごうとした袁紹を嫌ってた気がするので、個人的にはやはり漢臣だと思ってます。許に残って劉協に仕えてるうちに感化されたかもですが。
スリキン荀彧の、あの堂々とした振る舞いは本当にカッコいいですよね。スリキンは役者が素晴らしい(゜∀゜)
先生、私には学がないので殿のお言葉の意味がわからなかったのです…教えていただけませんか?おぉ、許殿…あのお言葉は、これこれこう言う意味なのですよみたいなエピソード好き、なんかホッコリする
我が脂肪・・・いらない。
なぜ張良といわれるのでしょうか?どちらかというと蕭何の役割な印象なんですが。
初めに曹操は荀彧を「司馬」という軍事補佐の役職に就けていますから、最初の方は軍師としての活躍を期待していたんだと思います。
荀彧は「太祖(曹操)、雖征伐在外、軍國事皆與彧籌焉」と正史にあるように官職こそ朝廷で天子と接したり人材の推挙などがメインの職務にありますが、実態は戦略的助言もする参謀としての役割も晩年までしていました。赤壁直前の荊州攻略などは荀彧の提案した戦略に沿った進軍経路を取り劉琮を降しました(まぁあっさり降伏してくれたのは蔡瑁と劉備の対立の影響があるでしょうが)
郭嘉が一番名参謀だと個人的には思う。
イメージ的に、軍事は郭嘉>荀彧、政治は荀彧>郭嘉だなあ。蜀で言う諸葛亮=荀彧、法正=郭嘉
荀イク…漢に殉じて逝ったのか?
はてさて如何でしょう(゜ω゜)(笑)
横山三國志を読んだら、吉川英治の原案と北方けんぞうと三好の作も読むと面白いよ😃荀彧は、有能なかくか、かく、司馬懿、に曹操に口うるさいので、空の弁当箱を荀彧に送り、おまえに食わせる飯は、ないと知らしめて、首を吊った、荀彧です❗️
@@鳳雛飛翔-y1g ちょっと何言ってるかわかりません。横山三国志読んだとは一言も言ってませんし、北方を読んでないとも言ってません。あと句読点はそんなつけるものじゃないです。
@@ファインダー越しの艶やかな豆腐 さんへ、郭嘉とカクですので句読点を打たないと読めないだろうと考えました。
@@鳳雛飛翔-y1g 以下引用したものに補足。「、」は私が要らないと思った読点です。()は修正案。横山三國志を読んだら、吉川英治の原案と北方けんぞうと三好の作も読むと面白いよ😃荀彧は「、」有能なかくか「、(・にすべき)」かく「、(同)」司馬懿、に曹操に口うるさいので、←ここ一番意味わからない。 に は二個重ねるものではない。誰が誰に言ってるのかわからない。空の弁当箱を荀彧に送り、おまえに食わせる飯は「、」ないと知らしめて「、」首を吊った、荀彧です。(曹操が空の弁当箱を荀イクに送り、「お前に食わせる飯はないと知らしめた結果首を吊った荀イクです。」)
荀彧の子孫に東晋で荀はく子がいます!
三国志とは、中国版の聖書のような物と思えるようになってきた。優れた人材が多かった古代、その知己をひけらかすことなく慢心せず同位の意識を持つ者と顔見知りになって更にその知識を昇華させていった。現代ではどうだろう?個の小さき世界観が絶対的だと過信している奴等が日本でも多くなったのではないだろうか?歴史は専門家の私論の上で成り立っているもので明確な資料ではない。優れた人材が生まれるということは、それだけ国が腐敗しているという見方も出来る。だから聖書などが生まれたのだと思う。腐敗している国家は日本を含め世界中にあるが、ではどうして聖書や三国志を超える物が出てこないか?答えは至極簡単で「それを上回る人物が生まれていないだけ」となる。つまりこれらの名著を超える存在でない限り、常に2番煎じであるという意識を持つことだと言いたい。
お前は用無しだ、って言われて死んだ、って聞いてお前いらない、って言われてそれで死んじゃったんならそれってその人心の病気だったんじゃない、普通死なないよ?って思った覚えがある。鬱とか
王允と違って、ガチの王佐の才
王允も、頑張ったんだよ……空回ってる感じはあるけど(ぇ
@@KOUMEI_NO_WANADA でも、呂布ですら馬鹿にした態度を取り、董卓の部下を許さず、サイヨウを董卓を哀れんだだけで処刑したり、同僚に威張り散らし、嫌われた度量の小さい男。蒼天航路の最後が相応しい。
荀彧の人脈をお手軽に体験できるのが光栄三国志の人材推挙イベントですね。
Ⅵでの荀彧加入からの怒涛の人材推挙イベントが凄まじかった印象あります。
荀彧については他にも面白い題材が山ほどありますねえ。宦官との関係、禰衡のイケメンエピソード、人事権を握っているのに公平だったこと、子孫の話。
記述が途中からパッタリ消えるのは、曹操が鄴に駐在するようになって許の荀彧と物理的に離れていたからということあるんだろうけど。
あー確かに、荀彧は皇帝の監視役みたいなポジションでしたし、そういえば曹操とは距離が離れるのか……(゜ω゜)
荀彧は毎日献帝と顔を合わしてたわけで、遠征でしょっちゅう留守にしてる曹操が不安に思ったというのも想像がつくんですよね~。
動画面白かったです。魏公就任に関しては曹操も荀彧も間違ってないし
これで仲違いしてしまったのはなんか悲しいですね
ほんの少し、でも決定的にどこかで歯車が噛み合わなくなった、そんな寂しさがありますね
後漢きっての狂人の禰衡が荀彧を「弔問の使者に丁度良い」と馬鹿にしながらもその風采の良さは認めている逸話が印象に残ってますね。
禰衡の伝記は、荀彧の伝記に包括されてるので、なんだか深い関係性を感じてしまう……(笑)
横山三国志では 初登場の容姿と後の容姿の変わり様にビックリだぜ(笑)初登場は白木屋のキャラクターみたい
そういや曹操の魏公就任については董昭の献言だが、後年蜀でも爵位と九錫の違いとは言え、似たような事例がありましたね。
もっとも蜀の方は献言された人が固辞したけど。
荀彧は人心掌握というかコミュ力が半端ない
これは好物でございますわぁ…楽しませて頂きます…!
是非ともお手柔らかに……(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA
「志村後ろ!」が如く「曹操我が子房!」と自分がその場に居たとしたら言いたい(釜茹
10年以上前に読んだ荀彧主人公の小説の解釈が面白かったですね。最後漢室派を自分の所に集めて的になるために曹操の贈り物が空だったと吹聴するやつ。王を支えるんじゃなくて自分が王になりたかったが曹操を支えるのが一番正解というジレンマ
荀彧が漢の忠臣か曹操の味方かは本当に人によって意見が分かれる所。
そして荀彧の孫の陳泰も魏の忠臣か司馬昭の味方かで意見が分かれるという…。
ガッツリ司馬昭の側近的立ち位置で、司馬昭側に見るのが自然ですが、父の陳泰はそもそも司馬懿よりも上位の名士代表でしたから、いろいろな角度から見れるという……(゜ω゜)
三國志14で曹操で帝位簒奪しましたけど、ジュンイクが嬉々として皇帝を脅迫してしまいまして、何だか納得してしまいました。
実際、魏公になった事で蜀が声高に魏を簒奪者呼ばわりして自らの正統性を主張し、それは何度も行われる北伐へと繋がったので魏にとっては面倒なことになってしまったんですね
荀彧は曹一族支配の安定のために他に何か方法を提案すべきでした
演義では最初から野心があったように描かれているけど、実際に曹操が魏の建国を考え付いたのは赤壁の戦いで敗れて天下統一を諦めてからだとすればどうだろう?
これなら荀彧のそれまでの曹操への忠勤ぶりも、曹操の魏公就任には反対したことも「漢の忠臣としての行動」という事で説明がつく。
つまり、劉表征伐→劉備・孫権も同時進行で征伐からの完了→漢王朝再統一・・・の流れが不可能になったことで、未来を見据えて敢えて漢を倒す布石を打つために魏公に就任したと。
人材コレクターの曹操と豊富な人材への人脈を持つ荀彧との相性が最高だったんですね〜
そりゃ最大勢力の魏を建国出来るわけだ…
荀彧は漢を最大限に利用して、董卓のように他勢力から敵対視されないよう気を遣って曹操が魏を建国する下地を整えていたのかもしれませんね〜
曹操と荀彧の国と言っても過言ではないレベルと個人的に思ってます!
@@KOUMEI_NO_WANADA そうですね!
でも荀彧は地盤を固めながら堅実に、曹操はある程度最短ルートで魏を建国したかったからすれ違ったのかなぁ…と思います。
赤壁と劉備の存在が全てを狂わせた感はありますね^^;
@@KOUMEI_NO_WANADA 本来なら勝って天下統一の足がかりになる戦力差だったのに大敗してますからね…
当時の曹操ブチ切れてそうですw
@@KOUMEI_NO_WANADA 全くその通りで、演義では劉備は流浪のヒーローだけど、当時の世相から見たら天子を擁する曹操が正義なのは当然で、劉備はいたずらに乱世を長引かせた張本人、朱子学が流行する以前の歴史学(小説や民間伝承を除く)では迷わず正統だとみられていたからね。
荀イクは曹操暗殺に関与していたのですかね?
そうでもしないと書物を処分すると自害する理由が見つからないです
荀彧はいわゆる軍師ではなく、政治家として曹操に尽くしたのだろう。三国志最大の英雄である曹操の不思議なところは、不利だった官渡の戦いには劇的大勝利を収めたのに、自軍が勝る赤壁や、漢中の戦いでは大敗。まさか油断したとは思えないから不思議。
three kingdomの演説かっこよかったなぁ
史実とは違うみたいだけど
史実での十の勝因は郭嘉の台詞ですね。でも、荀彧も四つは挙げてます。袁紹さんかわいそう(ぇ
このドラマ、郭嘉が目立たないイメージ。程昱が逆に出番が多い
中国ドラマのスリーキングダムでも荀彧はめちゃくちゃいいキャラで描かれていた
曹操が魏王になるときの荀彧と程昱の舌戦と劉協の困惑具合、そして曹操の表情といい
あそこは良かった
あの荀彧はほんと凄かった。てかあの映画は声優陣も完璧な配役、
今日も楽しませていただきました!
リクエストなんですが、羊コの解説をお願いしたいです!
申し訳ありません。リクエストはFanboxにて受け付けておりますので、興味が御座いましたら是非、覗いていただけると嬉しいです (。・ω・。)
どっちが上とかではなく、魏の「筆頭軍師」と呼ばれるのは基本的に荀彧ではなく荀攸な気がします
荀文若大好き!人材に恵まれた曹操が羨ましすぎる
仲謀とか公謹とかで外堀攻めてんやったらそろそろ文台か伯符って本丸も攻めて欲しいなァ(笑)
わざわざ『荀彧推挙中のはずれ人材』として史書に名を残す厳象と韋康かわいそう
軍師連盟で出てきた「荀令君」って呼称はどういう意味なのかな?
史書にも確かに曹操が「令君」と呼んでいたみたいな逸話がありますね。ただ、その呼び方が何に由来するのか、その詳細な出典元などは勉強不足のためちょっと分かりかねるところです(;'∀')
ただ荀彧は「尚書令」という行政長官の役職を担っていた人物であり、長らく曹操政権の筆頭臣下を務めていました。また当時は「(姓+)役職名」で人を呼称することも多く、その派生みたいな形なのかなぁと思ったりしています。(例えば諸葛亮は「丞相」もしくは「諸葛丞相」みたいな)
荀彧は名士ネットワークの中心にいたからタイミングとして曹操の魏公就任に反対せざるを得なかったのかな?と思います。
個人的には、魯粛みたいに最初から主人に帝位についてもらうことくらい考えてたんじゃないかなーと笑
曹操に進めてるのも覇道な感じはありますし、帝位簒奪は普通に考えていそうなんですよね。タイミングが噛み合わなかっただけで(゜ω゜)
確かに漢の臣なのか魏の臣なのか不明ですなぁ~
しかし解説にある通りあくまで曹孟徳の臣である行動もしているので
二心はなかったと私も思いますに。
荀彧は、利用できる者は、徹底的に利用しようとしたのでは。赤壁の戦い以降は、曹操の思惑と嚙み合わ無くなり、ああいう最後になったのでは。曹丕の代まで生きていても左遷されたのでは。
そもそも曹操の魏公就任自体が異例過ぎる案件(漢朝の歴史で郡国制が敷かれて以降、王公に就いていいのは劉氏のみで曹操が初)で、さらには魏郡だけを私有とするだけではなく冀州一帯の殆んどを曹操に与えるという露骨に私欲な案件だったので内部からも外部からも非難されても仕方ない事件なんですよねこれ
荀彧が憂いたのはまさに曹操の評判を落としかねないことなんだと思います。事実210年代は毎年反乱が起きており危機的情勢だったんですよね。結果、劉備の入蜀を許し、後には孫権に荊州を取る名分を与えて曹氏による天下統一を遠のかせてしまったように思えます
よくぞ荀彧が弱小時代の曹操についてくれたものだと思う。おそらく初期の2人は乱世を終わらせ、平和な世を築こうという約束のもと力を合わせたのだろう。
荀彧にとって、曹操が乱世を終わらせる候補者として最もまともだったわけだ。
荀彧文若!
ついにあらゆるものを見聞し頭の中に天下をおさめてしかもそれらをすっかり忘れて戻ってまいりましたあーーッ
あの荀彧像も珍しいですよね(笑)
イケメンの天才じゃなくて、泥臭く曹操について行こうとしている感じがとても好きでした(゜∀゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA 初期の少年時代のシャキッとした荀彧が従来の荀彧像ですね。
蒼天航路の荀彧…
非常に良いですね。
彼の最後は泣ける…
その後に出てくる石徳林で、また胸が締め付けられるんですよね……(゜ω゜)
蒼天の荀彧は曹操上げのために
改悪された感じがしてちょっと苦手です
曹操が荀彧育てたみたいな脚色は疑問もあります
SOSO「ホイ、カラッポのプレゼント!w」
Junイク「ンァァァァァァァァァァァァァア!!………」
サムネの荀彧の絵、ルパン三世っぽく見えた
荀いくの人材ネットワークと後方支援が無かったら曹操の勢力は一代であれだけの勢力にはなれなかったと思うよ。
自分がその時代の群雄だったらまず最初に荀彧が欲しいなぁ…芋づる式に有能な人材がやって来る
荀彧「あなたは英雄の素質ではない。さようなら」
横山三国志では地味だけど光栄のデータでは妙に能力が高いんで不思議だったけど
数多いる曹操勢力の逸材を集め、土台を築けたのはこの人なしにはありえなかったんだな
19:20
荀彧や郭嘉は何か袁紹に恨みでもあるんでしょうかね〜?w
たぶん袁紹のもとにはすでに人材が集まってて、思ったほど出世できないというか、自分の自尊心に見合った官職が得られなかったのではないかなと。そこで大抜擢されたならまだしも、そこそこの役職しかもらえなかったから見限って、逆に厚遇してくれた曹操に対して袁紹をボロクソ言ったんじゃないかなーと思ってます笑
@@櫛森鉄平
なるほど、大業を為す器じゃないというのは、(俺を厚遇しないような見る目の無い奴は)大業を為す器じゃないという風にも思える訳ですね。
普通なら負け惜しみなのに、この2人が言うと真実なのが面白いw
そうじゃなく、袁紹が人の才能を正しく評価できない人間だったからだろ。配下には逢紀の様に讒言する人間がいて、それを重用していたぐらいだからね
@@parttimestaff-officer 後の歴史だけを見るなら、確かにその通りですね!
@@櫛森鉄平 袁紹は功臣を容赦なく粛清するからでしょうね
張導が粛清された時期と荀彧が袁紹の元にいた時期が被るので個人的にはその経緯で袁紹が覇業を為す器ではないと考えたのだと思ってます。若しくは荀彧を冀州へ避難させた知己であり恩人でもある韓馥が袁紹に国を奪われた後自殺に追い込まれているのも影響が大きそうです
ただ袁紹が人材を正しく評価出来なかった人物であるとは思えないですね。袁紹の政権方針を考えるに当たっては袁紹個人の資質のみをすべての事象の根拠には出来ないと思います
ちなみに袁紹が粛清した人物だと張導・麹義・田豊、粛清されそうになって逃亡した人物に董昭・張邈・呂布・許攸などがいます
荀彧も命脈尽きている漢王朝が再興できるとは思っていないだろうに、魏公就任を反対したのはなぜだろうと思ってましたが、そういった解釈もあったんだと目から鱗でした^_^
荀彧に関しての解釈は結構、人によって分かれます。それだけやはり、その影響力が強かったという事でもあるのでしょう。
荀彧大好きです。
最近の三国無双で荀彧、荀攸がプレイアブルキャラになったみたいですね。
やっと出たか!という感じです。
無双にはまだまだ登場していただきたいキャラがたくさん……(笑)
正史が演義か忘れたけど、曹操が皇帝の弓を使って獲物を撃つと言うのもあるからなぁー。その時に劉備らはもちろん、荀彧もあまり良い顔はしてなかったからなぁ。漢の臣下だからか、それとも曹操が調子に乗ってるのをあまりよく思ってないだけかはわかんないけどもね。
僕荀彧さん好きなんですよねぇ...
人気ありますよね(゜ω゜)
漢室復興の為に曹操に協力したのに、まさか自分で漢室を滅ぼす手助けしたに過ぎなかった現実に耐えれず死を選んだんじゃないかな…。
よく曹操は荀彧を張良に例え、荀彧は曹操を劉邦に例えており、なんとなく、復興を目指していたとは考えにくいんですよね。
復興や再興を目指すなら光武帝に例えそうなところですし。
劉備の諸葛亮
曹操の荀彧みたいなイメージ
その類いになると孫権は張昭ですが、周瑜や陸遜の名前が挙がりがちという(゜ω゜)
劉備の諸葛亮、曹操の荀彧にあたる人は、孫権の魯粛なんじゃないかなって思ってます。
自分のイメージでは、臣下の代表者で、人脈の中心的な位置づけなので、張昭かなーって感じですね(゜∀゜)
@@KOUMEI_NO_WANADA
なるほど、そういう風にも言えますね。
私のイメージは、君主の師であり大戦略を担当するといったところなので魯粛かと。
劉備と諸葛亮も曹操と荀彧も協力しつつも名士の扱いも含めてバチバチやってるイメージ。魯粛は名士ではないので名士ネットワークとは別の人。張昭と孫策、孫権の関係が近いですね。陸遜はちと複雑。
漢の臣下なら劉備に仕えてたら···そう考える時もある
陳羣がついて行けなかったので、荀彧も劉備について行くのは難しそうな気もします(笑)
@@KOUMEI_NO_WANADA 確かにw
やはり赤壁がキーポイント。
司馬懿が最も高く評価した人物だものね
荀彧以上の人材を私は知らないってレベルですよね。司馬政権ではしっかりと荀氏も復権してますし、よっぽど尊敬していたんでしょうね(゜ω゜)
司馬懿も最初の仕官ルートには荀彧が関わっているからね。
すまん、流石に荀彧わ
スリキンの荀彧と許褚の関係が特に好き♪
曹操を劉邦に例えたというのは創作だって話もあるので何とも解釈しづらいですよね。
劉弁を廃した劉協を立てた董卓や、その劉協を認めず自ら帝位についた袁術、同じく劉虞を帝として担ごうとした袁紹を嫌ってた気がするので、
個人的にはやはり漢臣だと思ってます。許に残って劉協に仕えてるうちに感化されたかもですが。
スリキン荀彧の、あの堂々とした振る舞いは本当にカッコいいですよね。スリキンは役者が素晴らしい(゜∀゜)
先生、私には学がないので殿のお言葉の意味がわからなかったのです…教えていただけませんか?
おぉ、許殿…あのお言葉は、これこれこう言う意味なのですよ
みたいなエピソード好き、なんかホッコリする
我が脂肪・・・いらない。
なぜ張良といわれるのでしょうか?
どちらかというと蕭何の役割な印象なんですが。
初めに曹操は荀彧を「司馬」という軍事補佐の役職に就けていますから、最初の方は軍師としての活躍を期待していたんだと思います。
荀彧は「太祖(曹操)、雖征伐在外、軍國事皆與彧籌焉」と正史にあるように官職こそ朝廷で天子と接したり人材の推挙などがメインの職務にありますが、実態は戦略的助言もする参謀としての役割も晩年までしていました。赤壁直前の荊州攻略などは荀彧の提案した戦略に沿った進軍経路を取り劉琮を降しました(まぁあっさり降伏してくれたのは蔡瑁と劉備の対立の影響があるでしょうが)
郭嘉が一番名参謀だと個人的には思う。
イメージ的に、軍事は郭嘉>荀彧、政治は荀彧>郭嘉だなあ。
蜀で言う諸葛亮=荀彧、法正=郭嘉
荀イク…漢に殉じて逝ったのか?
はてさて如何でしょう(゜ω゜)(笑)
横山三國志を読んだら、吉川英治の原案と北方けんぞうと三好の作も読むと面白いよ😃
荀彧は、有能なかくか、かく、司馬懿、に曹操に口うるさいので、空の弁当箱を荀彧に送り、おまえに食わせる飯は、ないと知らしめて、首を吊った、荀彧です❗️
@@鳳雛飛翔-y1g ちょっと何言ってるかわかりません。横山三国志読んだとは一言も言ってませんし、北方を読んでないとも言ってません。
あと句読点はそんなつけるものじゃないです。
@@ファインダー越しの艶やかな豆腐 さんへ、郭嘉とカクですので句読点を打たないと読めないだろうと考えました。
@@鳳雛飛翔-y1g
以下引用したものに補足。
「、」は私が要らないと思った読点です。
()は修正案。
横山三國志を読んだら、吉川英治の原案と北方けんぞうと三好の作も読むと面白いよ😃
荀彧は「、」有能なかくか「、(・にすべき)」かく「、(同)」司馬懿、に曹操に口うるさいので、←ここ一番意味わからない。 に は二個重ねるものではない。誰が誰に言ってるのかわからない。
空の弁当箱を荀彧に送り、おまえに食わせる飯は「、」ないと知らしめて「、」首を吊った、荀彧です。
(曹操が空の弁当箱を荀イクに送り、「お前に食わせる飯はないと知らしめた結果首を吊った荀イクです。」)
荀彧の子孫に東晋で荀はく子がいます!
三国志とは、中国版の聖書のような物と思えるようになってきた。
優れた人材が多かった古代、その知己をひけらかすことなく慢心せず同位の意識を持つ者と顔見知りになって更にその知識を昇華させていった。
現代ではどうだろう?
個の小さき世界観が絶対的だと過信している奴等が日本でも多くなったのではないだろうか?
歴史は専門家の私論の上で成り立っているもので明確な資料ではない。
優れた人材が生まれるということは、それだけ国が腐敗しているという見方も出来る。
だから聖書などが生まれたのだと思う。
腐敗している国家は日本を含め世界中にあるが、ではどうして聖書や三国志を超える物が出てこないか?
答えは至極簡単で「それを上回る人物が生まれていないだけ」となる。
つまりこれらの名著を超える存在でない限り、常に2番煎じであるという意識を持つことだと言いたい。
お前は用無しだ、って言われて死んだ、って聞いて
お前いらない、って言われてそれで死んじゃったんならそれってその人心の病気だったんじゃない、普通死なないよ?って思った覚えがある。鬱とか
王允と違って、ガチの王佐の才
王允も、頑張ったんだよ……空回ってる感じはあるけど(ぇ
@@KOUMEI_NO_WANADA でも、呂布ですら馬鹿にした態度を取り、董卓の部下を許さず、サイヨウを董卓を哀れんだだけで処刑したり、同僚に威張り散らし、嫌われた度量の小さい男。蒼天航路の最後が相応しい。