【真崎甚三郎の最期】歴史の彼方に消えていった昭和初期の陸軍最高の実力者だった男。「真崎悪将論」は本当か。否ーー!
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- Опубликовано: 9 ноя 2024
- こんにちは。『祖国日本』です。
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「強きを助け、弱きをくじく」を地で行く人物。
新東宝の「陸海軍流血史」では林寛の怪演が光ります。
西郷隆盛を取り上げたのは、三島由紀夫の防大での講演が元ネタですね。
真崎は終戦後にアメリカの将校にアメリカは素晴らしい、デモクラシーは日本に必要だとアメリカ賛美を繰り返していたそうな😂
真崎が一年三か月獄中にいたとは知らなかった。
真崎、牟田口、保身色が強く責任を背負えないのが、共通点の一つ。
素晴らしいチョイスです。真崎に光を当てるとは。
NHKの 2 26事件 とかでやってたが・・・まあなんていうか汚れ役はやらずに他人にやらせる。
でもうまくいったら自分が立役者みたいな立ち回りしてたからな。いろいろ踏まえてもひどい人物でしかないと思う。
そそのかされた青年将校がなんとも可哀そう。
人の手柄は自分のモノ
失敗したら人のせい
何もせんじゅーろーにさえも
見限られる訳だ
当時の新聞記者の間でも評判悪い人物であったようだ。ある大新聞記者は「卑怯者」と言う評価である。
とにかくこの人がめちゃくちゃ嫌われてたのは分かったけど、なんで嫌われてたのかまでは分からなかったなぁ。
統制派だけじゃなくて海軍や昭和天皇にまで嫌われてたんなら何か理由があるはず…
映画226では丹波哲郎さんが演じられていましたね。
「諸君らの気持ちは、よく分かっとる。よォ~く分かっとる」でした。
@@下元武 さん
「馬鹿者、何ということをしでかしたんだ」が真実だったという説もあります。
確か、師団長から、軍司令官の異動だったので、当時栄転と言われました。それから半年で中将で台湾軍司令官からの参謀次長への異動だったので、最初から親任官待遇だったし、半年後に親補職である軍事参議官を兼務させたという経緯があるようです。台湾軍司令官の後任は、同期の士官学校候補生9期生の阿部信行ですから、そんなに左遷人事でもない。真崎が大将に昇進して、参謀次長から、転じたのは軍事参議官ですが、荒木陸相の辞任と同時に教育総監ですから、陸軍の3長官の一人として、残っているのだから、必ずしも左遷とは言えない。それに真崎は陸大を恩賜で卒業しているので、理論的な思考や、弁舌が下手であるという考えは持ちにくいですね。それから、石原莞爾と仲が悪いという割には、2.26事件の時に二人で会合していたという事実もあるようなので、とても、複雑な性格の持ち主としか、私には理解できないです。何のために、石原と会ったんでしょうか?少なくとも、こんなことになれば、最高幹部である陸軍大将が現役を退くのは当たり前のことですから、後事を託すためですかね?確かに田中義一の機密費流用事件に関わり、軍事課長のポストを異動させられたけど、近衛歩兵第1連隊長では、左遷ではない。むしろ、陸大19期首席の荒木よりも半年早く、大将になっている。かえって、陸軍士官学校の幹部や、学校長含め、4年間も一貫して陸軍士官学校に勤務しているのが異常ですね。そして、時期が子分になる青年将校の人達が陸士を卒業する時期と重なりますね。皇道派のリーダーは彼ではないかと思います。
個人的には石原莞爾とは同族嫌悪な関係だと思うけどね。
ただ、同じ嫌悪してても真崎や東條は立場的な責任は有るからいろいろ言われるけど、石原にはそれが無いから今でも持ち上げられると言うある意味の卑怯さが有ると思ってるw。
正直言えば無責任の一点で言えば、石原莞爾が当代一番の卑怯者だと言っても良いと思う。
(”天才”の一点は否定しないけど)
@@上村出雲 そんな彼も、作戦課長、作戦部長時代に武藤章に相当舐められまくりましたね。
石原莞爾は、日和見して有利な方に付こうとしてただけですよ。
真崎甚三郎は、俺のばあちゃんといとこ
@@surinngo4129 同郷の後輩に土橋勇逸という中将がいます。彼が若い頃、真崎との会談で「真崎閣下は、私の同郷の先輩であり、尊敬している。だけども、そのために、勤務しているポストで、統制派の人達からにらまれている。だから、大人しくしていて欲しい」とか言われていたようです。また、彼は、統制派とか、皇道派とか言っても、所詮は、陸軍の中央ポストの奪い合いをしている人たちの競争であって、皇道派に同調する青年将校はともかく、90%の無派閥の陸軍将校にとっては関係のないことで、彼らにとっては、日の目を見ることはないから機会を与えて欲しいと永田鉄山にも行ったらしいですね。
人から言われたことは受け入れてしまう
自分の芯がなかったことが、彼の暗黒面の1要因であったのかしら
評判が悪いということでは 第一次世界大戦中に俘虜収容所の所長をやってたが 映画・バルトの楽園では 真崎と思わしき所長が高圧的態度であった
しかし実際のところは ドイツ人俘虜への理解はあったらしい 評判が悪いとフィクションではそんな描かれ方をされてしまうのですね
長男の真崎秀樹は戦後昭和天皇の通訳を務めたんだよな
荒木貞夫もよろしくお願いいたします
部下を完全に見捨てた腐れ外道!東条英機より悪どい!職場で責任を取らず部下を見捨てた上司が居たが、その数年後白血病で病死した(享年30代中盤)。天罰は、あるんだと思います。
クーデターを主導した激しい人物かと思い込んでいましたが、そうではないようですね。
亡くなった年が省略されています。晩年=昭和31年。
正直真崎は好きじゃない・・・と言うか大嫌いレベルだけど
それでも石原寛治ほど嫌悪感は無いんだよなあ・・・・・・・・。
何と言うか時代に合わなかったんだろうとは思う。
平穏な時代なら、皇道派の名校長で終わった人なんだろうね。
ドイツの捕虜に音楽を許したのも真崎だよね~
三島由紀夫が自衛隊での講演で「軽蔑する軍人はだれですか?」と聞かれ即「真崎甚三郎」と答えたのは有名。
それも真崎不人気に拍車をかけたのでは。
事件が起きたときに反乱将校らに「とうとうやったか。おまえらの気持ちはよ―わかっとる!」と言ったが、その後の保身ぶりがマイナス評価になったか。
日本軍人の悪いところをすべて凝縮した男。
軍人と言うか日本人の悪い所の凝縮だと思いますね
身内に対してデカい事を言うけど、公の場では皆さんの意見に従いますよって態度で自分の考えを言わない
そんな事をやっておきながら物事が決まってから、また身内に対しては大きな態度で愚痴る
頼りにならない管理職とか、自称保守系政治家に多い印象
必ずしもそうではない、ということをこの動画が解説している。
真崎は、娘を身売りするような貧乏下級兵隊の家庭に、自分の田畑を売って
、自腹でお金や食料衣服を貧困な部下の家庭に贈っている。
つまりその辺に掃いて捨てるほどいる普通の管理職だったということか。温厚篤実で人望はあるけど、いざという時は優柔不断で、責任回避にひたすら努める。
まあ平時の師団長あたりで終わっていれば、名将として名を残せたであろうに。
こんなに野心が強い軍人を、御上が快く思われるわけがないわな
それが本当か、知りたい。
身分制度が廃止にされて四民平等になったものの、先祖や親の出で帝國陸海軍、各省の官僚等で出世の際に優遇されていたと思われます。
真崎はそれに憤慨して陸軍で出世して見せようという想いが強かったのだと思います。
真崎とすれ違いになってしまった林銑十郎氏は石川県出身者で初めて内閣総理大臣になられており加賀内閣と呼ばれました。
金沢市金石にある大野湊神社には
陸軍大将林銑十郎が揮毫された神社の石柱があります。
また、戦没者個人墓石にも揮毫されています。
真崎の写真を見てるとたまにオバサンに見える時ある。
私利私欲に走り、ずる賢く立ち回った男
味方を後ろから撃つような男
お勤めご苦労様です
昭和天皇から最も嫌われていた将軍らしい。
コメント欄の真崎観が未だ三島由紀夫の存命期のままなのは笑えん…
享年間違えてる。71歳じゃなくて81歳。
眞﨑は脆弱リーダーの典型(∀)
祖母の性が眞崎で、遠い親戚です😅
今となっては、後の祭りだ。 バカと異常者は後を絶たない。
何故真崎が極東軍事裁判で被告にならなかったのか不思議である。永田鉄山、渡辺錠太郎など良識派を殺害したのは真崎の影響が大なのに。
裁判は 満州事変→支那事変→大東亜戦と共同謀議による侵略戦争にしたい、真崎はそこに居なかったからじゃないの。
荒木との違いはなんだろうね?文部大臣までやった荒木に比べて早々に表舞台から消えたからであろうか?
@@pianochandaisuki さん
人間的な魅力の違いじゃないですか。
荒木:豪放磊落。地位や名誉にこだわらない。実戦経験も豊富。若者相手の無礼講が大好き
真崎:小心翼々。いつも上目遣いに人を見ている。
被告席の数か28しかなかったっていうし、あまり目立たなかったからだろ。
盟友の荒木貞夫はよく言えばネアカな感じだが、真崎は何か陰の感じがする。この辺も不人気かな。
眞崎の母セキはなにされたんや?
何をいっても
敗戦国の将軍は
腹を切って
天皇陛下にお詫び
するのが当然の
義務だ
軍人になるべきではなかった人
朕は汝等軍人の大元帥なりぞ、されば、朕みずからその大綱をとりあえて臣下に委ぬべきものにあらず
統帥権の独立であります。独立とは国務に独立してその国務の干渉をうけざるの謂であります。
真崎、、、コイツ何か気に入らない!
そう言えば「真崎が戦時中の日本軍内部に共産主義者(アカ)が存在した事を知っていた」と言う話を聞いた事があるが本当だろうか?
戦前平時の時代からですよ。国民皆兵の時代ですから、共産主義者と言えども徴兵されますからね。ただ、そういう思想の持ち主だという事は憲兵隊から、連隊長、旅団長、師団長位までは報告が挙がっているでしょうね。
統制派=赤 😮
0:32 刑場の露と消えたが(読み)「けいじょうのつゆときえたが」
動画では誤読「けいじょうのあらわときえたが」と読ませていた。
そう読ませてたんじゃないよ…
これ読み上げソフト使ってんでしょ
ゆっくり読み上げに代表されるように読み間違いはザラだから
2.26事件の時の真崎の判決文では、様々な罪状が述べられているにも関わらず判決は無罪という矛盾した内容になっています。
これは、被告人が現役の陸軍大将ということで、陸軍から裁判所(軍法会議?)に圧力がかかったためと言われています。
このことだけではありませんが、日本には現在でも政府高官・上場企業のトップなど、社会的地位の高い人間(いわゆる上級国民)は法に触れても処罰されないという思いがあります。
しかし真崎自身は取り調べを受けている最中、処刑されると思ってビクビクしていたそうです。
天皇が、真崎は関係ないとおっしゃったからです。
腹黒い軍人
生い立ちがどーであれ 青年将校に対し先導 同調していたのに後の裁判では知らぬ存ぜぬ何を言ってるのか分からんと態度を一変させたのが嫌われてる所以じゃないんでしょうか?
もちろん真崎だけが悪いワケじゃないけど。
戦争で殺された人達は、死ぬ覚悟が出来ていました。江戸時代に処刑された人達は、犯罪者でしたが、幕府の都合で処刑された人達でした。【死】を受け入れたくない者が、処刑されると見成仏霊になってしまいます。千日デパートが火災に見舞われた日付を調べて下さい。現在、元処刑場に何が在るか調べて下さい。供養が完璧で無かった事を考え直す事が大切です。処刑場跡地に何が建築されたかに依ります。千日デパートは、自然発火に依り、火災が発生した物と思われます。供養はとても大切な物です。千日デパートの死者に対しても丁重な供養が必要となります。
眞崎は昭和天皇から忌み嫌われていたと聞いた事がある。悪印象なのはそれもありそう。
226事件にしても眞崎にしても、そして昭和天皇が本当に名君だったのか、そろそろ再評価されても良いのではないかと思う。
私は226事件を起こした人たちを、その思いを理解する事もなく反逆者と断じた昭和天皇の判断が正しかったとはどうしても思えない。
統帥権を持たない1将校が軍権を行使することは軍機違反であると同時に、その軍事的威力を背景に国務大臣を殺害してる時点で反逆者以外の何物でもない。五・一五事件事件のような対応を望んでことだろうが、こんな事件を頻発されたらそれこそ国家の根幹にかかわる。昭和天皇の評価は時間がかかると思うけど、実力行使をしていまった二・二六事件は国家反逆で正解だと思うよ。桜田門外の変とは違うと思うね。
むしろあのアホどもに何を評価うすべきところがあるのか、論理的に説明してみて
@@ゴルゴ13-b4b 高橋是清は本当に有能な人だったから、暗殺されたのはもったいない
反乱を起こした青年将校達の思いも理解は出来なくはないけど、天皇がクーデターを認めたら
タイみたいに政界が混乱したら、軍部がクーデター起こしてリセットがデフォルトになって民主主義が根付かなくなるぞ
国民も今以上に政治に対して無責任になる、何かあってもクーデターでリセットだとしか考えなくなる
青年将校の行動と動機を分けて評価すべきだと思う。行動は殺人だから銃殺刑は妥当だが、貧しい農村を救おうとしない経済政策への抗議という動機は評価されるべき。そうしないと、現代社会でも、法の網目をくぐって悪いことをしたり、不正経理や不正表示のような虚偽が氾濫する。やはり、226の青年将校には山下が言ったように、天皇が死を賜り、自決させるのが良かったのではないかと思う。国力向上の経済政策から弱者救済の経済政策に転換すれば欧米との衝突も支那進出も限定的になったはず。皇道派とはそういうものだった。
すまん、西暦と年号で言って欲しいわ。
少し時代が、分かり難いねん。
226事件は陸大に上がれずに悲観した、落ちこぼれの陸軍将校のなんちゃって自殺クーデターです。
本人達はまさか自分が最悪死刑になるとは思っていなかった。
磯部の手記は笑えるw
こういっちゃ悪いとは想うが2・26決起将校連中はガキとしか観えない。自分らの昇進の雲行が怪しくなって至近の転任先は地方の部隊だった事を憤ったのかは判らんが、『国民の税金で官給品と被徴兵者を使って叛乱ゴッコ』なんていうのは頭が良いだけのガキどもでしょう。5・15の海軍将校も同様で、キャラメル舐めて緊張を解しながら首相官邸を襲ったというから性質の悪さは同じ。サラィエボの1発であんな大戦争が起きた過去が至近で在るのに『犬養首相をヤってみなければ判らん』とホザいたとも聞く。陸士・海兵に合格しても、こういう莫迦どもは何処までもタダの莫迦だとよく判る。私自身も学問・実務共に励んで、考えながら行動せねば、こうなってしまうな~気を付けて行こうと想います。そして真崎大将の紹介、ありがとうございます…でもこの人は舌先三寸で逃げ切ったイメージが強いから、やっぱり胡散臭い。私も九州だけど佐賀の人って極端だわ。