【迷列車で行こう】東北の迷急行~くりこま~
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- Опубликовано: 16 сен 2024
- やっと迷列車っぽいネタ見つけて、さぁ編集!
そして編集おわって、ニコニコをのぞいたらなんと…
9年前にくりこまの動画があがってた…
パクった訳ではないですが、まぁ迷列車は10何年もやってるから
ネタ被るよねってことで、じゃぁ!
東北の急行、準急はヤバいんで
またやるかも…
編集ミスなどあったらコメント欄で指摘してください
お借りした所
Wikipedia様
ツイッターも一応やっています~
/ morimori_185 - Авто/Мото
この複雑なダイヤを手作業で引いたスジ屋がすごいと思っている。
国鉄のスジ屋は凄い(確信)
筑豊地区、北陸線とかは
ベテランじゃないとスジを組めなかったらしいですね~
あとは東北線(宇都宮線)と高崎線の平面交差も厄介だったらしい?
@@user-F164 それすんげ~大昔だな。私はオッサンだけど、ガキの頃には既に立体交差だから😉
くりこま1号は通しで乗った経験があります。
電車に詳しくない同乗者が「速い」という感想を漏らすほどの列車でした。
これだけ飛ばした理由は、下りの1号が仙台発の青函連絡船接続を担っていたことにあります。
そして急行のまま留まっていたのは、特急電車車両の運用がひっ迫していたことが原因です。
「ひばり」「はつかり」「やまびこ」「ひたち」は年を追うごとに増発需要が高まり、電化延伸で奥羽筋・羽越筋にも電車特急を置換増発し、国鉄の赤字が表面化問題化していた中でしたから、新設特急に車両を新造する余裕がなかった事情もあります。
貴重なコメントありがとうございます
誰から見てもくりこまは早かったん
ですね、窓を開けられる急行では
尚更早いと感じるでしょう
国鉄も当時特急で手一杯で
急行まで手が回らなかった
ということですね
ホントに国鉄末期は色々苦労してますね…
「くりこま」に限らず、東北本線の電車優等列車は上野起点に見れば、遠くへ行くほど表定速度が速いのが特徴。当時、首都圏から宇都宮貨物ターミナルへの貨物輸送が逼迫し、その煽りが東北本線の旅客輸送に来てしまい、その区間で徐行運転せざるを得ない状況。「くりこま」は電車でダイヤ上、最適な区間を快走していた。
@@坂田庄司-g6n
東北本線は貨物のイメージがありますね
私は、この急行くりこまは、宮脇俊三さんの「時刻表ひとり旅」での急行が急行を追い抜きする列車として紹介していました❗しかし私が読んだ時は、廃止になった後で、しかも国鉄分割民営化後でした❗しかも現役時代は、幼なかったために乗りに行くことは、できませんでした❗さしずめ、現在なら、特急が特急を追い抜くとして書かれるでしょうね❗
懐かしの速達編で出てきた理解不能な多層建てディーゼル急行、そして仙台~札幌日着を目指した爆速急行ですね。東北の速達列車は、本当にスジ屋の本気が伝わりますね。
札幌日着は大きな目標ですよね
この鉄道ファンでも理解に時間かかるややこしい運転形態を当時の一般人はどれだけ理解していたのだろうか…
少なくも1度では分からないですよね
一般人は、自分が利用する列車についてだけ理解していたのではないでしょうか。その列車がほかでどんな分割併合をしているとか、興味ないと思いますよ。
「さまよえる奥州急行」ですな。ニコ動の迷列車動画の中でも名作の誉高い作品です。
「くりこま 爆速」というと現在ははやぶさが待避線なしで爆速で通過する駅として有名な「くりこま高原駅」を思い浮かべる人の方が多いかもしれませんねw
そうです!それです
ほんとにネタが被って
向こうのうp主さんには申し訳ない…
クオリティは「さまよえる奥州急行」のほうが高いのでぜひ見てください!
くりこま高原って待避線が
ないんですよね…恐ろしい…
急行くりこま1号は1980年9月30日、全車指定席時代の最後の日、仙台〜青森間を乗りました。その時の運転時分は4時間49分で運転開始時よりも少し余裕を持たせていましたが、次の日からは自由席も設定され、停車駅も変わらないのに所要時間が4時間56分と伸びることとなり、最後の日に是非乗っておきたいと考えて乗車しました。
最高速度は110キロ運転でダイヤ上も運転速度に余裕を持たせる感じはなかったと思います。表定速度だけで見るとさちかぜよりも遅い結果となっていますが、運転距離が短くて停車駅も少ない列車が上位にランクインするのは当たり前かと思います。
さちかぜの最高速度はくりこまよりも低かったと推察できますし、運転距離、最高速度を考えると実質的に文句なく1位であると思っています。
実際、胸のすくような走りでしたし、カーブの通過速度などは特急電車と同じに設定していたのではないかと思います。
もし、当時のスタフがあれば見てみたいですね。
凄ぇねー…(゜ロ゜)
こんなアクロバティックな事をやってた急行もさることながら、それを細かく調べあげて迷列車として紹介してしまうup主も…まさに脱帽モノ
いえいえ
僕も最初は全然分かりませんでした…
爆速で全席指定なのは青函連絡船と接続する1号などで、青函連絡船と接続しない列車はそこまで爆速でもなく自由席もありました。
全席指定なのは急行型車両を特急並の速さで走らせる特例との引き換えだったという話です。
また120km/h運転していたのではないか、という説もありますが、これについては真偽が定かではないようです。
くりこま、トップクラスの早さのはつかりとほぼ表定速度が同じという事は、多くの特急より早かったという事で本当にヤバい。
限られた線路容量.車両.人員をやり繰りして完成したダイヤといえる。
迷列車でもあり名列車でもありますね
1982年に快速に格下げされた「くりこま」ですが、快速でありながらもワゴンによる車内販売が行われていたのを見掛けて、驚きました。
グリーン車連結の車販ありって
やばいな、快速くりこま…
東北新幹線大宮暫定開業ダイヤで、「くりこま」は仙台~盛岡は快速に格下げ、盛岡~青森は特急「はつかり」に格上げになりました。
@@坂田庄司-g6n 厳密に言うと、東北新幹線🚅開業は昭和57年6月23日、「くりこま」変動は57-11😉
急行くりこまは、鉄道作家宮脇俊三さんの「時刻表一人旅講談社1981年発行」で急行を追い抜く急行として紹介されていました❗
そうだったんですか!
当時仙台在住小学生でした。毎年春、夏、冬休みに函館までくりこま1号、指定席取れない時は10:00発のくりこま2号を使ってました。とにかく6両編成しかないので混雑がすごく立ち席当たり前だったのを覚えてます。車内販売の方の労働力ははんぱじゃなかったはずです。出張利用の会社員利用だけで満員なのでグリーン車で行った事も何度もあります。それも運次第ですが。
今さらですが当時の青森駅で455系が見られる車両はくりこまだけだったかもしれませんね。
やっぱり結構混雑していたんですね
名古屋在住の私の記憶は80年代前半(東北新幹線開業前)岩手の水沢に住む祖父母宅に帰省するため、飛行機で仙台に行き、仙台駅から455系のくりこまに乗って水沢まで行った思い出があります!
気動車時代は迷急行
電車化後は名急行
ですね。
因みに急行のままだったのは「特急車両は新造即上野発着列車増発に回る為足りない。間合いの入出庫で充当させる余裕もない」のが最大の理由です。
特急あおばは「設計通りの性能が出せれば」急行電車以上の速さで爆走できるキハ181系でしたが、つばさの間合い運用故に設計通り性能が出せないキハ181系をはつかり級の速度で走らせればそこで故障してただでさえ性能の限界ダイヤが敷かれていたつばさに影響する為無理が効かなかったのが要因です。
なるほど…参考になります
上野発の特急はやはり
国鉄としてもとても重要視されていたんですね
@@morimori185 線内需要もありますが
はつかりの場合北海道連絡の使命もありますからね。
実際上野16時発のはつかり3号(昭和47年頃)は1時間前に常磐線経由のみちのくがセクショントレインで先行させてたくらいですからね。
惜しむらくはビュッフェがなかった事。
これでビュッフェでも有ればもろ準特急ですがね。
爆速急行くりこまには1981年の夏休みに乗りに行きました。
当時日本一?速い急行だったような‥。エラく飛ばしてた記憶が残ってます。懐かしい。
やはり速かったんですね…
東北の多層立て急行は意外に便利でした。
併結中に車内移動すると1列車と見なされ
1枚の急行券で利用できました。
それは良いですね!
急行【くりこま】は
特急並みの怪速急行でした。全車指定席のせいか、いつも空席が多かったです。高速度の為か窓ガラスがガタガタうるさく、車内放送のスピーカーが101系と同じ八幡電機産業で放送が聞きやすかったです。中はトランペットスピーカーかな?
併合中の車内移動で
【1列車とみなされる】は知らない人も多かったようで、各、急行列車毎に急行券を買ってた人がいたようです。利用客からしたら、利便性のある多層建て列車でした。
僕は早いくりこましか知らなかったけど、これは時刻表見てても壮観だったな〜
新庄駅で上野行の特急を待っていたら、ホームを行ったり来たりしながら連結・解結をしていた気動車急行がいましたっけ。
爆速くりこまは、北海道旅行の帰りに乗りましたね。ほんと、速かった!
くりこま懐かしいです。青森まで行き、そこから先は青函連絡船で函館へ。そこから先は北斗で札幌へ。
とっても疲れました。
電車急行くりこま。走行姿も明らかにスピードがあり電車特急はつかり等と変わらなかったんだよな。
途中駅も駅員が「すぐに発車します」を毎回くりかえしバリバリな気合を感じた事を思い出しますね。
貴重なご感想ありがとうございます
途中余裕時分が少なくて
目的地に早くつかせる熱意を感じます
@@morimori185
客が少ないとドアの開く時間が10秒ほど。
あっという間に走りさりましたよ。
快速くりこまのグリーン車にのってみたかった。
速達編でも取り上げた話ですね。
圧倒的カオス
東北の急行、準急は沼が深い…
ホントにヤバい…
カオスだわ〜っ‼️急行くりこま‼️
ヤバすぎで草😅
今じゃ有り得ないでしょう‼️😅
分割・併合のくり返し‼️😅
今やったら確実に混乱する人
続出ですねw
当時の国鉄の東北本線の列車別の最高速度は、高性能優等列車は120キロ、その他高性能列車は100キロ、一般列車は100キロ。高性能優等列車に分類されているのは特急電車と特急気動車と定員制急行電車なので全座席指定にして特急電車と同じ最高速度にして他の急行よりも時間を短縮してダイヤ設定したのでしょう。
尚、その他高性能列車とは高性能優等列車以外の電車と気動車、一般列車とは101系以前の旧型電車と機関車牽引列車。最高速度が線区と車両で異なる場合は低い方が最高速度。
そうだったんですね~
急行型は120kn/h出せんやろこら😡⚡
@@psychedelicraspberry517 国鉄の運転規則では説明した通りです。455/457系の設計上の許容速度は130km/hなので120で走っても問題はありません。ちなみに許容速度は103系は100km/h,113系は110km/h,485系は160km/h,EF65型は115km/h,ED75型は100km/h。
1980年の時刻表を見ると全座席指定のくりこま1号は飛び抜けて速い
@@user-rc3gh1ch6k なら原付🛵は60km/h出せるのか。なるへそ😉
仙台(米沢)~新庄~秋田~青森の急行は「千秋」、たざわは田沢湖線経由🚃
新庄での組み替えはパズルみたいだったな😁(笑)
仙台発弘前行きのさんりく…もうカオス以外の言葉が見つからない😓。
快速になってからの仙台ー盛岡間の電車は「名列車」で、いつも満員だったイメージがあります。
やっぱり快速時代は乗車率高いですよね…
最初からわかっていた、ものすごくカオスなことに…
何が何だか分からなくなりますw
気動車急行全盛期の賜物ですが、誤乗車もあったでしょうね。
快速くりこま、東北ワイド周遊券で、乗りました、お盆休み中だった為か、グリーンも満席でした、立席で乗車しました。
確か関西線のかすが・平安・くまの・志摩も多層階建てであったと思う。
ありましたよー
あれもなかなか面白いですよね
@@morimori185 かすがのライバルは、、同じ国鉄の東海道本線急行,準急だけではなく、近鉄名阪nonstop特急の二階建てビスタカーが、最大のライバル関係でした❗この事は、決定版近鉄特急「寺本光照,林基夫共著1985発行JRR」の名阪ライバル史に掲載されていました❗
大船渡ですね。大船度になってましたが。
失礼しました
大船「渡」
さんずいがつく
おっと…失礼しました
陸羽東線(りくうとうせん)と言います。アナウンスでは(りくうひがしせん)と言っていました。
すいません
私は気づいていたのですが
ちょっと編集で疲れて
もうこのままでいいやという気持ち
からです…
すみませんでした…
返信有難うございました。無理をしないでまた東北の迷列車をお願いします。
昔は爆速急行くりこま。今は新幹線はやぶさ
時代の流れを感じますね
Super video!
これは新幹線が出来るわ
こんな変態運用が有るなんて乗ってみたかった。
ロマンを感じますよね
6:26 急行「さちかぜ」は1980年代ではすでに特急「いしかり」に格上げされていますが...
ちょっと表現の仕方が悪かったです
すみません
私は国鉄時代1949~1987の中で
1番早いという意味で制作しました
誤解を招く表現をしてすみませんでした
よくわからないまま全然違う目的地に行ってしまい、途方に暮れた乗客が多数いたんだろうなぁ。
直通先はローカル線でしたからね
戻るも一苦労でしょう
でも国鉄も駅の放送でも呼びかけてたそうです
@@morimori185
いくら駅や車内で放送してても、そういう情報を一切スルーしてしまい、目の前の車両に乗れば目的地に到着すると信じ込む人はいますからね。
「くりこま」がまだいれば、北海道&東日本パスで速く東北地域を移動できた。(^_^)
かなり使えますね~
私もそのパス使いたいんですが
やはり7日間連続っていうのが
キツいんですよね…
@@morimori185 さん返信ありがとうございます。連続7日がくせ者の所なんですよね。関東からなら初日は最寄り駅から成田空港にLCCで新千歳空港へ行き、小樽や札幌等の観光2日目はJR北海道の1日特急乗り放題パスを購入して旭川、網走の道北 帯広、釧路の道東のどちらかの観光して、3日目に帰宅の工程だと元が取れるんですが、道北だとかなり移動に制限がかかるので厳しいんですよね。(>_
すみません、「道北」ではなく、「東北」の間違いです。
まさか小学1年生での1人旅に乗ったくりこま1号が本州最速の急行だったとは全く知らず(笑)
今でも仙台7時発青森11時47分着の時刻だけは印象に残っている
小学1年生で乗ったんですか~凄いですね
@@morimori185 当時親父の単身赴任先が青森、おふくろの実家が弘前だったからもあります
65/10~72/3のところ、その「よねしろ」は連結する必要ある?と思ってしまう。さんりくでええやん
私も同じこと思いましたw
のちの「千秋」は田沢湖線を走らないのに名称が「たざわ」w。仙台と米沢発の「もがみ」で頭爆発。あと頭が追い付かない。子供の頃、電車時代の仙台ー青森間の「くりこま」
が爆速&全車指定なのは知っていました。仙台駅でも「まつしま」なんかとは違う得体のしれないオーラを放ってましたよ。そしてその前史にも迷な歴史があったんですね。
6:18からの白黒写真の「くりこま」、新幹線開業前だからグリーン車はないはず。前から3両目、7両目、10両目に怪しい車両が。一両だけならあこがれのビッフェ車、
でも3両?あと写真に写っているだけで12両、多層建じゃないのに長い。当時はこれが普通?短い急行にもグリーン車が組み込まれていた時代だからな。理解出来ない国鉄は
その写真はWikipediaからとってきたので、くりこまではないかも…
あくまでイメージなんですよね
13両というと上野発の急行達ですかね
写真の455系は、ビュッフェ付きの7両編成が「まつしま」、「いわて」、「あづま」。6両編成が「ばんだい」、「ざおう」だと思います。「くりこま」、あと「仙山」が先の列車たちの編成の一部を共通、間合い運用していたみたいです。
@@坂田庄司-g6n
なるほど…詳しい解説ありがとうございます!
同じ急行型とは言え、455系とキハ58系とでは車内設備、乗り心地、速度等が雲泥の差で、同じ料金を取っていいレベルではなかったですね(笑)。
そこを同じ料金でいく国鉄は
凄いですよね(笑)
北海道だと定期列車でも急行でキハ22はありましたね。(´Д`|||)
@@クモハ165 711系もね😉
まぁ加速度も最高速も遅いキハ82と455系ではねぇ…(キハ82時代のはまかぜと153(165)系の新快速も同じ理由)
気動車だと不利ですよね
いや、あおばに使われていたのは
電車並みの高速性能を(カタログ上は)誇るキハ181系で最高時速は455系より速い120キロを誇ってました。
カタログ上は485系以上の高速性能が出せるキハ181系ですが、
故障が多く、エンジン出力をダウンさせて何とか性能を維持させている状況下本気で走らせて故障させたらそれこそ本務運用のつばさ運行に支障が思いっきり出ますので、敢えて速度を落とし目にして運転していたのがこの原因。
因みに四式戦闘機「疾風」もエンジン出力がカタログ出力から相当落ちた出力しか出せない欠陥エンジン「誉」に固執した為、カタログ出力では500馬力も劣るハー112を搭載する五式戦闘機に最高速度から何から全てで劣り、実戦部隊からは
●こんな見掛け倒しのインチキ大東亜決戦機「疾風」より五式戦、それがたりないならせめて旧型の「隼」をくれ
と貶され、Bー29の銃撃手からは
●フランク、と言うのは俺らでもフランクフルト食いながら撃墜できる戦闘機だからつけられたのか。あれならトニー(三式戦「飛燕」)の方がずっと危険(因みに戦闘機隊の連中からは「日本一食いやすい戦闘機」とバカにされ、本土防空戦以外はぴえーん。・゜・(ノД`)・゜・。と言われるくらいの戦果しか残していない)
と散々バカにされてました。
………………。😱😨
びっくりしますよね~