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陸軍が戦車の生産を諦め、潜水艦を建造したこと。そして”補給は作戦であり、輸送が決戦である”という言葉の意味。これらの本質を知ることで、補給戦について少し理解が進むように思います。
鬼の首取ったようにインパールだなんだって喚いててなぁ…蓋開けたら海軍の護衛失敗で80%以上の物資喪失が原因じゃねーかとw一か月後に総作戦距離2400kmの大陸打通作戦成功させてるのはガン無視だからさらに笑える
@@呑龍ハルカ 男塾直進行軍
陸軍は意外とちゃんと補給を考えてるが、海軍はまったく考えてない…というか本気で軽視しているよなぁ。陸軍が海軍を無視してやったのは、海軍の補給軽視を理解しまったく信用しなくなった証拠だと思われる
まるゆの出来事・哨戒任務に駆り出されていた日本郵船の貨物船に体当たりされる・海軍の輸送艦から敵艦と誤認される・1945年4月天一号作戦の為に出撃中の大和とすれ違い、登舷礼を交わしている(その優雅かつ勇壮な姿に、まるゆの乗組員は感激した直後大和の引き波をモロに被ってずぶ濡れ)・上記の出来事で本名盛一艇長は海軍びいきになり、陸軍高官の前で海軍式敬礼をしてしまいさんざん罵倒された挙句に左遷、左遷されなかった仲間達は同年8月6日早朝、広島に到着しあの日を迎えた
まるゆの本名さんのエピソードは初めて知りました('ω')大日本帝国陸軍は敬礼に厳格だったと聞きますのでお怒りも相当だったと思いますが結果的に助かったのは運がいいということですかね('ω')
「お前らのせいだろ。お前らが補給線を守れないからだろ。」今年一番胸に沁みた言葉です。
違いますね?補給線云々以前の問題対潜哨戒出来ないから、この様現在の自衛隊では、決して考えられない陸海空が、しっかり連携自分は、元自衛官以上
欧米と違って日本は侵略素人だし、アメリカが早くからオレンジ計画を練ってたのに対して日本は国民党追撃してたらいきなり背後からアメリカが仕掛けてきて何の準備も出来てなかったからな。
@@ys4414 ちょ何言ってるのか分からない
@@nineball9236 そのまんまの意味だが?欧米は日本と違って数百年間ノウハウを培ってきた侵略のプロフェッショナルだしアメリカも日本侵略はずーっと前から計画してたから海上補給線とかその辺スゲーしっかりしてると誉めてるんだが?
@@ys4414 オレンジ計画のことですかな?
私は平成29年から2年間長崎県の南島原市に単身赴任していました。その時地元の方との交流を通じて、「戦時中、口之津港に陸軍部隊が駐屯していた」という話を聞き不思議に思いました。島原半島南端の口之津町は、現在は過疎化が進んでいますが戦前から昭和40年ころまでは船員の町として栄えた町です。早崎水道を挟んで天草諸島が見え、港は風光明媚な天然の良港ですが、湾を囲む海沿いの陸地は陸軍の部隊が駐屯するには明らかに狭いと感じたのです。「海峡を守る砲台でもあったのかな」と思い聞き返すと「口之津にいたのは暁部隊」と答えが返って来ました。図書館の郷土史を調べると、マルユを有する陸軍の輸送部隊が戦時中に口之津に配備されていたことがわかり大変驚きました。資料には不時着して島にたどり着いたパイロットを救出した話が載っていましたし、あるおばあさんから直接「若い兵隊さんがお腹をすかせていたので親が家にあげて食事をご馳走した」と話しを聞かせてもらいました。長崎の軍関係で有名な施設、部隊は、佐世保鎮守府や大村航空隊、第21航空廠などがありますよね。しかし口之津町に暁部隊の口之津派遣隊があったとはそれまで全く知りませんでした。口之津はいい意味で陸の孤島。町は穏やかで、人は親切。そういう町にマルユが配備されていたなんて、と呆然としました。戦時中の僅かな期間とはいえ、余り知られていない歴史だと思います。
2号艇の突撃は、潜水艦なのに甲板にまで輸送物資満載で、夜間突入するも米駆逐艦に発見され37mm砲1門で砲撃戦を行っていたのは一応記録に残っている。その後は不明そもそも内海用の小型艇なのに外洋に出撃時点で無茶な話しかし補給を待つ味方のために無茶を承知で決行した当時の搭乗員には尊敬の念しか浮かばない
あたしの叔父、山本悌次郎はまるゆの1番2番艇のスクリューを見て、「これじゃダメだ」と実家の工場がスクリューを作っていたから、実家で作ってしまい、取り換えてしまった。それで、ようやく走れるようになった。
これに目を付けたのが、「鉄腕ダッシュ」で日本一周一筆書き、として実現した。
民間の技術がすごかった…
まるゆは、日本郵船の船に敵国の潜水艦と思われて追われる話とか、浮上走行中に米軍の戦闘機に見つかるが、情報にない潜水艦なので通り過ぎてしまう話とか面白いエピソードもありますが、軍港で大和を見かけて、まるゆの乗組員が敬礼すると、大和の甲板にいた乗組員が整列して敬礼の返礼すると、まるゆの乗組員が感動して泣く話が好き。
「補給が大事」って現代のフツーの仕事でも言えること(何回泣かされたか)
昔、勤務していた工場で、まるゆを建造していたと聞きます。兵器の製造メーカーですが、造船所ではなかったので海軍にマークされておらず、陸軍のまるゆの造船を担当したと聞きました。私が工場に勤務していたのは20世紀末でしたので、当時の面影は全くなく、工場と海が大きな国道で遮断されており、埠頭?だけが海に残っていた状態でした。工場に勤務時に、まるゆのことを想像したのですが、本当に当時の面影がなく、ここで潜水艦を建造したことが不思議でなりませんでした。
「まるゆ部隊の歌」はぜひ聞いてみてほしい。我が戦友待てる島近し、とか歌詞から溢れ出る使命感と健気さが…。まるゆは確かに出来悪いし歪な存在だけど、それとは別に心にくるものがある。
やはりトイレは大事な装備だと痛感しますね。潜水艦大国のナチスドイツ海軍のUボートが以外にもトイレの性能が悪すぎて、乗組員のストレスの一因になってたくらいですし。陸軍が潜水艦トイレで困っていた時に高性能の潜水艦用トイレを装備していたのが日本海軍という。(トイレの技術供与はなかってのかな?)
そうか。日本軍の陸戦兵器が更新されなかった理由の一つがまるゆ艇のせいだったんですね。チャンネル登録しました
陸軍が重要な戦車の製造をやめて、輸送用の潜水艦を急ピッチで進めていたこと。海軍が輸送用に建造した潜水艦を攻撃のために使っていること。この二つは両者をよく表した事例だと思う。
だがな…コレ『両方とも立場を考えると正しい事』なんだよ。陸軍はとにかく補給が必須だから『輸送優先』だが、海軍は『輸送する為には敵戦力を減らさんと輸送すら難しい』から『攻撃優先(攻勢防御)』だったんだよ。
結果論だけど、輸送用潜水艦建造して通商破壊に使うぐらいなら安価な攻撃用潜水艦を生産した方が効率よくね?とは思う。輸送用潜水艦より高いとは言っても攻撃型潜水艦の方が海域確保をしやすく、物資輸送量が少なくても海域の臨時確保中に陸軍の輸送用潜水艦(まるゆ)を送り届ければいいだけだし。ここまで言っといてなんだけど、理想論に過ぎないからこれを本当に行ったとして正解なのかは分からないっす…
@@浅井優也 攻撃優先(臆病)というのが問題だった三川艦隊が護衛艦隊滅した後に米輸送船団を壊滅させていれば?米空母が総出で餓島に航空機をせっせと輸送してる最大のチャンスに翔鶴・瑞鶴以下日本の機動部隊は何してた?比叡霧島に手痛い損害を受けたサウスダコタを考えたらケチらず長門…いや、せめて山城を投入していれば金剛より数段火力と装甲に優れているのでまだいい勝負出来たのでは…こんな有様じゃ敵戦力は減らんよね、と
@@呑龍ハルカ まあ、『後知恵』だけどね。確かに『アクセル全開で、フルブレーキ』って感じでチグハグしてるんですよね。
@@浅井優也 第三次ソロモン沖海戦は後知恵だけれど前述2案は本来主目標に定められてた案件で修理完了した加賀(珊瑚礁で損傷)はじめ機動部隊戦力の追加も可能だった真珠湾以後ならまだしもそれ以前で他3正規空母が使えない理由がない後知恵を追加するならMDより優先すべき案件
「潜航出来た!」と万歳をして喜ぶ陸軍将校「落ちた!」と唖然としドン引きする海軍将校
ありがとうございます!まるゆは詳しくなっかので、勉強になります。
軍事予算の半分を海軍に取られ、残りの半分を航空に全振りし、さらに船舶まで作らされてるんだから、そりゃ戦車なんかに手は回らないわな
とんでもないイロモノかと思ったら思ってたより丈夫で活躍したんだね。当時の陸軍の頑張りと、これを取り上げたうp主のセンスに脱帽。
まるゆかく戦えり投稿お疲れ様でした!
この気概を今の日本人は忘れていて悲しい。登録させていただきました。
今村大将は自身が蘭印攻略戦において輸送船を沈められて漂流を経験した。荒尾大佐も南方軍参謀として同じ経験をした。今村はガ島と東ニューギニアを担当して、制海権のない海は潜水艦でしか輸送困難と悟り、自ら危険をおかして潜水艦に乗組してニューギニアからラバウルまで移動し、内部の広さなども確認した。その後連合艦隊に老朽潜水艦を貸して欲しいと申し出たところ、けんもほろろに宇垣に断られた。その上で、船舶課長になっていた荒尾に陸軍で潜水艦をつくるよう依頼している。今村大将はさすがによく戦場をみているし、解決策についても的確で、手順も正しい。また、潜水艦は小型のほうが、発見されにくく命中されにくいのでよい。ドイツのUボートも小型だ。日本海軍のように大きな潜水艦をつくるのは戦略眼がないとおもう。費用や資材や燃料を消費して役立たずである。水面下の強みは何にあるかがわかっていない。日本の海軍将校は現場がわかっていないし勉強不足だ。なにより戦略を知らない。国家予算を多大に消費して艦艇をつくる資格がないと思う。
実に興味深いです。まるゆ自体が日本軍末期の仇花的に語られがちですが、陸軍としてはなんとしても輸送を優先せねばならなかった事がよく判ります。確かにこうした事情からすれば、重戦車なんか作っている場合ではありませんね…。
生きておられて何よりです。
陸軍の戦車用?鋼材は、たしかまるゆの他に機動艇(SS艇)になったり、海軍に譲渡されて二等輸送艦になったりしてますよね。意見が別れる所かもしれないけど、当時の状況を考えれば陸軍の英断だったのではと感じます。悲しい事に、量産どころかまともに造れるかも怪しい、輸送面も怪しい、現地でまともな運用ができるかも分からない(ぶっちゃけ出来そうにない)新型戦車に力をいれるよりよっぽど現実的という…。そしてこんな決断は、「輸送は決戦」だと大真面目に考えていなければできないと思う。
戦車の開発が滞った最大の原因がだらしねぇ♂海軍というオチ輸送手段確立してれば…戦場が密林砂漠島嶼でやっぱ優先度低くなるかw
まるゆについて、こんなに詳しく知ることは初めてでした。陸軍、相当頑張っていましたね。詳しい情報ありがとうございました😊
まるゆ艇が初めて潜航したときまるで沈没するように沈んでったから海軍側ではあわてて助けに行こうとしてたらしいけど、陸軍側では歓喜の声があがってたっていう話を聞いたことがある
@ZEROポジ 成る程、そう言う事だったんですね
??「落ちた!落ちた!」
参考にした西村式潜水艇もその場で潜航する形式だったそうです。
@@user-rd3rx5lt6r なんども「そういう風に作ったんだ」と説明しても信じてもらえなかったそうです
はぇ~勉強になります
最後のBGMうみゆかばで涙が出てきました……。
補給線を確保できないのはそこまで戦線を広げる時には分かってたよね……
最近感じるのは、夢見がちなのは海軍で、陸軍はもっと現実主義的だったのかなって
陸軍の本気度と執念が凄い…
アップロードお疲れ様でした、事もなげに詳細に考察してアップロードしていますけど、その時代のシチュエーション考えたらほんとに大変だろうなと思いました、資料なんかも散逸してしまっていると思うので。しかしこういう状況でも負けずに必死で戦ってきたんだァー私たちのご先祖様ありがとうと言いたい合掌
本当にそうですね。あらゆる手を尽くして国を救おうと必死で奮闘して下さったんですものね。今なら何とでも言えること。高みに立って偉そうに他人事のように批判する人たちの気が知れません。
まるゆが任務中に沖縄特攻に出撃する大和に遭遇してまるゆの艇長は大和に向けて敬礼して大和が返礼してくれてまるゆの艇長は海軍贔屓になってしまい艇長は昭和20年8月6日に広島県広島市の師団司令部に転任予定が左遷されて地方に回されたが原爆に合わずに済んで命拾いした。
帝国陸軍が輸送用潜水艇を独自に運用していた事実が驚きでした。更に「まるゆ」艇建造に日立笠戸工場が関わっていたとは、初耳でした。山口県の誇りです。そもそも、笠戸船渠を買収したのは、日立銅山を開発した長州人「久原房之助」です。彼は下松を一大工業ユートピアにする構想を持っていました。しかし、政界進出によりユートピア構想は頓挫し、久原財閥も傾き始めました。この地に唯一残ったのが笠戸船渠でした。この笠戸船渠が元となって日立笠戸工場になりました。感慨無量であります。
色々調べてみると海軍艦艇にあんた誰、潜れんの?って聞かれた時に陸軍の潜航艇ですが潜れるかどうかは返答する必要なしって意地になって答えてたりで面白いエピソード満載なので是非。
潜水艦に関しては陸海軍は仲良かったんだしかし日本軍で補給をきちんと考えている人達がいて良かったそういえば、今度陸自に輸送部隊ができるのか。
最後の一文が素晴らしい
『マルゆ艇』が国内で撃沈された場所の伊豆下田の住人です。撃沈された場所は下田の鍋田海岸で、冒頭画像の場所で画像右側の山が外洋からの目隠しになっています。波の静かな入江で小型の潜水艦の係留と物資の搭載場所には最適であったのではないかと思います。撃沈された経緯は米空母艦載機からの攻撃と聞いております。撃沈後は鍋田の入江に残骸を晒していたそうですが、朝鮮戦争の勃発後による鋼材需要から引き上げられスクラップにされています。
陸軍には航空母艦も所有してたね。
空母は無いよ、強襲揚陸艦みたいなやつは有ったけど(空母と輸送艦を一緒にしたやつ)
関係ないけど、関ヶ原ものの創作で九鬼水軍が「大和(奈良県、内陸である)とか三カ国くらいあげるから西軍に味方してください」とオファーが来て困惑するというシーン読んだことがあって、それをガチでやられたらこの動画の逆バージョンみたいになるんだな・・・・・・
三式潜航輸送艇通称「まるゆ」ですね。帝国陸軍はこれの外に全通甲板を持った揚陸艦「あきつ丸」も完成させて運用していますね。陸軍としては海軍がよほど当てにならなかったのでしょうね。
まるゆに動員されたのは元々は騎兵隊だったて話だったけど、騎兵隊を数か月、戦車に乗せて機械に慣れさせてから潜水艦に乗せたって。
昔、建造時の海軍技官の記事を読んだな。ある日陸軍の技官が海軍に訪ねてきて、図面を見せて「輸送用潜水艦を造るのですが、船尾が上手く行かない」と来て観てみたら、全体が駄目だから、図面を預かってこっちで書き直そうと、提案したらもうこの図面で資材の注文を出したとの事で、この図面の潜水艦をものにしなければ!と頭を抱えたとか。
ご苦労様でした😭
次回作待ってます!
「○ゆ」とかコンクリート輸送船、武装商船という苦肉の策は興味深いものがあるけどこのようなものが用いられるようになったらもう末期症状な訳ですね…。
生産優先で不具合を直しながら続々生産するというのは数を揃えるという意味では良い方法だったのかもしれない…確か四式戦闘機も増加試作機だけで100機くらいあるって聞いたことある。結果、大戦後期の日本戦闘機としては生産機数3000機超えで、数を揃えることには一番成功してる。
うぽつです!
マルユが海軍にバレた一つに、最後に出ていた給与手当てに関して、関係部署の主計将校が、叔父の井上成美海軍中将に問い合わせたと言われています。西村式潜航艇は、実業家の西村氏が建造した物で、2号艇には幾ばくかの陸軍の援助がありました。ワッセルマンエンジンは、ディーゼルエンジンの一種で、石油掘削機用機材の発動機です。伊豆で沈没艇の生存者は、復員後和歌山県県厚生課職員の悪意で傷痍軍人証明書を改竄され、被災日付を戦後にされ、長らく補償を受けられませんでした。
その厚生課職員、彼らになんの恨みが有ったのか?職務に公私混同があってはいけない。
@@丹下権蔵 様戦後民主主義の名の下に、当時の和歌山県知事が指示したと見られます。確か、生存者は曹長か准尉だったので、意図的に受傷を戦後としたようです。残念ながら有名な話です。
@@和泉一郎 様知事が何やってるんだか😢ググってみます。
昔、日立笠戸工場を見学したときに、色々教えてもらったなあ
海軍にも海軍の事情があります。でも輸送船を守れない海軍なんて!! 多くの兵員の命と物資が海底に(涙)
海軍は『正面戦力すら足りない』状態で戦争突入したからね。護衛なんて不可能なんだよ。
海上護衛総隊が出来たのが開戦直前で、割り当てられた船も燃料も人も不足…訓練を経て船と人が使い物になったと思ったら電話一本でもってかれる大井大佐もキレる訳ですあるタンカーの船長の言葉は「海軍には言いたいことはありますが、現場の人たちは責めれません」だそうです
@@浅井優也 ならせめて護衛なしで出してくれwそれなら少なくとも護衛艦艇による定時報告で位置に速度、進路も暗号解読で敵にバレて基地航空隊のピンポイント空襲だったり進路上に敵潜水艦隊が集い待ち構えてるーなんて状況にはならんかったしw
@@呑龍ハルカ 護衛無しで出しても結果は同じですよ。
@@浅井優也 太平洋で潜水艦が輸送船団見つけるなんて砂漠でビー玉見つけるくらい難しい作業ゾ現に緒戦で米軍はフィリピンに潜水艦基地持っていても日本の損害は軽微だったわけだし?それが定時報告というビーコンになったって言うね
まるゆは効率が悪いけど、大量の物資が必要な大作戦は自軍部隊も多数いて完全敵制空権・制海権下という訳ではないだろうから、まるゆの趣旨とは外れるんじゃないかな?まるゆは護衛が期待出来ない敵制空制海権下で確実に補給をする為に造られたんだと思いますね。
太平洋戦争中の大陸戦線の補給線ってどうなんでしょうか?鉄道がある分絶望的でないのでしょうか?大陸戦線を扱う人が少ないので、できるなら紹介していただきたいです。
大陸戦線の補給線は太平洋戦線よりはマシだったはずです。しかし、共産党ゲリラの攻撃により鉄道が破壊されることで補給が寸断されことが結構あったようです。また、太平洋戦線よりマシだっただけで、大会戦に耐えられるものではなく、帝国陸軍最後の大攻勢にして、枢軸国側で最後に戦術的な成功を収めた大陸打通作戦ではニューギニアほどではありませんが結構な数の餓死者が出ていたはずです。たしか、藤原彰氏の「餓死した英霊」に書いてあったはずです。この本は当時の日本軍の補給の実態について知識を深めることができる良作ではありますが、ただ、藤原彰氏の従軍経験はあくまで下級将校に留まり、戦略的な知見では当時の状況を無視したり、現実無視の理想論を唱えることが少しあるので注意が必要だと思っています。
大陸だと『最悪歩兵が担いで歩けば良い』で済む話だからね。
@@taaaaakaaaaa0000 麦ではなく『粟や稗』なんかだを腹一杯食って『麦は高値で売った』という話は聞いた事が有りますが。
海軍の全面協力があったとしても、玉砕までの時間を先延ばしにしただけだと思う何より国家総動員体制でもあの生産力では戦う以前の問題だよ…
自分の持ってる本に書いてあるのを載せると、まず海軍と三菱重工神戸造船所はタイ国の潜水艦シンサムッダ(370トン)を建造した時の図面を貸与してこれに協力したという。まるゆは小笠原第一〇九師団(膽兵団.タンヘイダン)にたいし昭和十九年末いらいなんども軍需物資を運んだ。まるゆ二号艇はマニラからレイテ島の第三五軍(尚兵団)へ軍需品の輸送を行なったが、昭和十九年十一月二八日、レイテ島の西方洋上で米第四三駆逐隊のソーフレイ、ウェーラー、プリングル、レンショーの四隻に捕まった。同艇は浮上したまま、必死に三七ミリ対戦車砲で応戦したが、被弾、沈没した。なお、米軍はこれを伊四六としている。また、まるゆ二号艇は引き上げられて昭和二○年五月、ドック型上陸艦ラッシュモアーにより米本土へ運ばれた。のち、まるゆの拡大型(三九ニトン)も建造されている。まるゆ スペック二七○トン 一○ノット三六○馬力 水中電池七五馬力発射管なし 九八式三七ミリ速射砲一 貨物ニ○トン 乗組員ニ四名追記 資料名 日本兵器総集昭和16〜20年版 潮書房
日本の周囲は海だらけだし‥船がなくなってくれば‥陸軍もそうなりますよね‥‥
戦前の時点では陸海軍ともに、英ソ蒋の「補給ルート」のあるインド洋やインドでの作戦が極めて重要であると意見が一致していたのに、なぜ海軍は途中から太平洋を重視し始めたんだろう真珠湾攻撃によって避戦派多数だった米国民を激高させた山本の面子を守るためか
海軍は明治四十年帝国国防方針から米国を仮想敵国として予算を得て、真珠湾攻撃は大正時代から主張されてきましたからね。いろいろと麻痺していたのでしょう。まぁ米国と戦争になればもっと予算を得ることができるのは間違いないですからね。軍人とはいえ官僚です。現在で言うところの財務省のように国益よりも自分たちの利益・省益拡大を優先したのでしょうね。
インド洋をある程度押さえられてたからからだよ。太平洋を重視しないと『アメリカから無制限に送られて来るから』という理由もある。
確かに、米国領が「非通知の」直接攻撃を受けたからこそ、米国も日本と戦うのに好都合な世論が出来ましたね。ルーズベルト大統領は歓喜したようですが。山本五十六氏の狙いは、太平洋の制海権を日本が握ることであって、米国の生産力が圧倒的である以上、常に米艦隊を探して撃沈させねば、時日の経過と共に制海権が奪われるという見通しがあったからだと…。真珠湾を攻撃せず、フィリピンの米軍も無視して、英蘭にのみ的を絞ればどうなっていたのでしょう。黙って見ていてくれたとは思えませんが…。
@@usaginanoha 既にアメリカから攻撃受けてたから無駄な仮説だよ。
山本の言い分は良く分かる。だからこそ、「ハワイだけはやるべきではなかった」と、声を大にして言いたい。アメリカは民からの十分な協力を得られなければ、史実の様な動きは絶対に出来ず、万全な体制になるまでもっと時間がかかる。この隙にインドとインド洋が落ちてイギリスが屈服する様なことがあれば、それこそアメリカは参戦意義を失い講和に応じるしかない。これは決して自分の妄想ではなく、戦前に帝国陸軍の戦争経済研究班がそう結論付け、後には米参謀総長ヘンリー・スチムソンまでも回顧録でそう書き残している。また、フィリピンに関しては戦前に作成された「腹案」では”米傀儡政権は残し、終末促進に利用する”と明記されている。(因みに支那事変中、日本軍がアメリカの軍艦を誤射する事件があった。この時のギャラップの調査では「全面戦争に拡大させる事でもない」という回答が大半であり、地球の裏側のどうせ手放すフィリピンごときで米国民が激高することは考えられない)ハワイ攻撃が無ければ、こういったやり方も十分あり得ただろう。そして、永野修身軍令部総長は戦後の取り調べで「インド方面の重要性は理解していたが、山本がハワイ攻撃を認めないと長官を辞めると駄々をこねたのでやらせた」という、「ハワイ攻撃を許可したのに合理的理由は無い」と認める様な発言をしている。山本は元帥称号を剥奪されても仕方がないだろう。
そもそも海軍と陸軍が初めから協力体制にあればもうちょいいい結果で終わってたんだろうなぁ
一見すると陸軍の遣ってる事はマトモに思えるけれど、ガダルカナルから撤退した時点で思い切り戦線を下げるのがマトモだと思うなぁ。
それが絶対国防圏構想でしたが(それでもニューギニア全体からの撤退には踏み切れなかったが)結局連合艦隊が絶対国防圏に反対し、大本営で決定された後も国防圏外で作戦を行ったため全く骨抜きになりました。
海軍としては日本から遠い所で戦争したかったのでしょうが、正にクソですね。
陸軍の中に海軍ができる。日本人の精神構造がなせる技。国際会議で各国は国の代表だけが来るが、日本だけは関係省庁が全部来て、それぞれ事務所を構える。
今度はあきつ丸、しんしゅう丸、やってくれ〜。陸軍、航空母艦、あきつ丸。強襲揚陸艦、しんしゅう丸。
まるゆ試験時陸軍「潜航できねぇ…………………………よし!潜航できた」海軍「あいつら大丈夫かなぁ………あれ?沈んでね?」
陸軍大威張り。海軍大慌て。だったそうですね。
まるゆは停止状態で潜航で、船尾から潜りだすので海軍潜水艦の常識で見ると「落ちた(沈んだ)」様に見えた
一応ちゃんと潜水したけど艦内では重油パイプが破れてえらいことになっていた。
輸送船特集をやってほしいです。牟田口氏の豪遊特集やってほしいです。
今村閣下がおっしゃるなら間違いない
2号艇は潜水機能が故障状態で出撃し喪失1号・3号艇はそのまま出撃し揚陸成功と戦史叢書を出典元とする記事がウィキべティアにあるがむしろ1・3号艇が出撃できなかったという話はどこからのものなのでしょうか?
まず第一に、戦史叢書41巻捷号陸軍作戦1の当該ページには、確かに輸送成功の文言が書かれています。ただし、この部分の参考文献は「当該部隊諸資料」としか書かれておらず、それ以上の参照不能です。一方、土井全二郎「陸軍潜水艦」には、全艇マニラ軍港でドック入りし、2号艇のみ稼働可能だったため1隻でオルモック突入の旨が記載されています。同部分の直接出典は、同部隊の井上主計中尉の回顧です。より深く資料に当たれば事実特定の可能性もありますが、取り急ぎ本動画では、部隊員の証言を採用しています。戦史叢書は特に上級司令部や大本営での動向記述は正確ですが、現地の部隊状況は食い違っていることがママあり、今回は当人らの証言が妥当であろうと判断しました。
動画投稿、お疲れ様です。現代において、なお一層重要な課題ですね。南シナ海を抑えられたら、日本は干からびる。パナマ運河経由、あるいはフィリピン・インドネシアを大きく迂回するにしても、輸送のコストが何倍にもなる。ミャンマーの政変も臭い。太平洋戦争自体は、必敗の戦争だという事が当時でも明らかだったわけで、(かつ、南部仏印進駐後は、米国にも外交で妥協する意思が無かった)今更ではあるのですが…陸海軍の統一指揮が最後まで為されなかった事が残念です。
一応、形式上は東條大将失脚後、最高戦争指導会議と呼ばれる統一された指揮系統は設置されましたが、結局形だけで実態は東條大将が実権を握っていた頃よりも陸海軍間のみならず軍と政府間でも意思疎通が取れてませんでした。
陸軍本気出すとすごいな。なぜこれを最初からやらない・・・
最初はもっとすごかったやんw(破竹の進撃)というか海軍がだらしねぇんよね真珠湾で一撃…後に転進、インド洋に展開しその間米放置してたり空母の出し惜しみしPM制圧に失敗したMO作戦護衛艦隊潰して満足して肝心の輸送船団手つかずの三川艦隊・・・まだまだあってほんともう…
@@呑龍ハルカ 個人的には海軍に対してなぜそのままインド洋に展開してくれなかったんだと思ってます。当初の戦争計画がインド方面に西進して、イギリスの補給路を断つことだったのに。
@@太郎冠者-p9d そして放置された戦艦部隊シンガポールを起点に居座っても良いのよ?
うぽつ
そのルソン島で在泊の海軍艦艇から`貴艦ハナニモノナルヤ?`と灯火信号があり、`ワレハ陸軍潜水艇ナリ`と返信したところしばらくして`潜水可能ナリヤ?`と返信されたそうです。
アメリカは海兵隊を作った。
陸軍と海軍が仲が悪いのは知ってるが陸軍は輸送潜水艦や空母(今で言う強襲揚陸艦の元祖みたいな輸送艦)まで作って張り合うかね…
汝は何者なるや?潜水可能なるや
これ実は現代でも解決されていない問題でして陸軍は海上護衛の困難さを理解せずに無計画かつ五月雨式な海上輸送計画を立案し海軍は海上輸送の重要性を理解せずに艦隊決戦と艦隊保全を最優先に考えるという状況になりがちです。陸軍では輸送の重要性は教えますが、対潜戦の難しさやフリート・イン・ビーイングの重要性は教えませんし海軍では海上護衛の難しさは教えますが陸軍部隊の作戦にどれほどの物資輸送を必要とするのか教えないからです。
ダイキンも作ってた事実
北朝鮮軍というのは、結構なところ帝国陸軍に似ているんではないだろうか。
まるゆ艇切りこみ隊を再招集して竹島奪還作戦を敢行してほしかった。
まるゆ艇は八丈島等の日本近海への物資輸送に大活躍したと聞きました('ω')トイレが一斗缶という海軍の潜水艦より相当劣悪だったと聞きますが、優れていた点としえエアコンが設置されてたと聞いたことがありますが、本当かな('ω')
18:35怒涛のやらかし紹介w
艦内は油まみれ汗だく食料は乏しく水もあまりない。諦めようか続行しようかとなると、結局根性論ですね。根性論は古臭い昭和臭い今時じゃないと敬遠されても、売れてる漫画は根性論という現実。そして購読者は毎週ちょっとしか進まない話を買い続けるという忍耐。
どう考えてと陸軍㋴号潜は良い案とは言えない。海軍が陸軍の作戦を無視し続けた事にも根本的な原因が有り、致仕方無く生じた経緯そのものが悪手。
せめて海軍も潜水艇の設計図やノウハウ位くれてやれよ
まあ言えば貰えたけど、例の陸海軍の派閥争い、意地の張り合いでこっそりやってました。うーーーーん………旧日本軍の組織欠陥ほんま。というわけでドイツ潜水艦の図面とか見てたそーです
オープニングの写真の場所教えていただけますか?
下田市鍋田です
海軍には極秘で作る!キリッ
次回よろしければ日本陸海軍の航空エンジンの件もし良ければお願いします。レーダーでも結構です。同じ日本人なんですが潜水輸送艇同様の縦割りがここにも出て来る。国を守るなんて到底不可能です。
「バトル」乙でした…オルモック輸送で沈んだまるゆ艇、潜水できなかったと「レイテ戦記」にありましたね。米軍では海軍の潜水艦と言い張っているようですが。艦これにも出てるまるゆ艇。少しでも彼らの闘いが知られていくと良いですね。
普通の国の陸軍では、潜水艦作ろうなんて発想ないでしょうからね。とんでも兵器で有名なイギリスでさえ、陸軍が潜水艦作ろうとはならなかった。(第一次世界大戦で最初に戦車に興味を持って作ろとしたのはイギリス海軍だけど笑笑)
戦艦は格好いいよ?確かにそれは認めるし、自分も海軍派だから憧れるし。だけど補給がないとう゛ごがな"い"ん"だ”よ”ぉ”ぉ”ぉ”ぉ”ぉ”
ドイツもドイツで自慢の戦車が届かない決戦にもならないその上故障も多く虎に至ってはソ連が鹵獲したのに扱ってももらえないという…w
@@ライヘナウヘルマン だから!作っても戦場に輸送する手段が!現地調達しようと思ってたソ連の鉄道には逃げられちゃうし!!
海軍も似たようなハ号潜水艦を建造した筈 これは特大シュノーケル付きで浮上しないで航行出来た だけどこの程度で決戦用だとか如何に補給をなめているか当時の戦争指導者程の程度の程度よくわかる 最低でも数千隻必要だ そもそも陸軍だ海軍だなどと言ってる時点で総力戦を行う態勢では無い 初めから勝てる戦ではなかった。
輸送用潜水艦は制空権喪失によって生まれた悪足掻きに過ぎず、数千隻も用意するリソースがあるなら制空権は喪失しないし、何なら戦争にはならない。
一斗缶のトイレ置くとか、海が荒れたら地獄絵図じゃん。実際にローリングしたとかヤバいな。。
浮上中に用を足すというのはドイツ潜水艦でも普通だったそうで(そのせいでレーダーに捕捉され最大の損耗率を叩き出す)折角の水洗システムが上手く機能してない有様逆にトイレの操作ミスで緊急浮上し降伏したりなんてケースも…
「階級に関係なく」トイレ(一斗缶)を押さえねばならない潜水艦…ある意味、地獄。
海軍が悪い言われかたの背景に、制空権の確保が出来なかった事がそもそもの原因だと思われ、元を辿れば無茶な作戦内容で多大な消耗戦にもつれ込んだ無能な海軍の上層部の体たらくが原因か…。これでは陸さんに対しても面目が立たないのも仕方ないのかと…。双方が犬猿の仲という特異な体質も影響してか、連携などとても難しいのも幾分かはあったと思います。亡くなられた双方の将兵に対し、心より御悔やみ申し上げます。
空母も造ってたよね
あきつ丸だよね
強襲揚陸艦あきつ丸のことですかな。現代にも通じる先進的な兵器でした。
高速輸送艇、強襲揚陸艦を陸軍が作らざる得ないって時点で日本海軍の存在価値が問われてる。ましてや輸送用潜水艦を大戦末期の同時期に陸海軍が建造してるってことは、海上護衛=シーレーン防衛を軽んじた海軍の見識の無さを表してる話だな。まるゆは確かに海軍の輸送潜水艦に比べれば貧弱だが、陸軍がこんなものを作らざる得ない状況を引き起こした日本海軍の責任は大きいぞ。
制海権と海上輸送について、海軍がもっと早くから対策を講じていればこんな船は作らなくて良かったのにね。英国を手本にしておきながらなんで海軍は分からなかったのかな
第一次世界大戦で地中海に日英同盟のアリバイ作りに派遣された駆逐艦部隊が英国の見よう見まねながら必死に対潜作戦に従事して海上護衛を行ったら大絶賛され、派遣指揮官が英国から爆雷やら水中聴音機(ハイドロフォン)やら最新鋭の対潜兵器とその使用方法を供与され意気揚々と帰国して海上護衛の重要性を報告した。しかし連合艦隊司令部はそれに対して「そんな些末なことよりユトランド沖海戦に関して調べてこなかったのか!この馬鹿者」とお叱りを受けたそうだwwwwwww こんな連中だから大東亜戦争でまともな海上輸送なんてできるはずがないやね。
頼りにならない‼️海軍は、兵站への重要性がまったく理解出来なかった。
日本海軍は日清、日露戦争は日本の近くだったから兵站輸送に負担は少なかったが日露戦争でロシア海軍のウラジオストク艦隊に常陸丸等が沈められた事や第一次世界大戦でマルタ島に派遣されて船団護衛をした教訓で兵站輸送の重要性を太平洋戦争に生かせなかった。(予算と条約で保有艦数に制限されて軍艦建造を優先にし過ぎた)
最後に陸海軍の協力を得た「兵器」が輸送潜水艦とは、なんと皮肉な。攻撃は最大の防御を信条とした陸海軍も前線の惨劇には、抗し得なかった訳だ。
おかげで白スク水の非武装ロリ潜水艦が爆誕したのだからいいじゃないですか
これを聞けば、益々 海軍 山本五十六長官の罪は重い❗南の敵勢力圏まで陸軍を引っ張って行ったのか⁉️陸軍は、西に行かなければならなかった‼️
陸軍と海軍は協調することはなく終戦まで反目していたこれでは勝てない。
東條陸相と嶋田海相の頃は省の間では割と協調が取れていたんですけれども。軍令レベルで協調が取れていないとまずいですよね。ちなみに航空機生産などの兵器行政やタンカーの配分などでは、結構陸軍側が海軍側に配慮していました。
大東亜戦争中に何度か陸軍海軍の統合作戦本部構想もあり、話し合いが行われたけど、やはり元々仲が悪いのが災いしてやるたびに怒号が交わされて時間だけが過ぎる始末。
現代こそ戦艦には潜水艦が強く潜水艦にはヘリコプターが強いってイメージだけど当時の潜水艦はとても戦艦とやりあえるような性能ではなくアメリカの潜水艦も民間船ばっか沈めてる。
中には駆逐艦を撃沈してる艦もありますよ
最初から無理がある戦争なのはわかってたし、自分とこだけでどこも手一杯なのは仕方ないにしても、自分がなんとかできない所をやろうとしてるのにチャチャ入れるのホント害悪。海軍のことだよ・・・。
これもうわかんねぇな
「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」旧帝国陸海軍の大部分が兵站を軽視していたからこんな言葉が生まれたんでしょうね。サプライはともかくロジスティックを理解していなかったとしか思えないですね。㋴、大和とすれ違った艇があったと記憶しています。
輜重輸卒と輜重兵は異なる存在ですし、”兵站”という単語はただ戦地で物を運べばいいだけというものではありません。年度毎の生産計画から議論されなければいけない問題であるし、生産された物資は本土の鉄道を通り、船舶を経て、戦地に到着し、鉄道或いは舟艇、或いは車両や馬によってさらに進出し、場合によっては道路を建設し・・・というように、大変複雑に多くの部隊や機関が絡むものですから、輜重兵だけを見ていては視野狭窄です。輜重兵は毛細血管に過ぎないのです。
誤解があるようなので指摘します「輜重輸卒が~」に上げられている輜重輸卒は輜重兵ではありません。階級的には輜重輸卒は輜重兵のさらに下に位置しますロクな訓練も受けず(受けさせてもらえず)、渡される武器は銃剣だけ。(言い方は悪いですが)こんな人たち、軍人とはとても言い難い。だから「蝶々蜻蛉も鳥の内」なのです
お二方、詳細な解説ありがとうございます。一点、ご教授下さい。兵站=戦略輸送、と捉えていたのですが違うのでしょうか?
@@とっぱっぱ 広辞苑によると、兵站とは「作戦軍の為に、後方にあって連絡・交通を確保し、車両・軍需品の前送・補給・修理などに任ずる機関・任務」とありますあまり変なことを書くとうp主さんに怒られそうですが、兵站という大まかな括りの中に戦略輸送があると考えるのが一番正しいかなと思います
@@とっぱっぱ 勿論戦略輸送というのは兵站の中に含まれますが、輸送のみならず生産計画段階をも兵站の単語は含有している、と私は理解しています。ただ、この辺りの定義は軍隊や時代によって境界線にブレがあるでしょうから、その点はあくまで私の理解ということです。ただし、いずれにせよ戦略規模での輸送計画は兵站の骨子ですから、前線に展開している輜重のみならず、より広い視野で議論せねばならない単語と思います。
コメント欄でも海軍と陸軍で責任を押し付けあってるの笑う大日本帝国の構造的な欠陥でしょ
陸軍が戦車の生産を諦め、潜水艦を建造したこと。そして”補給は作戦であり、輸送が決戦である”という言葉の意味。これらの本質を知ることで、補給戦について少し理解が進むように思います。
鬼の首取ったようにインパールだなんだって喚いててなぁ…
蓋開けたら海軍の護衛失敗で80%以上の物資喪失が原因じゃねーかとw
一か月後に総作戦距離2400kmの大陸打通作戦成功させてるのは
ガン無視だからさらに笑える
@@呑龍ハルカ 男塾直進行軍
陸軍は意外とちゃんと補給を考えてるが、海軍はまったく考えてない…というか本気で軽視しているよなぁ。
陸軍が海軍を無視してやったのは、海軍の補給軽視を理解しまったく信用しなくなった証拠だと思われる
まるゆの出来事
・哨戒任務に駆り出されていた日本郵船の貨物船に体当たりされる
・海軍の輸送艦から敵艦と誤認される
・1945年4月天一号作戦の為に出撃中の大和とすれ違い、登舷礼を交わしている(その優雅かつ勇壮な姿に、まるゆの乗組員は感激した直後大和の引き波をモロに被ってずぶ濡れ)
・上記の出来事で本名盛一艇長は海軍びいきになり、陸軍高官の前で海軍式敬礼をしてしまいさんざん罵倒された挙句に左遷、左遷されなかった仲間達は同年8月6日早朝、広島に到着しあの日を迎えた
まるゆの本名さんのエピソードは初めて知りました('ω')
大日本帝国陸軍は敬礼に厳格だったと聞きますのでお怒りも相当だったと思いますが
結果的に助かったのは運がいいということですかね('ω')
「お前らのせいだろ。お前らが補給線を守れないからだろ。」今年一番胸に沁みた言葉です。
違いますね?
補給線云々以前の問題
対潜哨戒出来ないから、この様
現在の自衛隊では、決して考えられない
陸海空が、しっかり連携
自分は、元自衛官
以上
欧米と違って日本は侵略素人だし、アメリカが早くからオレンジ計画を練ってたのに対して日本は国民党追撃してたらいきなり背後からアメリカが仕掛けてきて何の準備も出来てなかったからな。
@@ys4414 ちょ何言ってるのか分からない
@@nineball9236
そのまんまの意味だが?
欧米は日本と違って数百年間ノウハウを培ってきた侵略のプロフェッショナルだしアメリカも日本侵略はずーっと前から計画してたから海上補給線とかその辺スゲーしっかりしてると誉めてるんだが?
@@ys4414
オレンジ計画のことですかな?
私は平成29年から2年間長崎県の南島原市に単身赴任していました。
その時地元の方との交流を通じて、「戦時中、口之津港に陸軍部隊が駐屯していた」という話を聞き不思議に思いました。
島原半島南端の口之津町は、現在は過疎化が進んでいますが戦前から昭和40年ころまでは船員の町として栄えた町です。
早崎水道を挟んで天草諸島が見え、港は風光明媚な天然の良港ですが、湾を囲む海沿いの陸地は陸軍の部隊が駐屯するには明らかに狭いと感じたのです。
「海峡を守る砲台でもあったのかな」と思い聞き返すと「口之津にいたのは暁部隊」と答えが返って来ました。
図書館の郷土史を調べると、マルユを有する陸軍の輸送部隊が戦時中に口之津に配備されていたことがわかり大変驚きました。
資料には不時着して島にたどり着いたパイロットを救出した話が載っていましたし、あるおばあさんから直接「若い兵隊さんがお腹をすかせていたので親が家にあげて食事をご馳走した」と話しを聞かせてもらいました。
長崎の軍関係で有名な施設、部隊は、佐世保鎮守府や大村航空隊、第21航空廠などがありますよね。
しかし口之津町に暁部隊の口之津派遣隊があったとはそれまで全く知りませんでした。
口之津はいい意味で陸の孤島。
町は穏やかで、人は親切。
そういう町にマルユが配備されていたなんて、と呆然としました。
戦時中の僅かな期間とはいえ、余り知られていない歴史だと思います。
2号艇の突撃は、潜水艦なのに甲板にまで輸送物資満載で、夜間突入するも米駆逐艦に発見され
37mm砲1門で砲撃戦を行っていたのは一応記録に残っている。その後は不明
そもそも内海用の小型艇なのに外洋に出撃時点で無茶な話
しかし補給を待つ味方のために無茶を承知で決行した当時の搭乗員には尊敬の念しか浮かばない
あたしの叔父、山本悌次郎はまるゆの1番2番艇のスクリューを見て、
「これじゃダメだ」と実家の工場がスクリューを作っていたから、
実家で作ってしまい、取り換えてしまった。
それで、ようやく走れるようになった。
これに目を付けたのが、「鉄腕ダッシュ」で
日本一周一筆書き、として実現した。
民間の技術がすごかった…
まるゆは、日本郵船の船に敵国の潜水艦と思われて追われる話とか、浮上走行中に米軍の戦闘機に見つかるが、情報にない潜水艦なので通り過ぎてしまう話とか面白いエピソードもありますが、軍港で大和を見かけて、まるゆの乗組員が敬礼すると、大和の甲板にいた乗組員が整列して敬礼の返礼すると、まるゆの乗組員が感動して泣く話が好き。
「補給が大事」って現代のフツーの仕事でも言えること(何回泣かされたか)
昔、勤務していた工場で、まるゆを建造していたと聞きます。
兵器の製造メーカーですが、造船所ではなかったので海軍にマークされておらず、陸軍のまるゆの造船を担当したと聞きました。
私が工場に勤務していたのは20世紀末でしたので、当時の面影は全くなく、工場と海が大きな国道で遮断されており、埠頭?だけが海に残っていた状態でした。
工場に勤務時に、まるゆのことを想像したのですが、本当に当時の面影がなく、ここで潜水艦を建造したことが不思議でなりませんでした。
「まるゆ部隊の歌」はぜひ聞いてみてほしい。我が戦友待てる島近し、とか歌詞から溢れ出る使命感と健気さが…。
まるゆは確かに出来悪いし歪な存在だけど、それとは別に心にくるものがある。
やはりトイレは大事な装備だと痛感しますね。
潜水艦大国のナチスドイツ海軍のUボートが以外にもトイレの性能が悪すぎて、乗組員のストレスの一因になってたくらいですし。
陸軍が潜水艦トイレで困っていた時に高性能の潜水艦用トイレを装備していたのが日本海軍という。(トイレの技術供与はなかってのかな?)
そうか。日本軍の陸戦兵器が更新されなかった理由の一つがまるゆ艇のせいだったんですね。
チャンネル登録しました
陸軍が重要な戦車の製造をやめて、輸送用の潜水艦を急ピッチで進めていたこと。
海軍が輸送用に建造した潜水艦を攻撃のために使っていること。
この二つは両者をよく表した事例だと思う。
だがな…コレ『両方とも立場を考えると正しい事』なんだよ。
陸軍はとにかく補給が必須だから『輸送優先』だが、海軍は『輸送する為には敵戦力を減らさんと輸送すら難しい』から『攻撃優先(攻勢防御)』だったんだよ。
結果論だけど、輸送用潜水艦建造して通商破壊に使うぐらいなら安価な攻撃用潜水艦を生産した方が効率よくね?とは思う。輸送用潜水艦より高いとは言っても攻撃型潜水艦の方が海域確保をしやすく、物資輸送量が少なくても海域の臨時確保中に陸軍の輸送用潜水艦(まるゆ)を送り届ければいいだけだし。ここまで言っといてなんだけど、理想論に過ぎないからこれを本当に行ったとして正解なのかは分からないっす…
@@浅井優也
攻撃優先(臆病)というのが問題だった
三川艦隊が護衛艦隊滅した後に米輸送船団を壊滅させていれば?
米空母が総出で餓島に航空機をせっせと輸送してる最大のチャンスに
翔鶴・瑞鶴以下日本の機動部隊は何してた?
比叡霧島に手痛い損害を受けたサウスダコタを考えたら
ケチらず長門…いや、せめて山城を投入していれば
金剛より数段火力と装甲に優れているのでまだいい勝負出来たのでは…
こんな有様じゃ敵戦力は減らんよね、と
@@呑龍ハルカ まあ、『後知恵』だけどね。
確かに『アクセル全開で、フルブレーキ』って感じでチグハグしてるんですよね。
@@浅井優也
第三次ソロモン沖海戦は後知恵だけれど
前述2案は本来主目標に定められてた案件で
修理完了した加賀(珊瑚礁で損傷)はじめ機動部隊戦力の追加も可能だった
真珠湾以後ならまだしもそれ以前で
他3正規空母が使えない理由がない
後知恵を追加するならMDより優先すべき案件
「潜航出来た!」と万歳をして喜ぶ陸軍将校
「落ちた!」と唖然としドン引きする海軍将校
ありがとうございます!
まるゆは詳しくなっかので、勉強になります。
軍事予算の半分を海軍に取られ、
残りの半分を航空に全振りし、
さらに船舶まで作らされてるんだから、
そりゃ戦車なんかに手は回らないわな
とんでもないイロモノかと思ったら思ってたより丈夫で活躍したんだね。
当時の陸軍の頑張りと、これを取り上げたうp主のセンスに脱帽。
まるゆかく戦えり
投稿お疲れ様でした!
この気概を今の日本人は忘れていて悲しい。登録させていただきました。
今村大将は自身が蘭印攻略戦において輸送船を沈められて漂流を経験した。荒尾大佐も南方軍参謀として同じ経験をした。今村はガ島と東ニューギニアを担当して、制海権のない海は潜水艦でしか輸送困難と悟り、自ら危険をおかして潜水艦に乗組してニューギニアからラバウルまで移動し、内部の広さなども確認した。その後連合艦隊に老朽潜水艦を貸して欲しいと申し出たところ、けんもほろろに宇垣に断られた。その上で、船舶課長になっていた荒尾に陸軍で潜水艦をつくるよう依頼している。今村大将はさすがによく戦場をみているし、解決策についても的確で、手順も正しい。また、潜水艦は小型のほうが、発見されにくく命中されにくいのでよい。ドイツのUボートも小型だ。日本海軍のように大きな潜水艦をつくるのは戦略眼がないとおもう。費用や資材や燃料を消費して役立たずである。水面下の強みは何にあるかがわかっていない。日本の海軍将校は現場がわかっていないし勉強不足だ。なにより戦略を知らない。国家予算を多大に消費して艦艇をつくる資格がないと思う。
実に興味深いです。まるゆ自体が日本軍末期の仇花的に語られがちですが、陸軍としてはなんとしても輸送を優先せねばならなかった事がよく判ります。確かにこうした事情からすれば、重戦車なんか作っている場合ではありませんね…。
生きておられて何よりです。
陸軍の戦車用?鋼材は、たしかまるゆの他に機動艇(SS艇)になったり、海軍に譲渡されて二等輸送艦になったりしてますよね。意見が別れる所かもしれないけど、当時の状況を考えれば陸軍の英断だったのではと感じます。
悲しい事に、量産どころかまともに造れるかも怪しい、輸送面も怪しい、現地でまともな運用ができるかも分からない(ぶっちゃけ出来そうにない)新型戦車に力をいれるよりよっぽど現実的という…。
そしてこんな決断は、「輸送は決戦」だと大真面目に考えていなければできないと思う。
戦車の開発が滞った最大の原因が
だらしねぇ♂海軍というオチ
輸送手段確立してれば…戦場が密林砂漠島嶼でやっぱ優先度低くなるかw
まるゆについて、こんなに詳しく知ることは初めてでした。
陸軍、相当頑張っていましたね。
詳しい情報ありがとうございました😊
まるゆ艇が初めて潜航したときまるで沈没するように沈んでったから海軍側ではあわてて助けに行こうとしてたらしいけど、陸軍側では歓喜の声があがってたっていう話を聞いたことがある
@ZEROポジ 成る程、そう言う事だったんですね
??「落ちた!落ちた!」
参考にした西村式潜水艇もその場で潜航する形式だったそうです。
@@user-rd3rx5lt6r なんども「そういう風に作ったんだ」と説明しても信じてもらえなかったそうです
はぇ~
勉強になります
最後のBGMうみゆかばで涙が出てきました……。
補給線を確保できないのはそこまで戦線を広げる時には分かってたよね……
最近感じるのは、夢見がちなのは海軍で、陸軍はもっと現実主義的だったのかなって
陸軍の本気度と執念が凄い…
アップロードお疲れ様でした、事もなげに詳細に考察してアップロードしていますけど、その時代のシチュエーション考えたらほんとに大変だろうなと思いました、資料なんかも散逸してしまっていると思うので。しかしこういう状況でも負けずに必死で戦ってきたんだァー私たちのご先祖様ありがとうと言いたい合掌
本当にそうですね。
あらゆる手を尽くして国を救おうと必死で奮闘して下さったんですものね。今なら何とでも言えること。
高みに立って偉そうに他人事のように批判する人たちの気が知れません。
まるゆが任務中に沖縄特攻に出撃する大和に遭遇してまるゆの艇長は大和に向けて敬礼して大和が返礼してくれてまるゆの艇長は海軍贔屓になってしまい艇長は昭和20年8月6日に広島県広島市の師団司令部に転任予定が左遷されて地方に回されたが原爆に合わずに済んで命拾いした。
帝国陸軍が輸送用潜水艇を独自に運用していた事実が驚きでした。更に「まるゆ」艇建造に日立笠戸工場が関わっていたとは、初耳でした。山口県の誇りです。そもそも、笠戸船渠を買収したのは、日立銅山を開発した長州人「久原房之助」です。彼は下松を一大工業ユートピアにする構想を持っていました。しかし、政界進出によりユートピア構想は頓挫し、久原財閥も傾き始めました。この地に唯一残ったのが笠戸船渠でした。この笠戸船渠が元となって日立笠戸工場になりました。感慨無量であります。
色々調べてみると海軍艦艇にあんた誰、潜れんの?って聞かれた時に陸軍の潜航艇ですが潜れるかどうかは返答する必要なしって意地になって答えてたりで面白いエピソード満載なので是非。
潜水艦に関しては陸海軍は仲良かったんだ
しかし日本軍で補給をきちんと考えている人達がいて良かった
そういえば、今度陸自に輸送部隊ができるのか。
最後の一文が素晴らしい
『マルゆ艇』が国内で撃沈された場所の伊豆下田の住人です。
撃沈された場所は下田の鍋田海岸で、冒頭画像の場所で画像右側の山が外洋からの目隠しになっています。
波の静かな入江で小型の潜水艦の係留と物資の搭載場所には最適であったのではないかと思います。
撃沈された経緯は米空母艦載機からの攻撃と聞いております。
撃沈後は鍋田の入江に残骸を晒していたそうですが、朝鮮戦争の勃発後による鋼材需要から引き上げられスクラップにされています。
陸軍には航空母艦も所有してたね。
空母は無いよ、強襲揚陸艦みたいなやつは有ったけど(空母と輸送艦を一緒にしたやつ)
関係ないけど、
関ヶ原ものの創作で九鬼水軍が「大和(奈良県、内陸である)とか三カ国くらいあげるから西軍に味方してください」とオファーが来て困惑するというシーン読んだことがあって、それをガチでやられたらこの動画の逆バージョンみたいになるんだな・・・・・・
三式潜航輸送艇通称「まるゆ」ですね。帝国陸軍はこれの外に全通甲板を持った揚陸艦「あきつ丸」も完成させて運用していますね。
陸軍としては海軍がよほど当てにならなかったのでしょうね。
まるゆに動員されたのは元々は騎兵隊だったて話だったけど、
騎兵隊を数か月、戦車に乗せて機械に慣れさせてから潜水艦に乗せたって。
昔、建造時の海軍技官の記事を読んだな。
ある日陸軍の技官が海軍に訪ねてきて、図面を見せて「輸送用潜水艦を造るのですが、船尾が上手く行かない」
と来て観てみたら、全体が駄目だから、図面を預かってこっちで書き直そうと、提案したら
もうこの図面で資材の注文を出したとの事で、
この図面の潜水艦をものにしなければ!と頭を抱えたとか。
ご苦労様でした😭
次回作待ってます!
「○ゆ」とかコンクリート輸送船、武装商船という苦肉の策は興味深いものがあるけどこのようなものが用いられるようになったらもう末期症状な訳ですね…。
生産優先で不具合を直しながら続々生産するというのは数を揃えるという意味では良い方法だったのかもしれない…
確か四式戦闘機も増加試作機だけで100機くらいあるって聞いたことある。
結果、大戦後期の日本戦闘機としては生産機数3000機超えで、数を揃えることには一番成功してる。
うぽつです!
マルユが海軍にバレた一つに、最後に出ていた給与手当てに関して、関係部署の主計将校が、叔父の井上成美海軍中将に問い合わせたと言われています。
西村式潜航艇は、実業家の西村氏が建造した物で、2号艇には幾ばくかの陸軍の援助がありました。
ワッセルマンエンジンは、ディーゼルエンジンの一種で、石油掘削機用機材の発動機です。
伊豆で沈没艇の生存者は、復員後和歌山県県厚生課職員の悪意で傷痍軍人証明書を改竄され、被災日付を戦後にされ、長らく補償を受けられませんでした。
その厚生課職員、彼らになんの恨みが有ったのか?職務に公私混同があってはいけない。
@@丹下権蔵 様
戦後民主主義の名の下に、当時の和歌山県知事が指示したと見られます。
確か、生存者は曹長か准尉だったので、意図的に受傷を戦後としたようです。残念ながら有名な話です。
@@和泉一郎 様
知事が何やってるんだか😢ググってみます。
昔、日立笠戸工場を見学したときに、色々教えてもらったなあ
海軍にも海軍の事情があります。でも輸送船を守れない海軍なんて!! 多くの兵員の命と物資が海底に(涙)
海軍は『正面戦力すら足りない』状態で戦争突入したからね。
護衛なんて不可能なんだよ。
海上護衛総隊が出来たのが開戦直前で、割り当てられた船も燃料も人も不足…
訓練を経て船と人が使い物になったと思ったら電話一本でもってかれる
大井大佐もキレる訳です
あるタンカーの船長の言葉は「海軍には言いたいことはありますが、現場の人たちは責めれません」だそうです
@@浅井優也
ならせめて護衛なしで出してくれw
それなら少なくとも護衛艦艇による定時報告で
位置に速度、進路も暗号解読で敵にバレて基地航空隊のピンポイント空襲だったり
進路上に敵潜水艦隊が集い待ち構えてるーなんて状況にはならんかったしw
@@呑龍ハルカ 護衛無しで出しても結果は同じですよ。
@@浅井優也
太平洋で潜水艦が輸送船団見つけるなんて
砂漠でビー玉見つけるくらい難しい作業ゾ
現に緒戦で米軍はフィリピンに潜水艦基地持っていても
日本の損害は軽微だったわけだし?
それが定時報告というビーコンになったって言うね
まるゆは効率が悪いけど、大量の物資が必要な大作戦は自軍部隊も多数いて完全敵制空権・制海権下という訳ではないだろうから、まるゆの趣旨とは外れるんじゃないかな?まるゆは護衛が期待出来ない敵制空制海権下で確実に補給をする為に造られたんだと思いますね。
太平洋戦争中の大陸戦線の補給線ってどうなんでしょうか?鉄道がある分絶望的でないのでしょうか?大陸戦線を扱う人が少ないので、できるなら紹介していただきたいです。
大陸戦線の補給線は太平洋戦線よりはマシだったはずです。しかし、共産党ゲリラの攻撃により鉄道が破壊されることで補給が寸断されことが結構あったようです。また、太平洋戦線よりマシだっただけで、大会戦に耐えられるものではなく、帝国陸軍最後の大攻勢にして、枢軸国側で最後に戦術的な成功を収めた大陸打通作戦ではニューギニアほどではありませんが結構な数の餓死者が出ていたはずです。たしか、藤原彰氏の「餓死した英霊」に書いてあったはずです。この本は当時の日本軍の補給の実態について知識を深めることができる良作ではありますが、ただ、藤原彰氏の従軍経験はあくまで下級将校に留まり、戦略的な知見では当時の状況を無視したり、現実無視の理想論を唱えることが少しあるので注意が必要だと思っています。
大陸だと『最悪歩兵が担いで歩けば良い』で済む話だからね。
@@taaaaakaaaaa0000 麦ではなく『粟や稗』なんかだを腹一杯食って『麦は高値で売った』という話は聞いた事が有りますが。
海軍の全面協力があったとしても、玉砕までの時間を先延ばしにしただけだと思う
何より国家総動員体制でもあの生産力では戦う以前の問題だよ…
自分の持ってる本に書いてあるのを載せると、
まず海軍と三菱重工神戸造船所はタイ国の潜水艦シンサムッダ(370トン)を建造した時の図面を貸与してこれに協力したという。
まるゆは小笠原第一〇九師団(膽兵団.タンヘイダン)にたいし昭和十九年末いらいなんども軍需物資を運んだ。
まるゆ二号艇はマニラからレイテ島の第三五軍(尚兵団)へ軍需品の輸送を行なったが、昭和十九年十一月二八日、レイテ島の西方洋上で米第四三駆逐隊のソーフレイ、ウェーラー、プリングル、レンショーの四隻に捕まった。同艇は浮上したまま、必死に三七ミリ対戦車砲で応戦したが、被弾、沈没した。なお、米軍はこれを伊四六としている。また、まるゆ二号艇は引き上げられて昭和二○年五月、ドック型上陸艦ラッシュモアーにより米本土へ運ばれた。
のち、まるゆの拡大型(三九ニトン)も建造されている。
まるゆ スペック
二七○トン 一○ノット
三六○馬力 水中電池七五馬力
発射管なし 九八式三七ミリ速射砲一 貨物ニ○トン 乗組員ニ四名
追記 資料名 日本兵器総集
昭和16〜20年版 潮書房
日本の周囲は海だらけだし‥
船がなくなってくれば‥
陸軍もそうなりますよね‥‥
戦前の時点では陸海軍ともに、英ソ蒋の「補給ルート」のあるインド洋やインドでの作戦が極めて重要であると意見が一致していたのに、なぜ海軍は途中から太平洋を重視し始めたんだろう
真珠湾攻撃によって避戦派多数だった米国民を激高させた山本の面子を守るためか
海軍は明治四十年帝国国防方針から米国を仮想敵国として予算を得て、真珠湾攻撃は大正時代から主張されてきましたからね。いろいろと麻痺していたのでしょう。
まぁ米国と戦争になればもっと予算を得ることができるのは間違いないですからね。
軍人とはいえ官僚です。現在で言うところの財務省のように国益よりも自分たちの利益・省益拡大を優先したのでしょうね。
インド洋をある程度押さえられてたからからだよ。
太平洋を重視しないと『アメリカから無制限に送られて来るから』という理由もある。
確かに、米国領が「非通知の」直接攻撃を受けたからこそ、米国も日本と戦うのに
好都合な世論が出来ましたね。ルーズベルト大統領は歓喜したようですが。
山本五十六氏の狙いは、太平洋の制海権を日本が握ることであって、
米国の生産力が圧倒的である以上、常に米艦隊を探して撃沈させねば、
時日の経過と共に制海権が奪われるという見通しがあったからだと…。
真珠湾を攻撃せず、フィリピンの米軍も無視して、英蘭にのみ的を絞れば
どうなっていたのでしょう。黙って見ていてくれたとは思えませんが…。
@@usaginanoha 既にアメリカから攻撃受けてたから無駄な仮説だよ。
山本の言い分は良く分かる。
だからこそ、「ハワイだけはやるべきではなかった」と、声を大にして言いたい。
アメリカは民からの十分な協力を得られなければ、史実の様な動きは絶対に出来ず、万全な体制になるまでもっと時間がかかる。
この隙にインドとインド洋が落ちてイギリスが屈服する様なことがあれば、それこそアメリカは参戦意義を失い講和に応じるしかない。
これは決して自分の妄想ではなく、戦前に帝国陸軍の戦争経済研究班がそう結論付け、後には米参謀総長ヘンリー・スチムソンまでも回顧録でそう書き残している。
また、フィリピンに関しては戦前に作成された「腹案」では”米傀儡政権は残し、終末促進に利用する”と明記されている。
(因みに支那事変中、日本軍がアメリカの軍艦を誤射する事件があった。この時のギャラップの調査では「全面戦争に拡大させる事でもない」という回答が大半であり、地球の裏側のどうせ手放すフィリピンごときで米国民が激高することは考えられない)
ハワイ攻撃が無ければ、こういったやり方も十分あり得ただろう。
そして、永野修身軍令部総長は戦後の取り調べで「インド方面の重要性は理解していたが、山本がハワイ攻撃を認めないと長官を辞めると駄々をこねたのでやらせた」という、「ハワイ攻撃を許可したのに合理的理由は無い」と認める様な発言をしている。
山本は元帥称号を剥奪されても仕方がないだろう。
そもそも海軍と陸軍が初めから協力体制にあればもうちょいいい結果で終わってたんだろうなぁ
一見すると陸軍の遣ってる事はマトモに思えるけれど、ガダルカナルから撤退した時点で思い切り戦線を下げるのがマトモだと思うなぁ。
それが絶対国防圏構想でしたが(それでもニューギニア全体からの撤退には踏み切れなかったが)結局連合艦隊が絶対国防圏に反対し、大本営で決定された後も国防圏外で作戦を行ったため全く骨抜きになりました。
海軍としては日本から遠い所で戦争したかったのでしょうが、正にクソですね。
陸軍の中に海軍ができる。
日本人の精神構造がなせる技。
国際会議で各国は国の代表だけが来るが、日本だけは関係省庁が全部来て、それぞれ事務所を構える。
今度はあきつ丸、しんしゅう丸、やってくれ〜。
陸軍、航空母艦、あきつ丸。強襲揚陸艦、しんしゅう丸。
まるゆ試験時
陸軍「潜航できねぇ…………………………よし!潜航できた」
海軍「あいつら大丈夫かなぁ………あれ?沈んでね?」
陸軍大威張り。
海軍大慌て。
だったそうですね。
まるゆは停止状態で潜航で、船尾から潜りだすので海軍潜水艦の常識で見ると「落ちた(沈んだ)」様に見えた
一応ちゃんと潜水したけど艦内では重油パイプが破れてえらいことになっていた。
輸送船特集をやってほしいです。牟田口氏の豪遊特集やってほしいです。
今村閣下がおっしゃるなら間違いない
2号艇は潜水機能が故障状態で出撃し喪失
1号・3号艇はそのまま出撃し揚陸成功
と戦史叢書を出典元とする記事がウィキべティアにあるが
むしろ1・3号艇が出撃できなかったという話はどこからのものなのでしょうか?
まず第一に、戦史叢書41巻捷号陸軍作戦1の当該ページには、確かに輸送成功の文言が書かれています。
ただし、この部分の参考文献は「当該部隊諸資料」としか書かれておらず、それ以上の参照不能です。
一方、土井全二郎「陸軍潜水艦」には、全艇マニラ軍港でドック入りし、2号艇のみ稼働可能だったため1隻でオルモック突入の旨が記載されています。
同部分の直接出典は、同部隊の井上主計中尉の回顧です。
より深く資料に当たれば事実特定の可能性もありますが、取り急ぎ本動画では、部隊員の証言を採用しています。
戦史叢書は特に上級司令部や大本営での動向記述は正確ですが、現地の部隊状況は食い違っていることがママあり、今回は当人らの証言が妥当であろうと判断しました。
動画投稿、お疲れ様です。
現代において、なお一層重要な課題ですね。南シナ海を抑えられたら、
日本は干からびる。パナマ運河経由、あるいはフィリピン・インドネシアを
大きく迂回するにしても、輸送のコストが何倍にもなる。ミャンマーの政変も臭い。
太平洋戦争自体は、必敗の戦争だという事が当時でも明らかだったわけで、
(かつ、南部仏印進駐後は、米国にも外交で妥協する意思が無かった)
今更ではあるのですが…陸海軍の統一指揮が最後まで為されなかった事が残念です。
一応、形式上は東條大将失脚後、最高戦争指導会議と呼ばれる統一された指揮系統は設置されましたが、結局形だけで実態は東條大将が実権を握っていた頃よりも陸海軍間のみならず軍と政府間でも意思疎通が取れてませんでした。
陸軍本気出すとすごいな。
なぜこれを最初からやらない・・・
最初はもっとすごかったやんw(破竹の進撃)
というか海軍がだらしねぇんよね
真珠湾で一撃…後に転進、インド洋に展開しその間米放置してたり
空母の出し惜しみしPM制圧に失敗したMO作戦
護衛艦隊潰して満足して肝心の輸送船団手つかずの三川艦隊・・・
まだまだあってほんともう…
@@呑龍ハルカ
個人的には海軍に対してなぜそのままインド洋に展開してくれなかったんだと思ってます。当初の戦争計画がインド方面に西進して、イギリスの補給路を断つことだったのに。
@@太郎冠者-p9d
そして放置された戦艦部隊
シンガポールを起点に居座っても良いのよ?
うぽつ
そのルソン島で在泊の海軍艦艇から`貴艦ハナニモノナルヤ?`と灯火信号があり、`ワレハ陸軍潜水艇ナリ`と返信したところしばらくして`潜水可能ナリヤ?`と返信されたそうです。
アメリカは海兵隊を作った。
陸軍と海軍が仲が悪いのは知ってるが陸軍は輸送潜水艦や空母(今で言う強襲揚陸艦の元祖みたいな輸送艦)まで作って張り合うかね…
汝は何者なるや?潜水可能なるや
これ実は現代でも解決されていない問題でして
陸軍は海上護衛の困難さを理解せずに無計画かつ五月雨式な海上輸送計画を立案し
海軍は海上輸送の重要性を理解せずに艦隊決戦と艦隊保全を最優先に考えるという状況になりがちです。
陸軍では輸送の重要性は教えますが、対潜戦の難しさやフリート・イン・ビーイングの重要性は教えませんし
海軍では海上護衛の難しさは教えますが陸軍部隊の作戦にどれほどの物資輸送を必要とするのか教えないからです。
ダイキンも作ってた事実
北朝鮮軍というのは、結構なところ帝国陸軍に似ているんではないだろうか。
まるゆ艇切りこみ隊を再招集して竹島奪還作戦を敢行してほしかった。
まるゆ艇は八丈島等の日本近海への物資輸送に大活躍したと聞きました('ω')
トイレが一斗缶という海軍の潜水艦より相当劣悪だったと聞きますが、優れていた点としえ
エアコンが設置されてたと聞いたことがありますが、本当かな('ω')
18:35怒涛のやらかし紹介w
艦内は油まみれ汗だく食料は乏しく水もあまりない。諦めようか続行しようかとなると、結局根性論ですね。
根性論は古臭い昭和臭い今時じゃないと敬遠されても、売れてる漫画は根性論という現実。
そして購読者は毎週ちょっとしか進まない話を買い続けるという忍耐。
どう考えてと陸軍㋴号潜は良い案とは言えない。
海軍が陸軍の作戦を無視し続けた事にも根本的な原因が有り、致仕方無く生じた経緯そのものが悪手。
せめて海軍も潜水艇の設計図やノウハウ位くれてやれよ
まあ言えば貰えたけど、例の陸海軍の派閥争い、意地の張り合いでこっそりやってました。うーーーーん………旧日本軍の組織欠陥ほんま。というわけでドイツ潜水艦の図面とか見てたそーです
オープニングの写真の場所教えていただけますか?
下田市鍋田です
海軍には極秘で作る!キリッ
次回よろしければ日本陸海軍の航空エンジンの件もし良ければお願いします。
レーダーでも結構です。同じ日本人なんですが潜水輸送艇同様の縦割りがここにも出て来る。
国を守るなんて到底不可能です。
「バトル」乙でした…
オルモック輸送で沈んだまるゆ艇、潜水できなかったと「レイテ戦記」にありましたね。米軍では海軍の潜水艦と言い張っているようですが。
艦これにも出てるまるゆ艇。少しでも彼らの闘いが知られていくと良いですね。
普通の国の陸軍では、潜水艦作ろうなんて発想ないでしょうからね。
とんでも兵器で有名なイギリスでさえ、陸軍が潜水艦作ろうとはならなかった。
(第一次世界大戦で最初に戦車に興味を持って作ろとしたのはイギリス海軍だけど笑笑)
戦艦は格好いいよ?確かにそれは認めるし、自分も海軍派だから憧れるし。
だけど補給がないとう゛ごがな"い"ん"だ”よ”ぉ”ぉ”ぉ”ぉ”ぉ”
ドイツもドイツで自慢の戦車が届かない決戦にもならない
その上故障も多く虎に至ってはソ連が鹵獲したのに扱ってももらえないという…w
@@ライヘナウヘルマン
だから!
作っても戦場に輸送する手段が!
現地調達しようと思ってたソ連の鉄道には逃げられちゃうし!!
海軍も似たようなハ号潜水艦を建造した筈 これは特大シュノーケル付きで浮上しないで航行出来た だけどこの程度で決戦用だとか如何に補給をなめているか当時の戦争指導者程の程度の程度よくわかる 最低でも数千隻必要だ そもそも陸軍だ海軍だなどと言ってる時点で総力戦を行う態勢では無い 初めから勝てる戦ではなかった。
輸送用潜水艦は制空権喪失によって生まれた悪足掻きに過ぎず、数千隻も用意するリソースがあるなら制空権は喪失しないし、何なら戦争にはならない。
一斗缶のトイレ置くとか、海が荒れたら地獄絵図じゃん。
実際にローリングしたとかヤバいな。。
浮上中に用を足すというのはドイツ潜水艦でも普通だったそうで
(そのせいでレーダーに捕捉され最大の損耗率を叩き出す)
折角の水洗システムが上手く機能してない有様
逆にトイレの操作ミスで緊急浮上し降伏したりなんてケースも…
「階級に関係なく」トイレ(一斗缶)を押さえねばならない潜水艦…
ある意味、地獄。
海軍が悪い言われかたの背景に、制空権の確保が出来なかった事がそもそもの原因だと思われ、元を辿れば無茶な作戦内容で多大な消耗戦にもつれ込んだ無能な海軍の上層部の体たらくが原因か…。これでは陸さんに対しても面目が立たないのも仕方ないのかと…。
双方が犬猿の仲という特異な体質も影響してか、連携などとても難しいのも幾分かはあったと思います。
亡くなられた双方の将兵に対し、心より御悔やみ申し上げます。
空母も造ってたよね
あきつ丸だよね
強襲揚陸艦あきつ丸のことですかな。
現代にも通じる先進的な兵器でした。
高速輸送艇、強襲揚陸艦を陸軍が作らざる得ないって時点で日本海軍の存在価値が問われてる。
ましてや輸送用潜水艦を大戦末期の同時期に陸海軍が建造してるってことは、海上護衛=シーレーン防衛を軽んじた
海軍の見識の無さを表してる話だな。まるゆは確かに海軍の輸送潜水艦に比べれば貧弱だが、陸軍がこんなものを
作らざる得ない状況を引き起こした日本海軍の責任は大きいぞ。
制海権と海上輸送について、海軍がもっと早くから対策を講じていればこんな船は作らなくて良かったのにね。英国を手本にしておきながらなんで海軍は分からなかったのかな
第一次世界大戦で地中海に日英同盟のアリバイ作りに派遣された駆逐艦部隊が英国の見よう見まねながら必死に
対潜作戦に従事して海上護衛を行ったら大絶賛され、派遣指揮官が英国から爆雷やら水中聴音機(ハイドロフォン)
やら最新鋭の対潜兵器とその使用方法を供与され意気揚々と帰国して海上護衛の重要性を報告した。しかし連合艦隊
司令部はそれに対して「そんな些末なことよりユトランド沖海戦に関して調べてこなかったのか!この馬鹿者」と
お叱りを受けたそうだwwwwwww こんな連中だから大東亜戦争でまともな海上輸送なんてできるはずがないやね。
頼りにならない‼️海軍は、兵站への重要性がまったく理解出来なかった。
日本海軍は日清、日露戦争は日本の近くだったから兵站輸送に負担は少なかったが日露戦争でロシア海軍のウラジオストク艦隊に常陸丸等が沈められた事や第一次世界大戦でマルタ島に派遣されて船団護衛をした教訓で兵站輸送の重要性を太平洋戦争に生かせなかった。(予算と条約で保有艦数に制限されて軍艦建造を優先にし過ぎた)
最後に陸海軍の協力を得た「兵器」が輸送潜水艦とは、なんと皮肉な。攻撃は最大の防御を信条とした陸海軍も前線の惨劇には、抗し得なかった訳だ。
おかげで白スク水の非武装ロリ潜水艦が爆誕したのだからいいじゃないですか
これを聞けば、益々 海軍 山本五十六長官の罪は重い❗南の敵勢力圏まで陸軍を引っ張って行ったのか⁉️
陸軍は、西に行かなければならなかった‼️
陸軍と海軍は協調することはなく終戦まで反目していたこれでは勝てない。
東條陸相と嶋田海相の頃は省の間では割と協調が取れていたんですけれども。軍令レベルで協調が取れていないとまずいですよね。ちなみに航空機生産などの兵器行政やタンカーの配分などでは、結構陸軍側が海軍側に配慮していました。
大東亜戦争中に何度か陸軍海軍の統合作戦本部構想もあり、話し合いが行われたけど、やはり元々仲が悪いのが災いしてやるたびに怒号が交わされて時間だけが過ぎる始末。
現代こそ戦艦には潜水艦が強く潜水艦にはヘリコプターが強いってイメージだけど当時の潜水艦はとても戦艦とやりあえるような性能ではなくアメリカの潜水艦も民間船ばっか沈めてる。
中には駆逐艦を撃沈してる艦もありますよ
最初から無理がある戦争なのはわかってたし、自分とこだけでどこも手一杯なのは仕方ないにしても、自分がなんとかできない所をやろうとしてるのにチャチャ入れるのホント害悪。海軍のことだよ・・・。
これもうわかんねぇな
「輜重輸卒が兵隊ならば蝶々蜻蛉も鳥のうち」
旧帝国陸海軍の大部分が兵站を軽視していたからこんな言葉が生まれたんでしょうね。
サプライはともかくロジスティックを理解していなかったとしか思えないですね。
㋴、大和とすれ違った艇があったと記憶しています。
輜重輸卒と輜重兵は異なる存在ですし、”兵站”という単語はただ戦地で物を運べばいいだけというものではありません。年度毎の生産計画から議論されなければいけない問題であるし、生産された物資は本土の鉄道を通り、船舶を経て、戦地に到着し、鉄道或いは舟艇、或いは車両や馬によってさらに進出し、場合によっては道路を建設し・・・というように、大変複雑に多くの部隊や機関が絡むものですから、輜重兵だけを見ていては視野狭窄です。輜重兵は毛細血管に過ぎないのです。
誤解があるようなので指摘します
「輜重輸卒が~」に上げられている輜重輸卒は輜重兵ではありません。階級的には輜重輸卒は輜重兵のさらに下に位置します
ロクな訓練も受けず(受けさせてもらえず)、渡される武器は銃剣だけ。(言い方は悪いですが)こんな人たち、軍人とはとても言い難い。だから「蝶々蜻蛉も鳥の内」なのです
お二方、詳細な解説ありがとうございます。
一点、ご教授下さい。
兵站=戦略輸送、と捉えていたのですが違うのでしょうか?
@@とっぱっぱ
広辞苑によると、兵站とは「作戦軍の為に、後方にあって連絡・交通を確保し、車両・軍需品の前送・補給・修理などに任ずる機関・任務」とあります
あまり変なことを書くとうp主さんに怒られそうですが、兵站という大まかな括りの中に戦略輸送があると考えるのが一番正しいかなと思います
@@とっぱっぱ 勿論戦略輸送というのは兵站の中に含まれますが、輸送のみならず生産計画段階をも兵站の単語は含有している、と私は理解しています。ただ、この辺りの定義は軍隊や時代によって境界線にブレがあるでしょうから、その点はあくまで私の理解ということです。ただし、いずれにせよ戦略規模での輸送計画は兵站の骨子ですから、前線に展開している輜重のみならず、より広い視野で議論せねばならない単語と思います。
コメント欄でも海軍と陸軍で責任を押し付けあってるの笑う
大日本帝国の構造的な欠陥でしょ