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こんばんわ☺いつも楽しく拝見してます次回も楽しみです😄
ありがとうございます^^ 壮大な旅なので編集に時間がかかりそうですが、気長にお待ちください(笑)
超大作動画でしたね。続編も、楽しみです。
とにかく大変な旅でした^^編集に時間がかかりそうですが、少しずつ手を付けていきます(笑)
素朴な疑問。武蔵国には六之宮以降、七之宮、八之宮…はあるのですか?移動大変だと思ったら続編が。楽しみにしてます。
気になったのでググってみましたが、武蔵国には七之宮は無いようです。あったかもしれませんが、資料が現在まで残っていないと思われます。ちなみに上野国には九之宮まであったという記録が残っているそうです!僕なら上野国に赴任したくないです(笑)大変だから^^少しずつ続編の編集をしていきます!
金鑚神社から杉山神社へは、多分一旦国府に帰ってから翌日くらいに出発していたのではないでしょうか?多摩川を渡る必要がありましたし、太古には小野神社は対岸にもあって、多摩川の氾濫を鎮める役目もあったと聞いていますから、左岸から右岸に渡る船はあったでしょうね。若しくは、東海道(律令時代の海路)を都から乗ってきた船を利用したとか。秩父神社から金鑚神社は東山道の東端部ですから、多分それなりに整備された道はあったでしょうね。
確かにそうかもしれませんね!おそらくは何か月もかけていたかもしれませんし、都度帰郷しながらかもしれませんし、どういう形態だったのかも興味が湧きますね^^
ここで紹介されている一宮から六宮までは都下府中市鎮座の大国魂神社に祀られている一宮から六宮までの御祭神を祀る各神社です。そのため、七宮や八宮などはありません。そして六宮までの御祭神を祀ることから大国魂神社は六所宮ともいわれます。なお、通例では武蔵国一宮はさいたま市大宮区の氷川神社。二宮は金鑚神社といわれています。因みに、隣国の相模国総社は大磯町鎮座の六所神社であり。こちらも相模国内の著名な六祭神を祀ることから六所の名前がついています。
フォローの解説、ありがとうございます!
こんばんわ☺
いつも楽しく拝見してます
次回も楽しみです😄
ありがとうございます^^ 壮大な旅なので編集に時間がかかりそうですが、気長にお待ちください(笑)
超大作動画でしたね。
続編も、楽しみです。
とにかく大変な旅でした^^
編集に時間がかかりそうですが、少しずつ手を付けていきます(笑)
素朴な疑問。武蔵国には六之宮以降、七之宮、八之宮…はあるのですか?
移動大変だと思ったら続編が。楽しみにしてます。
気になったのでググってみましたが、武蔵国には七之宮は無いようです。あったかもしれませんが、資料が現在まで残っていないと思われます。
ちなみに上野国には九之宮まであったという記録が残っているそうです!僕なら上野国に赴任したくないです(笑)大変だから^^
少しずつ続編の編集をしていきます!
金鑚神社から杉山神社へは、多分一旦国府に帰ってから翌日くらいに出発していたのではないでしょうか?
多摩川を渡る必要がありましたし、太古には小野神社は対岸にもあって、多摩川の氾濫を鎮める
役目もあったと聞いていますから、左岸から右岸に渡る船はあったでしょうね。
若しくは、東海道(律令時代の海路)を都から乗ってきた船を利用したとか。
秩父神社から金鑚神社は東山道の東端部ですから、多分それなりに整備された道はあったでしょうね。
確かにそうかもしれませんね!おそらくは何か月もかけていたかもしれませんし、都度帰郷しながらかもしれませんし、どういう形態だったのかも興味が湧きますね^^
ここで紹介されている一宮から六宮までは
都下府中市鎮座の大国魂神社に祀られている
一宮から六宮までの御祭神を祀る各神社です。
そのため、七宮や八宮などはありません。
そして六宮までの御祭神を祀ることから大国魂神社は六所宮ともいわれます。
なお、通例では武蔵国一宮はさいたま市大宮区の氷川神社。二宮は金鑚神社といわれています。
因みに、隣国の相模国総社は大磯町鎮座の六所神社であり。こちらも
相模国内の著名な六祭神を祀ることから六所の名前がついています。
フォローの解説、ありがとうございます!