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星野さん、長谷見さんが当時の冨士のレース後に「今日も生きていた」と安堵するほどにストレートが恐ろしいマシンだったそうで。
チャンピオンマシンもかっこいいけど、その中で夢半ば散っていった常識を覆すようなマシンこそロマンがあって惚れる
日産のロマンの塊、R89C。とにかく戦えるフィジカルを付けたけどそれを支える骨格ができていなかった。ここから各拠点がしっかり体力を付けて、これからって時に…デイトナ制覇が唯一の救いです。
オープニングがかっこよすぎるw😲
Winstonさんの動画毎回面白すぎる・・・!そこまで知識がなくても解説付きで見れるし、当時の熱を垣間見ると、今再びモータースポーツに熱が注がれることを願わずにはいられない。
懐かしい…Cカーがとても輝いてた時代!ワークスマシンだでなくプライベーター962の様々なスポンサーカラーがレースを晴れやかに飾っていたなぁ…
林教授の開発を妨害した上司が全て悪い
日産って内紛と財政難ばっかのイメージ
@@phoenix-2827 翌年もアメリカと日本のチーム間で一切情報共有をしないとかバラバラだった
@@村上晋-b6g マシンもCKとCPに分かれちゃうしな
カルロス・ゴーンは再建を助けないでそのまま潰れていれば良かったメーカーが日産
技術の日産じゃないのよ。プリンスなのよ。
シケインが出来た後の最速記録は日産R90CKの366キロでこれはまだ破られていないはず
タミヤのR89Cの箱絵がコレがまたカッコいいんだよ
アレを綺麗に完成させる為に模型技術磨いたなぁ😂20年ぐらい掛けたかな。
当時を知らない人間からすると、23,24,25号車という並びが新鮮に感じる...22,23,24号車というイメージが強すぎて。
>22,23,24号車というイメージが強すぎて。お前のイメージなんぞ知らんがな。何アピールや?(笑)
19:58 プジョーのスタッフで酒飲んでる人の最初の映像、ジャン・トッドだったんじゃねえか?
この頃の日産/ニスモは格好良く、勢いがあったね~…懐かしい。
5速で簡単にレッド近く迄吹き上がる恐るべきエンジンを搭載していた。
89年の日産チームのピットにはメルセデスの偵察隊も来た。そんなの前年まで無かった事だと関係者が言っていた。VEJ30は林義正氏の前任の石川義和氏の設計で決して褒められるエンジンではない。
改めて考えると、みんな仲良く情報共有して完璧に思い通りのマシンを作れれば1、2、3フィニッシュも夢では無かったのかも知れない...。日産には思った通りのマシンを作る技術があるのだから、、。
オープニングからカッコ良すぎですね!実際、富士スピードウェイでテストしているトコを見ましたが、ドッカンターボで最終コーナー抜けて、ストレートの始まる5分の1位からジェット戦闘機の離陸時の様な加速で度肝を抜かれましたね!その1時間後、走行会が始まりエラく緊張しましたね!生まれて初めて生のグループCカーを見た直後だったんで、そのスピード差を今でも鮮明に記憶してます!
次はR90CK、R90CPを解説して頂けるのですね!このころのグループCカー、ルマンは最高だった!
オープニングはどこまでかっこよくなるのだろう…OP見たら内容見ずにいられない
星野さんや長谷見さんがガチでビビったマシンらしいですね
1989/8/22フジLDロングディスタンス500マイルで、R89Cを見ました。日産が一番輝いていた時代。
次も楽しみ😊
ルマンはグループCの頃がサイコーだったな。
R89C や R90C は、ルマン最高峰クラスに挑戦した日本車の中で一番に恰好良いマシンだったと、今でも思っている。熟成が進んでいなかったのが惜しまれるマシンだった。
伊太利屋カラーのヨーストポルシェは実質ワークスでしたよね
1989年のヨーストはル・マンだけでなくWSPCのレギュラーのレースでもメルセデスやジャガー相手にかなりやり合ってましたね。翌年以降はポルシェ勢は段々と競争力を失っていきましたが…
ノルベルト・ジンガーが指揮を取ってましたしね
ジョニーダンフリーズのトヨタは1回、最終シケインからピットに戻れるチャンスがありましたが、戻る際に近くのテレビクルーのカメラワイヤーが左リヤタイヤに巻き付いてしまって、せっかく戻るチャンスが無くなってしまったのを当時のTV朝日の放送で鮮明に覚えています。(ジョニーは何でここにカメラワイヤーがあるんだよと言いたげにカメラクルーを睨んでましたね)
当時テレビで見てましたが、なんでケーブルが絡まってるんだろうと思ってました。そういうこととは知りませんでした。
@@fd3787 補足ですがジョニーが修理しているのを(現地の?)テレビクルーが左リヤタイヤ前でずーと撮影していました。そして、やっとなんとか戻れる目途が出来てジョニーが乗車するときもテレビクルーはそのままの場所にいて戻る際に運悪くカメラのワイヤーが巻き付いたのが致命傷でした。ジョニーはそんな事は知らずに戻ろうとするのでワイヤーはどんどん巻き付くはテレビカメラも引きずってしまうはでジョニーが可哀想でした。テレビクルーはやっちまった―みたいな仕草をしていましたが、ワイヤーが絡まった時に引きずられそうなちょっと危うい状態でした。
@@山口純-z9l 一回は動いたんで、それがなければピットロードに行けましたよね。
トヨタは放送コードに引っ掛かった。私もテレビで観てましたが、余計なことして!と思いました。ビデオでは鮒子田氏が無線でダンフリーズ選手に作業をやめる様に言っても聞かず、日が沈む頃に危険だからやめてくれと再び説得。ダンフリーズ選手が汚れた手でピットへ。労う関係者。女性クルー(キャンギャル?)が泣いていたのを憶えています。
確かに生で観てたけど、20分後にポカーンとなったの覚えてるわ😅
1000馬力はトヨタ7時代から達成していたからそれほどニュースでもない。それよりもペースカーモード(フルコースイエロー)にすると燃費が15㎞/ℓ以上というのが驚異的。
史実より一年前倒しで完成していないと欧州勢とやりあえないカタログスペックだけでは永遠に勝てない
林義正さんのサイン入り本を持ってるぜ!九大での公演の時にしてもらったの。
この時代のグループCカーはかっこいいです
流石 ブロアム・ビップ・メダリストって感じ
VRH35Zが如何に化け物かってのがよくわかる()
マツダの寺田さんから高速の安全な走り方教えて貰った事有ります。その時はポルシェ930ターボ(フラットノーズ)乗って居ました❤
日産は後年のルマンでも、期待だけさせて結果が出ないという事が多かった信頼性だけで早さの無いマシンで得た、1998年の3位が最高位だし、FFとかふざけた事もやってるし
なんでFFだったのか?興味ありますね
あんなのに『GT−R』の名を冠したのは、明らかな間違いだった…(^^;)
@@atos4123ウィリアムズ製のモーターが不具合を起こして使用停止となり本来は4WDだったのがFFになったですよレギュレーション上邪魔な装備も取っ払うことも出来ないから装備してるだけで機能してない状態で出走して悲惨な結果を残して日産の黒歴史化になりました
@@atos4123 空力が目的(車体後方がスカスカなのでグラウンドエフェクト生成するトンネルが作れる)FFなのはモーターでリア駆動する計画がとん挫したため(空力のためにクソ細いシャフトとギアボックスで当然壊れる)まあバカ設計よ
@@atos4123 確かボディのデザインの自由度が高くなって空力で有利になるからFFを選んだと思いますよ。
この時代のドライバーは今とは本気度が違うように思えます。
余談ですが、日産車では240Zもル・マン24時間に出場してました😀75年と76年にはフランスのプライベーターが元ワークスの240Z(南アフリカ選手権にて高橋国光氏がドライブした個体)にて参戦し、75年ル・マンにてクラス優勝を獲得しましたが、翌年76年260Z(前年クラス優勝した個体でL26に換装した240Z)はクラッシュ炎上し、ドライバー兼オーナーが亡くなりました😢その後、オーナーが所有していた元日産ワークスの240Zラリーカーがレストアされル・マンクラシックなどに出走しています😊
いつかGTP ZX-Tを取り上げてほしいです。1988年、アメリカでポルシェ王朝を終わらせたのはジャガーではなくこの日産車で、R90CP系統にも勝るとも劣らない実績を持っているのに、日本のレースシムでは取り上げられない不遇の車です。
今回は驚きのあまり画面中を荒ぶりまくる霊夢の姿がなくってちょっぴり寂しい😔
ルマンの日本車初制覇は、‘90のマツダ787Bでした🎉。失礼しました。’91でした😅。
まさか次はR92CPでシケイン無しユノディエール…?
是非検証して欲しいよねぇ~
日産のモータスポーツは苦労の割りに報われないですね
90CPも好きだったな。。。間違えてたらスイマセン…確かユノディエールの最高速はセカテバプジョーが予選で出した426kmじゃなかったな、決勝では2時間ほどでエンジン壊れたけどw
質問なのですが、動画で使用されているシミュレーターは何のソフトを使っているのでしょうか?
AsettoCorsaだよ。それにMOD入れて車とコース(とその他)を追加している
うぽつです。ルーミアちゃん、今回はしょんぼり顔
サイドの下部の窪みはどういう効果があったのか、サイドの四角いアウトレットダクトはあの形で問題なかったのか、が気になる、知ってる人いますか?ちなみにリッジレーサーⅤのクリナーレ(デビルカー)はR89Cのデザイン(サイド、テール周りなど)が入ってる、R89CとR390GT1とF40の合体形みたいな感じ
イーグルトヨタみたいにフロントからダクト引いて、それだけでラジエーターとチャージエアクーラーを冷やす設計かも。
R390GT1もお願いします!
グループCってルマン以外だとどこか走ってましたか?
グループcは世界耐久選手権 1982年 - 1985年世界スポーツプロトタイプカー選手 1986年 - 1990年スポーツカー世界選手権 1991年 - 1992年年間シリーズ戦の中にル・マン24時間レースが含まれていたりしてたんです。89年だと(この年はル・マンはシリーズ戦に含まれてない)1 鈴鹿サーキット 2 フランス ディジョン・プレノワ・サーキット 3 スペイン ハラマ・サーキット4 イギリス ブランズ・ハッチ 5 ドイツ ニュルブルクリンク6 イギリス ドニントン・パーク7 ベルギー スパ・フランコルシャン8 メキシコ エルマノス・ロドリゲスこれとは別に日本国内でのシリーズ戦を行っていて国内のサーキットを数カ所走ってます
このマシンのシャシーはローラ社のやつなんだけど、基本的な構造は良かったものの日産が手を加えないと真っ直ぐにも走らないぐらい工作精度が甘かったんよな
技術の進歩には、全てが1番に勝る物は無い。
凄いメカニズム。
NISMOとNMEでしたよね!
NPTI…
いつも思うけどこのsimなんていうsimなんだろ
結局、日産の過去の産物、技術の日産は遠い過去の話。というか旧プリンス自動車の技術だよな。
最大ブーストで何馬力あるですかね
ところで、日産のカラーリングってなんでトリコロールなの?
トリコロールカラーはダットサン時代のコーポレートカラー、赤は旭日、青は天高い空、白は…知らんw
VRH35ですよね。
24号車に生沢がスペシャルエンジン載せたせいで、パドックで乱闘騒ぎ起こして内部崩壊したのは草
ソースありますか?その話もっと詳しく知りたくて…
@@TGMsan 「レーシングオン」に書いて有りましたけど❗(^_^;)
それって90年のル・マンの話しでしたよね。NMEとNPTIのメカニックがやらかしたとか
FISCOのストレートエンドで400kphにつづく…
最後に収録されたのはグランツーリスモ6。7にも来てくれ(´・ω・`)
星野一義をして、逃げ出したいと言わしめるほどのスピードて…耐久にしろWRCにしろ、80年代はモータースポーツ全般が本当に狂気の時代だったんだな
ジャブイーユじゃなくてシュレッサーじゃなかったっけ。あと90年は5位に入ってたはず
18:50ちなみに序盤25号車が5番手あたり走ってましたね
此の記述説明道理でいきますと日産のカーボンボディーの採用は以外と遅いですね。トヨタは既に1969~1970年頃のグループ7のトヨタニュー7に日本初と思いますがCFRの採用をしています。日産はボディーを外注するケースが以外と多い為か、其とも開発費の問題か?逆にトヨタは内製に拘りを持っているような気がします。トヨタ5Lターボ7なんぞは当初外国製のトランスミッションを装着したが強大な馬力、トルクにより破壊したため急遽アイシン精機にて製作装着して予定のレースに間に合わせたとか。
しかし当時はただの粉末状態で、カウルのなんかに混ぜただけっていう。
予選最速番長!耐久性は皆無😱😱😱
グランツーリスモ4で結局取得できなかった幻の車だ。
ミッション34という鬼畜が…ありとあらゆる手を使ってなんとかクリアした記憶が
世の中はスペックが高い者が強者では無く、最後まで生き残った者が強者では?日本人は途中経過を美化し過ぎていると思います。この手の話では負けの言い訳が多過ぎて見苦しい時があります。レースは生き物です。神様も気まぐれです。
勝者のドラマがあるなら、敗者のドラマがあっても良いと思います
スプリントレースなら追突事故もあり得るけど24時間もあるのに…
日本の車もそんなにリタイヤや、色々と消えたのは悲しい😭
技術屋が政治をやりだすと破綻する見本。10年後フランスメーカーとブラジル人に助けてもらう事になるのは想像できないよね。
中速トルクの無い1000馬力は、使えない1000馬力。
この動画シリーズ、解説や映像は楽しませてもらっているけど、霊夢?のセリフに入る無駄な「www」が当事者や車両をバカにしている様で不快…投稿者が敬意を持っているのは内容から伝わるだけにそこだけは考えて欲しい
僕も霊夢うるさいと思っちゃうことがあります面白いので少し考えて欲しい
前々から自分も思いますね
1
乗り合いバスや荷物運ぶ車以外は、ゴミなのを知らない
星野さん、長谷見さんが当時の冨士のレース後に
「今日も生きていた」と安堵するほどに
ストレートが恐ろしいマシンだったそうで。
チャンピオンマシンもかっこいいけど、その中で夢半ば散っていった常識を覆すようなマシンこそロマンがあって惚れる
日産のロマンの塊、R89C。
とにかく戦えるフィジカルを付けたけどそれを支える骨格ができていなかった。
ここから各拠点がしっかり体力を付けて、これからって時に…
デイトナ制覇が唯一の救いです。
オープニングがかっこよすぎるw😲
Winstonさんの動画毎回面白すぎる・・・!そこまで知識がなくても解説付きで見れるし、当時の熱を垣間見ると、今再びモータースポーツに熱が注がれることを願わずにはいられない。
懐かしい…Cカーがとても輝いてた時代!ワークスマシンだでなくプライベーター962の様々なスポンサーカラーがレースを晴れやかに飾っていたなぁ…
林教授の開発を妨害した上司が全て悪い
日産って内紛と財政難ばっかのイメージ
@@phoenix-2827
翌年もアメリカと日本のチーム間で一切情報共有をしないとかバラバラだった
@@村上晋-b6g マシンもCKとCPに分かれちゃうしな
カルロス・ゴーンは再建を助けないでそのまま潰れていれば良かったメーカーが日産
技術の日産じゃないのよ。プリンスなのよ。
シケインが出来た後の最速記録は日産R90CKの366キロでこれはまだ破られていないはず
タミヤのR89Cの箱絵がコレがまたカッコいいんだよ
アレを綺麗に完成させる為に模型技術磨いたなぁ😂
20年ぐらい掛けたかな。
当時を知らない人間からすると、23,24,25号車という並びが新鮮に感じる...22,23,24号車というイメージが強すぎて。
>22,23,24号車というイメージが強すぎて。
お前のイメージなんぞ知らんがな。
何アピールや?(笑)
19:58 プジョーのスタッフで酒飲んでる人の最初の映像、ジャン・トッドだったんじゃねえか?
この頃の日産/ニスモは格好良く、勢いがあったね~…懐かしい。
5速で簡単にレッド近く迄吹き上がる恐るべきエンジンを搭載していた。
89年の日産チームのピットにはメルセデスの偵察隊も来た。そんなの前年まで無かった事だと関係者が言っていた。
VEJ30は林義正氏の前任の石川義和氏の設計で決して褒められるエンジンではない。
改めて考えると、みんな仲良く情報共有して完璧に思い通りのマシンを作れれば1、2、3フィニッシュも夢では無かったのかも知れない...。日産には思った通りのマシンを作る技術があるのだから、、。
オープニングからカッコ良すぎですね!実際、富士スピードウェイでテストしているトコを見ましたが、ドッカンターボで最終コーナー抜けて、ストレートの始まる5分の1位からジェット戦闘機の離陸時の様な加速で度肝を抜かれましたね!その1時間後、走行会が始まりエラく緊張しましたね!生まれて初めて生のグループCカーを見た直後だったんで、そのスピード差を今でも鮮明に記憶してます!
次はR90CK、R90CPを解説して頂けるのですね!このころのグループCカー、ルマンは最高だった!
オープニングはどこまでかっこよくなるのだろう…OP見たら内容見ずにいられない
星野さんや長谷見さんがガチでビビったマシンらしいですね
1989/8/22フジLDロングディスタンス500マイルで、R89Cを見ました。日産が一番輝いていた時代。
次も楽しみ😊
ルマンはグループCの頃がサイコーだったな。
R89C や R90C は、ルマン最高峰クラスに挑戦した日本車の中で
一番に恰好良いマシンだったと、今でも思っている。
熟成が進んでいなかったのが惜しまれるマシンだった。
伊太利屋カラーのヨーストポルシェは実質ワークスでしたよね
1989年のヨーストはル・マンだけでなくWSPCのレギュラーのレースでもメルセデスやジャガー相手にかなりやり合ってましたね。
翌年以降はポルシェ勢は段々と競争力を失っていきましたが…
ノルベルト・ジンガーが指揮を取ってましたしね
ジョニーダンフリーズのトヨタは1回、最終シケインからピットに戻れるチャンスがありましたが、戻る際に近くのテレビクルーのカメラワイヤーが左リヤタイヤに巻き付いてしまって、せっかく戻るチャンスが無くなってしまったのを当時のTV朝日の放送で鮮明に覚えています。(ジョニーは何でここにカメラワイヤーがあるんだよと言いたげにカメラクルーを睨んでましたね)
当時テレビで見てましたが、なんでケーブルが絡まってるんだろうと思ってました。そういうこととは知りませんでした。
@@fd3787 補足ですがジョニーが修理しているのを(現地の?)テレビクルーが左リヤタイヤ前でずーと撮影していました。そして、やっとなんとか戻れる目途が出来てジョニーが乗車するときもテレビクルーはそのままの場所にいて戻る際に運悪くカメラのワイヤーが巻き付いたのが致命傷でした。ジョニーはそんな事は知らずに戻ろうとするのでワイヤーはどんどん巻き付くはテレビカメラも引きずってしまうはでジョニーが可哀想でした。テレビクルーはやっちまった―みたいな仕草をしていましたが、ワイヤーが絡まった時に引きずられそうなちょっと危うい状態でした。
@@山口純-z9l 一回は動いたんで、それがなければピットロードに行けましたよね。
トヨタは放送コードに引っ掛かった。
私もテレビで観てましたが、余計なことして!と思いました。
ビデオでは鮒子田氏が無線でダンフリーズ選手に作業をやめる様に言っても聞かず、日が沈む頃に危険だからやめてくれと再び説得。
ダンフリーズ選手が汚れた手でピットへ。労う関係者。
女性クルー(キャンギャル?)が泣いていたのを憶えています。
確かに生で観てたけど、20分後にポカーンとなったの覚えてるわ😅
1000馬力はトヨタ7時代から達成していたからそれほどニュースでもない。
それよりもペースカーモード(フルコースイエロー)にすると燃費が15㎞/ℓ以上というのが驚異的。
史実より一年前倒しで完成していないと欧州勢とやりあえない
カタログスペックだけでは永遠に勝てない
林義正さんのサイン入り本を持ってるぜ!九大での公演の時にしてもらったの。
この時代の
グループCカー
は
かっこいいです
流石 ブロアム・ビップ・メダリストって感じ
VRH35Zが如何に化け物かってのがよくわかる()
マツダの寺田さんから高速の安全な走り方教えて貰った事有ります。その時はポルシェ930ターボ(フラットノーズ)乗って居ました❤
日産は後年のルマンでも、期待だけさせて結果が出ないという事が多かった
信頼性だけで早さの無いマシンで得た、1998年の3位が最高位だし、FFとかふざけた事もやってるし
なんでFFだったのか?興味ありますね
あんなのに『GT−R』の名を冠したのは、明らかな間違いだった…(^^;)
@@atos4123ウィリアムズ製のモーターが不具合を起こして使用停止となり本来は4WDだったのがFFになったですよ
レギュレーション上邪魔な装備も取っ払うことも出来ないから装備してるだけで機能してない状態で出走して悲惨な結果を残して日産の黒歴史化になりました
@@atos4123 空力が目的(車体後方がスカスカなのでグラウンドエフェクト生成するトンネルが作れる)
FFなのはモーターでリア駆動する計画がとん挫したため(空力のためにクソ細いシャフトとギアボックスで当然壊れる)
まあバカ設計よ
@@atos4123 確かボディのデザインの自由度が高くなって空力で有利になるからFFを選んだと思いますよ。
この時代のドライバーは今とは本気度が違うように思えます。
余談ですが、日産車では240Zもル・マン24時間に出場してました😀
75年と76年にはフランスのプライベーターが元ワークスの240Z(南アフリカ選手権にて高橋国光氏がドライブした個体)にて参戦し、75年ル・マンにてクラス優勝を獲得しましたが、翌年76年260Z(前年クラス優勝した個体でL26に換装した240Z)はクラッシュ炎上し、ドライバー兼オーナーが亡くなりました😢
その後、オーナーが所有していた元日産ワークスの240Zラリーカーがレストアされル・マンクラシックなどに出走しています😊
いつかGTP ZX-Tを取り上げてほしいです。1988年、アメリカでポルシェ王朝を終わらせたのはジャガーではなくこの日産車で、R90CP系統にも勝るとも劣らない実績を持っているのに、日本のレースシムでは取り上げられない不遇の車です。
今回は驚きのあまり画面中を荒ぶりまくる霊夢の姿がなくってちょっぴり寂しい😔
ルマンの日本車初制覇は、‘90のマツダ787Bでした🎉。失礼しました。’91でした😅。
まさか次はR92CPでシケイン無しユノディエール…?
是非検証して欲しいよねぇ~
日産のモータスポーツは苦労の割りに報われないですね
90CPも好きだったな。。。
間違えてたらスイマセン…確かユノディエールの最高速はセカテバプジョーが予選で出した426kmじゃなかったな、決勝では2時間ほどでエンジン壊れたけどw
質問なのですが、動画で使用されているシミュレーターは何のソフトを使っているのでしょうか?
AsettoCorsaだよ。それにMOD入れて車とコース(とその他)を追加している
うぽつです。
ルーミアちゃん、今回はしょんぼり顔
サイドの下部の窪みはどういう効果があったのか、サイドの四角いアウトレットダクトはあの形で問題なかったのか、が気になる、知ってる人いますか?
ちなみにリッジレーサーⅤのクリナーレ(デビルカー)はR89Cのデザイン(サイド、テール周りなど)が入ってる、R89CとR390GT1とF40の合体形みたいな感じ
イーグルトヨタみたいにフロントからダクト引いて、
それだけでラジエーターとチャージエアクーラーを冷やす設計かも。
R390GT1もお願いします!
グループCってルマン以外だとどこか走ってましたか?
グループcは
世界耐久選手権 1982年 - 1985年
世界スポーツプロトタイプカー選手 1986年 - 1990年
スポーツカー世界選手権 1991年 - 1992年
年間シリーズ戦の中にル・マン24時間レースが含まれていたりしてたんです。
89年だと(この年はル・マンはシリーズ戦に含まれてない)
1 鈴鹿サーキット
2 フランス ディジョン・プレノワ・サーキット
3 スペイン ハラマ・サーキット
4 イギリス ブランズ・ハッチ
5 ドイツ ニュルブルクリンク
6 イギリス ドニントン・パーク
7 ベルギー スパ・フランコルシャン
8 メキシコ エルマノス・ロドリゲス
これとは別に日本国内でのシリーズ戦を行っていて国内のサーキットを数カ所走ってます
このマシンのシャシーはローラ社のやつなんだけど、基本的な構造は良かったものの日産が手を加えないと真っ直ぐにも走らないぐらい工作精度が甘かったんよな
技術の進歩には、
全てが1番に勝る物は無い。
凄いメカニズム。
NISMOとNMEでしたよね!
NPTI…
いつも思うけどこのsimなんていうsimなんだろ
結局、日産の過去の産物、技術の日産は遠い過去の話。というか旧プリンス自動車の技術だよな。
最大ブーストで何馬力あるですかね
ところで、日産のカラーリングってなんでトリコロールなの?
トリコロールカラーはダットサン時代のコーポレートカラー、赤は旭日、青は天高い空、白は…知らんw
VRH35
ですよね。
24号車に生沢がスペシャルエンジン載せたせいで、パドックで乱闘騒ぎ起こして内部崩壊したのは草
ソースありますか?その話もっと詳しく知りたくて…
@@TGMsan 「レーシングオン」に書いて有りましたけど❗(^_^;)
それって90年のル・マンの話しでしたよね。NMEとNPTIのメカニックがやらかしたとか
FISCOのストレートエンドで400kphにつづく…
最後に収録されたのはグランツーリスモ6。
7にも来てくれ(´・ω・`)
星野一義をして、逃げ出したいと言わしめるほどのスピードて…耐久にしろWRCにしろ、80年代はモータースポーツ全般が本当に狂気の時代だったんだな
ジャブイーユじゃなくて
シュレッサーじゃなかったっけ。
あと90年は5位に入ってたはず
18:50ちなみに序盤25号車が5番手あたり走ってましたね
此の記述説明道理でいきますと日産のカーボンボディーの採用は以外と遅いですね。トヨタは既に1969~1970年頃のグループ7のトヨタニュー7に日本初と思いますがCFRの採用をしています。日産はボディーを外注するケースが以外と多い為か、其とも開発費の問題か?逆にトヨタは内製に拘りを持っているような気がします。トヨタ5Lターボ7なんぞは当初外国製のトランスミッションを装着したが強大な馬力、トルクにより破壊したため急遽アイシン精機にて製作装着して予定のレースに間に合わせたとか。
しかし当時はただの粉末状態で、カウルのなんかに混ぜただけっていう。
予選最速番長!耐久性は皆無😱😱😱
グランツーリスモ4で結局取得できなかった幻の車だ。
ミッション34という鬼畜が…
ありとあらゆる手を使ってなんとかクリアした記憶が
世の中はスペックが高い者が強者では無く、最後まで生き残った者が強者では?日本人は途中経過を美化し過ぎていると思います。この手の話では負けの言い訳が多過ぎて見苦しい時があります。レースは生き物です。神様も気まぐれです。
勝者のドラマがあるなら、敗者のドラマがあっても良いと思います
スプリントレースなら追突事故もあり得るけど24時間もあるのに…
日本の車もそんなにリタイヤや、色々と消えたのは悲しい😭
技術屋が政治をやりだすと破綻する見本。10年後フランスメーカーとブラジル人に助けてもらう事になるのは想像できないよね。
中速トルクの無い1000馬力は、使えない1000馬力。
この動画シリーズ、解説や映像は楽しませてもらっているけど、霊夢?のセリフに入る無駄な「www」が当事者や車両をバカにしている様で不快…
投稿者が敬意を持っているのは内容から伝わるだけにそこだけは考えて欲しい
僕も霊夢うるさいと思っちゃうことがあります
面白いので少し考えて欲しい
前々から自分も思いますね
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乗り合いバスや荷物運ぶ車以外は、
ゴミなのを知らない