- Видео 1
- Просмотров 223 692
harazuruonsen0201
Добавлен 24 янв 2012
朝倉卑弥呼伝説
福岡県のほぼ中央に位置する甘木・朝倉地区。
豊富な自然やフルーツ狩り、原鶴温泉、三連水車など、恵まれた観光資源を持つこの地には、「卑弥呼」が存在したという説があります。
日本古代史最大のミステリーとされる「邪馬台国」の存在と「卑弥呼」の謎を追究した動画をお楽しみください。
豊富な自然やフルーツ狩り、原鶴温泉、三連水車など、恵まれた観光資源を持つこの地には、「卑弥呼」が存在したという説があります。
日本古代史最大のミステリーとされる「邪馬台国」の存在と「卑弥呼」の謎を追究した動画をお楽しみください。
Просмотров: 223 700
さすがSNSだな。他人の説をあたかも自分の説のように言っている。たぶん自分で再検証したんだろう。凄いな。
朝倉市は邪馬台国と何の関係もありません。
邪馬台国はヤマト国と発音して、現在の奈良県を指しています。 魏志倭人伝の時代に、奈良県には大和政権があり、崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。 以来、都が京都に遷都されるまでの間、歴代の天皇が奈良県にいらっしゃいました。
当時全国的に卑弥呼ブームで各地で名乗りを上げる自治体が増え、衰退してた甘木も負けじと町おこしの一環として邪馬台国説をブチ上げレールバス甘木駅前に卑弥呼像を建立したりしたけど少しあとに吉野ケ里が見つかり一気に盛り下がった記憶
歴史は生きてる者が好きに言うだけ 墓が無いわけがない。
朝倉は、確かにヒミコの地ですね✨ ぼくも朝倉に注目しています ruclips.net/video/WinOq5uRnvA/видео.html
邪馬台国はおそらく旧大和郡で間違いない 魏志倭人伝には鳥栖や玖珠という地名も見えることからおそらく朝倉はその通過地なので邪馬台国(倭国)の一部だったのであろう 朝倉の地名は朝廷の米倉から来ている という事から当時から大規模な田園が耕作され倭国つまり邪馬台国や大和朝廷から重要視されていた土地だったのである
申し訳ない。安本先生、面白いけど、あの人縄文文化と弥生文化の違いもわかってない。 太陽を祭る巫女なんて何百人もいたんだから、縄文人の卑弥呼と、弥生人のアマテラスを同一人物って思うなんて、根本的にまちがってますよ。 九州は、九州王朝があったんだし。それも別。
天香具山は何処にありますか?そこを示さないと全く無意味です。神代の巻にアマテラスと香具山が書かれていますよね。少なくとも山は移動しません。三重連の山です!!アマテラス=卑弥呼!?(#^.^#)有り得ません!年代が合いません。もっとよく調べましょう。
第一神朝 天之世(あめのよ)七代 ?【820年】 第二神朝 天之御中世(あめのみなかよ)十五代 ?【35万人・1849年】 第三神朝 高天原天神世七代 ?初代【たかまがはらあめのかみのよ】 ?【国常立尊・(くにとこたちのみこと)】 ?【伊弉諾命・(いざなぎのみこと)】 ?【506年】 ?【日本への移動は第三神朝から10万8千人くらい】 第四神朝 豊阿始原之世五代(とよあしはらのよ) ?【487年間】 第五神朝 宇家潤不二合須世(うがやふじあわすのよ) ?【五十一代2250年間】 すなわち世にいう ?【富士王朝】へと続くのです。 ※皇祖皇太神宮 【富山市御皇城山】 ※神代文字 【神代の万国史】 ※天神七代 ※皇統二十五代 ※不合朝七十三代 ※神倭朝百二十五代 【神武天皇~令和天皇まで】 ?位山【岐阜県飛騨山】 スメラノミコト ①先代旧事本記 ②大本神諭 ③日月神示 ④月蔵経 ⑤国記・天皇記 【栗鹿大明神元記】 (あわがだいみょうじんもとふつみ) ※栗鹿神社⛩️ ⑥大日本国一宮記 (だいにほんくにいちみやき) 古事記 日本書紀 竹内文書 宮下文書 九鬼文書(くかみもんじょ) 上記(うえふつみ) 安倍文書 和田家文書 古史古伝 豊国文字 日月神示 ヲシテ文字 カタカムナ 月蔵経🗾🗾
🔴生命の樹 🟠セフィロトの樹 🟡カバラ ①ケテル:沖津鏡(おきつかがみ)<クンダリニー> ②コクマー:蛇比礼(へびのひれ)<奇魂> ③ビナー:蜂比礼(はちのひれ)<奇魂> ④ケセド:生玉(いくたま)<幸魂の陽面> ⑤ゲブラー:八握剣(やつかのつるぎ)<荒魂> ⑥ティファレト:品物之比礼(くさぐさのもののひれ)<幸魂の陽面> ⑦ネツァク:死返玉(まかるかへしのたま)<幸魂の陰面> ⑧ホド:足玉(たるたま)<幸魂の陰面> ⑨イエソド:道返玉 (ちかへしのたま)<和魂> ⑩マルクト:辺津鏡(へつかがみ)<真一>
ムー の 末裔 原 子 転 換 で き る 紋 章 フ ァ イ ザ ー 製 薬 効 か ぬ ま る げ ん くう か い 価 格 壱 萬 縁 消費税 10 % 手 数 料 別 々 願 い します ひ み こ さ る た ひ こ こ ろ な ぼ く め つ さ む は ら ほ う と く に う ん か わ か み く う か い あ べ ひ ろ き 人 類 削 減 中 人 工 大 地 震 人 工 津 波 人 工 台 風 信 じ る 信 じ て い な い か あ な た 次 第 080-5815-1499
瀬織津姫 ①天空【ヌト】 ②大地【ゲブ】 ?【地母神】 ?【イザナミ】 ?【天照大御神】(息子) ?【卑弥呼】(娘) ?【須佐之男命】(弟) ?【月読命】(弟) ※天の川銀河 🔴織姫【ヌト・天空】 🔵彦星【ゲブ・大地】 🟡冥界【オシリス】 👁🗨左目【ウアジェットの目】 👁🗨右目【ラーの目(ホルス)】
相攻伐(あいこうばつ)、統べる(すべる)
三種の神器 ①八咫鏡(天照大御神) ※ニニギノミコト 【天降りで授かった鏡】 ②草薙剣(須佐之男命) ※ヤマタノオロチ退治 【ヤマタノオロチ退治した後に授かった剣】 ③八尺瓊勾玉 ※岩戸隠れの際に八尺瓊勾玉(ヤサカニノマガタマ)を作った。天孫降臨の際邇邇芸命(ににぎ)に附き従って天降るよう命じられ、天児屋命(あめのこやね)、布刀玉命(ふとだま)、天宇受売命(あめのうずめ)、伊斯許理度売命(いしこりどめ)と共に五伴緒の一人として随伴した。 『日本書紀』の岩戸隠れの段では、八尺瓊勾玉を作ったのは「玉造部の遠祖・豊玉神(とよたまのかみ)」(第二の一書)、「玉作の遠祖、伊弉諾尊の児・天明玉命(あめのあかるたまのみこと)」(第三の一書)としている。どちらも玉造部の祖としていることから玉祖命と同神と考えられる。 ※日本神話では、岩戸隠れの際に後に玉造連の祖神となる玉祖命が作り、八咫鏡とともに太玉命が捧げ持つ榊の木に掛けられた。後に天孫降臨に際して瓊瓊杵尊に授けられたとする。 古事記には、八尺瓊勾玉(緒に通した勾玉)の後ろに、さらに『五百津之美須麻流之珠』(やさかにのまがたまのいほつのみすまるのたま)という、数の多さを形容した語が付く。
25万人もの人口を養うには大平野が必要。周囲に残る地名の名残りなどかしても、朝倉がぴったりそれにあてはまるんだよね。
新潟県にもヤマト地名がある。大和川もあり、神武の道案内をしたシイネツヒコの裔・倭国造もいた。距離的にも一番近いかも。
高木氏本家の家紋は16本日足紋だよ。 つまり菊花紋だよ。 太陽信仰の一族は天照大神一族だよ。 天照大神の一族に卑弥呼がいるんだよ。 13000年の太陽信仰で日本列島を統治してたのは天照大神一族だよ。 天照大神の一族が下っ端天皇に王朝与えたんだよ。 天皇より上位なのは春日神社だよ。
近くに住んでます(◕ᴗ◕✿)
古墳を勉強していると、天皇と密接な関係が強く、古代を知れば卑弥呼迄興味が湧いてきました❗魏志倭人伝のルートから福岡県の朝倉、甘木辺りか⁉️ と言う説は私的には今年 コロナが治まれば是非とも行ってみたいです‼️
金印が志賀島で見つかったけん邪馬台国は福岡にあると思う!
その金印は本物❓
それは奴国
めちゃくちゃですな。
邪馬台国は ヤマダ国であり、機内には、最古の地名「山田」があって、古代の氏でもある。 田中に山田というのは、「氏」として、羽曳野の恵我之荘、巨大古墳群の密集地にあるんだよ。 しかもヤマトタケル命の白鳥塚古墳などといって、海岸線に近いところに、巨大な遺跡がおおいい。 縄文遺跡で有名な、三内丸山遺跡の掘っ立て柱も。高木の神を祭った巨大な柱は、神そのもの祭祀の聖域でもあった。 浦島とは、まさに日本列島のことであり「豊浦」(とゆら)とか、豊芦原瑞穂とか、豊秋津洲(とよあきつしま)といった地名は「豊」の国、豊浦(とゆら)という、斎王ゆかりがあるところワオ刺しているといえる。 日本神道で大事なことは祭祀、であり神事。当時は、陸より筆ん尾本を巡る方が天地雲泥の差の如く、船渡御で、日本国中ワオ瞬く間に巡ったでありうことが日本の神社大社末社や神宮、分祠(ぶんし)にいたる場所で大祭わお祭礼を行うゆえに、各地に斎王の館「日置」の宮城があり、たえず、物部惟人い守られていたであろうことを想像に難くない。 そして斎王卑弥呼は、船渡御によって、船に鏡を乗せ日本各地を巡幸して、太陽の霊力を再生復活する神事を行っていたとみる。卑弥呼斎王のいる場所がレイラインにある日置(ひおき)であって、常に春化春闘、夏至冬至の大祭に合わせて、ご巡幸ワオして神事を取る計らった。故の倭国大乱は、船渡御うという神事で卑弥呼の「鏡船」わお陸に挙げる神事が、御神輿神事ととなり、船形の山車を引くという、不可解な神事を理解できると思う。 卑弥呼は女王のニャンスではなく斎王・・・祈りの女神・・・・オテントウサマの妻であり、夫は、大三輪の大神「オオナムチ」である。 漢字に当てはめたらば、「大・奴・貴主」大奴国連合国家の「海幸神族」「山幸神族」によて統治されたものでありうか。 オオナムチ大王は「クシミカタマニギハタヒ」・・・・・ 天照国照彦火明櫛玉饒速日命 ”あまてるくにてるひこ・ほあかりのくしみかたま・にぎはやひ” 天照国、国照、天輝彦 (あまてるくに・くにてらしし・あめのてるひこ) 神号、太古は男はそう呼び、神の妻は「オホヒルメムチ」(大日霎貴) <wiki>参照飲用 . 神話では「オオナムチ(意富阿那母知)」や「オオヒルメムチ(大日霎貴)」、氏族では物部氏の「ウマシマチ(宇摩志麻治)」や小椋氏の「トヨハチ(止与波知)」などである。 。台与(豊)に至っては伊勢甚ぐのげ軍医「トヨウカ」豊受大神とまつるのは、いずれも太陽神の作用を持っている、再生復活の神事と五穀豊穣ワオ祭る大嘗祭そして新嘗祭は、天王家の重要な作いs字にあるのは、国譲りによて、本朝の神事に今もうけつがれてあるわけで、常に、「談合」と「誓約」で争いごとはzせずに、「国譲り神事は」共通した日本神道の「霊鎮め」国家鎮護と、五穀豊穣の重要な神事でもある。 だから、、新旧いずれも、地名も、また氏もそして祭祀も、今に残り、統一統合され、日本の文化や生活信仰が「神の道」にとりこまれて大和朝廷が今に連綿ときたっわけです。 日本にとって大事なことは、神社でありそしてその祭祀や日嗣神事など、様々な御祭は、天皇家と天皇陛下の大事な行事、祭祀となったと断言したい。 いやさか。
本テーマについては、長濱浩明氏の説がほぼ史実ではないかと思っています。
卑弥呼は歴史によく出て来るけどわからない事が多過ぎますね。美人さんなのかブサイクなのかも分かんないしね。いろんな意見あるから迷いますよ、不思議ですね。
イサナキ様がご政務された地 九州は天皇の直轄地 ハタレ騒乱の首謀者ハヤコが その近くに幽閉された そして長き後の世 朝倉の山田という地に住み着いた渡来人の夜盗が 女を頭に立て 悪さをするとして 朝廷に鎮圧の依頼が入っている だから彼の伝は 卑しい女と書いている
序盤で『とべていた』と言ってたけど、すべていたの読み間違いかな?統括の統を無理矢理、訓読みで読んだ感じ?
統べる【すべる】ですね。バ行はマ行に変化して、統めるに変化します。
地名は奈良から朝倉に移されたんだろう。
何のために?
人が移動した。
逆やろ‼️こちらからそちらにだよ❗
@@やまぴぃ-z3u それはない。 大神氏関連じゃないか。
@@yunyun9886 無いのだよ、その後都が移るくらいだからね✨
普通に考えると、歴史的に中国と朝貢貿易するのは北部九州、山口又は沖縄しかない。吉野ヶ里遺跡では中国との貿易の証拠となる硯が見つかっているし、邪馬台国は吉野ヶ里か朝倉あたりだと思う。 起源3世紀〜4世紀辺りに、大和の景行天皇の勢力に滅ぼされたんだろう。
真実の宗教は1%弱しかありません。釈尊は末法ではいろいろな邪教が出て人々を誑かす僧、尼が多いことが涌出品に説かれています。くわしくは【祈りの証】を検索。ちなみに私はどこの団体にも所属していません。
岡山県津山市には 造化三神(天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)) が祀られている サムハラ神社の奥宮があります 高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の関連で 動画を観させていただき、いいねとチャンネル登録をさせていただきました。 よろしければ私の動画もご確認ください。
海からやって来た民族❗アマテラス
と、統べていた…
邪馬台国の場所は、日本統一がいつだったかを決める重要な要因(ファクター)です。麻氐良布神社はアマテラス神社が変化したものという説を聞いたことがあります。
草書体の布と須が同じで草書体から楷書体にしたときの誤字説ね。この神社については詳しくないけど古代の書物があった時代にその名をとって天照神社のつもりで作ったのかもなあとか思います。字体の翻訳ミスは致命的ですね。
邪馬台国がどこにあったかはっきりしていないのはしかたないが、北九州のどこかは絶対ない、なぜなら、陸路をあっちこっち進んだのちもう一回水路を進んでいるが、北九州に到着してるのにもう一回水路を行くというのは絶対変だと思わないかな。
川を進む場合は船に乗る必要があります。絶対におかしいということはないと思いますよ。川を無視するなら日本列島上のどこであれ船で移動してからあとは全部陸路で完結しますよ。中国地方にしても四国にしても近畿にしても停泊はしても陸上を移動してからまた海に出る必要はないですからね。使者がいる伊都国も九州でなくてもいいし。
@@かるいし-l4p さん 海から直接川上り?をすれば良いのでは? 船は乗り換えるとしても。 でも、十日も川上り?をするって大変じゃない? 両岸から馬か何かで綱で引っ張るの? 陸路で行けない?そんな所に7万戸の集落があるとは考え難いなあw
文献解釈だけでは、到底断定できないし、キリがない。出てきたものと合わせて考えると、全国的連携が伺える3世紀都市遺跡、纏向を超える遺跡は存在しない。東西に整然とした大規模な建物群、巨大運河、九州から東日本にわたる土器の出土。再前期の前方後円墳。(箸墓は、後から前方部を付けた円墳だった可能性もある。)魏との交流記念物三角縁神獣鏡(和鏡であっても記念物)が集中する近畿にあることも有力な証拠だ。
纒向に鉄鏃と絹織物が出土すれば決定で良いでしょう。
畿内説は、倭人伝の方角、里程記事と全く合致しないと思いますけど。
@@加藤勉-g5p 都合のいい文献解釈ならインドネシア説、沖縄説、四国説もありで、鹿児島沖の海中王国もありとなる。文献解釈のいい加減さよりも、目の前に現れた遺跡や遺物によって解釈の誤りを見つけることこそ本道。遺跡や遺物のない文献解釈はウソということになる。 中国人の日本列島観 msp.c.yimg.jp/images/v2/FUTi93tXq405grZVGgDqG_k-iHZC_JyVxntw6Yk-H_s0ViKwdPBCJ6WiwlAlP5f3haBoNtiQfjyDCKaSza9tJtPMSXjlbDv49l_39iLnpmVT9IYTihNFldNsafAjn0g_xqrc3nMLFsYCoy7JWa6FgbZ5cdFGfsjS1JUBkl1oGDqpXyL74AJamozq1wEg3WdLhW7eh-71H3i_G7k9jnqGFKjXqEucpF9xUiYB7agDXcM=/369e4549.jpg?errorImage=false livedoor.blogimg.jp/hideki4612/imgs/a/b/ab9ea71d.jpg 3世紀の九州の何処に大規模遺跡があるのか示すことが大切。
@@lahoene6900 様 リンクが403エラーです。
@@加藤勉-g5p 様 鉄器も絹も出ていません。出てきたのは桃の種。文献、出土品共近畿の根拠は希薄です。
邪馬壹國(ヤマト国)と読む壱ではなく台ではない。徳島県が正解だろう。天照が卑弥呼だよ。
草書で読むとヤマダ国の可能性があるそうです。嘉麻市(山田市)のあたり。
@@ToshiF さん 倭人伝の方角、里程記事と合致しませんが?
愛媛今治市朝倉にも斉明天皇ゆかりの須賀神社がありますよ。
天照国照 ニギハヤヒ ノミコトであり アマテラス の可能性が あったのは 男とおもわらたニギハヤヒ 卑弥呼は 祭祀だろ
天照は尊称ね。
ハイハイ!確かに、そこにあったんでしょうよ。古代史研究家、福永晋三説によると卑弥呼は半島からの降臨族で、その一族は神功により滅ぼされたとある。勿論、神功も半島からの降臨族でしょ。当時は新羅系、百済系、高句麗系、その他と入り乱れてましたからでは?で、縄文人にはどこであろうが全く関係ないわナ。恐らくは特定されては困る連中が焚書坑儒したのでしょ。
おおなむち神社しんぐう皇后は、じんぐう皇后の間違いでは、無いでしょうか?
へ
ユーチューブ、ユーチューブ、アユーチューブ、鮎チューブ、鮎中部。
邪馬台国は神武が東征大和を平定したずっと後の事だから、一地方豪族の話に過ぎない。大和朝廷と結び付けて考える必要はないと思う。中国人の子孫なので中央に知らせず勝手に朝貢したのだろうと考える。
僕も甘木朝倉は、ヒミコやトヨの出身地であると考えています。あくまでも出身地という意味ですが・・・
邪馬台国の国境に至るルートの再検証 陳寿による壱岐から末蘆国までは南進で正しい。末蘆国より東南で伊都国に至るだが肝心な事は伊都国で金印が出土した事実。邪馬台国論争の中で唯一絶対的な証拠を近畿説論者は邪馬台国論争から無視し逃げる様だが根拠を否定する考古学 歴史学は100%無意味で価値も無く瓦解する。 金印出土に付いての考査に於いても貰う筈の卑弥呼に届かず伊都国で保管し発見された大きな理由が有った筈。伊都国は一大卒を置く重要な役所で有る事から卑弥呼身辺に重大な事件が発生した為に渡せず保管したとは考えられないだろうか。 次に伊都国より東南だが奴国に着くは大まかに正解と解釈。江戸時代から邪馬台国論争が決着しない一つの大問題の争点はこの後だ。 「東」へ百里で不弥国に到達と魏志記述に残す。怪しいのは博多湾から東方向は北九州―四国―出雲方面に向かい推測がより難しく成る。古代中国の天文観測では南指と言う言葉が有る様に聞くが星座による航海術を熟知した集団にすると東南の間違いは考え難いのだが実際には福岡市から内陸に入り南下し百里で不弥国( 宇美町)に到達に成る。 この宇美の由来は神功皇后が応神天皇を御生みに成られた場所なので宇美と付けられた宇美神社でそのご本尊は大分の宇佐神社に祭られている。 話は反れたが邪馬台国九州説も畿内説でも不弥国に海は無く無駄な内陸行で有り魏志倭人条記述は伝聞の空想で百%破綻すると思ったのだがなぜ関係の無い様な不弥国に行くのかの疑問を解く鍵が有った。この宇美から近い宝満山に上宮と中宮社が有りここで空海.最澄らが航海の安全祈願を行った歴史を持つと言う。古代から深い歴史を有すればこそ中国の使者らも参拝をしたと言う事はこの土地周辺に卑弥呼に関係する居城でも有ったのではとロマンを広げたく成るのですが読者の皆さんは如何でしょう。 記述が書写で有る以上書き落とし読み違いは起こり得る。問題の解決はこの不弥国へ(東)を南へ百里と訂正すれば次の南進して投馬国さらに南進すば邪馬台国国境に到着する。勿論投馬国からは距離数が日数に変る上水行20日などは狗邪韓国からの日数ではないか疑問は残るが穀倉地帯の久留米市を南下し現在の熊本との県境八女市に着く。更に南下し当時の投馬国で有ろう山鹿市周辺に当たりその下に古代から強力な豪族菊池氏が栄えた菊池市からが女王国に逆らう狗奴国になり実り豊かな筑後平野 佐賀平野 筑紫平野を含めた穀倉地帯での地域権力抗争が倭人伝に言う「倭の大乱」と残す理由だろう。 又この八女市こそが神社の巫女の発祥と言われる程の歴史の深さに卑弥呼に関わるロマンを感じるがこんなに狭い地域に古墳が数百個も発掘されたと言うのは驚きで山鹿市に於いては君が代の原点とされるさざれ石の不動岩がその威容を古代から誇っているも圧巻だ。 話を戻し王女国の九州説の根拠として倭人伝ではその南に狗奴国有り女王に属せずと書くこれが畿内説ならその南に邪馬台諸国に対し武器を持ち戦争を仕掛ける強力な狗奴国の存在の確証が求められ武器らの出土も根拠になろう。 また邪馬台国の以北に30ケ国とし最後に再度奴国が女王の境界との意味はこの投馬国で南に狗奴国が隣接する地理的条件での邪馬台国名は対馬国より南下した30カ国を代表した国名と解釈すれば無理が無いのではと思われる。現在の47都道府県代表名の日本国と同義的に理解すれば邪馬台国論争は決着し残すはこの穀倉地帯の何処かに有る卑弥呼の居城と墓地の調査に成る。なお無理に畿内説を取るならば以北は京都―琵琶湖方面になり境界の奴国は無い事をどの様に説明されるのか。門外漢の推理ですがご意見を期待したいと思います。
魏志倭人伝に出てくる福岡県の地名から単純に推理してみて、やはり北部九州でしょうか⁉️
4:45~ >まてらさんと言う一見奇妙な名前の山があります >麻氏良山(まてらさん)⇒まてらす⇒あまてらす >もうおわかりですね(ドヤッ) 思わず笑っちゃいましたwww ちょっとむりくりすぎでしょ
t m ろ
登りました。筑前六端城の一つ。
わかりません‼️
この朝倉ヒノミコ神社(卑弥呼ではない 日御子) 本来はイサナキ タカヒト様のお宮です 日御子とは天皇の事であり 日御子とは 神代8代天皇 アマカミ ワカヒト様の事です 1月1日元旦日の出とともにお生まれになった 2重の祝いを 日御子(ヒノミコ)のお喜びを表したお名前です 卑弥呼の字を当てたのは 後の人の思惑です 頭を女とした渡来人の夜盗がここに住み着いた結果です
もう朝倉周辺は有名なとこや名産あるんだし卑弥呼伝説まで欲張らなくても・・・。福岡の女子はお小遣いやりくりして、小石原焼き買ったり、買い物では果物や野菜買って頑張ってる。あーでもこの説は凄く面白い。邪馬台国お引越し説で痛み分けでこの論争は終わりにしてもいいんじゃない?でも卑弥呼祭りはかわいらしかと評判はいい。
朝倉市ですよね。豪雨災害の場所では?皆さん大丈夫ですか。