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ティレル018ってシンプルなスタイルで美しい名車だよね
もうオープニング曲から出演者からマシンからドライバーからチーム名から全てが懐かしい。
カペリやさしいなあ。
場所が場所だったし、原因も原因だったので、コースを知り原因による結果の怖さも分かっているからでしょうね。それだけの事故だったと。
素晴らしい動画ありがとうございました中嶋さん、ジョークでかわすなんて流石
カペリが正座して中島の顔をタオルでぬうぐう姿がカワイイ^^;
1990年開幕前の中嶋さんのアクシデントにヒヤッとしたが何事も無かったかのように、開幕戦で6位入賞してよかった。
懐かしい映像ありがとうございました😃当時14歳の僕、夜更かしして観てた番組のアップありがとうございます✨
当時はネットなんて無く・・F1情報は雑誌かこの番組でしたよねー
GPX買ってました。
あの白いスペースに「ロスマンズ」が入ったかも?は意外でした。(某誌情報による)たとえロスマンズがメインスポンサーに就いて資金面で潤っても一時的なものだったでしょう。マーケティング担当が愚息ボブだったのも仇になったね。
ティレルの事ですか?その話ホントですか?中嶋さんもアレジさんもマルボロがパーソナルスポンサーなのにそれは無い様気もしますが。でもわけの分からない様な話が真実になるのがF1の世界ですもんね。
1989年復活したブラバムの、ブランドル・モデナはなかなかのベストコンビだったのに、何やってんかなぁ名門ブラバム。
いい時代
動画Upありがとうございます😀😀
中嶋さんやっぱりタフだな
リアウイングに空気抵抗によってどれだけ大きな力がかかってるのかよく分かりました
ロングストレートじゃなくてよかった。
今更ながら思う。タイヤがグッドイヤーのままだったらもっと善戦しただろうと。
確かにピレリタイヤで苦戦しましたね。でもホンダエンジンがティレルのシャシーと合わなかったという話も聞きますね。
ベルガーとカペリは本当にいい人
懐かしい番組です。面白い時代でした。
今宮さん、古舘さんお若い‼️30年たちましたか。早いな~。
90年開幕戦で今宮さんがフォイテク!フォイテク!って叫んでたな~w
初めまして😃懐かしの今宮節、深夜に僕も思わず叫んだシーンです🤣(笑)
@@トラトラこうじ 地上波で当たり前にやってた時代。日曜日の夜中が楽しみでしたよねー月曜寝不足はお決まりw
ピケが奥さんグリッドにいないのは画面に入りきらないからですな妻愛人その1その2その3とか言って
実話:ピケ「セナは女が嫌いなんだ。ホモじゃ無いのか?」セナ「ピケはそんな事を言えない筈だよ。僕は彼の彼女を"知ってる"んだから」↑ブラジル、恐るべし。
ピケJrが何人いるのかw娘はクビアトと別れたんだっけ。
ティレルのカラーリングはまさにロスマンズありきのカラーリングだよな
ロスマンズと契約成立する前にカラーリングだけ先に決めてしまったため、あんなことになったんだとか。逆にシンプルでカッコいいんですよね
ZEEK RB15h 逆にエンジンカバーの白い部分を目立たせたことが、翌年にスポンサードしたブラウンへの強烈なアピールになったとか…
もしそうなっていたら、中島さんとアレジさんのマルボロによるパーソナルスポンサーはどうなっていたんでしょうね?
リアウィング落ちましたね。ああなったら、ドライバーに出来る事は何も無い。
Xuxaはセナが唯一子供が欲しいと思った女性で、30歳当時のセナはもう将来を考えられる女性を求めていた。しかし、大スターXuxaは人生を変える気は無かったらしく、90年3月に別れています。
中嶋選手がクラッシュした時に、ベルガー選手とカペリ選手が直ぐにかけつけてくれたのには、本当に感動した!
翌年のシーズン最初のテスト、同じくヘレスでも確か中嶋はコースアウトした記憶がある。その時はマシントラブルではなかったんだけど。
フォイテク顔初めて見たけど、イケメンじゃん❗️
じゃま?
このリヤウイングの倒れかたはティレル大丈夫なのかって普通に考えた。
ドライバーにとって一番起こってほしくないトラブルですもんね。何にもできないのだから。
今だったら古舘さん=サッシャさん、今宮さん=小倉さんになるのかなぁ。あと移籍市場が今よりも遥かにゆるゆるで自由度高いと思った。
中嶋さん、カメラマン、も勇敢ですね‼️👍
いい番組だなぁ
ホンダの後藤治監督は、歴代のホンダの責任者で一番好きな方でしたが、時々カッコつける所があるので、そこだけは好きじゃなかった!セナは、冬の間全く車に乗っていなくても、乗って直ぐに速さを見せるのは、やはり天才たる所以だ!
4:57この年のラリーニは完走率が高かったが、以後もずっとマシンに恵まれなかった。9:48タフすぎて笑ってしまった!14:32翌年から年々髪が薄くなっていったベルガー(笑)
中嶋悟のティレル初走行でヒヤッとしたシーンでした。018のリヤウイングが根元から脱落してクラッシュ!
泡沫チームが懐かしい
こんな頃は毎日のように友達とF1の話をしていたなと思う
マクラーレンのテストの時に今のホンダF1代表の田辺さんはいるのかな??
ピケの奥さんはさすがに・・・・・
古舘さんが一瞬軽部さんに見えた(笑)
ブラバムはこのあともゴタゴタがあったの?結局開幕はモデナとデビッドブラバムだったような・・・フォイテクはオニックス入りだったよね?
フォイテクは開幕戦ブラバムで派手なクラッシュしてるのでw3戦目?からヨハンソンの代わりでオニックス(モンテベルディ)でしたねー
プロストってたしか・・J、ラフィーの奥さんをNTRしたんじゃなかったけ?www
NTRだけじゃなくて、ちゃんと今でもパートナーです(つまり25年以上の付き合い)。娘のVictoriaさんはこの元ラフィー奥さんのお腹から生まれました。
今宮さ~ん帰ってこい
この頃はスーツといえばダブルでしたよね。
ヘロインってなんだよw
薬物ですね…
heroineとheroin は発音同じだけど意味の違いが凄まじい。
中嶋さんのクラッシュは当時見てて凄くビビったのを覚えてる。リアウィングが落ちるって今では考えられないからね...次の年のブラウンも良かったけど個人的にはこの年のカラーリングが好きだな♪マクラーレンはこの当時から車体開発に関しては何もやるべき事をやらずにホンダのエンジンに丸投げでおんぶに抱っこだったんだな。この時甘い汁吸わせ過ぎたから後にまたホンダと組むことになったとき傍若無人な降るまいに繋がったと思う。プロストはバレストルを通してFISAと癒着してた。これは本来あってはいけないこと。鈴鹿の一件も明らかにプロストに非があるにも関わらずバレストルを政治的に利用してセナを失格扱いにしてチャンピオンを強奪した最低最悪のドライバー。アイルトンは絶対悔しかっただろうし納得いかなかったと思うけどよく飲み込んで大人の対応したと思う。だからこそこの年と次の年のタイトル獲得に繋がったんじゃないかな?プロストはその反対に何も出来ずにフェラーリとケンカ別れ。当時子供ながらにざまぁ見ろ!って思った。
ま、ルノー時代にアルヌーと確執、チームからも浮いた、があるから、人格者でないのははっきりしてましたね。でもフランス人はそんなもんですよ。
多々野親父 ただ、先に追い出されたのはアルヌー。その後釜のエディー・チーバーを完全No.2契約にして完全にプロスト体制になったのに、ネルソン・ピケに逆転されてチャンピオンを逃したことで、ルノーを大批判してマクラーレンに戻ったから、フランスに住めなくなった。
バレストルのプロスト贔屓は何回見ても腹立つなぁ
「F1にイエローはいらない」まぁ、バレストルは元ナチ党の一員らしいですからね。
っていうか、フランス人はあんな感じだし。
でもルノーと縁が深いプロストにホンダが気を許したり、深いビジネス関係を築いたりする筈も無く、またロンデニスも最強エンジンホンダに自社の将来を見てるから、チーム内で政治的に不利になりつつあったプロストの後押しをしなくてはってバレストルが考えるのは割と普通の発想だと思いますけど。あと、バレストルがあんな風になった背景として、当時のセナはことプロストが関わると、まるで韓国政府かというくらいの嘘や歪曲話が平気な性格です。海外インタビューを読むとそういうのが分かります。やはり、理由なくいじめられるって事は世の中そうそう無いんですよ。あのクリーン走行の権化のプロストが、似合わない故意接触を決断するんですから。
@@Chalarge4635 ニキ・ラウダもセナの走りに否定的でしたよね^^そして当時の(高校生の頃)F1観戦仲間達、17歳の頃のガキの年代ですらセナの走りに否定的な人は多かったです。TVの印象操作はこわいですね〜けどセナを英雄視する事で深夜帯の放送にも関わらず視聴率を取ったって意味では、ある意味フジの戦略は成功だったのかもしれないですけどね(><)
@@杉浦大介-e8f あら、お仲間さん達も批判的だったんですか~。私は、セナの走り自体はシビアではあったけど別に問題は無かったと思うんですよね。ただ、ジャッキー、ラウダ、(解説者として活躍していた)J.ハント等、89年の鈴鹿接触時、みんな軒並みプロスト側に立った。それは、セナとプロストの人徳の差でしょう。青二才的思考で不興を買う相手を間違えるから、走りまで無駄に批判される事になったと思いますね。
ティレル018ってシンプルなスタイルで美しい名車だよね
もうオープニング曲から出演者からマシンからドライバーからチーム名から全てが懐かしい。
カペリやさしいなあ。
場所が場所だったし、原因も原因だったので、コースを知り原因による結果の怖さも分かっているからでしょうね。
それだけの事故だったと。
素晴らしい動画ありがとうございました
中嶋さん、ジョークでかわすなんて流石
カペリが正座して中島の顔をタオルでぬうぐう姿がカワイイ^^;
1990年開幕前の中嶋さんのアクシデントに
ヒヤッとしたが
何事も無かったかのように、開幕戦で
6位入賞してよかった。
懐かしい映像ありがとうございました😃
当時14歳の僕、夜更かしして観てた番組のアップありがとうございます✨
当時はネットなんて無く・・F1情報は雑誌かこの番組でしたよねー
GPX買ってました。
あの白いスペースに「ロスマンズ」が入ったかも?は意外でした。(某誌情報による)
たとえロスマンズがメインスポンサーに就いて資金面で潤っても一時的なものだったでしょう。
マーケティング担当が愚息ボブだったのも仇になったね。
ティレルの事ですか?
その話ホントですか?
中嶋さんもアレジさんもマルボロがパーソナルスポンサーなのにそれは無い様気もしますが。
でもわけの分からない様な話が真実になるのがF1の世界ですもんね。
1989年復活したブラバムの、ブランドル・モデナはなかなかのベストコンビだったのに、何やってんかなぁ名門ブラバム。
いい時代
動画Upありがとうございます😀😀
中嶋さんやっぱりタフだな
リアウイングに空気抵抗によってどれだけ大きな力がかかってるのかよく分かりました
ロングストレートじゃなくてよかった。
今更ながら思う。タイヤがグッドイヤーのままだったらもっと善戦しただろうと。
確かにピレリタイヤで苦戦しましたね。
でもホンダエンジンがティレルのシャシーと合わなかったという話も聞きますね。
ベルガーとカペリは本当にいい人
懐かしい番組です。
面白い時代でした。
今宮さん、古舘さんお若い‼️30年たちましたか。早いな~。
90年開幕戦で今宮さんがフォイテク!フォイテク!って叫んでたな~w
初めまして😃
懐かしの今宮節、深夜に僕も思わず叫んだシーンです🤣(笑)
@@トラトラこうじ 地上波で当たり前にやってた時代。日曜日の夜中が楽しみでしたよねー月曜寝不足はお決まりw
ピケが奥さんグリッドにいないのは
画面に入りきらないからですな
妻
愛人その1
その2
その3
とか言って
実話:
ピケ「セナは女が嫌いなんだ。ホモじゃ無いのか?」
セナ「ピケはそんな事を言えない筈だよ。僕は彼の彼女を"知ってる"んだから」
↑ブラジル、恐るべし。
ピケJrが何人いるのかw
娘はクビアトと別れたんだっけ。
ティレルのカラーリングはまさにロスマンズありきのカラーリングだよな
ロスマンズと契約成立する前にカラーリングだけ先に決めてしまったため、あんなことになったんだとか。
逆にシンプルでカッコいいんですよね
ZEEK RB15h 逆にエンジンカバーの白い部分を目立たせたことが、翌年にスポンサードしたブラウンへの強烈なアピールになったとか…
もしそうなっていたら、中島さんとアレジさんのマルボロによるパーソナルスポンサーはどうなっていたんでしょうね?
リアウィング落ちましたね。
ああなったら、ドライバーに出来る事は何も無い。
Xuxaはセナが唯一子供が欲しいと思った女性で、30歳当時のセナはもう将来を考えられる女性を求めていた。しかし、大スターXuxaは人生を変える気は無かったらしく、90年3月に別れています。
中嶋選手がクラッシュした時に、ベルガー選手とカペリ選手が直ぐにかけつけてくれたのには、本当に感動した!
翌年のシーズン最初のテスト、同じくヘレスでも確か中嶋はコースアウトした記憶がある。
その時はマシントラブルではなかったんだけど。
フォイテク顔初めて見たけど、イケメンじゃん❗️
じゃま?
このリヤウイングの倒れかたはティレル大丈夫なのかって普通に考えた。
ドライバーにとって一番起こってほしくないトラブルですもんね。
何にもできないのだから。
今だったら古舘さん=サッシャさん、今宮さん=小倉さんになるのかなぁ。
あと移籍市場が今よりも遥かにゆるゆるで自由度高いと思った。
中嶋さん、カメラマン、も勇敢ですね‼️👍
いい番組だなぁ
ホンダの後藤治監督は、歴代のホンダの責任者で一番好きな方でしたが、時々カッコつける所があるので、そこだけは好きじゃなかった!セナは、冬の間全く車に乗っていなくても、乗って直ぐに速さを見せるのは、やはり天才たる所以だ!
4:57この年のラリーニは完走率が高かったが、以後もずっとマシンに恵まれなかった。
9:48タフすぎて笑ってしまった!
14:32翌年から年々髪が薄くなっていったベルガー(笑)
中嶋悟のティレル初走行でヒヤッとしたシーンでした。018のリヤウイングが根元から脱落してクラッシュ!
泡沫チームが懐かしい
こんな頃は毎日のように友達とF1の話をしていたなと思う
マクラーレンのテストの時に今のホンダF1代表の田辺さんはいるのかな??
ピケの奥さんはさすがに・・・・・
古舘さんが一瞬軽部さんに見えた(笑)
ブラバムはこのあともゴタゴタがあったの?
結局開幕はモデナとデビッドブラバムだったような・・・
フォイテクはオニックス入りだったよね?
フォイテクは開幕戦ブラバムで派手なクラッシュしてるのでw
3戦目?からヨハンソンの代わりでオニックス(モンテベルディ)でしたねー
プロストってたしか・・J、ラフィーの奥さんをNTRしたんじゃなかったけ?www
NTRだけじゃなくて、ちゃんと今でもパートナーです(つまり25年以上の付き合い)。娘のVictoriaさんはこの元ラフィー奥さんのお腹から生まれました。
今宮さ~ん帰ってこい
この頃はスーツといえばダブルでしたよね。
ヘロインってなんだよw
薬物ですね…
heroineとheroin は発音同じだけど意味の違いが凄まじい。
中嶋さんのクラッシュは当時見てて凄くビビったのを覚えてる。リアウィングが落ちるって今では考えられないからね...次の年のブラウンも良かったけど個人的にはこの年のカラーリングが好きだな♪
マクラーレンはこの当時から車体開発に関しては何もやるべき事をやらずにホンダのエンジンに丸投げでおんぶに抱っこだったんだな。この時甘い汁吸わせ過ぎたから後にまたホンダと組むことになったとき傍若無人な降るまいに繋がったと思う。
プロストはバレストルを通してFISAと癒着してた。これは本来あってはいけないこと。鈴鹿の一件も明らかにプロストに非があるにも関わらずバレストルを政治的に利用してセナを失格扱いにしてチャンピオンを強奪した最低最悪のドライバー。
アイルトンは絶対悔しかっただろうし納得いかなかったと思うけどよく飲み込んで大人の対応したと思う。だからこそこの年と次の年のタイトル獲得に繋がったんじゃないかな?プロストはその反対に何も出来ずにフェラーリとケンカ別れ。当時子供ながらにざまぁ見ろ!って思った。
ま、ルノー時代にアルヌーと確執、チームからも浮いた、があるから、人格者でないのははっきりしてましたね。でもフランス人はそんなもんですよ。
多々野親父 ただ、先に追い出されたのはアルヌー。
その後釜のエディー・チーバーを完全No.2契約にして完全にプロスト体制になったのに、ネルソン・ピケに逆転されてチャンピオンを逃したことで、ルノーを大批判してマクラーレンに戻ったから、フランスに住めなくなった。
バレストルのプロスト贔屓は何回見ても腹立つなぁ
「F1にイエローはいらない」
まぁ、バレストルは元ナチ党の一員らしいですからね。
っていうか、フランス人はあんな感じだし。
でもルノーと縁が深いプロストにホンダが気を許したり、深いビジネス関係を築いたりする筈も無く、またロンデニスも最強エンジンホンダに自社の将来を見てるから、チーム内で政治的に不利になりつつあったプロストの後押しをしなくてはってバレストルが考えるのは割と普通の発想だと思いますけど。
あと、バレストルがあんな風になった背景として、当時のセナはことプロストが関わると、まるで韓国政府かというくらいの嘘や歪曲話が平気な性格です。海外インタビューを読むとそういうのが分かります。やはり、理由なくいじめられるって事は世の中そうそう無いんですよ。あのクリーン走行の権化のプロストが、似合わない故意接触を決断するんですから。
@@Chalarge4635
ニキ・ラウダもセナの走りに否定的でしたよね^^
そして当時の(高校生の頃)F1観戦仲間達、17歳の頃のガキの年代ですらセナの走りに否定的な人は多かったです。TVの印象操作はこわいですね〜
けどセナを英雄視する事で深夜帯の放送にも関わらず視聴率を取ったって意味では、ある意味フジの戦略は成功だったのかもしれないですけどね(><)
@@杉浦大介-e8f
あら、お仲間さん達も批判的だったんですか~。
私は、セナの走り自体はシビアではあったけど別に問題は無かったと思うんですよね。ただ、ジャッキー、ラウダ、(解説者として活躍していた)J.ハント等、89年の鈴鹿接触時、みんな軒並みプロスト側に立った。それは、セナとプロストの人徳の差でしょう。青二才的思考で不興を買う相手を間違えるから、走りまで無駄に批判される事になったと思いますね。