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こういった高めあえるライバルだったり仲間が欲しいですね^^mintより
さ
思いのほかプロストファンが多くて嬉しい。当時の日本はセナ一色で、プロストファンの私は肩身が狭かった。
フジテレビがセナが正義、プロストは悪と決めつけて煽っていたのを、にわかファンが真に受けていただけの話です。自分もプロストの冷静にポイントを取りに行く姿が好きでした。
落ち着いて見返せる歳になった今、プロストの凄さ・巧さ・速さがよくわかります。セナがプロストにこだわったのは、やはりプロストが最高のドライバー、真に挑み倒すべき相手と見ていたんだなぁ。
ミーハーではなく本当にF1好きな方はプロストの凄さを理解していたし、プロストのファンだった。ホンダの中村良夫氏、エクレストン氏という、F1を長く見てきた方々が揃って歴代最高ドライバーはプロストだと言ったのは、そういう事だと思う。
セナのチームメート歴とは比べ物にならないほどレベルの高いチームメートと組んでるんだよね。プロストは。しかもセナと均衡状態になった以外、ほとんど相手を圧倒して84年のラウダが例外くらい。ニキ、ケケ、セナ、マンセル、デイモンというチャンピオンたち。そしてアルヌーとかワトソンとか。
セナとプロストのドライビングスキルの違いを考える時、スペンサーとケニーロバーツを思い出す。 あの時代のレースシーンは、二輪も、四輪も凄過ぎるメンツが揃っていたと思う。
4:36 速度域とそれが故意であることを考えれば「事故ではなく殺人未遂」であります。そんな相手と握手できる人間性は凄い。
3:30 88年のタイトル争いが有効ポイント制のおかしさを表面化させた。獲得ポイントはプロストがセナに11点差つけてるのに制度によって2位になったのだから。
プロストとセナが覇権を争った88~90年は日本におけるF1の黄金期であった事は間違いないでしょう。当時セナプロ対決を見ていた私には、若干神がかり感のセナに対し人間プロストが全力で人間臭さを発揮して対抗しているように見えた。価値観の違う2人がぶつかり合い、名勝負が生まれ又確執も生まれた。そしてプロストの引退とセナの死、価値観の違う2人が最後はお互いを誰よりも深く理解していた。正に真のライバルと言える2人だと思います。
当時はセナ人気により、少なくとも日本では凄く悪者扱いだったプロスト。今はだいぶ冷静に本質を語られるようになって嬉しい。セナは端から見たらプロストだけへの執念、モチベーションがあったのは明らかで、それ故により速く、強くなった。最後の方に和解して正直に、親密になれて良かったと思う。
当時は面白い、だけで気づいてませんでしたが今になってよく分かるのは我々は恵まれていた、という事です。その後も色々な名ドライバーや名レースを拝見しましたが、やはりあの時代、プロストにセナ、ピケにマンセル、ベルガーなどが活躍した時代を経験した我々は本当の本当に恵まれていたと思います。今でも鮮やかで眩しい記憶として思い返します。
かっこいいなぁこんなライバルがいる人生って。
セナはあくまで”挑戦者”だったと思います、自分より上の立場のドライバーに挑み倒すのがモチベーションになるという。当時現役ながら歴代最多勝更新しつつ劣ったマシンでも勝て、極度にレベルが高いところで争えてレースぶりはあくまでクリーンなプロストにある意味兄のように甘え慕っていたと思います。引退後のプロストへの積極的で親密な接近はその表れではないでしょうか。そのプロストがいなくなってからは挑まれる立場になり寂しさと環境の大きな変化からくる一種の恐怖を感じていたのではないかと。
「もう、ドアは開けない」は、こちらが引かなければ接触するような飛び込みに対して譲る事はしないという意味ですよ。 セナがシケインでナニーニをパスしたシーンを見れば意味が解るかと。
同感です。圧倒的な差があるベネトン相手でもナニーニがあそこまで譲らなければ成立しない抜きかたですもんね。タイトル争ってんだからプロストがそこまでして譲るわけがない。
接触したシーン プロストのほうが先にラインに入っているし、森脇さん?が幅寄せしているといっていたが、路面を見る限りプロストはラインを外れていないように見えました。(素人意見ですが)プロストのラインにセナが強引に入ってきた以上、プロストも有言実行せざるおえなかったと思ってます。(チームメイトではなかったら、本来追い越されてもいないのにラインを譲るわけがない)
主観によって見方が別れるね自分にはブロックラインを通らないでインをあけてセナが罠にかかった様に見えたけどね
実際ナニーニは激怒したらしいですね、あの抜き方に。翌年のハンガリーGPでは接触~セナは走行持続、ナニーニはリタイアなんてのもありました。
ポイント的にプロスト有利の中危なげな飛び込みはリスクありでもタイトル争いの中多少強引でもインをさす(セナ)多少強引でもブロックする(プロスト)両者に間違いはなかったはずつまらんセナ擁護派の1990鈴鹿GPは、89GPのお返しと言った見解には、釈然としない
自分はずっとプロスト応援でした。 皆セナばっかでしたが・・・(´Д`)
俺はプロスト派。セナは嫌いだった。なぜかと言えばロータス移籍してからピケ、ロズベルグ、マンセルとかとよく接触してたよな。サイドバイサイドでコーナーに進入した時、相手をコースから押し出し自分はコースにとどまるテクニックは超一流だったな。だからフジテレビの中継始まってあまりの偏向報道には驚いた。
後にジャッキー・スチュワートがセナに対して「君は危険な接触が多過ぎる!」と討論でやり合いましたね。これに関してはスチュワートが正しい訳です。
ルノー時代のプロストがタイトルを獲れなかったのは、パートナーが約束を破ったり、邪魔をしたのが原因ですよ。しかし、ラウダ、ピケ、マンセル、セナという今のドライバーでは勝てない伝説のドライバーに勝ったプロスト。尊敬できます。
プロストは私の好きなF1ドライバーのうちの一人でした。「プロフェッサー」「チャート式F1」などと呼ばれていましたね。チームメートにはセナのほか、アレジ、ヒル、マンセルなどすごい面子もいました。
当時野球は野村ID野球、F1はプロフェッサーアランプロストが面白いと思ってた。とにかく奥が深い。そんな印象。
3:27 「お互い幅寄せを行った事で」これは違います。セナが幅寄せをしたのが関係悪化に繋がりました。それはセナも認めていました。
セナのほうがカッコ良かったけれど、人間的にはプロストのほうが好きでした。当時のフジテレビの報道の仕方を見て、マスコミは信用してはならないと学びました。
90年日本GPでの両者の衝突事故は、中継で見ても、現場を検証したロン・デニスの証言でも、何より後日セナ自身の告白でも、セナによる意図的な衝突でした。ところが、当時のF1雑誌である記者が「この事故を、プロストがセナにぶつけたと見るかセナがプロストにぶつけたと見るかで、セナファンであるかプロストファンデあるかが分かる」とわざわざ前置きした上で「プロストがセナにぶつけた。」と書きくさってました。それ以前からニワカF1ジャーナリストは質が低いと感じてましたが、堂々とファクトでなく主観で(主観であることを宣言した上で)書く自称ジャーナリストには呆れました。
意図的にフジテレビがセナを英雄扱いするためにプロストはヒールにされてしまいました。古舘伊知郎の実況なんてマジそれでしたからね。
F1ブームみたいなのが起きて、雑誌とかが乱立したんですよね。GPXとF1グランプリ特集、NumberのF1特集回位で良かった。AS-Fも親しみやすい中に時折良いインタビューが読めて良かったですね。
@杉田庄一 セナとプロストを比べると、どちらかというとプロストの方が天才肌。セナは努力の人だと。プロストは意外とどんなマシンもそのまま乗れたけど、セナは逆に些細なことも自分好みに変更させた。そしてデータもよくみてラップタイムを縮めるていった。まあそれも天才といえば天才だけど。実際、プロストは感性で速く走れる。
セナプロ=歴代最強コンビ
それプラスホンダエンジンでこれ最強👍
プロスト ピケ マンセル ベルガー あの時代のF1が懐かしい、シャーシやエンジンも多彩でした。NA turbo V8 V12
現役時代はあまり好きじゃなかったけど、ガチで攻めて来た時のプロストは恐ろしいモンあったよな・・・と、思う。
大藪春彦の『アスファルトの虎』の主人公・高見沢優のF1でのキャリアはプロストそのもの。そして『サーキットの狼』のモナコF3編で風吹裕矢が乗ったエルフカラーのF3マシンは当時プロストが乗っていた車がモデル。F1がフジテレビによってメジャーになる前から、日本でも見ている人は見ているドライバーだったと思う。
93年最終戦後の表彰台に向かう前の車両保管所でセナから握手を求められた時のプロストの嬉しそうな顔今でも涙が出ます(;´Д⊂)
93年は開幕戦でセナとプロストは表彰台で握手していました。それをみているから、最終戦での表彰台の握手は、スポーツマンシップとはこういうものだなあと余計に感動しました。
94年サンマリノグランプリフリー走行中のプロストに対するセナの無線も泣けます。
セナvsプロストMP4/4 v vs MP4/4MP4/5 MP4/5B vs 641 641/2最高でした!
マンセルはタイヤバースト後、タイヤ交換せずリタイヤです。その状況を見てウィリアムズチームはピケのタイヤ交換をしています。
セナプロがしのぎを削っていたマクラーレン時代セナ車を担当していたのが後にフェラーリに移籍したスティーブ・ニコルズプロスト車の担当がその後もマクラーレンに留まるニール・オートレイだったのは印象的
プロストは、F1のキャリアの中で、チームメイトに獲得ポイントで負けたのは、84年のラウダだけ。予選の一発の速さは、セナに軍配が上がるが、レースでの速さはプロストが断然上。
そうそう! 88年も総ポイント制ならプロストがチャンピオンなんですよね。しかも「セナに11点差をつけて」ですもん。
ファステストラップの速さでは右に出る者がいないと言われていました。あと、タイヤに優しい走りを心掛けていましたしかも速いと来てますから。
セナがウィリアムズのマシンを走らせながら「やあアラン君がいなくなって寂しいよ」と無線で語りかけていたのを思い出します。互いの力を認めつつも、そこはやはりライバル…素直に認められずに確執が生まれるというのは理解できることです。しかし鈴鹿で二人が接触という形でタイトルが決まってしまうのを2回も見せつけられたのは良い気分がしませんでした。やはり正々堂々と戦い、笑顔で讃えあって欲しかったですね。
アランの方が好きだった
セナ信者の人達には、セナが倒すべき永遠のライバルと見定め、セナの力を最大限に発揮させた存在がプロストである事実を理解して欲しい。古舘伊知郎のキャラ付けによってヒールとして語られてきた日本でのプロストだが、プロストの引退後にセナが何度も復帰を懇願していたことを知っているかな?
ヤバい…泣ける…
セナと和解して親しくなっていたのは知らなかった!
当時、プロストが悪者にされる意味がわからなくて、小学生ながら憤慨していた記憶があります。フジTVとしてはセナが善、プロストが悪の勧善懲悪の方が視聴者ウケしやすかったのですかね?ただ、セナがサンマリノで散った時は、セナが嫌いだったのに泣いた。
ヨーロッパではポルトガル以外ではプロストが善だったようです。
tamotu2005 バレストルやエクレストンはプロストこそ真のチャンピオンである、最高のドライバーであると言ってましたからね。レース運びの巧さに加え速さも兼ね備えてましたからね。
プロストはジョイントNO1体制で主にセナとの争いによりF-1を大いに盛り上げてくれました。それに較べてシューマッハ、ベッテル、ハミルトンのつまらないこと。
ミハエルはそれでもまだ格があって見映えがしたけど、ベッテルから完全に脱落したなぁ。まぁルールや中継のせいもあるんだけど。
セナが亡くなる1994サンマリノGPスタート前無線で解説者になったプロストと会話セナ「アラン…君がいなくて寂しい」
I miss you, Alain自分も覚えています。この無線のやり取りを知ったのは、セナの事故後でした。それ故、寂しく感傷的な言葉に聞こえます
そのメッセージはスタート前ではなくて、金曜の朝とかじゃなかったかな。だからプロストは実況ブースにいなかったんです。後から人づてに聞いて「え、そんな事言ったの」という。まだ、イモラの悪夢は始まっていなかった頃の、セナの明るい声。日曜日、ルノーのエリアでランチしていたプロストを見つけるとすぐに寄って来て座り、そばにいたがったのは本当です。レース前にも二人きりで会う事が出来た。
94年のセナはなんか笑顔が全くなく元気がなかったように感じた。前年宿命のライヴァル、プロストが引退して倒すべき相手がいなくなり自分が挑戦される立場になってモチベーションが下がっているって。イモラでFW16からのメッセージ「君がいなくてさみしいよ」あれが彼の本心だったんだろうセナにとってプー様は最大のライヴァルであり倒すべき相手でありそして最大の理解者だったんでしょうね
セナはプロストに「普通の優勝じゃダメなんだ。君に勝って優勝して、君が悔しがるのが最高なんだよ」と、本人に直接言っていたそうですね。その関係性って凄いと思います。
そうですね、94年のセナは本当に表情がとても暗かった…自分としては念願のウイリアムズに乗る事が出来て勝てる、勝ちたい!という欲が大いにあっただけで、それまで駆り立てられていたもの、つまりモチベーションの大部分はプロストに勝利する事であったのだと思います。だから気持ち(欲はあっても)根本的にプロスト引退によりセナも同時に燃え尽きてしまったんだと思います。それに加えて新たにグンと力をつけてきたシューマッハとの攻防(ベネトンはまだハイテクを使い違反していたらしいですね)開幕からのリスキーなマシンの仕上がりとレギュレーション、スポンサーや事業や自身のマネジメント…イモラではセナはとっくに疲弊していたんだと思います。兄弟として例えて言うならプロストは理知的で優秀な兄、セナは実力はあっても無い物ねだりのだだっ子の弟だったような気がします。
プロストが天寿を全うするのはまだまだ先の話でしょうけど、その時は天国F1グランプリでまた対決するでしょう・・・
89年の日本グランプリの接触に関しては昨年のイギリスGPやイタリアGPでのルイス・ハミルトンの正当性の評価からアラン・プロストには落ち度が無かったということが立証されたと思っています。
プロストはセナと組んだ2年間で、ワールドチャンピオンという結果ではセナに1勝1敗だったけど、総ポイントでは2年連続でセナに勝っている。セナがチームメイトのポイントを上回れなかった相手はプロストだけ。予選の一発の速さではセナは何者にも負けない突出したものがあったけど、ドライバーとしての総合力ではプロストの方が一枚上だったと思う。まあ自分はマンセルの大ファンだけどね(笑)ちなみにマンセルはプロストと組んだ1990年、ポイントではほぼダブルスコアで圧倒されたけど予選は確かイーブンで、ポールポジションを3回獲っててプロストはポールなしだったので、レースではプロストに負けたマンセルも予選の一発では僅かながらプロスト先生を上回れたのかなと勝手に思ってます。ポルトガルでは失礼しましたけど(笑)
マンセルとセナはコース上での単純で純粋なスピードの戦いでプロストとセナはコース内外での全人格、全人生賭けた戦いのようなイメージだったね
mr2type5 総ポイントで上回ってるのにチャンピオンになれなかった?
@@native-em6ls その時は有効ポイント制で、16戦中上位11戦のポイントが有効でした。総合ポイントが10以上もプロストが勝っていましたが、優勝回数の多いセナが有効ポイントで上回り、チャンピオンになりました。
kakugo kusakabe そういう事ですか!
プロストが「ナイジェルはフェラーリのブリーフィングで1年通じて1回か2回しか見なかったw」って言ってたよ(笑)
プロストの凄さで印象深いのは、ずば抜けたメンタルのコントロール力でした。レース中でも心拍数が低いのは有名な話だけど、ここでタイトルが決まるような大一番のスタートでは確実にロケットスタートを成功させるのは見事(セナでもプレッシャーでエンストしたりするのに)。レース中盤でのトップ独走時などは、どんなドライバーでもゴールまでにスピンやコースアウトしないか心配になるもの(セナもモナコでやらかしたし、マンセルに至っては‥‥w)。しかしプロストだけはマシントラブルが起きない限り、いやマシントラブルさえも未然に防ぎながら、100%確実にゴールまで持っていくという絶対の信頼感があった。森脇さんも「プロストほどの人なら途中で集中力が切れるという心配もないと思うんで」と言ってましたね。世間での評判とは逆に、セナは努力で速くなった秀才、プロストは天賦の才で速かった天才のようだけど、その差が最も現れたのがメンタル面だと思う。
泣ける
フジテレビと古舘伊知郎のせいで悪役に仕立てあげられた気の毒なドライバー
全くその通り!!
壊しやナントカとか、顔面ナントカとか、トウセンボジジイとか、鼻曲がりのダンディとか、F1世界選手権をプロレスにしてしまった古舘の責任は大きい。セナだけ音速の貴公子でさあ。せめてもの救いは92年のモナコが古舘でなく三宅アナだったこと。
@@taachyo6125 確かに。三宅さんですらエキサイトだったから、古舘なら放送事故だったかも知れませんね。
まさにその通り、意図的にやってましたね古舘伊知郎はセナ以外はボロカスに言ってましたもの。あれもフジのやらせでしょうね。
まぁ、古館は実況アナウンサーとしてはプロレス中継しかできない三流アナウンサーだと思いますよ。
因みにプロストは少年時代はサッカー選手になりたかったらしい。潰れたような声なのは試合中にボールが鼻に当たって骨折したんだとか。
14歳の時にサッカーの試合で足を骨折した時に暇つぶしに乗ったゴーカートからカートにハマってモータースポーツの世界で生きることを決めました。寧ろF1のファンだったのは白血病で早逝した兄の方だったとか。
プロストはフランスでは唯一のドライバーズチャンピオンになって、戦略的な走りを見せてかっこいいと思う選手だったが、いかんせんプロストGPは黒歴史でしたねぇ…(中野くんいじめ、フランス優先)
若いころのプロストが後のセナの如く「鬼神のような一発の速さ」を見せていたのを知っていただけに、プロフェッサーと呼ばれるようになった頃からの一般受けイメージには物足らなさを感じていました(「速さはともかく老獪」的な…)まぁ実際にそういう走りをしていたし、限界ギリギリを狙う事もほぼしなかったから仕方ない。理論派ではなく天性の鋭敏な身体センサーを駆使する感覚派天才ドライバー。鋭敏ゆえに雨中の不安定さを嫌う傾向がどんどん増し、イモラだったか?フォーメーションラップのスロー走行中にスピンする失態もあった。雨だろうと何だろうと限界チャレンジを恐れなかったセナとは好対照。(それが災いし、そこまで無理する必要のない豪雨の豪GPで周回遅れの前車に突っ込みリタイヤしたのはセナらしいけど)その豪雨にみまわれたGPで異次元のファステストラップを連発し「雨のナカジマ」を知らしめた中島悟やプロストのようなドライバーが個人的な好み(憧れ)でしたから、セナ/プロ対決時はプロスト応援派(セナを嫌いではなかったから枚方でも開催された衛星中継追悼会は予約)スイッチ入った時の荒法師マンセルとプロスト、いずれも好きでした。
確かに、そう思います。
86年のライバル、マンセルのマシンは86年はFW11です。写真は85年のマシンFW10です。
最後のやつ泣ける…😢
プロストの走りががめっちゃ好きでした。「プロストのファン」という目線でセナを語るのでセナファンとは意見が合わないこともあったなぁ。
歴史にifはないけど、アランとアイルトンはライバルだった。もし、イモラであの事故が無ければ、セナのその後のライバルはミハイルだっただろうなぁ~晩年は97年無限ホンダエンジンを積んだプロストチームで走ってたかもしれないし~見たかったなぁ~
その場合、ぶつけたり押し出したりでワールドチャンピオンが決まる年度が何回か増えそう。そういう意味でアイルトンがミハイルに与えた影響は大きいかも。
セナVSプロスト対決もフジテレビでやってましたね✌️毎回ワクワクドキドキのF1グランプリは私の青春時代でしたね。F1グランプリ見てから国の文化やサーキットまで知りました。今地上波で放送しないのでRUclipsからみたりしていますσ(^_^;)
あと、忘れているようですが。ルノー時代の最大のライバルであったルネ アルヌーもいましたよ。
ルネ・アルヌー、そう言えばいましたね
セナとプロストはお互いに罵り合っても認めれるライバル同士だったし、93年のオーストラリアGPでは最後にノーサイドの意味合いで笑顔で握手を交わしたのが良かったけど、セナの葬式では号泣したのは分かる気がするし、セナにとってもプロストが居たから常にチャレンジャーで居れたんだけどね・・・(-_-)
84年はラウダの方がレース中のファステストの回数が圧倒的に多く88年はセナの方が1勝多かった事も追記しておきます。
'94 セナ はレースに対する情熱を持っていなかった様に思える。それまでの追う立場から追われる立場へ勝てる車で勝てない自分はがゆさで焦っていたと思う。勝てないプレッシャーに苦しんでたと思うプロストがいて彼を倒そうと奮起してたセナ イモラでプロストへ送った最後の呼びかけで判ると思う。
あれから随分と時が流れプロストの評価が上がる傾向を見るにつけ当時を冷静にできる環境が整ってきたのかと。それでも未だに品のない罵倒コメントを見るにとマスコミの世論形成は怖いと思います、2年間ホンダエンジンで走った時のチームメイトの振る舞い、エンジンメーカーやチームから受けた冷遇は日本ではよほどでないと知りませんから。
まぁレース同様、最後に勝つというか、自分の行ない、品性の継続でプロストは年々敬愛されて来てますね。良き事良き事(笑)。32年間、セナの悪口、セナが私的にプロストに話した事を絶対に漏らさない。やれセナの元GFやら不倫相手やらが本書いたり雑誌に出たりして来たけど。プロストが凄いなぁと思うのは、「80年以降の事について、一切後悔が無い。また繰り返すとしても同じ事をやる」「もし監督だったら、ドライバーとして雇うのは自分。彼は完璧だ」「僕を知っている人なら皆分かっている事だけど、僕が一度言葉を発したら(on the table)、絶対にそれに関して妙な事はしない」↑こういう自信を揺るぎ無く持っている事。信頼性の塊みたいな人だと思う。申し訳無いけど、当時のホンダの面々にここまでの信用性を感じないかな。
多分、ベビーフェイスで不思議な事口走るセナと失礼ながら鷲鼻で、常に眉間に皺寄せてお伽噺話の悪い魔法使いみたいな風貌のプロストじゃセナの方がヒーローにピッタリってマスコミの判断はあったと思う。実際は、セナのが幅寄せとか前のクルマに軽くタイヤ接触させたりとか頻繁にやってたらしいね。ホンダだって、マンセル贔屓のウィリアムズと喧嘩別れしたのに、マクラーレンじゃセナ贔屓だったから大概よ。
プロストはタイプ的に、ル・マン24時間レースの様な耐久レースの監督の方が向いてそうな気もしましたチーム運営、レースコーディネートとレースドライビングは真逆な感じもしますし
セナは、好きになりそうだった頃に亡くなってしまいました。
流石!F1系ナレーション素晴らしい(*´∀`*)
「君はセナかマンセルか、プロストのインをさせ!」なんていうサブタイトルのF1ゲームがあったよ。プロストファンの自分には嫌なゲームだったよ。
アナログ世代最後の天才プロスト。デジタル世代の新鋭セナ。ハイテク戦略世代のシューマッハ。マネージメント世代のアロンソ空力パッケージ世代のベッテル。
スピードのセナ、テクニックのプロスト、そんなイメージでした。レースの最後にトップであればいい、そのレースで勝てなくてもシーズンが終わった時にトップであればいい。そんなこと考えられるのがプロスト。見ていてつまらない程、派手さのないスムーズなドライビング。前の敵を抜くのに後車との間を取るなんて嫌らしいほど冷静なんだよな。
やっぱり派手なアクションがないからセナほど評価されないよね。レース場でもプロストみたいなドライバーはとにかくムカつくけど速いと思うよ、彼ほどのドライバーは出てこないだろうね...
@@dx9989 さん、印象に残っているのはセッティング能力です。89年鈴鹿はマシンの最適解を出したのはセナではなくプロストでした。フェラーリに移籍してからはあんなにだらしなかったマシンがみるみる速くなり信頼性が増していったのはプロストの影響意外に考えられない。
@@匠の父さん、返信あざすですセナにセッティング能力ないってのはよく言われてましたよね。 俺はプロストファンだからこう言うドライバーはもっと評価されて欲しいけど鈴鹿のシケインの件やらNHKやらホンダがセナ推しでプロストを悪者扱いしてたからプロストの株が上がる可能性は低いですよね...
プロストファンな自分でも時々退屈だった(笑)。「考え過ぎててつまらないって言われるけどこれが自分だから」らしい。でも89年鈴鹿は最高。セナプロ最高傑作だと思う。
@@Chalarge4635 さん、F1のレースシーンで1番好きなのが89年鈴鹿です。最高のサーキットで同じマシンを操る最強と最速の勝負。本当に最後の勝負だったと思います。決着はつかないまま二人とも伝説になりましたね。
プロストは速いけど、強力なのでは政治力。アルヌー、ロズベルグ、マンセル など政治力が皆無だったドライバーは皆サポートせざる得なかった。セナもそうなるはずでしたが、ホンダの南米贔屓がネックとなりマクラーレンはプロストよりもホンダを選んだ。結果、喧嘩別れしたルノーがサポートして引退の花道を飾った。優秀なドライバーだと評価している。
1990年鈴鹿で故意にぶつけた後は、セナは罪悪感に打ちひしがれた表情をしていたと周りの人は語ってましたね。
ホンダにセナを贔屓していると言ってマシンを交換させたり(セナはそんな事はないと言い実際に交換)と結構問題児、引退後のプロストグランプリに至ってはチームメイトから待遇を改善して欲しい言われるまでに日本人ドライバーの扱いがひどいかったのは有名現役時代は職人ドライバーと言うイメージでした
デイモン・ヒルはライバルだったのか?そうなの?
鼻曲がりのダンディー
プロストとマンセルも微妙な関係やったな
マンセルがイタリア語をやらずにフェラーリにいて、プロストはイタリア語ペラペラ。マンセルはブリーフィングに年間1、2度しか来なかったんだって(笑)。マンセルはプロストのヘルプや気遣いを期待したんだろうけど、恐らくプロストはクールで、チー厶内優位をラクラク手にしたと思われますw
リジェ無限ホンダがブリジストンタイヤでモナコで勝利するなど活躍してたのにプロストはチームを買収してオールフランスとすべくプジョーエンジン、ミシュランタイヤに変更して大コケしてたな(笑)
F1で1番早いのはアイルトン・タカです
セナは、生前エリートレーサー🚗だった。
懐かしいです。ケンたんが現地初のF1が、1988年15戦鈴鹿、セナの初タイトル取りを見ました。あっ、ケンたんの年齢、計算しないでねw
93年のモナコGPでゲスト解説者の石橋貴明のプロストに対する毒舌はウケた笑
プロストかーちょい悪親父(笑)ですよね。頭のいいレース運びをする冷静な男ですね。ちょい、ぐちぐち言い過ぎですよね。F1における政治や駆け引きを理解して実行できる偉大なチャンプですよね。ただ、上司にはしたくないです(笑)。
プロストは天才なのだろうがフランス人らしい粘着質さがあるのがイマイチイメージ悪い早かったのは事実だマクラーレンフェラーリとセナに異常に絡んでいたのがイマイチイメージを悪くしていた気がするフェラーリもブロストがいかなければセナが乗れてただろうに。跳ね馬に乗るセナを見たかった。あの12気筒のエンジンでセナ足を聴きたかった。モナコのトンネルの中で響くセナ足のフェラーリのエンジン音は素晴らしかったろう
雨のレースでは全く駄目なドライバーですが、ニキ ラウダをチームメイトを迎えた以降はニキ ラウダの走り方をお手本としていたらしです。また、予選重視の走り方を辞めた訳ではなく、無理に優勝を狙うような走り方を変えてコンスタントにポイントを稼ぐ走り方に変えただけです。予選を捨てた走り方をしてしまわれたら、モナコやハンガロリンクみたいなサーキットは決勝は絶望的なレースになれます。
プロストは古館解説でプロフェッサーと呼ばれてたけど、それはレース戦略や内外での駆け引きであり、実際にはターボとNAのエンジン特性の違いをよくわかってなかったとか言われてますね。89年シーズンにセナと自分ではエンジン出力が違うんじゃないかとか何かとホンダを批判してたけど、実際のところはNAエンジンがターボエンジンのようにドッカンとパワーが出ないのを不満に思ってたんじゃないのかなぁ。
間違いです。それ。プロフェッサーというのはそもそも頭が良くて思慮深く、賢明なのが1つ、もう1つはセッティングやテストにおける記憶力、ミリ単位での細やかさ、何をどうすればどうなるという事へのノウハウです。それを、駆け引きだの政治力だののイメージに歪曲したのがフジテレビ。ホンダの扱いに関しては「今でも何故だか分からない」って言ってます。因みに、イギリス等のメディアでは、ホンダがセナ贔屓だった事は当たり前のように伝えられている事で、「エンジン分かってないプロストがゴチャゴチャ言ってるだけ」みたいに信じ込んでるのは日本だけです。
今でもプロストは政治力で勝ち進んでいったドライバーという印象のままだよ(遅いとは言ってない)プロストがペナルティ食らったら嫌になって引退したこともその裏付け
93ドイツのペナルティーは本当にバカバカしい誤りですよ。あれはむしろ見事な危機回避能力なのに。引退は、アクティブ車が余り面白くモチベーション不足を感じたりしていたのと、決定的なのがルノーがプロストとの契約条件を破り、セナを同僚にしようとウィリアムズにゴリ押した事です。セナと同僚は不可能だから、翌年分の契約金を払うならセナでどうぞって引退した。
もう白人ミュータンツの与汰話は止めて、アジア人だけの発動機競争を創設しましょう。あっという間にF1なんか比較にならない位のスピードと面白さになります。
いや、プロストは「セナは倒せてない」でしょ⁉️😅彼を倒したのは、多分【シューマッハ】だと😅プロストは【最強の一角】のドライバーだったけど、【最速の一角】ではないと思われ😅彼は常に80%程度の速さで【リスクを少なく走る事】がステータスのような人だったから、全力の速さは知らないけど、恐らくセナとマンセルあたりよりは…。その証拠みたいなのが、サロンの評判。ある日、突然「鼻持ちならない嫌な奴」に2人とも変わったのには笑った。マンセルの時は初回だし、ああいう性格の人だから、追放出来たけど、セナの時も【同じ手?pgr】でしたよ😅
プロストより絶対セナ❗👍
こういった高めあえるライバルだったり仲間が欲しいですね^^
mintより
さ
思いのほかプロストファンが多くて嬉しい。当時の日本はセナ一色で、プロストファンの私は肩身が狭かった。
フジテレビがセナが正義、プロストは悪と決めつけて煽っていたのを、にわかファンが真に受けていただけの話です。自分もプロストの冷静にポイントを取りに行く姿が好きでした。
落ち着いて見返せる歳になった今、プロストの凄さ・巧さ・速さがよくわかります。
セナがプロストにこだわったのは、やはりプロストが最高のドライバー、真に挑み倒すべき相手と見ていたんだなぁ。
ミーハーではなく本当にF1好きな方はプロストの凄さを理解していたし、プロストのファンだった。
ホンダの中村良夫氏、エクレストン氏という、F1を長く見てきた方々が揃って歴代最高ドライバーはプロストだと言ったのは、そういう事だと思う。
セナのチームメート歴とは比べ物にならないほどレベルの高いチームメートと組んでるんだよね。プロストは。しかもセナと均衡状態になった以外、ほとんど相手を圧倒して84年のラウダが例外くらい。ニキ、ケケ、セナ、マンセル、デイモンというチャンピオンたち。そしてアルヌーとかワトソンとか。
セナとプロストのドライビングスキルの違いを考える時、スペンサーとケニーロバーツを思い出す。
あの時代のレースシーンは、二輪も、四輪も凄過ぎるメンツが揃っていたと思う。
4:36 速度域とそれが故意であることを考えれば「事故ではなく殺人未遂」であります。
そんな相手と握手できる人間性は凄い。
3:30 88年のタイトル争いが有効ポイント制のおかしさを表面化させた。
獲得ポイントはプロストがセナに11点差つけてるのに制度によって2位になったのだから。
プロストとセナが覇権を争った88~90年は日本におけるF1の黄金期であった事は間違いないでしょう。当時セナプロ対決を見ていた私には、若干神がかり感のセナに対し人間プロストが全力で人間臭さを発揮して対抗しているように見えた。価値観の違う2人がぶつかり合い、名勝負が生まれ又確執も生まれた。そしてプロストの引退とセナの死、価値観の違う2人が最後はお互いを誰よりも深く理解していた。正に真のライバルと言える2人だと思います。
当時はセナ人気により、少なくとも日本では凄く悪者扱いだったプロスト。今はだいぶ冷静に本質を語られるようになって嬉しい。セナは端から見たらプロストだけへの執念、モチベーションがあったのは明らかで、それ故により速く、強くなった。最後の方に和解して正直に、親密になれて良かったと思う。
当時は面白い、だけで気づいてませんでしたが今になってよく分かるのは我々は恵まれていた、という事です。
その後も色々な名ドライバーや名レースを拝見しましたが、やはりあの時代、プロストにセナ、ピケにマンセル、ベルガーなどが活躍した時代を経験した我々は本当の本当に恵まれていたと思います。今でも鮮やかで眩しい記憶として思い返します。
かっこいいなぁ
こんなライバルがいる人生って。
セナはあくまで”挑戦者”だったと思います、自分より上の立場のドライバーに挑み倒すのがモチベーションになるという。当時現役ながら歴代最多勝更新しつつ劣ったマシンでも勝て、極度にレベルが高いところで争えてレースぶりはあくまでクリーンなプロストにある意味兄のように甘え慕っていたと思います。引退後のプロストへの積極的で親密な接近はその表れではないでしょうか。そのプロストがいなくなってからは挑まれる立場になり寂しさと環境の大きな変化からくる一種の恐怖を感じていたのではないかと。
「もう、ドアは開けない」は、こちらが引かなければ接触するような飛び込みに対して譲る事はしないという意味ですよ。
セナがシケインでナニーニをパスしたシーンを見れば意味が解るかと。
同感です。
圧倒的な差があるベネトン相手でもナニーニがあそこまで譲らなければ成立しない抜きかたですもんね。
タイトル争ってんだからプロストがそこまでして譲るわけがない。
接触したシーン プロストのほうが先にラインに入っているし、森脇さん?が幅寄せしているといっていたが、路面を見る限りプロストはラインを外れていないように見えました。
(素人意見ですが)プロストのラインにセナが強引に入ってきた以上、プロストも有言実行せざるおえなかったと思ってます。(チームメイトではなかったら、本来追い越されてもいないのにラインを譲るわけがない)
主観によって見方が別れるね
自分にはブロックラインを通らないでインをあけてセナが罠にかかった様に見えたけどね
実際ナニーニは激怒したらしいですね、あの抜き方に。翌年のハンガリーGPでは接触~セナは走行持続、ナニーニはリタイアなんてのもありました。
ポイント的にプロスト有利の中
危なげな飛び込みはリスクあり
でもタイトル争いの中
多少強引でもインをさす(セナ)
多少強引でもブロックする(プロスト)
両者に間違いはなかったはず
つまらんセナ擁護派の1990鈴鹿GP
は、89GPのお返し
と言った見解には、釈然としない
自分はずっとプロスト応援でした。 皆セナばっかでしたが・・・(´Д`)
俺はプロスト派。セナは嫌いだった。なぜかと言えばロータス移籍してからピケ、ロズベルグ、マンセルとかとよく接触してたよな。サイドバイサイドでコーナーに進入した時、相手をコースから押し出し自分はコースにとどまるテクニックは超一流だったな。だからフジテレビの中継始まってあまりの偏向報道には驚いた。
後にジャッキー・スチュワートがセナに対して「君は危険な接触が多過ぎる!」と討論でやり合いましたね。これに関してはスチュワートが正しい訳です。
ルノー時代のプロストがタイトルを獲れなかったのは、パートナーが約束を破ったり、邪魔をしたのが原因ですよ。
しかし、ラウダ、ピケ、マンセル、セナという今のドライバーでは勝てない伝説のドライバーに勝ったプロスト。尊敬できます。
プロストは私の好きなF1ドライバーのうちの一人でした。「プロフェッサー」「チャート式F1」などと呼ばれていましたね。
チームメートにはセナのほか、アレジ、ヒル、マンセルなどすごい面子もいました。
当時野球は野村ID野球、F1はプロフェッサーアランプロストが面白いと思ってた。とにかく奥が深い。そんな印象。
3:27 「お互い幅寄せを行った事で」これは違います。セナが幅寄せをしたのが関係悪化に繋がりました。それはセナも認めていました。
セナのほうがカッコ良かったけれど、人間的にはプロストのほうが好きでした。当時のフジテレビの報道の仕方を見て、マスコミは信用してはならないと学びました。
90年日本GPでの両者の衝突事故は、中継で見ても、現場を検証したロン・デニスの証言でも、何より後日セナ自身の告白でも、セナによる意図的な衝突でした。ところが、当時のF1雑誌である記者が
「この事故を、プロストがセナにぶつけたと見るかセナがプロストにぶつけたと見るかで、セナファンであるかプロストファンデあるかが分かる」
とわざわざ前置きした上で
「プロストがセナにぶつけた。」
と書きくさってました。それ以前からニワカF1ジャーナリストは質が低いと感じてましたが、堂々とファクトでなく主観で(主観であることを宣言した上で)書く自称ジャーナリストには呆れました。
意図的にフジテレビがセナを英雄扱いするためにプロストはヒールにされてしまいました。
古舘伊知郎の実況なんてマジそれでしたからね。
F1ブームみたいなのが起きて、雑誌とかが乱立したんですよね。GPXとF1グランプリ特集、NumberのF1特集回位で良かった。AS-Fも親しみやすい中に時折良いインタビューが読めて良かったですね。
@杉田庄一 セナとプロストを比べると、どちらかというとプロストの方が天才肌。セナは努力の人だと。
プロストは意外とどんなマシンもそのまま乗れたけど、セナは逆に些細なことも自分好みに変更させた。
そしてデータもよくみてラップタイムを縮めるていった。まあそれも天才といえば天才だけど。
実際、プロストは感性で速く走れる。
セナプロ=歴代最強コンビ
それプラスホンダエンジンでこれ最強👍
プロスト ピケ マンセル ベルガー あの時代のF1が懐かしい、シャーシやエンジンも多彩でした。NA turbo V8 V12
現役時代はあまり好きじゃなかったけど、ガチで攻めて来た時のプロストは恐ろしいモンあったよな・・・と、思う。
大藪春彦の『アスファルトの虎』の主人公・高見沢優のF1でのキャリアはプロストそのもの。
そして『サーキットの狼』のモナコF3編で風吹裕矢が乗ったエルフカラーのF3マシンは当時プロストが乗っていた車がモデル。
F1がフジテレビによってメジャーになる前から、日本でも見ている人は見ているドライバーだったと思う。
93年最終戦後の表彰台に向かう前の車両保管所で
セナから握手を求められた時のプロストの嬉しそうな顔
今でも涙が出ます(;´Д⊂)
93年は開幕戦でセナとプロストは表彰台で握手していました。それをみているから、最終戦での表彰台の握手は、スポーツマンシップとはこういうものだなあと余計に感動しました。
94年サンマリノグランプリフリー走行中のプロストに対するセナの無線も泣けます。
セナvsプロスト
MP4/4 v vs MP4/4
MP4/5 MP4/5B vs 641 641/2
最高でした!
マンセルはタイヤバースト後、タイヤ交換せずリタイヤです。その状況を見てウィリアムズチームはピケのタイヤ交換をしています。
セナプロがしのぎを削っていたマクラーレン時代
セナ車を担当していたのが後にフェラーリに移籍したスティーブ・ニコルズ
プロスト車の担当がその後もマクラーレンに留まるニール・オートレイだったのは印象的
プロストは、F1のキャリアの中で、チームメイトに獲得ポイントで負けたのは、84年のラウダだけ。
予選の一発の速さは、セナに軍配が上がるが、レースでの速さはプロストが断然上。
そうそう! 88年も総ポイント制ならプロストがチャンピオンなんですよね。しかも「セナに11点差をつけて」ですもん。
ファステストラップの速さでは右に出る者がいないと言われていました。
あと、タイヤに優しい走りを心掛けていました
しかも速いと来てますから。
セナがウィリアムズのマシンを走らせながら「やあアラン君がいなくなって寂しいよ」と無線で語りかけていたのを思い出します。互いの力を認めつつも、そこはやはりライバル…素直に認められずに確執が生まれるというのは理解できることです。しかし鈴鹿で二人が接触という形でタイトルが決まってしまうのを2回も見せつけられたのは良い気分がしませんでした。やはり正々堂々と戦い、笑顔で讃えあって欲しかったですね。
アランの方が好きだった
セナ信者の人達には、セナが倒すべき永遠のライバルと見定め、セナの力を最大限に発揮させた存在がプロストである事実を理解して欲しい。古舘伊知郎のキャラ付けによってヒールとして語られてきた日本でのプロストだが、プロストの引退後にセナが何度も復帰を懇願していたことを知っているかな?
ヤバい…泣ける…
セナと和解して親しくなっていたのは知らなかった!
当時、プロストが悪者にされる意味がわからなくて、小学生ながら憤慨していた記憶があります。
フジTVとしてはセナが善、プロストが悪の勧善懲悪の方が視聴者ウケしやすかったのですかね?
ただ、セナがサンマリノで散った時は、セナが嫌いだったのに泣いた。
ヨーロッパではポルトガル以外ではプロストが善だったようです。
tamotu2005
バレストルやエクレストンはプロストこそ真のチャンピオンである、最高のドライバーであると言ってましたからね。
レース運びの巧さに加え速さも兼ね備えてましたからね。
プロストはジョイントNO1体制で主にセナとの争いによりF-1を大いに盛り上げてくれました。それに較べてシューマッハ、ベッテル、ハミルトンのつまらないこと。
ミハエルはそれでもまだ格があって見映えがしたけど、ベッテルから完全に脱落したなぁ。まぁルールや中継のせいもあるんだけど。
セナが亡くなる1994
サンマリノGPスタート前
無線で解説者になった
プロストと会話
セナ「アラン…君がいなくて寂しい」
I miss you, Alain
自分も覚えています。
この無線のやり取りを知ったのは、セナの事故後でした。
それ故、寂しく感傷的な言葉に聞こえます
そのメッセージはスタート前ではなくて、金曜の朝とかじゃなかったかな。だからプロストは実況ブースにいなかったんです。後から人づてに聞いて「え、そんな事言ったの」という。まだ、イモラの悪夢は始まっていなかった頃の、セナの明るい声。
日曜日、ルノーのエリアでランチしていたプロストを見つけるとすぐに寄って来て座り、そばにいたがったのは本当です。レース前にも二人きりで会う事が出来た。
94年のセナはなんか笑顔が全くなく元気がなかったように感じた。
前年宿命のライヴァル、プロストが引退して
倒すべき相手がいなくなり自分が挑戦される立場になって
モチベーションが下がっているって。
イモラでFW16からのメッセージ
「君がいなくてさみしいよ」
あれが彼の本心だったんだろう
セナにとってプー様は最大のライヴァルであり倒すべき相手であり
そして最大の理解者だったんでしょうね
セナはプロストに「普通の優勝じゃダメなんだ。君に勝って優勝して、君が悔しがるのが最高なんだよ」と、本人に直接言っていたそうですね。その関係性って凄いと思います。
そうですね、94年のセナは本当に表情がとても暗かった…自分としては念願のウイリアムズに乗る事が出来て勝てる、勝ちたい!という欲が大いにあっただけで、それまで駆り立てられていたもの、つまりモチベーションの大部分はプロストに勝利する事であったのだと思います。だから気持ち(欲はあっても)根本的にプロスト引退によりセナも同時に燃え尽きてしまったんだと思います。それに加えて新たにグンと力をつけてきたシューマッハとの攻防(ベネトンはまだハイテクを使い違反していたらしいですね)開幕からのリスキーなマシンの仕上がりとレギュレーション、スポンサーや事業や自身のマネジメント…イモラではセナはとっくに疲弊していたんだと思います。兄弟として例えて言うならプロストは理知的で優秀な兄、セナは実力はあっても無い物ねだりのだだっ子の弟だったような気がします。
プロストが天寿を全うするのはまだまだ先の話でしょうけど、その時は天国F1グランプリでまた対決するでしょう・・・
89年の日本グランプリの接触に関しては
昨年のイギリスGPやイタリアGPでのルイス・ハミルトンの正当性の評価から
アラン・プロストには落ち度が無かったということが立証されたと思っています。
プロストはセナと組んだ2年間で、ワールドチャンピオンという結果ではセナに1勝1敗だったけど、総ポイントでは2年連続でセナに勝っている。セナがチームメイトのポイントを上回れなかった相手はプロストだけ。予選の一発の速さではセナは何者にも負けない突出したものがあったけど、ドライバーとしての総合力ではプロストの方が一枚上だったと思う。
まあ自分はマンセルの大ファンだけどね(笑)
ちなみにマンセルはプロストと組んだ1990年、ポイントではほぼダブルスコアで圧倒されたけど
予選は確かイーブンで、ポールポジションを3回獲っててプロストはポールなしだったので、レースではプロストに負けたマンセルも
予選の一発では僅かながらプロスト先生を上回れたのかなと勝手に思ってます。ポルトガルでは失礼しましたけど(笑)
マンセルとセナはコース上での単純で純粋なスピードの戦いで
プロストとセナはコース内外での全人格、全人生賭けた戦いのようなイメージだったね
mr2type5
総ポイントで上回ってるのにチャンピオンになれなかった?
@@native-em6ls その時は有効ポイント制で、16戦中上位11戦のポイントが有効でした。総合ポイントが10以上もプロストが勝っていましたが、優勝回数の多いセナが有効ポイントで上回り、チャンピオンになりました。
kakugo kusakabe
そういう事ですか!
プロストが「ナイジェルはフェラーリのブリーフィングで1年通じて1回か2回しか見なかったw」って言ってたよ(笑)
プロストの凄さで印象深いのは、ずば抜けたメンタルのコントロール力でした。
レース中でも心拍数が低いのは有名な話だけど、ここでタイトルが決まるような大一番のスタートでは確実にロケットスタートを成功させるのは見事(セナでもプレッシャーでエンストしたりするのに)。
レース中盤でのトップ独走時などは、どんなドライバーでもゴールまでにスピンやコースアウトしないか心配になるもの(セナもモナコでやらかしたし、マンセルに至っては‥‥w)。しかしプロストだけはマシントラブルが起きない限り、いやマシントラブルさえも未然に防ぎながら、100%確実にゴールまで持っていくという絶対の信頼感があった。森脇さんも「プロストほどの人なら途中で集中力が切れるという心配もないと思うんで」と言ってましたね。
世間での評判とは逆に、セナは努力で速くなった秀才、プロストは天賦の才で速かった天才のようだけど、その差が最も現れたのがメンタル面だと思う。
泣ける
フジテレビと古舘伊知郎のせいで悪役に仕立てあげられた気の毒なドライバー
全くその通り!!
壊しやナントカとか、顔面ナントカとか、トウセンボジジイとか、鼻曲がりのダンディとか、F1世界選手権をプロレスにしてしまった古舘の責任は大きい。
セナだけ音速の貴公子でさあ。
せめてもの救いは92年のモナコが古舘でなく三宅アナだったこと。
@@taachyo6125 確かに。三宅さんですらエキサイトだったから、古舘なら放送事故だったかも知れませんね。
まさにその通り、意図的にやってましたね
古舘伊知郎はセナ以外はボロカスに言ってましたもの。
あれもフジのやらせでしょうね。
まぁ、古館は実況アナウンサーとしてはプロレス中継しかできない三流アナウンサーだと思いますよ。
因みにプロストは少年時代はサッカー選手になりたかったらしい。潰れたような声なのは試合中にボールが鼻に当たって骨折したんだとか。
14歳の時にサッカーの試合で足を骨折した時に暇つぶしに乗ったゴーカートからカートにハマってモータースポーツの世界で生きることを決めました。寧ろF1のファンだったのは白血病で早逝した兄の方だったとか。
プロストはフランスでは唯一のドライバーズチャンピオンになって、戦略的な走りを見せてかっこいいと思う選手だったが、いかんせんプロストGPは黒歴史でしたねぇ…(中野くんいじめ、フランス優先)
若いころのプロストが後のセナの如く「鬼神のような一発の速さ」を見せていたのを知っていただけに、
プロフェッサーと呼ばれるようになった頃からの一般受けイメージには物足らなさを感じていました(「速さはともかく老獪」的な…)
まぁ実際にそういう走りをしていたし、限界ギリギリを狙う事もほぼしなかったから仕方ない。
理論派ではなく天性の鋭敏な身体センサーを駆使する感覚派天才ドライバー。
鋭敏ゆえに雨中の不安定さを嫌う傾向がどんどん増し、イモラだったか?フォーメーションラップのスロー走行中にスピンする失態もあった。
雨だろうと何だろうと限界チャレンジを恐れなかったセナとは好対照。
(それが災いし、そこまで無理する必要のない豪雨の豪GPで周回遅れの前車に突っ込みリタイヤしたのはセナらしいけど)
その豪雨にみまわれたGPで異次元のファステストラップを連発し「雨のナカジマ」を知らしめた中島悟やプロストのようなドライバーが個人的な好み(憧れ)でしたから、セナ/プロ対決時はプロスト応援派(セナを嫌いではなかったから枚方でも開催された衛星中継追悼会は予約)
スイッチ入った時の荒法師マンセルとプロスト、いずれも好きでした。
確かに、そう思います。
86年のライバル、マンセルのマシンは86年はFW11です。写真は85年のマシンFW10です。
最後のやつ泣ける…😢
プロストの走りががめっちゃ好きでした。
「プロストのファン」という目線でセナを語るのでセナファンとは意見が合わないこともあったなぁ。
歴史にifはないけど、アランとアイルトンはライバルだった。
もし、イモラであの事故が無ければ、セナのその後のライバルは
ミハイルだっただろうなぁ~
晩年は97年無限ホンダエンジンを積んだプロストチームで走ってたかもしれないし~
見たかったなぁ~
その場合、ぶつけたり押し出したりでワールドチャンピオンが決まる年度が何回か増えそう。
そういう意味でアイルトンがミハイルに与えた影響は大きいかも。
セナVSプロスト対決もフジテレビでやってましたね✌️
毎回ワクワクドキドキのF1グランプリは私の青春時代でしたね。F1グランプリ見てから国の文化やサーキットまで知りました。今地上波で放送しないのでRUclipsからみたりしていますσ(^_^;)
あと、忘れているようですが。ルノー時代の最大のライバルであったルネ アルヌーもいましたよ。
ルネ・アルヌー、そう言えばいましたね
セナとプロストはお互いに罵り合っても認めれるライバル同士だったし、93年のオーストラリアGPでは最後にノーサイドの意味合いで笑顔で握手を交わしたのが良かったけど、セナの葬式では号泣したのは分かる気がするし、セナにとってもプロストが居たから常にチャレンジャーで居れたんだけどね・・・(-_-)
84年はラウダの方がレース中のファステストの回数が圧倒的に多く
88年はセナの方が1勝多かった事も追記しておきます。
'94 セナ はレースに対する情熱を持っていなかった様に思える。
それまでの追う立場から追われる立場へ
勝てる車で勝てない自分はがゆさで焦っていたと思う。
勝てないプレッシャーに苦しんでたと思う
プロストがいて彼を倒そうと奮起してたセナ イモラでプロストへ送った最後の呼びかけで判ると思う。
あれから随分と時が流れプロストの評価が上がる傾向を見るにつけ当時を冷静にできる環境が整ってきたのかと。それでも未だに品のない罵倒コメントを見るにとマスコミの世論形成は怖いと思います、2年間ホンダエンジンで走った時のチームメイトの振る舞い、エンジンメーカーやチームから受けた冷遇は日本ではよほどでないと知りませんから。
まぁレース同様、最後に勝つというか、自分の行ない、品性の継続でプロストは年々敬愛されて来てますね。良き事良き事(笑)。32年間、セナの悪口、セナが私的にプロストに話した事を絶対に漏らさない。やれセナの元GFやら不倫相手やらが本書いたり雑誌に出たりして来たけど。
プロストが凄いなぁと思うのは、
「80年以降の事について、一切後悔が無い。また繰り返すとしても同じ事をやる」「もし監督だったら、ドライバーとして雇うのは自分。彼は完璧だ」「僕を知っている人なら皆分かっている事だけど、僕が一度言葉を発したら(on the table)、絶対にそれに関して妙な事はしない」
↑こういう自信を揺るぎ無く持っている事。信頼性の塊みたいな人だと思う。申し訳無いけど、当時のホンダの面々にここまでの信用性を感じないかな。
多分、ベビーフェイスで不思議な事口走るセナと失礼ながら鷲鼻で、常に眉間に皺寄せてお伽噺話の悪い魔法使いみたいな風貌のプロストじゃセナの方がヒーローにピッタリってマスコミの判断はあったと思う。実際は、セナのが幅寄せとか前のクルマに軽くタイヤ接触させたりとか頻繁にやってたらしいね。ホンダだって、マンセル贔屓のウィリアムズと喧嘩別れしたのに、マクラーレンじゃセナ贔屓だったから大概よ。
プロストはタイプ的に、ル・マン24時間レースの様な耐久レースの監督の方が向いてそうな気もしました
チーム運営、レースコーディネートとレースドライビングは真逆な感じもしますし
セナは、好きになりそうだった頃に亡くなってしまいました。
流石!F1系ナレーション素晴らしい(*´∀`*)
「君はセナかマンセルか、プロストのインをさせ!」なんていうサブタイトルのF1ゲームがあったよ。プロストファンの自分には嫌なゲームだったよ。
アナログ世代最後の天才プロスト。
デジタル世代の新鋭セナ。
ハイテク戦略世代のシューマッハ。
マネージメント世代のアロンソ
空力パッケージ世代のベッテル。
スピードのセナ、テクニックのプロスト、そんなイメージでした。
レースの最後にトップであればいい、そのレースで勝てなくてもシーズンが終わった時にトップであればいい。そんなこと考えられるのがプロスト。
見ていてつまらない程、派手さのないスムーズなドライビング。
前の敵を抜くのに後車との間を取るなんて嫌らしいほど冷静なんだよな。
やっぱり派手なアクションがないからセナほど評価されないよね。レース場でもプロストみたいなドライバーはとにかくムカつくけど速いと思うよ、彼ほどのドライバーは出てこないだろうね...
@@dx9989 さん、印象に残っているのはセッティング能力です。
89年鈴鹿はマシンの最適解を出したのはセナではなくプロストでした。
フェラーリに移籍してからはあんなにだらしなかったマシンがみるみる速くなり信頼性が増していったのはプロストの影響意外に考えられない。
@@匠の父さん、返信あざすです
セナにセッティング能力ないってのはよく言われてましたよね。 俺はプロストファンだからこう言うドライバーはもっと評価されて欲しいけど鈴鹿のシケインの件やらNHKやらホンダがセナ推しでプロストを悪者扱いしてたからプロストの株が上がる可能性は低いですよね...
プロストファンな自分でも時々退屈だった(笑)。「考え過ぎててつまらないって言われるけどこれが自分だから」らしい。でも89年鈴鹿は最高。セナプロ最高傑作だと思う。
@@Chalarge4635 さん、F1のレースシーンで1番好きなのが89年鈴鹿です。
最高のサーキットで同じマシンを操る最強と最速の勝負。
本当に最後の勝負だったと思います。
決着はつかないまま二人とも伝説になりましたね。
プロストは速いけど、強力なのでは政治力。
アルヌー、ロズベルグ、マンセル など政治力が皆無だったドライバーは皆サポートせざる得なかった。
セナもそうなるはずでしたが、ホンダの南米贔屓がネックとなり
マクラーレンはプロストよりもホンダを選んだ。
結果、喧嘩別れしたルノーがサポートして引退の花道を飾った。
優秀なドライバーだと評価している。
1990年鈴鹿で故意にぶつけた後は、セナは罪悪感に打ちひしがれた表情をしていたと周りの人は語ってましたね。
ホンダにセナを贔屓していると言ってマシンを交換させたり(セナはそんな事はないと言い実際に交換)と結構問題児、引退後のプロストグランプリに至ってはチームメイトから待遇を改善して欲しい言われるまでに日本人ドライバーの扱いがひどいかったのは有名
現役時代は職人ドライバーと言うイメージでした
デイモン・ヒルはライバルだったのか?
そうなの?
鼻曲がりのダンディー
プロストとマンセルも微妙な関係やったな
マンセルがイタリア語をやらずにフェラーリにいて、プロストはイタリア語ペラペラ。マンセルはブリーフィングに年間1、2度しか来なかったんだって(笑)。マンセルはプロストのヘルプや気遣いを期待したんだろうけど、恐らくプロストはクールで、チー厶内優位をラクラク手にしたと思われますw
リジェ無限ホンダがブリジストンタイヤでモナコで勝利するなど活躍してたのにプロストはチームを買収してオールフランスとすべくプジョーエンジン、ミシュランタイヤに変更して大コケしてたな(笑)
F1で1番早いのは
アイルトン・タカです
セナは、生前エリートレーサー🚗だった。
懐かしいです。
ケンたんが現地初のF1が、1988年15戦鈴鹿、セナの初タイトル取りを見ました。
あっ、ケンたんの年齢、計算しないでねw
93年のモナコGPでゲスト解説者の石橋貴明のプロストに対する毒舌はウケた笑
プロストかーちょい悪親父(笑)ですよね。頭のいいレース運びをする冷静な男ですね。ちょい、ぐちぐち言い過ぎですよね。F1における政治や駆け引きを理解して実行できる偉大なチャンプですよね。ただ、上司にはしたくないです(笑)。
プロストは天才なのだろうがフランス人らしい粘着質さがあるのがイマイチイメージ悪い早かったのは事実だマクラーレンフェラーリとセナに異常に絡んでいたのがイマイチイメージを悪くしていた気がするフェラーリもブロストがいかなければセナが乗れてただろうに。跳ね馬に乗るセナを見たかった。あの12気筒のエンジンでセナ足を聴きたかった。モナコのトンネルの中で響くセナ足のフェラーリのエンジン音は素晴らしかったろう
雨のレースでは全く駄目なドライバーですが、ニキ ラウダをチームメイトを迎えた以降はニキ ラウダの走り方をお手本としていたらしです。また、予選重視の走り方を辞めた訳ではなく、無理に優勝を狙うような走り方を変えてコンスタントにポイントを稼ぐ走り方に変えただけです。予選を捨てた走り方をしてしまわれたら、モナコやハンガロリンクみたいなサーキットは決勝は絶望的なレースになれます。
プロストは古館解説でプロフェッサーと呼ばれてたけど、それはレース戦略や内外での駆け引きであり、実際にはターボとNAのエンジン特性の違いをよくわかってなかったとか言われてますね。89年シーズンにセナと自分ではエンジン出力が違うんじゃないかとか何かとホンダを批判してたけど、実際のところはNAエンジンがターボエンジンのようにドッカンとパワーが出ないのを不満に思ってたんじゃないのかなぁ。
間違いです。それ。プロフェッサーというのはそもそも頭が良くて思慮深く、賢明なのが1つ、もう1つはセッティングやテストにおける記憶力、ミリ単位での細やかさ、何をどうすればどうなるという事へのノウハウです。それを、駆け引きだの政治力だののイメージに歪曲したのがフジテレビ。ホンダの扱いに関しては「今でも何故だか分からない」って言ってます。
因みに、イギリス等のメディアでは、ホンダがセナ贔屓だった事は当たり前のように伝えられている事で、「エンジン分かってないプロストがゴチャゴチャ言ってるだけ」みたいに信じ込んでるのは日本だけです。
今でもプロストは政治力で勝ち進んでいったドライバーという印象のままだよ(遅いとは言ってない)
プロストがペナルティ食らったら嫌になって引退したこともその裏付け
93ドイツのペナルティーは本当にバカバカしい誤りですよ。あれはむしろ見事な危機回避能力なのに。引退は、アクティブ車が余り面白くモチベーション不足を感じたりしていたのと、決定的なのがルノーがプロストとの契約条件を破り、セナを同僚にしようとウィリアムズにゴリ押した事です。セナと同僚は不可能だから、翌年分の契約金を払うならセナでどうぞって引退した。
もう白人ミュータンツの与汰話は止めて、アジア人だけの発動機競争を創設しましょう。
あっという間にF1なんか比較にならない位のスピードと面白さになります。
いや、プロストは「セナは倒せてない」でしょ⁉️😅
彼を倒したのは、多分【シューマッハ】だと😅
プロストは【最強の一角】のドライバーだったけど、【最速の一角】ではないと思われ😅
彼は常に80%程度の速さで【リスクを少なく走る事】がステータスのような人だったから、全力の速さは知らないけど、恐らくセナとマンセルあたりよりは…。
その証拠みたいなのが、サロンの評判。
ある日、突然「鼻持ちならない嫌な奴」に2人とも変わったのには笑った。
マンセルの時は初回だし、ああいう性格の人だから、追放出来たけど、セナの時も【同じ手?pgr】でしたよ😅
プロストより絶対セナ❗👍