神話と遺跡が語る日本創生【CGS 茂木誠 超日本史 第2回】
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- Опубликовано: 7 сен 2024
- 日本の事を知るにはまず神話から。ということで今回は意外と知らない「神話」について基礎的なことから解説していただきました。神話から先人の生き様、歴史などを学ぶことは大事だと認識させられます。
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出雲市の斐伊川のほとりに住んでいる知人の話では、昔の斐伊川は砂鉄を多く含んでいて赤い川でよく氾濫したとのこと。恐らくその氾濫で多くの人がなくなったと思われます。それを昔の人がヤマタノオロチにみたてたのではないかとその方は言ってました。ヤマタノオロチの目がほおずきのように真っ赤なのは川の赤、八つの頭があるのは氾濫、尻尾から剣が出たのは砂鉄を多く含んでいること、そしてヤマタノオロチを倒したというのは、スサノオが治水に尽力して、それによって住民から尊敬されてクシナダヒメと結婚したと考えると、だいぶ辻褄が合うとのこと。
初期の鉄器文明ですね。
旧約聖書もギリシャ神話も日本の神話も登場人物名が違うだけでよく似てますね。 言葉は違っても離れていても人類って歩んで行く道は同じなんだと思います 世界の神話は全世界の人類の神話だと思えばいいですよね。
大分に住む友人が昔から大阪は近いよって言ってて、はぁ?って思ったのですが、実際、別府-大阪の定期フェリー(さんふらわあ)を別府港で見て納得しました。この航路が神話の時代から連綿と引き継がれていたわけですね。お話ありがとうございました。
素晴らしい動画、ありがとうございます。 縄文文明を辿る事で日本人の源泉を識る思いが致します。
明るく、力が湧いて来る気持ち🥰
是非、一万年余り前の南九州の上の原遺跡を辿って下さい!
とても楽しく拝見いたしました。神谷さん、茂木先生ありがとうございます。
それにしても日本神話の話になるとコメント欄が荒れるのが悲しいですね。
神話から何を読み解くかが大事であって、正解が何かは各々が判断すればいいと思います。
神谷さんや茂木先生の問題意識は、神話の真実よりも神話を学ぶことの重要性を提起することにあると思いますよ。
個人的には日本神話は日本人にとって大切な物語であることを改めて感じました。
茂木先生のお話は解かりやすいし、ストーリーも共感できます。
世界史的、宗教的なバックグラウンドもからめたお話を期待しています。
皆さんのコメント勉強になりました。
ファンタジー、、、、想像が広がる神秘的な 古事記。♪
日本のアニメのシナリオの しっかりした世界感は、ここから広がる、紛れもない文化そのもの。
読むのも楽しいけれど、人から聴くのは、より楽しい!♪
小学校以降のカリキュラムに神話を入れられないのでしたら、幼稚園で、はっきりと!『うちの幼稚園では、日本神話を子供に教えます』を謳い文句にして、それに賛同する親御さんがお子さんを入園させる幼稚園を作っていただけないでしょうか。素晴しい教えですね。
日本の神話は面白いですね。
非常に面白いです!今まで頭の中にバラバラに有った知識がつながつて行くお話しです!
茂木先生の解説、わかりやすい。
弥生時代に大陸から水稲耕作が伝わった説は、縄文時代の菜畑遺跡で既に水稲が栽培されていたことでも否定的と小名木さんが語ってたが、宗幣さんはそれを突っ込まない。その時々に話の腰を折るわけにいかないのだろうけど。
田中先生の東北関東高天原説と比較するために、人口動態比較を入れてもらうと面白かった!
みなさん諸説述べておられますが、それだけ我が国の神話や歴史がロマン溢れるものなのでしょうね。
この辺は、専門家の方も胸襟を開いて、それぞれの考え方を前向きに擦り合わせていけるといいと思いました。
某大学の権威教授は反日思想とかで、すり合わせること自体、史実をねじ曲げませんか?
そうですね、考古学会と歴史学会と合同で議論していただきたいですね。
稲作は縄文後期の地層からも発見されている。
古代の東国、坂東の成立という本を読み進み、田中英道先生の動画も見て確信しょております。
古代の中心は鹿島神宮香取神宮を頂く関東、武力に秀でており、安房のアワビや上総の赤布を献上。
武力何かと西日本に派遣されたそうです。鹿児島の由来も鹿島の子ということのようです。
東の極みの鹿島神宮、日出ずる国まさにそうだと言えます。日の沈む国出雲でセットなんでしょうね。笠間になぜか出雲大社がある事もうなずけます。
天照大神が息子ではなく孫に皇位を与えたという伝承と、古事記編纂当時の政治状況が似ている事など、古事記には興味を惹く記述が多く、今回のコンテンツをとても楽しく拝見いたしました。有り難うございました。
持統天皇が編纂命令だしたということですからねえ。
要は、古代史を学ばせるには
氏姓の氏神と自分の氏姓ルーツを調べる事を始めさせる事が
古代史=古神道に興味を持たせる事が出来る。
私の場合も島谷氏は名家の意味が各・氏姓苗字大辞典に何処にも
記されて居ないので、本やネットで調べて解りました。
先住系・・国津神。
渡来系・・天津神。
昨年身近な所に縄文遺跡が有る事を知って以来、縄文文化に大変興味を持っています。神話は全く知りませんでしたが縄文文化と共にもっと学んでみたいと思いました。ありがとうございますm(_ _)m
確かに、私は70代ですが、古事記と日本書紀の存在くらいしか知らされていない、結果情報がなかったし育たなかったという事が云えますね。遺伝子レベルの話と共にお聞きすると、大変説得力もあり興味深いです。遺跡から視ると、日本民族はアフリカ発祥でなかったりしますね?
弥生人の渡来は3000人程度と言われていますし、縄文時代から稲作は行われてました。
大陸から来た3000人〔難民〕が10万人の縄文人〔発達した文明を誇る〕から国譲りを受けるとか、無理ある気がするけど。
大陸から今の天皇家につながる温和な勢力が来るとか、、、日本列島文化が劣っている前提で話が進んでいて胸にすっと落ちるものがない
@@mitsune2686 弥生人とか縄文人とかいません。すべて、同じ日本人、大和人です!顔つきなどは単純に人それぞれの個性です!
論理的な話とトンデモ本的な話が混ざっていますね。
「トンデモ本的な話」というのは、いわゆる偽書のことですか?理解できないことを、自分で調べもせずに「トンデモ本」と片付けてしまうのは思考停止ですよ。例えば「和田家文書」について、どれほどひどい偽書キャンペーンがおこなわれたことか。今少し真摯に向き合ってください。
神谷さんの考え方、素晴らしいと思います。
私は全くの素人ですが、「太陽神を信仰の中心にしている神話の”高天原”がこの国の西に位置する大陸にある」と言うのは何か辻褄が合わない様に思います。
古代人が地理をどこまで正確に知っていたかまでは分かりませんが、少なくとも天体の運行から方位を知らなかった筈は無いですから、それは日が昇る東の方角か、南の方角にあると考えるのが普通なんじゃないでしょうか?
全然素人じゃない(笑)
田中英道史観に納得すると思いますよ
日高見国が関東にあり弥生前の縄文土器は観光に多くあります
葦原の中つ国がそのまま中国(China)南部?を示していた可能性があって、そこから見て東にある日向(これ自体が太陽の方向の意味ですね)の大王だから太陽を現していたという説もあるらしいですね
色んな説があってよく分からないですね。。。難
古田武彦・古代史コレクションを参考してみてください。この疑問に対する答えが有るように思えます。
みんな物知りだな、感心する
いやー、ホントですね。素人にはちんぷんかんぷんです。ただ、茂木先生も、僕はそう思うって言ってて、こうだ!って断言してる訳ではないので、余り、感情的気になって全否定しなくてもいいのでは?と思います(小声)。いずれにしても、日本には、長い歴史があることは事実なので、古事記や日本書紀を勉強してみたいなあと思いました。
@@outside1167 世界の遺跡は石の文化。日本は木の文化で残りづらい。しかも海岸線が後退してるので多くの遺跡は海の中。稲作の発生・伝播は日本からとも。
是非、古田武彦・古代史コレクションを読んでみてください。また、違った世界が広がりますよ。
@@outside1167 様、是非、古田武彦・古代史コレクションで、勉強の幅を広げてください。古事記・日本書紀を勉強したときに出てくる、疑問・矛盾が鮮明になります。古事記・日本書紀は何故書き変えられたのか・・・。
憂国の歴史家として知られた田中卓先生が日本史の教科書を書きましたが、文部省で認められず、教科書としては使われなかったそうです。で、文部省が認めなかった理由は「神話について数頁書かれたいたから」だそうです。この本は後に「教養日本史」という名前で出版されてベストセラーになったとか。戦後しばらくの間は、神話を数頁書くと、文部省が排斥したのですね。
日本の上級官僚は日本を落す事しかしない反日帰化人、もしくは、在日の集まり!
特に、文科省、厚生省、財務省は酷い!あっ、それと警察庁も!
出雲と沖縄は海上の道で繋がってますね。
いま2022年9月。もぎ先生、変わってねぇ~w。
松本清張の「砂の器」という作品の中に、ズーズー弁が東北だけでなく、出雲の山奥にもあるというのが出てくるけど、その理由がお互い縄文人の末裔ということで説明できるのかなと思ったよ。
沖縄の糸満市にもあります。
まずい、まんずうっていってたよ。
鹿島神宮の近くに高天原という地域があります。高天原は大陸では無く鹿島神宮、のでは?鹿島から天孫降臨、船で着いた場所が鹿島の子である鹿児島だったという説もありますね。それであれば日本の三大神宮のうち2つがここにあるのも納得できます。
ニニギがアマテラスから預かったものには、ほかに稲穂があります。
九州に住んでいたのは大陸系の人だけではなく、縄文系の人も大勢いましたよ。特に宮崎は縄文系が多いと思います。遺伝子分布で見ても大陸系が多いのは北九州の平野~瀬戸内海側の平野~近畿地方です。だから、宮崎県の高天原?付近から出てきた神武天皇が大陸系と決めつけるのはどうかと思います・・・・。純粋な縄文系とは考えにくいので、大陸系と縄文系の混血とかではないでしょうか。純粋な大陸系とも考えにくいのです。
凄い本質。九州には大きく3つの方言圏(≒古代の文化圏)がある。①筑前・筑後・肥前・肥後、②豊前・豊後・日向、③薩摩・大隅。一般的に③グループは熊襲・隼人と古代に呼ばれた集団で、現在でも最も縄文比率が高い。特徴として酒豪・剛毛・彫が深い。
その一方で九州北東部・瀬戸内海沿岸・畿内には、弥生系(O1b2系統)に特徴的な下戸遺伝子を持つ人が現在でも多く分布してる。下戸遺伝子は中国南部・東南アジア・朝鮮半島南部にも分布してるが、先祖が揚子江中下流域で水田稲作をしてた人々の優性遺伝との仮説がある。温暖な地域のマラリアなどの感染症に対して強い人々が生き残ったと考えられてる。
古墳のDNA調査が進めばいずれ解明されますが、おそらく東征したのは②の文化圏に所属した集団。倭人伝にある邪馬台国連合は①のグループじゃないかと個人的には想像してます。
茂木先生イケボ❤
諸星大二郎の漫画のおかげで神話の基礎知識はわりと偏った形ですが学生の頃から持ってましたね。あと星野之宣とか少女漫画とかにもお世話になった。漫画は意外とバカにできない。
参考までに……かの津田左右吉は、
まず第1に『記紀』の神武天皇の日向つまり南九州からの東遷について、潤・脚色以上にその東遷自体の事実を、確かに否定していました。その内容は、戦後の著作『日本古典の研究(上)』(岩波書店)第2篇第6章「神武天皇東遷の物語」を参照の通りです。
しかし一方で、同著作第3篇第16章「ヒムカに於けるホノニニギの命からウガヤフキアエズの命までの物語」では、天孫ニニギの命の子であるヒコホホデミの命(別名、山幸彦)の大和東遷が伝承の原型であると述べていた。そして後世になり、ヒコホホデミの命から後に神武天皇と言われるイワレビコの命(別名、ヒコホホデミの命)が分離して、その間にウガヤフキアエズの命の伝承が造作・挿入されたと述べていた。
以上のことから津田は、神武天皇の東遷を否定していながら、後の大和王権(同朝廷)の祖先が南九州から畿内大和への東遷の伝承を最終的には否定しきれなかったと理解せざるを得なかった(そして大和王権の祖先そのものの実在もである)。
第2に、神武天皇から仲哀天皇までの特に開化天皇までの系譜については、同著作第2篇第7章「結語」で、「(前略)綏靖天皇から、開化天皇までの歴代に物語が一つも無いということはその歴代の天皇の存在を疑うべき、少なくとも強い根拠になりかねる(後略)」と述べていました。また津田全集第24巻471~472頁に掲載されている津田事件裁判控訴の上申書には「(前略)或る時期に於いて大いに皇威を伸長あそばれた英主、即ち神武天皇の御名によって後に伝えられました御方からの御歴代の天皇の御名はこのやうにして言い伝へられて来た(後略)」として神武天皇以降の実在を肯定している文章でした。
世界史の専門家が日本史を語っているが、もっと深く勉強している人間にとっては氏の話す内容はそこが浅い。2022年ではもっと深いないようを話しておられる。田中英道東北大学名誉教授の内容は絶品。
ホツマツタエを勉強したらどうですか?お米は縄文土器からでてきてます、弥生時代以前からありました。矛盾があります、
ありがとうございます...
私の町には8000年前の地層から、シコクビエのプラントオパールが大量に出土した。
サンプルが展示されている施設がある。発見された場所は現在、ダムの底と成っている。
古代史と宗教をどうしても分離したい輩が蔓延ってるなw
普通、世界史なら旧約聖書、日本史なら古事記から教えるべきだと俺は思うね。神武天皇が出てこない教科書とか、マジで論外だから...
ドナルドが内政干渉かよ
無能な輩はだまっとれ!うざいっ!
大変興味深かったです。こう言うアプローチで歴史を観るのも面白いですね。ありがとうございます😊
どうか、正しい歴史教育をお願いします。日本はそれが正しい事であるならば、それが日本にとって悪い事であっても受け入れます。誰にも、またどの国でもまちがいはあります。
未来を生きる若者達の為に真実を開示し、彼等に判断出来るよう、お願いします。
津軽弁と宮崎県の西諸?だったか、も「1音節に1つの意味」という共通点がありますね!(ケンミンショーで検証されてました RUclipsに公式チャンネルあります)
神話と合致していてビックリ😳
神話にいう天とは大陸のことではないかという推察や、いわゆる天孫族とは別系統の天から来たニギハヤヒの神が大物主であり、大国主と同一ではないという推察は非常に興味深いです。ただ、なんでも大陸から来たと思考停止してしまうとすれば、それを簡単には納得はできませんが。あたくしは、すでに縄文後期には日本に後の天皇家に繋がるいわゆる王権を拝する国のような集合体があったのではないかと推察します。
いずれにしろ神話はメタファーであり、史実がそこに隠されているのは間違いないと思いますし、むしろ古事記に書いてある内容は夢物語でもなんでもなく事実に基づいてると。
日本で稲作が始まったのは、水稲でも3000年以上前、陸稲ならば、もっと前。ちなみに、日本に水稲が広まっても、日本は江戸時代の時点でも、水稲よりも陸稲のほうがメインだった。現在の日本のように、水稲のほうがメインになったのは最近のこと。
なるほどね!目からうろこが落ちるとは、こういう事を言うのか!神話に対する見方が変わりました。とても勉強になりました。有難うございます。
瀬戸内海は日本の地中海に見えますね。
九州北部には甕棺墓群が在ります。明らかに他とは異なる文化系統の勢力が存在した筈なのに歴史から無視されていますね。
出雲には、記紀で脚色する前の歴史伝承が残っています。そこでは、大国主や須佐之男が誰か、出雲勢力がどう大和を開拓したか等々、リアルな実像が語られています。
講師の先生
草薙剣は元は天叢雲剣と言われた、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治して其の尻尾の中から光が見えるので切り開いたら、立派な剣が出て来た、試みに鞘から抜いて振り翳したら俄かに天が曇り驟雨が降り出したので、天叢雲の剣と名付けられた。 其れが後に天孫族の皇統に受け継がれ、 後々には名古屋の熱田神宮に納めらるて居たのを時のミカド、景行天皇の命を承けて東国の平定に向かう皇子、日本武尊が前途の武運を祈った時この剣を護り剣として授けられた。 中途、其の地の賊に四方に火をかけられ、命が危うかった時この剣を以て火を切り払いて驟雨も誘わら危うい命が助かったので、天草薙剣と改めて改名され元の熱田神宮に納められて居たのを源平の役に平家軍がご幼少の安徳天皇を戴いて西国に落ち延びる時三種の神器の内この剣だけを奉じたが、平家一門が壇ノ浦で敗北し安徳幼帝と共に海底に沈み、後に源氏の手で大捜索したが遂に発見出来ず今日は元の剣は無く替わりの剣になって居る。 と小学生の国史で習ったと記憶します
5年前のこの時点で「ホツマツタヱ」が出て来ていたらと、ついつい思って仕舞います。
旧約聖書は「一言、一句」変えてはいけない、間違えたら、最初から書き直す、羊の皮ートーラ ( 巻き物 )
頭は7つで、尾まで入れて八又の大蛇。
スサノオが、二度と甦らない様にバラバラに切り刻んだ時に、尾を切ったら硬い物にあたり剣が折れて、残った刃で割いたら剣が出て来て、「この剣を守って居たのか」と、八又の大蛇が出現する時に雲が湧いていたので「叢雲の剣」と名付けた。
後に、ヤマトタケルが出征の時に、ヤマト姫が役に立つからと叢雲の剣をもたせ、ヤマトタケルが窮地(火攻め)になった時に周りの草をはらったたら風向きが変わり助かった事から「草薙の剣」と呼ばれる様になった。
松本清張の「砂の器」を思い出しました。出雲の方言が東北の「ズーズー弁」に似ている、と言うのが語られていました。出雲と東北、何か関連があるんでしょうか。
出雲と東北地方はズーズー弁です。これもDNAと一致しています。
色々聞いてて一番真っ当な歴史観
歴史は勝者が作ると言うが平和的に国譲りがなされた場合はどうなるのか?
聖徳太子は十人の話を一度に聴くことができたと言うのは十の違う国の十の言語を理解できたという説もあるみたいだし、もっと探せばいろんな神話 伝説が日本各地に眠っているのではないか?
中学、高校時代に「古典」を教えなくなったことが問題だと思います。これは文科省の責任でしょう。私は、古典で、言葉の問題として、「古代アクセント」の問題について学んだことを覚えております。沖縄、出雲、諏訪、東北がこれが残っており、しかも非常に美しいのです。ですが、東京で東北弁が馬鹿にされ、そのまねをする人たちの言葉の汚いことを経験しております。問題は、日本語をきちんと教えていないところにあるのではないかという気がしております。
八咫鏡 「ヤタは八尺」の部分が、ちょっとよくわからなかったのですが、
一尺は親指の先から人差し指の先までの長さの2倍で、およそ30㎝、なので、8尺だと240㎝で巨大過ぎます。平原出土の大型の内行花文鏡は、直径46.5cmとありました。直径にすると146㎝くらい。んー、どう受け止めたらよいでしょう。現在の一尺とは別で指サイズで、という意味でしょうか。
学校教育は
公権力の行使で
正しい情報を知らせていない
政策が文科省で指導されているから
そこの改革が必要だ
いままでの
その責任者の開示と弁明書
日本の神様は、外国人ってことかい?
昔々の事やから、分からへんけど…
なんか、しっくり来ない気がするんやけど。
大陸から来るとすると上陸地点は福岡や九州西岸のはず。
スサノオのくだりは、八岐大蛇は川で、て話は聞いたことある。
日教組が教えない歴史
カゴメ歌の後ろの正面は物部一族 縄文文化は関東東北に多いのはな~ぜ、既得権益守ろうとしてるのだ~れ?
天上界は霊界、地上界は物質界 肉体を持った神々の世界。初代の素戔嗚尊から4代目が大国主の尊です。
八咫の鏡は大地の八方を表しています。勾玉は魂の事です。
知らなかったことが沢山学べました。無知な私が楽しく考えると面白くなります。
天皇家の歴史が皇紀2600年と言われれます。キリスト生誕2000年です。縄文時代の縄文人が世界に移住して黄河文明や西欧文明そしてアステカ文明などをつくった可能性も考えられますね。その方が年代に焦点を当てた場合に腑に落ちる気がするんですが。
越(こし)の国の8悪人が荒らしてたのをやまたのおろちと云った説もあると聞きました。ニギハヤヒノミコトはスサノオノミコトの子供説も有ります。大物主神もっと聞きたかったです。
草薙の剣は大和尊が帰国途中で焼津で焼き討ちの際に草を刈った時に名付けられたので
八岐大蛇の尾から出て姉に渡したのは天叢雲劔では?現三種の神器では草薙剣?
令和の儀式で台風が逸れ草薙剣が現れた時霧雨になり、虹が出て晴れましたよね、
以下はビデオの内容の順に浮かび上がった疑問、コメントです。
1. 安倍晋三首相が語っているのは、安倍家は元々福島県辺りにいたが、大和王権が攻めてきてたとき北上し、さらに津軽海峡を横切って日本海に入り、山口県まで南下したという歴史です。因みに小沢一郎の小沢家はこの時岩手県にのこったとのこと。出雲のズーズー弁はこれで説明ができるのでは。出雲からは剣、銅鐸が出土し鉄もあったが、宮殿のあとはない、古墳も他地域と同じぐらいのサイズのみ。とても日本神話の三分の一を割くような場所には思えません。しかも国譲りの後はまったくの無視。やはり出雲は伊勢のように宗教的な意味しかなかった場所ではないでしょうか?
2. 天照大神が女神とされているが、古事記にも日本書紀にも一言も書かれていません。唯一、日本書紀の一書(他説)でオオヒルメムチと同神かもしれないとい書かれている場所のみが女神かもしれないと示唆されているところです。
3. スサノオは国津神であるとともに、アマテラスの弟。スサノオはよく実在されたと言われるが、このスサノオこそが、ニューカマーの天孫族が日本を統治するために、実は日本人と天孫族は兄弟だったとして信頼を得るために創造されたのでは。
4. 高千穂のある宮崎県は、淡路、高知、伊勢とともに黒潮が行き着く場所の一つ。稲作はやはり南方から来た?
5. 大国主の後の時代のニギハヤヒがナガスネヒコ(縄文系?)に婿入りしている。そのニギハヤヒは天孫族。大国主はもともと天孫族だったスサノオが地元民との間に産ませた子(もしくは6代下の子孫)。スサノオは縄文系と結婚したけど、血統的には天孫族(アマテラスのの弟)です。神話を信じるとすれば、大国主は縄文系の血が流れていると思うが、天孫族の血も流れているはずです。
6. 出雲大社は杵築大社といい、千家家はそれより西にある熊野大社の出。しかもアメノホヒの末裔だから実は天孫族。主祭神は幾度か変更し400年前はスサノオで、元出雲といわれるところは京都府にある出雲大神宮。また出雲風土記にはスサノオのスーパーヒーロー伝説はありませんし、事代主やタケミナカタを祀る式内社もありません。出雲を起点として古代史を考えるとおかしくなるのでは。
7. 神や信仰を融合したとすると、銅鐸はどうでしょうか?
8. 内行花文鏡は九州ですが、もっとも古い前方後円墳の原型は徳島の萩原墳墓群です。そしてそのすぐ近くに住む三木家は、天岩屋伝説の天日鷲を祖とする阿波忌部氏直系で卑弥呼の時代から続き今でも大嘗祭にアラタエを提供している家系ですが、現当主はヤマト王権は九州からではなく、四国から移動したと主張しています。
9. 天羽羽矢とカチユキでニギハヤヒは神武天皇が同族と納得したから、ニギハヤヒは天孫族なのでは?
10. 大物主を大国主に関連づけるのは、日本書紀の一書(他説)のみで、大物主は大国主の和魂だといいます。
11. 大国主は名前は沢山あるものの、ニギハヤヒと異なり、実名、本当の諱はありません。生前も死後も単に大国主。死んだ場所さえ分かりません。また、大神神社は出雲神社より全然古い神社です。ニギハヤヒが最後にヤマトを明け渡した神であることを考えると、大神神社の三輪山に祀られている大物主(そして大国主)の名に隠された本当の神とは、ニギハヤヒなのでは? 本当の国譲りとは、このニギハヤヒの国譲りなのでは?
おまけ。口伝ではイザナギノミコトは34代皇統命。次の35代皇統命がヒルメムチの命で後に天照大神としました。
世界の歴史、経済など全て連携あります
歴史は勝者が作るものなのに、勝ったこともない国が歴史をコリエイト
神谷さん、礼儀を学んで下さい!
山口県辺りに安徳天皇陵かもといわれて言われている古墳が卑弥呼の墓で、卑弥呼は南方系の顔をした女性だとアメリカの超能力者マクモニーグルさんが透視されたそうです。
今まで私は、日本人は1万年7千年前に沈んだムー大陸から来たと思ってましたが、どうも他の星から、今の富士山麓に降りて来たと聞いて驚いています。だから神話になったのではないでしょうか?
出雲と東北の間にはズーズー弁も共通。出雲から東北に出征したから。
教育現場では国語で因幡の白兎は読んだことがあります。今になって古事記に着想を得て「電気神楽」というグループでエピソードを学んだりしています。神社、地域の行事もありますし、風化しないでしょうが学校で文学としても歴史としても広く教えて欲しいですね。
橿原の旧名が高天原で、高天とは高野山と天野山の山間の地域のことをそういった。その中でも、橿原のことを高天原といった。ちなみに、ヤマトとは漢字の意味でいうと、山処(やまと)のことで、三輪山の麓の狭い地域の名前。奈良県全域をヤマトといったのは、ずっと後世になってから。
いや、アマテラス系の大和と、ニニギ系の九州と、スサノオ系の出雲があって、全て同祖だよ。
長髄彦が横暴だったんで、九州系の分家に食われたと言うのが本当だと思う。ホツマではこんな感じ。
本家を食ったのがよくないと言うことで、ニニギ天孫降臨(九州入り)以前を神話にしたんだと思う。
稲作は当時の気候から大陸では不可能だった
今でも、華北や満州や北朝鮮は米作に向いちょらんやろ。
稲作が行われてたのは気候的にも考古的にも間違いないやろ
もしホンマに気候的に不可能やったんやったらそのデータどこにあんのか普通に教えてほしい
天上界を大陸とするのはどうかな?無理に現実世界に当てはめる必要はないと思うが、雲の上に天上界があってというオーソドックスな考え方でいいと思う。
monetsan100
「竜宮城=琉球=沖縄」説の方が、説得力ありますねw
それは違います。琉球は梵語系から漢字に変換された帝王学とのことです。琉球とはアメリカの思想になります。地域ではありません。アメリカは沖縄県と山形県に、この琉球を当て嵌めた経緯があります。漢字のごとく帝王が求めているもので、帝王が地球そのものを支配下に置くという意味です。野球で言えば、そのglobe(地球・球)をグローブで掴み取る行為と同じになるわけです。そのglobeは、グローバルの語源でもあります。因みに琉球は山形県の琉球紬も有名なのですが、この山形を図形にすると一ドル札に描かれている(▲)ピラミッドと同じになります。そして琉球紬は別名、空の帝王白鷹紬とも言われています。アメリカの思想が垣間見れますね。第二次世界大戦になる前に、ホームラン王のベイブルースが来日したのも頷けます。いかにもアメリカらしいパフォーマンスです。来日後、アメリカに色々と押し付けられた日本は、且つてない程にアメリカとの仲が悪くなりました。
竜はギリシャ神話です。
fukurou8881 www
インドにも同じ竜宮城の物語があるとのこと。物語自体の類似性が指摘されている。竜はギリシャ神話からです。要するに、西洋人製の物語でしょ。
三種の神器のうち、剣と勾玉は動いてもよいが、天照大神そのものである鏡は動かない。だから剣璽等継承の儀の時は、二種の神器と璽が登場したが、鏡は別の部屋にあって、天皇が拝礼、報告する。
それは皇室の「三種の神器」の事ですね。御鏡は皇居内の賢所に祀られていて、女子大生が奉仕しているそうですね。
縄文時代に中共大陸に文明があったのですか❓
天上界→大陸との見解,紀元前2000年ごろ大陸から稲作技術をもつもった人々が多勢日本に渡ってきたとの見解よく理解できません何か根拠がありますか。
古事記に関しては、小名木さんのお話のほうが心にしみるなー
大陸からたくさんの人がたどり着いたのでしょうが、
文化的には縄文より弥生のほうがあからさまに後退しているように思えます。
稲作についても、遺跡の出土から大陸からとは考えにくいのでは?
日本で見つかったペトログリフ調べれば、古事記や日本書紀以前の日本とかわかるのかね?
面白いなー
我が奈良の葛城では土蜘蛛族(長脛彦)が封じこめられています。何時か蘇ってね。お待ちしてます👍
茂木誠先生を初めて拝見致します。
どう見ても、ガクトにしか見えません(^^)声、間合い、仕草、ジェスチャー諸々。私だけでしょうか😂
竹中直人にしか見えない 私だけ?
アイヌに縄文人のDNAが入ってるって
本当ですか❓
アイヌは鎌倉時代に来たと言われてますが❓
私は卑弥呼の図鑑で好きになった日本の歴史、古事記の事
日向は「ひゅうが」ではなく「ひむか」ですね。基本的なところはおさえておいて欲しいものです。
攻め込んだ、とか、追われて逃げて、とか、穏やかじゃないですね。
日本は和と融合が特徴と言っていたように思うけど、その下地は話し合いだけではなかったみたいですね。
話し合いで国を統一するのは古今東西無理です。ある程度の軍事力が背景にないと成立しません。
神武天皇は、実在を立証するのは困難とされるが、架空を立証するのは実在を立証する以上に困難とされている。だから、「架空」が確実に立証されない限り、「実在」を前提に歴史を語らなければならない。←これがいわゆる実在論だ。
ただ今日の日本古代史研究の基本となっている津田左右吉説について、津田は神武天皇の架空を立証したとされているが、これは誤解だ。それは津田左右吉全集第24巻471~472頁に掲載されている津田事件裁判控訴の上申書には「(前略)或る時期に於いて大いに皇威を伸長あそばれた英主、即ち神武天皇の御名によって後に伝えられました御方からの御歴代の天皇の御名はこのやうにして言い伝へられて来た(後略)」として神武天皇以降の実在を肯定している文章だった。
勾玉は翡翠ですよね
中共に翡翠や装飾があったのですか❓
古事記や日本書紀で日本の歴史を勉強するって無理がある。三国志演義で三国志の勉強をするのと同じことだと思う。登場人物の名前を覚えるくらいしか意味がない。
後の神仏しゅうごうにも通じますね。
次回の話は、個人的には本の前半の白眉だと思っていますので、いまから楽しみです。
稲作に関し考古学的資料と一致しない。それが異なると歴史観そのものの根拠が揺らぐ。
本テーマについては、小生は長濱浩明氏の説がほぼ史実ではないかと思っています。