【ゆっくり解説 】4000年前の縄文時代人骨が『ほぼ完全な状態』で発掘された!!!
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- Опубликовано: 1 июн 2024
- 「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
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尖底土器は・・・火に掛けることができない」というのは誤りです 尖底土器を 段差のある土部に底を刺して 段差の縦部から横穴を掘って火釜にし 薪等を入れて煮たりできるのです それでなければ態々 底をとがらせる必要がない 底を平らにして土の上に置けるようにするのが 自然な発想です 平底だと 火に掛ける台を 新たに作らなければならないので 尖底の方が手っ取り早い訳です
陶器を作った人ならわかるのですが、粘土の整形を行う為、水と土を混ぜ、限りなく滑らかな状態にするために1ヶ月間粘土を熟成させます。そのような処理を施しても、土器ほどの大きなものになると、乾燥途中、焼いてる途中にヒビが入ってしまうものが多いです。
んな面倒臭い機能性がねえもん作るわけねえだろって感じですよね
数か月前にYTの縄文生活を実施してみる体験チャンネルで実際視ましたが海辺で、かまどのように穴を掘り横穴の火口を形成した場所に尖底型の土器を(
彼らの自作)上手く収めて薪に火をつける方法で塩作りをしてました。
なるほどこういう使い方をしていたのかというのが良く判りました。製塩その
ものはごく微小しか取れなかったけどしっかり海水を何度も救い足して蒸発
させていましたので当時は海水の塩度を利用して煮炊きしていたのだろうと
視えましたよ。海水が無い地域でも煮炊きすれば食物は柔らかく食べ易くなる
しね。
@@mikiohirata9627底が尖った土器が出ると製塩土器だと習いました。福岡市です。
尖底のほうが火にかけた場合、面積が広い分早く湯が沸くそうですね。
尖底土器は皆さんが仰るようなかまどにスポっとはめて煮炊きをすると、火の威力が強く効率的に加熱ができそうです。また先細りの形はかまどの穴の大きさを選ばずに置く事ができます。
尖底土器の時代はかなり古く、当時は外の共同かまどとして使われていたと思います。これを竪穴住居内でやろうとすれば、簡単に屋根部に火が移ってしまったでしょう。
やがて尖底土器とかまどは海水から塩を生産するための道具として外で共同で使われ、日々の炊事は竪穴住居内で家族単位で行われる様になり、平底土器が主流になったのではないでしょうか?
良くまとまっていて、面白かったです。アカホヤ層の下を、もっともっと調べてもらいたいな!! 多くの水田・稲作が見つかったら面白いけどな!
日本中掘り起こせばまだまだ色々出てきそうな気がする
何でも擬人化してゆるキャラにするのは日本人のDNAに刻み込まれた業なのか?
うちの近所の貝塚から、人骨と一緒に埋葬されたイヌが出てきて、それが現代ではかそりーぬというゆるキャラになってますw頭に加曽利E式土器を被ってる。
@@user-sz7pt4hw9u かそりーぬ検索しました。
しば犬の白でしょうか?
なかなかレアですネ。
@@bobuGsan ありがとうございます😊良く佐野のゆるキャラさのまると間違えられますw
実際に見つかったイヌは柴犬くらいの大きさだったそうです。
擬人化と魔改造は日本古来の文化ですねぇ
やっぱり貝塚か。アルカリ性じゃないと人骨は土に還っちゃう。
尖底だと穴に🕳️入れて安定するから賢い土器だと思う。
平底の文化が入ってきたの尖底に戻るのは、そっちの方が利点があったのでしょうね
こんばんは。
完全な姿で見つかった人骨のDNA鑑定結果が、楽しみですね。😊
それですね。現代人の2割が縄文遺伝子と言われていますし、島嶼化した日本人の特徴を知りたいです。
@@user-re7qr8vp7v
なるほど、日本人の特徴ですか。🤔
縄文の文化と遺伝子を濃く継承したとされる熊襲・隼人族と琉球民族の関係性もわかれば、
日本語や琉球諸語の成り立ちもわかりそうな気もします
結果待ちですなぁ
埋葬される人の身分、立位置で、埋葬される場所も変わるのでは?
例えば、村長的な人と、村八分にされている人とでは、墓が同じ扱いではないと思うんですよね。
「生産性が低い個体は淘汰しよう」と言うのは正に家畜育種の考え方です。我々現代人は自分たち自身を家畜化してしまいましたね。
縄文時代は高い文化を保ちつつ、家畜的でない真の人類の時代だったのではないでしょうか🤔
だとしても、縄文が1万年続いた理由はそこじゃない。安定した生産だよ
統治できるが支配できず。
昔から変わらず。この先もそうあってもらいたい。
屈葬は胎児の姿勢を再現したものだとは、私も子供の頃(ン十年前)から読んで知っていましたが、本当でしょうか? 性教育を正しく施されていない年配の日本人は胎児の姿勢など知らないとしても、縄文時代人は知っていたのか? 彼らは日常的に動物を狩って解体していたから経験的に解剖学的知識を得ていたとしても、人間の胎児はさすがに見慣れていたとは言えまい。当時はスコップもツルハシもありませんから、墓穴を掘る労力の節約のためとの理由が最も腑に落ちます。
8:22 集団で生活をしていた以上、狩りや移住などの行動をする場合にはその音頭取りに当たる指導者がいなければ、単なる烏合の衆ではうまく行かないでしょう。そうした一種の権力者は自然発生的に出て来るのではないか? そうした資質を持った人がいて、部族の人々も彼(彼女)を指導者と認めて指示に従う事は普通にありそうに思えます。むろんその指導力は、獲物の動物を効果的に倒す腕力とか、大勢の狩人を巧みに指揮してたくさんの獲物を手に入れる能力とか、占いで人心を掌握するとか、いろいろあった事でしょう。縄文人骨の中には、一般人を上回る量や質の装身具を着けていたり、歯に切れ込みを入れた「叉状研歯」が見られるものがあります。これらは集落の指導者や呪い師などの「特権階級」に属する人々だったとも考えられます。
まだ書きたい事は山ほどありますが、長くなるのでここまで。
こちらのコメ通りであった事は疑いも有りませんが、小さな集団でいる限り
共同で生活のもろもろを共同で決めて共生していく事は可能だったでしょう。
中には霊的な力を持った権力者的な立場の人もいたでしょうが他人の死生
権与まで牛耳る事は無かったでしょう。権力者が派生するのは集族が農耕
時代に成って穀物を蓄積できるようになってからだと思います。古くから
ある種の特権階級(例えば霊的な力を有していた)のシャーマン的な人は
居た事でしょうね。
ある博物館の学芸員さんが「勾玉の形は小さな胎児を表している」と教えてくれました。それが常識なのか一説なのか分かりませんが、縄文人は私たちが考えるよりずっと高度な文化・技術を持っていたと思われます。これは推測に過ぎませんが、出産時に母親が◯ぬor意識を失っていきめなくなった場合、お腹の赤ちゃんが動いていたら、介添えをしていた人は母体を諦め黒曜石の刃物でお腹を割いて赤ちゃんだけでも助けようとしたんじゃないか?と思うんです。もちろん医者はいないので赤ちゃんを傷つけ失敗する事も多数あったでしょうが、お腹を開けて胎児の様子を見た人はいたと思うなぁ。
また、集落が栄えて人口が増えるほど統率するリーダーが必要なので人望のあるキャプテン的な人は絶対にいたと思います。しかしリーダーは富を集める支配者にはなれなかったのでは。なぜなら富を形成する食料は頑張れば誰でも集める事が出来、人望のない者は皆からそっぽを向かれるだけなので権力者にはなれないからです。権力を持つには特殊能力が必要で、それが神様と交信できる巫女やシャーマンに当たるのではないでしょうか。もののけ姫に出てくるアシタカの村のおひい様のような老女を連想しますが、彼女は長い経験と占いの能力で皆から敬われており、おひい様の言葉は神の啓示として絶対視されていたでしょう。しかしそれは富を独り占めして支配者として君臨するのとは違いますよね。
だから縄文時代は全員が平等で争いが無かった訳ではなく、争いが起きないように村をまとめるキャプテンと預言やお祓いをする宗教的リーダーとで平和に運営されていたのではないかな、と私は思っています。
棺桶は「桶」で江戸時代(昭和も)の庶民は火葬せず、桶で座棺。当時は仏教の影響もあって座禅させたとも。
時代によって都合良く言われますが、要は省スペース省力化で平地が少ない日本の村落では合理的です。
埋葬した後は埋め戻しで少し土が盛るカタチになるので土まんじゅうになるからちょうどいいし。
その後に分解されて土まんじゅうは沈んでいきますね。
00:00〜 冒頭のどこか哀愁のある背景BGMのタイトルをご存知の方いらっしゃいましたら、教えていただけると嬉しいです
貝塚の説明が分かりやすくとても興味深いです。チャンネル登録しました。😀それにしても、首長がいなくてどうして共同作業が成り立つのか疑問です。🤔
仮面を使っていたのが縄文からなのが興味深い。その源流はどこにあるのか?
ワラで編んだ盾の表面を青くペイントしていたらしい。この風習と塗料の選択は南米からパプアニューギニアの諸島でみられるものだね。
もちろん単に似ているだけだ。源流かどうかは知らない。70年代民俗学ブームのころ、比較人類学の観点から南太平洋に起源を求め調べられたが、航海技術の伝播はみられたものの、これといった物証もなく結論はでなかった
@@MedakaNoBoo ありがとうございます。
『土偶を読む』 で提唱されていた事柄を挙げていただいて、ありがとうございます。
貝塚が祭事の場でもある。というのは、大切にしていたと思しき飼犬の骨も見つかっていた事でも納得です。ヒトの遺骸を安置していたようだ、だとしたら …悪臭が凄まじかったでしょう。
I万年以上続いた縄文時代、争乱が無かったというのは、疑問です。そのうち、戦争の跡が見つかるかも知れませんね。
赤ちゃんと同じ姿で埋葬というけど、当時胎児の状態を確認する術はあったのかというと、また別の話になりそうやな。
すでにお産婆さん的な存在は何千年と有っただろう事を考えれば胎児が
どのような形で体内に収まっていたかは経験的に解っていたと考えられ
ませんか❓
誰が考えても体をまっすぐ伸ばした状態で母体に入っている事は有り
得ないのだから。
胎児のお母さんは体験しているはずですね🍀
江戸時代の「棺桶」では座禅とか言われています。都合の良い解釈ですが寝かせるよりも、単に合理的だったからでしょうね。
@@user-re7qr8vp7v 今でいう「座棺」ですかね?確かに穴掘るにしても小さいサイズで済みますしね。
動画で言っている「赤ちゃんと同じ姿で埋葬」という解釈より合理性重視でって言うのなら納得です。
もう現代では【発掘時代の偽造も可能】だから
確実に本物、実物 とは 偽物であった場合の【偽物を作った本人が手放す前(製作中)】しか確認的ない気がする
ここは近くに塚原古墳がある場所ですね。阿高もちょっとした山な部分があるから
関連があるかもです
縄文時代から河豚食べようとしてて草
その結果不幸な事になっちゃった遺跡もあります。(;O;)
当時の河豚は毒を持っていなかったとか?
3:59 人骨がたくさん出てきて草
尖底土器は熱伝導に優れてる。縦からと横から穴を掘ればカマドが出来るよ
こんにちは
縄文時代に母親の胎内の赤ちゃんの胎児の形状がどうやってわかったんだ?
胎児の姿勢って・・・胎児か、その姿勢でいるってエコー検査でもしないと、解らないんじゃない
産まれた直後の姿勢で、お腹の中でもこの姿勢だったんだろうな、と思うと思うよ🙂
それ以前から数千年もしくは数万年とお産婆さん的な人は胎児がまっすぐ体を
伸ばしたまま胎内にいる事はないのが判っていたでしょう。勾玉も胎児の様子
から派生する魂を祭る想いから出来上がったとも言われてますよね。
🙌💪🎉
土偶擬人仮説はあると思います。日本人て擬人化大好きだし。一例を上げればアンパンマンとかね。
未来の人がこの動画を見てまんじゅうが喋ってるわー。これは擬人化だよなと思うことでしょう。
縄文人の頭部骨に後ろから何回も殴打したような骨が見つかってる事から、温厚ではなく不良にみたいな縄文人も居たのか?とか。卑弥呼時代にも占い師としての巫女骨に複数の矢が刺さっただろう骨も見つかってることから、占いが外れると殺されたのかな?と和合とか似つかわしくない骨も見つかっている。本当に温和では無かったとか?日本の歴史はおもしろい
縄文時代と言っても8000年でしたっけ?
年代やエリアでローカライズされた風習があっても不思議じゃないのでは?
当時の人が胎児の姿勢を知っていたのか疑問です
知っていたかは分からないけど、身体を伸ばせない狭いところに居たら身体を丸めていたと考えるのは自然じゃないですかね?
関節が逆に曲がる訳もないし…。
それよりも、ド素人からしたら屈葬を輪廻転生へ結び付けるのは無理がある気がする。
なぜ弘智法印の絵姿が。
イノシシには軽トラも負けますからねぇ。
縄文人は胎児の形を知り得たのか?
擬人化した可愛いもの文化が縄文の時代からあった?
アニミズムとして考えれば、大事な食べ物として自分たちを生かしてくれる木の実や貝に宿る精霊を表そうとしたらそのものの形を取り入れるのは自然だと思います。木の実も貝も形が可愛いのでユーモラスな土偶になりますね🤗
ハート型のヒメグルミの形のサラダボウル的な器を博物館で見ましたよ。
貝塚という字面と廃棄場という言葉と概念をリセットせんと明後日の方向に行きかねんな。
頂いた命と人と等しく弔っていたとも考えられますね。
@@user-bt7ci2ut7iうちの近所の貝塚はいぬもヒトと一緒に埋葬されてる。かそりーぬというゆるキャラになってますw
おっしゃる通り単なるゴミ捨て場じゃないような気がします。
土偶は藁人形のような呪いの道具だったかも。
北海道の縄文遺跡ねー、アイヌだのウポポイだのって先住民族って謳い文句じゃなかったっけー?んでも大陸でアイヌは元朝と戦って負けて逃げたとかって記録もあるんだったっけー?
そもそもアイヌは土着の縄文系にオホーツク系の血が入った民族だからなにも間違いではない
@@ektherising
え?だったら47人が大量に流入してる今の日本って将来的には47人が先住民族だったってコトになるってこと?
お前の先住民の定義はなんだ
@@ektherising
オマエの先住民の定義はなんだよ?
@@30-06 お前の中で大和民族は日本の先住民か?
男性の人骨も見つかるといいですね。大陸との交通の要衝だけに貴重な情報が得られる可能性が高いと思います。
貝塚で見つかったといっても、貝と一緒に埋葬されたわけじゃないでしょう?そのへんもきちんと報告してほしいね。3メートルという深さからして、埋葬後貝塚が形成されたんじゃないの?
貝塚が埋葬場所なら、たくさん人骨が出てくるはずだよね。
貝殻の成分は炭酸カルシウムなので13C分析をすることにより年代測定可能なはずです。
遺跡を発掘する場合、土層もちゃんと記録して層ごとに考察してゆきます。根拠があるわけで、適当に語られている訳では無いかと。
年代測定は炭素14測定法で行います。
喪がりという風習がある。この3年という永い間、甕に封じ半分土に埋めるだけで遺体は埋葬しなかった。人は再生復活すると信じたのだろう。
霊(何か大切なもの)が遺体から抜けていなければ人は甦る感覚だね。こうした価値観は紀元前万年の世界、例えばエジプトでも同じだ
その後の抜け殻となった「ただの骨」の扱いが1万年同じだったとは限らない。祭りの後『神輿』を焼いて川に流す風習は九州全土でみられる。縄文期でもゆれ幅はあるのじゃないかな
日本では酸性の土壌なので人骨などは非常に残りにくいです。
そして縄文人の骨の痕跡を使って争いがあったなどと都合よく解釈している悪質な勢力もいます。
人骨が見つかるよりも集落跡や貝塚の方が当時の状況がわかると言えます。
よって大発見とは言えないです。
人骨の扱いといった「文化」の側面に興味をもつのはロマンだよ。ロマンとは「文明」に興味がない。考古学とは真逆だね。それが性(さが)ってものだ。
ただ、そのことが考古学的意義を失わせるとは言えないなあ
考古学は推理か妄想かよくわからない話がほとんどだ。断片的な情報で、あたかも見てきたかのように個人の妄想話をかいている本が多い。
それは考古学を舐めすぎてますよ。これまでの発掘の緻密な調査結果や科学分析で一つ一つピースを集めて考察してゆきます。単なる妄想や思いつきとは異なりますよ。発掘の公式報告書一つでも紐解いて見られれば判るかと。
比較人類学ならそうだろう。扱うのは『文化』だし、あくまで文系だから文学的要素は強いよ。考古学が扱っているのは『文明』だ。ちょっと違うだろうね
進んだ朝鮮半島から技術が伝わったとか嘘教えてる中学歴史教科書が書き換えられるような発見求む
胎児の形・・・はおかしくないですか❓
胎児が子宮内でどんな形でいるのかは妊婦を解剖しないと判らないのでは❓
当時既に解剖や手術がされていた❓
胎児がどんな姿勢で産まれてくるか、産まれた直後の様子とか見てたらわかるよ
古代の人類の経験から成る知識を甘く見ているのでは有りませんか。全てを
現代の私たちの常識だけでうまく纏め上げようとするべきでは有りません。
勾玉は何故あの形に成ったのか更に古代から食べられている食材一つにしても
一体どのようにしてそして誰が食べ始めたものかなど考えれば現代人には
お呼びもつかない発想法が有るのでは❓
胎児の形を知る術が人の解剖によるものという発想は、キリスト教的偏見だろう。狩をすれば得物をさばく、不倫をすれば胎児を滅した。
輪廻の力?が働いて復活しないようにだね。奴隷もいたことだし推測も含めれば知る方法はいくらでもある。
ちなみに、輪廻転生とは「人が何度も生死を繰り返し、新しい生命に生まれ変わること」だそうな。
これは人の復活を意味しない。宗教理論はよくわからないけどね、儒教的な価値観だと生前の行為によって虫に生まれかわることもある。仏教ではそうした変化球も受け入れてきたし、神の奇蹟とは本質的に違うものだね
赤水銀?
40000年生きてる日本人いるよ。それも沢山。
藤原氏子孫本家の先祖は中臣氏で中華倭国殷王朝中王だよ。さらに先祖は倭国王朝13000年前に作ったよ。さらに40000年前には新石器時代で人権理解してたよ。