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14系客車のディーゼル発電器の音懐かしいですね。青森駅か函館駅から乗車する時、ディーゼル発電器の音を聞いていました。
多くの人は客車の発電機の音をやかましいと嫌っていたので、懐かしがる人は少ないかもしれません。(笑)
@@matunokura6028 私も音鉄ですから、札幌駅の21時半過ぎの、客車急行はまなす号の入線は、スハフ14の発電機の音は、まさに夜行列車に乗って旅立ちの大合唱で懐かしいですね。
@@真智子関川 様12系や14系はスハフの発電機の音が印象的ですね。寝台車に発電機とは何事だ。やかましくて眠れないじゃないか!と怒る人も居たとか居ないとか。夜行列車が旅立った後の静まり返ったホームもまた印象的でした。
この北斗星利尻号乗りました~まだ小さいときだったんであまり覚えてないのですが、南稚内到着した後に撮った写真があります
乗車経験者の登場ですね。短いながらも「北斗星」車両が稚内まで行ったのはこの時だけだったように思います。貴重な体験をされたんですよ。
北海道内でも銀河号みたいに夜行列車が復活してほしいですねぇ
北斗星の素晴らしさって日本最後のブルートレインという点だけでなく、こういった延長運転的なものがあったというのも素晴らしさの1つだったと思います。ちなみに私はトマムスキーが1番好きでした
同じ「北斗星」でも、「トマムスキー」には夢空間が連結されていたので、別格に見えました。団臨だったのか、短い編成でDD51単機牽引の「北斗星」を見たことがあります。
このような列車があったのですね。 宗谷岬だけを目的に往復10時間スーパー宗谷で行ったことを思い出しました。
「北斗星」を冠した臨時列車は、何度か運転されました。中でも有名だったのは「夢空間北斗星」で、他には「北斗星トマムスキー号」や「北斗星小樽号」とか。宗谷岬に立って、何を思ったのでしょう。急行列車時代なら「利尻」で行って、「サロベツ」で帰るパターンかも。
@@matunokura6028 とりあえず端っこへという思いだけです。北斗星トマムスキーは、宮脇俊三氏が乗車して執筆されていますね。
この頃の札幌駅は良かった…うん…最高だった…ちなみに自分は北斗星とはまなすどっちも乗ったことありますがその頃は小さい時でろくに写真を撮ってないことに後悔しました…(涙)
地上駅時代の札幌駅はもっと良かったですよ。入場券の制限時間がなかったので、いつまでもぶらぶらしていられました。私はキハ81系の「はつかり」や石炭焚きの青函連絡船に乗ったことがあるのですが、ガキんちょでカメラなんて遠い存在だったので、微かな記憶でしか残っていません。
南稚内駅は、確か天北線が廃止される以前に、音威子府駅と結んでいた駅ですよね。
そうです。宗谷本線が開通する前は、こちらが宗谷本線を名乗っていました。
天北線・・・何年降りに聞く名前だろう・・・
私もこの日乗りましたよ。サハリンヘ行くときは急行利尻号ですが、サハリンヘ行くわけではないものの、この日は北斗星に乗れるから気分は高まりましたよ。南稚内行きは、懐かしの客車急行利尻号の気分でB寝台に乗って、昭和60年代に帰って良かったです。帰りはB寝台と食堂車に乗りました、まずB寝台は懐かしの客車急行宗谷号に乗っている感じで、前の急行利尻号と同じく、昭和60年代に帰った感じでした。一方、食堂車は定期列車で設定されていなせいか、変な感じでした。写真の話しは、北斗星利尻号は昭和63年に運転されていた、客車急行宗谷号・天北号・利尻号で見慣れているせいか、普通という感じでした。留萌本線ではDE15に牽引されて、昭和60年代の客車急行天北号の感じで懐かしかったです。参加して見ると昭和60年代に帰れて良かったです。札幌駅で降りる時に、平成14年にタイムワープするのが辛かったです😭
めくるめく懐かしい列車に揺られて、心はすっかり昭和60年代の夢の中。旅が終わって札幌駅でいきなり現実に引き戻されての落胆ぶり、目に見えるようです。
@@matunokura6028 確かに終点の札幌駅で降りるのは大変に辛かったですからね。平成14年現在でも昭和60年代の世界は、もう非日常なんですね、17年の時間の流れは早いですね。昭和60年代から35年ぐらいたっても楽しめるところがあります。宗谷本線の美深駅です。令和3年の夏に駅に泊まりながら、宗谷本線の駅めぐりしました、美深駅は平成28年にみどりの窓口が廃止され、国鉄時代と同じように常備軟券で発売され、特急券は手書きで発券していろいろ買いました。駅舎内に旭川の鉄道グッツの店ぽっぽやが出店があり、昭和60年代の手書きの軟券は3万円ぐらい買いました。他にも昭和60年代の写真が入ったオレンジカ~ドを買いました。美深駅から稚内駅までは、昭和60年代風の軟券を買って乗り、元急行礼文号のキハ54に当たり、転換イスに座れば、急行礼文号に乗っている感じで懐かしかったです。家に帰ってからは、ぽっぽやで買ったきっぷや写真を見て昭和60年代に、毎日タイムリープしています。
@@真智子関川 様昭和60年代にどっぷり浸かられているようですね。私がどっぷり浸かっているのは昭和40年代で、鉄友から預かった蒸機の写真を毎朝ブログにアップして、当時にタイムリー部しては昨日の日記のような記事を書いてます。今日レタッチした写真に奈良機関区で撮影したD51 944があって、これが除煙板にツバメのマークを貼り付けています。D51では101号機も付けたことがあり、私の知らない世界が50年以上もの時を経て、目の前に広がっています。以前は使用したオレンジカードや切符は収集していましたが、今はほとんど処分してしまって手元にはほとんどありません。
臨時北斗星をあえて南稚内行きにしてるのは、何となく理由は想像出来ますが…上野方式を使ってでも、稚内まで行って欲しかったなぁ。余談ですが、四半世紀程前に新札幌に2年程住んでまして、はまなす号を1駅だけ乗って帰った事を何度かした事がありました。あの客車はの乗り心地は、特別感がありました。(自由席だけ蛍光灯が眩しすぎた。)
稚内から南稚内まで推進運転するためには客車にも運転士を乗せてブレーキ装置をつけなくてはいけません。でなければ南稚内方に牽引用の機関車を別に用意しなくてはなりません。四半世紀前だと、「はまなす」は「利尻」と並走してませんでしか?
この頃のJR北海道は、赤字ながらも何とか増収につなげようと色々と努力していましたよね。組合の問題もあるのでしょうが、社長の自殺が続いてからJR北海道は色々な点で年々悪化しているように感じます。
JRタワーができてから、本業である鉄道事業を疎かにしたような気がしなくもありません。自然災害も半端なく襲い掛かって来るし、も~大変。
乗る人がいないのだからしかたがないことでしょう。
@@うみはらゆうやま 様結局はそこに行きついてしまう。
なぜ、稚内までいかなかったんですか?
多分、機関車の機回しができず、かといって推進運転もできないので、回送列車用の機関車を別に手配しなくちゃいけないけれども、稚内には機関車の配置がないから旭川から持ってこなくちゃいけない。そんなお金も時間も乗務員も必要になる面倒なことはしたくなかったから、客を降ろしたらそのまま車庫に真っ直ぐ入っていける南稚内止まりにしたのではなかったかと想像します。
稚内駅は、鉄道レール終点の為 先導機関車の移動が出来ず 1つ手前の南稚内駅で機関車の移動を行い往路を来たレールを折り返します。
電源車両の車両辺り扉開いてたが大丈夫かな??
結果的に事故にはならなかったようです。
北海道こそ夜行列車を走らせてほしいなって思う
夜間、道内の全ての幹線道路を完全封鎖すれば、JRの夜行列車は連日満員、とか。(笑)
はまなす「あれ?僕に似てる?」…………寝た列車ではなくネタ列車だな
は~いヤマダ君。座布団、持って帰っていいよ。
matuno kura お座敷列車の座布団なのであとでjrに返して
返しに行きましたが、もうお座敷車はありませんでした。
matuno kura (汗)
引かれてしまった。オヤジギャグ。
食堂車を見たときは興奮しました!
食堂車は、グリーン車よりも寝台車よりも特別な存在でしたね。
@@HANANOARUJINSEI 様東海道新幹線はもともとビジネス客を主なターゲットにしていたので(東京~大阪間を日帰りで無理なく帰って来られるので、宿泊代や呑み代、接待料金などが節約できる)、まさに通勤電車としての役割も十分に担っていました。運用も単純でしたしね。今でこそ、東北・北海道新幹線ではグランクラスとかいう贅沢というか、グリーン車の更に上のクラスの車輛がありますが、もはやビジネスに加え、乗る楽しみ・心地よさを提供しているように思えます。そんなら、食堂車を連結してくれ~と思うのですが、採算面で採用されませんね。グランクラス専用の食堂車があったら利用されるのでしょうかね。でも、通勤電車に食堂車とまではいかなくてもビュフェがあったら、寝坊助客には利用されそうな気がしなくもありません。山手線なら、夕方から居酒屋車を連結して、5周まで乗車して飲み食いできるとか、駄目かな?
今こそ有れば良いと思います🙇
構想中ですが、シベリア鉄道と繋がることを想定していますね。宗谷トンネルという海底トンネルを掘る構想もあります。
それだけは絶対に止めて欲しいですね。共産主義国家や社会主義国家がどんだけ危険な存在であることか。宗谷海峡は、自由主義を守る防波堤なのです。
シベリア鉄道と日本のJR鉄道では、レール幅が違いシベリア鉄道は、新幹線の様な普通幅の為 運行がっきません
@@末永喜久男 様今はどうなっているのか知りませんが、サハリンと大陸とを連絡船で行き来する車両は、わざわざ工場で台車を履き替えて運転していました。あと、スペインの「タルゴ」はもう70年も前からフリーゲージトレインとして走っているので、軌間が違うからといって走れないわけではありません。(「軌間の差」にある程度制限は付くのと、車両限界をクリアする必要があります。)でも可能だからといって、ロシアや韓国・中国と線路を結ぶのは、国家保安上、防疫上、絶対に止めて頂きたいものです。
北海道北斗星ですね!東日本北斗星との違いはサシのエンブレムです。
スシはテーブルの照明も違っていましたね。
私は長年北海道に住んでいるか普通列車 の北斗星があるとは 私は知らなんだ 私が知っているのは札幌上野間の青函トンネル くるって上野まで行く 寝台特急というのかな 寝台車の北斗星はよく知っている 寝台特急北斗星ならば私は年に北斗星で 録音服ぐらい やっていたら なんせ東京に行くのはその北斗星が一番料金的には安かったからだ 時間はかかるが旅行や仕事などによく北斗星を使っていた 中にはシャワー室などもありシャワー室のも何度か使ったことがある そしてラウンジではゆっくりくつろげて 録画のビデオやテレビなど見てくつろいで旅ができた 映像に写っているのはどうやら 普通の客車の北斗星のようだが私は普通の客車の北斗星があるのが勉強不足で北海道の人間ながら全然知らなかった恥ずかしい限りである
それは見間違いです。「北斗星」は全て寝台特急列車です。この動画の「北斗星利尻」はイベントで走らせた、札幌発、南稚内行きの団体臨時列車になります。
食堂車って利用できたのかな?
フリースペースだったと思います。流石に供食はなかったかと。
@@matunokura6028 私は、この日の北斗星利尻号の乗客でした。行程表によると、4月6日には札幌駅発車後、4月7日は南稚内駅発車後から宗谷本線内、夕食は深川駅発車後から函館本線内です、別料金で簡単なものが出てきました。
@@真智子関川 様チン程度の供食はあったのでしょうかね。それでも、食堂車でいただく食事には格別なものがあります。「トマサホ」で稚内から旭川まで乗車したことがありますが、撮影の休憩時にはフリースペースの食堂車に居座り、カップ麺をすすってました。
ドラえもんのやつ笑った
わたしゃ悲しいよ。
こんな奴いたんだ!
「北斗星」からみの臨時列車は時々運転されておりました。
@@matunokura6028 宇都宮線沿線に住んでいるけど知らなかったわ
「北斗星利尻号」は、札幌~南稚内の運転でしたけどね。
北斗星まりもとかもありましたよね
14系客車のディーゼル発電器の音懐かしいですね。青森駅か函館駅から乗車する時、ディーゼル発電器の音を聞いていました。
多くの人は客車の発電機の音をやかましいと嫌っていたので、懐かしがる人は少ないかもしれません。(笑)
@@matunokura6028 私も音鉄ですから、札幌駅の21時半過ぎの、客車急行はまなす号の入線は、スハフ14の発電機の音は、まさに夜行列車に乗って旅立ちの大合唱で懐かしいですね。
@@真智子関川 様
12系や14系はスハフの発電機の音が印象的ですね。寝台車に発電機とは何事だ。やかましくて眠れないじゃないか!と怒る人も居たとか居ないとか。
夜行列車が旅立った後の静まり返ったホームもまた印象的でした。
この北斗星利尻号乗りました~
まだ小さいときだったんであまり覚えてないのですが、南稚内到着した後に撮った写真があります
乗車経験者の登場ですね。短いながらも「北斗星」車両が稚内まで行ったのはこの時だけだったように思います。貴重な体験をされたんですよ。
北海道内でも銀河号みたいに夜行列車が復活してほしいですねぇ
北斗星の素晴らしさって日本最後のブルートレインという点だけでなく、こういった延長運転的なものがあったというのも素晴らしさの1つだったと思います。ちなみに私はトマムスキーが1番好きでした
同じ「北斗星」でも、「トマムスキー」には夢空間が連結されていたので、別格に見えました。団臨だったのか、短い編成でDD51単機牽引の「北斗星」を見たことがあります。
このような列車があったのですね。 宗谷岬だけを目的に往復10時間スーパー宗谷で行ったことを思い出しました。
「北斗星」を冠した臨時列車は、何度か運転されました。中でも有名だったのは「夢空間北斗星」で、他には「北斗星トマムスキー号」や「北斗星小樽号」とか。
宗谷岬に立って、何を思ったのでしょう。急行列車時代なら「利尻」で行って、「サロベツ」で帰るパターンかも。
@@matunokura6028 とりあえず端っこへという思いだけです。北斗星トマムスキーは、宮脇俊三氏が乗車して執筆されていますね。
この頃の札幌駅は良かった…うん…最高だった…
ちなみに自分は北斗星とはまなすどっちも乗ったことありますがその頃は小さい時でろくに写真を撮ってないことに後悔しました…(涙)
地上駅時代の札幌駅はもっと良かったですよ。入場券の制限時間がなかったので、いつまでもぶらぶらしていられました。
私はキハ81系の「はつかり」や石炭焚きの青函連絡船に乗ったことがあるのですが、ガキんちょでカメラなんて遠い存在だったので、微かな記憶でしか残っていません。
南稚内駅は、確か天北線が廃止される以前に、音威子府駅と結んでいた駅ですよね。
そうです。宗谷本線が開通する前は、こちらが宗谷本線を名乗っていました。
天北線・・・何年降りに聞く名前だろう・・・
私もこの日乗りましたよ。サハリンヘ行くときは急行利尻号ですが、サハリンヘ行くわけではないものの、この日は北斗星に乗れるから気分は高まりましたよ。南稚内行きは、懐かしの客車急行利尻号の気分でB寝台に乗って、昭和60年代に帰って良かったです。帰りはB寝台と食堂車に乗りました、まずB寝台は懐かしの客車急行宗谷号に乗っている感じで、前の急行利尻号と同じく、昭和60年代に帰った感じでした。一方、食堂車は定期列車で設定されていなせいか、変な感じでした。写真の話しは、北斗星利尻号は昭和63年に運転されていた、客車急行宗谷号・天北号・利尻号で見慣れているせいか、普通という感じでした。留萌本線ではDE15に牽引されて、昭和60年代の客車急行天北号の感じで懐かしかったです。参加して見ると昭和60年代に帰れて良かったです。札幌駅で降りる時に、平成14年にタイムワープするのが辛かったです😭
めくるめく懐かしい列車に揺られて、心はすっかり昭和60年代の夢の中。旅が終わって札幌駅でいきなり現実に引き戻されての落胆ぶり、目に見えるようです。
@@matunokura6028 確かに終点の札幌駅で降りるのは大変に辛かったですからね。平成14年現在でも昭和60年代の世界は、もう非日常なんですね、17年の時間の流れは早いですね。昭和60年代から35年ぐらいたっても楽しめるところがあります。宗谷本線の美深駅です。令和3年の夏に駅に泊まりながら、宗谷本線の駅めぐりしました、美深駅は平成28年にみどりの窓口が廃止され、国鉄時代と同じように常備軟券で発売され、特急券は手書きで発券していろいろ買いました。駅舎内に旭川の鉄道グッツの店ぽっぽやが出店があり、昭和60年代の手書きの軟券は3万円ぐらい買いました。他にも昭和60年代の写真が入ったオレンジカ~ドを買いました。美深駅から稚内駅までは、昭和60年代風の軟券を買って乗り、元急行礼文号のキハ54に当たり、転換イスに座れば、急行礼文号に乗っている感じで懐かしかったです。家に帰ってからは、ぽっぽやで買ったきっぷや写真を見て昭和60年代に、毎日タイムリープしています。
@@真智子関川 様
昭和60年代にどっぷり浸かられているようですね。私がどっぷり浸かっているのは昭和40年代で、鉄友から預かった蒸機の写真を毎朝ブログにアップして、当時にタイムリー部しては昨日の日記のような記事を書いてます。今日レタッチした写真に奈良機関区で撮影したD51 944があって、これが除煙板にツバメのマークを貼り付けています。D51では101号機も付けたことがあり、私の知らない世界が50年以上もの時を経て、目の前に広がっています。
以前は使用したオレンジカードや切符は収集していましたが、今はほとんど処分してしまって手元にはほとんどありません。
臨時北斗星をあえて南稚内行きにしてるのは、何となく理由は想像出来ますが…
上野方式を使ってでも、稚内まで行って欲しかったなぁ。
余談ですが、四半世紀程前に新札幌に2年程住んでまして、はまなす号を1駅だけ乗って帰った事を何度かした事がありました。
あの客車はの乗り心地は、特別感がありました。(自由席だけ蛍光灯が眩しすぎた。)
稚内から南稚内まで推進運転するためには客車にも運転士を乗せてブレーキ装置をつけなくてはいけません。でなければ南稚内方に牽引用の機関車を別に用意しなくてはなりません。
四半世紀前だと、「はまなす」は「利尻」と並走してませんでしか?
この頃のJR北海道は、赤字ながらも何とか増収につなげようと色々と努力していましたよね。
組合の問題もあるのでしょうが、社長の自殺が続いてからJR北海道は色々な点で年々悪化しているように感じます。
JRタワーができてから、本業である鉄道事業を疎かにしたような気がしなくもありません。自然災害も半端なく襲い掛かって来るし、も~大変。
乗る人がいないのだからしかたがないことでしょう。
@@うみはらゆうやま 様
結局はそこに行きついてしまう。
なぜ、稚内までいかなかったんですか?
多分、機関車の機回しができず、かといって推進運転もできないので、回送列車用の機関車を別に手配しなくちゃいけないけれども、稚内には機関車の配置がないから旭川から持ってこなくちゃいけない。そんなお金も時間も乗務員も必要になる面倒なことはしたくなかったから、客を降ろしたらそのまま車庫に真っ直ぐ入っていける南稚内止まりにしたのではなかったかと想像します。
稚内駅は、鉄道レール終点の為 先導機関車の移動が出来ず 1つ手前の南稚内駅で機関車の移動を行い往路を来たレールを折り返します。
電源車両の車両辺り扉開いてたが大丈夫かな??
結果的に事故にはならなかったようです。
北海道こそ夜行列車を走らせてほしいなって思う
夜間、道内の全ての幹線道路を完全封鎖すれば、JRの夜行列車は連日満員、とか。(笑)
はまなす「あれ?僕に似てる?」
…………寝た列車ではなくネタ列車だな
は~いヤマダ君。座布団、持って帰っていいよ。
matuno kura お座敷列車の座布団なのであとでjrに返して
返しに行きましたが、もうお座敷車はありませんでした。
matuno kura (汗)
引かれてしまった。オヤジギャグ。
食堂車を見たときは興奮しました!
食堂車は、グリーン車よりも寝台車よりも特別な存在でしたね。
@@HANANOARUJINSEI 様
東海道新幹線はもともとビジネス客を主なターゲットにしていたので(東京~大阪間を日帰りで無理なく帰って来られるので、宿泊代や呑み代、接待料金などが節約できる)、まさに通勤電車としての役割も十分に担っていました。運用も単純でしたしね。今でこそ、東北・北海道新幹線ではグランクラスとかいう贅沢というか、グリーン車の更に上のクラスの車輛がありますが、もはやビジネスに加え、乗る楽しみ・心地よさを提供しているように思えます。そんなら、食堂車を連結してくれ~と思うのですが、採算面で採用されませんね。グランクラス専用の食堂車があったら利用されるのでしょうかね。でも、通勤電車に食堂車とまではいかなくてもビュフェがあったら、寝坊助客には利用されそうな気がしなくもありません。山手線なら、夕方から居酒屋車を連結して、5周まで乗車して飲み食いできるとか、駄目かな?
今こそ有れば良いと思います🙇
構想中ですが、シベリア鉄道と繋がることを想定していますね。宗谷トンネルという海底トンネルを掘る構想もあります。
それだけは絶対に止めて欲しいですね。共産主義国家や社会主義国家がどんだけ危険な存在であることか。宗谷海峡は、自由主義を守る防波堤なのです。
シベリア鉄道と日本のJR鉄道では、レール幅が違いシベリア鉄道は、新幹線の様な普通幅の為 運行がっきません
@@末永喜久男 様
今はどうなっているのか知りませんが、サハリンと大陸とを連絡船で行き来する車両は、わざわざ工場で台車を履き替えて運転していました。
あと、スペインの「タルゴ」はもう70年も前からフリーゲージトレインとして走っているので、軌間が違うからといって走れないわけではありません。(「軌間の差」にある程度制限は付くのと、車両限界をクリアする必要があります。)
でも可能だからといって、ロシアや韓国・中国と線路を結ぶのは、国家保安上、防疫上、絶対に止めて頂きたいものです。
北海道北斗星ですね!東日本北斗星との違いはサシのエンブレムです。
スシはテーブルの照明も違っていましたね。
私は長年北海道に住んでいるか普通列車 の北斗星があるとは 私は知らなんだ 私が知っているのは札幌上野間の青函トンネル くるって上野まで行く 寝台特急というのかな 寝台車の北斗星はよく知っている 寝台特急北斗星ならば私は年に北斗星で 録音服ぐらい やっていたら なんせ東京に行くのはその北斗星が一番料金的には安かったからだ 時間はかかるが旅行や仕事などによく北斗星を使っていた 中にはシャワー室などもありシャワー室のも何度か使ったことがある そしてラウンジではゆっくりくつろげて 録画のビデオやテレビなど見てくつろいで旅ができた 映像に写っているのはどうやら 普通の客車の北斗星のようだが私は普通の客車の北斗星があるのが勉強不足で北海道の人間ながら全然知らなかった恥ずかしい限りである
それは見間違いです。「北斗星」は全て寝台特急列車です。この動画の「北斗星利尻」はイベントで走らせた、札幌発、南稚内行きの団体臨時列車になります。
食堂車って利用できたのかな?
フリースペースだったと思います。流石に供食はなかったかと。
@@matunokura6028 私は、この日の北斗星利尻号の乗客でした。行程表によると、4月6日には札幌駅発車後、4月7日は南稚内駅発車後から宗谷本線内、夕食は深川駅発車後から函館本線内です、別料金で簡単なものが出てきました。
@@真智子関川 様
チン程度の供食はあったのでしょうかね。それでも、食堂車でいただく食事には格別なものがあります。「トマサホ」で稚内から旭川まで乗車したことがありますが、撮影の休憩時にはフリースペースの食堂車に居座り、カップ麺をすすってました。
ドラえもんのやつ笑った
わたしゃ悲しいよ。
こんな奴いたんだ!
「北斗星」からみの臨時列車は時々運転されておりました。
@@matunokura6028 宇都宮線沿線に住んでいるけど知らなかったわ
「北斗星利尻号」は、札幌~南稚内の運転でしたけどね。
北斗星まりもとかもありましたよね