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政宗は今まで聞いていたのと何ら変わりない政宗のままだった
比叡山焼き討ちは、悪く言われてるけどあの時代の比叡山はヤクザ集団だから普通に、罪悪感とかなさそう。
坊さんなのに酒飲んだり肉食べる、女連れ込んでS◯Xする、民衆からカツアゲする。正直言うと信長じゃなくてもこんな奴等焼き討ちにしてると思う。
信長の書状にも淫乱(女遊び)賄い(金貸し)に耽りて無頼の徒を招き入れ、魚鳥の肉を貪るとありますからね。新井白石も信長最大の功績として評価してます。
現在の延暦寺は指定暴力団山口組と通じている(幹部の葬儀をした)から信長の頃よりも更に悪化してる。さらに深刻なのは延暦寺を粛清する者が不在という事だ。
松永久秀は誤解させやすい武将、代表格だと思います。
光秀の性格は宣教師ルイスフロイスも「密会や密談を好む」と言う記録を残しているから書状の言葉の性格と一致している。
実際には光秀の方が焼き討ちに積極的で、朝山日乗上人経由で焼き討ちを提案してます。むしろ反対だったのは京都で代官をしていた木下藤吉郎(豊臣秀吉)で彼は延暦寺焼き討ちで町衆を敵に回すと言う懸念から反対してましたが、結局は足利義教や細川政元の例を出されて沈黙、焼き討ちは強行されてますし、光秀は法華宗信者として仏敵延暦寺撲滅の為徹底的に焼き討ちしてます。実際領有した坂本では天台宗寺院の破却や法華宗への改宗を強いてますし、第一次第二次安土宗論とも法華宗に味方してます。本能寺の変はどうも法華宗寺院である本能寺と組んでの行動の可能性があります。
@@古家武史-f5d 織田家も実は法華宗であるから法華宗の光秀と何らかの繋がりがあっても不思議ではないと感じるのは私だけだろうか。
11:01「勝頼はもっと早い段階で徳川・織田との講和を模索しておくべきだったかも」無理です。信玄が三方ヶ原で裏切った時から信長は怒り心頭で、謙信との書状で「二度と交わらない」と宣言していました。勝頼の代になってもそれは変わらず、人質となっていた信長の息子御坊丸を勝頼が送り返してきてもしばらく会おうとしなかった。信長はずっと武田を潰すつもりでいたんですよ。これは信玄が残した負の遺産の一つです。
勝頼は若すぎたね。三方ケ原の戦いで家康は大チョンボし、徳川滅亡でもおかしくなかったわけだけど、長篠の戦いの勝頼より年上。
むしろ光秀キチクが通説なんだけど
伊達政宗、戦国BASARAとは偉い大違いだ😢悲しい
漫画センゴクの影響で勝頼が一番好き
政宗はいつもやらかして白装束土下座のイメージw勝頼は最初から詰んでたよなぁ。むしろ頑張ったと思う。光成は融通の利かなさで同僚以上から嫌われていそうだけど清廉さから下からは慕われてそう。
武田勝頼の首と対面した信長は「日本にかくれなき弓取なれ共、運がつきさせ給いて、かくならせ給う物かな」と勝頼の不運に同情的
諏訪の人間なので、家督は継げませんと、信玄に反抗したら、長男の義信みたいに自害させられてたかもしれず、逃げることもできず、気難しい譜代の老臣たちを統率する役目を無理矢理に……うまくいくはずもない、失敗するわと思ってたかもしれません、四郎勝頼殿は………
家督相続直後や長篠の戦い前後に織田・徳川に臣従でもしようとしたら、家臣達が祖父・信虎を父・信玄を担ぎ出して追放した時のように、別の信玄の血を引く誰かを担ぎ出して勝頼を追放するか殺すかすると思うと・・・不憫すぎます。
@@村田康一-r8p諏訪の血が入って生まれた時点で詰んでたんやね勝頼…
@@user-gyunyuda1ma0u良血嫡流の義信を支える猛将諏訪勝頼として生きていくはずでしたからね
武田滅亡時に、勝頼に従って最後まで戦ったのは、勝頼が諏訪四郎勝頼時代に城主をしていた高遠城を守っていた弟の仁科盛信と高遠の人々(勝頼と仲が良かったと言われる武田信豊も最後まで勝頼に従うつもりだったが、勝頼の意向で小諸に向かったと言われている)。後は、諏訪四郎勝頼時代からの腹心や諏訪の関係者、他家から寝返った武将や上級以外の譜代家臣……。結局は、武田家の中では、勝頼は非主流派の雇われ社長くらいにしか思われてなかったんですよね。
義輝暗殺は久秀は直接関わってはいないが息子の久通がしてる
誤解だらけっていうけど、一つ一つのエピソードが短くてしっくり来ない…
政宗と言えば直江との会話のイメージがある。
百万石のお墨付きは今も仙台市博物館に残ってますよ。。。
明智光秀の肖像画すら本人かどうかの確信もほぼない😅
サムネの久秀が最近の肖像画なのは、さすがですね。
勝頼が景勝に味方したのは悪手じゃない気がする。あれに関しては信玄贔屓の甲陽軍鑑でも批判してないし武田家の総意だと思う。謙信の重臣は景勝に付いたし北条による乗っ取りみたいなもんでしょ。養子にした謙信さんにも問題ありまくりだけどさw 長篠後の7年間って割と濃いよな...関東では連戦連勝してるし静岡でも穴山が裏切るまでは押されることはなかったしむしろ勝頼が後詰めに行けば家康はすぐに引いてた。
マキャベリの君主論が有名なのは、酷え内容だけど実際その通りに行動すると上手く行くから。残酷の使い方も書いてある。
政宗は何度もやらかして全部乗り切ってるけどこいつおもしれーから生かしとくかみたいな感じなのがすこ。
逆にその程度にしか見られていなかった。警戒するなら殺してる
頭おかしい伊達政宗ホンマすきどのエピソードもとち狂った事してんのマジで惚れるで
戦国三大無理ゲー武田勝頼、今川氏真、北条氏直😊彼らが無能と呼ばれるには忍びない🥷忍びじゃない偲びない
親が偉大すぎて、家臣たちがどうしても比較してしまうので、信玄と勝頼、今川義元と氏真、暗愚でも無能でもなかったと思うし
毛利輝元や上杉景勝が大名として生き残ったことを考えると、その差が何だったか興味深いですね。運かもしれませんが。
毛利とは本能寺の変の際に講和していること、上杉に関しては、徳川や北条と連携されるのを防ぎたかったのではないだろうか?
今川氏真は桶狭間で柱石だった武将達が軒並み死んだ中、なんとかやりくりして7,8年今川家を持たせてるし言うほど無能ではないと思うけどね
北条氏直は素直に上洛してれば減封位で済んでそう
勝頼が無能扱いされるのって歴史知らない人の戦国無双初代から3までが影響でかいかも。あれだと長篠の戦いでとにかく武田は最強だ!突撃とかとやってる暗愚になってるからな(4では偉大な父と比較されてもそれでも自分なりに努力してる姿書かれるだけましになったが)。知れば知るほど勝頼って信玄がしてきた悪いことのツケを払わされてるみたいで哀れになるし、ここでもあるように一番武田の領土広げたの勝頼の代なんだよな・・・
その中だと2の勝頼は織田鉄砲隊を警戒し鉄砲が無力化する雨を待ち防衛に徹する姿が描かれていましたね無謀な騎馬隊突撃の経緯も若さ故の血の気の多さを手練れた織田方が突き陽動によって釣られてしまった若大将というような構図でした自分はプレイ当時はまだ戦国史をよく知らない中学生でしたが、その描写からは勝頼に対して無能という印象は受けませんでした
実際の勝頼は父信玄の上洛にとって最大級のネックであった佐竹氏との和睦(父信玄の時代に「義光直系の子孫はどっちか」と言う理由で対立していたが、諏訪勝頼の名を使って和睦に成功)に成功するなどの成果を出してもいましたが、御盾の乱で中立を保たなかった事で北条を敵に回し、更にせっかく北条を切ってまで結んだ上杉との同盟も佐竹氏は北条に阻まれ、上杉は織田信長と同盟を結んだ伊達輝宗に攻撃されて存亡の危機、と全く機能しなかったのが滅亡の要因。
戦国無双関係なく、武田家の地元山梨県では昔から勝頼(無能)信虎(無能&横暴)だからね。甲府の北口に信虎の像が建ったのはつい最近だし。勝頼は信長侵攻時には家臣が離反していたから、余計に評価が低い。
明智光秀の八上攻めは、仕方が無いですね。一度は味方に着いたのに裏切り、明智光秀も討ち死に仕掛けましたからね。(家臣が庇って死んでる。)裏切り者には、・・・ですね。
うろ覚えですが、太閤立志伝4で石田三成の魅力が90台、外交が30台だったときは、上手いこと能力値決めたもんだと苦笑しました。
誤解とか言っておきながら誤解招くような旧説紹介してる件
デマを流されまくってたら、誤解されても仕方ない
伊達政宗の話はちょっとね… 関ケ原の時は母親の居る最上の救援で上杉と戦ってたし一揆の方はそもそも真偽不明だし
残虐過ぎて主を裏切って自滅の道へ。
戦国なので主の両手も血にまみれていますし、内戦状態なので、国中で殺し合い、百姓も落ち武者狩りで牙をむいてくるし、上から下まで皆、残虐行為をやってた最悪な時代です……
勝頼ごめんよ……ポンコツと言って
許す
勝頼の行動って後世の人から見えたらポンコツと見えてしまうのかもしれませんけど、勝頼の立場や状況に立って考えてみるとこれは仕方ないなと感じると思いました。長篠の戦い勝頼の長篠城攻めの理由が最初から長篠城奪還だったにせよ、大岡弥四郎の内通を利用した岡崎城乗っ取り、三河と遠江の分断を狙った吉田城攻めがいずれも失敗したから仕方なく攻める事にしたにせよ、撤退したら「武田は織田・徳川の後詰めが来ただけで恐れをなし、戦いもせずに尻尾を巻いて逃げ出した腰抜け」と信長や家康に喧伝されて三河や遠江、東美濃の国衆達の離反が更に加速するだろうし、甲斐や信濃の国衆達も信玄や信虎、それ以前の代からの重税で困窮する中わざわざ遠征したのに戦果無しの撤退で恩賞が貰えないのでは不満が出てしまう。不満を抱いた家臣や国衆達が今後従軍に応じなくなったり、反乱を起こしたり、史実より早く織田・徳川に寝返る者が出るなどして武田領が大混乱に陥るとその隙をついて織田・徳川、もしくは北条や上杉に侵攻されて武田家が史実より早く滅亡する事になったかもしれない。仮に撤退して家臣や国衆達の離反が加速しなかったとしても、武田と織田の国力差は開く一方。 仕切り直した時は今以上に領土を広げ、国力を上げた織田が今以上の兵を率いて徳川の後詰めに来るかもしれない。 それどころか織田の方から武田領に侵攻してくるかもしれない。 そうなったら徳川も呼応して侵攻してくるだろうからもう打つ手はない。浅井家・朝倉家が滅ぼされ、伊勢長島の一向一揆が鎮圧され、武田と対織田で連携できる相手がいなくなり、信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めた事で信長を謙信への手紙に「武田とは金輪際外交しない」と書く程に激怒させ、鉄砲や鉄砲の弾を作る為の鉛、鉄砲を使う為に必要な硝石が手に入りにくくなる経済封鎖をされている状況を打開するにはまだ織田が畿内で本願寺勢力と戦っていて、武田相手に全軍を向ける事はない中わざわざ出てきた信長や家康を討ち取る、討ち取れなくても織田・徳川軍に痛手を与えて「織田など恐れる程ではない」と喧伝しなければならない。 そしてそれができるのは今しかない、これが最初で最後の好機かもしれないと判断したのだと思います。普通に調略したところで税が安く豊かな織田を離反し、税が重く貧乏な武田につく者はほとんどいないでしょうから。
@@峻-k5k 土地ヶ恵まれないのが勝頼の不運。其でも彼処までやったのは偉業。
@@峻-k5k 確かに 尾っぽを巻いて退却だけするのは良くないヶ勝頼公はムシロ 擬装撤退やそのまま長篠城包囲ヲ続ける手も視野にあった説ヶ有るが重臣達の無鉄砲な突撃ヲ止める力ヶ無かった説も或。
@@adolfhitler-tu9hq 山県昌景や馬場信春、内藤昌豊ら重臣達が戦う気満々で突撃したという説も否定できなくはないと私も思います。武田家家臣達は名門意識や独立心、領土欲が強い者が多かったらしい。 そんな彼らが守護代の家臣筋という素性の怪しい身であり、東美濃攻めでまともに戦っていない織田や、織田と同様に素性が怪しく三方ヶ原で破った徳川を相手に戦いもせずにのこのこと撤退する事を主張するのか?という疑問もありますし、当主の意見を通しやすい環境だった織田家とかと違い、武田家は豪族達の連合体という政治体制。 そんな中で朝廷からの官位がないとされ、信玄からの権威付けや権力移譲が不十分だった勝頼がドラマや漫画のように御旗楯無を持ち出して決戦を強行なんてできるのか?という疑問があるからです。勝頼が設楽ヶ原に出たのは馬防柵に篭っている織田・徳川軍を牽制し、鳶ヶ巣山砦に配置した軍勢が長篠城を落とす為の時間稼ぎの為だという話を聞いた事あります。設楽ヶ原に出ないで全軍で長篠城を落としたとしても、そうなったら設楽ヶ原に布陣している織田・徳川軍が武田軍が落としたばかりの長篠城の守りを固める間もなく打って出てきて、武田軍を兵糧も弾薬も尽きた長篠城に押し込み包囲殲滅しようとするかもしれない。そうなったら遠征軍の武田は兵糧切れしたら全滅するしかないのに対し、徳川は自軍の本領。 そして織田の本領である尾張にも近いから、信長や織田軍主力が引き上げてもすぐに援軍を送り、武田軍が兵糧切れするまで包囲を維持できればいい。そして織田には長期の兵糧攻めができるだけの兵力と財力がある。それならば勝頼率いる本隊は設楽ヶ原に出て馬防柵に篭っている織田・徳川軍が出てこないように牽制する、仮に打って出てきた部隊があったらその時は戦えばいい。そうして睨み合い、小競り合いをしている間に鳶ヶ巣山砦に配置した軍勢で長篠城を落として退路を確保する事を狙っていたが、酒井忠次の鳶ヶ巣山砦奇襲によって逆に退路を断たれてしまった。酒井忠次隊の方に向かおうとしても、鳶ヶ巣山砦までの狭い道を通らなきゃいけないから背を向けた織田・徳川軍本隊に追いつかれ、酒井忠次隊と挟撃されてしまうかもしれない。 それに織田・徳川軍の兵を窪地に隠して布陣する兵力隠蔽工作によって、武田軍が鳥居強右衛門から聞き出した話では織田・徳川軍は三万人を超えているとされているが、実際には武田軍より多いと言っても二万人程度ではないかと誤認させられていたのかもしれない。 二万人程度の弱兵とされ、鳶ヶ巣山砦奇襲に兵を割いているから、馬防柵に篭っている織田・徳川軍本隊は少なくなっているだろう。 それならば勝てる、勝てなくても痛手を与える事ができる。 安全に撤退するには正面の織田・徳川軍本隊に痛手を与えるしかないから馬防柵のない辺りを狙って攻め込んだのだと聞いた事があります。
伊達政宗の話だけ勉強になった
光秀にしろ秀吉にしろ卑しい出自から成り上がった人はそのために手段を問わないですね
相手が宗教団体でかつ大物となれば女子供含め皆○しは最適解とは言わないまでも妥当ではあるまぁ光秀なんて居たかどうかもわからん奴やけども
みんな、ゲームとか清廉潔白な物語に影響されすぎ。史実なんか誰一人読んでないのか?っていいたくなる。麒麟が来る?だっけ?あの光秀なんかまさに偽善者、虚構過ぎて観る気にもなんなかったぜ。
戦国時代はいつ殺されるかわからない地獄のような日だった時代ですから、だから、この世はつらいことだらけだけど死ねば極楽に行けますよとウソの教えで信徒を勧誘し、死を恐れない一向一揆の兵士として利用された
そりゃ大衆向けに作られたドラマなんだから汚いとこ全面に押し出したら誰も見ないだろ、俺は史実を知ってるからお前らとは違うみたいな面してるやつはNKK側もお呼びじゃない
何をもって偽善者か分からんけどみんな信長よりだよね。謀反は謀反だけど理由はちゃんとあるだろうしその理由が100%絶対的なのが分からないからそれもまた歴史は楽しいのかなって思うけど。
家康を助けようとしたりって言うのは虚構というより今勢いのある新説をベースに作ってるから従来の説から少し外れてるように見えてるって言うのもあると思う
一次史料なんて読めねえっすそれに例え読めた所で前提知識が不足してるんで書いてある事だけしかわかんねえっすてかそもそも学者さん達でさえ唱える学説が違うじゃないっすか他人を責める暇があるならせめて通説くらい確定させてからにしてくださいよ
政宗は今まで聞いていたのと何ら変わりない政宗のままだった
比叡山焼き討ちは、悪く言われてるけどあの時代の比叡山はヤクザ集団だから普通に、罪悪感とかなさそう。
坊さんなのに酒飲んだり肉食べる、女連れ込んでS◯Xする、民衆からカツアゲする。
正直言うと信長じゃなくてもこんな奴等焼き討ちにしてると思う。
信長の書状にも
淫乱(女遊び)賄い(金貸し)に耽りて無頼の徒を招き入れ、魚鳥の肉を貪る
とありますからね。
新井白石も信長最大の功績として評価してます。
現在の延暦寺は指定暴力団山口組と通じている(幹部の葬儀をした)から信長の頃よりも更に悪化してる。
さらに深刻なのは延暦寺を粛清する者が不在という事だ。
松永久秀は誤解させやすい武将、代表格だと思います。
光秀の性格は宣教師ルイスフロイスも「密会や密談を好む」と言う記録を残しているから書状の言葉の性格と一致している。
実際には光秀の方が焼き討ちに積極的で、朝山日乗上人経由で焼き討ちを提案してます。
むしろ反対だったのは京都で代官をしていた木下藤吉郎(豊臣秀吉)で彼は延暦寺焼き討ちで町衆を敵に回すと言う懸念から反対してましたが、結局は足利義教や細川政元の例を出されて沈黙、焼き討ちは強行されてますし、光秀は法華宗信者として仏敵延暦寺撲滅の為徹底的に焼き討ちしてます。
実際領有した坂本では天台宗寺院の破却や法華宗への改宗を強いてますし、第一次第二次安土宗論とも法華宗に味方してます。
本能寺の変はどうも法華宗寺院である本能寺と組んでの行動の可能性があります。
@@古家武史-f5d 織田家も実は法華宗であるから法華宗の光秀と何らかの繋がりがあっても不思議ではないと感じるのは私だけだろうか。
11:01「勝頼はもっと早い段階で徳川・織田との講和を模索しておくべきだったかも」
無理です。信玄が三方ヶ原で裏切った時から信長は怒り心頭で、謙信との書状で「二度と交わらない」と宣言していました。勝頼の代になってもそれは変わらず、人質となっていた信長の息子御坊丸を勝頼が送り返してきてもしばらく会おうとしなかった。信長はずっと武田を潰すつもりでいたんですよ。
これは信玄が残した負の遺産の一つです。
勝頼は若すぎたね。
三方ケ原の戦いで家康は大チョンボし、徳川滅亡でもおかしくなかったわけだけど、長篠の戦いの勝頼より年上。
むしろ光秀キチクが通説なんだけど
伊達政宗、戦国BASARAとは偉い大違いだ😢悲しい
漫画センゴクの影響で勝頼が一番好き
政宗はいつもやらかして白装束土下座のイメージw
勝頼は最初から詰んでたよなぁ。むしろ頑張ったと思う。
光成は融通の利かなさで同僚以上から嫌われていそうだけど清廉さから下からは慕われてそう。
武田勝頼の首と対面した信長は「日本にかくれなき弓取なれ共、運がつきさせ給いて、かくならせ給う物かな」と勝頼の不運に同情的
諏訪の人間なので、家督は継げませんと、信玄に反抗したら、長男の義信みたいに自害させられてたかもしれず、逃げることもできず、気難しい譜代の老臣たちを統率する役目を無理矢理に……うまくいくはずもない、失敗するわと思ってたかもしれません、四郎勝頼殿は………
家督相続直後や長篠の戦い前後に織田・徳川に臣従でもしようとしたら、家臣達が祖父・信虎を父・信玄を担ぎ出して追放した時のように、別の信玄の血を引く誰かを担ぎ出して勝頼を追放するか殺すかすると思うと・・・不憫すぎます。
@@村田康一-r8p諏訪の血が入って生まれた時点で詰んでたんやね勝頼…
@@user-gyunyuda1ma0u良血嫡流の義信を支える猛将諏訪勝頼として生きていくはずでしたからね
武田滅亡時に、勝頼に従って最後まで戦ったのは、勝頼が諏訪四郎勝頼時代に城主をしていた高遠城を守っていた弟の仁科盛信と高遠の人々(勝頼と仲が良かったと言われる武田信豊も最後まで勝頼に従うつもりだったが、勝頼の意向で小諸に向かったと言われている)。
後は、諏訪四郎勝頼時代からの腹心や諏訪の関係者、他家から寝返った武将や上級以外の譜代家臣……。
結局は、武田家の中では、勝頼は非主流派の雇われ社長くらいにしか思われてなかったんですよね。
義輝暗殺は久秀は直接関わってはいないが息子の久通がしてる
誤解だらけっていうけど、一つ一つのエピソードが短くてしっくり来ない…
政宗と言えば直江との会話のイメージがある。
百万石のお墨付きは今も仙台市博物館に残ってますよ。。。
明智光秀の肖像画すら本人かどうかの確信もほぼない😅
サムネの久秀が最近の肖像画なのは、さすがですね。
勝頼が景勝に味方したのは悪手じゃない気がする。あれに関しては信玄贔屓の甲陽軍鑑でも批判してないし武田家の総意だと思う。謙信の重臣は景勝に付いたし北条による乗っ取りみたいなもんでしょ。養子にした謙信さんにも問題ありまくりだけどさw 長篠後の7年間って割と濃いよな...関東では連戦連勝してるし静岡でも穴山が裏切るまでは押されることはなかったしむしろ勝頼が後詰めに行けば家康はすぐに引いてた。
マキャベリの君主論が有名なのは、酷え内容だけど実際その通りに行動すると上手く行くから。残酷の使い方も書いてある。
政宗は何度もやらかして全部乗り切ってるけど
こいつおもしれーから生かしとくかみたいな感じなのがすこ。
逆にその程度にしか見られていなかった。警戒するなら殺してる
頭おかしい伊達政宗ホンマすき
どのエピソードもとち狂った事してんのマジで惚れるで
戦国三大無理ゲー武田勝頼、今川氏真、北条氏直😊彼らが無能と呼ばれるには忍びない🥷忍びじゃない偲びない
親が偉大すぎて、家臣たちがどうしても比較してしまうので、信玄と勝頼、今川義元と氏真、暗愚でも無能でもなかったと思うし
毛利輝元や上杉景勝が大名として生き残ったことを考えると、その差が何だったか興味深いですね。運かもしれませんが。
毛利とは本能寺の変の際に講和していること、上杉に関しては、徳川や北条と連携されるのを防ぎたかったのではないだろうか?
今川氏真は桶狭間で柱石だった武将達が軒並み死んだ中、なんとかやりくりして7,8年今川家を持たせてるし言うほど無能ではないと思うけどね
北条氏直は素直に上洛してれば
減封位で済んでそう
勝頼が無能扱いされるのって歴史知らない人の戦国無双初代から3までが影響でかいかも。あれだと長篠の戦いでとにかく武田は最強だ!突撃とかとやってる暗愚になってるからな(4では偉大な父と比較されてもそれでも自分なりに努力してる姿書かれるだけましになったが)。知れば知るほど勝頼って信玄がしてきた悪いことのツケを払わされてるみたいで哀れになるし、ここでもあるように一番武田の領土広げたの勝頼の代なんだよな・・・
その中だと2の勝頼は織田鉄砲隊を警戒し鉄砲が無力化する雨を待ち防衛に徹する姿が描かれていましたね
無謀な騎馬隊突撃の経緯も若さ故の血の気の多さを手練れた織田方が突き陽動によって釣られてしまった若大将というような構図でした
自分はプレイ当時はまだ戦国史をよく知らない中学生でしたが、その描写からは勝頼に対して無能という印象は受けませんでした
実際の勝頼は父信玄の上洛にとって最大級のネックであった佐竹氏との和睦(父信玄の時代に「義光直系の子孫はどっちか」と言う理由で対立していたが、諏訪勝頼の名を使って和睦に成功)に成功するなどの成果を出してもいましたが、御盾の乱で中立を保たなかった事で北条を敵に回し、更にせっかく北条を切ってまで結んだ上杉との同盟も佐竹氏は北条に阻まれ、上杉は織田信長と同盟を結んだ伊達輝宗に攻撃されて存亡の危機、と全く機能しなかったのが滅亡の要因。
戦国無双関係なく、武田家の地元山梨県では昔から勝頼(無能)信虎(無能&横暴)だからね。甲府の北口に信虎の像が建ったのはつい最近だし。勝頼は信長侵攻時には家臣が離反していたから、余計に評価が低い。
明智光秀の八上攻めは、仕方が無いですね。
一度は味方に着いたのに裏切り、明智光秀も討ち死に仕掛けましたからね。(家臣が庇って死んでる。)
裏切り者には、・・・ですね。
うろ覚えですが、太閤立志伝4で石田三成の魅力が90台、外交が30台だったときは、上手いこと能力値決めたもんだと苦笑しました。
誤解とか言っておきながら誤解招くような旧説紹介してる件
デマを流されまくってたら、誤解されても仕方ない
伊達政宗の話はちょっとね… 関ケ原の時は母親の居る最上の救援で上杉と戦ってたし
一揆の方はそもそも真偽不明だし
残虐過ぎて主を裏切って自滅の道へ。
戦国なので主の両手も血にまみれていますし、内戦状態なので、国中で殺し合い、百姓も落ち武者狩りで牙をむいてくるし、上から下まで皆、残虐行為をやってた最悪な時代です……
勝頼ごめんよ……ポンコツと言って
許す
勝頼の行動って後世の人から見えたらポンコツと見えてしまうのかもしれませんけど、勝頼の立場や状況に立って考えてみるとこれは仕方ないなと感じると思いました。
長篠の戦い
勝頼の長篠城攻めの理由が最初から長篠城奪還だったにせよ、大岡弥四郎の内通を利用した岡崎城乗っ取り、三河と遠江の分断を狙った吉田城攻めがいずれも失敗したから仕方なく攻める事にしたにせよ、撤退したら「武田は織田・徳川の後詰めが来ただけで恐れをなし、戦いもせずに尻尾を巻いて逃げ出した腰抜け」と信長や家康に喧伝されて三河や遠江、東美濃の国衆達の離反が更に加速するだろうし、甲斐や信濃の国衆達も信玄や信虎、それ以前の代からの重税で困窮する中わざわざ遠征したのに戦果無しの撤退で恩賞が貰えないのでは不満が出てしまう。
不満を抱いた家臣や国衆達が今後従軍に応じなくなったり、反乱を起こしたり、史実より早く織田・徳川に寝返る者が出るなどして武田領が大混乱に陥るとその隙をついて織田・徳川、もしくは北条や上杉に侵攻されて武田家が史実より早く滅亡する事になったかもしれない。
仮に撤退して家臣や国衆達の離反が加速しなかったとしても、武田と織田の国力差は開く一方。
仕切り直した時は今以上に領土を広げ、国力を上げた織田が今以上の兵を率いて徳川の後詰めに来るかもしれない。 それどころか織田の方から武田領に侵攻してくるかもしれない。 そうなったら徳川も呼応して侵攻してくるだろうからもう打つ手はない。
浅井家・朝倉家が滅ぼされ、伊勢長島の一向一揆が鎮圧され、武田と対織田で連携できる相手がいなくなり、信玄が信長に謙信との和睦仲介を頼んでおきながら家康を攻めた事で信長を謙信への手紙に「武田とは金輪際外交しない」と書く程に激怒させ、鉄砲や鉄砲の弾を作る為の鉛、鉄砲を使う為に必要な硝石が手に入りにくくなる経済封鎖をされている状況を打開するにはまだ織田が畿内で本願寺勢力と戦っていて、武田相手に全軍を向ける事はない中わざわざ出てきた信長や家康を討ち取る、討ち取れなくても織田・徳川軍に痛手を与えて「織田など恐れる程ではない」と喧伝しなければならない。 そしてそれができるのは今しかない、これが最初で最後の好機かもしれないと判断したのだと思います。
普通に調略したところで税が安く豊かな織田を離反し、税が重く貧乏な武田につく者はほとんどいないでしょうから。
@@峻-k5k
土地ヶ恵まれないのが
勝頼の不運。
其でも彼処まで
やったのは偉業。
@@峻-k5k
確かに 尾っぽを巻いて
退却だけするのは
良くないヶ
勝頼公は
ムシロ 擬装撤退や
そのまま長篠城包囲ヲ
続ける手も視野に
あった説ヶ有るが
重臣達の無鉄砲な
突撃ヲ止める力ヶ
無かった説も或。
@@adolfhitler-tu9hq
山県昌景や馬場信春、内藤昌豊ら重臣達が戦う気満々で突撃したという説も否定できなくはないと私も思います。
武田家家臣達は名門意識や独立心、領土欲が強い者が多かったらしい。 そんな彼らが守護代の家臣筋という素性の怪しい身であり、東美濃攻めでまともに戦っていない織田や、織田と同様に素性が怪しく三方ヶ原で破った徳川を相手に戦いもせずにのこのこと撤退する事を主張するのか?という疑問もありますし、当主の意見を通しやすい環境だった織田家とかと違い、武田家は豪族達の連合体という政治体制。 そんな中で朝廷からの官位がないとされ、信玄からの権威付けや権力移譲が不十分だった勝頼がドラマや漫画のように御旗楯無を持ち出して決戦を強行なんてできるのか?という疑問があるからです。
勝頼が設楽ヶ原に出たのは馬防柵に篭っている織田・徳川軍を牽制し、鳶ヶ巣山砦に配置した軍勢が長篠城を落とす為の時間稼ぎの為だという話を聞いた事あります。
設楽ヶ原に出ないで全軍で長篠城を落としたとしても、そうなったら設楽ヶ原に布陣している織田・徳川軍が武田軍が落としたばかりの長篠城の守りを固める間もなく打って出てきて、武田軍を兵糧も弾薬も尽きた長篠城に押し込み包囲殲滅しようとするかもしれない。
そうなったら遠征軍の武田は兵糧切れしたら全滅するしかないのに対し、徳川は自軍の本領。 そして織田の本領である尾張にも近いから、信長や織田軍主力が引き上げてもすぐに援軍を送り、武田軍が兵糧切れするまで包囲を維持できればいい。
そして織田には長期の兵糧攻めができるだけの兵力と財力がある。
それならば勝頼率いる本隊は設楽ヶ原に出て馬防柵に篭っている織田・徳川軍が出てこないように牽制する、仮に打って出てきた部隊があったらその時は戦えばいい。
そうして睨み合い、小競り合いをしている間に鳶ヶ巣山砦に配置した軍勢で長篠城を落として退路を確保する事を狙っていたが、酒井忠次の鳶ヶ巣山砦奇襲によって逆に退路を断たれてしまった。
酒井忠次隊の方に向かおうとしても、鳶ヶ巣山砦までの狭い道を通らなきゃいけないから背を向けた織田・徳川軍本隊に追いつかれ、酒井忠次隊と挟撃されてしまうかもしれない。
それに織田・徳川軍の兵を窪地に隠して布陣する兵力隠蔽工作によって、武田軍が鳥居強右衛門から聞き出した話では織田・徳川軍は三万人を超えているとされているが、実際には武田軍より多いと言っても二万人程度ではないかと誤認させられていたのかもしれない。 二万人程度の弱兵とされ、鳶ヶ巣山砦奇襲に兵を割いているから、馬防柵に篭っている織田・徳川軍本隊は少なくなっているだろう。 それならば勝てる、勝てなくても痛手を与える事ができる。 安全に撤退するには正面の織田・徳川軍本隊に痛手を与えるしかないから馬防柵のない辺りを狙って攻め込んだのだと聞いた事があります。
伊達政宗の話だけ勉強になった
光秀にしろ秀吉にしろ卑しい出自から成り上がった人はそのために手段を問わないですね
相手が宗教団体でかつ大物となれば女子供含め皆○しは最適解とは言わないまでも妥当ではある
まぁ光秀なんて居たかどうかもわからん奴やけども
みんな、ゲームとか清廉潔白な物語に影響されすぎ。史実なんか誰一人読んでないのか?っていいたくなる。麒麟が来る?だっけ?あの光秀なんかまさに偽善者、虚構過ぎて観る気にもなんなかったぜ。
戦国時代はいつ殺されるかわからない地獄のような日だった時代ですから、だから、この世はつらいことだらけだけど死ねば極楽に行けますよとウソの教えで信徒を勧誘し、死を恐れない一向一揆の兵士として利用された
そりゃ大衆向けに作られたドラマなんだから汚いとこ全面に押し出したら誰も見ないだろ、俺は史実を知ってるからお前らとは違うみたいな面してるやつはNKK側もお呼びじゃない
何をもって偽善者か分からんけどみんな信長よりだよね。
謀反は謀反だけど理由はちゃんとあるだろうしその理由が100%絶対的なのが分からないからそれもまた歴史は楽しいのかなって思うけど。
家康を助けようとしたりって言うのは虚構というより今勢いのある新説をベースに作ってるから従来の説から少し外れてるように見えてるって言うのもあると思う
一次史料なんて読めねえっす
それに例え読めた所で前提知識が不足してるんで書いてある事だけしかわかんねえっす
てかそもそも学者さん達でさえ唱える学説が違うじゃないっすか
他人を責める暇があるならせめて通説くらい確定させてからにしてくださいよ