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面白かったです
ありがとうございます。
エンディングの夜景ステキ。
50代です。子供の頃はまだ「荒川放水路」という表現を目にすることがありましたので、これは放水路なのね、という認識がありました。
私の頃は“荒川”としか聞かなかったような。。ただいつだか忘れましたが人工的に作られた川だとは聞いていたような。
ℹ️ 案内板 あるの 、 見落とし ちゃうね ~~~☀️ お 休み の日に 🎵ゆっくり 散策 するの も✨ 楽しいね 🎶 😆
よくぞ取り上げてくれました。さぞかし時間がかかったことでしょう。お疲れさま😌💓荒川放水路と呼ばなくなったのはいつ頃からでしょうか。日光街道、水戸街道、下妻街道の消滅箇所は辿るだけでも面白いですね。川向こうの中央本町にて育った者として、歴史には深い関心があります。 五反野の旧家を尋ねて開削前後の話を聞いたこともあります。荒川の分断開発は間違いだったと批判しています。県境の川にすれば良かったと、悔いていました。足立区の発展を阻害する都市計画に疑問が出てますね。 その通りと、思います。
コメントありがとうございます。放水路・・地元の方は普通に荒川と言ってしまいますからねー。いつ頃から言われなくなったのでしょう。なるほど分断開発にも、そうですよね賛否ありますよね。
別コメも書いてしまいましたが、50代の自分が子供の頃はまだ「荒川放水路」という表現が古い地図や書籍には残っていて「後付けの放水路」というイメージがありました。
手塚プロダクション公式チャンネル【公式】どろろ 全話期間限定配信中
ご苦労様でした。都会は情報量が多くて変化も激しいのがよくわかりました。次も楽しみにしています。
おもしろかったです明治42年の地図が出た時思わず(。・о・。)わお!でした私 歴史大好きなのでみていてワクワクしますでも 私はサボり魔で ずっちぃ奴なので調べて勉強した人の話を聞くのが大好きですまだ 拝見しておりませんが東京の古地図とか興味深いですサボり魔の私が古地図を手に入れて東京を歩きたいと思いますバッシーさんの探索 楽しみにしています
人から聞くのは早いですし楽です(笑)確かに。観光案内とか館内案内みたいなのは積極的に利用した方がいいと私も思います。自分で調べるのもまた面白く、調べきれないこともあるので人から聞くこともまた面白いと。今こんな時期だから廃道に行けなくて…で古地図を利用してるんですけどね~。
荒川が昔は無かったのに 驚き👀‼️大分前は北区に住んでて、荒川は良く花火大会行ってます😊知らない事がバッシーさん達を通してわかるので、ありがたいです😃歴史も大好きです🎵バッシーさんの喋り方なーんか好きだなぁ🤭
そうなんですか。私も荒川の花火を見に行ったことがあります。あんなに大きな川なのに…岩淵から下流は海まで掘り進められました。信じられないですよね~。(笑)びっくりするような真実じゃないと動画面白くなくなっちゃいますからねー、びっくりされるように頑張って作ってます~。
人工的に造られたのが荒川です。荒川放水路が正式名称です。
私が子供の頃は荒川放水路でした。本来の荒川の流れは隅田川だと知ってました。
私も子供のころから荒川の近くでしたので人口の川だと聞かされてました。
地図帳です。巻末にマニアにとっての見どころスポットの解説があります。通常の地図では特筆されない、古道・旧道、湧水スポット、石碑。石仏、川跡・水路跡、谷間・窪地、階段等(簡単な解説付き)が載ってます。最強ですね。(笑)東京23区凸凹地図 (高低差散策を楽しむバイブル)昭文社 地図 編集部 (2020/12/14)「東京の地形を徹底的に記した画期的地図帳誕生!近年、「ブラタモリ」などの番組で紹介され愛好家が増えている、高低差に富んだ地形を歩いて楽しむ「スリバチ散歩」。とりわけ東京都心部は武蔵野台地が形づくるスリバチ地形の宝庫ともいえる。本書は散歩に適する1万分の1地図を基本に凸凹地形を極力正確に表現した、日本初の「スリバチ地図帳」である。地図上には地形や古道、暗渠、坂道や階段に詳しいその道の達人たちの協力のもと、スリバチ散歩に欠かせない情報もたっぷりと盛り込まれている。さあ、この地図帳を手に東京地形散歩の旅に出かけよう!」
昔川口に居たけれど車ばかり乗っていたけれどよく荒川土手に出掛けたけて富士山遠望したけれど。岩淵水門ですか友人の事務所が先日の台東区にあったので関心をもってみていました。ありがとう❣️
自分が住んでいる所や、住んでいた所。知っている場所が出てくるとついつい見てしまいますよね。
面白かったです。東京周辺は、江戸時代以降、大規模な工事があちこちで行われていて、古地図との照合は、大好きです。地図を平成から明治24年まで遡る場面で、荒川の位置がぴったり同じ位置に揃えているのは、すばらしいです。どういう技術かわかりませんが、作成にご苦労があったのではと思います。
コメントありがとうございます。普段は廃道マニアなんですよ~(笑)地図を見るのも好きなのでこの古地図散歩というジャンルに足を踏み入れてみたのですが。。都心の川っていのはことごとく進路が変更されているのですね。驚きました。普段見ている景色の由来を紐解いていくことはなかなか面白いものですね。aricop6さんも古地図を手に歩いてみてください!
江戸時代の第5代、徳川綱吉が柳沢吉保より、隅田川に利根川水系が氾濫しており、有名な利根川東遷を行ない、渡良瀬川の「流域が埋立て、洪水対策の掘削工事して」8代将軍の徳川吉宗が「紀州流方式で直線掘が特徴」でしたので「旧江戸川を硬い下総台地に沿って鍬、大工道具で掘削して、旧江戸川が誕生」したのです。その証として「下総台地の市川、船橋等の高さが3m以上高く、葛西、浦安側は0m地帯」でした。此れからの調査は江戸時代より調査済みました。また、荒川放水路は昭和初年に完成されました。平井等は変えておりません。国土交通省の「江戸川は大正元年に篠崎から船橋側の一部地域が、鍬やツルハシ等で掘削されて、やはり船橋側が3m以上高く、行徳側は0mの低地」でした。歴史、土木会調査学会
教えていただきありがとうございます。
とても良い所ですね!散歩動画好きなので(*´ω`*)登録させていただきました👍
ありがとうございます。こちらのチャンネルでは古地図散歩的なことをちょこちょこやるかもしれません。また遊びに来てください。
5月に彩湖から葛西臨海公園まで荒川土手をサイクリングしました。あんなに広い大きな川が近年作られた物だとは知らなかった。
荒川に関しては小さい頃からあそこは造られた川なんだよとは聞いていましたが。他の大きな川、多摩川とか利根川とかほとんどの変わって流れが変えられてるんですね。知りませんでした。自然のまんまの流れの川というのはないんですね。
荒川と隅田川が一番近づいている辺り(町屋付近)から荒川がまっすぐ行かず少し迂回する様な経路になります。その逃げている辺りは、千住宿辺りだったんですね。流石に、当時の政府もゴッソリ移転はさせられなかったのかな?
小さな村とかは飲み込まれてるみたいですね。。旧版地図を見ながら、この村は沈んだんだなーと眺めていました。宿場町はさすがに消せなかったんですかね。色々調べながら動画を作りましたが発見がたくさんあり楽しい製作でした。
古道?旧道?探索、面白かったですよ。
これはなににはいるんですか?日光街道とか奥州街道とか”街道”と付きますが、甲州街道の跡とかは古道?まで行かないですよね?旧道だと新しすぎるイメージですが。好きに理解してください。
江戸川競艇って、江戸川じゃなくて、荒川と並走している中川放水路で行われているんではないの!
そうですよ。
☀️ 荒ぶる川 🌁 荒川 はんぱねぇ ~~~ ☀️ 😆
テツandトモとペコパとトータルテンボスと後なんかいれたかな。。
@@smile-road ちゃん🎵 😂 笑っ💓
長時間撮影お疲れさまでした~(*^^*)2:16~ 現代から建設当時の地図が見れる場面なので比較がしやすい!ちなみに現代の荒川が太く昔の荒川放水路が細く見えるのは、上流からの流れてくる水量が増えたわけではなく、高度成長期に周辺自治体が地下水使いすぎて地盤沈下を起こした結果。相対的に荒川放水路の水面の高さが上がってしまい、川幅が太くなってしまったみたいです。そこら編も私の動画で触れようと思っていたんですが、カットしちゃいました(;´∀`)
お疲れ様です。裏側と言いつつ私も説明になってしまいました。。。あら、荒川の川の太さはそんな変化だったんですね。また機会が会ったら一緒に撮影に行きましょう!どうにかして全く違う動画にしてみたい(笑)
乃至政彦 (著) 戦う大名行列 (ベストセラーズ ベスト新書)「「大名行列」は、一般的に儀礼の行列から発展したと考えられている。歴史家・乃至政彦氏は、この行列の編成様式に注目。史料を読み解き、その起源は上杉謙信が武田信玄に大勝した「川中島の戦い」の軍隊配置にあったと指摘する。謙信はこの戦いで、多くの一般兵士を失う代わりに、敵の上級指揮官を討ち取るという、ある意味、リスクが高い戦術をとった。本書で乃至氏は、「川中島の戦い」や「大坂の陣」など戦の謎を行列から紐解き、さらに全国に普及していった武士の行列の変遷を通して、用兵思想の実相を明らかにする!」火力を前方に集中させた極めてji実戦的な配列になっています。幕府への恭順の意を示すためならこうはならなかったでしょう。
黒田 涼ヴィジュアル完全版 新発見! 江戸城を歩く (祥伝社新書) 祥伝社 (2019/6/10)日本の城下町を愉しむ 東邦出版 (2019/4/15)[カラー版]江戸東京の幕末・維新・開化を歩く (光文社知恵の森文庫) 光文社 (2018/4/10)江戸・東京の事件現場を歩く 世界最大都市、350年間の重大な「出来事」と「歴史散歩」案内 マイナビ出版 (2017/4/25)江戸の街道を歩く ヴィジュアル版 江戸を歩く (祥伝社新書) 祥伝社 (2016/6/1)江戸東京狭隘路地探索 おれの細道 アートダイジェスト; 四六判版 (2015/9/7)大軍都・東京を歩く (朝日新書) 朝日新聞出版 (2014/12/12)東京名所 今昔ものがたり (祥伝社黄金文庫) 祥伝社 (2013/10/11)江戸の神社・お寺を歩く[城西編](祥伝社新書) 祥伝社 (2012/7/1)江戸の神社・お寺を歩く[城東編](祥伝社新書) 祥伝社 (2012/6/2)江戸の大名屋敷を歩く<ヴィジュアル版>(祥伝社新書)祥伝社 (2011/6/2)江戸城を歩く ヴィジュアル版 江戸を歩く (祥伝社新書) 祥伝社 (2009/5/29)
大正から昭和に掛けて17年の大工事の末、完成した荒川放水路。途中、台風や関東大震災、第一次世界大戦なとで幾度となく中断した難工事ですがこれだけの物を17年で造った事は素晴らしい事だと思います!ただ、色々な道を分断してしまいました。最近は町の再開発などで昔の道の痕跡が失われてきています。昔の道を辿るには今でしょ。
「今でしょ」がありましたね~(笑)。RUclipsを見ながらフレーズを探していましたが。。次はアニメのセリフとかにしてみますww
荒川放水路に関しては岩渕水門の側にある治水資料館に行くと詳しく展示・説明があります。赤羽ゴルフ倶楽部のコースも北区、川口市と分断されてます。現在、浮間といえば北区ですが、河川改修前は浮間は埼玉県側だった経緯があり、川口市側に川口市浮間ゴルフ場というゴルフ場もあります。因みに川口オートレース場辺りから分岐して荒川に注いでる新芝川も人工河川です。
コメントありがとうございます。そして情報まで。調べるといろいろ知ることができますね。面白いです。
新芝川はもっと長くする予定でしたが戦争で中断、戦後狩野川台風によりショートカットして完成しました。川口市青木公園脇の意味不明な細長い公園や舎人公園南端の形状は本来の新芝川計画の名残りです。
赤水門を見に行くと史料館があるから近い人は行ってみたらいいと思います。中々勉強になりますよ。
ありがとうございます。皆さまぜひ行ってみてください。
まだお若いのに、古地図散歩。そのうえロードバイクまで。吾輩と趣味が重なっています。今、注目している千住界隈を、取り上げて下さり、感謝です。大山詣での大山街道や、羽田から奥多摩に続く筏道など、取材して頂くと嬉しいです。
コメントありがとうございます。私は廃道マニアなのですが地図を見るのは好きで、昨今の遠出のできない状況で地元千住の魅力をそして敷居が高そうで踏み込めなかった古地図散歩に手を出してみました。。説明不足、間違えた説明もあるかもしれませんがよろしくお願いいたします。廃道探索に飛び回っておりますが、機会があればまたこういう企画で何か調べてみたいと思います。その奥多摩に続く道はちょっと興味があります。調べてみます。
0:55 違いませんか
昔(すごく)、北千住に住んでおりました。紹介していた道は当時 ”旧道” と呼ばれておりました。現在の日光街道は電車通りと呼ばれておりました(都電が通っていたため)。 荒川ですが、当時は荒川放水路と呼ばれ、暴れ川だった隅田川の氾濫をおさえるためにつくられたと聞きました。 水戸街道のレンガ造りの高架手前左にお寺があり、門前に松の木があったかと思います。やりかけ松と呼ばれ、」水戸光圀が槍をおいて休んだと言われています。旧道には槍かけ団子という団子屋さんがあったはずです。明治天皇の泊まった宿も医院の門前に看板(石碑)がありますが、実際はその隣に私の子供の頃には実物がありましたが、在日の方が所有しており解体となり、今はビルが建っているところです。昔の面影が減っているのは寂しいですが、わずかでも残っている様子、見れて楽しい動画でした。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。都電もいろいろなところに通っていたみたいで旧版地図を見て驚いております。私も調べながら勉強しながら古い時代の物を追いかけています。そこに住んでいた方や今も住んでいる方が懐かしいと思っていただけるようなものを見つけながら、これからこういう世界に入ってこようとしている方にここにはこんなものがあったという片鱗でも伝えて行ければなと思います。昔こうだったというコメントを書き込んでくださるのはとても嬉しく思います。ありがとうございます。
江戸幕府は江戸の東を流れていた利根川を上流の小貝川あたりでグイッと流れを無理に曲げ千葉方面に変えた、そして現在の利根川になった。しかし江戸時代、大雨になると水の流れは本来の昔の姿に戻る。両国から千葉の市川までが水面下になり、対岸が見えないほど大河が出現した。現在、小島、梅島、三河島、向島、柳島、大島という島のつく地名は水面下にならなかった場所の名残だ。この問題を解決するには墨田川や江戸川より大きな人工の川を作るしかなかった。関東大震災後にその川はようやくできた。
スカイツリーがあるのは墨田区ですね浅草から近いですが荒川から分岐した隅田川を渡るので違う区ですね
@@白露型駆逐艦-z4b あら、なんか間違っちゃったようですね。動画って作成後何度も見返しますが、1人ではなかなか気づかなくて。失礼ー。
失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩 改訂版本田 創 (著)実業之日本社; 改訂版 (2021/2/1)90cm×60cmの大判「都心暗渠地図」「広域暗渠地図」つき。
これだけの大きな川が人工的に作られただなんて!衝撃でした!ハンパねぇっす!wwきっと近年になっての再現だったり案内板の設置でしょうし、気にする人も僅かなのでしょうが、後世にこうやって痕跡を残してくれているのは嬉しいものですね。テツトモのチャンネルはたまたま今日午前中に「炎歌ってみた」の動画がおすすめに出てきて見て、生きてたんだー!とちょうど感動したところでしたw
大きな話をすると関東平野の繁栄のために今残っている大きな川はほとんど流れが人工的に変更されていると言ってもいいくらいです。それだけ川の氾濫っていうのは人々の生活に大きな影響を与えたんですね。テツトモ見ましたか(笑)私もお勧めに出てきました。
0:39ムチャ振り?いえいえ、私は一瞬で判りました。これは金八先生の風景ですwバッシーさんも、このチャンネルをご覧の皆さんも、ご存知でしょうが、現在荒川と呼ばれ、本流とされている広〜い川は、荒川放水路という人工水路です。で、現在隅田川と呼ばれているのが、旧荒川です。現在の荒川と接していない荒川区は、元の荒川である隅田川に接しているので『荒川区』なんだそうです。同じく旧流路と放水路に分かれている江戸川の最下流域も、面白いことだらけで、笑い転げ・・・はしませんが、いろいろと血が騒ぐ一帯です。
こんにちは。
古地図と地形図で発見! 江戸・東京の「はじまり」を歩く 荻窪 圭 (著) 山川出版社 (2024/4/23)
衝撃事実 💥 突き付けられたい系 😂 www
東京人 2021年3月号 特集「階段で歩く 東京の凸凹」2021/2/3
用事で外に、出て目的地まで歩き始めただけ、なのに頭の中で曲が聞こえてくる「ちゃっちゃっちゃちゃちゃちゃーんちゃちゃちゃんちゃんちゃらちゃらちゃーん」、でついキョロキョロしてしまう、と何か見つけてしまう、「それだ!」と聞こえた気がしてつい立ち止まる、いかんいかん!遅れると思いながらもそこで道をそれる、で遅刻する、と小言をうける、のに帰りもそうなる、で程なく暗くなる、のにそれもあり!と思って帰宅して、「次は!」とyoutubeサーバーに繋げる。。。で、そんな日が次も訪れ、て繰り返す。 まずいなぁ、じわじわハマルるよバッシーさん 笑
じわってください(笑)サブではホントに気ままにやっていきますので。
隅田川よく綺麗な川になりました。浅草辺りは酷い川でした。知ってた?
はい、聞いてます。
荒川って不自然なんですよね。やっぱり人工の川だから無理矢理街中を通した感がありありで、殺風景で周辺の生活圏に馴染んでないんですよね。多摩川はまだ自然な感じが残っていて、周辺地域の生活の中にとけ込んでいるんです。夕暮れ時に河川敷のコンクリートの所とかに座って夕日を眺めている人とか結構いるんですよね。重要なレジャースポットでもあり癒しの場でもあるって感じです。いつまでもいつまでもそうあってほしいと願っています。😊
コメントありがとうございます。そうですね、この辺について調べていて私自身驚いたのはほぼすべての川の進路に手が加えられているということでした。利根川も荒川も隅田川も、たぶん多摩川も調べると何か出てくるかもしれませんが、荒川のように何もない陸地を掘って川にするのはレアケースでしょうけど、もともと利根川も銚子の方へ流れていたわけではないようです。多摩川や江戸川は流れは変えられても河川敷は自然のままなので夕日を眺める感じよくわかります。多摩川は高い建物もそんなにないですし夕暮れ時は何度か通ったことがありますがいい景色ですよね。ホントカメラを持って出かけたいような場所です。
広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密 竹村 公太郎 (著)集英社 (2021/4/26)
RUclips #昭和の東京シリーズ
これは都電絡みを調べるときにちょいちょい見てました。
荒川放水路だからね
一番驚いたのは明治時代の時にすでに衛星画像があった事です日本が衛星を打ち上げたんですかね
最初に出したのは地図ですよー。明治40年代の旧版地図です。
墨田区抜けてて草
見返しててもなんで抜けたか草
地方住みには荒川は「3年B組金八先生」のイメージでした。しかし今年、関東大震災100年のさまざまな記事や番組で、多くの朝鮮人が虐殺されて河川敷に埋められたと知りイメージが変わりました。
新聞社の扇動記事で多くの犠牲者が出ていたな
面白かったです
ありがとうございます。
エンディングの夜景ステキ。
50代です。子供の頃はまだ「荒川放水路」という表現を目にすることがありましたので、これは放水路なのね、という認識がありました。
私の頃は“荒川”としか聞かなかったような。。
ただいつだか忘れましたが人工的に作られた川だとは聞いていたような。
ℹ️ 案内板 あるの 、
見落とし ちゃうね ~~~
☀️ お 休み の日に 🎵ゆっくり
散策 するの も✨ 楽しいね 🎶
😆
よくぞ取り上げてくれました。
さぞかし時間がかかったことでしょう。お疲れさま😌💓
荒川放水路と呼ばなくなったのはいつ頃からでしょうか。
日光街道、水戸街道、下妻街道の消滅箇所は辿るだけでも面白いですね。川向こうの中央本町にて育った者として、歴史には深い関心があります。 五反野の旧家を尋ねて開削前後の話を聞いたこともあります。荒川の分断開発は間違いだったと批判しています。県境の川にすれば良かったと、悔いていました。足立区の発展を阻害する都市計画に疑問が出てますね。 その通りと、思います。
コメントありがとうございます。
放水路・・地元の方は普通に荒川と言ってしまいますからねー。
いつ頃から言われなくなったのでしょう。
なるほど分断開発にも、そうですよね賛否ありますよね。
別コメも書いてしまいましたが、50代の自分が子供の頃はまだ「荒川放水路」という表現が古い地図や書籍には残っていて「後付けの放水路」というイメージがありました。
手塚プロダクション公式チャンネル
【公式】どろろ 全話期間限定配信中
ご苦労様でした。都会は情報量が多くて変化も激しいのがよくわかりました。次も楽しみにしています。
おもしろかったです
明治42年の地図が出た時
思わず(。・о・。)わお!でした
私 歴史大好きなので
みていてワクワクします
でも 私はサボり魔で
ずっちぃ奴なので
調べて勉強した人の話を聞くのが大好きです
まだ 拝見しておりませんが
東京の古地図とか興味深いです
サボり魔の私が
古地図を手に入れて
東京を歩きたいと思います
バッシーさんの探索 楽しみにしています
人から聞くのは早いですし楽です(笑)確かに。
観光案内とか館内案内みたいなのは積極的に利用した方がいいと私も思います。
自分で調べるのもまた面白く、調べきれないこともあるので人から聞くこともまた面白いと。
今こんな時期だから廃道に行けなくて…で古地図を利用してるんですけどね~。
荒川が昔は無かったのに 驚き👀‼️大分前は北区に住んでて、荒川は良く花火大会行ってます😊知らない事がバッシーさん達を通してわかるので、ありがたいです😃歴史も大好きです🎵バッシーさんの喋り方なーんか好きだなぁ🤭
そうなんですか。私も荒川の花火を見に行ったことがあります。
あんなに大きな川なのに…岩淵から下流は海まで掘り進められました。
信じられないですよね~。
(笑)びっくりするような真実じゃないと動画面白くなくなっちゃいますからねー、びっくりされるように頑張って作ってます~。
人工的に造られたのが荒川です。
荒川放水路が正式名称です。
私が子供の頃は荒川放水路でした。本来の荒川の流れは隅田川だと知ってました。
私も子供のころから荒川の近くでしたので人口の川だと聞かされてました。
地図帳です。
巻末にマニアにとっての見どころスポットの解説があります。通常の地図では特筆されない、古道・旧道、湧水スポット、石碑。石仏、川跡・水路跡、谷間・窪地、階段等(簡単な解説付き)が載ってます。最強ですね。(笑)
東京23区凸凹地図 (高低差散策を楽しむバイブル)
昭文社 地図 編集部 (2020/12/14)
「東京の地形を徹底的に記した画期的地図帳誕生!
近年、「ブラタモリ」などの番組で紹介され愛好家が増えている、高低差に富んだ地形を歩いて楽しむ「スリバチ散歩」。とりわけ東京都心部は武蔵野台地が形づくるスリバチ地形の宝庫ともいえる。本書は散歩に適する1万分の1地図を基本に凸凹地形を極力正確に表現した、日本初の「スリバチ地図帳」である。地図上には地形や古道、暗渠、坂道や階段に詳しいその道の達人たちの協力のもと、スリバチ散歩に欠かせない情報もたっぷりと盛り込まれている。さあ、この地図帳を手に東京地形散歩の旅に出かけよう!」
昔川口に居たけれど
車ばかり乗っていたけれど
よく荒川土手に出掛けたけて富士山遠望したけれど。
岩淵水門ですか
友人の事務所が先日の
台東区にあったので関心をもってみていました。
ありがとう❣️
自分が住んでいる所や、住んでいた所。
知っている場所が出てくるとついつい見てしまいますよね。
面白かったです。
東京周辺は、江戸時代以降、大規模な工事があちこちで行われていて、古地図との照合は、大好きです。
地図を平成から明治24年まで遡る場面で、荒川の位置がぴったり同じ位置に揃えているのは、すばらしいです。どういう技術かわかりませんが、作成にご苦労があったのではと思います。
コメントありがとうございます。
普段は廃道マニアなんですよ~(笑)
地図を見るのも好きなのでこの古地図散歩というジャンルに足を踏み入れてみたのですが。。
都心の川っていのはことごとく進路が変更されているのですね。驚きました。
普段見ている景色の由来を紐解いていくことはなかなか面白いものですね。
aricop6さんも古地図を手に歩いてみてください!
江戸時代の第5代、徳川綱吉が柳沢吉保より、隅田川に利根川水系が氾濫しており、有名な利根川東遷を行ない、渡良瀬川の「流域が埋立て、洪水対策の掘削工事して」8代将軍の徳川吉宗が「紀州流方式で直線掘が特徴」でしたので「旧江戸川を硬い下総台地に沿って鍬、大工道具で掘削して、旧江戸川が誕生」したのです。その証として「下総台地の市川、船橋等の高さが3m以上高く、葛西、浦安側は0m地帯」でした。此れからの調査は江戸時代より調査済みました。
また、荒川放水路は昭和初年に完成されました。平井等は変えておりません。国土交通省の「江戸川は大正元年に篠崎から船橋側の一部地域が、鍬やツルハシ等で掘削されて、やはり船橋側が3m以上高く、行徳側は0mの低地」でした。
歴史、土木会調査学会
教えていただきありがとうございます。
とても良い所ですね!
散歩動画好きなので(*´ω`*)
登録させていただきました👍
ありがとうございます。
こちらのチャンネルでは古地図散歩的なことをちょこちょこやるかもしれません。
また遊びに来てください。
5月に彩湖から葛西臨海公園まで荒川土手をサイクリングしました。あんなに広い大きな川が近年作られた物だとは知らなかった。
荒川に関しては小さい頃からあそこは造られた川なんだよとは聞いていましたが。
他の大きな川、多摩川とか利根川とかほとんどの変わって流れが変えられてるんですね。
知りませんでした。自然のまんまの流れの川というのはないんですね。
荒川と隅田川が一番近づいている辺り(町屋付近)から荒川がまっすぐ行かず少し迂回する様な経路になります。
その逃げている辺りは、千住宿辺りだったんですね。
流石に、当時の政府もゴッソリ移転はさせられなかったのかな?
小さな村とかは飲み込まれてるみたいですね。。
旧版地図を見ながら、この村は沈んだんだなーと眺めていました。
宿場町はさすがに消せなかったんですかね。
色々調べながら動画を作りましたが発見がたくさんあり楽しい製作でした。
古道?旧道?探索、面白かったですよ。
これはなににはいるんですか?
日光街道とか奥州街道とか”街道”と付きますが、甲州街道の跡とかは古道?まで行かないですよね?
旧道だと新しすぎるイメージですが。
好きに理解してください。
江戸川競艇って、江戸川じゃなくて、荒川と並走している中川放水路で行われているんではないの!
そうですよ。
☀️ 荒ぶる川 🌁 荒川
はんぱねぇ ~~~ ☀️
😆
テツandトモとペコパとトータルテンボスと後なんかいれたかな。。
@@smile-road ちゃん🎵
😂 笑っ💓
長時間撮影お疲れさまでした~(*^^*)
2:16~ 現代から建設当時の地図が見れる場面なので比較がしやすい!
ちなみに現代の荒川が太く昔の荒川放水路が細く見えるのは、上流からの流れてくる水量が増えたわけではなく、高度成長期に周辺自治体が地下水使いすぎて地盤沈下を起こした結果。相対的に荒川放水路の水面の高さが上がってしまい、川幅が太くなってしまったみたいです。そこら編も私の動画で触れようと思っていたんですが、カットしちゃいました(;´∀`)
お疲れ様です。
裏側と言いつつ私も説明になってしまいました。。。
あら、荒川の川の太さはそんな変化だったんですね。
また機会が会ったら一緒に撮影に行きましょう!
どうにかして全く違う動画にしてみたい(笑)
乃至政彦 (著) 戦う大名行列 (ベストセラーズ ベスト新書)
「「大名行列」は、一般的に儀礼の行列から発展したと考えられている。歴史家・乃至政彦氏は、この行列の編成様式に注目。史料を読み解き、その起源は上杉謙信が武田信玄に大勝した「川中島の戦い」の軍隊配置にあったと指摘する。謙信はこの戦いで、多くの一般兵士を失う代わりに、敵の上級指揮官を討ち取るという、ある意味、リスクが高い戦術をとった。本書で乃至氏は、「川中島の戦い」や「大坂の陣」など戦の謎を行列から紐解き、さらに全国に普及していった武士の行列の変遷を通して、用兵思想の実相を明らかにする!」
火力を前方に集中させた極めてji実戦的な配列になっています。幕府への恭順の意を示すためならこうはならなかったでしょう。
黒田 涼
ヴィジュアル完全版 新発見! 江戸城を歩く (祥伝社新書) 祥伝社 (2019/6/10)
日本の城下町を愉しむ 東邦出版 (2019/4/15)
[カラー版]江戸東京の幕末・維新・開化を歩く (光文社知恵の森文庫) 光文社 (2018/4/10)
江戸・東京の事件現場を歩く 世界最大都市、350年間の重大な「出来事」と「歴史散歩」案内 マイナビ出版 (2017/4/25)
江戸の街道を歩く ヴィジュアル版 江戸を歩く (祥伝社新書) 祥伝社 (2016/6/1)
江戸東京狭隘路地探索 おれの細道 アートダイジェスト; 四六判版 (2015/9/7)
大軍都・東京を歩く (朝日新書) 朝日新聞出版 (2014/12/12)
東京名所 今昔ものがたり (祥伝社黄金文庫) 祥伝社 (2013/10/11)
江戸の神社・お寺を歩く[城西編](祥伝社新書) 祥伝社 (2012/7/1)
江戸の神社・お寺を歩く[城東編](祥伝社新書) 祥伝社 (2012/6/2)
江戸の大名屋敷を歩く<ヴィジュアル版>(祥伝社新書)祥伝社 (2011/6/2)
江戸城を歩く ヴィジュアル版 江戸を歩く (祥伝社新書) 祥伝社 (2009/5/29)
大正から昭和に掛けて17年の大工事の末、完成した荒川放水路。途中、台風や関東大震災、第一次世界大戦なとで幾度となく中断した難工事ですがこれだけの物を17年で造った事は素晴らしい事だと思います!
ただ、色々な道を分断してしまいました。最近は町の再開発などで昔の道の痕跡が失われてきています。
昔の道を辿るには今でしょ。
「今でしょ」がありましたね~(笑)。
RUclipsを見ながらフレーズを探していましたが。。
次はアニメのセリフとかにしてみますww
荒川放水路に関しては岩渕水門の側にある治水資料館に行くと詳しく展示・説明があります。
赤羽ゴルフ倶楽部のコースも北区、川口市と分断されてます。
現在、浮間といえば北区ですが、河川改修前は浮間は埼玉県側だった経緯があり、川口市側に川口市浮間ゴルフ場というゴルフ場もあります。
因みに川口オートレース場辺りから分岐して荒川に注いでる新芝川も人工河川です。
コメントありがとうございます。
そして情報まで。
調べるといろいろ知ることができますね。面白いです。
新芝川はもっと長くする予定でしたが戦争で中断、戦後狩野川台風によりショートカットして完成しました。川口市青木公園脇の意味不明な細長い公園や舎人公園南端の形状は本来の新芝川計画の名残りです。
赤水門を見に行くと史料館があるから近い人は行ってみたらいいと思います。中々勉強になりますよ。
ありがとうございます。
皆さまぜひ行ってみてください。
まだお若いのに、古地図散歩。そのうえロードバイクまで。吾輩と趣味が重なっています。今、注目している千住界隈を、取り上げて下さり、感謝です。大山詣での大山街道や、羽田から奥多摩に続く筏道など、取材して頂くと嬉しいです。
コメントありがとうございます。
私は廃道マニアなのですが地図を見るのは好きで、昨今の遠出のできない状況で地元千住の魅力をそして敷居が高そうで踏み込めなかった古地図散歩に手を出してみました。。
説明不足、間違えた説明もあるかもしれませんがよろしくお願いいたします。
廃道探索に飛び回っておりますが、機会があればまたこういう企画で何か調べてみたいと思います。
その奥多摩に続く道はちょっと興味があります。
調べてみます。
0:55 違いませんか
昔(すごく)、北千住に住んでおりました。紹介していた道は当時 ”旧道” と呼ばれておりました。現在の日光街道は電車通りと呼ばれておりました(都電が通っていたため)。 荒川ですが、当時は荒川放水路と呼ばれ、暴れ川だった隅田川の氾濫をおさえるためにつくられたと聞きました。 水戸街道のレンガ造りの高架手前左にお寺があり、門前に松の木があったかと思います。やりかけ松と呼ばれ、」水戸光圀が槍をおいて休んだと言われています。旧道には槍かけ団子という団子屋さんがあったはずです。明治天皇の泊まった宿も医院の門前に看板(石碑)がありますが、実際はその隣に私の子供の頃には実物がありましたが、在日の方が所有しており解体となり、今はビルが建っているところです。
昔の面影が減っているのは寂しいですが、わずかでも残っている様子、見れて楽しい動画でした。ありがとうございます。
コメントありがとうございます。
都電もいろいろなところに通っていたみたいで旧版地図を見て驚いております。
私も調べながら勉強しながら古い時代の物を追いかけています。
そこに住んでいた方や今も住んでいる方が懐かしいと思っていただけるようなものを見つけながら、これからこういう世界に入ってこようとしている方にここにはこんなものがあったという片鱗でも伝えて行ければなと思います。
昔こうだったというコメントを書き込んでくださるのはとても嬉しく思います。
ありがとうございます。
江戸幕府は江戸の東を流れていた利根川を上流の小貝川あたりでグイッと流れを無理に曲げ千葉方面に変えた、そして現在の利根川になった。しかし江戸時代、大雨になると水の流れは本来の昔の姿に戻る。両国から千葉の市川までが水面下になり、対岸が見えないほど大河が出現した。現在、小島、梅島、三河島、向島、柳島、大島という島のつく地名は水面下にならなかった場所の名残だ。この問題を解決するには墨田川や江戸川より大きな人工の川を作るしかなかった。関東大震災後にその川はようやくできた。
スカイツリーがあるのは墨田区ですね
浅草から近いですが荒川から分岐した隅田川を渡るので違う区ですね
@@白露型駆逐艦-z4b あら、なんか間違っちゃったようですね。
動画って作成後何度も見返しますが、1人ではなかなか気づかなくて。
失礼ー。
失われた川を歩く 東京「暗渠」散歩 改訂版
本田 創 (著)実業之日本社; 改訂版 (2021/2/1)
90cm×60cmの大判「都心暗渠地図」「広域暗渠地図」つき。
これだけの大きな川が人工的に作られただなんて!衝撃でした!ハンパねぇっす!ww
きっと近年になっての再現だったり案内板の設置でしょうし、気にする人も僅かなのでしょうが、後世にこうやって痕跡を残してくれているのは嬉しいものですね。
テツトモのチャンネルはたまたま今日午前中に「炎歌ってみた」の動画がおすすめに出てきて見て、生きてたんだー!とちょうど感動したところでしたw
大きな話をすると関東平野の繁栄のために今残っている大きな川はほとんど流れが人工的に変更されていると言ってもいいくらいです。
それだけ川の氾濫っていうのは人々の生活に大きな影響を与えたんですね。
テツトモ見ましたか(笑)
私もお勧めに出てきました。
0:39ムチャ振り?いえいえ、私は一瞬で判りました。これは金八先生の風景ですw
バッシーさんも、このチャンネルをご覧の皆さんも、ご存知でしょうが、現在荒川と呼ばれ、本流とされている広〜い川は、荒川放水路という人工水路です。で、現在隅田川と呼ばれているのが、旧荒川です。現在の荒川と接していない荒川区は、元の荒川である隅田川に接しているので『荒川区』なんだそうです。
同じく旧流路と放水路に分かれている江戸川の最下流域も、面白いことだらけで、笑い転げ・・・はしませんが、いろいろと血が騒ぐ一帯です。
こんにちは。
古地図と地形図で発見! 江戸・東京の「はじまり」を歩く
荻窪 圭 (著) 山川出版社 (2024/4/23)
衝撃事実 💥 突き付けられたい系
😂 www
東京人 2021年3月号 特集「階段で歩く 東京の凸凹」2021/2/3
用事で外に、出て目的地まで歩き始めただけ、なのに頭の中で曲が聞こえてくる「ちゃっちゃっちゃちゃちゃちゃーんちゃちゃちゃんちゃんちゃらちゃらちゃーん」、でついキョロキョロしてしまう、と何か見つけてしまう、「それだ!」と聞こえた気がしてつい立ち止まる、いかんいかん!遅れると思いながらもそこで道をそれる、で遅刻する、と小言をうける、のに帰りもそうなる、で程なく暗くなる、のにそれもあり!と思って帰宅して、「次は!」とyoutubeサーバーに繋げる。。。で、そんな日が次も訪れ、て繰り返す。
まずいなぁ、じわじわハマルるよバッシーさん 笑
じわってください(笑)
サブではホントに気ままにやっていきますので。
隅田川よく綺麗な川になりました。浅草辺りは酷い川でした。知ってた?
はい、聞いてます。
荒川って不自然なんですよね。やっぱり人工の川だから無理矢理街中を通した感がありありで、殺風景で周辺の生活圏に馴染んでないんですよね。
多摩川はまだ自然な感じが残っていて、周辺地域の生活の中にとけ込んでいるんです。
夕暮れ時に河川敷のコンクリートの所とかに座って夕日を眺めている人とか結構いるんですよね。
重要なレジャースポットでもあり癒しの場でもあるって感じです。
いつまでもいつまでもそうあってほしいと願っています。😊
コメントありがとうございます。
そうですね、この辺について調べていて私自身驚いたのはほぼすべての川の進路に手が加えられているということでした。
利根川も荒川も隅田川も、たぶん多摩川も調べると何か出てくるかもしれませんが、荒川のように何もない陸地を掘って川にするのはレアケースでしょうけど、もともと利根川も銚子の方へ流れていたわけではないようです。
多摩川や江戸川は流れは変えられても河川敷は自然のままなので夕日を眺める感じよくわかります。
多摩川は高い建物もそんなにないですし夕暮れ時は何度か通ったことがありますがいい景色ですよね。
ホントカメラを持って出かけたいような場所です。
広重の浮世絵と地形で読み解く 江戸の秘密
竹村 公太郎 (著)集英社 (2021/4/26)
RUclips #昭和の東京シリーズ
これは都電絡みを調べるときにちょいちょい見てました。
荒川放水路だからね
一番驚いたのは明治時代の時にすでに衛星画像があった事です
日本が衛星を打ち上げたんですかね
最初に出したのは地図ですよー。
明治40年代の旧版地図です。
墨田区抜けてて草
見返しててもなんで抜けたか草
地方住みには荒川は「3年B組金八先生」のイメージでした。
しかし今年、関東大震災100年のさまざまな記事や番組で、多くの朝鮮人が虐殺されて河川敷に埋められたと知りイメージが変わりました。
新聞社の扇動記事で多くの犠牲者が出ていたな