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武田の家臣は敵なのに素直に褒めるところが素敵
鳥居強右衛門の死に様、主君や仲間を思う強い気持ち、とても感銘を受けます。自分だったら、磔が怖くて、援軍は来ないと言ってしまうでしょう。あの信長も、その死にかなり心を打たれたみたいですね。
たまに高齢の方の文って読点がめちゃくちゃ多かったりするんだけど何か理由あるんすか?それ
@@TheZakuzaku この文章を句読点なしにしたら読みにくいよつっかかるほどでもない
鳥居強右衛門はどうでしょうゼミナールで初めて知りました。
今度は悲惨な最後から逃げた武将とかやって欲しい
逆さ磔、想像しただけで苦しい…😨
鳥居強右衛門戦国のメロスって異名を歴史に残した人だよね
ただしメロスの作者は必ず戻ると約束していたけど結局戻らず友人が激怒していたけど。
橙武者は歓楽街に行っていて博労淵砦を陥落させてしまった薄田兼相では?
大野も冬の陣の負け戦で同じく橙武者と呼ばれた。
薄田兼相は夏の陣で獅子奮迅の活躍をしたからセーフ
そもそも「大坂陣山口休庵咄」での橙武者は大阪方の水軍の不甲斐なさを憂いた表現に過ぎない
紹介された全員が壮絶な最期でした。
長宗我部盛親も中々
あげ足を取る訳ではありませんが、奥平はおくひらではなく、おくだいらでは。
織田の忠臣であった丹羽長秀は織田家を乗っ取ろうとする秀吉を恨んでいた……。と言うのは、実は、丹羽家100万石をなんとしても削りたかった秀吉自身が流したデマで、そのデマに引っかかった者たちが、「長秀殿は心までは売っていなかった!さすがは織田の重臣である丹羽家だ!」「いずれ丹羽家が織田を救ってくれる!100万石もあるのだから秀吉も無視できないはずだ!」と言い出し、丹羽家が秀吉に対抗するという声が広がり、心当たりのない丹羽家は困惑。そして当の秀吉は「何ぃ?ワシに謀反を起こそうとしているのなら所領を減らすしかないなぁ」とニヤニヤしながら大義名分を持って丹羽家を大幅減封。という新説を書いた某漫画には衝撃を受けた。
足利義輝も壮絶な最後を遂げてますよ。
三好とかゆう貴族クラッシャーに追い詰められた
これは鳥居強右衛門の評価は上がるがそれに相反して処刑した勝頼の評価が下がった事例だな。
どうする家康だと処刑する勝頼からもどこか敬意を感じたね
秋山信友の最期も悲惨
鳥居強右衛門→ヤスケンという連想は特定の藩士なら条件反射😂
16:45 大八の父親は家康の命令で築山殿を殺害した武士の1人だったから、大八が処刑されたのは築山殿の祟りと当時は言われた。
「どうする家康」で強右衛門のエピソードを知って、ボロボロ泣きました😭
明智光秀を倒し、柴田勝家と佐久間盛政は滅ぼされ、池田恒興と森長可が戦死し、滝川一益は追放され、佐々成政は切腹させられ、丹羽長秀も病死or暗殺された。堀秀政と前田利家は重宝された
岡本大八事件か。長崎港にいた外国船を晴信が沈めちゃったりとかいろいろゴタゴタしとるのよなあ。
河尻秀隆はこの手の話には絶対に出ないな
ちなみに、魚からサナダ虫は寄生しませんね・・・多分アニサキスと間違えてると思う。当時は肥溜めで肥料を取ってて、人の糞尿を肥料に農作物を育ててたので、そこに卵が付いていて、それを食した人に感染するという構図でしたね。
主君を逃すため壮絶に散ったドリフターズ(基)島津豊久も入れて欲しかった。
鳥居強右衛門は死を覚悟してやったんだし処刑するのが勝頼なりの礼だったんじゃないかな。少なくとも鳥居強右衛門は天国にも地獄にも行かずヴァルハラに強制連行不可避
強右衛門は往路の際に狼煙をあげなければと思ってしまう
ずっと読み方わからなかったけど、治胤って読み方だったんだなぁ
強右衛門はぜひどうでしょうで再現して欲しい
強右衛門が武田の監視付きで援軍は来ないといっても嘘くさいと思われるだけの気もする。
だから強右衛門も正直に叫んだ。自分が死んでも奥平家が無事なら殿様は自分の子どもを取り立てると信じて。さすがに重臣になったのは数百年後の子孫だけど長篠の戦いの後に息子は足軽から100石の武士、そして関ヶ原の恩賞で200石になった。
@@yh6146嘘っぽい。だから来ないと言っても問題無かったって言ってるんですよ
それでもやはり半信半疑になって士気は下がるよ極限状態の中、援軍が来る前に降伏も全然あり得た
極限状態で戦ってるのに、少数でもやる気なくす奴が出たら、結束なんてあっという間に崩れるよ
脱出成功の狼煙が決まっていたなら、援軍くるの狼煙決めとけば良かったのでは…まあ、当時の事情もあるから
落合左平次道次背旗に描かれてる人物が鳥居強右衛門という確証が持てない。落合佐平次道次が生きていた時に既にその旗指物の人物が鳥居強右衛門と呼ばれていたなら実在したと思えるけど、それを示すような文献は未だに見つかってない。三国志の閻温をモデルにした旗指物である可能性の方が高いと個人的には思ってる。
キリスト教が侵略の尖兵なのはもうハッキリしてるからね😅
鳥居強右衛門は武将じゃない。下級武士って言ってるじゃん!
息子は取り立てられて関ヶ原の後に200石になったから一応武将かな?
鳥居強右衛門は武将ではないでしょう
戦国のメロスって異名も忘れないで下さい
ちなみに走れメロスの作者は必ず戻るという約束を破り友人が激怒した。
江戸時代に入って作った話はだいたい盛ってるし信憑性に乏しい
鳥居強右衛門って、武将じゃなくて足軽のはず・・・
ですね。足軽が正しいと思います。ただ、武将と言う位は後世の言葉で役職ではないので(部将は存在しましたが、部隊を率いる隊長の事で侍大将の別称のような物みたいです。)表現として難しい所ですね。
本人は足軽だったけど息子が出世して200石になった。
鳥居強右衛門は有名でしょ
奥平→「おくだいら」っすよ!私の先祖っす!
義持は武将なのか?
武士ですから
勝頼の小ささに吐き気がした。滅びて当然だわ。信玄なら、間違いなく褒め称えて、彼を帰しただろうに。助命嘆願してきた家臣たちが、それを証明している。
同感、「援軍が来る」と言った時点で殺すことにメリットはないのに腹いせで実行した結果城内の戦意やら敵意を上げてしまいましたね。
いや、「武将」って言葉わかっとんか?ただの家来は武将じゃねぇだろ。
0:12じゃあ弾幕ごっこすんなよ
おくひらではなくて、おくだいら。
武田の家臣は敵なのに素直に褒めるところが素敵
鳥居強右衛門の死に様、主君や仲間を思う強い気持ち、とても感銘を受けます。自分だったら、磔が怖くて、援軍は来ないと言ってしまうでしょう。あの信長も、その死にかなり心を打たれたみたいですね。
たまに高齢の方の文って読点がめちゃくちゃ多かったりするんだけど何か理由あるんすか?それ
@@TheZakuzaku
この文章を句読点なしにしたら読みにくいよ
つっかかるほどでもない
鳥居強右衛門はどうでしょうゼミナールで初めて知りました。
今度は悲惨な最後から逃げた武将とかやって欲しい
逆さ磔、想像しただけで苦しい…😨
鳥居強右衛門戦国のメロスって異名を歴史に残した人だよね
ただしメロスの作者は必ず戻ると約束していたけど結局戻らず友人が激怒していたけど。
橙武者は歓楽街に行っていて博労淵砦を陥落させてしまった薄田兼相では?
大野も冬の陣の負け戦で同じく橙武者と呼ばれた。
薄田兼相は夏の陣で獅子奮迅の活躍をしたからセーフ
そもそも「大坂陣山口休庵咄」での橙武者は大阪方の水軍の不甲斐なさを憂いた表現に過ぎない
紹介された全員が壮絶な最期でした。
長宗我部盛親も中々
あげ足を取る訳ではありませんが、奥平はおくひらではなく、おくだいらでは。
織田の忠臣であった丹羽長秀は織田家を乗っ取ろうとする秀吉を恨んでいた……。
と言うのは、実は、丹羽家100万石をなんとしても削りたかった秀吉自身が流したデマで、
そのデマに引っかかった者たちが、
「長秀殿は心までは売っていなかった!さすがは織田の重臣である丹羽家だ!」
「いずれ丹羽家が織田を救ってくれる!100万石もあるのだから秀吉も無視できないはずだ!」
と言い出し、丹羽家が秀吉に対抗するという声が広がり、心当たりのない丹羽家は困惑。
そして当の秀吉は「何ぃ?ワシに謀反を起こそうとしているのなら所領を減らすしかないなぁ」と
ニヤニヤしながら大義名分を持って丹羽家を大幅減封。
という新説を書いた某漫画には衝撃を受けた。
足利義輝も壮絶な最後を遂げてますよ。
三好とかゆう貴族クラッシャーに追い詰められた
これは鳥居強右衛門の評価は上がるがそれに相反して処刑した勝頼の評価が下がった事例だな。
どうする家康だと処刑する勝頼からもどこか敬意を感じたね
秋山信友の最期も悲惨
鳥居強右衛門→ヤスケンという連想は特定の藩士なら条件反射😂
16:45 大八の父親は家康の命令で築山殿を殺害した武士の1人だったから、大八が処刑されたのは築山殿の祟りと当時は言われた。
「どうする家康」で強右衛門のエピソードを知って、ボロボロ泣きました😭
明智光秀を倒し、柴田勝家と佐久間盛政は滅ぼされ、池田恒興と森長可が戦死し、滝川一益は追放され、佐々成政は切腹させられ、丹羽長秀も病死or暗殺された。
堀秀政と前田利家は重宝された
岡本大八事件か。
長崎港にいた外国船を晴信が沈めちゃったりとかいろいろゴタゴタしとるのよなあ。
河尻秀隆はこの手の話には絶対に出ないな
ちなみに、魚からサナダ虫は寄生しませんね・・・多分アニサキスと間違えてると思う。
当時は肥溜めで肥料を取ってて、人の糞尿を肥料に農作物を育ててたので、そこに卵が付いていて、それを食した人に感染するという構図でしたね。
主君を逃すため壮絶に散ったドリフターズ(基)島津豊久も入れて欲しかった。
鳥居強右衛門は死を覚悟してやったんだし処刑するのが勝頼なりの礼だったんじゃないかな。少なくとも鳥居強右衛門は天国にも地獄にも行かずヴァルハラに強制連行不可避
強右衛門は往路の際に狼煙をあげなければと思ってしまう
ずっと読み方わからなかったけど、治胤って読み方だったんだなぁ
強右衛門はぜひどうでしょうで再現して欲しい
強右衛門が武田の監視付きで援軍は来ないといっても嘘くさいと思われるだけの気もする。
だから強右衛門も正直に叫んだ。自分が死んでも奥平家が無事なら殿様は自分の子どもを取り立てると信じて。さすがに重臣になったのは数百年後の子孫だけど長篠の戦いの後に息子は足軽から100石の武士、そして関ヶ原の恩賞で200石になった。
@@yh6146嘘っぽい。だから来ないと言っても問題無かったって言ってるんですよ
それでもやはり半信半疑になって士気は下がるよ
極限状態の中、援軍が来る前に降伏も全然あり得た
極限状態で戦ってるのに、少数でもやる気なくす奴が出たら、結束なんてあっという間に崩れるよ
脱出成功の狼煙が決まっていたなら、援軍くるの狼煙決めとけば良かったのでは…
まあ、当時の事情もあるから
落合左平次道次背旗に描かれてる人物が鳥居強右衛門という確証が持てない。落合佐平次道次が生きていた時に既にその旗指物の人物が鳥居強右衛門と呼ばれていたなら実在したと思えるけど、それを示すような文献は未だに見つかってない。
三国志の閻温をモデルにした旗指物である可能性の方が高いと個人的には思ってる。
キリスト教が侵略の尖兵なのはもうハッキリしてるからね😅
鳥居強右衛門は武将じゃない。
下級武士って言ってるじゃん!
息子は取り立てられて関ヶ原の後に200石になったから一応武将かな?
鳥居強右衛門は武将ではないでしょう
戦国のメロスって異名も忘れないで下さい
ちなみに走れメロスの作者は必ず戻るという約束を破り友人が激怒した。
江戸時代に入って作った話はだいたい盛ってるし信憑性に乏しい
鳥居強右衛門って、武将じゃなくて足軽のはず・・・
ですね。
足軽が正しいと思います。
ただ、武将と言う位は後世の言葉で役職ではないので(部将は存在しましたが、部隊を率いる隊長の事で侍大将の別称のような物みたいです。)表現として難しい所ですね。
本人は足軽だったけど息子が出世して200石になった。
鳥居強右衛門は有名でしょ
奥平→「おくだいら」っすよ!私の先祖っす!
義持は武将なのか?
武士ですから
勝頼の小ささに吐き気がした。滅びて当然だわ。
信玄なら、間違いなく褒め称えて、彼を帰しただろうに。助命嘆願してきた家臣たちが、それを証明している。
同感、「援軍が来る」と言った時点で殺すことにメリットはないのに腹いせで実行した結果城内の戦意やら敵意を上げてしまいましたね。
いや、「武将」って言葉わかっとんか?ただの家来は武将じゃねぇだろ。
0:12
じゃあ弾幕ごっこすんなよ
おくひらではなくて、おくだいら。
強右衛門は往路の際に狼煙をあげなければと思ってしまう
強右衛門は往路の際に狼煙をあげなければと思ってしまう