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初めて行ったコンサートが三里塚の幻野祭で、前衛ジャズの演奏で始まりそのうち石や空き缶が飛び交い、さらに学生と農民がステージで論争をはじめるというとんでもないコンサートだった。そんな会場を一変させたのはギターとパーカッションというシンプルなスタイルで登場した頭脳警察だった。エネルギッシュな演奏と過激な歌詞は たちまち会場を一つにしてしまった。あの熱気と砂埃が舞う異常な空間は今でも頭から離れない。
『ロック誕生 ~ニッポンROCK40年~』第3・4話/全6話(NHK-BS 2010年)01:30 イエロー 「国旗はためく下に」07:43 ハルヲフォン 「FUNKYダッコNo.1」17:41 クリエイション 「ステップ・イントゥ・ザ・ライト」21:38 ファー・イースト・ファミリー・バンド 「地球空洞説」27:54 細野晴臣 「ハリケーン・ドロシー」31:56 サディスティック・ミカ・バンド 「塀までひとっとび」38:40 頭脳警察 「銃をとれ」41:11 ジョニー、ルイス&チャー 「SMOKY」48:29 RCサクセション 「雨上がりの夜空に」56:01 憂歌団 「パチンコ」_The Birth of Rock - 40 Years of Nippon ROCK_ Episodes 3, 4 of 6 (NHK-BS 2010)01:30 Yellow "Kokki Hatameku Moto ni" [Under the Fluttering National Flag]07:43 Haruwophone "Funky Dakko No.1"17:41 CREATION "Step into the Light"21:38 Far East Family Band "Chikyū Kūdō Setsu" [The Hollow Earth Theory]27:54 Haruomi Hosono "Hurricane Dorothy"31:56 Sadistic Mika Band "Suki Suki Suki" ("Hei Made Hitottobi")38:40 Zunō keisatsu "Jū wo Tore" [Take the Gun]41:11 Johnny, Lewis & Char "Smoky"48:29 RC Succession "Ameagari no Yozora ni" [In the Night Sky After the Rain]56:01 Yūkadan "Pachinko"
憂歌団でおそうじオバチャンを出さなかったのは、この手の企画の限界。でもこれ又見たかったので。アップ感謝!
もうTVの昭和番組には期待が出来ないよ。これを見られるRUclipsに感謝するわ。
高校時代にRCとシナロケで日本語で歌うロックのかよさに目覚めました。
今見ると暗中模索しながら外国のロックとは違うオリジナリティを出そうとしてるなって思います。それ以前に、今のように教則本や映像の情報が乏しい時代に演奏技術の高い人が多いのはすごい。
>今のように教則本や映像の情報が乏しい時代ホントですねえ。どんな楽器であっても演奏者はほぼ全員、当時はレコードの耳コピのみでこれらの映像にあるようなテクを身につけたのだと思います。ムーンライダーズの鈴木慶一さんがラジオで面白いことを述べていました。B.B.キングらがエレキギター音にビブラートをかけるのを、「あれはトレモロ・アーム」を使って実現しているのだとずっと思い込んでいた、と。弦をチョークするのは、映像を観て初めて気がついた奏法だったそうです。
そういえばGS排除してるからかゴールデン・カップスとか出ないな。GS期にライブ盤出してるけど腰抜けるぞあの名盤は
サディスティック・ミカ・バンドは歌詞をメロディに載せる際の日本語の崩し方が好きですね。RCと憂歌団は70年代というより80年代のイメージが強いですね。
色々有ったけれど、日本の「ロック」というものは「欧米のロックミュージックに影響を受けた新しい若者の流行歌のスタイル」という事に帰結し、日本的な芸能界の中に、日本の国情に沿った形でインテグレイトされて行ったのだと思う。それを自覚していないミュージシャンも多いようだが、ジャニーズ事件での山下達郎の言動など見ていると、その辺の事がとてもよくわかる気がする。プリンシプルのある活動を貫いた人もいたけど、そういう人たちの多くは余りにも音楽的にプリミティブに過ぎたり、商業的な芸能界とは別のマイナーな世界に閉じこもったりして、メジャーな存在にはなれなかった。忌野清志郎やブルーハーツは、才能も訴求力もあるケースだったけど、1人或いは1組のミュージシャンで終わり、時代の流れが出来るという事はなかった。音楽的には、やはり言葉の違いが大きい。スタイルを借りてくることは出来ても、微妙にロックにはならない。言葉のイントネーションやまとっている文化が、欧米のロックミュージックとは別のものだ。色々なミュージシャンによって上書きされていくにつれ、その違いが明らかになり、欧米の物とは違う道を行くようになる。それは良くも悪しくも、現代の日本の流行歌であるという事だ。そういう立ち位置の上で、日本なりの良い曲も良い演奏もあった。以上、良くも悪しくも、そういう事なのだ。まあ・・・当たり前でもあり、それでよいのだとも思い、つまらないとも思う。
なるほどわからん
したり顔で書いてそう
これでも「ニッポン・ロック誕生」の一部分でしょうね。
素晴らしい!しかしパンクが無い。リザードや東京ロッカーズらも入れて欲しかった。
イエロー格好良かった、今でも通用するりと思う。私も見たワンステップの映像ではないのか。クリエーション、好きだった。
ファーイストの地球空洞説聞きまくったわ
イエロー…泉谷の楽曲ね。彼のバックをやってたけどオリジナルを作れる人がバンド内にいればなぁ〜と当時思った。外道とかハルオフォンのライブ映像は珍しいですね。カッコいいね!箱バンを続けていたのは納得。店に行きたかった
泉谷のliveも良いですヨ。
国旗はためく〜は、その時代を生きた私は涙なくして聞けない曲です。
拓郎 陽水 泉谷ギター教則本だとこの三人が、岡林信康らの後を継ぐフォ―クの御三家扱いだったね。でも実際 反体制プロテストを継いでいたのは泉谷だけで、拓郎&陽水は自身の悩みやほぼ恋愛物の楽曲オンリー。時代は、反戦から男女の恋愛を繊細に綴るニューミュージックの時代に足を踏み入れてた。
泉谷さんの戦争小唄を聴いてごらん?ストレートだわな 笑
キャロルと並び称せられたファニカンが無いのが不満。でも憂歌団の島やんまた出会えて幸せ。
村八分は、何故取り上げてない
バンド名も曲もテレビでながせないんです。
イエロー最高!新宿のディスコで演奏していた!
村八分が出て来ない。
デニーさんがいた紫も。
無理だよ、NHKだからね。
なるほどそう言うことか、確かにNHKじゃね。わかりました。
本物はだせない権利関係上。お金がかかるし…
黎明期から😮
なぜキャロルが出てこないんだろう?
確か、ニッポンロック誕生 1 の、その2で、キャロルが紹介されてました。
キャロルが真にメジャーな日本語ロックの最初のバンドだと思うけど。時代的にはGS後フラワーやモップス、ハッピーエンドの後の世代だからgs後ニューロックのバンドがいっぱいできたのよ。キャロルはその後の世代。4,5年位あとでも私としては日本のベンチャーズからのエレキブームやgsバンドが懐かしい。
キャロルはジョニーと永ちゃんの間で権利関係が複雑化してると聞いた事がある
お子様バンドだからだよ。
@@カステーラ 説明お願い😆
「ポップで生き方なんてないですよ」は、さすがに暴論では (^^;
イエローのLIVE映像でギター弾いてるのはCHARですよね?
似てるけど違います。中村純作さんです。ただ、ドラムは吉長信樹さん。後の「ジョニー・ルイス&チャー」のジョニー吉長さんです。
映像の中の女性ボーカリストは誰でしょう?
ミカさん?
福井(加藤)ミカだろ?
ハルヲフォンの方はキャロン・ホーガン(Caron Hogan)ですね。
加藤和彦がミカは歌が下手だって離婚したんだよね〜。
本当ですか?www.実際のところロキシーミュージックの関係者と不倫して帰国した時はミカの姿はなかったそうですね。
なつかしいなぁ~。今考えるとフォークは日本でそだつ土壌があったけど、ロックはgs以前のロカビリーはブームでの下地があっても黒人の3コードのブルースはなかったからな(淡谷のり子のブルース歌謡はあっても)エレキバンドがブームでも歌謡曲になるのは当然だよな・・。クリエーションもそうだけど関西とかで○○ブルースバンドとかいっぱい活躍してたけどjazz以上の日本人のなんちゃって音楽だから。そのてんYMOはクラフトワークが居たとしても文化になったし、現在のjポップは洗練されてきた。
17:31
80sのロックって見苦しかった。ミュージシャンのメイクアップとか、何で?と思っていた。音楽を聴かせてくれ! という感じだった。どんどん暑苦しくなっていって、またオールディーズに逃げ込んだ。ジョンもポールもメイクなんてしてなかった。髭は剃って欲しかったけど。
charのSMOKYが日本ロックの頂点やね。
勘違いしてるな。ロックは反抗から始まっていない。最初は黒人間だけで通じる隠語を多用した卑猥なダンスミュージックだった。Dirty BluesやHokumがそれだ。この勘違いが日本のロックの歴史でブギウギやスウィングジャズが軽視される要因になっている。戦前から勉強しないと上辺だけの歴史観になりがちだ。
ざぁつらぁい。😢😮😅😊❤
そうですね。延々と続く音楽の歴史の積重ねですものね。現在はただで音源を素早く聴けるが昔は富裕層しかレコードを聴けなかった。私の家には45回転以上のレコードはなかったし蓄音機が無かった。金持ちの友人宅で多くのレコードを保有期間しているのに驚いた。そもそも金持ちじゃないも情報量は少なく音楽の下地が貧困なのです。
白人のジャズミュージシャンが黒人のブルースにリズムをつけてrythm and blues としてやったのが最初なんじゃないですか
こくじんかん、かくろにんげん、って差別用語かと思った😂
レコードもですし、ギターやベース、ドラムなども富裕層しか買えない時代。そんな恵まれた人達がロックをやっているという。芸能人にしても実家が富裕層が多い。
ボーカルが演歌なのよ昔の日本ロック
七五&です-ます調の歌詞だからなおさらですね。
それがまぁ日本ロックの味なんだろうね。
まあ、それでもまぎれもなくROCKだったと思う。現在は演歌テイストは薄くなったけれどROCKではなくなりましたよね
仕方がない まだまだ試行錯誤の時代なんだから😮
そんな事はない
誰だこの人ら、なんだこのへんな曲は、今見てもダサすぎて皆が洋楽に憧れたのがわかる。そんな中、好き嫌いは置いといて聞いたら即耳に残るキャッチーな曲とインパクトでキャロルの登場は凄かったのではないかと思えるほど飛び抜けて印象的だね。
>誰だこの人ら、なんだこのへんな曲は、>今見てもダサすぎて皆が洋楽に憧れたのがわかる逆だね。洋楽に憧れた結果として、「誰だこの人」「なんだこの変な曲」な、ミュージシャンやファンやが現れるようになったんだよ。ヘンなミュージシャンやヘンな楽曲を聴いて、それらから逃避する逃避先として或いは反発として、洋楽へと皆の目が向いた、のでは決してない。またキャロル人気は、日本でも既に60年代にロカビリー体験もあったし、キャロルの音楽もファッションも、あたかも馴染み深いものであるかの様な錯覚を抱きやすかった、つまり「判りやすかった」ことに尽きると思う。その意味ではキャロルは確かに「なんだこりゃ?」な音楽ではない。既知の音楽だった。いっぽうで貴方がキャロルに抱く印象は、それは「キャロルみたいな音楽を、貴方が大好きである」ということを語っているだけ。当時のコアな音楽ファンからは、キャロルは印象的でもインパクト大きかったワケでも何でもない。
初めて行ったコンサートが三里塚の幻野祭で、前衛ジャズの演奏で始まり
そのうち石や空き缶が飛び交い、さらに学生と農民がステージで論争を
はじめるというとんでもないコンサートだった。
そんな会場を一変させたのはギターとパーカッションというシンプルな
スタイルで登場した頭脳警察だった。
エネルギッシュな演奏と過激な歌詞は たちまち会場を一つにしてしまった。
あの熱気と砂埃が舞う異常な空間は今でも頭から離れない。
『ロック誕生 ~ニッポンROCK40年~』第3・4話/全6話(NHK-BS 2010年)
01:30 イエロー 「国旗はためく下に」
07:43 ハルヲフォン 「FUNKYダッコNo.1」
17:41 クリエイション 「ステップ・イントゥ・ザ・ライト」
21:38 ファー・イースト・ファミリー・バンド 「地球空洞説」
27:54 細野晴臣 「ハリケーン・ドロシー」
31:56 サディスティック・ミカ・バンド 「塀までひとっとび」
38:40 頭脳警察 「銃をとれ」
41:11 ジョニー、ルイス&チャー 「SMOKY」
48:29 RCサクセション 「雨上がりの夜空に」
56:01 憂歌団 「パチンコ」
_The Birth of Rock - 40 Years of Nippon ROCK_ Episodes 3, 4 of 6 (NHK-BS 2010)
01:30 Yellow "Kokki Hatameku Moto ni" [Under the Fluttering National Flag]
07:43 Haruwophone "Funky Dakko No.1"
17:41 CREATION "Step into the Light"
21:38 Far East Family Band "Chikyū Kūdō Setsu" [The Hollow Earth Theory]
27:54 Haruomi Hosono "Hurricane Dorothy"
31:56 Sadistic Mika Band "Suki Suki Suki" ("Hei Made Hitottobi")
38:40 Zunō keisatsu "Jū wo Tore" [Take the Gun]
41:11 Johnny, Lewis & Char "Smoky"
48:29 RC Succession "Ameagari no Yozora ni" [In the Night Sky After the Rain]
56:01 Yūkadan "Pachinko"
憂歌団でおそうじオバチャンを出さなかったのは、この手の企画の限界。でもこれ又見たかったので。アップ感謝!
もうTVの昭和番組には期待が出来ないよ。これを見られるRUclipsに感謝するわ。
高校時代にRCとシナロケで日本語で歌うロックのかよさに目覚めました。
今見ると暗中模索しながら外国のロックとは違うオリジナリティを出そうとしてるなって思います。
それ以前に、今のように教則本や映像の情報が乏しい時代に演奏技術の高い人が多いのはすごい。
>今のように教則本や映像の情報が乏しい時代
ホントですねえ。
どんな楽器であっても演奏者はほぼ全員、当時はレコードの耳コピのみでこれらの映像にあるようなテクを身につけたのだと思います。
ムーンライダーズの鈴木慶一さんがラジオで面白いことを述べていました。
B.B.キングらがエレキギター音にビブラートをかけるのを、「あれはトレモロ・アーム」を使って実現しているのだとずっと思い込んでいた、と。
弦をチョークするのは、映像を観て初めて気がついた奏法だったそうです。
そういえばGS排除してるからかゴールデン・カップスとか出ないな。GS期にライブ盤出してるけど腰抜けるぞあの名盤は
サディスティック・ミカ・バンドは歌詞をメロディに載せる際の日本語の崩し方が好きですね。
RCと憂歌団は70年代というより80年代のイメージが強いですね。
色々有ったけれど、日本の「ロック」というものは「欧米のロックミュージックに影響を受けた新しい若者の流行歌のスタイル」という事に帰結し、日本的な芸能界の中に、日本の国情に沿った形でインテグレイトされて行ったのだと思う。それを自覚していないミュージシャンも多いようだが、ジャニーズ事件での山下達郎の言動など見ていると、その辺の事がとてもよくわかる気がする。
プリンシプルのある活動を貫いた人もいたけど、そういう人たちの多くは余りにも音楽的にプリミティブに過ぎたり、商業的な芸能界とは別のマイナーな世界に閉じこもったりして、メジャーな存在にはなれなかった。忌野清志郎やブルーハーツは、才能も訴求力もあるケースだったけど、1人或いは1組のミュージシャンで終わり、時代の流れが出来るという事はなかった。
音楽的には、やはり言葉の違いが大きい。スタイルを借りてくることは出来ても、微妙にロックにはならない。言葉のイントネーションやまとっている文化が、欧米のロックミュージックとは別のものだ。色々なミュージシャンによって上書きされていくにつれ、その違いが明らかになり、欧米の物とは違う道を行くようになる。それは良くも悪しくも、現代の日本の流行歌であるという事だ。そういう立ち位置の上で、日本なりの良い曲も良い演奏もあった。
以上、良くも悪しくも、そういう事なのだ。まあ・・・当たり前でもあり、それでよいのだとも思い、つまらないとも思う。
なるほどわからん
したり顔で書いてそう
これでも「ニッポン・ロック誕生」の一部分でしょうね。
素晴らしい!しかしパンクが無い。リザードや東京ロッカーズらも入れて欲しかった。
イエロー格好良かった、今でも通用するりと思う。私も見たワンステップの映像ではないのか。クリエーション、好きだった。
ファーイストの地球空洞説聞きまくったわ
イエロー…泉谷の楽曲ね。彼のバックをやってたけどオリジナルを作れる人がバンド内にいればなぁ〜と当時思った。
外道とかハルオフォンのライブ映像は珍しいですね。カッコいいね!箱バンを続けていたのは納得。店に行きたかった
泉谷のliveも良いですヨ。
国旗はためく〜は、その時代を生きた私は涙なくして聞けない曲です。
拓郎 陽水 泉谷
ギター教則本だとこの三人が、岡林信康らの後を継ぐフォ―クの御三家扱いだったね。
でも実際 反体制プロテストを継いでいたのは泉谷だけで、拓郎&陽水は自身の悩みやほぼ恋愛物の楽曲オンリー。時代は、反戦から男女の恋愛を繊細に綴るニューミュージックの時代に足を踏み入れてた。
泉谷さんの戦争小唄を聴いてごらん?
ストレートだわな 笑
キャロルと並び称せられたファニカンが無いのが不満。でも憂歌団の島やんまた出会えて幸せ。
村八分は、何故取り上げてない
バンド名も曲もテレビでながせないんです。
イエロー最高!新宿のディスコで演奏していた!
村八分が出て来ない。
デニーさんがいた紫も。
無理だよ、NHKだからね。
なるほどそう言うことか、確かにNHKじゃね。わかりました。
本物はだせない権利関係上。お金がかかるし…
黎明期から😮
なぜキャロルが出てこないんだろう?
確か、ニッポンロック誕生 1 の、その2で、キャロルが紹介されてました。
キャロルが真にメジャーな日本語ロックの最初のバンドだと思うけど。時代的にはGS後フラワーやモップス、ハッピーエンドの後の世代だから
gs後ニューロックのバンドがいっぱいできたのよ。キャロルはその後の世代。4,5年位あと
でも私としては日本のベンチャーズからのエレキブームやgsバンドが懐かしい。
キャロルはジョニーと永ちゃんの間で権利関係が複雑化してると聞いた事がある
お子様バンドだからだよ。
@@カステーラ
説明お願い😆
「ポップで生き方なんてないですよ」は、さすがに暴論では (^^;
イエローのLIVE映像でギター弾いてるのはCHARですよね?
似てるけど違います。中村純作さんです。
ただ、ドラムは吉長信樹さん。後の「ジョニー・ルイス&チャー」のジョニー吉長さんです。
映像の中の女性ボーカリストは誰でしょう?
ミカさん?
福井(加藤)ミカだろ?
ハルヲフォンの方はキャロン・ホーガン(Caron Hogan)ですね。
加藤和彦がミカは歌が下手だって離婚したんだよね〜。
本当ですか?www.実際のところロキシーミュージックの関係者と不倫して帰国した時はミカの姿はなかったそうですね。
なつかしいなぁ~。今考えるとフォークは日本でそだつ土壌があったけど、ロックはgs以前のロカビリーはブームでの下地があっても黒人の3コードのブルースはなかったからな(淡谷のり子のブルース歌謡はあっても)エレキバンドがブームでも歌謡曲になるのは当然だよな・・。クリエーションもそうだけど関西とかで○○ブルースバンドとかいっぱい活躍してたけどjazz以上の日本人のなんちゃって音楽だから。そのてんYMOはクラフトワークが居たとしても文化になったし、
現在のjポップは洗練されてきた。
17:31
80sのロックって見苦しかった。ミュージシャンのメイクアップとか、何で?と思っていた。音楽を聴かせてくれ! という感じだった。どんどん暑苦しくなっていって、またオールディーズに逃げ込んだ。ジョンもポールもメイクなんてしてなかった。髭は剃って欲しかったけど。
charのSMOKYが日本ロックの頂点やね。
勘違いしてるな。
ロックは反抗から始まっていない。最初は黒人間だけで通じる隠語を多用した卑猥なダンスミュージックだった。Dirty BluesやHokumがそれだ。この勘違いが日本のロックの歴史でブギウギやスウィングジャズが軽視される要因になっている。戦前から勉強しないと上辺だけの歴史観になりがちだ。
ざぁつらぁい。😢😮😅😊❤
そうですね。延々と続く音楽の歴史の積重ねですものね。現在はただで音源を素早く聴けるが昔は富裕層しかレコードを聴けなかった。私の家には45回転以上のレコードはなかったし蓄音機が無かった。金持ちの友人宅で多くのレコードを保有期間しているのに驚いた。そもそも金持ちじゃないも情報量は少なく音楽の下地が貧困なのです。
白人のジャズミュージシャンが黒人のブルースにリズムをつけてrythm and blues としてやったのが最初なんじゃないですか
こくじんかん、か
くろにんげん、って差別用語かと思った😂
レコードもですし、ギターやベース、ドラムなども富裕層しか買えない時代。
そんな恵まれた人達がロックをやっているという。
芸能人にしても実家が富裕層が多い。
ボーカルが演歌なのよ昔の日本ロック
七五&です-ます調の歌詞だからなおさらですね。
それがまぁ日本ロックの味なんだろうね。
まあ、それでもまぎれもなくROCKだったと思う。現在は演歌テイストは薄くなったけれどROCKではなくなりましたよね
仕方がない まだまだ試行錯誤の時代なんだから😮
そんな事はない
誰だこの人ら、なんだこのへんな曲は、今見てもダサすぎて皆が洋楽に憧れたのがわかる。
そんな中、好き嫌いは置いといて聞いたら即耳に残るキャッチーな曲とインパクトでキャロルの登場は
凄かったのではないかと思えるほど飛び抜けて印象的だね。
>誰だこの人ら、なんだこのへんな曲は、
>今見てもダサすぎて皆が洋楽に憧れたのがわかる
逆だね。
洋楽に憧れた結果として、「誰だこの人」「なんだこの変な曲」な、ミュージシャンやファンやが現れるようになったんだよ。
ヘンなミュージシャンやヘンな楽曲を聴いて、それらから逃避する逃避先として或いは反発として、洋楽へと皆の目が向いた、のでは決してない。
またキャロル人気は、日本でも既に60年代にロカビリー体験もあったし、キャロルの音楽もファッションも、あたかも馴染み深いものであるかの様な錯覚を抱きやすかった、つまり「判りやすかった」ことに尽きると思う。その意味ではキャロルは確かに「なんだこりゃ?」な音楽ではない。既知の音楽だった。
いっぽうで貴方がキャロルに抱く印象は、それは「キャロルみたいな音楽を、貴方が大好きである」ということを語っているだけ。当時のコアな音楽ファンからは、キャロルは印象的でもインパクト大きかったワケでも何でもない。