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【補足情報】《15:30 401レ急行津軽の停車駅》大宮・小山・宇都宮・西那須野・黒磯・郡山・福島・米沢・赤湯・上ノ山・山形・天童・神町・東根・楯岡・大石田・新庄・真室川・横堀・湯沢・十文字・横手・飯詰・大曲・刈和野・秋田・大久保・八郎潟・鹿渡・森岳・東能代・二ツ井・鷹ノ巣・早口・大館・碇ヶ関・大鰐・弘前・川部・浪岡
Bgm はハナミズキでしょ
新幹線開通で東北や新潟へ向かう長距離列車はほぼ無くなったものだと思っていたが夜行列車はまだ繁盛していたのだな…と
30年以上前と今とで宇都宮線の終電の時間が同じなのにちょっと感動してる
今年で35年前になるよ
8:51 懐かしい。1回だけつばさ17号で上野から秋田まで帰ったことがある。そのときの上野まで乗っていった列車がつばさ8号(折り返しあいづ)
ご視聴いただきありがとうございます。実際に乗られていたのですね。大変良い経験をされており羨ましく思います。
黒磯行き 車両の変更に伴い廃止2015年に東京上野直通開始と同時に、熱海発黒磯行きの普通列車もあった
黒磯行きと新前橋or前橋行きの多さに驚く。22年3月改正での宇都宮線の黒磯行き全廃に続き、23年3月改正では高崎線の上越・両毛線への直通も昼間帯全廃で大幅削減・・・
ご視聴いただきありがとうございます。系統分離が進み地域輸送に特化したダイヤになりました。寂しいとは感じますが仕方がないですね。
私が子供の頃(20年位前)までは前橋、新前橋行きが当たり前で、朝晩は横川、渋川、伊勢崎まで足を伸ばしてた位なんですがねぇ…。気づけば前橋乗り入れも廃止寸前。高崎線が150周年を迎える頃には高崎以北への乗り入れが廃止になっていそうですね。(新前橋ですら怪しい…)
@@しいたけ-c4d 高崎線って開業時(日本鉄道)の終着は前橋(場所的には利根川右岸の新前橋近く)だったんですけどね。
こんな事をやっているから群馬の北毛や栃木の県北が廃れてしまうと。やはりJRという株主利益を最優先する株式会社が公共の福祉に反している気が・・
これより前の国鉄時代の70年代、上野発12〜13時頃に、保守間合というのがあって、上野〜大宮の東北本線に列車の走らない時間帯がありましたね。京浜東北線で大宮まで行くか、待つかでした。
ご視聴いただきありがとうございます。そのような時間帯があったのは知らなかったです。手元に70年代の時刻表がないので入手でき次第、制作に取り掛かろうと思います。
上野発でみるとあさまが新幹線になったくらいで劇的な違いはあまり無いんだけどこれ全部当駅始発っていうのがいちばん大きな違いなんだろうな
ご視聴いただきありがとうございます。あさまの他、なすのも新幹線として今は走っています。当時は横軽が現役だったのでほとんどが信越線経由で走っています。
@@ExpressKaido 、@くろたか谷川もひらがな変更で新幹線愛称に採用
つばさも
このあと、ホームライナーが好調で古河や鴻巣まで延びましたね。新宿発もあったり。
今は特急に格上げになって実質値上げになりましたね💸
今より便利そうに見えるのは気のせいかな?
ご視聴いただきありがとうございます。1本で長距離目的地に行ける便利さはありますが、所要時間を見ると現在の方が優位です。夜行列車があるのでなおそのように感じるのかも知れませんね。
間違いなく今より便利ですね。時間はかかるけど。
特に高崎線各駅停車は、特急の通過待ちラッシュですよ。長野行新幹線開通で、かなりスッキリした覚えがあります。
9:19 特急白山3号 1992年3月改正まで入善に停車
この頃、およびこの少し前の頃の珍しい行き先だと、日光、氏家、白河、深谷、渋川、水上、横川、桐生行きなどの普通電車列車がありました。黒磯行きはいくらでもありました。早朝深夜にあった、普通列車の白河⇔上野は、仙台運転所の車両(455系、457系)を使ったもので、急行「まつしま」「ざおう」の運用の一部などで入っていたものです。通常は165系急行である急行「なすの」の一部(上野⇔白河)にも455系、457系電車が運用の関係で入っているものもありました(他に115系急行「なすの」もあったこともあります。)。特急「あいず」は常磐線用の勝田電車区の485系などが使われ、1往復のみありました。新幹線は会津若松までは行かないからです。
あいづは確か上野つばさ廃止まで、南秋田運転所の485系が使われてた気がするけど
@@E6系こまち さんコメント本文に「常磐線用の勝田電車区の485系などが使われ」たと書いておいたけれども、「など」と書いておいたのは、他の車両基地の車両も使われていたことがあるためです。一時、勝田のものが入ったので、その後そうなるのかと思ったこともあります。また、485系だけでなく、481系が使われていたこともあるためです。
大宮以北の停車駅が大量にあった草津が懐かしい…
急行より停車駅が多かったですね
@@ハヤトシ-j5j 生まれた時既に高崎線に急行は無かったww
遠近分離の問題とは思うけど、高崎線だけでいうと、新特急より急行の方が停車駅が少なかったんですね。あと、浦和冷遇はかなり近年まで続いてるものかと思っていたので、意外でした!
ご視聴いただきありがとうございます。新特急は自由席主体の特急列車ですのでライナー寄りの存在であったのかも知れません。そのため、長距離急行列車よりも停車駅が多く設定されてるものだと思われます。
1982年位まで浦和駅は時間帯によって普通列車も通過されてました
@@ExpressKaido50kmまでの新特急料金は急行料金と同じ金額でしたね
黒磯行きって結構多かったんですね
黒磯と高崎線だと前橋や渋川行きが昔は多かったんですね。JRが国鉄に戻ると湘南新宿ラインや上野東京ラインもこの辺を拾える余裕も出てくる居がします。
7:18 日光直通は廃止 宇都宮で系統分離
一部の新特急などが石橋に停まるのは、近くに日産の工場があるからなのかなあと思ってしまった。
ご視聴いただきありがとうございます。少なからず可能性はあるかと思います。しかし、なすの1号の石橋駅発車時刻は9時18分ですので、通勤を目的にしているとは考えにくいかと思います。
元社員です。栃木工場と言えば日産でもエクストレイルなど大型車を作っている大工場なのでそうだと思います。日産のせいで上三川町は財政力指数めちゃくちゃ高いですし、宇都宮市とも合併していないです。
この年代は、北陸・北海道の他、東北地方の寝台列車もたくさんありますね!この頃は全ての長距離の列車が13番線から出てた訳でもないんですね。この時代は普通電車の13番線発着も多く見られますが。トランスイート四季島などの臨時列車の発着以外は、確か今は無かったような気はしますが・・・歴史を感じるホームですよね。
ご視聴いただきありがとうございます。上野駅13番線ホームといえば長距離列車というイメージは割と最近についたように感じました。上野駅地上ホームは独特の雰囲気があって非常に好きな駅の一つです。
ちょうど私の誕生した時の時刻表だった碓氷峠越えの特急乗って見たかった
ご視聴いただきありがとうございます。碓氷峠越えを知らない世代からするとロマンでしかないですよね。すごく気持ちがわかります。
初めて青春18で長野から変える時に、電車で話しかけられた人に「ここは来年からしなの鉄道って言うのになるんですよ」と言われてふーん、くらいにしか思わなかったですが、その時から軽井沢と横川はもうバス運行でしたね。
湘南新宿ライン・上野東京ラインが出来てから3桁列番の普通も減ってしまいましたね…
当時は、黒磯行きが多く、乗り換えが少なくて便利でしたね。私は福島市在住で、18きっぷでよく東京へ旅行しますが、乗り換えが面倒です(意地でも新幹線は使わない)。当時なら、うまく行けば黒磯での乗り換え1回で済みますが、今は系統分離のせいで、最低でも宇都宮、黒磯、新白河の3回の乗り換えを強いられます。
未だ快速が少ないですね。東北線ですと、日光行が一本残ってる!黒磯行は無く宇都宮乗り替えに成りましたね。
ご視聴いただきありがとうございます。当時の新特急は50km以内は急行料金と同額でしたので、ライナー的な役割があったのかと思います。そのため、快速列車の運転は少なめになっているのだと思われます。
スイフトの名は自動車に受け継がれた
ラビットの方は某予備校教師に「うさちゃん号」とか揶揄されていたけど、名前はこちらのほうがイケてる。
東北•高崎線の池袋発着便の運転開始はこの頃だったと思います。池袋発着便は上野駅には来ないから当然表示はされませんが、そこから東北•高崎線の状況の変化が始まりました。それが2001年に湘南新宿ラインに発展する事となります。それにしても、消滅した列車名が幾つもあります。ホームライナーは鴻巣、古河へ延長されて行き、快速タウンとスイフトは列車名が無くなり通勤快速と変化して行きます。新特急の呼称は2002年まで続きました。
特急が5~9番線から出るのが当たり前だったり、反対に16・17番線から出る各駅停車があったりするところに時代を感じます。また、ホームの構造が上野と大宮がほぼ変わってない(上野の18番線がなくなりましたが)一方で、赤羽と浦和はこの当時とはガラッと変わりましたね。
ご視聴いただきありがとうございます。この時代の上野駅の様子を知らなかったので、高架ホームから数多くの特急列車が発車していることに制作しながら大変驚きました。
2023年では無くなった黒磯行が懐かしい
停車駅見てると白山てエースなんだなぁ
ご視聴いただきありがとうございます。停車駅は主要駅のみでしたが、それでも所要時間は約6時間半ほど要していました。金沢へは米原経由で行く方が速く着いたのではないかと思われます。
日中の普通列車も地味にコロナ減便を喰らった今より多いんですね…!湘南新宿ラインができ、7·8両が消えて一本あたりの輸送力は上がり、10分ごとのパターンで使いやすくはなりましたが…
ご視聴いただきありがとうございます。現在はパターンダイヤで利便性向上していますが、一長一短かなと感じます。
北陸も出羽も水上に停車してますねえ😄 上りは長岡で運転停車して両車とも仲良く雪かぶって停まってました😄 あけぼのはこの時も東北奥羽本線経由だったんですねえ😄
ご視聴いただきありがとうございます。あと、能登が信越線経由で走っています。晩年は浦佐で北陸と能登が雪被ってましたね。
@@ExpressKaido 能登は客車の時何度か乗りました😄 ぼろいし発車ごとに起こされたけどそれでもいい思い出です😄
この当時、自分は通学で浦和~久喜間で東北本線を使っていました。浦和を7時33分発の11両編成の黒磯行に乗る事が多かったです。余談ですが、当時高崎線はかなり211系が投入されていたのに東北本線は古い115系ばかりで正直差別だと思っていました。因みに東北本線に211系が本格的に投入されたのはこの2年後の1990年からです。
ご視聴いただきありがとうございます。当時の貴重な情報をありがとうございます。ちなみに、浦和7時33分発の列車は上野7時13分発533M普通黒磯行き(1:55頃)です。
そのかわり、E231系の投入は高崎線より東北本線のほうが先でしたね。ただ、115の撤退は高崎線のほうが、早かったですが。
1988年の快速ラビットは新特急なすのに迫る停車駅数でしたね
ご視聴いただきありがとうございます。その影響で差別化が図れず、晩年は快速ラビットに格下げされました。
夜行列車と元の「あさま」サービスを除いて、上野からの在来線の時刻表は、今日見られるものと大差ありません。 念のために言っておきますが、現在のサービスはほとんどが東北本線の久留磯までの E231 系電車で、高崎線の新前橋までです。
ご視聴ありがとうございます。現在(2022年3月改正ダイヤ)では、上野駅からの列車は宇都宮線は宇都宮、高崎線は前橋までが主な運転区間となっております。黒磯へは宇都宮で乗り換えが必要となっています。また、使用車両はE231系とE233系電車となっています。
@@ExpressKaido E231系の編成は黒磯まで北上していた記憶がありますが、その駅は直流から交流への架電の切り替えがあり、それ以上は行けません。 2022 年 3 月の変更は、宇都宮以北の長い E231 系電車の運行を正当化するのに十分な旅客輸送がなかったために発生したに違いありません。
@@Sacto1654 黒磯構内の交直切替は改正以前に廃止され、黒磯迄は完全に直流になりました。現在は、黒磯高久間で車上切替です。
日光線へ直通電車もあったんだ
はくつる3号の停車駅よ。宇都宮の次は盛岡って・・・
ご視聴いただきありがとうございます。はくつるには号数はついていません。宇都宮〜盛岡までの乗客は他の列車で賄えているため止まらないものであると考えられます。
爆笑しました。ムダにプライド高いあの百万都市の市民としてはいたたまれないでしょう。
高崎線は、新特急はあるけど、快速アーバンはまだ無かったのですね。
ご視聴いただきありがとうございます。快速アーバンが運転開始されたのは1989年(平成元年)のことですので、翌年からになります。
アーバン(Urban)の小規模バージョン・タウン(Town)がいましたね。
JR誕生1年目だから基本今とそんな変わりないですね。行先に限っては。
ご視聴いただきありがとうございます。中距離列車の行先に限ってはそうですが、長距離列車の廃止やパターンダイヤ化など多くの変化はあるように感じます。
急行「津軽」の停車駅の欄が多い
現在のあさまは新幹線ですね。
あいづやつばさは中途半端な時間に運行されてたんですね。
ご視聴いただきありがとうございます。上りの「あいづ」や「つばさ」の列車を運用していると考えられますので、昼過ぎの運行になっていると思われます。当時は東北新幹線が開業していますので、直通列車の需要はそれほど多くなかったと考えられます。
土日祝日限定なら会津若松直通特急の要望は多いのにねぇ。
ご視聴いただきありがとうございます。会津若松への需要があったかも知れませんが、郡山まで新幹線で行けるので直通列車は一往復の設定になっていると思います。
特急「あいづ」もあったんだね
長野•金沢•新潟•仙台方面言わずと知れた東京北玄関口
新特急って面白い
高崎線系統列車が多いようで
那須に行かない『なすの』もあったんですね。
ご視聴いただきありがとうございます。なすのには直流電車が充てられていましたので、黒磯止まりとなっていました。
2000年改正のってありますか?
ご視聴いただきありがとうごいます。現在、手元に2000年改正時刻表はありません。今後の予定として1996年の時刻表を随時制作していきますが、要望がありましたら適時入手を検討いたします。
ホームライナー大宮、貴重は列車
そっか、北斗星がデビューした年??でしたっけ??
ご視聴いただきありがとうございます。仰る通り、この改正で北斗星が登場しました。
22:30発の急行津軽の停車駅の多さw
ご視聴いただきありがとうございます。停車駅が多くて文字が見にくくなってしまっていました。大変失礼いたしました。補足という形で、コメントの方に記載いたします。
@@ExpressKaido ありがとうございます。
北斗星、1号と5号はあるけど3号は?
ご視聴いただきありがとうございます。北斗星3号は不定期臨時列車のため、載せていません。
【補足情報】
《15:30 401レ急行津軽の停車駅》
大宮・小山・宇都宮・西那須野・黒磯・郡山・福島・米沢・赤湯・上ノ山・山形・天童・神町・東根・楯岡・大石田・新庄・真室川・横堀・湯沢・十文字・横手・飯詰・大曲・刈和野・秋田・大久保・八郎潟・鹿渡・森岳・東能代・二ツ井・鷹ノ巣・早口・大館・碇ヶ関・大鰐・弘前・川部・浪岡
Bgm はハナミズキでしょ
新幹線開通で東北や新潟へ向かう長距離列車はほぼ無くなったものだと思っていたが
夜行列車はまだ繁盛していたのだな…と
30年以上前と今とで宇都宮線の終電の時間が同じなのにちょっと感動してる
今年で35年前になるよ
8:51 懐かしい。1回だけつばさ17号で上野から秋田まで帰ったことがある。そのときの上野まで乗っていった列車がつばさ8号(折り返しあいづ)
ご視聴いただきありがとうございます。
実際に乗られていたのですね。
大変良い経験をされており羨ましく思います。
黒磯行き 車両の変更に伴い廃止
2015年に東京上野直通開始と同時に、熱海発黒磯行きの普通列車もあった
黒磯行きと新前橋or前橋行きの多さに驚く。
22年3月改正での宇都宮線の黒磯行き全廃に続き、
23年3月改正では高崎線の上越・両毛線への直通も昼間帯全廃で大幅削減・・・
ご視聴いただきありがとうございます。
系統分離が進み地域輸送に特化したダイヤになりました。
寂しいとは感じますが仕方がないですね。
私が子供の頃(20年位前)までは前橋、新前橋行きが当たり前で、朝晩は横川、渋川、伊勢崎まで足を伸ばしてた位なんですがねぇ…。
気づけば前橋乗り入れも廃止寸前。高崎線が150周年を迎える頃には高崎以北への乗り入れが廃止になっていそうですね。(新前橋ですら怪しい…)
@@しいたけ-c4d 高崎線って開業時(日本鉄道)の終着は前橋(場所的には利根川右岸の新前橋近く)だったんですけどね。
こんな事をやっているから群馬の北毛や栃木の県北が廃れてしまうと。やはりJRという株主利益を最優先する株式会社が公共の福祉に反している気が・・
これより前の国鉄時代の70年代、上野発12〜13時頃に、保守間合というのがあって、上野〜大宮の東北本線に列車の走らない時間帯がありましたね。京浜東北線で大宮まで行くか、待つかでした。
ご視聴いただきありがとうございます。
そのような時間帯があったのは知らなかったです。
手元に70年代の時刻表がないので入手でき次第、制作に取り掛かろうと思います。
上野発でみるとあさまが新幹線になったくらいで劇的な違いはあまり無いんだけどこれ全部当駅始発っていうのがいちばん大きな違いなんだろうな
ご視聴いただきありがとうございます。
あさまの他、なすのも新幹線として今は走っています。
当時は横軽が現役だったのでほとんどが信越線経由で走っています。
@@ExpressKaido 、@くろたか
谷川もひらがな変更で新幹線愛称に採用
つばさも
このあと、ホームライナーが好調で古河や鴻巣まで延びましたね。新宿発もあったり。
今は特急に格上げになって実質値上げになりましたね💸
今より便利そうに見えるのは気のせいかな?
ご視聴いただきありがとうございます。
1本で長距離目的地に行ける便利さはありますが、所要時間を見ると現在の方が優位です。
夜行列車があるのでなおそのように感じるのかも知れませんね。
間違いなく今より便利ですね。時間はかかるけど。
特に高崎線各駅停車は、特急の通過待ちラッシュですよ。長野行新幹線開通で、かなりスッキリした覚えがあります。
9:19 特急白山3号 1992年3月改正まで入善に停車
この頃、およびこの少し前の頃の珍しい行き先だと、日光、氏家、白河、深谷、渋川、水上、横川、桐生行きなどの普通電車列車がありました。黒磯行きはいくらでもありました。
早朝深夜にあった、普通列車の白河⇔上野は、仙台運転所の車両(455系、457系)を使ったもので、急行「まつしま」「ざおう」の運用の一部などで入っていたものです。通常は165系急行である急行「なすの」の一部(上野⇔白河)にも455系、457系電車が運用の関係で入っているものもありました(他に115系急行「なすの」もあったこともあります。)。
特急「あいず」は常磐線用の勝田電車区の485系などが使われ、1往復のみありました。新幹線は会津若松までは行かないからです。
あいづは確か上野つばさ廃止まで、南秋田運転所の485系が使われてた気がするけど
@@E6系こまち さん
コメント本文に「常磐線用の勝田電車区の485系などが使われ」たと書いておいたけれども、「など」と書いておいたのは、他の車両基地の車両も使われていたことがあるためです。一時、勝田のものが入ったので、その後そうなるのかと思ったこともあります。また、485系だけでなく、481系が使われていたこともあるためです。
大宮以北の停車駅が大量にあった草津が懐かしい…
急行より停車駅が多かったですね
@@ハヤトシ-j5j
生まれた時既に高崎線に急行は無かったww
遠近分離の問題とは思うけど、高崎線だけでいうと、新特急より急行の方が停車駅が少なかったんですね。
あと、浦和冷遇はかなり近年まで続いてるものかと思っていたので、意外でした!
ご視聴いただきありがとうございます。
新特急は自由席主体の特急列車ですのでライナー寄りの存在であったのかも知れません。
そのため、長距離急行列車よりも停車駅が多く設定されてるものだと思われます。
1982年位まで浦和駅は時間帯によって普通列車も通過されてました
@@ExpressKaido50kmまでの新特急料金は急行料金と同じ金額でしたね
黒磯行きって結構多かったんですね
黒磯と高崎線だと前橋や渋川行きが昔は多かったんですね。
JRが国鉄に戻ると湘南新宿ラインや上野東京ラインもこの辺を拾える余裕も出てくる居がします。
7:18 日光直通は廃止 宇都宮で系統分離
一部の新特急などが
石橋に停まるのは、近くに
日産の工場があるからなのかなあと
思ってしまった。
ご視聴いただきありがとうございます。
少なからず可能性はあるかと思います。
しかし、なすの1号の石橋駅発車時刻は9時18分ですので、通勤を目的にしているとは考えにくいかと思います。
元社員です。栃木工場と言えば日産でもエクストレイルなど大型車を作っている大工場なのでそうだと思います。
日産のせいで上三川町は財政力指数めちゃくちゃ高いですし、宇都宮市とも合併していないです。
この年代は、北陸・北海道の他、東北地方の寝台列車もたくさんありますね!この頃は全ての長距離の列車が13番線から出てた訳でもないんですね。この時代は普通電車の13番線発着も多く見られますが。トランスイート四季島などの臨時列車の発着以外は、確か今は無かったような気はしますが・・・歴史を感じるホームですよね。
ご視聴いただきありがとうございます。
上野駅13番線ホームといえば長距離列車というイメージは割と最近についたように感じました。
上野駅地上ホームは独特の雰囲気があって非常に好きな駅の一つです。
ちょうど私の誕生した時の時刻表だった
碓氷峠越えの特急乗って見たかった
ご視聴いただきありがとうございます。
碓氷峠越えを知らない世代からするとロマンでしかないですよね。
すごく気持ちがわかります。
初めて青春18で長野から変える時に、電車で話しかけられた人に「ここは来年からしなの鉄道って言うのになるんですよ」と言われて
ふーん、くらいにしか思わなかったですが、その時から軽井沢と横川はもうバス運行でしたね。
湘南新宿ライン・上野東京ラインが出来てから3桁列番の普通も減ってしまいましたね…
当時は、黒磯行きが多く、乗り換えが少なくて便利でしたね。
私は福島市在住で、18きっぷでよく東京へ旅行しますが、乗り換えが面倒です(意地でも新幹線は使わない)。
当時なら、うまく行けば黒磯での乗り換え1回で済みますが、今は系統分離のせいで、最低でも宇都宮、黒磯、新白河の3回の乗り換えを強いられます。
未だ快速が少ないですね。
東北線ですと、日光行が一本残ってる!
黒磯行は無く宇都宮乗り替えに成りましたね。
ご視聴いただきありがとうございます。
当時の新特急は50km以内は急行料金と同額でしたので、ライナー的な役割があったのかと思います。
そのため、快速列車の運転は少なめになっているのだと思われます。
スイフトの名は自動車に受け継がれた
ラビットの方は某予備校教師に「うさちゃん号」とか揶揄されていたけど、名前はこちらのほうがイケてる。
東北•高崎線の池袋発着便の運転開始はこの頃だったと思います。
池袋発着便は上野駅には来ないから当然表示はされませんが、
そこから東北•高崎線の状況の変化が始まりました。
それが2001年に湘南新宿ラインに発展する事となります。
それにしても、消滅した列車名が幾つもあります。
ホームライナーは鴻巣、古河へ延長されて行き、快速タウンとスイフトは列車名が無くなり通勤快速と変化して行きます。
新特急の呼称は2002年まで続きました。
特急が5~9番線から出るのが当たり前だったり、反対に16・17番線から出る各駅停車があったりするところに時代を感じます。
また、ホームの構造が上野と大宮がほぼ変わってない(上野の18番線がなくなりましたが)一方で、赤羽と浦和はこの当時とはガラッと変わりましたね。
ご視聴いただきありがとうございます。
この時代の上野駅の様子を知らなかったので、高架ホームから数多くの特急列車が発車していることに制作しながら大変驚きました。
2023年では無くなった黒磯行が懐かしい
停車駅見てると白山てエースなんだなぁ
ご視聴いただきありがとうございます。
停車駅は主要駅のみでしたが、それでも所要時間は約6時間半ほど要していました。
金沢へは米原経由で行く方が速く着いたのではないかと思われます。
日中の普通列車も地味にコロナ減便を喰らった今より多いんですね…!湘南新宿ラインができ、7·8両が消えて一本あたりの輸送力は上がり、10分ごとのパターンで使いやすくはなりましたが…
ご視聴いただきありがとうございます。
現在はパターンダイヤで利便性向上していますが、一長一短かなと感じます。
北陸も出羽も水上に停車してますねえ😄 上りは長岡で運転停車して両車とも仲良く雪かぶって停まってました😄 あけぼのはこの時も東北奥羽本線経由だったんですねえ😄
ご視聴いただきありがとうございます。
あと、能登が信越線経由で走っています。
晩年は浦佐で北陸と能登が雪被ってましたね。
@@ExpressKaido 能登は客車の時何度か乗りました😄 ぼろいし発車ごとに起こされたけどそれでもいい思い出です😄
この当時、自分は通学で浦和~久喜間で東北本線を使っていました。
浦和を7時33分発の11両編成の黒磯行に乗る事が多かったです。
余談ですが、当時高崎線はかなり211系が投入されていたのに東北本線は古い115系ばかりで正直差別だと思っていました。
因みに東北本線に211系が本格的に投入されたのはこの2年後の1990年からです。
ご視聴いただきありがとうございます。
当時の貴重な情報をありがとうございます。
ちなみに、浦和7時33分発の列車は上野7時13分発533M普通黒磯行き(1:55頃)です。
そのかわり、E231系の投入は高崎線より東北本線のほうが先でしたね。
ただ、115の撤退は高崎線のほうが、早かったですが。
1988年の快速ラビットは新特急なすのに迫る停車駅数でしたね
ご視聴いただきありがとうございます。
その影響で差別化が図れず、晩年は快速ラビットに格下げされました。
夜行列車と元の「あさま」サービスを除いて、上野からの在来線の時刻表は、今日見られるものと大差ありません。 念のために言っておきますが、現在のサービスはほとんどが東北本線の久留磯までの E231 系電車で、高崎線の新前橋までです。
ご視聴ありがとうございます。
現在(2022年3月改正ダイヤ)では、上野駅からの列車は宇都宮線は宇都宮、高崎線は前橋までが主な運転区間となっております。
黒磯へは宇都宮で乗り換えが必要となっています。
また、使用車両はE231系とE233系電車となっています。
@@ExpressKaido E231系の編成は黒磯まで北上していた記憶がありますが、その駅は直流から交流への架電の切り替えがあり、それ以上は行けません。 2022 年 3 月の変更は、宇都宮以北の長い E231 系電車の運行を正当化するのに十分な旅客輸送がなかったために発生したに違いありません。
@@Sacto1654 黒磯構内の交直切替は改正以前に廃止され、黒磯迄は完全に直流になりました。現在は、黒磯高久間で車上切替です。
日光線へ直通電車もあったんだ
はくつる3号の停車駅よ。宇都宮の次は盛岡って・・・
ご視聴いただきありがとうございます。
はくつるには号数はついていません。
宇都宮〜盛岡までの乗客は他の列車で賄えているため止まらないものであると考えられます。
爆笑しました。ムダにプライド高いあの百万都市の市民としてはいたたまれないでしょう。
高崎線は、新特急はあるけど、快速アーバンはまだ無かったのですね。
ご視聴いただきありがとうございます。
快速アーバンが運転開始されたのは1989年(平成元年)のことですので、翌年からになります。
アーバン(Urban)の小規模バージョン・タウン(Town)がいましたね。
JR誕生1年目だから基本今とそんな変わりないですね。行先に限っては。
ご視聴いただきありがとうございます。
中距離列車の行先に限ってはそうですが、長距離列車の廃止やパターンダイヤ化など多くの変化はあるように感じます。
急行「津軽」の停車駅の欄が多い
現在のあさまは新幹線ですね。
あいづやつばさは中途半端な時間に運行されてたんですね。
ご視聴いただきありがとうございます。
上りの「あいづ」や「つばさ」の列車を運用していると考えられますので、昼過ぎの運行になっていると思われます。
当時は東北新幹線が開業していますので、直通列車の需要はそれほど多くなかったと考えられます。
土日祝日限定なら会津若松直通特急の要望は多いのにねぇ。
ご視聴いただきありがとうございます。
会津若松への需要があったかも知れませんが、郡山まで新幹線で行けるので直通列車は一往復の設定になっていると思います。
特急「あいづ」もあったんだね
長野•金沢•新潟•仙台方面言わずと知れた東京北玄関口
新特急って面白い
高崎線系統列車が多いようで
那須に行かない『なすの』もあったんですね。
ご視聴いただきありがとうございます。
なすのには直流電車が充てられていましたので、黒磯止まりとなっていました。
2000年改正のってありますか?
ご視聴いただきありがとうごいます。
現在、手元に2000年改正時刻表はありません。
今後の予定として1996年の時刻表を随時制作していきますが、要望がありましたら適時入手を検討いたします。
ホームライナー大宮、貴重は列車
そっか、北斗星がデビューした年??でしたっけ??
ご視聴いただきありがとうございます。
仰る通り、この改正で北斗星が登場しました。
22:30発の急行津軽の停車駅の多さw
ご視聴いただきありがとうございます。
停車駅が多くて文字が見にくくなってしまっていました。
大変失礼いたしました。
補足という形で、コメントの方に記載いたします。
@@ExpressKaido
ありがとうございます。
北斗星、1号と5号はあるけど3号は?
ご視聴いただきありがとうございます。
北斗星3号は不定期臨時列車のため、載せていません。