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185系の製造時、まだ界磁添加励磁制御は誕生してないのと、電機子チョッパ制御は、地下鉄などの頻繁に加速、減速を繰り返す路線向けのために、高速走行する特急には向かない制御なんだよね。
初代名鉄北アルプスも遜色特急でした、コイルバネ、転換クロスシート、いくら、準急からの格上げとは、言え
13:00 種車というか災害で用途がなくなった高千穂鉄道の車両なので純粋なキハ125では無いんですよ。まあ純正キハ125を使用したかんぱちいちろくがでましたけど(形式は2R系に変わったが)
昔はキハ22の急行とか、時々遭遇しました。
平成さんのナレーションはとてもいいですね
ありがとうございます😊
381系くろしおで1979年はじめて列車酔いしました。185系は普通 快速扱いで乗るとラッキーなんですが特急としては豪華さが足りない
東武の300.350型は半蔵門線直通列車の急行化で名称こそ特急になりましたが、料金は急行のままでした。スカイツリートレインは乗ったことがありますが、イベント列車って感じです。料金を多少下げれば良かったかも。それにより40年くらい前になりますが、臨時特急つばさ51号等には12系客車が使われていました。12系に冷水器が付いているのはその名残かと。あのボックスシート=急行型そのままで特急でした。私は山形ね両親の実家まで利用したことがありますが、山形までの停車駅が上野、黒磯、郡山、福島、米沢、山形で流石に特急でした。ただし黒磯、福島で機関車交換をしていたのと、客車のスピードなので、電車急行のざおうと10分くらいしか速くなく、乗り損した感じでした。当時の国鉄も気にしていたのか、100円引きでした。
373系 伊那路・ふじかわは速度的にも なんちゃってですね。線路が良くないから仕方ないが。
富士急行線のフジサン特急とビュー特急の代走は元国鉄205系で200円も取りますちなみに富士急ハイランドで人気のコンサート等した時に走る臨時快速はほぼ停車駅変わらずで高尾駅まで直通.車両はE233系でしかも乗車券のみで利用可能です
私は90年代、名古屋地区の駅に勤務していましたが、381系しなのの乗り心地が悪いと、よく苦情を受けました。
晩年の津山線の急行「つやま」 見たことありますが、「何で?」と思いました。
車両や車内設備が目が行きがちだけど特急、急行は速達性で金をとるもんだと思ってる特急、急行に関してはJR東海みたいに走る線区の速達性基準で特急、急行にしているのが一番わかりやすいそう考えると真のなんちゃっては車両が普通電車のを使ってるって事より遅いのに優等名乗ってる列車じゃないですかね
僕が乗車したナンチャッテ特急は1960年々末から1961年の初めにかけて東京から熊本間を走行した「第二あさかぜ」でした。ブルートレインでなく旧型客車の編成で当時はあるのが当たり前の食堂車も非連結でした。急行なら納得ですが、これで特急料金を取るとは詐欺だと思いました。ブルートレインに置き換わる前の「あさかぜ」用の車両から食堂車、一等座席車を抜いた編成だと思います。
15:06381系には『しなの』、『くろしお』『やくも』に乗ったけど、気分悪くなった事は一度もありませんよ‼️
581/583系をなんちゃってと言うのはかなり違和感があります。確かにボックスシートですし、向きが変えられる他の特急車と比べると特急らしくないと言う方はいらっしゃるでしょう。ただ、急行のシートと同じと言うのは言い過ぎでないかと感じています。実際に乗り比べた上での感想だとはとても思えないからです。583系登場当時の特急車両は普通車はリクライニングシートではありませんでした。座り心地は1967年頃までの車両はベッタンコでしたし、それ以降の車両から腰が当たる部分が膨らむようになりました。583系の座席は寝台転換する必要から腰が当たる部分が膨らむようには出来ていませんでしたが、それでも座面を低くして座りやすくしていました。自分は少なくとも、183系から採用された簡易リクライニングシートよりも座り心地はよかったと感じています。485系のはつかりではJRになってからの指定席用のシート取替え車(簡易リクライニングシートリニューアル車ではない)で、やっと583系のシートを凌駕するようになったと思っています。583系の座席はシートピッチが広く、前の方の膝に当たる心配はなく、座席幅も二人分で106cmもあり、かなり広かったです。窓側の肘掛けは壁に埋め込んであったので多少使いにくく、座席が壁に接しているため肩を座席の外に出すことはできませんでしたが、そもそもシートの幅がものすごく広かったのであまり気にならなかったです。寝台用だったため防音はかなり行き届いていて、485系よりもはるかに静かでしたし、天井もかなり高かったのでものすごい開放感がありました。ただ、荷物棚は構造上通路側に出ていたので、荷物がたくさん載っていると多少圧迫感はありましたが。トイレも1車両に2ヶ所もあり、あまり待った経験はないです。リニューアル前は洗面台も3ヶ所ありました。グリーン車の洗面台は三面鏡でしたし、新幹線以外の車両でA寝台車を除いたらサロ581だけだったのではないかと思います。ただ、のちに改造で登場したサロネ581はトイレ洗面台はサハネ時代のままで、洋式トイレもなくお手拭き用のペーパーが備えられていることを除けばA寝台車としては見劣りをしていたと思います。確かにボックスシートの583系は評価が分かれる車だとは思いますが、内装もクリーム色の化粧板、デッキとトイレ側は木目の化粧板であり、窓のブラインドといい、設計された方の意気込みを感じる存在だと思っています。あと秋田リレー号のことですが、快速はまゆりとは別の車両で運転していました。自分は乗ったことはないですが、デッキ付きのリクライニングシート車で、のちに普通列車用に改造されますが、シートはE217系のグリーン車に転用されました。はまゆりは座席と窓割りが一致していますが、秋田リレー号は窓割りが一致していなかったと思いますが、少なくとも座席そのものは、はまゆりよりもよかったのではないでしょうか。はまゆりのキハ110系0番台とは少なくとも別の車両ですから紹介映像に使うのは不適切かと思います。
JR西日本の新快速は速度が特急並なのに乗車料金以外は無料なのがありがたいです。京阪、阪神、阪急、南海サザンの一部車両も乗車料金以外は無料なのがありがたいですね。逆にJR東西線は快速なのに、全駅停車して普通状態です。特急料金取ってないので、文句言えませんが。
こんにちはなんちゃって急行といえば名古屋ー奈良間で運転されていた急行かすが号があげられますね。その理由は今は快速みえに運用されているキハ75で運転されていたからですね。
アレ、真ん中ドアを〆切りにしてた記憶が…ボックスから転クロでもノンデッキでは…
@@雅夫大場 さんこんばんは。確かにそうだったはずですね。
急行かすが は武豊線、快速みえで運用されていたキハ75ですね。昔はキハ58だったのですが。快速みえも一時はキハ58でした。
@@heitetsu4649 さんこんばんは。そうでしたね。
鉄道じゃないけど「なんちゃって案件」では、学校の遠足だと言うのに通勤路線バスが来たのにはグワっかり。観光バスが出払ってたんだと。
私の子供の頃にもありました。通常は路線バスで使用しているけど、繁忙期には貸切バスとして使用するタイプのモノでした。座席は貸切バス仕様なのですが、2扉で運賃表示器、整理券発行機の着いたバスでした。路線バスで乗ると乗り得ですが、貸切バスで乗ると・・・でした😥
七尾線電化された当初は415系車両は急行運行存在していました。なんちゃって言うか草レベル。
名鉄のキハ8000系北アルプス。これも「特急」としてはちょっと残念でしたね。元々「準急」としてデビューしやがて「急行」に格上げ、転換クロスシートなど「準急」「急行」としてはかなりデラックス車両でした。ところが設備はそのままで「特急」に格上げ。さすがに185系同様、転換クロスシートでは見劣りしました。後に8500系が登場しましたが、時既に遅しの感がありました。あと、名鉄2200系特急のラッシュ用増結車。3100系・3150系・9100系などが使用されますが、殆どがオールロングシートで特急としては残念な編成です。2200系側にも一部ロングシートがあるので微妙なところですけどね。うp主様はこれを「なんちゃって」に仲間入りさせるでしょうか?
オールロングシートの有料特急でしたら確実になんちゃって特急ですね。ロングシートの全車指定なども昔は存在したそうですが座席にテープなど貼って指定席にしていたのか不思議です
@@heitetsu4649 様全車指定のロングシートですか?それは凄いですね。乗る人いるのかな?という感じです。名鉄のパノラマカーがまだ指定席特急として運用されていた頃、指定席券を買ったら横向きのシートでした(>_
@@heitetsu4649 さま。考え方の違いかもしれませんが、大柄な(特に横幅が)自分にとっては、前後左右とも窮屈に感じるクロスシートよりも、ゆったり応接間のソファー感覚で座れる(態度が問題になりますが)ロングシートのほうが、リラックスできて性に合っているのですが。どうでしょうね?
時代が解決してくれた要素が多いですね。なにより国鉄が乗り入れに当たって急行車(たぶんキハ58だと思います)より豪華にしてくれるなという足かせがあったらしいので、今の目から見ると不満がタラタラでしょうね。だからいかに限られた条件の中で快適なサービスを提供できるか努力してくれた関係者に感謝ですよ。
地鉄では間合い運用で立山〜宇奈月温泉間のアルペン特急にも使用されていました。当時は冷房付の車両が地鉄には無く、乗り入れている名鉄車が豪華に見えていたのもあります。
221系の海水浴急行やキハ75の「かすが」も入りますね。現在奈良県在住の身としては、後者で名古屋まで行く「汽車旅」を妄想しますよ。名阪国道のお膝元ながら。逆に乗り得列車の特集もできそうですね。大井川の狭軌エースカーとか富山地鉄のレッドアローとか、譲渡された元特急車両ばかりになりそうですが。
キハ75は快速みえと同じ車両ですね、あれを急行に使うのはどうかと。でもあのワイドビューで笠置や大河原あたりの景色をみるのも悪くないですね。221の海水浴急行😁。今ではおおさか東線のエースですね。名阪国道は西名阪天理から亀山までタダの高速道路ですね。アメリカのフリーウェイを彷彿させます。天理から都祁までの坂を登り切ればあとは平坦ですね
今やおおさか東線や、大和路線の主役となってる221系も、過去に急行として丹波方面や南紀方面へ出て行ったこともありました。急行で転換クロスシート大型窓と言う点で100歩譲ってまぁ仕方ないかなって思いますが。それが特急だったらブーイングの嵐でしょうね。あの207系もルミナリエの時に臨時の新快速で走ってましたから、通勤車両で新快速ってまぁスペック的には223系に近いモノでしたからコレも100歩譲ってまぁまぁって感じでしょう。
急行つやまが有りし頃に快速ことぶきには乗ったことがありますが、つやまはことぶきより停車駅が1駅少ない以外の違いがよく分からず、「多分内装がことぶきより良いんだろうな」と漠然と思っていたのはよく覚えています。
特急(特別急行)の定義がちょっとおかしいですね。特急の定義は鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いがありますが、その路線で最も早く目的地に到着できる列車に与える呼称であり、その列車の設備やサービスに対する呼称では無いのrと思うのですが、確かに特急料金を取って設備が劣るのは残念ですが、誇称した内容はいかがなものかと思います。
上野発前橋行きの急行が新特急になったときはホント、腹立ったわ。
実質の値上げとなれば頭来ますよね。
かつてキハ28/58が3両(中間車に半室グリーンのキロハあり)で『砂丘』があった頃、朝の間合い運用で吉備線(LRTが頓挫した愛称 桃太郎線)のキハ40系×3両+『砂丘』用3両、計6両編成が総社⇄岡山で一往復運用の『なんちゃって、普通』がありました。新幹線お下がりの回転クロスシート💺(ただしヘッドカバーは無し🈚︎)でグリーン室も料金無し🈚で座れ、サボも「総社⇄岡山」も差し込まれておりました。よって、急行『つやま』では例の『なんちゃって』車両が使われたのですね。
吉備線と津山線はホームも共用してたまに津山線の間合い運用で吉備線に使われました。吉備線から岡山通り越して法界院行きもありましたね
京阪でたまに来るロングシート特急を「残念特急」と揶揄します。
「ハズレ特急」とも言われてますね。私は阪急京都線の特急と、阪神・山陽のロングシートの直通特急に対しても言ってます。
京急の昔の快速特急は旧600形クロスシート車と旧1000形ロングシートがあり、旧1000形だとハズレだった。しかし旧1000形の方が加速性能は良かったが、旧600形はノッチを入れっ放しの状態での運転だった。
1970年代の国鉄型特急と近鉄12200系を比べるとシートピッチが7cmも違う、よって国鉄型特急はどれもぼったくり!
秋田リレーはまだいいだろ。むしろそんな車両を快速に運用されたはまゆりが乗り得なんだって。
登場時の185が不評だった話は噂程度には聞いていましたが、車内が転換クロスシートだったからなのですね。確かに此れは「なんちゃって」ですね。
あれは独立したデッキと洗面所の付いた117系でしたからね。実はギヤ比も含めた足回りも117系と全く同じでした。
最高速度も低くて関東でなければ座席交換の時期に特急から追放だっただろうね
途中のJR九州、水戸岡デザイン群のくだりで吹いた。
成田エクスプレスは車両は特急ですが速達性は快速の乗り継ぎとほぼ変わらないです。ですが停車駅が少ないので快適性を買ってます。ちなみに千葉新宿間の移動で追加830円で利用してます。
転換クロスシートの特急でも、進行方向に向かって座れるだけマシだったと思います。昔の新幹線の3列席は固定されていて、半分は進行方向と逆向きだったので、あれは料金返せと言いたくなりました。
確かに固定されていれば逆方向に乗った時は悲惨です。料金返せといいたくなりますね。昔は回転式がなかったのでこのようなことが起こります。雷鳥なんて向き変えるのに宮原で方向変換していました。新幹線はそういうわけには参りません
関西のオッサンが文句言ってたらしい「新快速より下やで!」
@@雅夫大場 新幹線の3列固定の逆向き席だったら、117系新快速の方がずっと良かったですね。
大昔の新幹線は転換クロスシートでリクライニングしませんでした。その後3列側が固定となりました。一応リクライニングするためとの説明でしたが2段階(リクライニング有りと無し)しかならず、転換時代の方がマシと言われていました。
@@jfuuutsuuu2842 新幹線は100系から3列席も回転式のリクライニングシートとなり、やっとまともなサービスになった感じでした。
いさふろう・しんぺいは人吉・吉松間を特急券無しで乗リました。島原鉄道のなんちゃて国鉄特急風ヒゲ付きキハ55が急行出島にしれっと後ろにくっ付いて博多まで乗り入れてたのも懐かしい。
動画で見ていただいたしんぺい号はまだ無料の時の矢岳駅です。あれが特急列車には無理がありますね。島原鉄道のキハ55は諫早駅で切り離され単行運転できるように設計されたそうです。博多から出島、弓張などと連結されて長崎へ向かっていました。
熊本出身都内在住民です。島原鉄道乗り入れ急行は小学生の時博多駅ホームで眺めた記憶があります。断面積が違う車両それも小さな方が島原鉄道の車両だとは分かりました。長崎行き急行の名前は出島だが島原行きの名前は分かりません。国鉄線を走る急行に名前がない稀有な存在かな?
583系だと、はつかりやひばりもそうでしたね。見てる分にはいいんですが、私も青函連絡船が開通した年に青森で停車中のはつかりに乗った時にこのシートで上野~青森は苦行だろと思ったものです。大宮から新幹線が開通した時によく見たリレー号、その後登場した新特急草津で家族で乗った時、鉄道ファンだった兄がこれはほぼ普通車と言ってました。自分としては窓が開く特急は画期的でした。長野から彦根まで381系しなのに乗りましたが、私はあの遠心力というか引っ張られる感覚が癖になりましたw
583系、581系はキヨスクや売店などで模型がたくさん売っており学研の図鑑にも載っており、見ている分には憧れでしたが、実際こう見るとあのコチコチシートを長距離乗らされるのはおっしゃる通り苦行のなにものでもありませんね。私も秋葉原と上尾間で通勤しているとき新特急草津にはお世話になりました。はっきりいって117の新快速がデッキ付きという感じでした。でもホームライナー鴻巣の乗り損ねたとき、新特急が交互に運転されておりリラックス通勤には一役かっておりました。381系、伯備線では倉敷~新見は問題ありませんが、生山あたりが一番気分が限界にくる引力でした。だから新見で一旦おりました。
@@heitetsu4649 不思議と色々文句言ってた側なのに、いざ無くなると、懐かしいってなるんですよね。。私はホームライナー青梅であずさの車両をよく使ってましたが、あれでいいんだよなぁとつくづく思います。今はその場所も引っ越してますが、昔を懐かしむオッサンになり果てましたw
185系の登場時は「特急新快速」と揶揄されたりして、とにかく叩かれましたっけ。国鉄も、さすがに正規の特急料金は取れないと観念したのか、185系使用の特急(踊り子と新特急)は少し安めの特急料金を別途設定しました。そんな不人気だった185系も、いざ消えるとなるとファンが押し寄せるんだから不思議なもの。特急らしからぬ爆音も「もう聞けなくなる国鉄サウンド」とか言われて人気になるんだから、鉄ちゃんって身勝手なもんですよ(自戒を込めてますw)。
185はいなくなると寂しくなりますね。良くも悪くも皆様からは愛されたと思います。たまに大宮駅に留置されていますが定期運用がなくなり寂しさを感じます
そういわれてみると、地元関西の鉄道車両が、いかにサービス面で充実しているか、再確認してしまいますね。そういえば、逆のパターンの「乗り得列車」もあったと思いますが、そちらもどうですか?
秋田リレー号懐かしい。大学受験のために乗っていった記憶大アリの特急扱い。混んでたけど、(どこが特急?)と思ったものでした。
ですよね。確かにあの時は仕方ないとしても体裁的にはキハ82系の列車を投入すべきだと思います。
485系も特急車両だけど初期型はロマンスシートで背面が斜めに成ってるだけでリクライニングしなかった
185系のぼったくり感も今は関東でのL/C車のライナー運用に根付いてるように思う。特に指定料金列車の経験値0の○王。座席指定料金が全区間で普通運賃を上回る。
(⌒▽⌒)指定料金はS宿〜TK山口の運賃を上回るのでしょうか。まあもともと○王は運賃を低めに設定していますから致し方ないですね、初の経験ならバランスは重要だと思います
@@heitetsu4649 さん新宿〜高尾山口 388円(IC運賃)○王ライナー指定料金410円(予約)
ついこないだの臨時列車、姫路~宇野の115系リバイバル急行鷲羽号が遜色列車で、それになりますね。20年前のリバイバル急行では新大阪~宇野で、きっちり165系でした。
急行鷲羽号。幼少時代に乗りましたね。四国の親戚へいくとき大阪駅から鷲羽号に乗りました。備前田井駅から瀬戸内海を見たときの感動は今でも忘れません。165がほぼ廃車されたのでリバイバルは115しかなかったのでしょう。
いっそのこと、現存する元広島快速の二扉転換クロスの115系3000番台を急行湘南色にしてリバイバル鷲羽に使えばまだ、説得力あったかも…☝️😜-w-w
むかしの、急行「かいじ」ですね。近郊形115形+急行形サロで走ってましたね。でも利用する登山客の方々には2扉デッキありより3扉デッキなしのほうが乗り降りしやすいので重宝されたみたいですね。
なるほど、登山客は皆荷物が巨大ですから急行型より近郊型の方が広くて良かったかも昔の中央線は登山客でごった返していたそうで。夜行ともなると通路に新聞敷いて寝てたとかカオス
@@se.v4809 さま。今はもうしないんでしょうけれども、むかしの長距離列車といえは乗車口でなく窓から乗車するは、ボックス席の間に新聞引いて靴を脱いでくつろぐは、酒持ち込んで宴会を始めるわ、しまいに座席を外してその上で寝っ転がるは、もうそれはとてもフリーダムな感じでしたよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま 窓から乗車は戦後混乱期の象徴ですね。直に見た事はありません フリーダムと言えば、網棚をC寝台と揶揄したとかの話も聞きましたw酒持ち込んで宴会は…上野駅の常磐線長距離415系あたりではわりと最近までお馴染みでしたw
@@se.v4809 さま。網棚は中学校の修学旅行で車中泊のときに、悪ふざけで実践している猛者がいましたね。まあ中学生ぐらいの体格では特に問題はありませんでしたけど。自分は当時新書版の鉄道関係の本に載っていた、座席の片方に空き缶を挟んで肘掛けを枕にして寝ていたくらいですね。そういえば大学時代のサークルで貧乏旅行が趣味だった先輩もやってましたね。その人は細身だったんで問題なかったのですが、ガタイのデカい先輩も真似してやろうとしたときは、さすがにみんなで止めました。ハイ(笑)
東武でも6000系、6050系を料金不要の快速として運用していましたが、繁忙期には座席指定の快速急行として、運用していました。6000系や6050系はデッキはなく、車端部はロングシートでつり革がある。なお、このロングシート部にも座席番号があり、スノーパルで乗った際はこのロングシート部も指定されていた。(その後、300系、今は500系の運用ですが。)
そうですね。東武の快速は北千住を出ると東武動物公園あたりまでとまらずに次は板倉東洋大前あたりで特急の通過待ち。新大平下と結構、駅を飛ばしておりました。料金不要なので親戚の鹿沼までいくときは浅草から快速にのって帰りはスペーシアというパターンでした。車内に行先の方向幕があったのが特徴的でした。
6000系(臨時では5700系も)の冷房のない電車を快速急行にして別料金を取って不評だったですね。後、秩父鉄道は冷房の無い300系を急行秩父路で走らせて急行料金を取ってました。
臨時快速として、通勤型の8000系や10000系が登板していたこともありました。夏場は非冷房の5700系の運用を冷房車の8000系や10000系にした為です。臨時で日光や鬼怒川まで走ることを考慮して、8000系や10000系等の座席はフカフカであり、30000系にもそれが引き継がれたので、当初半直で入っていた東急田園都市線の利用客から好まれていた。
秩父鉄道の急行「秩父路」に使用される6000系も、元を正せば西武鉄道新101系の通勤車ですよね···
急行秩父路、2022年3月に急行料金が無料化されました。
583はシートピッチは充分でしたが、ボックスシートが時代に合わなくなってしまいましたかね。北海道にはキハ22の遜色急行がたくさん走ってましたよ。
国鉄末期に増収策として急行の特急格上げを行いました。これは急行形の老朽化が深刻になっていて、置き換えに新しい急行形を新製せずに、特急形を投入したせいでもあります。しかし、特急通過・急行停車駅が特急化で利便性が低下しないように、特急格上げ後も停車するようにしたため「急行と停車駅の変わらない特急」が大量に発生しました。所要時間も急行と変わらずに特急料金の分、値上げになりました。当然クレームはたくさんありましが、国鉄は「良い車両(特急形)を使っているから」と言い逃れしましたが、特急の急行との違いの最大の特徴である「急行よりも速い」がなくなってしまいました。特急という名の急行、これも一つのなんちゃって特急だと思います。
まさに185ですね。185新製時には新急行なるものを作ろうとしたらしいです。それが特急とはどうやって差別化するのでしょうか。
@@heitetsu4649 様いや、もっと前の183です。例えば房総方面。特急はなくて急行(内房とか)の天下でした。使用されていたのは老朽化した153。この置き換えに183を新製して特急化(しおさい、あやめなど)確かに特急車を使った特急だから車両的にはなんちゃってではありません。しかし停車駅が急行の時とほとんど変わらずに所要時間も1分しか変わらない。それでいて特急料金は取られる。車両に対してでなく停車駅・所要時間が急行の特急ということを言いたかった。他に中央本線のアルプス→あずさ常磐線のときわ→ひたちなども停車駅は急行のままで特急になりました。主さんの言うなんちゃってとは意味が違うかも知れませんが、自分的にはなんちゃってです。あと最近では通勤ライナーの特急化。通勤時間で速度も出せず、ライナーだから許せたが、特急としてはどうか?種別は特急、走りはライナーですね?長文失礼しました。
特急のバーゲンセールですね。隣にあったグレードが一つ下の定番商品と変わらなくなってしまったのですね。
北海道の711系の急行『かむい』『さちかぜ』もありました。尤も『かむい』は気動車急行(キハ56)よりも。 ノンストップの『さちかぜ』は気動車特急(80系)よりも速く 車両は『なんちゃって』でも所要時間では逆転していました。
711系は確か、赤色に黄色の帯が入って前面の上に三つのランプがあった電車ですね。一度乗りましたが北海道なので寒さ対策としてデッキがあり急行でも遜色なかったと思います。当時は小樽と旭川しか電化区間がありませんでしたがかむいは今もそうですが電化内の優等列車ですね。いろいろな方のコメントを見るとなんちゃっての走りは北海道のようですね。急行天北もたしかキハ40が運用されていました
711系は確か、赤色に黄色の帯が入って前面の上に三つのランプがあった電車ですね。一度乗りましたが北海道なので寒さ対策としてデッキがあり急行でも遜色なかったと思います。当時は小樽と旭川しか電化区間がありませんでしたがかむいは今もそうですが電化内の優等列車ですね。いろいろな方のコメントを見るとなんちゃっての走りは北海道のようですね。急行天北もたしかキハ40が運用されていました。
@@heitetsu4649 さん185系が『普通列車での使用も考えた特急形』ならば 711系は『急行列車での使用も考えた近郊形』で こちらもある意味『汎用形』車両でしたね。酷寒地向けの出入り台デッキ・空気ばね台車以外にも急行で使用する為の独立した洗面所や ピッチや幅の広いクロスシートに栓抜き付きのテーブルと 国鉄末期にローカル用に改造された交直流急行形のような『急行形電車のデッキ付近のみロングシートにしたような車両』でした。尚 当初は交流電気機関車の赤に前面窓下のみクリームのツートンカラーでした。他にも『汎用形』は 117系の車内のお手本になった九州のキハ66・67で 急行『はんだ』に使われましたが こちらは空気ばね台車に転換クロスシートで デッキと洗面所が無いものの 乗り心地と快適性ではキハ58系よりも勝っていました。『はんだ』に乗った宮脇俊三先生も「私鉄のロマンスカーのような車両。」と評してましたっけ。その九州では やはり交直流近郊形の『ぎんなん』『ゆのか』もありました。
キハ66 67はキハ40のプロットタイプですね。急行用としては遜色ありません。大村線で国鉄色になってました。車内には世界に一台しかないキハ66,67とありました。はんだは山陽新幹線博多延伸で門司港から筑豊、日田彦山線経由で由布院方面に行く列車ですね
1968~1978の10年間じゃないんです?あと東武の300系列は特急に格上げされこそしたものの他の特急よりかは料金が安めに設定されていましたし、スカイツリートレインも一部の座席が完全に外側に向いており、特急としては遜色のないものでした秋田リレー号もキチンとリクライニングシートでしたし(廃止されてからE217のグリーン車に移植された)なんちゃって特急と言うには少々言い過ぎかと…。
年間の件は大変失礼いたしました。概要欄にお詫びを貼っております
夏休みの家族旅行の帰りに、なんちゃって急行に乗りました(小学生の頃)。中央本線か信越線だったので使用車両は115系。セミクロス車両のロングシート部分にも、座席の位置を指定するプレートがありました(指定席にも使っていたのか?)。住んでいた土地柄、急行=165系だったので、デッキもないし・・・。101系に乗りなれていたので、通路の向こう側にこちらを向いている人がいることに、急行なのに違和感ありありでした。
東武鉄道の6000系「だいや」に乗った事がある。サイドシート部分にも席番あったが、はたして「売った」のか?
急行『かいじ』の115系は普段は甲府発の快速に使われていた編成で 新前橋から借りてスカ色に塗り替えた『サロ165』を1両組み込んで一応『急行』としての体裁は整えていました。幕張区の113系も 房総夏ダイヤの臨時急行にシートピッチの広い『サロ113』を組み込んで運用されましたが その『サロ113』は後に関西に転属して横須賀線とスルー運転するまで帰ってきませんでした。常磐線の『ときわ』はオンボロの401系低窓車の『乗り損急行』もありましたが 逆に急行形の間合い使用の普通列車はグリーン車🍀も開放していて 座れれば超乗り得列車でしたよ。
ありがとうございます。当時は70系や72系があったのでさほど皆さんは気にならなかったのですね。でも115も113も昔乗ったときは席番がついていましたので急行運転を考えていたことがわかります。関西の東海道線にはサロ113系はガラガラでした。阪急、京阪の特急に大敗して横須賀線に戻ったと思います。
@@heitetsu4649 さん席番表示もそうですが 正面の種別幕に『急行』の表示が用意されている事自体 急行での使用を想定していた事がわかります。ロングシートの415系500番台もそうでした。幕張の113系の側面方向幕には『特急 さざなみ 館山』のコマもありましたよ。房総で思い出しましたが 非電化の時代には 房総夏ダイヤの際に狭苦しいキハ17系やロングシートのキハ35系の『急行』が 新宿や両国発着で走っていました。
113の方向幕に特急でしょうか。さざなみなので内房線ですね。災害や特急列車故障を想定したのでしょうか。確かに方向幕には211なども急行などあった気がします。
京阪は未だにありますよ。朝、夕のラッシュ時には3扉の普通車両が乗降緩和の為に特急に充当されます。昼間は「快速急行」が運行されない為「快速特急」用の3000系が特急に充当されます。
主題から外れますが私が思うのが阪急京都線の特急です。京都線特急は9300系が転換クロスシート車両ですが、点検整備などで運用から離れると、1000系7000系ロングシート特急が運用につきます。宝塚線利用者の私は京都線特急が憧れですが、以前京都線特急に乗車する機会があり楽しみにしていたが目の前に7000系登場。これじゃない!と思いました。
おなじ宝塚線沿線ですが、8000系のクロスシート車が入ったときは小躍りしましたよ。宝塚側2両だけでしたが。おそらく大阪側は混雑の関係で無理だったんでしょうけども。メリットは混雑時に目の前に人が立たず優越感を持って座れたこと。デメリットは混雑時に目的地で降りるときに苦労したこと。そういえばどの形式か忘れましたが、沈み込むようなゆったりとしたロングシートの車両ありませんでしたか?
西鉄特急は普段は転換クロスの3000系が用いられますが、正月期間中や車両点検等が発生した場合、ロングシートの5000系等が入る場合があります。朝夕の特急はロングシート車両が用いられます。
但し「ときわ」の晩年は415系を優先的に運用して冷房だけはあるようにしてました。後隠れ遜色急行は山陽新幹線開業後の「鷲羽」と「比叡」、「東海」でこれは「鷲羽」「比叡」「東海」全てに新快速が関係してます。「鷲羽」「比叡」を受け持つ宮原電車区の153系は絶賛冷房改造中でしたが、新快速に組み込まれないサハは工事後回し、クハやモハも冷房車は湘南色の急行用と言えども新快速予備車にあてられて新快速優先、残った非冷房車で組成していたからです。「東海」も大垣電車区の153系は冷房車が少なく、配置自体も少ないので非冷房車どころかコイルバネの155、159系が中京快速と共通で使用される悲惨さでした。ちなみに中京快速は一往復だけ全車冷房車の運行が有ったのですが、これは急行「伊那路」の大垣電車区への入出庫を兼ねていて、伊那路用の165系は全車冷房車だったからです。
15:03 1973年、名古屋~長野の中央本線特急しなのに投入されたのが最初でしたが、やはりワルツを踊るような自然式振り子台車傾斜で、電車酔い続出でした1997年から、383系に置き換わりました
up主 計算できない説w1968~1978って10年・・・
583系の昼行特急はボックスシートの見た目が特急らしくなかったが、シートピッチが広く二重窓のベネシアンブラインドが特徴的で青森-上野などの長時間乗車では485系の古いクロスシートよりも疲れませんでした。はじめは評価されなかったのが残念です。その後東北本線の特急大増発で揺れが大きく乗り心地が悪くなり、最後は宇都宮-大宮間でスビードダウンせざるを得なくなりました。1981年登場の185系電車は117系のような転換クロスではなく簡易リクライニングシートで、その出来は悪く残念車両でした。のちにシートが改良され、窓が開けられる国鉄時代の風情がレトロ感を醸し出して、利用が楽しくなりました。JR東海373系には東京行の普通電車で運用されるものがあり、平塚から先では短い編成が嫌がられたようですが、清水から東京までこの電車を選んで利用しました。特急東海は時間が合えば使いたかったがあまり利用する機会は多くありませんでした。三島から新幹線に乗り換えて特急料金を割り引いてもらったりしました。
逆に運賃だけで乗れる良い車両をやってみたら良い。臨時とか運用の都合でそれ一本だけとかは除外して、通常に何本も走っているやつで。そうすると京阪特急8000系かな。特にモーター無しの車両に乗ると静かだし走りも滑らかで揺れも少ない。
「なんちゃって特急」の親戚に「ざんねん特急」とか「格差特急」ってのもありますね。あと、四条河原町まで乗車の為だけに3度も行ったぐらいなので嫌いじゃないんですけど、雅洛ってちょっと微妙な観光特急ですよね。内装は雅でいいんですが座席がちょっと…なのと、乗車人数の制限が無いから、混んだらそのご自慢内装もゆっくり眺めてられないし。
関西人にとって「なんちゃって優等列車』といえば、阪急京都線の特急/急行だろう。かつては大阪側/京都側の主要駅を出たらノンストップで突っ走り、大山崎付近ではJRの京都線はおろか新幹線とまでデッドヒートを繰り広げる文字どおりの優等列車だったが、並行するJRの快速/新快速にスピードで勝てないと見るや一転して開き直り、『スピードではなく乗り換えの利便性』と称して停車駅を増やした結果、特急は『特に急がない』、急行は『急いで行かない』と揶揄されるほどのクソトロ鈍行列車と化してしまった。(ちなみに淀川対岸を並走する京阪の特急も同じ劣化を余儀なくされている)まぁ阪急/京阪ともスピードで劣化したぶん『京とれいん』や『二階建て特急』といったアコモ面でカバーしてくれてはいるが。
京阪神急行電鉄、つまり現在の阪急京都線は「燕」と狂走したっちゅうエピがある程で運転手はソノ後こっぴどくどやされた、なんて逸話もある程のスピード狂だったのに…同線は2800系が特急車だった頃2300系が同種別に運用された歴があるらしいが、コレも遜色に該当する?
いや、私も先日、久しぶりに阪急の特急に乗りましたが急行と乗り間違えたと思いました。かつては十三を出ると大宮までとまりませんでしたが、淡路、茨木市、高槻市、長岡天神、桂、面白いのは過去とまった大宮駅を通過して烏丸まで止まらないところくらいでしょうか。たしかに特に急がない人が乗る列車ですね。特急の下は準急となるのでしょうか。
みんなダークサイドに目覚めたJR西日本が悪いんですよ(笑)
なんちゃって急行では221系の急行「きのさき」が思い出されます。流石に3ドアはまずいと思ったのか真ん中ドア締切でゴミ箱置場になっていました
東武のもどき特急、シモツケに乗った事がありますが、車両は元リョウモウだった為リクライニングの無いシートはしんどかったです。他の特急より割安だったみたいですが、特急料金は一緒で良いので、サービスを充実して欲しかったです。
高い料金でボックスシートや非リクライニングの固定クロスシートだった成田エクスプレスも大概でした。
ですね。確か固定でした。今は長野と日光で活躍しております。
並行している京成もスカイライナー登場前は3ドアボックスシートの3150形や3200形が指定席特急開運として京成上野~京成成田に走らせた
583系の特急「はつかり」に上野駅から盛岡まで乗った事あるけど、ボックスシートとはいえ、かなり広いシートピッチだったので、窮屈な感じはなかったです。逆に、「やまびこ」「はつかり」運用の485系にたま〜に初期車が入っていたりして、回転クロスシートでリクライニングしない座席でちょっと窮屈感がありました。
自分も小6の夏に上野12時33分発はつかり7号583系で三戸まで7時間半乗車しました。まだ子供だったので窮屈感はなかったです。それより、大好きな583系に乗れるという、ワクワク感がハンパなかったです。
583系の昼間の向い合わせクロスシートは ヘタなリクライニングシートや 回転クロスシートよりも 深々と座り心地の良い座席でしたが 広過ぎるシートピッチ故に 混雑時は立ち客が 座っているお客さんの間に入っちゃうというウィークポイントもありました。
581・583系は、のちに近郊型715系に改造されたが、座席はほぼそのまま広いシートピッチのままだったので、逆に「豪華普通列車」として楽しめました。
583系1Mはつかりは、風格も有りむしろプレミアムな特急でしたよ。ボックスシートはゆったりしてたし、自然と乗客同士のコミュニケーションが始まります。日本でボックスシートが受け入れられないのは成田エクスプレスの例にも見られるように、進行方向に向いて座らないと落ち着かないという習慣のせいだと思います。
昭和~平成の時代転換期に『JR北海道』の『急行宗谷,天北』もぼったくり急行が運転されていました。『キハ40』改造の『キハ400.480』のリクライニングシートのアコモ改造の車両に『JR天北線』の廃止を兼ねて,最終日にのりました。その後,『苗穂運転所』に転属した際にはリクライニングシートからオールロングシートに再改造されました。
ありがとうございます。JR北海道は経営資源を札幌近郊に集中させるため閑散地区に改造車を導入するのは致し方ありませんね。
「急行 宗谷」って、一時期14形寝台特急客車を気動車の中間に繋いだ時もありませんでしたか?そうなると逆に「乗り得列車」?
JR東海373系は、同じようなこと考えてました。東海は、東日本と西日本で分割してなくしてしまえと思うのは極論でしょうか?新幹線中心ですので。
JR東海という会社でなく、新幹線専用の「JR新幹線」という会社を作ったうえで、在来線会社を東西の2分割にする方法は取れなかったのかと今更ながら思いますね。とは言え、もしそうしていたら現行のJR東海が持っている在来線の半分以上が廃線になっていた可能性も否めないような。あの名松線なんて、大真面目な話、豪雨災害による廃止をソッコーで食らっていたのでは?(ほぼ全区間が近鉄と「かぶる」上に線形などを考えたらJR西日本が廃止した三江線並みですしね。そうでないとしても営業係数などを考えたらJR東日本の久留里線レベルですから。JR東海は新幹線の儲けで在来線を延命させている可能性があります)
私も別の動画ではJR東海は新幹線に専念さして在来線は東日本、名鉄などに売却したらというシナリオを作りました。新幹線の利益を不採算の在来線につぎ込むならそうすべきだと思います
@@mikatan0121 さま。逆の面から見ると、JR東海もJR東日本もですが、新幹線を持っているからこそ、営業係数の低い路線を国や自治体からの補助金も却下されて、その上で簡単に廃線にして解消させてもらえないという、営業面での足かせを履かされているとも考えられますよ。昔の参勤交代制度であった、必要経費で疲弊させるような。
急行特急でなんちゃっては東武でも多かったけど、大昔に5700型のゲロゲロ電車を快速にしてた。しかも、北越谷までの高架複々線化前だったのでノロノロのゲロゲロでしたね。ましてや下りのラッシュ時でですよ(笑)
5700型は6050の前の形式ですか。複々線ができる前はかなりのノロノロ運転だったでしょうか
@@heitetsu4649 そうですね。板張りの角ばった吊革モーターの古豪でした。
近鉄16000系もなかなか…有料特急のくせにデッキがなかったので、ドアを開けたら一番出入り口に近い人の視線がめっちゃ突き刺さる。373系はまだ仕切りがあるだけマシ。ちなみに近鉄に残っているものはデッキ追加改造がされましたが、大井川鉄道に譲渡されたものはそのままの姿です…
あの吉野特急ですね。私も大井川鐵道に乗ったとき特急のくせにデッキないのが不思議に思っていましたが大井川鐵道が取っ払ったのではなく最初からなかったのですね。🤣
近鉄はあの有名な12200系ですら、トイレのない車両には、デッキの仕切りはありませんでした。更新工事の際に設置されています。デッキが標準になったのは1977年登場の12200系後継の(実際には12200系で登場したが、監督官庁より変更が多すぎるとの指摘により翌日変更)12400系からです。ただ、その後に登場した吉野特急16010系はデッキがありませんでした。16010系にデッキが設置されたのは2001年の更新時でした。なお、16000系については、第7~9編成のみ更新時にデッキが設置されました。吉野特急からデッキなし車両がなくなったのは2013年のことです。
小田急のSSE,NSEも「ノーデッキ」ぢゃなかったっけか?
ノーデッキ車は、ドアー直後の座席に当たって座って足を投げ出してくつろいでたら、ドアーが開くたんびに、乗降客に足を踏まれそうになり、あまりくつろげなかった思い出が…
@@ゴンタオヤジ あー、気持ちわかります。優等専用車両って、やっぱノーデッキぢゃくつろげませんね。まあ目の前に壁があったらあったで足伸ばせねースけど…
京浜東北線の快速(土休日)は浜松町~上野までの通過駅が新橋・有楽町のみと快速と言えるのか?って思えます
過去に見た別のyou tuberさんの動画でJR九州発足当時、食パン列車を「急行:ひのくに」に充当された時期があったそうです。しかもロングシートにも指定席が設定されていたそうです。これも「なんちゃって急行」でわと思います。
ロングシートの指定席ってモケットに仕切りなどの線を設けるのでしょうか。お笑いですね
特急「きりしま81&82号」は別の意味で「なんちゃって特急」ですよねあと過去には博多~熊本の急行に811系が充当されたこともあります
20系客車を使っていたからですね。「きりしま」を名乗る前は「明星81&82号」でした。「走るホテル」と言われた名車も平成の世の中では14系や24系に比べて大きく劣っていましたからね。博多~熊本の臨時急行はJRになる前は快速の時期もありました。私自身その頃(当時中1の正月休み)急遽熊本に帰省したことがあり、帰りに八代からL特急「有明」の自由席に乗ろうとしましたがUターンラッシュで既に超満員、指定席に回されても立ち客で混雑が激しかったため熊本始発の臨時快速の利用を促す車内放送まであり、熊本で快速に乗り換えることを両親に提案しましたが邪魔くさいと言われ博多まで約2時間立ちっぱなしの経験があります。確かJRになってから急行に格上げされたはずで、811系の急行「ひのくに」には1度だけ乗ったことがありますが指定席もありました。811系が運用に入る前は僅かな期間ながら583系を近郊型に改造した715系が運用に入り、私は経験ありませんがロングシートの指定席まであったのは有名な話ですね。
南海本線運行時のきのくには特急扱いなので、特急料金必要のはずですよ
かなり前の話なのですが、電車に引かれて走ることで有名な南紀直通列車(かつての「くろしお」「しらはま」)は、シートカバーに扇風機こそありますが、スハ43系普通客車の車内設備で国鉄線内は夜行列車に併結される普通、南海線内は電車に引かれる特急として走り、運賃の他に特別料金が必要だったように思うのですが。それと1001系時代の南海の特急車は基本無料で、編成中には自由座席と指定座席とあって、指定席のみ特別料金をとっていた記憶があるのですが。
海幸山幸は元は高千穂鉄道のトロッコ用車両TR400系をJR九州が買い取りキハ125系400番台として編入改造したもの
富士急行の6000系(元JR205系)も代走で特急運用に入るときに料金をしっかり徴収するらしいじゃないですか。これは遜色特急にあたらないのでしょうか?
いや、あたりますね。私もつい先日富士急に乗りましたがもはや205か、富士回遊特急のJRの特急(353系)だけでした。富士急の元あさぎり号などは走っておりませんが、あさぎりの代走としての205で金をとるのはないですよね。
そういや、急行宗谷利尻に使われてた車両キハ40の改造車だったな後583のシートピッチは485より広かったみたいよ
宗谷利尻用のキハ400系はN183系並のアコモデーションで、急行列車としては充分でした。シートピッチと窓が合ってなかったですが。
浜松市に住んでいた時に、373系の特急東海に乗車経験あり。急行東海の廃止のニュースは地元のメディアが盛んに流していた。個人的に特急化して延命せずに、急行のまま逝かせれば、栄光の歴史に傷を付けずに済んだと思います。静岡の沿線利用者は新宿方面の運転を望んでいて、JR東海もJR東日本に要望したが、お東さん(JR東日本)がスジが入らないから無理と御断りしたとか。
185系を最後に乗ったのが、小田原→横浜既にリクライニングシート改だったけど、偶々乗った車輌がモハ185で、やっぱり117系だったなぁ。(近畿地方在住なもんで)個人的には今のJR西日本の特急型車輌。最新型になればなるほど安っぽく。これで特急料金だけは抜け目なく取るんだから(A指定料金でe5489使わないと???になる)、なんというか、、、
581/583系の時代が「特急が豪華なリクライニングシート」は勘違いと勉強不足が甚だしいですね当時の雷鳥だと、485系でも普通車は回転式「固定」クロスシートでリクライニングはしません(しても段の固定機能が無い車両も有り)新幹線の0系も普通車の主力は転換シートで当時の座席技術では当然リクライニングはしません更に、581/583系の向かい合わせの固定クロスシートは貧乏感丸出しの急行型車両の固定クロスシートより遥かに出来が良くシートピッチも広大と言えるレベルで、後年のシートの出来の良さが評判の近鉄伊勢志摩ライナーのサロンシートに次ぐレベルですそれに今から見れば急行型車両(電車・気動車・客車すべて)の固定クロスシートなんてL/Cカー以下のレベルです。キハ58なんてコイルばね車が大半でデッキの有無ぐらい。しかも古く煩いエンジンの為デッキによる静粛性の向上も皆無で終盤期にリクライニングシートに換装された車両以外はとても急行料金払う気には成れませんでしたね(現実に、急行丹後で車掌に食って掛かってた乗客をみました)
初期のJRも近郊型車両を臨時急行に使用していましたね。221系の急行マリン城崎・白浜や715系や811系の急行ひのくになどですね。
東海に至っては3ドア転換クロスシートのキハ75系を急行かすが用にしていました。まあ、1次車はシートピッチが940mmありましたし、2次車はシートピッチこそ910mmになりましたが、313系に準じたシートに変更され、どちらもリクライニングシートでなくてもまずまず快適でした。当然デッキはないですが、FRP製の固定窓枠や横引きカーテンなどにより、優等列車の雰囲気はなんとなく出てましたね。それでも、関東の普通列車2階建てグリーン車には敵いませんが。なんというか、313系8000番台の原型のような内装といえます。
こんばんは。最近のなんちゃって特急は何といっても南海高野線の2000系の無料特急ですね。その特急はオールロングシートで特急料金無料の特急ですね。
2000系はズームカー(山岳直通列車)として1990年頃に製造。南海初のVVVFインバータ制御ですね。特急列車(2扉車)ですが、逆に普通列車にも利用されていて前面に2扉車と表示されるようなこともありました。女性専用列車もありほとんど通勤列車ですね
@@heitetsu4649 さんこんばんは。そうですね。その通りですね。
キハ56の特急北斗もなかなか
この前、四国で走ったリバイバル急行(団体専用)キハ40、47。ボックスとロングでの料金違うのは良かったのかも。リバイバル急行はもう使える車両が普通型しかないかな?ギリギリでキハ110系かキハ54系くらいしか残ってないか。
現在だと鉄オタの人たちはなんちゃっての方が喜びそうですね。
その通りみたいですね。お陰様で多くの方にご覧いただいております。ありがとうございます。最初紹介するのに遜色特急急行にしようと思いましたが検索するとたくさんアップされていましたのでもっと面白い題名にしなければと思い直感で思いつきました。最後の特急パートは多少無理がありました
僕は喜びも、もちろんありますが、当時若くて様々な車種に乗りたがりやでした。今ならば常識的に使用されないであろう車種が懐かしくてたまらん。夏、冷房設備なしだろうが進んで乗りたい。
特急。それは8両以上+食堂車のまさに「特別急行列車」でした。高松-松山間は需要があるが所要時間が3時間程度だから食堂車はいらない→特急にふさわしくない、高松-高知間は8両もの需要がない、との理由でサンロクトオ、ヨンサントオともに却下されました。どちらかと言うと車内設備より「何両繋いでいるか」が速度、停車駅の次に大事であったようです。急行は時刻表に太字で書かれ、さらに特急となると左枠に太線を引かれました。急行停車駅に格上げされると町長や町会議長、商工会代表、小中学校の吹奏楽部などが一番列車をお出迎えしたものです。
373系はそもそも普通列車運用も入れるよう設計当初から計画された車両だし、秋田リレー号に至ってはわざわざこの期間の為だけに『300番台』に改造し、リクライニングシートもつけてたはず。秋田リレー号の需要がなくなると、再改造をして元の車番に戻した経緯があるはずの列車を「なんちゃって」と言うにはいささか偏見がすぎるのではないかと。
115系の急行かいじ、見たことありましたよ。但し定期は既になく、臨時のうち一部を115系にした時代でしたが。さすがに指定席は無く、全部自由席でしたが。
そうでしたか。急行車両が不足していましたが70系に乗るなら115系に乗りますよね。
昭和の頃に消費者センターなんてなかった。もともと急行列車は客車が多く、客車は2ドアでデッキ付きのオールボックスクロスシートが通常の車両構造だった。これは普通列車もそうだったから、急行とは、普通列車が駅を通過して走るだけのものだった。そのため、車両自体は普通列車と何ら変わるものではなかった。もちろんコイルバネなどの金属バネだった。だから急行列車は料金が低く設定されていた。安い料金で、長距離を早く移動できたので人気があった。その後電車などがたくさん出てきたので、115系や401系などの急行にも乗ったことがあるが、客車急行列車よりは格段に速かった。ただしコイルバネの乗り心地は悪かった。まあ急行なのでしょうがないなんて思っていた。185系登場当初、185系の普通列車は座れれば豪華だったが、ラッシュ時の185系で座れないときはデッキでつぶされそうになった。天国と地獄が同居している普通列車であった。165系の上尾事件にも懲りずにまた同じぽい(優等列車兼普通列車用=何でも用=運用に便利)のを造ったな!という感じだった。キハ110は、普通用から特急用までのすべての車両が造られた珍しい車種だ。一番初めに出たのが0番台の急行用(10両くらい)で、特急用の300番台はその5年後以上くらいのずっと後で出た(30両くらい。のちに一般形化改造された。)。実はキハ110は、JR各社の400馬力クラスの1エンジン20m級一般形気動車の中では最高性能の車両だ。穿孔技術(せんこうぎじゅつ)なども用いてスーパーカーのように無駄な部分を削ぎ落し、重量当たり馬力を著しく上げた。このクラスの気動車の中では唯一30tを切っている。一般形がメインのキハ110だから、遜色特急に見えたとしてもしょうがないかもしれないが、実は特急として使っても、思いのほか遜色ではなかった。「錯覚遜色特急」だったのでした。
〔いさぶろう・しんぺい〕は元々普通列車だったので特急になった時はたまげましたが、他のD&S特急は「キハ40でも豪華に改装すれば問題ない」ことを確立しましたよね。一般客は種車のことなんか気にしないんです。
嗚呼~我らは 電車特急呉高校~🎵 (by熊本県民)
寒地仕様のキハ40、キハ48が両端デッキ付片扉で空気バネ台車だったのが大きいですね。暖地仕様のキハ40、キハ47はコイルバネ台車且つキハ47は両扉だったので、乗り心地とアコモデーション的に不利でした。某JRでリバイバル急行の運用にキハ47を使用していたのには疑問を持ちました。どうしてキハ48を使用しなかったのでしょうか。
9:41この声、たく●っくで聞き覚えがある😆
エーアイ社のかんたんAIトークののぞみさんの声です。Tさんの前から使っておりましたがあの方のチャンネルとお間違えされる方続出されたのでVoice peakというソフトに変えました。せっかく高いお金出して買ったのでところどころの場面で使っている次第です
急行「はんだ」と「日田」はキハ66・67での運転で、この車両にはデッキがなく扉付近はロングシートでしたがほとんどが転換クロスシートで他の急行用気動車より上との評価もありました。ただし、登場当初は走行音がとてもうるさくて会話がしづらかったそうですし、ごく一部の区画とは言えロングシートに座ると遜色感は出たかも知れません。
当時の転換クロスシーとは結構斬新的なものですね。音がうるさいのはあの時代の車両に共通しておりますね。
七尾線の415系、元を辿れば千葉地区の113系初期車両です。
種車の福知山線の113系は千マリだったのですか。
@@heitetsu4649 さん、113系1000番台の初期車です。
国鉄が183系電車を導入した時、それまで各座席に背面テーブルがあったのが、壁からの小さなテーブルだけになった時の方がサービス低下を感じた。あれでは通路側の人が利用するのはほとんど不可能だったし、引き換えに導入された簡易リクライニングシートはロックが無いため「バッタン座席」といわれるくらい使い勝手が悪かった。
特急車の性格によると思いますよ。基本短距離乗車?サービスの取捨選択の結果なのかな?サービスの低下というより大衆化ではないでしょうか。古い特急車の座席の肘掛けについていた、「一回引き出してから270度回転させて固定させる」テーブルよりはマシだと思いますよ。あれでは逆に窓側に入ることができませんから。それから考えると現在のつまみを回して使う、足元から座席とは別の腕で支えられる今のテーブルは、よく考えられていると思いますね。ただし、移動の問題は解決されていませんけども。個人の感想ですが、下手にリクライニングする座席より、家族旅行で乗った信越線や上越線の、昔の1等車(2等車?)格下げ車の座席のほうが、背ずりは立っていてボックス座席であっても、クッションも厚く深く座れて気持ちよかったですね。
確かにR51簡易リクライニングに背面テーブルは欲しかったし。それまでのT17回転クロス座席が時代に合わなくなって来たのも事実むしろT17回転クロス座席をリニューアルでR51簡易リクライニングにアコモ改良したいくらいだし。
711系を使った急行かむい、急行さちかぜがあると思っていた。
711系は近郊型ではあるが、設計当初から急行として使用することも当初から想定済で、デッキ付で洗面台付の構造です。
急行いなわしろのキハ52は小牛田にいた「急行専用車」で、一般気動車が首都圏色に塗り替えられていく中で急行いなわしろ廃止まで首都圏色になりませんした。そのうちの一両が生涯車体を塗り替えられたことがなかった128ですね...
小牛田時代も「折角料金を払って乗ってもらうので せめて綺麗な車内にしておこう。」と車内清掃は ローカル用キハ52よりも徹底していたそうですね。
東武東上線の特急は通勤型の車両を使用していましたね。てっきりデラックスカーと思ってた。
でも 料金は取りませんでしたからね。尚 昔は元日光特急用5310系を使った有料特急『フライング東上号』を走らせていました。小田急も ロマンスカーの車両が故障して急遽代走した8000系の特急も 料金は取りませんでした。対して秩鉄の『急行 秩父路』は ロングシート車で代走の際も 料金はしっかり取っていました。
今の川越特急は50090形をクロスシートにして走らせてます!料金不要なのでみんな乗りに来てね…。
関西では有料急行が乗車券だけで乗れる新快速に道を譲るために乗客扱いをしない駅で運転停車するという珍現象がありましたね。
新快速が優等列車並みの扱いですね。西明石以西の向かう急行(みささ号)などでしょうか。
@@heitetsu4649 さま、その通りです。大久保駅で運転停車して新快速の通過待ちをしていました。加古川駅で急行だから早いと思って乗ってきた乗客もいました。あれは詐欺ですかね。
料金払っているので確実に詐欺ですね
当時から国鉄東京本局から睨まれてたらしい。でも新快速優遇はこの当時に始まってた訳ではなく、戦前からモハ52流電を新快速のルーツ急電に投入したり、80系に置き換えられてもその80系にわざわざ流電モハ52と同じ塗装纏わせて急電に使用したりと、大鉄局は戦前から本局お構い無しにヤりたい放題だった-w-w
17:46 東戸塚駅周辺ですね。ここで上り湘南ライナーラストラン当日撮影しにいきました。ちょうど東海道線に湘南ライナーが、東海道貨物線にも湘南ライナーが。あわててどちらも走行動画撮れましたが、ブレブレで最悪な動画になってしまいました。清水谷戸トンネル付近では上り最終湘南ライナーと下り東京9時発の踊り子の走行動画撮りました。185系も583系も乗り心地好きでしたよ。
目的地に普通より早く着けばいいのでは?
都民的にはクロスシートあれば特別感あるので…
583系もなんちゃって特急に入ってはいるものの、桟敷モード(下段だけ寝台を展開)にすれば、ハズレどころか意外と快適。高校の修学旅行の時に583系に当たったから、コレをやってみたら好評だったw
不正使用で違反になったハズですね。間合い? の座席運用の時には、座敷モードは全面的に禁止の決まりだったかと。ちなみに、座席運用の有明やはつかりに乗ったけど、リクライニングも倒さない、特急形の座席が苦手なオイラ的には、コチラの方が座り心地は良かったです。
秋田リレーは、はまゆりとは別の番台ですね当時搭載されていたリクライニングシートはE217系に転用されました
185系の製造時、まだ界磁添加励磁制御は誕生してないのと、電機子チョッパ制御は、地下鉄などの頻繁に加速、減速を繰り返す路線向けのために、高速走行する特急には向かない制御なんだよね。
初代名鉄北アルプスも遜色特急でした、コイルバネ、転換クロスシート、いくら、準急からの格上げとは、言え
13:00 種車というか災害で用途がなくなった高千穂鉄道の車両なので純粋なキハ125では無いんですよ。まあ純正キハ125を使用したかんぱちいちろくがでましたけど(形式は2R系に変わったが)
昔はキハ22の急行とか、時々遭遇しました。
平成さんのナレーションはとてもいいですね
ありがとうございます😊
381系くろしおで1979年はじめて列車酔いしました。
185系は普通 快速扱いで乗るとラッキーなんですが特急としては
豪華さが足りない
東武の300.350型は半蔵門線直通列車の急行化で名称こそ特急になりましたが、料金は急行のままでした。スカイツリートレインは乗ったことがありますが、イベント列車って感じです。料金を多少下げれば良かったかも。それにより40年くらい前になりますが、臨時特急つばさ51号等には12系客車が使われていました。12系に冷水器が付いているのはその名残かと。あのボックスシート=急行型そのままで特急でした。私は山形ね両親の実家まで利用したことがありますが、山形までの停車駅が上野、黒磯、郡山、福島、米沢、山形で流石に特急でした。ただし黒磯、福島で機関車交換をしていたのと、客車のスピードなので、電車急行のざおうと10分くらいしか速くなく、乗り損した感じでした。当時の国鉄も気にしていたのか、100円引きでした。
373系 伊那路・ふじかわは速度的にも なんちゃってですね。線路が良くないから仕方ないが。
富士急行線のフジサン特急とビュー特急の代走は元国鉄205系で200円も取ります
ちなみに富士急ハイランドで人気のコンサート等した時に走る臨時快速はほぼ停車駅変わらずで高尾駅まで直通.車両はE233系でしかも乗車券のみで利用可能です
私は90年代、名古屋地区の駅に勤務していましたが、381系しなのの乗り心地が悪いと、よく苦情を受けました。
晩年の津山線の急行「つやま」 見たことありますが、「何で?」と思いました。
車両や車内設備が目が行きがちだけど特急、急行は速達性で金をとるもんだと思ってる
特急、急行に関してはJR東海みたいに走る線区の速達性基準で特急、急行にしているのが一番わかりやすい
そう考えると真のなんちゃっては車両が普通電車のを使ってるって事より遅いのに優等名乗ってる列車じゃないですかね
僕が乗車したナンチャッテ特急は1960年々末から1961年の初めにかけて東京から熊本間を走行した「第二あさかぜ」でした。ブルートレインでなく旧型客車の編成で当時はあるのが当たり前の食堂車も非連結でした。急行なら納得ですが、これで特急料金を取るとは詐欺だと思いました。ブルートレインに置き換わる前の「あさかぜ」用の車両から食堂車、一等座席車を抜いた編成だと思います。
15:06
381系には『しなの』、『くろしお』『やくも』に乗ったけど、気分悪くなった事は一度もありませんよ‼️
581/583系をなんちゃってと言うのはかなり違和感があります。確かにボックスシートですし、向きが変えられる他の特急車と比べると特急らしくないと言う方はいらっしゃるでしょう。ただ、急行のシートと同じと言うのは言い過ぎでないかと感じています。実際に乗り比べた上での感想だとはとても思えないからです。
583系登場当時の特急車両は普通車はリクライニングシートではありませんでした。座り心地は1967年頃までの車両はベッタンコでしたし、それ以降の車両から腰が当たる部分が膨らむようになりました。583系の座席は寝台転換する必要から腰が当たる部分が膨らむようには出来ていませんでしたが、それでも座面を低くして座りやすくしていました。自分は少なくとも、183系から採用された簡易リクライニングシートよりも座り心地はよかったと感じています。
485系のはつかりではJRになってからの指定席用のシート取替え車(簡易リクライニングシートリニューアル車ではない)で、やっと583系のシートを凌駕するようになったと思っています。
583系の座席はシートピッチが広く、前の方の膝に当たる心配はなく、座席幅も二人分で106cmもあり、かなり広かったです。窓側の肘掛けは壁に埋め込んであったので多少使いにくく、座席が壁に接しているため肩を座席の外に出すことはできませんでしたが、そもそもシートの幅がものすごく広かったのであまり気にならなかったです。
寝台用だったため防音はかなり行き届いていて、485系よりもはるかに静かでしたし、天井もかなり高かったのでものすごい開放感がありました。ただ、荷物棚は構造上通路側に出ていたので、荷物がたくさん載っていると多少圧迫感はありましたが。
トイレも1車両に2ヶ所もあり、あまり待った経験はないです。リニューアル前は洗面台も3ヶ所ありました。
グリーン車の洗面台は三面鏡でしたし、新幹線以外の車両でA寝台車を除いたらサロ581だけだったのではないかと思います。
ただ、のちに改造で登場したサロネ581はトイレ洗面台はサハネ時代のままで、洋式トイレもなくお手拭き用のペーパーが備えられていることを除けばA寝台車としては見劣りをしていたと思います。
確かにボックスシートの583系は評価が分かれる車だとは思いますが、内装もクリーム色の化粧板、デッキとトイレ側は木目の化粧板であり、窓のブラインドといい、設計された方の意気込みを感じる存在だと思っています。
あと秋田リレー号のことですが、快速はまゆりとは別の車両で運転していました。自分は乗ったことはないですが、デッキ付きのリクライニングシート車で、のちに普通列車用に改造されますが、シートはE217系のグリーン車に転用されました。はまゆりは座席と窓割りが一致していますが、秋田リレー号は窓割りが一致していなかったと思いますが、少なくとも座席そのものは、はまゆりよりもよかったのではないでしょうか。はまゆりのキハ110系0番台とは少なくとも別の車両ですから紹介映像に使うのは不適切かと思います。
JR西日本の新快速は速度が特急並なのに乗車料金以外は無料なのがありがたいです。
京阪、阪神、阪急、南海サザンの一部車両も乗車料金以外は無料なのがありがたいですね。
逆にJR東西線は快速なのに、全駅停車して普通状態です。特急料金取ってないので、文句言えませんが。
こんにちはなんちゃって急行といえば名古屋ー奈良間で運転されていた急行かすが号があげられますね。その理由は今は快速みえに運用されているキハ75で運転されていたからですね。
アレ、真ん中ドアを〆切りにしてた記憶が…
ボックスから転クロでもノンデッキでは…
@@雅夫大場 さんこんばんは。確かにそうだったはずですね。
急行かすが は武豊線、快速みえで運用されていたキハ75ですね。昔はキハ58だったのですが。快速みえも一時はキハ58でした。
@@heitetsu4649 さんこんばんは。そうでしたね。
鉄道じゃないけど「なんちゃって案件」では、学校の遠足だと言うのに通勤路線バスが来たのにはグワっかり。観光バスが出払ってたんだと。
私の子供の頃にもありました。
通常は路線バスで使用しているけど、
繁忙期には貸切バスとして使用するタイプのモノでした。
座席は貸切バス仕様なのですが、2扉で運賃表示器、整理券発行機の着いたバスでした。
路線バスで乗ると乗り得ですが、貸切バスで乗ると・・・でした😥
七尾線電化された当初は415系車両は急行運行存在していました。なんちゃって言うか草レベル。
名鉄のキハ8000系北アルプス。これも「特急」としてはちょっと残念でしたね。元々「準急」としてデビューしやがて「急行」に格上げ、転換クロスシートなど「準急」「急行」としてはかなりデラックス車両でした。ところが設備はそのままで「特急」に格上げ。さすがに185系同様、転換クロスシートでは見劣りしました。後に8500系が登場しましたが、時既に遅しの感がありました。
あと、名鉄2200系特急のラッシュ用増結車。3100系・3150系・9100系などが使用されますが、殆どがオールロングシートで特急としては残念な編成です。2200系側にも一部ロングシートがあるので微妙なところですけどね。うp主様はこれを「なんちゃって」に仲間入りさせるでしょうか?
オールロングシートの有料特急でしたら確実になんちゃって特急ですね。ロングシートの全車指定なども昔は存在したそうですが座席にテープなど貼って指定席にしていたのか不思議です
@@heitetsu4649 様
全車指定のロングシートですか?それは凄いですね。乗る人いるのかな?という感じです。
名鉄のパノラマカーがまだ指定席特急として運用されていた頃、指定席券を買ったら横向きのシートでした(>_
@@heitetsu4649 さま。考え方の違いかもしれませんが、大柄な(特に横幅が)自分にとっては、前後左右とも窮屈に感じるクロスシートよりも、ゆったり応接間のソファー感覚で座れる(態度が問題になりますが)ロングシートのほうが、リラックスできて性に合っているのですが。どうでしょうね?
時代が解決してくれた要素が多いですね。なにより国鉄が乗り入れに当たって急行車(たぶんキハ58だと思います)より豪華にしてくれるなという足かせがあったらしいので、今の目から見ると不満がタラタラでしょうね。だからいかに限られた条件の中で快適なサービスを提供できるか努力してくれた関係者に感謝ですよ。
地鉄では間合い運用で立山〜宇奈月温泉間のアルペン特急にも使用されていました。
当時は冷房付の車両が地鉄には無く、乗り入れている名鉄車が豪華に見えていたのもあります。
221系の海水浴急行やキハ75の「かすが」も入りますね。現在奈良県在住の身としては、後者で名古屋まで行く「汽車旅」を妄想しますよ。名阪国道のお膝元ながら。
逆に乗り得列車の特集もできそうですね。大井川の狭軌エースカーとか富山地鉄のレッドアローとか、譲渡された元特急車両ばかりになりそうですが。
キハ75は快速みえと同じ車両ですね、あれを急行に使うのはどうかと。でもあのワイドビューで笠置や大河原あたりの景色をみるのも悪くないですね。221の海水浴急行😁。今ではおおさか東線のエースですね。名阪国道は西名阪天理から亀山までタダの高速道路ですね。アメリカのフリーウェイを彷彿させます。天理から都祁までの坂を登り切ればあとは平坦ですね
今やおおさか東線や、大和路線の主役となってる221系も、過去に急行として丹波方面や南紀方面へ出て行ったこともありました。急行で転換クロスシート大型窓と言う点で100歩譲ってまぁ仕方ないかなって思いますが。それが特急だったらブーイングの嵐でしょうね。あの207系もルミナリエの時に臨時の新快速で走ってましたから、通勤車両で新快速ってまぁスペック的には223系に近いモノでしたからコレも100歩譲ってまぁまぁって感じでしょう。
急行つやまが有りし頃に快速ことぶきには乗ったことがありますが、つやまはことぶきより停車駅が1駅少ない以外の違いがよく分からず、「多分内装がことぶきより良いんだろうな」と漠然と思っていたのはよく覚えています。
特急(特別急行)の定義がちょっとおかしいですね。特急の定義は鉄道会社や鉄道路線ごとに多少の違いがありますが、その路線で最も早く目的地に到着できる列車に与える呼称であり、その列車の設備やサービスに対する呼称では無いのrと思うのですが、確かに特急料金を取って設備が劣るのは残念ですが、誇称した内容はいかがなものかと思います。
上野発前橋行きの急行が新特急になったときはホント、腹立ったわ。
実質の値上げとなれば頭来ますよね。
かつてキハ28/58が3両(中間車に半室グリーンのキロハあり)で『砂丘』があった頃、朝の間合い運用で吉備線(LRTが頓挫した愛称 桃太郎線)のキハ40系×3両+『砂丘』用3両、計6両編成が総社⇄岡山で一往復運用の『なんちゃって、普通』がありました。新幹線お下がりの回転クロスシート💺(ただしヘッドカバーは無し🈚︎)でグリーン室も料金無し🈚で座れ、サボも「総社⇄岡山」も差し込まれておりました。よって、急行『つやま』では例の『なんちゃって』車両が使われたのですね。
吉備線と津山線はホームも共用してたまに津山線の間合い運用で吉備線に使われました。吉備線から岡山通り越して法界院行きもありましたね
京阪でたまに来るロングシート特急を「残念特急」と揶揄します。
「ハズレ特急」とも言われてますね。私は阪急京都線の特急と、阪神・山陽のロングシートの直通特急に対しても言ってます。
京急の昔の快速特急は旧600形クロスシート車と旧1000形ロングシートがあり、旧1000形だとハズレだった。
しかし旧1000形の方が加速性能は良かったが、旧600形はノッチを入れっ放しの状態での運転だった。
1970年代の国鉄型特急と近鉄12200系を比べるとシートピッチが7cmも違う、よって国鉄型特急はどれもぼったくり!
秋田リレーはまだいいだろ。むしろそんな車両を快速に運用されたはまゆりが乗り得なんだって。
登場時の185が不評だった話は噂程度には聞いていましたが、車内が転換クロスシートだったからなのですね。
確かに此れは「なんちゃって」ですね。
あれは独立したデッキと洗面所の付いた117系でしたからね。
実はギヤ比も含めた足回りも117系と全く同じでした。
最高速度も低くて関東でなければ座席交換の時期に特急から追放だっただろうね
途中のJR九州、水戸岡デザイン群のくだりで吹いた。
成田エクスプレスは車両は特急ですが速達性は快速の乗り継ぎとほぼ変わらないです。ですが停車駅が少ないので快適性を買ってます。ちなみに千葉新宿間の移動で追加830円で利用してます。
転換クロスシートの特急でも、進行方向に向かって座れるだけマシだったと思います。
昔の新幹線の3列席は固定されていて、半分は進行方向と逆向きだったので、
あれは料金返せと言いたくなりました。
確かに固定されていれば逆方向に乗った時は悲惨です。料金返せといいたくなりますね。昔は回転式がなかったのでこのようなことが起こります。雷鳥なんて向き変えるのに宮原で方向変換していました。新幹線はそういうわけには参りません
関西のオッサンが文句言ってたらしい
「新快速より下やで!」
@@雅夫大場
新幹線の3列固定の逆向き席だったら、
117系新快速の方がずっと良かったですね。
大昔の新幹線は転換クロスシートでリクライニングしませんでした。
その後3列側が固定となりました。一応リクライニングするためとの説明でしたが2段階(リクライニング有りと無し)しかならず、転換時代の方がマシと言われていました。
@@jfuuutsuuu2842
新幹線は100系から3列席も回転式のリクライニングシートとなり、
やっとまともなサービスになった感じでした。
いさふろう・しんぺいは人吉・吉松間を特急券無しで乗リました。
島原鉄道のなんちゃて国鉄特急風ヒゲ付きキハ55が急行出島にしれっと後ろにくっ付いて博多まで乗り入れてたのも懐かしい。
動画で見ていただいたしんぺい号はまだ無料の時の矢岳駅です。あれが特急列車には無理がありますね。島原鉄道のキハ55は諫早駅で切り離され単行運転できるように設計されたそうです。博多から出島、弓張などと連結されて長崎へ向かっていました。
熊本出身都内在住民です。島原鉄道乗り入れ急行は小学生の時博多駅ホームで眺めた記憶があります。
断面積が違う車両それも小さな方が島原鉄道の車両だとは分かりました。
長崎行き急行の名前は出島だが島原行きの名前は分かりません。
国鉄線を走る急行に名前がない稀有な存在かな?
583系だと、はつかりやひばりもそうでしたね。見てる分にはいいんですが、私も青函連絡船が開通した年に青森で停車中のはつかりに乗った時にこのシートで上野~青森は苦行だろと思ったものです。
大宮から新幹線が開通した時によく見たリレー号、その後登場した新特急草津で家族で乗った時、鉄道ファンだった兄がこれはほぼ普通車と言ってました。自分としては窓が開く特急は画期的でした。
長野から彦根まで381系しなのに乗りましたが、私はあの遠心力というか引っ張られる感覚が癖になりましたw
583系、581系はキヨスクや売店などで模型がたくさん売っており学研の図鑑にも載っており、見ている分には憧れでしたが、実際こう見るとあのコチコチシートを長距離乗らされるのはおっしゃる通り苦行のなにものでもありませんね。私も秋葉原と上尾間で通勤しているとき新特急草津にはお世話になりました。はっきりいって117の新快速がデッキ付きという感じでした。でもホームライナー鴻巣の乗り損ねたとき、新特急が交互に運転されておりリラックス通勤には一役かっておりました。381系、伯備線では倉敷~新見は問題ありませんが、生山あたりが一番気分が限界にくる引力でした。だから新見で一旦おりました。
@@heitetsu4649 不思議と色々文句言ってた側なのに、いざ無くなると、懐かしいってなるんですよね。。私はホームライナー青梅であずさの車両をよく使ってましたが、あれでいいんだよなぁとつくづく思います。今はその場所も引っ越してますが、昔を懐かしむオッサンになり果てましたw
185系の登場時は「特急新快速」と揶揄されたりして、とにかく叩かれましたっけ。
国鉄も、さすがに正規の特急料金は取れないと観念したのか、185系使用の特急(踊り子と新特急)は少し安めの特急料金を別途設定しました。
そんな不人気だった185系も、いざ消えるとなるとファンが押し寄せるんだから不思議なもの。特急らしからぬ爆音も「もう聞けなくなる国鉄サウンド」とか言われて人気になるんだから、鉄ちゃんって身勝手なもんですよ(自戒を込めてますw)。
185はいなくなると寂しくなりますね。良くも悪くも皆様からは愛されたと思います。たまに大宮駅に留置されていますが定期運用がなくなり寂しさを感じます
そういわれてみると、地元関西の鉄道車両が、いかにサービス面で充実しているか、再確認してしまいますね。
そういえば、逆のパターンの「乗り得列車」もあったと思いますが、そちらもどうですか?
秋田リレー号懐かしい。大学受験のために乗っていった記憶大アリの特急扱い。
混んでたけど、(どこが特急?)と思ったものでした。
ですよね。確かにあの時は仕方ないとしても体裁的にはキハ82系の列車を投入すべきだと思います。
485系も特急車両だけど
初期型はロマンスシートで背面が斜めに成ってるだけでリクライニングしなかった
185系のぼったくり感も今は関東でのL/C車のライナー運用に根付いてるように思う。
特に指定料金列車の経験値0の○王。
座席指定料金が全区間で普通運賃を上回る。
(⌒▽⌒)指定料金はS宿〜TK山口の運賃を上回るのでしょうか。まあもともと○王は運賃を低めに設定していますから致し方ないですね、初の経験ならバランスは重要だと思います
@@heitetsu4649 さん
新宿〜高尾山口 388円(IC運賃)
○王ライナー指定料金410円(予約)
ついこないだの臨時列車、姫路~宇野の115系リバイバル急行鷲羽号が遜色列車で、それになりますね。20年前のリバイバル急行では新大阪~宇野で、きっちり165系でした。
急行鷲羽号。幼少時代に乗りましたね。四国の親戚へいくとき大阪駅から鷲羽号に乗りました。備前田井駅から瀬戸内海を見たときの感動は今でも忘れません。165がほぼ廃車されたのでリバイバルは115しかなかったのでしょう。
いっそのこと、現存する元広島快速の二扉転換クロスの115系3000番台を急行湘南色にしてリバイバル鷲羽に使えばまだ、説得力あったかも…☝️😜-w-w
むかしの、急行「かいじ」ですね。近郊形115形+急行形サロで走ってましたね。でも利用する登山客の方々には2扉デッキありより3扉デッキなしのほうが乗り降りしやすいので重宝されたみたいですね。
なるほど、登山客は皆荷物が巨大ですから急行型より近郊型の方が広くて良かったかも
昔の中央線は登山客でごった返していたそうで。夜行ともなると通路に新聞敷いて寝てたとかカオス
@@se.v4809 さま。今はもうしないんでしょうけれども、むかしの長距離列車といえは乗車口でなく窓から乗車するは、ボックス席の間に新聞引いて靴を脱いでくつろぐは、酒持ち込んで宴会を始めるわ、しまいに座席を外してその上で寝っ転がるは、もうそれはとてもフリーダムな感じでしたよ。
@@JobChanged--UEKISYOKUNIN さま
窓から乗車は戦後混乱期の象徴ですね。直に見た事はありません
フリーダムと言えば、網棚をC寝台と揶揄したとかの話も聞きましたw
酒持ち込んで宴会は…上野駅の常磐線長距離415系あたりではわりと最近までお馴染みでしたw
@@se.v4809 さま。網棚は中学校の修学旅行で車中泊のときに、悪ふざけで実践している猛者がいましたね。まあ中学生ぐらいの体格では特に問題はありませんでしたけど。自分は当時新書版の鉄道関係の本に載っていた、座席の片方に空き缶を挟んで肘掛けを枕にして寝ていたくらいですね。
そういえば大学時代のサークルで貧乏旅行が趣味だった先輩もやってましたね。その人は細身だったんで問題なかったのですが、ガタイのデカい先輩も真似してやろうとしたときは、さすがにみんなで止めました。ハイ(笑)
東武でも6000系、6050系を料金不要の快速として運用していましたが、繁忙期には座席指定の快速急行として、運用していました。
6000系や6050系はデッキはなく、車端部はロングシートでつり革がある。なお、このロングシート部にも座席番号があり、
スノーパルで乗った際はこのロングシート部も指定されていた。
(その後、300系、今は500系の運用ですが。)
そうですね。東武の快速は北千住を出ると東武動物公園あたりまでとまらずに次は板倉東洋大前あたりで特急の通過待ち。新大平下と結構、駅を飛ばしておりました。料金不要なので親戚の鹿沼までいくときは浅草から快速にのって帰りはスペーシアというパターンでした。車内に行先の方向幕があったのが特徴的でした。
6000系(臨時では5700系も)の冷房のない電車を快速急行にして別料金を取って不評だったですね。後、秩父鉄道は冷房の無い300系を急行秩父路で走らせて急行料金を取ってました。
臨時快速として、通勤型の8000系や10000系が登板していたこともありました。
夏場は非冷房の5700系の運用を冷房車の8000系や10000系にした為です。
臨時で日光や鬼怒川まで走ることを考慮して、8000系や10000系等の座席はフカフカであり、30000系にもそれが引き継がれたので、当初半直で入っていた東急田園都市線の利用客から好まれていた。
秩父鉄道の急行「秩父路」に使用される6000系も、元を正せば西武鉄道新101系の通勤車ですよね···
急行秩父路、2022年3月に急行料金が無料化されました。
583はシートピッチは充分でしたが、ボックスシートが時代に合わなくなってしまいましたかね。
北海道にはキハ22の遜色急行がたくさん走ってましたよ。
国鉄末期に増収策として急行の特急格上げを行いました。
これは急行形の老朽化が深刻になっていて、置き換えに新しい急行形を新製せずに、特急形を投入したせいでもあります。
しかし、特急通過・急行停車駅が特急化で利便性が低下しないように、特急格上げ後も停車するようにしたため「急行と停車駅の変わらない特急」が大量に発生しました。
所要時間も急行と変わらずに特急料金の分、値上げになりました。
当然クレームはたくさんありましが、国鉄は「良い車両(特急形)を使っているから」と言い逃れしましたが、特急の急行との違いの最大の特徴である「急行よりも速い」がなくなってしまいました。
特急という名の急行、これも一つのなんちゃって特急だと思います。
まさに185ですね。185新製時には新急行なるものを作ろうとしたらしいです。それが特急とはどうやって差別化するのでしょうか。
@@heitetsu4649 様
いや、もっと前の183です。
例えば房総方面。
特急はなくて急行(内房とか)の天下でした。
使用されていたのは老朽化した153。
この置き換えに183を新製して特急化(しおさい、あやめなど)
確かに特急車を使った特急だから車両的にはなんちゃってではありません。
しかし停車駅が急行の時とほとんど変わらずに所要時間も1分しか変わらない。
それでいて特急料金は取られる。
車両に対してでなく停車駅・所要時間が急行の特急ということを言いたかった。
他に
中央本線のアルプス→あずさ
常磐線のときわ→ひたち
なども停車駅は急行のままで特急になりました。
主さんの言うなんちゃってとは意味が違うかも知れませんが、自分的にはなんちゃってです。
あと最近では通勤ライナーの特急化。
通勤時間で速度も出せず、ライナーだから許せたが、特急としてはどうか?
種別は特急、走りはライナーですね?
長文失礼しました。
特急のバーゲンセールですね。隣にあったグレードが一つ下の定番商品と変わらなくなってしまったのですね。
北海道の711系の急行『かむい』『さちかぜ』もありました。
尤も『かむい』は気動車急行(キハ56)よりも。
ノンストップの『さちかぜ』は気動車特急(80系)よりも速く 車両は『なんちゃって』でも所要時間では逆転していました。
711系は確か、赤色に黄色の帯が入って前面の上に三つのランプがあった電車ですね。一度乗りましたが北海道なので寒さ対策としてデッキがあり急行でも遜色なかったと思います。当時は小樽と旭川しか電化区間がありませんでしたがかむいは今もそうですが電化内の優等列車ですね。いろいろな方のコメントを見るとなんちゃっての走りは北海道のようですね。急行天北もたしかキハ40が運用されていました
711系は確か、赤色に黄色の帯が入って前面の上に三つのランプがあった電車ですね。一度乗りましたが北海道なので寒さ対策としてデッキがあり急行でも遜色なかったと思います。当時は小樽と旭川しか電化区間がありませんでしたがかむいは今もそうですが電化内の優等列車ですね。いろいろな方のコメントを見るとなんちゃっての走りは北海道のようですね。急行天北もたしかキハ40が運用されていました
711系は確か、赤色に黄色の帯が入って前面の上に三つのランプがあった電車ですね。一度乗りましたが北海道なので寒さ対策としてデッキがあり急行でも遜色なかったと思います。当時は小樽と旭川しか電化区間がありませんでしたがかむいは今もそうですが電化内の優等列車ですね。いろいろな方のコメントを見るとなんちゃっての走りは北海道のようですね。急行天北もたしかキハ40が運用されていました。
@@heitetsu4649 さん
185系が『普通列車での使用も考えた特急形』ならば 711系は『急行列車での使用も考えた近郊形』で こちらもある意味『汎用形』車両でしたね。
酷寒地向けの出入り台デッキ・空気ばね台車以外にも急行で使用する為の独立した洗面所や ピッチや幅の広いクロスシートに栓抜き付きのテーブルと 国鉄末期にローカル用に改造された交直流急行形のような『急行形電車のデッキ付近のみロングシートにしたような車両』でした。
尚 当初は交流電気機関車の赤に前面窓下のみクリームのツートンカラーでした。
他にも『汎用形』は 117系の車内のお手本になった九州のキハ66・67で 急行『はんだ』に使われましたが こちらは空気ばね台車に転換クロスシートで デッキと洗面所が無いものの 乗り心地と快適性ではキハ58系よりも勝っていました。
『はんだ』に乗った宮脇俊三先生も「私鉄のロマンスカーのような車両。」と評してましたっけ。
その九州では やはり交直流近郊形の『ぎんなん』『ゆのか』もありました。
キハ66 67はキハ40のプロットタイプですね。急行用としては遜色ありません。大村線で国鉄色になってました。車内には世界に一台しかないキハ66,67とありました。はんだは山陽新幹線博多延伸で門司港から筑豊、日田彦山線経由で由布院方面に行く列車ですね
1968~1978の10年間じゃないんです?
あと東武の300系列は特急に格上げされこそしたものの他の特急よりかは料金が安めに設定されていましたし、スカイツリートレインも一部の座席が完全に外側に向いており、特急としては遜色のないものでした
秋田リレー号もキチンとリクライニングシートでしたし(廃止されてからE217のグリーン車に移植された)なんちゃって特急と言うには少々言い過ぎかと…。
年間の件は大変失礼いたしました。概要欄にお詫びを貼っております
夏休みの家族旅行の帰りに、なんちゃって急行に乗りました(小学生の頃)。中央本線か信越線だったので使用車両は115系。セミクロス車両のロングシート部分にも、座席の位置を指定するプレートがありました(指定席にも使っていたのか?)。
住んでいた土地柄、急行=165系だったので、デッキもないし・・・。101系に乗りなれていたので、通路の向こう側にこちらを向いている人がいることに、急行なのに違和感ありありでした。
東武鉄道の6000系「だいや」に乗った事がある。サイドシート部分にも席番あったが、はたして「売った」のか?
急行『かいじ』の115系は普段は甲府発の快速に使われていた編成で 新前橋から借りてスカ色に塗り替えた『サロ165』を1両組み込んで一応『急行』としての体裁は整えていました。
幕張区の113系も 房総夏ダイヤの臨時急行にシートピッチの広い『サロ113』を組み込んで運用されましたが その『サロ113』は後に関西に転属して横須賀線とスルー運転するまで帰ってきませんでした。
常磐線の『ときわ』はオンボロの401系低窓車の『乗り損急行』もありましたが 逆に急行形の間合い使用の普通列車はグリーン車🍀も開放していて 座れれば超乗り得列車でしたよ。
ありがとうございます。当時は70系や72系があったのでさほど皆さんは気にならなかったのですね。でも115も113も昔乗ったときは席番がついていましたので急行運転を考えていたことがわかります。関西の東海道線にはサロ113系はガラガラでした。阪急、京阪の特急に大敗して横須賀線に戻ったと思います。
@@heitetsu4649 さん
席番表示もそうですが 正面の種別幕に『急行』の表示が用意されている事自体 急行での使用を想定していた事がわかります。
ロングシートの415系500番台もそうでした。
幕張の113系の側面方向幕には『特急 さざなみ 館山』のコマもありましたよ。
房総で思い出しましたが 非電化の時代には 房総夏ダイヤの際に狭苦しいキハ17系やロングシートのキハ35系の『急行』が 新宿や両国発着で走っていました。
113の方向幕に特急でしょうか。さざなみなので内房線ですね。災害や特急列車故障を想定したのでしょうか。確かに方向幕には211なども急行などあった気がします。
京阪は未だにありますよ。
朝、夕のラッシュ時には3扉の普通車両が乗降緩和の為に特急に充当されます。
昼間は「快速急行」が運行されない為「快速特急」用の3000系が特急に充当されます。
主題から外れますが
私が思うのが阪急京都線の特急です。
京都線特急は9300系が転換クロスシート車両ですが、点検整備などで運用から離れると、1000系7000系ロングシート特急が運用につきます。
宝塚線利用者の私は京都線特急が憧れですが、以前京都線特急に乗車する機会があり楽しみにしていたが目の前に7000系登場。これじゃない!と思いました。
おなじ宝塚線沿線ですが、8000系のクロスシート車が入ったときは小躍りしましたよ。宝塚側2両だけでしたが。おそらく大阪側は混雑の関係で無理だったんでしょうけども。
メリットは混雑時に目の前に人が立たず優越感を持って座れたこと。デメリットは混雑時に目的地で降りるときに苦労したこと。
そういえばどの形式か忘れましたが、沈み込むようなゆったりとしたロングシートの車両ありませんでしたか?
西鉄特急は普段は転換クロスの3000系が用いられますが、正月期間中や車両点検等が発生した場合、ロングシートの5000系等が入る場合があります。
朝夕の特急はロングシート車両が用いられます。
但し「ときわ」の晩年は415系を優先的に運用して冷房だけはあるようにしてました。
後隠れ遜色急行は山陽新幹線開業後の「鷲羽」と「比叡」、「東海」で
これは「鷲羽」「比叡」「東海」全てに新快速が関係してます。
「鷲羽」「比叡」を受け持つ宮原電車区の153系は絶賛冷房改造中でしたが、
新快速に組み込まれないサハは工事後回し、クハやモハも冷房車は湘南色の急行用と言えども新快速予備車にあてられて新快速優先、残った非冷房車で組成していたからです。
「東海」も大垣電車区の153系は冷房車が少なく、配置自体も少ないので非冷房車どころかコイルバネの155、159系が中京快速と共通で使用される悲惨さでした。
ちなみに中京快速は一往復だけ全車冷房車の運行が有ったのですが、これは急行「伊那路」の大垣電車区への入出庫を兼ねていて、伊那路用の165系は全車冷房車だったからです。
15:03 1973年、名古屋~長野の中央本線特急しなのに投入されたのが最初でしたが、やはりワルツを踊るような自然式振り子台車傾斜で、電車酔い続出でした
1997年から、383系に置き換わりました
up主 計算できない説w
1968~1978って10年・・・
583系の昼行特急はボックスシートの見た目が特急らしくなかったが、シートピッチが広く二重窓のベネシアンブラインドが特徴的で青森-上野などの長時間乗車では485系の古いクロスシートよりも疲れませんでした。はじめは評価されなかったのが残念です。
その後東北本線の特急大増発で揺れが大きく乗り心地が悪くなり、最後は宇都宮-大宮間でスビードダウンせざるを得なくなりました。
1981年登場の185系電車は117系のような転換クロスではなく簡易リクライニングシートで、その出来は悪く残念車両でした。のちにシートが改良され、窓が開けられる国鉄時代の風情がレトロ感を醸し出して、利用が楽しくなりました。
JR東海373系には東京行の普通電車で運用されるものがあり、平塚から先では短い編成が嫌がられたようですが、清水から東京までこの電車を選んで利用しました。特急東海は時間が合えば使いたかったがあまり利用する機会は多くありませんでした。三島から新幹線に乗り換えて特急料金を割り引いてもらったりしました。
逆に運賃だけで乗れる良い車両をやってみたら良い。臨時とか運用の都合でそれ一本だけとかは除外して、通常に何本も走っているやつで。
そうすると京阪特急8000系かな。特にモーター無しの車両に乗ると静かだし走りも滑らかで揺れも少ない。
「なんちゃって特急」の親戚に「ざんねん特急」とか「格差特急」ってのもありますね。
あと、四条河原町まで乗車の為だけに3度も行ったぐらいなので嫌いじゃないんですけど、雅洛ってちょっと微妙な観光特急ですよね。
内装は雅でいいんですが座席がちょっと…なのと、乗車人数の制限が無いから、混んだらそのご自慢内装もゆっくり眺めてられないし。
関西人にとって「なんちゃって優等列車』といえば、阪急京都線の特急/急行だろう。かつては大阪側/京都側の主要駅を出たらノンストップで突っ走り、大山崎付近ではJRの京都線はおろか新幹線とまでデッドヒートを繰り広げる文字どおりの優等列車だったが、並行するJRの快速/新快速にスピードで勝てないと見るや一転して開き直り、『スピードではなく乗り換えの利便性』と称して停車駅を増やした結果、特急は『特に急がない』、急行は『急いで行かない』と揶揄されるほどのクソトロ鈍行列車と化してしまった。(ちなみに淀川対岸を並走する京阪の特急も同じ劣化を余儀なくされている)
まぁ阪急/京阪ともスピードで劣化したぶん『京とれいん』や『二階建て特急』といったアコモ面でカバーしてくれてはいるが。
京阪神急行電鉄、つまり現在の阪急京都線は「燕」と狂走したっちゅうエピがある程で運転手はソノ後こっぴどくどやされた、なんて逸話もある程のスピード狂だったのに…
同線は2800系が特急車だった頃2300系が同種別に運用された歴があるらしいが、コレも遜色に該当する?
いや、私も先日、久しぶりに阪急の特急に乗りましたが急行と乗り間違えたと思いました。かつては十三を出ると大宮までとまりませんでしたが、淡路、茨木市、高槻市、長岡天神、桂、面白いのは過去とまった大宮駅を通過して烏丸まで止まらないところくらいでしょうか。たしかに特に急がない人が乗る列車ですね。特急の下は準急となるのでしょうか。
みんなダークサイドに目覚めたJR西日本が悪いんですよ(笑)
なんちゃって急行では221系の急行「きのさき」が思い出されます。
流石に3ドアはまずいと思ったのか真ん中ドア締切でゴミ箱置場になっていました
東武のもどき特急、シモツケに乗った事がありますが、車両は元リョウモウだった為リクライニングの無いシートはしんどかったです。他の特急より割安だったみたいですが、特急料金は一緒で良いので、サービスを充実して欲しかったです。
高い料金でボックスシートや非リクライニングの固定クロスシートだった成田エクスプレスも大概でした。
ですね。確か固定でした。今は長野と日光で活躍しております。
並行している京成もスカイライナー登場前は3ドアボックスシートの3150形や3200形が指定席特急開運として京成上野~京成成田に走らせた
583系の特急「はつかり」に上野駅から盛岡まで乗った事あるけど、ボックスシートとはいえ、かなり広いシートピッチだったので、窮屈な感じはなかったです。
逆に、「やまびこ」「はつかり」運用の485系にたま〜に初期車が入っていたりして、回転クロスシートでリクライニングしない座席でちょっと窮屈感がありました。
自分も小6の夏に上野12時33分発はつかり7号583系で三戸まで7時間半乗車しました。まだ子供だったので窮屈感はなかったです。それより、大好きな583系に乗れるという、ワクワク感がハンパなかったです。
583系の昼間の向い合わせクロスシートは ヘタなリクライニングシートや 回転クロスシートよりも 深々と座り心地の良い座席でしたが 広過ぎるシートピッチ故に 混雑時は立ち客が 座っているお客さんの間に入っちゃうというウィークポイントもありました。
581・583系は、のちに近郊型715系に改造されたが、座席はほぼそのまま広いシートピッチのままだったので、逆に「豪華普通列車」として楽しめました。
583系1Mはつかりは、風格も有りむしろプレミアムな特急でしたよ。ボックスシートはゆったりしてたし、自然と乗客同士のコミュニケーションが始まります。日本でボックスシートが受け入れられないのは成田エクスプレスの例にも見られるように、進行方向に向いて座らないと落ち着かないという習慣のせいだと思います。
昭和~平成の時代転換期に『JR北海道』の『急行宗谷,天北』もぼったくり急行が運転されていました。『キハ40』改造の『キハ400.480』のリクライニングシートのアコモ改造の車両に『JR天北線』の廃止を兼ねて,最終日にのりました。
その後,『苗穂運転所』に転属した際にはリクライニングシートからオールロングシートに再改造されました。
ありがとうございます。JR北海道は経営資源を札幌近郊に集中させるため閑散地区に改造車を導入するのは致し方ありませんね。
「急行 宗谷」って、一時期14形寝台特急客車を気動車の中間に繋いだ時もありませんでしたか?そうなると逆に「乗り得列車」?
JR東海373系は、同じようなこと考えてました。東海は、東日本と西日本で分割してなくしてしまえと思うのは極論でしょうか?新幹線中心ですので。
JR東海という会社でなく、新幹線専用の「JR新幹線」という会社を作ったうえで、在来線会社を東西の2分割にする方法は取れなかったのかと今更ながら思いますね。
とは言え、もしそうしていたら現行のJR東海が持っている在来線の半分以上が廃線になっていた可能性も否めないような。あの名松線なんて、大真面目な話、豪雨災害による廃止をソッコーで食らっていたのでは?(ほぼ全区間が近鉄と「かぶる」上に線形などを考えたらJR西日本が廃止した三江線並みですしね。そうでないとしても営業係数などを考えたらJR東日本の久留里線レベルですから。JR東海は新幹線の儲けで在来線を延命させている可能性があります)
私も別の動画ではJR東海は新幹線に専念さして在来線は東日本、名鉄などに売却したらというシナリオを作りました。新幹線の利益を不採算の在来線につぎ込むならそうすべきだと思います
@@mikatan0121 さま。逆の面から見ると、JR東海もJR東日本もですが、新幹線を持っているからこそ、営業係数の低い路線を国や自治体からの補助金も却下されて、その上で簡単に廃線にして解消させてもらえないという、営業面での足かせを履かされているとも考えられますよ。昔の参勤交代制度であった、必要経費で疲弊させるような。
急行特急でなんちゃっては東武でも多かったけど、大昔に5700型のゲロゲロ電車を快速にしてた。
しかも、北越谷までの高架複々線化前だったのでノロノロのゲロゲロでしたね。ましてや下りのラッシュ時でですよ(笑)
5700型は6050の前の形式ですか。複々線ができる前はかなりのノロノロ運転だったでしょうか
@@heitetsu4649 そうですね。
板張りの角ばった吊革モーターの古豪でした。
近鉄16000系もなかなか…
有料特急のくせにデッキがなかったので、ドアを開けたら一番出入り口に近い人の視線がめっちゃ突き刺さる。373系はまだ仕切りがあるだけマシ。
ちなみに近鉄に残っているものはデッキ追加改造がされましたが、大井川鉄道に譲渡されたものはそのままの姿です…
あの吉野特急ですね。私も大井川鐵道に乗ったとき特急のくせにデッキないのが不思議に思っていましたが大井川鐵道が取っ払ったのではなく最初からなかったのですね。🤣
近鉄はあの有名な12200系ですら、トイレのない車両には、デッキの仕切りはありませんでした。更新工事の際に設置されています。デッキが標準になったのは1977年登場の12200系後継の(実際には12200系で登場したが、監督官庁より変更が多すぎるとの指摘により翌日変更)12400系からです。ただ、その後に登場した吉野特急16010系はデッキがありませんでした。16010系にデッキが設置されたのは2001年の更新時でした。なお、16000系については、第7~9編成のみ更新時にデッキが設置されました。吉野特急からデッキなし車両がなくなったのは2013年のことです。
小田急のSSE,NSEも「ノーデッキ」ぢゃなかったっけか?
ノーデッキ車は、ドアー直後の座席に当たって座って足を投げ出してくつろいでたら、ドアーが開くたんびに、乗降客に足を踏まれそうになり、あまりくつろげなかった思い出が…
@@ゴンタオヤジ
あー、気持ちわかります。優等専用車両って、やっぱノーデッキぢゃくつろげませんね。まあ目の前に壁があったらあったで足伸ばせねースけど…
京浜東北線の快速(土休日)は浜松町~上野までの通過駅が新橋・有楽町のみと快速と言えるのか?って思えます
過去に見た別のyou tuberさんの動画でJR九州発足当時、食パン列車を「急行:ひのくに」に充当された時期があったそうです。しかもロングシートにも指定席が設定されていたそうです。これも「なんちゃって急行」でわと思います。
ロングシートの指定席ってモケットに仕切りなどの線を設けるのでしょうか。お笑いですね
特急「きりしま81&82号」は別の意味で「なんちゃって特急」ですよね
あと過去には博多~熊本の急行に811系が充当されたこともあります
20系客車を使っていたからですね。「きりしま」を名乗る前は「明星81&82号」でした。「走るホテル」と言われた名車も平成の世の中では14系や24系に比べて大きく劣っていましたからね。博多~熊本の臨時急行はJRになる前は快速の時期もありました。私自身その頃(当時中1の正月休み)急遽熊本に帰省したことがあり、帰りに八代からL特急「有明」の自由席に乗ろうとしましたがUターンラッシュで既に超満員、指定席に回されても立ち客で混雑が激しかったため熊本始発の臨時快速の利用を促す車内放送まであり、熊本で快速に乗り換えることを両親に提案しましたが邪魔くさいと言われ博多まで約2時間立ちっぱなしの経験があります。確かJRになってから急行に格上げされたはずで、811系の急行「ひのくに」には1度だけ乗ったことがありますが指定席もありました。811系が運用に入る前は僅かな期間ながら583系を近郊型に改造した715系が運用に入り、私は経験ありませんがロングシートの指定席まであったのは有名な話ですね。
南海本線運行時のきのくには特急扱いなので、特急料金必要のはずですよ
かなり前の話なのですが、電車に引かれて走ることで有名な南紀直通列車(かつての「くろしお」「しらはま」)は、シートカバーに扇風機こそありますが、スハ43系普通客車の車内設備で国鉄線内は夜行列車に併結される普通、南海線内は電車に引かれる特急として走り、運賃の他に特別料金が必要だったように思うのですが。
それと1001系時代の南海の特急車は基本無料で、編成中には自由座席と指定座席とあって、指定席のみ特別料金をとっていた記憶があるのですが。
海幸山幸は元は高千穂鉄道のトロッコ用車両TR400系をJR九州が買い取り
キハ125系400番台として編入改造したもの
富士急行の6000系(元JR205系)も代走で特急運用に入るときに料金をしっかり徴収するらしいじゃないですか。これは遜色特急にあたらないのでしょうか?
いや、あたりますね。私もつい先日富士急に乗りましたがもはや205か、富士回遊特急のJRの特急(353系)だけでした。富士急の元あさぎり号などは走っておりませんが、あさぎりの代走としての205で金をとるのはないですよね。
そういや、急行宗谷利尻に使われてた車両キハ40の改造車だったな
後583のシートピッチは485より広かったみたいよ
宗谷利尻用のキハ400系はN183系並のアコモデーションで、急行列車としては充分でした。シートピッチと窓が合ってなかったですが。
浜松市に住んでいた時に、373系の特急東海に乗車経験あり。急行東海の廃止のニュースは地元のメディアが盛んに流していた。
個人的に特急化して延命せずに、急行のまま逝かせれば、栄光の歴史に傷を付けずに済んだと思います。静岡の沿線利用者は新宿方面の運転を望んでいて、JR東海もJR東日本に要望したが、お東さん(JR東日本)がスジが入らないから無理と御断りしたとか。
185系を最後に乗ったのが、
小田原→横浜
既にリクライニングシート改だったけど、
偶々乗った車輌がモハ185で、
やっぱり117系だったなぁ。(近畿地方在住なもんで)
個人的には今のJR西日本の特急型車輌。
最新型になればなるほど安っぽく。
これで特急料金だけは抜け目なく取るんだから(A指定料金でe5489使わないと???になる)、
なんというか、、、
581/583系の時代が「特急が豪華なリクライニングシート」は勘違いと勉強不足が甚だしいですね
当時の雷鳥だと、485系でも普通車は回転式「固定」クロスシートでリクライニングはしません(しても段の固定機能が無い車両も有り)
新幹線の0系も普通車の主力は転換シートで当時の座席技術では当然リクライニングはしません
更に、581/583系の向かい合わせの固定クロスシートは貧乏感丸出しの急行型車両の固定クロスシートより
遥かに出来が良くシートピッチも広大と言えるレベルで、後年のシートの出来の良さが評判の近鉄伊勢志摩ライナーのサロンシートに次ぐレベルです
それに今から見れば急行型車両(電車・気動車・客車すべて)の固定クロスシートなんて
L/Cカー以下のレベルです。キハ58なんてコイルばね車が大半でデッキの有無ぐらい。しかも古く煩いエンジンの為デッキによる静粛性の向上も皆無で終盤期にリクライニングシートに換装された車両以外は
とても急行料金払う気には成れませんでしたね
(現実に、急行丹後で車掌に食って掛かってた乗客をみました)
初期のJRも近郊型車両を臨時急行に使用していましたね。221系の急行マリン城崎・白浜や715系や811系の急行ひのくになどですね。
東海に至っては3ドア転換クロスシートのキハ75系を急行かすが用にしていました。まあ、1次車はシートピッチが940mmありましたし、2次車はシートピッチこそ910mmになりましたが、313系に準じたシートに変更され、どちらもリクライニングシートでなくてもまずまず快適でした。当然デッキはないですが、FRP製の固定窓枠や横引きカーテンなどにより、優等列車の雰囲気はなんとなく出てましたね。それでも、関東の普通列車2階建てグリーン車には敵いませんが。なんというか、313系8000番台の原型のような内装といえます。
こんばんは。最近のなんちゃって特急は何といっても南海高野線の2000系の無料特急ですね。その特急はオールロングシートで特急料金無料の特急ですね。
2000系はズームカー(山岳直通列車)として1990年頃に製造。南海初のVVVFインバータ制御ですね。特急列車(2扉車)ですが、逆に普通列車にも利用されていて前面に2扉車と表示されるようなこともありました。女性専用列車もありほとんど通勤列車ですね
@@heitetsu4649 さんこんばんは。そうですね。その通りですね。
キハ56の特急北斗もなかなか
この前、四国で走ったリバイバル急行(団体専用)キハ40、47。ボックスとロングでの料金違うのは良かったのかも。リバイバル急行はもう使える車両が普通型しかないかな?ギリギリでキハ110系かキハ54系くらいしか残ってないか。
現在だと鉄オタの人たちはなんちゃっての方が喜びそうですね。
その通りみたいですね。お陰様で多くの方にご覧いただいております。ありがとうございます。最初紹介するのに遜色特急急行にしようと思いましたが検索するとたくさんアップされていましたのでもっと面白い題名にしなければと思い直感で思いつきました。最後の特急パートは多少無理がありました
僕は喜びも、もちろんありますが、当時若くて様々な車種に乗りたがりやでした。
今ならば常識的に使用されないであろう車種が懐かしくてたまらん。夏、冷房設備なしだろうが進んで乗りたい。
特急。それは8両以上+食堂車のまさに「特別急行列車」でした。高松-松山間は需要があるが所要時間が3時間程度だから食堂車はいらない→特急にふさわしくない、高松-高知間は8両もの需要がない、との理由でサンロクトオ、ヨンサントオともに却下されました。どちらかと言うと車内設備より「何両繋いでいるか」が速度、停車駅の次に大事であったようです。
急行は時刻表に太字で書かれ、さらに特急となると左枠に太線を引かれました。急行停車駅に格上げされると町長や町会議長、商工会代表、小中学校の吹奏楽部などが一番列車をお出迎えしたものです。
373系はそもそも普通列車運用も入れるよう設計当初から計画された車両だし、秋田リレー号に至ってはわざわざこの期間の為だけに『300番台』に改造し、リクライニングシートもつけてたはず。秋田リレー号の需要がなくなると、再改造をして元の車番に戻した経緯があるはずの列車を「なんちゃって」と言うにはいささか偏見がすぎるのではないかと。
115系の急行かいじ、見たことありましたよ。
但し定期は既になく、臨時のうち一部を115系にした時代でしたが。
さすがに指定席は無く、全部自由席でしたが。
そうでしたか。急行車両が不足していましたが70系に乗るなら115系に乗りますよね。
昭和の頃に消費者センターなんてなかった。もともと急行列車は客車が多く、客車は2ドアでデッキ付きのオールボックスクロスシートが通常の車両構造だった。これは普通列車もそうだったから、急行とは、普通列車が駅を通過して走るだけのものだった。そのため、車両自体は普通列車と何ら変わるものではなかった。もちろんコイルバネなどの金属バネだった。だから急行列車は料金が低く設定されていた。安い料金で、長距離を早く移動できたので人気があった。
その後電車などがたくさん出てきたので、115系や401系などの急行にも乗ったことがあるが、客車急行列車よりは格段に速かった。ただしコイルバネの乗り心地は悪かった。まあ急行なのでしょうがないなんて思っていた。
185系登場当初、185系の普通列車は座れれば豪華だったが、ラッシュ時の185系で座れないときはデッキでつぶされそうになった。天国と地獄が同居している普通列車であった。165系の上尾事件にも懲りずにまた同じぽい(優等列車兼普通列車用=何でも用=運用に便利)のを造ったな!という感じだった。
キハ110は、普通用から特急用までのすべての車両が造られた珍しい車種だ。一番初めに出たのが0番台の急行用(10両くらい)で、特急用の300番台はその5年後以上くらいのずっと後で出た(30両くらい。のちに一般形化改造された。)。実はキハ110は、JR各社の400馬力クラスの1エンジン20m級一般形気動車の中では最高性能の車両だ。穿孔技術(せんこうぎじゅつ)なども用いてスーパーカーのように無駄な部分を削ぎ落し、重量当たり馬力を著しく上げた。このクラスの気動車の中では唯一30tを切っている。一般形がメインのキハ110だから、遜色特急に見えたとしてもしょうがないかもしれないが、実は特急として使っても、思いのほか遜色ではなかった。「錯覚遜色特急」だったのでした。
〔いさぶろう・しんぺい〕は元々普通列車だったので特急になった時はたまげましたが、他のD&S特急は「キハ40でも豪華に改装すれば問題ない」ことを確立しましたよね。一般客は種車のことなんか気にしないんです。
嗚呼~我らは 電車特急呉高校~🎵 (by熊本県民)
寒地仕様のキハ40、キハ48が両端デッキ付片扉で空気バネ台車だったのが大きいですね。暖地仕様のキハ40、キハ47はコイルバネ台車且つキハ47は両扉だったので、乗り心地とアコモデーション的に不利でした。某JRでリバイバル急行の運用にキハ47を使用していたのには疑問を持ちました。どうしてキハ48を使用しなかったのでしょうか。
9:41この声、たく●っくで聞き覚えがある😆
エーアイ社のかんたんAIトークののぞみさんの声です。Tさんの前から使っておりましたがあの方のチャンネルとお間違えされる方続出されたのでVoice peakというソフトに変えました。せっかく高いお金出して買ったのでところどころの場面で使っている次第です
急行「はんだ」と「日田」はキハ66・67での運転で、この車両にはデッキがなく扉付近はロングシートでしたがほとんどが転換クロスシートで他の急行用気動車より上との評価もありました。ただし、登場当初は走行音がとてもうるさくて会話がしづらかったそうですし、ごく一部の区画とは言えロングシートに座ると遜色感は出たかも知れません。
当時の転換クロスシーとは結構斬新的なものですね。音がうるさいのはあの時代の車両に共通しておりますね。
七尾線の415系、元を辿れば千葉地区の113系初期車両です。
種車の福知山線の113系は千マリだったのですか。
@@heitetsu4649 さん、113系1000番台の初期車です。
国鉄が183系電車を導入した時、それまで各座席に背面テーブルがあったのが、壁からの小さなテーブルだけになった時の方がサービス低下を感じた。あれでは通路側の人が利用するのはほとんど不可能だったし、引き換えに導入された簡易リクライニングシートはロックが無いため「バッタン座席」といわれるくらい使い勝手が悪かった。
特急車の性格によると思いますよ。基本短距離乗車?サービスの取捨選択の結果なのかな?サービスの低下というより大衆化ではないでしょうか。
古い特急車の座席の肘掛けについていた、「一回引き出してから270度回転させて固定させる」テーブルよりはマシだと思いますよ。あれでは逆に窓側に入ることができませんから。
それから考えると現在のつまみを回して使う、足元から座席とは別の腕で支えられる今のテーブルは、よく考えられていると思いますね。ただし、移動の問題は解決されていませんけども。
個人の感想ですが、下手にリクライニングする座席より、家族旅行で乗った信越線や上越線の、昔の1等車(2等車?)格下げ車の座席のほうが、背ずりは立っていてボックス座席であっても、クッションも厚く深く座れて気持ちよかったですね。
確かにR51簡易リクライニングに背面テーブルは欲しかったし。
それまでのT17回転クロス座席が時代に合わなくなって来たのも事実
むしろT17回転クロス座席をリニューアルでR51簡易リクライニングにアコモ改良したいくらいだし。
711系を使った急行かむい、急行さちかぜがあると思っていた。
711系は近郊型ではあるが、設計当初から急行として使用することも当初から想定済で、デッキ付で洗面台付の構造です。
急行いなわしろのキハ52は小牛田にいた「急行専用車」で、一般気動車が首都圏色に塗り替えられていく中で急行いなわしろ廃止まで首都圏色になりませんした。そのうちの一両が生涯車体を塗り替えられたことがなかった128ですね...
小牛田時代も「折角料金を払って乗ってもらうので せめて綺麗な車内にしておこう。」と
車内清掃は ローカル用キハ52よりも徹底していたそうですね。
東武東上線の特急は通勤型の車両を使用していましたね。
てっきりデラックスカーと思ってた。
でも 料金は取りませんでしたからね。
尚 昔は元日光特急用5310系を使った有料特急『フライング東上号』を走らせていました。
小田急も ロマンスカーの車両が故障して急遽代走した8000系の特急も 料金は取りませんでした。
対して秩鉄の『急行 秩父路』は ロングシート車で代走の際も 料金はしっかり取っていました。
今の川越特急は50090形をクロスシートにして走らせてます!
料金不要なのでみんな乗りに来てね…。
関西では有料急行が乗車券だけで乗れる新快速に道を譲るために乗客扱いをしない駅で運転停車するという珍現象がありましたね。
新快速が優等列車並みの扱いですね。西明石以西の向かう急行(みささ号)などでしょうか。
@@heitetsu4649 さま、その通りです。大久保駅で運転停車して新快速の通過待ちをしていました。加古川駅で急行だから早いと思って乗ってきた乗客もいました。あれは詐欺ですかね。
料金払っているので確実に詐欺ですね
当時から国鉄東京本局から睨まれてたらしい。
でも新快速優遇はこの当時に始まってた訳ではなく、戦前からモハ52流電を新快速のルーツ急電に投入したり、80系に置き換えられてもその80系にわざわざ流電モハ52と同じ塗装纏わせて急電に使用したりと、大鉄局は戦前から本局お構い無しにヤりたい放題だった-w-w
17:46 東戸塚駅周辺ですね。
ここで上り湘南ライナーラストラン当日撮影しにいきました。ちょうど東海道線に湘南ライナーが、東海道貨物線にも湘南ライナーが。あわててどちらも走行動画撮れましたが、ブレブレで最悪な動画になってしまいました。清水谷戸トンネル付近では上り最終湘南ライナーと下り東京9時発の踊り子の走行動画撮りました。185系も583系も乗り心地好きでしたよ。
目的地に普通より早く着けばいいのでは?
都民的にはクロスシートあれば特別感あるので…
583系もなんちゃって特急に入ってはいるものの、桟敷モード(下段だけ寝台を展開)にすれば、ハズレどころか意外と快適。
高校の修学旅行の時に583系に当たったから、コレをやってみたら好評だったw
不正使用で違反になったハズですね。間合い? の座席運用の時には、座敷モードは全面的に禁止の決まりだったかと。
ちなみに、座席運用の有明やはつかりに乗ったけど、リクライニングも倒さない、特急形の座席が苦手なオイラ的には、コチラの方が座り心地は良かったです。
秋田リレーは、はまゆりとは別の番台ですね
当時搭載されていたリクライニングシートはE217系に転用されました