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皮肉と捉えるかどうか‥当時は落穂を貧しい人たちのためにわざと残す風習もありました。寛大な領主の土地では、たくさん落穂があったと言えるそうです。
餓死されるのは困るけど、かと言って対価を支払って買う人も居るわけだから、貧困者救済とは言えタダであげるわけにもいかんからね
@@なにがし-m7c 価値観や考え方が違うんですよ。向こうはキリスト教なので、(今のキリスト教は知らないので、当時の)その文化や価値観を学ばないと理解できないと思います。ちなみにキリスト教の中で1番大切なイエスキリストの祖先の一人は、やもめだった時代に落穂拾いで生き延びた一人です。領主は寛大な人で有名で、その畑に行けば落穂がたくさんあるとたくさんの人が集まっていました。なんやかんやあってそこの領主と再婚して、生まれた息子がイエスの祖先です。落穂拾い、と聞くと1番最初に思い浮かぶくらい有名なエピソードです。ルツ記で調べてみてください。その中で落穂拾いを行うルツが、働き者だと褒められています。
@@なにがし-m7c 価値観が全く違ったんですよ。キリスト教文化を学んだ方が良いです。落穂拾い=ルツ記を思い起こすはずです。落穂拾いで生計を立てていた時期があり、働き者と有名でした。後のイエスの祖先になった人です。
キリスト教の考えでは落穂は神の分前という考え方です。
習慣ではない。落ち穂は寡婦の取り分。葡萄の収穫残しは寡婦の分、オリーブの実は最初に落ちた日だけ収穫され翌日以降は寡婦の分。地主がこれを採ると泥棒。旧約聖書の戒律を調べてご覧なさい。
落ち穂は拾っても窃盗にならない、拾っても良い、って律法があるんだよねむしろ持ち主は落ち穂を拾ってはならない、でしたっけ
寡婦のプライドを守る為に目こぼしする〜麦🌺
江戸期の漁労で取った魚🐟売れる形の良いものは市場に出して残りを病気で働けない病人に配った〜エピソード
現代社会〜🎦チャップリンの映画〜モダンタイムス⚙〜機械化による人間性喪失
日本人の村落意識〜村人は家族といっしょで助けあった江戸時代❤
旧約聖書のルツ記にこの落穂拾いの掟についてのエピソードがありますね。
れっきとした助け合いてか 美術に先生にそこまでちゃんと解説されたし根こそぎ自分のものにしてしまうという領主ではなく拾いにくる人が 満足するくらいは残して収穫する人が依存せずに助け合う って じゃぁ 一本も残さず収穫して 精製した小麦粉を渡すほうがいいのか?自立のためには拾うと言う労働があったほうが尊厳保たれるのではないか? とかネットが ない時代にいろんな本読んで 一生懸命答を探した な
同じ事習った。この役人は落ち穂がある畑から目を離している。農夫達が、寡婦のためにたくさん落とすことを良しとしている領主なんだね、って説明を受けた。
わざと多くとりこぼしを残し、拾うのを黙認していたと思いますが。そして、稲ではなく麦なのでは?
鋭い指摘ですね。その通り稲ではなく麦です。さて 投稿者はこのまま 稲だと押し通すのかな。
麦です。ちなみに旧約聖書の「ルツ記」の一場面。
ルツ記の場面として描いてるようには見えないのだがこの絵を描いた当時の現代を描いてるでしょ
落ち穂の穂の字は稲だけでなくて、穀物一般に使うから麦でも間違いではありません。
いーねー♪
タルムード(ユダヤの論語)に「落ちた穂は拾っては成らないそれは寡婦の物だから」と有るので、落ち穂を拾って居るのは未亡人なのでしょう。
自尊心を守る💛
確か未亡人の為にわざと落ち穂をそのまま残しておく習慣があったと聞きましたよ。
俺もそう聞いたけど、よくわかんないね😅
拾っている女性たちは未亡人とかで貧困層でもある彼女たちは自分たちの食い扶持のために拾ってるのよ当時のヨーロッパの村では収穫後に落ちている麦穂なんかは拾って自分たちの物にしていいというルールがあったんだとだから収穫後の移動中にわざと落としたりもしたんだとさ
そういう解釈をしてしまうってことは労働者を搾取してる思い当たりあるんだね…
え?どこが皮肉?旧約聖書には寡や貧しい人たちのために落穂を寛大に残しておくように命じられている貧しい人の為に仕事と食べ物を与える素晴らしい制度だと思うおかげで貧しい人たちは物乞いをしないで済んだ貧しい人にただ恵んでやるのは怠惰を助長することもあるしね
この体勢、モデルが腰痛になるから危険なのかなと思ってしまった
昔「アンメルツ よこよこ」かなんかのCMに使われてましたねww
💊アンメルツCM用腰痛治療
グキッ
旧約聖書のルツ記がモチーフになっていると思う。落ち穂シリーズの別の絵では、小さくルツと地主のボアズが描かれていたと思う。けなげな未亡人ルツにボアズが惚れちゃって(わざと大量に落ち穂残しちゃったりして😅)、後に二人は結婚。ダビデやイエスの祖先に当たる人たちなんだよね😮。
説明だとユダヤ人になるよね。しかも、ダビデ王となると紀元前の話だよね。絵が絵描かれている時代が服装と整合性が取れていないのが気になるな。
@@宮島雅雄 うん。でも、このインフォメーションは、ある美術解説の本と、某美術系youtube(五郎さん)でも知ったので間違えないと思う。でも、わたしも服装はちがうなあと思ってました。ミレーの現代風アレンジなのかなあ。他の聖書の人物でも描かれた時代の衣装を身に付けていることもあるし…。
昔日本でも米の収穫後に穗を拾いに来たオバサンを思い出す。
@@masao750 ルツ記はいつ頃にできたの。
大阪堂島の米会所でこぼれた🍚米を集めて金持ちに成った婆さんの話が日本永代蔵にあったような〜❓
出来ましたら山田五郎さんの動画をご覧ください。ちゃんと当時のフランスの習慣や落穂拾いの歴史等を説明してくださってます。
私も観ました。山田五郎さんの「大人の教養講座」。ヨーロッパ絵画をとおして、当時の時代背景や政治情勢、あるいわ宗教観など、とても分かりやすく楽しい番組ですよね。
ゴロワーズ😊
拾っている人達は、未亡人とかだったはず。
コメント欄の方達博識やなあ😃見識がひろがるっ
旧約聖書的な示唆にとんだ絵だと聞いたけど。。。
大した量が落ちていたわけでもないだろうし、助け合いだとしても、なかなか階級差の厳しさを感じる絵ではあると思う。
勤勉な人々ではなく、貧しい人々が、自分達が食べるために拾っているのではないでしょうか?
ミレーの活躍した時代背景として、民主革命や産業革命による自由経済の発達とそれに伴う格差の拡大がありました。この絵も、以前の作の「種をまく人」も政治的な論議を引き起こしたそうです。一見聖書を題材にした絵のように見えますが、当時の格差社会を問う意図があったのではないかと思います。大航海時代といい、産業革命といい、現在の西洋史観の教科書では、おおむね良い方にとらえられていますが、いずれも、現代につながる根深い世界各所での対立の火種となっています。そして、稲じゃなくて麦なのは確かです。
聖書に身よりのない人や外国人のために穀物は全部刈り取らず残しておけとかいてあるから、富裕層でもそれを知っている人たちはそうしたのだろうし、怒った奴らはそれすらもしてなかったんではないかと思う。
昔の画家は天国とか天使とか美しい絵や物語の一場面を描くのが当たり前で、金持ちのインテリアだった、その時代に庶民を描いたから富裕層からは見向きもされなかったと授業で聞いた。
落穂は寡婦や孤児たちのために拾わない習慣があったという本を見たある種の救済処置
ミレーの絵を見れば分かると思うんだけど。全てとは言わない。でもミレー展の絵で、その頃の純朴な農家(貧困の匂いはあるかもしれない)を描いているだけと分かるじゃないか。数多い代表作の中の「晩鐘」を見ても“辛辣”とか“皮肉”とか思うの?「この農夫一家が、揃って笑顔で夕飯を食べる事ができますように」という願いはあったかもしれないが。その頃の富裕層に後ろ暗い生き方があったなら「皮肉だ!」と捉える事実はあったんだろう。時代背景とか考慮した上で「富裕層への皮肉を表した描き方だ!」と言うならジャン・フランソワ・ミレーに失礼じゃないだろうか。
落ち穂は拾った労働者に所有権できるから拾ってるんだよ。地面に落ちて踏まれてるから刈られたものより質は落ちるんだろうしそんなも食べるの哀れって話になるかもしれんけど農家やってりゃ傷物とか熟れ過ぎたものは身内でたべるなんて普通だしなぁ。
漁師町でも、片口鰯大漁の時には、トラックから何匹も落ちる。それを雇われてる船員の妻達が一生懸命ざるを片手に拾ってました。それを見た網元が皆にタダでざる一杯分あげてました。
批判する為だったのか。この絵のモチーフとなった畑作業がそうだったのか。
先に書いてる人もいるけど旧約聖書には落穂は貧しいものたちのために拾ってはならない的なことが書いてある。ルツ記では夫に先立たれ未亡人となったルツが落穂を拾ってるとそこの主人に見そめられて再婚。子供を産むけど、その子はイエスキリストの先祖になることが新約聖書を読むと分かる。聖書圏の人がこの絵を皮肉と捉えるのはありえない。
男主人がいない家庭の人の為に、こぼれ落ちた物は放置するのが昔からのお約束なので特別な意味はない
この絵みて人それぞれ理解の違いあるからなぁ 偏った方向に誘導しては…
寡婦のために残した落穂を拾ってるわけだから勤勉とかなんとかじゃないのでは。元を辿ればルツとボアズの話だよね。
地主が富を独占しないよう、穂は地主のもの、落ち穂は労働者のものって宗教上の教えのはずですが
落ち穂ひろいは聖書にあるテーマで他の画家も描いていたとおもうけど、富裕層から嫌われたというのは事実なの?
他の作品を見ればわかりますが、ミレーにそんな社会批判をしょうなんて意志はありませんよ。
批判した貴族は拾った落ち簿を根こそぎ取り上げて殴りつけてた可能性ありそう💦
まあ、学校の美術の授業でも貧困の象徴の絵と教わりました。ちなみに落穂はある意味当時のセーフティネット的な意味合いもあり、拾った人が持って帰って良いのです。ちなみに拾ってるのは未亡人です。
このままだと未来の若者の姿がこうなっちまう!
総理大臣の執務室に飾るのが一番だと思う
見る人によって解釈が違うのは、その人の持ってる背景が影響してるってことだね。
思う所ある人程、皮肉に捉えがち。日頃皮肉られるような行いをしていなければ、何も感じないはず。
投影👓
有名な絵画一つも見方が変わるだけで解釈、感じ方、捉え方が変わってくる。大変興味深い。話しは逸れますが、浮世絵絵師の葛飾北斎の富嶽三十六景の一部の浮世絵は、当時の河岸の食材の宣伝やPRのために描かれたという説もあるようです。
施しをしない富裕層を皮肉った…だからガメついた富裕層が危険な絵にした…
未亡人が落ち穂を無料で拾っても良いと聞いたことがあるけど?
子供の頃に貧しい農民が拾い集めてるって習ったわ。
富裕層も大変化もしれないが、貧しい人も辛いな。
多分、聖書の1節の表現だと思う。皮肉とは違うんじゃ?
こんな時代に産まれなくて良かった
フランス生まれのミレーだからこれはフランスの風景だろうね。普通に考えて「稲」ではなくて「麦」の穂を拾ってるって考えるのが妥当じゃない?
この絵を見た時になんて陰鬱な絵だと思いました。全体的に暗い暗い絵でした。
バルビゾン派の絵はだいたいこんな感じ古いので多少変色してるかも明るくキレイな絵は印象派まで待ってちょんまげ🖼
「暗くて落ち穂が見つからないわ」地主「どうだ明るくなったろう」
富裕層の被害妄想
ミレーの種撒く人も有名だよね歩きながら種蒔く姿が農民からの反乱を助長するとか思われたとか?とりあえず、画家がそれだけ影響力があったのかもしれない
富裕層や資産家へ対する隠された皮肉はあらゆる表現の常
ちゃんとした解説は山田五郎さんの動画見た方がいい。
問題にした人たちは思い当たる事をしてたんでしょう😊
今の岸田政権日本人は貧しくなった小作人の時代に戻ったようだ🥺
なるほど西洋の価値観とは違うかもですがコンバインで稲刈りした後でも刈り損じた穂を拾って歩いていた亡くなった祖母の姿は幼いながら色々学ぶ事がありました
稲ちゃうし麦やし
コメント欄で読んだ情報を統合するに多分、馬に乗った人は落ち穂拾いの女性たちが善からぬ輩に襲われないように警護してくれてる方で、そこは牧歌的で領主も寛容で豊かな土地…ってことを表現したかった作品なんだろうかね?
投影
立場、地位、暮らしのレベルで見え方が違うという感じかな?
現代でも政治(風刺)寄りの芸能や芸術もありますね。今よりも政治や身分差別が厳しかった時代、ミレーが何の意図もなく、当時は高級であっただろう絵具などを使い、ただの風景を描いたとは考えにくい。ミレーについては詳しくありませんが、例えば親や知り合いが農家で、苦労話を聞いて許せなかったから描いた…みたいな説はあり得るかと思いました。
日本人と岸田やろ?
落ち穂…もみ殻を焼いてくすぶってる中に、そのまま穂の形のまま、小さなポップコーン、てかポップライスが出来ていて小学生だった私の、外遊びのおやつだったなあ。
ありのままに伝えただけ
聖書の教えを絵にしたのでしょ!わざと穂を落として、労働者階級や支配階級以外の貧しい底辺の階級にも配慮した聖書の社会秩序を表現している。
動画見てて辛くなる
落穂について聞いた事がありますが…フランスのその辺りでは穫りこぼした穂は、家畜などの為にそのままにして置く…という風習があったようです。拾ってる女性達は、それ程貧しかったんでしょうね…領主の搾取もキツイものだったんでしょうか?! 🥺
自分が聞いたのは収穫時の取り残しは誰の物でも無いとされてて、戦争未亡人と等の貧人達のための習慣で敢えて取り残しをしたと聞いた。
くだらないコメを残します。みんな、このミレーの絵を見れー
旧約聖書のルツ記の一場面。地主は労働者たちに命じて、収穫中わざと穂を多めに取り零させ、落ち穂を拾うルツたちがたくさん取れるようにした。本当はこんな美しい物語由来なんだけど、これを歪めて捉える富裕層って、やっぱり後ろめたいって自覚あったんや…(´-ω-`)
聖書物語を描写🌺慈悲心
うーん、情報の3割くらいは合ってるかな。
この絵を書くためにこの体制で五時間耐えたモデル
現代日本だと猿かカラスが拾いにくるのよねぇ
これを教科書に採択した人の意見を聞きたいものだ。昔の西洋画は日本のような『自然』は人間より下と見做し意味をなさない風景を大きく描かない。日本は八百万の神々と共に生きているので『自然』も人も同様に愛するからさまざまな絵にあたりまえに描かれてきた。労働も西洋と違って貧富の差の象徴ではない。神様や天皇ですらお田植えをされる。つまり身分の違いによる差別もあまりない。だから西洋の歴史や宗教などを知らず日本人の感性で見るとこの絵はのどかな風景にしか見えなかったから教科書に採択したのではないかと思うが、本当はどうかな。
がちょう番の少女が一番好き
危険?ああ、共産思想を想起させるからか。お前は特高か??
深い意味は関係なく 西洋よりも勤勉を美徳とした日本人に特にウケたらしいね
どっちにしても、富裕層たちが心の奥では罪の意識を持っていたから、富裕層からは批判され、嫌われたのでは?「え、これいつもの風景を描いただけなんです」と、ほんとに何のてらいもなかったのなら、批判される必要はないかと。富裕層たちが、恵んでやってるんだって気持ちでいるなら、どうかとは思いますが。人との関係に「上下」を持ち込むからそうなるんですよ。天は人の上に人を造らずではなかったのですか?
……昔行ってた散髪屋さんに飾ってありました……
この絵を見るたんびに実家(昭和)で使ってたパン焼き器の絵柄でミレーより「パン焼き器」しか…😅
ミレーの「種を撒く人」も、「民衆が火炎瓶を投げる姿を暗喩している」と批判されたことがあり、また革命(つまりテロ)を目指す人々からも、「そういう文脈の絵」として利用されたこともあったようです。日本では、岩波書店のマークとして有名。
当時の世相を現代の感覚で評価、判断、批判は出来ないよ…芸術性を政治感覚で観てはいけない…
きらびやかな富裕層ではなく労働者を絵の主役にする意図は本人にしかわからないけど、画家の強い思いを感じる
落ち穂拾いは、聖書のルツ記にあります。落ち穂拾いを邪魔する事を禁止しています。富裕層が嫌うとすれば、反聖書的との自覚があったのでしょうか。
確か母親と息子、嫁が一緒に仲良く拾ってルけど、ミレ―も嫁さんも「田舎ヤダ、都会がいいもん」って母親のいる田舎には行かなかったんじゃなかったかな?。ありゃミレーの夢物語だと思う
富裕層は「見れえ。」とは言わなかった絵。
スターリン時代のウクライナでは落ち穂拾いすら出来なかったとか
聖書にある話ですよ。貧しい人の為に地主は、良しとして拾わせてるんですよ。
🌿🌿落ち穂拾いに👀焦点当てている🖼〜当時の社会を反映させる❓
🖼🐴に乗る領主を示す落ち穂拾いは寡婦の生計を支える労働だった~戦後の妾二号さんを持つのは寡婦を支えるためだった。『社会保障』の仕組み
📘✞キリスト教の教えを🖼絵で表す
国と宗教をごちゃ混ぜし過ぎです。
適当なこと言ってるな
なぜいつも 髪の毛がこんなにほつれてるの
昔はヘアゴムがなかったからね〜
@@サリ-r2o 様 ヘアゴムない時代は ほつれないようにアップにすることが ステイタスだったんですね
落ち穂は貧しい人々が拾えるようにわざと落としていたんでしょう?
コメ欄見てるとウプ主の勝手な妄想かと思えるな
昔は絵画は富裕層の物。貧乏人を描いた絵に価値無しの烙印を押したんだろうなぁ。
私の推測では、ミレーはあるがままを絵にしたのではないでしょうか。富裕層や周りの人々が危険な絵だど思いこんだのでしょう。
まぁ、反戦の意図はなくても反戦歌として歌い継がれる事になった曲もあるし多少はね?
貧富の差を知らしめたかった!と、読んだ事が有ります
この絵は日本で人気がでるまで人気だいまいちだったという話があったが、意味がわからなかった、意味がわかったような気がする
正に「ペンは剣よりも強し」だな。文章では無いけど。
見る人の立場次第かな、富裕層には皮肉に貧困層には寛大に…その逆も有るから判らん!
Millet(ミエ)の事をミレーと発音するのを聞くと、フランス語ができない人なんだなあと、思ってしまう。
危険な、という言い方はやめたら。
本当のところはどうか、わからない。ただミレーは政治犯として投獄されたこともあったんだよな…。
未亡人に落穂を振ろう許可を与える風習じゃなかったっけ?
皮肉と捉えるかどうか‥
当時は落穂を貧しい人たちのためにわざと残す風習もありました。寛大な領主の土地では、たくさん落穂があったと言えるそうです。
餓死されるのは困るけど、かと言って対価を支払って買う人も居るわけだから、貧困者救済とは言えタダであげるわけにもいかんからね
@@なにがし-m7c
価値観や考え方が違うんですよ。向こうはキリスト教なので、(今のキリスト教は知らないので、当時の)その文化や価値観を学ばないと理解できないと思います。
ちなみにキリスト教の中で1番大切なイエスキリストの祖先の一人は、やもめだった時代に落穂拾いで生き延びた一人です。
領主は寛大な人で有名で、その畑に行けば落穂がたくさんあるとたくさんの人が集まっていました。なんやかんやあってそこの領主と再婚して、生まれた息子がイエスの祖先です。
落穂拾い、と聞くと1番最初に思い浮かぶくらい有名なエピソードです。ルツ記で調べてみてください。その中で落穂拾いを行うルツが、働き者だと褒められています。
@@なにがし-m7c
価値観が全く違ったんですよ。
キリスト教文化を学んだ方が良いです。
落穂拾い=ルツ記
を思い起こすはずです。
落穂拾いで生計を立てていた時期があり、働き者と有名でした。後のイエスの祖先になった人です。
キリスト教の考えでは落穂は神の分前という考え方です。
習慣ではない。落ち穂は寡婦の取り分。葡萄の収穫残しは寡婦の分、オリーブの実は最初に落ちた日だけ収穫され翌日以降は寡婦の分。地主がこれを採ると泥棒。旧約聖書の戒律を調べてご覧なさい。
落ち穂は拾っても窃盗にならない、拾っても良い、って律法があるんだよね
むしろ持ち主は落ち穂を拾ってはならない、でしたっけ
寡婦のプライドを守る為に目こぼしする〜麦🌺
江戸期の漁労で取った魚🐟売れる形の良いものは市場に出して残りを病気で働けない病人に配った〜エピソード
現代社会〜🎦チャップリンの映画〜モダンタイムス⚙〜機械化による人間性喪失
日本人の村落意識〜村人は家族といっしょで助けあった江戸時代❤
旧約聖書のルツ記に
この落穂拾いの掟についてのエピソードがありますね。
れっきとした助け合い
てか 美術に先生にそこまでちゃんと解説されたし
根こそぎ自分のものにしてしまうという領主ではなく
拾いにくる人が 満足するくらいは残して収穫する
人が依存せずに助け合う って
じゃぁ 一本も残さず収穫して
精製した小麦粉を渡すほうがいいのか?
自立のためには拾うと言う労働があったほうが尊厳保たれるのではないか? とか
ネットが ない時代に
いろんな本読んで 一生懸命答を探した な
同じ事習った。
この役人は落ち穂がある畑から目を離している。農夫達が、寡婦のためにたくさん落とすことを良しとしている領主なんだね、って説明を受けた。
わざと多くとりこぼしを残し、拾うのを黙認していたと思いますが。そして、稲ではなく麦なのでは?
鋭い指摘ですね。その通り稲ではなく麦です。さて 投稿者はこのまま 稲だと押し通すのかな。
麦です。ちなみに旧約聖書の「ルツ記」の一場面。
ルツ記の場面として描いてるようには見えないのだが
この絵を描いた当時の現代を描いてるでしょ
落ち穂の穂の字は稲だけでなくて、穀物一般に使うから麦でも間違いではありません。
いーねー♪
タルムード(ユダヤの論語)に「落ちた穂は拾っては成らないそれは寡婦の物だから」と有るので、落ち穂を拾って居るのは未亡人なのでしょう。
自尊心を守る💛
確か未亡人の為にわざと落ち穂をそのまま残しておく習慣があったと聞きましたよ。
俺もそう聞いたけど、よくわかんないね😅
拾っている女性たちは未亡人とかで貧困層でもある
彼女たちは自分たちの食い扶持のために拾ってるのよ
当時のヨーロッパの村では収穫後に落ちている麦穂なんかは拾って自分たちの物にしていいというルールがあったんだと
だから収穫後の移動中にわざと落としたりもしたんだとさ
そういう解釈をしてしまうってことは労働者を搾取してる思い当たりあるんだね…
え?どこが皮肉?
旧約聖書には寡や貧しい人たちのために落穂を寛大に残しておくように命じられている
貧しい人の為に仕事と食べ物を与える素晴らしい制度だと思う
おかげで貧しい人たちは物乞いをしないで済んだ
貧しい人にただ恵んでやるのは怠惰を助長することもあるしね
この体勢、モデルが腰痛になるから危険なのかなと思ってしまった
昔「アンメルツ よこよこ」かなんかのCMに使われてましたねww
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旧約聖書のルツ記がモチーフになっていると思う。落ち穂シリーズの別の絵では、小さくルツと地主のボアズが描かれていたと思う。けなげな未亡人ルツにボアズが惚れちゃって(わざと大量に落ち穂残しちゃったりして😅)、後に二人は結婚。ダビデやイエスの祖先に当たる人たちなんだよね😮。
説明だとユダヤ人になるよね。しかも、ダビデ王となると紀元前の話だよね。絵が絵描かれている時代が服装と整合性が取れていないのが気になるな。
@@宮島雅雄 うん。でも、このインフォメーションは、ある美術解説の本と、某美術系youtube(五郎さん)でも知ったので間違えないと思う。でも、わたしも服装はちがうなあと思ってました。ミレーの現代風アレンジなのかなあ。他の聖書の人物でも描かれた時代の衣装を身に付けていることもあるし…。
昔日本でも米の収穫後に穗を拾いに来たオバサンを思い出す。
@@masao750 ルツ記はいつ頃にできたの。
大阪堂島の米会所でこぼれた🍚米を集めて金持ちに成った婆さんの話が日本永代蔵にあったような〜❓
出来ましたら山田五郎さんの動画をご覧ください。
ちゃんと当時のフランスの習慣や落穂拾いの歴史等を説明してくださってます。
私も観ました。山田五郎さんの「大人の教養講座」。ヨーロッパ絵画をとおして、当時の時代背景や政治情勢、あるいわ宗教観など、とても分かりやすく楽しい番組ですよね。
ゴロワーズ😊
拾っている人達は、未亡人とかだったはず。
コメント欄の方達博識やなあ😃見識がひろがるっ
旧約聖書的な示唆にとんだ絵だと聞いたけど。。。
大した量が落ちていたわけでもないだろうし、助け合いだとしても、なかなか階級差の厳しさを感じる絵ではあると思う。
勤勉な人々ではなく、貧しい人々が、自分達が食べるために拾っているのではないでしょうか?
ミレーの活躍した時代背景として、民主革命や産業革命による自由経済の発達とそれに伴う格差の拡大がありました。
この絵も、以前の作の「種をまく人」も政治的な論議を引き起こしたそうです。
一見聖書を題材にした絵のように見えますが、当時の格差社会を問う意図があったのではないかと思います。
大航海時代といい、産業革命といい、現在の西洋史観の教科書では、おおむね良い方にとらえられていますが、いずれも、現代につながる根深い世界各所での対立の火種となっています。
そして、稲じゃなくて麦なのは確かです。
聖書に身よりのない人や外国人のために穀物は全部刈り取らず残しておけとかいてあるから、富裕層でもそれを知っている人たちはそうしたのだろうし、怒った奴らはそれすらもしてなかったんではないかと思う。
昔の画家は天国とか天使とか美しい絵や物語の一場面を描くのが当たり前で、金持ちのインテリアだった、その時代に庶民を描いたから富裕層からは見向きもされなかったと授業で聞いた。
落穂は寡婦や孤児たちのために拾わない習慣があったという本を見たある種の救済処置
ミレーの絵を見れば分かると思うんだけど。
全てとは言わない。
でもミレー展の絵で、その頃の純朴な農家(貧困の匂いはあるかもしれない)を描いているだけと分かるじゃないか。
数多い代表作の中の「晩鐘」を見ても“辛辣”とか“皮肉”とか思うの?
「この農夫一家が、揃って笑顔で夕飯を食べる事ができますように」という願いはあったかもしれないが。
その頃の富裕層に後ろ暗い生き方があったなら「皮肉だ!」と捉える事実はあったんだろう。
時代背景とか考慮した上で「富裕層への皮肉を表した描き方だ!」と言うならジャン・フランソワ・ミレーに失礼じゃないだろうか。
落ち穂は拾った労働者に所有権できるから拾ってるんだよ。地面に落ちて踏まれてるから刈られたものより質は落ちるんだろうしそんなも食べるの哀れって話になるかもしれんけど農家やってりゃ傷物とか熟れ過ぎたものは身内でたべるなんて普通だしなぁ。
漁師町でも、片口鰯大漁の時には、トラックから何匹も落ちる。それを雇われてる船員の妻達が一生懸命ざるを片手に拾ってました。それを見た網元が皆にタダでざる一杯分あげてました。
批判する為だったのか。
この絵のモチーフとなった畑作業がそうだったのか。
先に書いてる人もいるけど旧約聖書には落穂は貧しいものたちのために拾ってはならない的なことが書いてある。ルツ記では夫に先立たれ未亡人となったルツが落穂を拾ってるとそこの主人に見そめられて再婚。子供を産むけど、その子はイエスキリストの先祖になることが新約聖書を読むと分かる。聖書圏の人がこの絵を皮肉と捉えるのはありえない。
男主人がいない家庭の人の為に、こぼれ落ちた物は放置するのが昔からのお約束なので特別な意味はない
この絵みて人それぞれ理解の違いあるからなぁ
偏った方向に誘導しては…
寡婦のために残した落穂を拾ってるわけだから勤勉とかなんとかじゃないのでは。元を辿ればルツとボアズの話だよね。
地主が富を独占しないよう、穂は地主のもの、落ち穂は労働者のものって宗教上の教えのはずですが
落ち穂ひろいは聖書にあるテーマで他の画家も描いていたとおもうけど、富裕層から嫌われたというのは事実なの?
他の作品を見ればわかりますが、ミレーにそんな社会批判をしょうなんて意志はありませんよ。
批判した貴族は拾った落ち簿を根こそぎ取り上げて殴りつけてた可能性ありそう💦
まあ、学校の美術の授業でも貧困の象徴の絵と教わりました。
ちなみに落穂はある意味当時のセーフティネット的な意味合いもあり、拾った人が持って帰って良いのです。ちなみに拾ってるのは未亡人です。
このままだと未来の若者の姿がこうなっちまう!
総理大臣の執務室に飾るのが一番だと思う
見る人によって解釈が違うのは、その人の持ってる背景が影響してるってことだね。
思う所ある人程、皮肉に捉えがち。
日頃皮肉られるような行いをしていなければ、何も感じないはず。
投影👓
有名な絵画一つも見方が変わるだけで解釈、感じ方、捉え方が変わってくる。
大変興味深い。
話しは逸れますが、浮世絵絵師の葛飾北斎の富嶽三十六景の一部の浮世絵は、当時の河岸の食材の宣伝やPRのために描かれたという説もあるようです。
施しをしない富裕層を皮肉った…だからガメついた富裕層が危険な絵にした…
未亡人が落ち穂を無料で拾っても良いと聞いたことがあるけど?
子供の頃に貧しい農民が拾い集めてるって習ったわ。
富裕層も大変化もしれないが、貧しい人も辛いな。
多分、聖書の1節の表現だと思う。皮肉とは違うんじゃ?
こんな時代に産まれなくて良かった
フランス生まれのミレーだからこれはフランスの風景だろうね。
普通に考えて「稲」ではなくて「麦」の穂を拾ってるって考えるのが妥当じゃない?
この絵を見た時になんて陰鬱な絵だと思いました。全体的に暗い暗い絵でした。
バルビゾン派の絵はだいたいこんな感じ
古いので多少変色してるかも
明るくキレイな絵は印象派まで待ってちょんまげ🖼
「暗くて落ち穂が見つからないわ」
地主「どうだ明るくなったろう」
富裕層の被害妄想
ミレーの種撒く人も有名だよね
歩きながら種蒔く姿が農民からの反乱を助長するとか思われたとか?
とりあえず、画家がそれだけ影響力があったのかもしれない
富裕層や資産家へ対する隠された皮肉はあらゆる表現の常
ちゃんとした解説は山田五郎さんの動画見た方がいい。
問題にした人たちは思い当たる事をしてたんでしょう😊
今の岸田政権
日本人は貧しくなった
小作人の時代に戻ったようだ🥺
なるほど西洋の価値観とは違うかもですが
コンバインで稲刈りした後でも刈り損じた穂を拾って歩いていた亡くなった祖母の姿は幼いながら色々学ぶ事がありました
稲ちゃうし
麦やし
コメント欄で読んだ情報を統合するに多分、馬に乗った人は落ち穂拾いの女性たちが善からぬ輩に襲われないように警護してくれてる方で、そこは牧歌的で領主も寛容で豊かな土地…ってことを表現したかった作品なんだろうかね?
投影
立場、地位、暮らしのレベルで
見え方が違うという感じかな?
現代でも政治(風刺)寄りの芸能や芸術もありますね。今よりも政治や身分差別が厳しかった時代、ミレーが何の意図もなく、当時は高級であっただろう絵具などを使い、ただの風景を描いたとは考えにくい。ミレーについては詳しくありませんが、例えば親や知り合いが農家で、苦労話を聞いて許せなかったから描いた…みたいな説はあり得るかと思いました。
日本人と岸田やろ?
落ち穂…
もみ殻を焼いてくすぶってる中に、そのまま穂の形のまま、小さなポップコーン、てかポップライスが出来ていて小学生だった私の、外遊びのおやつだったなあ。
ありのままに伝えただけ
聖書の教えを絵にしたのでしょ!
わざと穂を落として、労働者階級や支配階級以外の貧しい底辺の階級にも配慮した聖書の社会秩序を表現している。
動画見てて辛くなる
落穂について聞いた事がありますが…フランスのその辺りでは
穫りこぼした穂は、家畜などの為にそのままにして置く…という風習があったようです。
拾ってる女性達は、それ程貧しかったんでしょうね…領主の搾取もキツイものだったんでしょうか?! 🥺
自分が聞いたのは
収穫時の取り残しは誰の物でも無いとされてて、戦争未亡人と等の貧人達のための習慣で敢えて取り残しをしたと聞いた。
くだらないコメを残します。
みんな、このミレーの絵を見れー
旧約聖書のルツ記の一場面。地主は労働者たちに命じて、収穫中わざと穂を多めに取り零させ、落ち穂を拾うルツたちがたくさん取れるようにした。
本当はこんな美しい物語由来なんだけど、これを歪めて捉える富裕層って、やっぱり後ろめたいって自覚あったんや…(´-ω-`)
聖書物語を描写🌺慈悲心
うーん、情報の3割くらいは合ってるかな。
この絵を書くためにこの体制で五時間耐えたモデル
現代日本だと猿かカラスが拾いにくるのよねぇ
これを教科書に採択した人の意見を聞きたいものだ。
昔の西洋画は日本のような『自然』は人間より下と見做し意味をなさない風景を大きく描かない。
日本は八百万の神々と共に生きているので『自然』も人も同様に愛するからさまざまな絵にあたりまえに描かれてきた。
労働も西洋と違って貧富の差の象徴ではない。神様や天皇ですらお田植えをされる。つまり身分の違いによる差別もあまりない。
だから西洋の歴史や宗教などを知らず日本人の感性で見るとこの絵はのどかな風景にしか見えなかったから教科書に採択したのではないかと思うが、本当はどうかな。
がちょう番の少女が一番好き
危険?
ああ、共産思想を想起させるからか。
お前は特高か??
深い意味は関係なく 西洋よりも勤勉を美徳とした日本人に特にウケたらしいね
どっちにしても、富裕層たちが心の奥では罪の意識を持っていたから、富裕層からは批判され、嫌われたのでは?
「え、これいつもの風景を描いただけなんです」
と、ほんとに何のてらいもなかったのなら、批判される必要はないかと。
富裕層たちが、恵んでやってるんだって気持ちでいるなら、どうかとは思いますが。
人との関係に「上下」を持ち込むからそうなるんですよ。
天は人の上に人を造らず
ではなかったのですか?
……昔行ってた散髪屋さんに飾ってありました……
この絵を見るたんびに実家(昭和)で使ってたパン焼き器の絵柄でミレーより「パン焼き器」しか…😅
ミレーの「種を撒く人」も、
「民衆が火炎瓶を投げる姿を暗喩している」
と批判されたことがあり、また革命(つまりテロ)を目指す人々からも、「そういう文脈の絵」として利用されたこともあったようです。
日本では、岩波書店のマークとして有名。
当時の世相を現代の感覚で評価、判断、批判は出来ないよ…芸術性を政治感覚で観てはいけない…
きらびやかな富裕層ではなく労働者を絵の主役にする
意図は本人にしかわからないけど、
画家の強い思いを感じる
落ち穂拾いは、聖書のルツ記にあります。落ち穂拾いを邪魔する事を禁止しています。
富裕層が嫌うとすれば、反聖書的との自覚があったのでしょうか。
確か母親と息子、嫁が一緒に仲良く拾ってルけど、ミレ―も嫁さんも「田舎ヤダ、都会がいいもん」って母親のいる田舎には行かなかったんじゃなかったかな?。ありゃミレーの夢物語だと思う
富裕層は「見れえ。」とは言わなかった絵。
スターリン時代のウクライナでは落ち穂拾いすら出来なかったとか
聖書にある話ですよ。貧しい人の為に
地主は、良しとして拾わせてるんですよ。
🌿🌿落ち穂拾いに👀焦点当てている🖼〜当時の社会を反映させる❓
🖼🐴に乗る領主を示す落ち穂拾いは寡婦の生計を支える労働だった
~戦後の妾二号さんを持つのは
寡婦を支えるためだった。
『社会保障』の仕組み
📘✞キリスト教の教えを🖼絵で表す
国と宗教をごちゃ混ぜし過ぎです。
適当なこと言ってるな
なぜいつも 髪の毛がこんなにほつれてるの
昔はヘアゴムがなかったからね〜
@@サリ-r2o 様 ヘアゴムない時代は ほつれないようにアップにすることが ステイタスだったんですね
落ち穂は貧しい人々が拾えるようにわざと落としていたんでしょう?
コメ欄見てるとウプ主の勝手な妄想かと思えるな
昔は絵画は富裕層の物。貧乏人を描いた絵に価値無しの烙印を押したんだろうなぁ。
私の推測では、ミレーはあるがままを絵にしたのではないでしょうか。富裕層や周りの人々が危険な絵だど思いこんだのでしょう。
まぁ、反戦の意図はなくても反戦歌として歌い継がれる事になった曲もあるし多少はね?
貧富の差を知らしめたかった!と、読んだ事が有ります
この絵は日本で人気がでるまで人気だいまいちだったという話があったが、意味がわからなかった、意味がわかったような気がする
正に「ペンは剣よりも強し」だな。文章では無いけど。
見る人の立場次第かな、富裕層には皮肉に貧困層には寛大に…その逆も有るから判らん!
Millet(ミエ)の事をミレーと発音するのを聞くと、フランス語ができない人なんだなあと、思ってしまう。
危険な、という言い方はやめたら。
本当のところはどうか、わからない。
ただミレーは政治犯として投獄されたこともあったんだよな…。
未亡人に落穂を振ろう許可を与える風習じゃなかったっけ?