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いぶり、懐かしいです。かつてこがね、しろがねもそうでしたね。
胆振線懐かしい、伊達市在住だったので。0番線ホーム発着でした。私が高校生の時に廃線になり、同級生や後輩が苦労していました。有珠山噴火の地盤変動でレールが曲がったりして大変な被害を被っていました。最後は過疎化と自動車シフトで廃線になった様です。
胆振線懐かしいわ!自分が乗ったのは廃線寸前の頃で、乗り遅れたお客の為に10Mぐらい進んだ所で停車して乗せたのが印象的でした。
田舎特有の出来事ですね周遊券で旅してみてみたかったです
他のチャンネルで書き込みましたが、乗り遅れた人⇔もしかしてワシかもです。ワシは六郷駅発伊達紋別行きの既に発車した車両に走って追いつき、停めてもらいました。
訂正。倶知安発です、次の六郷駅でのできごとでした。
なんだこの急行列車は……カオス過ぎな所もいいと思ってしまった…流石国鉄!
国鉄沼へようこそ
@@ynk3116 もう後戻りできませんな…
晩年の小樽先回り・千歳後回りの「いぶり」は循環一周の旅を終えて千歳方面から札幌駅に到着すると、車庫引き上げのため、手稲行き普通列車としてそのまま走っていました!
キハ22みたいな列車ならではですね笑
あんまり関係ないけど1990年代の終わりごろまで、胆振線の橋梁は沿線に残ってました。プレートガーターの橋と、橋脚 そして延々と続く細長い空き地が記憶に残っています。
こういう列車いいですよね…キハ22の急行とか草 でも今ではキハ47で特急とか言ってるところもあるからマシかな()
それとほぼ一緒ですね笑
キハ22は信頼性が高かった車両だからこそ使われたんだと思いますよ・・・耐雪性で711系の急行「さちかぜ」が遜色急行と呼ばれることはなかったように、キハ22はまだマシな車両だったと思います。ええ、115系や401系などが首都圏では急行に使われていましたから(デッキがあるだけでもマシ)。
3:33 素敵な行き先掲示幕ですね!
かつてはあちらこちらに循環急行が走ってました。小海線、只見線、山田線、北上線等、今の東日本管内でも走ってました。
急行 ひまわり ありましたな
@@mad1186 上越新幹線の名称にもなったあさひは新潟~羽越本線、磐越西線、只見線、上越線、再び羽越本線を経由する循環急行でした。
何人かの方がコメントされてる盛岡発盛岡行きの列車は急行そとやま(盛岡→宮古→釜石→花巻→盛岡)と五葉(その逆回り)ですね。
そうですね
重複区間のない完全循環ですしかも運転区間200キロ以上もあるのに岩手県を出ない、岩手県て広いですな
「いぶり」は時計回りも反時計回りも同じ列車名でしたが、「こがね」「しろがね」においては回る方向で列車名が違うなんてこともありましたな。
高山線の某循環列車でしたよね!
Hero Mr そとやま 五葉 ってのもありましたな盛岡発 盛岡行
途中から列車名が変わる「内房」「外房」の事例もありましたなあ。名前の通り房総線ですが。
Hero Mr 旭川発 旭川行き長野発 長野行き後 中部地域に何だかあった様な…
@@スーパーおおとり 臨時列車で「アルペン」が冒頭の「しろがね」「こがね」以外にはあった模様「アルペン」大阪駅 - 東海道本線 - 米原駅 - 北陸本線 - 直江津駅 - 信越本線 - 篠ノ井駅 - 篠ノ井線 - 塩尻駅 - 中央本線 - 名古屋駅 - 東海道本線 - 大阪駅ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E5%88%97%E8%BB%8A
うぽつです。BGMソ連国歌-810点BGMを神をツァーリを護り給えにしようね!札幌発札幌とかカオスやなぁ
でぇぇぇぇぇぇん!!
@@ynk3116 某声優「私はよくRUclipsでソ連の動画見てますね。」
やめい
@@ynk3116 ??「おいこらァ!降りろ免許持ってんのか?なんか映画で見たことある」
?
急行らいでんは、小沢と倶知安を二回通っていたのですね。
胆振線内では自治体の中心地である壮瞥、新大滝、喜茂別、京極の他に、久保内、幡渓、北湯沢にも停車していたそうで…
札幌ー函館の普通列車とか昔は色々面白かった。最後部は鎖1本、走行中のドアも開放だったしね。車掌さんが落ちないでねって言ったくらいにして🤫
開放感があって良さそう!
北海道が赤化してる・・・やべぇよやべぇよ
日本民主主義人民共和国
@@ynk3116 いやぁそれ今の時代でしょw
赤字ですかね(すっとぼけ)
デェェェェェェェェン(ソビエト国歌)
チョコミント ソ連が日本 韓国 北朝鮮 中国を抱えて領土が増えて復活した()
うぽつです 急行陸中から考えるとわかりやすいけどなぁ
陸中は鬼
一両編成で札幌から札幌までを循環して運行する急行いぶり号だったら、超メジャー級のカオス急行列車になれたのに。
全部一両運転の急行....()
北海道、札幌市、ぐるッと回ってワンとは言わないが、多層立てにぐちゃぐちゃした挙げ句の急行料金ボッタクリ祭り、一社でやれるのは懐かしいね。
長野駅発長野行き循環急行すわってのもあったぞ‼️
ワイド周遊券で札幌から倶知安回りで伊達紋別まで乗りました。札幌駅でいぶりの到着時にキハ22朱色とベージュの車両が来て、え?となりました。急行料金払わなくてもよいのに不満を覚えたことを思い出します。
北海道版山手線
函館本線の山線を走る姿はどうだったんだろう?(確か急行らいでんも写真を見た記憶だが遜色だった覚えが・・・w)
北海道で循環は無理があったんですねw他の急行と併結するというのはなんとかよかったとは思いますが、それでもこれはまずいですよw
胆振線の急行がこれだけしかいないのでちょっと不便だったのかもしれません
ちょっとまって?!迷列車にソ連に淫夢!?じゃけんチャンネル登録しましょうね~
「いぶり」の他に多層併結する急行も紹介して欲しいです☆☆
急行型には両運転台車がなかったので、単行運転なら必然的に一般型車両になり、キハ22が使われることが多かった。
ローカル線の急行は単行が多かったからですよね〜キハ22の運用だと急行運用の前後でも普通運用に回せるので使い勝手がよかったのかも...?
晩年の併結急行「いぶり」「らいでん」は1742分に札幌駅到着後、18時過ぎの札沼線篠路駅行きになっていました。当時は「あいの里」が開発される前で、篠路駅が主要駅で折り返しが出来ました。キハ22ですが、「らいでん」の方が苗穂区、「いぶり」は倶知安区の時代がありました。倶知安機関区のキハ22は初期車で車内照明が白熱灯のままで夜は暗い車内でした。ただ、文句は言えませんでした。当時の札沼線の主力はキハ21でしたので、キハ22が来ると儲けものでした。函館、瀬棚線を走った急行「せたな」は長い間長万部機関区のキハ21でした。廃止前にキハ22に昇格した程でした。
出たよカオス急行がw
すごい情報量...
わかったかな?
関東で言う武蔵野線よりも大きな、札幌圏大環状線という大山手線的な環状・循環列車やな。
やっぱりインターナショナルは名曲だなぁ。
昔はこんな列車ばかりです。倶知安で30分も停車は無いわ。😂😂
これは、もう伝説ですね‼️
ですね
@@ynk3116様名鉄のカオスレベルを…越えた急行列車ですよ‼️昔は、車両限界利用のカオス列車が多かったのですね‼️
キハ22は今でも茨城県のひたちなか海浜鉄道で見ることができる。やっぱりすごい車両なんだなぁ。
頑丈だから残るんですかね
BGMがスターリン時代のソ連国歌なんだけど😅
でえええええええええええええええん!!!
T3SU Tatra Ура!
T3SU Tatra 北海道共産党員ばっかだしまあ多少はね
スターリン版は比較的マニアックなので聞き入ってしまい、動画内容が全然頭に入ってこなかった
確かに北海道はロシアとの民間協定により漁場ではロシアと密接に関係してくるので無関係ではないですがw
廃止に成る時にNHKのニュースでも特集して報道してましたね北海道ではキハ22の急行は珍しくないですね、えさし、まつまえ、せたな、しれとこ、結構ありましたね。
キハ22は融通が利くので北海道以外の地方ローカル線では使われていましたよね
でも
@@ynk3116 東北にもキハ22が配置されてました。
千葉にも千葉発安房鴨川経由千葉行きがあったらしい
房総半島一周ですか、ロマンがありますね
おはようございます循環急行いぶり乗りました倶知安周りで乗り通しました 懐かしいですね◉‿◉
地元では、「なぎさ」「みさき」ですね。物心つく前は「房総」とかいう列車もあったみたいだけど。有名なのは「こがね」「しろがね」ですかね。
キハ22の急行ね旅行者はワイド周遊券だから、別に気にしてなかった
急行の自由席だったら乗り放題でしたもんね
今のJRグループの全身にあたる国鉄時代には循環急行が北海道の急行いぶりのほかに東北地方にも盛岡発盛岡行きの循環急行そとやま号と五葉号という急行列車がありました。急行そとやま号は盛岡から山田線、釜石線、東北本線を通って終着の盛岡を目指します。また、内回りの急行五葉号は急行そとやま号の逆ルートを走ります。そして、急行そとやま号と五葉号は釜石線の宮守駅で離合していました。しかし、上越新幹線が開業した昭和57年11月14日をもって急行そとやま号と五葉号は廃止となり、循環急行も過去のものとなってしまいました。
そとやま号と五葉号は正直陸中に比べると見劣りしてしまうのであんまり紹介できないんですよね
全線乗ってみたいですね^^北海道とはいえ、今なら非冷房の急行はきついかも。
ラストランの画像を調べてみてくださいミャンマーですよ。あれは....
急行復活させてほしいな。
遜色急行といえば、同じ頃に房総急行の臨時で同じようなのがあったと聞いたことがあります。それにしても、ロングシートの急行って…。
初めて知りましたありがとうございます
どういたー
勉強になりました!👍ぜひ一度、この路線乗ってみたかったです!
ついでに倶知安ですぐに出発できない理由は上り宗谷(函館行き)との離合。43年の時刻表だと目名方面のらいでんが途中で宗谷待ちなので倶知安に遅れて着く、のちの時刻表だと倶知安で併結中に離合。
急行宗谷と離合とエンジンの点検を行なったりしたりしてたようです。
違うところでも述べたが、転線する必要があったため。
北海道は本当に車庫がないんですよね。今も少な過ぎてダイヤ回復に苦労してますが。いちいち伊達や倶知安や東室蘭に置いてもおけず、苗穂に1日の運用でどうにかして返すための苦肉の策なんでしょうね。
そうですよねー北海道は車庫がないあまりいろんな急行が爆誕してましたもん笑
80年前半の北海道の線路はいっぱい
そうですよねー
確か岡山発岡山着のみまさかノスタルジーも環状だったような…
そうだったのか...
この時代に生まれて乗ってみたかった😢
倶知安では蘭越から、小沢では岩内からの列車と併結します
ああ、らいでんの説明に誤りあり、らいでんは札幌⇄岩内・目名方面の二階建て列車で分割駅は小沢外回りいぶりと併結するらいでんは、まず倶知安で目名方面からと併結し、次の小沢で岩内からと併結する
ちょっと時刻表見返したのですがやっぱり間違っていますね訂正しておきます
時刻表二万キロキャンペーンが始まったころ。札幌駅の窓口で補充券で 胆振線経由の札幌発札幌行きの切符を売ってくれた
関空快速・紀州路快速みたいなものか
それは多層建て列車
@@ynk3116 天王寺を3回通る列車もあるゾ
@@旅名人 早朝だけもう2回ぐらい余分に回っていた列車があったような・・・・京橋の手前で普通大阪環状線になって、2周か3周走ったら西九条で急に普通京橋ゆきになって京橋折り返しで帰るやつ・・・
急行「丹後」やったかな?園部から京都迄よく乗った!無くなる寸前に急行「きたぐに」には大津から新潟、そして京都から福井まで乗ったで🚋!
0:37の連結部分からイエーイってやってるのめっちゃ気になる笑笑
伊達紋別倶知安間の字幕で駅名送別→壮瞥(そうべつ)です
あーすみません!
うぱつです!タイトルを見て思わず二度見してしまった...
なぜ笑
@@ynk3116 札幌発札幌行きなんて聞いたことないですもん...(笑)
循環急行は名古屋~米原~富山~高山~岐阜~名古屋とか博多~小倉~大分~久留米~博多とか他にも多々あったはずで、「いぶり」もその1つだったと思いますけどね車両運用が1周するから効率的とみなされていた面もあったのでしょうか全区間利用が決していないような遠回り列車も国鉄時代はこの他、色々あったようですしね(花巻~釜石~宮古~盛岡のルートをたどる急行も循環列車以外にあったと聞くし)
循環列車が作られた理由として車両基地が足りなかったというのが理由だったそうです循環急行自体は旧国鉄では腐るほどありました
@@ynk3116 583系という昼夜両用車両が作られたことといい、輸送需要の急増に設備が追いつかないがゆえの苦肉の策も昭和30~40年代は多々あったんでしょうなあ山陽新幹線や東北新幹線が出来て在来線は線路や基地に余裕ができ、また地方からバスや自家用車に需要が取られていって姿を消した印象ですが
地方の場合、鉄道より自家用車の方が圧倒的に便利ですもんね...
それは現在の話し。この30年くらいで道路整備が著しく向上したけど、それ以前、交通の主役は鉄道だった。
@@さにー4946 30年では無いだろう・・・中国山地なんか国鉄末期の段階ですでに急行列車が息絶えかけていたんだから。高速バスと自家用車に取って代わられて。幹線でも取られるようになったのはここ30年だろうけど。
北海道が赤くなった…Ураааааааа!
うちの代表が言ってました喜茂別まで利用させていただきましたと
岩内線って小沢から分岐してたからわざわざ札幌とは逆方向の倶知安に戻って併結してたってことか
そうなんですよ
楽しみ
ご期待を
返事早くない
今のRUclipsは通知が有能なので
普通用車両で急行料金をぼったくり…"あの"列車の先祖だろうかw?
踊り子おっと誰かが来たようだ
ちくmおっと誰か来たようだ
つyおっと誰か(ry
ソビエト国家草-九州と東海 関東はソ連が似合う-
でええええええええええええええええええん!!!!
循環+多層建て…中々カオスだな…面白いな…
面白いでしょ!?
始めの47は御来屋かしら
そうですよ
循環列車 丹後半島にもありましたよ 若狭や、はしだて があった時代だが
ありましたよね!
一般に胆振線内の乗客層は、札幌からなら京極、喜茂別は倶知安経由、大滝村、壮瞥は伊達経由だったんだろう…
懐かしいな。胆振線を知っている方がおられるとは、年配の方ですかね。母方の実家が壮瞥にあり、幼少の頃夏休みには、利用させていただきました。胆振線を通る車両に乗れば、壮瞥の駅まで乗り換える事が無く、幼少、小学生時には利用させていただきました。札幌で両親にこの席に座って壮瞥駅と言うアナウンスが聞こえたら、降りなさいと教えられ、降りたら叔父さんが迎えに来てくれていた事を思い出されます。鉄路が残っていれば観光列車が出来たのにね、と思います。現在胆振線の後は農道、サイクリングに使えるように舗装されています。
まだ16の若造です。いいですね〜そういう夏の思い出は
@@ynk3116 わざわざ返信を頂き感謝します。伊達紋別駅からは普通列車(当時は鈍行列車)で、各駅停車で小沙琉川を渡って長和駅に着くころ有珠山・昭和新山を見ながら壮瞥駅です。それ以降は乗車していないが蟠渓・北湯沢駅は渓谷沿いを走り大滝駅で大滝には昔の踏切が残っていました。喜茂別には、崖下の線路跡が国道から見えます。それ以降はわかりません。資料をお持ちなようなので。岩内線とか羽幌線とかは、動画に出来ないでしょうかね?
祖父が昔胆振線には札幌に直行する特急あったんだぞーって言ってて「へぇーそうなんか今よりも便利だったんだなぁ」なんて思ってたけどこれ乗り換えなし以外切り離し多かったり予想以上にめんどくさい気が…w
便利かもしれませんが間違えるととんでもないところまで飛ばされますからね....
2:55 わざとなのかもしれんが、送別(ソウベツ)じゃなく壮瞥(ソウベツ)
すみません、間違えです()難しい字ですね〜笑
札幌市電循環2015年からより国鉄北海道札幌駅〜札幌駅循環1980年は、循環停止35年後2015年は、札幌市電循環帰りなった。
今でも考えられる、常時やらかすと成るとね。二層程度ならやらかしてるんですね。
こ↓こ↑を走ってたんですね
らいでん って岩内行きも連結してたけど行き先は蘭越でなかったけ?
倶知安で種別変更をして目名行になったようですね。カオスポイントを一つ見逃してしまった...()
0 ; 27 キハ22 (ぐぁぁぁぁ! 落ちるなよ頑張れぇぇぇぇ!)
なんでバックが真っ赤なソ連なんですかねぇ。
デエエエエエエエエエエエエエエエエン!!
@@ynk3116 チャ、チーーンー、チャン、チャチャーン
国鉄とかの古めな情報はどこから仕入れてるんですか?
時刻表です。
廃線の跡はどうしてるん?
2:29、字幕と音声の内容があってないような
気のせいです()
盛岡発、盛岡行もありましたよ。山田線、釜石線、東北線経由ですね、逆周りもありました。
他にも長野にいましたね
@@ynk3116 他にも面白い列車がありましたら紹介してください。
2:23s41〜s43頃の時刻表地図?
そうですよ〜
東京発房総半島経由で東京行きって列車があったって聞いたことがある。ATS化したときに対応できなくてなくなったとか。(伝言ゲームモード)
急行「のべやま」「すわ」解せぬ
笑笑
そういえば急行「いぶり」って倶知安でスイッチバックするから車両の向き逆にならなかったか?
ちょっとわからないですなぁ...
倶知安駅は1番ホームが胆振線用ホームで札幌方面にはレールが繋がっていなかったので、急行いぶりは1番ホームに到着したあと客扱いを終えると3番線に転線する必要がありました。37分停車の一番の理由は「宗谷」との交換でもなく、エンジンの冷却でもなく、「転線」という儀式をしなければならなかったからでありました。あと、倶知安で逆編成になる関係で、胆振線単独走行時、両側に幌が着いていました。上り「らいでん」から拝借して下り「ちとせ」と併結できるようにしていました(当然ですが翌日はその逆回りでした)。
キハ22にタブレットキャッチャー…似合うな
エモそう
でもやっぱ角田軌道の方がカオスだな~
昔の文書つら...
4階建て列車って世界でもないよね、この時代ですごいですね~天井を低く作らないと電化してたら架線が邪魔で走れないですよね。4階建て車両の写真が見たいです。
山手線みたいなものだな
せやで
普通列車の車両で料金ぼったくる……って要するに遜色急行
Yes
ま、当時の国鉄北海道総局(に限らず)は数々の謎列車走らせてたよね。線区地元から「急行列車も走らない線区」だと地域の名誉にかかわるので、地元の首長からの要請もあったんだろうな。札幌発幌延行(函館,留萌,羽幌線経由)の急行「はぼろ」なんかは誰が使うのかと思う。当時のダイヤ見てると鬼鹿→幌延は最終列車。この区間は快速化するのが普通でしょ。無駄に急行料金払わされるのと定期券で利用できない地元民としてはたまったものではなかったっと思う。循環急行自体は「のべやま,すわ」、「こがね,しろがね」その他とかそれほど珍しいことではないかと思う。「いぶり」の場合は上下同名でかつ循環急行で最後まで残ったのはそれなりに需要あったのかと思うが・・・。
胆振ぶりぶりぶりぶちちぶちちぶりゅりゅりゅりゅりゅ!!
は?(威圧)
…なにやってんだあいつら…(困惑)
えっ👀⁉️。札幌発、札幌行きってスゲー(゜ロ゜;ノ)ノ。大阪環状線🚃♻️とか山手線🚃♻️のロングバージョンっていう感じかな⁉️(゜ロ゜;ノ)ノ。
盛岡発盛岡行きって急行無かったっけ?
急行三陸でしたっけ?
@@ynk3116 あの辺の急行は、陸中とか三陸とかリアスとか区別が付かないっす(^^;
どうして急行らいでんを小沢じゃなくて倶知安で併結していたんだろう。小沢で併結にすれば倶知安22分停車もなかったからここもカオスかも知れない。
倶知安駅は1番線が胆振線専用ホーム、2▪3番線が函館本線ホームで、1番線は札幌方面には繋がっていなかったので転線する必要がありました。ゆえに停車時間が長い訳です。
DMH18H搭載のディーゼルカーでしょう。たしか連続でフル稼働運転すると、故障するから10分ルール付きの機関だった記憶がある。当時のディーゼル機関は、発展途上中なんで休み休み走らせないと機関故障を頻発してたしね。だから、倶知安での37分は恐らくトータルで走行した距離とルートの勾配が問題で休憩をしてたのだろう。胆振線はソコソコ勾配も続くみたいだし、まあ37分は当時の技術レベルでは仕方ないのかな。
なるほどですねこの頃は急勾配を登るとすぐに故障してたのですね。今では全く考えられませんわ
キハ22のエンジンはDMH17C。あと、倶知安の37分停車は休憩だと思われているようだが決して休憩していません。転線しなければならなかったから... 一年越しですみません😣💦⤵️
BGMが某赤い国
デエエエエエエエエエエエエエエエエン!!!
コメントした人って共産趣味車
いぶりの歴史辺りからコンギョ流れてるぅ↑
こんぎょ!!!!!
いぶり、懐かしいです。
かつてこがね、しろがねもそうでしたね。
胆振線懐かしい、伊達市在住だったので。
0番線ホーム発着でした。
私が高校生の時に廃線になり、同級生や後輩が苦労していました。
有珠山噴火の地盤変動でレールが曲がったりして大変な被害を被っていました。
最後は過疎化と自動車シフトで廃線になった様です。
胆振線懐かしいわ!
自分が乗ったのは廃線寸前の頃で、乗り遅れたお客の為に10Mぐらい進んだ所で停車して乗せたのが印象的でした。
田舎特有の出来事ですね
周遊券で旅してみてみたかったです
他のチャンネルで書き込みましたが、乗り遅れた人⇔もしかしてワシかもです。
ワシは六郷駅発伊達紋別行きの既に発車した車両に走って追いつき、停めてもらいました。
訂正。倶知安発です、次の六郷駅でのできごとでした。
なんだこの急行列車は……カオス過ぎな所もいいと思ってしまった…
流石国鉄!
国鉄沼へようこそ
@@ynk3116 もう後戻りできませんな…
晩年の小樽先回り・千歳後回りの「いぶり」は
循環一周の旅を終えて千歳方面から札幌駅に到着すると、
車庫引き上げのため、手稲行き普通列車としてそのまま走っていました!
キハ22みたいな列車ならではですね笑
あんまり関係ないけど1990年代の終わりごろまで、胆振線の橋梁は沿線に残ってました。
プレートガーターの橋と、橋脚 そして延々と続く細長い空き地が記憶に残っています。
こういう列車いいですよね…
キハ22の急行とか草
でも今ではキハ47で特急とか言ってるところもあるからマシかな()
それとほぼ一緒ですね笑
キハ22は信頼性が高かった車両だからこそ使われたんだと思いますよ・・・耐雪性で
711系の急行「さちかぜ」が遜色急行と呼ばれることはなかったように、キハ22はまだマシな車両だったと思います。
ええ、115系や401系などが首都圏では急行に使われていましたから(デッキがあるだけでもマシ)。
3:33 素敵な行き先掲示幕ですね!
かつてはあちらこちらに循環急行が走ってました。小海線、只見線、山田線、北上線等、今の東日本管内でも走ってました。
急行 ひまわり ありましたな
@@mad1186 上越新幹線の名称にもなったあさひは新潟~羽越本線、磐越西線、只見線、上越線、再び羽越本線を経由する循環急行でした。
何人かの方がコメントされてる盛岡発盛岡行きの列車は
急行そとやま(盛岡→宮古→釜石→花巻→盛岡)と五葉(その逆回り)ですね。
そうですね
重複区間のない完全循環です
しかも運転区間200キロ以上もあるのに岩手県を出ない、岩手県て広いですな
「いぶり」は時計回りも反時計回りも同じ列車名でしたが、「こがね」「しろがね」においては回る方向で列車名が違うなんてこともありましたな。
高山線の某循環列車でしたよね!
Hero Mr
そとやま 五葉 ってのもありましたな
盛岡発 盛岡行
途中から列車名が変わる「内房」「外房」の事例もありましたなあ。名前の通り房総線ですが。
Hero Mr
旭川発 旭川行き
長野発 長野行き
後 中部地域に何だかあった様な…
@@スーパーおおとり
臨時列車で「アルペン」が冒頭の「しろがね」「こがね」以外にはあった模様
「アルペン」
大阪駅 - 東海道本線 - 米原駅 - 北陸本線 - 直江津駅 - 信越本線 - 篠ノ井駅 - 篠ノ井線 - 塩尻駅 - 中央本線 - 名古屋駅 - 東海道本線 - 大阪駅
ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AA%E7%92%B0%E5%88%97%E8%BB%8A
うぽつです。BGMソ連国歌-810点BGMを神をツァーリを護り給えにしようね!札幌発札幌とかカオスやなぁ
でぇぇぇぇぇぇん!!
@@ynk3116 某声優「私はよくRUclipsでソ連の動画見てますね。」
やめい
@@ynk3116 ??「おいこらァ!降りろ免許持ってんのか?なんか映画で見たことある」
?
急行らいでんは、小沢と倶知安を二回通っていたのですね。
胆振線内では自治体の中心地である壮瞥、新大滝、喜茂別、京極の他に、
久保内、幡渓、北湯沢にも停車していたそうで…
札幌ー函館の普通列車とか昔は色々面白かった。最後部は鎖1本、走行中のドアも開放だったしね。車掌さんが落ちないでねって言ったくらいにして🤫
開放感があって良さそう!
北海道が赤化してる・・・やべぇよやべぇよ
日本民主主義人民共和国
@@ynk3116 いやぁそれ今の時代でしょw
赤字ですかね(すっとぼけ)
デェェェェェェェェン(ソビエト国歌)
チョコミント
ソ連が日本 韓国 北朝鮮 中国を抱えて領土が増えて復活した()
うぽつです 急行陸中から考えるとわかりやすいけどなぁ
陸中は鬼
一両編成で札幌から札幌までを循環して運行する急行いぶり号だったら、超メジャー級のカオス急行列車になれたのに。
全部一両運転の急行....()
北海道、札幌市、ぐるッと回ってワンとは言わないが、多層立てにぐちゃぐちゃした挙げ句の急行料金ボッタクリ祭り、一社でやれるのは懐かしいね。
長野駅発長野行き循環急行すわってのもあったぞ‼️
ワイド周遊券で札幌から倶知安回りで伊達紋別まで乗りました。札幌駅でいぶりの到着時にキハ22朱色とベージュの車両が来て、え?となりました。急行料金払わなくてもよいのに不満を覚えたことを思い出します。
北海道版山手線
函館本線の山線を走る姿はどうだったんだろう?
(確か急行らいでんも写真を見た記憶だが遜色だった覚えが・・・w)
北海道で循環は無理があったんですねw他の急行と併結するというのはなんとかよかったとは思いますが、それでもこれはまずいですよw
胆振線の急行がこれだけしかいないので
ちょっと不便だったのかもしれません
ちょっとまって?!
迷列車にソ連に淫夢!?
じゃけんチャンネル登録しましょうね~
「いぶり」の他に多層併結する急行も紹介して欲しいです☆☆
急行型には両運転台車がなかったので、単行運転なら必然的に一般型車両になり、キハ22が使われることが多かった。
ローカル線の急行は単行が多かったからですよね〜
キハ22の運用だと急行運用の前後でも普通運用に回せるので使い勝手がよかったのかも...?
晩年の併結急行「いぶり」「らいでん」は1742分に札幌駅到着後、18時過ぎの札沼線篠路駅行きになっていました。当時は「あいの里」が開発される前で、篠路駅が主要駅で折り返しが出来ました。キハ22ですが、「らいでん」の方が苗穂区、「いぶり」は倶知安区の時代がありました。倶知安機関区のキハ22は初期車で車内照明が白熱灯のままで夜は暗い車内でした。ただ、文句は言えませんでした。当時の札沼線の主力はキハ21でしたので、キハ22が来ると儲けものでした。函館、瀬棚線を走った急行「せたな」は長い間長万部機関区のキハ21でした。廃止前にキハ22に昇格した程でした。
出たよカオス急行がw
すごい情報量...
わかったかな?
関東で言う武蔵野線よりも大きな、
札幌圏大環状線という大山手線的な
環状・循環列車やな。
やっぱりインターナショナルは名曲だなぁ。
昔はこんな列車ばかりです。倶知安で30分も停車は無いわ。😂😂
これは、もう伝説ですね‼️
ですね
@@ynk3116様
名鉄のカオスレベルを…越えた
急行列車ですよ‼️
昔は、車両限界利用のカオス列車が
多かったのですね‼️
キハ22は今でも茨城県のひたちなか海浜鉄道で見ることができる。やっぱりすごい車両なんだなぁ。
頑丈だから残るんですかね
BGMがスターリン時代のソ連国歌なんだけど😅
でえええええええええええええええん!!!
T3SU Tatra
Ура!
T3SU Tatra 北海道共産党員ばっかだしまあ多少はね
スターリン版は比較的マニアックなので聞き入ってしまい、動画内容が全然頭に入ってこなかった
確かに北海道はロシアとの民間協定により漁場ではロシアと密接に関係してくるので無関係ではないですがw
廃止に成る時にNHKのニュースでも特集して報道してましたね
北海道ではキハ22の急行は珍しくないですね、えさし、まつまえ、せたな、しれとこ、結構ありましたね。
キハ22は融通が利くので北海道以外の地方ローカル線では使われていましたよね
でも
@@ynk3116
東北にもキハ22が配置されてました。
千葉にも千葉発安房鴨川経由千葉行きがあったらしい
房総半島一周ですか、ロマンがありますね
おはようございます
循環急行いぶり乗りました
倶知安周りで乗り通し
ました 懐かしいですね◉‿◉
地元では、「なぎさ」「みさき」ですね。物心つく前は「房総」とかいう列車もあったみたいだけど。有名なのは「こがね」「しろがね」ですかね。
キハ22の急行ね
旅行者はワイド周遊券だから、別に気にしてなかった
急行の自由席だったら乗り放題でしたもんね
今のJRグループの全身にあたる国鉄時代には循環急行が北海道の急行いぶりのほかに東北地方にも盛岡発盛岡行きの循環急行そとやま号と五葉号という急行列車がありました。急行そとやま号は盛岡から山田線、釜石線、東北本線を通って終着の盛岡を目指します。また、内回りの急行五葉号は急行そとやま号の逆ルートを走ります。そして、急行そとやま号と五葉号は釜石線の宮守駅で離合していました。しかし、上越新幹線が開業した昭和57年11月14日をもって急行そとやま号と五葉号は廃止となり、循環急行も過去のものとなってしまいました。
そとやま号と五葉号は
正直陸中に比べると見劣りしてしまうので
あんまり紹介できないんですよね
全線乗ってみたいですね^^北海道とはいえ、今なら非冷房の急行はきついかも。
ラストランの画像を調べてみてください
ミャンマーですよ。あれは....
急行復活させてほしいな。
遜色急行といえば、同じ頃に房総急行の臨時で同じようなのがあったと聞いたことがあります。
それにしても、ロングシートの急行って…。
初めて知りました
ありがとうございます
どういたー
勉強になりました!👍
ぜひ一度、この路線乗ってみたかったです!
ついでに倶知安ですぐに出発できない理由は上り宗谷(函館行き)との離合。43年の時刻表だと目名方面のらいでんが途中で宗谷待ちなので倶知安に遅れて着く、のちの時刻表だと倶知安で併結中に離合。
急行宗谷と離合とエンジンの点検を行なったりしたりしてたようです。
違うところでも述べたが、転線する必要があったため。
北海道は本当に車庫がないんですよね。今も少な過ぎてダイヤ回復に苦労してますが。
いちいち伊達や倶知安や東室蘭に置いてもおけず、苗穂に1日の運用でどうにかして返すための苦肉の策なんでしょうね。
そうですよねー
北海道は車庫がないあまりいろんな急行が爆誕してましたもん笑
80年前半の北海道の線路はいっぱい
そうですよねー
確か岡山発岡山着のみまさかノスタルジーも環状だったような…
そうだったのか...
この時代に生まれて乗ってみたかった😢
倶知安では蘭越から、小沢では岩内からの列車と併結します
ああ、らいでんの説明に誤りあり、
らいでんは札幌⇄岩内・目名方面の二階建て列車で分割駅は小沢
外回りいぶりと併結するらいでんは、まず倶知安で目名方面からと併結し、次の小沢で岩内からと併結する
ちょっと時刻表見返したのですが
やっぱり間違っていますね
訂正しておきます
時刻表二万キロキャンペーンが始まったころ。
札幌駅の窓口で補充券で 胆振線経由の
札幌発札幌行きの切符を売ってくれた
関空快速・紀州路快速みたいなものか
それは多層建て列車
@@ynk3116 天王寺を3回通る列車もあるゾ
@@旅名人 早朝だけもう2回ぐらい余分に回っていた列車があったような・・・・
京橋の手前で普通大阪環状線になって、2周か3周走ったら西九条で急に普通京橋ゆきになって京橋折り返しで帰るやつ・・・
急行「丹後」やったかな?園部から京都迄よく乗った!無くなる寸前に急行「きたぐに」には大津から新潟、そして京都から福井まで乗ったで🚋!
0:37の連結部分からイエーイってやってるのめっちゃ気になる笑笑
伊達紋別倶知安間の字幕で駅名送別→壮瞥(そうべつ)です
あーすみません!
うぱつです!タイトルを見て思わず二度見してしまった...
なぜ笑
@@ynk3116 札幌発札幌行きなんて聞いたことないですもん...(笑)
循環急行は名古屋~米原~富山~高山~岐阜~名古屋とか
博多~小倉~大分~久留米~博多とか他にも多々あったはずで、「いぶり」もその1つだったと思いますけどね
車両運用が1周するから効率的とみなされていた面もあったのでしょうか
全区間利用が決していないような遠回り列車も国鉄時代はこの他、色々あったようですしね(花巻~釜石~宮古~盛岡のルートをたどる急行も循環列車以外にあったと聞くし)
循環列車が作られた理由として
車両基地が足りなかったというのが理由だったそうです
循環急行自体は旧国鉄では腐るほどありました
@@ynk3116
583系という昼夜両用車両が作られたことといい、輸送需要の急増に設備が追いつかないがゆえの苦肉の策も昭和30~40年代は多々あったんでしょうなあ
山陽新幹線や東北新幹線が出来て在来線は線路や基地に余裕ができ、また地方からバスや自家用車に需要が取られていって姿を消した印象ですが
地方の場合、鉄道より自家用車の方が圧倒的に便利ですもんね...
それは現在の話し。この30年くらいで道路整備が著しく向上したけど、それ以前、交通の主役は鉄道だった。
@@さにー4946
30年では無いだろう・・・中国山地なんか国鉄末期の段階ですでに急行列車が息絶えかけていたんだから。高速バスと自家用車に取って代わられて。
幹線でも取られるようになったのはここ30年だろうけど。
北海道が赤くなった…
Ураааааааа!
うちの代表が言ってました喜茂別まで利用させていただきましたと
岩内線って小沢から分岐してたから
わざわざ札幌とは逆方向の倶知安に戻って併結してたってことか
そうなんですよ
楽しみ
ご期待を
返事早くない
今のRUclipsは通知が有能なので
普通用車両で急行料金をぼったくり…
"あの"列車の先祖だろうかw?
踊り子おっと誰かが来たようだ
ちくmおっと誰か来たようだ
つyおっと誰か(ry
ソビエト国家草
-九州と東海 関東はソ連が似合う-
でええええええええええええええええええん!!!!
循環+多層建て…中々カオスだな…
面白いな…
面白いでしょ!?
始めの47は御来屋かしら
そうですよ
循環列車 丹後半島にもありましたよ 若狭や、はしだて があった時代だが
ありましたよね!
一般に胆振線内の乗客層は、
札幌からなら京極、喜茂別は倶知安経由、
大滝村、壮瞥は伊達経由だったんだろう…
懐かしいな。胆振線を知っている方がおられるとは、年配の方ですかね。母方の実家が壮瞥にあり、幼少の頃夏休みには、利用させていただきました。胆振線を通る車両に乗れば、壮瞥の駅まで乗り換える事が無く、幼少、小学生時には利用させていただきました。札幌で両親にこの席に座って壮瞥駅と言うアナウンスが聞こえたら、降りなさいと教えられ、降りたら叔父さんが迎えに来てくれていた事を思い出されます。鉄路が残っていれば観光列車が出来たのにね、と思います。現在胆振線の後は農道、サイクリングに使えるように舗装されています。
まだ16の若造です。
いいですね〜そういう夏の思い出は
@@ynk3116 わざわざ返信を頂き感謝します。伊達紋別駅からは普通列車(当時は鈍行列車)で、各駅停車で小沙琉川を渡って長和駅に着くころ有珠山・昭和新山を見ながら壮瞥駅です。それ以降は乗車していないが蟠渓・北湯沢駅は渓谷沿いを走り大滝駅で大滝には昔の踏切が残っていました。喜茂別には、崖下の線路跡が国道から見えます。それ以降はわかりません。資料をお持ちなようなので。岩内線とか羽幌線とかは、動画に出来ないでしょうかね?
祖父が昔胆振線には札幌に直行する特急あったんだぞーって言ってて「へぇーそうなんか今よりも便利だったんだなぁ」なんて思ってたけどこれ乗り換えなし以外切り離し多かったり予想以上にめんどくさい気が…w
便利かもしれませんが
間違えるととんでもないところまで飛ばされますからね....
2:55 わざとなのかもしれんが、送別(ソウベツ)じゃなく壮瞥(ソウベツ)
すみません、間違えです()
難しい字ですね〜笑
札幌市電循環2015年からより国鉄北海道札幌駅〜札幌駅循環1980年は、循環停止35年後2015年は、札幌市電循環帰りなった。
今でも考えられる、常時やらかすと成るとね。二層程度ならやらかしてるんですね。
こ↓こ↑を走ってたんですね
らいでん って
岩内行きも連結してたけど
行き先は
蘭越でなかったけ?
倶知安で種別変更をして目名行になったようですね。
カオスポイントを一つ見逃してしまった...()
0 ; 27 キハ22 (ぐぁぁぁぁ! 落ちるなよ頑張れぇぇぇぇ!)
なんでバックが真っ赤なソ連なんですかねぇ。
デエエエエエエエエエエエエエエエエン!!
@@ynk3116 チャ、チーーンー、チャン、チャチャーン
国鉄とかの古めな情報はどこから仕入れてるんですか?
時刻表です。
廃線の跡はどうしてるん?
2:29、字幕と音声の内容があってないような
気のせいです()
盛岡発、盛岡行もありましたよ。山田線、釜石線、東北線経由ですね、逆周りもありました。
他にも長野にいましたね
@@ynk3116 他にも面白い列車がありましたら紹介してください。
2:23
s41〜s43頃の時刻表地図?
そうですよ〜
東京発房総半島経由で東京行きって列車があったって聞いたことがある。ATS化したときに対応できなくてなくなったとか。(伝言ゲームモード)
急行「のべやま」「すわ」解せぬ
笑笑
そういえば急行「いぶり」って倶知安でスイッチバックするから車両の向き逆にならなかったか?
ちょっとわからないですなぁ...
倶知安駅は1番ホームが胆振線用ホームで札幌方面にはレールが繋がっていなかったので、急行いぶりは1番ホームに到着したあと客扱いを終えると3番線に転線する必要がありました。37分停車の一番の理由は「宗谷」との交換でもなく、エンジンの冷却でもなく、「転線」という儀式をしなければならなかったからでありました。あと、倶知安で逆編成になる関係で、胆振線単独走行時、両側に幌が着いていました。上り「らいでん」から拝借して下り「ちとせ」と併結できるようにしていました(当然ですが翌日はその逆回りでした)。
キハ22にタブレットキャッチャー…似合うな
エモそう
でもやっぱ角田軌道の方がカオスだな~
昔の文書つら...
4階建て列車って世界でもないよね、この時代ですごいですね~
天井を低く作らないと電化してたら架線が邪魔で走れないですよね。4階建て車両の写真が見たいです。
山手線みたいなものだな
せやで
普通列車の車両で料金ぼったくる……
って要するに遜色急行
Yes
ま、当時の国鉄北海道総局(に限らず)は数々の謎列車走らせてたよね。
線区地元から「急行列車も走らない線区」だと地域の名誉にかかわるので、
地元の首長からの要請もあったんだろうな。
札幌発幌延行(函館,留萌,羽幌線経由)の急行「はぼろ」なんかは
誰が使うのかと思う。
当時のダイヤ見てると鬼鹿→幌延は最終列車。
この区間は快速化するのが普通でしょ。
無駄に急行料金払わされるのと定期券で利用できない地元民としてはたまった
ものではなかったっと思う。
循環急行自体は「のべやま,すわ」、「こがね,しろがね」その他とか
それほど珍しいことではないかと思う。「いぶり」の場合は
上下同名でかつ循環急行で最後まで残ったのはそれなりに需要あったのかと思うが・・・。
胆振ぶりぶりぶりぶちちぶちちぶりゅりゅりゅりゅりゅ!!
は?(威圧)
…なにやってんだあいつら…(困惑)
えっ👀⁉️。札幌発、札幌行きってスゲー(゜ロ゜;ノ)ノ。大阪環状線🚃♻️とか山手線🚃♻️のロングバージョンっていう感じかな⁉️(゜ロ゜;ノ)ノ。
盛岡発盛岡行きって急行無かったっけ?
急行三陸でしたっけ?
@@ynk3116 あの辺の急行は、陸中とか三陸とかリアスとか区別が付かないっす(^^;
どうして急行らいでんを小沢じゃなくて倶知安で併結していたんだろう。
小沢で併結にすれば倶知安22分停車もなかったからここもカオスかも知れない。
倶知安駅は1番線が胆振線専用ホーム、2▪3番線が函館本線ホームで、1番線は札幌方面には繋がっていなかったので転線する必要がありました。ゆえに停車時間が長い訳です。
DMH18H搭載のディーゼルカーでしょう。たしか連続でフル稼働運転すると、故障するから10分ルール付きの
機関だった記憶がある。当時のディーゼル機関は、発展途上中なんで休み休み走らせないと機関故障を頻発してたしね。
だから、倶知安での37分は恐らくトータルで走行した距離とルートの勾配が問題で休憩をしてたのだろう。
胆振線はソコソコ勾配も続くみたいだし、まあ37分は当時の技術レベルでは仕方ないのかな。
なるほどですね
この頃は急勾配を登るとすぐに故障してたのですね。
今では全く考えられませんわ
キハ22のエンジンはDMH17C。あと、倶知安の37分停車は休憩だと思われているようだが決して休憩していません。転線しなければならなかったから... 一年越しですみません😣💦⤵️
BGMが某赤い国
デエエエエエエエエエエエエエエエエン!!!
コメントした人って共産趣味車
いぶりの歴史辺りからコンギョ流れてるぅ↑
こんぎょ!!!!!