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脱出したパイロットがいました。で終わりではなく、その後をここまで詳細に動画にしてくれたことに感謝します。
そう言っていただき嬉しいです。
特攻機に脱出用のパラシュート装備されてたのね。そこは人道的だったな。
パラシュート降下した搭乗員を狙い撃ちせず、対空砲火がしばらく止んで、着水を見守ってる感がします。よく戦い、よく救助されました。生きてくれて本当に良かった!! 助けてくれたアメリカ海軍駆逐艦艦長以下乗組員の方々、本当にありがとうございました。銀河は火だるまになりながら、最後までパイロットを守ってくれた、優秀な機体だったんですね。
パラシュート降下中にふつうは米軍は撃ち殺してくるんやけどね
同じ米兵でも、海に漂っていた日本兵を笑いながらピストルで撃ち殺した人もいました。そんな動画を観てましたから、米兵でも、千差万別。本当に助けてくださってありがとうございました。本当に良かった。
日本兵も同じでしょう。敵艦の搭乗員を救助した海軍の偉い人と捕虜で人体実験してた陸軍の部隊。
@@松岡シャトルラン なんとか部隊でしたね。数字で表記されてましたね。戦後、アメリカに保護されたとききました。
その動画は手榴弾で自爆してるやつだな 米軍に撃たれてないぞ
@@角孝志-c9g それは、私は見てないですね。私が見た動画は、海に漂っている日本兵が1人。それを笑いながら撃ち殺している艦隊に乗っているアメリカ兵とその仲間達、それを映しているおそらくアメリカ兵。の動画でした。
@@優子-p9nなお日本は1929年だったかの捕虜取扱を定めたジュネーブ条約批准してなかったので普通に国際法違反でもなんでもない
救助してくれて有難うございます。
私の親戚の叔父も、海軍航空隊に所属、沖縄戦で九州より天山で偵察に出動後沖縄沖で米軍機により撃墜、パラシュート降下で脱出近くの島まで泳いで行ったところ、まだ米軍が上陸していない島であり、地元の漁民の協力で無事九州まで漁船で送ってもらったそうです。叔父はミッドウェイ海戦では九九艦爆に搭乗、米軍と接触できず母艦(加賀?)に戻るも母艦は既に撃破され着艦を断念。連合艦隊本隊まで飛行し本隊近くで着水。駆逐艦に救助されました。2回も海で泳いでいるにも関わらず無事復員してきたそうです。
とても悪運強い叔父様ですね。でも、生還された事にも、意味があったと思います。私の親戚の叔父も、フィリピンで展開していましたが夜襲を受け、米軍の戦車により戦友が亡くなっていくのを多数目撃しましたが、生還しました。後に、その事を手記に残しています。私の祖父は、満州に徴兵されましたが、残念ながら終戦直前に亡くなっています。でも、亡くなられても、生還されても、その時代の方々皆さんの頑張りがあってこその、今の平和だと思っています。貴重な映像ありがとうございます。
母の兄弟の長男は米軍に撃ち落とされました😰子供の頃に何度も、その長男の写真を見ましたが、超イケメンです、宮崎県門川町出身😔
すごい強運
よかった!生かされた事も天命。
@@applecocoa2148
米駆逐艦上で小火器の保管を命じてくれた米士官(艦長?)と、海に入って3人を収容してくれた水兵に心から感謝。
@gdd29 不時着した米兵を殺した村民たちの話は少なくないですね。
@@central162 なぜそう反対的な事をわざわざ言うのか
@@harublox3900 真の歴史を知らない人が多いからです。 歴史の表裏を知ることがその過ちを反省する動機になるからです。
@@central162 歴史の裏表を言うならば、米軍は頻繁に日本兵漂流者を機銃掃射していました。しかしそうでない場合も多くありました。日本の艦艇も米漂流者を機銃掃射して艦長から叱責され止められたこともありました。一方で救助したこともありました。日本人原罪論には与しません。それは「歴史の裏表」でも「真の歴史」でもありません。
@@central162 いや無理やり反対的な発言を聞かしたり反省させるとか気持ち悪すぎでしょ、そういうのは本人自ら過去を探し出すべきことなんじゃないのか?
あの時は生きて捕虜となって恥ずかしいと思ったかもしれないけど、その後の人生で、自分の幸運に感謝したのは間違い無いと思う。
貴男はすでに軍人としての責務は果たした‥私達の勇気有る日本軍兵士ですよ。
貴様が言うな!
我々が軽々しく言える言葉では無いですよ。
なんにもしてないのに。おいしいとこもっててるよな。上から目線だし。
自分が殺されるかもしれないのに飛び込んで助けた水兵も勇気がある。
手榴弾で自縛しますからね。海上に漂う日本兵をピストルで撃つ動画も見ましたし。
仰る通り。
海上に浮かぶ日本兵は、手榴弾で自爆したり、ピストルを向けてきたりするので、船の上から射殺する動画も見ました。。。
@@上杉謙二-v7t なるわけないじゃないですか。
@@MN-nr4kv 自分が自爆攻撃で撃沈しようとしてた敵艦に「救助」されようとしてるときの日本兵の心境は穏やかではないだろうね。
見終わって少し涙が出ました。このような動画を送り出していただき感謝あるのみです。
沢山の米兵に囲まれながらも腕組みをしてるところに、意地を感じる。
生きていて吳れてありがとうございます。搭乗員達を助けてくれてありがとうこざいます。
生きてくれて、本当にありがとう!
貴重な映像ありがとうございます。とにかく打ち上げるアイスキャンデーの中、生還され良かったです。救助指令を出した米高官にも感謝です。
ちゃんと任務を果たしたのだから何の恥じることがあろう。生きて祖国の復興に貢献され、子孫も繁栄されたのではと思いたい。他の残虐に殺された日本兵の分まで幸せであって欲しい。
本当に皆さんのコメントが素晴らしいです。
捕虜に成った日本兵以外にも冷静な態度に見えています!腕を組カメラを見てる勇敢な日本のパイロットには敬服します🙇
この短い動画だけで、何十億円かけて制作された映画より感動し涙しました
ありがとうございます。
当時は、屈辱だったと思いますが、本当に生き残って良かったですね。奇跡です。😢
だからこそ昭和天皇が許せないな
ありがとうございます!
お心使い感謝いたします。度々申し訳なし。
生きて帰ってきてくれてありがとう。困難な中救助してくれて本当にありがとう。
「生きて虜囚の辱めを受けず」などの戦陣訓祖父にや父親に聴いたことあります。大叔父もシベリア抑留者です。この戦陣訓で、死ななくていい尊い命がどれだけ失われたことでしょう。助かった兵隊さん、本当にご苦労さまでした。
露助は最低、極悪‼
誰だって死にたく無いんだから戦後は辛かっただろうけれど、強く生きて幸せに成ってると良いですね。
現場のリーダーの人格によって捕虜になり人道敵に扱われたり、逆に捕虜にせず射殺したり、様々。
生きてて良かった良かった!
たとえ捕虜でも、日本のために戦った英雄だ。軍人としての責務は果たした。
むしろ捕虜というのは精一杯戦ったということだからね。国によってはむしろ名誉なこととされる。世界的な事例を見ればかなり極端に虜囚が許されない、または許されにくい空気に満ちていた旧日本軍が特殊とも言える
若い命が救われて本当に良かった
これぞ本当の勇気!生きてて良かった。
助かった特攻兵の皆さん私には英雄です。救助された米軍の皆さん、ありがとうございました。
これまた貴重な記録。言葉も無いですね…。
良い映像をありがとうございます。大変感動しました。
捕虜となるも炯々爛々の目の光。戦時中とはいえ今の私にはたじろぐばかりです。争いは無きが一番ですが、いざという時に同じ目の光を持てるかは自信ありません。78年前の特攻隊員様へ。
私も搭乗員の眼光に注目しました。
生きていられてよかったです。
特攻隊員にもきちんとパラシュートが支給されていたんですね少し安心しました。全然恥じることはありません彼らは間違いなく戦後の復興に尽力されたに違いありません
良かった!生かされた事も天命。
特攻隊ではないけど、助かって良かった。
ならミッドウェー海戦?
海に落ちた日本人パイロットを米艦から射撃する映像しか見たこと無かったから、驚いた。
よく生きて帰って来た。もう十分義務を果たした。お疲れ様でした…。
生きて虜囚の辱めを受けず、心構えならともかく本気で教え込む政府・軍上層部、民衆の捕虜という事への認識・知識・感情、当時捕虜になった事が公になった時の家族への扱いを想像すると家族・故郷を守る為に戦ってた人達が自決をするのもわかる、がそんな中でも家族は心の中で生きて帰って来てくれる事を祈っていたと思います、救助してくれた米海軍に感謝と救助される事を選んでくれた搭乗員に生きて帰って来てくれてありがとう、お疲れ様でしたと伝えたい
日本兵の救助に感謝します
敵味方とはいえ現場で戦う人たちにも様々な考えや思いがあることがわかる映像ですね。
救助してくれてありがとう。これとは別の記録映像で海に浮かぶ日本人パイロットを蜂の巣にしてるのを見たことがあります。
やはり一般兵とは異なり知的で精悍な雰囲気がありますね生きてて本当に良かった米海軍の紳士的な行動に敬意を表します心から感謝します同じ海軍軍人だから相通ずるものがあったのかも知れないですね
とても貴重な資料映像ありがとうございました!映像に残った歴史は後生に伝え二度と戦争をしないことを伝えてほしいですね!
漁師の息子だが、アメリカ兵も日本兵も助ける助けられる様にしてます。身体の力を抜いて引くに任せてる。泳げない奴だとしがみ付いて来るので救助する側も命懸けです。全員泳げてるなら海軍ですか?初めから途中被弾したら皆で落下傘降下しようと決めてたのでしょうか?それとも機長が死ぬのは俺一人で良いお前等は生きてくれと言われたのかも知れませんね。音速雷撃隊のワンシーン思い出しました。
「その事実で十分です」、本当に十分です。
珍しい映像。航空機が空母めがけて突っ込んでいく映像は散々見たが、このようにパラシュートで脱出して収容される日本兵を見たのは始めてかも。米軍側としても次の日本軍の神風攻撃に関する情報が欲しいからね。
彼らの奮戦で果たして何人の銃後の人が救われたのかは分からないけど、彼らがその後生き抜いた事で生まれた人、救われた人はきっといる。彼らは逃げる事なく務めを果たし、その結果として生き残った立派な帝國軍人。本当に御苦労様、生きていてくれてありがとう。
今回も貴重な資料をシェアして頂きまして、ありがとうございます😆以前の動画で落下傘の人は米兵とのコメントがありましたが、『な訳ないでしょ』と思いつつも、それを証明する資料の探し方も分からず気になっていました。戦闘記録や当時の映像等はどの様に探されているのでしょうか?
お心使い感謝いたします。資料は、米国公文書館(catalog.archives.gov/)です。検索機能はすべて英語ですが、検索画面、検索文は翻訳をかけられるので便利です。検索するとかなり幅広い範囲でヒットしますので、視聴できる資料をより分けるために左側のフィルターにある「オンラインでアクセス可能」の項目にチェックを入れて下さい。これで可成り絞られて目的とする資料を見出せます。(翻訳をかけますと画面は日本語になりますが検索は英文だけなので注意してください)
@@silentridge2019 ありがとうございます❗
涙が出た、撃墜されて助かってもなお捕虜になることを拒むなんて。
戦闘中の敵に捕らえられたらどう言う扱いされるかわかりません。戦後の価値観ならそうかもしれませんが、交戦中ならそう言う判断も致し方ない。航空機搭乗員なら招集された下級兵士とは訳が違います。自分も定年まで幹部自衛官でしたので彼等の気持ちもわかります。叔父が特攻崩れでしたが、叔父もその辺の赤紙の兵隊とワシは価値が違うとは生前聞いた事があります。
父から聞きましたが、当時は「戦陣訓」と言って、生きて虜囚の辱しめを受けずと教育されていたそうです。現代とは価値観が全く違う時代だったのですね。
@@putit-w6z 徹底的な宗教による「洗脳」と似たようなもの。大日本帝国という一種の国家神道が主の超巨大宗教団体だったから。
落下傘が装備されていた事にも驚きました。生きて虜囚の辱めを受けずと思っていたのに、生きようとしていた兵隊も居たんですね。私の父も比島で米軍に投降して無事日本に帰って来ました。
軍用機の座席はクッション等は無いので落下傘を座布団の代用にする事が一般的でした。特攻隊だから落下傘は着けない事は無いですよ。但し搭乗員が個人的に覚悟を示す場合等は別ですが。その場合は落下傘バンドに接続しないか、落下傘を地上に置いて行きます。敵艦上空で落下傘が開く事は偶然の出来事。死ねない人は途中の島に命懸けで不時着か、エンジン不調や天候不良等を理由に引返す例が無い事も無いけど。
貴重な,お話をありがとうございます!初めて見て,驚愕でした少年の様な,けれど前途有望な当時の特攻の方々は,この様な佇まいで居られたのかと,感慨深く拝見しました。銀河で、浜辺に不時着された方で後藤さんと言う方が、頭蓋骨の脳脳一部まで見えてしまう重傷を受け、生涯、その傷と後遺症の為,地獄の様な苦しみの発作や、頭痛に苛まれ人生を翻弄された記録が、傷痍軍人の公的な史料館に残されています若い前途有る方が亡くなられるばかりで無く、ご本人は心ならずもと,その時は思われたと拝察しますが,傷も浅く、生き残られ、良かったと、嬉しい気持ちになる映像でした!
狂気の戦場でも人の心を失わなかった戦士たちに感謝。
この陰には同じ立場で面白半分に殺された人がたくさんいたんだと思います、この人たちは幸運でした。助けてくれた米兵の指揮官が良かったんですよ、それももちろん感謝です。この人たちは葛藤はあったでしょうが最後まで恥だと思わず天寿を全うしてくれたのでしょうか?戦前戦中世代の祖父母に育ててもらった私のこの映像の心残りはそれだけです。
昭和20年4月という時期に台湾から鈍足の一式陸攻で索敵と言う無謀な行動自体、理解に苦しむ。撃墜されたのは夜間だったのだろうか。。。。救助されて本当に良かった!
特攻隊ではなく、特高のための偵察任務で撃墜された航空兵。感動的。
3人の方々を救っていただいたアメリカ海軍に感謝しかありません、本当にアメリカは偉大な国だと思います。
撃沈された海防艦の乗員が米軍機の機銃掃射で生存者なしということもありました。米潜水艦然り。結局、司令艦長次第だと思います。
@@猫六-e4x あの戦争仕掛けたのはアメリカだろ!それで真珠湾だよね!
そこまで卑屈になるのは敵国に無礼
米国が人道的な国家で米軍が敵国軍人と敵国民に対しても同様だと思うなら大間違いだよ。
戦艦大和や戦艦扶桑の時は米軍機(の一部)が機銃掃射して脱出した漂流者を撃ち56してるのに一方で100%死ぬ覚悟で出撃した特攻隊を助ける米軍がいたとは不思議それが戦争なのかもね
米軍側からすれば、カミカゼ搭乗員は捕虜としての価値が高いと思う。尋問のしがいもあっただろうと思科されます。
@@sunami808 救助=捕虜ということね。
日本軍も同じですよ。敵艦の搭乗員を助ける決断をした海軍の日本人もいますし、捕虜で人体実験したり一般人を虐殺した陸軍の部隊もいます。
当時、沖縄近海で上陸した米軍を支援していた米艦隊は連日の日本軍特攻機に悩まされていた。実態解明には日本軍搭乗員の生きた情報は貴重。人命救助は情報収集の目的もあったと思います。
捕虜となってもオドオドせず腕組みして堂々としてますね!
そういう指示だったんだと思う。にしても男前だよなこの人
1機目の銀河で救助されたのは後に段ボールメーカーのレンゴーの中興の祖と言われた長谷川薫中尉では?(確か海兵73期で戦後学習院大学卒)一緒に救助されてその後亡くなった同乗の操縦員吉田湊飛曹長は操練48期の零戦パイロット上がりで、真珠湾攻撃時に蒼龍制空隊として参加してます。
無駄死よりも生きることを選ばれたのは当時としては恥ずべきと思われたのかもしれませんが、死を覚悟するであろう場面においても生きる事をやめなかったことは尊敬に値すると思います。しかし、今も世界中では戦争が起こっている事実は悲しいとしか言えませんね💧
助かって良かった
海に堕ちたら徹底的に機銃掃射して皆殺しになると思ってました。実際に本土上空はパラシュート脱出降下中に執拗に機銃掃射されて亡くなった例がある。拒否の後、助けられた事例に驚く
救助された兵士の安堵感と罪悪感が入り混じった不安な表情がなんともやるせませんね。似たような状況で米軍が救助しようとロープを下ろそうとした時、手榴弾で海面で自爆した兵士のカラー映像を見たことがります。もう一度見ようと探しましたが発見できませんでした
確かユーチューブにあったと思います。
よく自決せず、捕虜になってくれました、生き残って良かったです。
生きて辱めを受けずという軍の決まりごとあつたので捕虜になることをきらつたかもですが助かって良かったです。
実際米軍の捕虜になってむごい殺され方されたされた日本兵のほうが多かったわけやしね
辛かったでしょう。よく生きながらえてくださいました。
同じ立場なら私も生きたいです。
特攻隊搭乗員がパラシュートを装着していたのは驚きです。ともあれ救出されて良かった。
地元の山中に墜落した銀河を思い出した。九州と北海道、高知の3名全員10代の子。戦友が建てた説明板に機体がぶら下がっていたのを思い出しました。
この方達のその後の人生が気になる
搭乗員若いですよね。
これは初めて見る映像です。単発機が炎に包まれ錐揉み状態になってる脇で落下傘が開いている映像は何度も観るのですが。とにかく救助されて良かった。それと、航空兵と空挺兵の落下傘では仕様が違うのかな?航空兵の方が操縦性が良さそう。
落下傘降下している映像はその映像の落下傘の続きです。彼は彗星を操縦していた甲飛8期の上飛曹で捕虜になり生還されました
そうだよ。国のために飛んだかもしれないけど、命の選択は自分で選んで良いと思う
私の同僚のお父様も、特攻隊の一員として出撃されたそうですが、出撃後、戦闘機の銃撃を受けたそうですが、奇跡的に米国の軍艦に救助されて、終戦まで捕虜になっていたそうです。戦後、帰還して時には、軍神として祭られ、葬儀も済んでいたそうです。
書きにくいことだが、海中で泳いでいる日本のパイロットを艦上からピストルで撃ち殺したフィルムも残っている。
戦争をしていたんだ‼
その映像の解説に手榴弾を抱いて救助され自爆するものもいたとあったと思う。海に入り引き上げている映像にビックリしている。武器を取り上げたとあるから米兵が言っている英語が少し理解できたのでは?私の叔父も捕虜となり96まで生きた。
@@izunokuni_Civic.circle基本的に海軍も陸軍も英語話せる奴は居たよ。国民が調子乗って敵性言語とか言い出して勝手に禁止してただけ
こんな事実があったのか。戦後はどんな生き方をしたのだろう。
救助された一式陸攻の映像2:40は初めて見ましたが、この搭乗員はその後どのような人生を歩んだのかがすごく気になります。助かって良かったと思える人生を歩んでいればと切に思いますね。同様に以前の特攻隊員かもしれないパラシュート脱出の方のその後の人生も気になりますね。
あの、一式陸攻ではなく双発、2人乗りの銀河という艦上爆撃機です。
@@user-do1mw775 銀河は3人乗りです
@@346チャンネル 失礼しました。特攻時には所謂無線要員とかは搭乗せず、という意味で2人乗りと。
@@user-do1mw775 特攻時に電信要員は搭乗せずのソースありますか?あと、銀河は陸上爆撃機です。
@@user-do1mw775 サンクス!2:40あたりの映像のナレーションの一式陸攻の搭乗員のことを書きました。
救助された搭乗員の顔は意外とサバサバしてたのが印象的ですね。この時は戦争末期だから軍部の考え方に疑問を持った兵士も少なからずいただろう。「生きて虜囚の辱めを…」という考え方も馬鹿げたことだと思っていたに違いない。それだったら捕虜として生きていた方がマシだと。救助された搭乗員が存命中なのかは不明だが、現在思うと敵の捕虜になったのが正しかった、と思っているだろう。
助かった人達が存在して良かったわ。手榴弾で自爆した人もいて映像にあるからね。
救助されたこの三人がその後どうなったのか知りたいです
中には自爆したり、銃撃された兵士もいたから生きてて良かったな。
月光の夏を思いだします。本当に、その事実だけで充分です。
助かって良かったー
アメリカ人の義祖父が、太平洋戦争で海軍として日本と戦っていたけど、特攻隊に攻撃された時、なんで日本軍はここまでするんかと思ったって言ってました
屠龍で特攻へ 機体は惜しくも敵艦手前で海に突っ込んでしまった が、後部座席の偵察員がそのまま米艦に降ってきて捕虜に 「戦後仲間からお前最後の最後に飛び降りたんとちゃうか?といわれたけどそんな器用なことできるはずないでしょう」と笑って話してましたね
それ、元ネタどこからですか? そもそも屠龍は陸軍属のはず。大戦末期に海軍航空隊と陸軍航空隊が同じ海域、特攻をしたなんて有り得ません。
@@user-do1mw775 海軍なんて言ってないだろう 昔テレビでやってたんだ ただそれ以外に全くその搭乗員の話は出てこなかった記事でも何でも
@@nao1208a わたしと貴方様が観た映像は誰がではなく何をしたかが。
TV。ねぬへく
@@nao1208a はい、日本の為に散華していった英
実際に会ったことはないが六十年以上前、近場の人で特攻隊員で突入後、アメリカ軍に救助された人と教えてもらった方がいたのを覚えているが一方、戻ることの無い特攻隊員で戦死した息子を生きていると信じ待つ老婆を身近の所で見ていた。その老母は一人暮らしで戦後バラックと言われた見窄らしい家で新聞紙から袋を作る内職でボソボソ暮らしていた‼️
私の調べる限り、「特攻作戦中に被撃墜され落下傘降下」した例はあっても救助された例は日本側の文献には見受けられなかったので、この映像が出回ったのがほんのつい最近だったのか、それともこの将兵は生きて祖国の地を踏むことがなかったのか、疑問ですね。「未帰還」となった日付けで戦死とされているので記録が残っているはず
特攻隊にパラシュート脱出装置があったのですか?
良かった良かった
パラシュートって特攻隊もっていたのを初めて知りました
同じこと思いました。大本営発表による報道に洗脳されたまま今に至ってるのかな
× … パラシュート○ … 落下傘
@@crutcherlhd3036 そうなんですね、落下傘部隊はあるのは知ってたんですが特攻隊にも装備させてたのは知りませんでした。
@@crutcherlhd3036いやパラシュートが日本語の落下傘って意味なんですがそれは……
@@だエアグル 敵がいっぱいいるところに降りるの嫌だろうな。
何かしらの情報を知りたかったのだと思う人道目的オンリーなら世の中戦争なんておきない
これが軍人の顔ですね
この頃は米軍圧倒的に優勢で心に余裕があったんじゃ。劣勢の状況ではこうはいかないだろう😊
戦後生まれには想像も出来ない辛さがあったと思います。特攻に限らず捕虜になった事を恥じて戦後は養子などで名字を変えた話も聞きます。戦国時代でも刀折れ矢尽きた者を帰順させたと言いますし、4んで花実が咲くものかという言い回しがあるのに、人を追い詰める様になったのは何故なんでしょう?
「異常」が「正常」の軍国主義。
報道カメラマンがいてよかった。絶好のプロパガンダのタイミング。漂流者を射的ゲームしてる動画見たことありますわ。
米兵が助けようとしたら……💥見事な自爆をした特攻隊員もいましたな😢
特攻機は殆どが米艦突入前に海上に撃墜され搭乗員は死亡したが稀に海上で生きていた場合もあったらしい、その特攻隊員を艦上から射殺する動画は見たことがあった。この動画のように殺されずに艦内に収容された動画ははじめてみました。時には特攻機の残骸、遺体が艦内に散らばった後それを片付けるのも大変な作業だったとか。もちろん特攻機により死亡した米兵の遺体は一部でも大切に保管されたが特攻隊員のそれはゴミと一緒に艦上からすてられたそうです。但し例外的に特定の米艦の艦長が特攻隊員の遺骸(一部分)を弔ってくれたそうです。これは真珠湾攻撃の時にも起こりましたね。司令官、艦長により扱いが違うなんてある意味すげぇ!って思います。いかにもアメリカ。ちょっとほっとしています。ネットによればノーマン・スコット少将は第三次ソロモン海戦で日本艦隊と海上交戦して戦死してました。駆逐艦ノーマン・スコットはずっと日本海軍と血みどろの戦いをしてますね。
脱出したパイロットがいました。で終わりではなく、その後をここまで詳細に動画にしてくれたことに感謝します。
そう言っていただき嬉しいです。
特攻機に脱出用のパラシュート装備されてたのね。そこは人道的だったな。
パラシュート降下した搭乗員を狙い撃ちせず、対空砲火がしばらく止んで、着水を見守ってる感がします。よく戦い、よく救助されました。生きてくれて本当に良かった!! 助けてくれたアメリカ海軍駆逐艦艦長以下乗組員の方々、本当にありがとうございました。銀河は火だるまになりながら、最後までパイロットを守ってくれた、優秀な機体だったんですね。
パラシュート降下中にふつうは米軍は撃ち殺してくるんやけどね
同じ米兵でも、海に漂っていた日本兵を笑いながらピストルで撃ち殺した人もいました。そんな動画を観てましたから、米兵でも、千差万別。本当に助けてくださってありがとうございました。本当に良かった。
日本兵も同じでしょう。
敵艦の搭乗員を救助した海軍の偉い人と
捕虜で人体実験してた陸軍の部隊。
@@松岡シャトルラン なんとか部隊でしたね。数字で表記されてましたね。戦後、アメリカに保護されたとききました。
その動画は手榴弾で自爆してるやつだな 米軍に撃たれてないぞ
@@角孝志-c9g それは、私は見てないですね。私が見た動画は、海に漂っている日本兵が1人。それを笑いながら撃ち殺している艦隊に乗っているアメリカ兵とその仲間達、それを映しているおそらくアメリカ兵。の動画でした。
@@優子-p9n
なお日本は1929年だったかの捕虜取扱を定めたジュネーブ条約批准してなかったので普通に国際法違反でもなんでもない
救助してくれて有難うございます。
私の親戚の叔父も、海軍航空隊に所属、沖縄戦で九州より天山で偵察に出動後沖縄沖で米軍機により撃墜、パラシュート降下で脱出近くの島まで泳いで行ったところ、まだ米軍が上陸していない島であり、地元の漁民の協力で無事九州まで漁船で送ってもらったそうです。叔父はミッドウェイ海戦では九九艦爆に搭乗、米軍と接触できず母艦(加賀?)に戻るも母艦は既に撃破され着艦を断念。連合艦隊本隊まで飛行し本隊近くで着水。駆逐艦に救助されました。2回も海で泳いでいるにも関わらず無事復員してきたそうです。
とても悪運強い叔父様ですね。でも、生還された事にも、意味があったと思います。私の親戚の叔父も、フィリピンで展開していましたが夜襲を受け、米軍の戦車により戦友が亡くなっていくのを多数目撃しましたが、生還しました。後に、その事を手記に残しています。私の祖父は、満州に徴兵されましたが、残念ながら終戦直前に亡くなっています。でも、亡くなられても、生還されても、その時代の方々皆さんの頑張りがあってこその、今の平和だと思っています。貴重な映像ありがとうございます。
母の兄弟の長男は米軍に撃ち落とされました😰
子供の頃に何度も、その長男の写真を見ましたが、超イケメンです、宮崎県門川町出身😔
すごい強運
よかった!
生かされた事も天命。
@@applecocoa2148
米駆逐艦上で小火器の保管を命じてくれた米士官(艦長?)と、海に入って3人を収容してくれた水兵に心から感謝。
@gdd29 不時着した米兵を殺した村民たちの話は少なくないですね。
@@central162 なぜそう反対的な事をわざわざ言うのか
@@harublox3900 真の歴史を知らない人が多いからです。 歴史の表裏を知ることがその過ちを反省する動機になるからです。
@@central162 歴史の裏表を言うならば、米軍は頻繁に日本兵漂流者を機銃掃射していました。しかしそうでない場合も多くありました。日本の艦艇も米漂流者を機銃掃射して艦長から叱責され止められたこともありました。一方で救助したこともありました。日本人原罪論には与しません。それは「歴史の裏表」でも「真の歴史」でもありません。
@@central162 いや無理やり反対的な発言を聞かしたり反省させるとか気持ち悪すぎでしょ、そういうのは本人自ら過去を探し出すべきことなんじゃないのか?
あの時は生きて捕虜となって恥ずかしいと思ったかもしれないけど、その後の人生で、自分の幸運に感謝したのは間違い無いと思う。
貴男はすでに軍人としての責務は果たした‥私達の勇気有る日本軍兵士ですよ。
貴様が言うな!
我々が軽々しく言える言葉では無いですよ。
なんにもしてないのに。おいしいとこもっててるよな。上から目線だし。
自分が殺されるかもしれないのに飛び込んで助けた水兵も勇気がある。
手榴弾で自縛しますからね。
海上に漂う日本兵をピストルで撃つ動画も見ましたし。
仰る通り。
海上に浮かぶ日本兵は、手榴弾で自爆したり、ピストルを向けてきたりするので、船の上から射殺する動画も見ました。。。
@@上杉謙二-v7t なるわけないじゃないですか。
@@MN-nr4kv 自分が自爆攻撃で撃沈しようとしてた敵艦に「救助」されようと
してるときの日本兵の心境は穏やかではないだろうね。
見終わって少し涙が出ました。このような動画を送り出していただき感謝あるのみです。
沢山の米兵に囲まれながらも腕組みをしてるところに、意地を感じる。
生きていて吳れてありがとうございます。
搭乗員達を助けてくれてありがとうこざいます。
生きてくれて、本当にありがとう!
貴重な映像ありがとうございます。
とにかく打ち上げるアイスキャンデーの中、生還され良かったです。
救助指令を出した米高官にも感謝です。
ちゃんと任務を果たしたのだから何の恥じることがあろう。生きて祖国の復興に貢献され、子孫も繁栄されたのではと思いたい。他の残虐に殺された日本兵の分まで幸せであって欲しい。
本当に皆さんのコメントが素晴らしいです。
捕虜に成った日本兵以外にも冷静な態度に見えています!
腕を組カメラを見てる勇敢な日本のパイロットには敬服します🙇
この短い動画だけで、何十億円かけて制作された映画より感動し涙しました
ありがとうございます。
当時は、屈辱だったと思いますが、本当に生き残って良かったですね。奇跡です。😢
だからこそ昭和天皇が許せないな
ありがとうございます!
お心使い感謝いたします。度々申し訳なし。
生きて帰ってきてくれてありがとう。
困難な中救助してくれて本当にありがとう。
「生きて虜囚の辱めを受けず」などの戦陣訓祖父にや父親に聴いたことあります。大叔父もシベリア抑留者です。この戦陣訓で、死ななくていい尊い命がどれだけ失われたことでしょう。助かった兵隊さん、本当にご苦労さまでした。
露助は最低、極悪‼
誰だって死にたく無いんだから戦後は辛かっただろうけれど、強く生きて幸せに成ってると良いですね。
現場のリーダーの人格によって捕虜になり人道敵に扱われたり、逆に捕虜にせず射殺したり、様々。
生きてて良かった良かった!
たとえ捕虜でも、日本のために戦った英雄だ。軍人としての責務は果たした。
むしろ捕虜というのは精一杯戦ったということだからね。国によってはむしろ名誉なこととされる。世界的な事例を見ればかなり極端に虜囚が許されない、または許されにくい空気に満ちていた旧日本軍が特殊とも言える
若い命が救われて本当に良かった
これぞ本当の勇気!生きてて良かった。
助かった特攻兵の皆さん
私には英雄です。
救助された米軍の皆さん、
ありがとうございました。
これまた貴重な記録。言葉も無いですね…。
良い映像をありがとうございます。
大変感動しました。
捕虜となるも炯々爛々の目の光。戦時中とはいえ今の私にはたじろぐばかりです。争いは無きが一番ですが、いざという時に同じ目の光を持てるかは自信ありません。78
年前の特攻隊員様へ。
私も搭乗員の眼光に注目しました。
生きていられてよかったです。
特攻隊員にもきちんとパラシュートが支給されていたんですね
少し安心しました。
全然恥じることはありません
彼らは間違いなく戦後の復興に尽力されたに違いありません
良かった!
生かされた事も天命。
特攻隊ではないけど、助かって良かった。
ならミッドウェー海戦?
海に落ちた日本人パイロットを米艦から射撃する映像しか見たこと無かったから、驚いた。
よく生きて帰って来た。
もう十分義務を果たした。お疲れ様でした…。
生きて虜囚の辱めを受けず、心構えならともかく本気で教え込む政府・軍上層部、民衆の捕虜という事への認識・知識・感情、当時捕虜になった事が公になった時の家族への扱いを想像すると家族・故郷を守る為に戦ってた人達が自決をするのもわかる、がそんな中でも家族は心の中で生きて帰って来てくれる事を祈っていたと思います、救助してくれた米海軍に感謝と救助される事を選んでくれた搭乗員に生きて帰って来てくれてありがとう、お疲れ様でしたと伝えたい
日本兵の救助に感謝します
敵味方とはいえ現場で戦う人たちにも様々な考えや思いがあることがわかる映像ですね。
救助してくれてありがとう。
これとは別の記録映像で
海に浮かぶ日本人パイロットを蜂の巣にしてるのを見たことがあります。
やはり一般兵とは異なり
知的で精悍な雰囲気がありますね
生きてて本当に良かった
米海軍の紳士的な行動に敬意を表します
心から感謝します
同じ海軍軍人だから相通ずるものがあったのかも知れないですね
とても貴重な資料映像ありがとうございました!
映像に残った歴史は後生に伝え二度と戦争をしないことを伝えてほしいですね!
漁師の息子だが、アメリカ兵も日本兵も助ける助けられる様にしてます。身体の力を抜いて引くに任せてる。泳げない奴だとしがみ付いて来るので救助する側も命懸けです。
全員泳げてるなら海軍ですか?初めから途中被弾したら
皆で落下傘降下しようと決めてたのでしょうか?それとも機長が死ぬのは俺一人で良い
お前等は生きてくれと言われたのかも知れませんね。
音速雷撃隊のワンシーン思い出しました。
「その事実で十分です」、本当に十分です。
珍しい映像。航空機が空母めがけて突っ込んでいく映像は散々見たが、このようにパラシュートで脱出して収容される日本兵を見たのは始めてかも。米軍側としても次の日本軍の神風攻撃に関する情報が欲しいからね。
彼らの奮戦で果たして何人の銃後の人が救われたのかは分からないけど、彼らがその後生き抜いた事で生まれた人、救われた人はきっといる。
彼らは逃げる事なく務めを果たし、その結果として生き残った立派な帝國軍人。
本当に御苦労様、生きていてくれてありがとう。
今回も貴重な資料をシェアして頂きまして、ありがとうございます😆
以前の動画で落下傘の人は米兵とのコメントがありましたが、『な訳ないでしょ』と思いつつも、それを証明する資料の探し方も分からず気になっていました。戦闘記録や当時の映像等はどの様に探されているのでしょうか?
お心使い感謝いたします。
資料は、米国公文書館(catalog.archives.gov/)です。
検索機能はすべて英語ですが、検索画面、検索文は翻訳をかけられるので便利です。
検索するとかなり幅広い範囲でヒットしますので、視聴できる資料をより分けるために
左側のフィルターにある「オンラインでアクセス可能」の項目にチェックを入れて下さい。
これで可成り絞られて目的とする資料を見出せます。
(翻訳をかけますと画面は日本語になりますが検索は英文だけなので注意してください)
@@silentridge2019 ありがとうございます❗
涙が出た、撃墜されて助かってもなお捕虜になることを拒むなんて。
戦闘中の敵に捕らえられたらどう言う扱いされるかわかりません。戦後の価値観ならそうかもしれませんが、交戦中ならそう言う判断も致し方ない。航空機搭乗員なら招集された下級兵士とは訳が違います。自分も定年まで幹部自衛官でしたので彼等の気持ちもわかります。叔父が特攻崩れでしたが、叔父もその辺の赤紙の兵隊とワシは価値が違うとは生前聞いた事があります。
父から聞きましたが、当時は「戦陣訓」と言って、生きて虜囚の辱しめを受けずと教育されていたそうです。現代とは価値観が全く違う時代だったのですね。
@@putit-w6z 徹底的な宗教による「洗脳」と似たようなもの。
大日本帝国という一種の国家神道が主の超巨大宗教団体だったから。
落下傘が装備されていた事にも驚きました。生きて虜囚の辱めを受けずと思っていたのに、生きようとしていた兵隊も居たんですね。私の父も比島で米軍に投降して無事日本に帰って来ました。
軍用機の座席はクッション等は無いので落下傘を座布団の代用にする事が一般的でした。特攻隊だから落下傘は着けない事は無いですよ。但し搭乗員が個人的に覚悟を示す場合等は別ですが。その場合は落下傘バンドに接続しないか、落下傘を地上に置いて行きます。敵艦上空で落下傘が開く事は偶然の出来事。
死ねない人は途中の島に命懸けで不時着か、エンジン不調や天候不良等を理由に引返す例が無い事も無いけど。
貴重な,お話をありがとうございます!初めて見て,驚愕でした
少年の様な,けれど前途有望な当時の特攻の方々は,この様な佇まいで居られたのかと,感慨深く拝見しました。
銀河で、浜辺に不時着された方で
後藤さんと言う方が、頭蓋骨の脳脳一部まで見えてしまう重傷を受け、生涯、その傷と後遺症の為,地獄の様な苦しみの発作や、頭痛に苛まれ人生を翻弄された記録が、傷痍軍人の公的な史料館に残されています
若い前途有る方が亡くなられるばかりで無く、ご本人は心ならずもと,その時は思われたと拝察しますが,傷も浅く、生き残られ、良かったと、嬉しい気持ちになる映像でした!
狂気の戦場でも人の心を失わなかった戦士たちに感謝。
この陰には同じ立場で面白半分に殺された人がたくさんいたんだと思います、この人たちは幸運でした。
助けてくれた米兵の指揮官が良かったんですよ、それももちろん感謝です。
この人たちは葛藤はあったでしょうが最後まで恥だと思わず天寿を全うしてくれたのでしょうか?
戦前戦中世代の祖父母に育ててもらった私のこの映像の心残りはそれだけです。
昭和20年4月という時期に台湾から鈍足の一式陸攻で索敵と言う無謀な行動自体、理解に苦しむ。撃墜されたのは夜間だったのだろうか。。。。救助されて本当に良かった!
特攻隊ではなく、特高のための偵察任務で撃墜された航空兵。感動的。
3人の方々を救っていただいたアメリカ海軍に感謝しかありません、本当にアメリカは偉大な国だと思います。
撃沈された海防艦の乗員が米軍機の機銃掃射で生存者なしということもありました。米潜水艦然り。結局、司令艦長次第だと思います。
@@猫六-e4x あの戦争仕掛けたのはアメリカだろ!
それで真珠湾だよね!
そこまで卑屈になるのは敵国に無礼
米国が人道的な国家で米軍が敵国軍人と敵国民に対しても同様だと思うなら大間違いだよ。
戦艦大和や戦艦扶桑の時は米軍機(の一部)が機銃掃射して脱出した漂流者を撃ち56してるのに
一方で100%死ぬ覚悟で出撃した特攻隊を助ける米軍がいたとは不思議
それが戦争なのかもね
米軍側からすれば、カミカゼ搭乗員は捕虜としての価値が高いと思う。尋問のしがいもあっただろうと思科されます。
@@sunami808 救助=捕虜ということね。
日本軍も同じですよ。
敵艦の搭乗員を助ける決断をした
海軍の日本人もいますし、
捕虜で人体実験したり
一般人を虐殺した陸軍の部隊もいます。
当時、沖縄近海で上陸した米軍を支援していた米艦隊は連日の日本軍特攻機に悩まされていた。
実態解明には日本軍搭乗員の生きた情報は貴重。
人命救助は情報収集の目的もあったと思います。
捕虜となってもオドオドせず腕組みして堂々としてますね!
そういう指示だったんだと思う。にしても男前だよなこの人
1機目の銀河で救助されたのは後に段ボールメーカーのレンゴーの中興の祖と言われた長谷川薫中尉では?(確か海兵73期で戦後学習院大学卒)
一緒に救助されてその後亡くなった同乗の操縦員吉田湊飛曹長は操練48期の零戦パイロット上がりで、真珠湾攻撃時に蒼龍制空隊として参加してます。
無駄死よりも生きることを選ばれたのは当時としては恥ずべきと思われたのかもしれませんが、死を覚悟するであろう場面においても生きる事をやめなかったことは尊敬に値すると思います。
しかし、今も世界中では戦争が起こっている事実は悲しいとしか言えませんね💧
助かって良かった
海に堕ちたら徹底的に機銃掃射して皆殺しになると思ってました。実際に本土上空はパラシュート脱出降下中に執拗に機銃掃射されて亡くなった例がある。拒否の後、助けられた事例に驚く
救助された兵士の安堵感と罪悪感が入り混じった不安な表情がなんともやるせませんね。
似たような状況で米軍が救助しようとロープを下ろそうとした時、手榴弾で海面で自爆した兵士のカラー映像を見たことがります。
もう一度見ようと探しましたが発見できませんでした
確かユーチューブにあったと思います。
よく自決せず、捕虜になってくれました、生き残って良かったです。
生きて辱めを受けずという軍の決まりごとあつたので捕虜になることをきらつたかもですが助かって良かったです。
実際米軍の捕虜になってむごい殺され方されたされた日本兵のほうが多かったわけやしね
辛かったでしょう。よく生きながらえてくださいました。
同じ立場なら私も生きたいです。
特攻隊搭乗員がパラシュートを装着していたのは驚きです。ともあれ救出されて良かった。
地元の山中に墜落した銀河を思い出した。九州と北海道、高知の3名全員10代の子。戦友が建てた説明板に機体がぶら下がっていたのを思い出しました。
この方達のその後の人生が気になる
搭乗員若いですよね。
これは初めて見る映像です。単発機が炎に包まれ錐揉み状態になってる脇で落下傘が開いている映像は何度も観るのですが。とにかく救助されて良かった。
それと、航空兵と空挺兵の落下傘では仕様が違うのかな?航空兵の方が操縦性が良さそう。
落下傘降下している映像はその映像の落下傘の続きです。彼は彗星を操縦していた甲飛8期の上飛曹で捕虜になり生還されました
そうだよ。国のために飛んだかもしれないけど、命の選択は自分で選んで良いと思う
私の同僚のお父様も、特攻隊の一員として出撃されたそうですが、出撃後、戦闘機の銃撃を受けたそうですが、奇跡的に米国の軍艦に救助されて、終戦まで捕虜になっていたそうです。
戦後、帰還して時には、軍神として祭られ、葬儀も済んでいたそうです。
書きにくいことだが、海中で泳いでいる日本のパイロットを艦上からピストルで撃ち殺したフィルムも残っている。
戦争をしていたんだ‼
その映像の解説に手榴弾を抱いて救助され自爆するものもいたとあったと思う。
海に入り引き上げている映像にビックリしている。
武器を取り上げたとあるから米兵が言っている英語が少し理解できたのでは?
私の叔父も捕虜となり96まで生きた。
@@izunokuni_Civic.circle
基本的に海軍も陸軍も英語話せる奴は居たよ。国民が調子乗って敵性言語とか言い出して勝手に禁止してただけ
こんな事実があったのか。戦後はどんな生き方をしたのだろう。
救助された一式陸攻の映像2:40は初めて見ましたが、この搭乗員はその後どのような人生を歩んだのかがすごく気になります。助かって良かったと思える人生を歩んでいればと切に思いますね。同様に以前の特攻隊員かもしれないパラシュート脱出の方のその後の人生も気になりますね。
あの、一式陸攻ではなく双発、2人乗りの銀河という艦上爆撃機です。
@@user-do1mw775
銀河は3人乗りです
@@346チャンネル 失礼しました。特攻時には所謂無線要員とかは搭乗せず、という意味で2人乗りと。
@@user-do1mw775
特攻時に電信要員は搭乗せずのソースありますか?
あと、銀河は陸上爆撃機です。
@@user-do1mw775 サンクス!2:40あたりの映像のナレーションの一式陸攻の搭乗員のことを書きました。
救助された搭乗員の顔は意外とサバサバしてたのが印象的ですね。この時は戦争末期だから軍部の考え方に疑問を持った兵士も少なからずいただろう。「生きて虜囚の辱めを…」という考え方も馬鹿げたことだと思っていたに違いない。それだったら捕虜として生きていた方がマシだと。救助された搭乗員が存命中なのかは不明だが、現在思うと敵の捕虜になったのが正しかった、と思っているだろう。
助かった人達が存在して良かったわ。
手榴弾で自爆した人もいて映像にあるからね。
救助されたこの三人がその後どうなったのか知りたいです
中には自爆したり、銃撃された兵士もいたから生きてて良かったな。
月光の夏を思いだします。
本当に、その事実だけで充分です。
助かって良かったー
アメリカ人の義祖父が、太平洋戦争で海軍として日本と戦っていたけど、特攻隊に攻撃された時、なんで日本軍はここまでするんかと思ったって言ってました
屠龍で特攻へ 機体は惜しくも敵艦手前で海に突っ込んでしまった が、後部座席の偵察員がそのまま米艦に降ってきて捕虜に 「戦後仲間からお前最後の最後に飛び降りたんとちゃうか?といわれたけどそんな器用なことできるはずないでしょう」と笑って話してましたね
それ、元ネタどこからですか? そもそも屠龍は陸軍属のはず。大戦末期に海軍航空隊と陸軍航空隊が同じ海域、特攻をしたなんて有り得ません。
@@user-do1mw775 海軍なんて言ってないだろう 昔テレビでやってたんだ ただそれ以外に全くその搭乗員の話は出てこなかった記事でも何でも
@@nao1208a わたしと貴方様が観た映像は誰がではなく何をしたかが。
TV。ねぬへく
@@nao1208a はい、日本の為に散華していった英
実際に会ったことはないが六十年以上前、近場の人で特攻隊員で突入後、アメリカ軍に救助された人と教えてもらった方がいたのを覚えているが一方、戻ることの無い特攻隊員で戦死した息子を生きていると信じ待つ老婆を身近の所で見ていた。
その老母は一人暮らしで戦後バラックと言われた見窄らしい家で新聞紙から袋を作る内職でボソボソ暮らしていた‼️
私の調べる限り、「特攻作戦中に被撃墜され落下傘降下」した例はあっても救助された例は日本側の文献には見受けられなかったので、この映像が出回ったのがほんのつい最近だったのか、それともこの将兵は生きて祖国の地を踏むことがなかったのか、疑問ですね。
「未帰還」となった日付けで戦死とされているので記録が残っているはず
特攻隊にパラシュート脱出装置があったのですか?
良かった
良かった
パラシュートって特攻隊もっていたのを初めて知りました
同じこと思いました。大本営発表による報道に洗脳されたまま今に至ってるのかな
× … パラシュート
○ … 落下傘
@@crutcherlhd3036 そうなんですね、落下傘部隊はあるのは知ってたんですが特攻隊にも装備させてたのは知りませんでした。
@@crutcherlhd3036
いやパラシュートが日本語の落下傘って意味なんですがそれは……
@@だエアグル 敵がいっぱいいるところに降りるの嫌だろうな。
何かしらの情報を知りたかったのだと思う
人道目的オンリーなら世の中戦争なんておきない
これが軍人の顔ですね
この頃は米軍圧倒的に優勢で心に余裕があったんじゃ。
劣勢の状況ではこうはいかないだろう😊
戦後生まれには想像も出来ない辛さがあったと思います。
特攻に限らず捕虜になった事を恥じて戦後は養子などで名字を変えた話も聞きます。
戦国時代でも刀折れ矢尽きた者を帰順させたと言いますし、4んで花実が咲くものかという言い回しがあるのに、人を追い詰める様になったのは何故なんでしょう?
「異常」が「正常」の軍国主義。
報道カメラマンがいてよかった。
絶好のプロパガンダのタイミング。
漂流者を射的ゲームしてる動画見たことありますわ。
米兵が助けようとしたら……💥見事な自爆をした特攻隊員もいましたな😢
特攻機は殆どが米艦突入前に海上に撃墜され搭乗員は死亡したが稀に海上で生きていた場合もあったらしい、その特攻隊員を艦上から射殺する動画は見たことがあった。この動画のように殺されずに艦内に収容された動画ははじめてみました。時には特攻機の残骸、遺体が艦内に散らばった後それを片付けるのも大変な作業だったとか。もちろん特攻機により死亡した米兵の遺体は一部でも大切に保管されたが特攻隊員のそれはゴミと一緒に艦上からすてられたそうです。但し例外的に特定の米艦の艦長が特攻隊員の遺骸(一部分)を弔ってくれたそうです。これは真珠湾攻撃の時にも起こりましたね。司令官、艦長により扱いが違うなんてある意味すげぇ!って思います。いかにもアメリカ。ちょっとほっとしています。ネットによればノーマン・スコット少将は第三次ソロモン海戦で日本艦隊と海上交戦して戦死してました。
駆逐艦ノーマン・スコットはずっと日本海軍と血みどろの戦いをしてますね。