I am italian and I saw this movie on national tv channel when I was a kid, probably 1970. I remember I was impressed and my heart was beating fast. I think I cried for this moving story. And now I am 60 yo I think I could cry again...
I think this movie, 1956 and 1985 versions are the greatest movies of all. I was born in 1956 but I have read the book and I have watched the both versions on vids. A truely great story.
★ " The Burmese Harp / ビルマの竪琴 / Biruma no Tategoto " 1985 Director : 市川崑 / ICHIKAWA , Kon ★ This is one of the best Japanese movies ! ! ! ★ 【3:05】埴生の宿 / Hanyu no Yado / Home , Sweet Home , by Henry R. Bishop (1786 - 1855) 【4:10】荒城の月 / Kohjo no Tsuki / The Moon Over the Ruined Castle , by 滝廉太郎 / TAKI , Rentaro (1879 - 1903) 【8:45】埴生の宿 / Hanyu no Yado / Home , Sweet Home , by Henry R. Bishop (1786 - 1855) 【10:43】仰げば尊し / Aogeba Totoshi / Song for the Close of Scool , Composer : H. N. D.( It seems composer was an American female.)
両親が80歳の時に映画館に観に行きました。父がフィリピンの山中に残してきた戦友を思い出して 映画館で号泣していました。
今、都内在住90代の方を先頭に民間有志で未だ帰る事の出来ぬ約120万体の遺骨帰還を企画してます。未だに遺骨が野晒しな状態です。生かせて頂いてる者として放っておけません。
私の父はインパール作戦から、復員してきました。
父も何回かこの映画を観ていました。亡き父を思い出します。
今の若い人達に是非とも観て欲しいです。
初めて父に連れられて見に行った映画。小学生ながら『水嶋 一緒に帰ろう』の言葉に胸が締め付けられたのを覚えています。
連れて行ってくれた父に感謝。
今こそ、このような映画を放送して欲しいと思います
兄がビルマで戦死した祖母が、小学生の私お映画に連れて行ってくれました。暗い館内で祖母が静かに涙を流していたのが忘れられないです。
今30代前半だけど、大学の授業でビルマの竪琴が放映されてて、一度で全部は見れなかったけど続きが気になりすぎてその授業楽しみだったのを覚えている。
そして、授業中に泣いたのも覚えている。感動するよなぁこの映画。
歌うようなセリフ回しが美しい。
昔の日本語はとてもきれいだとおもいました。
予告編だけで泣けるわ
同じ様に投稿している方が、いらっしゃいましたが、私も小学校低学年に父に連れられて人生で初めて観た映画がこの「ビルマの竪琴」です。子供過ぎて意味は深く分からないまま、「水島! 一緒に日本に帰ろう」の言葉、「水島」の名前だけは忘れることはなかったです。
この映画を見て泣かない人はいません、ビルマは今のミヤンマーです。荒城の月、埴生の宿、仰げば尊し、とうとう日本に帰らず霧の中に消えて行く水島、メチャメチャ悲しく涙が止まりません。
ずいぶん昔にこの映画を見に、今でも忘れません。竪琴の響きに涙しています。
この映画は5歳くらいの時に見て子供ながらずーっと心に残っていました、そして中井貴一さんのビルマの竪琴を娘と映画館で見に行ったら、涙が止まりませんでした。戦争を知らない今の若い人にも見てもらいたいです(私も知らないけど)
今もたくさんの方に見てもらいたい映画です‼️
部下思いの隊長、仲間思いの仲間達、そして全員の思い、御霊思いの水島。
色々と考えさせられる素敵な映画です
何度見ても胸が熱くなりいつの間にか涙がこぼれています。
戦後の生まれなので戦争体験はありませんが、厳しい世界情勢下にあって開戦に踏み切り、戦地に送り出す側も送り出される側もそれぞれ苦悩はあったことと思います。 40年前にマレーシアへ仕事で赴任し現地で生活していた時、親しくなった中国人(華僑)から二通りの声を聞かされました。 一つは「お前の爺さんがワシの爺さんを殺した」というもの。 そして他方の声は「日本の兵隊さんにワシの爺さんが大変良くして貰った」という全く正反対のものだった。 映画では三角山に立て込もって徹底抗戦を続ける部隊と可能な限り衝突を避け苦難の道を進み、終戦を受け入れて投降した部隊の二つが、ちょうど私の聞いた二つの声に合致する気がしてならない。この映画を見るたびに指揮者や指導者の誤った判断によって進むべき道が大きく踏み外し将来に禍根を残すことになると言うことを上に立つ人には考えて欲しいとこの映画を見るたびに思いを新たにしている。
小学校2年生ぐらいの時に、親父に連れて行ってもらった初めての映画館で観ました。忘れられず、たまに思い出します。本当に考えさせられます。
私のひいおじいちゃんの弟がビルマで戦死したと聞いております。
私がまだ小さい頃、実家の壁の上の方に飾ってある写真を見て『なんでこんな若い人が死んでしまったのかな』と子供ながらに思っていました。大人になった今、ビルマで亡くなった時のことや、ビルマでどんな事があったのか、知りたい、知る必要があると思いました。
見ると泣くのが分かっても、又見てしまいます。
ビルマのジャングルより終戦で帰って来た父.その大好きだった父も亡くなり早や19年.何度か聞かされたジャングル内での悲愴な戦い.何人もの戦友を失い髭ぼうぼうで家に帰って来た父 泣いて泣いて観たこの映画 自身の心労にも屈せず足を負傷し歩けなくなった戦友を背中に背負い日本へ戻って来たそんな父でした。父が出征後の1941年生まれ、そんな父をもっと優しくして上げたかったとの後悔。海外へ移住し早や40年 戦争は惨い 世界中に平和と思うのはユートピー ?
素晴らしい、優しいお父様ですね、日本に帰って来られてよかった…
@@肌寒いで御座いまさあねえええ 優しさではない、昔の日本人は仲間や家族を大事にした、それが当たり前の義理人情!
今までいろんな映画を見たけどこれを超える映画はありません。
あぁ~こういう映画を今地上波でたまにでいいから放送しないかな…
小学生の時、モノクロ1956年版を父に連れられて映画館で観た。
その時の記憶は、イギリス軍包囲の中、暗闇の中でゲートルを巻き、戦闘態勢に移る場面。三角山に立て籠る部隊にに赴く場面。たしか三橋達也?指揮官との激論の場面。
霊安室で水島の遺骨(中身はルビーの宝石)に語りかける三國隊長の言葉に、水島が必死で涙をこらえながらが聞き入る場面。そして、雨の中収容所を訪ねるオバアサンと兵隊達とのやり取り等が印象に残っている。
後年、大人になってから二つの映画を観たが、そのに於いて前作が優れていると思う。カラーでわざわざリメイクする必要が何処にあったのかと思った程だ。
水島上等兵の苦衷。野晒しにされた同胞日本兵の屍への痛哭の念。上官への感謝、戦友への友情。最後、と呼び掛ける戦友達に向かって、
心中、を押し殺しながら無言で『仰げば尊し』を弾き続ける水島上等兵。その頬に光る涙に私も何度も涙した。
これ見よがしののない、それでいて『戦争の意味』を我々の心に深く問いかける、戦争映画の『名作』だと思う。
だいぶ前に何度か観ました。皆さん若いですね。またそれぞれの
唄 敵方の兵隊さんと
一緒に はにゅうどの宿を合唱している場面は
一時心が安堵するシーンでした。
どうしてこの地球上から戦争が無くならないのでしょうか?
悲しいですね。
思春期の頃かにテレビで古いほうのビルマの竪琴の映画をみて衝撃を受けたのを覚えています
数日は哀しくて何も手につかなかった記憶があります
ラストシーンで、水嶋が心情を吐露する手紙を隊長がみんなに読み聞かせるところが一番涙が出ました。中井貴一さんがこの映画をされて嬉しかった、なんの遜色もなくこちらのビルマの竪琴も凄く感動しました。
こういう戦争の悲惨さを伝える映画はその時代の若きスターがリメイクして若い人にみてもらう努力をしていって欲しいですね、それが映画をつくる人の使命のひとつでもあると思います。
売らんが為の暴力映画やオカルトより、こういう映画にもっとお金をかけて、集客できる華やかなスターを起用していくのも映画を創る人の才能だと思いますので頑張って欲しいですね!!
悲痛さや残酷さばかりの邦画日本戦争作品を覆した傑作です。日本は残留兵を主とした作品をもっと作るべき。アジアで一番残留兵も数が多いのが日本。敗戦国だから帰国できなかつたのではない。彼らには侵略者(白人層)が乗っ取ったらアジアの未来はない!ことを悟っていた。からである。彼らは戦後でもベトナム、台湾、中国、インドネシアに残り戦いそして英霊として祭られてる。誰だって祖国に返りたいさ・・・ 集客できるスターなど必要ない。そんなものは昭和な考え!リメイクも不必要。リメイクすれば確実に「薄まる」。そして効果も薄まるのだ。そもそも、いつまで名作に頼るのだ?わたしは貝になりたいなど何度目だ?日本は戦争映画の作り方が下手。リアリティばかり追求してるのが致命傷。若い監督 作り手たちが「新し戦争映画」を作ればいい。大切なのは「誰が出て」「誰が作る」のではなく クオリティーと余韻である!人間臭さや血生臭いのが良しとされてるガラクタ感性の老いぼれが作る作品など若者などには届くはずもなく、響かない。日露戦争にしても二百三高地ばかりだし 沖縄戦にしても、ひめゆりとさとうきびばかりだ。あと広島原爆・・・もう次世代の若者達はウンザリしてる!
ヤクザが主体の暴力映画ね~、こんなのがカンヌで日本の映画だと騒がれているらしいよ。ナンマイダ。
私も古い方のビルマの竪琴を39年前に見ました。親が学生の頃に見ており、勧められて見ました。
水島上等兵の気持ちが痛いほど分かる、幾万の戦友がビルマのジャングルの中、飢えと戦闘の中死んでいった。その時水島上等兵も魂わ昇華され死んだのです。残されたのはただ亡き戦友達の魂を弔うだけ、涙が出て止まりません。
8月はジブリアニメでなく、「ビルマの竪琴」と「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督)を毎年、放映してほしい。
今の平和は、勝手に生まれたのではなく、英霊や平和を迎えようと尽力した人たちで成立している。
英霊や靖国神社の否定とかは許されない。
日本のいちばん長い日は昔は終戦記念日に毎年放送していましたね。
「仰げば尊し」を歌うシーン・・・・なんど見ても涙が出てきます。
10:42
@@植松京子 ありがとうございます。
今の日本人で戦前の日本人を悪く言うのは本当にやめてもらいたい。
今の自分を省みると恥ずかしいくらいだらけてる。
一生懸命生きた先人にありがとございましたとこういう映画を見るとつくづく思う。
牟田口廉也みたいなものにもありがとうと言えるのですか?
日本軍を批判すると英霊を侮辱するなーって発狂してしまう連中いるけど
なんなのって思う。
僧侶となりビルマの戦場に散った兵達の霊を弔う役となる中井喜一さんの竪琴の音が哀愁を掻き立てなんとも言えない、戦後の様々な状況の中でも貴重な映像でした!!!
子供の頃に観て「おーい、水島!一緒に日本に帰ろう!」しか覚えてなかった。
いま、ミャンマーが荒れているので色々調べているうち、ビルマの竪琴の内容を知りたくなり、この動画に辿り着いた。
ありがとう。
やり切れない。
切ない。もどかしい。
色々な感情が、、。
私が72歳でがたしか
小学生低学年のとき
はじめて戦争映画を見ました!
号泣したのを今でも忘れません。その時の主役の人が
本郷こうじろうさんでした!
今日ようやく、2度もかな。
中井喜一さんが主役のときも有りましたが私は初めてみた
本郷さんのフアンでした!
昔の時が今また思いだし
泣けてきます。
この小説は繰り返し読みました。セリフが全て小説と同じで作者を尊重している映画だと思います。一言一句。さすが市川崑さんです。原作を尊重し忠実に再現した事が分かります。それに比べて日テレは?
ルビーをみて、戦没者の魂だとわかったあのシーン本当に感動します。
この映画はいつ見ても感動的。。。。。。このような映画を世界に向けて日本はもっと積極的に発信していかなければ行かないと思う。。。。。
祖母に勧められて、まだ幼いころにこの映画を見ました。
当時は戦争映画と言うだけでどこか恐ろしく、歴史も知らずよくは理解できなかったはずですが、それでもひどく心に残る作品でした。
歴史を学んで、今見返すと、なおさらに感慨深い。多くの人に見てほしい作品ですね。
戦時下にあって、音楽の持つ偉大な力。最後のラストシーンは、涙涙の連続。いまだに世界各地で紛争多発。世界の分断が加速する昨今。このような映画をどんどん最上映して、戦争の愚かさを再認識させたいです。
命を賭けて演技している感の、昭和の映画が好き。
この映画を見を終えた後、何とも言い表せない気分になりました。名作とはこの様な映画を言うのだろう。
中学生の時だったか、たまたま夜中テレビでやってて、見入ってしまった。
日本に帰らないって、なんで??と最初思ったが、色んな出来事を見て変わって行くミズシマの心境がすごく伝わってきて、帰れない、帰らないと決めたミズシマのことを理解できた気がして、その後自分の考え方がちょっと変わった。
あと中井貴一ってスゴイと思った。
此の映画にみんな涙しましたね、関門国道トンネルが開通した頃でした。
門司側入り口の左側にリフト(一人用)が、和布刈公園山頂まで、少し高い所に国民宿舎がありました。
リフトが山頂に着く手前の下辺りに金色に光るパコダ(寺院)が在りました。
リフトの面影(巻上機台座)は残っていると思われますね。
人道は和布刈神社の裏手にあり下関側まで歩いて行けました。
パコダは門司港駅広場から見えます。
今でも【ビルマの盾琴】の題名を聞くと「水島!、日本に帰ろうの掛け声が」感動のシーンが甦りますね。
リアル当時に美しい竪琴の旋律に号泣した名作。 この邦画の派手さもCG もない只々古臭い予告が余計に涙をそそるTT 帰りたくないわけじゃない、帰るわけには行かなかった水島(中井)の心情と、水島を待っていた仲間達の姿に涙が出る。 素晴らしい動画UP有難う御座います。 日本人の全てが戦争を望んでいた訳じゃない、侵略と殺戮を愉しんだわけじゃないと西の3国にもこの映画で知って欲しいものですが・・・100%無理だろな。
日本は侵略ではなく、欧米諸国の奴隷状態からアジア解放をしたのです。国際連盟での日本の発言と大東亜共栄圏参照のこと。
ビルマの竪琴は家族で映画館で見て感動しました❗️
安井昌二さん主演はテレビ映画で観ました。中井貴一版は予告変のみ観ました。何度見ても泣けます。別れが「生と死」や「生き別れ」など色々あるでしょうが、人としてこんなに悲しい事はないと思います。
この映画と、このRUclipsの音楽大好きで、音楽がわりに良く聞いています。
ところで、この映画に昔エキストラで出演しました。といっても軍隊行進のひとりであり、多数の中のたったのひとりです。大学時代のことです。弁当と、確か5000円もらえたと思います。かっこいい顔の人がカメラの近くを行進しました。私は後ろ....
撮影の現場では、石坂浩二さんと市川監督が見えました。
この時は、映画の内容は知りませんでしたが、あとで映画館で見たらよい映画だとわかりました。現在は、埴生の宿の原曲の「Home sweet Home」も楽曲を買って聞いてますが、やはりこのハーブの音楽のものが最高です!
この曲を聞くと泣けます。埴生の宿の暖かく優しいメロディー好きです‼
森の中から敵も歌いながら現れてくるシーンはよかった
若い頃見て涙が出ました。
三十数年前、当地へ派遣され、数年間お世話になりました。このポロジェクトを完成しなければ「自分は帰るわけにはいかない」。悲壮な覚悟でしたが、この映画で勇気をいただきました。武山先生、中井さん (チィースンテンバーレイ)当時は残留日本兵の方もおられました。数年後無事に完了し全員無事に帰国できました。感謝・感謝!!
元作(1956年)と同じ市川崑監督、北林八栄さんが同じ役で出演。 子供の頃に見た白黒の三國連太郎、安井昌二の方が同時代を生きた人たちが出ている分と、現地人、僧侶や少年、風景などが素朴でリアルで感動的だった。 原作の竹山道雄はドイツ文学者、本作が唯一の少年向け小説。 戦争問題提議が目的だったそうです。 ともかく感動的で大変良い小説だと思います。 映画としても竪琴の音、コーラスが情感を盛り上げて、永久に残したい素晴らしい作品です。
もう駄目す水島一緒に帰ろう涙秒殺す久しぶりに観れ感謝いたします
映画のCMをみて、文庫本を買いました。当時はよくわからず飛ばし読みしてました…その後テレビで見て、そういうことだったのかと恥ずかしながらの再確認した思春期。時を経て50を超えた今、改めてみて涙が止まりません。
こうした映画、今の時代、作って欲しいな……
卒業式で「仰げば尊し」を歌うことのなかった世代が増えたそうです。
水島上等兵が最後に歌に託した想いが伝わらないのかと思うと少し寂しい。
非常にすごいすばらしいしかありません有難いありがとうしかありません
戦争経験者のじいちゃんと映画館で観た思い出があります。
あの頃よりも、今のほうが、グッと心にくるような気がします。
ビルマの竪琴、一括りにして送られる戦場!望郷の念に駆られて口ずさむ、美しいメロディーには最早国境はない…。1人、1人は正しいのに何故繰り返されるのか?歴史に学ぼう!💕。
涙が・・・・・・・・・・・・止まらない・・・・・・・・・・・・・。
以前この映画をユーチューブで見る事が出来て、感動した事を覚えています。また見たくなりDVDを買いました。届くのが楽しみです。(追記)中井貴一さんの演技に引き込まれました。若い頃(当時44歳)の石坂浩二さんがイケメンで素敵!
実は、このような人が多くいたそうです。
英霊を弔う目的の人もいたようですが、中には敗戦のショックと、仲間達が亡くなったことなどで自分を責めて気力がなくなり現地に残ったり。
しみじみと今の平和を大切にしたいと願います。
逃亡兵で日本に帰れなくなった人もいるそうです。
子や孫に囲まれて暮らしてました。RUclipsにありました。
そうなんですか。
教えてくれてありがとう。
そしてその子孫には幸せに平和に過ごしてほしいです。
もう少し言うと、撮影時にはまだ軍服を持っていました。
また、TV局が日本の兄弟からの手紙を持って行きましたが受け取りませんでした。
死にたくなくて逃げたんじゃない。生きて帰ろうなんて思ってた人は1人もいなかった。
「戦え!」との命令が出たけれど1発の弾もないのに、どう戦えと?丸腰じゃないですか・・・。と言ってました。
動画を見た私が言うのも変ですが「撮影とか行かないで、そっとしといてあげようよ・・・。」っと思ってしまいました。
ありがとうございます。
どれほど兄弟からの、手紙を受け取りたかったことでしょう。
きっと受け取ると、帰らないと決めた心が揺らいでしまうとおもったのかもしれません。いつかきっと、彼らの子孫が日本へ来て自由に会いたい人に会い、行きたいところへいける日が来ることを祈っています。
水島は弔う目的で残ったんだよ
僧侶になったからね。
その方が美しい
これはフィクションだから。
現実はもっと深い
映画を通して
深みを知ろう。
14分弱の予告動画のうち10分は泣いているという…この映画は何度観ても同じ感動
感性豊かすぎでしょ!戦争経験者ですか?
子供のときにこの映画を観て、なぜ水島は皆と一緒に日本に帰らないんだろう!皆が呼んでるのに!帰ろうよ水島!ってそれだけしかおもいませんでした。何もわかりませんでした何故水島上等兵がビルマに残ったのか!大人になり再びこの映画を観てやっと少し彼の気持ちが解るような気がしました。
こどものころ思い出す 素晴らしい映画です
水島さんもどれだけ帰りたかったことか😭
石坂浩二さんの上官の演技には泣けました😂😂😂😂😂
映画は観ていませんが、小説を読みました。
感動で泣きました。
感動的です。素晴らしい!
兵士たちが、ハモれるところがすごいと思います。「荒城
の月」など、。
日本の本物の歴史を勉強しないとならないと強く感じました。
不鮮明な映像だからこそ良い。味があるね。
仰げば尊しを弾いただけで誰のセリフも無い。でもその場にいる皆が察する…泣く
゛今こそ別れめ いざさらば。”
10年前の動画が、なぜ今おすすめに来たのか(笑
それはともかく、市川崑監督が同名のタイトルで二回撮影した理由は、「ビルマの土の赤さをカラーでフィルムに写したかった」からだそうです。
「ビルマの 土はあかい 岩も またあかい」
冒頭だったかエンディングだったかどちらかは失念しましたが、このフレーズに市川監督の気持ちが込められています。
72歳の御爺です。市川監督の2作観ました。一作目は確か小学校の講堂(体育館)で観ました。『埴生の宿』はその時聞いてからずっと脳裏に残っています。日本の歌を500曲憶えてユーチューブに配信しています🎶(安松辰)
感慨深いお気持ち文ですね。私1942年生まれ。あの戦争を引きずって生きてきたけど、もうすぐおしまいでしょう。ビルマのジャンングル戦は、白黒映画で見たことあります。ジャングル内で日本兵が木の上で待ち伏せしてしてイギリス兵を打つような、ベトナム戦争を彷彿させるようなジャングル戦を、ニッポンはイギリスとやっていたようでした。
この映画、30年以上前に見た映画が夢に見ますが、
今では、題名も判りませんし、その映画の存在すら分りません。
この映画を、リアルタイムで中学一年という最も多感な時に観ました。
最後、仲間に別れを告げる為に姿を現し、竪琴を演奏するシーンは号泣した記憶があります。
心打たれる素晴らしい映画です。
最初のモノクロ版も、泣かせますね‼
僕は中井貴一さんのほうがいい‼️
I am italian and I saw this movie on national tv channel when I was a kid, probably 1970.
I remember I was impressed and my heart was beating fast.
I think I cried for this moving story.
And now I am 60 yo I think I could cry again...
最近の映画は迫力が凄いし、感動するものも沢山あるけど、こういう美しい映画が減ったよなぁ
その通りですね、、、横たわるお釈迦様が忘れられない 南極物語の時代ですね、、、、
その通りですね、、、横たわるお釈迦様が忘れられない
私、厚木市民全員に、第二次世界大戦【懺悔作戦】にさせてみたい、、、、
源氏一門の山田珠紀
同感です。確かに良く撮れてますが何か芸術的迫力が今にはないですね
日本がこんなに素晴らしい作品を作ったら日本の評価が上がってしまいます。
なのでそんなことは今後2度と起きません。
日常生活で誰かが
「水島ァ!」って聞くたびに、これを思い出してしまう。
懐かしいなあ
水島 日本に一緒に帰ろう
これ交換♪おばあちゃんも懐かしい川崎で小4の時観ました
菅原文太さんも最高でした
埴生の宿を聴くとこの映画を思い出します😂有難う😮
最高です。
One of the most beautiful movies I've ever seen
「埴生の宿」とは良い曲を選んだものだ。日本の曲じゃないが、何処か日本人の心の琴線に触れる。敵国(英国)と気持を共有出来るから選ばれた。戦場でのこう心の繫がりは「戦場のメリークリスマス」にも見られる。日英間独特の空気。
日英間戦争ではないが、「ラストエンペラー」も日英共同作品。
昔の白黒の映画のテレビ放送されたのを見て、泣いた記憶があります。
39年前中学3年の時に学校から見て来いとの御触れが出て数人で行き、最後の場面で号泣して祖父がビルマ戦線で戦死した者が「じいさんの遺骨がビルマのジャングルにある、何時かその場所に行きたい」と泪ながらに云っていた者がいた。
人間が古いから安井昌二さんのビルマの竪琴が頭に浮かびますね、中井貴一さんの映画もゆっくり観てみたいですね。
Non ho mai scordato Mizushima da quando ho visto il film alla televisione italiana. Ero una bambina ed ora ho 70 anni.. ❤
このリメイク作品を劇場で見たとき、現役で働いていて「ブラック企業」そのものの環境であったために、「おーい水島、一緒に(生きて)日本に還ろう」と自嘲したものでした(涙)。「仰げば尊し」の歌詞は、お葬式の時故人を偲んで心中で唄います、「今こそ別れ目」そうですよね。
戦争の悲惨と戦友の愛が伝った映画ですね😂😂
I think this movie, 1956 and 1985 versions are the greatest movies of all. I was born in 1956 but I have read the book and I have watched the both versions on vids. A truely great story.
仰げば尊し
我が師の恩
教えの庭にも早いくとせ。
思えばいととし この年月。
今こそ分かれ目 いざさらば。
中井貴一さんが、竪琴でつま弾いた『仰げば尊し』のメロディーで、一番初めに思い浮かんだのはこのフレーズだな。
これ、隊に対する水島上等兵なりの感謝の気持ちもあるのかなと推測してしまいました。
阪神淡路大震災があった時に この映画を見ました なんかすごく印象が残っております
何度も観ても泣けます
★ " The Burmese Harp / ビルマの竪琴 / Biruma no Tategoto " 1985
Director : 市川崑 / ICHIKAWA , Kon ★ This is one of the best Japanese movies ! ! ! ★ 【3:05】埴生の宿 / Hanyu no Yado / Home , Sweet Home , by Henry R. Bishop (1786 - 1855) 【4:10】荒城の月 / Kohjo no Tsuki / The Moon Over the Ruined Castle , by 滝廉太郎 / TAKI , Rentaro (1879 - 1903) 【8:45】埴生の宿 / Hanyu no Yado / Home , Sweet Home , by Henry R. Bishop (1786 - 1855) 【10:43】仰げば尊し / Aogeba Totoshi / Song for the Close of Scool , Composer : H. N. D.( It seems composer was an American female.)
40代で、音楽学校出の青年将校の小隊長を演じた、石坂浩二さんの若さがすごい🎉
私はオリジナル版とリメーク版両方見ました。中井貴一さんも好演されていましたが、個人的には安井昌二さんが演じられた水島が良かったです。「埴生の宿」のメロディーの合唱に合わせ、水島が竪琴を弾くシーンがこの映画のクライマックスでしょうか。いずれにしても日本映画の中の名画のひとつとして語り継がれることでしょう。
イギリスの軍隊でしたか?
合唱に感動しました。
同感です。
お~い!水島!一緒に日本へ帰ろう!この台詞は印象が深い
日本兵が歌う「埴生の宿」が元は英国民用だったので英国兵も英語で歌う、そこにはもはや戦いはなかった。
まさにWE ARE THE WORLDの世界です。伊豆島上等兵はクインシー・ジョーンズだったのです。
子供の頃に観て、感動しましたよ😂
このあとバブル破綻して以来もうこんな映画ないな。
空想だけで、ここまで書ける原作者さんの凄さよ。
この映画は中井貴一さんが
水島の役ですね?
安井昌二さんと言う俳優さんが出る映画を映画館で視た覚え有ります😮😢