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大学時代に日本史を専攻していた者です。先生の話を聞いていて学び直しています。とてもワクワクします。
初めて歴史を学ぶ意義というか、歴史を観る目、読み解く目の大切さを教わった気がします。
ちょうど今「超日本史」の方も読んでいます動画の方は単なる本のダイジェストと思いきや本のエキスをそのまま放出しているのに驚き読んでかつ見れば記憶の定着間違いなし
茂木さんの話は面白い
こうして聞いてみると歴史はとても面白いですね。中学高校での覚えるだけの歴史より、何でこういうことが起こったのかとか、そういう流れを知った方がより分かりやすいし面白い。昔のことを知ると今現在どうしていくのがいいのかも考えられるようになるし、学校の歴史もこうして教えていった方が先々の為になる気がします。
良いぞ。やっと解りやすくなった。ありがとうございます。
地理も歴史も地政学なしに学んでは理解が深まらないということがしみじみわかる。
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最終まとめ部分より、近隣国との関係や情勢を考慮しつつ歴史(過去の出来事)の流れを読み解く学習方法を中学生の頃から出来ていたらと悔やまれる。如何に歴史を学ぶ事が重要で年表を単に記憶するだけでは解らない様々を早くから知れたかもダヨ。
学生時代は、正直、世界史、そこに絡む日本史に、興味なかったですけど、大人になった今、凄く面白く拝見しました。いろいろ考えさせられますね。
面白いですね。こんな学び方があれば日本史は超面白い。ありがとうございます。
壬申の乱が唐との兼ね合いだとは!でも額田王をめぐる争いだとかよりしっくりきますね。
ありがとうございます
親唐派の大友皇子と親新羅派の大海人皇子(天武天皇)の壬申の乱という見方は面白かったです。
親唐派の大友皇子壬申の乱の大友軍に唐人(中国人)がおおぜいいて作戦指導をしていたらしい。三国志の時代以来、中国は軍事面でも進んでいたのだ。
超面白い超日本史!
毎回楽しく拝見しています!壬申の乱が対中国政策の対立だったという視点は目から鱗でしたし、初めて納得がいきました。当時の国際情勢の中で日本史を見るととても面白いですし、勉強になりますね!ちなみに、茂木先生は万世一系を否定していません。『超日本史』の中にコラムがあるのでそちらもどうぞ。
い
単なる兄弟ゲンカとしか教えられていないと興味もわきません。しかし、このように周りの情勢によって国策の争いとなると重みが違います毎回、面白い限りです。日本には本当の歴史家は何人いるのでしょうか?学閥が怖いのか、それとも・・・・
まってました!!!
このルートは拉致実行犯・工作員の上陸ルートでもある。
継体天皇が応神天皇5世孫であることは高森さんが書かれています。血統は守られたが権威が薄れない様に仁賢天皇の皇女(武烈天皇の姉)をお妃にしています。
王朝交代があったということが言いたいのでしょうか?
@@channelhossy1793 応神天皇の5代目が継体天皇なので王朝交代ではないですね。直近の天皇の子孫ではないから、直近の天皇の子孫と結婚したんでしょう。例えば、敗戦後に皇族離脱した人の男系子孫が天皇になる場合、愛子さまと結婚して、直近の天皇家の血を入れるような感じです。直近の天皇家の血が入った方が求心力が高まりますから。
古代史は資料が少ない上、権力者の盛りがあるのでなかなか分析は難しいですね。古代の日本と朝鮮半島は私はあまり関係ないのではと思います。むしろ青森の十三湊などを中心とした渤海との日本海交易圏のもと発展していたと感じます。渤海は現在はじゅうしされませんが当時の資料では海東の盛国と言う極東の大国でした。このため古代日本は新潟以北の日本海側が栄えていました。
面白いっす!
鎌足の藤原氏が抜けちゃってますよ。藤原不比等と天武天皇の関係は重要だよ。倭国、九州説も取り上げてほしい。
とっても勉強になりました。参政党ガンバレ。
面白い。頭良かったんだ。凄い。
茂木誠氏の地政学的世界史は科学的で非常面白いが日本の古代史はイマイチ、福永晋三氏の倭歌が説き明かす古代史はあらゆる面で面白く実にリアルである。
福井県三国町生まれです。三国神社はまさに継体天皇の母君を祭った神社で。確かに三国町は、思いっきり港町ですよ。
この時代を背景として書かれた、井上靖さんの「額田之女王」を読んだ時の記憶が蘇えりました。壬申の乱は天智天皇の(大友皇子、弘文天皇と記する書も有り)と、一度は皇籍を離れて吉野山にこもった大海の皇子との戦争だということならば、力で皇位を奪ったとして天武帝の正当性を疑う人は、当時はいなかったんでしょうか。
最初から6:30くらいまで。音声レベルをまず同じくらいに調整していただけますか。神谷さんの声のほうがマイクに近いように聞こえます。また、神谷さんは、まずゲストの説をある程度最後まで拝聴し、自論は参考程度で挿入するのは難しいでしょうか。CGSは、ゲストとそのタイトルに惹かれて見てきました。もしかして、CGSは普通の講座と違い、神谷さんは主宰として、司会、聞き役、ホスト、という括りではなく、一言論人としてゲストと対等に意見を戦わせることもある、というコンセプトだったのかなあ、と思い至りました。
現在の日本よりも国外のことしっかり調べて対処してて草
毎回楽しく拝見しています!毎回楽しく拝見いたしております。茂木先生が、わからないと仰っていた。蘇我時代の系譜は、王朝が、二つあり用明系(蘇我系倭王系)推古系(在来近畿伽耶渡来系?王統)双方から見た系図だと考えられます、のこされた聖徳太子の係累資料(皇子名・婚姻関係に注目) 蘇我氏系図 推古系系図を参照されると、疑念が説かれるとおもいます、蘇我とは。相加 宗賀であり、大臣とは大人 用明とは有明子を暗示した名づけです 中大兄の大兄とは高句麗の官職ですいずれにしても朝鮮半島の情勢とは無縁であるはずもありませんが・・・日本書紀は、天武天皇の死後 高市皇子以降の女帝の時代に都合よく作成されて可能性が大きく。本来天武天皇が目指していた書とは、違ったものになっていると考えられます、全ての鍵は、天武天皇がにぎっております。そのわりには、マイナーなのが非常に残念です!
愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ!
聖徳太子をお飾りとは…どこかの思想勢力が喜びそうなお話ですね。茂木氏は、ご自身よりはるかに我が日本國のことを知っていた(はず)人達が残してきた説を、否定するんですね。神谷さんは、こういう説もある、ことを大切にしたいようですが、知識がない少ない人達は混乱するのでは…。私は、大陸からの色々渡来説を知る度に、皆海の向こうに何かがあると確信して出航するのだろうか…と不思議に思うのです。
当時から忍者がいたということ?情報戦って大事だなあ・・・
私も福井市出身です継体天皇は足羽山ですね
『日本書紀』には、「これは代々伝わっている過去の出来事の伝聞である」「この部分には異説もある」「この部分は自分もよく理解できないでいる」「ここからは現在の事件である」といった記述があり、筆者が出来る限り客観的に歴史を書き残そうと努力した、誠実で真摯な姿勢が見られます。それを「どうせ一緒」という偏見だけで、''中国大陸の歴代王朝の歴史書と同じく、前王朝を貶めて現王朝を正当化するためのプロパガンダ歴史書''と判断されるのは、非学術的態度(むしろプロパガンダ)に思えます。失礼ながら、その上から目線の態度と共に、詐欺師の壮大なホラ噺としか、私には思えません。
もし中国の歴史書のような思想で歴史書を編集したら、大友皇子もひどく書かれたと思います。確かに偏った史観で語ってる可能性が強いです。
昔から、嘘をつけない民族性があったから、中国の王朝史のように捉えるのは変ですよね。卑弥呼についても、中国の史書には卑弥呼って人がいたと書かれている・・・って律儀に記載しているし。中国と同じなら、卑弥呼を否定する嘘を書き込んでいるはず
**聖徳太子に仏教を教えたのは595年に高句麗から来た慧慈と百済から来た慧聡です。彼らの共通語は仏典に書かれている“漢文”です。日本では5世紀中頃に即位したと考えられる履中天皇の時代に文書による政治運営が始まり、『ワカタケル大王(獲加多支鹵大王)』という文字の刻まれた四七一年年の辛亥銘の鉄刀銘文のような漢文を書き、宋にも雄略天皇(=ワカタケル大王)に比定される倭王武が「封國偏遠~…(封国は偏遠にして~)」で始まる立派な漢文の上表文を送っています。雄略天皇の時代(5世紀後半)には漢文を書くのは専門のフヒト(史)が中心だった思われますが、それから100年以上も経った6世紀後半には上層の貴族階級(支配階級)や僧侶は個人差はあっても漢文をよく理解できたと考えてよいと思います。 これは、幕末の1850年頃は一部の専門家しか理解できない話せない英語が百年後の1950年(戦後ですが)にはどうなっていたか見れば分かることです。聖徳太子と慧慈、慧聡は(知的レベルも高かったはずですから)漢文によってかなり自由にコミュニケーションしていたと考えられます。筆談と呉音による口頭の会話もあったでしょう。そして、数年すれば慧慈も慧聡も日本語会話ができるようになったと考えられます。 663年の白村江の戦いに日本百済連合軍が敗れ、その後、百済と高句麗が滅亡し、とくに百済は支配層を中心に日本に亡命して来ました。支配層の貴族は日本の政治の中にすぐに入り活躍したものもいて当時、百済人と日本人は会話が通じたのだと言う人(この考えは日本の経済学者の最高峰と考えられる小室直樹氏が著書で述べているが彼は専門の言語学者ではなく想像で意見を述べると勇み足をする好例。が、この誤解に基づいて発言する者が日韓両国にいる)がいますが誤りです。東大教授で言語学の大家であった服部四郎氏は“言語年代学”の手法に自身の改良を加えて日本語と朝鮮語の関係を調べ、両語が同じ祖語から分かれたとしても、その分裂時期は今から4000年前以後ではないとしています。 日本語と朝鮮語は語順はSOV言語で同じですが、身体語や数詞などの「基礎語彙」がほとんど一致しないのです (およそ二千年前に分裂した英語とドイツ語では基礎語彙の中の数詞「1~10」や身体語「手足口耳など」は同じ語から分かれたことが明瞭に分かる形をしているのに、日本語と朝鮮語では数詞や身体語の基礎語彙中の核心の語さえほとんど一致しない。たとえ、祖語が同じとしても二千年前ではなく、四千年前でもなくもっと前に分かれたと考えないとこのような結果にはならない)。ともかく、当時の百済語と日本語は会話ができるような関係ではないと考えるべきです。 亡命百済人貴族が日本の朝廷ですぐ活躍できた理由は彼らの漢文力にあります。文章を書く力は朝廷では重要視されていたと考えられます。聖徳太子の時代の漢字の音は「呉音」と呼ばれており、百済経由で入ってきた“音”と考えられます。また、文字を通じてコミュニケーションがとれれば日本語が話される環境で日本語の会話の習得もそれほど難しくはなく数年でかなり話せるようになるはずです(それは、日本語と同じ語順のモンゴル語を母語に持つモンゴル力士が流暢に日本語を話すのをみれば分かります)。 ともかく、聖徳太子の時代(6世紀後半)も白村江の戦いを決断した天智天皇の時代(7世紀後半)も日本語と百済語や高句麗語はその場で話して通じる言語ではありません。この点、解説者には誤解があると思います。 永井津記夫
中国の歴史書にも朝鮮半島で話されてる複数の言葉と倭人の話す言葉はお互いに通じないと何度も書かれているのに、未だに百済語と日本語が通じたと顔出して言う保守派がいることに驚きます。百済や高句麗から借用語は入ってきたかもしれませんが、それが言葉が通じたとはなりません。例えば、日本ではテーブルとかキッチンとか外来語が氾濫してますが、日本語と英語は通じません。古代も大陸系外来語は沢山入ってきたと思いますが所詮借用語に過ぎないのです。
@@sazanami7484 ****返信ありがとうございます。もう二年前に書いたコメントで忘れかけていたところです。 朝鮮半島南部(任那、加羅)には中国の史書に記述されているように倭人が住んでいました。彼らは倭人の言葉(倭人語=日本語)を話していたはずですが、隣接する他の諸国の原住民との交流の都合上、彼らの言葉もある程度話せたと思われます。新羅、百済、高句麗の言葉は日本語と語順が同じ(SOV言語)で単語さえ覚えればコミュニケーションは難しくなかったと思います。が、基礎語彙がほとんど一致しないことを考えると、当時、日本語と百済語、新羅語とは聞いて理解できるような言語ではなかったはずです。 スペイン語とポルトガル語は現在、聞いてお互いに理解できるほどの近い言語とされています。これは外国語というより方言と言った方がいいようです。英語とドイツ語は現在、聞いて理解できる言語ではありませんが、基礎語彙は大多数が一致します。たとえば、「hand(英)=Hand(独)=te手(日);son(朝鮮語)」、「nose(英)=Nase(独)=hana鼻(日);k‘o (朝)」、「three(英語)=drei(独)=mittsu3(日);se:t(朝)」、「nine(英)=neun(独)=kokonotsu9; ’ahop(朝)」 はほとんど一致しており、同一の共通祖語から分かれてきた言語であることは明白です。が、最後に参考に付加した朝鮮語の単語は日本語とは発音(形)がかけ離れています。ドイツ語と英語が分かれたのはおよそ2千年前とされており、それでもこのような明白な音韻対応がありますが、日本語と朝鮮語は基礎語彙において対応がほとんどないことを勘案すると。たとえ、日本語と朝鮮語が共通の祖語を持つとしてもそれは5,6千年以上前に分裂した言語ということになるでしょう。 倭の五王の最後の王とされる雄略天皇が宋の順帝に上表文を送り、朝鮮半島南部(百済、新羅、任那、加羅など)の支配権を主張していますが、朝鮮半島南部には同胞(倭人とその子孫)が住んでおり、雄略天皇はその支配権と安全の確保を含めて宋に使者を送り支配権を主張したものと考えられます。 永井津記夫
지금도 인천지명에 "미추홀"뜻은 알수 없고 아마 일본어인듯하고 전라도말씨에 "-한단마시""--입니다."로 일본어 흔적(--ます)이 있고요. 전라도억양이 이스라엘억양과흡사하며과거에서 지금까지 경북주류정권은(신라) 문자와 역사서 소지자를 색출 반역죄로 죽였슴
전라도말씨가 복모음이 없고1400년 노예생활 중이며지금도 경상북도는 해방시켜줄뜻이 없음
新羅支配者たちが中国人(華僑)という基礎語は中国語を韓国式発音したことが多い
この時代から半島に関わるとろくな事にならない。
九州王朝について触れていないのが残念です。倭の五王も「日出処の天子・・・」の国書を認めた他利思北孤(聖徳太子ではない)も九州王朝の王です。古事記にも日本書紀にもその名は出てきません。大和朝廷の人間ではないからです。独自の元号があって初めて隋と対等の外交が出来ます。九州王朝も倭の五王の時代は、名前も中国風に漢字一文字で元号も中国のものを使っていたと思われます。九州王朝では522年から独自の元号(九州年号)を建てていることが『海東諸国紀』『二中歴』等により分かります。この九州年号は811年に終わっていて、九州王朝が滅びたことが分かります。白村江で唐と戦っていたのは九州王朝です。大和王朝は戦いに参加するように要請されましたが、唐を相手の負け戦と分かっていたので参加しませんでした。唐に敗れた九州王朝は壊滅的な打撃を受け、中国の歴史にあるように形あるものは全て壊され、焚書もあって記録は残されていません。旧唐書より、702年に日本を代表する国が九州王朝から大和王朝に替わったことが分かります。古事記も日本書紀も大和王朝の初めての歴史書ですが、そこに書かれている名称を伏せられた参考文献は九州王朝の歴史書だと思われます。奈良正倉院の宝物は主に8世紀以降の遺品であり、海の正倉院と称される沖ノ島には4世紀の遺品が出土している。遣隋使は九州王朝の他利思北孤が遣わしたもので、大和王朝は派遣していない。大和王朝は第二回遣隋使に小野妹子を同行させた。九州王朝は第二回遣隋使以後派遣していない。大和王朝が派遣したのは遣唐使だけである。九州から大和へ、日本を代表する王権の交替があったことを明確にしたい。
武烈天皇は崩御した時1節にはまだ18歳の少年でとても真面目と言われているから、精神状態が不安定になって狂気の沙汰に陥ってもおかしくないと思う
愚者は経験から学ぶが、賢者は歴史から学べ。歴史が権力争いの醜態を見せている。歴史は繰り返すとはよく言ったものです。
さて、白村江での敗戦は葛城皇子の出兵忌避でしょう。
本朝の場合、王朝交代といってもフランスのカペー朝からヴァロワ朝へヴァロワ朝からブルボン朝へといった程度の同じ父系一族での本流から支流への交代といった程度のものだと思います。シナのような民族まるごと入れ替わりの王朝交代とはもちろん、臣下が乗っ取ったような王朝交代とも分けて考えるべきだと思います。
言うならば,将軍が徳川宗家から,紀伊家(吉宗)へ変わったみたいなものだと思います。
超日本史の著書には、この王朝交代と万世一系は矛盾しないと記されてました。
ホリーザ大佐さん倉山先生の「上皇の日本史」でも「系」と「統」の話が出てきましたね!!同じ父系血族という意味では一昔前のフランスも我が国も万世一系ですね!!
万世一系なんてうそだとおもう
@@雨宮龍一-i7b いや、本当だと思う。疑う余地なんてない。
学校では、日本史と世界史は別々に教えてるから、こういうことは学校で勉強してもわからんのよな。
日本の皇室に高句麗語や新羅語の痕跡がないのでそれはないと思いますけどね。
白村江の戦いは、「無かった。」歴史のでっちあげ!? ではないか・・言われてます。どうなんでしょうね。
今の朝鮮と新羅、百済とは無関係。まして姦国などを出さのは論外。天智と天武は別王朝ではないか。
天智も天武も同じ王朝ですよ。
勉強になります、ありがとうございます。これは政治家を目指す者の必須常識にしてもらいたいもんです。確かに北朝鮮の方が外交は上手くやっているかもしれません。日本は驕りですかね。
ちなみに、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏も継体天皇の新王朝説は全否定しています。ruclips.net/video/g4vRMc0Bq8g/видео.html ー 継体天皇は5代遡ると応神天皇ということですが、昔は出産年齢は若いですから、仮に20歳で子供ができたとして、5代で100年です。例えば1900年に生まれた人の5代目は2000年に生まれることになります。周囲に2世代3世代前の人を知ってる人が2000年にも存在するので、全くの別人に入れ替わるということは難しいでしょう。これが50代前に遡って1000年遡るとなると別人に入れ替わることも簡単かもしれませんが、100年で別人に入れ替わるというのは昔の世でもあり得ないです。長生きする人は古代でも60歳とか80歳くらいまでいたので。(中国の歴史書に弥生時代でも80歳以上の長寿がいると書かれています)ちなみに、竹田氏は遺伝子検査したことがあるのでご自身のY染色体ハプロが何かを知っています。公表しようかと思ったけど唯物論になるので止めたそうです。高句麗系=ツングース系のYハプロC2であれば彼の言動は色々異なっていると思います。噂では東山天皇の男系子孫のYハプロはD系です。縄文系の人口が弥生系と比べて少なかった割に、日本人の男系遺伝子にD系が結構多いのは、天皇家がD遺伝子を増やしていったからではないでしょうか。いずれにせよ、継体天皇が高句麗系の人間というのはあり得ないです。
天武天皇の在位はわずか足掛け14年だったことを考えると信じ難いほどの実り多い歳月であり, この時期を境に倭国は日本となり, 大王(おおきみ) が天皇になったとされていて, まさに我が国を一新させた時代であった。 天皇号の成立, 飛鳥浄御原宮造営, 天皇権威の創成,部民制の廃止, 中央官制の整備, 飛鳥浄御原令の編纂, 八色の姓と新冠位制定, 歴史書編纂と日本語の表記などがあり, まだ完成からはほど遠いとしても, 少なくとも『日本書記』や『古事記』の編纂が企画されたのもその治世であった。 これだけの変革を僅か14年の在位で成し遂げたのはありえない。一人の聡明な天皇が行った偉業としてではなく、そこで支配層の変革があったと考える方がむしろ自然。壬申の乱自体、白村江の戦いの敗北が大きく影響している。唐の武則天(諱は照)が天照という説もある。敗戦後唐から占領軍が我が国にやってきている。そして日本の朝廷はリトル唐になった。だから唐が滅亡した時に李王朝が逃げてきて、李=木+子=岸と名乗った。唐の宝物が本国よりも正倉院へ多く納められているのは台湾と同じで、北故宮博物院のコレクションは、蒋介石率いる国民党軍が、紫禁城の宝物を台湾に移送した物として知られている。
天武天皇について 天智と大海人, 後の天武の正確な没年令はおろか, どちらが年長だったかという基本的な事実さえ, 一応定説らしきものはあるものの, 決定的な確証が得られていない。 天武の父は漢人の玄理, 母は不明, 当人は外国生まれの外国育ちという説もある。
唐の武則天(諱は照)は唯一の女帝であり、相当ネグレクトされている。我が国を制覇した武則天の偉業は書き残されていないのかもしれない。
天皇系図の由来 神武天皇以来の天皇の系図は東大寺の僧侶・奝然が宋の太宗に献上した『王年代紀』を参照したもので、古事記史観を日本から中国へ持ち込んだもので、新唐書から突然天皇の系図が表現されるようになっている。 つまり古事記史観が中国へもたらされた。
隋に対しての書面が対等性を示してたことを「無礼」と言ったり、「唐に服属して」と、基本的に日本を劣等国の前提でお話しされますね…
隋、唐との力関係、相手側から見ればそうなるという話ですから、異論はありません。国際関係のリアリズムから「比較」すればそうなります。
Minato Koba なるほど、そういう視点にたってのお話しですよね。ありがとうございます。ついつい日本を中心(自己中心的)に考えてしまっていました。
負けるが勝ちというのもありますよね。
戦前は 白村江の大敗北教えてなかったらしいですね
もぎさん、冷静だよなあ。信用できる。イデオロギーでねじ曲げたりしないもんな。
高評価が多くてちょっとびっくりw
風の谷のナウシカ
一次も二次も小野妹子じゃないのかな??
わたしはいま、怒りに燃えています。中学・高校の歴史授業は、どうしてあんなに退屈だったのでしょうか?事象と年号のクソ暗記の連続で、穿った見方をするならば、故意に子供たちを「歴史嫌い」にさせるための戦略じゃないんでしょうか?本来なら、これほど血沸き肉躍るロマンに満ちた学問は、他にない筈なのに。だから、日本歴史学会と全国の歴史教師の罪は、万死に値するほど重大ですよ。「オマエたち、どの面下げて歴史授業をやっていたのか?恥を知れ!」って思いますね。
う~ん 聖徳太子のところが・・・
くそわろた
24:20「(国号を)ニッポンにした」・・・・日本をにほんではなくニッポンと読むのは、中国語です。NHKをはじめテレビがニッポンとしか言わなくなっていますが、もちろん中国韓国に乗っ取られているからです。
日は、ヒと読むのが一番古いよ
いっそ、日の本国にすれば良いのにね
北朝鮮の難破船が流れ着くのも北陸だね。
物部=倭の五王系、蘇我=親中国北朝系、皇室=欽明王朝系ですよね。
地政学、インテリジェンス、神話、宗教…。これらを学ばず歴史は学べないことを実感しますね。でも、倉山先生の受け売りですが、トランプやエリンギの存在を無視して2018年の日本を語ってしまうひともいるんですよね。
卑弥呼系=北九州、仲哀=神功系が、北陸=大和連合政権ですよね。
外交は、タイミングだ!
大化の改新の絵が怖い
唐 = 習近平政権新羅 = 文在寅政権高句麗 = 金正恩政権歴史は繰り返すか?
@poortaiwanese 日本の天皇家❗
くだら、ね~で〆ときますか(笑)
白村江の戦い敗戦後の天智天皇は🇯🇵日本の防備を固めます😁この辺から儒教国VS日本の対立の図式が出来たと感じてます😅儒教のしつこさを感じます⁉️
蘇我の稲目が漢委奴国王の印を手に入れて外交力で蘇我氏が台頭したのだろう
神谷さんは、講師の人を選んだ方がいいです。
煬帝は激おこというより、不快だった、位のはずです。今回はいいけど、次こんな文は俺に見せるな!!という感じだと思います。
小野妹子?いたんでしょうか。創作と思います。
東アジアの情勢を知ると日本史面白いな。今の変わらないというか歴史は繰り返している気がする。事大主義の韓国、中国の盛衰、日本近辺のパワーバランス。教科書では侵略ないのに防人配備の意味がわからんかったけど、これは九州を守らんといかんわ。
易姓革命は人民を苦しめ国土を焦土にする。万世一系はそれに比べて統治機構として優れていると言われるが、そうでしょうか。万世一系の民祖とは絶対的な権威が継続するということです。先帝がたおれなくては歴史の闇は明かされない。だから日本の歴史は闇が深い。中国の皇帝は絶大な権力を持っていますが、徳がなければ易姓革命が起きて倒される。ある意味合理的です。その点、万世一系の民祖とはカルトでしかない。ここでもカルト系がいっぱい。
神谷さんは、何か大人の都合で、この茂木さんの考えを動画で、出しているんでしょうが。後々、自分自身の中に後悔が残りますよ。
親の仇のように非難してる人がいるけど、結局のところこんな大昔のことだからいくらでも解釈のしようはあるんじゃ
なぜ?国名変更した、天武朝の大養徳国と報徳国の関係をだれも不思議に思わないのだろう?
またなんか胡散臭いものまぜこんでるなこの人。
聖徳太子の役割って全然学校で教えてくれなかったな酷え死に方してるしな
第4回はただの個人解釈の羅列になってるよ。「半島情勢の中で日本はわがままが許されていったんだろう」って解釈はユニークでもないから反対するほどでもないが、その根拠が個人の感想じゃ、飲み屋のオヤジ以下。聞きごたえないなー。 超はつかない。
フリスクみたいな看板だ。(笑)
?
白村江の戦いの後、唐・新羅の連合軍は高句麗を攻めるだけでなくて、倭国も攻め落とします。その後、新羅王族の天武が初代天皇として即位し、国名を日本と改名します。茂木誠さんもいい線言ってますが、大事な事象を見落としてます。
若い人のしゃべり方はもう少し工夫を。エーが多過ぎ、もう少しゆったりとでゃべらないと語尾の発音が聞き難い。
超日本史。この本は本当に面白く、新しい視点を読者に与える傑作だと思う。なので本番組は相当期待して見てきたのだが…。残念ながら全般にわたって話の「贅肉」が多すぎる。ダラダラとした冗長的講義を30分。この30分を人様に楽しませながら見続けてもらえるだけのパーソナリィは茂木先生にはない。途中で話し方も鼻についてくるし、話芸もない。もっと編集して15分くらいにまとめる意識が必要。僕はここまで。もう30分を浪費できないな、って感じ。
確かに中身が長すぎますね。簡潔に言えないということは日本人ではないのです。
なんか書類がのこってんの?のこってないのに妄想話?具体的な話がほしい
ご返信いただきありがとうございます、政治の実権は蘇我氏に握られていたとは言え、聖徳太子の偉大な功績が消えるものではない(それともそれは蘇我氏の功績と言いたいですか)、ですので「おかざり」は、太子をひどく貶める言葉でないでしょうか、蘇我氏は朝鮮半島と通じた氏族で(物部氏とか中富氏などより新しい氏族、渡来人か?)、そして蘇我氏は、物部氏を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺し、さらに太子亡き後の14人のお子さんすべてを亡き者にした、外交に通じた優秀な氏族の如く解説しているが、とんでもない暗殺氏族だ。その後大化の改新で蘇我氏も滅ぼされるが当然のことです。
和知洞 蘇我氏の出の皇子なのに、只のお飾りなら厩戸皇子の死後に一族皆殺しにされるわけがありません。
ご返信ありがとうございます、太子の業績を良く見てみると(たくそんある)、「和を以て貴しとなす・・・」に代表される精神は、蘇我氏の精神(権力を得る為にすぐ人を殺す)とは違うので蘇我氏「おかざり」ではありません、浩原田さんにお願いがあります、文科省も今「厩戸王子」を改訂し正式に【聖徳太子】としています、聖徳太子と呼びましょうお願いします。
了解しました。(*⌒▽⌒*)
天皇になった訳でも無いのに、諡を賜り、長い年月庶民から信仰されるほどの人物に、すばらしい業績が無いと考える方が不自然ですよね。菅原道真然り。どうも中央に居座っている御用学者達は、古事記や日本書紀の解釈にしても、如何しても妙な解釈を為たがる人達ばかりみたいです。
敗戦後に筑紫都督府置かれて実質中国の植民地になった話は触れないの?
多分、武烈天皇で皇統は一旦途切れてると思う。そして古事記の武烈天皇の一文は継体天皇の正統性を際立たせる為に武烈天皇を貶めた、と見るべき。
万世一系 全否定w
EITA N 実は否定してないかもしれませんよ。なんでも彼方にはスサノオに繋がる系譜やら日本から渡った王の系図やらが一杯ありますし、当時は当然の認識があったかも知れません。
歴史学者は左翼が多いから
弾超七 動画でははっきり王朝交代って否定してますが…どちらにせよ証拠ありませんし よく私にはわかりませんが…万世一系を信じている人はショックな発言ですよね。少ない文献から想像力を駆使しての様々な発言だと思いますから私は話し半分で聞いてます。
そうですね。今回の話についてはアメリカ人の日本研究者が25年ぐらい前にテレビで言ってましたからその頃から引っ掛かる点なんですが、いろんな答もありましたよ。すべて万世一系を崩せる説とは思っていません。百済や新羅の建国をどう捉えるかですね。これより更に古い時代から考える必要があるのでいまのところぜんっぜん万世一系で良いんです。中東や、アフリカや、聖書だってどう説明して信じてるの?ってはなしですよ。
この先生の「え~と」「え~と」って口癖は何とかならんのかね!
そんなに気にならないですけどね
兄弟之争
グローバルでなくても 大丈夫なんだよ 国富があればね 今は国民を富すことなく 逆に 補助金を ばらまくために大増税時代や! バカ目
継体は、女系での継承ですよ。応神朝の女系との婚姻ですよね。
これを みても 今の小日本の戦略は ゼロ
백촌강에서 왜군은 배에서 내리자마자 나당연합군에 털렸다고 kbs다큐에서 본거 같은데 왜 이ㅅㄲ들은 지들이 싸움의 주역이었던양 떠드는걸까
不快なゴミ記号で書き込むな!
@@amagooyagi2791 kako nihonno rekisiwa jenbu waikyokudahutatabi rekisio waikoyku suruna!!!!!!!
お前の話はいいんだよ。神谷。ゲストの話を引き出せよ。(笑)
大学時代に日本史を専攻していた者です。
先生の話を聞いていて学び直しています。
とてもワクワクします。
初めて歴史を学ぶ意義というか、歴史を観る目、読み解く目の大切さを教わった気がします。
ちょうど今「超日本史」の方も読んでいます
動画の方は単なる本のダイジェストと思いきや
本のエキスをそのまま放出しているのに驚き
読んでかつ見れば記憶の定着間違いなし
茂木さんの話は面白い
こうして聞いてみると歴史はとても面白いですね。
中学高校での覚えるだけの歴史より、何でこういうことが起こったのかとか、そういう流れを知った方がより分かりやすいし面白い。
昔のことを知ると今現在どうしていくのがいいのかも考えられるようになるし、学校の歴史もこうして教えていった方が先々の為になる気がします。
良いぞ。やっと解りやすくなった。ありがとうございます。
地理も歴史も地政学なしに学んでは理解が深まらないということがしみじみわかる。
blue-color Yu
最終まとめ部分より、近隣国との関係や情勢を考慮しつつ歴史(過去の出来事)の流れを読み解く学習方法を中学生の頃から出来ていたらと悔やまれる。如何に歴史を学ぶ事が重要で年表を単に記憶するだけでは解らない様々を早くから知れたかもダヨ。
学生時代は、正直、世界史、そこに絡む日本史に、興味なかったですけど、大人になった今、凄く面白く拝見しました。
いろいろ考えさせられますね。
面白いですね。こんな学び方があれば日本史は超面白い。ありがとうございます。
壬申の乱が唐との兼ね合いだとは!でも額田王をめぐる争いだとかよりしっくりきますね。
ありがとうございます
親唐派の大友皇子と親新羅派の大海人皇子(天武天皇)の壬申の乱という見方は面白かったです。
親唐派の大友皇子
壬申の乱の大友軍に唐人(中国人)がおおぜいいて作戦指導をしていたらしい。
三国志の時代以来、中国は軍事面でも進んでいたのだ。
超面白い超日本史!
毎回楽しく拝見しています!
壬申の乱が対中国政策の対立だったという視点は目から鱗でしたし、初めて納得がいきました。
当時の国際情勢の中で日本史を見るととても面白いですし、勉強になりますね!
ちなみに、茂木先生は万世一系を否定していません。『超日本史』の中にコラムがあるのでそちらもどうぞ。
い
単なる兄弟ゲンカとしか教えられていないと興味もわきません。
しかし、このように周りの情勢によって国策の争いとなると重みが違います
毎回、面白い限りです。日本には本当の歴史家は何人いるのでしょうか?
学閥が怖いのか、それとも・・・・
まってました!!!
このルートは拉致実行犯・工作員の上陸ルートでもある。
継体天皇が応神天皇5世孫であることは高森さんが書かれています。血統は守られたが権威が薄れない様に仁賢天皇の皇女(武烈天皇の姉)をお妃にしています。
王朝交代があったということが言いたいのでしょうか?
@@channelhossy1793 応神天皇の5代目が継体天皇なので王朝交代ではないですね。直近の天皇の子孫ではないから、直近の天皇の子孫と結婚したんでしょう。例えば、敗戦後に皇族離脱した人の男系子孫が天皇になる場合、愛子さまと結婚して、直近の天皇家の血を入れるような感じです。直近の天皇家の血が入った方が求心力が高まりますから。
古代史は資料が少ない上、権力者の盛りがあるのでなかなか分析は難しいですね。古代の日本と朝鮮半島は私はあまり関係ないのではと思います。むしろ青森の十三湊などを中心とした渤海との日本海交易圏のもと発展していたと感じます。渤海は現在はじゅうしされませんが当時の資料では海東の盛国と言う極東の大国でした。このため古代日本は新潟以北の日本海側が栄えていました。
面白いっす!
鎌足の藤原氏が抜けちゃってますよ。藤原不比等と天武天皇の関係は重要だよ。
倭国、九州説も取り上げてほしい。
とっても勉強になりました。
参政党ガンバレ。
面白い。頭良かったんだ。凄い。
茂木誠氏の地政学的世界史は科学的で非常面白いが日本の古代史はイマイチ、福永晋三氏の倭歌が説き明かす古代史はあらゆる面で面白く実にリアルである。
福井県三国町生まれです。
三国神社はまさに継体天皇の母君を祭った神社で。
確かに三国町は、思いっきり港町ですよ。
この時代を背景として書かれた、井上靖さんの「額田之女王」を読んだ時の記憶が蘇えりました。壬申の乱は天智天皇の(大友皇子、弘文天皇と記する書も有り)と、一度は皇籍を離れて吉野山にこもった大海の皇子との戦争だということならば、力で皇位を奪ったとして天武帝の正当性を疑う人は、当時はいなかったんでしょうか。
最初から6:30くらいまで。音声レベルをまず同じくらいに調整していただけますか。神谷さんの声のほうがマイクに近いように聞こえます。また、神谷さんは、まずゲストの説をある程度最後まで拝聴し、自論は参考程度で挿入するのは難しいでしょうか。CGSは、ゲストとそのタイトルに惹かれて見てきました。もしかして、CGSは普通の講座と違い、神谷さんは主宰として、司会、聞き役、ホスト、という括りではなく、一言論人としてゲストと対等に意見を戦わせることもある、というコンセプトだったのかなあ、と思い至りました。
現在の日本よりも国外のことしっかり調べて対処してて草
毎回楽しく拝見しています!
毎回楽しく拝見いたしております。
茂木先生が、わからないと仰っていた。蘇我時代の系譜は、王朝が、二つあり用明系(蘇我系倭王系)推古系(在来近畿伽耶渡来系?王統)双方から見た系図だと考えられます、のこされた聖徳太子の係累資料(皇子名・婚姻関係に注目) 蘇我氏系図 推古系系図を参照されると、疑念が説かれるとおもいます、蘇我とは。相加 宗賀であり、大臣とは大人 用明とは有明子を暗示した名づけです 中大兄の大兄とは高句麗の官職です
いずれにしても朝鮮半島の情勢とは無縁であるはずもありませんが・・・
日本書紀は、天武天皇の死後 高市皇子以降の女帝の時代に都合よく作成されて可能性が大きく。本来天武天皇が目指していた書とは、違ったものになっていると考えられます、全ての鍵は、天武天皇がにぎっております。
そのわりには、マイナーなのが非常に残念です!
愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ!
聖徳太子をお飾りとは…どこかの思想勢力が喜びそうなお話ですね。
茂木氏は、ご自身よりはるかに我が日本國のことを知っていた(はず)人達が残してきた説を、否定するんですね。
神谷さんは、こういう説もある、ことを大切にしたいようですが、知識がない少ない人達は混乱するのでは…。
私は、大陸からの色々渡来説を知る度に、皆海の向こうに何かがあると確信して出航するのだろうか…と不思議に思うのです。
当時から忍者がいたということ?情報戦って大事だなあ・・・
私も福井市出身です
継体天皇は足羽山ですね
『日本書紀』には、
「これは代々伝わっている過去の出来事の伝聞である」
「この部分には異説もある」
「この部分は自分もよく理解できないでいる」
「ここからは現在の事件である」
といった記述があり、
筆者が出来る限り客観的に歴史を書き残そうと努力した、誠実で真摯な姿勢が見られます。
それを「どうせ一緒」という偏見だけで、
''中国大陸の歴代王朝の歴史書と同じく、前王朝を貶めて現王朝を正当化するためのプロパガンダ歴史書''と判断されるのは、
非学術的態度(むしろプロパガンダ)に思えます。
失礼ながら、その上から目線の態度と共に、詐欺師の壮大なホラ噺としか、私には思えません。
もし中国の歴史書のような思想で歴史書を編集したら、大友皇子もひどく書かれたと思います。確かに偏った史観で語ってる可能性が強いです。
昔から、嘘をつけない民族性があったから、中国の王朝史のように捉えるのは変ですよね。卑弥呼についても、中国の史書には卑弥呼って人がいたと書かれている・・・って律儀に記載しているし。中国と同じなら、卑弥呼を否定する嘘を書き込んでいるはず
**聖徳太子に仏教を教えたのは595年に高句麗から来た慧慈と百済から来た慧聡です。彼らの共通語は仏典に書かれている“漢文”です。日本では5世紀中頃に即位したと考えられる履中天皇の時代に文書による政治運営が始まり、『ワカタケル大王(獲加多支鹵大王)』という文字の刻まれた四七一年年の辛亥銘の鉄刀銘文のような漢文を書き、宋にも雄略天皇(=ワカタケル大王)に比定される倭王武が「封國偏遠~…(封国は偏遠にして~)」で始まる立派な漢文の上表文を送っています。雄略天皇の時代(5世紀後半)には漢文を書くのは専門のフヒト(史)が中心だった思われますが、それから100年以上も経った6世紀後半には上層の貴族階級(支配階級)や僧侶は個人差はあっても漢文をよく理解できたと考えてよいと思います。
これは、幕末の1850年頃は一部の専門家しか理解できない話せない英語が百年後の1950年(戦後ですが)にはどうなっていたか見れば分かることです。聖徳太子と慧慈、慧聡は(知的レベルも高かったはずですから)漢文によってかなり自由にコミュニケーションしていたと考えられます。筆談と呉音による口頭の会話もあったでしょう。そして、数年すれば慧慈も慧聡も日本語会話ができるようになったと考えられます。
663年の白村江の戦いに日本百済連合軍が敗れ、その後、百済と高句麗が滅亡し、とくに百済は支配層を中心に日本に亡命して来ました。支配層の貴族は日本の政治の中にすぐに入り活躍したものもいて当時、百済人と日本人は会話が通じたのだと言う人(この考えは日本の経済学者の最高峰と考えられる小室直樹氏が著書で述べているが彼は専門の言語学者ではなく想像で意見を述べると勇み足をする好例。が、この誤解に基づいて発言する者が日韓両国にいる)がいますが誤りです。東大教授で言語学の大家であった服部四郎氏は“言語年代学”の手法に自身の改良を加えて日本語と朝鮮語の関係を調べ、両語が同じ祖語から分かれたとしても、その分裂時期は今から4000年前以後ではないとしています。
日本語と朝鮮語は語順はSOV言語で同じですが、身体語や数詞などの「基礎語彙」がほとんど一致しないのです (およそ二千年前に分裂した英語とドイツ語では基礎語彙の中の数詞「1~10」や身体語「手足口耳など」は同じ語から分かれたことが明瞭に分かる形をしているのに、日本語と朝鮮語では数詞や身体語の基礎語彙中の核心の語さえほとんど一致しない。たとえ、祖語が同じとしても二千年前ではなく、四千年前でもなくもっと前に分かれたと考えないとこのような結果にはならない)。ともかく、当時の百済語と日本語は会話ができるような関係ではないと考えるべきです。
亡命百済人貴族が日本の朝廷ですぐ活躍できた理由は彼らの漢文力にあります。文章を書く力は朝廷では重要視されていたと考えられます。聖徳太子の時代の漢字の音は「呉音」と呼ばれており、百済経由で入ってきた“音”と考えられます。また、文字を通じてコミュニケーションがとれれば日本語が話される環境で日本語の会話の習得もそれほど難しくはなく数年でかなり話せるようになるはずです(それは、日本語と同じ語順のモンゴル語を母語に持つモンゴル力士が流暢に日本語を話すのをみれば分かります)。
ともかく、聖徳太子の時代(6世紀後半)も白村江の戦いを決断した天智天皇の時代(7世紀後半)も日本語と百済語や高句麗語はその場で話して通じる言語ではありません。この点、解説者には誤解があると思います。
永井津記夫
中国の歴史書にも朝鮮半島で話されてる複数の言葉と倭人の話す言葉はお互いに通じないと何度も書かれているのに、未だに百済語と日本語が通じたと顔出して言う保守派がいることに驚きます。百済や高句麗から借用語は入ってきたかもしれませんが、それが言葉が通じたとはなりません。例えば、日本ではテーブルとかキッチンとか外来語が氾濫してますが、日本語と英語は通じません。古代も大陸系外来語は沢山入ってきたと思いますが所詮借用語に過ぎないのです。
@@sazanami7484 ****返信ありがとうございます。もう二年前に書いたコメントで忘れかけていたところです。
朝鮮半島南部(任那、加羅)には中国の史書に記述されているように倭人が住んでいました。彼らは倭人の言葉(倭人語=日本語)を話していたはずですが、隣接する他の諸国の原住民との交流の都合上、彼らの言葉もある程度話せたと思われます。新羅、百済、高句麗の言葉は日本語と語順が同じ(SOV言語)で単語さえ覚えればコミュニケーションは難しくなかったと思います。が、基礎語彙がほとんど一致しないことを考えると、当時、日本語と百済語、新羅語とは聞いて理解できるような言語ではなかったはずです。
スペイン語とポルトガル語は現在、聞いてお互いに理解できるほどの近い言語とされています。これは外国語というより方言と言った方がいいようです。英語とドイツ語は現在、聞いて理解できる言語ではありませんが、基礎語彙は大多数が一致します。たとえば、「hand(英)=Hand(独)=te手(日);son(朝鮮語)」、「nose(英)=Nase(独)=hana鼻(日);k‘o (朝)」、「three(英語)=drei(独)=mittsu3(日);se:t(朝)」、「nine(英)=neun(独)=kokonotsu9; ’ahop(朝)」 はほとんど一致しており、同一の共通祖語から分かれてきた言語であることは明白です。が、最後に参考に付加した朝鮮語の単語は日本語とは発音(形)がかけ離れています。ドイツ語と英語が分かれたのはおよそ2千年前とされており、それでもこのような明白な音韻対応がありますが、日本語と朝鮮語は基礎語彙において対応がほとんどないことを勘案すると。たとえ、日本語と朝鮮語が共通の祖語を持つとしてもそれは5,6千年以上前に分裂した言語ということになるでしょう。
倭の五王の最後の王とされる雄略天皇が宋の順帝に上表文を送り、朝鮮半島南部(百済、新羅、任那、加羅など)の支配権を主張していますが、朝鮮半島南部には同胞(倭人とその子孫)が住んでおり、雄略天皇はその支配権と安全の確保を含めて宋に使者を送り支配権を主張したものと考えられます。 永井津記夫
지금도 인천지명에 "미추홀"
뜻은 알수 없고 아마 일본어인듯하고
전라도말씨에 "-한단마시"
"--입니다."로 일본어 흔적(--ます)이 있고요.
전라도억양이 이스라엘억양과
흡사하며
과거에서 지금까지 경북주류정권은(신라) 문자와 역사서 소지자를 색출 반역죄로 죽였슴
전라도말씨가 복모음이 없고
1400년 노예생활 중이며
지금도 경상북도는 해방시켜줄
뜻이 없음
新羅支配者たちが中国人(華僑)という基礎語は中国語を韓国式発音したことが多い
この時代から半島に関わるとろくな事にならない。
九州王朝について触れていないのが残念です。
倭の五王も「日出処の天子・・・」の国書を認めた他利思北孤(聖徳太子ではない)も九州王朝の王です。古事記にも日本書紀にもその名は出てきません。大和朝廷の人間ではないからです。
独自の元号があって初めて隋と対等の外交が出来ます。
九州王朝も倭の五王の時代は、名前も中国風に漢字一文字で元号も中国のものを使っていたと思われます。
九州王朝では522年から独自の元号(九州年号)を建てていることが『海東諸国紀』『二中歴』等により分かります。
この九州年号は811年に終わっていて、九州王朝が滅びたことが分かります。
白村江で唐と戦っていたのは九州王朝です。
大和王朝は戦いに参加するように要請されましたが、唐を相手の負け戦と分かっていたので参加しませんでした。
唐に敗れた九州王朝は壊滅的な打撃を受け、中国の歴史にあるように形あるものは全て壊され、焚書もあって記録は残されていません。
旧唐書より、702年に日本を代表する国が九州王朝から大和王朝に替わったことが分かります。
古事記も日本書紀も大和王朝の初めての歴史書ですが、そこに書かれている名称を伏せられた参考文献は九州王朝の歴史書だと思われます。
奈良正倉院の宝物は主に8世紀以降の遺品であり、海の正倉院と称される沖ノ島には4世紀の遺品が出土している。
遣隋使は九州王朝の他利思北孤が遣わしたもので、大和王朝は派遣していない。
大和王朝は第二回遣隋使に小野妹子を同行させた。
九州王朝は第二回遣隋使以後派遣していない。
大和王朝が派遣したのは遣唐使だけである。
九州から大和へ、日本を代表する王権の交替があったことを明確にしたい。
武烈天皇は崩御した時1節にはまだ18歳の少年でとても真面目と言われているから、精神状態が不安定になって狂気の沙汰に陥ってもおかしくないと思う
愚者は経験から学ぶが、賢者は歴史から学べ。
歴史が権力争いの醜態を見せている。
歴史は繰り返すとはよく言ったものです。
さて、白村江での敗戦は葛城皇子の出兵忌避でしょう。
本朝の場合、王朝交代といってもフランスのカペー朝からヴァロワ朝へヴァロワ朝からブルボン朝へといった程度の同じ父系一族での本流から支流への交代といった程度のものだと思います。シナのような民族まるごと入れ替わりの王朝交代とはもちろん、臣下が乗っ取ったような王朝交代とも分けて考えるべきだと思います。
言うならば,将軍が徳川宗家から,紀伊家(吉宗)へ変わったみたいなものだと思います。
超日本史の著書には、この王朝交代と万世一系は矛盾しないと記されてました。
ホリーザ大佐さん
倉山先生の「上皇の日本史」でも「系」と「統」の話が出てきましたね!!同じ父系血族という意味では一昔前のフランスも我が国も万世一系ですね!!
万世一系なんてうそだとおもう
@@雨宮龍一-i7b
いや、本当だと思う。疑う余地なんてない。
学校では、日本史と世界史は別々に教えてるから、こういうことは学校で勉強してもわからんのよな。
日本の皇室に高句麗語や新羅語の痕跡がないのでそれはないと思いますけどね。
白村江の戦いは、「無かった。」
歴史のでっちあげ!? ではないか・・言われてます。
どうなんでしょうね。
今の朝鮮と新羅、百済とは無関係。まして姦国などを出さのは論外。
天智と天武は別王朝ではないか。
天智も天武も同じ王朝ですよ。
勉強になります、ありがとうございます。これは政治家を目指す者の必須常識にしてもらいたいもんです。確かに北朝鮮の方が外交は
上手くやっているかもしれません。日本は驕りですかね。
ちなみに、明治天皇の玄孫の竹田恒泰氏も継体天皇の新王朝説は全否定しています。ruclips.net/video/g4vRMc0Bq8g/видео.html ー 継体天皇は5代遡ると応神天皇ということですが、昔は出産年齢は若いですから、仮に20歳で子供ができたとして、5代で100年です。例えば1900年に生まれた人の5代目は2000年に生まれることになります。周囲に2世代3世代前の人を知ってる人が2000年にも存在するので、全くの別人に入れ替わるということは難しいでしょう。これが50代前に遡って1000年遡るとなると別人に入れ替わることも簡単かもしれませんが、100年で別人に入れ替わるというのは昔の世でもあり得ないです。長生きする人は古代でも60歳とか80歳くらいまでいたので。(中国の歴史書に弥生時代でも80歳以上の長寿がいると書かれています)ちなみに、竹田氏は遺伝子検査したことがあるのでご自身のY染色体ハプロが何かを知っています。公表しようかと思ったけど唯物論になるので止めたそうです。高句麗系=ツングース系のYハプロC2であれば彼の言動は色々異なっていると思います。噂では東山天皇の男系子孫のYハプロはD系です。縄文系の人口が弥生系と比べて少なかった割に、日本人の男系遺伝子にD系が結構多いのは、天皇家がD遺伝子を増やしていったからではないでしょうか。いずれにせよ、継体天皇が高句麗系の人間というのはあり得ないです。
天武天皇の在位はわずか足掛け14年だったことを考えると
信じ難いほどの実り多い歳月であり,
この時期を境に倭国は日本となり, 大王(おおきみ) が天皇になったとされていて,
まさに我が国を一新させた時代であった。
天皇号の成立, 飛鳥浄御原宮造営, 天皇権威の創成,部民制の廃止, 中央官制の整備, 飛鳥浄御原令の編纂, 八色の姓と新冠位制定, 歴史書編纂と日本語の表記などがあり,
まだ完成からはほど遠いとしても, 少なくとも『日本書記』や『古事記』の編纂が企画されたのもその治世であった。
これだけの変革を僅か14年の在位で成し遂げたのはありえない。
一人の聡明な天皇が行った偉業としてではなく、
そこで支配層の変革があったと考える方がむしろ自然。
壬申の乱自体、白村江の戦いの敗北が大きく影響している。
唐の武則天(諱は照)が天照という説もある。
敗戦後唐から占領軍が我が国にやってきている。
そして日本の朝廷はリトル唐になった。
だから唐が滅亡した時に李王朝が逃げてきて、
李=木+子=岸と名乗った。
唐の宝物が本国よりも正倉院へ多く納められているのは台湾と同じで、
北故宮博物院のコレクションは、蒋介石率いる国民党軍が、紫禁城の宝物を台湾に移送した物として知られている。
天武天皇について 天智と大海人, 後の天武の正確な没年令はおろか, どちらが年長だったかという基本的な事実さえ, 一応定説らしきものはあるものの, 決定的な確証が得られていない。
天武の父は漢人の玄理, 母は不明, 当人は外国生まれの外国育ちという説もある。
唐の武則天(諱は照)は唯一の女帝であり、相当ネグレクトされている。
我が国を制覇した武則天の偉業は書き残されていないのかもしれない。
天皇系図の由来 神武天皇以来の天皇の系図は東大寺の僧侶・奝然が宋の太宗に献上した『王年代紀』を参照したもので、古事記史観を日本から中国へ持ち込んだもので、新唐書から突然天皇の系図が表現されるようになっている。 つまり古事記史観が中国へもたらされた。
隋に対しての書面が対等性を示してたことを「無礼」と言ったり、「唐に服属して」と、基本的に日本を劣等国の前提でお話しされますね…
隋、唐との力関係、相手側から見ればそうなるという話ですから、異論はありません。国際関係のリアリズムから「比較」すればそうなります。
Minato Koba なるほど、そういう視点にたってのお話しですよね。ありがとうございます。ついつい日本を中心(自己中心的)に考えてしまっていました。
負けるが勝ちというのもありますよね。
戦前は 白村江の大敗北教えてなかったらしいですね
もぎさん、冷静だよなあ。信用できる。イデオロギーでねじ曲げたりしないもんな。
高評価が多くてちょっとびっくりw
風の谷のナウシカ
一次も二次も小野妹子じゃないのかな??
わたしはいま、怒りに燃えています。
中学・高校の歴史授業は、どうしてあんなに退屈だったのでしょうか?
事象と年号のクソ暗記の連続で、穿った見方をするならば、
故意に子供たちを「歴史嫌い」にさせるための戦略じゃないんでしょうか?
本来なら、これほど血沸き肉躍るロマンに満ちた学問は、他にない筈なのに。
だから、日本歴史学会と全国の歴史教師の罪は、万死に値するほど重大ですよ。
「オマエたち、どの面下げて歴史授業をやっていたのか?恥を知れ!」って思いますね。
う~ん 聖徳太子のところが・・・
くそわろた
24:20「(国号を)ニッポンにした」・・・・日本をにほんではなくニッポンと読むのは、中国語です。
NHKをはじめテレビがニッポンとしか言わなくなっていますが、もちろん中国韓国に乗っ取られているからです。
日は、ヒと読むのが一番古いよ
いっそ、日の本国にすれば良いのにね
北朝鮮の難破船が流れ着くのも北陸だね。
物部=倭の五王系、蘇我=親中国北朝系、皇室=欽明王朝系ですよね。
地政学、インテリジェンス、神話、宗教…。これらを学ばず歴史は学べないことを実感しますね。
でも、倉山先生の受け売りですが、トランプやエリンギの存在を無視して2018年の日本を語ってしまうひともいるんですよね。
卑弥呼系=北九州、仲哀=神功系が、北陸=大和連合政権ですよね。
外交は、タイミングだ!
大化の改新の絵が怖い
唐 = 習近平政権
新羅 = 文在寅政権
高句麗 = 金正恩政権
歴史は繰り返すか?
@poortaiwanese 日本の天皇家❗
くだら、ね~で〆ときますか(笑)
白村江の戦い敗戦後の天智天皇は🇯🇵日本の防備を固めます😁この辺から儒教国VS日本の対立の図式が出来たと感じてます😅儒教のしつこさを感じます⁉️
蘇我の稲目が漢委奴国王の印を手に入れて外交力で蘇我氏が台頭したのだろう
神谷さんは、講師の人を選んだ方がいいです。
煬帝は激おこというより、不快だった、位のはずです。今回はいいけど、次こんな文は俺に見せるな!!
という感じだと思います。
小野妹子?いたんでしょうか。創作と思います。
東アジアの情勢を知ると日本史面白いな。
今の変わらないというか歴史は繰り返している気がする。事大主義の韓国、中国の盛衰、日本近辺のパワーバランス。
教科書では侵略ないのに防人配備の意味がわからんかったけど、これは九州を守らんといかんわ。
易姓革命は人民を苦しめ国土を焦土にする。
万世一系はそれに比べて統治機構として優れていると言われるが、
そうでしょうか。
万世一系の民祖とは絶対的な権威が継続するということです。
先帝がたおれなくては歴史の闇は明かされない。
だから日本の歴史は闇が深い。
中国の皇帝は絶大な権力を持っていますが、
徳がなければ易姓革命が起きて倒される。
ある意味合理的です。
その点、万世一系の民祖とはカルトでしかない。
ここでもカルト系がいっぱい。
神谷さんは、何か大人の都合で、この茂木さんの考えを動画で、出しているんでしょうが。
後々、自分自身の中に後悔が残りますよ。
親の仇のように非難してる人がいるけど、結局のところこんな大昔のことだからいくらでも解釈のしようはあるんじゃ
なぜ?国名変更した、天武朝の大養徳国と報徳国の関係をだれも不思議に思わないのだろう?
またなんか胡散臭いものまぜこんでるなこの人。
聖徳太子の役割って全然学校で教えてくれなかったな酷え死に方してるしな
第4回はただの個人解釈の羅列になってるよ。「半島情勢の中で日本はわがままが許されていったんだろう」って解釈はユニークでもないから反対するほどでもないが、その根拠が個人の感想じゃ、飲み屋のオヤジ以下。聞きごたえないなー。 超はつかない。
フリスクみたいな看板だ。(笑)
?
白村江の戦いの後、唐・新羅の連合軍は高句麗を攻めるだけでなくて、倭国も攻め落とします。その後、新羅王族の天武が初代天皇として即位し、国名を日本と改名します。茂木誠さんもいい線言ってますが、大事な事象を見落としてます。
若い人のしゃべり方はもう少し工夫を。エーが多過ぎ、もう少しゆったりとでゃべらないと語尾の発音が聞き難い。
超日本史。
この本は本当に面白く、新しい視点を読者に与える傑作だと思う。
なので本番組は相当期待して見てきたのだが…。
残念ながら全般にわたって話の「贅肉」が多すぎる。
ダラダラとした冗長的講義を30分。
この30分を人様に楽しませながら見続けてもらえるだけのパーソナリィは茂木先生にはない。
途中で話し方も鼻についてくるし、話芸もない。
もっと編集して15分くらいにまとめる意識が必要。
僕はここまで。もう30分を浪費できないな、って感じ。
確かに中身が長すぎますね。簡潔に言えないということは日本人ではないのです。
なんか書類がのこってんの?
のこってないのに妄想話?具体的な話がほしい
ご返信いただきありがとうございます、政治の実権は蘇我氏に握られていたとは言え、聖徳太子の偉大な功績が消えるものではない(それともそれは蘇我氏の功績と言いたいですか)、ですので「おかざり」は、太子をひどく貶める言葉でないでしょうか、蘇我氏は朝鮮半島と通じた氏族で(物部氏とか中富氏などより新しい氏族、渡来人か?)、そして蘇我氏は、物部氏を滅ぼし、崇峻天皇を暗殺し、さらに太子亡き後の14人のお子さんすべてを亡き者にした、外交に通じた優秀な氏族の如く解説しているが、とんでもない暗殺氏族だ。その後大化の改新で蘇我氏も滅ぼされるが当然のことです。
和知洞 蘇我氏の出の皇子なのに、只のお飾りなら厩戸皇子の死後に一族皆殺しにされるわけがありません。
ご返信ありがとうございます、太子の業績を良く見てみると(たくそんある)、「和を以て貴しとなす・・・」に代表される精神は、蘇我氏の精神(権力を得る為にすぐ人を殺す)とは違うので蘇我氏「おかざり」ではありません、浩原田さんにお願いがあります、文科省も今「厩戸王子」を改訂し正式に【聖徳太子】としています、聖徳太子と呼びましょうお願いします。
了解しました。(*⌒▽⌒*)
天皇になった訳でも無いのに、諡を賜り、長い年月庶民から信仰されるほどの人物に、すばらしい業績が無いと考える方が不自然ですよね。菅原道真然り。どうも中央に居座っている御用学者達は、古事記や日本書紀の解釈にしても、如何しても妙な解釈を為たがる人達ばかりみたいです。
敗戦後に筑紫都督府置かれて実質中国の植民地になった話は触れないの?
多分、武烈天皇で皇統は一旦途切れてると思う。
そして古事記の武烈天皇の一文は継体天皇の正統性を際立たせる為に武烈天皇を貶めた、と見るべき。
万世一系 全否定w
EITA N 実は否定してないかもしれませんよ。なんでも彼方にはスサノオに繋がる系譜やら日本から渡った王の系図やらが一杯ありますし、当時は当然の認識があったかも知れません。
歴史学者は左翼が多いから
弾超七 動画でははっきり王朝交代って否定してますが…どちらにせよ証拠ありませんし よく私にはわかりませんが…万世一系を信じている人はショックな発言ですよね。少ない文献から想像力を駆使しての様々な発言だと思いますから私は話し半分で聞いてます。
そうですね。今回の話についてはアメリカ人の日本研究者が25年ぐらい前にテレビで言ってましたからその頃から引っ掛かる点なんですが、いろんな答もありましたよ。すべて万世一系を崩せる説とは思っていません。百済や新羅の建国をどう捉えるかですね。これより更に古い時代から考える必要があるのでいまのところぜんっぜん万世一系で良いんです。中東や、アフリカや、聖書だってどう説明して信じてるの?ってはなしですよ。
この先生の「え~と」「え~と」って口癖は何とかならんのかね!
そんなに気にならないですけどね
兄弟之争
グローバルでなくても 大丈夫なんだよ 国富があればね 今は国民を富すことなく 逆に 補助金を ばらまくために大増税時代や! バカ目
継体は、女系での継承ですよ。応神朝の女系との婚姻ですよね。
これを みても 今の小日本の戦略は ゼロ
백촌강에서 왜군은 배에서 내리자마자 나당연합군에 털렸다고 kbs다큐에서 본거 같은데 왜 이ㅅㄲ들은 지들이 싸움의 주역이었던양 떠드는걸까
不快なゴミ記号で書き込むな!
@@amagooyagi2791 kako nihonno rekisiwa jenbu waikyokuda
hutatabi rekisio waikoyku suruna!!!!!!!
お前の話はいいんだよ。神谷。ゲストの話を引き出せよ。(笑)