【江ノ電】800形チョコ電と600形赤電:最後の共演

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  • Опубликовано: 11 сен 2024
  • '86.4撮影:江ノ電の「連結車」は、当時この2編成だけでした。いずれも70年代に他社から江ノ電入りした車輛で、従来車より大型だったことから輸送力増強に寄与しました。江ノ電では「連接車」が一般的で、撮影当時は300形6本+500形2本+1000形4本が在籍しており、それらに混じって「連結車」の600形、800形も活躍しておりましたが、1000形の更なる増備と引き換えに、800形が引退することとなり、その最終月を迎えておりました。藤沢駅から鎌倉駅まで、800形と600形のみの映像で要所要所を繋いだものが、この動画となります。
    下記リストからも気に入っていただける動画が見つかると思います
    ↓「昭和の江ノ電」再生リスト ENODEN as Tram
    • 昭和の江ノ電
    ↓「昭和の私鉄電車」再生リスト Electric Train
    • 昭和の「私鉄電車」
    ↓「昭和の路面電車」再生リストTram
    • 昭和の「路面電車」
    ↓「昭和の "非" 電車」再生リスト non-Electric Train
    • 昭和の「非」電車
    参考文献:JTB 江ノ電ー懐かしの電車名鑑
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Комментарии • 19

  • @user-lw5yx5ey4n
    @user-lw5yx5ey4n Год назад +1

    こんばんは。
    今回は江ノ電唯一の連結車、唯一の一車輌3扉だった600型と800型。
    連接車中心の江ノ電にとっては異色と言っても過言では無い車輌でしたね😉
    当初は両車輌共標準色でしたが、600型は赤電、800型は青電〜最終的にはチョコ電と変わり、800型は入線当初は乗降扉が2か所で乗降に手間取り、一時は出番が少なかったですが、その後3扉となり、車体が大型だった事も幸いして出番が多くなりました。
    自分はどちらの車輌にも乗車しましたので、改めてこうやって動画で見ると懐かしさを感じる次第です。
    幸いな事に両車輌共一部がそれぞれの場所で保存されている点もファンにとっては嬉しい限りです。
    今回も含め、何時も楽しい動画を本当にありがとうございました🙇
    これからも楽しませて貰いますネ‼️

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      600形は引退直前に赤電から標準塗装に戻りましたが、800形の方はチョコ電のままで引退したため、標準塗装の姿を撮影する機会はありませんでした。仰るように、引退後はそれぞれ1両だけとはいえ、里帰り保存されているのは喜ばしいことです。山梨は遠いのでまだですが、世田谷は近いので先月会いにいってきました。

  • @user-ns8pc1cz6o
    @user-ns8pc1cz6o Год назад +1

    この時代の江ノ電の連結車は殆どが平日運用で、土日は走る事は稀でしたね。
    小学校の頃わざわざ休んで乗りに行った事を覚えています。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      小学校を休んで乗りに行かれたというのは素晴らしいですね。たしかに平日運転がメインだった気がします。私は当時800形や600形の撮影に何度も通っていますが、土日運転が稀だったとすると、平日に仕事を休んで(サボって)出かけていたということのようですねw

  • @toriri-service
    @toriri-service Год назад +1

    『山梨交通』の生き残りだった800形は 600形と対象的に台車が路面電車然としてなかったところが特徴で 元が郊外電車だった事がわかります。
    奇しくも一部路面区間があるところも同じでした。
    600形は 前にも述べましたが 世田谷線に残った物よりも 走りっぷりが元気に見えました。(特に出力があった 603・604)
    こちらも奇しくも江ノ電で『連結2人乗り』でしたね。
    因みに 江ノ電に来た元87〜90は 新製車ではなく 在来車の改造車でもありました。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +2

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      800形の山梨交通時代、私は白黒写真でしか見たことありませんが、できれば動く映像を見てみたいものです。600形の元気が良いのは、藤沢駅高架化の勾配対策でモータを増強したことによるのかもしれませんね。

    • @toriri-service
      @toriri-service Год назад

      @@昭和電車チャンネル さん
      こちらの動画の冒頭から約11分程
      『山梨交通電車線』の映像があります。
      故 萩原二郎さんが撮った映像を 何故か台湾の方がアップされていて フィルムの保存状態が恐ろしく悪いので 見辛い部分もありますが ナショナルテレビのネオン看板が掲げられた山交『甲府駅前駅』『今諏訪駅』『小笠原駅』甲府市内の併用軌道や『荒川橋』を渡る電車のシーンが見られます。
      『今諏訪駅』を発車する『モハ8』は 後の江ノ電801だと思います。
      ruclips.net/video/AGjik09f3-8/видео.html

  • @user-jz8lp4kc9r
    @user-jz8lp4kc9r Год назад +1

    ライトグリーン&クリームの「江ノ電塗色」以外に、このような塗色の車が走っていたのですね。
    短躯の車体とはいえ「ひん曲げた如くの急カーブ」はボギー車にはキツそう。人に例えれば「股裂き地獄」のよう。連接車が必然なのがよく分かります。しかし時代を経て4輛運転に!と、なると連接車の強みは発揮出来なくなってしまいました。でもまあ、ロマンスカーみたいにすっ飛ばすわけでもなし、江ノ電はノンビリが絵になります!ノンビリが!

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +2

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      江ノ電の標準ツートン塗装は、落ち着いていて大変良い配色だと思います。そんな中でこの連結車たちはよく目立ちましたが、電車らしい塗装で好感が持てました。ところが、この連結車たちが引退した頃を境に、全面塗装の広告電車が頻発するようになり、個人的には残念に思いました。急カーブの多い江ノ電では、昔2両固定化の際に、連結と連接のどちらにすべきか走行試験をしており、連接車に決定したわけですが、それは貫通路設定を前提としてのはなしです。貫通路を設けないのであれば、連結も「あり」なのですが(現に4両化では2両同士の連結が前提)、600形のようにオーバーハングが大きい車輛の場合は、龍口寺前の急カーブで盛大に膨らむので、往来のクルマと接触しないかちょっと怖かったですね。

    • @4126org
      @4126org Год назад

      龍口寺の急カーブは、鉄道法で営業する路線では最大ですよね。
      軌道法の鉄道では、豊橋鉄道の井原電停のところだそうです。

    • @user-jz8lp4kc9r
      @user-jz8lp4kc9r Год назад

      ​​@@昭和電車チャンネル
      江ノ電が「ボギー車」を選択しなかった理由は、貫通路「幌」なのですね!たしかにボギー車で幌装備は難しそうですね。勉強になりました。

  • @user-lu2ju7qm5x
    @user-lu2ju7qm5x Год назад +1

    江ノ電の藤沢、鎌倉の両駅から見て2つ目の交換駅の江ノ島、稲村ヶ崎ですれ違うのは当然のことですね。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      そうですね。片方の駅でお目当て車輛同士が並んでくれれば、他方の駅でもツーショット撮影が狙えます。

  • @user-lb8gv2wu9w
    @user-lb8gv2wu9w 4 месяца назад

    800大好きでカトーのHO持ってました

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  4 месяца назад

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      HOをお持ちだったとは凄いですね。江ノ電の、それも800形のHOモデルがあるとは知りませんでした。Nゲージだったら、私は昨年、鉄コレの800形2種類をGETしましたが。

  • @4126org
    @4126org Год назад

    800形のチョコレート色の塗装も“復刻塗装”なんですよね。中国国交回復○周年記念の日中合作映画に出すため、短期間チョコレート色での運行がありました。
    また、3扉改造前は多客時に乗降に時間がかかり、客からも乗務員からも嫌われていて、満を持して改造されました。
    800形が多分一番最初に客室電気暖房が入った車両です。
    600形は玉電時代から比べてあちこちが改造されていますが、動画を見てお気づきでしょうか?先頭車のドアの位置です。中間の連結側のドアの位置とズレがあります。
    約30cm程度後ろ寄りにドアがズレて柱的な壁ができていますが、これは車内側に車掌スイッチとブザーボタンをつけるために改造したもので、玉電時代は正面4枚窓の細い方の内側にあり、車掌は窓を落して開けて首を出し、操作していました。
    その他、ステップの切り上げ、最初ついていたホーンの交換(最初は玉電時代の船の汽笛みたいな音だった)とか、元々線路幅が違うため、到着時仮台車をつけて半年位極楽寺車庫の横に放置されていたのですが、やがて赤電でお目見え。
    “湘南にふさわしい色”ということだったらしいのですが、昔の東武伊勢崎線みたいな色で、さらに洗車機がなく江ノ島の留置線で手洗いのため、すぐに白い部分が汚れて、なんか見窄らしく見えたものです。
    601+602の廃車が早まったのは、事故で損傷したためだそうです。
    先頭だけなら、路面区間の江ノ島よりのカープ近くにある“江ノ電もなか”を販売している和菓子屋に飾られていると思います。
    600形と800形共通で連結面が貫通していないのは、元々単独で走れるように運転台があったものを撤去して、固定編成にしたので、改造に費用がかかるためやらなかったそうです。
    4両化の前に、多客時の対応として、朝の通勤時だけ2両の後ろに短コロがくっついていく運用があり、その後3両固定編成に改造して3両運転の予定だったらしいのですが、併用軌道で長さの特認が取れて、4両運転が実現したそうです。

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад +1

      いつもご視聴、コメントありがとうございます。
      SSE車のときもそうですが、いろいろ知らなかったことを教えていただき大変勉強になります。ホーンの変更も知りませんでしたが、一番驚いたのは、600形の運転席側のドア位置変更の件です。私の目は節穴なのか、今までさんざん見てきたのに気付きませんでした(笑)。慌てて「路面電車ガイドブック(誠文堂新光社)」を見ると、ちゃんとドア改造の経緯の記載がありました。考えてみると、ステップ切り落としの時点でドアの再利用はできないので、全面的な改造に至ったのも当然ですよね。玉電80形と平面図を見比べて気づいたことですが、客室座席も変更になっていますね。江ノ電の連接2両&タンコロ続行運転の次に、3両化の予定があったという話は初めて聞きました。もし3両連接車に改造されていたとしたら、300形の中でどういう組み合わせになったのか想像するのも楽しいですね。2両+2両が実現するまでの経緯(併用軌道での長さ制限に対する特認)も興味深いです。連結車に貫通路を設けなかった理由として費用の面もあったと思いますが、屈曲カーブの多い江ノ電では安全上も困難だったと思います。過去に、306F「連接車」の前身である、200形「連結車」で試験して、江ノ電としては「連結車での貫通路は無し」と判断していたと思いますし。最後に細かいことですが、日中合作映画ロケ時の塗装は「チョコ電」ではなく「青電」でした。

    • @4126org
      @4126org Год назад

      @@昭和電車チャンネル さま ご返信ありがとうございます。
      調子に乗ってもう一つ書かせていただきますのでお付き合い下さい。
      300形や旧500形で乗務員室の仕切りが鉄パイプだった車両はすべて改造され乗務員室は完全に分離され別ドアになりましたが、600形は最後まで乗務員室が鉄パイプ仕切りでした。
      で、車掌スイッチは二本棒で、「此(こ)の戸」と「他の戸」があり、車掌がドア扱いをする際はドアから首を出し、まず「他の戸」を閉め、確認後「此の戸」を閉める運用でした。(古い車両も改造前は同様の運用がありました)
      もう一つ特殊な使い方として、動画にあるように、鵠沼駅の移転がありましたが、その時に全線自動閉塞になりましたが、それまではタブレット交換で、鵠沼駅は対岸式ホームでしたが、長谷駅の様に構内踏切がなく跨線橋だけだったのですが、鎌倉行の下り電車に限り、タブレットをやり取りする際に、運転士がホームのない側の「此の戸」を開けて、タブレットを輪投げ(投げっこ)して交換していました。
      よって、この位置の車掌スイッチが必要だったと思います。(他の車両は乗務員室のドアを開けて輪投げ)

    • @昭和電車チャンネル
      @昭和電車チャンネル  Год назад

      302~304のように元路面電車だった車輛は連接車改造後もしばらくは「鉄パイプ仕切り」だったようですね。これらの車輛は独立した乗務員室に改造された後しか私は知りませんが、仰るように600形は最後までパイプ仕切りだったので運転士さんが近く感じ、路面電車に乗っている気分が味わえましたね。江ノ電でタブレット交換が、鵠沼駅新装の前まで続いていたというのは知りませんでした。その頃は江ノ電にほとんど乗らない時期だったので。