Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
「正しいことを自分で決めて行動する」これが変わっていって「人間には自分の人生を切り拓く力がある。それをしないやつらは敗者だ」とでも言わんばかりの空気をひしひしと感じる今日この頃。つまるところ、信仰の対象が神から人間の力に変わっただけなのではないかとぼんやり想像する。
確かに。全体の一握りの成功者を基準に「人間の可能性」を信仰してるから、「人間頑張れば何でもできる!」みたいな努力至上主義とか「不幸なのは頑張らない奴が悪い」って断定する歪んだ自己責任論が蔓延してるよねぇ
前世の業やら魔女狩りやら一見廃れてもどのようにも信仰と邪道を生み出されるのだなと
ぼんやり、ではなく事実だぞニーチェは「神は死んだ」と言ったが、これに続くのは「次は物質(人)の時代だ」だからな
最初は苦しんで苦しんで答えを出した賢い人がそう言ったんだよ。でもそれが真理のように思える話であったがゆえに、普通の人ひいては賢いとは言えない人にまで広まった。賢い人は他人を見下さなくてもうまく生きていけるだけの要領があったけど、それ以外の人はそうではなかった。誰かが下にいないと安心できない人にまで広まってしまったから、オワコンになった。
日本は国民全体で生存者バイアスが蔓延してるからね…
「努力」すらも一つの神であることに注意しなければならないね。一見正しく見えるけど、それに裏切られることも多くある。この時に、正しいけど今回はうまくいかなかった、ならいいけど、諦めるに至ると同じだよねと
努力が必ず報われるように感じるのは、努力の量・密・度時間に上限が指定されていないから
@@oboro307しかし実際には上限があるから努力にすがればいずれ裏切られる
太陽の光浴びてる間はポジティブになるけど夜中とかはすごい鬱っぽくなってしまうからもう太陽を崇めることにした
狂い火信仰します?手伝いますよ
太陽神ラー、天照大神…全然アリだと思います☀
太陽が消滅したら8分19秒でニヒリズムになるだろう
これが太陽神の宗教のはじまりであることを我々はまだ知らなかった
宗教始まってて草
「こういう人いるいるー」って気持ちで見てたけど、最終的に「自分だわ。。。」となって頭抱えました。今回の動画もたのしかったです。
ニヒリズムとか見てると、動物こそが人間が目指すべき超人じゃないかって思えてくる
猫を崇めよw😸
超人はニヒリズムを通過しても、なお自らの生きる意志を持ち続けられる存在なので、、ニヒリズムを認識していない人とできない全ての動物は超人になりえないと思います
@@havefunmusic1139いや、そもそも動物はニヒリズムに陥ること(指針や指標をうしなうこと)がない。逆に言えば自分という指針しか持たないよね。動物が理性を持つかどうかは置いておいて人間はその理性に苦しめられていない??俺から言わせれば理性がニヒリズムの根源そのもの。元々理性がない動物こそ超人そのもの
鈴木大拙っていう仏教学者が言ってた考えにちょっと似てる人間はしきりに理屈を働かせて分別してしまうが、それを辞める術を身につけることで悟りを得て安らかになれる、そしてその方法が禅宗の修行である的な(うろ覚え許せ)
友人が軽度のこれに陥っていて、克服しようとしてます。私には理解できない思考だったのでとても参考になりました。自分の意見を押し付けず上手く支えていけたらいいなと思います。
10歳位からニヒリズムに陥ってしまい、絶対的な指標をずっと欲しがっていました。最近は「ただあるだけ」という考え方をし始めました。「生きることも死ぬことも世の中の物事は状態としてただ存在するだけでそこに意味を求めなくていい」と考えるようになって少し楽になりました。色々な情報から影響を受けてるのでこの考え方の元ネタが何かはわかりません。
私も同意見です。また、意味は見出すものと考えています。自分が納得できれば、こじつけだって全然良いと。
意味を求めず、ただあるだけの人生なのに、それにしては人生ってしんどすぎませんか?私も割り切りたい...。
仏教的だな(´•⌔•`)ありのままに見る事を理想としてソコに意味とか感情を求めると認知が歪むからその認知の歪みを取り去る訓練をしようぜっていう
方法論でいくなら、ボランティアなり、バザーなりに参加してみるってのは手や。人間って不思議なもんで辛いときに、誰かの為になにかすると気が楽になったりするもんらしいで。「自分はこの人の役にたってる、施してやってる。」って感覚が肝なそうな。
@@ペン盾 ボランティアに近いかもしれんが、過疎ってる配信者の切り抜き動画を作ってる。確かに心理的に楽になる。でも、この行為が本当に良いものなのかどうか、独りよがりでないだろうかと考えてしまう...。
人間の決定を避けたがる性質を考えると、人を自分の思い通りにしがる人がいると言うのは不思議な話ですよね。決定をする回数が増えると言うのに。これも他人に介入して、自分の人生から目を逸らすという一種のニヒリズムなのかもしれませんね。
宇宙の規模を考えると人間一人なんてゴミも同然っていうのと、思考はただの電気信号のパターンに過ぎないっていう認識を確立してから、逆に人生楽しく過ごせるようになった何しようとこの世界に影響なんてほほない、何考えようとそれは脳の演算結果に過ぎない!好きに生きてしまえ!って
ネットでの情報飽和もニヒリズムを加速させてる気がする
それはあるかもしれないですね。いろんな反対意見も多いし、特定の思想に偏りやすいし・・・Twitterの論争とか見てるとそうなる気持ちはとてもよく・・・
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる匿名性が人の狂暴性を露にし、罪悪感を薄れさせる
超人思想って一見難しく見えますが、仏陀の悟りとかエピクテトスやアドラーの課題の分離を踏まえれば、案外理解しやすい部類ですよね。私の場合は「ツァラトストラはかく語りき」を読んで”喉奥を蛇にかまれるプレイ”が最高に性癖に刺さったせいで変態になりましたけどね。
しばらく絶望感に苛まれて起き上がることすらできない日々が続いてたんだけど、最近はニヒリズムが一周回って「絶望感や苦痛にすら意味がない」と気づいてから良いことも悪いことも同様に(客観的かつ実存というスケールにおいては)意味がなく、この世界の中で確かなことは自分の存在と思考それ自体しかない、と考えるようになった。それでも、喜びを覚える瞬間は間違いなくあって、それもまた無意味だけど価値はあるのだと思う。自分は意味と価値を区別していて、価値を大切に日々暮らしていくことこそが、ニヒリズム的な善い生き方なのではないかと思ってる。だからこのスタンスで生きていく上で目指すべき在り方は、平穏をベースにワクワクする方へ進んでいくことただそれだけ。そしていつか風に吹かれて飛ばされる落ち葉のように亡くなる。常にどこか遠い所を視界の端に捉えながらも目の前の素敵なものに寄り添い続ける在り方。ニヒリズムを抱えている皆さん、皆さんの生き方の指針を知りたいです。
私も似たような経路を辿ったのですが、私の楽観的虚無主義は2日で消え失せてしまいました…
この世は無意味。だからこそどんな人生を生きても公共の福祉に反していなければ何とかなるよねって思って生きてます。人に挨拶できるだけでしあわせって思えるタイプの人間だからこそ、楽観的な虚無主義に浸れるのかなとも思います。また私は虚無主義に浸りながらも高い目標に向かって毎日勉強しています。しかし目標を達成することを目標にしているというわけでもないので、寄り道だとか道がそれたっていいと思っています。
釈迦、ショーペンハウエル、ニーチェ、ドゥルーズ/ガタリ、デリダあたりから摂取した身だけど、大体似ている。俺は死への恐怖から入ったから、ニヒリズムとはちょっと違う。「俺が死ぬ際、臨む態度として相応しいのはどういったものか」から逆算して思考し始めた。結論として「所詮俺は親のセッ〇スの副産物である」というニヒリズム的な解を得たが、それはむしろ直接的に俺に勇気を与えた。意味がないのなら、どうでもよい。つまり、何をしても良い。でも社会性動物として生を全うするなら、人様に迷惑かけてまで自由を発揮するべきか?(ここは多分に儒教的だと思う。小中と受けてきた道徳的教育が大きい)という思考に日々悩まされている。何故なら俺の思考とは裏腹に人も国家も、俺に迷惑をかけてきやがるからだ。だったら俺も…と思うが、そこで原点に立ち返る。死に臨む際、「いい人生だった」と思える態度か?と。これは今もループしている。
超人という目標自体がいずれ裏切られる新たな依存先になり得るということかぁ。皮肉。
結局これを解決したのは死ぬほどの渇きだったなぁ。自分の本能に一旦身を任せて退屈に身を陥らせる。何かがしたくなって習慣を始めて、筋トレと散歩が続くようになって漸く考えられる。精神的に不調な時期に考えることじゃなかったな。
素晴らしい
@@dddddddddddsasa 一番のコツは、「自分が全く負担に思わないレベルを毎日同じ時間に保ち続けること」だね。例えば筋トレだったら腕立て一回、腹筋一回、家の周りを軽く散歩することから始める。人間いきなりは変わらないものだ。でも続けていけば段々慣性が乗ってそれをやらないことが逆に気持ち悪くなってくる。 決して無理せず、瞬きをするのと同じくらいの負荷から始めるのが大事だね。
渇きを感じると筋トレと散歩するの俺だけじゃなくてちょっと嬉しい
一ヶ月じゃなくて4日を目標にしたらいいよ、三日坊主も4日経てば釈迦って、いうでしょ?@@dddddddddddsasa
「いいことを教えてやろうか、ユリアン」「何です?」「この世で一番、強い台詞さ。どんな正論も雄弁も、この一言にはかなわない」「無料で教えていただけるんでしたら」「うん、それもいい台詞だな。だが、こいつにはかなわない。つまりな、それがどうした、というんだ」
ニヒリズムは学習性無力感とも言えるかな?何度も失敗を繰り返したことで、どうせ失敗する、やっても無駄って考えてしまってなにもしなくなってしまう。
失敗しても成功しても無駄だと感じるのがニヒリズムなんじゃない?
「ニヒリズムを克服できた人」を指して『超人』と呼ぶのも納得の内容でした。こりゃ並大抵の人間にはできねぇ…(頭痛)
ニーチェ自身も後年、「生の彼岸を体験しないと俺の言ってることなんざ理解できねぇよm9(^Д^)プギャー」(表現がひどく誇張されています)みたいなことを書き記してたみたいです。
まあ難易度ルナティックなところありますよね。クリアしたとしても、「クリアしたと思っていたのか?」って裏ボス出てきますし(自分がラスボスパターン
「ニヒリズムを克服」でふと思いだしたのですが、amazarashiというバンドのテーマは確か「アンチニヒリズム」だった覚えがあります。影響を受けたという太宰治や宮沢賢治のような文章の歌詞でニヒリズム的な歌を歌い、歌のラストでそのニヒリズムそのものを否定する、という構図を取るのがとても印象的だったのを覚えています。「ジュブナイル」という曲がその特徴をかなり含んでいると思いますので、興味が湧いた方は聞いてみると良いかもしれません。文豪気質なので、ロックバンドというよりは、口ずさめる文学と言った感じですが、はまる人はハマるかもしれません。
@@watchingyoubigbrother9765 amazarashi良いっすよねぇ、あれは弾き語り?と言うんでしょうか?詳しくは知りませんが、あの雰囲気大好物です。自分の中で宮沢賢治といえば昔は銀河鉄道の夜とかでしたが、今は春と修羅です、あれ大好きです。
支配する側の人間からすれば、むしろ人のせいにしない人間のほうが御しやすいんですよね。支配側が負うべき責任や、環境面などの外的要因に不満を言わず人のせいにしちゃイカン、自分が成長すればいいんだって(無理にでも)自分を鍛え適応する、という方向で対応してくれるので。会社では……早いとこでは幼少期から、そういうメンタリティ叩き込まれた人も少なくないのでは?
「人生に意味はない」っていうのは、「こんなに辛い人生に意味はない」っていうのを省略して言ったものだと思います。そもそも楽しさが辛さを上回っていたら哲学にハマったりしないでしょうから。
哲学楽しいのに・・
まじで分かる
それはどうなんですかね、いかに楽しかろうと死ねば終わり生きて築いた価値はいつかは消えるこういうのは今幸せでもニヒリズムに至る原因になると思います
ニヒリズムからの追及する考えを持って映画やゲームの映像作品を観てても、同じような感覚で話せる人間が他に居ないからつまんない()みーーんな「よくある普通の価値観」で楽しんでるからそこの輪に入ることも許されん。
幸せでも哲学にハマってる俺は一体
ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んだことがあるのですが、当時の自分にとってはとても難解でした。この動画でニーチェの哲学について分かり易く解説されていて、大変参考になりました。また、自分の考えていることがうまく言語化できなかったのですが、その点も、うまく言語化されていて、感服しました!ありがとうございます!
ニーチェのツァラトゥストラは、私的には叱咤激励の書だと感じています。ニヒリズムのような毒のあること、現実世界の中の真実をしっかり言っていますが、(彼は現実存在主義者だったわけだし)しかしながら薬になることも言ってくれている。むしろ現実存在主義者である彼が言ってくれるのだから、絶望に絶望を重ね究極の絶望にたどり着いた人達、神などの存在しないもの(形而上学的存在)にすがることも出来なくなった人達にとっては、実際聖典のような書になると思います。(これより下、余談なので注意)自分はニーチェのツァラトゥストラも好きですが、ショーペンハウエルの幸福についてやウィトゲンシュタインの論考も同じくらい好きです、特にウィトゲンシュタインの論考にある、「幸福に生きよ!」が大好物です(笑)。ツァラ(以下略)を読んだことがあって、こっちを読んだことが無ければ是非読んでほしいです。
@@癒忌八百羽 様 ありがとうございます。時間のある時に読んでみようかと思います。
「自分のせいじゃない」って弱者にとってはめちゃめちゃ助かる思考ですよね、SNSでその思考の拠り所が簡単に見つかるようになりましたし
俺は悪くねぇ!!!!!!!!
@@らんらん-b5h いいや全て君が悪いね!
@@らんらん-b5h 師匠(せんせい)のせいでしたもんねw
その逆は、弱者に自己責任論叩きつけて、社会的・環境的要因への考察や対処を放棄するスタンスかな。昨今では薬物中毒なんかも、自己責任の問題では片付けられないって論調も出てきているし
だけど恐れている限り弱者は弱者のままだと思う。
高い理想を抱いて自滅しがちな気がする。ネットで桃源郷みたいな理想の生活をまざまざと見せつけられて、自分に不相応な理想を目指した結果「現実」を知って絶望するんだよね。
でも人生が暇つぶしなら楽しまなきゃ損だよね今はそう思う
それお前の世界にいらねえだろ。それお前に不要だろ。ってもうひとりの自分に言われてハッとした。小さい時の「買ってもどうせ食べないでしょ!」って言葉とおり欲しいだけで別に必要なわけでもなりたいわけでもなかったことに気がついた。
@@コクヨかパイロットか 意味がないってコト?
ニヒリズムの克服のためにニーチェの生き方への姿勢を読み進めるのも、結局は他人の思想に縋っていて、それを正しいと思い込むことに繋がる。この世界で何が正しくて何が間違っているのかなんて分からない。結局は誰かの思想を鵜呑みにしたり、正しいと信じ込んでいるだけかもしれない。自分らしさや正しいと思えることを見つけるのって難しい。
ネット以上に分かりにくいフィルターバブルを作り出す自身の傾向と導かれる環境。いつの間にか嵌まりこむもので、文化そのものからショックを与える人間との接触でもないとその存在にすら気付けない。
自分の考え方とかって、結局色んな情報をまとめたものだよね
それなんですよねー・・・。本当の自分なんてホントにあるのかとかいう哲学難問に片足突っ込む話ですが、デカルトェ…。
情報のまとめ方は「個性」であり「自分」だと思うけどね
@@しすてま そのまとめ方とかも情報といえば情報ではない?でも自分が学習する情報ってめちゃくちゃ膨大だから考え方とか結論の出し方とか、人と完全に被ることは絶対ないのでそれを個性と呼ぶなら個性だと思う。
@@popo-fw2ko逆に「情報ではない」っていうのは何を指すの?学習って基本、(自他問わず)持ってる情報の継承だと思うけどその中で情報じゃないとなると、論理性のない本能的な反射とかになるように感じる
@@しすてま ごめん、、“情報ではない?”ってのは“情報じゃない?”ってことで、“そのまとめ方とかも情報といえば情報と言えるのでは?”という事が言いたかったんだよね。。日本語の伝え方の問題だね。喋り口調で文を書いてしまったわ。
ニーチェ「うだうだ言わず、自分で決定しろ。それから…」ニヒリズムワイ「天才哲学者様が…ッそれができれば苦労はしねェ‼︎!」
洗脳が解けて、目が醒めて、何にも囚われずに済み、やっと手に入れた自己決定権好きに生きて好きに死んで良いって事なのに、なぜのその素晴らしさが解らないんだろう。新しい洗脳を欲しているのが謎過ぎる。
@@shoujimiyagi6461 そのように断言する君は、果たして本当に自分の意思で全てを自由に決定できていると思っているのか?否、この世で、何かに洗脳されていない人間というのは存在しない。人間は誰しも、何かに洗脳されている。
@@トシカ-f6nだからその洗脳先を自分で選んでいいって言ってんのに、なんで誰かに決めてもらいたがるんだって話だろう
煮詰まって発狂した人には言われたくなさすぎる格言
@@I-am-a-tired-fairyいやその「洗脳先を決める」段階でもある意味既に洗脳されているのと同じ環境要因と遺伝要因とが影響して意思が形成され、その意思から行動が生まれてそこから環境要因が生まれ…とループするから。何かの話で聞いたけど、とある部族の人に「あなたの夢は何ですか?」と聞いたら「狩りの達人」になりたいと言って、富豪になる事には興味を示さなかったそうな。
昼飯食ってるときに思ったのは、「本当の自分」ほど役立たずはいないなってこと
ご飯食べながらすごいこと思ってますね・・・
ニヒリズムの問題点が自他に絶対の正解を求めることにあるのならば、とりあえずその時点で出た正解に「〜じゃない?知らんけど。」と付け足しておけば思考の猶予・アソビができて、人が勝手にでっち上げた絶対視に依存したり絶望することは無くなるんじゃない?知らんけど。
貧しい人を助けたくて役所の生活保護科で働き始めたけど、させられる仕事は生活保護に適わない人を選別する事…って話はリアルで聞いた事ある
生活保護を受けさせない仕事ですものねえ・・・本当に求めてる人に届かないって言うのは被災でも戦争でもよく聞きますね。
親とか宗教とかそういうもんの前の、もっと原初的な拠り所が「本能」なのかもしれない寝たいから寝る、食べたいから食べる人間社会では欲望のまま生きることができなくなったから代わりの指針を求めてるのかも
生きていくのは結局つらいことの連続なんだから、せめて今生きている瞬間は楽に生きましょうという大雑把に纏めてしまったけれどこれが仏教の大本で、般若心経とかもニヒリズムみたいなところがありますよね。最近は自分自身の存在を含めて全てが無価値なことに逆に救われる感じもあります。意味のある人生、有意義のある生き方、そんな風に羨ましがられなくても生きていけるのだからと
仏教の本質は逆だけどなこの世界はクソで無意味だからもう諦めて次に期待しましょうね〜、だから。ニーチェも「東洋思想は諦観だからダメ」って言ってる
自分の中で黒歴史、辛かった思い出だった中学時代の自分の状態が言語化されたというか、名前がついたような気がします。この動画を投稿していただきありがとうございます。過去の自分にも勧めてあげたいです。
自分が生きやすい塩梅を見つけるのが大事だよな。あと、依存もニヒリズムも客観的に分かった上でうまく使えると良いけど、完全コントロールなんて無理だから、30%なのか60%なのか長いスパンで見て許容内に収まってたら合格だと思ってる。
災害や政治的に自分が関われない問題はその発生や影響自体はコントロールできないけど、自分がどう反応するかはコントロールできるからね。ようは避けられないことを運が悪かったと運命を呪うか、その場に居合わせることになった要因を呪うか、自分が巻き込まれたことをそのまま受け入れ対処するかで違ってくる。こうこうこういう行動をすれば回避できるとか、それが起きたからじゃあ次はどうするかを考えられれば、仮に自分が何かに巻き込まれても、自分の判断と行動を自分の責任で持って行動でき、今すべきことをその場で判断するってことなんだと思う。だから自分は%って話ではなく、常に自分の事は自分でコントロールできるっていう気づきだと思ってますね。
無気力や決断を下せないってのは鬱から来るものだと思ってたけどこっちかもしれないなぁ…ご飯のメニューも好きに決められなくて辛いけど 感性に従えばある程度はどうにかなったり…ならないんですけどね
動画を早く見に行くより、ちょっと待ってから動画を見た方がコメ欄とか参考になるしおもろいな
物によっては1000超えのコメント来るからね
みんなすごく考えてコメントしてくださるので私も見てて超楽しいです。返すのは死にそうになりますが(苦ではないんですけど時間的にね)
結局は受動的ニヒリズムも正しいと思うならばそれが正解なのかもしれないですね。全てに絶望して腐っていくのも1つの選択。それぞれのニヒリズムが受動的か能動的かは人生に対する開き直りがネガティブかポジティブかの違いだと思います。「どうせ無価値だ。何もしなくていい」なのか、「どうせ無価値だ、だからこそ好き勝手に生きてみよう」なのか。
むっちゃ参考になったけどニヒリズムの状況のまま動いてるヤツがほんと羨ましい。鬼滅の童磨とか
あれは産まれた時から自分がそういう生き物だと確信していたからでしょうね。大抵の人は生育環境なんかの後天的理由でそういう思考傾向になるから、ああいう風に飄々とは生きられないと思います。
あの状態はだいぶきついで
そういえば童磨そんな感じでしたね・・・サイコパス要素強すぎてその発想がなかった。
自己決定や自由意志があるのか無いのかって話に落ち着くんですかね。それと幸福の定義。主の言う軽いニヒリズムってのは物凄く蔓延してて、仕事において自分で責任は取りたく無いから発言も決定もしないって人がほとんどだなと思います。陰謀論とかもニヒリズムから脱却した気になってる人が落ちいるんですね。面白かったです。
ニーチェは、自由なんてものはないし、あったとしてもそれを意志することなんて人間にはできないっていうのがスタートじゃないかと。ただ、自由は存在するし、それを選択できる能力を人間が持っていると信じる(錯覚する)ことは否定できないよね、知らんけどってとこかと。
自由意志や確たる自我があるものは神聖で価値があり、そうでないものには価値がないとする宗教に過ぎない。
この動画を見て超人を目指した場合、ほんとに超人を目指してるのか、それとも安易に飛びついて依存となるのか。人に影響されない思考は無いと思うので、依存/自己決断を切り分ける判断が難しいなと感じますね〜
今まさにこれ、絶対的で万能だと思い込んでた自分に裏切られたどうしよっかなぁこれから
ちょうど自分が今こうなってるかもってタイミングでオススメに表示されて視聴しました。そしてコメント打つ前にコメント欄で「みんなはどんなこと書いてるのかな?」なんて思ってチラ見し始めたあたり、自分なりの指標を持てていないんだなぁと改めて自覚できました。
動画のサムネに飛びついて開いて「私はね、私はね、こう思うんだよ!!」ってバーッって書いてそれから動画観たり他のコメント読んだりして修正してる
ニヒリズムの「何かにすがる」考え方は人間の本能に埋め込まれているものだったりするんだろうなぁ
自分から見て動いていないように見えるのは自分だけ、だからこそ人は信じたい物事を喜んで信じる。
自分は側から見たらキャリア重視の活動的な人生に見えそうな生き方をしてるんだけど、ある時自分の信じてたもの(自分は優秀である、一直線の競争を追えば良い等)が崩れて以来、心の底では将来どうなっても良いと思って生きてる面があって、それが芯のなさみたいな物に繋がってるなぁと気付かされた。
わかる、惰性というか慣性でそうなってるだけで別に意志じゃないんだよなあ
自分や他人がどういう人間なのか、過去に体験したことや目の前で起こった事、良いモノでも悪いモノでもそういうものだと受け入れる、そうした上で自分なりに作り上げた基準に沿って最良の道を選ぶ事。 解説を見て能動的ニヒリズムはこういう事じゃないかと思いました。(結論を言い換えただけとも言う)
そんな感じだと思いますが、まあ私もしっかり読み込めてるか怪しい部分もあるんですよねー。もう一度丁寧に読む必要性は感じてます
「迷う」ことの素晴らしさ 石田衣良高校の現代文の教科書に載っているエッセイです。このエッセイの中に私のニヒリズムを緩和する突破口がありました。現代は検索エンジンの発達や社会システムと社会通念の成熟により「無駄のない答え」が一瞬で正確に手軽に手に入ります。このあまりにもスーピーディーに得られる正解は現代人の「迷う」力を損なわせています。現代人は「迷う」ことの楽しさと素晴らしさを知らない人が多いですし、知る機会が少ないし、失敗を「迷う」ことで得られてないので失敗を過剰に恐れる。あなたに言いたいことは「迷う」ことを楽しめ!です。教科書に載っているような短いエッセイで、人には言いづらいことの共感を得られ、迷うこと肯定する考え方で人生楽しめるよ〜ということが書かれてます。このエッセイ中で書かれている仕事と結婚の話はギクっとなるに違いない!人生寄り道獣道大いに結構、楽しい人生に正解はない!オススメです。まとまりのない文章で、すまない!
当初の目的を果たそうと頑張れば頑張るほど、どんどんと沼にはまっていくの面白いですね()
初めて見ましたが、めっちゃ面白かったです!動画内で紹介されていたやつ以外に参考文献があれば知りたいです
超人というのは上手い言い回しだよな。人の延長線上にある存在だけど、人のままだと絶対に辿り着けない境地だと思う
人を超えるからこその、ですもんね。ある意味それを神と呼ぶのかもしれない。
ニヒリズムで起こる虚無感さえも意味はないし虚無感自体も虚無だよなって思ったら虚無感が問題に成らなくなってニヒリズム克服したった
あなたは目を閉じ、再び開いた。ただそれだけのこと。
一周回ったな…
無は無でしかないのか
「自分にとって正しいことをする」って、義務感からの行動に陥りやすいと思う。○○するべきだ!って常に思いながら行動してたら、夏目漱石の「こころ」で「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言ったKみたく他人に厳しくなって、自分が決めた指針から自分が外れてしまった瞬間に自分のことも許せなくなって自己矛盾に苦しんでいくだから、「こうしなきゃ」よりも「こうしたい」から行動する方がニヒリズムから脱却できるのではないかと思う全てが無意味に思えてもやりたいって思えたことはやれる気がするしそういう部分が自分のコアの部分なのかなーと思う生きていく中で自分の考え方はどんどん変わっていくし新しい発見も沢山あるし常に自分の中で同じ信念を持って生きねばならないわけじゃ決してない宮沢賢治の「永遠の未完成 これ完成である」という言葉がまさにそれを言ってると思う
それな万物を人間にとって意味づけるのは結局感情のみ。
まさかfateの話が出てくるとは!笑fate(正義、功利的価値観)や空の境界(起源について)などの型月作品は結構哲学的人生観的などの考えをナラティブとして与えてくれるから、話の例として出しやすいし良い学びとなるからオススメ
Fate Zeroとか衝撃だったなあ・・・空の境界は見てないので見てみていところ。評判もいいですよねー。
アーチャーって誰だっけ?ランサーが可哀想だった
@@左塚端久遠 Zeroの話ならアーチャーはギルガメッシュ集団的無意識を世界の仕組みとして取り組んだらどうなるか→抑止力って言うのをどこかで見て、面白いと思ったわ
ちょうど自分の生きる価値や意味に悩んでいたところでした。きっと今後も悩み続けると思いますが一つの指針になりました。学びになる動画をありがとうございます
過信と鵜呑みは禁物!って考えてここ2年くらい生きてたら、ニヒリズムに陥った気がする。自分の考えにも過信しないようにし始めると、自分に常に裏切られている感じがするからよくないのかなあ。
サム8やシャア、東方不敗は能動的ニヒリストだったのか!すみません、有意義な動画をありがとうございます。能動的ニヒリストの飛躍的な話を聞いて、上のアニメや、映画ジョーカー、無敵の人や、ホームグロウンテロリストを思い出しました(サム8はセリフだけですが。)。多様性の時代、悪く言えば全ては相対的な中で、ニヒリズムになる人が増えているのかと勝手に思うところです。
こういう面で生まれた時から使命のある富裕層や貴族は強い
確かにそうだな…。でも逆に、恵まれた環境に生まれて「お前の好きな道を行きなさい」とも言われてるのに、なんか無気力だし何も自分がやりたいことがなくて、恵まれてるのに何やってるんだって自分を責めて苦しんでしまうということもある。難しいね…
@@コハギ どう足掻いても代わりのいる存在にしかなれない貧民よりも幸福なのは確かだけどな
燃え尽き症候群を患って、結果行き着いた価値観、考え方がとても普通じゃないからこれは何だろうと思ったら、ニヒリズムだったのか……克服したい。
働いてお金を稼いでも税金や生きていくための消耗品やご飯で消えていくし、なんだったら最期は絶対死ぬから、生きていくことそのものに虚無を2,3ヶ月くらい感じてますですがこの動画を見て、ニヒリズムの克服って難しいことなんだとわかって少しほっとしました。お金とか豊かな生活とか、肩書きとか追うんじゃなくてやっててワクワクすることを探したいと思います
ショーペンハウエルの思想にも、人を無苦痛の状態にしてくれるのは芸術とか音楽だから、それに浸ろうぜ?みたいなのがありますね。ニーチェやワーグナーはこの思想に大変感動したようです。
自分で決めようが他人に委ねようが、どちらにせよ生まれ持った遺伝子と経験によって答えが出るのでるのだから、特に考える必要はない。それが自分にとっての絶対的な指針であり、それもまた、自分の遺伝子と経験によって導かれた答えである。要はなるようにしかならないということですね。
「生まれてこない方が相対的に幸せだったのではないか」と思ってる生きている意味がわからなくて、「生きている事に意味なんてない」って言われて、なんで意味もなく苦しまなければいけないの?って
意味はないかも知れんが、意義はあるんじゃね?
個人的にはその苦しみにさえ(客観的には)意味がないと思う
「苦しまなければいけない」わけではない偶然苦しい状況になっているだけ生きる意味も存在しない生むという行為は無責任であるだからといって生まれた私達がより良く素晴らしく生きねばならぬ責任も無い。しかも権利の実在も怪しい。生まれさせられたからには好き勝手してやるというスタンス
鬱の克服とニヒリズムの克服は少し似て居ました、自分の存在意義を自分で決定する思考力だったり、意味の無い物の存在意義を決定出来る知覚性だったり。啓蒙が身近に無い人が増えたからなのか、思慮の弱い人達が多く見えるので、本来はこういった哲学的な境地を乗り越えて人は成長してきたんじゃないかと考えています。
昨今の話で言えば「親ガチャ」なんて言葉もまさにニヒリズム的よな。貧乏な親の元にに生まれたから、虐待する親の元に生まれたから、犯罪者の子供として生を受けたから、知的障碍者として生まれたから、etc。ニーチェに言わせれば「そんなこといくら言ってもしょうがないし、別にそういうハンディキャップを持ってたとしても成功している人間は探せばそれなりにいる。結局はお前がどうするかだろ、今のお前が貧しいのは、誰かに与えてもらおうとしているお前の精神が貧しいからに他ならない。分相応ではないか。」って正論パンチをかましてくるだろうね。 ただ正論ってぶっちゃけ十中八九「そんなことは分かってるけど、それができないから辛いんじゃないか」ってものだから、はっきり言って意味ないと思うし、そういうのを得意げになって行ってる人もぶっちゃけ頭悪いと思う。あと人間って病んだ時に出てくる発想って正直ろくでもないモノが大半だから、ニーチェさんのこの論も自分はあんまあてにしてない。 極端な話、別にカルトにはまってもいいと思うよ。そんな辛いんだったら。だってその人にとっては世間は自分を助けたり守ってくれないんだから、だったらたとえ幻であっても守ってくれると思わせてくれるような組織なりに傾倒する方がまだましだと思うし。 実際、こと不安やら鬱の解決に関して言えば宗教に勝てるモノはないと思うよ。だって有史以前からその手の事に足ししてずっと向き合ってきたものだし、科学とは年季が違うよ。科学と能力主義はほぼセットだと思うけど、実際の社会は無能と呼ばれてしまうような人々や、異常者として排除されてしまうような人々と一緒に暮らしていかなきゃいけない訳だから、その点で言えば宗教の方が能力主義より現実が見えてると言えなくもない。飲酒運転をしてひき逃げを起こす人や、女性をストーカーした上に殺して、挙句放火してしまうような人間は極端にしても、平気で遅刻したり、失敗を隠そうとして余計に周りに迷惑をかけるような人間とワイ等は一緒の社会に生きていくしかないんや。そういうろくでもない人間を蔑んで、自分とは違って生きる価値の無い人間だって差別して、居ないものとして扱おうとしたって意味無いし、無理なんだから上手い事自分を慰めてあげられる考え方を見つけるしかない。そんで、そういうことが出来るのは科学じゃなくて宗教だと思うよ。
おもしろかったです。たのしければいいんじゃないかなとか、ここちよければいいんじゃないかなとかって、なかなかいい回避方法の1つだと思います。ただ、それが通用するほどに恵まれている人じゃないとその方法を使えないでしょうけど。
最近流行ってる推し活なんかも典型的なニヒリズムの特徴だよね。自分を絶対的なモノとして、自分を信仰すればいいんじゃない?
やっぱり自分自身を含めて何かを信じ過ぎるのが一番害悪だと思う。どの道を選ぼうとも、間違い、失敗、不幸は行く先に当然ある物として、それを受け入れて学び自身の糧とする事が大切だと思う人が成長するとしたらそれは釘を踏んだ時。痛みにのたうち回りながら足下に注意する事を覚える
中庸ってやつでしょうか・・・?釘は踏みたくないなあ、できればとがった石くらいで(そういう意味じゃない
マックス・ウェーバーの脱魔術化、再魔術化がわかっているとよりわかりやすいと思う。
残酷だろうがなんだろうがそれが世界なんだから、ありのままを受け入れろよ。ってことかな?救いがないこと、正解や完璧がないことを、受け入れなきゃいけないのはきついなぁ。
受け入れつつ挑めって言ってますからさらに難易度上がる気がします苦笑
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる受け入れつつ斜に構えて流す
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる理想的有権者の態度ですね。挫けない。実際多くの人にとって投票って物理的には大した負担じゃないからね。ほぼ諦めないの一点で一生行動出来れば、国は改善される。
「神にすがるな、自分で決めてそれに責任を取れ」そんなこともニーチェに言われるまでわからなくなるからキリスト教は嫌いなんだよね…
ニーチェの理想的な超人は、昨日の自分より今日の自分のほうが良質だ、を”死ぬまで”繰り返せる人って言うじゃないですか。無理だろ。
自分で定期的に、ニュースや人間関係等について考えたことを、ノートにメモするのが良いと思う。そしてそれをたまに見返す。社会にはニヒリズムの要素が要る。しかし本格的にニヒリズムに陥った人間は辛いだろう。それを避けるためには、とにかく何かについて、考え続けるしかない。さらに、「自分は考え続けている」と自覚するしかない。だからノートに自分の思考を記し、見返す。
ノートに記す、いいですねー。私はその辺をけっこう人と話すことで補ってるように思います。動画のネタとかもその辺から拝借することが多くて、あーだこーだ議論することでほどよく距離を取っている感じです。
17:11 ペルソナ3風にいうと『カラオケエンド』も有りという事やな。人によっては「知る不幸」よりも「知らない幸せ」を追い求めた方が総合的な幸福度が高いかもしれない。…尤も、みんながみんな『カラオケエンド』を選択してしまったら世界が滅ぶかもしれないけど…………ちなみにペルソナ3のコミカライズ版では、有里湊と岳羽ゆかりは『大切な人と仲良く一緒に生きていたいという願いは、現実逃避しながら都合良く人を利用するエゴイズム』だと思っているけど、それでも叶えたいから「知る不幸」を選んだ模様。
超人的な思想を考えて実践する度にメタ的に認知して考えるとこれってアドラーやニーチェの思想に従ってるだけで自分の本当の価値観なのか?と疑問に思いつつ、その一部をもらって前に進もうと言う気概はすごい納得いくから実践してる
なんで進化の過程でこの決断に対する耐性ができなかったんだろう。あと、人は決断する時、何かを信じているんだな。。。あんまり考えたことなかった。
何かを決断するってことを本気で突き詰めてくとけっこう宗教っぽくなるんですよね・・・。理屈じゃ説明できない飛躍や前提があって、しかもそれが割と万人に共通していたりして(道徳とか)、人によってはそれを内なる神とか名づけてもおかしくはなかったり。進化で決断に対する耐性・・・おもしろい着眼点ですね。決断ってある意味「いつもと違うことをする」ってことなので、生存戦略的にはホイホイとやるわけにいかない、って視点で説明はできそうですが、他にもいろいろ切り口はありそうです。
今回もとてもわかりやすく、面白く見せて頂きました。ありがとうございます。絶対的かそれに近いレベルで何かを信じようとするから、ニヒリズムのスパイラルに迷い込んでいくということでしょうか。そうだとすると絶対的なものはなく可能性の大小だけがあるという考え方が良さそうに思いますが、期待を持ち過ぎないようにする必要もありそうです。冷めた感じの人生観になりそうな上に超人にも向かっていない気がしますが。うーん。
そう言っていただけると苦労したかいがありました。今回のめっちゃしんどかった・・・!断定せず可能性で判断できるのって大事ですよね。特にリスク評価とかは難しいですが、それができるだけでだいぶ変わる気がします。でもおっしゃる通り冷めたというか、結局ニヒリズムじゃんそれ、みたいになりそうですが、それはそれ、ということで・・・
克服しようと生きることが自分にとってニヒリズム脱却の答えだと思ってます。
なんか、この思想って「自分という存在は自分ひとりで完結していること」がそもそもの前提になってる気がする。じゃなきゃ自分の外側にあるものにすがるな!みたいなこと言わないだろうし。でも人間って他者とかかわらなきゃ生きていけないし、自分という存在が何なのかを認識するためには他との比較が必要不可欠なわけで、自分という存在が自分ひとりで表しきれるとは思えないので、少なくとも生きているうちはニヒリズムの克服なんてできないし、する必要ないんじゃないかなぁ。だからこそ克服した人は超人なのかもしれないけど、それって多分そんないいもんじゃないよ。
まずは一人の人間として独立した考えを持つこと。そして他人との違いを理解して対応すること。結果は自分の選択によるものと考えること。他人と関わるときは、他人に振り回されるのではなく、自分が他人とどう付き合うか自分で決めるってところがポイントかな。自分だけで生きていくという考え方じゃないんだよ。自分は独立した存在で、それは他の何物にも犯されない。すべての行動は自分で選択できるってところがニヒリズムの脱却。だから他人と繋がりたければ、自分がそうやってこの人たちと協調していこう。この人たちと同じ体験をし、同じ経験をしてみようって自分の意志で決め、結果的に良くない事が起きたり、失敗だったとしても、あの時の判断がよくなかったかもな、と自分の行動を見直せるという事。自分の意見を持たず、周りに合わせてばかりだと、そもそも自分が何をしたいのか、どう判断して何に責任を持つのかすべてその集団やリーダーに対して求めるようになる。そうなると、この集団はあいつが悪かったから別の集団に行ったとき、今度はいい所だといいなぁって入っていって、結局そこでのトラブルが起きてもまたその集団に責任転嫁し、同じところをぐるぐる回ることになる。他人と協調するのも、自分の考えで動くのもすべて自分の選択によって決まるって考えれば、もし道を示してくれる人や物がなくなっても自分で考えて行動できるようになる。それが超人ってことだと思う。まあ自分も理解できてるか微妙だけど。
人間の身体にはたくさんの生き物がいて(細胞や細菌)、人間はそれらの集合体として生きている。自分ひとりでものを決めることはできないし、ひとりで生きてはいない。
楽しいことだけで生きていければ克服しなくても良いんですけどね・・・。とりあえず他者には無害な無気力タイプですが、ニーチェが言う3番目の人は輝いて見える。するっと1番目に誘導されずに頑張ってほしい。2番めはどうすりゃいいんだ・・・。他に染まりたいわけでもないし、かと言ってこのままでもなぁ。だから3番目は超人だよホント。何も思わずに1に浸れてる人は楽でいいなー。
ニーチェ先生がニヒリズムを克服した人を「超人」と呼んで常人と区別したのは19世紀後半の話で、それより数百年前に生きた親鸞さんは「生身の人間が生きてる間に悟りなんて開けるわけがないだろう」と言って、「超人」は「煩悩具足の凡夫」と対比される。日本人だったら、この対比はすんなりと入りやすいかもしれません。現実世界に生きる我々は生きとし生けるもの皆等しく「凡夫」であって、自らや他者の生命体の死を屁とも思わない限り「超人」にはなれない。そのようにも思います。また「凡夫」の心がなければ、思想や文学や芸術といったものは生まれないでしょう。人生を生きる我々にとっての唯一確実な未来が「いつかは必ず死ぬこと」であって、凡夫である我々はニヒリズムを克服すとことはできません。しかしニヒリズムと闘うか抵抗することはできます。その闘争や抵抗の過程で様々な価値や意味が生まれます。「創造的ニヒリズム」というのは、たぶんそういうことを含意しているのだと思います。それを見返りに関係なく実行できるのがニーチェ先生の『ツァラトゥストラ』にあった「赤子」の精神、そういうことではないかと思います。しかし、この闘争をヒトラーの『我が闘争』と混同してしまうとホロコーストにもつながりかねません。いっぽう「抵抗」と言えば、ナチス支配下のフランスにおけるレジスタンスの活動を想起することもできるでしょう。この「闘争」や「抵抗」についてさらに付言すれば、現代の日本人にとって身に覚えのある事件で言えば、1990年代の地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇少年のような危うさを孕んでいることにも留意しておかなければなりません。何やらウダウダとコメントしましたが、現代人の庶民の思考や素行に一石を投じるような動画をありがとうございました。
努力のハードルを下げて、ハードルを超えた自分を褒めて愛する。今のところそれでニヒリズムから逃避してます。
万人はニヒリズムを克服出来ないにしろ、克服する努力は必要だと思う。自ら自分の正しさを手放してしまうと自分が暴徒になったり、不幸の手紙に関与したりしても気づくことが出来なくなってしまうだろうから。
克服しない=何かに左右され続ける人生になっちゃいますもんね・・・悪意に左右されないように、そして自分に関わる何かのために、ある程度の自分は確保しておきたいものです。
ブルアカのアズサみたいな、「この世の全ては虚しく無意味だが、それは自分が前を向かない理由にはならない」の精神でやってる
ペルソナ3~5がまさにその問題に切り込んでるよね。
分かってんじゃん
虚無を元の気にするには、天然なヒト、コト、モノが必要である。それを掘り下げると、面白いとか変わっているとか潔さとかユニークとかの【垢抜けさ】が滲み出ていて、根底にあるオーラが、少年のこころや乙女心のようなものを持っている人だろう。人間が人間に向かうと、垢が蔓延る。人間が自然に向かうと、垢が解消される。
自分が崇めるのは自分の意志です
ニヒリズムは見に覚えがありまくりですが、今の私は 17:06 の霊夢の考えに割と近い。完治を目指すのでなく、上下の波がありつつもほどほどに良好な状態でいる。癌や虫歯や口唇ヘルペスなども症状を放っておけば悪化するけど、適切な行動をすれば治る(治まる)わけで、それでいい。完璧を目指すのでなく7割で十分という話もあるし「絶対にニヒリズムを克服しよう」とは思わない。
まあニヒリズムを克服するうえで重要なのは、自分に正直になることなんじゃないかなって思ってます。正しいことを自分で決定するためにまず自分が何かを決定する、っていうのはただの自己洗脳ですからね。いつかガタがきますし、自分で決めただけに引くに引けなくなるっていう状態からやばい思想が誕生しがちです。好きなら好きのままでいいし、嫌いなら嫌いのままでいいし、「好きだけどそのために配信見たりFA描いたりするのが辛くなってきた」みたいな矛盾した感情も、それはそう言うもんだって正直に受け入れることが一番楽で楽しい生き方だと思います。
ニーチェが発狂死してるあたり実際ガタがきたんじゃないかと思いますよね。しかしまず自分が正しいと思うものを決定してみるのは重要だと思うんですよね。その時にその正しさを妄信しなければいいというか、自分を自分の神にしてしまわなければいいのではないかと。
VTuberさんを見たりゆっくり解説を見たりするのも、その人にとって楽しく、そして見るのが正しいものですからねー。個人的にはその要素に加えて固執しない、軽やかさを押したい。サンクコストって言葉がありますが、ここから自由になれるとかなり人生楽になる気がします(できるとは言ってない)
自分の指針を他に持つか自分に持つかってことですね。
一言で言うとそんな感じにまとまるかもしれないですね。自分(バイアスの塊)って考えると割と絶望しますが苦笑
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 本当の自分なんてなくて、人生でだんだんと積み重なっていくものなのではないでしようか。バイアス含め自分なのですから。気づいたのなら気づいた上でどうなりたいのかを考えればいいし、考えるのに疲れたり行き詰ったりしたら学校をサボってみるとか何かしら新しいことをしてみればいいと思います。
かつて私は"自分"を信じていた。自分が何をやっても正しいと思っていた。だから自分の行動を疑うことすらなかった。しかし、そうではないと思った。あの日から私は、過去の正しかった自分に囚われている。かつて天才であり超人であった私は、まだ超人であると信じている。
うぽつです帽子なし魔理沙かわいい
メイドインアビス2期の最後、ファプタがレグの誘いを断って更に深く飛び込んでいくときの背中、あれは美しかったなあとふと思い出しました
人間の脳は一万年前からあまり変わっていないといわれていて結局のところそれは社会的動物であることその社会構造であることに原因があると思います。代表例としては赤子を持った母親の鬱症状、これは脳内物質の分泌を観れば傾向はあきらかで人間としての特質とされています、不安になり周りに頼りたくなる、自分の子孫を残すことに生物は基本的に特化していますのでこの赤子を持ってることで不安になる周りに頼りたくなるということは社会への帰属が本能であると仮定できます(支配と帰属をおそらくは勘違いしているんだろうけれど)日常生活に目を向けると価値観の総意と価値観の多様性に関して繋がるコミュニティがとにかく大きくなった現代では同じ地形同じ天気を共有するときとちがった相手への理解が必要になります、つまり理解できないこともあるのだ共有する空間が乏しいのだという理解です。価値観に頼るとなると古来のもの、とくにいなかだと東京はこわいところでもあるという「同じ国同じ言葉である前提」ですらもわけのわからん価値観へ依存することで自分たちのコミュニティを肯定するような空気がまだあります、自分たち以外、という価値です。これは“自分たち”というものに価値を大きくおいていますが多様性へ排他的です、そのことに気づけるかどうか自分をもてるかどうかだと思いますつまりは帰属に関して臆病です価値観に「正しい」を入れるとなるとややこしくなります。正しいは感じることであるため(議論をやればわかるが最後まで反論はあるものです)これを「価値観の共有」にすることは不可能だと知るのとと全く反対の意見にも理論を実感する機会に乏しいと思いますつまり社会への同化を支配とするならば帰属を実感できないんでしょう
うーん、こういうニヒリズムに陥りそうな時はねぇ、かわいい少女が気合で目の前の不幸や悪を薙ぎ払うアニメを見たりやゲームをやると、少しだけ前向きになれるんじゃないかな?意外と、人生の大事な全てのものが詰まっているのかもしれません。
プリキュアとか最高
よつばととかもいい気がします笑
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映を見てきて情緒がぐちゃぐちゃになれば一周回って前向きになるかもしれん。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 考えすぎてニヒリズムに染まるぐらいなら、敢えて考えず心から笑えるものを見たほうが逆に頭によさそうですね。「考えるな、感じるんだ」
何も意味なんてないんだから痛みや悲しみさえ自分で勝手に意味を決めてしまえばいい
この話だけではないけど、悪いもの(と自分達が思い込んでいる)を克服しようとしてあれこれ考えた結果、人間が元々持つ性質や本能を否定することになり、結果それが拗れて問題が生じる、なんてことがよくある気がしますね難儀だなぁ...
生きることに意味はないがそれが必ずしもニヒリズムに直結するとは限らない。釈迦は生きることに意味はない、一切は無であると教えてくれたし。生きることに意味はなくとも虚無感に支配される必要はない。それでも楽しくなんとか精一杯生きているんだ。ということです。
死ぬまでに絵が上手くなりてえなって考える(自身の信じる絶対)しかし事故で手足を失ったらどうするのか(裏切りによるニヒリズムへの堕落)口で描けばよくね?or歌でも極めてみようか(ニヒリズムの克服)って考えてるけどどうなんだろう
まさに自分がこれだった。永遠と続くと思ってた人と別れて何もかもがどうでも良くなった。その後約一年かけて能動的ニヒリズムへと変化した。今は時々不安定になり崩壊が始まりそうだけど耐えてる。全ては所詮無価値という考えを根底に置くことによって結局救われてる気がする。
動画UPお疲れ様です。私が思うにニヒリズムの克服は自らの信念が幾度と無く裏切られ続けてもそれを覚悟の上で自らの道を歩む事が決断出来る人間のみが出来る行為だと考えます。ですがそれだとあまりにも現実味が無いとも感じるので、僅かでも良いので抽象的な恐怖感を内在している自分や精神的に不安定な自分を嘘でも良いので肯定的に信じてみる。(こんな自分でも良いんだ的な)事がニヒリズムの克服への第一歩となれば良いのかな?と考えています。長文失礼しました。毎度素晴らしく勉強になる動画を発信して頂きありがとうございます。
前半に関してはまさに、超人、ですね。自分を肯定してあげられる精神はとても大事だと思います。私とかそれで成り立ってるフシありますし・・・こちらこそ見ていただきありがとうございます!
知恵の実とか要らないから楽園に戻りてぇなぁ...
3年前まで自分の判断を信じていたけど、自分で選んだ研究室を楽しめず、自分で選んだ人彼氏と無茶苦茶大喧嘩して別れてからというもの、自分の判断力を信じれなくなった就活も強くスカウトされた企業に入ってしまったよ(ブラックだよ)最近は、人生とは「Aをやると一定の確率でBが起こる」が連続してるだけだと捉えてるよ
自分は救えない。救いたかった自分を投影した誰かを救うしかない気がする。
それが案外押し付けに繋がる。うちの母親がそうだから。「自分ができなかったことを子供ができるようにしてやりたい」という考えは危ない。親子でやりたいこと重視してることが突き詰めた目的が違ったりする。だから子供が真剣にならないからと言って八つ当たりする。趣味が楽しいのに本気でさせようとしたり。
「正しいことを自分で決めて行動する」これが変わっていって「人間には自分の人生を切り拓く力がある。それをしないやつらは敗者だ」とでも言わんばかりの空気をひしひしと感じる今日この頃。つまるところ、信仰の対象が神から人間の力に変わっただけなのではないかとぼんやり想像する。
確かに。全体の一握りの成功者を基準に「人間の可能性」を信仰してるから、「人間頑張れば何でもできる!」みたいな努力至上主義とか「不幸なのは頑張らない奴が悪い」って断定する歪んだ自己責任論が蔓延してるよねぇ
前世の業やら魔女狩りやら一見廃れてもどのようにも信仰と邪道を生み出されるのだなと
ぼんやり、ではなく事実だぞ
ニーチェは「神は死んだ」と言ったが、これに続くのは「次は物質(人)の時代だ」だからな
最初は苦しんで苦しんで答えを出した賢い人がそう言ったんだよ。
でもそれが真理のように思える話であったがゆえに、普通の人ひいては賢いとは言えない人にまで広まった。
賢い人は他人を見下さなくてもうまく生きていけるだけの要領があったけど、それ以外の人はそうではなかった。誰かが下にいないと安心できない人にまで広まってしまったから、オワコンになった。
日本は国民全体で生存者バイアスが蔓延してるからね…
「努力」すらも一つの神であることに注意しなければならないね。
一見正しく見えるけど、それに裏切られることも多くある。この時に、正しいけど今回はうまくいかなかった、ならいいけど、諦めるに至ると同じだよねと
努力が必ず報われるように感じるのは、努力の量・密・度時間に上限が指定されていないから
@@oboro307
しかし実際には上限があるから努力にすがればいずれ裏切られる
太陽の光浴びてる間はポジティブになるけど夜中とかはすごい鬱っぽくなってしまうからもう太陽を崇めることにした
狂い火信仰します?手伝いますよ
太陽神ラー、天照大神…全然アリだと思います☀
太陽が消滅したら8分19秒でニヒリズムになるだろう
これが太陽神の宗教のはじまりであることを我々はまだ知らなかった
宗教始まってて草
「こういう人いるいるー」って気持ちで見てたけど、最終的に「自分だわ。。。」となって頭抱えました。
今回の動画もたのしかったです。
ニヒリズムとか見てると、動物こそが人間が目指すべき超人じゃないかって思えてくる
猫を崇めよw😸
超人はニヒリズムを通過しても、なお自らの生きる意志を持ち続けられる存在なので、、ニヒリズムを認識していない人とできない全ての動物は超人になりえないと思います
@@havefunmusic1139いや、そもそも動物はニヒリズムに陥ること(指針や指標をうしなうこと)がない。逆に言えば自分という指針しか持たないよね。
動物が理性を持つかどうかは置いておいて人間はその理性に苦しめられていない??俺から言わせれば理性がニヒリズムの根源そのもの。元々理性がない動物こそ超人そのもの
鈴木大拙っていう仏教学者が言ってた考えにちょっと似てる
人間はしきりに理屈を働かせて分別してしまうが、それを辞める術を身につけることで悟りを得て安らかになれる、そしてその方法が禅宗の修行である的な(うろ覚え許せ)
友人が軽度のこれに陥っていて、克服しようとしてます。
私には理解できない思考だったのでとても参考になりました。
自分の意見を押し付けず上手く支えていけたらいいなと思います。
10歳位からニヒリズムに陥ってしまい、絶対的な指標をずっと欲しがっていました。
最近は「ただあるだけ」という考え方をし始めました。「生きることも死ぬことも世の中の物事は状態としてただ存在するだけでそこに意味を求めなくていい」と考えるようになって少し楽になりました。
色々な情報から影響を受けてるのでこの考え方の元ネタが何かはわかりません。
私も同意見です。また、意味は見出すものと考えています。自分が納得できれば、こじつけだって全然良いと。
意味を求めず、ただあるだけの人生なのに、それにしては人生ってしんどすぎませんか?私も割り切りたい...。
仏教的だな(´•⌔•`)ありのままに見る事を理想としてソコに意味とか感情を求めると認知が歪むからその認知の歪みを取り去る訓練をしようぜっていう
方法論でいくなら、ボランティアなり、バザーなりに参加してみるってのは手や。人間って不思議なもんで辛いときに、誰かの為になにかすると気が楽になったりするもんらしいで。「自分はこの人の役にたってる、施してやってる。」って感覚が肝なそうな。
@@ペン盾 ボランティアに近いかもしれんが、過疎ってる配信者の切り抜き動画を作ってる。確かに心理的に楽になる。でも、この行為が本当に良いものなのかどうか、独りよがりでないだろうかと考えてしまう...。
人間の決定を避けたがる性質を考えると、人を自分の思い通りにしがる人がいると言うのは不思議な話ですよね。決定をする回数が増えると言うのに。これも他人に介入して、自分の人生から目を逸らすという一種のニヒリズムなのかもしれませんね。
宇宙の規模を考えると人間一人なんてゴミも同然っていうのと、思考はただの電気信号のパターンに過ぎないっていう認識を確立してから、逆に人生楽しく過ごせるようになった
何しようとこの世界に影響なんてほほない、何考えようとそれは脳の演算結果に過ぎない!好きに生きてしまえ!って
ネットでの情報飽和もニヒリズムを加速させてる気がする
それはあるかもしれないですね。いろんな反対意見も多いし、特定の思想に偏りやすいし・・・
Twitterの論争とか見てるとそうなる気持ちはとてもよく・・・
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる匿名性が人の狂暴性を露にし、罪悪感を薄れさせる
超人思想って一見難しく見えますが、仏陀の悟りとかエピクテトスやアドラーの課題の分離を踏まえれば、案外理解しやすい部類ですよね。
私の場合は「ツァラトストラはかく語りき」を読んで”喉奥を蛇にかまれるプレイ”が最高に性癖に刺さったせいで変態になりましたけどね。
しばらく絶望感に苛まれて起き上がることすらできない日々が続いてたんだけど、最近はニヒリズムが一周回って「絶望感や苦痛にすら意味がない」と気づいてから良いことも悪いことも同様に(客観的かつ実存というスケールにおいては)意味がなく、この世界の中で確かなことは自分の存在と思考それ自体しかない、と考えるようになった。それでも、喜びを覚える瞬間は間違いなくあって、それもまた無意味だけど価値はあるのだと思う。自分は意味と価値を区別していて、価値を大切に日々暮らしていくことこそが、ニヒリズム的な善い生き方なのではないかと思ってる。だからこのスタンスで生きていく上で目指すべき在り方は、平穏をベースにワクワクする方へ進んでいくことただそれだけ。そしていつか風に吹かれて飛ばされる落ち葉のように亡くなる。常にどこか遠い所を視界の端に捉えながらも目の前の素敵なものに寄り添い続ける在り方。
ニヒリズムを抱えている皆さん、皆さんの生き方の指針を知りたいです。
私も似たような経路を辿ったのですが、私の楽観的虚無主義は2日で消え失せてしまいました…
この世は無意味。だからこそどんな人生を生きても公共の福祉に反していなければ何とかなるよねって思って生きてます。
人に挨拶できるだけでしあわせって思えるタイプの人間だからこそ、楽観的な虚無主義に浸れるのかなとも思います。
また私は虚無主義に浸りながらも高い目標に向かって毎日勉強しています。しかし目標を達成することを目標にしているというわけでもないので、寄り道だとか道がそれたっていいと思っています。
釈迦、ショーペンハウエル、ニーチェ、ドゥルーズ/ガタリ、デリダあたりから摂取した身だけど、大体似ている。
俺は死への恐怖から入ったから、ニヒリズムとはちょっと違う。「俺が死ぬ際、臨む態度として相応しいのはどういったものか」から逆算して思考し始めた。結論として「所詮俺は親のセッ〇スの副産物である」というニヒリズム的な解を得たが、それはむしろ直接的に俺に勇気を与えた。
意味がないのなら、どうでもよい。つまり、何をしても良い。でも社会性動物として生を全うするなら、人様に迷惑かけてまで自由を発揮するべきか?(ここは多分に儒教的だと思う。小中と受けてきた道徳的教育が大きい)という思考に日々悩まされている。何故なら俺の思考とは裏腹に人も国家も、俺に迷惑をかけてきやがるからだ。だったら俺も…と思うが、そこで原点に立ち返る。死に臨む際、「いい人生だった」と思える態度か?と。
これは今もループしている。
超人という目標自体がいずれ裏切られる新たな依存先になり得るということかぁ。皮肉。
結局これを解決したのは死ぬほどの渇きだったなぁ。自分の本能に一旦身を任せて退屈に身を陥らせる。何かがしたくなって習慣を始めて、筋トレと散歩が続くようになって漸く考えられる。精神的に不調な時期に考えることじゃなかったな。
素晴らしい
@@dddddddddddsasa 一番のコツは、「自分が全く負担に思わないレベルを毎日同じ時間に保ち続けること」だね。例えば筋トレだったら腕立て一回、腹筋一回、家の周りを軽く散歩することから始める。人間いきなりは変わらないものだ。でも続けていけば段々慣性が乗ってそれをやらないことが逆に気持ち悪くなってくる。
決して無理せず、瞬きをするのと同じくらいの負荷から始めるのが大事だね。
渇きを感じると筋トレと散歩するの俺だけじゃなくてちょっと嬉しい
一ヶ月じゃなくて4日を目標にしたらいいよ、三日坊主も4日経てば釈迦って、いうでしょ?@@dddddddddddsasa
「いいことを教えてやろうか、ユリアン」
「何です?」
「この世で一番、強い台詞さ。どんな正論も雄弁も、この一言にはかなわない」
「無料で教えていただけるんでしたら」
「うん、それもいい台詞だな。だが、こいつにはかなわない。つまりな、それがどうした、というんだ」
ニヒリズムは学習性無力感とも言えるかな?
何度も失敗を繰り返したことで、どうせ失敗する、やっても無駄って考えてしまってなにもしなくなってしまう。
失敗しても成功しても無駄だと感じるのがニヒリズムなんじゃない?
「ニヒリズムを克服できた人」を指して『超人』と呼ぶのも納得の内容でした。
こりゃ並大抵の人間にはできねぇ…(頭痛)
ニーチェ自身も後年、
「生の彼岸を体験しないと俺の言ってることなんざ理解できねぇよm9(^Д^)プギャー」(表現がひどく誇張されています)
みたいなことを書き記してたみたいです。
まあ難易度ルナティックなところありますよね。
クリアしたとしても、「クリアしたと思っていたのか?」って裏ボス出てきますし(自分がラスボスパターン
「ニヒリズムを克服」でふと思いだしたのですが、
amazarashiというバンドのテーマは確か「アンチニヒリズム」だった覚えがあります。
影響を受けたという太宰治や宮沢賢治のような文章の歌詞でニヒリズム的な歌を歌い、歌のラストでそのニヒリズムそのものを否定する、という構図を取るのがとても印象的だったのを覚えています。
「ジュブナイル」という曲がその特徴をかなり含んでいると思いますので、興味が湧いた方は聞いてみると良いかもしれません。
文豪気質なので、ロックバンドというよりは、口ずさめる文学と言った感じですが、はまる人はハマるかもしれません。
@@watchingyoubigbrother9765 amazarashi良いっすよねぇ、あれは弾き語り?と言うんでしょうか?詳しくは知りませんが、あの雰囲気大好物です。
自分の中で宮沢賢治といえば昔は銀河鉄道の夜とかでしたが、今は春と修羅です、あれ大好きです。
支配する側の人間からすれば、むしろ人のせいにしない人間のほうが御しやすいんですよね。
支配側が負うべき責任や、環境面などの外的要因に不満を言わず
人のせいにしちゃイカン、自分が成長すればいいんだって(無理にでも)自分を鍛え適応する、という方向で対応してくれるので。
会社では……早いとこでは幼少期から、そういうメンタリティ叩き込まれた人も少なくないのでは?
「人生に意味はない」っていうのは、「こんなに辛い人生に意味はない」っていうのを省略して言ったものだと思います。そもそも楽しさが辛さを上回っていたら哲学にハマったりしないでしょうから。
哲学楽しいのに・・
まじで分かる
それはどうなんですかね、
いかに楽しかろうと死ねば終わり
生きて築いた価値はいつかは消える
こういうのは今幸せでもニヒリズムに至る原因になると思います
ニヒリズムからの追及する考えを持って映画やゲームの映像作品を観てても、
同じような感覚で話せる人間が他に居ないからつまんない()
みーーんな「よくある普通の価値観」で楽しんでるからそこの輪に入ることも許されん。
幸せでも哲学にハマってる俺は一体
ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んだことがあるのですが、当時の自分にとってはとても難解でした。
この動画でニーチェの哲学について分かり易く解説されていて、大変参考になりました。
また、自分の考えていることがうまく言語化できなかったのですが、その点も、うまく言語化されていて、感服しました!
ありがとうございます!
ニーチェのツァラトゥストラは、私的には叱咤激励の書だと感じています。
ニヒリズムのような毒のあること、現実世界の中の真実をしっかり言っていますが、(彼は現実存在主義者だったわけだし)しかしながら薬になることも言ってくれている。
むしろ現実存在主義者である彼が言ってくれるのだから、絶望に絶望を重ね究極の絶望にたどり着いた人達、神などの存在しないもの(形而上学的存在)にすがることも出来なくなった人達にとっては、実際聖典のような書になると思います。
(これより下、余談なので注意)
自分はニーチェのツァラトゥストラも好きですが、ショーペンハウエルの幸福についてやウィトゲンシュタインの論考も同じくらい好きです、特にウィトゲンシュタインの論考にある、「幸福に生きよ!」が大好物です(笑)。
ツァラ(以下略)を読んだことがあって、こっちを読んだことが無ければ是非読んでほしいです。
@@癒忌八百羽 様 ありがとうございます。時間のある時に読んでみようかと思います。
「自分のせいじゃない」って弱者にとってはめちゃめちゃ助かる思考ですよね、SNSでその思考の拠り所が簡単に見つかるようになりましたし
俺は悪くねぇ!!!!!!!!
@@らんらん-b5h いいや全て君が悪いね!
@@らんらん-b5h 師匠(せんせい)のせいでしたもんねw
その逆は、弱者に自己責任論叩きつけて、社会的・環境的要因への考察や対処を放棄するスタンスかな。
昨今では薬物中毒なんかも、自己責任の問題では片付けられないって論調も出てきているし
だけど恐れている限り弱者は弱者のままだと思う。
高い理想を抱いて自滅しがちな気がする。
ネットで桃源郷みたいな理想の生活をまざまざと見せつけられて、自分に不相応な理想を目指した結果「現実」を知って絶望するんだよね。
でも人生が暇つぶしなら楽しまなきゃ損だよね
今はそう思う
それお前の世界にいらねえだろ。それお前に不要だろ。ってもうひとりの自分に言われてハッとした。小さい時の「買ってもどうせ食べないでしょ!」って言葉とおり欲しいだけで別に必要なわけでもなりたいわけでもなかったことに気がついた。
@@コクヨかパイロットか 意味がないってコト?
ニヒリズムの克服のためにニーチェの生き方への姿勢を読み進めるのも、結局は他人の思想に縋っていて、それを正しいと思い込むことに繋がる。この世界で何が正しくて何が間違っているのかなんて分からない。結局は誰かの思想を鵜呑みにしたり、正しいと信じ込んでいるだけかもしれない。自分らしさや正しいと思えることを見つけるのって難しい。
ネット以上に分かりにくいフィルターバブルを作り出す自身の傾向と導かれる環境。
いつの間にか嵌まりこむもので、文化そのものからショックを与える人間との接触でもないとその存在にすら気付けない。
自分の考え方とかって、結局色んな情報をまとめたものだよね
それなんですよねー・・・。
本当の自分なんてホントにあるのかとかいう哲学難問に片足突っ込む話ですが、デカルトェ…。
情報のまとめ方は「個性」であり「自分」だと思うけどね
@@しすてま そのまとめ方とかも情報といえば情報ではない?でも自分が学習する情報ってめちゃくちゃ膨大だから考え方とか結論の出し方とか、人と完全に被ることは絶対ないのでそれを個性と呼ぶなら個性だと思う。
@@popo-fw2ko
逆に「情報ではない」っていうのは何を指すの?
学習って基本、(自他問わず)持ってる情報の継承だと思うけど
その中で情報じゃないとなると、論理性のない本能的な反射とかになるように感じる
@@しすてま ごめん、、“情報ではない?”ってのは“情報じゃない?”ってことで、“そのまとめ方とかも情報といえば情報と言えるのでは?”という事が言いたかったんだよね。。日本語の伝え方の問題だね。喋り口調で文を書いてしまったわ。
ニーチェ「うだうだ言わず、自分で決定しろ。それから…」
ニヒリズムワイ「天才哲学者様が…ッそれができれば苦労はしねェ‼︎!」
洗脳が解けて、目が醒めて、何にも囚われずに済み、やっと手に入れた自己決定権
好きに生きて好きに死んで良いって事なのに、なぜのその素晴らしさが解らないんだろう。
新しい洗脳を欲しているのが謎過ぎる。
@@shoujimiyagi6461
そのように断言する君は、果たして本当に自分の意思で全てを自由に決定できていると思っているのか?
否、この世で、何かに洗脳されていない人間というのは存在しない。
人間は誰しも、何かに洗脳されている。
@@トシカ-f6nだからその洗脳先を自分で選んでいいって言ってんのに、なんで誰かに決めてもらいたがるんだって話だろう
煮詰まって発狂した人には言われたくなさすぎる格言
@@I-am-a-tired-fairy
いやその「洗脳先を決める」段階でもある意味既に洗脳されているのと同じ
環境要因と遺伝要因とが影響して意思が形成され、その意思から行動が生まれてそこから環境要因が生まれ…とループするから。
何かの話で聞いたけど、とある部族の人に「あなたの夢は何ですか?」と聞いたら「狩りの達人」になりたいと言って、富豪になる事には興味を示さなかったそうな。
昼飯食ってるときに思ったのは、「本当の自分」ほど役立たずはいないなってこと
ご飯食べながらすごいこと思ってますね・・・
ニヒリズムの問題点が自他に絶対の正解を求めることにあるのならば、
とりあえずその時点で出た正解に「〜じゃない?知らんけど。」と付け足しておけば思考の猶予・アソビができて、人が勝手にでっち上げた絶対視に依存したり絶望することは無くなるんじゃない?
知らんけど。
貧しい人を助けたくて役所の生活保護科で働き始めたけど、させられる仕事は生活保護に適わない人を選別する事…って話はリアルで聞いた事ある
生活保護を受けさせない仕事ですものねえ・・・
本当に求めてる人に届かないって言うのは被災でも戦争でもよく聞きますね。
親とか宗教とかそういうもんの前の、もっと原初的な拠り所が「本能」なのかもしれない
寝たいから寝る、食べたいから食べる
人間社会では欲望のまま生きることができなくなったから代わりの指針を求めてるのかも
生きていくのは結局つらいことの連続なんだから、せめて今生きている瞬間は楽に生きましょうという大雑把に纏めてしまったけれどこれが仏教の大本で、般若心経とかもニヒリズムみたいなところがありますよね。最近は自分自身の存在を含めて全てが無価値なことに逆に救われる感じもあります。意味のある人生、有意義のある生き方、そんな風に羨ましがられなくても生きていけるのだからと
仏教の本質は逆だけどな
この世界はクソで無意味だからもう諦めて次に期待しましょうね〜、だから。
ニーチェも「東洋思想は諦観だからダメ」って言ってる
自分の中で黒歴史、辛かった思い出だった中学時代の自分の状態が言語化されたというか、名前がついたような気がします。この動画を投稿していただきありがとうございます。過去の自分にも勧めてあげたいです。
自分が生きやすい塩梅を見つけるのが大事だよな。あと、依存もニヒリズムも客観的に分かった上でうまく使えると良いけど、完全コントロールなんて無理だから、30%なのか60%なのか長いスパンで見て許容内に収まってたら合格だと思ってる。
災害や政治的に自分が関われない問題はその発生や影響自体はコントロールできないけど、自分がどう反応するかはコントロールできるからね。ようは避けられないことを運が悪かったと運命を呪うか、その場に居合わせることになった要因を呪うか、自分が巻き込まれたことをそのまま受け入れ対処するかで違ってくる。こうこうこういう行動をすれば回避できるとか、それが起きたからじゃあ次はどうするかを考えられれば、仮に自分が何かに巻き込まれても、自分の判断と行動を自分の責任で持って行動でき、今すべきことをその場で判断するってことなんだと思う。
だから自分は%って話ではなく、常に自分の事は自分でコントロールできるっていう気づきだと思ってますね。
無気力や決断を下せないってのは鬱から来るものだと思ってたけどこっちかもしれないなぁ…ご飯のメニューも好きに決められなくて辛いけど 感性に従えばある程度はどうにかなったり…ならないんですけどね
動画を早く見に行くより、ちょっと待ってから動画を見た方がコメ欄とか参考になるしおもろいな
物によっては1000超えのコメント来るからね
みんなすごく考えてコメントしてくださるので私も見てて超楽しいです。
返すのは死にそうになりますが(苦ではないんですけど時間的にね)
結局は受動的ニヒリズムも正しいと思うならばそれが正解なのかもしれないですね。全てに絶望して腐っていくのも1つの選択。それぞれのニヒリズムが受動的か能動的かは人生に対する開き直りがネガティブかポジティブかの違いだと思います。「どうせ無価値だ。何もしなくていい」なのか、「どうせ無価値だ、だからこそ好き勝手に生きてみよう」なのか。
むっちゃ参考になったけどニヒリズムの状況のまま動いてるヤツがほんと羨ましい。鬼滅の童磨とか
あれは産まれた時から自分がそういう生き物だと確信していたからでしょうね。大抵の人は生育環境なんかの後天的理由でそういう思考傾向になるから、ああいう風に飄々とは生きられないと思います。
あの状態はだいぶきついで
そういえば童磨そんな感じでしたね・・・サイコパス要素強すぎてその発想がなかった。
自己決定や自由意志があるのか無いのかって話に落ち着くんですかね。それと幸福の定義。主の言う軽いニヒリズムってのは物凄く蔓延してて、仕事において自分で責任は取りたく無いから発言も決定もしないって人がほとんどだなと思います。陰謀論とかもニヒリズムから脱却した気になってる人が落ちいるんですね。面白かったです。
ニーチェは、自由なんてものはないし、あったとしてもそれを意志することなんて人間にはできないっていうのがスタートじゃないかと。ただ、自由は存在するし、それを選択できる能力を人間が持っていると信じる(錯覚する)ことは否定できないよね、知らんけどってとこかと。
自由意志や確たる自我があるものは神聖で価値があり、そうでないものには価値がないとする宗教に過ぎない。
この動画を見て超人を目指した場合、ほんとに超人を目指してるのか、それとも安易に飛びついて依存となるのか。
人に影響されない思考は無いと思うので、依存/自己決断を切り分ける判断が難しいなと感じますね〜
今まさにこれ、絶対的で万能だと思い込んでた自分に裏切られた
どうしよっかなぁこれから
ちょうど自分が今こうなってるかもってタイミングでオススメに表示されて視聴しました。
そしてコメント打つ前にコメント欄で「みんなはどんなこと書いてるのかな?」なんて思ってチラ見し始めたあたり、
自分なりの指標を持てていないんだなぁと改めて自覚できました。
動画のサムネに飛びついて開いて「私はね、私はね、こう思うんだよ!!」ってバーッって書いてそれから動画観たり他のコメント読んだりして修正してる
ニヒリズムの「何かにすがる」考え方は人間の本能に埋め込まれているものだったりするんだろうなぁ
自分から見て動いていないように見えるのは自分だけ、だからこそ人は信じたい物事を喜んで信じる。
自分は側から見たらキャリア重視の活動的な人生に見えそうな生き方をしてるんだけど、
ある時自分の信じてたもの(自分は優秀である、一直線の競争を追えば良い等)が崩れて以来、
心の底では将来どうなっても良いと思って生きてる面があって、
それが芯のなさみたいな物に繋がってるなぁと気付かされた。
わかる、惰性というか慣性でそうなってるだけで別に意志じゃないんだよなあ
自分や他人がどういう人間なのか、過去に体験したことや目の前で起こった事、良いモノでも悪いモノでもそういうものだと受け入れる、
そうした上で自分なりに作り上げた基準に沿って最良の道を選ぶ事。 解説を見て能動的ニヒリズムはこういう事じゃないかと思いました。(結論を言い換えただけとも言う)
そんな感じだと思いますが、まあ私もしっかり読み込めてるか怪しい部分もあるんですよねー。もう一度丁寧に読む必要性は感じてます
「迷う」ことの素晴らしさ 石田衣良
高校の現代文の教科書に載っているエッセイです。このエッセイの中に私のニヒリズムを緩和する突破口がありました。
現代は検索エンジンの発達や社会システムと社会通念の成熟により「無駄のない答え」が一瞬で正確に手軽に手に入ります。このあまりにもスーピーディーに得られる正解は現代人の「迷う」力を損なわせています。現代人は「迷う」ことの楽しさと素晴らしさを知らない人が多いですし、知る機会が少ないし、失敗を「迷う」ことで得られてないので失敗を過剰に恐れる。
あなたに言いたいことは
「迷う」ことを楽しめ!
です。教科書に載っているような短いエッセイで、人には言いづらいことの共感を得られ、迷うこと肯定する考え方で人生楽しめるよ〜ということが書かれてます。このエッセイ中で書かれている仕事と結婚の話はギクっとなるに違いない!
人生寄り道獣道大いに結構、楽しい人生に正解はない!オススメです。
まとまりのない文章で、すまない!
当初の目的を果たそうと頑張れば頑張るほど、どんどんと沼にはまっていくの面白いですね()
初めて見ましたが、めっちゃ面白かったです!
動画内で紹介されていたやつ以外に参考文献があれば知りたいです
超人というのは上手い言い回しだよな。人の延長線上にある存在だけど、人のままだと絶対に辿り着けない境地だと思う
人を超えるからこその、ですもんね。ある意味それを神と呼ぶのかもしれない。
ニヒリズムで起こる虚無感さえも意味はないし虚無感自体も虚無だよなって思ったら虚無感が問題に成らなくなってニヒリズム克服したった
あなたは目を閉じ、再び開いた。ただそれだけのこと。
一周回ったな…
無は無でしかないのか
「自分にとって正しいことをする」って、義務感からの行動に陥りやすいと思う。○○するべきだ!って常に思いながら行動してたら、夏目漱石の「こころ」で「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と言ったKみたく他人に厳しくなって、自分が決めた指針から自分が外れてしまった瞬間に自分のことも許せなくなって自己矛盾に苦しんでいく
だから、「こうしなきゃ」よりも「こうしたい」から行動する方がニヒリズムから脱却できるのではないかと思う
全てが無意味に思えてもやりたいって思えたことはやれる気がするしそういう部分が自分のコアの部分なのかなーと思う
生きていく中で自分の考え方はどんどん変わっていくし新しい発見も沢山あるし常に自分の中で同じ信念を持って生きねばならないわけじゃ決してない
宮沢賢治の「永遠の未完成 これ完成である」という言葉がまさにそれを言ってると思う
それな
万物を人間にとって意味づけるのは結局感情のみ。
まさかfateの話が出てくるとは!笑
fate(正義、功利的価値観)や空の境界(起源について)などの型月作品は結構哲学的人生観的などの考えをナラティブとして与えてくれるから、話の例として出しやすいし良い学びとなるからオススメ
Fate Zeroとか衝撃だったなあ・・・
空の境界は見てないので見てみていところ。評判もいいですよねー。
アーチャーって誰だっけ?
ランサーが可哀想だった
@@左塚端久遠
Zeroの話ならアーチャーはギルガメッシュ
集団的無意識を世界の仕組みとして取り組んだらどうなるか→抑止力
って言うのをどこかで見て、面白いと思ったわ
ちょうど自分の生きる価値や意味に悩んでいたところでした。きっと今後も悩み続けると思いますが一つの指針になりました。学びになる動画をありがとうございます
過信と鵜呑みは禁物!
って考えてここ2年くらい生きてたら、ニヒリズムに陥った気がする。
自分の考えにも過信しないようにし始めると、自分に常に裏切られている感じがするからよくないのかなあ。
サム8やシャア、東方不敗は能動的ニヒリストだったのか!
すみません、有意義な動画をありがとうございます。能動的ニヒリストの飛躍的な話を聞いて、上のアニメや、映画ジョーカー、無敵の人や、ホームグロウンテロリストを思い出しました(サム8はセリフだけですが。)。多様性の時代、悪く言えば全ては相対的な中で、ニヒリズムになる人が増えているのかと勝手に思うところです。
こういう面で生まれた時から使命のある富裕層や貴族は強い
確かにそうだな…。でも逆に、恵まれた環境に生まれて「お前の好きな道を行きなさい」とも言われてるのに、なんか無気力だし何も自分がやりたいことがなくて、恵まれてるのに何やってるんだって自分を責めて苦しんでしまうということもある。
難しいね…
@@コハギ どう足掻いても代わりのいる存在にしかなれない貧民よりも幸福なのは確かだけどな
燃え尽き症候群を患って、結果行き着いた価値観、考え方がとても普通じゃないからこれは何だろうと思ったら、ニヒリズムだったのか……克服したい。
働いてお金を稼いでも税金や生きていくための消耗品やご飯で消えていくし、なんだったら最期は絶対死ぬから、生きていくことそのものに虚無を2,3ヶ月くらい感じてます
ですがこの動画を見て、ニヒリズムの克服って難しいことなんだとわかって少しほっとしました。
お金とか豊かな生活とか、肩書きとか追うんじゃなくてやっててワクワクすることを探したいと思います
ショーペンハウエルの思想にも、人を無苦痛の状態にしてくれるのは芸術とか音楽だから、それに浸ろうぜ?みたいなのがありますね。ニーチェやワーグナーはこの思想に大変感動したようです。
自分で決めようが他人に委ねようが、どちらにせよ生まれ持った遺伝子と経験によって答えが出るのでるのだから、特に考える必要はない。それが自分にとっての絶対的な指針であり、それもまた、自分の遺伝子と経験によって導かれた答えである。要はなるようにしかならないということですね。
「生まれてこない方が相対的に幸せだったのではないか」と思ってる
生きている意味がわからなくて、「生きている事に意味なんてない」って言われて、なんで意味もなく苦しまなければいけないの?って
意味はないかも知れんが、意義はあるんじゃね?
個人的にはその苦しみにさえ(客観的には)意味がないと思う
「苦しまなければいけない」わけではない
偶然苦しい状況になっているだけ
生きる意味も存在しない
生むという行為は無責任である
だからといって生まれた私達がより良く素晴らしく生きねばならぬ責任も無い。しかも権利の実在も怪しい。
生まれさせられたからには好き勝手してやるというスタンス
鬱の克服とニヒリズムの克服は少し似て居ました、自分の存在意義を自分で決定する思考力だったり、意味の無い物の存在意義を決定出来る知覚性だったり。
啓蒙が身近に無い人が増えたからなのか、思慮の弱い人達が多く見えるので、本来はこういった哲学的な境地を乗り越えて人は成長してきたんじゃないかと考えています。
昨今の話で言えば「親ガチャ」なんて言葉もまさにニヒリズム的よな。貧乏な親の元にに生まれたから、虐待する親の元に生まれたから、犯罪者の子供として生を受けたから、知的障碍者として生まれたから、etc。ニーチェに言わせれば「そんなこといくら言ってもしょうがないし、別にそういうハンディキャップを持ってたとしても成功している人間は探せばそれなりにいる。結局はお前がどうするかだろ、今のお前が貧しいのは、誰かに与えてもらおうとしているお前の精神が貧しいからに他ならない。分相応ではないか。」って正論パンチをかましてくるだろうね。
ただ正論ってぶっちゃけ十中八九「そんなことは分かってるけど、それができないから辛いんじゃないか」ってものだから、はっきり言って意味ないと思うし、そういうのを得意げになって行ってる人もぶっちゃけ頭悪いと思う。あと人間って病んだ時に出てくる発想って正直ろくでもないモノが大半だから、ニーチェさんのこの論も自分はあんまあてにしてない。
極端な話、別にカルトにはまってもいいと思うよ。そんな辛いんだったら。だってその人にとっては世間は自分を助けたり守ってくれないんだから、だったらたとえ幻であっても守ってくれると思わせてくれるような組織なりに傾倒する方がまだましだと思うし。
実際、こと不安やら鬱の解決に関して言えば宗教に勝てるモノはないと思うよ。だって有史以前からその手の事に足ししてずっと向き合ってきたものだし、科学とは年季が違うよ。科学と能力主義はほぼセットだと思うけど、実際の社会は無能と呼ばれてしまうような人々や、異常者として排除されてしまうような人々と一緒に暮らしていかなきゃいけない訳だから、その点で言えば宗教の方が能力主義より現実が見えてると言えなくもない。飲酒運転をしてひき逃げを起こす人や、女性をストーカーした上に殺して、挙句放火してしまうような人間は極端にしても、平気で遅刻したり、失敗を隠そうとして余計に周りに迷惑をかけるような人間とワイ等は一緒の社会に生きていくしかないんや。そういうろくでもない人間を蔑んで、自分とは違って生きる価値の無い人間だって差別して、居ないものとして扱おうとしたって意味無いし、無理なんだから上手い事自分を慰めてあげられる考え方を見つけるしかない。そんで、そういうことが出来るのは科学じゃなくて宗教だと思うよ。
おもしろかったです。
たのしければいいんじゃないかなとか、ここちよければいいんじゃないかなとかって、なかなかいい回避方法の1つだと思います。ただ、それが通用するほどに恵まれている人じゃないとその方法を使えないでしょうけど。
最近流行ってる推し活なんかも典型的なニヒリズムの特徴だよね。自分を絶対的なモノとして、自分を信仰すればいいんじゃない?
やっぱり自分自身を含めて何かを信じ過ぎるのが一番害悪だと思う。どの道を選ぼうとも、間違い、失敗、不幸は行く先に当然ある物として、それを受け入れて学び自身の糧とする事が大切だと思う
人が成長するとしたらそれは釘を踏んだ時。痛みにのたうち回りながら足下に注意する事を覚える
中庸ってやつでしょうか・・・?
釘は踏みたくないなあ、できればとがった石くらいで(そういう意味じゃない
マックス・ウェーバーの脱魔術化、再魔術化がわかっているとよりわかりやすいと思う。
残酷だろうがなんだろうがそれが世界なんだから、ありのままを受け入れろよ。ってことかな?救いがないこと、正解や完璧がないことを、受け入れなきゃいけないのはきついなぁ。
受け入れつつ挑めって言ってますからさらに難易度上がる気がします苦笑
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
受け入れつつ斜に構えて流す
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる
理想的有権者の態度ですね。挫けない。
実際多くの人にとって投票って物理的には大した負担じゃないからね。
ほぼ諦めないの一点で一生行動出来れば、国は改善される。
「神にすがるな、自分で決めてそれに責任を取れ」そんなこともニーチェに言われるまでわからなくなるからキリスト教は嫌いなんだよね…
ニーチェの理想的な超人は、昨日の自分より今日の自分のほうが良質だ、を”死ぬまで”繰り返せる人って言うじゃないですか。
無理だろ。
自分で定期的に、ニュースや人間関係等について考えたことを、ノートにメモするのが良いと思う。そしてそれをたまに見返す。
社会にはニヒリズムの要素が要る。しかし本格的にニヒリズムに陥った人間は辛いだろう。
それを避けるためには、とにかく何かについて、考え続けるしかない。さらに、「自分は考え続けている」と自覚するしかない。だからノートに自分の思考を記し、見返す。
ノートに記す、いいですねー。
私はその辺をけっこう人と話すことで補ってるように思います。動画のネタとかもその辺から拝借することが多くて、あーだこーだ議論することでほどよく距離を取っている感じです。
17:11
ペルソナ3風にいうと『カラオケエンド』も有りという事やな。
人によっては「知る不幸」よりも「知らない幸せ」を追い求めた方が総合的な幸福度が高いかもしれない。
…尤も、みんながみんな『カラオケエンド』を選択してしまったら世界が滅ぶかもしれないけど…………
ちなみにペルソナ3のコミカライズ版では、有里湊と岳羽ゆかりは『大切な人と仲良く一緒に生きていたいという願いは、現実逃避しながら都合良く人を利用するエゴイズム』だと思っているけど、それでも叶えたいから「知る不幸」を選んだ模様。
超人的な思想を考えて実践する度にメタ的に認知して考えるとこれってアドラーやニーチェの思想に従ってるだけで自分の本当の価値観なのか?と疑問に思いつつ、その一部をもらって前に進もうと言う気概はすごい納得いくから実践してる
なんで進化の過程でこの決断に対する耐性ができなかったんだろう。
あと、人は決断する時、何かを信じているんだな。。。
あんまり考えたことなかった。
何かを決断するってことを本気で突き詰めてくとけっこう宗教っぽくなるんですよね・・・。
理屈じゃ説明できない飛躍や前提があって、しかもそれが割と万人に共通していたりして(道徳とか)、人によってはそれを内なる神とか名づけてもおかしくはなかったり。
進化で決断に対する耐性・・・おもしろい着眼点ですね。決断ってある意味「いつもと違うことをする」ってことなので、生存戦略的にはホイホイとやるわけにいかない、って視点で説明はできそうですが、他にもいろいろ切り口はありそうです。
今回もとてもわかりやすく、面白く見せて頂きました。ありがとうございます。
絶対的かそれに近いレベルで何かを信じようとするから、ニヒリズムのスパイラルに迷い込んでいくということでしょうか。そうだとすると絶対的なものはなく可能性の大小だけがあるという考え方が良さそうに思いますが、期待を持ち過ぎないようにする必要もありそうです。冷めた感じの人生観になりそうな上に超人にも向かっていない気がしますが。うーん。
そう言っていただけると苦労したかいがありました。今回のめっちゃしんどかった・・・!
断定せず可能性で判断できるのって大事ですよね。特にリスク評価とかは難しいですが、それができるだけでだいぶ変わる気がします。
でもおっしゃる通り冷めたというか、結局ニヒリズムじゃんそれ、みたいになりそうですが、それはそれ、ということで・・・
克服しようと生きることが自分にとってニヒリズム脱却の答えだと思ってます。
なんか、この思想って「自分という存在は自分ひとりで完結していること」がそもそもの前提になってる気がする。じゃなきゃ自分の外側にあるものにすがるな!みたいなこと言わないだろうし。
でも人間って他者とかかわらなきゃ生きていけないし、自分という存在が何なのかを認識するためには他との比較が必要不可欠なわけで、自分という存在が自分ひとりで表しきれるとは思えないので、少なくとも生きているうちはニヒリズムの克服なんてできないし、する必要ないんじゃないかなぁ。だからこそ克服した人は超人なのかもしれないけど、それって多分そんないいもんじゃないよ。
まずは一人の人間として独立した考えを持つこと。そして他人との違いを理解して対応すること。結果は自分の選択によるものと考えること。他人と関わるときは、他人に振り回されるのではなく、自分が他人とどう付き合うか自分で決めるってところがポイントかな。
自分だけで生きていくという考え方じゃないんだよ。自分は独立した存在で、それは他の何物にも犯されない。すべての行動は自分で選択できるってところがニヒリズムの脱却。
だから他人と繋がりたければ、自分がそうやってこの人たちと協調していこう。この人たちと同じ体験をし、同じ経験をしてみようって自分の意志で決め、結果的に良くない事が起きたり、失敗だったとしても、あの時の判断がよくなかったかもな、と自分の行動を見直せるという事。
自分の意見を持たず、周りに合わせてばかりだと、そもそも自分が何をしたいのか、どう判断して何に責任を持つのかすべてその集団やリーダーに対して求めるようになる。そうなると、この集団はあいつが悪かったから別の集団に行ったとき、今度はいい所だといいなぁって入っていって、結局そこでのトラブルが起きてもまたその集団に責任転嫁し、同じところをぐるぐる回ることになる。
他人と協調するのも、自分の考えで動くのもすべて自分の選択によって決まるって考えれば、もし道を示してくれる人や物がなくなっても自分で考えて行動できるようになる。それが超人ってことだと思う。
まあ自分も理解できてるか微妙だけど。
人間の身体にはたくさんの生き物がいて(細胞や細菌)、人間はそれらの集合体として生きている。自分ひとりでものを決めることはできないし、ひとりで生きてはいない。
楽しいことだけで生きていければ克服しなくても良いんですけどね・・・。
とりあえず他者には無害な無気力タイプですが、ニーチェが言う3番目の人は輝いて見える。するっと1番目に誘導されずに頑張ってほしい。2番めはどうすりゃいいんだ・・・。他に染まりたいわけでもないし、かと言ってこのままでもなぁ。だから3番目は超人だよホント。何も思わずに1に浸れてる人は楽でいいなー。
ニーチェ先生がニヒリズムを克服した人を「超人」と呼んで常人と区別したのは19世紀後半の話で、それより数百年前に生きた親鸞さんは「生身の人間が生きてる間に悟りなんて開けるわけがないだろう」と言って、「超人」は「煩悩具足の凡夫」と対比される。日本人だったら、この対比はすんなりと入りやすいかもしれません。
現実世界に生きる我々は生きとし生けるもの皆等しく「凡夫」であって、自らや他者の生命体の死を屁とも思わない限り「超人」にはなれない。そのようにも思います。
また「凡夫」の心がなければ、思想や文学や芸術といったものは生まれないでしょう。
人生を生きる我々にとっての唯一確実な未来が「いつかは必ず死ぬこと」であって、凡夫である我々はニヒリズムを克服すとことはできません。しかしニヒリズムと闘うか抵抗することはできます。その闘争や抵抗の過程で様々な価値や意味が生まれます。「創造的ニヒリズム」というのは、たぶんそういうことを含意しているのだと思います。それを見返りに関係なく実行できるのがニーチェ先生の『ツァラトゥストラ』にあった「赤子」の精神、そういうことではないかと思います。
しかし、この闘争をヒトラーの『我が闘争』と混同してしまうとホロコーストにもつながりかねません。いっぽう「抵抗」と言えば、ナチス支配下のフランスにおけるレジスタンスの活動を想起することもできるでしょう。
この「闘争」や「抵抗」についてさらに付言すれば、現代の日本人にとって身に覚えのある事件で言えば、1990年代の地下鉄サリン事件や酒鬼薔薇少年のような危うさを孕んでいることにも留意しておかなければなりません。
何やらウダウダとコメントしましたが、現代人の庶民の思考や素行に一石を投じるような動画をありがとうございました。
努力のハードルを下げて、ハードルを超えた自分を褒めて愛する。
今のところそれでニヒリズムから逃避してます。
万人はニヒリズムを克服出来ないにしろ、克服する努力は必要だと思う。
自ら自分の正しさを手放してしまうと自分が暴徒になったり、不幸の手紙に関与したりしても気づくことが出来なくなってしまうだろうから。
克服しない=何かに左右され続ける人生になっちゃいますもんね・・・
悪意に左右されないように、そして自分に関わる何かのために、ある程度の自分は確保しておきたいものです。
ブルアカのアズサみたいな、「この世の全ては虚しく無意味だが、それは自分が前を向かない理由にはならない」の精神でやってる
ペルソナ3~5がまさにその問題に切り込んでるよね。
分かってんじゃん
虚無を元の気にするには、天然なヒト、コト、モノが必要である。
それを掘り下げると、
面白いとか変わっているとか潔さとかユニークとかの【垢抜けさ】が滲み出ていて、
根底にあるオーラが、少年のこころや乙女心のようなものを持っている人だろう。
人間が人間に向かうと、垢が蔓延る。
人間が自然に向かうと、垢が解消される。
自分が崇めるのは自分の意志です
ニヒリズムは見に覚えがありまくりですが、今の私は 17:06 の霊夢の考えに割と近い。
完治を目指すのでなく、上下の波がありつつもほどほどに良好な状態でいる。
癌や虫歯や口唇ヘルペスなども症状を放っておけば悪化するけど、適切な行動をすれば治る(治まる)わけで、それでいい。
完璧を目指すのでなく7割で十分という話もあるし「絶対にニヒリズムを克服しよう」とは思わない。
まあニヒリズムを克服するうえで重要なのは、自分に正直になることなんじゃないかなって思ってます。
正しいことを自分で決定するためにまず自分が何かを決定する、っていうのはただの自己洗脳ですからね。
いつかガタがきますし、自分で決めただけに引くに引けなくなるっていう状態からやばい思想が誕生しがちです。
好きなら好きのままでいいし、嫌いなら嫌いのままでいいし、「好きだけどそのために配信見たりFA描いたりするのが辛くなってきた」みたいな矛盾した感情も、それはそう言うもんだって正直に受け入れることが一番楽で楽しい生き方だと思います。
ニーチェが発狂死してるあたり実際ガタがきたんじゃないかと思いますよね。しかしまず自分が正しいと思うものを決定してみるのは重要だと思うんですよね。その時にその正しさを妄信しなければいいというか、自分を自分の神にしてしまわなければいいのではないかと。
VTuberさんを見たりゆっくり解説を見たりするのも、その人にとって楽しく、そして見るのが正しいものですからねー。
個人的にはその要素に加えて固執しない、軽やかさを押したい。サンクコストって言葉がありますが、ここから自由になれるとかなり人生楽になる気がします(できるとは言ってない)
自分の指針を他に持つか自分に持つかってことですね。
一言で言うとそんな感じにまとまるかもしれないですね。
自分(バイアスの塊)って考えると割と絶望しますが苦笑
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 本当の自分なんてなくて、人生でだんだんと積み重なっていくものなのではないでしようか。バイアス含め自分なのですから。気づいたのなら気づいた上でどうなりたいのかを考えればいいし、考えるのに疲れたり行き詰ったりしたら学校をサボってみるとか何かしら新しいことをしてみればいいと思います。
かつて私は"自分"を信じていた。
自分が何をやっても正しいと思っていた。だから自分の行動を疑うことすらなかった。
しかし、そうではないと思った。
あの日から私は、過去の正しかった自分に囚われている。
かつて天才であり超人であった私は、まだ超人であると信じている。
うぽつです
帽子なし魔理沙かわいい
メイドインアビス2期の最後、ファプタがレグの誘いを断って更に深く飛び込んでいくときの背中、あれは美しかったなあとふと思い出しました
人間の脳は一万年前からあまり変わっていないといわれていて結局のところそれは社会的動物であることその社会構造であることに原因があると思います。
代表例としては赤子を持った母親の鬱症状、これは脳内物質の分泌を観れば傾向はあきらかで人間としての特質とされています、不安になり周りに頼りたくなる、自分の子孫を残すことに生物は基本的に特化していますのでこの赤子を持ってることで不安になる周りに頼りたくなるということは社会への帰属が本能であると仮定できます
(支配と帰属をおそらくは勘違いしているんだろうけれど)
日常生活に目を向けると価値観の総意と価値観の多様性に関して繋がるコミュニティがとにかく大きくなった現代では同じ地形同じ天気を共有するときとちがった相手への理解が必要になります、つまり理解できないこともあるのだ共有する空間が乏しいのだという理解です。
価値観に頼るとなると古来のもの、
とくにいなかだと東京はこわいところでもあるという「同じ国同じ言葉である前提」ですらもわけのわからん価値観へ依存することで自分たちのコミュニティを肯定するような空気がまだあります、自分たち以外、という価値です。
これは“自分たち”というものに価値を大きくおいていますが多様性へ排他的です、そのことに気づけるかどうか自分をもてるかどうかだと思います
つまりは帰属に関して臆病です
価値観に「正しい」を入れるとなるとややこしくなります。
正しいは感じることであるため(議論をやればわかるが最後まで反論はあるものです)これを「価値観の共有」にすることは不可能だと知るのとと全く反対の意見にも理論を実感する機会に乏しいと思います
つまり社会への同化を支配とするならば帰属を実感できないんでしょう
うーん、こういうニヒリズムに陥りそうな時はねぇ、かわいい少女が気合で目の前の不幸や悪を薙ぎ払うアニメを見たりやゲームをやると、少しだけ前向きになれるんじゃないかな?
意外と、人生の大事な全てのものが詰まっているのかもしれません。
プリキュアとか最高
よつばととかもいい気がします笑
「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の同時上映を見てきて情緒がぐちゃぐちゃになれば一周回って前向きになるかもしれん。
@@みーのゆっくり先生ちゃんねる 考えすぎてニヒリズムに染まるぐらいなら、敢えて考えず心から笑えるものを見たほうが逆に頭によさそうですね。
「考えるな、感じるんだ」
何も意味なんてないんだから痛みや悲しみさえ自分で勝手に意味を決めてしまえばいい
この話だけではないけど、悪いもの(と自分達が思い込んでいる)を克服しようとしてあれこれ考えた結果、人間が元々持つ性質や本能を否定することになり、結果それが拗れて問題が生じる、なんてことがよくある気がしますね
難儀だなぁ...
生きることに意味はないがそれが必ずしもニヒリズムに直結するとは限らない。釈迦は生きることに意味はない、一切は無であると教えてくれたし。生きることに意味はなくとも虚無感に支配される必要はない。それでも楽しくなんとか精一杯生きているんだ。ということです。
死ぬまでに絵が上手くなりてえなって考える(自身の信じる絶対)
しかし事故で手足を失ったらどうするのか(裏切りによるニヒリズムへの堕落)
口で描けばよくね?or歌でも極めてみようか(ニヒリズムの克服)
って考えてるけどどうなんだろう
まさに自分がこれだった。永遠と続くと思ってた人と別れて何もかもがどうでも良くなった。その後約一年かけて能動的ニヒリズムへと変化した。今は時々不安定になり崩壊が始まりそうだけど耐えてる。全ては所詮無価値という考えを根底に置くことによって結局救われてる気がする。
動画UPお疲れ様です。
私が思うにニヒリズムの克服は自らの信念が幾度と無く裏切られ続けてもそれを覚悟の上で自らの道を歩む事が決断出来る人間のみが出来る行為だと考えます。
ですがそれだとあまりにも現実味が無いとも感じるので、僅かでも良いので抽象的な恐怖感を内在している自分や精神的に不安定な自分を嘘でも良いので肯定的に信じてみる。(こんな自分でも良いんだ的な)事がニヒリズムの克服への第一歩となれば良いのかな?と考えています。
長文失礼しました。
毎度素晴らしく勉強になる動画を発信して頂きありがとうございます。
前半に関してはまさに、超人、ですね。
自分を肯定してあげられる精神はとても大事だと思います。私とかそれで成り立ってるフシありますし・・・
こちらこそ見ていただきありがとうございます!
知恵の実とか要らないから楽園に戻りてぇなぁ...
3年前まで自分の判断を信じていたけど、自分で選んだ研究室を楽しめず、自分で選んだ人彼氏と無茶苦茶大喧嘩して別れてからというもの、
自分の判断力を信じれなくなった
就活も強くスカウトされた企業に入ってしまったよ(ブラックだよ)
最近は、人生とは「Aをやると一定の確率でBが起こる」が連続してるだけだと捉えてるよ
自分は救えない。
救いたかった自分を投影した誰かを救うしかない気がする。
それが案外押し付けに繋がる。うちの母親がそうだから。
「自分ができなかったことを子供ができるようにしてやりたい」という考えは危ない。
親子でやりたいこと重視してることが突き詰めた目的が違ったりする。だから子供が真剣にならないからと言って八つ当たりする。趣味が楽しいのに本気でさせようとしたり。