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C59161 ほぼ毎日見ています。広島中央公園で静態保存されていて、その横をほぼ毎日、ランニングで駆けています。駆け抜けるときはすこひ頭を下げます。広島はC62の印象が強いけど、実はC59の方が話しにはよく登場するんですよね。余談ですけど、梅小路のC62-1号機は以前、広島に鉄道学園があって、その鉄道学園で静態保存されていた記憶があります。広島といえばC62,C59,D52そして私、個人的に大好きなC50。
ハルジオンさん、こちらもご視聴を頂きありがとうございます。C59-161ハの字エプロンですよね。梅小路の164号も同じなのですが、164号は一時エプロンが違っていたんですけど、どういう経緯だったのか分かっていません。外出し砂パイプとともに山陽仕様ですねぇ。
力強いのにスマートで気品もあるC59は蒸気機関車の中で1番好き。
ご視聴頂きありがとうございます。C59最近はC62に押されているようで、好きな方がいらして嬉しいです。
C59は昭和33年4月13日まで東北本線上野口(今の宇都宮線区間)でも使われていたようですね。東北本線上野口は高崎線よりも電化が6年遅れていたので、昭和30年代まで見れたのは貴重だったと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。白河電化後、常磐線のヘルプでC59よ2輌が尾久にやってきたんですよ。
北九州在住で1号は小倉工場一般公開で、164号は梅小路で、最後161号は仕事で広島に行き場所を確認しその後撮影し全機全て記録に残しました。九州鉄博に移動し、いつでも見られるようになりその手入れの良さに驚かされます。
ご視聴いただきありがとうございます。1号機は素晴らしい状態を保っていますね。Webでしか見たことはないのですが、走り出しそうな迫力もあります。足回りを塗装していない、梅小路ような保管ですから手入れがさぞ大変でしょうね。残念なことは引いて写真を撮れないところですね。
C59は横から見た時適度な大きさのボイラーの機関車とテンダーのバランスが良いので好きです。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんです。おっしゃる事全く同意です。特にテンダーが好きですね。
再視聴してますが、(蒸気絵本)面白く楽しんでます。仕事に疲れ果てた夕方には本当にありがたいです。
HMS HOODさん、私は土曜日に一心不乱で一日かけて製作してます。皆さんが待っていただけて、製作も楽しいからこそできるのですね。
昭和45年の8月にC59161が牽く客車に乗りましたが揺れも少なくて乗り心地が良かった。一時安芸の運用から外れて早朝の音戸1号、2号を担当していた。重量があるので軸重の重いC59が重宝されたようです。しかし電化前年からは検査切れのC62が相次いで廃車になってからは安芸の運用に復活するし各駅列車も牽いてフル稼働。164は亀山での運用の話はあったが無くなってしまい、梅小路開館まで奈良機関区に保管されていた。ナンバープレートを外されて扇状庫に入っていたけど一目でC59とわかった
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。参宮線で運用させる話があったと知ったのは近年です。あそこは線路規格高いですからね。ピッタリだったかもしれないのに残念です。昭和47、8年ごろまで残っていたらさぞかし今でももっと人気高かったことでしょう。
蒸気機関車好きの僕が毎週見に行っていたc59 161号機は僕にとって特別な存在です。でも最近は外装は中な綺麗ですが内装がボロボロで床に穴が空いていて少し危ない状態でした
@KYUUROKUMARUさん、初めまして。ご視聴いただきありがとうございます。身近な存在の機関車は、特に思い入れが強いことでしょう。特に山陽の輸送を担っていたC59であればなおさらですね。
C59は北九州出身の私にとって昭和36年の久留米電化までブルートレインを牽引していたことやC62が九州に来なかったことで憧れの機関車でした。まだ子供だったので記憶にあまりありませんが、その後カツミのHOゲージダイヤモンドシリーズを購入・組み立てたことや九州鉄博の1号機や梅小路の164号機を見て時折、当時の記憶をよみがえらせています。C59についてよくまとめられた動画なっていて驚かされました。
ご視聴いただきありがとうございます。C59は私が最も好きな日本の蒸気です。これからも取り上げていきますので、当チャンネルよろしくお願いします。
ぼくもC59大好きです。C62はD52の改造機。国産最後の新造テンダー式機関車です。
sinicitakadoさん、ご視聴いただきありがとうございます。C59はあまり皆さん好きな人少ないんですよね。やはりブームの絶頂期前に無くなったからでしょうか。格好いいんですよねぇ。
C59達のやりとりが何だか笑えます、性格良好の161号は小さい頃に運転台にのって機関士ごっこやって楽しんだ思い出深い機関車です
ご視聴頂きありがとうございます。貴重ななあさかぜのお写真ありがとうございました。161号の運転台に乗ったんですね。C59は広いですよね。C62はストーカーがあって、床が高いんですよね。
C59形の東北本線、常磐線での使用については殆ど知らなかったので、今回の動画で色々と知る事が出来ました。軸重の関係で全体的に余り長く働けなかった事は不幸な話ですが、呉線ではその軸重の重さが幸いした事が何とも皮肉ですね。余談ですがKATOのNゲージ鉄道模型のC59形の選択式ナンバープレートには残念ながら164が無かった為、現在も保存されている161を選択しました。
いつもご視聴頂きありがとうございます。50年以上C59は圧倒的に西の情報が多かったので、できれば今回の動画がきっかけになって、C60だけでなく関東・東北のC59にも注目頂きたいと思いました。私は模型は全くやってきていないのですが、天賞堂のNゲージのC59を見たとき、多分18万円ぐらいだったと思いますが、余りの精緻さにため息が出ましたが、到底払える金額ではありませんでした。
糸崎は日立だけ。初めて知り興味深く拝見致しました。S45のお盆の日に安芸に乗車する機会があり蒸気少年だった自分はC62の牽引が楽しみでした。ところが当日C59でがっかり。知識が豊富になった後年は逆に運が良かったと思う様なりました。C59牽引優等列車に乗車出来た事が秘かな自慢です。
ご視聴頂きありがとうございます。動画では日立云々言いましたが、この点はフィクションで、たまたま日立製のC59が残っただけです。ただ糸崎はC59、広島はC62だったのが山陽本線電化で糸崎にC62が入ってきてC59を追い出しにかかったんですね。後年常磐線からも来ました。安芸に乗られ、しかもC59なんてすごい幸運でしょう!
九州でC59の運用があるのは知ってましたが、東北、常磐系統にも運用があったのは知りませんでした。東北系統はC62の軸重軽減型というイメージが強いのでC59は入れないと思い込んでました。
ご視聴頂きありがとうございます。これまでの蒸気作品を出されていた諸氏が、西の方を好まれていたからでしょうね。東北方面、特に常磐線とか、仙台以北の写真は見たことないです。長い間、C59は山陽のイメージが強すぎたので、今回関東をアピールしてみました。
明日給料日です~HÒゲージのC59型を購入します~🚂🚂🚂古いモデルですが良い状態です~実車は九州鉄道記念館と京都鉄道博物館でみたことがあります。
高須さん、ご視聴いただきありがとうございます。C59のHOゲージ楽しみでしょうね。私はNゲージの天賞堂のが18万円するのを見てたまげましたが、欲しいと思ったことがありました。
昔 雑誌で…確か鉄道ファンで、元宮原機関区長の萱原登さんのコメント……C59は前方視界に難があり、と仰っていました。後日梅小路で運転席に座ったら、前方窓が結構斜めで…妙に納得したのを思い出しました。
ご視聴いただきありがとうございます。C62はとても見えたものじゃ無いないなぁと思ったのですが、C59も良くないのですね。確かに前方窓がの傾斜がきついですね。
162号機は 蒸気機関車のすべてという絵本に写真が載っていました
ご視聴頂きありがとうございます。162号機はメディア受けもしていたのですね。でも解体されてしまったのは残念ですね。
3:52 あれ? C62の39は21のボイラーをもらったのではないでしょうか
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございます。戦後の新しいボイラーに変えてもらった21号機が事故で廃車になったので、そのボイラーを39号に流用したのですね。
@@Yukkuri-Lab はい そのように文献では紹介されていました
8:40 おお!保存機!C59 161 保存状態だとこちらもよいような。
C59は1号機が九州で素晴らしい状態で保存されていますが、その他のは梅小路の164号機も含めて盛り上がりにかけますね。
車輪配置から、どうしても2-C-2のハドソンであるC62 、C61へ興味がいってしまうが、近年購入した外国型模型で、ドイツのSLだと、01、BR10と言った、大型旅客用タイプは2-C-1のパシフィックが多い。
坂田さん、ご視聴頂きありがとうございます。私もパシフィックの方がかっこいいと思います。東ドイツの01ー5が好きです。
C51、C59、C61は好きです♪C59の現役時代も見てないので今は門司港レトロでC59 1号機を見るしかないです😊綺麗に保管されてるので火が入ったら走れそうな気がします。この機関車を動態保存し観光用で本線を走らせたら人気が出るでしょうね!
C59-1は素晴らしい状態のようですが、なかなか見に行くチャンスが無くて。燃焼室を後年付け替えだものにしたんですよね。ボシラー新調すれば間違いなく動くでしょう。
@@Yukkuri-Lab そうですね!このC59 1は、すごくメンテナンスされており綺麗です。この機関車は老朽化や故障が原因で廃車になってないようです。当時、各路線の電化が進み、この軸重が重いC59は移動させる路線(配属先)が無かったみたいで、現役そのまま廃車となりJR小倉工場内部で大事に保管され眠ってました。その後、門司港レトロ(鉄道記念館)ができここへ移動してきました。近くにJR小倉工場(現在、SL人吉の58654が入庫していると思います)があるのでここでメンテナンスして静態保存しているようです。C59 1と一緒にある59634もかなり綺麗です♪これも走れそうです。
鉄は酸化していきますので、ボイラーはダメだと思っています。きっと将来の人々の知恵に任せて最善を尽くして保管しているのでしょうね。
@@Yukkuri-Lab なるほどですね~😓時が経てばそれなりに劣化しますね。いろいろとコメントして返信していただきありがとうございます。過去の蒸気の活躍、状態、仕組みなど分かりやすいご説明で参考になりました!また動画を見ていきたいと思います。
常磐線に行った3と110を含む白河区のC59ですが、1959年の黒磯~白河間電化時点ではED71が3両しかなかったのそのまま使われ、翌年の福島電化時に順次休車され、大半はC60に改造されましたが、3·88·110·190は改造されず、88はすぐ糸崎に転出。残る3両は1961年3月の仙台電化後も残存していました。同年5月に190が糸崎に転出。そして9月に110が尾久に転出して常磐線で走り始めたのも束の間。翌1962年2月2日付で廃車されています。理由は余剰ですが、事故で前端梁を壊したためとも言われています。(11月初旬には運用に就いていた)3が尾久に異動したのは1961年12月(11月とする文献もある)で、廃車は1963年2月。くだんのC62 39の復帰かEF80が出揃った時点で火を落としたのでしょう。
こちらもご覧いただきありがとうございます。尾久のC59の存在は中々面白く謎も多かったです。ごくわずかの期間で走行写真は見たことないです。
広島市中区の、「こども文化科学館」の外にC59形蒸気機関車が展示されているね…。
おはようございます。早いですね。いつも見ていただきありがとうございます。そのC59が幸運な161号機です。誠実な働きぶりと裏表のない性格で意地悪な162号機を押し退け保存されました。
修学旅行で見に行きました!! 僕にとって2回目のC59だったのでとても嬉しかったです
修学旅行でC59なんてラッキーなことでしょう!
@@Yukkuri-Lab 保存されてるC59は合計で3機ですからね
ちなみにC59 3機全部見たことあります
門司港の鉄道記念館の1号機が個人的に馴染み深いですね
ご視聴頂きありがとうございます。1号機はまだ見ていないんです。是非一度見たいものです。
@@Yukkuri-Lab 馴染み深いのもあってC59が一番好きですね〜やっぱ
嬉しいですね!
「あさかぜ」のヘッドマークを着けた1号機の写真が鉄道ジャーナル誌に載ってました。
@@mad1186 ありがとうございます今度購読してみます
魔理沙さん霊夢さんこんにちは!C62型39号機のボイラーは衝突脱線事故で休車だった21号機と振り替えられて21号機が廃車になったと聞きました。
もりわききくおさん、こちらもご視聴頂きありがとうございます。自己で引退する蒸機って意外に多いですが、C62-21は数少ないC62での例ですね。
162号機の性格癖あって好きです。
ご視聴頂きありがとうございます。162号は正直なのですね。気に喰わないやつを懲らしめたい、嫌がらせしたい、自分だけよければいい。誰でも思うようなことを162号に言わせているわけです。逆に161号は偽善者です。計算高く振舞って。
そうかもしれないです。ゆっくり研究室が機関車の人生相談や心療内科を開かないとならないか?と真剣に検討してます。
C59は瀬野八の補機運用は無かったと思いますよ。宇田賢吉さんの著作「鉄路100万キロ走行記」には、1963年4月20日改正から山陽本線の下り貨物列車の補機に糸崎機関区のC59が使用される事になった。D52が速度20kmで奮闘していたが、ダイヤ構成のネックになり、糸崎から10‰終端近くの白市駅までの33kmの区間に補機使用された。とあります。
ご視聴いただきありがとうございます。また貴重な情報をありがとうございます。糸崎から瀬野八は遠いのにどのように運用していたんだろうと疑問に思っていました。仰る通りの運用ですと納得できます。ただ、瀬野八に使われていたと言われる方も多いので、どうなんでしょうね。
自分が思うに宇田氏は瀬野八のD52補機仕業にも乗務しているようですし、C59には凄く思い入れがあるようです。だからもしC59が瀬野八の補機仕業についていたら著作でも触れると思うのです。それに写真も見た事もありませんしね。だけど、C59が特急「かもめ」の補機についていたら…と考えると浪漫がありますね。
そうなんですね。確かにC59の後部補機の写真は見たことがないです。ですから夜間の始業だったんだろうと思っていました。
おはようございます。梅小路の164号機は扇形庫の中にいるだけでは、スタイル抜群の魅力がイマイチ伝わってこないので、せめて構内運転をと思わずにいられないですね。161号機は潮風に晒される厳しい環境ではありますが、原爆ドームのすぐそばで、こども文化科学館の展示物として佇んでいることに大きな意味があると考えると…優等生キャラで偽善者っぽそうでも邪険には扱えないです(苦笑)そして、1号機の輝く美貌をいつか拝んでみたいものです。今回もありがとうございます!
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。164号はほんのたまに外に出るみたいですね。50年自走を前提としていないので復元には膨大な費用が掛かるでしょうね。今回分かったのですが、今の皆さんはC59はあまり興味をひかないようです。当時はC62より追っかける人多かったので、ちょっと驚いています。C55 vs C57、C59 vs C62で後者の勝ちみたいです。
161号機も広島市のこども文化科学館に現存でしたか。走る姿は子供の頃、1度見ただけですが本当に均整の取れた機関車ですね。C55とC59、どちらも保存機は貴重ですよね。
C59164号機、京都鉄道博物館に保存されている。東海道本線山陽本線に配置された。晩年は、呉線急行安芸号を牽引した。一方のトップナンバーC591号機は、門司港機関区に配置された。寝台特急さくら、はやぶさ、あさかぜ、みずほを門司ー鳥栖間を牽引していった。昭和41年度に廃車となって、小倉工場に静態保存されたが、門司港レトロ地区に開設された九州鉄道記念館に移設されて、現在もエントランスに保存されている。副館長宇都宮氏によって、メンテナンスされているのは、有名な話。
ご視聴頂きありがとうございます。いつもコメントありがとうございます。トップナンバーのC59ですが、素晴らしい保管状態ですよね。足回りの塗装がないのが最も素晴らしいことですし、そのメンテはかなり大変です。ここまでやったら、エコな実用ボイラーとして再活用するとか知恵だし欲しいところです。動画でも触れましたが1号は燃焼室を加えられ煙管が短くなっているので、純粋な戦前型ではなくなりました。
@@Yukkuri-Lab 様、C591号機は、戦前は浜松機関区か宮原機関区に配属されて、戦後特急つばめ、はとを牽引したが、東海道本線全線電化開業後は、門司港機関区に転籍して、寝台特急さくら、はやぶさ、あさかぜ、みずほを門司ー鳥栖間を牽引した。九州鉄道記念館に保存されているC591号機は、元日本食堂の調理師で、九州鉄道記念館副館長の宇都宮照信氏がメンテナンスを行っている。九州鉄道記念館に行けば、機関士姿の宇都宮照信氏に会えるはずです。
詳しく教えていただきありがとうございます。1号は動画の中の73と同じ仕業だったわけですね。足回りが塗装していないのはすごいことですよ。
確かにC59は性能はいいけど 軸重が重すぎて入選できる線区が限定されてしまい 一部はC60に改造され運用していたがそれでも最後は糸崎機関区に配置され 急行安芸、音戸の牽引や荷物列車などやっていたようですそれにしても臨時とはうえ 東北本線の盛岡まできたのなら D51の三重連でやっていた奥中山を越えられなかったでしょうか?C60やC61は越えていたのに なんで国鉄は 青森まで行く運用を設定しなかったでしょうか
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。盛岡以北に行かなかったのはD62の理由と同じだと思います。D62動画でご説明したようにつまり軌道強化のコストと電化の時期を見て止めたんですね。C59はかなり重いうえ、従輪までしっかり軸重重いですからかなり厄介だと思います。
模型の世界では164号機がマイクロエース糸崎機、KATOには161 162号機が控えナンバーにありますね。
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路にあるから164号機は有名ですね。161、162も同じ日立ですから個体差は無いと思います。
大変古い話ですが16番(HO)の製品でカツミ模型店のC59ダイヤモンドシリーズのナンバーに162が含まれていました。製品自体は162号の特徴である運転席の窓が再現されていなかったのでこのナンバーを選択された人がいるかどうかは不明です。
@@N--jv3go さんKATOのNゲージのC59よりはマシかと思います。(4両中、3両が運転台改装車で残りが161号機)
C59…地元を走っていた筈なのに…C62・D52ははっきりと覚えているのに…(殊にC6233・C6241は機番まで記憶にあるのに…)何故かC59が記憶にありませんorz。今にして思えばあれが…あの日見たあのカマがきっとC59だったのだ…と思う程度です(^^);(何しろもう半世紀以上前、頭頂部にヤバい前兆が現れだしたアラカンオジンがまだ未就学児童だった頃の話です)。特甲線用急行旅客用機として期待され実際その高い性能で優等列車の先頭にも立ったモノの…登場間もなく太平洋戦争、そして本土空襲。爆撃・機銃掃射で若くして命を落とした兄弟姉妹もありまた戦後は戦後でC62と電化に追われ、高性能ながら大型機故に転用先も限られ、まだまだ活躍できる筈だったのに、居場所がなく[リストラ]された悲運のカマでもありました。大型機ながらストーカーも無く助士は投炭が大変だったとは久保田博氏や宇田賢吉氏も触れられていました。蒸機乗りは優男には酷。幹線優等列車は屈強な荒くれ衆でもないとさぞかし大変だったのでは?然し軸重の重さは重量列車牽引には功を奏し、呉線では平区から人事異動してきた軽C62より重宝された由(平じゃエース扱いでしばしば[ゆうづる]の先頭に立っていた23や48も糸崎じゃ空転が多いと低評価だったそうです)。お召し機の栄誉を持つ95や108などもっと長く活躍して欲しかったのですが…残れなかったのは残念ですね。67の茶色、79の緑色ってどんな感じだったのでしょうね?当時のカラー写真・動画などは流石に残ってはいないかも知れませんが…ハの字エプロン、埋込み尾灯、梅鉢ハンドル…好き嫌い分かれるのは仕方の無いことですが、身近に接した蒸機達はコレが標準装備だったのでこの姿が一番しっくりきます(^^);
ご視聴頂きありがとうございます。長文のご感想コメントまことにありがとうございます。もともと糸崎はC59ばかりで、そこに常磐線や広島からC62が入り込んで3輌残ったというように理解しています。現場はC59が好きだったのでしょうね。山陽本線は独特な面構えだったので、確かに好き嫌いあるかもしれませんね。私は東がホームグラウンドなので、皆さんに知ってもらうように動画を構成しました。C59が昨今これほどまでに認知度が下がっているようなことに少々驚いています。C62の時のコメントのような反響がありませんね。現役当時はやはりC59だなというファンが多かったです。50年以上のブランクは埋めようがないのかもしれませんね。
う〜ん、C62やC59の右往左往からすると最後の花道から漏れた釜達は、その後の電気機関車や列車の引退とは違って津波被害のように一気に引退させられたんですね。風呂釜かわりに使われたC59 111号機みたいなのも納得かも
ご視聴いただきありがとうございます。呉線の電化はファンにとってショックでした。ある日を境に急に天国がなくなるような。据え置きボイラーもなかなかですよ。熱いし煙は出るし。移動ぐらいもできたはず。(この点詳しい方お知らせください
ピン位置を変える手間を惜しんで、軽量型のまま常磐の62を持ってきたのが62の晩節を。ストーカーの所為でシンダが多く乗務員や乗客・周辺住民に62は評判が悪かったとか。
ご視聴頂きありがとうございます。このご指摘の件は謎の部分ですよね。軸重軽減はシリンダーをライナー入れてボアダウンしているという噂は本当なら、一緒にやる必要があって大がかりになったはずですね。ストーカーは目を開けていられないぐらいシンダー降り注ぎます。急行ニセコで驚いたことがあります。
戦後形 NO.101~196
仮に今c59が動態復帰したとしてやはり入れる線区は主要な物に限られてしまうのでしょうか?またフルスペックで動態復元した場合c62クラスと肩は並べられますか?
ご視聴頂きありがとうございます。京都の周りですと本線は大丈夫ではないでしょうか。通勤列車が走っているところの軌道はかなり強固のはずです。フルスペックで復元できれば、時速95kmまでの間では差は出ないと思います。同じダイヤが組めるはずです。
C591を本線で復帰させてもらえないだろうかそしてななつ星などをけん引しないだろうか。
イワモトノリアキさん、ご視聴頂きありがとうございました。C59-1は重整備しなくても動くことは可能ではないでしょうか。でもいったん動かすと、莫大な経費が掛かるからJR九州は手掛けようとしないのでしょう。C59が門司から熊本までゆっくり夜行列車を走らせたら凄い人気になるだろうなぁと思います。
やはりカッコイイなぁ〜、あとEF58と80系?もカッコイイなぁ〜
ご視聴頂きありがとうございます。EF58は私も好きですよ。それだけを撮影に行ったことは殆どないですが、そこら中に居ましたからね。80系?呉の161号の横の車両ですか?似てますけどこの時には電化されていませんので、DCですね。
なるほど〜いい顔してるなぁ〜、あとEF58もいい顔してるね
EF58は旅客で、貨物はEF13だったと思います。
@@Yukkuri-Lab 貨物はEF15。1963年夏に家族旅行で尾道から安芸に乗車。EF58のはずが、僕の記憶ではなぜかEF15牽引? 前に来た貨物列車の牽引機が記憶に残ったのかも。当時小1でした
失礼しました。EF15でしたね。
糸崎が日立に限られたのは、尾道(向島)に日立造船があったことと、糸崎(三原)に三菱重工があったこと、ですかね?今も糸崎はだだっ広い線路が往時を偲ばせますね。
Kakeru Yamato さん、ご視聴ありがとうございました。糸崎が日立というのは全くのネタです。ごめんなさい。糸崎は元々C59の機関区で、山陽を追われたC62が侵食していったと思っています。
2:13 黄害 昭和60年代でも親に「線路に近づくな」と言われました。
ご視聴頂きありがとうございます。動画ではさらっと流しましたが、これにまつわる面白い話とか汚い話いっぱいありますがRUclipsでは無理ですね。
吾妻線の鉄橋で鉄道橋の横に歩道橋が併設されている場所がある、悪い事に115系のトイレ側に歩道橋があるタンク式になる前は列車が並走するとどうなったのだろうか。
以前は首都圏に入ってくる客車列車には停車中は使用しないでくださいとあったと記憶しています。とにかく線炉端はきれいじゃなかったですね。
C59はあまりイメージが無いんですよね。かもめか安芸しか思い浮かばないんですよ。僕の頭の中では山陽路の特急はC62、九州はC61なんですよ。
ご視聴頂きありがとうございます。C62よりC59をという呉線ファンも多かったと思います。私もそれに近いかもしれません。もはやC59はC51やC53のレベルなのかもしれませんね。
なんか、悲しい😢
ご視聴頂きありがとうございました。エンタメですの是非楽しんでいってください。
Ⅽ59を女性に例えると、小顔で細身の長身でグラマラスなヒップの持ち主というところでしょうかそして、後にⅭ60に改造されて、ミセスハドソンと呼ばれるようになるわけですなこちらの動画の声が女性なので、余計にそう見えてしまいますな
いつもご視聴頂きありがとうございます。性別は別にしてC59の均整の取れたスタイルと長いテンダーの絶秒のバランスは、世界中見てもなかなか無いと思います。もちろんC62が凄いのですが、ちょっとやりすぎですね。
私は「メーテル」、鉄郎、、【999】に乗りなさい
ご視聴頂きありがとうございます。私は魔理沙なんですが、なぜ戦艦大和や蒸気のC62でなければならないの?と思う方なので、これら最初からそれだけで、どちらも読んだことがありません。
皆さんに刺激されて78年のテレビ番組の999をU Nextで見始めました。なかなかシュールで良いですね。あの当時はこういった世間の感性だったなと改めて思い返しました。
それC62😉
山陽、呉線のイメージが強いです。テンダー上辺が一直線なのと、機によってはエンドビームに尾灯があるのが好きになれないです。(ゴメンナサイ)他のコメントにある湘南顔は、80系ではなく「キユニ16形」ですね。黄色い霧.....................お◯っこ.......... だぁあぁあぁあ!
ご視聴頂きありがとうございます。私は逆ですね。テンダーのアレがよく、戦後形の船底タイプが好きです。初期のC59のテンダーは真っ直ぐじゃ無いはずよ。展望車はその通りです。不衛生極まりないですが、当時はあまり話題ならなかったですねぇ。
キユニ16が80系と見えるということは、当時としてのマーケッティングは成功していたという事で実に納得しました。
尾灯標識灯埋め込みと煙室扉下の八の字エプロンは広島工場担当機の特徴ですね。
埋め込みは良いのですが、八の字エプロンはちょっと好みではありません。作業の便宜上理にかなっているのですけどね。
162号機が保存されなかった理由って、キャブの3枚窓改造で、あまり格好良いものじゃなかったからかな原型の161号機が保存に選ばれる。というのは自然の摂理ってとこか?ボイラーミキシングの164号機が、梅小路 161号機の方が良かったのかも。C59って、使い辛いカマで、尾久では、持て余し、行き場が無かったのは悲しい事実だけどもう九州でも要らない子みたいな
ご視聴いただきありがとうございます。C59も多くが改造され生きながらえると思いきや、C60と運命を共にしたのは皮肉なもんですね。
C59161 ほぼ毎日見ています。広島中央公園で静態保存されていて、その横をほぼ毎日、ランニングで駆けています。駆け抜けるときはすこひ頭を下げます。広島はC62の印象が強いけど、実はC59の方が話しにはよく登場するんですよね。余談ですけど、梅小路のC62-1号機は以前、広島に鉄道学園があって、その鉄道学園で静態保存されていた記憶があります。広島といえばC62,C59,D52そして私、個人的に大好きなC50。
ハルジオンさん、こちらもご視聴を頂きありがとうございます。
C59-161ハの字エプロンですよね。梅小路の164号も同じなのですが、164号は一時エプロンが違っていたんですけど、どういう経緯だったのか分かっていません。
外出し砂パイプとともに山陽仕様ですねぇ。
力強いのにスマートで気品もあるC59は蒸気機関車の中で1番好き。
ご視聴頂きありがとうございます。C59最近はC62に押されているようで、好きな方がいらして嬉しいです。
C59は昭和33年4月13日まで東北本線上野口(今の宇都宮線区間)でも使われていたようですね。
東北本線上野口は高崎線よりも電化が6年遅れていたので、昭和30年代まで見れたのは貴重だったと思います。
ご視聴頂きありがとうございます。
白河電化後、常磐線のヘルプでC59よ2輌が尾久にやってきたんですよ。
北九州在住で1号は小倉工場一般公開で、164号は梅小路で、最後161号は仕事で広島に行き場所を確認しその後撮影し全機全て記録に残しました。
九州鉄博に移動し、いつでも見られるようになりその手入れの良さに驚かされます。
ご視聴いただきありがとうございます。1号機は素晴らしい状態を保っていますね。Webでしか見たことはないのですが、走り出しそうな迫力もあります。足回りを塗装していない、梅小路ような保管ですから手入れがさぞ大変でしょうね。残念なことは引いて写真を撮れないところですね。
C59は横から見た時適度な大きさのボイラーの機関車とテンダーのバランスが良いので好きです。
ご視聴頂きありがとうございます。
そうなんです。おっしゃる事全く同意です。
特にテンダーが好きですね。
再視聴してますが、(蒸気絵本)面白く楽しんでます。仕事に疲れ果てた夕方には本当にありがたいです。
HMS HOODさん、私は土曜日に一心不乱で一日かけて製作してます。
皆さんが待っていただけて、製作も楽しいからこそできるのですね。
昭和45年の8月にC59161が牽く客車に乗りましたが揺れも少なくて乗り心地が良かった。一時安芸の運用から外れて早朝の音戸1号、2号を担当していた。重量があるので軸重の重いC59が重宝されたようです。しかし電化前年からは検査切れのC62が相次いで廃車になってからは安芸の運用に復活するし各駅列車も牽いてフル稼働。164は亀山での運用の話はあったが無くなってしまい、梅小路開館まで奈良機関区に保管されていた。ナンバープレートを外されて扇状庫に入っていたけど一目でC59とわかった
SKTさん、ご視聴頂きありがとうございます。参宮線で運用させる話があったと知ったのは近年です。あそこは線路規格高いですからね。ピッタリだったかもしれないのに残念です。昭和47、8年ごろまで残っていたらさぞかし今でももっと人気高かったことでしょう。
蒸気機関車好きの僕が毎週見に行っていたc59 161号機は僕にとって特別な存在です。
でも最近は外装は中な綺麗ですが内装がボロボロで床に穴が空いていて少し危ない状態でした
@KYUUROKUMARUさん、初めまして。ご視聴いただきありがとうございます。
身近な存在の機関車は、特に思い入れが強いことでしょう。特に山陽の輸送を担っていたC59であればなおさらですね。
C59は北九州出身の私にとって昭和36年の久留米電化までブルートレインを牽引していたことやC62が九州に来なかったことで憧れの機関車でした。まだ子供だったので記憶にあまりありませんが、その後カツミのHOゲージダイヤモンドシリーズを購入・組み立てたことや九州鉄博の1号機や梅小路の164号機を見て時折、当時の記憶をよみがえらせています。C59についてよくまとめられた動画なっていて驚かされました。
ご視聴いただきありがとうございます。
C59は私が最も好きな日本の蒸気です。これからも取り上げていきますので、当チャンネルよろしくお願いします。
ぼくもC59大好きです。C62はD52の改造機。国産最後の新造テンダー式機関車です。
sinicitakadoさん、ご視聴いただきありがとうございます。
C59はあまり皆さん好きな人少ないんですよね。やはりブームの絶頂期前に無くなったからでしょうか。
格好いいんですよねぇ。
C59達のやりとりが何だか笑えます、性格良好の161号は小さい頃に運転台にのって機関士ごっこやって楽しんだ思い出深い機関車です
ご視聴頂きありがとうございます。貴重ななあさかぜのお写真ありがとうございました。161号の運転台に乗ったんですね。C59は広いですよね。C62はストーカーがあって、床が高いんですよね。
C59形の東北本線、常磐線での使用については殆ど知らなかったので、今回の動画で色々と知る事が出来ました。
軸重の関係で全体的に余り長く働けなかった事は不幸な話ですが、呉線ではその軸重の重さが幸いした事が何とも皮肉ですね。
余談ですがKATOのNゲージ鉄道模型のC59形の選択式ナンバープレートには残念ながら164が無かった為、現在も保存されている161を選択しました。
いつもご視聴頂きありがとうございます。50年以上C59は圧倒的に西の情報が多かったので、できれば今回の動画がきっかけになって、C60だけでなく関東・東北のC59にも注目頂きたいと思いました。私は模型は全くやってきていないのですが、天賞堂のNゲージのC59を見たとき、多分18万円ぐらいだったと思いますが、余りの精緻さにため息が出ましたが、到底払える金額ではありませんでした。
糸崎は日立だけ。初めて知り興味深く拝見致しました。S45のお盆の日に安芸に乗車する機会があり蒸気少年だった自分はC62の牽引が楽しみでした。ところが当日C59でがっかり。知識が豊富になった後年は逆に運が良かったと思う様なりました。C59牽引優等列車に乗車出来た事が秘かな自慢です。
ご視聴頂きありがとうございます。動画では日立云々言いましたが、この点はフィクションで、たまたま日立製のC59が残っただけです。ただ糸崎はC59、広島はC62だったのが山陽本線電化で糸崎にC62が入ってきてC59を追い出しにかかったんですね。後年常磐線からも来ました。
安芸に乗られ、しかもC59なんてすごい幸運でしょう!
九州でC59の運用があるのは知ってましたが、東北、常磐系統にも運用があったのは知りませんでした。
東北系統はC62の軸重軽減型というイメージが強いのでC59は入れないと思い込んでました。
ご視聴頂きありがとうございます。これまでの蒸気作品を出されていた諸氏が、西の方を好まれていたからでしょうね。東北方面、特に常磐線とか、仙台以北の写真は見たことないです。
長い間、C59は山陽のイメージが強すぎたので、今回関東をアピールしてみました。
明日給料日です~HÒゲージのC59型を購入します~🚂🚂🚂古いモデルですが良い状態です~実車は九州鉄道記念館と京都鉄道博物館でみたことがあります。
高須さん、ご視聴いただきありがとうございます。C59のHOゲージ楽しみでしょうね。
私はNゲージの天賞堂のが18万円するのを見てたまげましたが、欲しいと思ったことがありました。
昔 雑誌で…確か鉄道ファンで、元宮原機関区長の萱原登さんのコメント……C59は前方視界に難があり、と仰っていました。後日梅小路で運転席に座ったら、前方窓が結構斜めで…妙に納得したのを思い出しました。
ご視聴いただきありがとうございます。C62はとても見えたものじゃ無いないなぁと思ったのですが、C59も良くないのですね。確かに前方窓がの傾斜がきついですね。
162号機は 蒸気機関車のすべてという絵本に写真が載っていました
ご視聴頂きありがとうございます。162号機はメディア受けもしていたのですね。
でも解体されてしまったのは残念ですね。
3:52 あれ? C62の39は21のボイラーをもらったのではないでしょうか
まつかぜ82さん、ご視聴頂きありがとうございます。
戦後の新しいボイラーに変えてもらった21号機が事故で廃車になったので、そのボイラーを39号に流用したのですね。
@@Yukkuri-Lab はい そのように文献では紹介されていました
8:40 おお!保存機!C59 161 保存状態だとこちらもよいような。
C59は1号機が九州で素晴らしい状態で保存されていますが、その他のは梅小路の164号機も含めて盛り上がりにかけますね。
車輪配置から、どうしても2-C-2のハドソンであるC62 、C61へ興味がいってしまうが、近年購入した外国型模型で、ドイツのSLだと、01、BR10と言った、大型旅客用タイプは2-C-1のパシフィックが多い。
坂田さん、ご視聴頂きありがとうございます。
私もパシフィックの方がかっこいいと思います。
東ドイツの01ー5が好きです。
C51、C59、C61は好きです♪C59の現役時代も見てないので今は門司港レトロでC59 1号機を見るしかないです😊綺麗に保管されてるので火が入ったら走れそうな気がします。この機関車を動態保存し観光用で本線を走らせたら人気が出るでしょうね!
C59-1は素晴らしい状態のようですが、なかなか見に行くチャンスが無くて。燃焼室を後年付け替えだものにしたんですよね。
ボシラー新調すれば間違いなく動くでしょう。
@@Yukkuri-Lab そうですね!このC59 1は、すごくメンテナンスされており綺麗です。
この機関車は老朽化や故障が原因で廃車になってないようです。
当時、各路線の電化が進み、この軸重が重いC59は移動させる路線(配属先)が無かったみたいで、現役そのまま廃車となりJR小倉工場内部で大事に保管され眠ってました。その後、門司港レトロ(鉄道記念館)ができここへ移動してきました。
近くにJR小倉工場(現在、SL人吉の58654が入庫していると思います)があるのでここでメンテナンスして静態保存しているようです。C59 1と一緒にある59634もかなり綺麗です♪これも走れそうです。
鉄は酸化していきますので、ボイラーはダメだと思っています。きっと将来の人々の知恵に任せて最善を尽くして保管しているのでしょうね。
@@Yukkuri-Lab なるほどですね~😓時が経てばそれなりに劣化しますね。いろいろとコメントして返信していただきありがとうございます。過去の蒸気の活躍、状態、仕組みなど分かりやすいご説明で参考になりました!
また動画を見ていきたいと思います。
常磐線に行った3と110を含む白河区のC59ですが、1959年の黒磯~白河間電化時点ではED71が3両しかなかったのそのまま使われ、翌年の福島電化時に順次休車され、大半はC60に改造されましたが、3·88·110·190は改造されず、88はすぐ糸崎に転出。残る3両は1961年3月の仙台電化後も残存していました。
同年5月に190が糸崎に転出。そして9月に110が尾久に転出して常磐線で走り始めたのも束の間。翌1962年2月2日付で廃車されています。
理由は余剰ですが、事故で前端梁を壊したためとも言われています。(11月初旬には運用に就いていた)
3が尾久に異動したのは1961年12月(11月とする文献もある)で、廃車は1963年2月。
くだんのC62 39の復帰かEF80が出揃った時点で火を落としたのでしょう。
こちらもご覧いただきありがとうございます。尾久のC59の存在は中々面白く謎も多かったです。ごくわずかの期間で走行写真は見たことないです。
広島市中区の、「こども文化科学館」の外にC59形蒸気機関車が展示されているね…。
おはようございます。早いですね。いつも見ていただきありがとうございます。
そのC59が幸運な161号機です。誠実な働きぶりと裏表のない性格で意地悪な162号機を押し退け保存されました。
修学旅行で見に行きました!! 僕にとって2回目のC59だったのでとても嬉しかったです
修学旅行でC59なんてラッキーなことでしょう!
@@Yukkuri-Lab 保存されてるC59は合計で3機ですからね
ちなみにC59 3機全部見たことあります
門司港の鉄道記念館の1号機が個人的に馴染み深いですね
ご視聴頂きありがとうございます。1号機はまだ見ていないんです。是非一度見たいものです。
@@Yukkuri-Lab 馴染み深いのもあってC59が一番好きですね〜やっぱ
嬉しいですね!
「あさかぜ」のヘッドマークを着けた1号機の写真が鉄道ジャーナル誌に載ってました。
@@mad1186 ありがとうございます
今度購読してみます
魔理沙さん霊夢さんこんにちは!C62型39号機のボイラーは衝突脱線事故で休車だった21号機と振り替えられて21号機が廃車になったと聞きました。
もりわききくおさん、こちらもご視聴頂きありがとうございます。
自己で引退する蒸機って意外に多いですが、C62-21は数少ないC62での例ですね。
162号機の性格癖あって好きです。
ご視聴頂きありがとうございます。162号は正直なのですね。気に喰わないやつを懲らしめたい、嫌がらせしたい、自分だけよければいい。誰でも思うようなことを162号に言わせているわけです。逆に161号は偽善者です。計算高く振舞って。
そうかもしれないです。ゆっくり研究室が機関車の人生相談や心療内科を開かないとならないか?と真剣に検討してます。
C59は瀬野八の補機運用は無かったと思いますよ。
宇田賢吉さんの著作「鉄路100万キロ走行記」には、1963年4月20日改正から山陽本線の下り貨物列車の補機に糸崎機関区のC59が使用される事になった。D52が速度20kmで奮闘していたが、ダイヤ構成のネックになり、糸崎から10‰終端近くの白市駅までの33kmの区間に補機使用された。とあります。
ご視聴いただきありがとうございます。また貴重な情報をありがとうございます。糸崎から瀬野八は遠いのにどのように運用していたんだろうと疑問に思っていました。仰る通りの運用ですと納得できます。
ただ、瀬野八に使われていたと言われる方も多いので、どうなんでしょうね。
自分が思うに宇田氏は瀬野八のD52補機仕業にも乗務しているようですし、C59には凄く思い入れがあるようです。だからもしC59が瀬野八の補機仕業についていたら著作でも触れると思うのです。
それに写真も見た事もありませんしね。
だけど、C59が特急「かもめ」の補機についていたら…
と考えると浪漫がありますね。
そうなんですね。確かにC59の後部補機の写真は見たことがないです。ですから夜間の始業だったんだろうと思っていました。
おはようございます。梅小路の164号機は扇形庫の中にいるだけでは、スタイル抜群の魅力がイマイチ伝わってこないので、せめて構内運転をと思わずにいられないですね。161号機は潮風に晒される厳しい環境ではありますが、原爆ドームのすぐそばで、こども文化科学館の展示物として佇んでいることに大きな意味があると考えると…優等生キャラで偽善者っぽそうでも邪険には扱えないです(苦笑)そして、1号機の輝く美貌をいつか拝んでみたいものです。今回もありがとうございます!
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。164号はほんのたまに外に出るみたいですね。50年自走を前提としていないので復元には膨大な費用が掛かるでしょうね。今回分かったのですが、今の皆さんはC59はあまり興味をひかないようです。当時はC62より追っかける人多かったので、ちょっと驚いています。C55 vs C57、C59 vs C62で後者の勝ちみたいです。
161号機も広島市のこども文化科学館に現存でしたか。走る姿は子供の頃、1度見ただけですが
本当に均整の取れた機関車ですね。C55とC59、どちらも保存機は貴重ですよね。
C59164号機、京都鉄道博物館に保存されている。
東海道本線山陽本線に配置された。晩年は、呉線急行安芸号を牽引した。
一方のトップナンバーC591号機は、門司港機関区に配置された。寝台特急さくら、はやぶさ、あさかぜ、みずほを門司ー鳥栖間を牽引していった。昭和41年度に廃車となって、小倉工場に静態保存されたが、門司港レトロ地区に開設された九州鉄道記念館に移設されて、現在もエントランスに保存されている。
副館長宇都宮氏によって、メンテナンスされているのは、有名な話。
ご視聴頂きありがとうございます。
いつもコメントありがとうございます。
トップナンバーのC59ですが、素晴らしい保管状態ですよね。足回りの塗装がないのが最も素晴らしいことですし、そのメンテはかなり大変です。
ここまでやったら、エコな実用ボイラーとして再活用するとか知恵だし欲しいところです。
動画でも触れましたが1号は燃焼室を加えられ煙管が短くなっているので、純粋な戦前型ではなくなりました。
@@Yukkuri-Lab 様、C591号機は、戦前は浜松機関区か宮原機関区に配属されて、戦後特急つばめ、はとを牽引したが、東海道本線全線電化開業後は、門司港機関区に転籍して、寝台特急さくら、はやぶさ、あさかぜ、みずほを門司ー鳥栖間を牽引した。
九州鉄道記念館に保存されているC591号機は、元日本食堂の調理師で、九州鉄道記念館副館長の宇都宮照信氏がメンテナンスを行っている。
九州鉄道記念館に行けば、機関士姿の宇都宮照信氏に会えるはずです。
詳しく教えていただきありがとうございます。1号は動画の中の73と同じ仕業だったわけですね。足回りが塗装していないのはすごいことですよ。
確かにC59は性能はいいけど 軸重が重すぎて
入選できる線区が限定されてしまい 一部はC60に改造され運用していたが
それでも最後は糸崎機関区に配置され 急行安芸、音戸の牽引や荷物列車などやっていたようです
それにしても臨時とはうえ 東北本線の盛岡まできたのなら D51の三重連でやっていた
奥中山を越えられなかったでしょうか?
C60やC61は越えていたのに なんで国鉄は 青森まで行く運用を設定しなかったでしょうか
いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。盛岡以北に行かなかったのはD62の理由と同じだと思います。D62動画でご説明したようにつまり軌道強化のコストと電化の時期を見て止めたんですね。C59はかなり重いうえ、従輪までしっかり軸重重いですからかなり厄介だと思います。
模型の世界では164号機がマイクロエース糸崎機、KATOには161 162号機が控えナンバーにありますね。
ご視聴頂きありがとうございます。梅小路にあるから164号機は有名ですね。161、162も同じ日立ですから個体差は無いと思います。
大変古い話ですが16番(HO)の製品でカツミ模型店のC59ダイヤモンドシリーズのナンバーに162が含まれていました。製品自体は162号の特徴である運転席の窓が再現されていなかったのでこのナンバーを選択された人がいるかどうかは不明です。
@@N--jv3go さん
KATOのNゲージのC59よりは
マシかと思います。
(4両中、3両が運転台改装車で残りが161号機)
C59…地元を走っていた筈なのに…C62・D52ははっきりと覚えているのに…(殊にC6233・C6241は機番まで記憶にあるのに…)何故かC59が記憶にありませんorz。今にして思えばあれが…あの日見たあのカマがきっとC59だったのだ…と思う程度です(^^);
(何しろもう半世紀以上前、頭頂部にヤバい前兆が現れだしたアラカンオジンがまだ未就学児童だった頃の話です)。
特甲線用急行旅客用機として期待され実際その高い性能で優等列車の先頭にも立ったモノの…登場間もなく太平洋戦争、そして本土空襲。爆撃・機銃掃射で若くして命を落とした兄弟姉妹もありまた戦後は戦後でC62と電化に追われ、高性能ながら大型機故に転用先も限られ、まだまだ活躍できる筈だったのに、居場所がなく[リストラ]された悲運のカマでもありました。
大型機ながらストーカーも無く助士は投炭が大変だったとは久保田博氏や宇田賢吉氏も触れられていました。蒸機乗りは優男には酷。幹線優等列車は屈強な荒くれ衆でもないとさぞかし大変だったのでは?
然し軸重の重さは重量列車牽引には功を奏し、呉線では平区から人事異動してきた軽C62より重宝された由(平じゃエース扱いでしばしば[ゆうづる]の先頭に立っていた23や48も糸崎じゃ空転が多いと低評価だったそうです)。
お召し機の栄誉を持つ95や108などもっと長く活躍して欲しかったのですが…残れなかったのは残念ですね。
67の茶色、79の緑色ってどんな感じだったのでしょうね?当時のカラー写真・動画などは流石に残ってはいないかも知れませんが…
ハの字エプロン、埋込み尾灯、梅鉢ハンドル…好き嫌い分かれるのは仕方の無いことですが、身近に接した蒸機達はコレが標準装備だったのでこの姿が一番しっくりきます(^^);
ご視聴頂きありがとうございます。長文のご感想コメントまことにありがとうございます。
もともと糸崎はC59ばかりで、そこに常磐線や広島からC62が入り込んで3輌残ったというように理解しています。現場はC59が好きだったのでしょうね。山陽本線は独特な面構えだったので、確かに好き嫌いあるかもしれませんね。私は東がホームグラウンドなので、皆さんに知ってもらうように動画を構成しました。
C59が昨今これほどまでに認知度が下がっているようなことに少々驚いています。C62の時のコメントのような反響がありませんね。現役当時はやはりC59だなというファンが多かったです。50年以上のブランクは埋めようがないのかもしれませんね。
う〜ん、C62やC59の右往左往からすると最後の花道から漏れた釜達は、その後の電気機関車や列車の引退とは違って津波被害のように一気に引退させられたんですね。
風呂釜かわりに使われたC59 111号機みたいなのも納得かも
ご視聴いただきありがとうございます。呉線の電化はファンにとってショックでした。ある日を境に急に天国がなくなるような。据え置きボイラーもなかなかですよ。熱いし煙は出るし。移動ぐらいもできたはず。(この点詳しい方お知らせください
ピン位置を変える手間を惜しんで、軽量型のまま常磐の62を持ってきたのが62の晩節を。
ストーカーの所為でシンダが多く乗務員や乗客・周辺住民に62は評判が悪かったとか。
ご視聴頂きありがとうございます。このご指摘の件は謎の部分ですよね。軸重軽減はシリンダーをライナー入れてボアダウンしているという噂は本当なら、一緒にやる必要があって大がかりになったはずですね。
ストーカーは目を開けていられないぐらいシンダー降り注ぎます。急行ニセコで驚いたことがあります。
戦後形 NO.101~196
仮に今c59が動態復帰したとしてやはり入れる線区は主要な物に限られてしまうのでしょうか?またフルスペックで動態復元した場合c62クラスと肩は並べられますか?
ご視聴頂きありがとうございます。京都の周りですと本線は大丈夫ではないでしょうか。通勤列車が走っているところの軌道はかなり強固のはずです。フルスペックで復元できれば、時速95kmまでの間では差は出ないと思います。同じダイヤが組めるはずです。
C591を本線で復帰させてもらえないだろうかそしてななつ星などをけん引しないだろうか。
イワモトノリアキさん、ご視聴頂きありがとうございました。
C59-1は重整備しなくても動くことは可能ではないでしょうか。
でもいったん動かすと、莫大な経費が掛かるからJR九州は手掛けようとしないのでしょう。C59が門司から熊本までゆっくり夜行列車を走らせたら凄い人気になるだろうなぁと思います。
やはりカッコイイなぁ〜、あとEF58と80系?もカッコイイなぁ〜
ご視聴頂きありがとうございます。EF58は私も好きですよ。それだけを撮影に行ったことは殆どないですが、そこら中に居ましたからね。80系?呉の161号の横の車両ですか?似てますけどこの時には電化されていませんので、DCですね。
なるほど〜いい顔してるなぁ〜、あとEF58もいい顔してるね
EF58は旅客で、貨物はEF13だったと思います。
@@Yukkuri-Lab 貨物はEF15。1963年夏に家族旅行で尾道から安芸に乗車。EF58のはずが、僕の記憶ではなぜかEF15牽引? 前に来た貨物列車の牽引機が記憶に残ったのかも。当時小1でした
失礼しました。EF15でしたね。
糸崎が日立に限られたのは、尾道(向島)に日立造船があったことと、糸崎(三原)に三菱重工があったこと、ですかね?
今も糸崎はだだっ広い線路が往時を偲ばせますね。
Kakeru Yamato さん、ご視聴ありがとうございました。糸崎が日立というのは全くのネタです。ごめんなさい。糸崎は元々C59の機関区で、山陽を追われたC62が侵食していったと思っています。
2:13 黄害 昭和60年代でも親に「線路に近づくな」と言われました。
ご視聴頂きありがとうございます。動画ではさらっと流しましたが、これにまつわる面白い話とか汚い話いっぱいありますがRUclipsでは無理ですね。
吾妻線の鉄橋で鉄道橋の横に歩道橋が併設されている場所がある、悪い事に115系のトイレ側に歩道橋があるタンク式になる前は列車が並走するとどうなったのだろうか。
以前は首都圏に入ってくる客車列車には停車中は使用しないでくださいとあったと記憶しています。とにかく線炉端はきれいじゃなかったですね。
C59はあまりイメージが無いんですよね。かもめか安芸しか思い浮かばないんですよ。僕の頭の中では山陽路の特急はC62、九州はC61なんですよ。
ご視聴頂きありがとうございます。C62よりC59をという呉線ファンも多かったと思います。私もそれに近いかもしれません。もはやC59はC51やC53のレベルなのかもしれませんね。
なんか、悲しい😢
ご視聴頂きありがとうございました。
エンタメですの是非楽しんでいってください。
Ⅽ59を女性に例えると、小顔で細身の長身でグラマラスなヒップの持ち主というところでしょうか
そして、後にⅭ60に改造されて、ミセスハドソンと呼ばれるようになるわけですな
こちらの動画の声が女性なので、余計にそう見えてしまいますな
いつもご視聴頂きありがとうございます。性別は別にしてC59の均整の取れたスタイルと長いテンダーの絶秒のバランスは、世界中見てもなかなか無いと思います。もちろんC62が凄いのですが、ちょっとやりすぎですね。
私は「メーテル」、
鉄郎、、【999】に乗りなさい
ご視聴頂きありがとうございます。私は魔理沙なんですが、なぜ戦艦大和や蒸気のC62でなければならないの?と思う方なので、これら最初からそれだけで、どちらも読んだことがありません。
皆さんに刺激されて78年のテレビ番組の999をU Nextで見始めました。
なかなかシュールで良いですね。あの当時はこういった世間の感性だったなと改めて思い返しました。
それC62😉
山陽、呉線のイメージが強いです。
テンダー上辺が一直線なのと、機によってはエンドビームに尾灯があるのが好きになれないです。(ゴメンナサイ)
他のコメントにある湘南顔は、80系ではなく「キユニ16形」ですね。
黄色い霧.....................
お◯っこ.......... だぁあぁあぁあ!
ご視聴頂きありがとうございます。
私は逆ですね。テンダーのアレがよく、戦後形の船底タイプが好きです。初期のC59のテンダーは真っ直ぐじゃ無いはずよ。
展望車はその通りです。不衛生極まりないですが、当時はあまり話題ならなかったですねぇ。
キユニ16が80系と見えるということは、当時としてのマーケッティングは成功していたという事で実に納得しました。
尾灯標識灯埋め込みと煙室扉下の八の字エプロンは広島工場担当機の特徴ですね。
埋め込みは良いのですが、八の字エプロンはちょっと好みではありません。作業の便宜上理にかなっているのですけどね。
162号機が保存されなかった理由って、キャブの3枚窓改造で、あまり格好良いものじゃなかったからかな
原型の161号機が保存に選ばれる。というのは自然の摂理ってとこか?
ボイラーミキシングの164号機が、梅小路
161号機の方が良かったのかも。
C59って、使い辛いカマで、尾久では、持て余し、行き場が無かったのは悲しい事実だけど
もう九州でも要らない子みたいな
ご視聴いただきありがとうございます。C59も多くが改造され生きながらえると思いきや、C60と運命を共にしたのは皮肉なもんですね。