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古墳を勉強していると、天皇と密接な関係が強く、古代を知れば卑弥呼迄興味が湧いてきました❗魏志倭人伝のルートから福岡県の朝倉、甘木辺りか⁉️ と言う説は私的には今年 コロナが治まれば是非とも行ってみたいです‼️
三種の神器①八咫鏡(天照大御神)※ニニギノミコト【天降りで授かった鏡】②草薙剣(須佐之男命)※ヤマタノオロチ退治【ヤマタノオロチ退治した後に授かった剣】③八尺瓊勾玉※岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った。天孫降臨の際邇邇芸命(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ、天児屋命(あめのこやね)、布刀玉命(ふとだま)、天宇受売命(あめのうずめ)、伊斯許理度売命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人として随伴した。『日本書紀』の岩戸隠れの段では、八尺瓊勾玉を作ったのは「玉造部の遠祖・豊玉神(とよたまのかみ)」(第二の一書)、「玉作の遠祖、伊弉諾尊の児・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)」(第三の一書)としている。どちらも玉造部の祖としていることから玉祖命と同神と考えられる。※日本神話では、岩戸隠れの際に後に玉造連の祖神となる玉祖命が作り、八咫鏡とともに太玉命が捧げ持つ榊の木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊に授けられたとする。古事記には、八尺瓊勾玉(緒に通した勾玉)の後ろに、さらに『五百津之美須麻流之珠』(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)という、数の多さを形容した語が付く。
当時全国的に卑弥呼ブームで各地で名乗りを上げる自治体が増え、衰退してた甘木も負けじと町おこしの一環として邪馬台国説をブチ上げレールバス甘木駅前に卑弥呼像を建立したりしたけど少しあとに吉野ケ里が見つかり一気に盛り下がった記憶
もう朝倉周辺は有名なとこや名産あるんだし卑弥呼伝説まで欲張らなくても・・・。福岡の女子はお小遣いやりくりして、小石原焼き買ったり、買い物では果物や野菜買って頑張ってる。あーでもこの説は凄く面白い。邪馬台国お引越し説で痛み分けでこの論争は終わりにしてもいいんじゃない?でも卑弥呼祭りはかわいらしかと評判はいい。
邪馬台国はおそらく旧大和郡で間違いない魏志倭人伝には鳥栖や玖珠という地名も見えることからおそらく朝倉はその通過地なので邪馬台国(倭国)の一部だったのであろう朝倉の地名は朝廷の米倉から来ているという事から当時から大規模な田園が耕作され倭国つまり邪馬台国や大和朝廷から重要視されていた土地だったのである
25万人もの人口を養うには大平野が必要。周囲に残る地名の名残りなどかしても、朝倉がぴったりそれにあてはまるんだよね。
相攻伐(あいこうばつ)、統べる(すべる)
さすがSNSだな。他人の説をあたかも自分の説のように言っている。たぶん自分で再検証したんだろう。凄いな。
朝倉は、確かにヒミコの地ですね✨ぼくも朝倉に注目していますruclips.net/video/WinOq5uRnvA/видео.html
朝倉市ですよね。豪雨災害の場所では?皆さん大丈夫ですか。
邪馬台国の場所は、日本統一がいつだったかを決める重要な要因(ファクター)です。麻氐良布神社はアマテラス神社が変化したものという説を聞いたことがあります。
草書体の布と須が同じで草書体から楷書体にしたときの誤字説ね。この神社については詳しくないけど古代の書物があった時代にその名をとって天照神社のつもりで作ったのかもなあとか思います。字体の翻訳ミスは致命的ですね。
金印が志賀島で見つかったけん邪馬台国は福岡にあると思う!
その金印は本物❓
それは奴国
4:45~>まてらさんと言う一見奇妙な名前の山があります>麻氏良山(まてらさん)⇒まてらす⇒あまてらす>もうおわかりですね(ドヤッ)思わず笑っちゃいましたwww ちょっとむりくりすぎでしょ
t m ろ
登りました。筑前六端城の一つ。
わかりません‼️
序盤で『とべていた』と言ってたけど、すべていたの読み間違いかな?統括の統を無理矢理、訓読みで読んだ感じ?
統べる【すべる】ですね。バ行はマ行に変化して、統めるに変化します。
おおなむち神社しんぐう皇后は、じんぐう皇后の間違いでは、無いでしょうか?
邪馬台国はヤマト国と発音して、現在の奈良県を指しています。 魏志倭人伝の時代に、奈良県には大和政権があり、崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。 以来、都が京都に遷都されるまでの間、歴代の天皇が奈良県にいらっしゃいました。
と、統べていた…
僕も甘木朝倉は、ヒミコやトヨの出身地であると考えています。あくまでも出身地という意味ですが・・・
近くに住んでます(◕ᴗ◕✿)
不謹慎かもしれないが、今回の大雨、大災害により、邪馬台国、卑弥呼の証跡が現れるかもしれませんね。
高性能センサー「LiDAR(ライダー)」による調査。レーザー技術を使い、航空機から密林の樹冠の下に広がる構造をとらえる調査方法。
本テーマについては、長濱浩明氏の説がほぼ史実ではないかと思っています。
愛媛今治市朝倉にも斉明天皇ゆかりの須賀神社がありますよ。
天香具山は何処にありますか?そこを示さないと全く無意味です。神代の巻にアマテラスと香具山が書かれていますよね。少なくとも山は移動しません。三重連の山です!!アマテラス=卑弥呼!?(#^.^#)有り得ません!年代が合いません。もっとよく調べましょう。
地名は奈良から朝倉に移されたんだろう。
何のために?
人が移動した。
逆やろ‼️こちらからそちらにだよ❗
@@やまぴぃ-z3u それはない。大神氏関連じゃないか。
@@yunyun9886 無いのだよ、その後都が移るくらいだからね✨
めちゃくちゃですな。
邪馬台国がどこにあったかはっきりしていないのはしかたないが、北九州のどこかは絶対ない、なぜなら、陸路をあっちこっち進んだのちもう一回水路を進んでいるが、北九州に到着してるのにもう一回水路を行くというのは絶対変だと思わないかな。
川を進む場合は船に乗る必要があります。絶対におかしいということはないと思いますよ。川を無視するなら日本列島上のどこであれ船で移動してからあとは全部陸路で完結しますよ。中国地方にしても四国にしても近畿にしても停泊はしても陸上を移動してからまた海に出る必要はないですからね。使者がいる伊都国も九州でなくてもいいし。
@@かるいし-l4p さん海から直接川上り?をすれば良いのでは?船は乗り換えるとしても。でも、十日も川上り?をするって大変じゃない?両岸から馬か何かで綱で引っ張るの?陸路で行けない?そんな所に7万戸の集落があるとは考え難いなあw
新潟県にもヤマト地名がある。大和川もあり、神武の道案内をしたシイネツヒコの裔・倭国造もいた。距離的にも一番近いかも。
文献解釈だけでは、到底断定できないし、キリがない。出てきたものと合わせて考えると、全国的連携が伺える3世紀都市遺跡、纏向を超える遺跡は存在しない。東西に整然とした大規模な建物群、巨大運河、九州から東日本にわたる土器の出土。再前期の前方後円墳。(箸墓は、後から前方部を付けた円墳だった可能性もある。)魏との交流記念物三角縁神獣鏡(和鏡であっても記念物)が集中する近畿にあることも有力な証拠だ。
纒向に鉄鏃と絹織物が出土すれば決定で良いでしょう。
畿内説は、倭人伝の方角、里程記事と全く合致しないと思いますけど。
@@加藤勉-g5p 都合のいい文献解釈ならインドネシア説、沖縄説、四国説もありで、鹿児島沖の海中王国もありとなる。文献解釈のいい加減さよりも、目の前に現れた遺跡や遺物によって解釈の誤りを見つけることこそ本道。遺跡や遺物のない文献解釈はウソということになる。中国人の日本列島観msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_k-iHZC_JyVxntw6Yk-H_s0ViKwdPBCJ6WiwlAlP5f3haBoNtiQfjyDCKaSza9tJtPMSXjlbDv49l_39iLnpmVT9IYTihNFldNsafAjn0g_xqrc3nMLFsYCoy7JWa6FgbZ5cdFGfsjS1JUBkl1oGDqpXyL74AJamozq1wEg3WdLhW7eh-71H3i_G7k9jnqGFKjXqEucpF9xUiYB7agDXcM=/369e4549.jpg?errorImage=falselivedoor.blogimg.jp/hideki4612/imgs/a/b/ab9ea71d.jpg3世紀の九州の何処に大規模遺跡があるのか示すことが大切。
@@lahoene6900 様リンクが403エラーです。
@@加藤勉-g5p 様鉄器も絹も出ていません。出てきたのは桃の種。文献、出土品共近畿の根拠は希薄です。
卑弥呼は歴史によく出て来るけどわからない事が多過ぎますね。美人さんなのかブサイクなのかも分かんないしね。いろんな意見あるから迷いますよ、不思議ですね。
第一神朝天之世(あめのよ)七代?【820年】第二神朝天之御中世(あめのみなかよ)十五代?【35万人・1849年】第三神朝高天原天神世七代?初代【たかまがはらあめのかみのよ】?【国常立尊・(くにとこたちのみこと)】?【伊弉諾命・(いざなぎのみこと)】?【506年】?【日本への移動は第三神朝から10万8千人くらい】第四神朝豊阿始原之世五代(とよあしはらのよ)?【487年間】第五神朝宇家潤不二合須世(うがやふじあわすのよ)?【五十一代2250年間】すなわち世にいう?【富士王朝】へと続くのです。※皇祖皇太神宮【富山市御皇城山】※神代文字【神代の万国史】※天神七代 ※皇統二十五代※不合朝七十三代※神倭朝百二十五代【神武天皇~令和天皇まで】?位山【岐阜県飛騨山】スメラノミコト①先代旧事本記②大本神諭③日月神示④月蔵経⑤国記・天皇記【栗鹿大明神元記】(あわがだいみょうじんもとふつみ)※栗鹿神社⛩️⑥大日本国一宮記(だいにほんくにいちみやき)古事記日本書紀竹内文書宮下文書九鬼文書(くかみもんじょ)上記(うえふつみ)安倍文書和田家文書古史古伝豊国文字日月神示ヲシテ文字カタカムナ月蔵経🗾🗾
この朝倉ヒノミコ神社(卑弥呼ではない 日御子) 本来はイサナキ タカヒト様のお宮です 日御子とは天皇の事であり日御子とは 神代8代天皇 アマカミ ワカヒト様の事です1月1日元旦日の出とともにお生まれになった 2重の祝いを 日御子(ヒノミコ)のお喜びを表したお名前です卑弥呼の字を当てたのは 後の人の思惑です 頭を女とした渡来人の夜盗がここに住み着いた結果です
朝倉山 それは 古代マフテス山と呼ばれた マフテスとは 意味が解らないが はじめ草書でアマテラスと読めるそうだ近くにマフテフ神社があるはず 女性とした古事記は ハヤコの末裔のなせること 出雲ノクニの存在を残したいといたハタレ争乱首謀者で女頭領のハヤコだ ヒノミコというが なぜ日ノ御子というのか それはアマテルカミのお誕生日が1月1日元旦の日の出とともにお生まれになったことから 日御子と呼ばれたがはじめという アマテラスオオミカミが女性であることは 決してない
天照大神は卑弥呼ではありません!
そうです アマテルオオミカミはれっきとした男性です だいたい卑弥呼とは ハヤコと読むんですハタレ争乱の首謀者です
男性みたいですね!アマテラスさん
へ
邪馬壹國(ヤマト国)と読む壱ではなく台ではない。徳島県が正解だろう。天照が卑弥呼だよ。
草書で読むとヤマダ国の可能性があるそうです。嘉麻市(山田市)のあたり。
@@ToshiF さん倭人伝の方角、里程記事と合致しませんが?
ユーチューブ、ユーチューブ、アユーチューブ、鮎チューブ、鮎中部。
Whata faqu. Why I klicked on this video? I don't understand this language andnow all video related are in japanese, Korean,Viatnamese, Chines what ever who cares,asian language.
卑弥呼の宮殿は徳之島伊仙町の上母縄卑弥呼の宮殿は、上母縄の村落と考えられる。全体が邪馬台国の頃の倭国大乱にふさわしい自然の要塞を取り込んだ地形をなしている。まず、高台に中心があり、東西に深い自然の谷があって水が流れ、南は海で石器時代の尖った岩で船の接岸が不可能。北は犬田布岳(3神山)の山で、族の侵入が不可能な自然地形であった。石組みの古代遺跡ペルーのマチュピチュを思わせる様な石組みの古代遺跡であり、頑丈な区画に住居が設置されている。そこに通じる道路も坂道があり曲がりくねっていて簡単に進入不可能な自然地形となり、完全に防備された要塞基地てある。そして、緩やかな棚田が周辺に点在し農耕も出来る。高台なので周囲から族が侵入してもすぐに発見できる場所に高千穂神社が設置されていた。ノロ(シャーマン)徳之島の村々には、ノロ(シャーマン)が多くいて小集落を形成している。そのノロは、天文学的な知識を持ったシャーマンで、ノロの予言を聞いていれば国同士が戦わなくても食べられ生活出来る充分な資源が豊富にある所であった。
古墳を勉強していると、天皇と密接な関係が強く、古代を知れば卑弥呼迄興味が湧いてきました❗魏志倭人伝のルートから福岡県の朝倉、甘木辺りか⁉️ と言う説は私的には今年 コロナが治まれば是非とも行ってみたいです‼️
三種の神器
①八咫鏡(天照大御神)
※ニニギノミコト
【天降りで授かった鏡】
②草薙剣(須佐之男命)
※ヤマタノオロチ退治
【ヤマタノオロチ退治した後に授かった剣】
③八尺瓊勾玉
※岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った。天孫降臨の際邇邇芸命(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ、天児屋命(あめのこやね)、布刀玉命(ふとだま)、天宇受売命(あめのうずめ)、伊斯許理度売命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人として随伴した。
『日本書紀』の岩戸隠れの段では、八尺瓊勾玉を作ったのは「玉造部の遠祖・豊玉神(とよたまのかみ)」(第二の一書)、「玉作の遠祖、伊弉諾尊の児・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)」(第三の一書)としている。どちらも玉造部の祖としていることから玉祖命と同神と考えられる。
※日本神話では、岩戸隠れの際に後に玉造連の祖神となる玉祖命が作り、八咫鏡とともに太玉命が捧げ持つ榊の木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊に授けられたとする。
古事記には、八尺瓊勾玉(緒に通した勾玉)の後ろに、さらに『五百津之美須麻流之珠』(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)という、数の多さを形容した語が付く。
当時全国的に卑弥呼ブームで各地で名乗りを上げる自治体が増え、衰退してた甘木も負けじと町おこしの一環として邪馬台国説をブチ上げレールバス甘木駅前に卑弥呼像を建立したりしたけど少しあとに吉野ケ里が見つかり一気に盛り下がった記憶
もう朝倉周辺は有名なとこや名産あるんだし卑弥呼伝説まで欲張らなくても・・・。福岡の女子はお小遣いやりくりして、小石原焼き買ったり、買い物では果物や野菜買って頑張ってる。あーでもこの説は凄く面白い。邪馬台国お引越し説で痛み分けでこの論争は終わりにしてもいいんじゃない?でも卑弥呼祭りはかわいらしかと評判はいい。
邪馬台国はおそらく旧大和郡で間違いない
魏志倭人伝には鳥栖や玖珠という地名も見えることからおそらく朝倉はその通過地なので邪馬台国(倭国)の一部だったのであろう
朝倉の地名は朝廷の米倉から来ている
という事から当時から大規模な田園が耕作され倭国つまり邪馬台国や大和朝廷から重要視されていた土地だったのである
25万人もの人口を養うには大平野が必要。周囲に残る地名の名残りなどかしても、朝倉がぴったりそれにあてはまるんだよね。
相攻伐(あいこうばつ)、統べる(すべる)
さすがSNSだな。他人の説をあたかも自分の説のように言っている。たぶん自分で再検証したんだろう。凄いな。
朝倉は、確かにヒミコの地ですね✨
ぼくも朝倉に注目しています
ruclips.net/video/WinOq5uRnvA/видео.html
朝倉市ですよね。豪雨災害の場所では?皆さん大丈夫ですか。
邪馬台国の場所は、日本統一がいつだったかを決める重要な要因(ファクター)です。麻氐良布神社はアマテラス神社が変化したものという説を聞いたことがあります。
草書体の布と須が同じで草書体から楷書体にしたときの誤字説ね。この神社については詳しくないけど古代の書物があった時代にその名をとって天照神社のつもりで作ったのかもなあとか思います。字体の翻訳ミスは致命的ですね。
金印が志賀島で見つかったけん邪馬台国は福岡にあると思う!
その金印は本物❓
それは奴国
4:45~
>まてらさんと言う一見奇妙な名前の山があります
>麻氏良山(まてらさん)⇒まてらす⇒あまてらす
>もうおわかりですね(ドヤッ)
思わず笑っちゃいましたwww ちょっとむりくりすぎでしょ
t m ろ
登りました。筑前六端城の一つ。
わかりません‼️
序盤で『とべていた』と言ってたけど、すべていたの読み間違いかな?統括の統を無理矢理、訓読みで読んだ感じ?
統べる【すべる】ですね。バ行はマ行に変化して、統めるに変化します。
おおなむち神社しんぐう皇后は、じんぐう皇后の間違いでは、無いでしょうか?
邪馬台国はヤマト国と発音して、現在の奈良県を指しています。
魏志倭人伝の時代に、奈良県には大和政権があり、崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。
以来、都が京都に遷都されるまでの間、歴代の天皇が奈良県にいらっしゃいました。
と、統べていた…
僕も甘木朝倉は、ヒミコやトヨの出身地であると考えています。あくまでも出身地という意味ですが・・・
近くに住んでます(◕ᴗ◕✿)
不謹慎かもしれないが、今回の大雨、大災害により、邪馬台国、卑弥呼の証跡が現れるかもしれませんね。
高性能センサー「LiDAR(ライダー)」による調査。レーザー技術を使い、航空機から密林の樹冠の下に広がる構造をとらえる調査方法。
本テーマについては、長濱浩明氏の説がほぼ史実ではないかと思っています。
愛媛今治市朝倉にも斉明天皇ゆかりの須賀神社がありますよ。
天香具山は何処にありますか?そこを示さないと全く無意味です。神代の巻にアマテラスと香具山が書かれていますよね。少なくとも山は移動しません。三重連の山です!!アマテラス=卑弥呼!?(#^.^#)有り得ません!年代が合いません。もっとよく調べましょう。
地名は奈良から朝倉に移されたんだろう。
何のために?
人が移動した。
逆やろ‼️こちらからそちらにだよ❗
@@やまぴぃ-z3u
それはない。
大神氏関連じゃないか。
@@yunyun9886 無いのだよ、その後都が移るくらいだからね✨
めちゃくちゃですな。
邪馬台国がどこにあったかはっきりしていないのはしかたないが、北九州のどこかは絶対ない、なぜなら、陸路をあっちこっち進んだのちもう一回水路を進んでいるが、北九州に到着してるのにもう一回水路を行くというのは絶対変だと思わないかな。
川を進む場合は船に乗る必要があります。絶対におかしいということはないと思いますよ。川を無視するなら日本列島上のどこであれ船で移動してからあとは全部陸路で完結しますよ。中国地方にしても四国にしても近畿にしても停泊はしても陸上を移動してからまた海に出る必要はないですからね。使者がいる伊都国も九州でなくてもいいし。
@@かるいし-l4p さん
海から直接川上り?をすれば良いのでは?
船は乗り換えるとしても。
でも、十日も川上り?をするって大変じゃない?
両岸から馬か何かで綱で引っ張るの?
陸路で行けない?そんな所に7万戸の集落があるとは考え難いなあw
新潟県にもヤマト地名がある。大和川もあり、神武の道案内をしたシイネツヒコの裔・倭国造もいた。距離的にも一番近いかも。
文献解釈だけでは、到底断定できないし、キリがない。出てきたものと合わせて考えると、全国的連携が伺える3世紀都市遺跡、纏向を超える遺跡は存在しない。東西に整然とした大規模な建物群、巨大運河、九州から東日本にわたる土器の出土。再前期の前方後円墳。(箸墓は、後から前方部を付けた円墳だった可能性もある。)魏との交流記念物三角縁神獣鏡(和鏡であっても記念物)が集中する近畿にあることも有力な証拠だ。
纒向に鉄鏃と絹織物が出土すれば決定で良いでしょう。
畿内説は、倭人伝の方角、里程記事と全く合致しないと思いますけど。
@@加藤勉-g5p 都合のいい文献解釈ならインドネシア説、沖縄説、四国説もありで、鹿児島沖の海中王国もありとなる。文献解釈のいい加減さよりも、目の前に現れた遺跡や遺物によって解釈の誤りを見つけることこそ本道。遺跡や遺物のない文献解釈はウソということになる。
中国人の日本列島観
msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_k-iHZC_JyVxntw6Yk-H_s0ViKwdPBCJ6WiwlAlP5f3haBoNtiQfjyDCKaSza9tJtPMSXjlbDv49l_39iLnpmVT9IYTihNFldNsafAjn0g_xqrc3nMLFsYCoy7JWa6FgbZ5cdFGfsjS1JUBkl1oGDqpXyL74AJamozq1wEg3WdLhW7eh-71H3i_G7k9jnqGFKjXqEucpF9xUiYB7agDXcM=/369e4549.jpg?errorImage=false
livedoor.blogimg.jp/hideki4612/imgs/a/b/ab9ea71d.jpg
3世紀の九州の何処に大規模遺跡があるのか示すことが大切。
@@lahoene6900 様
リンクが403エラーです。
@@加藤勉-g5p 様
鉄器も絹も出ていません。出てきたのは桃の種。文献、出土品共近畿の根拠は希薄です。
卑弥呼は歴史によく出て来るけどわからない事が多過ぎますね。美人さんなのかブサイクなのかも分かんないしね。いろんな意見あるから迷いますよ、不思議ですね。
第一神朝
天之世(あめのよ)七代
?【820年】
第二神朝
天之御中世(あめのみなかよ)十五代
?【35万人・1849年】
第三神朝
高天原天神世七代
?初代【たかまがはらあめのかみのよ】
?【国常立尊・(くにとこたちのみこと)】
?【伊弉諾命・(いざなぎのみこと)】
?【506年】
?【日本への移動は第三神朝から10万8千人くらい】
第四神朝
豊阿始原之世五代(とよあしはらのよ)
?【487年間】
第五神朝
宇家潤不二合須世(うがやふじあわすのよ)
?【五十一代2250年間】
すなわち世にいう
?【富士王朝】へと続くのです。
※皇祖皇太神宮
【富山市御皇城山】
※神代文字
【神代の万国史】
※天神七代
※皇統二十五代
※不合朝七十三代
※神倭朝百二十五代
【神武天皇~令和天皇まで】
?位山【岐阜県飛騨山】
スメラノミコト
①先代旧事本記
②大本神諭
③日月神示
④月蔵経
⑤国記・天皇記
【栗鹿大明神元記】
(あわがだいみょうじんもとふつみ)
※栗鹿神社⛩️
⑥大日本国一宮記
(だいにほんくにいちみやき)
古事記
日本書紀
竹内文書
宮下文書
九鬼文書(くかみもんじょ)
上記(うえふつみ)
安倍文書
和田家文書
古史古伝
豊国文字
日月神示
ヲシテ文字
カタカムナ
月蔵経🗾🗾
この朝倉ヒノミコ神社(卑弥呼ではない 日御子) 本来はイサナキ タカヒト様のお宮です 日御子とは天皇の事であり
日御子とは 神代8代天皇 アマカミ ワカヒト様の事です
1月1日元旦日の出とともにお生まれになった 2重の祝いを 日御子(ヒノミコ)のお喜びを表したお名前です
卑弥呼の字を当てたのは 後の人の思惑です 頭を女とした渡来人の夜盗がここに住み着いた結果です
朝倉山 それは 古代マフテス山と呼ばれた マフテスとは 意味が解らないが はじめ草書でアマテラスと読めるそうだ
近くにマフテフ神社があるはず 女性とした古事記は ハヤコの末裔のなせること 出雲ノクニの存在を残したいといた
ハタレ争乱首謀者で女頭領のハヤコだ ヒノミコというが なぜ日ノ御子というのか それはアマテルカミのお誕生日が1月1日元旦の日の出とともにお生まれになったことから 日御子と呼ばれたがはじめという アマテラスオオミカミが女性であることは 決してない
天照大神は卑弥呼ではありません!
そうです アマテルオオミカミはれっきとした男性です だいたい卑弥呼とは ハヤコと読むんです
ハタレ争乱の首謀者です
男性みたいですね!アマテラスさん
へ
邪馬壹國(ヤマト国)と読む壱ではなく台ではない。徳島県が正解だろう。天照が卑弥呼だよ。
草書で読むとヤマダ国の可能性があるそうです。嘉麻市(山田市)のあたり。
@@ToshiF さん
倭人伝の方角、里程記事と合致しませんが?
ユーチューブ、ユーチューブ、アユーチューブ、鮎チューブ、鮎中部。
Whata faqu. Why I klicked on this video? I don't understand this language and
now all video related are in japanese, Korean,Viatnamese, Chines what ever who cares,
asian language.
卑弥呼の宮殿は徳之島伊仙町の上母縄
卑弥呼の宮殿は、上母縄の村落と考えられる。全体が邪馬台国の頃の倭国大乱にふさわしい自然の要塞を取り込んだ地形をなしている。まず、高台に中心があり、東西に深い自然の谷があって水が流れ、南は海で石器時代の尖った岩で船の接岸が不可能。北は犬田布岳(3神山)の山で、族の侵入が不可能な自然地形であった。
石組みの古代遺跡
ペルーのマチュピチュを思わせる様な石組みの古代遺跡であり、頑丈な区画に住居が設置されている。そこに通じる道路も坂道があり曲がりくねっていて簡単に進入不可能な自然地形となり、完全に防備された要塞基地てある。そして、緩やかな棚田が周辺に点在し農耕も出来る。高台なので周囲から族が侵入してもすぐに発見できる場所に高千穂神社が設置されていた。
ノロ(シャーマン)
徳之島の村々には、ノロ(シャーマン)が多くいて小集落を形成している。そのノロは、天文学的な知識を持ったシャーマンで、ノロの予言を聞いていれば国同士が戦わなくても食べられ生活出来る充分な資源が豊富にある所であった。