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訂正があります。× 鶴見運河→ ○ 城北川(旧城北運河)
やっぱり枚方から生駒まで繋げようぜ(無茶振り)
どうせなら淀川渡って高槻まで繋げてそっから亀岡まで行こうぜ()
どうせなら阪神電鉄買収して梅田に乗り入れて、そのうち阪急も。。。🤣🤣🤣
かつて信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)が戦前に生駒から枚方まで建設しようとして、現在の京阪交野線部分を建設しましたが、私市から生駒までは生駒山地に越える難工事ということで、結局は建設できず、交野線部分は、交野電気鉄道を経て、現在は京阪交野線になっています。戦後1980年代でも近鉄けいはんな線の生駒トンネルが難工事であったように、生駒を貫くトンネルは、工事でも費用でもなかなか厳しいです。
枚方から生駒繋がってたら、わざわざ丹波橋経由せずに済むのに。
その予定ルートと同じような道路は国道168号線が通っていますが、Googleマップを見れば、生駒山地の道が険しいのがわかります。
昭和恐慌がなければ今はぜんぜん違う景色が見れていたのでしょうね。
戦争に踏み込めないくらい政府の財政が傾いていたかもしれないね。ずさんな鉄道敷設免許を乱発した小川平吉の孫が今の日本の財政再建路線の権化の宮澤喜一だってのがすごい皮肉。
それどころか阪神が名古屋急行電鉄(昭和事件が無ければ多分開通してたはず。)と直通し近鉄ですら実現しなかった名古屋に顔を阪神直通車が来てたかも知れませんね。
京阪の場合は昭和恐慌もありますが、それまでに関西圏最大の大企業になるべく、新京阪鉄道、阪和電気鉄道、奈良電気鉄道と鉄道建設に大規模に投資しただけでなく、電気事業も含めて、滋賀県、京都府、大阪府、和歌山県の4つの府県で企業エリアを拡大し、莫大な投資をした結果、そのツケが昭和恐慌で大爆発した状況です。負債が当時の金額で1億円、現在の価値に直せば兆の単位の金額になりました。
@@すずちゃん-v2c できるわけねえだろ…
@@Kimcom7 政治銘柄京阪だよね。
近鉄も梅田を目指していたのか😳同じ梅田を目指す京阪とタッグを組んだりと夢がありますね。
プライド高い阪急がめっちゃ嫌がりそう…近畿日本鉄道の名は偽りでは無く阪急を乗っ取って北摂方面はおろか丹波方面や丹後天橋立まで侵攻しそう。
京都伏見と梅田で京阪とあざなえる縄の如く絡み合ったのかもな。
こんな計画があったとは知りませんでした勉強になりました
以前、近鉄バスが梅田の曽根崎警察署近くまで乗り入れていたのは、その名残だったのですね❗
毎週 魅力的な話題を取り上げて頂きありがとうございます🙇もし近鉄が梅田に乗り入れなれたなら どんだけ便利だったでしょうね~!幻の路線が今となっては地域の橋や道路になっているなんて全く知らなかったです!鉄道の歴史が知れて勉強になりました。
約60年前は、梅田―生駒山上間の近鉄バスがあったのは、夢の名残りだったのか。
@@自在電 近鉄特急で梅田から近鉄名古屋まで運行すればええやん
そんな昔のことなんですね!!昔は奈良ドリームランドまで行っていたと伺っております。
近鉄バス阪奈線の一部ですね。かつては2階建てバスビスタコーチも運用されるなどドル箱路線だったそうです。奈良大安寺に近鉄バス奈良営業所があり、阪奈線と京都線(京都駅〜奈良)を担当していました。
鉄道敷設は罷りならぬが、バスは大阪市内乗り入れを認可したのが1950年代中期から1970年代初頭まで私鉄系のバス会社が挙って現在の大阪市中央区内本町二丁目に大阪市が「大阪本町バスセンター」を完成させそこに乗り入れを果たす様になり、神戸から京都から奈良から果ては和歌山から中長距離の路線バスを競うように走らせた「バスの黄金期」がありました(但し私鉄系バスは大阪市内はクローズドドア制と言う制約付き)。今ならそこを経由しなくても高速道路網を駆使して高速バスが走りますがまず珍しいのは神戸―(阪神)ー内本町宝塚ー(阪急)ー内本町京都ー(京阪・南海共管)ー内本町ー和歌浦奈良ー(近鉄)ー内本町etc…というのがあり、その見返りに大阪市営バスも住道・八尾・堺東・豊中への路線網の拡張を行ってました。今はその機能がOCATバスターミナルに変わりネットワークが日本各地に拡がりましたけど、大阪市営バス時代・OCB(大阪シティバス)になっても大阪市内―関空路線が2度コケてるのも「市営モンロー主義の影響か?又は呪われたか?」謎は深まるばかり(笑)
1990年代まで梅田~奈良まで近鉄バス直通バスが運行していました。最後は1日1便で奈良ナンバーの車両が梅田に来ていました。
梅田―近鉄奈良駅の近鉄バスがあったのは、夢の名残りやったわ
城北川にかかる大喜橋がどうしてその名前なのか不思議に思ってました。大軌からきているとは目からうろこ
A列車行こうやTpF2などで、あったかもしれない未来を再現するのも面白そう
だまれ
@@さんさんdm 何様やねん
マイクラのMTRやRTMで再現するのもいいですね~
@@ひるのいこい 多分同じ名前のやついっぱいあるので、どの関西電鉄か表記したほうがいいと思いますよ
@@wo8go-andre-growndt 修正しました。
もし完成していれば、関西の鉄道網は大きく変わっていましたね。梅田発の名古屋·伊勢志摩方面の特急や急行を見てみたかったですね♪
いわゆる「阪奈道路」の地平区間は「近鉄の路線用地」だったと聞いてました。寺川近くの大阪産業大学〜梅田(曽根崎交差点近く)に近鉄バスの路線がある(あった?)のは、「代行バス」だったのですね😅また別の資料では、京阪電鉄が大軌四条畷線計画を妨害するため、鉄道省に対して片町線電化費用を拠出した、とも。当時の京阪電鉄は関西有数の鉄道企業だったため、国に対しての発言力もあったのかも。
かつて東梅田の端っこに1路線だけ近鉄バスが伸びてきていた理由がわかりました。そういう過去があったのですね。興味深い動画をありがとうございます。
私鉄系のバス路線がその私鉄沿線とその延長線上ではないところにも路線がある事例を調べると計画倒れになった路線計画などが絡んでいることが多いですね。阪神バスが宝塚への路線を持っているのも、計画倒れになった宝塚尼崎電鉄の名残ですし。
@@N--T それを大阪市が特例でバスの大阪市内乗り入れを認可し、大阪市中央区内本町に「大阪バスセンター」が出来、私鉄直営・系列関係なくそこへ一斉になだれ込んだと言います。1980年代まで、朋来住宅前~天満橋系統があったのはその名残だと思います。
@@Mamenosuke467 平成になってからも近鉄八尾駅に乗り入れていましたね。布施駅は今でもありますが。(昔は布施三ノ瀬発着もあった)なお、守口車庫は市電時代からで、これはどちらかというと結果として車庫が守口市になってしまったパターンですね。堺駅への系統も市電代替の名残ですし。
[大軌]に因んで[大喜橋]粋な計らいをしはりますね😂
当時は京阪と大軌が提携関係にあったんですね。両者の提携によって建設を見たのは奈良電鉄(後の近鉄京都線)がありますね。近鉄が梅田に進出し、京阪が名古屋進出を成功させていたら、近畿東海の私鉄網はどうなっていたか興味は尽きません。
梅田駅ができていたらしてたらそのうち近鉄と京阪が地下に入り、阪神乗り入れが開始してたと思います。その阪神梅田駅が途中駅になり、そのまま名古屋に行けたと思われます。また、阪神と京阪接続も早く行われてたかもしれない
時代は梅田だからねうめきたグラングリーン大阪など京阪や近鉄は惜しい事したね...
@@uc-gy2fc 難波もやで。何なら活気はインバウンドの影響を100%享受出来てる難波の方が上。梅田は残念ながら外国人には人気なし。
外環状線ルートの鉄道は欲しい。高槻始発で寝屋川〜四條畷〜瓢箪山〜八尾のルートで。
四條畷線ができてたら、奈良県北部民は梅田に行きやすくなってたことを考えると残念
この当時は今と違って、京阪が今の近鉄みたいな「大民鉄会社」であり、大軌は生駒トンネルを貫通させたことで勢いに乗る「新興鉄道会社」であった。四条畷線は、「大企業」である京阪の協力なくしては実現できない路線だったが、京阪が世界大恐慌の煽りを受けて倒産寸前にまで陥り、京阪梅田線の開通すらできなかったことで事実上計画が頓挫したようなものだった。加えて、生駒山地を上る区間もあったことから、計画当初より採算性が疑問視されていた側面も強い。
京阪は戦前は、関西圏一大企業になるべく、新京阪鉄道、阪和電気鉄道、奈良電気鉄道と鉄道建設に大規模に投資しただけでなく、電気事業も含めて、和歌山まで企業エリアを拡大し、莫大な投資をした結果、そのツケが昭和恐慌で大爆発した状況です。負債が当時の金額で1億円、現在の価値に直せば兆の単位の金額になりました。
当時の京阪は名古屋延伸も計画していたのでとんだ災難でしたね。
地下鉄中央線がもしこっちに行って梅田に行けたら生駒から北は地下鉄直通、南は近鉄と選べて便利で中央線が千日前線になりまだ赤字回避できたかも、、、😅
四條畷にいったい何があってみんな挙って目指したのか
野崎観音参拝客目当てというのが一番あり得る話。
神社仏閣への参詣客輸送の為に敷かれた路線は割と多いよ
京阪交野線と近鉄生駒線が繋がっていた世界線も見てみたかった。。。
交野線と生駒線が繋がり、京阪梅田線と近鉄四條畷線が繋がり、京阪奈線も史実通り開通する世界線。
当初は額田駅分岐案ではなく孔舎衛坂駅分岐案だったはずなのですが、このルートを取られなかったのは、勾配がきつすぎるからと言われています。しかし、今の近鉄奈良線のルートと真反対に同様のルートを描けばそんなに無理なく寺川まで通せたはずなので、疑問に思い、地図を見てみました。すると、近鉄奈良線のように生駒トンネルを出たところから石切~瓢箪山付近までのように、生駒山地に沿ってなだらかに坂を下りようとすると、孔舎衛坂~寺川の間にいくつもの神社やお寺があり、それらを立ち退かせて工事するわけにいかなかったのが最大の理由ではないかと思われます。そしてそれらの社寺を避けたルートだと、一気に急峻なところを降りるか物凄く高い鉄橋を敷設するかいずれかになるため、孔舎衛坂駅分岐案が見送られたのでしょう。
孔舎衛坂~寺川間の寺社を避けたというお話は大いに頷けます。戦後近鉄名古屋線が四日市付近の線形変更を行なって現・近鉄四日市駅を建設した際に、お寺がいくつもあったため、新ルートは当初計画よりも外側(西側)に変更した、という話を亡くなった祖母の従妹から聞いたことがあります。
額田駅分岐案だと、寺川に行くのはおそらく困難(かりにそれをやったとすればかなり大回りになる)なので、部分的にカットするしかないでしょう。もう一つのアイデアは生駒トンネルをもう1本掘ることですが、この当時はあのトンネル1本掘るだけで大軌が倒産しそうになったことからすると、これも採り得なかったのでしょう。
2017年3月末までは、梅田から東大阪市の稲田車庫前までのバス路線もありましたよね。
それにより安田以東のJR住道行きが週一運行から年一運行となり、とうとう潰えてしまいましたね。確か浜ー稲田車庫間は特定運賃で100円ワンコインであったと覚えています。
これが開業していれば近鉄は梅田、難波、天王寺(大阪阿部野橋)の大阪3大ターミナルを制覇していたのか…
四条畷線と名古屋急行が実現していたら?関西私鉄の勢力図も変わってただろうな阪急京都線も獲られてなかっただろうし
名古屋急行電鉄が実現してれば名古屋鉄道の歴史も変わってたかも知れませんね、瀬戸線以外の本線や他の路線も含み標準軌化は京阪直通前提で計画された物です東岡崎から矢作橋までは標準軌化スペースと仮線スペースが有りました、今は空き地や駐車場になってますが。名古屋鉄道が標準軌になり本線の浜松延伸は実現してたかも知れません。
下手すれば北大阪の阪急王国もヤバいだろうな😂北摂も近鉄帝国に乗っ取られそう。
そういや今福鶴見付近にやたら道路の間隔が短く並行してるところがあったな・・・廃線跡かと思ったが未成線だったのか・・・
学研都市線の住道-野崎間で府道大阪生駒線が超える陸橋と前後の築堤もその名残ですね。またそこを走る梅田-奈良の近鉄バスも最盛期は近鉄奈良線に次ぐ阪奈間の主要交通手段でしたね。
跨線橋としては緩やか過ぎる勾配が、鉄道用の構造の特徴ですね。
おそらくですが、阪奈道路上りのひとつめのヘアピンまでのストレートから、下りの360度ターンまでの道の部分も遺構と想っています。その先も道が続いていますし。
動画内の四条畷線ルートの地図(近鉄奈良線と接続しているもの)は、額田駅分岐案ではなく、生駒トンネルを出たところの孔舎衛坂駅分岐案ではないでしょうか?確かにその後額田駅分岐案に変更されたようですが、その場合、額田から寺川に行くのはあまりに大回りでその時には線型的に住道より西あたりから四条畷線のルートを通るようにせざるを得なかったのでは?
阿倍野から難波経由大阪はどうでしよ
名古屋急行電鉄が実現してれば京阪と近鉄や阪神が他社同士の直通運転をしてたかも知れませんね、名古屋鉄道も標準軌化計画は京阪直通前提で建てられたのでそれが実現してれば本線の浜松延伸は実現してたかと思います。それで名古屋急行電鉄と名古屋鉄道が金山または名古屋から直通する形ですね。
幼い頃、初めて一人で梅田駅へ行くことになり、近鉄を乗り継いで鶴橋まで辿り着いた。乗り換えで路線図をどれだけ探しても梅田駅がない。そばにいた駅員さんに尋ねると、「そんな駅はない」と突っぱねられ、結局一般の方に教えて頂いた。あのことは未だに鮮明に憶えている。
沼地だった大東、四条畷から大阪に向けて大きな道が昔からあった理由を初めて知りました
当時の大軌が何とかして梅田を目指したいというのは鉄道では叶わなかったのが、2000年代まで近鉄バスが大阪奈良線と言う路線や、萱島線・四条畷線と言う形で残ったものの大阪奈良線が当時の大阪市営バス36系統の本数の圧倒的多さに敗れ、現在も時刻の書かれていない主の居ない空き家同然にバス停のみがポツンと大阪市内に寂しく残され、現在は解説の通りJR住道北口から生駒登山口・四条畷線の支線としてかつては瓢箪山駅まで路線がありましたが現状慢性的乗務員不足でかつ四条畷線は瓢箪山駅から一つ大阪寄りの東花園駅を起点として四条畷(JR四条畷駅)まで路線が残り、萱島線が萱島~JR住道で分断されJR住道~近鉄八尾駅となってしまい時間さえ気にしなければ大阪市内を迂回せずに寝屋川市・門真市から直接八尾市までしかも鉄道利用より格安運賃で行けた魅力が激減今や何処もドライバー不足に陥る以前から近鉄バスが大阪のバス業界で一番苦戦を強いられております。「捨てる神あれば拾う神あり」と言われたりしますが、言い方が悪いかも知れませんが「大阪バス」がハイエナの如く近鉄の元路線を継承している様で、布施駅から八尾駅等の路線を展開しています。
近鉄が梅田乗り入れを計画し未遂に終わったのは意外だが、今だと阪神なんば線があるので無理に梅田への乗り入れをしなくてもよいようになったもんな。その代わりとして阪急と南海が梅田乗り入れの新線を計画しているとかだがあと、四条畷線は大体が今の学研都市線・東西線にとってかわられた感がある
これ出来てたらと言うことは京阪も梅田乗入れてた訳で凄いことになってましたね😂
いやあ!なつかしい「阪奈道路」。子どもの頃、地図帳のその阪奈道路部分に路線を勝手に引いて「阪奈急行電鉄」という架空の路線を頭の中で建設していました(笑)。いつか実現したるって思ってました。子どもの頃の妄想に終わりましたが・・・・・。私の「妄想路線計画」は、能勢電鉄を阪急伊丹線とつなげ、塚口から先は地下に入り阪神尼崎へ、ここまでは「北摂急行電鉄」(能勢電鉄に関しては、妙見口から亀岡へ路線新設。日生中央から三田へ路線新設・・・との「妄想構想」もあり)。阪神尼崎からは阪神電鉄を走り阪神梅田へ向かいます。さて、梅田から先の「阪奈急行電鉄」は、扇町から源八橋へ向かい、大川をくぐり、国道1号に入って、蒲生四丁目から先の「阪奈道路」の下を通り、鶴見付近で地上へ。そこから寺川を経て、生駒山地はトンネルをくぐり、生駒駅の北方付近で、京阪交野線私市からの延長路線(信貴生駒電鉄の構想路線実現)と合流し、近鉄生駒へ達した後、近鉄生駒線へ直通さらには王寺と新王寺もつなげて田原本線と直通、西田原本からは大和鉄道の路盤を再利用して大和桜井へ。その先は初瀬鉄道の路盤を再利用し、長谷寺へ・・。そこから先は新線建設により西名張へ達し、そこから伊賀神戸までは伊賀線のうち廃止された路盤を再利用し、伊賀神戸へ。そこからは伊賀線を改軌したうえで上野市、伊賀上野へ・・・・・・。ちなみに、阪神と京阪の接続は、阪神梅田から梅新を経由して京阪淀屋橋に達する「妄想構想」もありましたが、地下鉄御堂筋線に「邪魔」されて無理なことがわかり「断念(笑)」。今なら、阪神野田手前から分岐線路が地下に入り、中の島線に接続する「妄想構想」が復活かも・・。採算度返しの、免許も下りないとんでもない「妄想路線計画」ですが、阪急系の車両、阪神の車両、京阪の車両、近鉄の車両、山陽の車両、それらの車両が同じ線路を行き来する夢の大路線計画!すごい妄想でしょう!!
梅田~稲田車庫(阪奈生駒線)の由来が、この動画で分かりました。国鉄バスのように、近鉄もバスで梅田乗り入れを果たしていたのですね。
深いお話です
誤 鶴見運河→正 城北川誤「だ」いきばし→正「た」いきばし地元民です大喜橋の写っている名盤の向かい側に「たいきばし」と記されています。
「だいきばし」については検索した写真やストリートビュー(SV)で見ると北西側は「た」の濁点が一つ!?…に見え…南東側は2016年5月などのSVでは濁点があるように見えるので何とも言い難いような気も…鶴見運河は私も初耳。そんな運河は大阪のどこにあるの?と検索しても出てこない。私の世代だと「城北運河」ですし。大阪市のHPをチェックしても昭和10年に「城北運河」として開削工事が始まった運河とあり、おそらく当時の鶴見も通っていない。なのに Wikiの「大阪電気軌道四条畷線」には「城北運河(鶴見運河)」と記載されたりしています。が、これはWikiに良くある誤情報だと思いますね。
いえ、だいきばしで合ってますよ。
地元なので今見てきました名盤は2ヶ所とも「だ」ではなく、「た」です石に彫り込まれている文字ですが濁点はありません見た目は濁点の部分が石の白い部分と重なってそう見えたのかも知れませんが濁点は彫り込まれていません。嘘だと思うなら直接見に行ってこい!元々は城北運河でしたが一級河川に昇格した際、城北川になりました。
@@ぶぅ-e7s ごめんね 「だいきばし」で合ってます
@@ぶぅ-e7s橋の名前は全てではないですが、「本来の名前は濁点がつくが、橋での表記では濁点をわざとつけない」ケースが結構あります。理由は「川が濁らないよう濁点をつけない」という通説から来てるもので、現地の表記は濁点なしでも、正式には濁点ありの方が正しいケースが多々あります。なので現地のひらがな表記を見ても、意味が無いと言えます。
近鉄とは縁のない梅田に近鉄バスが走っていたのはその名残だったんでしょうか?そのバス路線も今無くなったのは残念です…
高槻、茨木、摂津にも近鉄バスは存在するが、あわよくば北摂にも近鉄の魔手?を伸ばそうと企んでたか?成功すりゃ今頃阪急京都線、千里線所か阪神間も赤い電車に侵食されてそうだわ。
京阪はともかく近鉄は難波、天王寺南海は難波のままでいい。何でも梅田に集めればいいってもんじゃない。
現在はともかく、かつて大阪市は長いこと市営モンロー主義(市内交通は市が担う)を取っていたので、大阪北部を通る私鉄各線が市街地へのアクセスを向上させようとすれば、国鉄城東線(現在の環状線東側)沿いの梅田を目指さざるを得なかった事情がある。ちなみに現在近鉄・阪神と並行していてよく要らない路線扱いされる地下鉄千日前線も、もともとは近鉄の難波延伸計画に対抗して建設されたもの。難波や天王寺ももちろん一大交通ターミナルで商業集積地でもあるが、東京の新宿・渋谷・池袋のような「副都心」にまでなれるかというと...しかし最近の梅田再開発は何といっても旧梅田貨物駅という巨大な一等地が手に入ったおかげによるところが大きい。南側の大阪駅前ビル地区も再開発の計画はあるけど、中は分譲マンションと同様の区分所有形式になっているので、建て替えの同意をまとめるのが面倒という問題を抱えている。
@@jesfield76-x9n 難波は都心。しかも渋谷とか池袋とは比較にならんほど繁華街の規模でかい。
@@nokkonteradakokoro893 すみません、私が使ってる「都心」「副都心」とは、商業に加えて行政や企業の本社機能が集まっている場所、という意味です。厳密に言えば大阪の行政中心地は市役所のある中之島か府庁のある大手前になりますし、大阪発祥の企業なら本町に本社を置いてる場合が多いですが。梅田に一極集中する必要はないというのは仰る通りで、難波は関空開港を機にJRの駅にもOCATができ、天王寺にはあべのハルカスが建って大きく変わりました。あとは京橋のOBPや咲洲などもそうですが、大阪の新都心構想はいまひとつなところがありますね。もちろんこれから変わる可能性はまだありますが。
最後のシーン、学校に掲げられた「失敗は経験に、経験は成長に」が、一切無関係な筈の大軌と妙にマッチングして見えて胸熱😳
出来ていれば今でも便利で使われる路線であっただろうな。一方長堀鶴見緑地線は別ルートを走っていただろう。
少し触れられた東大阪電鉄は、清滝峠をループ線やスイッチバックなしで越えて奈良まで敷設しようとしていた。建設は到底無理なのだが、当時の汚職のせいで免許が下りてしまった。
このトピックは関東者としては、すごい話題だ。こんな構想があったのかっ!
でも、多額の資金投資はどうなったんでしょうかね、ちょっと気になりますね。
つ五私鉄疑獄
名鉄も愛知電気鉄道の時代に東京新宿大阪梅田を岐阜から豊橋から延伸する計画が前戦から有りました、その時昭和事件が無かったら資金調達はどうなってたのだろうか愛知電気鉄道も豊橋延伸にお金が掛かる事を予測してなかったのかな?でも実現してれば本数の少ない所は豊橋から横浜までは多分パノラマカーで特急の160キロ運転出来る東海道新幹線と同じ設備でまだ新幹線は生まれて無いから、多分外国の高速道鉄道をパクるはずで東海道新幹線開業の頃には220キロで新幹線運転を開始でのぞみ号が誕生の頃は300キロ運転を開始って形で豊橋から横浜は本数は普通は毎時1本で急行も1本で特急が5本で駅以外は300キロで走行し駅は215キロに制限掛ければ行ける。と妄想しています。
橋が有効利用されてるのが凄い
梅田ってちょっと前まで、そもそも大阪のビジネス街ではなかったからね。一極集中しだしたのって、西梅田にオフィスビルがたくさん建ってからかな。
それな。真の大阪のオフィス街は本町船場。
@@nokkonteradakokoro893 船場は今箕面の方に移転してるで、残っているのは船場センタービル他の商店街のみ。
@@nokkonteradakokoro893伊藤忠商事の大阪本社(登記上の本店でもある)も、今の大阪ステーションシティに移る前は本町でしたし、消滅したイトマンも本社は本町でした。
6:48地味に元マックスバリュ→マルナカのダイエーが
もし完成してたら、ミナミの今の繁栄はなかったんじゃないかな。だから、結果オーライと思いますよ。
もし、実現してたら阪急電車が近鉄宇治山田駅まで行くということも有り得たという訳か(笑)めっちゃ過酷な運用になるけど。
奈良線側の接続やからよくて近鉄奈良までかも・・・?
あのプライドの高い阪急がおめおめと近鉄の手の内にのる訳が無いし、経営者の思想や体質も有るからね。東京ナイズされた守りの阪急、土着の攻めの近鉄じゃ明らかに温度差が有るからね。関東で言えば東急と東武みたいなものか。ただあそこは東武の電車と東急の電車が仲良く地下鉄走ってるからな。
VE39未更新?
だからあの辺に近鉄バスが走ってるのかしかも阪奈道路経由で奈良まで走れてたのか近畿日本鉄道自動車局
複数の鉄道会社が四條畷を経由する路線を建設しようとしたのは、当時としてはそれなりに理由があったことかもしれません。「四條畷市にはない四条畷駅」はよくある鉄道ネタですが、四條畷(縄手)の戦いが現在は大東市に含まれる旧四条村で行われたことを考えると、駅が大東市にあるのはあながち「間違い」とも言えません。もっとも片町線自体は明治時代に四條畷神社や野崎観音への参拝客輸送目当てに浪速鉄道という私鉄が片町〜四条畷間を敷設したのが始まり。行政区画を越えて神社周辺がざっくりと「四條畷」と認識されていた、というのが一番正しいのでしょう。それはさておき、戦前は湊川神社や桜井之駅などとともに楠正成親子ゆかりの地は結構な集客力があったようです。それに何と言っても大軌は伊勢神宮の参拝客輸送を目的に関連会社の参宮急行電鉄を宇治山田まで開通させたことで有名ですし、四條畷神社や野崎観音へのアクセスも狙ったことは十分考えられます。
今のなんば線が(大物、尼崎)に乗り入れ→引き込み線から→(尼崎←→大阪梅田)阪神線を近鉄梅田線として利用起きる事はないが可能性は0ではない
京阪の梅田乗り入れ中止は大阪市議会内部政争の材料になった結果です。京阪の事業不振とは無関係ですね。それの証拠に同時期に守口 野江間の高架複々線工事、新京阪線新設があります。今でもJR桜ノ宮駅付近高架下の隧道に「京阪電鉄乗越橋」というプレートがJRによって設置されています。(これ有名!)もうその残滓の近鉄バス路線も徐々に短縮されもうなくなったかな。映画「大阪物語」に寺川あたりの府営住宅横のバス停と近鉄バスが出てきます。京阪の野江駅から京橋駅までの間、線路東側に細い区画の土地が続いています。これが近鉄用地の跡です。阪急上新庄駅の急カーブは新京阪線から淀川を渡って野江駅連絡線路計画のためですね。いまは自転車置き場ですが。それにしても新京阪を作り嵐山線と千里山線を作り梅田まで環状線線路と並行して乗り入れと梅田周辺(梅田駅用地と現阪急百貨店後ろ半分)土地まで準備した京阪も不運。戦時中に京阪神急行となって戦後分離した時「役員数」で負けて今のあり様に。梅田付近の土地だけなぜか戦時中に京阪神急行(存続会社)名義にしておいて、まるでだまし討ちのような結果でした。京阪間の私鉄2路線を一つの会社が運営するのはどうかという意見もあったそうですがそれでは現在の阪神阪急で運営するのも問題ありかと。
近鉄が梅田に来ていたら今とはまた違った形で壮大になっていってたと思います。でも難波や上本町がターミナルになってることを考えるとこれで良かったとも感じますね。
旧生駒トンネルの活かしかたとしたら梅田方面の路線と相性が良かっただろう。大阪産業大学も喜んだはずだ。中央線は南へ折れて大阪線と接続した後、信貴山口を経て法隆寺方面へ延ばすべきだっただろう。
近鉄は新幹線と接続する京都駅や名古屋駅の方が玄関口という感じですね
皆さん良く知っていますね、結局関西鉄道と免許がだぶり着工できずにバス路線だけが運行していましたね。
そんな歴史があったなんて知らんかったわ
着工された区間だけでも走らせてもと思ってたけど流石に無理か。
旧済生会野江病院のすぐ南を近鉄線が走ってたかもだと?(超ローカルネタあれ?もしそうだったら桜小橋あたりにあったJRの貨物線はどうなってたのかな(ローカルネタその2
幻の阪神宝塚線(尼宝線)及び実現させた後の有馬、三田への延伸構想に似てますね。現県道尼宝線はほとんど線路が敷かれていたが、両端である宝塚と尼崎への接続地が難航しているうちに不況になり頓挫、道路として埋め立てて尼崎、甲子園から宝塚へは今も阪神バスを運行させてます。
もっと大きな目線でみたとき直通していた場合に名阪特急はどうなっていたんでしょう?もっというと近鉄はどうなっていたんでしょう?利便性が高いのも必ずしもいい方向になるとは限らない気もします
今でも遅くない。上本町地下ホームに0番、新3番線を増設して地下で延伸すると嬉しいです。無茶振りですけど…
小川平吉「おやおや、何やら大変な事になってゐるようだね、お気の毒な事だ」
>複数の私鉄が四条畷を目指していた四条畷を過信しすぎや(笑)
むしろ全て計画通りにできてたら四條畷が今頃どうなってたか気になる
@@昼子-x2z 武蔵小杉みたいになったりしてww
😂深々度?梅田行かなきゃ😅
これ実現してたらぜひ阪神本線に直通してほしい
@@klk2937 実現していなくても近鉄奈良〜神戸三宮間の快速急行が運転されています。
子供の頃住道から萱島や門真団地に近鉄バスが走っていて、近鉄沿線でもなく不思議だったが、このことが理由かな?
当時の四條畷人気は野崎観音の影響…?加えて、大阪の間近且つ平地というベッドタウン開発のポテンシャルもだいぶあったからかな
京阪中之島線が中途半端な場所で止まっているのが残念過ぎますよ。
そのコメント リーガロイヤルの人が見たら悲しむで
この当時から、梅田駅なんですね。私鉄地下鉄が大阪駅でない話題はJRが大阪駅→JR梅田駅に変更するのが正しいのかもしれません。
梅田駅じゃ地方の人間はどこの場所か分からない。実際俺も大阪に出てきた当時梅田がどこか知らなかった。だから大阪駅は大阪駅で良いんだよ。地下鉄は大阪で完結しているから梅田で良いが他県にまたがる路線は大阪冠するのが親切と言うもの。
「東京新宿」駅や「東京渋谷」駅なんて名称があり得ないのに、近畿圏では特に近年 "都市名+地域名" というへんてこりんな呼称を駅の正式名称にする動きが進んでいるのは、所詮近畿圏の地名の認知度がその程度だということか 嘆
南海難波駅とか京阪淀屋橋駅とかは、更に知らなくてもいい駅みたいです。
@@ky9vz昔から放送や案内などで使われていたものを正式駅名にしただけの話なのですが。電車の行先表示が方向板の頃なんて、単純に「大阪〜京都」なんてのもありましたし。
@@ky9vz梅田や三宮は改名するなら大阪つけるより阪急阪神を区別する駅名にしてほしかった
奈良方面からだと近鉄は毎回鶴橋でJRに乗り換えるから、面倒なんだよな。ホームの端に階段があるのも、事前に上本町側の先頭車両付近に載らないと遠いし。実現してほしかったわ。
京阪梅田駅が出来ていたら、西武新宿駅みたいな感じになっていたのかな~~
そういえば昔梅田から北河内、安田方面への近鉄バス路線がありましたね。(今もあるかな?)それも名残りかと。
近鉄バス阪奈線ですね。今残っているのは住道駅〜生駒登山口だけです。
@@N--Tああやっぱり梅田界隈で見ないと思っていたら、廃止か休止になってしまったんですな。おおきにありがとう御座います。
いっその事、枚方市駅から170号に沿って泉佐野までモノレールかLRTでも作ってほしい。😂
近鉄バスが何でこのエリアに走っている理由がよくわかりました
四条畷線は孔舎衙坂から分岐する予定じゃなかったか
今なら東大阪市東側を縦に走る鉄道網がないので…東花園を拠点に南北四條畷と八尾、松原辺りに繋げたら個人的に便利かと(笑)
大阪モノレールのさらなる延伸に期待。
どこかに近鉄『四条畷〜梅田』が営業運転してるパラレル・ワールドがあるんかなぁ〜。こんど、行ってみよー
梅田から伊勢志摩へ近鉄特急で…
@@買うたこうた 観光客にとっては伊勢志摩行きは難波発の方が便利。
近鉄は難波拠点のままで充分だったと思います。梅田に乗り入れたら名阪間で新幹線に対抗できず、難波の衰退に拍車がかかっていたかもしれません。ところでチャンネル登録してもアンケートが表示されません。改善を求めます。
コミュニティから見れると思いますよ
梅田に乗り入れていればどうなっていたか。
阪急支配地域の北大阪方面も赤い電車に征服されてそう😢北摂の近鉄バスもその名残か?
大阪市がつながる事を嫌がったとか
京阪梅田線が実現していたら阪神,京阪,近鉄と相互直通していたかもね一方で京阪は淀屋橋、近鉄は難波まで路線延ばすことはなく、ターミナルが寂れていたかも
四条畷線って路線名なのに四條畷市に通らないの草
調べてみると計画当時の大正末期は四条畷市の前身である四条畷村すら存在していない。南北朝時代の1348年の四條畷の戦いは四條村 (現:大東市)での出来事。1889(M22)年に制定された四条村は現在の野崎や寺川、つまり大東市。つまり野崎や寺川付近を通る路線に四条畷線の名称は至極真っ当なもの。四條畷の名が広がったのは1890(M23)年四條畷神社創建、1903(M36)年の旧制四條畷中学開校以降らしい。これらは甲可村に存在したが四條畷の方が有名になり、1932(S7)年に甲可村を四條畷村に改称。のちに四條畷町、四條畷市と変化。だそうです。※訂正 ×旧姓 → 〇旧制
もったいない😧近鉄電車の梅田乗り入れ見たかった😮奈良から梅田と姫路は幻か🤣
近鉄奈良から梅田は幻でしたが、今はJR奈良から大阪は実現できていますね。
HEP FIVE辺りに駅ができたら、西武新宿駅っぽい
寺川は「てらかわ」ですね。
歴史にタラレバはない
やっぱり大軌やったんかwww
へぇー!もしかしたら!大軌さんがミナミも!キタも!牛耳っとった可能性があたんやね!知らなんだー!そんな世界を見てみたかった!かも♪♪♪何せ!浜松まで延伸したい!会社みたいやたし!オレンジをブッ潰せー!言うてwww
全て惜しい話やな。😔
戦前の鉄道青写真のほうが、アグレッシブだったのですね
訂正があります。
× 鶴見運河→ ○ 城北川(旧城北運河)
やっぱり枚方から生駒まで繋げようぜ(無茶振り)
どうせなら淀川渡って高槻まで繋げてそっから亀岡まで行こうぜ()
どうせなら阪神電鉄買収して梅田に乗り入れて、そのうち阪急も。。。🤣🤣🤣
かつて信貴生駒電鉄(現在の近鉄生駒線)が戦前に生駒から枚方まで建設しようとして、現在の京阪交野線部分を建設しましたが、私市から生駒までは生駒山地に越える難工事ということで、結局は建設できず、交野線部分は、交野電気鉄道を経て、現在は京阪交野線になっています。
戦後1980年代でも近鉄けいはんな線の生駒トンネルが難工事であったように、生駒を貫くトンネルは、工事でも費用でもなかなか厳しいです。
枚方から生駒繋がってたら、わざわざ丹波橋経由せずに済むのに。
その予定ルートと同じような道路は国道168号線が通っていますが、Googleマップを見れば、生駒山地の道が険しいのがわかります。
昭和恐慌がなければ今はぜんぜん違う景色が見れていたのでしょうね。
戦争に踏み込めないくらい政府の財政が傾いていたかもしれないね。ずさんな鉄道敷設免許を乱発した小川平吉の孫が
今の日本の財政再建路線の権化の宮澤喜一だってのがすごい皮肉。
それどころか阪神が名古屋急行電鉄(昭和事件が無ければ多分開通してたはず。)と直通し近鉄ですら実現しなかった名古屋に顔を阪神直通車が来てたかも知れませんね。
京阪の場合は昭和恐慌もありますが、それまでに関西圏最大の大企業になるべく、新京阪鉄道、阪和電気鉄道、奈良電気鉄道と鉄道建設に大規模に投資しただけでなく、電気事業も含めて、滋賀県、京都府、大阪府、和歌山県の4つの府県で企業エリアを拡大し、莫大な投資をした結果、そのツケが昭和恐慌で大爆発した状況です。
負債が当時の金額で1億円、現在の価値に直せば兆の単位の金額になりました。
@@すずちゃん-v2c できるわけねえだろ…
@@Kimcom7 政治銘柄京阪だよね。
近鉄も梅田を目指していたのか😳
同じ梅田を目指す京阪とタッグを組んだりと夢がありますね。
プライド高い阪急がめっちゃ嫌がりそう…
近畿日本鉄道の名は偽りでは無く阪急を乗っ取って北摂方面はおろか丹波方面や丹後天橋立まで侵攻しそう。
京都伏見と梅田で京阪とあざなえる縄の如く絡み合ったのかもな。
こんな計画があったとは知りませんでした
勉強になりました
以前、近鉄バスが梅田の曽根崎警察署近くまで乗り入れていたのは、その名残だったのですね❗
毎週 魅力的な話題を取り上げて頂きありがとうございます🙇
もし近鉄が梅田に乗り入れなれたなら どんだけ便利だったでしょうね~!幻の路線が今となっては地域の橋や道路になっているなんて全く知らなかったです!
鉄道の歴史が知れて勉強になりました。
約60年前は、梅田―生駒山上間の近鉄バスがあったのは、夢の名残りだったのか。
@@自在電 近鉄特急で梅田から近鉄名古屋まで運行すればええやん
そんな昔のことなんですね!!
昔は奈良ドリームランドまで行っていたと伺っております。
近鉄バス阪奈線の一部ですね。かつては2階建てバスビスタコーチも運用されるなどドル箱路線だったそうです。
奈良大安寺に近鉄バス奈良営業所があり、阪奈線と京都線(京都駅〜奈良)を担当していました。
鉄道敷設は罷りならぬが、バスは大阪市内乗り入れを認可したのが1950年代中期から1970年代初頭まで私鉄系のバス会社が挙って現在の大阪市中央区内本町二丁目に大阪市が「大阪本町バスセンター」を完成させそこに乗り入れを果たす様になり、神戸から京都から奈良から果ては和歌山から中長距離の路線バスを競うように走らせた「バスの黄金期」がありました(但し私鉄系バスは大阪市内はクローズドドア制と言う制約付き)。今ならそこを経由しなくても高速道路網を駆使して高速バスが走りますがまず珍しいのは
神戸―(阪神)ー内本町
宝塚ー(阪急)ー内本町
京都ー(京阪・南海共管)ー内本町ー和歌浦
奈良ー(近鉄)ー内本町
etc…
というのがあり、その見返りに大阪市営バスも
住道・八尾・堺東・豊中への路線網の拡張を行ってました。今はその機能がOCATバスターミナルに変わりネットワークが日本各地に拡がりましたけど、大阪市営バス時代・OCB(大阪シティバス)になっても大阪市内―関空路線が2度コケてるのも「市営モンロー主義の影響か?又は呪われたか?」謎は深まるばかり(笑)
1990年代まで梅田~奈良まで近鉄バス直通バスが運行していました。
最後は1日1便で奈良ナンバーの車両が梅田に来ていました。
梅田―近鉄奈良駅の近鉄バスがあったのは、夢の名残りやったわ
城北川にかかる大喜橋がどうしてその名前なのか不思議に思ってました。大軌からきているとは目からうろこ
A列車行こうやTpF2などで、あったかもしれない未来を再現するのも面白そう
だまれ
@@さんさんdm 何様やねん
マイクラのMTRやRTMで再現するのもいいですね~
@@ひるのいこい 多分同じ名前のやついっぱいあるので、どの関西電鉄か表記したほうがいいと思いますよ
@@wo8go-andre-growndt 修正しました。
もし完成していれば、関西の鉄道網は大きく変わっていましたね。
梅田発の名古屋·伊勢志摩方面の特急や急行を見てみたかったですね♪
いわゆる「阪奈道路」の地平区間は「近鉄の路線用地」だったと聞いてました。
寺川近くの大阪産業大学〜梅田(曽根崎交差点近く)に近鉄バスの路線がある(あった?)のは、「代行バス」だったのですね😅
また別の資料では、京阪電鉄が大軌四条畷線計画を妨害するため、鉄道省に対して片町線電化費用を拠出した、とも。
当時の京阪電鉄は関西有数の鉄道企業だったため、国に対しての発言力もあったのかも。
かつて東梅田の端っこに1路線だけ近鉄バスが伸びてきていた理由がわかりました。そういう過去があったのですね。興味深い動画をありがとうございます。
私鉄系のバス路線がその私鉄沿線とその延長線上ではないところにも路線がある事例を調べると計画倒れになった路線計画などが絡んでいることが多いですね。
阪神バスが宝塚への路線を持っているのも、計画倒れになった宝塚尼崎電鉄の名残ですし。
@@N--T
それを大阪市が特例でバスの大阪市内乗り入れを認可し、大阪市中央区内本町に「大阪バスセンター」が出来、私鉄直営・系列関係なくそこへ一斉になだれ込んだと言います。
1980年代まで、朋来住宅前~天満橋系統があったのはその名残だと思います。
@@Mamenosuke467
平成になってからも近鉄八尾駅に乗り入れていましたね。
布施駅は今でもありますが。(昔は布施三ノ瀬発着もあった)
なお、守口車庫は市電時代からで、これはどちらかというと結果として車庫が守口市になってしまったパターンですね。堺駅への系統も市電代替の名残ですし。
[大軌]に因んで[大喜橋]
粋な計らいをしはりますね😂
当時は京阪と大軌が提携関係にあったんですね。両者の提携によって建設を見たのは奈良電鉄(後の近鉄京都線)がありますね。
近鉄が梅田に進出し、京阪が名古屋進出を成功させていたら、近畿東海の私鉄網はどうなっていたか興味は尽きません。
梅田駅ができていたらしてたらそのうち近鉄と京阪が地下に入り、阪神乗り入れが開始してたと思います。その阪神梅田駅が途中駅になり、そのまま名古屋に行けたと思われます。また、阪神と京阪接続も早く行われてたかもしれない
時代は梅田だからね
うめきたグラングリーン大阪など
京阪や近鉄は惜しい事したね...
@@uc-gy2fc 難波もやで。
何なら活気はインバウンドの影響を100%享受出来てる難波の方が上。
梅田は残念ながら外国人には人気なし。
外環状線ルートの鉄道は欲しい。高槻始発で寝屋川〜四條畷〜瓢箪山〜八尾のルートで。
四條畷線ができてたら、奈良県北部民は梅田に行きやすくなってたことを考えると残念
この当時は今と違って、京阪が今の近鉄みたいな「大民鉄会社」であり、大軌は生駒トンネルを貫通させたことで勢いに乗る「新興鉄道会社」であった。四条畷線は、「大企業」である京阪の協力なくしては実現できない路線だったが、京阪が世界大恐慌の煽りを受けて倒産寸前にまで陥り、京阪梅田線の開通すらできなかったことで事実上計画が頓挫したようなものだった。加えて、生駒山地を上る区間もあったことから、計画当初より採算性が疑問視されていた側面も強い。
京阪は戦前は、関西圏一大企業になるべく、新京阪鉄道、阪和電気鉄道、奈良電気鉄道と鉄道建設に大規模に投資しただけでなく、電気事業も含めて、和歌山まで企業エリアを拡大し、莫大な投資をした結果、そのツケが昭和恐慌で大爆発した状況です。
負債が当時の金額で1億円、現在の価値に直せば兆の単位の金額になりました。
当時の京阪は名古屋延伸も計画していたのでとんだ災難でしたね。
地下鉄中央線がもしこっちに行って梅田に行けたら
生駒から北は地下鉄直通、南は近鉄と選べて便利で中央線が千日前線になりまだ赤字回避できたかも、、、😅
四條畷にいったい何があって
みんな挙って目指したのか
野崎観音参拝客目当てというのが一番あり得る話。
神社仏閣への参詣客輸送の為に敷かれた路線は割と多いよ
京阪交野線と近鉄生駒線が繋がっていた世界線も見てみたかった。。。
交野線と生駒線が繋がり、京阪梅田線と近鉄四條畷線が繋がり、京阪奈線も史実通り開通する世界線。
当初は額田駅分岐案ではなく孔舎衛坂駅分岐案だったはずなのですが、このルートを取られなかったのは、勾配がきつすぎるからと言われています。しかし、今の近鉄奈良線のルートと真反対に同様のルートを描けばそんなに無理なく寺川まで通せたはずなので、疑問に思い、地図を見てみました。
すると、近鉄奈良線のように生駒トンネルを出たところから石切~瓢箪山付近までのように、生駒山地に沿ってなだらかに坂を下りようとすると、孔舎衛坂~寺川の間にいくつもの神社やお寺があり、それらを立ち退かせて工事するわけにいかなかったのが最大の理由ではないかと思われます。
そしてそれらの社寺を避けたルートだと、一気に急峻なところを降りるか物凄く高い鉄橋を敷設するかいずれかになるため、孔舎衛坂駅分岐案が見送られたのでしょう。
孔舎衛坂~寺川間の寺社を避けたというお話は大いに頷けます。戦後近鉄名古屋線が四日市付近の線形変更を行なって現・近鉄四日市駅を建設した際に、お寺がいくつもあったため、新ルートは当初計画よりも外側(西側)に変更した、という話を亡くなった祖母の従妹から聞いたことがあります。
額田駅分岐案だと、寺川に行くのはおそらく困難(かりにそれをやったとすればかなり大回りになる)なので、部分的にカットするしかないでしょう。
もう一つのアイデアは生駒トンネルをもう1本掘ることですが、この当時はあのトンネル1本掘るだけで大軌が倒産しそうになったことからすると、これも採り得なかったのでしょう。
2017年3月末までは、梅田から東大阪市の稲田車庫前までのバス路線もありましたよね。
それにより安田以東のJR住道行きが週一運行から年一運行となり、とうとう潰えてしまいましたね。確か浜ー稲田車庫間は特定運賃で100円ワンコインであったと覚えています。
これが開業していれば近鉄は梅田、難波、天王寺(大阪阿部野橋)の大阪3大ターミナルを制覇していたのか…
四条畷線と名古屋急行が実現していたら?関西私鉄の勢力図も変わってただろうな
阪急京都線も獲られてなかっただろうし
名古屋急行電鉄が実現してれば名古屋鉄道の歴史も変わってたかも知れませんね、瀬戸線以外の本線や他の路線も含み標準軌化は京阪直通前提で計画された物です東岡崎から矢作橋までは標準軌化スペースと仮線スペースが有りました、今は空き地や駐車場になってますが。名古屋鉄道が標準軌になり本線の浜松延伸は実現してたかも知れません。
下手すれば北大阪の阪急王国もヤバいだろうな😂
北摂も近鉄帝国に乗っ取られそう。
そういや今福鶴見付近にやたら道路の間隔が短く並行してるところがあったな・・・廃線跡かと思ったが未成線だったのか・・・
学研都市線の住道-野崎間で府道大阪生駒線が超える陸橋と前後の築堤もその名残ですね。
またそこを走る梅田-奈良の近鉄バスも最盛期は近鉄奈良線に次ぐ阪奈間の主要交通手段でしたね。
跨線橋としては緩やか過ぎる勾配が、鉄道用の構造の特徴ですね。
おそらくですが、阪奈道路上りのひとつめのヘアピンまでのストレートから、下りの360度ターンまでの道の部分も遺構と想っています。その先も道が続いていますし。
動画内の四条畷線ルートの地図(近鉄奈良線と接続しているもの)は、額田駅分岐案ではなく、生駒トンネルを出たところの孔舎衛坂駅分岐案ではないでしょうか?
確かにその後額田駅分岐案に変更されたようですが、その場合、額田から寺川に行くのはあまりに大回りでその時には線型的に住道より西あたりから四条畷線のルートを通るようにせざるを得なかったのでは?
阿倍野から難波経由大阪はどうでしよ
名古屋急行電鉄が実現してれば京阪と近鉄や阪神が他社同士の直通運転をしてたかも知れませんね、名古屋鉄道も標準軌化計画は京阪直通前提で建てられたのでそれが実現してれば本線の浜松延伸は実現してたかと思います。それで名古屋急行電鉄と名古屋鉄道が金山または名古屋から直通する形ですね。
幼い頃、初めて一人で梅田駅へ行くことになり、近鉄を乗り継いで鶴橋まで辿り着いた。
乗り換えで路線図をどれだけ探しても梅田駅がない。
そばにいた駅員さんに尋ねると、「そんな駅はない」と突っぱねられ、結局一般の方に教えて頂いた。
あのことは未だに鮮明に憶えている。
沼地だった大東、四条畷から大阪に向けて大きな道が昔からあった理由を初めて知りました
当時の大軌が何とかして梅田を目指したいというのは鉄道では叶わなかったのが、2000年代まで近鉄バスが大阪奈良線と言う路線や、萱島線・四条畷線と言う形で残ったものの大阪奈良線が当時の大阪市営バス36系統の本数の圧倒的多さに敗れ、現在も時刻の書かれていない主の居ない空き家同然にバス停のみがポツンと大阪市内に寂しく残され、現在は解説の通りJR住道北口から生駒登山口・四条畷線の支線としてかつては瓢箪山駅まで路線がありましたが現状慢性的乗務員不足でかつ四条畷線は瓢箪山駅から一つ大阪寄りの東花園駅を起点として四条畷(JR四条畷駅)まで路線が残り、萱島線が萱島~JR住道で分断されJR住道~近鉄八尾駅となってしまい時間さえ気にしなければ大阪市内を迂回せずに寝屋川市・門真市から直接八尾市までしかも鉄道利用より格安運賃で行けた魅力が激減
今や何処もドライバー不足に陥る以前から近鉄バスが大阪のバス業界で一番苦戦を強いられております。「捨てる神あれば拾う神あり」と言われたりしますが、言い方が悪いかも知れませんが「大阪バス」がハイエナの如く近鉄の元路線を継承している様で、布施駅から八尾駅等の路線を展開しています。
近鉄が梅田乗り入れを計画し未遂に終わったのは意外だが、今だと阪神なんば線があるので無理に梅田への乗り入れをしなくてもよいようになったもんな。
その代わりとして阪急と南海が梅田乗り入れの新線を計画しているとかだが
あと、四条畷線は大体が今の学研都市線・東西線にとってかわられた感がある
これ出来てたらと言うことは京阪も梅田乗入れてた訳で凄いことになってましたね😂
いやあ!なつかしい「阪奈道路」。子どもの頃、地図帳のその阪奈道路部分に路線を勝手に引いて「阪奈急行電鉄」という架空の路線を頭の中で建設していました(笑)。
いつか実現したるって思ってました。子どもの頃の妄想に終わりましたが・・・・・。
私の「妄想路線計画」は、能勢電鉄を阪急伊丹線とつなげ、塚口から先は地下に入り阪神尼崎へ、ここまでは「北摂急行電鉄」(能勢電鉄に関しては、妙見口から亀岡へ路線新設。日生中央から三田へ路線新設・・・との「妄想構想」もあり)。
阪神尼崎からは阪神電鉄を走り阪神梅田へ向かいます。さて、梅田から先の「阪奈急行電鉄」は、扇町から源八橋へ向かい、大川をくぐり、国道1号に入って、蒲生四丁目から先の「阪奈道路」の下を通り、鶴見付近で地上へ。そこから寺川を経て、生駒山地はトンネルをくぐり、生駒駅の北方付近で、京阪交野線私市からの延長路線(信貴生駒電鉄の構想路線実現)と合流し、近鉄生駒へ達した後、近鉄生駒線へ直通さらには王寺と新王寺もつなげて田原本線と直通、西田原本からは大和鉄道の路盤を再利用して大和桜井へ。その先は初瀬鉄道の路盤を再利用し、長谷寺へ・・。そこから先は新線建設により西名張へ達し、そこから伊賀神戸までは伊賀線のうち廃止された路盤を再利用し、伊賀神戸へ。そこからは伊賀線を改軌したうえで上野市、伊賀上野へ・・・・・・。
ちなみに、阪神と京阪の接続は、阪神梅田から梅新を経由して京阪淀屋橋に達する「妄想構想」もありましたが、地下鉄御堂筋線に「邪魔」されて無理なことがわかり「断念(笑)」。今なら、阪神野田手前から分岐線路が地下に入り、中の島線に接続する「妄想構想」が復活かも・・。
採算度返しの、免許も下りないとんでもない「妄想路線計画」ですが、阪急系の車両、阪神の車両、京阪の車両、近鉄の車両、山陽の車両、それらの車両が同じ線路を行き来する夢の大路線計画!すごい妄想でしょう!!
梅田~稲田車庫(阪奈生駒線)の由来が、この動画で分かりました。国鉄バスのように、近鉄もバスで梅田乗り入れを果たしていたのですね。
深いお話です
誤 鶴見運河→正 城北川
誤「だ」いきばし→正「た」いきばし
地元民です
大喜橋の写っている名盤の向かい側に「たいきばし」と記されています。
「だいきばし」については検索した写真やストリートビュー(SV)で見ると北西側は「た」の濁点が一つ!?…に見え…
南東側は2016年5月などのSVでは濁点があるように見えるので何とも言い難いような気も…
鶴見運河は私も初耳。そんな運河は大阪のどこにあるの?と検索しても出てこない。私の世代だと「城北運河」ですし。
大阪市のHPをチェックしても昭和10年に「城北運河」として開削工事が始まった運河とあり、おそらく当時の鶴見も通っていない。
なのに Wikiの「大阪電気軌道四条畷線」には「城北運河(鶴見運河)」と記載されたりしています。が、これはWikiに良くある誤情報だと思いますね。
いえ、だいきばしで合ってますよ。
地元なので今見てきました
名盤は2ヶ所とも
「だ」ではなく、「た」です
石に彫り込まれている文字ですが濁点はありません
見た目は濁点の部分が石の白い部分と重なってそう見えたのかも知れませんが
濁点は彫り込まれていません。
嘘だと思うなら直接見に行ってこい!
元々は城北運河でしたが一級河川に昇格した際、城北川になりました。
@@ぶぅ-e7s ごめんね 「だいきばし」で合ってます
@@ぶぅ-e7s橋の名前は全てではないですが、「本来の名前は濁点がつくが、橋での表記では濁点をわざとつけない」ケースが結構あります。理由は「川が濁らないよう濁点をつけない」という通説から来てるもので、現地の表記は濁点なしでも、正式には濁点ありの方が正しいケースが多々あります。なので現地のひらがな表記を見ても、意味が無いと言えます。
近鉄とは縁のない梅田に近鉄バスが走っていたのはその名残だったんでしょうか?そのバス路線も今無くなったのは残念です…
高槻、茨木、摂津にも近鉄バスは存在するが、あわよくば北摂にも近鉄の魔手?を伸ばそうと企んでたか?
成功すりゃ今頃阪急京都線、千里線所か阪神間も赤い電車に侵食されてそうだわ。
京阪はともかく近鉄は難波、天王寺
南海は難波のままでいい。
何でも梅田に集めればいいってもんじゃない。
現在はともかく、かつて大阪市は長いこと市営モンロー主義(市内交通は市が担う)を取っていたので、大阪北部を通る私鉄各線が市街地へのアクセスを向上させようとすれば、国鉄城東線(現在の環状線東側)沿いの梅田を目指さざるを得なかった事情がある。
ちなみに現在近鉄・阪神と並行していてよく要らない路線扱いされる地下鉄千日前線も、もともとは近鉄の難波延伸計画に対抗して建設されたもの。
難波や天王寺ももちろん一大交通ターミナルで商業集積地でもあるが、東京の新宿・渋谷・池袋のような「副都心」にまでなれるかというと...しかし最近の梅田再開発は何といっても旧梅田貨物駅という巨大な一等地が手に入ったおかげによるところが大きい。南側の大阪駅前ビル地区も再開発の計画はあるけど、中は分譲マンションと同様の区分所有形式になっているので、建て替えの同意をまとめるのが面倒という問題を抱えている。
@@jesfield76-x9n 難波は都心。
しかも渋谷とか池袋とは
比較にならんほど繁華街の規模でかい。
@@nokkonteradakokoro893
すみません、私が使ってる「都心」「副都心」とは、商業に加えて行政や企業の本社機能が集まっている場所、という意味です。厳密に言えば大阪の行政中心地は市役所のある中之島か府庁のある大手前になりますし、大阪発祥の企業なら本町に本社を置いてる場合が多いですが。
梅田に一極集中する必要はないというのは仰る通りで、難波は関空開港を機にJRの駅にもOCATができ、天王寺にはあべのハルカスが建って大きく変わりました。あとは京橋のOBPや咲洲などもそうですが、大阪の新都心構想はいまひとつなところがありますね。もちろんこれから変わる可能性はまだありますが。
最後のシーン、学校に掲げられた「失敗は経験に、経験は成長に」が、一切無関係な筈の大軌と妙にマッチングして見えて胸熱😳
出来ていれば今でも便利で使われる路線であっただろうな。一方長堀鶴見緑地線は別ルートを走っていただろう。
少し触れられた東大阪電鉄は、清滝峠をループ線やスイッチバックなしで越えて奈良まで敷設しようとしていた。建設は到底無理なのだが、当時の汚職のせいで免許が下りてしまった。
このトピックは関東者としては、すごい話題だ。こんな構想があったのかっ!
でも、多額の資金投資はどうなったんでしょうかね、ちょっと気になりますね。
つ五私鉄疑獄
名鉄も愛知電気鉄道の時代に東京新宿大阪梅田を岐阜から豊橋から延伸する計画が前戦から有りました、その時昭和事件が無かったら資金調達はどうなってたのだろうか愛知電気鉄道も豊橋延伸にお金が掛かる事を予測してなかったのかな?でも実現してれば本数の少ない所は豊橋から横浜までは多分パノラマカーで特急の160キロ運転出来る東海道新幹線と同じ設備でまだ新幹線は生まれて無いから、多分外国の高速道鉄道をパクるはずで東海道新幹線開業の頃には220キロで新幹線運転を開始でのぞみ号が誕生の頃は300キロ運転を開始って形で豊橋から横浜は本数は普通は毎時1本で急行も1本で特急が5本で駅以外は300キロで走行し駅は215キロに制限掛ければ行ける。と妄想しています。
橋が有効利用されてるのが凄い
梅田ってちょっと前まで、そもそも大阪のビジネス街ではなかったからね。
一極集中しだしたのって、西梅田にオフィスビルがたくさん建ってからかな。
それな。
真の大阪のオフィス街は本町船場。
@@nokkonteradakokoro893 船場は今箕面の方に移転してるで、残っているのは船場センタービル他の商店街のみ。
@@nokkonteradakokoro893
伊藤忠商事の大阪本社(登記上の本店でもある)も、今の大阪ステーションシティに移る前は本町でしたし、消滅したイトマンも本社は本町でした。
6:48
地味に元マックスバリュ→マルナカのダイエーが
もし完成してたら、ミナミの今の繁栄はなかったんじゃないかな。
だから、結果オーライと思いますよ。
もし、実現してたら阪急電車が近鉄宇治山田駅まで行くということも有り得たという訳か(笑)
めっちゃ過酷な運用になるけど。
奈良線側の接続やからよくて近鉄奈良までかも・・・?
あのプライドの高い阪急がおめおめと近鉄の手の内にのる訳が無いし、経営者の思想や体質も有るからね。
東京ナイズされた守りの阪急、土着の攻めの近鉄じゃ明らかに温度差が有るからね。関東で言えば東急と東武みたいなものか。ただあそこは
東武の電車と東急の電車が仲良く地下鉄走ってるからな。
VE39未更新?
だからあの辺に近鉄バスが走ってるのか
しかも阪奈道路経由で奈良まで走れてたのか
近畿日本鉄道自動車局
複数の鉄道会社が四條畷を経由する路線を建設しようとしたのは、当時としてはそれなりに理由があったことかもしれません。
「四條畷市にはない四条畷駅」はよくある鉄道ネタですが、四條畷(縄手)の戦いが現在は大東市に含まれる旧四条村で行われたことを考えると、駅が大東市にあるのはあながち「間違い」とも言えません。もっとも片町線自体は明治時代に四條畷神社や野崎観音への参拝客輸送目当てに浪速鉄道という私鉄が片町〜四条畷間を敷設したのが始まり。行政区画を越えて神社周辺がざっくりと「四條畷」と認識されていた、というのが一番正しいのでしょう。
それはさておき、戦前は湊川神社や桜井之駅などとともに楠正成親子ゆかりの地は結構な集客力があったようです。それに何と言っても大軌は伊勢神宮の参拝客輸送を目的に関連会社の参宮急行電鉄を宇治山田まで開通させたことで有名ですし、四條畷神社や野崎観音へのアクセスも狙ったことは十分考えられます。
今のなんば線が
(大物、尼崎)に乗り入れ→引き込み線から→(尼崎←→大阪梅田)阪神線を近鉄梅田線として利用
起きる事はないが可能性は0ではない
京阪の梅田乗り入れ中止は大阪市議会内部政争の材料になった結果です。京阪の事業不振とは無関係ですね。それの証拠に同時期に守口 野江間の高架複々線工事、新京阪線新設があります。今でもJR桜ノ宮駅付近高架下の隧道に「京阪電鉄乗越橋」というプレートがJRによって設置されています。(これ有名!)
もうその残滓の近鉄バス路線も徐々に短縮されもうなくなったかな。映画「大阪物語」に寺川あたりの府営住宅横のバス停と近鉄バスが出てきます。
京阪の野江駅から京橋駅までの間、線路東側に細い区画の土地が続いています。これが近鉄用地の跡です。
阪急上新庄駅の急カーブは新京阪線から淀川を渡って野江駅連絡線路計画のためですね。いまは自転車置き場ですが。
それにしても新京阪を作り嵐山線と千里山線を作り梅田まで環状線線路と並行して乗り入れと梅田周辺(梅田駅用地と現阪急百貨店後ろ半分)土地まで準備した京阪も不運。
戦時中に京阪神急行となって戦後分離した時「役員数」で負けて今のあり様に。
梅田付近の土地だけなぜか戦時中に京阪神急行(存続会社)名義にしておいて、まるでだまし討ちのような結果でした。
京阪間の私鉄2路線を一つの会社が運営するのはどうかという意見もあったそうですが
それでは現在の阪神阪急で運営するのも問題ありかと。
近鉄が梅田に来ていたら今とはまた違った
形で壮大になっていってたと思います。
でも難波や上本町がターミナルになってることを
考えるとこれで良かったとも感じますね。
旧生駒トンネルの活かしかたとしたら梅田方面の路線と相性が良かっただろう。大阪産業大学も喜んだはずだ。
中央線は南へ折れて大阪線と接続した後、信貴山口を経て法隆寺方面へ延ばすべきだっただろう。
近鉄は新幹線と接続する京都駅や名古屋駅の方が玄関口という感じですね
皆さん良く知っていますね、結局関西鉄道と免許がだぶり着工できずにバス路線だけが運行していましたね。
そんな歴史があったなんて知らんかったわ
着工された区間だけでも走らせてもと思ってたけど流石に無理か。
旧済生会野江病院のすぐ南を近鉄線が走ってたかもだと?(超ローカルネタ
あれ?もしそうだったら桜小橋あたりにあったJRの貨物線はどうなってたのかな(ローカルネタその2
幻の阪神宝塚線(尼宝線)及び実現させた後の有馬、三田への延伸構想に似てますね。
現県道尼宝線はほとんど線路が敷かれていたが、両端である宝塚と尼崎への接続地が難航しているうちに不況になり頓挫、道路として埋め立てて尼崎、甲子園から宝塚へは今も阪神バスを運行させてます。
もっと大きな目線でみたとき
直通していた場合に名阪特急はどうなっていたんでしょう?
もっというと近鉄はどうなっていたんでしょう?
利便性が高いのも必ずしもいい方向になるとは限らない気もします
今でも遅くない。上本町地下ホームに0番、新3番線を増設して地下で延伸すると嬉しいです。無茶振りですけど…
小川平吉「おやおや、何やら大変な事になってゐるようだね、お気の毒な事だ」
>複数の私鉄が四条畷を目指していた
四条畷を過信しすぎや(笑)
むしろ全て計画通りにできてたら四條畷が今頃どうなってたか気になる
@@昼子-x2z 武蔵小杉みたいになったりしてww
😂深々度?
梅田行かなきゃ😅
これ実現してたらぜひ阪神本線に直通してほしい
@@klk2937 実現していなくても近鉄奈良〜神戸三宮間の快速急行が運転されています。
子供の頃
住道から萱島や門真団地に近鉄バスが走っていて、近鉄沿線でもなく不思議だったが、このことが理由かな?
当時の四條畷人気は野崎観音の影響…?
加えて、大阪の間近且つ平地というベッドタウン開発のポテンシャルもだいぶあったからかな
京阪中之島線が中途半端な場所で止まっているのが残念過ぎますよ。
そのコメント リーガロイヤルの人が見たら悲しむで
この当時から、梅田駅なんですね。私鉄地下鉄が大阪駅でない話題はJRが大阪駅→JR梅田駅に変更するのが正しいのかもしれません。
梅田駅じゃ地方の人間はどこの場所か分からない。実際俺も大阪に出てきた当時梅田がどこか知らなかった。だから大阪駅は大阪駅で良いんだよ。
地下鉄は大阪で完結しているから梅田で良いが他県にまたがる路線は大阪冠するのが親切と言うもの。
「東京新宿」駅や「東京渋谷」駅なんて名称があり得ないのに、近畿圏では特に近年 "都市名+地域名" というへんてこりんな呼称を駅の正式名称にする動きが進んでいるのは、所詮近畿圏の地名の認知度がその程度だということか 嘆
南海難波駅とか京阪淀屋橋駅とかは、更に知らなくてもいい駅みたいです。
@@ky9vz
昔から放送や案内などで使われていたものを正式駅名にしただけの話なのですが。
電車の行先表示が方向板の頃なんて、単純に「大阪〜京都」なんてのもありましたし。
@@ky9vz
梅田や三宮は改名するなら大阪つけるより阪急阪神を区別する駅名にしてほしかった
奈良方面からだと近鉄は毎回鶴橋でJRに乗り換えるから、面倒なんだよな。
ホームの端に階段があるのも、事前に上本町側の先頭車両付近に載らないと遠いし。
実現してほしかったわ。
京阪梅田駅が出来ていたら、西武新宿駅みたいな感じになっていたのかな~~
そういえば昔梅田から北河内、安田方面への近鉄バス路線がありましたね。(今もあるかな?)
それも名残りかと。
近鉄バス阪奈線ですね。
今残っているのは住道駅〜生駒登山口だけです。
@@N--Tああやっぱり梅田界隈で見ないと思っていたら、廃止か休止になってしまったんですな。
おおきにありがとう御座います。
いっその事、枚方市駅から170号に沿って泉佐野までモノレールかLRTでも作ってほしい。😂
近鉄バスが何でこのエリアに走っている理由がよくわかりました
四条畷線は孔舎衙坂から分岐する予定じゃなかったか
今なら東大阪市東側を縦に走る鉄道網がないので…東花園を拠点に南北四條畷と八尾、松原辺りに繋げたら個人的に便利かと(笑)
大阪モノレールのさらなる延伸に期待。
どこかに近鉄『四条畷〜梅田』が営業運転してるパラレル・ワールドがあるんかなぁ〜。こんど、行ってみよー
梅田から伊勢志摩へ近鉄特急で…
@@買うたこうた 観光客にとっては伊勢志摩行きは難波発の方が便利。
近鉄は難波拠点のままで充分だったと思います。梅田に乗り入れたら名阪間で新幹線に対抗できず、難波の衰退に拍車がかかっていたかもしれません。
ところでチャンネル登録してもアンケートが表示されません。改善を求めます。
コミュニティから見れると思いますよ
梅田に乗り入れていればどうなっていたか。
阪急支配地域の北大阪方面も赤い電車に征服されてそう😢
北摂の近鉄バスもその名残か?
大阪市がつながる事を嫌がったとか
京阪梅田線が実現していたら阪神,京阪,近鉄と相互直通していたかもね
一方で京阪は淀屋橋、近鉄は難波まで路線延ばすことはなく、ターミナルが寂れていたかも
四条畷線って路線名なのに四條畷市に通らないの草
調べてみると計画当時の大正末期は四条畷市の前身である四条畷村すら存在していない。
南北朝時代の1348年の四條畷の戦いは四條村 (現:大東市)での出来事。
1889(M22)年に制定された四条村は現在の野崎や寺川、つまり大東市。
つまり野崎や寺川付近を通る路線に四条畷線の名称は至極真っ当なもの。
四條畷の名が広がったのは1890(M23)年四條畷神社創建、1903(M36)年の旧制四條畷中学開校以降らしい。
これらは甲可村に存在したが四條畷の方が有名になり、1932(S7)年に甲可村を四條畷村に改称。のちに四條畷町、四條畷市と変化。
だそうです。
※訂正 ×旧姓 → 〇旧制
もったいない😧近鉄電車の梅田乗り入れ見たかった😮奈良から梅田と姫路は幻か🤣
近鉄奈良から梅田は幻でしたが、今はJR奈良から大阪は実現できていますね。
HEP FIVE辺りに駅ができたら、西武新宿駅っぽい
寺川は「てらかわ」ですね。
歴史にタラレバはない
やっぱり大軌やったんかwww
へぇー!
もしかしたら!
大軌さんがミナミも!
キタも!牛耳っとった
可能性があたんやね!
知らなんだー!
そんな世界を見てみたかった!
かも♪♪♪
何せ!浜松まで延伸したい!
会社みたいやたし!
オレンジをブッ潰せー!
言うてwww
全て惜しい話やな。😔
戦前の鉄道青写真のほうが、アグレッシブだったのですね